2012年01月27日

2012年ボサギ合宿

皆様こんばんは。

今年一発目ですね。
遅くなりましたけれど、今年もよろしくお願いします。

毎年この時期は、ボサギ道場合宿がありまして、これは場所が南房総岩井の小池荘というところに決まっていて、ここ以外ありえないというほど素晴らしい環境で、ここが比較的空いているのが年始の時期だということで開催時期が決まってくるのです。

そして、合宿をやったのだから発表会もやろうという流れになっているのです。

もっと言えば、そもそも南房総保田の「ばんや」でお昼をたらふく食べたいから、岩井で合宿をやることになったという説もあり、実はボサギ合宿とは、「房総のさかなを吟味する」合宿であるとは今回K氏の名言であります。

たしかにそう言われればうなずけることもあって、今回も「ばんや」に予告なく突然現れて「ばんや」のみ参加のお二人さんもいました。

ま、「ばんや」と土曜夜のお楽しみライブ裏芸付きが大きな魅力にはなっています。

今回は、生徒よりもミュージッシャンの方が多いという贅沢な状況で、ギター、ピアノ、ボーカルのみならずパーカッション、フルート、オカリナ(残念ながらフルート、オカリナの先生は体調不良で不参加とはなりましたが。)までいるという。

前日、関東では珍しく雪が降ったりしてとても寒くて天気は今ひとつでしたが、外でやるイベントはないし、部屋を暖かくしておけば快適過ごせます。

内容は例年のとおり、生ラジオ体操第一に始まって、発声練習、ギターの個人レッスンとボーカルの個人レッスン、パーカッションの個人レッスン、夕食後は飲み会とセッション裏芸付きが果てるまで続く。いつもでしたら翌朝は海で散歩などを楽しむのですが、日曜日の朝の天気は良くなかったのでそうもいきません。
もっとも、前夜というか明け方というか影響が残っていてそれどころではない。
午前中は、個人練習と追加レッスン、午後からは発表演奏と締めのセッション。
個人的にはパンデイロの基礎を教えてもらえたのがよかった。

恒例生ラジオ体操第一
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くつろぎの夜のお楽しみライブ裏芸付き
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発表
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こうして見ると確かにボサギ合宿というよりは、「房総のさかなを吟味する」合宿であり、各種楽器を教えてもらい、宴会があってスタジオライブがあって参加型セッションがありの、なんというか総合音楽合宿みたいになってきています。
こうなると、ボサギの生徒だけではなくて、もっと広く呼びかけて総合音楽お楽しみ企画にでもしてしまった方がいいんじゃないかとも思えます。
来年はそんな方向でちょっと考えてみましょうか。

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で、これに続く発表会は3月11日に決まったようです。
震災からちょうど一年ですね。

ではでは

2011年12月30日

2011年末、雑感

皆様、こんばんは。

今年も、まもなく終わろうとしています。

3月11日から本当に思いもかけぬ日が続きました。

小生が住む習志野市でも、海側はまだ震災の爪痕が深く残っています。

幸いにして、うち(兼リハーサルスタジオ)は無事で、ミュージッシャンの皆さんと有意義な時間を過ごすことができました。

空気が澄んでくる冬場は毎朝このような風景
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そして、夕陽も強烈です。
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皆既月食を捉えてみようとしましたが素人には難しい。
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さて、そんな中で、最近の私的トピック、二つ。
一つは、レコード針を買い換えたこと。

以来、針をレコードに置くわくわく感があって、LPレコードを聴くことがとても楽しい。
なにせ音が良いし。

わくわく感とは、目的のLPレコードを選びにくいレコード棚の並びからやっと選んで、盤面をクリーナーで丁寧に拭いて、静かにプレーヤーに置く。
そして、ここまで粗相がないかチェックして、ようやくレコード針を慎重に降ろすことを許されるという達成感でもあります。
指先一つなどというのは、もう次元が異なるのです。

今でもとてもわくわくするレコード、「Dancing mist」by菊池雅章6 in1970
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そしてもう一つ。

うちの近所にも名店があったのですね。

リハーサル終了後の飲み会、たまたまカツカレーの話になって、ここにも美味しいお店があるよと言ったところが、横浜のKAZUも知っていた、習志野市は大久保商店街中の「ナポリ」。
小生、カツカレーが大好物なのですが、色々と事情があって年に1~2食しか食しません。
最近は、鳩間島から石垣島へ渡って来たときに食べたくなる1食。

うちでは揚げ物は一切やりませんので外で食するしかないのですが。

「ナポリ」は、ここ習志野市大久保に越してきた約30年くらい前からたまに行っていたような気がします。
カウンター席のみの洋食屋
どうもカツカレーで有名になっているらしいのですが。

好物だし、久しぶりに食べてみたいなあと、しかもランチに。

店内はカウンターのみで、内装も相変わらず、昭和そのまま。
たぶん小生が行っていた30年前と変わってないような気がします。

そして、カツカレーの味は、気取ることなく、世評、評論云々全く関係なく、当たり前の昔からのカツカレーそのものでした。

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約30分、タイムトリップを味わってしまいました。

あの人も生きていたし、あんなこともこんなこともあったなあ・・・・・・。

普通に生活して時を過ごしていけるということが、とても大事に思えた年でした。

よし、今年はサボったけど、新年はご近所に初詣に行こう。

それでは、良いお年を。

2011年12月28日

Ita e Kazu-Xi with Ryo Watanabe クリスマスコンサート2011

皆様、こんばんは。

12月24日クリスマス・イブは、イタ・イ・カズー・シ&Ryo Watanabeのコンサートでした。

このメンバーでのライブは去年の2月以来ですから約2年ぶり。
場所も前回と同じく、白金クーリーズ・クリーク
このバンドを始めてもう20年くらい経っていると思いますが、正確なところは思い出せません。
ただ、パソコンや携帯電話など全くなかった時代、CDすら出始めでまだLPが主流だった時代(もっともLPはまだ聴いていますが。)、小生とKAZUの二人で活動を始めて、メンバーにも紆余曲折があって今に至っています。

前回のライブあとのこのブログにも、このメンバーでレコーディングできたらとか、もうちょっと回数ができればとか書いておりますが、今はこんなバンドがあってもいいじゃあないかと思っています。

皆それぞれ音楽活動をしていて、とてもスペシャルなときに集まってライブをする。
音楽の内容もお客さんもお店もスペシャルです。

こういう場面で素晴らしい時間が生まれないわけはないのです。

我々も凄耳のお客さん達のおかげで、みんなと一体となってとても良いクリスマス・イブの夜を過ごすことができました。
アンコールで「オブリガートな世界」を演奏できたことも良かった。
こんな年だったからこの曲をやりたいというのもありました。

ありがとうございました。

また、スペシャルなときにこのメンバーで演奏します。

ではでは

今晩はちょっとすかしてみました。
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トム・ジョビン降臨か。
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KAZU
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オープニングもちょっと凝ってみた。
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若手と一緒に
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2011年11月27日

酔っぱらいと綱渡り芸人について考えてみたくなった

皆様、今晩は。

O bebado e equilibrista(酔っぱらいと綱渡り芸人)、ジョアン・ボスコの名曲ですね。
演奏する機会も多いです。

ところで作曲者ジョアン・ボスコのライブ盤なんかでは、よくこの曲のインタールードとしてチャップリン作曲でジャズスタンダードとしても親しまれている「Smile」が演奏されています。
歌詞のはじめの部分で・・・・lembrou Carlitos(訳:チャップリンを思い出した)とあるのでこの曲を演奏するのかなと思っていました。

しかし、最近になってこれをエリス・レジーナが唄ったバージョンの伴奏で演奏してみると(コードの解釈は何通りもあって、ジョアン・ボスコ自身はこの進行では演奏していないようです。)、「Smile」ととてもよく似たコード進行の部分があって、まるまる1曲分入っていると解釈できる部分もあり、単に歌詞にチャップリンが出てくるだけではないような気がします。

特に、歌詞を8節に分けるとして第三節、E nubenns la no mataborrao do ceu・・・・から第四節、Louco o bebado com chapeu-coco・・・にかけてと第七節、Mas sei que uma dor assim pungente・・・から最後まで。

もちろん小節数やコードの間尺その他細かいところは異なりますが、全体として似た響きです。

「Smile」に発想を得て作曲したと解釈する人もきっといるんでしょうね。

ジョアン・ボスコ自身、「Smile」をインタールードとして使っていることは、「Smile」に対するリスペクトの表れとも解釈できそうです。

よく聞くのは、「O bebado e equilibrista」はブラジル軍制下で書かれたプロテストソングで、検閲をクリアするために暗喩が多用されていると。

この曲が出来たのが、1979年。
ブラジルは1964年にクーデターが起きて85年の民政移管まで軍事政権が続きます。その
間、経済的発展は遂げますが表現の自由は抑圧されて、多くのアーティストは苦労にさらされます。

かたやチャールズ・チャップリン(本名はチャールズらしいです。)ですが、彼は36年の映画「モダンタイムス」の主題曲として「Smile」を作曲しました。
40年の「独裁者」とともにこの頃の映画の作風は反ファシズム、ヒューマニズムの感が強く、太平洋戦争集結後は反戦の作風も強くなり、冷戦が強まる中、アメリカ社会に蔓延した、いわゆる赤狩りによって親共産主義者と決めつけられアメリカを追放されてしまいます。52年のことです。

62年にキューバ危機があり、65年から75年までアメリカはベトナム戦争の泥沼にはまっていきます。
チャップリンは72年にアカデミー賞特別賞を授与されることで再びアメリカの地を踏むことになるわけですが、結局はその生涯をヨーロッパで閉じています。

「Smile」は、チャップリンの反ファシズム、反ミリタリズム、ヒューマニズム讃歌とジョアン・ボスコは捉えたのかもしれません。
また、軍事政権は親米政権でしたからチャップリンの政治姿勢に対する共感もあったのかもしれません。

ちなみに「Smile」に歌詞が付いたのは54年で、ナット・キング・コールが唄ってヒットしました。
後年、マイケルジャクソンもカバーしていますね。

こう考えてくると、偶然「O bebado e equilibrista」の歌詞にチャップリンが出てきたのではなく、まさしくチャップリンをモチーフとしてこの曲が書かれたのではないかと思えるのです。

ただ、歌詞を見ると、おそらくチャップリンを象徴しているであろう Louco o bebado com chapeu-coco(山高帽をかぶった狂った酔っぱらい)を、ブラジルに悪さをはたらく軍事政権(おそらくは)と位置付けると、善悪の役割が逆になってしまうのではないかと思われるので、この点、何か逆説的な表現方法でもあるのかなとも思うのですが、ちょっと思いつきません。

曲が書かれた79年当時はまだ軍事政権化であったことを考えると善悪を逆に表現するということもありだったのかも。

このように考えてくると、インタールードとして「Smile」を演奏するというのは、チャールズ・チャップリンに対するリスペクト、そして山高帽をかぶった酔っぱらいを悪役に置いてしまった申し訳とも思えるのですが、どうですかね。
こんな考えがとっくにどこかに発表されているのであればすみません。

ではでは

2011年11月22日

vsopの会

皆様、こんばんは

今年から始めた40年ぶりのバンド再結成、vsopの会(very special one time performance)と呼んでおりますが、2回めの練習を行い、今年の練習を打ち上げました。

レパートリーは、今のところ、ジョージ・ハリソン、バート・バカラック、フランシス・レイの楽曲とジャズスタンダード、ジョビンの楽曲となっていて、見たところとりとめのない感じではありますが、あの頃の楽曲を今どう感じ取れるかということを基本にやっています。
結構面倒なところもある曲を、当時中学生の坊主たちは何を感じながらやっていたんでしょう。

とにかく楽しくやることが基本ですから、メンバーのできる範囲で小難しいことは言わずに何回も練習を重ねて仕上げていく、そして終了後の飲み会は欠かさない。このへんが大事でしょうね。

今回メンバーのH君が持ってきてくれたのが、1970年の音楽雑誌「ヤングギター」。
練習は、当時小生も住んでいた大田区の久が原のS君宅で行われていますが(皆、久が原に住んでいた。)これは、H君の久が原の実家から持ってきてくれたもの。
内容は、吉田拓郎の特集とかフェンダーアンプのチューニングの方法とか、ジャズギタリスト沢田駿吾さんのインタビュー、彼のアドリブコピー譜等々。
何か見覚えがあるな。
今読むと実にたわいのない内容なんですが、当時は夢中で読んでいたんでしょう。

ただ、小生は中学3年生くらいから、上記のような傾向からロックに傾倒していきました。
元々、クリームとかアドリブ重視系のロックは好きだったんですが、ウッドストックフェスティバルの情報が日本に入ってきて、その影響が大きかったんだと思います。
中学から高校へ進学ということもあって、もっともこの4名は同じ群の都立高校へ進んで、3名は同じ高校でした。当時の都立高校は学校群制だったもんで。
皆それぞれ自分たちの興味を持つ方向へ進んでいきました。

それでも、40年の時を経て、皆楽器をいじれるというのはなかなかすごいことだと思います。

皆の話を聞いていると、久が原在住のS君は別として、Y君、H君の実家も彼らの住居とは別に、小生が中学高校大学生だった当時と同じように、まだ久が原にあるそうです。
しかし、ご両親が他界したり、また住むことができなくなったりして当時と同じ状態で家だけ残っている。
では、子供たちが住むかというと、既に現在の居住地で生活圏を確立しているし、建替の問題とか色々とあって住めない。
どうもそういう家が多いらしく、我々が住んでいた頃は子供たちが沢山いたのに、今は本当に少なくなっているらしいです。
また、空家も増えているとのこと。
どうも、高齢化による空洞化が進んでいるような気がします。

H君の実家というのも、あの頃の時間が止まったままで彼の部屋なんかもあるらしい。
だから当時の雑誌なんかも持って来ることができるのですね。
高校受験、大学受験の参考書などもどうもそのままに佇んでいるらしい。
これは行って一晩飲み明かすしかないなと思いました。

音楽の不思議なところは、あの頃の楽曲を演奏しているうちに、全く忘却の彼方だった記憶が思い出されてくるところです。
良い思い出ばかりだったら良いのですが、ついでに苦い思い出も浮上してきたりして。

そんなこんなを楽しみながら、来年はこのバンドでライブができるでしょうか。

ではでは

2011年11月02日

毎度おなじみ、秋の沖縄・八重山2011

皆様、こんにちは

毎年行っている秋の沖縄・八重山、今年は例年より一箇月遅れて行ってきました。
例年だと、旧暦八月十三夜のとばらーま大会に合わせていくのですが、今年は都合が付かずこの時期。でも、もう台風の心配はないのでその点は安心ですが、鳩間行きの船が欠航しがちなシーズンなのでそれはそれで若干気にはなります。

今回も、まずは那覇でジャズのライブ。

R-Greenにて
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唯一の沖縄県産日本酒「黎明」、美味しかったです。
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那覇「サクレ」の看板猫「ウズラ」
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サクレにて
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合間に、奧武山公園で開催されていた産業まつりに行ってみました。
日曜日、天気も良くて日差しは夏です。
相当に広い公園に相当な数のブース、イベントで盛大さが伺えます。

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興味を引いたのは、お墓の展示販売。あの立派なお墓はこのぐらいの値段なんだということが分かりました。
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やちむん(焼物)のブース
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月曜からは八重山です。
石垣島は天気も上々。
この季節の沖縄は、朝晩は涼しく、日中もさして暑くも無く寒くもなく、半袖で過ごしてちょうどいい気候です。
以前、ライブ・レストラン「ステラ」を営んでいたメグさんが新規に初めたお惣菜屋さん「八重山たい夢」にてゆんたくと休息。
ここは化学調味料を使わないお惣菜屋さんで、店内で食事もできます。子供連れのお客さん
が多いようですね。清潔でいい感じです。

「八重山たい夢」にて
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最近開発した、「月桃蒸し豚」を鳩間島で販売できないかと相談を受けて、販売は分からないけれども、宣伝パンフを置くくらいならどうかなということで、とりあえず現物を持って島に行ってみることにします。
試食してみると、サンニン(月桃)の香りが三枚肉に染み込んでとてもいい味です。ご飯のオカズにも酒のあてにもなりそうだし、サンニンの殺菌作用で多少日持ちもしそう。これはいけるなあと。

翌火曜日から土曜の朝までは鳩間島です。
火曜日の朝は波も高くなりがちで午後からは欠航の予想。
案の定、2便から水曜日いっぱい上原航路は欠航です。
火曜日の1便で渡ります。
米盛さんご夫妻もお元気です。

米盛タマ
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夜は毎日、こんなふうに軽く飲みます。

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ある夜のあて、イカスミの汁と長命草の胡麻和え
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今回のように、一人、短期の場合は米少々しか持っていきません。
炊飯器はあるので米があれば何とかなりますし、食堂もあるので心配はありません。
もっとも小生は自炊。
調達できる材料で食事を摂るというのも面白さの一つではあるのです。

朝は、ご飯、漬物少々、ゆでたまご、お茶。
昼は、ご飯、ポーク卵、お茶とか、ご飯、何かの缶詰、お茶。
夜は、飲み会。
間に水やお茶を飲んだりします。
これで十分です。

まるだいのご主人の百箇日法要で、関係筋も来島してはいますが、この時期から来年3月頃までの鳩間島は本当に静か。
車は見なくても音で誰が乗っているのか大体分かるし。
船が欠航になると来島者もほとんどいなくなるので尚更。
食事は庭の食卓で摂るので、雨が降っていると部屋の中ということになるのですが、中で摂ったことはなかったので、一日中天気が悪いということはなかったようです。
木曜日午後あたりからだんだん良くなってきて、金曜日は夏のような晴れ。
シュノーケルの準備は持ってきていませんが、干潮の時間に北のリーフを散歩します。

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誰にも会いません。
潜ろうと思えば潜れます。
ゆったりと流れる時間を楽しみます。

この時期の夕陽
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そういえば、「月桃蒸し豚」は評判が良かったので何とかなるかもしれません。
金曜の午後に、石垣在住鳩間島関係者二名の相次いでの不幸の連絡で、明日の船で何名か石垣へ渡るそうです。
土曜日は、天気はまずまずですが波は高く、午前中の船は相当くるものがありました。
久しぶりに味わう船酔い、前夜の酒が効いているのかもしれません。
隣に座る浦崎商店は何食わぬ顔でケータイを見ています。

この夜は、パパビゴージでライブ。
めぐ・さくらのエプロンシスターズもゲスト参加。
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日曜日に帰るというのももったいないので、もう一日めぐ家にお世話になって天気の良い日曜日は、バンナ公園あたりを散策。

バンナ公園付近
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バンナ公園にて
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夜は、こてこての大阪お好み焼きパーティであります。

ということで、月曜日に寒い東京に帰るのですが、どうもあまり寒くないようで、とはいっても朝夕は冷えますな。
静かな静かな時間を楽しんだ、秋の沖縄・八重山でした。

お世話になった皆様、ありがとうございました。
次は来年の春でしょうか。

ではでは

2011年10月13日

保育所的ギターレッスン

筆者近影
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皆様、今晩は。

ギターレッスンをしていると、驚かされることがあります。
若いお母さん、MさんとIさんは、子育てをしながらレッスンをしています。
3歳男女と1歳女子を見ながら二人でレッスン。
Iさんは、レッスンを始めてから次女を出産していますが、産休の後も継続しています。

レッスン中は、ミニ保育所状態。

DVDとかおもちゃとかおやつとかで仲良く遊んでいるうちは良いのですが、子供どうしのトラブルが発生したり、お母さんに甘えてきたりすると中断。
レッスンをしていなければ、つまり、お母さんが自分たちに注目していてくれればトラブルは発生しないそうなのですが、お母さんたちがレッスンに集中してしまうと不安になるのでしょうか。
それでも、二人で演奏していれば無事な方がカバーできます。
通常は、2時間のレッスンなのですが、初めから子供たちの許容限度を考えて、1時間にしています。

始めてから約1年半、まずギターを手に入れるところから始めて、今年の年末のクリスマス会に二人で演奏するということを目指しています。

曲は、2曲。FericidadeとSo danco samba。

目的がはっきりしているのでレッスンはやりやすいのですが、楽器を手にした当初は,
当然始めてギターを触るわけですから、ある段階を通り過ぎるまでは継続するのは大変だったと思います。

で、冒頭の驚かされることという話題ですが、最近、二人ともとみにギターの音が大きくはっきりしてきたことです。
ある時期から急に変わってきたようで、一つステップを上がったのかなという印象を受けました。
癖がついていないので、初めから右手、左手の使い方を、サンバを基本として習得できます。
選曲したFericidadeもサンバですから、まずサンバを体験してからボサノバへというのが分かり易い方法で、この選曲も良かったと思います。
比較的長い曲で歌詞も長いので覚えるのも大変だったと思うのですが、ギターも歌詞も全部覚えて楽しめるようになってきました。
2曲だけにしぼって一年半というのはすごいです。
何よりも彼女たちの熱心さと根気が一番なんでしょう。
この辺まで来ると、ギターを弾くことが面白くなってきます。

家事と子育てで煮詰まってしまいがちな日常で、仲間とギターの引き語りを楽しむというのはとても良い気分転換かもしれません。

そろそろ次のステップに行きましょう。

この調子で行けば、クリスマス会の演奏も楽しんでできると思いますよ。
ではでは

2011年09月21日

中秋の名月

皆様、こんにちは

今年の旧暦八月十三夜は9月10日、十五夜は9月12日でした。
この時期、十三夜のとばらーま大会を観に、いつもは八重山へ行っているのですが、今年は仕事との兼ね合いもあって八重山・沖縄行きを遅らせることにしました。
旧暦の新暦上の日にちは毎年動くので、ある程度はしょうがない。

でも、今年は中秋の名月前後の天気は関東付近もとても良くて、月もくっきりと見ることができました。
今頃鳩間島では月祭りをやっているんだろうなあとか思いながら眺めていました。

自宅からはこんな感じ
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ある夜に自宅玄関付近に姿を見せたオオミズアオというきれいな蛾、翅の開帳約10cmくらいありました。ヨナグニサンのことを詳しく知ってから蛾に対する拒否感はありません。
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連日続いていた30度超えの日々もようやく収まってきたようですが、台風が頻繁に訪れてきているようです。

先月マスターが他界したジャズライブハウス、ブラックセイントが9月1日から再開しました。
ママさん一人ですから、大変だと思います。

何といっても、機材を使いこなすことがまず難しい。
機材と一言で言っても半端なものではなく、今ではあまり見ることのできなくなったウエストレイクの巨大スピーカーやJBLのライブ用大モニタースピーカーを始めとするプロ用機材群、オペレーションルームとステージは当然離れていて、配線も埋め込みでこれらを自在に使いこなすのは大変なことです。
マスターがわりと突然っぽく逝ってしまったのでノウハウが伝授されていないのだそうです。
だから、ライブをやることはまだ無理でしょうね。
やるにしても、ママさん一人では対応出来るはずもないし、その前にシステムの扱い方を解明してマニュアル化するとか、ある程度人がいれば稼動できるようにしなければいけません。
お客さんとの人脈はママさんがいるので変わることはないのですが、このハード部分については当面の問題です。
小生も協力できるところは協力したいのですが、プロ用PA機材はちと難しいですね。
たとえはあまりよくないかもしれませんが、公共施設で異常に立派なPA機材を備えているところがあって、それは詳しい担当者がいたときに予算化して獲得したものの、担当者が異動してしまったら宝の持ち腐れになってしまっているという例も知っています。
貴重な機材だけにそういうことにはなってほしくない。
そうとはいえ、年も年だし簡単には答えは出ないでしょうね。

あの機材でLPレコードを聴ける日がまたやってくるといいな。

ではでは

2011年08月15日

ある時代との別れ

皆様、こんばんは

8月12日は、もう30年来お世話になっていた方の告別式でした。

近所のジャズライブハウス「Black Saint」のマスターです。

ここのところ、お店へはご無沙汰していたので最後に元気な姿でお会いしたのは今年の春頃だったのかもしれません。

今住んでいるこの土地へ移り住んだ理由のひとつに、この店の存在がありました。
ジャズをやっていた20代から30代にかけては毎月のようにライブ出演をさせていただいて
競演してきたミュージッシャンも多数にわたりますし、ここで出会ったミュージッシャンも様々。
また、お客さんたちとの出会いもとても面白いものがありました。
始めてこの街へ引っ越してきた当初は、こういう地元の店、そこに出入りする地元の人たちが頼りでした。

マスター、ご自身は以前は建築関係をやっていて自宅の一階にライブハウスを建築するに当たっては、知り合いのミュージッシャン、特にジョージ大塚さんとご相談して自ら設計に当たったとのことでした。
ご自身もテナーサックスを演奏し、船橋市のアマチュアビッグバンドで活躍されていました。

ライブ全盛だった頃は、毎週水曜日と日曜日にライブがあって、海外のそうそうたるジャズメンも演奏しています。
印象に残っているのは、ベニー・ゴルソンとミロスラフ・ヴィトウスかな。

ライブの常連はジョージ大塚さんでした。
色々なミュージッシャンを連れてきて演奏を聴かせてくれました。
小生がマスターと組んでジョージ大塚さんをメインに置いて、某野外ジャズコンサートを催したこともありました。

小生がブラジル音楽へシフトしてからは、ジャズライブハウスとしてのお店でバンドのライブをすることはありませんでしたが、セッションなど、時々は遊ばせていただきました。
マスター自身は、今は無き、新宿の「木馬」や「ポニー」のマスターと親しかったらしく、そんな話もよくしたっけ。
両店とも好きなお店でした。
古きよきジャズ喫茶の時代です。

「Black Saint」のオーディオ装置は大変なもので、小生はそちらの専門家ではないので詳しくは分かりませんが、ステージの背面をほぼ埋めてしまう巨大なウエストレイク製のスピーカー、アンプはマスター自慢のスレッショルフ(?)等々。

以前は当然、LPをかけていました。レコードの片面が終わるたびにカウンターとオペレーションの間の移動が大変でした。
よく自分のレコードを持って行ってかけてもらっていました。
自宅では聴こえない音がするのです。

それからCDに変わっていき、最近は移動がしんどくてジャズ有線を流すようになっていました。
それでも時々は昔のシステムでレコードを鳴らすことがあって、その音は今やここ以外のどこでも味わえないすばらしい音でした。

ちょっと前に小生が書いた雑文で引用させてもらいます。

「引用」
ここは、30年ほど前からお世話になっているジャズライブハウス。
元々オーディオセットがものすごいお店で、レコードを鳴らすときはウエストレイクの箪笥ほどもある大きさのスピーカーから真空管アンプを通した素晴らしい音が出ていたものでした。
当然ライブハウスですから、グランドピアノがあり、ライブ用モニターはJBLの大型スピーカー。ライブ゙の音も素晴らしいものがあります。
ただ、お店はご夫婦二人だけでやっており、高齢化でなかなか大変な状況です。
LPからCD、最近は有線JAZZへと音源がシフトしていきました。
年をとって頻繁にディスクを交換するのはきついですよね。
それ以前に店に出ること自体がきつくなりますよ。
そんなことでここ数年はウエストレイク・スピーカーの本気の音を聴くことができませんでした。
以前は自分のLPを持って行ってかけてもらい、家では聴こえない音を発見したりしたものでした。
駅を降りて、遠くに店の明かりがほんのりとついていることを確認。
店に入ると、音が・・・・・、懐かしいあの音が、LPレコードの音が大音量で鳴っているではありませんか。
ウエストレイク・スピーカーの本気の音、久しぶりに聴く音。
さっきまで聴かされていたいわゆるDJの単にうるさいだけの音(仕事でしょうがなかったのですが。)はゴミですな。
大音量なのにうるさくなく、すべての音が立っている。
特にベースの音の立ち上がり、ピアノの粒立ちのよさ、ドラムの繊細な響き、完璧な音です。
また、かかっているレコードがいい。
キース・ジャレットのスタンダーズの第一作目ですな。
1985年の作と推察いたします。
このシステムにピアノトリオは抜群に合うのです。
こういう音をお金を出して聴きに行っていたんだよね。
そういうジャズ喫茶も本当に少なくなってしまいました。
店主の高齢化と共に消え行く運命なのでしょうか。
いっぱい飲みながらこの音を聴いているうちにぐっときてしまいました。
ちなみに件のジャズバーは、京成大久保駅下車の「Black Saint」であります。
「引用終わり」

最近は、マスターは体調が悪くてお店にもあまり降りて来ず、ママさんが一人で切り盛りしていることが多く、結構広いお店なので大変だったと思います。

ここは、近所の飲食店、特に飲み屋さん、小料理屋さんが閉店してから店関係者が来ることも多く、飲食店のオアシスだったような気もします。
お客さんの難しい注文に答えて面倒な料理や凝ったお酒を提供している面々が、終了後は軽いおつまみで酎ハイを飲むのが楽しみなんですね。
また、近所の東邦大や日大のジャズ研も良く使っていたようです。
単に日本に残っている本格的ジャズライブハウスというだけでなく、地域の拠点という意味もありました。

色々な思い出を記していたらきりがないのですが。

ママさんがご健在ですから、お店の今後というのはまだ分かりませんが、今までのような形でというのは難しいでしょうね。

小生的には、自分の中で音楽を育んでくれた昭和の正統派ジャズ喫茶の系譜が確実に終わったんだという気がします。
それと、この店との出会いがなければ、小生は今ここにこうしては絶対にいなかった。

横浜の浜幸のマスターや乃津のマスターとの別れもつらかった。
順番とはいえ、こういう別れは本当につらい。

でもお別れを言わなくてはいけません。

マスター、色々とありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
さようなら。

ではでは

2011年07月27日

40年ぶりの再結成

皆様、こんばんは

今回は、40数年ぶりにバンドメンバーが集まって1回だけのライブをやろうというお話です。

初めてバンドらしきものを組んだのは、中学校2年の頃。
その当時のメンバーが集まろうということで、先日再結成記念飲み会が開催されました。

当時、昭和44年~45年頃、バンドをやろうなどという小僧どもはちょっと不良っぽいという世評でしたが、そこが格好いいという部分がありました。

小生は、東京は小平市在住の頃、早熟な友達から中途半端にギターを教わったものの、中学1年の夏に大田区へ転校し、周りに音楽をやる環境がなくなってしまいました。
せっかく買ってもらったガットギターを廃品にしてしまうのももったいないと考えたのか、クラシックギターの通信教育を一人で始めました。

何の弾みかこれが一年でそこそこ弾けるようになってきて、そうするとうわさを聞きつけた同好の士とつるむようになってきます。

まだまだ楽器が高価な時代。金のない中学生は何かと苦労します。
まずは練習場。
これは幸いにも近所の広い邸宅に住むS君、しかもピアノもあるという、ここにすぐ決定。
元々小生が転校してくる前、彼らはピアノ、ギター、ベースでバンドをやっていたらしいのですが、そこに小生がスカウトされたということでしょうか。

ベースのY君は、当時中学生が持つには珍しかったであろうウッドベースを持っていました。
ギターのH君はエレキギターを持っていたような気もするし、オルガンも弾いていたような記憶もあります。
みんな裕福だったのかな
小生は、ガットギターのみ。

小生は別として、当時このような比較的恵まれた音楽環境に彼らがあったのは、兄弟の影響が大きいと思います。
兄貴のアンプやギターを使わせてもらったり、兄貴たちの楽譜を見せてもらったりする恩恵に預かるわけです。

手先の器用なベースのY君がビンのプラスチックのふたと金属の薄い板と画びょうで、ガットギター用のマイクを作ってくれました。これなどはピエゾマイクのはしりですね。
S君の兄貴のアンプを借りたら、憧れのエレキギターっぽい音になるではありませんか。
難点は、楽器との接点が画びょうなので、装着するたびに楽器に穴が開くことでした。
そのうちドラムも加わって、何とかバンドの体裁が整ってきました。
ドラムは持っている、あるいは用意できる人ならば誰でもウェルカムでした。
アンプやドラムセットはリヤカーで運んでましたね。
あのリヤカーはどこから調達したんだろう。

で、何を演奏していたかというと。

1970年あたりというのは、ビートルズはそろそろ解散の風が吹いていた頃、ストーンズはばりばり、クリームという新しいロックの傾向を示唆するグループがセンセーションを巻き起こし、反戦、反権力の政治的な影響が音楽にも強い影響を与えつつありました。ウッドストックフェスティバルという画期的な試みが行われたのもこの頃でした。

しかるに、脳天気な中学生は、まだそちらの動きについていけなかったのでしょうか、もう下火になりつつあった、いわゆるエレキバンド(ボーカルをフロントに置くグループサウンズなどとは違いますね。)、そのエレキバンド的アレンジによるバート・バカラックとかその周辺の曲をやっていたような気がします。
ベンチャーズはださいということで、むしろシャドウズに傾倒していたように思います。
イパネマの娘なんかも確かやりましたね。

小生は中学3年生あたりからはロックに傾倒して、サンタナやクラプトンやジミー・ペイジ等の新しい傾向のロックに夢中になっていったんですが、このバンドはロックになる前のエレキバンド的アレンジによるポピュラーミュージックとでも言うのでしょうか、ま、言ってみればぬるま湯的であまり不良っぽくないことをやっていたような気がします。
当時の大人受けするようで、山の手のお坊ちゃんみたいな、今から思うとあまり格好良くない。

その短いぬるま湯期間の後は紆余曲折。
皆それぞれの道を歩みました。
そして40数年。

再結成のきっかけは、H君が小生のライブに来てくれて、そこでひょんなところから話が出て提案したら皆の賛同を得てということですが、ドラムスは消息不明。
ま、他の4名が健在で、集まれる環境があるということの方がラッキーなわけですから。
よく、卒業間近になると疎遠にしていたクラスの仲間たちと急にコンパをやったり、旅行に行ったりというようなことがありました。
今回も、人生の中盤から終盤にさしかかるあたりでそんな気持ちになったのかもしれません。

自分たちや友人たちと振り返ることができるかもしれないと思うと共に、ベースのY君のご母堂(80代後半)の、そんなことがあるのなら私もそれまで元気でいたいとのお話を聞いて、そういうこともあるのかと、目からうろこでした。

しかし、これからが大変。
その過程を楽しめればいいでしょうね。
とりあえずは、今年の末か来年年明けにライブを目指して進もうと。
そのくらいの目標を立てないと動かないんで。
場所もある程度テンションが落ちない場所を考えるということにして・・・・・・・・。

あと、重要なのは女性ファンとバンド名ですね。
何といっても男子中学生のモチベーションは、「もてたい」。
何事もこれに尽きたわけで。

この辺をどう仕込むかは、現TVプロデューサーのH君の守備範囲かなあ。
ちなみに、ピアノのS君はベテランの整形外科医、小生も手やら足やら間接関係、いつもお世話になっております。
ベースのY君は手先の器用さが生かされてかどうか知りませんが、医療関係技師。
昔取った杵柄で音響面の面倒も見てもらいましょう。
小生はそのまま専門家で不公平かもしれませんが、音楽的な下働きをするということで許してもらいましょ。

しかし、こういう飲み会は時間が経つにつれ昔と変わらない話題になってくるというのは、お約束とはいえ面白いですね。
すなわち、当時の女子の話題。
誰が誰を好きだった、実はどうたらこうたらどうたらこうたら・・・・・・・・・。
何時になっても変わらないおばかな男どもでいたいものです。

そうだ、バンド名どうしよう。
さて、どうなることやら。

ではでは

40年前のモテモテ男たち
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