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八重山・沖縄第1回

皆様、こんばんは
今日は、どうして小生が沖縄・八重山にしょっちゅう行き来しているか、お話しすることにしましょう。現在の状態に至るためには話が長くなるので、今回は第1回です。
ちなみに古い写真がデジタルで無いので、今回の写真はご愛嬌ということで。

筆者近影
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そもそものきっかけは、サラリーマン時代の那覇市で開かれた全国会議がきっかけでした。
もう10年以上前になるかもしれません。
その頃、既にITAeKAZUで演奏しており、相棒のKAZUは旅ライターの仕事もしていて、沖縄旅行に関してはベテランでした。沖縄民謡にも詳しくて、音楽家のはしくれである小生もそれならばと、沖縄に行くなら民謡酒場だとKAZUから文献やら音源やら借りて色々と予習をして出かけたのでした。
もともと日本の民謡や演歌は苦手なその頃の小生でした。
さて、深夜、宿を抜け出して初めて足を踏み入れた民謡酒場は、那覇市の「民謡スナック三原」。
赤いソファとステージ後方の浜辺の画き割り、オリオンビールの提灯と安っぽいドア、それでいながらアット・ホームなウェルカムの雰囲気、4人編成のハウスバンド(って言っていいんでしょうかね。)、とてもよい雰囲気でした。
ここで、日本民謡と波長が合わなかった自分が沖縄のそれと妙に波長が合うことを発見しました。
当時方言を知らなかった自分が「かいしゃ、かいしゃ」と歌っている部分が変に気になったことを覚えています。
その中でも、女性連れで作業服で現れた中年の男性二人組み。ただの酔っ払いかなと初めは思いました。そのうち、その二人組みが飛び入りをするということで、舞台の袖に引っ込みました。そして、膝までしかない浴衣のような着物と妙なお面をかぶって裸足、一名は三線を携えて現れ、とても不思議な音楽と踊りを披露したのでした。三線はロックミュージシャンのように横に構えています。
後で聞くとアンガマ(石垣島のお盆行事)に使われるウシャマイとンミーの衣装で八重山民謡を唄い、舞っていたのです。
それは衝撃でした。
それまで演奏されていた沖縄民謡も十分に楽しめたのですが、八重山のそれは、この不思議で魅力的な演奏・舞は一体どのようなところで演じられているのだろうと、どうしても確かめてみたいという欲求に駆りたてるものであり、八重山を訪ねたくて仕方なくなりました。
同時に、ただの酔っ払いに見えるような人達が当たり前に素晴らしい芸能を披露する沖縄という土地や、うちなんちゅーの芸能の奥の深さに感銘を受けました。もっとも件の二人組みは舞台を降りるとただの酔っ払いに戻ってしまいました。
ここから、毎年十五夜を中心とした(連休でサラリーマンにとっては休みが取りやすかったからですね。)八重山行きが始まりました。

夏の雲ですね
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初めは何もわかりませんから、ガイドブック片手に色々な島を回りました。民宿で主さんが三味線を弾いて民謡を唄ってくれるのが、ただそれだけで嬉しかったし、この唄を八重山で聴いているんだなあと思うだけで妙に感激していました。
しかし、ガイドブック片手の観光旅行は八重山の宿がある島々(鳩間と新城を除く)を何回か回った時点で飽きてしまいます。
いきおい石垣島の民謡酒場に通いつめることになります。

筆者は食われてしまうのか!
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こんなことがありました。
美崎町の某民謡酒場がお気に入りだった頃、飲んでいて、もう十二時を回った頃、とても元気なおばあ連がいました。
その方達から一緒に飲もうと誘われて、当時は地元の人達と飲めるだけで嬉しいわけですからがんがん飲みました。
その中の一人から明日家に遊びに来いと言われました。本当は社交辞令あるいは酔いが言わせたその場の一言なんでしょう。でも嬉しい小生は、翌日風邪気味のところを押して訪問しました。
市役所から近いそのお宅は、なんだか電気が止められていて、日が暮れるにつれて段々暗くなり、暑い中、扇風機も動かず、踊り用の金銀の扇子でおばあが小生を扇いでくれます。
お気に入りのかまぼこ屋が休みだということで、甘いファンタだけで話を聴きました。
八重山では子供ができない夫婦は別に女性と関係を結んでよいというような風習が昔はあった。自分はまさにその別の女性という対象だった。戦後、パイナップルの缶詰工場で苦労したこととか、でも子供達は立派になって本土で元気にやっているとか、古いアルバムを引っ張り出してきて涙ぐみながら見せてくれました。
最後に、自分は今晩もあの民謡酒場へ行って飲みたいし、あなたにもご馳走してあげたい、しかし自分が特にあなただけにご馳走したら他の仲間が変に思うだろうしあなたにも迷惑がかかる、だから今これを渡すから、どうか今晩も一緒に飲みましょうと言って、懐からくしゃくしゃになった千円札を渡すのです。
これには恐縮して固辞しましたけれど、結局、固辞しきれずありがたくいただきました。
もちろんその晩も飲みに行きました。
この頃から、自分は八重山や沖縄の何が好きなのか真剣に考えるようになりました。
音楽をやっていることをいいことに、島の人達が大事にしている音楽の表面しか聴いていない自分を恥ずかしく思いました。
観光はもういいと思い始めたのもこの頃からです。
鳩間島との出会い、そこから始まる八重山や沖縄の人達との音楽を契機にした出会いがなければ、八重山・沖縄との現在のつきあいは無かったかもしれません。

どこへ行くのだろう
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月祭りのゆんたく
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長くなりました。
この続きは第2回にしましょう。
ではでは

コメント (2)

chig:

昨日はお疲れ様でした♪

プロフィールのときも思いましたが、板さんの文章ってホント味があって引き込まれますね。これはおばあとの艶っぽいエピソードが入ってるのがちょっとぐっときます。w
第二回も楽しみにしています。

コンドー:

だんだん深みにはまってく感じがよく分かります・・・
鳩間編楽しみにしてます!
(実は本島ディープ社交街巡り編にも期待・・・)

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2007年06月09日 02:05に投稿されたエントリーのページです。

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