2007年05月27日

板垣武志

板垣武志ポートレート

ギタリスト

1955年10月14日 東京都品川区出身


中学1年からクラシックギターを独学にて始め、中学生時代からバンド活動を始める。70年代のニューロック(!)の洗礼を受け、ジミー・ペイジ、カルロス・サンタナ、クリーム等に夢中になり、コピーに明け暮れる。

高校生時代、思春期にありがちな反体制的、厭世的な思考状況に陥りそうな時期にジョン・コルトレーンを聞き、以後モダンジャズにのめり込む。渋谷のジャズ喫茶に通いジャズを聞きあさる。が、周りにジャズを演奏する輩はおらず、相変わらずコピーに明け暮れていた。大学入学後、満を持してジャズのサークルに加入するが、なぜかビックバンドサークルに参加する。バンドとしては有数のレベルにありアンサンブルは素晴らしいが、プレイヤー個人の技量はさほど高くなく、特にギター奏者に関しては学ぶべきものもなく、却って体育会的な体質の故の年功序列、下級生の下働き的労働の多さに嫌気が差し足が遠のく。が、この時期、カウント・ベイシー楽団を始め、ビックバンドジャズやジャズボーカル、ビ・バップ以前のジャズの素晴らしさを学ぶ。実はベイシー楽団のギター奏者、フレディ・グリーンがあこがれだった。

この頃、渋谷ヤマハで渡辺香津美氏のレッスンを受けることになり、以後数年間、レッスンと言うよりは対面的セッションを楽しむ(ような余裕はなかったが)。この頃から、自身より世代が上のジャズマン連中と知り合うようになり、コンボ活動を始め、特にドラムスの諸田富男グループでの活動は以後10数年ほど続くことになる。当時、吉祥寺近辺を拠点にしており、フルートの故赤塚聡明、ベースの畠義人らと知り合う。この期間、様々なジャズマン・アーティスト達と知り合い、バンドのイロハを勉強し、新宿・吉祥寺辺りを徘徊する。

自身のジャズ演奏に行き詰まりを感じていた30代半ばに、ミルトン・ナシメントのファンということでケペル・木村氏と知り合い、横浜のサンバチーム、エスコーラ・ジ・サンバ・サウーヂへの参加を薦められる。もともとブラジル音楽は好きだったが、ジャズ近辺のブラジル音楽にしか親しみがなかったので、サウーヂをきっかけにして本来のブラジル音楽情報を摂取する。サウーヂのギタリストをつとめていたが、同時にブラジル音楽のギタリストとして活動を始め、故赤塚聡明氏(fl)らと「プラト・ド・ヂア」を結成して主にMPBを中心として演奏する。

その後、サウーヂのメンバーであるボーカルの石山和男と、サンバの世界を深く知りたいという気持ちから「Ita e Kazu(イタ・イ・カズー)」を結成、故赤塚聡明氏を偲ぶ会で再開した畠義人(b)氏が加入、石山和男の古くからの友人である石川智(ds)氏が加入し、都内、横浜を中心としてライブ活動を行っている。
また、阿部浩二(g)とのギター・デュオ「Tempo Feliz(テンポフェリース)」で、日本の童謡、歌曲を自分好みのスタイルで演奏することの面白さに気づき、さらにオリジナルナンバーにも取り組む。

最近は、ピアニストの鈴木厚志と「DUAS INTENCOES(ドゥアス・インテンソエス)」というデュオを結成し、ブラジル音楽を基本として、日本の童謡、歌曲、ジャズスタンダード、オリジナルナンバー等、演奏の枠を広げている。

沖縄が好きで、度々来沖しており、沖縄民謡、特に八重山民謡と波長が合い、以降八重山通いが続いていたが、数年前、八重山郡の鳩間島の宴席でギター演奏をしたことがきっかけで、毎年5月3日に行われている鳩間島音楽祭に出演することになる。以後は鳩間島通いが続き、気がつけば1年のうち一ヶ月は鳩間島に暮らしていることになる。

そのようなことをきっかけに、石垣島、コザ、座間味島、阿嘉島、首里、那覇、玉城でもライブを行う。ブラジル音楽や民謡といった音楽を共有した沖縄の友人も増え、音楽を通した沖縄とのつながりを大切に思っている。

itarashikiの由来について
ライブをやりに行った那覇市内の某ジャズクラブのマスターとのやりとりが「板垣です」「板?さん?」「板垣です」「板敷さん?」「板垣です」「ああ、板良敷さんですね」となってしまったわけです。ちなみに、板良敷という字(地名)は南風原町にあるようです。また、2007年のゴールデンウィーク八重山ツアーで、石垣市伊原間では新垣さんになってしまいました。