4月9日
ブラジル滞在も残すところ今日と明日の二日間。
本当は午前中のチェックアウトなのだろうけれど、フライトが11日の午前2時なのでSra.Dulceに相談したら、好きな時間に出ていいからと快く応じてくれた。ありがたい。
今日は、Morro宿に滞在している連中と昼をMorroのDavidの店で食べようということになっている。あとは特に予定はない。
床屋に行きたくなりSra.Dulceに紹介してもらったが、午後しかできないということでこれはあきらめる。
午前中はNossa Senhora通りやBarata Ribeiro通り辺りを散歩。
ブラジルの都会の通りはほとんどが一方通行になっていてNossa SenhoraはCentro方向、Barata RibeiroはLebron方向への交通だ。
信号はあるにはあるが車が来ない歩行者赤信号を守っている人はほとんどいない。
確かに一方通行だから左右のチェックではなく、車が来る方向さえチェックしていればいいのかもしれないが、この習慣が当たり前になると日本に帰ってからが怖い。
海岸に向かって走る通りは比較的狭い静かな通りで商店も小規模なものが多い。
対して海岸線に並行して走るのは大通り。
交通量も多いし商店も大規模なものが立ち並ぶ。
Rioの市街地はおそらく都市計画が施された街並みだから分かりやすく、慣れてしまえば迷うことはまずない。
しかし今まで歩いてきた旧市街地はホントに謎だった。
絶対に迷わないつもりでチェックしながら歩いていても迷ってしまう。
歩く方向で景色が違うし、日が暮れてしまうと尚更だ。
昼頃にプリンセス・イザベル像前だから天気も良いのでアトランチカ大通りをまた歩いていく。
コパカバーナ海岸

大通りはこの先で行き止まりになるのでセントロ方面はここで大きく左にカーブしてモーホのトンネルをくぐって北方向へ向かうことになる。
このモーホがバビロニア。
昨日も来た道なのでモーホの階段下、Davidの店も大体見当はつく。
帰る前にもう一度来たかった。
相変わらず賑わっている。
肉料理の定食はかなりの量。


ブラジルへ来てから日本によくあるようなシュハスコ屋さんへは一度も入っていない。種類も量も自由に選べるポルキロ屋を選択することが多かった。選択自由とはいえ、旨そうなものや珍しそうなもので皿が山盛りになってしまうこともしばしば。
そしてビール。
これは帰ったら体重が結構増えているのではないかとの考えが一瞬頭をよぎるがまだブラジルだ。
日本的な心配をし始めたのは帰国が近づいたからだろうか。
Morro宿仲間達とゆっくり食事を楽しんだ後はまた海岸沿いを歩いて帰る。
モーホの階段下の雰囲気

夜になって、近所のスーパーへお土産やワインを買いに行く。
店内に煙が立ち込めているが、火事!ではなかった。肉を焼く匂いだ。
どうも排煙がうまくいかないらしい。
日本だったら大騒ぎになりそうなのだが、こちらは平然としている。
お客さんも苦笑いくらいで済ましている。
スーパーの魚売り場。沖縄のそれと若干似ていなくもない。

明日はアトランチカ大通りからガレオン空港行きのFrescao(冷房バス)に乗る予定なので、バス停を下見に行く。
大体30分おきくらいで一応どこでも止まってくれるとのことなのだが、見ると片側3車線の歩道から一番遠い車線を猛スピードで跳ばしていく。乗る側も運転する側もお互いに分かりにくいであろう夜間、果たして止まってくれるのか若干の不安を覚えるが、フライトが深夜の2時、時間はたっぷりあるから、なんくるないさと思ってしまう。
平日の夜、9時頃にもかかわらずコパカバーナ海岸はかなりの人出。
ランニング、ウォーキングの人が多い。
一見しただけでは皆安全に楽しんでいるように見えるがここで油断をしてはいけないのだろう。
しかし過剰に臆病になることも人生をつまらなくさせそうだ。
次にブラジルに来る時はもっと大胆になれるだろうか。
夜のビーチサッカー

4月10日
朝、エミレーツ航空から搭乗案内のメールが届いている。
ついに帰国の日か。日本という日常からブラジルという非日常の空間・時間へ運んでくれたものが非日常から日常へ戻すという通告だ。
お迎えが来たんだという懐かしいのと寂しいのと複雑な気分。
今日はFrescao(冷房バス)の代金R$12程度を残せばいいので手持ちのR$を処理するため、3時にATUXIと例によってプリンセス・イザベル像前で待ち合わせ。
夜8時半頃にアパートを出発すればいいはずだ。
ブラジル滞在最後の日、昼前から海岸沿いをいつものLeme方向ではなく、Ipanema方向へ出来る限り歩いて、歩いて歩いてプリンセス・イザベル像前へ行ってみようと思い立ち出発。
夏の盛は過ぎたのだろうが、まだ十分に夏の気配。
ビーチを楽しむ人たちで賑わってはいるが、Carnabalも終わったこの時期、落ち着きもある。
コパカバーナ海岸

ドリバル・カイミ像

Ipanema海岸は小さい岬を通り越して左手に広がる海岸。
コパカバーナより海岸沿いの建物の高さが低くなったような気がする。



イパネマの先のレブロン海岸の方まで歩いていく。

イパネマ海岸から陸地側へまっすぐ入っていくと、唐突にロドリゴ・ヂ・フレイタス湖が現れる。
面白い地形だ。
周回道路のすぐ脇に湖に浮かぶ島があるが、ここはクラブ制の高級リゾート施設らしい。
このあたりは高級住宅街。モーホと対局をなすところだ。
高級リゾート施設


湖のほとりからは北方向にコルコバードの丘と僅かにキリスト像が見える。


ジョビンのCorcovadoの歌詞に、窓からコルコバード、キリスト像が見えるという一節があったが、このあたりから見たのだろうか。
それとも現在のイパネマ海岸からはビルが立ち並んで見ることはできないが60年代は見えたのだろうか。
ボサノバがこのあたりの雰囲気、富裕層、経済的に余裕があって欧米の新しい文化を享受出来る層から生まれていったということがイメージとして理解できる。
ボサノバは例えば日本で言えば古い言葉だがニューミュージックのようなものだろうか。
一時期に流行った音楽スタイルを適当に名付けただけで実体はないと思う。
イパネマの娘とかコルコバードだとかのその時流行った名曲はいくらでもあるけれど、それはボサノバなのかと聞かれると、ブラジル産の名曲としか答えられない。
確かにいわゆるボサノバ時代の歌詞はロマンチックなものが多く、夢見がちで軟派なものが多い。サンバのように、俺には金はない、サンバしかない的な歌詞はほとんどないし、ドロドロの愛憎なんてものもおそらくない。
曲も漂うような曲調が多く、サンバのように黒白決着をつけよう的な明確さは感じられない。
それが時代の空気だったのだろう。
ブラジルではボサノバという用語はほとんど死語だが、日本や欧米ではボサノバという音楽スタイルがあるかのように思われている。
ブラジルでも「Bossa Nova」と掲げているのを見ることもあるが、それは観光客のためのものだ。
サンバとボサノバの違いは何かとよく聞かれるが、今思うのはボサノバという言葉が流行った時代に生まれた数々の名曲はあるけれど、ボサノバという音楽スタイルは実体としては無いと。
ニューミュージックのようにマスメディアや音楽出版業界が適当に名前を付けただけではないかと。
だから、ジョアン・ジルベルトはボサノバ歌手かなどというのは無意味な問いかけだと思うし、例えば、今日はボサノバを中心に演奏しますという表現も無意味だ。
とかく日本人はジャンル分けが好きだ。例えばジャズでもそうだった。
とにかく、このあたりはそのようなロマンチックな富裕層の雰囲気が漂っている。
そろそろレーミへ向けて歩こうかと陸側から近いルートを行こうかと思ったが、モーホを貫くトンネルを歩かなくてはいけないことを思い出し、再び海岸に戻ることにした。
もう出発してから2時間ほど経っている。
朝を食べてから飲まず食わず。さすがに喉が渇いた。
こういう時にはAgua de cocoだ。
バイーアと比べて若干高いが喉が渇いた時には美味い。ほとんど甘味がないのでさっぱりしてあとの心地も良い。

出発してから約3時間かけてプリンセス・イザベル像着。
ATUXI氏と所要を済ませ遅い昼ごはんは、中国系がやっている焼きそば屋。
チャーハンを試してみたがインディカ米だからとても美味しい。パステウも良かった。
多分焼きそばも美味しいだろう。

あとは帰って荷造りしてシャワーを浴びて休んで出発を待つだけだ。
帰りは、海岸通りではなく新宿通りに似たNossa Senhora通りを歩いて帰る。
さて、午後8時。出発の時間だ。
Sra.Dulceには家族のように接してもらって感謝の念に耐えない。
近づきすぎず遠すぎず、ちょうど良い位置で接してもらえたからこの数日間本当に快適だった。
僕のCDをプレゼント、代わりに彼女のお気に入りのCDをもらったり、帰ったら無事に帰ったと必ずメールしなさいとか、やっぱり親戚の家にいる気分だ。
月並みな感想だけれどまた来てみたいアパートだった。
うちのパソコンが壊れたのでインターネットカフェに行くのというSra.Dulceと一緒にアパートを出る。
さあ、あそこからバスに乗るのよ、気を付けてね、と最後まで面倒を見てくれる。
ありがとう。さようなら。また来るから。
で、問題はバスをどう止めるかだ。
暗いので近づいてくるまではFrescaoか普通のOnibusか分からない。そして何者か分かるほどに近づいてきた時にはもう遅い。歩道から一番遠い車線をぶっ跳ばして行ってしまうのだ。
Onibusやマイクロバスは乗せる気満々で向こうの方から乗らないかと誘ってくるが、Frescaoはそもそも乗せる気がないのではないか。
タクシーを使おうとしても空港はUS$が使えるだろうと思って、手持ちのR$はFrescaoの運賃RS12を考えて20くらいしか持っていない。
1時間くらい止めようとしたりしていたが何だかあほらしくなった。
時間はあるのだから多少荷物は多いがメトローでどこかガレオン空港に近い駅まで行ってそこからタクシーにしよう、金はメトロー駅のATMでおろせばいいだろうと予定変更。
このあたりは短い期間だがブラジルに滞在していた経験が生きる。入国したてだったら絶対こうはいかない。この近辺も歩き回っていたから地理も分かる。
Siqueira Campos駅まで歩く。幸いにして駅のATMが使えた。
まだ時間はたっぷりあるところが強みだ。
駅の案内表示を見るとCentral駅がガレオン空港に近そうに思える。
Central駅はメトローから一旦地上電車のCentral駅を通って外に出る。
あの映画、セントラルステーションの舞台となったCentral駅だ。
天井がやたらに高く薄暗くなんとなく不気味な雰囲気。大時計がやたらと目に付く。
バカでかいアナウンス、異様な匂い、浮浪者、乞食、ホームレス、そしてうずくまる古ぼけた電車。
大層な荷物を持った旅行者丸出しの外国人が長居をする雰囲気ではない。
通りへ出て流しのタクシーを捕まえた。
しかし一回は乗ってみたい電車だしCentral駅に対する興味もむくむくと湧いてきて、これはやり残したなという気になった。
ガレオン空港まで30分程、R$40の料金は入国した時の空港タクシーに比べてかなり安い。まともな流しのタクシーは結構リーズナブルだ。
来た当初は期待と不安を持って見ていた古ぼけた倉庫群。これでお別れだと思うと懐かしく感じてしまう。
Boa Viagemと送ってくれたモトリスタはなかなか親切だった。
夜の11時過ぎのガレオン空港はあらかた店も閉まっていて閑散とした雰囲気。

そんな中、エミレーツ航空はやたらと目立つ看板を何箇所も設置してこちらは乗せる気満々。

行きも感じたことだがこの航空会社のサービス精神は半端ではない。
ほぼ定刻に出発。
機内はほぼ満席。
ドバイ空港まで約14時間。長い。
行きで見た映画「Filho do Brasil」をまた見てしまう。
ブラジル旅行前と後ではやはり印象が違う。
前に見たときもおおよその意味はつかめたのだが、今は空気感のようなものが伝わってくる。
退屈な番組に飽きたらしい隣席のブラジル人が私もそれを見たいのだがどうすればよいのかと聞いてきた。
長い時間の混み合ったフライトは空気を弛緩させるのか何だか機内はだらしない雰囲気が漂っている。
ドバイ空港は23時頃ほぼ定刻に到着。夜から夜への移動だ。ここで約4時間待ち。
今日の駐機位置はターミナルからかなり遠いところ。奇妙な形のバスに20分強も乗せられた。


しかしドバイ空港は客を飽きさせない巨大空港だ。
深夜にもかかわらず人出も多く店も全開で賑わっている。
無料で使えるリクライニングチェアもあったりしてお金を使わないでもくつろげるところが嬉しい。
エミレーツ航空といいこの空港といい、アラブ首長国連邦おそるべし。
次回はドバイにも一泊したくなってきた。
午前3時頃発の成田行きは日本語のアナウンスがある。
だんだん日常に近づいてきたわけだ。
久しぶりに聞く日本語のアナウンスはポルトガル語に比べて抑揚に乏しい分、優しく丁寧に聞こえる。
総二階建ての巨大航空機A380は比較的空いていて12時間のフライトもあまり苦にならなかった。
午後5時頃成田空港着。
寒い。
行列を作る外国人出口を尻目に日本人出口から退出、秩序正しく清潔な空港からなめらかに優しく運行する電車に乗って車窓を眺めると、車がゆっくり走っている。
成田駅を過ぎると田園風景が見えてきた。
日本へ帰ってきたんだなという実感が湧いてきた。
初めてのブラジル旅行。
日本から最も遠い国。
期待とそれと同じくらいの一人旅への不安もあった。
しかし、ブラジル人は人懐っこくて親切な人が多かった。
道を探しているとまず間違いなく声をかけられる。
不安のあった治安もワールドカップ、オリンピック前のせいもあるかもしれないが相当に強化されていた。
反面、貧富の差は歴然としている。
富裕層はヒステリックなほどセキュリティを強化した住宅に住み、貧困層はファベイラに住む。
日本ではあまり見られなくなったいわゆる乞食や物乞いーそれも身障者のーも頻繁に目に付く。
道端に座り込んであてもなく視線を走らせる人たちやとにかく何が何でも現金を獲得しようとする人たち。
多分土地から一生出ることができないような若者たち。
現在ブラジルで起こっている国費の使い方に反対する集団示威行動は、あのような状況を見ていると起こるべくして起こったと思わざるを得ない。
歴史的建造物や交通機関などに放火されている報道を見ると胸が痛む。
政府もファベイラの環境改善などに取り組んでいる面はあるが、いかんせん国が広すぎる。
人種差別もほとんど感じることがなく開けっぴろげで自由な国。
この自由を担保するために貧富の差を提供しているとは思いたくない。
ブラジル国旗にOrdem e Progresso(秩序と進歩)と示されている意味が初めは分からなかったし、ブラジルの雰囲気には合わないのではないかと思っていた。
しかし、今はあのスローガンー秩序と進歩と言うよりは秩序ある進歩と言った方が適切のような気がするーはブラジルにとって絶対に必要なものだと思うようになった。
今回の旅でブラジルとりわけブラジル人がとても好きになった今はそう思う。
Tchau Brasil!!

