2017南インド・スリランカの旅 第9章 3/5 (土) アヌラーダプラ ➡ シギリヤ
第9章 3/5 (土) アヌラーダプラ ➡ シギリヤ
昨夜の雨も止んで、またすっきりした青空。
朝食を済ませると、今日一緒に回ってくれるトゥクトゥクのドライバー、Nalin君がやってきた。
昨日このホテルで見かけたような気もするが、彫の深い顔をした細身の青年だ。
彼の英語の発音が分かりやすいので楽だ。
改めて地図を見てみると、遺跡や寺院は線路の向こうの地区に結構広範囲に散在していて自転車での移動はとても無理だ。
足の調子はまあまあ、今日は一日サンダルで過ごすことにした。
この痛みは持病ともいえるもので、時々訪れてくれる。
僕の場合はある病名と似てはいるが異なるものらしく、原因は分からない。
足は2年ぶりくらいだが、よりによってこんなところで訪問してくれるなよと思う。
Nalin君はとても気さくな人で、色々な話が弾んで楽しい。
若く見えるが35歳ということだ。
奥さんと子供2名で暮らしている。母親は近くに住んでいる。
トラックドライバーをしていたこともあったが、きつくて収入が少ない。
インド製の車だったし、ん?
車は日本車が一番だという。
スリランカで見かける車は、日本車7、インド車2、韓国車1くらいの割合だろうか。
やたらと日本車が多い。もっともマルチスズキはインド製だが。
「自動扉」とか「左折時に一旦停止します」などの日本語がそのまま残されたA/Cバスも多数見受けられる。
遺跡地区へ入って行く。
まだ午前9時頃なのにかなりの暑さだ。
今日のプランは遺跡地区を南から北へ進むスタイルだ。
遺跡だけではなく現役の仏教寺院も回るので、お参りにふさわしいとされる白いシャツを着ることにした。
ヴェッサギリヤ遺跡からスタート
イスルムニヤ精舎は岩肌に作られたように見える寺院。
岩の上に登るとアヌラーダプラの街が見渡せる。
涅槃像
かつての王宮の庭園跡は、建物跡が点在する森の中を一人で散策した。
誰もいない。とても静かだ。
そして、巡礼者たちで賑わうスリー・マハー菩提樹へ。
寺院に入る際は、建物ではなく敷地の入り口辺りから履き物を脱ぎ、被り物をとらなければならない。
相当な暑さになってきており、地面の熱さも半端ではない。
裸足になった足の裏が焼けそうだ。
地元の人たちも日陰を選んで歩いているようだ。
今日は日曜日。
巡礼の人達はバスを仕立てて来ているようだ。
殆どの人達が白い服を着ている。
あちらこちらの木陰に敷物を敷いて寺院に向かって手を合わせお経を唱えている。
それをリードするお坊さんがいる。
お経の調子といいお参りする人たちの雰囲気といい何となく日本と似ているような雰囲気がある。
ただ、一心にお祈りする人たちの姿を見ていると、日本より仏教に対して敬虔さが強いような気もする。
寺院の入り口近くの足元に存在する宇宙の真理を表すというムーンストーンは、動物によって輪廻転生を表しているらしい。工芸品としてみても興味深かった。
それにしても暑い。
時々巨大ダーガバに命綱一本で張り付いて修復している作業員を見かけるが、この暑さと高さ、考えただけでもめまいがする。
Nalin君は色々と気を使ってくれてガイドも兼ねてくれる雰囲気になっている。
スリランカ人は、顔は彫が深くてとっつきにくそうだが、のんびりしていてとても人懐っこい。
人の印象が良い。
昼は二人で商店でパンをぱくつく。ついでにココナッツジュースも。
今回の旅では随分飲んだな。
あと何か所まわるのかと聞くと、まだ結構な数がある。
彼が言うには次にスリランカに来れるのはいつになるか分からないからできるだけ見てほしいと。
昼を過ぎて更に暑さが厳しくなる。
トゥクトゥクは風通しが良いから走っているときは気持ちが良い。
寺院には必ず存在する丸い巨大な仏塔は、ネパールではストゥーパと呼ばれていたが、こちらではダーガバと呼ばれている。
ルワンウェリ・サーヤ・ダーガバ
お供え物
時計回りにダーガバの周りを歩く。
休憩
Nalin君
象の池。かつて象を洗っていたのだろう。
アバヤギリ博物館。遺跡周遊チケットに含まれているのでここも訪問。ここのトイレはきれいだからお薦めだよとのアドバイスがある。
王妃の建物跡
最も美しいとされるムーンストーン
アバヤギリダーガバの周りをあるいた時は、本当に足の裏をやけどするほど熱かった。
日陰を作るものなど何もないのだが、ベンチや塀などでできるほんの20cm位の日陰で足を休めるのだ。
スリランカの人たちは慣れているのだろうか。
アバヤギリ・ダーガバ
ちょっと一息
サマーディ仏像
木浴場跡
かつての僧侶たちの木浴場跡など、最後のポイントを通過してホテルへ戻る。
アヌラーダプラ駅
半日付き合ってくれたトゥクトゥク料金が2500Rs。
こんなに安くて申し訳ない気がする。
時間が経つにつれてどんどん暑くなるし、遺跡や寺院は広範囲にわたっているので自転車でガイドなしで回るのには相当な時間がかかってしまう。
トゥクトゥクが正解だった。
Nalin君ともいろいろ話ができたし。
今日移動する先のシギリヤまでは、靴を履いて荷物をしょってバスでシギリヤまで移動するのは足の状態に無理があるので、タクシーを雇うことにする。
Nalin君が行ってくれるというので、これはラッキーとお願いした。
彼がドライバーだと飽きないし楽しい。
シギリヤまで約3時間、A/C付きの車で6000Rs。
しばらくホテルで待っていると、申し訳なさそうにA/Cが効かないよと言って現れた。
別に窓を開けていれば問題ない。
この時点で既に14時半頃。
今日のシギリヤロック登りは無理だ。
いや、それよりもこの足の状態で明日登れるのかが問題だ。
今日のホテルは、ちょっと高級っぽいリゾートホテルだ。
初めは建築家ジェフリー・バワ設計のヘリタンス・カンダラマという高級ホテルに泊まろうと思っていた。
このホテルは、時の流れとともに緑にうずもれていく設計という素敵なコンセプトなのだが、諸般の事情で都合が付かず、ならば少しは高級感をというつもりで今回の選択になった。
シギリヤまでの道中、右ハンドルで左側通行、車も少ない田舎道で植生が似ているからか石垣島あたりをドライブしているような錯覚を覚える。
結構ポリスがいて、捕まっているものもいる。
シートベルト装着には厳しいらしい。
僕の助手席のベルトは壊れているので見せかけベルトにする。
何、ポリスのいる場所は知っているからとNalin君。
スリランカは今は平和だけれど、以前はシンハラ人とタミール人間の民族紛争があった。
日本もかつては戦争当事国だった。
彼は広島、長崎のことも知っていた。
勉強しているようだ。
平和が一番だということで意見の一致。
彼はたばこは吸うが酒は飲まない。
お父さんは毎晩飲んでいたらしいが。
スリランカも酒は背徳的なものなのだ。
確かに仏教は五戒の五つ目で飲酒を禁じているから、原理主義的な極端さを嫌う現代でもあまり誉められた習慣ではないのだろう。
イスラムは絶対禁止だし、ヒンドゥーでも好ましいものではなかった。
キリスト教は、教会や修道院がビールやワインを作っていた歴史があるし、水代わりに飲まれていたということもあるのだから寛容なんだろう。
途中、商店へ立ち寄ってジュースを飲んだりする。
こういうところで飲む飲み物は美味いのだ。
いろんな話をしながら行くと、シギリヤまでの3時間強もそう長くは感じられない。
シギリヤの街は街というほどの大きさはない。
森の中の道路沿いに集落があるという感じ。
スパイスガーデンの中にあるホテルなんか良さげだ。
ここからホテルへたどり着くのが大変だった。
どこで聞いてもホテルの場所がはっきりしない。
トゥクトゥクの運ちゃんやら住人にNalin君が聞きまわってくれて、まさかこのまま進んで果たしてホテルなどあるのだろうかというような田舎道を進んでようやく発見。
人里離れた場所に立地する広大な敷地を有するリゾートホテルだ。
以前、アレッピーでも人里離れたリゾートホテルに泊まったがここも似たようなもだ。
ここはもっと大がかりかもしれない。
広い手入れが行き届いた芝生の中にあるプールで白人たちが遊んでいる。
客は白人たちが殆どのようだ。
地元の人たちが殆どだったアヌラーダプラから来た身としては別世界に入り込んだように感じてしまう。
街から遠く離れたリゾートホテルはそこだけで全てが揃う閉鎖空間で、設備は豪華だが、街歩きや食堂、飲み屋、市場等の地元の生活との触れ合いが好きな僕のような旅行者には不向きだ。
部屋はコテージタイプで広く豪華。
レストランにはどんな酒も揃っている。
こことアレッピーはホテルの選択を誤ったようだ。
今日一日付き合ってくれたNalin君とはここでお別れ。
今度来るときは家に泊まってくれとまで言ってくれた。
好青年だった。
ありがとう。
さて、シギリヤロックは朝7時30分に開門だから6時半スタートが良いだろうという段取りを付けた。
しかし、どうも足の状態が良くない方向へ向かっている。
右足の痛みが増してきているのだ。
シギリヤロックの登りは2時間かかるということだから、このまま足が回復しないと無理かもしれない。
靴で固めて登れたとしても降りるときの方がきついことを考えると危険だ。
そういえば炎症からくる発熱かもしれない、風邪のような寒気をほんの少し感じるのだ。
ここはとにかく休養をとって明日の朝判断することにする。
街には出れないのでホテル内のゴージャスなレストランでブッフェ形式の夕食を摂る。
実に何でもあるし、ビールも飲める。
客はほとんどが白人観光客のようだ。きっとツアーで来ているのだろう。
豪華な食事ではあるが僕には向かない。
とにかく早めに休むことにする。
日本から持参した痛み止めの薬ももうすぐ底をつく。