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板垣武志が徒然なるままに綴る、日々のツアーや旅の雑記帳です。

2023年7月の石垣島、鳩間島

2023年7月の石垣島、鳩間島

まずは、最近亡くなられた石垣島の友人に合掌します。

梅雨が明けた石垣島、鳩間島に7月2日から8日まで今年も行ってきました。
今回は、セッション・ライブもあるので久々に楽器持参の旅です。

以前定宿にしていた石垣のホテルは移転してしまったので、今回はPホテルにしました。
桟橋にも近いロケーションです。

ちょっとびっくりしたのは、電気を使わないウォシュレットが備えられていたこと。
トルコのホテルで似たようなものにお目にかかったことがありましたが、こちらはもっと使いやすい。
水道直結なので水しか出ませんが勢いが良い。
これは単価も安いし取り付けも簡単だろうなと感心しました。
これを知っていたら家のウォシュレットもこれで良かったな。

お馴染みのパパビゴーヂに顔を出して再開を祝い、今夜は長年の友人である平良先生のお宅で軽い宴です。
先生は、彼が鳩間小中校の校長だった時に知り合って、かれこれもう20年くらいは経つのですが、今も石垣青少年の家で現役として働いているというツワモノです。

彼のお家ではいつもそばをごちそうになるのですが、今回はトン汁そば。
やはり長年の友人である唄者の比嘉さんも同席して再開を祝います。


T先生から8日の木曜日、石垣に居れば、何か面白そうなところへ連れて行くからという謎の提案をされて、楽しみがまた一つ増えました。

さて、翌7月3日は鳩間島へ渡ります。
石垣港で偶然にも、やはり鳩間へ渡る浦崎Y氏と遭遇。
そういえば安栄の乗船券が、ネット上で予約するとQRコードのデジタル乗船券になっていてちょっと驚き。
ただ、八重観との共同運航が終わったのはしょうがないけれど、同時刻の発着というのはいかがなものだろうか。

西表上原港に行く人が多いようです。
上原港からの乗船も多い。

今回の宿泊も、寄合さんの民宿にお世話になりました。
大月さんのふぁいだまや食堂があるから、朝、昼の準備を全くしていかなかったら、明日の朝食を最後に、里帰りで2週間ほど休業するとのこと。
これは誤算でしたが、ま、何とかなるだろうと。

とても良い天気で日差しがきつい。

1年ぶりにお会いした島の皆さんは変わりなく元気でした。
特に、御年94歳、島の最高齢の大城安子さんも元気でお会いでき、楽しくお話ができたことはとても良かった。
もうあと2年でカジマヤーだねー、島の中をどんなふうにパレードするのかね、などと楽しい話題も出ました。

寄合さんの民宿は、2回の屋外宴会スペースが増えていました。
皆さんに挨拶を済ませてから、干潮時刻が14時頃と聞いていたので北海岸へ行きます。
いつも行く外若(ふかばか)浜です。
多分、南風で静かなはずだからシュノーケリングができるだろうと思って、石垣でシュノーケルセットを買いました。

今日の北海岸は白波一つ立たず、無音状態!!
圧迫されるような無音状態とはまさしくこのような状態なのでしょう。
ほぼ干潮なので、先の方まで歩いて行けます。
潮が満ちているときは頑張って越えなければならなかった枝サンゴ群落も歩いて越えられますが、枝サンゴを避けて歩いて行くのでそれはそれで大変。
海の色が青色に変わっているところから泳いでいくと、何年ぶりかで味わう水族館の水槽の中を泳いでいるような気分に。
大きいイラブチャーとか沢山いるのになかなか釣れないんだよね。
海底の景色は、何となく記憶に残っている、ん十年前から変わっていないように思われました。
シュノーケル持ってきて大正解。
周りには誰一人いないし、今日は野良ヤギも見当たらない。
この美しくて静寂な海は、鳩間島以外では考えられません。

帰りは西回りで帰ります。
こちらの方が距離がありますが楽しい道です。

家にもかなり大きくなったソテツがあるのですが、野生のソテツはこのようになるんですね。
枯れた葉が垂れ落ちて、スカートのようになっています。
枯れたら切ってしまうのですが、野生はこうなるんだ。

寄合さんの民宿では、大体18時頃から自由参加の飲み会になるのですが、この日は若い家族連れが十数名宿泊していて、彼らが参加して宴会になりました。
きっと、くしけー家時代からの常連さんなんでしょうね。昔の我々のように食料等々をたっぷりと送って来ていたようです。
結構良い夕陽の写真が撮れました。

この日までのふぁいだま屋の朝食です。
朝ラーメン、天下一品のこってりラーメンの味がしました。

昨夜の宴会に同席したIさんと一緒になりました。
彼は島に移住してきた建築家で、自分の家を建てながらリモートワークをしています。
上下水道が未整備なので、寄合さんのところのお世話になっているとのことですが、島でリモートワークをして暮らしていくということは、コロナ前には考えられなかったことで、これは島の人口を増やす一つの方法だと思いました。
完成したら家族を呼ぶということですが、実現してほしいですね。
ただ、水もエアコンもない現状はきついでしょうが、頑張ってほしいものです。

いつもの見慣れた風景ではあるけれど、島の人も自分も変わっていく中で、変わらない美しい風景を見ているこの瞬間はとても大事なものだと改めて思いました。

今日の北海岸は、昨日に比べて少し白波が立ってはいますが、やはり静かです。

寄合さんの民宿のすぐ北側にある浦崎Y氏のお家のシークワーサーは、今年は一杯実を付けていました。
シークワーサーは年によって出来不出来があるとのことですが、今年は良さそうです。

朝食は、ビールでごまかして、お昼は浦崎Kさんのところでいただいたりして楽しく過ごさせているわけですが、今回の滞在は実質3日間。
去年のように天気の急変も殆どなく、静かな北海岸へ毎日行って鳩間の海を楽しむことができて楽しかった。
おかげで、小学生のような日焼けっぷり。
若くないから良くないこととは分かっていても、ついつい。

今日は北海岸からの帰りに島中道を通って帰ってみました。
以前は草ぼうぼうでどこが道か分からないほどだったけど、今はきれいに草刈りがされて車も通れるほどの広さになっていました。
見通しが良くなると早い。
中森まで10分位で着いてしまう。
以前はその運用を期待された漂着発泡スチロールゴミの再生利用プラントも、運用が難しく、今は跡地しか残っていません。
鳩間島にはこんな「兵どもの夢の後」的なものが多いんだよな。

素通りするのも何ですから、何年ぶりかで中森へ行ってみました。
改めて、良い景観を楽しみました。
民謡「鳩間中森」に謳われた景観です。

翌8日は1便で石垣島へ戻りました。

結局、音楽祭云々の話はできませんでした。
ただ、島人達の感想を聞くと、以前までの音楽祭とは変わってしまったとの意見が多々聞かれました。
まあ、若い人たちが中心になって運営していかないと衰退して行ってしまうのは確実で、いつまでも従来の形でというのは無理でしょう。
我々のこれからの関わり方はまだ分かりません。
ただ、関わるとなると早めに準備を進めないといけないというのが悩ましいところで、あまり無理をしたくないというのも正直なところです。

今回のように気楽に島に行って交流を楽しむというのは楽しいものです。

この日は2便でも良かったのですが、平良先生が車を貸してくれることになったことと、明日のライブでご一緒する野底在住の山本H氏との打ち合わせ、ボーカルのユリさんが音合わせしたい等、色々とやることができたからです。
起きるのが早いので1便までの時間もたっぷりあります。

平良先生は70歳を超えた今でも青少年の家での仕事を継続されています。
尊敬します。

朝は何も食べていないので、車もあるし、ここは野底のとんかつ屋「力」です。
久しぶりに石垣島のドライブを楽しみました。

ここまで来たので、吉原の「ステラ」に寄りました。
生憎定休日で当主のメグちゃんは不在でしたが、パートナーのぴょんちゃんと久しぶりに会いました。

明日一緒に演奏することになっている山本H氏のお家が近いので連絡してみると、本当にすぐ近くでした。
寄らせていただいて、氏のギターコレクションを拝見しました。
素晴らしいもので、初めて手に取らせてもらった感覚は感動でした。
氏のお家の屋上からの景観も素敵です。

お馴染みの野底マーペー。 今度は登ってみたい。

さて、夕方に明日の音合わせを軽く済ませ、平良先生のお迎えで、市内の「夢ランド」という元カラオケ屋へ。
ここで、我々と同世代のおじさん達が毎週リハをやっていて、これが結構良い音を出していて、友達やら家族達が酒やつまみを持ち込んで結構盛り上がるということなのです。
楽器は持って来いとのこと。

この「夢ランド」は倉庫のような広い場所ですが、エアコンが壊れているらしく暑い。
まあ、夜なので耐えられる暑さではあります。
エアコン無しが当たり前の鳩間から帰ってくると、エアコンが恋しくなってしまうのです。
この建物、いつか忘れましたが以前に今は亡きターキー通ったことがあるような気がしました。
その時、ここでバンドの練習をしているんだよと教えられた記憶がうっすらとあります。
バンドのメンバーに聞いたらやはりそうでした。
ターキーのことはみんなよく知っていました。

さて、お客さんもいて酒もつまみもあるバンドのサウンドはとても心地よかった。
70年代フォークが中心で、ボーカルも味があるし、何よりバンドのサウンドがまとまりがあって気持ちの良い音でした。
さすがに毎週練習しているだけのことはある。



小生も飛び入りでソロ。

山本氏とデュオで。

平良先生の飛び入りは得意の古賀メロディー。 ここの当主のテレキャスターによるオブリもぴったりでした。

これはリハでこれだけお客さんも来るのだから、きちんと本番のライブをやった方が良いと思いました。
十分その技量はあるので、多分その方が練習にも張りが出て更にまとまりが出て良いサウンドになるだろうと思います。
毎週木曜日にやっているので、次に来るときも木曜はここで遊ぶことも予定に入れてくれとのことでした。
とても良い場所ですね。
あれでエアコンが故障していなければ居心地良すぎです。

翌朝は、朝食として以前からお気に入りのジューシー弁当


今日、7日は夕方からタニファでセッション・ライブの日。
明日の朝が早いので、今日中に生もののお土産を買っておきます。

大体何時も決まって金城の丸麺を買うのですが、最近、有楽町のわしたショップでこれが売られていることを発見して、東京でも買えるんだと感激したことがあります。
沖縄そばはこれが一番好き。

今回、旅行支援事業の一環として沖縄の地域クーポンが石垣に一泊するごとに出ていて、これが使えるお店が結構沢山あって、とても助かりました。

タニファのライブです。

飛び入り。

本当ならこの場所にシンガーソングライターの池原コーイチさんがいる筈だったんですが、つい先日他界されてしまいました。
一緒に演奏するのを楽しみにしていたのですが本当に残念です。
演奏の初めにパパ村上さんの紹介で、コーちゃんが好きだった曲で、この曲をうなりながら歩いていたという「5 spot after dark」を演奏しました。
ベニー・ゴルソンですね。
この曲を演奏するのも数十年ぶりでした。

飛び入りの方もいて、とても楽しく演奏することができました。

今回は、石垣島の仲間たちと久しぶりに演奏できるだけで良いという思いで楽器を持ってきました。
想いがかなって嬉しかった。
皆さん本当にありがとうございました。

翌朝は早朝に出発して、那覇から玉城の稲福Tさんの玉城焼き工房へこれまた本当に何年かぶりに行って作品を買うという予定なのです。

出勤前の平良先生が石垣空港まで送ってくれました。
平良先生には毎回本当にお世話になっていて、これは彼が鳩間小中校の校長だった時に初めて出会って以来ずっと面白い出会いの機会を作ってくれたり面白い場所へ案内してもらったりしています。
彼との付き合いが無かったら、鳩間や石垣の人達との付き合いも、もっと限られたものになってしまったと思います。
本当に感謝しています。
今回もありがとうございました。

さて、沖縄での滞在時間は約4時間半。
この時間で玉城へ行って帰りに今晩のおかずなどを買ってこなければいけません。
お世話になったのが、玉城在住の大池Iさん。

この方も平良先生と同じような付き合い方をしていてお世話になっています。
今回もやはりコロナブレイク後久しぶりなので、じっくり飲んで語り合いたかったのですが、時間がありませんでした。
那覇空港まで迎えに来てくれて玉城までの往復をお世話になりました。
おかげで稲福Tさんとも再開することができたし、玉城焼きも手に入れることができました。
感謝の念に堪えません。

短い期間ではありましたが、友人たちのお世話になって今回も楽しい旅をすることができました。
これからも出来るだけみんなに会いに行って交流を続けて行くことが、感謝の気持ちを伝えて行くことと同義だと思っています。

皆さんありがとうございました。

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