皆様、こんばんは
八重山・沖縄編第2回です。
筆者近影

第一回の後日談がありました。
石垣の民謡酒場で一緒に飲んでお宅も訪問したおばあから、年末の12月29日に電話がありまして、明日子供達を訪ねるため東京へ行く、そのときに小生にどうしても渡したいものがあるから羽田にご家族で来てくださいと。
何だろうと思いましたが、遠くから来てくださるのですから、これはもう三顧の礼をもって迎えなければと思い、家族で行きました。
石垣からの直行便は、年末にもかかわらず、初夏のスタイルで降りてくる人が多いのですが、一番最後に、きちんと正装の着物で降りてきた方が件のおばあでした。
で、渡してくれた物は、あの時休みだったかまぼこ屋のかまぼこでした。
気が抜けると同時にとてもうれしかったですね。
さて、八重山の島々に旅慣れた皆さんには周知のことでしょうが、八重山の島々はそれぞれ違う表情を持っています。
たとえば、与那国島は断崖絶壁の島、波照間島は風が強くて海の色がとてもきれいな島、黒島は平らで動きやすい島、小浜島はアップダウンが激しくて体力を使うけど島内の風景がとても美しい島等々。
八重山はとても好きな小生ですが、観光はもういいと思い始めた時点で次はどうしようと考えてしまったのでした。
そして、当時、最も行きにくい島、鳩間島を訪ねてみようと思い立ったのでした。
当時は、火、木、土曜日に貨客船がそれぞれ石垣から1便あるだけでした。

初めて鳩間島に行った頃は、島に一軒しかない商店の営業時間が午後6時~7時までの1時間だけでした。その1時間が島内のイベントのような時間だったのが印象的でした。
例によって何も分からずに、他の島々の時と同じように、飲んだり、島人の唄を聴いたり、ゆんたくしたりしてゆっくりした時間を過ごしていました。
そしてこの年はこれで終わってしまいました。
ただ、竹富島などと比べると、観光客のための配慮は一切ないなあと思いました。その分、八重山の原風景が残っていて、八重山の生活の匂いの中に身を置けるのかなあとは感じました。
翌年は念入りに鳩間島を探求しようかと興味がわいてきました。

翌年、ガイドブックでも知られているMという民宿に泊まっていました。
当時改修中で、屋根から電気工事屋さんらしいサングラスの強面のおじさんにジロリと睨まれたりします。
ここは、食事をする場所が寝る場所と異なり、海辺にあります。
そこは、宿泊客のみならず、島人達のゆんたくの場所としても使われています。
nino氏撮影

ある日、夕食が終わった後、居合わせた島人達の酒盛りに偶然加えていただきました。
改修工事の棟梁であるM.H.さん(伊原間編に登場してきますね。)や当時、鳩間小中校の校長先生だったT先生(やはり伊原間編に登場してきますね。)、現在、公民館副館長のK.T.さんも同席していました。
音楽の話になったんでしょうね。ギターの話題になって、酔ったはずみでしょう、僕もギターをライブで弾いていますと言ってしまいました。
それまでわいわいやっていた全員が、一瞬沈黙してこちらを注視しています。まずかったかなぁと思ったのが後の祭り。
一斉に是非聴きたいと皆が言い出しました。
でも楽器は持っていないしなぁ。
その時T先生が手を叩いて、「確か学校にギターがあったはずだ。今から持って来るからちょっと待っていてくれ。」と言って、真っ暗な中を自転車で駆け出して行きました。
しばらくして、T先生が持って来てくれたのは、確かにナイロン弦が張ってあるクラシックギターでした。ただ、ネックの先頭の弦を支える部分は、割り箸を削ったもの、弦は茶色くなっているし、しかもギターケースには「廃棄」というラベルまで貼ってあります。
ままよ。ギターはギターだから何とかなるだろうと強引にサンバやボサノバを弾きまくったのでした。
それまで、うちなんちゅーの前で自分の音楽を表現することは敷居が高いとおそれていたにも拘わらず、酔いもあったんでしょう、そんなことも忘れてがんがん行ってしまいました。
一瞬の沈黙のうちに、大うけ!!
もっとやれ、もっとやれになってしまいました。
そしてこの席で、T先生が、「この音楽を学校の子供達にも聴かしてやりたいねえ。明日、特別授業の枠を設けるからやってくれないか。」と。
さすが校長。
とても美しい月の、旧暦八月十三夜の夜でした。
翌日、正午前、音楽の先生とも相談した結果、室内より半野外のパーゴラがいいだろうということで、生徒さんや先生達を前にしてミニ・ギターコンサートを開催しましたと思ったら、島の音楽好きの人達や観光客の人達(普段は観光客の人達は学校に入れないんです。)も観客に加わって、どうしよう。しかもギターは「廃棄」ギターだし。
結局、開き直ってギターの話やブラジル音楽の話を交えながら約30分のコンサートを終えたのでした。
民宿の屋根から小生を睨みつけていた強面のサングラス男もいました。島の唄者で有名なI.K..さんもいましたかね。
nino氏撮影

何とか演奏を終え、学校でお茶をいただいて宿へ帰る途中、島でただ一つの商店から、大音量でジョアン・ジルベルトの音楽が、桟橋まで届く勢いで聴こえてきます。いいのかなあ。
そして商店の庭に置いてあるステレオの横では、小生を睨みつけていた強面のサングラス男が笑っています。
実は、彼は商店の主人で海人、今ではとても親しい友人になったK.U.さんでした。
その夜は彼の商店の庭で、「廃棄」ギターと唄やクラリネットやキーボードや三線のセッションで遅くまで盛り上がりました。

そして、来年の鳩間島音楽祭に参加しろと言われたのが、始まりです。
このことをきっかけとして、自分の音楽をそのまま表現することによって島人達との理解の端緒が開けるのではないかと思い始めました。
そうすると、今までの沖縄・八重山に対する感情とは全く異なる地平が開けてきます。
nino氏撮影

島人達との付き合いが始まりました。
第3回につづくということで。
ではでは

