秋の気配
皆様、こんばんは
浅草サンバカーニバルに参加された方、お疲れ様でした。
晴れ姿
毎年、これが過ぎると秋の気配がしてきます。
先日、幡ヶ谷の「sem nome」のライブでゲスト参加していただいた小林夫妻の夫君、小林正勝氏は、小生が約20年ほど前、saudeに初参加した頃のタンボリンの師匠であります。
細君の美子さんは、名スルド奏者であると共に、saude内のポルトガル語講師もやっておられました。
当時は大変厳しい師匠で、課題をこなせなければ即、ビーク(クビですね。)だったような記憶があります。
初めて見る目には、タンボリンのあの回し打ちが神業に思えました。
タンボリンは音が大きいので、家で練習するときもタオルを巻いて、なおかつ押入れの中で音を出していました。
お蔭様で、タンボリンだけは今でも真似事くらいはできるようです。
2年ほどタンボリンで参加していましたが、それ以降は実はギタリストであったことがばれて、ギターでの参加になっていきました。
でも実はタンボリンのフレーズというのは、サンバやボサノバのギターのバチーダ(右手の刻むリズムパターン)と通じていて、ギタリストとしては、タンボリンを勉強しておいてよかったなと思っています。
楽器に関しては当時から厳しい雰囲気はありましたが、浅草(ここではサンバカーニバルの事を指します。)に関してはずいぶんと緩かった気がします。
浅草当日、まだ元気だった乃津のマスター(浜幸と並ぶ野毛名物の焼き鳥屋のマスター。
数年前に彼が亡くなってから店は閉めてしまいました。)が、灯油で動いていると噂された、三菱のジープ(乗る度にどこかに機械油が付いちゃうんですよ)に業務用ビールサーバーやらBBQセットやら食材やら満載して、一方、浜幸のマスター(野毛名物、馬鹿鍋屋「浜幸」のマスター、彼も乃津マスと同じ年に他界されましたがお店は健在です。)は秘蔵の日本酒やら、ここぞとばかりの大盤振る舞い。
アレゴリアの製作とかその他色々進む中で、境内でsaude用青空フリー(振る舞い)居酒屋を開店していました。
この充実振りは他のエスコーラを寄せ付けないダントツ1位でした(断言できる。)。
他のエスコーラの連中も飲みに来ていたし。
確かな記憶ではないのですが、ジープのボンネットの上で肉を焼いたこともあったような気がしますね。
確かな記憶としては、ボンネットの上で直接目玉焼きを焼いたことはあるようです。
今となっては考えられない大らかさでした。
その後O-157が問題になってから、こういったことは自粛するようになっていきました。
また、浅草の運営自体もこういうこととは相容れないスタイルになっていきました。
時代の流れでしょう。
浜幸のマスターや乃津マスもいなくなっちゃったし。
ただ、私的には、野毛の場末的(失礼!)猥雑さと大らかさとだらしなさと優しさは浅草という下町の雰囲気に合っていたような気がします。
たぶん今でもそうだと思うのですが、正月の真昼間の浅草六区は、一度訪れていただきたい猥雑さで、観音様のご利益と同じくらい幸せになれそうなありがたさです。
ではでは