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2007年10月 アーカイブ

2007年10月05日

秋の八重山・沖縄ツアー

皆様、こんにちは。
先日、秋の八重山・沖縄ツアーから戻ってまいりました。
今回も色々とありましたけれど、三題噺的に言うと「台風12号」、「十五夜」、「9.29県民大会」ということになります。
9月18日に八重山、特に竹富町を直撃した猛烈な台風12号は石垣・鳩間・西表・与那国コースを行ったため、21日に石垣入りした時点では、台風一過の好天の始まりでしたが、その爪跡は各所に見られました。
石垣は去年の13号ほどの被害はなかったようですが、それでも屋根をはじめ色々なものがが飛ばされたり、電柱倒壊による停電やらと大変なようでした。
21日に石垣に着いてその足で、鳩間島音楽祭にも出演している大工で唄者の比○○男さんのお家へ行きました。

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野底という石垣島の中間部、野底岳の麓にある自作でいい感じのお家です。特に食事の場所が外にあり、これが鳩間を彷彿とさせます。もっとも鳩間のお家も随分と作っているので納得がいきます。広大な農地の中に建つ作業場という感じで、真正面に野底マーペーがそびえています。

野底マーペー
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野底マーペーは、マーペーという女性が、島分けで黒島へ行ってしまった恋人を慕って黒島を見ようと毎日野底岳へ登っていたのですが於茂登岳が邪魔して見えないので(於茂登岳の方が高い)恋しさの一念で岩になってしまったという伝説がある山で、「つんだら節」という民謡に唄われています。10月に野底地区でつんだら節大会もやるようです。
マーペーはまん前にあるのでいやでも目に入るのですが、じっと見ていると北斜め上方をかっと見ているゴリラの顔に見えてきてなりませんでした。
夜はお世話になっているT校長先生もやってきて飲み会です。

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「僕のそばを食べんといかんね。」と常日頃言っていた比○○男さんのそばは絶品であり、この旅を通して間違いなく一番のそばでした。おかわりもしたし、朝もリクエストしました。特に汁が最高!!
パパイヤの切り方が酒のあてとごはんのおかずで異なるということも教わりました。
やはり台風12号の被害があり、パパイヤの木が結構折れていたし、ゴーヤやナーベラーも駄目、葉物野菜も駄目になっていました。トタン屋根がその形のまま飛ばされて電線にのっかたり、牛も相当数飛ばされて死んだようでした。

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比○○男さんはこの後始末でも忙しいようでした。
この時点で鳩間島に電話したら、停電が続いており明日復旧の見込みだが、郵便船が沈んでしまったため小生の荷物(食料)が届いていないとのこと。一抹の不安。
さて、翌日は大川(市街地)のお馴染み「パパビゴーヂ」でのライブです。
おかげさまでほぼ満席の状態でした。ここからリベルダージの元バテリア隊長、金沢元さんと合流します。

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この日のお客さんは外人率が何故か高かったです。このお店はゆったりしていていつも本当に気持ちよくライブができます。オーナーの村上さんをはじめスタッフ一同に感謝です。
23日は十三夜、とぅばらーま大会です。

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今年から、例年の新栄公園から真栄里公園に場所が変わりました。
例年より若干距離がありますが、常設の野外ステージがあり広大な芝生が客席になっており素晴らしいロケーションです。近くにコンビニもあるし。トイレもきれいだし。
やはり天気のよい十三夜の月の下で聴くとぅばらーまは素晴らしい。シマ、水、アイスの三点セット持参で堪能しました。最優秀賞は市内大浜の東金嶺さんでした。
知り合いの市内大川のH.H.さんも出場しましたが残念ながら賞は逃しました。
とぅばらーまは2時間近く聴いていても飽きが来ない不思議な曲です。
テーマは、届かない想い。
サウダーヂとほぼ同じではないでしょうか。前出の「つんだら節」のテーマも似ています。
おそらく島分けの歴史がこのようなテーマを生むのでしょう。
唄と月を堪能して帰路に着きました。
翌24日からは鳩間島です。

鳩間の北の海
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民宿瑠璃にお世話になりましたが、母屋は畳が海水をかぶってしまい畳を干し続けている状態でした。
大きいフクギも倒れていますが、電気、電話とも復旧していたし、水道はやられなかったので(ここが大きい)、もう既に落ち着いている状態でした。今回は台風の目にも入り、その後の南東の吹き返しが凄かったとのことでした。体育館の窓ガラスは全部割れたそうです。
そんな中、早稲田大学の某サークルが7名、ボランティアで後片付けに大きな役割を果たし、島人から大変感謝されていました。明後日帰るという事で、明日は感謝の会をやろうということです。
今日は十四夜です。
相変わらず天気は良く、月も恐ろしいほど明るくなってきています。民宿瑠璃では毎晩おじいと飲むわけですが、今日はその後あまりに月がきれいなので学校前の歩道へ、シマ、水の二点セットを持って親父二人で月明かりの下で酒盛りをしてしまいました。心配していた食料も郵便船船長が公休日にも拘わらず運んできてくれました。
郵便船は係留中に沈んでしまい、現在引き上げて修理中で、人や物に被害はなかったということで一安心でした。
鳩間島では現在レンタサイクルばやりです。殆どの民宿がやっており、1日500円で何かと便利なので使わせてもらいました。
たまたま来島していた森口豁さん(光の島、瑠璃の島の原作とされる「子乞い」の著者、ルポライター)とお会いしました。
来年の4月に「子乞い」が舞台化されるということで、劇団スタッフ3名と一緒に現地を案内しています。東京では俳優座劇場(六本木)での公演(劇団文化座)です。是非行きたいものです。
鳩間島北の海は相変わらず素晴らしかった。水槽の中を泳いでいるようです。珊瑚も生きているし。この枝珊瑚が曲者で、不用意にしていると怪我をしてしまいます。もちろん裸足は論外です。
ただ、よく見ていると珊瑚の間に白い道があって、そこを縫って行けば二三箇所がんばってよいポイントに着くことができます。
今年は浦島太郎が乗るような海がめの遊泳を目撃しました。
さて、翌日は十五夜です。
本日から同宿の若者2名も加わって夕食を済ませたところ、おじいから月祭りのお誘いが。
母屋前の庭に行くと、それは食べきれないほどのご馳走が用意されています。知っていたら夕食は作らなかったのに。でも堪能しました。

月祭りのご馳走
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9時頃から公民館前で早稲田の学生の感謝の会を兼ねた観月会があるということで、おじいと一緒に皆で行きました。
ささやかにという筈でしたが、公民館前の音楽祭をやる広場に机、椅子、PAセットが大々的に置かれ既に数十名の人達がターキーのピアノで盛り上がっていました。

ダンスに興じる
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金沢さんいわく、「ゴッドファーザーに出てくるシチリア島のパーティのようだ。」。第二次秋の音楽祭のようなことになっていました。小生達も演奏で参戦です。
早稲田の学生に対する島人たちの感謝の想いが強かったことを感じました。関係ないけれどOBとして誇らしく思いました(金沢さん、劇団スタッフ1名もOBであります。)。
このような突発的イベントというものが鳩間島ではよくあります。
翌日十六夜は十五夜よりも月が丸くなりこうもりが飛び交っています(瑠璃の庭のガジュマルの木はこうもりのヤー(家)になっているようでぶら下がっている奴とよく目が会います。毛づくろいなんかしているようです)。

ぶらさがるこうもり
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夕食の用意をしていると、おじいが一緒に飲みたそうにうろうろし始めます。
今晩はターキーも交えてセッションです。

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28日に名残惜しい鳩間島を発って石垣島に戻ります。

勝おじいと一緒に
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T校長先生の車をお借りして、5月にライブをやった伊原間のたいらファミリーにお世話になりました。
この時点で、新聞は9.29県民集会の話題一色です。
鳩間島にいたときも公民館の放送で、郡民大会は石垣で行なわれ、そのための船便は片道タダ、桟橋から無料送迎バスもあるということでした。
小生は、行く前からライブでお世話になる玉城の大池さんの話も聴いておりことの概略は把握していましたが、本土では全くと言っていいほど注目されていませんでした。特にテレビはひどい。
沖縄戦における住民の集団自決を日本軍が強制した事実を記載した歴史の教科書に対して、文科省の教科書検定における検定意見が事実であるか疑わしいとのことで記述の削除を求めたことに端を発しています。
またかという感じではありますが、事実(当事者が現に多数いる。)を曲げる国の姿勢に沖縄県民全体が怒り心頭に発しています。
この日は、ファミリーのおじい、おばあと酒を酌み交わしながら、石垣島での戦争の話をお聞きしました。同時に来年5月のライブに向けて頑張ろうねという約束もいたしました。
翌29日は那覇へ移動してあさと御殿でのライブです。
帰り際、T校長先生は「僕らは命をかけてこの運動をやっている。」と語っておられました。一緒に行ったそばや(登野城にある「ルービー」というそばや。居酒屋でもあるらしい。石垣へ行く人、絶対お勧めです。)のおじいは「手榴弾は当時天皇の所有物とされていたから、これで自決したということは軍が強制した以外にありえない。」と語りました。沖縄県全体が熱く燃えているようでした。
問題が本質的なだけに、本土との温度差が恥ずかしいと感じました。
さて、那覇のあさと御殿は素晴らしい居酒屋です。

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元は首里のそばや「御殿山」の姉妹店なのですが、そば部門がそば博物館(三越裏)に移転して、現在は18時開店の居酒屋として営業しています。
特に「夕暮れセット」がいい。大生+カラカラ+充実料理三品でなんと1300円であります。
これを4名で頼むと料理が12皿並ぶことになり、これで十分になってしまいます。殆どの人がこれを頼んでいましたね。観光客は殆どいません。地元御用達です。
場所は国際通り安里三叉路のとがったところにあって分かりやすく間違えようがありません。これから来沖される方、那覇の夕食+飲みはここがお勧めです。料理も美味しいし、女将や板前さんも面白い。

女将さん
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ライブ前からおじさん連が飲んでおり、やはり話題は県民大会です。宜野湾のコンベンションセンターの広場に11万人が集結しました。小生は、ライブの準備もあり宿で実況中継を見たのですが、暑いのにも拘わらずものすごい人でした。
読谷高校の生徒の主張が心に残りました。
「記述に根拠がないと言った人達は、僕達のおじい、おばあが嘘を言っているというんでしょうか。」という言葉は重いです。
大会は戦争体験者から若い世代まで幅広い参加がありました。小生もできれば行きたかった。
文科省もこのままでは済まないと思います。
この重要な問題に対して本土のマスコミの対応の仕方は、マスコミ全体の体質も含めて問題だと思います。
大会の後、58号は大渋滞で、大会帰りのお客さんもいらっしゃいました。
友人達も来てくれて、サンバ中心の楽しいライブができました。

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もし、ここに来られた際は、ここから国際通りを渡った真向かいの「泡盛バー」に行きましょう。
店主の大城さんは、我々のライブのコーディネーターであり、シマの飲み方の案内役でもあります。
この日で金沢さんは本土へ帰る日程でした。ご苦労様でした。
翌日は、玉城(南城市)玉々庵でのライブです。
玉々庵は元々ATUXIの友人であった大池さんの自宅でもあります。県民大会の疲れも見せず勢力的に動いておられます。
ここでお会いしたのが、牛島満中将のお孫さんで、現在は東京で教師をしておられるU氏です。
牛島中将とは沖縄戦における第32軍司令官、つまりいわゆる沖縄守備軍司令官で、1945年6月23日に自決しています。その評価は分かれるところですが、U氏は沖縄戦に関しての調査を勢力的に行なっており、今回は県民大会参加も兼ねて来沖したとのことでした。牛島中将の孫という立場ならばということで語ってくれる方もいらっしゃるようです。今回も朝から晩まで勢力的に動いておられました。
「僕と祖父が似ているところは、酒を飲むとすぐひっくり返ってしまうところだけなんですよ。」と語る笑顔がとても素敵な方です。
やはりここでも県民大会の評価について議論になったのですが、ここまで行政も含めて全県的に抗議しているのだから、このままでは文科省も済まないだろう。しかし、ありがちな「県民感情に配慮して」という理由付けは事実を認めることに関して判断を回避しているのだから、そのような理由は注意しなくてはという意見には大いに賛同できます。
さて、ライブはあまりブラジル物にはこだわらず、ジャズスタンダード、邦楽、オリジナルと取り混ぜてのソロ演奏でした。
いつも楽しみなその後のセッションはベース、三味線、ギターの大池さんをはじめ、陶芸家でサックス奏者の哲雄氏、パーカッションとボーカルのJ氏等と完全即興で疲れ果てるまで行なわれました。

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陶芸家哲雄氏の工房
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というわけで、今回も得るものが多い旅だったと思います。
天気にも恵まれたのが幸いでしたし、県民大会に対する沖縄県民の感情の噴出には深い共感を覚えました。
今回の旅でお世話になった方々に深く感謝いたします。
こんなことを書いているうちに早くも台風15号が八重山に接近しているとのこと。
大変だとは思いますが乗り切ってまたお会いしましょう。
ではでは

東村の夕陽
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2007年10月20日

アダン・オハナギャラリー2

皆様、こんにちは
すっかり涼しくなりました。
先日は、アダン・オハナギャラリーで、バイオリンの森里子さんを迎えて、鈴木厚志(鍵ハモ、vo)と3名でのライブでした。

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前回のライブでの里子さんはゲストでしたので、飛び入りという形で行ないましたが、今回はリハーサルをきっちりやりました。
里子さんは、バークレー出ですからジャズが得意。
久々のジャズナンバーを復活させました。
昔、散々演奏した曲も、今演奏すると随分と印象が異なります。
もっとも、普通のジャズバンドではあまりない編成ですし、まったく電気を通していないということもあります。
コード楽器はギターだけですから、通常のジャズギターの奏法ではやらないことにしています。
鍵ハモもコードを鳴らせることは鳴らせますが、リズムを感じさせるバッキングには制約があるので、むしろサックスとやっているイメージで演奏しています。
素材はジャズスタンダード曲ではあるけれど、演奏は今の自分のスタイルでというのが理想です。
そういう流れでは、今度は日本の曲だけを集めたライブをやってみたいなあと思っています。
やる場所が問題ではありますが。
この3名のライブは、また、来年の1月17日(木)にアダン・オハナギャラリーで行ないます。
是非、またお越しください。
ではでは

2007年10月31日

嵐の中のBBQ

皆様、こんにちは
毎年この時期になると、離島キャンプを愛する仲間達と近場へキャンプへ出かけるのですが、今年も行ってきました。
行き先は房総半島の先、千葉県館山市です。
ここは東京から近くて、伊豆半島よりも混まないし自然環境もよく魚も美味しい。
最近は自動車道が全通したこともあって手軽に行けるエリアです。
集合は千葉県鋸南町は保田漁港にある「番屋」。
漁協が経営しているとても広い食堂で、新鮮な魚料理が驚くほど安い値段で食べることができます。量もすごい。
お勧めスポットです。
その日は生憎の雨で、しかも台風20号が関東地方、特に伊豆半島から房総半島に接近しているという荒れた天気でした。
キャンプ場は水浸しになってしまったということで、さすがにキャンプは断念してキャンプ場と同じ敷地にある民宿に泊まることにしたのですが、相談した結果、さすが野外生活に慣れているつわもの達、野外BBQは強行しようということになりました。
BBQ場は小屋になっていて屋根、壁はありますが、浜から10メートルほどしか離れていないので風雨をもろに受けます。しかも、電灯が壊れていてつかない。さらに夕方からは台風がどんどん近づいてきて風雨がひどくなってきます。
常識人であればまずBBQなどあきらめる状況のなか、離島キャンプに慣れたつわもの達は一抹の不安を感じながらも、てきぱきと準備を始めます。

嵐の中をたどり着いたBBQ場
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毎年、このキャンプにはテーマというものがあり、例えば、海ほたる(アクアラインではなく本物の)を見に行くとか、房総の魚を食すとかで、今年は「魚料理と焚き火」ということになっていて、焚き火名人のMさんがいるものの、この状況では彼の腕は無駄になるのではないかと懸念されたのですが、炭火を起こして良い状態で維持するという点に彼の腕が大いに発揮されたのでした。
まさに焚き火ゴッドハンドです。
窓が割れそうな風雨と少しの雨漏りとたっぷりの隙間風(だから一酸化炭素中毒の心配はありません。)、電灯なしの状況でも、火がつくと人間何となく安心するものです。
BBQ場へ数十メートル移動するだけで上から下までびしょ濡れになって情けないことになっても、火がおきると何となく元気になってくるのは原始の遺伝子のせいなのでしょうか。
火がおこせれば、イタリアンの達人Kさんやその他大勢の酒飲みは俄然元気になってきます。
館山市内や番屋で調達してきた食材を存分に堪能したのでありました。

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そうなると風雨も慣れてしまってあまり気にならなくなりますし、周りがしょっちゅう停電して真っ暗になっているのに、こちらはランタンとかの灯りが確保できているので、却っていいぞとかどんどんノって行くのでありました。
お腹も朽ちた頃には、雨は殆どやんでいるのですが、風が海水を巻き上げて雨のような状況になっています。
片付けは明日ということにして、宿に引き上げました。
その後は、付近に宿泊客がいないということもあって、飲みながら深夜まで小生のライブや議論。もうそのまま雑魚寝してしまうという幸せな状況でした。
話は変わりますけど、この状況って昭和60年代後半の「フーテン」(永島慎二作の漫画の名作、当時の漫画雑誌「COM」(手塚治虫の「火の鳥」も連載されていた)に連載されていた。たしか単行本もあるはず)の場面に似ているなと思ったりします。形だけですけれどね(議論の内容が違っていますから)。
さて翌日は強力晴れ女Tさんの影響もあって台風一過。

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抜けるような青空と汗ばむ陽気。
前日とは打って変わって夏の天気になりました。
朝食、昼食とBBQ場を使って、地場の魚(館山の漁協直売所で購入。安すぎる!! 直売所マニアの小生としてはとても満足)をたっぷりと使ったイタリアンをいただきました。
まるで八重山のようなゆっくりとした時間の流れです。

天気が良いとこんなBBQ場です
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今年は「魚料理と焚き火」からというテーマを変更し、「嵐の中のBBQ」というテーマになったわけです。
房総の旅は、1月半ばに開催される「ボサギ道場」合宿に続きます。
これはボサギ発表コンサートを前にした24時間音楽レッスン漬けとライブ・宴会・雑魚寝の旅です。
ともあれ、嵐の状況を逆手に楽しんでしまう離島キャンプ愛好家の仲間達に感謝です。
ではでは

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