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2007年11月 アーカイブ

2007年11月10日

白百合

皆様、今晩は。
小生、泡盛―シマを愛飲して十数年経つのですが、泡盛も特徴が色々とありまして、やはり八重山の酒、八重泉、請福辺りが好きなのですが、この9月に八重山に行ってから、あらためて「白百合」の味の面白さに惹かれています。

白百合(なんだか変な写真ですね。中味は空なのですが)
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随分前に飲んだことはあるのですが、そのときの印象は「かびくさい!」でした。
でも、何年か色々な泡盛を飲みつけてきて、最近はこの癖のある味がとても気になってきています。
「かびくさい」というのは、初めて接した驚きに伴う感想でもありますが、色々な銘柄を飲みつけてきた今でも、数年間天日に干しておらず押入れにしまいっ放しになっていた布団の匂いに近いと感じることも正直あります。
でも、そういう感じ方ではなく、「土いじりをした後の手の匂い」のような良い土の香りもするし、「生きの良いほうれん草の茎の赤いところの味」の感じもします。
つまり土の匂いがするわけです。
石垣島のお酒ですから、ご当地で飲むことが多いわけですが、那覇の「泡盛バー」(ライブのコーディネイトを手伝って下さる安里にある大城さんのお店)で、白百合の普通の3合びんが単に3年以上寝かせてあった(飲まずに忘れられていたという方が正確なのでしょう。)もの、つまり古酒を飲ませていただいたときは「目からうろこ」でしたね。
癖の原因である鼻にくる「自然の匂い」が柔らかくなっていて、飲んだときに喉の奥からほんのり自然の香り、土のいい香りが鼻に漂ってくるのです。味はまろやかで、自然を飲んでいるような気がしてきてとても清々しい気分になりました。
この辺から入ると逆に新酒にフィードバックしても美味しく飲めるような気がします。
ただ、泡盛をはじめて飲む人がこれを飲んだらびっくりするでしょうね。
今度、白百合を飲む会でもやりたいですね。手に入れるのが大変ですが。
さて、このブログでも紹介したことがあるオリジナルサンバ歌謡3曲、夏から録音に入っていましたが、やっとデモCDRに編集しました。
「悲しい種馬」、「柳の下でデュワデュワ」、「タンガにかけた青春」の3曲です。
演奏は、ITRASHIKIタケシとイルミネーション紫(仮名)。
メンバーはKAZU(vo)、千草(vo)、ATUXI(p,vo)とITARASHIKI(g,vo)であります。
曲調はマイナー中心の昭和ラテン歌謡風で、哀愁を帯びた曲想で創ったつもりではありますが、聴いていると何故か笑いと元気が出てくるようです。
そのうち何らかの形で皆さんにご紹介できることでしょう。
ではでは

2007年11月21日

お題拝借

皆様、今晩は。

とても気に入っている風景ーまるで白昼夢のような(沖縄県金武町社交街)
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奇数月の第二土曜日を基本として、吉祥寺「ALBORADA」でサンバセッションを行なっています。
これは、もう今は無い高田馬場「CORCOVADO」のサンバセッションを引き継いで行なっているもので、「CORCOVADO」から数えるともう7~8年続いています。
第一部はバンドによる演奏、第二部はお客様の唄―演奏(セッション)になり、毎回、セッションの盛り上がりは我々バンドの側としてもとても楽しませてもらっています。
先日、何の拍子か、第二部の演者それぞれに、演奏前に「お題拝借」をしようということになったんですね(昔TBSラジオの深夜放送で那智・チャコ(野沢那智・白石冬美ですよね)のパック・イン・ミュージックという番組の中でこういうコーナーがあったことを覚えている方はいますか。)。
で、お題は「自分が泣いたとき」。
これを語ってから各人、唄や演奏に入っていくんです。
こういう企画も面白いですね。人となりが見えるようで。
色々と出てきました。
やはり、映画とかドラマ、音楽などがきっかけになっている方が多かったように思います。
例えば、私は最終回に弱いとか、子ども、動物系に弱いとか、あの曲を聴くと涙が出てしまうとか。
皆、結構あるんですね。
で、小生はというと、はたと考えてしまいました。
そういう経験が殆ど無いのです。
感動することは多々あるし、悲しい思いをすることもありますが、不思議と涙というものは出ません。
もっともこの時期になると空気の冷たさで目から水分が出ることはしょっちゅうですが。
もう数十年感動の涙というのは殆ど無いですね。
ただ、殆どというのは、何年か前、たった1回だけありました。
沖縄へ通い始めていた頃、「ナビィの恋」という映画を新宿のロードショー館で見ていて、この映画の最後の婚礼の場面に登川誠仁(誠グヮーですね。)が「十九の春」の最後の歌詞「奥山生まれのうぐいすは・・・・・・」を六線(三線の復弦楽器)で唄ったとき、とても愉快なおめでたい場面ですよ、もうわけも無く涙が出てきてとても自分でびっくりしてしまいました。
すぐにエンドロール、場内が明るくなるので取り繕うのに苦労しました。周りに泣いている人なんかいないし。
帰りの山手線でも思い出すたびになんだか涙がこみあげてきてこれは一体何なのだろうととても不思議な気持ちになりました。
後にも先にもこれだけです。
この後ずぶずぶと沖縄・八重山の奥の方へ入り込んで行きました。
最近の映画、洋画、邦画を問わず(TVは見ないので)、涙が出てくるものは一つもありません。
泣けると話題になった「三○目の○陽」にしても、原作の素晴らしさと比較すると、CGばかり駆使して内容はなんじゃこれはという思いしかしませんし(感動した方すみません。でも昭和30年生まれの小生から見てこうなってしまいます。脚本、役者ともあれあれという感じですね。)、最近の本も感動できるものはとても少ないです(もちろん少ないですがあることはあります。)。
決して醒めているわけではないのですが
そんな中で1987年のデンマーク映画「バベットの晩餐会」をつい最近見直したのですが(DVD等は廃盤になっています。)、これには深く静かな感動を改めて味わされました。邦画でいうと、小津安二郎風な感じですかね。
ま、たまにあるというのもよしとするか。
ではでは

2007年11月29日

フリージャズ・ギター

皆様、今晩は。
便利な世の中になったものです。
昭和30年生まれにとっては、21世紀というものは、車は空を飛び、ロボットが人間並みになり宇宙旅行は当たり前、タイムマシーンで時間航行もという世界が漫画や小説のそれでしたが、高度情報化という形になるということはあまり想像されていなかったように思えます。
その結果、以前では考えられない映像がすぐに見られるということ、つまりU-TUBEを始め、さまざまな映像メディアの発達は有効に活用すればまさにタイムマシーンを手に入れたと同様ですね。
U-TUBEを使って最近最もうれしかったのは、Derek Bailey氏の映像を見られたことです。
Derek Bailey氏は1932年生、イギリス人ギタリスト、2005年に亡くなっています。
いわゆるフリージャズのギタリストそれも唯一無二の存在でした。
小生は70年代初めに来日した際、田中眠氏(舞踏家)との競演を見たことがあります。
レコードも持っていますが(デイブ・ホランド(b)とのデュオ)、30年程経った今もあの姿が忘れられませんでした。
それがこんなに簡単に見られるなんて・・・・・・・!
晩年のこの映像に記録されたソロギターは今まで聞いたソロギターの中で最も素晴らしいかもと思えました。

→http://www.youtube.com/watch?v=4P5raW49kQM&feature=related

田中眠氏とのコラボレーション
→http://www.youtube.com/watch?v=A5dz_1meBjY&feature=related

で、手に入れたのが高柳昌行氏のリメイクCDです。
何故こうなるかというと、高柳昌行氏は日本モダンジャズ界の黎明期(戦後まもなくの頃でしょう)のギタリスト第一人者で、渡辺香津美氏の師匠にもあたります。他にも氏の教えを請うたギタリストは数知れず。
モダンジャズから次第にジャズジャズしいジャズを捨てて70年代からは日本で最も先鋭的なフリージャズを創造していきました。
その氏が評価する数少ないギタリストの一人がDerek Bailey氏だったのです(Jim Hallもそうでしたが、Wes Montgomeryはぼろくそだったと思います。)。
小生はお金の無い高校生時代、往復葉書さえ出せば無料で聴きに行ける高柳昌行氏のライブを毎月青山タワーホールへ聴きに行っていました。71、2年の頃でしょうね。
New Direction For The Artというユニットでした。
高柳昌行(g)、森剣次(as,ts,ss etc)、山崎弘(ds)、ジョー水木(ds)という構成だったと思います。
内容は大フリージャズ。
1曲が大体1時間近かったと記憶しています。
曲名は、集団投射とか漸次投射とかフリーフォーム組曲とか。
高柳氏は客席に終始背を向けたまま、ギターのフィードバック奏法を駆使している。しかも弓やバターナイフを使って。
森剣次はスタンドに立てた10本ほどの管楽器をあちらこちらに移動しながら吹きまくり。
dsの二人も叩きまくり。
嵐のような2時間ほどだったと記憶しています。
自分がトランス状態になったこともあったし、聞いた帰りに吐き気を催したこともありました(実際に吐いたこともありました。)。
当時のフリージャズは吐き気を催すほどに真剣に自己対峙する姿勢を要求していたように思います。
レコードも持っていた記憶があるのですが、いつの間にかどこかへ行ってしまったようで。
フリージャズも時々聴きたい気分の今になって、Derek Bailey氏の演奏をきっかけに当時の状況、自分的にはフリージャズをきっかけに現代詩や現代文学等を好きになっていった感覚が思い出されてきて。
状況的には、ベトナム戦争や学生運動、三里塚闘争の時代です。
ジャズも状況的な意味付けを余儀なくされていた部分もあったと思います。
で件のCDです。
1枚は、1971年、三里塚闘争の一環として現地で行なわれた「幻野祭」におけるNew Direction For The Artのライブ録音。
収録は1曲、42分。曲名は「La Grima」(スペイン語で「涙」ですね。)。

ジャケットです。
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中開きです。当時の三里塚の様子が分かります。
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当時の運動家の感覚から言えば、フリージャズなどというものは、インテリの、すなわちブルジョアジーの音楽と把えられていたのでしょうか。
MCで「「La Grima」「涙」を演奏します。1時間くらいの演奏になると思います」と高柳氏のアナウンス後、「えーーっ」「涙だってよー」「ギャハハ」「がんばれよーー」等々嘲笑の風が吹いていきます。それらを無視して演奏が始まります。「☆☆☆☆・・・・!!!・・・★★★★☆☆☆☆・・・・!!!・・・★★★★・・・・」全員ノックダウン。
41分。
演奏後はまばらな拍手と「やったー」との声の後に「帰れ、帰れ、帰れ」の大シュプレヒコールです。
今聴くと音楽の力に感無量です。
そんな高柳氏も91年享年58歳で亡くなりました。
82年の新宿「ピット・イン」でのソロライブ録音「Lonely Woman」(フリージャズの巨匠、オーネット・コールマンの名曲です。)も手に入れました。
これもLPの時代から欲しかったんです。
晩年は、タンゴに凝りまくっていて、新宿「ピット・イン」で弟子20名位でギターのみのタンゴコンサートを開催したこともありました(全員で一斉に弾きます。)。
今回は、ジャズ・ギターに関するこだわりのお話でした。
退屈だったらすみません。
ではでは

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