皆様、今晩は。
O bebado e equilibrista(酔っぱらいと綱渡り芸人)、ジョアン・ボスコの名曲ですね。
演奏する機会も多いです。
ところで作曲者ジョアン・ボスコのライブ盤なんかでは、よくこの曲のインタールードとしてチャップリン作曲でジャズスタンダードとしても親しまれている「Smile」が演奏されています。
歌詞のはじめの部分で・・・・lembrou Carlitos(訳:チャップリンを思い出した)とあるのでこの曲を演奏するのかなと思っていました。
しかし、最近になってこれをエリス・レジーナが唄ったバージョンの伴奏で演奏してみると(コードの解釈は何通りもあって、ジョアン・ボスコ自身はこの進行では演奏していないようです。)、「Smile」ととてもよく似たコード進行の部分があって、まるまる1曲分入っていると解釈できる部分もあり、単に歌詞にチャップリンが出てくるだけではないような気がします。
特に、歌詞を8節に分けるとして第三節、E nubenns la no mataborrao do ceu・・・・から第四節、Louco o bebado com chapeu-coco・・・にかけてと第七節、Mas sei que uma dor assim pungente・・・から最後まで。
もちろん小節数やコードの間尺その他細かいところは異なりますが、全体として似た響きです。
「Smile」に発想を得て作曲したと解釈する人もきっといるんでしょうね。
ジョアン・ボスコ自身、「Smile」をインタールードとして使っていることは、「Smile」に対するリスペクトの表れとも解釈できそうです。
よく聞くのは、「O bebado e equilibrista」はブラジル軍制下で書かれたプロテストソングで、検閲をクリアするために暗喩が多用されていると。
この曲が出来たのが、1979年。
ブラジルは1964年にクーデターが起きて85年の民政移管まで軍事政権が続きます。その
間、経済的発展は遂げますが表現の自由は抑圧されて、多くのアーティストは苦労にさらされます。
かたやチャールズ・チャップリン(本名はチャールズらしいです。)ですが、彼は36年の映画「モダンタイムス」の主題曲として「Smile」を作曲しました。
40年の「独裁者」とともにこの頃の映画の作風は反ファシズム、ヒューマニズムの感が強く、太平洋戦争集結後は反戦の作風も強くなり、冷戦が強まる中、アメリカ社会に蔓延した、いわゆる赤狩りによって親共産主義者と決めつけられアメリカを追放されてしまいます。52年のことです。
62年にキューバ危機があり、65年から75年までアメリカはベトナム戦争の泥沼にはまっていきます。
チャップリンは72年にアカデミー賞特別賞を授与されることで再びアメリカの地を踏むことになるわけですが、結局はその生涯をヨーロッパで閉じています。
「Smile」は、チャップリンの反ファシズム、反ミリタリズム、ヒューマニズム讃歌とジョアン・ボスコは捉えたのかもしれません。
また、軍事政権は親米政権でしたからチャップリンの政治姿勢に対する共感もあったのかもしれません。
ちなみに「Smile」に歌詞が付いたのは54年で、ナット・キング・コールが唄ってヒットしました。
後年、マイケルジャクソンもカバーしていますね。
こう考えてくると、偶然「O bebado e equilibrista」の歌詞にチャップリンが出てきたのではなく、まさしくチャップリンをモチーフとしてこの曲が書かれたのではないかと思えるのです。
ただ、歌詞を見ると、おそらくチャップリンを象徴しているであろう Louco o bebado com chapeu-coco(山高帽をかぶった狂った酔っぱらい)を、ブラジルに悪さをはたらく軍事政権(おそらくは)と位置付けると、善悪の役割が逆になってしまうのではないかと思われるので、この点、何か逆説的な表現方法でもあるのかなとも思うのですが、ちょっと思いつきません。
曲が書かれた79年当時はまだ軍事政権化であったことを考えると善悪を逆に表現するということもありだったのかも。
このように考えてくると、インタールードとして「Smile」を演奏するというのは、チャールズ・チャップリンに対するリスペクト、そして山高帽をかぶった酔っぱらいを悪役に置いてしまった申し訳とも思えるのですが、どうですかね。
こんな考えがとっくにどこかに発表されているのであればすみません。
ではでは

