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2015年04月 アーカイブ

2015年04月03日

ネパール旅行記 6. ポカラ その2

旅の記録(2015.2.ネパール)

6. ポカラ(その2)

今日は日帰りトレッキングの日。

フムラジさんも同行することになったので早朝5時集合だ。
真っ暗でよく分からないが、天気は今一つのようだ。

フムラジさんとガイドのクリシュナ君とRudraさんのタクシーに乗り込んで、例によって真っ暗な道を跳ばし、追い越してダンプスへの登り口、フェディへ。フロントガラスに雨が当たるので、もし雨だったら引き返そうということになっていたが、大丈夫なようだ。
登り口横の商店でチャーイとパン。起きてから水しか飲んでいないからこれは美味しかった。

手前から、ガイドのクリシュナ君、ドライバーのRudraさん、フムラジさん

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まだ真っ暗な中を歩きだす。
クリシュナ君はスマホのライトで歩いている。
二人とも手には水を持っているだけ。後は何もなしの殆ど手ぶら状態。
こちらは雨具が入った小リュックを背負っている。
どうせすぐ暑くなってダウンは脱がなければいけないからその収納もあるのだ。

多分フェディ村の人にとっては生活路であるだろう石段を登り始めて約30分、案の定暑くなってきたのでダウンを脱いでTシャツにタオルの夏仕様。
ネパーリーは息も切れないのかなと思ったら、やはりハァハァしているのでちょっと安心。

暑くなってきた。

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ダンプス村まで高度差は約500m。

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普通に家があって畑があって暮らしがある。
トレッキング客用のロッジや食堂もかなりあって旅行者にとっては便利が良い。
更なる高地にも普通の暮らしがあるわけでこの山道を日常に上り下りしているわけだ。
時々大きい道路にも遭遇するから、そういうところまでは、例えば建築資材なんかは搬入出来るだろうが、こういうダンプス村のような道が殆ど石段のような場所はどうするのだろうか。
昨日もストゥーパの補修工事だろうか、20kgのセメント袋を頭、つまり額にひもをかけて袋を背中に背負う状態で登ってくる人達を見たが、そんなこともするのだろうか。
ロバなんかも使うみたいだ。

シェルパとして生計を立てている人も大勢いる。
クリシュナ君のようにガイドで生計を立てている人も然り。

彼はまだ26歳。
日本語がうまい。
学校で勉強したそうだ。
兄2名は日本で働いているとのこと。
日本に対する憧れが強くて、是非日本に行きたいという。

日本のビザは取るのが大変らしく、年齢、収入、推薦、スポンサー(金主の意味ではないらしい)等色々条件が整わないと難しいらしい。
27歳からと言っていたからあと1年ということだ。

農業をやりたいと言う。
聞けば18歳で結婚して子供も既に2名いるとのこと。
出会って5分で結婚したと言っていたが習慣なのだろうか。

日本での給料とか平均所得のことなどを聞いてくる。
26歳普通のサラリーマンだと、年収は300万くらいだっけ。
日本では給料から税金、社会保険、健康保険等の天引きがあって手取り額はもっと少ないんだというとちょっと意外そう。

そんなこんな話しながら登ってオーストラリアンキャンプ到着。
ダンプスから高度差約500m。
昔、オーストラリア人がキャンプをした場所なのでこういう地名になっているとか。
立派なロッジや、建設中のものもあり、その名の通りキャンプ場もありキャンパーもいる。

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雲が取れてアンナプルナやマチャプチャレがはっきりと見えてきた。
昨日よりはかなり大きく見える。
ここはこのトレッキングルートのいわば宿場なのだ。
ルート上にはこんな宿場村が何か所かあって宿や食事を提供しているのだろう。
結構立派なロッジが建設中だ。

ここで大休止、お茶とビスケットで糖分補給。
写真などを撮っているうちにマチャプチャレ側から曇ってきた。

筆者とフムラジさん

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ここから登ってきたフェディ村までずっと下り。
あまり天気が良くないので短めのルートを選んで下ることになった。
下りはあまり暑くならないのでダウンを再び着込んでひたすら下る。
途中何か所か分岐点もあり、やはりガイドなしだとそれなりに準備する必要があるだろう。
特に早朝スタートだと真っ暗なので尚更だ。
それにガイドと話しながら歩くのはなかなか楽しいものだ。

途中山岳の小さな集落やダンプス村を回りながら下っていく。

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ネパールの国花だというシャクナゲが二人のお気に入りだ。
そういえばホテルの中庭にもあった。

シャクナゲの花を採ろうと木に登るクリシュナ君、木登りも得意技だ。

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LALIGURANSというのがシャクナゲのことだ。ダンプス村

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バスパークのような場所でRudraさんが待っていた。
土曜日は休日ということで、近所では子供たちがピクニック。
やはり大音量のポップスなんかを流している。
ラオスを思い出した。

帰り道、何か所か見所に寄ってくれた。

河川敷でたき火をしているのではなく、火葬をしているとのことだ。

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チベット難民キャンプ。
キャンプというイメージではなくて集落という感じだ。
ダライラマよ、永遠に! なんて落書きがあったりする。

チベタリアンキャンプ

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オールドバザール。
築300年などという建物があちこちにあり、他の場所とは雰囲気が異なる。
超旧市街とでもいうものか。

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クリシュナ君、フムラジさんともFB友達になった。
最近はどうもこれが名刺交換みたいになっているらしい。

正午頃ホテル着。
中庭でお茶を飲んでいると、近所にアパートを借りて一年の半分くらいをここで暮らしているというアメリカ人夫婦が遊びに来た。
ネパール人の英語は今一つ聞き取りにくいところもあったが、アメリカ人の英語はよく聞き取れる。
話も弾んだ。

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本日の停電タイムは12~18時までで18時から翌朝4時まではONということになっている。
ラッキーと思っていても突然消えることがあるので油断は禁物だ。
朝も殆ど食べていないのにハングリー感があまりないので、ぶらぶらとレイクサイド北へ歩きながら食堂を物色する。

チベット料理のトゥクパとモモを食べる。
日本人にとっては、トゥクパは具沢山塩ラーメンの中盛りのような感じでなじみがある外見と味、モモはこれまた外見が餃子そっくりなので、ラーメンと餃子を食べている形になるが、当たり前だが中身は違う。

トゥクパ

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モモ

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ここのモモは皮がしっかりしていて具がジューシー、特に美味しかった。

レイクサイドを散歩しながらゆっくり帰って、午後の時間は読書したりネットをやったり。
フムラジさんがお茶をサービスしてくれる。
これがまたおいしいのだ。
日当たりの良い中庭でゆっくりと過ごしていたが、4時頃になると風が冷たくなってきた。
外から野外イベントのような音楽が結構な大音量で聞こえてくる。
音楽というよりは単なる騒音にしか聞こえない。
近所でイベントでもあるのか。堪んないな。

夕食は昨夜行った「たべものや」へ行こうと決めてある。

今日は天ぷら定食を頼んでみる。
ごはん、味噌汁、香の物、小鉢付きだ。
小鉢は茄子の煮びたし。美味しい。
昨夜の白百合の香りのRoxiを今夜は二杯いただく。
丁寧に仕上がって出てきたアツアツの天ぷらは野菜中心でパリッと揚がっていてとても美味しい。
素材は自店の農場で作っているということだが、高地で日本とできるものが似ているのではないだろうか。
普段、直売野菜を食べているので何となくこの店の素材の良さも分る。
鍋焼きうどんとかサバの塩焼きとか幕の内弁当とか他にも試してみたいメニューがいっぱいあった。

どんなものが出てくるか期待させる。

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静かできちんとしたサービス、ここはお薦めです。
そして更に更にお薦めは、3日間お世話になったニュー・ポカラ・ロッジ。

マネージャーのフムラジさんのサービスは、対価のあるサービスの範囲をはるかに超えていた。
親戚の家に来ているような気分にさせてくれた。
3人で行った今日のミニトレッキングも本当に良い思い出になったし、お茶のサービスもありがたかった。
あまり干渉しない、それでいてどんな相談にもちゃんと乗ってくれるちょうど良い関係性も。
そういえばソウラハのサンタさんの立ち位置もそんな感じだった。
空気を読めるのはネパーリーの特徴かな。物静かな人も多いし。

ホテル自体も普段から掃除をきちんとやっていて清潔。
停電やホットシャワーはこの国の事情。
慣れてしまえばどうということはないのだ。
フムラジさんが言うには、次回からは旅行エージェントを通さずにfbで直接言ってくれとのこと。
とてもありがたい。

騒音は隣のホテルの野外レストランに入っているバンドの音だった。
表通り側には全然聞こえずこちらのホテル側にだけ響くのだ。
みんな我慢しているんだろうな。

明日は7:00朝食、7:30出発だ。

※ これを書いている4月アタマ、ネパール南部でサイが街中を暴走。1人死亡8人けがというニュースがあった。
案の定チトワン国立公園から侵入したインドサイ。どこの街か示されてはいなかったが、映像を見ているとソウラハへの入り口に当たるタティバザールではないかと思った。
別に柵もあるわけじゃあないし。
サイは見かけはごついけれど、草食でおとなしくて人を襲ったりなどはしない動物なのに。
最後は象4頭で追い立てて帰ってもらったとあった。
あのエレファントライディングのとき遭遇した光景と同じだ。
とても手厚く保護されているのでこんな状況でも処分しないのだ。
それにしても象というのは最強の生き物だ。

2015年04月13日

ネパール旅行記 7. カトマンドゥ・帰国

旅の記録(2015.2.ネパール)

7. カトマンドゥ・帰国

今日はカトマンドゥへ移動、一泊して明日は帰国だ。

7時頃、質素な朝食を採って8時出発のバスに乗るため7時半に出発。

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バスパークはすぐ近く、歩いて3分程度だがフムラジさんも一緒に来てくれる。
今日はポーランドから11名、ライトプレーンを楽しみに来るお客さんが来るということだ。
昨日までは他にお客さんは見なかったからハードになるな。

ポカラでは完全にホテルの供給過剰。
ピンからキリまで選び放題という感じだが、フムラジさんのところのような当たりを見つけるのは、旅行者との相性というものがあるから結構難しいと思う。

3日間とても楽しかった。
ポカラに来ることがあったらまた利用したい。
フムラジさんと再会を約してお別れ。

チケットは予め買ってあったので座席の指定だけを受ける。
グリーンラインバスはツーリストバスより少しグレードが高いとのことだが、乗り心地は同じようなものだ。
ただランチが無料で付いているところだけが違う。

8時半頃出発。
カトマンドゥは東へ約400km、約8時間のバス旅。

バスパークにも所謂物乞いが何人かいて、顔を合わせるとお願いをしにくる。
どこでも見られる光景だ。
観光地のホテルやゲストハウスは立派だが、バスが観光地を出て車窓から見える普通の暮らしは、掘立小屋に波板トタンあるいはスレートを乗っけて、その上に石を重しとして置いてある程度の住宅がひしめき合っている。
共同飲料水汲み場があって、水はそこから汲んでいるようだが飲めるのかどうかは不明。
下水を含めインフラはどうなっているんだろう。

あの掘立小屋群におそらくはネパール人の多くの暮らしがあるのだろう。
10年程前に王制から連邦民主制に変わったが、貧富の差が激しいようだ。
観光を仕事としていておそらくはきちんとした収入のある人達としか知り合えなかったので、本当はこういう暮らしを知りたいというのも本音ではある。

相変わらず中国人観光客は多いのだが、隣に座った体格の良い中国人が英語で話しかけてきた。
一人旅とのことで、中国人でこれはなかなか珍しい。
聞けばインドで仕事をしてからネパールを観光して中国へ帰るのだという。
仕事はMOLDを作る仕事だとのこと。
MOLD ????
簡単に言えばプラスチック等の成型をする金型というよりは技術だという。
金型なんていうのはちょっと古いけれど、今は様々な技術があるらしい。
H.P.(www.cd-lianyu.com.)を見てくれとのことだった。
名前はJames。
中国名じゃないねと言うと、インド・アメリカ相手の仕事だと中国名は分りにくいのだとのこと。
そこで、例えばジャッキー・チェンとかブルース・リーのような英語の通称名を使っているらしい。
中国人旅行者も1人だと物静かだ。
話題はもっぱらどこの国のホテルはどうだったとかの旅行情報交換。
お土産までもらってしまった。

ネパールのツーリストバスは日本の観光バスのゴージャスさに比べると劣るけれど、例えばラオスなんかに比べるとはるかに立派なものだ。
無料Wifiも使えるのが売り。
しかし一般のバスは中型でボロボロ、ドアもないのが殆どで、屋根まで荷物や人が満載。
落差が激しい。

主要道路と言われるポカラ・カトマンドゥ間のハイウェイといっても、日本の普通の県道並みの広さで、路面状態はデコボコ度Cランク。すぐに補修が必要なランクだ。

山岳道路だから路肩は崖。
ガードレールなどという気の利いたものはない。
時々大型トラックなんかが落ちたままになっているのも見受けられる。
ここをかなりのスピードで突っ走るのだが、荷物満載の大型トラックが先頭にいると渋滞。
それでも、全員が隙あらば追い越しをかける。
カーブや登り坂で見通しが悪いことなど関係なしだから、なかなかスリルがある。
二車線のはずなのに三車線になっていたりする。
これは落ちる筈だ。
日本では考えられない運転だ。
上手いというのか何というか。

ランチ休憩のドライブイン

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ランチ休憩があって、午後もしばらく経った頃、バスはカトマンドゥ盆地に向かって下り始めた。
車、バイク、自転車、人の混沌が激しくなる。
ごみが散乱する道路。
道路から巻き上げられる埃も半端ではない。
道路わきにずらりと並んでいる粗末な商店は何を売っているのだろうか。
渋滞しているのだが、構わずに追い越して突っ込んでいく車やバイク多数。
渋滞の原因は変なところに駐車していたりとかのどうということもないことが原因で、これが日本だったらマナー違反として大変な非難を浴びるところだが、こちらでは皆無言だ。

15時半頃にバスはグリーンラインバスのオフィス前ではなくどこかの駐車場に到着。
初めての土地だったら途方にくれそうなところだが、二回目というのは強い。
初めにバスに乗った大通りを更に北に行ったあたりだと見当がつく。
案の定見覚えのある大きな交差点が見えてきた。

今日のホテルはタメル地区の西のはずれにあるNew Hotel Panda というおかしな名前のホテルだ。
よく酒を買いに行っていたスーパーの近くだ。
初めての土地は、初めのうちはどこをどう行くと何があるか、どこへ出るか狭い範囲でしか理解できないから、何かをランドマークにしておかないと位置関係が分らなくなってしまう。
だが、把握できる範囲が広がると東西南北でおおよその見当が付いてきて、この店はこういう位置にあったんだというような再認識ができる。
頭の中で地図の範囲が広がっていく感じだ

New Hotel Pandaもタメル地区のはずれとあるが、良く歩き回った範囲と非常に近い。
値段が随分安い割にはなかなか良さげなホテルだ。
部屋は広くて2ベッド、エレベーター付き、停電タイムも自家発電でしのげるとのこと、エアコンはないが電熱ストーブが置いてある。
久々の完璧なホットシャワーだ。

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ポカラから帰ってきたら、チトワン行きのお世話をしてくれたRimal氏と会うことになっている。
約束の時間より早くやってきた。
天気も今一つだし観光はもういいからと言おうと思っていたら、向こうも誘ってこなかった。
チトワンの感想などを聞かれてtrip advisorで当社のことを誉めてくれなどの要請。
世話にもなったし、その位のことはお安い御用だ。

かなり熱めのホットシャワーで埃を落として、荷物を整理したりしているうちに夜になってしまった。

夕食は、ムスタン・タカリ・チューロというタカリ族の店へ行く。

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ここのRoxiは強い。泡盛の生のような味わいがある。

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そしてダルバートの中央には何か茶色いものが。
蕎麦かきなのだ。

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ネパールの高地はソバの栽培をしているとのことで、タカリ族というのはチベット系の山岳民族らしい。
結構いける。
相変わらずのおかわり責めでご飯まで出てくる。

水を持ってきてくれたのはご主人のミラン・ラズ・スベディ氏。
この人はとても流暢な日本語を話す。
日本滞在歴が長いのだろう。
この国では日本人だからだろうか、美味しいかどうかよく聞きにくる。
美味しいというととても喜んでくれるのだ。
勘定もとても安かった。

スベディ氏はついでに安くて偽物を売らない店を紹介してくれて、ついでに同行までしてくれた。
明日帰国だから、そろそろ土産を買おうと思っていたので渡りに船だった。
いつものスーパーでアップルフレイバーのウオッカはちょっと飽きたので、saufフレイバーなるものを買ってみた。
これが当たり。
かなり強いハーブの香り。
料理によく使っているものらしいが名前が浮かばない。

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2月16日、帰国の日だ。

新パンダホテルの朝食

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随分慣れてきたタメル街

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またドーハ経由で帰るわけだが、出発が20時50分と遅い。
12時にチェックアウトして18時頃までぶらぶらしていなければならない。
チェックアウトしてからどこかへ観光しようという考えはない。
土産は昨日買ってあったが、昨日目を付けてあったニットを何でも揃っている土産物屋で、香辛料をいつものスーパーで買う。
安い。

昼はすっかりお気に入りになったトゥクパ

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チェックアウト後は荷物をホテルに置いてお昼を食べたり、地理も大体把握できたタメル地区を散歩。
天気が良く暖かいので適当な時間にホテルの屋上で読書。
これがなかなか気持ち良い。

新パンダホテルの屋上からの眺め

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16時頃になって風が出てきて冷えてきたのでロビーへ移動。
空港への車は18時に来るので、軽く食事をとりに行く。
前にも行ったチベット料理のギリンチェで、スープモモを食べてみる。
見てくれは水餃子だがこれが大変おいしかった。

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18時にホテルを出発。
New Hotel Pandaはおかしな名前で値段も安いのだが、地理的にも便利でとても快適なホテルだった。
初めからここでも良かったな。

旧市街のタメル地区を出ると車線が広くなり、仕事帰りの車や人で賑わっている。
大きなショッピングセンターがあり、商店も賑やかでこれが首都カトマンドゥの雰囲気なのだろう。
段々車が増えてきてついには全く動かなくなる。
この渋滞の加減は事故か何かだろうか。
空港まであと5分のところだ。
ドライバーも良く分からないらしい。
トイレに行きたい感もあるし、いっそのこと歩いてしまおうかと思ったが、じりじりと動き出してきたので我慢。
原因は先にある公園で明日からパシュパティナート(ヒンズー教の神様)のお祭りがあり、どうも前夜祭のようなことをやっていて、そこに車が集中するのに、例によって交通整理の悪いことが原因らしい。

お祭り会場のイルミネーション

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ここを通り過ぎると5分で到着。
15分で着くところを結局1時間かかった。
空港への時間は余裕を持って出かけるのが正解だ。
そういえばこんな経験は、サルバドールやリオデジャネイロでも味わったな。

空港は混雑している。
しかも信じられないことだが突然停電して真っ暗になったりする。
数秒で回復するが。
搭乗口も突然変更になったりするので気が抜けない。
ドーハ行きは定刻の20時50分発。

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ドーハ・ハマド空港着は23時50分だが、実際は5時間くらいのフライト。
ここで朝まで約7時間半過ごすわけだ。

行きは、帰りに時間があるからこの新空港をじっくり見てやろうと思っていたが、やっぱり横になりたい。

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ただで休めるスペースは沢山あって、目的別に選択できる。
例えばP.C.をやりながらとかひたすら寝たいとか。
照明を落としたリクライニングスペースはとても快適だが結構寒い。

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お祈り専用部屋もある。

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横になる前にビールでもと思って、レストランで頼んだらハイネケンの350が9us$。
機内で飲めばただなのに。さすがに金持ち国の空港だ。
空港としてはただで休めるスペースがたっぷり用意されていて、係員も親切でとても利用しやすい空港と感じた。

7時20分発のカタール航空810便羽田行(現在は812便)は昼間のフライトで殆ど大陸の上を飛んでいるから窓側が面白い。
カタール→パキスタン→インド→ミャンマー→中国→日本というルートのようだ。
わりと空いていて3席を占有できたので快適だった。
ドーハはよくテレビに出てくる砂漠の都市だ。
出発してあっという間に陽は真上に。
下界はまるで海の上を飛んでいるかと錯覚させるような一面の緑。
川があったり、道路、都市、集落が見えるので陸の上だと分かる。
明るいうちは面白いので動画を撮ったりする。
しかしB787のこの席はフライトデータも読書灯も不具合で、今どこ辺りを飛んでいるのかわからないのだ。
ま、3席もあるから文句も言えないが。

そうこうしているうちに夜になる。
羽田空港には予定より40分位早い22時10分頃到着。
約9時間半のフライト。
荷物を待っていたり入国、税関の手続きに思いのほか時間がかかった。
東京は冷たい雨が降っていた。
持って行った傘を初めて使った。

ネパールがどういうところか皆目分らずに行ってみたが、思ったより混沌としていた。
都市、交通、インフラ等の近代国家としての整備のされ方は日本とは及ぶべくもないが、これは日本と比べるからだ。
日本は都市、インフラ整備が行き届いていて、交通機関の正確さ、街や水の清潔さは殆ど世界に類を見ないのではないだろうか。
しかし、貧富の差はあるけれど人々には活気があって、古い街並みはしっかりと保存され、広大な自然公園に動物は手厚く保護され、動物と人間が共存する暮らしもある。
親日的な人が多く、日本語を勉強している、日本に行ってみたい、日本で働きたいという人達とも出会った。
物静かで控えめなところは日本人と似ているし、仏教やヒンズー教、チベット仏教等他宗教の国でもあるところ、海はないけれど収穫できる作物も日本と似ている。
そういえばクリシュナ君は海を見たことがないと言っていたな。

確かに清潔さ、正確さ、便利さ等はあればそれに越したことはないが、それだけではないだろう。
モノやシステムに細部まで支えられた社会は人間を脆弱にする。
停電も何とかして半端なインフラもそれなりにこなし、山の上の高地を耕し、象と共に生活する村があったり。
物静かで逞しい人々にとても親しみを覚えた楽しい旅だった。

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