ネパール旅行記 6. ポカラ その2
旅の記録(2015.2.ネパール)
6. ポカラ(その2)
今日は日帰りトレッキングの日。
フムラジさんも同行することになったので早朝5時集合だ。
真っ暗でよく分からないが、天気は今一つのようだ。
フムラジさんとガイドのクリシュナ君とRudraさんのタクシーに乗り込んで、例によって真っ暗な道を跳ばし、追い越してダンプスへの登り口、フェディへ。フロントガラスに雨が当たるので、もし雨だったら引き返そうということになっていたが、大丈夫なようだ。
登り口横の商店でチャーイとパン。起きてから水しか飲んでいないからこれは美味しかった。
手前から、ガイドのクリシュナ君、ドライバーのRudraさん、フムラジさん
まだ真っ暗な中を歩きだす。
クリシュナ君はスマホのライトで歩いている。
二人とも手には水を持っているだけ。後は何もなしの殆ど手ぶら状態。
こちらは雨具が入った小リュックを背負っている。
どうせすぐ暑くなってダウンは脱がなければいけないからその収納もあるのだ。
多分フェディ村の人にとっては生活路であるだろう石段を登り始めて約30分、案の定暑くなってきたのでダウンを脱いでTシャツにタオルの夏仕様。
ネパーリーは息も切れないのかなと思ったら、やはりハァハァしているのでちょっと安心。
暑くなってきた。
ダンプス村まで高度差は約500m。
普通に家があって畑があって暮らしがある。
トレッキング客用のロッジや食堂もかなりあって旅行者にとっては便利が良い。
更なる高地にも普通の暮らしがあるわけでこの山道を日常に上り下りしているわけだ。
時々大きい道路にも遭遇するから、そういうところまでは、例えば建築資材なんかは搬入出来るだろうが、こういうダンプス村のような道が殆ど石段のような場所はどうするのだろうか。
昨日もストゥーパの補修工事だろうか、20kgのセメント袋を頭、つまり額にひもをかけて袋を背中に背負う状態で登ってくる人達を見たが、そんなこともするのだろうか。
ロバなんかも使うみたいだ。
シェルパとして生計を立てている人も大勢いる。
クリシュナ君のようにガイドで生計を立てている人も然り。
彼はまだ26歳。
日本語がうまい。
学校で勉強したそうだ。
兄2名は日本で働いているとのこと。
日本に対する憧れが強くて、是非日本に行きたいという。
日本のビザは取るのが大変らしく、年齢、収入、推薦、スポンサー(金主の意味ではないらしい)等色々条件が整わないと難しいらしい。
27歳からと言っていたからあと1年ということだ。
農業をやりたいと言う。
聞けば18歳で結婚して子供も既に2名いるとのこと。
出会って5分で結婚したと言っていたが習慣なのだろうか。
日本での給料とか平均所得のことなどを聞いてくる。
26歳普通のサラリーマンだと、年収は300万くらいだっけ。
日本では給料から税金、社会保険、健康保険等の天引きがあって手取り額はもっと少ないんだというとちょっと意外そう。
そんなこんな話しながら登ってオーストラリアンキャンプ到着。
ダンプスから高度差約500m。
昔、オーストラリア人がキャンプをした場所なのでこういう地名になっているとか。
立派なロッジや、建設中のものもあり、その名の通りキャンプ場もありキャンパーもいる。
雲が取れてアンナプルナやマチャプチャレがはっきりと見えてきた。
昨日よりはかなり大きく見える。
ここはこのトレッキングルートのいわば宿場なのだ。
ルート上にはこんな宿場村が何か所かあって宿や食事を提供しているのだろう。
結構立派なロッジが建設中だ。
ここで大休止、お茶とビスケットで糖分補給。
写真などを撮っているうちにマチャプチャレ側から曇ってきた。
筆者とフムラジさん
ここから登ってきたフェディ村までずっと下り。
あまり天気が良くないので短めのルートを選んで下ることになった。
下りはあまり暑くならないのでダウンを再び着込んでひたすら下る。
途中何か所か分岐点もあり、やはりガイドなしだとそれなりに準備する必要があるだろう。
特に早朝スタートだと真っ暗なので尚更だ。
それにガイドと話しながら歩くのはなかなか楽しいものだ。
途中山岳の小さな集落やダンプス村を回りながら下っていく。
ネパールの国花だというシャクナゲが二人のお気に入りだ。
そういえばホテルの中庭にもあった。
シャクナゲの花を採ろうと木に登るクリシュナ君、木登りも得意技だ。
LALIGURANSというのがシャクナゲのことだ。ダンプス村
バスパークのような場所でRudraさんが待っていた。
土曜日は休日ということで、近所では子供たちがピクニック。
やはり大音量のポップスなんかを流している。
ラオスを思い出した。
帰り道、何か所か見所に寄ってくれた。
河川敷でたき火をしているのではなく、火葬をしているとのことだ。
チベット難民キャンプ。
キャンプというイメージではなくて集落という感じだ。
ダライラマよ、永遠に! なんて落書きがあったりする。
チベタリアンキャンプ
オールドバザール。
築300年などという建物があちこちにあり、他の場所とは雰囲気が異なる。
超旧市街とでもいうものか。
クリシュナ君、フムラジさんともFB友達になった。
最近はどうもこれが名刺交換みたいになっているらしい。
正午頃ホテル着。
中庭でお茶を飲んでいると、近所にアパートを借りて一年の半分くらいをここで暮らしているというアメリカ人夫婦が遊びに来た。
ネパール人の英語は今一つ聞き取りにくいところもあったが、アメリカ人の英語はよく聞き取れる。
話も弾んだ。
本日の停電タイムは12~18時までで18時から翌朝4時まではONということになっている。
ラッキーと思っていても突然消えることがあるので油断は禁物だ。
朝も殆ど食べていないのにハングリー感があまりないので、ぶらぶらとレイクサイド北へ歩きながら食堂を物色する。
チベット料理のトゥクパとモモを食べる。
日本人にとっては、トゥクパは具沢山塩ラーメンの中盛りのような感じでなじみがある外見と味、モモはこれまた外見が餃子そっくりなので、ラーメンと餃子を食べている形になるが、当たり前だが中身は違う。
トゥクパ
モモ
ここのモモは皮がしっかりしていて具がジューシー、特に美味しかった。
レイクサイドを散歩しながらゆっくり帰って、午後の時間は読書したりネットをやったり。
フムラジさんがお茶をサービスしてくれる。
これがまたおいしいのだ。
日当たりの良い中庭でゆっくりと過ごしていたが、4時頃になると風が冷たくなってきた。
外から野外イベントのような音楽が結構な大音量で聞こえてくる。
音楽というよりは単なる騒音にしか聞こえない。
近所でイベントでもあるのか。堪んないな。
夕食は昨夜行った「たべものや」へ行こうと決めてある。
今日は天ぷら定食を頼んでみる。
ごはん、味噌汁、香の物、小鉢付きだ。
小鉢は茄子の煮びたし。美味しい。
昨夜の白百合の香りのRoxiを今夜は二杯いただく。
丁寧に仕上がって出てきたアツアツの天ぷらは野菜中心でパリッと揚がっていてとても美味しい。
素材は自店の農場で作っているということだが、高地で日本とできるものが似ているのではないだろうか。
普段、直売野菜を食べているので何となくこの店の素材の良さも分る。
鍋焼きうどんとかサバの塩焼きとか幕の内弁当とか他にも試してみたいメニューがいっぱいあった。
どんなものが出てくるか期待させる。
静かできちんとしたサービス、ここはお薦めです。
そして更に更にお薦めは、3日間お世話になったニュー・ポカラ・ロッジ。
マネージャーのフムラジさんのサービスは、対価のあるサービスの範囲をはるかに超えていた。
親戚の家に来ているような気分にさせてくれた。
3人で行った今日のミニトレッキングも本当に良い思い出になったし、お茶のサービスもありがたかった。
あまり干渉しない、それでいてどんな相談にもちゃんと乗ってくれるちょうど良い関係性も。
そういえばソウラハのサンタさんの立ち位置もそんな感じだった。
空気を読めるのはネパーリーの特徴かな。物静かな人も多いし。
ホテル自体も普段から掃除をきちんとやっていて清潔。
停電やホットシャワーはこの国の事情。
慣れてしまえばどうということはないのだ。
フムラジさんが言うには、次回からは旅行エージェントを通さずにfbで直接言ってくれとのこと。
とてもありがたい。
騒音は隣のホテルの野外レストランに入っているバンドの音だった。
表通り側には全然聞こえずこちらのホテル側にだけ響くのだ。
みんな我慢しているんだろうな。
明日は7:00朝食、7:30出発だ。
※ これを書いている4月アタマ、ネパール南部でサイが街中を暴走。1人死亡8人けがというニュースがあった。
案の定チトワン国立公園から侵入したインドサイ。どこの街か示されてはいなかったが、映像を見ているとソウラハへの入り口に当たるタティバザールではないかと思った。
別に柵もあるわけじゃあないし。
サイは見かけはごついけれど、草食でおとなしくて人を襲ったりなどはしない動物なのに。
最後は象4頭で追い立てて帰ってもらったとあった。
あのエレファントライディングのとき遭遇した光景と同じだ。
とても手厚く保護されているのでこんな状況でも処分しないのだ。
それにしても象というのは最強の生き物だ。