2015年春沖縄八重山と第18回鳩間島音楽祭
今年も鳩間島音楽祭を中心として春の沖縄・八重山を旅して来ました。
途中、今年2月から3月にかけてネパールに行っていたこと、もろそうで古い建物が多かったことなどを話していたら、あのネパール大地震のニュース。
カトマンドゥの街が大変な被害とか。
びっくりしました。
映像を見て更にびっくり。
ダルバール広場で寛いだあの木造建築物、Maju Degaは土台だけ残して跡形もなく、建て込んだタメル地区、旧市街も破壊され、死者は現在8000名超、被災者は国民の1/3というではありませんか。
スワヤンブナートも大半が破壊されて大変な被害。
確かに、16、17世紀に建てられた建築物も多く、それらが今まで残っていたということは今まで大きな地震がなかったということでしょうが、ここにきて・・・・・・・・。
更にこのブログにも書いたと思いますが、庶民の暮らしは日干し煉瓦やブロックをただ積み上げて波板トタンを乗せて石をおもりとするような建築物や、グレードが上がったとしてももろそうな鉄筋や耐震建築など望めそうにないもので、しかも密集している。
被害が大きくなる一因でしょう。
また、幹線道路ですら山肌に張り付いたような、片側は崖で、舗装ももろく凸凹状態。
これが崩れてしまったら陸路での行き来ができない印象がありました。
案の定、地方では孤立する集落が出てきて、ヘリで救出活動を行っているがとても追いつかないということです。
ただ、救いとなるのは略奪もなく、ネパール国民は整然として落ち着いているということです。
大震災の時の日本と似ているとも言われています。
ここにも書きましたが、ネパールの国民性は全体的に物静かで控えめでかつフレンドリーで共感を覚えるものでした。
対応もうなずけます。
それにしても観光で成り立っていると言ってもよい国で、ここまで観光資源が破壊されてしまったらこの先どうするんだろうという心配はありますが、現地の人達は毎日をどう生活していくかが大問題でそれどころではないだろうと思います。
ポカラで友人となった、フムラジさん、クリシュナ君はfb上で無事が確認できてホッとしました。
好きな人達がいて好きになった国が災害にあって心が痛みますが、不屈の山岳民族ですから、必ずや復興してくれると思います。
復興をお祈りします。
さて、こんなびっくりするニュースもありましたが、旅は沖縄入りの翌日から、首里、糸満、南城市玉城でライブと続きます。
最近は、LCCで沖縄入りするのが常で大体夜6時頃着。
それにしても、成田空港LCC専用第3ターミナルは遠かった。
駅から800mほどあるということです。時間に余裕を見て正解でした。
ボーディングブリッヂではなくボーディングロード。
宿はいつもの柏青荘。
飲みに行くのも決まっていて、開南の「鈴蘭」。
とても美味しくリーゾナブルです。
昼間、天気の良い時は、これもお気に入りの波の上ビーチへ行って昼ビール。
これが旨いんだ。
何かの式典をやっている。
ビーチ付きの猫
で、夜は演奏。
首里は馴染みのあるARTE。
共演した翁長巳酉さん(per)の那覇のお店
同店の500円フェイジョアーダ
糸満は旧市街のスナックで、お客さんは殆どおじい。
石垣の十八番街のようなイメージでした。
翌朝、糸満の海浜公園でホーダ・ヂ・ショーロ
南城市玉城は恒例になった感のある、千葉さん、西川さんとのジャズトリオ。
このトリオで石垣とか東京でやってみたいですね。
ちょっと実現は難しいでしょうが。
どう叩いても演歌や民謡になる不思議な楽器。シロフォン。
寛ぐ。
今回は、普段習慣になっている運動が2週間もできないと体がなまってしまうので、ジョギングの道具を持参しました。
玉城の玉々庵から奥武島へジョギング。
奥武島まではずっと下り、帰りがきつそうだ。
奥武島一周もいいんだけれどアップダウンも多そうなので漁港の周りを周回するコースで全部で約7km。
多少海風はきついけれど、夕方は涼しくてとても気持ち良かった。
去年、一昨年あたり、この時期涼しくてむしろ寒いくらいだったのが、今年は天気もまずまず、温度も上がってきているようです。
木曜日に沖縄入りして、翌週火曜日に石垣に向かいます。
機内アナウンスだと石垣は雨のはずだが、雨は降っていない。
バスで最近定宿のホテル海邦へ。
相変わらずフロントに人はいないので電話して部屋を教えてもらって勝手に入る緩さ。
ここに来てまず一番の楽しみはテラスで景色を見ながらビールを飲むこと。
雨が降っているとできないのだが、幸いにして天気は持っている。
やっぱり旨い。
ここで火、水、木曜と過ごして金曜日に鳩間島入りです。
ライブは明日の夜。
今夜はゆっくりと過ごせます。
パパビゴーヂで一杯飲んで、ホテルから徒歩5秒のれんが屋へ。
パパビゴーヂのマスターはもちろん、れんが屋のスタッフも音楽祭参加メンバーです。
今夜は大雨洪水警報が出るほどの土砂降り。
道路が川になっているが、れんが屋からホテルは徒歩5秒で助かりました。
翌日のパパビゴーヂのライブは、昭和歌謡目当てのお客さんも結構来られるということで昭和歌謡を増やしました。
楽しんでいただけたようでした。
翌木曜日は一日暇です。
まずは早起きできたので、ジョギングの第二弾。
730交差点から旧石垣空港の往復、9km。
ほぼ平坦なコースで歩道も広いし涼しい朝はとても気持ちが良い。
旧石垣空港は舗装をはがした状態になっていて、消防本部の建物だけが広大な土地にポツンと建っています。
ここに八重山病院が移転するとか市役所が移転するとかの噂があるそうですが、広い平地なので有効活用してほしいですね。
昼は新川に住む音楽仲間のZAKIさんと連絡を取ってランチとちょっとした音合わせ。
崎枝のおしゃれなイタリアン。
崎枝から竹富島を臨む。
夕方まで音合わせをして、夕食は石垣に来たら一度は行きたい三好へ。
経営者が変わって内装も若干変わってはいるけれど、美味しくて安いところは変わっていないので安心。
仕上げはホテルのテラスで夜景と眼下の美崎町の酔っぱらいを見ながら一杯で仕上げ。
金曜日は鳩間島入りです。
以前は食材を色々と準備して予め送っていたりしたんですが、最近は面倒になってというか粗食に慣れたというか、夕飯はおじいと飲むのでとか色々あって、とりあえずのものしか持っていきません。
今回は米3kgとインスタントみそ汁と塩。
玉城で友人にいただいた缶詰とおかず味噌があるから、昼の弁当を買っていけば今夜と明日の朝は何とかなる筈です。
明日になれば同宿の仲間たちがやってくるので食料を持ってきてくれるだろうと。
昨年の秋は台風で鳩間島に行けなかったので一年ぶり。
おじいもおばあも元気です。
元商店のK子さんやSさんは病を克服して昨年よりとても元気になったようで安心しました。
ただ、亡くなった方もいらっしゃるようでした。
変わったと言えば変わったのが公民館前広場の立派な野外ステージ。
6300万円ほどかかったそうで、竹富町も思い切ったことをやるもんだ。
音楽祭での町長挨拶は気合が入ることでしょう。
おかげで舞台を設営する仕事はなくなりましたが、やっぱりあれこれ何だかんだ仕事はあるようで、ここでは皆自主的に仕事に参加します。
夜は質素な食事・・・・・ではありますが、おじいとやー飲みでそれなりに美味しいものもあります。
質素すぎるかも
おじいは7時半で帰るので、その後はマイトウゼへ挨拶に。
やはり今日鳩間入りしたKan・Kinらと共に宴会へ。
静かな島の夜は更けていきます。
本日閉店。
翌2日は音楽祭モードが高まってきました。
良い天気。
明日の予報が悪い方に変わったのが若干気になるところですが。
ここの天気は分かりません。
西表が降っていても鳩間は晴れていたりすることもあるし、結局島人の判断に任せるのが一番良いみたい。
質素な朝食。
今日からは我が方関係者も増えてきます。
それに連れて食材も増えるので食事も段々豪華になってきます。
まだ静かな鳩間島
テントを張ったり机、いすを運んだりの仕事も終わって今夜は前夜祭。
新ステージでの音出しですから結構本気モードです。
で、今夜の我々は昭和歌謡オンリー。
村上さんのas.が良い味を出しています。
このサウンドはやはり夜が似合う。
PA.の状態も良くて楽しんで演奏できました。
ステージはとても広くて足元の心配もない。
明日もこの調子で行きたいものです。
音楽祭当日、雲は若干多めですが概ね良い天気。
もっとも新ステージは雨が降っても演奏する方も聴く方も大丈夫な設計になっていますが、天気は良い方が盛り上がる。
忘れていた歓迎横断幕の設置。
おじいの家のガジュマルを切ってしまったため、瑠璃の外塀に設置する。
今年のお客さんの殆どが撮影するであろう横断幕には必ず民宿瑠璃が映ることになるわけで
これが宣伝になるかどうなのか。
スタミナの付く(?)朝食。
今年はBEGINが出演するということで、例年よりお客さんも多いのではないかとの予想ですが、案の定、朝早くから臨時便がどんどん入ってきます。
石垣の離島ターミナルは既に長い行列ができているとのこと。
確かに午前11時の開演時間にはステージ前まで満杯。地面が見えない状態。
開演
鳩間小中学校
それでもまだまだ船はやってくる。
天気は良くて久しぶりの暑い音楽祭になりました。
1グループの持ち時間は15分、BEGINは30分ということになっているようです。
我々の出番は、ほぼ真ん中。町長挨拶の後です。
いつものことながら、出演時間は前に行ったり後ろに行ったりなので、余裕を持っておくことがここでは肝心。
案の定、予想より早めに進んでいる。
ステージに上がるとやはりかなりのお客さんが入っているのが良く分かります。
時間は限られているのでMC.も短めにメドレーも交えてどんどん演奏。
お客さんも踊ってくれて楽しいステージでした。
竹富町のゆるキャラ、ピカリャー。
我々の後に人権啓発活動ショー、その後にBEGINでした。
例の、おじい自慢のオリオンビールは相当盛り上がったみたいで、ビールも相当売れたらしいです。
BEGIN
これ目当てで来たお客さんも多いみたいでこの後の演者はやりにくいかなと思いましたが、さすがに鳩間出身の那覇の唄者、吉川さんはどこ吹く風。
前から感じていたことですが、沖縄、特に八重山の人達はメジャーだろうがなんだろうがほとんど気にしない。
自分たちの土俵で淡々と演奏する。
加治工ファミリー、鳩間オールスターズと順調に続いて、最後はお約束の鳩間の港で大団円。
オールスターズ
比嘉盛男実行委員会副委員長挨拶
いつもより早めの午後4時過ぎには終了。
例によって桟橋へ移動して見送りの唄と踊り。
今年はお客さんが多いので船も大変だろうと思っていましたが、そこは慣れたもの。
5時半頃には帰り希望のすべてのお客さんを乗せることができたようです。
今年は変な酔っぱらいもいなかったなあ。
この見送りは、音楽祭当日は公民館のPAを持参してメンバーも多く盛大にやりますが、翌日からはPAも撤収して生音、メンバーも減ってきて最後は翌々日、勇さん御大1名による演奏になってくるのですが、これが祭りと島を象徴するようで味わい深い。
今年は久しぶりに天候が良くて、暑い音楽祭でした。見送り時も温度は下がらなかった。
涼しいのも悪くないけれどやっぱり暑い方が良い。
本日の夕食
さて、夜になってそろそろ後夜祭の音が聴こえてくるかなと思っていると、気配が感じられない。
後夜祭はないという噂がとんでいるので、ステージへ行ってみると後夜祭を待つお客さんがいるではありませんか。
島人と相談して、PAは片付けてしまって公民館のPAを出すのも面倒だから生音でやろうと、そうでないと後夜祭を見に来たお客さんに申し訳ないということになって、生音で開催することになりました。
これが当たり。
新野音の生音は屋根付き客席近辺にはとても良く通って、三線、ギター等の弦楽器や唄も良く聴こえたようでした。
やってる方もこれが一番気持ち良い。
みんな殆ど酒が入っているので却って進行がスムーズな面も無きにしも非ず。
来年の後夜祭はこのスタイルがいいな。
というわけで、後夜祭も無事終えることができました。
我が方関係者は今日はまだ人数が多いのですが、明日は殆ど帰って、瑠璃は小生1名。
まだまだ豪華な朝食
4日早朝は雨が降りましたが日中はまずまずの天気。
いつもこの日は何をしたのかよく覚えていません。
ヤギ汁の大鍋や横断幕、テント等を片付けて、学校に一緒に片付けられてしまったMy譜面台を捜索し、多少散歩し、宿の蒲団を母屋に運び掃除して、誰かの相手をし、ゆんたくして静かな島の時間が戻ってきます。
静かになってきた。
質素になってきた食卓
しかし残り物で続く宴会。
食卓はみんなが残していったものがあるので結構豪華かつ大盛り状態。
食べられるものは食事や酒のあてにして、翌日の朝と昼の弁当まで算段して、それでも残ったものは、出発当日米盛家へ進呈します。
出発する5日
同じようなメニューが続く。
先に出発するKanKinを見送り。簡素な見送り
そして、小生1人になりました。
もっとも小生も1時間半後の船で出発します
おじいや建次さんたちとしばし別れの盃。
建次さんはこの席で、僕はこの島でサンバカーニバルをやりたいんだ。だからダンサーをいっぱい連れてきなさいと(10名とか言っていたな。)発言していました。僕の言うことは必ず実現するんだよと。
はて・・・・・・・・・・・。
見送られる。
今年は船も静かです。
ホテル海邦に戻るとお姉さんが「板垣サンバグループって、板垣さんのことですよね」。
例のテラスで自作の残り物弁当
さて今日5日は石垣・大川のタニファで初ライブ。
パパビゴーヂの村上さんの仕切りにしてもらってます。
出演メンバーは池原コーイチさん、村上さん、小生に加え、新川のザキさんに楽天屋のレンさん、というとびきり濃いメンツに飛び入り歓迎。
村上さんのアルトサックスはパパビゴーヂでほんの遊びで加わったとき、今回の鳩間の前夜祭でしか聴いたことがなかったので、本格的にジャズナンバーを何曲も演奏した今夜のステージで一緒に演奏してとても感心しました。
音も良いし、歌心もある。
これは時々一緒に演奏したいです。
最後はメンバー全員の合同演奏。
お客さんは立ち見が出るほどの盛況で聴く方も楽しかったようでした。
タニファは全曲昭和歌謡のステージもお似合いで、これは是非来年やってほしいとのことでした。
明日はこの旅最後のライブです。
6日。
今日は石垣青少年の家で夕方のコンサート。
ここは以前、少年自然の家という名称だったところです。
今は沖縄県から八重山星の会に管理委託されてこういう名称になっています。
笑っているように見えるが、何かを咥えているのだ。
ZAKIさんから午後モズク採りをしないかというありがたいメール。
今日は青少年の家に泊まりなので荷物を移動してから、川平の近くの底地ビーチへ。
底地(スクヂ)ビーチ
干潮に近い時間なので膝丈くらいの水深でモズク採り。
ガーゼ状に細かい網を渡されそこに収穫したモズクをどんどん入れていく。
コツをつかんでしまえばどんどん採れる。
勿論、採れる場所を教えてもらうことが前提ですが。
水中で髪の毛みたいにゆらゆらしているのがモズクだと教えられて採るけれど、これが果たしてあのモズクなのかと一瞬不安になって聞くと、ぬめぬめしているものはみんなモズクだから問題ないよとのことでした。
約1時間くらいで結構採れました。
青少年の家に帰って本日食べる分は水洗い、土産に持って帰る分は海水のままさらに塩を漬けこむ。
これで常温で半年持つとのこと。太くて美味しそうだ。
本日分は所長が用意した夕食のそばに入れてもらいました。
これがとても美味しかった。
コンサートは時間が午後7時~8時半までときっちり決まっていて、なるべく地元の人達にも多く出てもらいたいので持ち時間は20分としました。
パーゴラを利用したステージは結構快適。
凄腕中学生・田淵さんの民謡、とばらーま大会出演者・友利君のとばらーま、飛び入りでジェンベ、トロンボーン、バイオリンの中学生トリオ。
小生はソロと地元のベーシスト、工藤さんとのデュオを数曲。
比嘉盛男さんとタカボーの民謡とオリジナル、最後はカチャーシーで締めるというお決まりではあるけれど、何かGWの最後にふさわしい感じのコンサートでした。
後は所内で軽く打ち上げをして、2年前にお世話になった天久さんが家に用意があるというので、お家に移動して更に二次会と、例に寄って楽しい夜は更けていき沖縄・八重山ツアーも終幕を迎えました。
天久(てんきゅー)氏宅
青少年の家は子供向けの自然教育施設なので、何だかここにいると心がなごみます。
街場から離れているので自然環境は豊かだし、教育施設ではあるけれど八重山的で、所長の性格でもあるのでしょうけれど物事がゆっくり流れていくような感じで。
またこんな機会があったら嬉しいです。
今年は梅雨入りが遅いらしく、去年、一昨年と比べて天気に恵まれて久しぶりに暑い沖縄・八重山を過ごすことができました。
音楽祭は18回、我々の出演は13回。
再来年は節目になりそうですね。
いつまで頑張れるか分らないけれど、地元とコラボが続いて行く限り続けていきたいと思っています。
関係した皆様、ありがとうございました。