2015年秋の八重山・沖縄と、ある訃報
今年の秋の八重山・沖縄行きは、10月20日から26日までの短期間でした。
このニ、三年イベント等が重なって、旧暦八月の十五夜に鳩間島に行けてないのが残念なわけですが。
しかも、台風24、25号がダブルで発生している状況。
まぁこればかりはしょうがない。
短い期間の中で二泊三日で鳩間島へ行こうと予定はしていました。
ただ、沖縄へ行く一週間くらい前から上原航路は欠航。
24号の動きからすると、これからも多分欠航かなという感じはしています。
沖縄へは今回初めてバニラ航空を使ってみました。
ランクによって荷物とか変更とかが都合が良いので、那覇空港のLCCターミナルを除けばまあ良いかも。
那覇空港のLCCターミナル利用は、時間に余裕がないときつい。
石垣はいつもの海邦ホテルの快適な部屋。
ただ、雨が降ったり止んだりの天気なので、テラスでゆっくり過ごすわけにはいかない。
天気が悪いと食べることが楽しみ。
翌日はパパビゴーヂでライブ。
後半は飛び入り歓迎で、店主も加わってセッションになりました。
もし明日欠航で鳩間へ行けなかったら、金曜日にタニファでフリーライブをやろうという、昨日からつるんでいた石垣のミュージッシャン、ZAKI氏の嬉しい提案。
それはもう暇になってしまうので渡りに船。
翌木曜日は案の定、上原航路のみが欠航。
大原廻りという手もあるが、無理して渡っても帰ってこれない可能性もあるので鳩間行きは断念。
確か、昨年は台風直撃で渡るどころか、予定を早めて沖縄に戻ったのでそれよりはましかなと。
ただ、24号も勢力は弱まりつつも、まだふらふらしていて週末には八重山接近かというところが気になります。
勢力が弱いので多分大丈夫だろうとの噂です。
八重山に来ると台風と天気の話題は本土にいるときの数倍の頻度と密度と真剣さで話題に上ります。
生活に直結しているので当たり前とはいえるのですが、雑談中の台風予測の精度もなかなかのものなのです。
この日はほとんど雨で外出する気はしません。
幸いにして金曜日まで連泊可とのこと。
こんなとき、居心地の悪い宿だと何が何でも外出してしまって出費がかさむなんてことになりがちですが、このホテルは大変居心地が良いので無理に外出しようなんて気は起りません。
金曜日は、ホテル側の提案もあって和室に移動してみました。
ここの和室は初めてなのですが、南西むき角部屋南向きテラスのみならず西向きもとても眺望が良い。
しかも、通常は3~4名は泊まれるかなり大きい部屋で台所もついています。
かつての教職員組合の大部屋を思い出しましたが、こちらの方がずっと快適。
値段も変わらないので、複数で泊まるときはこの701号室がお薦めですね。
テラスも部屋に合わせて広くなった。
西側は市役所から新川方向を臨む。
久しぶりの美しい夕焼け
この日は久しぶりに晴れて温度も上がってきて夏が盛り返してきた感じになりました。
幸いにも24号は消滅して、低気圧になりました。
夜はタニファでフリーライブ。
何の予告もないので、お客さんは大丈夫かなと思いましたが、楽しんでくれたようでありがたかったです。
沖縄に戻る土曜日は夏のような天気。
空港へ行きがてら久しぶりにブラジル料理屋のもろみ屋へ行ってみました。
ここは、八重山、ブラジル両方の料理が味わえる珍しい食堂。
しかもとても美味しい。
場所は宮良なので徒歩ではちょっとという感じです。
パステウ
魚料理
肉料理
沖縄もまあ良い天気。
今日は玉城に泊まる予定でしたが、若干の手違いがあって他の場所を探しました。
雨の木曜日にどこにしようかなと色々とネット上を探していて、こんなこともたまには楽しい。
久しぶりにコザに行ってみようかなどとも思いましたが、手ごろな宿が見当たらず、結局那覇のカプセルホテルに空きがあったので、そちらに落ち着きました。
沖縄では初めてのカプセルホテルですが、朝食もついてそんなに不自由はありません。
荷物も置けるようです。
安里近辺なので、夜は栄町市場へ。
翌日も良い天気。
久々の快晴
奥武島の海の色がきれい
海の色をイメージした焼き物
この日はお馴染みの玉城の玉々庵でライブ。
tsの千葉さん、bの西川さんが今回はいないので、何年か前に与那国島、また玉々庵でもご一緒したことがあるベーシスト、水見拓磨さんとのトリオでの演奏です。
この日はアフターアワーに素晴らしい出し物がありました。
陶芸家でsax奏者の稲福哲雄氏はうちなーぐち(沖縄方言)を残す活動もしていて、戦前から戦後にかけて活躍した大衆演劇人、小那覇舞天のスーヤーぬパーパーという一人語り、漫談と言ってもいいか、を披露して、これにやまとぅ口の解説を付けた。
これが大受け。
さらには、セッションでブルースをバックにスーヤーぬパーパーを語り、語り終えてはテナーを吹くという荒業をやってのけた。
約15分もやっていただろうか。
ウチナー口がまるでラップのように聞こえて、まるでお約束していたかのようにジャズブルースとぴったりはまりました。
共演者や観客からは、これは一つの作品として完成させることができるのではないかという声が大きく上がりました。
確かにこれは、沖縄ではジャズを聴きに来る人も多いので、イベントや路上でやったらきっと大受けするんではないかと思われるし、若い人やナイチャー向けに、やまとぅ口の解説もどこかに突っ込むことができれば方言の保存にも役立つのではないかとも思われます。
小那覇舞天のオリジナルは、語りのバックに音楽はなくて合間に入っているので、ブルースをバックにラップ風というのは新しい。
是非、スーヤーぬパーパー・ブルースをプロデュースしようではないかと盛り上がりました。
こういう盛り上がりは楽しいですね。
さて、沖縄から帰って程なく、沖縄、鳩間島、サンバ、ジャズ、音楽や、そして人間を愛してくれた畏友、稲見洋さんの訃報が届きました。
小生はサウーヂに入ったころからの30年来の付き合いで、毎年、鳩間島音楽祭にも参加してくれて楽しい思い出がたくさんあります。
武庫之荘にあったご自宅を訪問した時、日当たりの良い部屋でワインを飲みながらジャズやサンバのレコードを二人で聴いて語り合ったことが忘れられません。
最近は体調を崩されていたとのことで、ちょっと心配はしていましたが、残念でなりません。
順番とはいえ、七十前はまだ早いよ。
ご冥福をお祈りいたします。