2008.台風13号の八重山・沖縄
皆様、今晩は。
9月22日に秋の沖縄・八重山ツアー約二週間の旅から帰ってきました。
今回は、出発する前の懸念的中。台風13号によってかき回されました。
那覇、「サクレ」は美可さんのボーカルを大きくフューチアして、とてもジャジーな演奏が出来ました。
彼女のボーカルは声、雰囲気、ノリとても素晴らしい。
三回目の共演になりますが、より息が合ってきて、近いところにいればレギュラーでやりたい感じです。
そして、翌11日は、おなじみの南城市は玉城、「玉々庵」へ。
この頃から台風を感じさせるおかしな風が吹き始めます。
ライブは、こじんまりした中にも新しいお客様もいらっしゃって、地元ミュージッシャン代表、T.I.さんがセッションで大活躍。
主さんのOさんもベースや三味線で参戦します。
さて、翌日からが問題。
12日、13日が八重山を台風13号が直撃ということで、しかもジョギング並みのスピード。
石垣行きの便は全便欠航です。
沖縄は、時々風雨があるものの静かな天気です。
こうなったらどうしようもないので、翌日もライブ。
連日来てくださった方、ありがとうございました。
結局、飛行機が飛ぶ14日までOさん方にお世話になりました。
Oさん、Cさん、Nさん本当にありがとうございました。
おかげで、ゆっくり読書したり(玉々庵には沖縄関連の図書が豊富にあるのです。)、玉城近辺を散策したりすることが出来ました。
城(ぐしく)跡
結局、13日に予定していた、石垣「パパビゴーヂ」のライブは中止です。
もっともこの日、石垣は出歩ける状況ではなくお店も休業したということでした。
残念。
ようやく14日は飛べるということで、那覇空港へ行ったら出発ロビーは大混雑。
台風のせいかなと思ったら、ANAのコンピューターシステムがダウンして、手書きで手続をしているため入場制限をしているとのことで、ダイヤはめちゃくちゃ。
乗るまでに数時間も待たされます。
ところが乗った飛行機はがらがら。
石垣空港は、強風のためにいつもとは逆の方向から着陸します。
着いたところで、何時もお世話になっているT校長先生から夕方、大川のS.H.さんのところへ来なさいと電話。
お馴染みの野底の唄者M.H.さんもよい加減でご機嫌で。
どうも歓迎会だったようです。
S.H.さんお得意の烏賊料理を堪能しました。
明日は船は走らんだろうねとの予測。
とばらーま大会が台風のために明日15日に延期されたので、それだけでも見ようかという気になっていました。
翌朝は、強風ですが南風。
朝、鳩間のK.U.さん(安栄の代理店もやっています。)から、1便が走るとの電話が。
迷いましたが、ATUXIは初めてのことでもあるし、とばらーま大会(結局市民会館開催でした。)を見たいということで、小生一人で先に鳩間へ渡ります。
買い物をしている時間はあまりないので、とりあえず米、キャベツ、ナーベラーだけを背負っていきます。
渡った日は、南風の強風で海沿いの家は窓を開けることも出来ませんでした。
翌日からは天気が回復してようやく鳩間島らしい天気になってきました。
朝、米盛さんと民宿Mのおやじさん、K.T.さんが何故か北海道から直送されてきた秋刀魚の刺身を肴に飲んでいます。
小生にも声がかかり、昨日は敬老会をやってその後音楽会をやったのだが、あんたは来なかった。
せっかく島に来ているんだから音楽会をやろうではないか、ちょうど島の片付けの手伝いに学生も来ていることだから、今晩公民館でやろう、俺が段取りをつけるからと音楽会開催即決です。
実に鳩間らしい決まり方。
1便でATUXIが石垣から渡ってきました。
天候はよいのですがひどく船が揺れたということでかなりへばっています。
今宵の音楽会は、公民館主催の交流会という名目でお客さんも数十名とかなりの賑わい。
我々の演奏と、ちょうど島に来ていたオーストラリアの原住民、アボリジンの民族楽器、ディジュリル(長い筒を地面に据えて長い音を息継ぎせずに噴出す楽器です。)との即興演奏、三味線の達者な観光客
の方の演奏、そしておなじみ加治工バンドの演奏と、楽しいコンサートになりました。
ディジュリル
交流会の加治工バンド
聴衆の皆さん
やっぱり最後は鳩間の港
今回は、滞在期間も短いので食料を予め送るということはしないで、石垣で調達したものと浦崎商店にあるものでしのごうと思っていました。
例えば着いた日の昼食はキャベツと魚肉ソーセージの炒め物にキャベツの味噌汁。夜は魚肉ソーセージと玉葱を使った焼き飯とキャベツの味噌汁。
翌朝は魚肉ソーセージと玉葱を具材にしたソーミンチャンプルーとナーベラーの味噌汁とか、似たようなものですがなかなか美味しく食べれます。
玉葱とじゃがいもは売っているし、たんぱく質系は魚肉ソーセージとポークを売っているし、スパゲッティやら何やらあるし、台風で畑の野菜は使えませんでしたが、あまり不自由に感じませんでした。
そして何よりも、米盛さんをはじめ色々と差し入れがあり、これがご馳走。
刺身、てんぷら、豆腐、焼き魚等々
昨年のように十五夜の月を拝むことは出来ませんでしたが、やっぱり鳩間は楽しいです。
北の海は荒れていてもぐることは出来ませんでしたが、野生の山羊の群れと遭遇。
ボスは大層立派な角を持っているオスで、さすがに迫力がありました。
翌日は朝から晴れて暑くなりました。
午後から学校の特別授業をやることになっています。
校庭
昨晩、教頭先生を初め音楽の先生らと、どのような授業を行なうかを議論して、ブラジル音楽、民族楽器ディジュリルとの即興演奏、そして身近にあるものを楽器にしてみようという体験型授業を企画しました。
講師
ディジュリルは吹く楽器なので、塩ビパイプのような筒型のものなら同じような吹き方で音が出せます。
打楽器としては、筒、例えばトイレットペーパーの芯やラップの芯を使ったガンザとか、叩きものは、ゴミ箱、やかん、じょうろ、洗面器等々。
演奏しながら、世界地図を使って音楽の出所の説明をしながら楽器体験に進みます。
始めは恥ずかしがっていた子供達も、段々乗ってきて興味津々、最後は奪い合うように楽器に触り始めました。
そして、今授業でやっている「島人の宝」を皆で合唱します。
何だか5月のときよりも子供達はいっそう元気に、人懐っこくなっているように感じました。
我々のことを覚えていてくれて積極的に話しかけてきてくれます。
夕方からは、5月にも教えたY.H.君のギターの個人レッスン。
レッスン前に、島に来ている学生達のコーチによる陸上のクラブ活動(生徒全員参加です。)を見ていたのですが、みんな頑張る、頑張る。1000m走を何本もやったり、短距離走も全力で。
見学している小生の後ろで低学年のちびちゃんたちと女の先生がきゃっきゃやっていたりしますが、全ての子供達に皆の暖かい視線が向けられているのがよく分かります。
Y.H.君は長距離走の後、着替える時間も惜しんでそのまま音楽室でレッスンです。
5月に教えて以来、毎日熱心にギターを弾いているそうで、今回のレッスンもとても楽しみにしていてくれたそうで、日が落ちるまで1時間強、アルペジオを中心として、昼間皆で演奏した「島人の宝」を素材にレッスンを進めました。
鳩間小中校は現在、生徒数9名。そのうちY.H.君を含む4名は中三なので来年卒業して島を出て行きます。また中学に進学する1名も沖縄の学校に進学するということで来年度は生徒数が4名になってしまいます。
入学したいとの引き合いは結構あるらしいのですが、里親のなり手があまりなくなってきているとの問題があります。
里親を始めた人達が高齢になってきて、受け入れが難しいという問題があります。
山村留学センターのような機関があればなぁとは思います。
Y.H.君も来年は沖縄の高校に進学したいということで、将来はサッカーかギターをやりたいとのこと。
頑張れよ。ちばりよー(沖縄の方言で)。
夜は、教頭先生をはじめ先生方と打ち上げの酒をいただきました。
米盛家差し入れのご馳走が大変ありがたい。
北の海が荒れているので、対照的に全く静かな学校の外側の遊歩道の端から南の海へ入ってみましたが、以外に面白いことを発見しました。
北のように緊張することや痛い思いをすることは全く無く、300mほども泳げば、珊瑚もきれいで、魚も、北ほどではないにせよ色々と現れます。
この日は好天でしたが、北西の風が強く、上原航路は欠航でした。
翌日は、鳩間から石垣に渡ります。
鳩間は特に予定はないのですが、突然のイベントが入ったり、飲み会があったり何時も何だか忙しいのです。
時間があるから練習しようぜと、渡る前はATUXIと言っているのですが、行ってしまうと練習するような景色じゃなくなるんですね。
子供達が元気なこともよかったし、やっぱりここはいい。
一切の無駄を削ぎ落とした生活がおくれることと、情報ではなく、人と向き合った生活ができるということが魅力なのかな。
ここで、一つ報告を。
来年2月を目標に、鳩間島としての芸能公演を東京、大阪で開催することを企画中とのこと。
1000人規模のホールで、収益は島興しのための基金にしたいということで、着々と準備を進めています。
具体的な話になりましたら、皆様ご協力よろしくお願いいいたします。
とりあえず、第一話はここまでで。
ではでは