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2008年11月 アーカイブ

2008年11月09日

八重山・鳩間島との出会い・第三回

皆様、今晩は。

思い出してみると、今まで小生と、沖縄、八重山、鳩間島との関わり合い始めについて二回書いていました。
その後、リアルタイムでツアーのことなどを書いていたので関わり合いの第三回というのはもう一年以上も失念していました。
何だか物忘れも頻繁なので今一度確認の意味で思い出しておこうかなという気持ちです。

読み返してみると、第二回は、来年の鳩間島音楽祭(当時は春だけでした。)には来いよと鳩間人(はとまんちゅなどと言っていたりします。)に言われて島を離れたところまででした。

来いと言われて行くのはやぶさかではないのですが、果たして伝統芸能の島の音楽祭にブラジル音楽を演奏しに行っていいものかどうか悩みましたね。
勢いで演奏したのはプライベートな場ですが、音楽祭となると公的なもの。
親しい友人となった鳩間の商店の店主、K.U.さんにそのような悩みを相談しました。

彼は、音楽祭の内容を仕切るプロデューサーのような立場の人ですし、音楽的な視野も広い。
この音楽祭を民謡オンリーの八重山離島のありがちなそれではなく、色々なジャンルの音楽が楽しめる音楽祭にしたい、それを島の音楽祭の個性にしたいと主張します。
だから、何の問題もないと。好きなように演奏して欲しいと。
ま、そう言ってくれるのであればと、翌年はいつも一緒に演奏している、ITAeKAZUのボーカル、KAZUとデュオで参加することになりました。
もう7年くらい前でしょうか。

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その頃には、島の人達とある程度人間関係が出来つつあり、島外からのお客さん達よりはむしろ島の人達が我々の演奏を楽しんでくれたような印象があります。
島外の観光客は伝統芸能の音楽祭を期待しているんでしょうね。
島人(しまんちゅ)は音楽好きで、普段聴いている民謡とは別のジャンルの音楽をとても楽しんでくれている印象でした。

そしてこの年、決定的な出会いがあるのです。
K.U.さんの本家の長男Y.U.さん、そして四男のピアニスト,ターキーとの出会いです。
U家は元々鳩間島の古い家系ですが、事情があって島を離れていたところ、この一、二年で長男を始めとして島に戻って来ました。

Y.U.さんとはそれから親戚のような付き合いになり、彼の表現によれば、家人数(やーにんじゅ)、つまりお前は家族だと。
何故、やーにんじゅなのに家に来ないで民宿に泊るか、とありがたいお言葉をいただき、以後数年間、Y.U.さんのお宅に寄宿生活をすることになります。

四男のピアニスト,ターキーは、当時は那覇の松山(結構お金のかかる飲み屋街です。)のクラブの専属ピアニストで、偶々音楽祭で来島しておりました。
会った瞬間から、こ奴は仲間だ、とお互いに思ったんでしょうね、子供の頃からの友達のような感覚になりました。

長男Y.U.さんは、末の弟、ターキーより約20歳年上です。
ターキーは生まれてまもなく両親を亡くしていますので、Y.U.さんは兄弟とはいえ、殆ど父親のような存在です。

Y.U.さんは島始まって以来の秀才で、琉大を出て島に戻ってくるまで教員生活をしていました。
書家としても有名で、教養も高く、島きってのインテリとして島人から尊敬されている存在です。当時は彼が、公民館長でかつ音楽祭実行委員長でした。
何となく小生とはうまが合うようでした。
一緒にいて何も喋らなくても気を使わずに暮らせるといったところかな。
二人で海を見ながら何時間でも無言でいられることの居心地の良さというのでしょうか。
そしてターキーは、幼少の頃から何かと不便な中、ピアノを覚え、・・・・ピアノがあったのかな・・・プロのピアニストとして活動しています。

KAZUは、某雑誌でターキーを「洋上のピアニスト」と名付けました。
実はターキーは小生より二歳年上なのですが(そのくらいの開きしかないのですが)、長年のクラブ勤めのお蔭なのでしょうか、古い昭和歌謡が即座に弾けるのです。しかも、any key OK。
戦前のものもです。
このピアノスタイルが、往年のキャバレースタイルというのでしょうか、ものすごく郷愁をかきたてるスタイルで、今はこんなスタイルで弾く人は少ないんじゃあないかな。
古いという意味ではなく、日本人の心を直接にくすぐるスタイルなのです。
この長兄Y.U.さん、三男K.U.さん、四男ターキー、そしてハワイから戻ってきた長女のK..さん達とは今でも親戚付き合いをさせていただいています。
ターキーのピアノに合わせて皆で合唱するのですが、即興でハーモニーが付いてしまう音楽性の高さには驚かされました。

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島、というよりは、沖縄では唄うことが当たり前です。
三線だけを弾いていてはいけません。
唄と一体になっていなくてはなりません。
そして、踊りもね。

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この頃から、唄うことの大事さを徐々に感じていきました。
島には飲み屋さんはありませんので、毎晩酒を持って誰かの家を訪問。
当たり前に三線の伴奏で唄が始まります。

この唄の世界から、石垣島に戻って民謡酒場に行ったら、あまりの音の違いに愕然。
あれほど好きだった民謡酒場なのに。
営業の音しか聞こえてきませんでした。
以後、民謡酒場からは足が遠のくようになりました。

島の連中は、民謡もさることながら、童謡・唱歌が大好き。
これを大声で唄うことは本当に気持ちよい。
何故か三線は童謡・唱歌の伴奏に合うのです。

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それにしても、島人達は皆唄が上手い。
声(キー)も高いような気がします。
海人の声なのでしょうか。

以後、Y.U.さんのお宅での自炊寄宿生活が始まります。

如何に少ない食材で料理を作るか、とは言え、これは本土的に考えて、お金で買えるものが少ないということで、畑に行けばある程度の青物はあるし、パパイヤとか長命草とかふーちばーとかなーべらーとかゴーヤーとか、島の食材はあるわけですから、地の物で料理を作っていくことを見よう見まねで覚えます。

そして、何と言っても、海という食材の宝庫があるわけです。
魚類は、ゆいまーるの精神で、収穫して物を皆で分け合います。
先ほどまで泳いでいた、かつおやらまぐろやらのこぎり鯛やシチュー(てんじくいさきの方言です。)や蛸やくぶしみ(巨大な烏賊)、みーばい等々。
本土(沖縄でもですね。)で買おうものなら大変な値段の魚たちを収穫して皆で分け合います。
不味い筈がありません。
これを如何に無駄なく食するか、徹底しています。
まずは、新しいところを刺身。
絶品!!!
刺身にならないような小物は、マース煮(マースは塩、塩の煮付けです。)。
そして、刺身で残った部分は魚汁として炊いてしまいます。
これで殆ど跡形も残らない。
食べ切れなかった頭の部分等は、やしがにの餌として使ったりします。

食は生きていくことの基本ですから、如何に無駄を出さないか徹底的に学びました。
少ない食材でも美味しく食べれるということを達成したときの幸福感かな。

小生、自宅でも、野菜はスーパー等では買わずに地元の農家の直売で仕入れています。
住んでいる土地によって色々な状況があることは分かりますが、日本の食糧事情を考えると、足りる範囲での自給は大事なことではないかと思います。

そんなこんなで、島の生活を勉強させていただき、お蔭である程度の島の自炊寄宿生活が出来るようになりました。
そして、音楽祭出演も回を重ねるうちに色々な人達との素晴らしい出会いが始まりました。
ということで、第四回に続くということにいたしましょう。
ではでは

2008年11月28日

最近はまっていること

皆様 こんばんわ。
すっかり寒くなってきて、寒さが苦手な小生にはつらい季節です。

久し振りの筆者近影
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さて、最近ちょっとはまっているのが、パラグァイの作曲家、バリオス・マンゴレ(AGUSTIN BARRIOS MANGORE)(1885~1944)の作品です。

スペイン人とインディオの混血として生まれ、天才ギタリスト・楽聖と呼ばれたこの大ギター奏者、作曲家の作品は単なるクラシックギターの作品としてのもの以上の、南米、インディオ、ヨーロッパ、新ロマン主義が渾然とした美しさと格調の高さを有しているような気がします。

ギターテクニック的にはかなり難しい部類に入ると思います。
セゴビアやビラ・ロボスにも影響を与えたそうで。

きっかけは、ハファエル・ハベイロの映像の中に、素晴らしい速度で美しいクラシックの作品を弾くものがあって、どこかで聴いたメロディだなとそのときは思ったのですが、ある日、一度はチャレンジしてみようと思っていた曲だと思い出したのです。
それが、バリオス・マンゴレのLa Catedral(大聖堂)という曲で、チャレンジしてみようと思ったということは、家に楽譜がある筈で、案の定ありました。
かなり前に手に入れたものですが、難しくてなかなか手が出せなかった。

このようなものです。
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最初の曲からなかなかに難しいのですが、このLa Catedralという曲は一番最後に掲載されている曲で、三つの楽章からなっていてA4版6ページになります
一楽章からそれぞれ、Lento、 Andante、 Allegroとなっていて、ハファエルは第三楽章Allegroを快調に弾いていたのですね。

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普段使っているようなハーモニーも出てきますが、まず使ったことの無いバロック調のコードや高速アルペジオ、12フレットより上のポジションが頻出、右手も左手も大変です。
特に大変だなあと思ったのが、
1. ハイポジションで開放弦を利用するため、弦の高低が調弦どおりでなくなることが多発するので、アルペジオに気を使うこと。例えば4弦から1弦の順に低い→高い、ということではなくなるわけです。
2. 6本の弦のうちまとまった4音のコードではなく、例えば6弦4弦2弦1弦と正確にコード弾きをしなければいけないこと。通常は、5・4・3・2弦と隣接した弦でコード弾きをしますからね。
3. 譜面を読む暇が無いので、暗譜しなければいけないこと。これは暗譜というよりは指が覚えてしまうことです。
4. ものすごくきつい握り方が偶に出てくること
5. 右手の動きが極めて複雑なこと

こんなところでしょうか。

あと、曲によっては6弦をD、5弦をGにチューニングしたりします。
6弦Dというのは普段でもやることはありますが、5弦Gも同時にというのはあまりやりません。
指がなじむまで大変です。
クラシックギタリストの方々は日常なんでしょうが。
ハイポジションと左手のきつい握り方は、クラシックギタリストが何故あのような大股開きスタイルで演奏しなければならないか、よく分からせてくれます。
こちとら、如何にすれば楽に弾けるか常日頃考えている身なので、こういうものは勉強になります。
ただ、編者のヘスス・ベニーテス氏の譜面には運指が細かく記載されているので、自分的になりそうなところをその運指にしたがって弾くと、かなり合理的な運指になっていて、目=鱗ということが頻繁です。
ハイポジションというのは、普段使っているカッタウェイ(ネックの高音部の下半分がえぐれていて、高いポジションが押さえ易くなっている楽器です。)だと当然のことながら楽なのですが、ここは敢えて通常の12フレットまでのクラシックギターにこだわるのが筋ではないかと思い練習しているのですが、結構きついです。

そうこうしているうちに、段々慣れてくるもので、ある日譜面とギターがなじみ始めていることに気付きました。
曲がいいから、何回練習しても飽きないのでしつこく練習しているうちに指がなじんでくるのでしょう。
ま、いつかは暗譜で弾けるようになることを目標にしつこく練習するまでです。

この作品集は、23曲入っていて、第一集。
第四集まで出版されているようなので、探してみよう。

しかし、マンゴレ氏は、ギターの音をより甘く豊かにするために、通常より半音低くチューニングしていたというエピソードにはびっくり。
Cの曲を弾くと出てくる音はBなんですね。
合奏するためには、トランペットやサックスのようなキー変換が必要ですね。
でもそれだとせっかくチューニングを下げた意味がなくなってしまうから、ギターを何本も用意しないといけないなどと考えていると興味が尽きません。
ではでは

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