皆様こんばんは。
その2、第12回鳩間島音楽祭を中心とした鳩間島の日々です。
4月30日(木)
昨日は酒を一滴も飲まなくて正解でした。
すこぶる体調が良い。
STELLAで教えてもらった朝粥定食を食べて、鳩間島へ渡ります。
今年高速船用の浮桟橋が竣工して、今までとは違って船の横から降りられるようになりました。
鳩間港も随分立派になったものです。
立派な浮桟橋と待合室
いつもの横断幕
民宿のご主人、米盛さんをはじめ、島の皆さんと再会を喜びあいます。
今日は、小生とATUXIの二人だけ。
明日からは人数が増えて賑やかになってくるので、つかの間の静寂。
鳩間も例年と比べて涼しくて過ごしやすい感じです。
今日からの鳩間島の生活は自炊生活です。
米、味噌、メン、調味料の類は予め送ってあり、生鮮食料品は石垣で買ってくるのですが、この時期は人数も多いし、その都度差し入れやら買い足しもきくので楽ではあります。
それにも増して嬉しいのは、米盛さんからの新鮮で美味しい料理の差し入れや島の友人達からの誠に新鮮な魚の差し入れとか、とにかく色々とあって、市街地にいるより食は豊かで新鮮です。
ここにいると、一軒だけの商店から必要最小限のものしか買わず、労働力や作りすぎた食材やらと交換したりするので、金銭を使うということから段々離れていくのです。
石垣に戻ると、お金を出して刺身やてんぷらを食べる気がしなくなってる。
さて、米盛さん方は喪中ということもあって、母屋で放歌高吟は出来ません。昨年大受けだったおじいとの共演も今年は自粛ということで、今年は勝手が違うのかなあと思っていたら、民宿の前の庭(食卓です。)では構わないからどんどん音を出しなさい、と。おじいご本人も毎晩お付き合いいただきました。ありがたいことです。
今夜は、明日の小中校の授業の打合せと称する飲み会が、校長を始め教職員殆どが来訪して行われました。
今年5名がめでたく卒業し、現在は小学校2名、中学校2名の生徒計4名、教職員8名の全部で12名の学校です。
毎年音楽祭には、全員で演奏するので、この時期は演奏の指導と我々の演奏の披露を兼ねて一時限を受け持ちます。
今年は、校歌と島人ぬ宝(これは去年もやって慣れています。)と新たな試みとして、リコーダー合奏があるということで、中学、高校とリコーダーを専門的にやっていたATUXIの目が輝きます。
明日の授業が楽しみです。
奥様から差し入れてもらったパパイアと貝の酢の物、お刺身、うまかったなあ。
5月1日(金)
ずーっと天気は良いですね。
今日も晴れ。
今日から、友人達が徐々に増えてきます。
昨日、同宿で一緒に飲んだ広島のKさんは、宿が取れないので、一旦西表へ渡り、音楽祭当日はまた来るとのこと。
船から降りてくる人も増えてきます。
なにしろ、ここ「瑠璃」は、入島する人は全員この前を通る場所。
出入りが全部チェックできます。
明かりが灯ってからのここの庭は外からはオープンな飲み屋さんに見えるんじゃないかな。
さて、今日は午後一で学校の特別授業。
子供達も我々のことを良く覚えていてくれて、再会を喜び合います。
校歌や島人ぬ宝は元気があってよいとして、特に去年一年生だったSちゃんはより声も大きくでるようになり、楽器もトライアングルから鉄琴に進歩して(音数が多いですから。)みんなを引っ張っていきます。
問題のリコーダーについては、ATUXIが普段の練習方法を含めて、細かい指導をしていきます。
曲は「Country Road」なのですが、譜面をもらったときから?????満載。
ピアノアレンジに原曲のノリはないし、無意味な代理コード満載で、最後の講評でのやりとりから、アレンジを変えてしまおうということになり、リズム重視の原曲を尊重したアレンジに変えてしまいました。結果的にはこれが良かったと思います。本番でお客さんの手拍子ももらえたし。
一般に、学校教材には、現場からすれば?????満載のアレンジが結構あるようで、あれじゃあ演奏していて楽しくないだろうなと二人で首をひねることしきりでした。
結局、次の時限の本番リハーサルまで連続して授業を行ないました。
内容も結構濃かったし、子供達もとても元気。教職員達との関係もとてもよさそうでした。
校長先生は、昨年秋にお会いしたときは色白で真面目そうな方という印象でしたが、今では真っ黒に日焼けしてよく笑う、すっかり島人になっていました。お酒も随分と飲めるようになったらしいです。
今夜も飲み会です。
「あんた、お名前は?」「ゆーいちです」「そーか、飲め」「で、あんたお名前は?」「ゆーいちです」「そーか、飲め」「で、・・」・・・・・・と去年もあった永遠に続くループのようなやりとりは、ひょっとしたらおじいが楽しんでいるんじゃないかしら。
Yakutomさんはとーまさんでイタリア人になりました。当間さんって沖縄にある名前じゃないかな。
おなじみ童謡、唱歌を中心に静かな夜です。
こういうのも実にいいもんで。
5月2日(土)
今日も晴れ。
今日は、石垣からサンバチーム20数名やってきて瑠璃と隣のくしけー家に分宿することになっており、瑠璃も15名ほど収容し、家族連れは母屋にも宿泊と大変な混雑が予想されます。
しかし、そこはさすが地元、子供達が帰省していた米盛家孫と同級生だったりして田舎に帰省してきた様な雰囲気に。子供らはすぐ仲良くなって釣りだとか何だか遊びまわっています。
食材もおにぎりを二升、おかず山ほど、ワイン6リッターにおつまみセットに何やかやで足りそうだし、後は寝るところですね。
六畳二間と台所(荷物置き場になっている)に15名ほど寝るというのは、はじめは立って寝るのかと言われました。ま、何とかなるものです。
賑やかな食卓
寛ぐ
この日は前夜祭ですが、やらなければならない重要なことは、本番のリハーサル、この日以外合わせられないのです。
午後、炎天下の西の浜へ全員集合してリハーサル。
石垣チームのこの日まで毎週練習してきた頑張りとヂレトールのKanさん(ゆーいち)の適切な棒振りもあって、スムーズに進みました。
西浜での練習ー暑い
夕食まで、皆三々五々好きなことをやって過ごします。
ここで、STELLAの母娘のハワイアンデュオ、エプロンシスターズのハーモニーの美しさにうっとりし、すかさず前夜祭のエントリーを決めました。
我が方からはTERUちゃんのベリーダンスとエプロンシスターズの二組のエントリーです。
小生は今日は演奏しないので飲み、OK。
エプロンシスターズ
ベリーダンス
前夜祭での二組ともとても良かったです。
特にベリーダンスは夜のライトに映えますね。
妖艶な動きは男共の視線釘付け。
エプロンシスターズも来年は衣装を持参しようねとのこと。
もっとも、エプロンだけらしいのですが。
一つだけ残念だったのは、洋上のピアニスト、ターキーが事情があって不在なこと。
前夜祭、音楽祭、後夜祭を通してあのピアノが聴けないのはちと寂しい。
もっとも、5月5日は伊原間で待ってるよーと言い残して石垣へ渡っていったので、あちらでの再会を期待しましょう。
誰も外にあぶれることなく無事に寝床に着けたようでした。
5月3日(日)
今日は特に良い天気。
今までの北東の風が南風に変わっています。
こりゃ今日は暑くなるな。
朝から続々到着する船で、沢山のお客さんがやってきています。
米盛家でも、親戚の家族が庭でアーサーのてんぷらやハンバーグ丼やら何やかやを売り始めました。
子供の営業力がすごいのだ。
さて、音楽祭に先立って、宮良長包「鳩間節」歌碑の除幕式が行なわれました。
これは、2月に行なった大阪、東京公演の成果の一部に基づくもので、西表を背景に立派な碑が出来ました。
そして、いよいよ学校の演奏です。
生徒は全然緊張していないようで、先生方の方が緊張しているようでした。
特に最年少、Sちゃんの声が大きくてとても良かった。
昨日アレンジしなおした「Country Road」も直して正解。
お客様の手拍子も入りやすかった。
学校の仲良くやっている雰囲気がお客様に伝わる心暖まる演奏でした。
上手い下手は関係なし、気持ちが十分に伝われば。
リコーダー合奏
島人ぬ宝
さて、古謡に続いて開催宣言、実行委員長挨拶の後は一番手、いきなり我々の出番です。
今年は、「イタ・スズ・サンバチーム」と紹介されます。
今回、常連のボーカル、KAZUが出演できないとのことで、内容について色々と考えたのですが、石垣サンバチーム(RIO GRANDEと命名。パパビゴーヂの所在が字大川だから。)の出演とスルドが初上陸ということで、踊らせるサンバに絞って組み立ててみました。
ボーカルはとても花がある千草ちゃん。
そして腕に覚えがあるゆーいちとATUXIです。
バテリアの人数がいるので、エンヘードっぽくまとめてみました。
とにかくお客様を乗せる、盛り上げる、後に続く演奏でも立ちやすくするというつもりでやりました。
初めは小生とATUXI二人から始まって、徐々にバテリアが入ってくるという形、ギターのP.A.に少少難があったものの、そんなことはよくあることですからどんどん行きます。
乗せどころからのお客様の反応は早かったですね。まるで待っていたかのように前の方からどんどん立ち上がって踊ってくれました。
こちらは汗だくの演奏でしたが、お客様が楽しんでいただいているという気持ちが伝わってくるようなステージでとても楽しかった。
どうもお客さまも待っていたようですね。
今までで一番お客様の反応が良かったんじゃないかな。
石垣チームも楽しんでくれたようでした。
このパフォーマンスは彼ら抜きには考えられないもので、感謝です。
この楽しさに味を占めてどんどん活動を活発にしていって欲しいです。
鳩間島音楽祭のサンバを近隣地元石垣島のサンバチームが中心となって出来るようになっていって欲しいと思うのです。
また、即席合同バテリアを上手くまとめ上げたゆーいちの手腕も特筆すべきものでしょう。
炎天下の全力疾走で皆完全燃焼。
お疲れ様でした。
後は港での見送りまでそれぞれの楽しみ方で音楽祭を堪能しました。
おなじみ、わったー(我が)ちょーでーぐゎーバンド、久葉ぬ子ーズ
ターキーはいないけれど、数年前に病に倒れ、病床にあった「鳩間の豊年祭」(今では鳩間の港と並んで島の定番ナンバーになっています。)の作者、タカ坊が復帰して久葉ぬ子ーズのステージに立て、再会できたということも嬉しかった。
今年は、出演者のキャンセルもあったりして、比較的出演者が少なかったように思えます。したがって、持ち時間が長かった。
帰りの船も4時には港に着いていて、いつもは5時なんですが、早い方の船は見送りの「鳩間の港」が間に合わなかったりして、桟橋が新しくなって出入りがスムーズになった影響なのでしょうか。見送りはちょっと物足りなかったですね。
見送り
石垣チームの何名かは余韻を味わいたく、予定を変更してもう一泊。
この余韻が実にいいんですよ。
見送りが終わると急に風が北東に変わって肌寒くなってきました。
私的には、もっとジャンルが増えればいいなと思います。
例えば、最初に本格的なジャズバンドを持ってくるとか。
全体的には好天に恵まれて良い音楽祭だったと思います。
お客様も楽しそうでした。
後夜祭まで、のんびり過ごします。
米盛家、庭では売れ残ったアーサーてんぷら(それでも相当売れた。)をあてに打ち上げやらが始まって。
後夜祭は、雨が降ってきたので公民館で開催。
我が方からは、TERUちゃんのベリーダンス、Hさんのとても渋い選曲の歌唱、Aさんのジャズボーカルと多芸なところを見せます。
Hさんのボーカル
Aさんのボーカル
今日は、夜遅くまで騒いでいてもいい雰囲気ですから、あっち行ったりこっち行ったりして交流しながら力尽きるまで飲みました。
5月4日(月)
昨日の夜はちょっと雨が降りましたが、今日はまたまた良い天気。
朝8時から音楽祭会場の後片付け。
小生は一応サンバ一門の代表として参加。
筋トレを継続しているせいか、材木運びが楽に感じられます。
ただ、ステージ前のサバニの人手による運搬は結構きつかった。
あれって結構重いんです。
昔は、あれを担いで石垣の伊原間(陸地が一番狭くなっているところ)を東の海から西の海に抜けたんでしょうか。
昔の人の苦労が偲ばれる。
公民館倉庫も掃除して終了。
終了後は公民館前でぶがりなおし(打ち上げ)。
あては、大量の焼きそば(沖縄では、焼きそばと言えば沖縄そばを使ったもので、これが実に美味いし、出汁がなくてもすぐに調理できる優れものです。)と本日獲れた大量のかつおの刺身。
傍から見ると朝から飲んでいるように見えますが、このようにちゃんと理由があって飲んでいるのであって、何て酒ばかり飲んでいるやつらだと思われると心外なのであります・・・・・・・そうでもないか。
ま、色々と飲まねばならない機会はあるわけで、島の人達にとっては、こんなにみんなが来て下さる機会に、一緒に飲まないのはとてももったいない、きれいな海は年中あるけれどみんな集まる機会はそうそうない、飲みましょうねとなるんでしょう。
全部付き合っていたら、ひっくり返ってしまうので、そこはうまくやります。
このあたりの加減を習得するまでに随分時間がかかりましたね。
昼間、米盛さんと建次さんと付き合ってから、北の海へ散歩。
時間はゆったりと流れています。
今夜は最後の夜だから、前でどんどん鳴らしなさいとのおじいのありがたいお言葉。
でも10時までにしましょうね。
5月6日のパパビゴーヂのテーブルパゴーヂを意識しつつ、恒例となった瑠璃の食卓パゴーヂ。
この空間で音を出すのは何時も思うのですが、本当に最高。
雰囲気もあるけれど、自然で優しい音がするのです。風も心地よい。
千草ちゃんの芭蕉布に何を思うか、勝おじいの目に涙。
今夜も静かになった優しい鳩間の夜は更けていきました。
夕暮
今年も色々な方々にお世話になりました。
特に、いつも素泊まりとは思えないほど色々なお料理を差し入れてくださる奥様静江さん、何時も感謝しております。
そして飲んだり唄ったり議論したり、何時も刺激を与えてくださる島人の皆さんありがとうございます。
そして、石垣サンバチーム、Rio Grande!!
今年のパフォーマンスが出来たのはあなた達のおかげです。
来年もさらにグレードアップして楽しみましょう。
明日は石垣へ移動です。
のんびり