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2011年03月 アーカイブ

2011年03月16日

3月11日

皆様、こんにちは

3月12日と3月13日のライブは中止になりました。
申し訳ありませんが、11日の大震災の影響です。
止むを得ません。

11日の金曜日の午後、ここを境に我々を取り巻く状況は変わってしまいました。

その日は、ライブの狭間で自宅(千葉県内)にいたのですが、揺れが来た瞬間は偶然にも自室で休憩中、軽い読書をしておりました。
徐々に横揺れが強くなり、建物(RC造)の揺れる音が強くなり、棚やら何やら上に積み上がっている物が倒れてくる、あるいは倒れない物は載っている物が放り出されてくる、まったく無秩序に部屋の中がかき回されているような状態でした。
そのときは倒れそうなものを押さえていたわけですが、今考えると怖いですね。
ついに来たかという印象がありました。
音と揺れで冷静に対処することはなかなかできないですね。
主に、書籍、CD、いまやほとんど使わなくなったカセットやMDやVHSテープやらで部屋の中は埋まってしまいました。
また、台所では備えが甘かった食器棚から食器が飛び出して割れるもの多数、ガラスの破片が飛散してとても危険な状態に。
たまたまその日は、子供が定期試験中ということで早くに帰宅していたので、揺れが収まったところで無事なことを確認、幸いにして火は使っていません。
まずは足元を確保するためにスリッパを履いて避難路を確認。ドアが開くことを確認。
そこへまた第二波のかなり強い揺れ、以後しばらくは強い余震が続きました。

TVでかなりの地震であることを知ります。

そのときになって、眼鏡をかけていないことに気づきました。
落下物の山の中のどこかに埋もれてしまったのか。
果たしてケースに入っていたのかどうか、無事なのか気になりました。
仕方なく既に使わなくなり、しまってあった眼鏡を使って片付け始めたら、運よく一つはゴミ箱の中から無傷で、もう一つは落下物の山の中から見つかったのですが、これは以前に誤って7階から下に落としたことがあって、それでも無事だったこともあるもので、さすがに無事。一安心。
眼鏡は必ずケースに入れて手元に置かないといけないなあとあらためて思いました。

また、続いている余震に際しても携帯電話の緊急地震速報は役に立っています。
少なくとも、精神的、物理的に備える若干の時間があります。

電気はつくし、水も出る、トイレは若干の水漏れはあるが損傷は無く、安全に留意して片付ければ何とかすみそうなので、子供と二人でとにかく端から片付けにかかりました。

しばらくしてTV画面を見て戦慄が走りました。
あのような光景を見たことは無かったので。
石垣島に、明和の大津波で陸地に打ち上げられた大岩というものがあったように記憶しているのですが、どうしてそのようなことになったか初めて分かりました。

どうやら遠くから火の手が上がり、煙も出ているようですが直接には影響はなさそうです。
しかし相変わらず余震は続いています。
片付けていて思ったのは、まずは親子とも無事だったことが良かったということと、楽器が偶然にもケースに入っていたことが幸いしたということです。もし何台も出しっ放しだったら無傷では済みませんね。
このときは練習用の楽器が一本出ていたのですが、いつもはもう一本くらいは出ています。
とっさの対処は難しい。

奥さんは、都内の会社で無事を確認、交通機関が全て止まっているので無理に帰るのはやめたほうがいいという判断になりました。
帰宅時間帯の出来事であったらこうはいかなかったし、全体的にはもっと混乱していたことでしょう。
ともあれ、夕食を作れるところまで片付けて、冷蔵庫の中で割れてしまった卵で卵料理を作りました。

その後、報道で全体の被害が明らかになってくるにつれ、慄然とするし、尋常でないことが起こりつつあるんだということを認識しました。
宮城県特に仙台方面には友人が多数いますので心配しましたが、これを書いている時点で無事とのことでとりあえずはほっとしました。ただ、犠牲になった方々のことを考えると素直には喜べない気分です。

影響で今週のライブは殆ど中止です。
お客様の安全確保を考えると止むを得ないでしょう。
いまだに余震が続いているし。

計画停電も始まり節電も呼びかけられています。
物資の買いだめに走ったりする傾向からしても、昭和40年代のオイルショックの時代を思い出します。
もっと冷静になって今までの生活を見直す必要があると思います。色々な意味で。


千葉県は死者も出ているという報道で心配してくれたのでしょう、鳩間島から何回か大丈夫かの電話がありました。
八重山・沖縄は津波警報は出ていたものの、殆ど影響は無かったとのことでした。

あの人達は電気やものに頼らない生活は強いだろうな。
来月は何とか元気で彼らの元に行きたいです。

あの日からライブやリハも中止になって、仲間と顔を合わせていません。
早く普通に演奏したいです。

ではでは

2011年03月30日

2011年ボサギ発表会

皆様、こんばんは

久々の筆者近影
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3月11日を境に状況は変わってしまいました。

電力節約、エネルギー節約は当然、余震に対する警戒も、計画停電に対する配慮も、また被災地のことを考えた節度ある消費も当たり前のことでしょう。
しかしながら、予定されていた催しが上記の当然の配慮とはまったく関係なく、不謹慎とかいう極めて曖昧で情緒的で理不尽な理由で「自粛」されてしまうのは、日常を取り戻そうとする精神を挫くものだと思います。
まあ、こんな偉そうなことは考えていないにせよ、あえてこの時期に予定されている恒例「ボサギ道場発表会」をつつがなくとり行うことにしました。
このための恒例の合宿も行われており、準備は万端なところに震災があったわけですが、こんな時だから音楽で平常心を取り戻そうと。
震災の翌々週からライブも復活してはきています。
被災地に想いを馳せつつ、直接に被害を受けていない人達は冷静にならないといけないと思います。
過剰反応や空騒ぎは商業放送だけでたくさんだ。

というわけで今年も大塚エスペート・ブラジルにて開催です。

本番前はおなじみの発声練習
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発表者は5名と決して多くは無いのですが、一人あたり2曲ほどあって聴き応えは充分。
今年で6回目ということなんですが、演ずる曲目を見ると年輪を経たのが感じられます。
マニアックな曲もあるし、ボサノバというよりはサンバ的なレパートリーが増えてきているようです。
そして、後半90分はお楽しみセッションタイム。
ゲストミュージッシャンはもちろんですが、門下生も大活躍。
ジャンルも広い。
一族郎党ご友人の観客は、拍手の入れどころ、歓声の上げ方までリハーサルしてきていて、こうなると、一体となった作品ですね。

盛り上がる客席
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では、恒例、各人の講評を。

D.H.さん
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Corcovadoのソロパートを含めた演奏です。
ソロパートは結構難しいのですが、よくこなしていました。
声の出が昨年までとは異なり格段に良かったですね。

そして盟友M.K.さんとのデュオ。
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これは新しい展開でした。
ハワイの曲を演奏したのですが、お客さんからはもっと聴きたいとの声しきり。
小生も同じく。
こんなふうにジョイントした後に飲む酒は更に美味しいことでしょう。
この路線は期待したいですね。

M.K.さん
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仕事も忙しい中でここまで仕上げてきましたね。
もともとギターは弾ける人なので練習時間が取れれば更に楽しめる演奏ができると思います。
それにしても、二人ともギター、うまくなりましたね。

T.H.さん
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彼女もなかなか練習時間も取れない中、難しい曲を2曲、仕上げてきました。
ギターの上達は前から早かったのですが、特に今年は難しい曲にもかかわらずギターの音がクリアに出ていましたね。
これだけ弾ければ相当応用が利きますよ。
唄も個性が生かされていて楽しく聴けました。
積み重ねの成果が感じられました。

H.K.さん
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なかなか難しい曲2曲。
まず、ギターが格段に上達しました。
前出Hさん、Kさんはもともとある程度は弾ける人達でしたが、彼は数年前はまったくの初心者だったような覚えがあるのですが、ここのところの上達は目覚しいものがあります。
声も良く出ていますね。
多少ピッチが外れても、ギターのリズムに乗ればとてもブラジル的なもの。
今後は、この先の応用の道へ足を踏み出すかどうかですね。
長くて遠い道ですけれどとても楽しい道です。

C.K.さん
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唄の参加です。
ライブもこなしていますし、キャリアからすれば既に貫禄すら出てきています。
お客さんを乗せるのもうまいし。
サンバのみならず、これからも昭和歌謡(一癖ある歌曲ばかりの)路線も充実させましょうね。

ということで皆様お疲れ様でした。
約1時間程で発表ライブ演奏は終了。
まさしく少数精鋭といえるできでした。

インターバルの後は、セッション大会です。
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三線も登場、八重山の風が吹いた。
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大人から子供まで楽しめるとても良い会でした。

今年は、あまり意識することの無かったこんな日常の大切さを特に痛感しました。
音楽は、無くても生きていけるものですが、人間らしく生きていくためには必要なものだと思います。
適切な例ではないかもしれませんが、沖縄の戦後の復興のきっかけのひとつとなったものが、当時の屋嘉収容所内でのカンカラ三線による民謡でした。
なんとか生きていける状況になったときに、音楽が人間としての生活を取り戻す糧となってくれることを信じます。

ではでは

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