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2011年07月 アーカイブ

2011年07月07日

2011年のブタ丸

皆様、今晩は。

去る6月18日と19日、今年も恒例の「サンバと豚の丸焼きの宴」略して「ブタ丸」が開催されました。

しかし今年は3・11の震災があったためにここまでこぎつけるのが大変だったとのことでした。

一つには、この時期にこういうお祭り騒ぎをやっていいのかという点。

しかしこれに関しては、節電等、理由のある自粛ならいざ知らず、理由のない過剰自粛は人々から覇気を奪い、生活意欲を減退させる等の世論が大半を占めてきたこと、またブタ丸開催地の群馬県片品村からも、震災以後観光客が殆ど来なくなってしまったので、是非開催してほしいとの強い希望があったことから、この点に関しては積極的な姿勢になりました。

むしろ、片品村は震災後早い時期から福島県からの避難者が相当人数避難しており、会場近辺の民宿にも分宿していることから、この辺をどう配慮すべきかという点が問題になったらしいです。

でも、避難している方もご招待すればいいではないかというスタンスでこの点も積極的な姿勢になりました。

ただ、こう言葉で表現するのはたやすいのですが、実際は開催の決定をするまでは色々と大変なご苦労があったようです。

前日入りして準備したり、当日の進行、皆が引き上げた後の後片付け等、例年の仕事はそれらを楽しむことができるから慣れてしまえば楽しいものですが、今回のような開催自体に関する特殊事情との調整というのは、疲れるだけでとても楽しむことはできなかったと思います。

ご苦労様でした。

さて、6月18日、前日名古屋からバスで帰ってきた小生は、同じ場所に早朝集合することになりました。

参加者は89名

新宿発のバスに乗り込むのはそのうち30名ほどです。
このバスの前面に貼り出されたタイトル「サンバと豚の丸焼きの宴」は、道すがら世間の注目を浴びることもあります。

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天気は何時振り出してもおかしくない曇天。
梅雨ですからね。
そこは、雨天の経験も何度もありますので備えも万全でした。

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お昼ごろの豚の状態
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主さんの星野さんと豚
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一番手のイタ・イ・カズ・ゴリの演奏
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踊り出したい
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地元名物となったアルプホルンの演奏
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アルプホルンの演奏体験
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そして、この頃の豚の焼け具合
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本格手作りピザ釜、これで焼くピザは絶品
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演奏のほかにも、今年はKAZU氏自作自演の紙芝居があって、これはなかなかのものでした。絵にも味があります。
登場キャラクターのモデルの予想が付くので尚更面白かった。

紙芝居「おスルドさまとカモメ」の上演風景
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紙芝居の絵だけざっと見てみましょう(これが全部ではありません。)。
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雨は降ったり止んだり、時折強く降ったりしますがスタッフ達の万全の備えで殆ど影響なく過ごせます。

近田ゆうきさんのライブ
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食す直前の豚の焼け具合
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しかし、さすがに高原、日が落ちると気温がぐっと下がってきてかなり寒くなってきました。

幹事バンド、タッタルーガの演奏
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今やこのイベントには欠かせない、ムトー・スーパースターの演奏
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今回初登場の二胡の演奏
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しかし寒くなると、夜の大釜で炊く酸辣湯やおでん酒場が、誠にかゆいところに手が届く企画であることが良く分かります。
これもスタッフの長年の経験の賜物ですね。
おでん酒場や会場での宴は深夜まで続きます。

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翌日はうって変わった晴天。温度もどんどん上がってきます。
川沿いのトレッキングに行きたい気持ちもやまやまなのですが、めったに無い朝酒の誘惑に負けてしまいます。

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さ、それからはどんどん進みます。

各民宿で朝食を済ませた後、昼食である筈の残りのブタを全て投入した最高のトン汁しかもすいとん入りまで、皆、三々五々過ごします。

トン汁しかもすいとん入
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配給の後、福島県から避難してきている方々の片品村に対するお礼の一品、箸袋しかも押し花入りをいただきました。
昨日は楽しんでくれたでしょうか。

箸袋の配布
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ま、何はともあれ今年も例年のとおりやれたということは、実はとても喜ばしいことだったんだと再認識したのでした。

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日常というものはとても大事なものだなあと。

スタッフの皆さんの周到な準備、運営と、今年は特に頭を痛めたであろう調整、結果として優しさと暖かさにあふれたとても良いイベントに育っていることに対して感謝と拍手を送りたいと思います。

ではでは

2011年07月27日

40年ぶりの再結成

皆様、こんばんは

今回は、40数年ぶりにバンドメンバーが集まって1回だけのライブをやろうというお話です。

初めてバンドらしきものを組んだのは、中学校2年の頃。
その当時のメンバーが集まろうということで、先日再結成記念飲み会が開催されました。

当時、昭和44年~45年頃、バンドをやろうなどという小僧どもはちょっと不良っぽいという世評でしたが、そこが格好いいという部分がありました。

小生は、東京は小平市在住の頃、早熟な友達から中途半端にギターを教わったものの、中学1年の夏に大田区へ転校し、周りに音楽をやる環境がなくなってしまいました。
せっかく買ってもらったガットギターを廃品にしてしまうのももったいないと考えたのか、クラシックギターの通信教育を一人で始めました。

何の弾みかこれが一年でそこそこ弾けるようになってきて、そうするとうわさを聞きつけた同好の士とつるむようになってきます。

まだまだ楽器が高価な時代。金のない中学生は何かと苦労します。
まずは練習場。
これは幸いにも近所の広い邸宅に住むS君、しかもピアノもあるという、ここにすぐ決定。
元々小生が転校してくる前、彼らはピアノ、ギター、ベースでバンドをやっていたらしいのですが、そこに小生がスカウトされたということでしょうか。

ベースのY君は、当時中学生が持つには珍しかったであろうウッドベースを持っていました。
ギターのH君はエレキギターを持っていたような気もするし、オルガンも弾いていたような記憶もあります。
みんな裕福だったのかな
小生は、ガットギターのみ。

小生は別として、当時このような比較的恵まれた音楽環境に彼らがあったのは、兄弟の影響が大きいと思います。
兄貴のアンプやギターを使わせてもらったり、兄貴たちの楽譜を見せてもらったりする恩恵に預かるわけです。

手先の器用なベースのY君がビンのプラスチックのふたと金属の薄い板と画びょうで、ガットギター用のマイクを作ってくれました。これなどはピエゾマイクのはしりですね。
S君の兄貴のアンプを借りたら、憧れのエレキギターっぽい音になるではありませんか。
難点は、楽器との接点が画びょうなので、装着するたびに楽器に穴が開くことでした。
そのうちドラムも加わって、何とかバンドの体裁が整ってきました。
ドラムは持っている、あるいは用意できる人ならば誰でもウェルカムでした。
アンプやドラムセットはリヤカーで運んでましたね。
あのリヤカーはどこから調達したんだろう。

で、何を演奏していたかというと。

1970年あたりというのは、ビートルズはそろそろ解散の風が吹いていた頃、ストーンズはばりばり、クリームという新しいロックの傾向を示唆するグループがセンセーションを巻き起こし、反戦、反権力の政治的な影響が音楽にも強い影響を与えつつありました。ウッドストックフェスティバルという画期的な試みが行われたのもこの頃でした。

しかるに、脳天気な中学生は、まだそちらの動きについていけなかったのでしょうか、もう下火になりつつあった、いわゆるエレキバンド(ボーカルをフロントに置くグループサウンズなどとは違いますね。)、そのエレキバンド的アレンジによるバート・バカラックとかその周辺の曲をやっていたような気がします。
ベンチャーズはださいということで、むしろシャドウズに傾倒していたように思います。
イパネマの娘なんかも確かやりましたね。

小生は中学3年生あたりからはロックに傾倒して、サンタナやクラプトンやジミー・ペイジ等の新しい傾向のロックに夢中になっていったんですが、このバンドはロックになる前のエレキバンド的アレンジによるポピュラーミュージックとでも言うのでしょうか、ま、言ってみればぬるま湯的であまり不良っぽくないことをやっていたような気がします。
当時の大人受けするようで、山の手のお坊ちゃんみたいな、今から思うとあまり格好良くない。

その短いぬるま湯期間の後は紆余曲折。
皆それぞれの道を歩みました。
そして40数年。

再結成のきっかけは、H君が小生のライブに来てくれて、そこでひょんなところから話が出て提案したら皆の賛同を得てということですが、ドラムスは消息不明。
ま、他の4名が健在で、集まれる環境があるということの方がラッキーなわけですから。
よく、卒業間近になると疎遠にしていたクラスの仲間たちと急にコンパをやったり、旅行に行ったりというようなことがありました。
今回も、人生の中盤から終盤にさしかかるあたりでそんな気持ちになったのかもしれません。

自分たちや友人たちと振り返ることができるかもしれないと思うと共に、ベースのY君のご母堂(80代後半)の、そんなことがあるのなら私もそれまで元気でいたいとのお話を聞いて、そういうこともあるのかと、目からうろこでした。

しかし、これからが大変。
その過程を楽しめればいいでしょうね。
とりあえずは、今年の末か来年年明けにライブを目指して進もうと。
そのくらいの目標を立てないと動かないんで。
場所もある程度テンションが落ちない場所を考えるということにして・・・・・・・・。

あと、重要なのは女性ファンとバンド名ですね。
何といっても男子中学生のモチベーションは、「もてたい」。
何事もこれに尽きたわけで。

この辺をどう仕込むかは、現TVプロデューサーのH君の守備範囲かなあ。
ちなみに、ピアノのS君はベテランの整形外科医、小生も手やら足やら間接関係、いつもお世話になっております。
ベースのY君は手先の器用さが生かされてかどうか知りませんが、医療関係技師。
昔取った杵柄で音響面の面倒も見てもらいましょう。
小生はそのまま専門家で不公平かもしれませんが、音楽的な下働きをするということで許してもらいましょ。

しかし、こういう飲み会は時間が経つにつれ昔と変わらない話題になってくるというのは、お約束とはいえ面白いですね。
すなわち、当時の女子の話題。
誰が誰を好きだった、実はどうたらこうたらどうたらこうたら・・・・・・・・・。
何時になっても変わらないおばかな男どもでいたいものです。

そうだ、バンド名どうしよう。
さて、どうなることやら。

ではでは

40年前のモテモテ男たち
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