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ブラジル旅行記3(3月21日~23日(Rio de Janeiro))

・3月21日(Rio de Janeiro)
曇りがちの天気

昨日というか本日午前様で帰ってきたせいもあり、昼前まで宿でまったりしている。
このMonte Castelというホテルは入口は狭いが奥行はかなり広い。
ブラジルのホテルはほとんど例外なくCafé da amanha (朝食)付き。
どこにも例外なく付いていたのが、パン、ハム、チーズ。そして全く甘くない絞っただけのフルーツジュース数種類。で、フルーツはマンゴー、パパイア、スイカ等々。当然CaféとLeite.。
これを基本にして各地それぞれ色々なバリエーションがあった。
マンゴーは好物だが日本ではあまり食べられない高価な果物だからとても嬉しい。
このホテルは都会なので食堂から見えるのはビル、ビル、ビル・・・・・、上空を白鷺のような鳥が群れで飛んでいる。

昼過ぎからATUXIが知っているというメトローのCardeal Arcoverde駅最寄りの大きいショッピングセンターに行ってみる。途中長いトンネルを歩く。
バスがものすごいスピードで走っていく。
ブラジルの一般乗合バスは速くて運転が乱暴だ。タクシーも速いがすべてがそうなのか。
ショッピングセンターは大きいけれど専門店の集まりでちょっと買いにくい。
Gloria駅周辺のスーパーの方が買いやすそうだ。
しかしGloria駅のATMは小生のカードを受け付けてくれないので段々現金が減ってくる。このままずっとカードが使えないとまずいことになるとちょっと心配になる。

それにしても、街中の警官、それも武装した警官の多さにはびっくりさせられる。装甲車もいるし。各住戸や学校や公共施設も鉄の門をぴったり閉ざし、必ずガードマンが出入りをチェックしている。そうしなければならない状況と、後に控えているW杯とオリンピックに対する国の意気込みを感じさせる。
夕食は件のイタメシ屋へ行って、さすがに疲れもあっておとなしく寝ることにする。

・3月22日(Rio de Janeiro)
Rioに来てから初めての良い天気。
24日にここをチェックアウトしてからの宿を探しているATUXIが、前々から興味を抱いていたMorroで日本人がやっているドミトリーというものがある。そこの奥さんと連絡が取れたので天気もいいし、下見がてら行ってみようということになる。

昨日行ったメトローのCardeal Arcoverde駅からしばらく歩くとMorroへ登っていく急坂があり、バイクタクシーがたむろしている。
周りはいわゆるモーホらしい貧しい感じの景色になってくるが商店や銀行ATMなんかもきちんとしている。やがて舗装道路の途切れるあたりから階段、遊んでいる子供たちに日本人の宿を知らないかと聞くと道案内をしてくれる。
カメラマンのご主人は偶々不在ということで、奥さんと赤ちゃんの二人。お名前は古尾谷さん。
宿は日本人らしく小奇麗にしており一部屋にベッド4台ではあるが楽しく過ごせそうだ。
早速ATUXIは24日から一ヶ月の滞在を決める。

ここはバビロニアというMorroで、映画「黒いオルフェ」のロケが行われた場所。
漠然と抱いていたモーホは危険地帯というイメージとはちょっと異なっている。
それは瀟洒な住宅とは言えないけれども住宅はそれなりに整然と建ち並び、上下水も整っているし盗電ではなく電気もしっかり引かれて。Wifiも使えるし。

ところで、この無料wifiが使えるかどうかというのは無駄な出費をしないため携帯の電源を切っている我々にとっては非常に重要な通信手段だということが旅を続けていくにつれて痛感された。

さて、バビロニアはかようにインフラがしっかりしており警官も常駐しているという。ただ、少し前にずっと上の方にギャングがいたそうで撃ち合いもあったそうだ。現在は撃ち合いこそないもののその後ギャングがどうなったかは不明。
モーホだけに景色は抜群。宿の屋根は物干場になっており、ここでBBQなど楽しそうだ。

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ここに滞在を決めたATUXIがちょっと羨ましくなった。
お昼は奥さんお薦めの階段下のDavidの店へ。ここの主人のDavidは、神戸の震災時に自ら率いるエスコーラ・ヂ・サンバと共に日本へ慰問に行ったことがあるとかで、親日家で日本語も少しできるとのこと。
行ってみるとオープンなBarで料理も美味しそう。

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モーホの店としては有名で観光客がタクシーでここまでやってくる。実際美味しいし雰囲気もいいし、あの宿にいたらここは通うことになるだろうなと思った。

Morro da Babiloniaは、予想していたモーホのイメージと異なっていた。インフラもしっかりしており住民たちの表情は明るく治安も良くて今も建設工事が進んでいる。何だか政府がこの有名なMorroを模範的な集落として広報の対象にしようとしているのではないかのような印象も受けた。

帰り際、Lemeのビーチへ出てみる。

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Davidの店でたらふく食べても夕食はしっかりいただきます。
GloriaのVila Ricaにてステーキ1人前を二人で。
例によってすごい量で少々しょっぱいがビールのお供に最高。

・3月23日(Rio de Janeiro)
Gloria駅のATMでまたもや現金が引き出せず、今日明日は土日のためドル両替も休み。仕方なくATUXIから100RS借りておく。

今日は、旧知のフルート奏者でここRioでショーロ学校の講師をしている熊本尚美さんの誕生日記念Roda de choro e feijoadaが彼女の知人宅で行われるということで行くことに。
午前中ショーロ学校へ行ったATUXIとは別に一人でメトローのFlamengo駅へ。
試しにこの駅のATMを使ってみると何と現金が引き出せる。
Gloria駅の機械がおかしいのだきっと。

会場となっているマンション付近をウロウロしているとギターを持った青年が合図を送ってきた。セキュリティが厳重でとても一人では入れないのでこれ幸いと同行させてもらう。ギターを持った東洋人は熊本さんの関係だろうと予測したらしい。これはラッキー。
高級マンションでのRoda de choro e feijoadaはとても贅沢な時間だった。
熊本さんと会うのも、彼女がブラジルへ移住する前以来だから約10年振りかもっと前かもしれない。変わらない印象。
とてもフレンドリーな雰囲気の中で十分に料理と酒を楽しんでからRoda de choroが始まった。

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さすがショーロ学校の講師の人達の演奏だけあって美しくて複雑。知っている曲はほとんど無し。
譜面もないのでこれは加わるのは無理だなあと思って遠慮しておいた。
日本人の方たちとも何人かお会いした。
高層階のベランダから向かい側にモーホの住宅が見える。

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向こう側の住民がこちら側にやってくることはない。
今見えるモーホではないが昨日はあちら側にいたのだなと思うと複雑な気分になる。
やはりこの地では貧富の差が本当にはっきりしている。
街には乞食や物乞いホームレス等の失うものがない人たちが多いし、昔は日本にもこのような光景がどこにでもあったが、全てに平均化された今の日本とは相当に違う社会との印象を受けた。

美味しい料理と酒と音楽という贅沢な時間を過ごし、あまり遅くならないうちに退散。
その後Rodaもほどなく終わったらしく、もう一食食べてくると言っていたATUXIも食べ損ねてご帰還。

明日からはGloriaを離れそれぞれ単独行動、最初にお世話になったイタメシ屋で夕食。
最初にここでセルベージャを飲めてとてもラッキーだった。
また、CERPAを飲む。
それにしても美味い。

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2013年04月22日 16:02に投稿されたエントリーのページです。

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