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2013年07月 アーカイブ

2013年07月06日

ブラジル旅行記11(4月7日~4月8日(Rio de Janeiro))

4月7日

今日も良い天気だ。
今日は、ATUXIが泊まっているMorro da Babiloniaの宿でバーベキューをやりながら小澤さんと3名のミニライブをやろうということになっている。
今日が日曜日で水曜日の深夜というか木曜日の午前2時頃の飛行機に乗ることになっているから、実質的には今日を含めてあと4日ほどでブラジル滞在も終わってしまう、と考えるととても時間が貴重に思えてくる。

昼前にアトランティカ大通りが行き止まりになる手前、交通の殆どが大きく左に曲がっていくプリンセス・イザベル像前で待ち合わせ。
午前中にカンタガーロ駅付近まで散歩していると、何故か駅が使えなくなっている。
警官も出ているし、なぜだと聞くとどうもあまりはっきりしない。ただ、当分使えないだろうということなので、歩いて行くことにする。
この選択が正解。
天気が良い日曜日のコパカバーナ海岸をたっぷり楽しむことができた。
人出が多い。思い思いの楽しみ方をしている。

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のんびり歩いて約40分。
プリンセス・イザベル像に到着。
パーカッショニストの金子大介君、宿の主人、大介氏も買い出しがてら登場。
Morroへ。
今日で二回目だが、ある程度の期間を経ているせいか、街並みを把握することができる。
階段下の商店でcerbejaを購入、1リットル瓶を何本か麻袋に詰めてATUXIがしょって階段を行く。
これをしょっちゅうやっていて、かなりの運動になるそうだ。
さて、BBQ兼ライブ会場は宿の屋根の上。
Leme海岸が臨め、風通し日当たりとも良すぎる素晴らしいロケーション。

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洗濯物なんかも干してあるし。ただし、柵もなにもないので酔っ払って落ちたらただでは済まない。
宿泊客は全員日本人。ミュージッシャン、画家、世界旅行者等々多士済々。

宿入口に描かれた鯉のぼり、作者の画家と家主家族と。
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真夏を思わせる陽光の下でのライブ&BBQはとても気持ちが良かった。

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生音なのでボーカル、ギター、鍵盤ハーモニカという編成。
野外で生という環境なのにとても音がよく聞こえるような気がする。

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楽しい時間だった。
ひたすらセルベージャと肉。
良い加減に食べ飲み疲れて5時頃おひらき。

モーホの風景
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モーホの野生鶏、ひよこもいる。これを食べたわけではない。念のため。
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階段滑りに熱中する子供ら。自分たちも昔こんなことやっていたな。
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階段下の店。明日ライブがあるようだ。
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アトランティカ大通りが歩行者天国になっているので当然歩いて帰る。
徐々に暮れていくコパカバーナ海岸。
様々に楽しむ人たち。
こんな雰囲気の中でかつてボサノバが流行っていったのだろうか。
日曜日、歩行者天国のアトランティカ大通りはお薦めスポットだ。
6時10分頃に歩行者天国は終了。

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石膏像が突然動き出すパフォーマンス。子供はびっくり。
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Sra.Dulceとどこへ行ってきたか話題になったのでMorroと言うと驚いた様子で、「危ないところよ。」とくるので心配をかけてもいけないと思い、「いや、MorroのBaixo」ですと言っておいた。
やはりこの辺りの日本で言えば山の手(Rioでは山の下)に住む人たちにとって、モーホはとても危ないところなのだ。
夜になってもBBQが効いているので、今晩は白ワインを少々飲んで寝てしまう。

4月8日

今日は午前中に、先月Rioを出発する際に小澤さんに預けてあった大型リュックを取りに行き、夜はエポカ・ヂ・オウロのラジオ生放送ライブ、熊本さんらと食事という予定になっている。
小澤さんのBotafogoのアパートまではメトローですぐ。
目の前にボタフォゴ湾が広がりパン・ヂ・アスーカがよく見える。
とても景色のよい場所だ。

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大型リュックを受け取るともうすぐブラジルを離れるんだなあという気になってくる。

滞在中に一度はRioの名所旧跡であるCorcovadoのキリスト像かPao de acucarに行ってみたい。
幸いにして今日もとても良い天気。キリスト像は午前中が良いと言われているが、午後の早い時間帯だったら天気も大丈夫そうだと予想して出かけることにした。
丁度良いことに夕方の待ち合わせ時間もCinelandia駅に16:30。それまでに行って帰ってくれば良いのだ。

Nossa Senhora通りから583番のバスでCosme Velho下車。
例によって案内も何もないわけだがキリスト像へ行く人が降りるのでわかる。
ここから登山電車でキリスト像の足元まで行けるはずだ。
ところが登山電車は14時に出た直後、この後16時までない。

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それではとても間に合わないのでどうするか迷っていると、どうもマイクロバスで送迎している業者がいるようだ。
聞いてみると15R$で上の駐車場まで行くとのことで渡りに船。
終点からはオフィシャルの入場料込みの専用バス(19.8R$)でキリスト像下まで着いた。
30分ほどで着いてしまう。
駐車場までは歩いて登っている人もちらほらと見かけた。
駐車場から先は何人も入場料込みの専用バスに乗らなければいけない仕組みらしい。
最後は階段とエスカレーター。

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観光客は多いが月曜日なのでまだ空いている方だろう。
キリスト像の格好をしながら写真を撮る輩多数。どこの国でも同じだ。
像の足元から頭までは寝転ばなければ写真に収まりきらないらしく、寝転び撮影の輩も。
キリスト像のポーズはどうしても「ようこそいらっしゃいませ。Seja bem vindo!!」とやっているように見える。

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午後からは曇ることが多いこととキリスト像が逆光になることから午前中が狙い目と言われているらしいのだが、今日の午後は視界がとても良い。

レブロン方向
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ロドリゴ・ヂ・フレイタス湖とイパネマ海岸
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アパートの窓から見えるMorro dos Cabritosを上から臨む。
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有名なPao de acucar
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言ってみれば東京タワー(今はスカイツリーか。)のようなものだ。
おそらくカリオカは来ないんじゃあないかな。
ま、一度は行ってみたいスポットだ。一度行けばいいとは思うけれど。
適当な時間に降りる。
それにしても、平地にこのような岩山が突如として何箇所もそびえ立っている-しかも大都会の中に-Rioの地形というのはとても面白い。

Sra.Dulceからとても分かりやすい市内の地図をもらったので、これを見ているとバスも楽勝なのだ。
ラルゴ・マッシャード駅までバス。待ち合わせ場所のCinelandia駅までメトロー。

メトローはプリペイドカードを買ってしまえばすぐに乗れるし本数も多い。エアコンもよく効いていて快適な交通機関だ。
時々楽器を持っている若者たちが乗ってくると車内生演奏が始まってしまう。
客はさして関心がある風ではないが一曲終わると結構な拍手。
しっかり投げ銭集めもある。

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その快適なはずのメトローがCinelandia駅に着いた途端ドアが開かない。
何やらホームが騒がしくなってきた。
駅員や警官が走っている。反対方向の電車は着いた途端に乗客が全員降ろされて駅から退避させられている。
こちらの電車のドアは開かない。
そのうち車内灯も消えてしまった。
辛抱強いブラジル人も不安になってくる。
どうしたんだと電車内も不安げな雰囲気に包まれる。
そうこうしているうちに数箇所だけドアが開いてそこから全員退避。駅の外へ。
何があったのか分からず。ただ、運転席のガラスに大きなひび割れが走っている。
電車の下を覗き込んだり、しかめっ面をしている人もいたので飛び込みかと思ったがどうもそのような雰囲気ではない。
何かが投げ込まれたのだろうか。
後で聞いたのだがブラジル人は決して飛び込みなどしないらしい。
とにかく騒然とした雰囲気の中、全員地上へ出され、駅はシャッターが閉められた。

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地上は公園の中。警察車両も来ているので事件であることは明らかだ。
それはそれで何が起こったのか興味もあるのだが、そもそも駅で待ち合わせをしていたわけで、駅も閉鎖された今、待ち合わせは不可能になってしまった。
何せ目的地の名称も場所もわからないのだ。
携帯もないしメールも繋がらないからどうしようかなと思案にくれていると、偶然に東洋人、いや日本人か、金子大介君登場。
なぜにこのような素晴らしいタイミング。Nossa Senhora!!

というわけで、とにかく目的地へ行こうとラジオナショナル局へ。
エポカ・ヂ・オウロの生放送ライブは2時間ほど。
ジョルジーニョと司会者の懇談をはさんでエポカの素晴らしい演奏をたっぷりと聴くことができた。
司会者は、これが商売だから仕方がないのだろうけれどちょっとしゃべりすぎだ。
音楽を聴きに来た者としては早く進めろと言いたくなる。
ラジオ番組だからしょうがないのだけれど。
この番組に来週ATUXIと小澤さんが出演する。
今日の番組の中でも大々的に宣伝していた。
楽しんでほしい。

それにしてもこの会場は冷房効き過ぎで寒い。
お客さんは年配の人が多くてトイレの回数も増えているのだ。
終了後、例のメトロー事故で電車が駅間に止まってしまいコンサートには間に合わなかったATUXIも駆けつけてミュージッシャンとしばし交流。

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夜のCentro付近は歴史的な建物がライトアップされていて幻想的な雰囲気を出している。

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このあと、熊本さんからお誘いのあったバンドリン奏者、ペドロ・アモリン氏のライブへ。

場所はUruguaiana駅の海寄り、Saude地区だろう。
タクシーで向かったSaude地区は海と倉庫、なんとなく本牧辺りと雰囲気が似ている。
倉庫を改造したらしい天井が高くて広いライブハウスだ。店の奥の方は大きく開口していて開放的な雰囲気の店。
Samba de Fatoというバンドはバンドリン、7弦ギター、パーカッション2名の編成で主にサンバを演奏する。
ところどころコーラスが決まっていたりして洗練されたサンバとの印象を受けた。
スルド、タンタンを使う低音部の打楽器が心地良い。
ボリュームもちょうど良く、とても楽しめた。
これでチャージが約1000円だから安い。
ミュージッシャンにはちゃんと入っているのだろうかと我が身のように余計な心配をしてしまう。

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タクシーにて帰還。
1時頃到着。
これで鍵が開かなかったりしたらシャレにならないなと思いつつ、無事に門扉も部屋も開いて帰宅できた。

今日は朝から夜中までいろいろあった。大都会のRioならではの刺激がいっぱいあったように思う。
これが都会の面白さなんだな。
ブラジル滞在もあと2日か。

2013年07月19日

ブラジル旅行記最終回(4月9日~4月10日(Rio de Janeiro))

4月9日
ブラジル滞在も残すところ今日と明日の二日間。
本当は午前中のチェックアウトなのだろうけれど、フライトが11日の午前2時なのでSra.Dulceに相談したら、好きな時間に出ていいからと快く応じてくれた。ありがたい。

今日は、Morro宿に滞在している連中と昼をMorroのDavidの店で食べようということになっている。あとは特に予定はない。
床屋に行きたくなりSra.Dulceに紹介してもらったが、午後しかできないということでこれはあきらめる。

午前中はNossa Senhora通りやBarata Ribeiro通り辺りを散歩。
ブラジルの都会の通りはほとんどが一方通行になっていてNossa SenhoraはCentro方向、Barata RibeiroはLebron方向への交通だ。
信号はあるにはあるが車が来ない歩行者赤信号を守っている人はほとんどいない。
確かに一方通行だから左右のチェックではなく、車が来る方向さえチェックしていればいいのかもしれないが、この習慣が当たり前になると日本に帰ってからが怖い。

海岸に向かって走る通りは比較的狭い静かな通りで商店も小規模なものが多い。
対して海岸線に並行して走るのは大通り。
交通量も多いし商店も大規模なものが立ち並ぶ。
Rioの市街地はおそらく都市計画が施された街並みだから分かりやすく、慣れてしまえば迷うことはまずない。
しかし今まで歩いてきた旧市街地はホントに謎だった。
絶対に迷わないつもりでチェックしながら歩いていても迷ってしまう。
歩く方向で景色が違うし、日が暮れてしまうと尚更だ。

昼頃にプリンセス・イザベル像前だから天気も良いのでアトランチカ大通りをまた歩いていく。

コパカバーナ海岸
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大通りはこの先で行き止まりになるのでセントロ方面はここで大きく左にカーブしてモーホのトンネルをくぐって北方向へ向かうことになる。
このモーホがバビロニア。
昨日も来た道なのでモーホの階段下、Davidの店も大体見当はつく。
帰る前にもう一度来たかった。
相変わらず賑わっている。
肉料理の定食はかなりの量。

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ブラジルへ来てから日本によくあるようなシュハスコ屋さんへは一度も入っていない。種類も量も自由に選べるポルキロ屋を選択することが多かった。選択自由とはいえ、旨そうなものや珍しそうなもので皿が山盛りになってしまうこともしばしば。
そしてビール。
これは帰ったら体重が結構増えているのではないかとの考えが一瞬頭をよぎるがまだブラジルだ。
日本的な心配をし始めたのは帰国が近づいたからだろうか。
Morro宿仲間達とゆっくり食事を楽しんだ後はまた海岸沿いを歩いて帰る。

モーホの階段下の雰囲気
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夜になって、近所のスーパーへお土産やワインを買いに行く。
店内に煙が立ち込めているが、火事!ではなかった。肉を焼く匂いだ。
どうも排煙がうまくいかないらしい。
日本だったら大騒ぎになりそうなのだが、こちらは平然としている。
お客さんも苦笑いくらいで済ましている。

スーパーの魚売り場。沖縄のそれと若干似ていなくもない。
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明日はアトランチカ大通りからガレオン空港行きのFrescao(冷房バス)に乗る予定なので、バス停を下見に行く。
大体30分おきくらいで一応どこでも止まってくれるとのことなのだが、見ると片側3車線の歩道から一番遠い車線を猛スピードで跳ばしていく。乗る側も運転する側もお互いに分かりにくいであろう夜間、果たして止まってくれるのか若干の不安を覚えるが、フライトが深夜の2時、時間はたっぷりあるから、なんくるないさと思ってしまう。

平日の夜、9時頃にもかかわらずコパカバーナ海岸はかなりの人出。
ランニング、ウォーキングの人が多い。
一見しただけでは皆安全に楽しんでいるように見えるがここで油断をしてはいけないのだろう。
しかし過剰に臆病になることも人生をつまらなくさせそうだ。
次にブラジルに来る時はもっと大胆になれるだろうか。

夜のビーチサッカー
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4月10日
朝、エミレーツ航空から搭乗案内のメールが届いている。
ついに帰国の日か。日本という日常からブラジルという非日常の空間・時間へ運んでくれたものが非日常から日常へ戻すという通告だ。
お迎えが来たんだという懐かしいのと寂しいのと複雑な気分。
今日はFrescao(冷房バス)の代金R$12程度を残せばいいので手持ちのR$を処理するため、3時にATUXIと例によってプリンセス・イザベル像前で待ち合わせ。
夜8時半頃にアパートを出発すればいいはずだ。

ブラジル滞在最後の日、昼前から海岸沿いをいつものLeme方向ではなく、Ipanema方向へ出来る限り歩いて、歩いて歩いてプリンセス・イザベル像前へ行ってみようと思い立ち出発。

夏の盛は過ぎたのだろうが、まだ十分に夏の気配。
ビーチを楽しむ人たちで賑わってはいるが、Carnabalも終わったこの時期、落ち着きもある。

コパカバーナ海岸
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ドリバル・カイミ像
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Ipanema海岸は小さい岬を通り越して左手に広がる海岸。
コパカバーナより海岸沿いの建物の高さが低くなったような気がする。

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イパネマの先のレブロン海岸の方まで歩いていく。

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イパネマ海岸から陸地側へまっすぐ入っていくと、唐突にロドリゴ・ヂ・フレイタス湖が現れる。
面白い地形だ。
周回道路のすぐ脇に湖に浮かぶ島があるが、ここはクラブ制の高級リゾート施設らしい。
このあたりは高級住宅街。モーホと対局をなすところだ。

高級リゾート施設
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湖のほとりからは北方向にコルコバードの丘と僅かにキリスト像が見える。

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ジョビンのCorcovadoの歌詞に、窓からコルコバード、キリスト像が見えるという一節があったが、このあたりから見たのだろうか。
それとも現在のイパネマ海岸からはビルが立ち並んで見ることはできないが60年代は見えたのだろうか。
ボサノバがこのあたりの雰囲気、富裕層、経済的に余裕があって欧米の新しい文化を享受出来る層から生まれていったということがイメージとして理解できる。

ボサノバは例えば日本で言えば古い言葉だがニューミュージックのようなものだろうか。
一時期に流行った音楽スタイルを適当に名付けただけで実体はないと思う。
イパネマの娘とかコルコバードだとかのその時流行った名曲はいくらでもあるけれど、それはボサノバなのかと聞かれると、ブラジル産の名曲としか答えられない。
確かにいわゆるボサノバ時代の歌詞はロマンチックなものが多く、夢見がちで軟派なものが多い。サンバのように、俺には金はない、サンバしかない的な歌詞はほとんどないし、ドロドロの愛憎なんてものもおそらくない。
曲も漂うような曲調が多く、サンバのように黒白決着をつけよう的な明確さは感じられない。
それが時代の空気だったのだろう。
ブラジルではボサノバという用語はほとんど死語だが、日本や欧米ではボサノバという音楽スタイルがあるかのように思われている。
ブラジルでも「Bossa Nova」と掲げているのを見ることもあるが、それは観光客のためのものだ。

サンバとボサノバの違いは何かとよく聞かれるが、今思うのはボサノバという言葉が流行った時代に生まれた数々の名曲はあるけれど、ボサノバという音楽スタイルは実体としては無いと。
ニューミュージックのようにマスメディアや音楽出版業界が適当に名前を付けただけではないかと。
だから、ジョアン・ジルベルトはボサノバ歌手かなどというのは無意味な問いかけだと思うし、例えば、今日はボサノバを中心に演奏しますという表現も無意味だ。
とかく日本人はジャンル分けが好きだ。例えばジャズでもそうだった。

とにかく、このあたりはそのようなロマンチックな富裕層の雰囲気が漂っている。

そろそろレーミへ向けて歩こうかと陸側から近いルートを行こうかと思ったが、モーホを貫くトンネルを歩かなくてはいけないことを思い出し、再び海岸に戻ることにした。

もう出発してから2時間ほど経っている。
朝を食べてから飲まず食わず。さすがに喉が渇いた。
こういう時にはAgua de cocoだ。
バイーアと比べて若干高いが喉が渇いた時には美味い。ほとんど甘味がないのでさっぱりしてあとの心地も良い。

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出発してから約3時間かけてプリンセス・イザベル像着。
ATUXI氏と所要を済ませ遅い昼ごはんは、中国系がやっている焼きそば屋。
チャーハンを試してみたがインディカ米だからとても美味しい。パステウも良かった。
多分焼きそばも美味しいだろう。

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あとは帰って荷造りしてシャワーを浴びて休んで出発を待つだけだ。
帰りは、海岸通りではなく新宿通りに似たNossa Senhora通りを歩いて帰る。

さて、午後8時。出発の時間だ。
Sra.Dulceには家族のように接してもらって感謝の念に耐えない。
近づきすぎず遠すぎず、ちょうど良い位置で接してもらえたからこの数日間本当に快適だった。
僕のCDをプレゼント、代わりに彼女のお気に入りのCDをもらったり、帰ったら無事に帰ったと必ずメールしなさいとか、やっぱり親戚の家にいる気分だ。
月並みな感想だけれどまた来てみたいアパートだった。

うちのパソコンが壊れたのでインターネットカフェに行くのというSra.Dulceと一緒にアパートを出る。
さあ、あそこからバスに乗るのよ、気を付けてね、と最後まで面倒を見てくれる。
ありがとう。さようなら。また来るから。

で、問題はバスをどう止めるかだ。
暗いので近づいてくるまではFrescaoか普通のOnibusか分からない。そして何者か分かるほどに近づいてきた時にはもう遅い。歩道から一番遠い車線をぶっ跳ばして行ってしまうのだ。
Onibusやマイクロバスは乗せる気満々で向こうの方から乗らないかと誘ってくるが、Frescaoはそもそも乗せる気がないのではないか。
タクシーを使おうとしても空港はUS$が使えるだろうと思って、手持ちのR$はFrescaoの運賃RS12を考えて20くらいしか持っていない。

1時間くらい止めようとしたりしていたが何だかあほらしくなった。
時間はあるのだから多少荷物は多いがメトローでどこかガレオン空港に近い駅まで行ってそこからタクシーにしよう、金はメトロー駅のATMでおろせばいいだろうと予定変更。
このあたりは短い期間だがブラジルに滞在していた経験が生きる。入国したてだったら絶対こうはいかない。この近辺も歩き回っていたから地理も分かる。

Siqueira Campos駅まで歩く。幸いにして駅のATMが使えた。
まだ時間はたっぷりあるところが強みだ。
駅の案内表示を見るとCentral駅がガレオン空港に近そうに思える。
Central駅はメトローから一旦地上電車のCentral駅を通って外に出る。

あの映画、セントラルステーションの舞台となったCentral駅だ。
天井がやたらに高く薄暗くなんとなく不気味な雰囲気。大時計がやたらと目に付く。
バカでかいアナウンス、異様な匂い、浮浪者、乞食、ホームレス、そしてうずくまる古ぼけた電車。
大層な荷物を持った旅行者丸出しの外国人が長居をする雰囲気ではない。
通りへ出て流しのタクシーを捕まえた。
しかし一回は乗ってみたい電車だしCentral駅に対する興味もむくむくと湧いてきて、これはやり残したなという気になった。

ガレオン空港まで30分程、R$40の料金は入国した時の空港タクシーに比べてかなり安い。まともな流しのタクシーは結構リーズナブルだ。
来た当初は期待と不安を持って見ていた古ぼけた倉庫群。これでお別れだと思うと懐かしく感じてしまう。
Boa Viagemと送ってくれたモトリスタはなかなか親切だった。

夜の11時過ぎのガレオン空港はあらかた店も閉まっていて閑散とした雰囲気。

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そんな中、エミレーツ航空はやたらと目立つ看板を何箇所も設置してこちらは乗せる気満々。

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行きも感じたことだがこの航空会社のサービス精神は半端ではない。
ほぼ定刻に出発。
機内はほぼ満席。
ドバイ空港まで約14時間。長い。
行きで見た映画「Filho do Brasil」をまた見てしまう。
ブラジル旅行前と後ではやはり印象が違う。
前に見たときもおおよその意味はつかめたのだが、今は空気感のようなものが伝わってくる。
退屈な番組に飽きたらしい隣席のブラジル人が私もそれを見たいのだがどうすればよいのかと聞いてきた。
長い時間の混み合ったフライトは空気を弛緩させるのか何だか機内はだらしない雰囲気が漂っている。

ドバイ空港は23時頃ほぼ定刻に到着。夜から夜への移動だ。ここで約4時間待ち。
今日の駐機位置はターミナルからかなり遠いところ。奇妙な形のバスに20分強も乗せられた。

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しかしドバイ空港は客を飽きさせない巨大空港だ。
深夜にもかかわらず人出も多く店も全開で賑わっている。
無料で使えるリクライニングチェアもあったりしてお金を使わないでもくつろげるところが嬉しい。
エミレーツ航空といいこの空港といい、アラブ首長国連邦おそるべし。
次回はドバイにも一泊したくなってきた。

午前3時頃発の成田行きは日本語のアナウンスがある。
だんだん日常に近づいてきたわけだ。
久しぶりに聞く日本語のアナウンスはポルトガル語に比べて抑揚に乏しい分、優しく丁寧に聞こえる。
総二階建ての巨大航空機A380は比較的空いていて12時間のフライトもあまり苦にならなかった。

午後5時頃成田空港着。
寒い。
行列を作る外国人出口を尻目に日本人出口から退出、秩序正しく清潔な空港からなめらかに優しく運行する電車に乗って車窓を眺めると、車がゆっくり走っている。
成田駅を過ぎると田園風景が見えてきた。
日本へ帰ってきたんだなという実感が湧いてきた。

初めてのブラジル旅行。
日本から最も遠い国。
期待とそれと同じくらいの一人旅への不安もあった。
しかし、ブラジル人は人懐っこくて親切な人が多かった。
道を探しているとまず間違いなく声をかけられる。
不安のあった治安もワールドカップ、オリンピック前のせいもあるかもしれないが相当に強化されていた。
反面、貧富の差は歴然としている。

富裕層はヒステリックなほどセキュリティを強化した住宅に住み、貧困層はファベイラに住む。
日本ではあまり見られなくなったいわゆる乞食や物乞いーそれも身障者のーも頻繁に目に付く。
道端に座り込んであてもなく視線を走らせる人たちやとにかく何が何でも現金を獲得しようとする人たち。
多分土地から一生出ることができないような若者たち。
現在ブラジルで起こっている国費の使い方に反対する集団示威行動は、あのような状況を見ていると起こるべくして起こったと思わざるを得ない。
歴史的建造物や交通機関などに放火されている報道を見ると胸が痛む。
政府もファベイラの環境改善などに取り組んでいる面はあるが、いかんせん国が広すぎる。

人種差別もほとんど感じることがなく開けっぴろげで自由な国。
この自由を担保するために貧富の差を提供しているとは思いたくない。
ブラジル国旗にOrdem e Progresso(秩序と進歩)と示されている意味が初めは分からなかったし、ブラジルの雰囲気には合わないのではないかと思っていた。
しかし、今はあのスローガンー秩序と進歩と言うよりは秩序ある進歩と言った方が適切のような気がするーはブラジルにとって絶対に必要なものだと思うようになった。

今回の旅でブラジルとりわけブラジル人がとても好きになった今はそう思う。

Tchau Brasil!!

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