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2013年06月 アーカイブ

2013年06月03日

2013春の沖縄・八重山・八重山編

皆様、こんにちは

4月29日に新装の新石垣空港着。
以前とは違いボーディングブリッジでターミナル入りです。

新石垣空港
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広くて綺麗。前空港とは相当に趣が違います。
滑走路が伸びたことによって以前より大型の飛行機が着陸できるようになり、コンテナ輸送が可能になって生鮮食品がより早く大量に消費地に届けられるということや、国際空港機能を備えていることから物や人の流れが変わっていくだろうという地元の期待感は強いです。
問題の市街地へのアクセスは、バスが約15分おきに出ていて料金は500円くらいなので、そう不便は感じませんでした。
タクシーだと約3000円。
複数人だとリーゾナブルです。
ただこれは全て市街地方面、西行きの話でして、東行きは相変わらず一日に3本くらいというのは変わりません。

今日はとても良い天気。
今晩のライブはパパビゴーヂで斎藤みゆきさんとのデュオです。

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翌日はとても良い天気になりました。
今まで涼しかったけれど今日は暑い。
こうこないと調子が出ない。
今日は、何年ぶりかで石垣の北部、明石公民館で交流音楽会。
久しぶりの明石地区だし、色々な出演者がいるのでそちらも楽しみ。

校長を引退して第二のお仕事を楽しんでいるT先生―今回の明石コンサートの発起人ですーから毎度のことながら車をお借りして、明石までゆっくりあちこち寄りながら移動します。
とても良い天気なので石垣島をほぼ一周。

お馴染みの川平湾
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伊原間付近
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平野方向
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平久保灯台
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久しぶりの明石公民館。

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昨日、集落の長老の方にご不幸があったとのことで最後のカチャーシーは控えようねとの打ち合わせが出来ています。
司会のお姉さんからグループ名はどうしましょうと聞かれて、毎度のごとくどうしようなどと言っていると、サンバをやるんですかと聞かれて、はいそうです、じゃサンバーズはどうですか。

短くてわかりやすい。

皆すっかり気に入ってこのツアーはこれで通すことにしました。
こういう発想は今まで出来なかったなあと感心してしまいました。

今年は昭和歌謡もあるので年配者にはうけるでしょうねというより年配者がどんどん増えているので、このジャンルはどこへ行ってもうけます。

準備も済んで8時頃から開演。

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J-popの弾き語り
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吹奏楽団
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プログラムもどんどん進んで備え付けのお酒も入っていい感じになってきて、やはり最後はカチャーシー自粛と言っても血がそうさせない。
公民館長も先人の弔いになるだろうとのことでした。

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音響もよく、プログラムも地元、若手、ベテラン、ポップスとバランスが良くとても良い会でした。案の定打ち上げではまた来年もという声。
こういうことは地元にお任せするのが一番、我々は協力を惜しみません。
宴会の最中、明日は天気が良くない、欠航の可能性もあるという声もどこからか聞こえてきます。

公民館で打ち上げ
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公民館で過ごした一夜が明けると、外は雨。風もあり気温が低い。
もしやと船会社のH.P.を見ると上原、鳩間航路は全便欠航とのこと。
あらら。
とりあえず、少年自然の家へ移動して地元組とどうしようか相談することに。
昼頃になると雨も止んで温度も上がってきたようです。
夕方の大原周りで何名か鳩間に渡るらしいとの情報も入ってきますが、鳩間との往復のチャーターが間にあわなかったり、波っかぶりになる可能性があるので、ここは今日もう一日石垣にいて明日の朝便で渡ろうという結論になりました。

地元民、お馴染みのM.H.氏の友人が泊めてくれるというので、名蔵のお宅へ移動。
これまた、お馴染みの手作り住宅でどのコンセントが何につながっているのか、トイレの使い方にもひと工夫必要な等々、とても楽しいおうちです。

今日はここテンキューさんのおうちでバーベキューをやろうということになって、本日の材料と翌日からの鳩間島での食料の買い出しに向かいました。
彼の誕生日ということもあって、友人たちも交えてBBQ。
欠航は欠航で楽しみにつながるものでした。

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さて、翌日はまずまずの天気。
明け方からこのおうちの周りではアカショウビンの鳴き声が聞こえてきます。
船は全便通常運行とのこと。
最も早く出航して料金も安いドリーム観光のフェリーで行ってみようということになり、いつもの高速船ターミナルではなくフェリーターミナルに行き、ここでT先生に車を返却。
フェリーだけれど高速船なので約50分で鳩間島到着。

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いつもだとここに到着する日は5月1日なので一日はのんびりできるのですが、今日は2日。
既に会場設営等の準備が始まっています。

この音楽祭は100%手作りですから、準備、運営、後片付けまで全部自分たちでやらなければなりません。
元々人口が少ないので島民の働き手が少ないのは尚更。
とにかく人手が多い時に何事も済ますというスタンスで、人出というのは出演者やら観光客、音楽祭のお客さん等々、総出で準備を行います。何しろヤギの捕獲なんていう準備項目もあるのです。

今夜は前夜祭ですからそれまでに準備を終わらせるべく、我々もいろいろな準備項目に参入します。

貴重ないつもの風景
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前夜祭は民宿の夕食が終って一休み、大体7時半頃からぼつぼつ始まります。
これは出演者は決まっていないし誰が出ても良いのである意味楽しいものです。
今宵は昭和歌謡で参入。

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明日盛り上がる予行演習?
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前夜祭の打ち上げ
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5月3日、音楽祭当日。
まずまずの天気。
臨時の船が続々入ってきます。
今年は去年より船も多く、入場者も多いように感じます。
我々の仲間たちも到着。
着いた途端に早速本番の打ち合わせ。

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我々の出番は、比較的早め。
終わってのんびりできるからこれは嬉しいのです。
学校の演奏が終わって挨拶が2名くらいあってその後。大体の時間を読みます。

鳩間小中学校の演奏
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舞監とかディレクターとかそういう気の効いたものは一切ないので進行、時間は自分たちで判断する必要があります。
つまり読み間違えて出番にいなかったらボツ。
まあ慣れてはいますが、ちょっと冷や汗もかきました。

嬉しかったのは、今年は舞台に上がれないだろうと自分で言っていた勝おじいが、今年もやるぞと宣言してサンバと八重山太鼓のコラボが今年も実現できたこと。
足が衰えてきて桟橋にもなかなか行けない状態だった勝おじいが刺激があったせいでしょうか、だんだん元気になって歩ける状態になって行ったのはとても嬉しいことでした。

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今年は女性のツインボーカルです。
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勝おじいの勇姿
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紹介するのは
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パシスタ登場
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集合
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希望の早めの出番もかなって後はゆっくり飲めるわけです。

小雨がぱらついてきたけれど古い仲間のタカボーの熱唱
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鳩間オールスターズ
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佳境に入ってきた。
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鳩間の港
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いつもの通り港での見送り、後夜祭、家飲み、交流で夜は更けていきます。

見送りオールスターズ
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大受けだった後夜祭のエプロンシスターズ
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カビラガーデンズの二人
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「私がつぶしました。ハハハ。」
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元気そうな船上のピアニスト
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それにしても夜になると痛感するのですが、今年は涼しい。

翌日は帰る人たちをお見送りしたり、自分たちの好きな時間を過ごすことになるとても素敵な日です。
小生は本日は肝臓に疲れを感じアルコールは極力控えます。
ここで頑張るとろくなことがない。

きちんとした朝食
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質素になった見送りバンド
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きちんとした夕食
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しばしお別れの宴会
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5月5日は鳩間島を離れ、石垣・伊原間で恒例の音楽祭です。

タマもまた会う日まで元気でね。
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最も質素になった見送りバンド
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例年5月5日は梅雨入り時期であまり天気は良くないのですが、今年はいい天気。
伊原間への移動の途中、昼食に立ち寄ったのが噂に聞いた沖縄・南米料理のもろみ屋。
県道沿いで車以外では行けないところです。
奥さんがボリビア、ブラジルに長かったということで、本格的なブラジル料理を味わえました。
量もブラジル的だし味もブラジルで食べたものと変わらない。
フェジョン美味しかった。

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さて、たいらファミリーは去年までの大野外ステージは止めて開始当初のお庭のステージに戻りました。
こっちの方が親密感があって小生は好きですね。

こどもの日だけあって、ステージの準備段階ではこどもの天下。
伊原間はいつも子供が元気でわんぱくです。
今年のユニークな出し物はアフリカンパーカッションとアフリカンダンス。
石垣に移住してきた方たちのサークルですが指導者がしっかりした方で、パフォーマンスもとても楽しめました。
来年も是非お願いします。
とても親密なコンサート、交流会でした。
運営もすっかり慣れてきましたね。

伊原間海岸
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手作りゆし豆腐
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アフリカンダンスとパーカッション
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子供たちのダンス
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毎度お馴染みM.H.氏の島唄
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たいらファミリーピックアップバンド
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飛び入り歓迎
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翌5月6日はこのツアー最後のライブ、パパビゴーヂでの投げ銭ライブです。
本日は飛び入り歓迎でとても素敵な歌が聴けました。

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エプロンシスターズのさくらちゃん
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ライブ終了後、友人のMさんがママをやっている美崎町の串カツ屋「れんがや」へ。
日曜の深夜にもかかわらず大盛況。串カツもうまいしシマも一杯100円と安い。
これからも繁盛してください。

今回の沖縄はいつになく涼しかったし、むしろ寒いと言った方がよいような日もありました。
この季節はうりずんー若夏―でカーッと暑いほうが気分が盛り上がりますが。
ともあれ、久しぶりに明石でも公演できたし地元の皆さんとの交流も含めてとても濃密で楽しい時間を過ごせました。
関係者の皆様、お世話になった皆様、ありがとうございました。

最近は通常感じられる旅―非日常の感覚が沖縄・八重山―日常という感じになっていて、例えばことさら沖縄料理を食べようという感じにはならず、食べているものが普通に沖縄料理だったりするという日常感覚になってきています。

これは特に感想を抱くことなく普通に受け入れましょう。

ところで、帰りの那覇空港から成田空港行きのJet Starは普通の国内線ターミナルを使っていても他社のようにPAを使ったアナウンスがないんですね。
係員の生声で搭乗案内をするんで、ボーッとしていたら気が付きませんね。
ちょっとびっくり。

ではでは

手乗りヤールー
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2013年06月07日

ブラジル旅行記8(4月1日~4月2日(Salvador、バイーア州))

・4月1日
月曜日、サルバドール滞在も早いもので、残すところ今日明日の二日。
今日は遠出をせずに歩いて行ける範囲で教会や街を探索することにする。

ペロウリーニョ広場を下って坂を登ったところにあるカルモ教会。
朝食の時、尖塔が見える教会だ。

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カルモ通り坂下からペロウリーニョ広場を臨む。
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そして黄金の教会とも呼ばれるサンフランシスコ教会。
教会の内外、目に映るものすべてが美術品に見えてとても新鮮だ。

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昼はセー広場に面したColiseuへ。
ここは落ち着けて美味しい。

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昨日あたりから自分の体臭が変わってきたように感じる。
ココナッツ臭というか表現するのは難しいが、色彩で言うと黄色っぽいオレンジ色みたいな、ブラジルの街中に降り立って初めて嗅いだあの匂いとでも言おうか。
やはり食べ物の影響だろう。

午後からも街を歩いて、夕食は一昨日のムケッカが美味しかったPonto Vitalへ。休み。残念。
もう一回行きたかったのに。
二三日前に行った魚が美味しかったレストランへ。
またもや同じものを頼んでしまう。

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気になる明日の予定を考えてみる。
正午にホテルをチェックアウトしてRecife行きのフライトは午後10時過ぎ。
約1時間で到着してからホテルへ移動という、初めての土地に降り立つ者にとっては深夜の若干リスキーなスケジュール。
ホテルは確認が取れているので締め出されて宿無しということはないだろうから、いや、ここはブラジルだから油断はできないぞ。
ま、明日はまだ暗くならないうちに空港行きのバスに乗ることにしようなどとあれこれ考える。
気が付くとサンバの音が聞こえてくる。
向かいのミゲル・サンタナ劇場でショーが始まったらしい。

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明日でこの街を離れるとなると何だか寂しい気分になる。
ペロウリーニョ近辺の地理は歩き回って大体つかんだし、バスの乗り方も分かったし、近所のおいしい店も大体理解したし、イザイアスやホベルト達の友達も出来たし、多分これから腰を据えてじっくりサルバドールを堪能できるとっかかりの時期なんだろう。
やはりそこまでたっぷり1週間はかかるのだ。
そこで移動なんだから心残りはある。

サルバドールの街並みはここへ来る前にオーロプレットという極端な異国情緒を味わったのでそれ程びっくりはしなかったが、人が違う。
黒人のエネルギーが渦巻いている感じで、なんというか街全体が踊っているような感じがする。
どこかから聞こえてくる重低音、打楽器の音、歌声、呼び声、物売りの声、叫び声、酔っぱらいの嬌声、街の匂い、突き抜けるような青空と強烈な太陽、引き込まれそうな海・・・・・・・・すべてが混沌として渦巻いているようで街並みと一緒になって虜にしようとするのだ。

Terra felicidade,Que beleza!!

また必ず戻ってきたい。

・4月2日
思い出深いサルバドール出発の日。
今日も晴天。暑くなりそうだ。
ゆっくり朝食をとる。このホテルの朝食も充実していた。
パン、フルーツ、いも、ドリンクが基本で時々謎の食材があったりした。
ホテルペロウリーニョは古いホテルだが、部屋は広くて眺めがよくてとても満足した。
従業員も親切だったし便利な場所にあったし、毎日イザイアスと顔を合わせることもできた。
幸運な選択だったと思う。
ホベルトは午前中の勤務だからここでお別れ。
イザイアスのところでお土産を物色したりして午前中はのんびり過ごす。

荷物をホテルに預けて、昼はPonto Vitalに行ってみる。
ラッキーなことに営業中。
例によって客は僕一人。
カニのムケッカをビール、ワインなどとゆーっくりと楽しむ。
カニの身の量が半端ではない。濃厚な味でワインが進んでしまう。

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カニのムケッカ
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可愛いモレーナ達
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後ろの肖像画はカエターノ・ヴェローゾのお母さんではないか。
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すっかりお気に入りの場所になったセー広場の見晴らしがいい場所でしばしの休憩。

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時々現れるサル。人っぽい顔つきをしている。なんというサルなんだろう。
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刺青兼インターネット屋へ。
ここも世話になった。
ここがあったおかげで本当に助かった。
不機嫌顔のお姉さんに丁寧にお礼を言う。
ここのところは不機嫌顔ではなく笑顔を見せてくれる。

イザイアスにお礼を言う。

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「イザイアスさんは日本に来ることはないの。」
「いや、俺なんかもっともっと働かないと。お前だって働いて働いてブラジルへ来たんだろ。俺なんかまだまだだ。」
大半を占めるブラジルの庶民にとっての現実は確かにそうかもしれないな。
いろいろとお土産も頂いた。
セー広場からバスに乗るため5時半頃出発。
さらばペロウリーニョ。

さて、空港行きのバスはラッシュ。エアコンなし。
しかも海岸通り大渋滞。
Ondinaを過ぎてもまだ詰まっている。
かれこれ1時間。
暑い。子供が泣き出す。
こういう状況は久しぶりだ。じっと乗っているブラジル人は案外我慢強いと思った。
あたりはすっかり暗くなって時間はどんどん過ぎていく。
早めに出たのが正解だった。渋滞でも余裕があるのだ。
海岸線を離れてからは車が流れ出す。
終点の空港へ着く前にほとんどの人は降りてしまう。結局空港までの所要時間は2時間。
2.8R$でこれだけ乗れたんだから良しとしよう。

サルバドール国際空港は深夜でもかなりの人出。
昼間のムケッカが効いているせいか、腹はあまり減っていない。ただ喉が無性に渇いている。
セルベージャが美味い。
飛行機が若干遅れてRecifeグアララペス国際空港へは午前0時頃到着。
ここからホテルのチェックインまでが肝心なところなのだ。
しかし国際空港だけあって空港タクシーもまだ営業中で、ホテルまで31R$で行ける。
これはラッキーだ。

Inter Hotelは日本で言うならば空港から近い産業道路沿いのビジネスホテル。
もしもチェックインできなかったらという不安があるのでタクシーに待ってもらってホテルへと思ったら運ちゃんも着いて来た。
俺は確かにこのお客さんを届けたからよろしく頼むぜと確認してくれる。
ありがとう。

このホテルはホテル探索サイト上で評判が悪く最悪みたいな意見が出ていた。
部屋が狭くて窓が小さい、薄暗い、冷蔵庫はないしシャワールームはぶっきらぼう。近所には何もない。
多分このあたりが不評の理由なんだろう。
しかしフロントは親切だし、部屋によく効くエアコンがある、シャワールームだって部屋にあるのだから上等、wifiもあるし、ベッドは広い、飲み物はフロントに言えば制服を着た黒人少年が部屋まで持ってきてくれるのだ。
空港から近い産業道路沿いのビジネスホテルに贅沢を言えばきりがないのだ。
ホテル探索サイト上の意見は勘違い旅行者の間違った評価だと思う。
ホテルにとってはいい迷惑だろう。

あまり治安も良さそうでない深夜の街で近場には見当たらない食堂を探しに行く気にはなれず、セルベージャを3本程飲んだところで寝てしまうことにした。

2013年06月18日

ブラジル旅行記9(4月3日~4月4日(Recife、Olinda、ペルナンブーコ州))

4月3日
今朝はのんびり。午後にオリンダに到着すればよい。
昨日は結局夕食抜きだった。
勘違い旅行者にはきっと悪評だろう朝食。
とんでもございません。
パン、ハム、チーズ、フルーツ、ドリンク、質素だけれどとても充実している。

地図によればこのホテルの近くにメトローの駅があるはず。
終着がRecifeだからそれに乗ってみようと、まずは散歩がてら駅までの道順を確かめに行く。

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朝からものすごい暑さ、日差しが痛いように感じる。さすがに赤道に近いだけのことはある。
通勤時間帯なのだろう、ホテルの前の産業道路(Av.Mascarenhas de Moraisという大通り)を満員のバスが物凄いスピードでRecife方向へ跳ばしていく。
幸いにして信号がある。
渡ってしばらく行くと駅らしい建物がある。
Shoppingという駅だ。
メトローとはいうものの地上を走っているらしい。どうもRecifeまで地上路線みたいだ。
しばらく見ていると4両編成の電車がやってきた。

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小奇麗な車両だ。
どこか東急の古い車両にも似ているような気がする。全線1.8R$。安い。

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すっかり気に入って乗る気満々でホテルへ戻る。しかしそれにしても付近にはお店などは何もない。海側へ行くと巨大ショッピングセンターがあるらしい。駅名もそれを示している。

午前中にShopping駅から乗車。結構混んでいる。だがエアコンが効いているので快適。混雑の中、物売りが乗って来る。
15分ほどで終着のRecife駅に到着。
2本の路線が入ってくる線路止のある終着駅Recife駅は何だか東急の蒲田駅に雰囲気がよく似ている。
外はすごい暑さ。
Olindaへ行くバス停はここからしばらく歩くみたいだ。荷物もあるしここはTaxiを利用する。

陽気な黒人のモトリスタ(運転手)。始めから終わりまでしゃべりっぱなし。初めは40R$で行くと言っていたのが何とか50R$につり上げようとしてくる。観光案内もしてくれているようだしチップ替わりで承諾する。
とにかく皆現金を得ようと必死なのだ。
承諾するとモトリスタはボルテージが上がったのか、更にしゃべりまくり。

オリンダは地図で見るより意外に近い。
とにかくホテルへ到着。

ホテルの入口
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明後日の帰りはこのモトリスタに来てもらってRecife駅まで行きメトローで空港駅まで行こうかと思ったが、ホテルのフロントが当のモトリスタと、ここまで迎えに来て空港まで60R$で行けと話をまとめている。10時台のフライトだからそのほうが安全だということでOKする。

ここ、Pousada dos quarto cantos は値段の割にはグレードが高い。
敷地全体が木の生い茂った邸宅という感じで庭も広いし部屋は清潔でwifi、エアコン完備。フロントのサービスも良い。日本のホテルサービスのようだ。
フロントにはオリンダのカーニバルで中心的な役割を果たす巨大人形、Boneco(ボネコ)がいる。

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これは街のいたるところにいるのであって、1年に一回の出番を待っているのだろうか。
荷物を降ろして、早速街歩きを開始する。

ボネコのいる風景
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まずは昼食。ホテルの前の坂をずっと下ったところにある公園に面したMouriscoというポルキロ屋。
ほぼオープンエアという環境。種類も多いし安くて美味しかった。

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プリンセス・イザベル像
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カルモ教会
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再び坂を上って旧市街地へ。
オーロプレット、サルバドールと同じように石畳の坂が多い保存地区の街並みだが、建物がものすごくカラフルで、それも原色のカラフルさ。サルバドールもカラフルだったけれどここまでではないように思う。

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日本的に言えば悪趣味な色使いで落ち着きがないということになるのだろうけれど、この赤道に近い日差しと暑さには原色の街並みがとても良く似合う。日本にはありえない景色だ。
街のいろいろなところでボネコが顔を覗かせている。
歩いているうちに暑さのせいもあるのか、おとぎの国に来たような気分になってきた。
坂の上の方からは高層ビルの立ち並ぶ大都会Recifeの街並みが見える。

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それにしてもサルバドールからやってきたからかもしれないが、人が少ない。警官はそれなりにはいるが、今までと比べると少ない。2月のカーニバル時には人が道を埋め尽くすそうだからカーニバルが終わったあとのこの時期はよけいに静かなのだろう。

旧市街地から坂を下って海岸に出てみる。

生活に溶け込んでいる馬車
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海岸からRecifeを臨む
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ドリバル・カイミの歌詞にあったジャンガーダが置いてある。
遠めに見ると白い蝶に見える。

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さすがに保存地区を出るとサルバドールの下町やRioのような普通の市街地になる。
夕方近くになったがまだ日差しは強い。

この日差しが強いうちに気になることをやっておきたかった。
ホテルには小さいながらなんとプールがあるのだ。
ホテルのプールで寛いでみたい。
ということでホテルに戻ってプールへ。

プールと言うよりはぬるい露天風呂みたいだ
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プール近くのオブジェ。いろいろなところにこういうものが点在するアートな雰囲気
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ブレスト二かきぐらいで終わってしまう代物だが、プールサイドにはデッキチェアもあるし人もいないしとても快適。
日が陰るまで楽しんだ。

夕暮れ時のホテル
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昼のポルキロが効いているので割と遅めの8時頃夕食に出た。
暗くなって人通りもほとんどなくなっているので近場ですまそうと散策していると、ホテルの通りにちょっとアートなレストランを見つけた。入ってみることにする。

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ここが当たり。
店内は絵画や色々なオブジェが展示されていて目を引く。

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人懐っこい店主兼料理人がどうも一人でやっているらしい。他に客はいない。
本当はbacalhau(タラ)料理が食べたかったのだが、今日はないという。
勧められたのが卵料理。
オムレツらしいことまでは分かるが詳細は分からない。
ビールは既に飲んでいるのでカイピリーニャを飲んでやろうと思い注文。かなりの量。

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美味い!!やはりブラジルのカイピリーニャはうまい。
青レモンのせいだろうか。原料が安いので値段も当然安い。これだけの大盛りで約250円なのだ。そうこうしているうちに出てきたのが、スペイン風オムレツ。

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とても優しい味で、はっきりした味の多いブラジルでは異色に感じたが、曖昧な味も好きな日本人の僕としてはとても気に入った。量もちょうど良い。
カイピリーニャをもう一杯いただいてちょうど良い量だった。
気さくな店主兼料理人といい加減なポル語であれこれ雑談。
飾ってある絵(実は売りものなのだ。)やオブジェ(店主が作っているとのこと)、音楽の話とか日本の話とか。
絵は奥の間で画家が制作しているとのことで、画家のおじさんとも会うことができた。
明日はbacalhau(タラ)を用意しておくよとのことですっかりいい気持ちになって店を出る。
こういう素敵なお店と偶然出会える楽しみは一人旅では格別なのだ。

4月4日
本日も晴天。暑い。
今日は街を歩こうと決めている。

オリンダも世界遺産、観光地だけあってサルバドール同様ガイドの売り込みがしつこい。
ホテルでもらった地図があるので、さほど広くないこの街を歩くのにガイドはいらない。

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観光流しのおじさんたち。素朴な地元のフォークソングを奏でていた。
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ボネコのいる風景
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このくらいの大きさ
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これはひょっとしたらエスコーラ・ヂ・サンバの練習場だろうか。
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展望塔から見た360度パノラマ
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野外授業か
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ボネコのいる風景
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旧市街地、昼過ぎまで散策すると大汗。
シャワーと洗濯をして昼食。

ここで気付いたのが、dinheiro(現金)が不足していること。
地方はcartaoが効かないところが多いのはサルバドールで学んだことだが、うっかりしていた。
ホテルでVISA対応のATM、すなわちBanco do Brasilの在り処を聞くと、海岸通りを北へ行くとあるよ、でも歩くとかなりあるからタクシーがいいんじゃあないかと。
実は近辺にVISA対応のATMがどこにもないこともdinheiro(現金)不足の一因だった。
ATMへ行くのにタクシーはないだろうと、時間もあるし散策がてら歩くことにする。

容赦なく照りつける赤道近くの太陽の下、傍らをバスがぶっ跳ばしていく海岸通り沿いを30分ほど歩いたら銀行ではないが大型スーパーがある。経験上こういうところにはたいていATMがある。入ってみると当たり。ついでにトイレも借りれた。

帰りはまた海岸通り沿いをのんびり歩く。
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途中、海浜で日光浴などして帰ったが、今から考えると人目につきにくい場所は危なかったかもしれない。金はなさそうな格好はしていたけれど、やはり日本人は用心する必要があったと後になって反省。
いい加減時間も経っていたので二度目の洗濯とホテルのプール。
そんなこんなで夜になってしまう。

夕食は昨日約束したbacalhau(タラ)を食べに行くのだけれど、その前にどうにも気になってしょうがないホテルの向かいのCaféへ行く。
Estacao Caféという店だ。

Estacao Café、ここにもボネコが。
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入口から続くフロアが土産物屋、奥へ進むとオープンエアのCaféになる。

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ここでいただいたカイピリーニャ+エスプレッソカフェという初体験の飲み物が大変美味しかった。
値段も7R$(350円)と安いのだ。

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BGMはカエターノでした。

さて、お約束のbacalhau(タラ)料理。
昨日と同じで落ち着いた雰囲気、店主との楽しい会話にカイピリーニャ。
料理はbacalhau(タラ)と野菜の炒め煮をご飯にかけたもの。
優しい味で大変に美味しかった。量もちょうどいい。

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店主兼料理人
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店主作のオブジェ
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それにしても、サルバドールでも感じたことだが、美味しくて落ち着ける店というのは客があまりいない。だから落ち着けるというところもあるのだが大丈夫なのだろうか。
料理や絵画やオブジェ、会話、カイピリーニャを楽しんでとても良い気分になってしまった。
夜も更けてちょっと酔っ払ったかな。ま、ホテルも近いし大丈夫だろう。
店主「Cuidado!!」。さすがわかっていらっしゃる。
Obrigado、ありがとう。
本当に良い店だった。

明日は、9時にお迎えが来てRioに出発だ。

2013年06月25日

ブラジル旅行記10(4月5日~4月6日(Rio de Janeiro))

4月5日
ここのホテルの朝食も実に興味深い。
ココナッツを使った料理が多いようだ。
ココナッツは好きなのでどんな料理でも歓迎。
更にサルバドールもそうだったが、日本ではありえないマンゴー食べ放題にマンゴー好きな僕はとても嬉しい。
いも料理、甘味のないフレッシュジュースといいブラジルのホテルの朝食はとてもヘルシーだ。もちろんCaféはどこでも美味しい。

今日はオリンダを出発してRio de Janeiroに戻る。

オリンダは色彩豊かで、とてもアーティスティックな街だった。
静かな時期に来て、落ち着いて散策できたのも良かったけれど、カーニバルの時期にも来てみたい。
フォホーやフレーボもたっぷりと聞いてみたいし、Bonecoのパレードも見たい。
今回は初めてということもあったが、サルバドールを含めてノルデスチをじっくり旅したい気持ちに駆られた。

約束の9時前には一昨日の調子のいいモトリスタが迎えに来ている。
一昨日別れたばかりなのに何だか懐かしい気分になる。

空港まで60R$の約束は覚えているのか。こっちはメモを持っている。
大都会Recife市街地は通勤時間帯と重なったのだろう、結構渋滞している。
都会だけあって運河が臭う。
以前の東京の川のようだ。
渋滞専門の物売りなどというものもいて、サイドミラーに何かを引っ掛けていったり新聞を売ったりと忙しい。
もちろん売れない場合は回収する。

またまたモトリスタしゃべりまくり。サッカースタジアムの自慢やら贔屓のチームのことやらあれこれ。
見るとメーターが上がっている。しかも2で(2は深夜料金なのだ。)。
これはなんだと聞くと笑ってごまかす。
空港到着時には90超になっている。60の約束だろと言って、100を渡してお釣りをもらうまで断固として車を降りる気配を見せずにいると、申し訳なさそうな表情でこれでどうだと30釣りを渡してきた。
迎えに来てくれたのだし、荷物を運んでくれたり楽しい気分にさせてくれていたので、元々チップを10加えるつもりでいた。
だから何も言わなければ70でOKなんだよ。
あえてメーターを上げる必要もないのにと思いつつ、OKと言うと、恐縮した表情からどっと破顔、Amigo!!Amigo!!と握手を求めてきた。
いい人なんだよね。
とにかく皆現金を稼ぐのに大変なのだ。

乗り継いできたTAM航空も今回は今日のフライトで最後。
Rioまで約3時間。ほぼ満席。東洋人は見当たらない。
3箇所あるトイレの2箇所が故障中、長い列ができる。ブラジル人は我慢強い。
CAは後方でお喋りに熱心。操縦席との扉が時々開放になり前方が見えたりする。
日本ではありえない風景だ。

Rioは雨。涼しい。やはり北とは大違いの気候なのだ。
今日からの宿はCopacabanaに程近いB&B。
ガレオン空港からはエアコンバス。エアコン効きすぎ。寒い。
目的地の地図を見ていると隣のビジネスマンが、うちの近くだと降車場所などを教えてくれる。
今まで何回もこんなことはあって、ブラジル人はとても親切だとつくづく感じる。

本降りだった雨も小止みになって目的地のRua Constante Ramosで降りたは良いものの、ホテルらしき建物はどこを探しても見つからない。
ブラジルの住居表示は通り沿いに番号順になっているのでとても分かりやすいのだが、ホテルは見当たらない。
そこにまた親切なおばさんが登場して、見つかるまで一緒に歩いてくれる。
ホント助かる。
見つからないはずで、普通の高層アパート。そこの一室が目的地でした。

Senhora Dulce Maria França Giannini のおうちです。

そういえばDulce Mariaさんからはたびたびメールが来ていて、ホテルではなくB&Bですよとか、通常は男性一人は泊めない、女性一人かカップルのみ、あるいはカード決済の機械を持っていないとか、????????の部分が多かったのだが行ってみて全て納得がいった。

高層アパートの6階(日本だと7階)のDulceおばさんのおうちにはバス、トイレ付きの部屋がひと部屋あって、更におばさんの部屋とシングルルームがもうひと部屋あとは普通の家庭、リビング、ダイニング、バス、トイレ。
だからカップル+女性1名なのだ。どういうわけで男性の僕がOKになったのかわからないけれど、要するにDulceおばさんの家に泊めてもらっているということなのだ。
僕のいる部屋には家族のアルバムや写真があったり、鍵(これが曲者だ。)は持たせてくれるし、Dulceおばさんは普通に外出するし、もし僕が悪人だったりしたら怖いだろうなと思ってしまう。
他に客はブラジル人カップル1組だけだ。

リビングで寛ぐSenhora Dulce
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新宿通りみたいなNossa Senhola 大通りを渡れば有名な海岸通り、Atrantica大通りに出るという好環境のこの近所は、高層アパートが立ち並ぶ高級住宅街。
全ての建物の1stフロアは頑丈な門でガードされ、かつ警備員がいる。夜中の警備員不在時間の帰り方をよく聞いておかなければ。
そして難しい部屋の鍵。
二段階でロックがかかるようになっていてその通りに回しても簡単には開いてくれない。初めは警備員を呼びに行こうかと思ったけれど、そのうち慣れた。

例によって付近を散策。
うちの隣は昼からセルベージャ客で賑わっているBar。

Atrantica大通りと平行に走るNossa Senhola 大通りとBarata Ribeiro大通りは、新宿通りに似ている都会のショッピング街。もう一本山寄りの通りを左に行くと地下鉄の終着駅Cantagalo駅がある。そして海へ向かって3分程歩けばコパカバーナ海岸に出られるというロケーションだ。
とても便利な場所だし、宿舎も快適なので旅の最後の日々を楽しく過ごせそうな予感がする。

夜はDulceおばさんお薦めの近所のポルキロ屋へ。
寿司コーナーがあって、兄ちゃんが一生懸命ガリを削っていた。
面白そうだから食べてみたが外側がべちょべちょでしかも芯があるご飯で大概のものはいける僕でもちょっとキツイ。
もちろん普通のブラジル料理はとても美味しいし料理の種類も多いので店は気に入ったわけだが。

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ATUXI氏とBIPへ行くという選択肢もあったけれど、移動に疲れてしまった感じでおとなしく寝てしまった。

4月6日
今日はいい天気だ。
朝食は、ダイニングでパン、フルーツ、チーズ、ドリンク。とても簡素だが本当は量的にこれくらいが適当なんだろう。今まではずっとビュッフェ方式だからつい食べ過ぎてしまっていた。

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部屋から山側を見る。
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部屋から海側を見る。
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13時過ぎにATUXIと小沢沙織さん(Rioに着いた頃のブログに登場している。)とLargo do Machado 駅で待ち合わせてリハをやるということになっているので、午前中はコパカバーナ海岸へ出てみたり、付近を散策したりする。

とても良い天気の土曜日なのですごい人出。
ウォーキング、ランニング、ビーチバレー、ビーチサッカー、バトポン?、日光浴、筋トレ、自転車、物売り等々、ビーチには露店も花ざかり。皆それぞれのスタイルで楽しんでいる。

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これはなんだろう。ダンスの練習か。
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海岸通りの何箇所にも設置されているアスレチック器具。人気があって皆これで筋トレをしている。日本にもあるといいな。
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このように使用方法も図解されている。
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砂の造形をしている連中も多く、砂とは信じられないような作品もある。しかし、これを写真に撮ると有料のはずだ。

これらはまだシンプルな方。カラーの作品まであったがこんなふうにただで写真はなかなか撮れない。
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相変わらず警官も多く、安全そうな雰囲気。
これだけ警備が厳重なところでは強盗は手を出せないだろう。ただ、波打ち際は道路から見えなくなっている箇所が多く、このあたりはスポットかもしれないけれど、わざわざ波打ち際に金を持っていくのかね。

アトランティカ大通りに面したところは高級リゾートホテルが立ち並んでいる。
ここから山側へ入っていくとアトランティカ大通りに並行した大通りが走り、庶民的なショッピング街が形成されている。そして3本目の通りの下をメトローが走っている。
こんなふうに街並みを把握する。多分都市計画で作られているだろう碁盤の目の街並みは分かりやすい。
世界遺産の旧市街地とは大違い。
ただ、分かりやすいことと美しいこととはこれまた大違い。
というわけで、近所の地理はだいたい頭に入った。

やはり特徴的なのは、市街地の真ん中に突然そびえ立つモーホ。
この場合のモーホとは単なる丘を指す。
岩山がそそり立っているので当然トンネルを掘らなければならない。
日本のように山を削り取るというのはとても無理そうだ。
地中まで岩盤のはずだから、地下鉄の建設は大変なのではないだろうか。

Cantagalo駅
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アパートの近くのメトローCantagalo駅から乗車、Largo do Machado駅で久しぶりに二人に会う。
久しぶりの日本語だ。

昼食の後、熊本尚美さんの自宅で本人不在のうえでリハ。
ここの鍵も超難物だった。
あまり開かないのでもう諦めかけたところで何故か開いた。

二人は、最来週のショーログループ、エポカ・ヂ・オウロのラジオ番組に出演するということで、かなり綿密なリハをする。
残念ながらその頃僕はもうブラジルにはいない。
途中で熊本さん帰宅。土曜日のショーロ学校の講師はかなり疲れるようだ。

終了後、久しぶりにATUXIと駅近くのBarで軽く一杯。
こんなところでも俺にもなにか食わせてくれという物乞いがやって来る。
あまりお腹もすいていないので、帰りがけにパンと白ワインを買って帰る。
パンが中身たっぷりの重たいパンなのでこれで十分だ。

居間でDulceおばさんにギターを聴かせる。とても気持ちよさそうに聴いていた。

Rioに戻ってくると、やはりここは大都会だと認識させられる。
コパカバーナ周辺は高級住宅街のせいか白人の姿が多い。
黒人が圧倒的に多い北の方から来たから尚更そう感じたのかもしれない。
地域性もあるが、差別のない国とはいえ経済的格差は厳然としてある。
少しは周りを冷静に見る余裕ができてきたのかもしれない。

それにしても、ブラジルの鍵は難しい。

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