2019・トルコの旅 第4章 3/14 (木)・カッパドキア・その2
第4章 3/14(木) カッパドキア・その2
今日はカッパドキアツアーの二日目、とても良い天気だ。
ホテルの朝食
9時半に迎えの車がやって来た。
今日はファティさんとドライバー、ムラトゥさんの二人。
もう2名のお客さんがいるとのこと。
ラティーナだと言っていたが国はどこか良く分からない。
9時45分にホテル前での待ち合わせだが、時間通りに来ないのはさすがにラティーナだと。
日本人は10分前に来ているよと笑う。
ホテルから出てきたのは若者(と言っても30歳くらいかな。)と母親で、聞くとコスタリカ人だという。
なのでスペイン語。息子は英語もいける。
母親はスペイン語のみ。
ファティさんはスペイン語も勉強中で結構喋れるようだが、細かい部分は英語になる。
ドライバーのムラトゥさんはトルコ語のみ。
このような組み合わせで今日一日過ごすのだ。
楽しそうだ。
まず最初にギヨレメの最初の教会の跡へ。
岩をくり抜いた建築物だ。
馬の谷
教会跡
カッパドキア(馬の谷という意味)では、基本、昔の住居は全て岩をくり抜いたものだ。
現在の建築物や構造物が何もない2000~4000年前を想像すると何となくイメージがわくが、これらを建造するのに、また地下都市を構築するのに一体どれほどの労力が必要だったのか、これは想像がつかない。
そして、ここからすぐ近くの「愛の谷」という奇岩だらけの場所へ向かう。
何故「愛の谷」かというと、岩は基本キノコ岩なのだが、男性器に似ているというところに発するらしい。
ファティさんが言うのだから、変なことは教えないと思うので本当の話だろう。
ここの茶屋で飲んだザクロジュースは、ザクロのみを絞ったものでとても美味しかった。
立派なニワトリ
エジプシャンバザールで買ったのはザクロ茶だ。
ここは撮影ポイントとして有名なところなのだ。
コスタリカ人の親子、息子のエドワルド君は若者らしく活発だ。
どんどん岩の上へ登って行って被写体となっている。
お母さんは若く見える。
サングラスを外すと典型的なインディオ顔だ。
とても仲の良い親子で見ていて微笑ましい。
エドワルド君とは英語でやり取りしていたが、僕のインチキポルトガル語でも少しは通じる。
彼らは気球観光を希望していたが、欠航でこちらへ来たとのこと。
この季節は風の影響で当分は欠航らしい。
本当、鳩間航路に似ている。欠航という表現がぴったりだ。
この二か所はギヨレメの街からすぐの場所。
ここから昨日通って来た岩の城塞跡がある街、ウチヒサルの町へ絶景ポイントを責めながら移動して行く。
今日はファティさんとドライバー、親子と人数が多いので、昨日のようなフリートークにはならない。
時折、道を間違えたりしながら、コンスタンチヌス帝が幼少時に学んだ住居跡などを見学。
これは、岩山に無数の穴が開いていて、人がだれも住んでいないところを遠くから眺めるというシチュエイションなので、想像力を働かせるしかない。
手前の道路とか、現代の住居とかを全部視界から消して、3世紀ころの世界を想像するのだ。
中々に難しい。
そうこうしているうちに、もう13時頃。
そろそろお昼の時間だが、本日のランチは民家へ行って伝統的な料理をそこの家の家族と我々で作って食べるという趣向になっている。
実はこれを楽しみにしていたのだ。
カルダックという古い村のお家を訪れると、大家族で、老夫婦と子供が6名、孫も数名いて、とても賑やかだ。
ご主人は、日本円で1万円が工面できなかったために左目が見えなくなってしまったと聞いた。
色々とご苦労があったのだろう。
子供たちの家族も仕事がないため、ここに皆で住んで、このツアーの手伝い(こういう食事の提供)や、手芸品を売ったりして暮らしているとのことだ。
男たちは働きに出ているのだろう。
今、家にいるのは老夫婦と娘達、孫達だ。
料理を我々で作るというのは、小麦粉を練って棒で延ばして丸く薄くなった状態にして、その上にチーズとか野菜とかを乗せて半円状に包んで鉄板で焼くという料理の、焼きまでの部分をお手伝いするというものだ。
まあ、素朴で簡単と言ってしまえばそれまでだが、多分これはイスタンブールの早朝のT.V.番組で夫の料理の下手さ加減を笑うという番組でやっていた料理のような気がして、侮れないという気がした。
鉄板で焼いて出来上がり。
家は薪ストーブで暖まっていて、我々が仕込んでいる廻りで孫たちが大騒ぎという、とても賑やかな雰囲気になっている。
何だか田舎の親戚の家に来た気分になってとても和やかになる。
薪ストーブとイモ
まあ何とか娘さんたちの助けもあって作り上げたものを、屋外の鉄板で焼いて、切り分けて皿に持って食事になる。
サラダ、スープ、焼き芋、そしてさっき我々が作ったクレープ状の物(多分ギョズレメという料理だと思う。)、飲み物という素朴で伝統的なメニューで、これが結構な量だ。
自分で作ったものは、原則、自分の分で出てくるようなのだが、美味しいんだけれどとても食べきれない。
材料は全部自分の畑で作ったものでオーガニックなものと言っていた。
最後にチャーイを飲んだらとても寛いだ気分になった。
昼寝がしたくなった。
薪ストーブに乗っかっているやかんが面白い。二層になっている。
下の部分がお湯、上の部分がチャーイなのだ。
チャーイを淹れてお湯で少し薄める。
これは良い道具だ。
孫たちが大騒ぎをして遊んでいる。お母さんがこれをたしなめる。
どこにでもある風景なのだが何だか懐かしい。
家族はトルコ語しかできないので言葉による意思疎通はできないが、何となく身振り手振りで意味は通じる。
子供たちと遊ぶ。
写真を撮られることが大好きなんだよな、大体こいつらは。
で、撮った写真をすぐに見せると大喜びなのだ。
家の中を見せてもらったり、子供たちと遊んだりして幸福な気分になる。
帰り際に手芸品も買う。
ああ、こういうことなんだと思ってはいけないだろう。
この人達が演技しているとは思えないし、仮に演技していたとしても良い。
幸福な時間を過ごさせてくれた地元の人達にお金を落とすべきなのだ。
生活に困っているこの人達を助けるために企画を立てたのは、Stream Co. Tours のノリ子さんということだが、こういう企画はどんどんやるべきだと思った。
ただ、バルーンだけが目当ての人とか団体客、贅沢なツアーを望んでいる観光客には向かないだろう。
しかし、僕にとっては今日のランチは間違いなく本日のハイライトだった。
記念写真を撮って親密な挨拶を交わして幸福な気分で家を後にする。
次に訪れたのは、カッパドキアで最も美しい教会跡だとファティさんが強調する聖ジョンの修道院と呼ばれている教会跡。
約1700年前の修道院跡にはフレスコ画が非常に良い状態で保存されていた。
そして、ギヨレメの屋外博物館へ。
ここは、広大なスペースに住居跡や教会跡等がそのまま保存されている。
保存状態も良い。
住居跡
ヒッタイト時代に描かれたであろう牛の壁画なんていうのもあって、昔、世界史の教科書で見たことがあったような記憶がよみがえる。
住居跡内部から
住居跡
マッシュルーム岩
ここまで色々と見てきてカッパドキア観光は、奇岩見物よりもこちらのヒストリカルなものの方が面白いと感じた。
また、イスラム教は他の宗教にとても寛容だと感じた。
でなければ、キリスト教の遺跡がこんなに良い状態で保存されていないだろう。
今日は時間もたっぷりかけている。
ちょっと疲れた感じはあるけれど、最後に予定にはなかったカッパドキアで最も大きいキノコ岩を訪問して終了。
明日はファティさんは来ないので、今日でお別れだ。
日本語が話せるということもあるが、1日目の中身の濃い観光と話、今日の訪問スポットの案内、旅の歴史的な意義を濃く感じさせてくれた今日の説明等々、本当に有意義な二日間だった。
やはり、良いガイドの存在は旅の意義を大きく左右する。
fbのやり取りをして分かれる。
オトガルの近くの酒屋で、例によってエフェスとワインを買ってホテルへ。
部屋の前のテラスで非現実的な風景を見ながらエフェスとワインを飲る。
夕食は昨日の店へ。
美味しくて安い。
特にお米の処理の仕方がとても良いように感じた。
ショートカットの道も見つけた。
気持ち良くなった勢いで床屋へ行く。
明日はハイキングツアー、人数も多いとのことだ。
夜になって冷えてきた。
いつも早めに寝れる。