第6章 3/16(土) カムッパレ ~ デニズリ
スタッフにしつこくデニズリまでだからと念を押していいたので、それらしき巨大オトガルの地下駐車場 ― オトガルのガルはフランス語のガルあるいはガーレ、つまり駅のことで、オトはオトビュス、つまりバスのことを指していると今更ながら気づく ― に着いたところで、デニズリだと告げられる。
何だかイメージしていたのと全然違う。
もっと田舎の何もないようなところだと思っていたのだが、辺りがまだ暗いのでよく分からないが、都会だ。
朝の6時半頃。
約10時間のバス旅。
休憩も多くて楽は楽だったが、殆ど眠れていない。
降りるのは5、6名だ。
辺りはまだ真っ暗で冷え込んでいる。
途中、小雨なども降っていたので雨だったら観光はきついかなとは思うのだが、地下なので天気は分からない。
前日までの調べで、ホテルまでは歩ける距離ではないのでタクシーを使うことになるが、荷物を置くためだけにタクシーで往復するのはいかにも効率が悪い。
荷物預り所― エマーネット― がどうも近くにあるらしいので、そこで荷物を預けるのが良いとの情報もあったので、探してみると幸いにもすぐにみつかった。
荷物を預けてパムッカレに向かうミニバスに乗り込む。
こちらは7時頃になってもまだ薄暗い。
その代り夜は8時頃にならないと暗くならない。
途中で客を乗せつつミニバスはパムッカレに向かって行く。
辺りが明るくなるにつれて、景色も都会から田舎へとどんどん変わっていく。
わりと長く感じられたのだが、乗っていたのは30分くらいだろうか。
終点ではないところでここはパムッカレだよと言われて降りた。
白い丘が見えているからそうなんだろう。
旅行社や食堂が並んでいて、いかにも観光地の入り口だ。
7時過ぎ、まだ店は閉まっている。
かなりの寒さだが、天気は良さそうだ。
白い丘の方へ歩いて行くと景色が開けた。
池のある公園があり、鴨なんかがのんびり浮かんでいる。
坂道の上に自然公園のチケット売り場がありそうなので行ってみると、8時からだという。
あと30分。
パンの屋台が出ていたので、池のほとりのベンチで朝食、トイレなんかを済ましていると30分位はすぐに過ぎる。
公園の全景
入場すると、いきなり裸足になって水が流れる石灰棚を登ることになった。
靴袋とタオルは必需品という情報もあったので準備していて大正解。
雪山に見えるけれど、これは石灰なのだ。
流れる水は冷たく裸足の足も冷たい。
水が上から流れてきて、自然のプールを作ったりしていて今までに見たことのないすごい光景だ。
石灰棚を更に登って行くと流れてくる水が少し暖かくなってきたように感じられる。
この流水は温泉なのだ。
上から湧いているので泉源に近くなるにつれて暖かくなるのだ。
もう足湯状態になってきて気持ち良い。
水温は30度くらいだろうか。
冬場だから無理だけど、夏場の観光シーズンには、所々にあるプールまたは風呂的な場所で泳いでいるらしい。
楽しそうだ。
ただ、ものすごく混むらしい。
オフシーズンのこの時期は静かだ。
最近はこのように温泉水が枯渇してしまった石灰棚も多い。
裸足で石灰棚を登ること小一時間。
丘の上で靴を履く。
おそらく南門から来た観光客がもう沢山いる。
団体客が多いようだ。
例によって大声で騒がしい。
ここからは、ヒエラポリス遺跡の見学だ。
実際に入浴できる温泉の底に遺跡が無造作に沈んでいる。冬場の入浴は寒そうだ。
紀元前2世紀頃から11世紀頃、ローマ、ビザンツ時代まで続いた都市の遺跡だ。
円形競技場、教会跡、温泉浴場等々、周囲は全て遺跡。
何の花だか分からないけれど可憐な様子。
そこここに無造作ともいえるように転がっている物が全てこの頃の遺跡なのだ。
今でもまだ発掘が続けられているらしい。
この公園も相当に広くて歩きごたえがある。
うるさいのは苦手なので、観光客があまりいそうにないところから探索する。
カッパドキアと同じように、当時ここでどのような生活が営まれていたのか想像すると面白い。
3時間ほど時間をかけてできる限り回ってみた。
これは人工の温泉
パムッカレは、石灰棚や温泉といった珍しい風景が派手に宣伝されているが、それよりもヒエラポリスの遺跡をきちんと見ることの方が本質ではないかと思えた。
8時に入場して4時間位の散策だ。
最後の最後まで遺跡を巡りながら出口の門に到着した。
出口付近
しかしここはどこの門なのだろう。
店とか、その他諸々何もない。
バス停も見当たらないし、おまけに人もいない。
新築したらしい建物が多いので新しいゲートなのか。
それにしては自分を除いて観光客が一人もいないということはどういうことなんだろう
しかし、順序通り歩いて行くとここにたどり着くのだ。
ゲートの前は大きい道路が走っている。
しばらくその辺りに佇んでいるとミニバスらしき車が走ってきたので、停めて聞いてみると反対方向へ行くとのこと。
帰りに乗せてやるから5分ここで待てと言う。
5分というのは大体15分と思っていればよいので、誰もいない見晴らしの良い丘の上で20分ほど待った。
天気が良いのでそれはそれで楽しい。
やがてさっきのミニバスがやって来て、今朝出発したデニズリのオトガルに到着。
多分、メインのゲートは他にあって、ミニバスはそこへ向かっていたのだろう。
僕が出たゲートは新造の物であまり知られていないゲートなんだろうということにした。
今朝到着した時はまだ真っ暗で良く分からなかったが、デニズリはとても大きい街で都会だ。
イメージしていた田舎とは全然異なる。
オトガルにいくつもある食堂で軽くランチ。
何だか面白いことの連続であまり空腹を覚えなかったのだ。
タクシーで本日のホテル、エシンホテルへ。
地図上は歩けるかなとも思っていたのだが、とても歩く距離ではなかった。
車窓から見る街は改めて都会だ。
15TLという良心的なタクシー代。
ホテルは賑やかな広場の真ん前で何をするにも分かりやすそうな好ロケーション。
もっとも、デニズリの街を観光する気はなく、明日の朝9時15分の国内線に乗るために泊るのだ。
このホテルの料金はとても安いのだが、部屋は良い。
ただ、明日の朝の空港行きの打ち合わせが面倒だった。
エシンホテル
本日の部屋
トルコ航空は国内線でも出発時間の2時間前に空港着を推奨している。
早すぎる感じもするが、アタテュルク空港での搭乗手続きの面倒くささから考えるとそれもうなずける。
ということは7時15分頃には着いていなければならないのだが、ここからチャルダック空港までは約60㎞。
ホテルの前から空港行きのシャトルバスが出ているのだが、始発は7時。
遅いんじゃあないかとホテルのフロントで議論になって、結局6時半にタクシーを呼んでもらうことになった。
タクシーは高いよと念を押されたが、確かにホテル代より高い。
しかし、これはやむを得ない出費だ。
ホテル代は現金、先払いのみの明朗会計。
部屋へ荷物を置いて、早速酒屋探しと第一次街歩き。
山に囲まれた街だが、とにかく賑やかだ。
ホテルの前の広場には、サッカーチームのユニフォームを模した旗がはためき、若者たちが集まって何だか盛り上がっている。
一方、のんびり座って日向ぼっこでもしているような老人たちも多数いる。
ホテル前の広場
酒屋は難易度が高そうだが、これまでの経験からすると、まず表通りにはない。
一本入った裏路地あたりにあるのだ。
外観は普通の飲料屋と変わらないからややこしい。
歩いていると、楽器屋が多いことに気がついた。
程なく酒屋が見つかり、エフェスとワインを購入。ワインはデニズリの特産品らしい。
シャワーを浴びてのんびりしてから、夕食がてら第二次街歩き。
土曜日ということもあって、とても賑やかで老若男女楽しそうに歩いている。
モスク
楽器屋に結構ギターが置いてあり、そろそろ弾きたくなってきてもいるので試奏させてもらった。
生ギターなら何でもよいのだ。
何曲か弾いていたら、皆おとなしく聴いている。
買わされそうな雰囲気になったので、いや、試奏するだけだからと退出。
嫌な客だね。
ここは表通りの大きめの楽器屋。
裏路地に入ると、小さな楽器屋さんでおじさん二人が談笑している。
こっちと目が合って笑った。
試奏したいんだけどいいかと聞くと良いらしい。
ここまで、もう英語もあまり通じなくなっている。
また何曲か弾いていると、若者たちもやって来て、そのうち談笑していたおじさんの一人が民族楽器の弦楽器であるサズを取り出して弾き始めた。
何となくDを中心として一緒にやろうという合意はあって、セッションになった。
毎日聞こえているアザーン― コーランの放送― のような半音・半音で構成されるマイナー旋律をDmを中心に展開しているから、ギターをDチューニングにして、リズムをぶつけたり、色々と仕掛ける。
サズはそれに乗っかってフレーズを繰り出してくる。
とても楽しい。
いつの間にかギャラリーが増えていて、演奏後は拍手。
チャーイも出てきて、店のスタッフやお客さんとも交流ができた。
FB交換した若者が、動画を撮っていたらしく後日見ることができた。
お礼を言い、とても幸福な気分になって楽器屋さんを後にした。
こんなことが偶然に起こることはとても楽しいことだ。
演奏を終えて交流する。
公園に戻ってくると、何やら行列ができていてその先には屋台。
暇だし、試しに並んでみると丸くて甘いお菓子を供している。
いくらと聞くと無料だと言う。
どういうことか分からないけれど、皆並んでもらってその辺で食べている。
食べてみると、もっちりとしてとても美味しい。
小さいことだが、また幸福感が増した。
とても単純な印象なのだが、デニズリはとても良い街だ。
賑やかだけどうるさすぎない、表通りと裏路地の佇まい、山に囲まれた景色と都会の調和、若者たちの活気と老人たちの存在感、楽器屋は多いしワインの産地でもある等々。
これらが自然にバランスがとれている街のような印象を受けた。
観光地ではないから、勧誘もないし、街も清潔だった。
寝るためだけに寄ったような街だけど、とても良い拾いものをしたような気がする。
もう一泊してこの街をじっくり楽しんでみたい気持ちになった。
まだ明るいので、一旦ホテルへ戻って一杯やる。
昨夜のオトガルでの若者たちの大騒ぎのことをカッパドキアのファティさんに聞いていた返事が来ていた。
軍隊に行く若者を応援して送り出しているんだということだった。
日本にも昔そういうことはあって、しかしそれはちょっと悲しいことだったと返事をすると、軍隊に行くのは良いことであって、男になるということなんだと返してきた。
なるほど、トルコは紀元前から東西からの侵略を受けて、戦争で歴史を作ってきたのだ。それで文化交流もしてきた。
今でも、隣国のシリア、イラン、イラクの紛争の影響をもろに受けている。
兵役に就くということは国を安定させるためで、日本とは価値観が違うのだ。
それにしても「男になること」というのは、最近は日本人でもなかなか使わないうまい表現だなあ。
山に囲まれた街
うす暗くなってから夕食へ。
安くて美味しい夕食にもありつくことができた。
昨日も殆ど寝ていないので、すぐに眠くなる。
明日は6時半出発だ。