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2007年06月 アーカイブ

2007年06月01日

ようこそイタラシキ.コムへ

ギターの板垣です。
本日から公式HPを開設いたしました。
よろしくお願いします。
このブログでは、ライブや旅、音楽一般や日常のこと等を記していこうと思います。
よろしければ遊びに来てください。
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2007年06月05日

遠刈田大道芸フェスティバル

皆様、こんばんわ。
6月2日、3日と遠刈田の大道芸フェスティバルに行って来ました。
ここは、今年で11年目なのですが、6月アタマという梅雨の時期にしては、毎年必ず好天に恵まれるという伝説がありまして、今年もそれは崩れることはありませんでした。
サウーヂはここ数年、バスをチャーターして来訪しています。
今年も土曜夜と日曜フィナーレと1回づつのパフォーマンスでした。
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小生は、サウーヂとは別に、毎年木村商店(フェスティバルの中心となっている酒店、お菓子もより取り見取りだ)に家族旅行に行くというスタイルがここ十年ほどの恒例になっています。
元はといえば、木村商店の若旦那とカフェ・ミルトン(白石のライブレストラン)でのITAeKAZUのライブで知り合ったというのが始まりでして、いやそれよりも、サウーヂと仙台サンバクラブのつながりが始まりといえば始まりかもしれません。サウーヂができた頃ですね。実際、仙台サンバクラブはサウーヂより前からサンバを始めています。ま、その辺の話も色々と面白い話はあるんですが。またそのうちに。
遠刈田の大道芸フェスティバルは、町おこしのために遠刈田の若手商店主達が野毛大道芸を手本としつつ始めたものです。
以前は、運営や段取りにも色々と問題はありましたが、今では運営、段取り、大道芸の質、どれをとっても、他のフェスティバルの見本となるような素晴らしいものとなってきています。
何と言っても、一番素晴らしいのは、地元の手作りであるという事。関係者の賄いは商店のおかみさん連でやっており、男衆だけに任せておけないというところからきており、露店や警備やその他もろもろ、商店街が自主的に協力し合って全てやっているというところが大きな特徴です。
普通、そうなると意見の違いやら、運営の仕方やら、利害得失やら色々問題が出てきてうまくいかないことも多いのですが、ここは見事にまとまっています。
出演者も大変気持ちよく演技をしており、それは出演希望者の多さと、中打ち上げの楽しさ(というかハチャメチャさか)に象徴されるかもしれません。
たぶん、実行委員会を始めとして商店街のみんなが遊びの気持ちでやっているのがいいのかもしれません。それは自分達も楽しむということですね。
前実行委員長の小室氏(白塗りバカ殿パフォーマンスで有名です。)は、運営する側が楽しくなくなった時はこのフェスティバルは終わる時だと強調しています。
動機は始めはどこも皆そうだと思うんだけれども、段々マンネリ化していったり、逆に大掛かりになって業者任せになって、内容も、テレビで見ているものと変わらないような画一的なものになっていったり、要するににつまらなくなってしまうものがあまりに多い中で、ここは特筆に価すると思います。
大道芸はそもそも、あやしさがなければつまらないと思いますね。日常の空間の中での非日常性の面白さ、そういう意味では、テレビとは全く違ったものですね。
ちなみに小生はテレビ番組がきらいです。
ここの大道芸は、あやしさを保っていますし、今後もその方向に邁進する筈です。
大体、丸太を何時間もかけてチェーンソーだけで彫刻作品に仕上げるなんてえのは、やる方もやる方ですが、見ている方も見ている方ですよね。これが芸と言えるかといえば、見ている客がいるからそう言えるのです。
そういう意味では、観客も試されているわけですね。その辺の緊張感がいい雰囲気を生むということでしょうね。
さて、そんな中で小生は何をやったかというと、相変わらずのギターソロ。
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うーん、地味ですね。
でも、仲間がいるのでこういうこともできました。
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そんな中で、面白かったのは、秋田のカポエイラのグループとコラボしたことですね。
メンバーが3人しかおらず、そのうち2名がビリンバウを弾くので、演舞をやる際にビリンバウがなくなってしまうということで、土曜の深夜に相談して、小生のビリンバウ的ギター奏法でビリンバウの代用をしてしまおうと、しかもそのままビリンバウの曲(バーデン・パウエルの)に入ってしまおうというものです。
ビリンバウ的ギター奏法はCDでもやっているものですが、これが実際にカポエイラと合わせられるかということは、前の週の豚丸ツアー(なんだか分からないでしょうから、後日説明しましょう。)で試していますので、やろうやろうと小生から提案しました。
これが意外と面白かったですね。こんな感じです。
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カポエイラグループも喜んでいました。
ビリンバウ的ギター奏法も後に説明しましょうね。
色々とフェスティバルには出演していますが、遠刈田は理想形になる可能性はあります。
日曜日の朝飯のおかみさん連各家庭持ち寄りおかずバイキングは、どんな豪華ホテルも負けます。
というわけで、来年も同じ時期(6月の第1土日)にありますので、興味のある方は是非行ってみて下さい。
温泉も熱いです(熱すぎて入れない輩もいる。)。
ではでは

2007年06月08日

豚丸の思い出

皆様、こんばんは
6日は、大塚エスペートブラジルのライブでした。
ご来店の皆様ありがとうございました。
こんな感じでした。
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今日は、遠刈田に先立つこと1週間前の土日に行われた「豚丸」についてご報告いたしましょう。
そもそも「豚丸」とは「豚の丸焼きとサンバとショーロを楽しむ温泉バス旅行」の略であります。主催者は、小生のCDのデザインを手がけてくれたスチールヘッド(会社の名前)、そして写真家上野氏と神成氏ご夫妻、そして関係諸氏。総勢70名ほどの観光バスツアーでありました。
冗談の好きな大人のバスツアーは楽しいですね。引率の先生役の仕切りもよく、決して会社の旅行ではなく、中学生の遠足のノリでした。
ちゃんと高速に入ってから、おやつならぬ酒が支給されました。
このバスの前面には「サンバとショーロと豚の丸焼きの宴」ときちんと掲げられています。
この写真からは見えにくいのですが。
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行き先は群馬県は片品村、尾瀬の入り口ですから、山から降ろしてくる風はときおり強く、特に夜は冷え込みます。
民宿4軒に分宿して幹事宿の広い庭で宴は行われました。
夜の豚の丸焼きに先立って、ITAeKAZUXIのライブです。
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天気は晴朗なれど、吹き降ろしてくる冷たい風が厳しいのです。
テントは人が支柱を持っていないと飛んでいってしまいます。
この冷たい風で、お客さんが部屋へ段々避難して、残った聴衆とバンドは風との我慢比べです。
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でも、おかげで演奏後の温泉は気持ちよかったですね。
その後は、いよいよ豚の丸焼きです。
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半身で40kg、つまり全部で80kgほどあるわけですから、子供も含む参加者は、実質一人1kg強の割り当てになります。
まるでシフォンケーキのような豚肉をやっつける幸せと申しましょうか。
その後、暗くなって風もやみ、パゴーヂタイムとなりました。
ここで特筆すべきは、おでんの屋台を出したことです。
風除けのためビニールハウスを使い、食い放題、飲み放題のおでん屋台です。
赤提灯にお品書き、当然酒は二級酒(とは言わないですね、今は)の燗酒。冷えてきているのでこれが効きます。となればバックの音楽は北島三郎のど演歌です。小生も流しをやってしまいましたね。よれた背広でも着て会社の愚痴のひとつでも言ってみたい気分になるような空間ですね。本当に愚痴を言っている方、申し訳ありません。
そこに、突如、サンバのパレードがやってくるというのは、実にシュールな瞬間でした。
江戸川乱歩の怪人二十面相を思い出してしまいました。
つまり、究極のおでん屋ごっこを演出したわけです。
さすが、クリエーターの集団はやることが違うととても感心したし、楽しかったです。
この星空の下でやった生演奏(おでん屋の対面の焚き火を囲んで)は、多少寒かったですけれど、とても気持ちのよいものでした。
こういう瞬間は演出では作りきれないものですね。
というわけで、翌日の昼食は残った豚を骨も何もかもとことん煮込んだスイトン。
濃厚な豚骨ラーメンスープの味でした。
来年も是非開催、参加しようとの決意のもと、一同大満足のうちに帰って来たのでした。
あれだけの大人数を楽しませてくれた幹事さん達の企画力・実行力には本当に感服しました。
ご苦労様でした。
皆様も来年はいかがですか。
2週連続して温泉ツアーはぜいたくだったなあ。

2007年06月09日

八重山・沖縄第1回

皆様、こんばんは
今日は、どうして小生が沖縄・八重山にしょっちゅう行き来しているか、お話しすることにしましょう。現在の状態に至るためには話が長くなるので、今回は第1回です。
ちなみに古い写真がデジタルで無いので、今回の写真はご愛嬌ということで。

筆者近影
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そもそものきっかけは、サラリーマン時代の那覇市で開かれた全国会議がきっかけでした。
もう10年以上前になるかもしれません。
その頃、既にITAeKAZUで演奏しており、相棒のKAZUは旅ライターの仕事もしていて、沖縄旅行に関してはベテランでした。沖縄民謡にも詳しくて、音楽家のはしくれである小生もそれならばと、沖縄に行くなら民謡酒場だとKAZUから文献やら音源やら借りて色々と予習をして出かけたのでした。
もともと日本の民謡や演歌は苦手なその頃の小生でした。
さて、深夜、宿を抜け出して初めて足を踏み入れた民謡酒場は、那覇市の「民謡スナック三原」。
赤いソファとステージ後方の浜辺の画き割り、オリオンビールの提灯と安っぽいドア、それでいながらアット・ホームなウェルカムの雰囲気、4人編成のハウスバンド(って言っていいんでしょうかね。)、とてもよい雰囲気でした。
ここで、日本民謡と波長が合わなかった自分が沖縄のそれと妙に波長が合うことを発見しました。
当時方言を知らなかった自分が「かいしゃ、かいしゃ」と歌っている部分が変に気になったことを覚えています。
その中でも、女性連れで作業服で現れた中年の男性二人組み。ただの酔っ払いかなと初めは思いました。そのうち、その二人組みが飛び入りをするということで、舞台の袖に引っ込みました。そして、膝までしかない浴衣のような着物と妙なお面をかぶって裸足、一名は三線を携えて現れ、とても不思議な音楽と踊りを披露したのでした。三線はロックミュージシャンのように横に構えています。
後で聞くとアンガマ(石垣島のお盆行事)に使われるウシャマイとンミーの衣装で八重山民謡を唄い、舞っていたのです。
それは衝撃でした。
それまで演奏されていた沖縄民謡も十分に楽しめたのですが、八重山のそれは、この不思議で魅力的な演奏・舞は一体どのようなところで演じられているのだろうと、どうしても確かめてみたいという欲求に駆りたてるものであり、八重山を訪ねたくて仕方なくなりました。
同時に、ただの酔っ払いに見えるような人達が当たり前に素晴らしい芸能を披露する沖縄という土地や、うちなんちゅーの芸能の奥の深さに感銘を受けました。もっとも件の二人組みは舞台を降りるとただの酔っ払いに戻ってしまいました。
ここから、毎年十五夜を中心とした(連休でサラリーマンにとっては休みが取りやすかったからですね。)八重山行きが始まりました。

夏の雲ですね
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初めは何もわかりませんから、ガイドブック片手に色々な島を回りました。民宿で主さんが三味線を弾いて民謡を唄ってくれるのが、ただそれだけで嬉しかったし、この唄を八重山で聴いているんだなあと思うだけで妙に感激していました。
しかし、ガイドブック片手の観光旅行は八重山の宿がある島々(鳩間と新城を除く)を何回か回った時点で飽きてしまいます。
いきおい石垣島の民謡酒場に通いつめることになります。

筆者は食われてしまうのか!
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こんなことがありました。
美崎町の某民謡酒場がお気に入りだった頃、飲んでいて、もう十二時を回った頃、とても元気なおばあ連がいました。
その方達から一緒に飲もうと誘われて、当時は地元の人達と飲めるだけで嬉しいわけですからがんがん飲みました。
その中の一人から明日家に遊びに来いと言われました。本当は社交辞令あるいは酔いが言わせたその場の一言なんでしょう。でも嬉しい小生は、翌日風邪気味のところを押して訪問しました。
市役所から近いそのお宅は、なんだか電気が止められていて、日が暮れるにつれて段々暗くなり、暑い中、扇風機も動かず、踊り用の金銀の扇子でおばあが小生を扇いでくれます。
お気に入りのかまぼこ屋が休みだということで、甘いファンタだけで話を聴きました。
八重山では子供ができない夫婦は別に女性と関係を結んでよいというような風習が昔はあった。自分はまさにその別の女性という対象だった。戦後、パイナップルの缶詰工場で苦労したこととか、でも子供達は立派になって本土で元気にやっているとか、古いアルバムを引っ張り出してきて涙ぐみながら見せてくれました。
最後に、自分は今晩もあの民謡酒場へ行って飲みたいし、あなたにもご馳走してあげたい、しかし自分が特にあなただけにご馳走したら他の仲間が変に思うだろうしあなたにも迷惑がかかる、だから今これを渡すから、どうか今晩も一緒に飲みましょうと言って、懐からくしゃくしゃになった千円札を渡すのです。
これには恐縮して固辞しましたけれど、結局、固辞しきれずありがたくいただきました。
もちろんその晩も飲みに行きました。
この頃から、自分は八重山や沖縄の何が好きなのか真剣に考えるようになりました。
音楽をやっていることをいいことに、島の人達が大事にしている音楽の表面しか聴いていない自分を恥ずかしく思いました。
観光はもういいと思い始めたのもこの頃からです。
鳩間島との出会い、そこから始まる八重山や沖縄の人達との音楽を契機にした出会いがなければ、八重山・沖縄との現在のつきあいは無かったかもしれません。

どこへ行くのだろう
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月祭りのゆんたく
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長くなりました。
この続きは第2回にしましょう。
ではでは

2007年06月15日

楽しい練習会の巻

皆様、こんばんは。

筆者近影
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DUAS INTENCOESというバンド名は、沖縄の某氏が、板垣武志とピアニスト・鈴木厚志の「志」の文字に着目して命名したものです。
沖縄でのライブのチラシに「二つの志」とデカデカとあったのを、これをバンド名にするのは何だから、ポルトガル語にしたらどうだろかと。でなんとなく収まりがいいので使っています。
ちょっと言いにくいけど。
このバンドの練習は、いつも拙宅で行われます。
終了後は当然のごとく飲み会です。
先日は、遠刈田温泉は木村商店の大道芸記念激安セールで手に入れた去年のボジョレヌーボー激安と純米大吟醸激安を楽しみました。
この季節からは夕方のテラスでの飲み会が実に気持ちよく、特に西に遮る物が無いので、夕陽は沈むまで鑑賞できます。
つまり西陽がんがんに当たりまくりということですね。

西陽にボジョレヌーボー激安の輝きを確認する鈴木厚志氏
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暗くなってからは、小生の部屋に移動するのですが、ここで聴く音楽は大体、ジャズのLP(アナログです。)が多いわけです。
最近、我々ではやっているのがフリージャズ。
フリージャズというと、始めから終わりまで決め事一切なしで行ってしまうというイメージですが(勿論そういうものもあって、それはそれで面白い。)、ある程度リズムの決めやテーマがあってアドリブの内容は自由というものの方が精神衛生上良いような気がします。
で、何故フリージャズなのか。
鈴木厚志というピアニストは音感に非常に優れていて、絶対音感もありますし、色々なピアノスタイルを即座に表現できるので、すごいなあと思っていました。

ピアニスト・鈴木厚志
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ある時、鳩間島の某家で愛情物語という古い映画のビデオがかかっていて、この映画はカーメン・キャバレロという、いわゆるムードミュージックピアノと言っていいのかな、そのピアニストが全編ピアノを弾いている(ピアニスト役は俳優さんです。)、なかなか感動的な映画なのですが、このピアノスタイルが例えばこうですね。「枯葉よ~~~~~~、ほっきゃらきゃらきゃらきゃらきゃら」(大橋巨泉氏の表現)、こんな感じに代表されるわけです。
鈴木厚志は見ているようで見ていないようで、なんだかボーッと佇んでいます。
ところが、このようなピアノスタイルが次のライブの彼のピアノ演奏に出てくるのです。
一所懸命見ていたわけではなく、単に流れていただけなのに、と、この辺りで鈴木厚志の特技に気付き始めるわけです。
思えばモード奏法的スタイルでソロを弾いていた直前は飲みながら、マッコイ・タイナー(ジョン・コルトレーンの共演者のピアニスト)のLPを聴いていたし、フリージャズスタイルが頻繁に出てきた直前は、やはり飲みながらフリージャズを聴いていたし、そういえば、那覇空港のANAの案内メロディや山手線の駅アナウンスメロディやら、果ては、鳩の鳴き声があれはA♭だこれはE♭だとか何だかんだ言っていたような気もするしと、この辺りで彼は聴いた音をそのままのピアノスタイルで表現できるのだしかも無意識に、と気付くわけです。
これはすごい。尊敬に値する。
と同時にこんなに面白いことはめったにないと思い始めます。
何故なら、飲みながら面白そうな音楽をかけておけば、次の演奏に無意識にそのスタイルがピアノで表現される可能性があると。
ジャズピアノやまともなピアノスタイルはあたりまえですから、やはり過激なフリージャズや真っ黒けのブルースピアノ、沖縄民謡、古いムード歌謡、演歌、そしてクレージー・キャッツやら。
そんなこんなで、小生が面白がってもっともっとピアノのフリージャズ度を高くしたいと企んで、フリージャズをバックミュージックに飲むわけです。
そもそも鈴木厚志は、かの山下洋輔(日本のフリージャズピアニストのパイオニア的存在)に憧れて、彼の母校の音大に入ったというつわものですから、何の抵抗も無いらしいですね。
というわけで、鈴木厚志のハチャメチャ(と言っては失礼ですね。でもこれは誉め言葉)フリースタイル・ピアノもお楽しみの一つであります。
このフリージャズという音楽に関しても面白い話題はいっぱいありますが、それは次の機会にということで。
ではでは

2007年06月19日

CD発売記念ライブ

皆様、こんばんは。

筆者近影
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6月15日、外苑前「Z・imagine」でCD発売記念ライブを行いました。
こんな感じです。

石田うーさん撮影
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多数の方々にご来場いただき、とても感謝しております。
また、小生が講師を勤める「ボサギ道場」門下生の皆様から立派な花束までいただき、感激いたしました。
ありがとうございます。

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ここは、ステージ上でも音がクリアでとても演奏しやすかったし、お客様からも今までで一番音がよかったのではないかとの感想をいただきました。
ピアノの調律も442khzで鍵盤ハーモニカに気を使うこともありません。

鍵盤ハーモニカ
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この442khzというのは、A(ラ)の音の振動数のことで、ギターのAの音は通常、440khzでチューニングすると考えられています。確か、チューニング用音叉の振動数がそうだったのかな。
鍵盤ハーモニカは442khzにチューニングされているので、ギターのチューニングと若干の差があります。
この2khzの差が気になると言えば気になるのです。
速い曲では鍵ハモ(鍵盤ハーモニカの略)の一音も短い音を利用することが多いので、あまり気にならないのですが、逆にゆっくりした曲は長い音を多用するので、この微妙なチューニングの差が気になり始めると最後まで気になってしまうのです。
鍵ハモはチューニングを変えられないので、ギターのチューニングを微妙に変えるということになりますが、曲の途中で6本全部変えるというわけにはいきません。気にしなければ、気にならない(これは人によって相当違います。チューニングに神経質な人が気になってしまうだけかもしれません。)ので、いつもはどんどん行ってしまいます。
この分からないような微妙な差が気になり始めると、どうもむず痒い感覚というのは日常生活の中にも色々とありますね。
身の回りの物の配置が微妙に違うとか、味噌汁の味が若干濃いとか、その他もろもろ。
挙げればきりがありません。
でも、お店のスタッフによれば、ライブハウスのピアノのチューニングは、普通は442khzですよとのこと。
であれば、ギターも442khzに合わせればよいわけですが、電子ピアノ系はまた、物によって違ってくるわけで、これまた面倒ですね。
ま、細かい話題というものは詰めれば詰めるほど出口が無くなっていきそうなので、気にしない方が幸せなのかもしれません。
この細かさとは対照的に、当日、来てくださった高校の同級生Iさんは(約30年ぶりくらいにお会いしたのですが、)、一瞬のうちに時間・空間を超越して、あたかも昨日一緒に竹刀を振っていた(我々は当時剣道部でした。)ような錯覚を起こさせるようなインパクトを与えてくれました。
彼は、大学も同窓で、天下に名だたる、元W大学の応援団長であります。
W大学自体は別にどうということもないのですが(関係者の方すみません)、応援団長となると別格で、あまたの運動部の対外試合を春夏秋冬、全員、学生服に身を包み、渾身で応援のパフォーマンスをするという、当の選手達よりはるかに目立つ存在の大人数応援団の頂点である団長は、カリスマ以外の何者でもないと小生は勝手に思っておりました。
有名なW-K戦におけるパフォーマンスはその頂点でしょうか。
今でもその片鱗を感じさせる声の大きさと、隣に座った全く知らない人でも十年来の友人と感じさせてしまうペースを見ると、さすがだなあと思いました。
でもI君は、高校時代、ジョニ・ミッチェルが好きな繊細な青年だったんだよね。
70年当時、ジョニ・ミッチェルに入れあげている高校生は少なかった気がしますし、小生はその辺りで共感したような気がします。
ま、その辺の話題も今後ぼちぼちと。
ということで、I君ありがとう。うれしかったぜ。
ではでは

2007年06月28日

歌の練習

皆様、こんばんは。

筆者遠影
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このところ長い文章が続いていますが、書く方も疲れますし、たぶん読む方も疲れるでしょうね。ということで、本日は短めで。
最近はライブで歌を唄うことも多くなりました。

唄っている
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ギターソロで完結できない楽曲をどうするかということは以前から悩みの種だったのですが、歌えば一応完結できるという方法になかなか踏み込めなかったんですね。
歌は、大きい声を出して練習することが不可欠のようでして、昼間、それができる環境を得たことが一歩進む要因だったようです。
昔、ギターをコピーしていた頃のように、ガチャガチャと扱い易く、壊れにくいカセットテープを利用して、数小節づつしつこくコピーして覚えこんでいきます。
まあこんなことは、弾き語りの人達にとっては当たり前のことなんでしょうね。
当たり前のことをやっていてもつまらないからどうしようと考えるわけです。
小生、元々体育会系人間なので、歌の技術がない分体力でカバーしようと思いつきます。
この発想自体、脈路も無く飛躍しすぎなのですが、何でこうなるんでしょうね。
で、普段から行っているジムでのトレーニングを更に念入りに行いました。
今では、上半身の筋トレ40分を毎日、それに加えてランニング60分を1日おきに。しかも、筋トレはジム仲間の元レスリング選手のコーチ付きという有様に。
おかげさまで、ウエストサイズは激減、体重は何十年ぶりに60kgを切って、終わった後飲むビールの旨いことといったらありません。しかもよく眠れるし。
しかし、以前は、眠る時間を惜しんで作曲やら編曲やらアイディア出しやらやっていたような気がするし、しかも果たしてこれで唄えるようになるのだろうかとまた悩みの種が増えてしまいます。
が、トレーニング+サウナ+ビールというものは細かい悩みを払拭してしまいます。
ついでに音楽的な悩みも忘れ去ってしまうのはちと怖いかも。
ではでは

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