2010年秋の八重山→沖縄
皆様、こんばんは
この時期は大体八重山・沖縄行きです。
もう何年になるでしょう。
沖縄に行き始めた原点がこの時期の沖縄行きだったし、台風と重なる時期ではありますが、天気が良いときは月がきれいで、とても静かな時期です。
とばらーま大会に合わせるというのが恒例となっています。
今年は、9月20日、去年より十日ほど早い。
旧暦八月の十三夜と決まっているので、毎年新暦上は日が動きます。
例年とは異なって八重山―沖縄コースを辿ります。
さて石垣島、台風11号は去りましたが、残念ながら野外ではなく市民会館での開催。
雰囲気は真栄里公園の方が何倍も良いのですが仕方ないですね。
歌詞特別賞を取った大浜中学校の生徒さんたちによる演奏が特に耳に残りました。
十三夜の月はきれいに輝いていました。
お馴染み登野城ステラの新装屋台
翌日からは鳩間島。
三泊しか滞在しないので、持参の食料は米3合のみ。
米盛さんの「瑠璃」は、奥様が那覇の子供のところへ行っており、勝おじい一人で色々とやっています。
でも奥様がいないと予約の電話は皆断ってますね。ここは最近大層人気があります。
着いたその日の朝、敬老会に引き続いて秋の音楽祭をやろうということに決定。
一昨年でしたか、やはりこの時期に来ていた早稲田大学の離島交流プロジェクト(サークルです。)が来ていて、週末に帰る彼らと一緒にということでしょう。
一昨年もそうでしたが、彼らは島の掃除やら学校の手伝いやら、この時期の貴重な若い労働力になっています。特に台風シーズンは尚更。今回も11号の後片付けに奮闘したようです。
公民館前広場で敬老会―音楽祭。
長老の挨拶
小中校生徒による演技
小生も演奏。
で、早稲田大学の校歌をステージ上でやるということで、小生もOBなので参加。
まさか鳩間で都の西北とか紺碧の空をやるとは思いませんでしたね。
しかもターキーが早稲田大学校歌の伴奏をできるようになってるし。
さすが。
看板は5月の音楽祭のものです。
フィナーレ
この晩、更に月が明るく輝いています。
明日は、やはりここで観月会をやりましょうとのことです。
ここのところ毎日良い天気。
この前方の切り株が山羊に見えてしょうがない。
日中の温度も32度位はありそうですが、さすがに秋の風、北東の風が吹いてきています(たぶんミーニシ(新北風)でしょう。)。日陰は涼しく感じられます。
今夜は十五夜。
米盛家でも月祭の準備です。
二年前にご一緒したことがあり、その前は浦崎家での月祭に参加させていただいておりました。
奥様は不在ですが、勝おじいが刺身を作ったり、石垣からオードブルを取り寄せたりと色々と準備は進んで、東の空から月が出始める午後七時に宴開催。
月とご先祖様に向かってお供えは、ススキの葉っぱに砂を持った茶碗、八重山のこの時期にしか食べない小豆を全体にぺたぺたと貼り付けた餅と本日のご馳走、砂に挿す線香の本数も決まっているとのことです。
月に向かって各自お祈りをしてから宴を始めます。
日本の家庭で失われつつある古い習慣がここでは現実のものとして生きています。
メインは、勝おじいによる鳩間中森、鳩間口説、千鳥節の鳩間島伝統の三曲。
相変わらず、いい声が出ています。
三味線も味があります。
午後八時からは公民館前広場でいわば公的観月会。
本日はP.A.無で出し物が進みます。
何か月に関係する曲をやれということで、何年か前にやはり秋の音楽祭でやったことのある「りんご追分」を演奏。この曲、今回の旅では随分演奏しましたね。
更に今夜は、U崎Y弘氏も来ているので、例によってU崎氏宅で何でもありの宴。
三味線、キーボード、ギター、笛に唄と踊りであります。
U崎氏の三味線はオールジャンルで来ます。今夜はベンチャーズから安来節まで。
相変わらずここの宴は音楽中心で楽しいですね。
ここで出し惜しみしていては楽しさ半減。
興味がありそうな観光客の皆さんも加わって真昼間(まぴろーま)のような十五夜の月の下、宴は続きました。
安来節の舞
毎度御馴染み
鳩間は船便が便利になったせいもあって観光客が増えているようでした。
島内の民宿も満杯。
ただ、いまだに島内を上半身裸の水着で歩くような不調法な観光客もいるようですね。
木曜日は、勝おじいとしばしの別れの宴。その歌声に、同席した民謡を勉強しているNさん(相当にやっている。)の目が点になってしまったのが面白かった。
かなりの衝撃を受けたようでした。
小生も覚えあります。
民謡についてゆんたくもしました。
民謡についての一説
土地で生まれた民謡はその土地で歌い継がれていくのが本来の形ではあるが、広められるためには紙に書いて教育していく形が必要になる。おじいが若かりし頃は九九四は無くて、対面で覚えた。紙に書いて教育すれば伝わり易い形になって広まるだろうが、紙に書けない野性味や本来の面白さは薄れていく。お行儀が良くなってしまう。
ただ、広まっている何とか流が違うという話ではなく、その土地の唄い方だとこういう唄い方もあるのだということを知ってほしい。
そういえば、ヨーロッパのクラシック音楽も本来は即興やら何やら色々ありで面白いものだったそうで、教科書で教わるものはお行儀良くて退屈でつまらないし、ジャズの分厚い理論の本を読破してもアドリブはたぶん一小節も出来ないと思うし、サンバは学校で教わるものではないという歌詞もあるし・・・・・・てなゆんたくだったかな。
印象に残った内容です。
ただ、彼らがいつも言っている「音楽は人を造る」という言葉の意味をはっきりと理解するまでにはもう少し時間がかかりそうです。
こんな話をある朝の恒例になっている勝おじいとK次さんのゆんたくに小生が加わって。
普通は朝の茶飲み話ですが、彼らの場合は朝の酒飲み話。
年配者はこうやって情報を交換し健康を確認しあうことが大事だということで、奥さんが不在だからそろそろ飯が尽きるのではないかと長老から案ずる電話がかかってきたりと、本土の都会で問題になっている高齢化の諸問題はここでは昔から直面してきたので普通の生活の中に消化しているようです。
何かと人気の出てきている鳩間島、来年の音楽祭前後の宿はもうほぼ一杯みたいです。
特にイベントとか意識しないで来てもやっぱり鳩間島は面白い。
音楽好きには退屈することがありません。
金曜日は石垣・大川のおなじみパパ・ビゴーヂでソロライブ。
新作楽器
本当に毎日良い天気が続いて、毎晩月がきれい。
土曜日は那覇に移動。
この日は、予定していたライブがキャンセルになって暇。
明日からのライブ関係者達と飲んだりゆんたくしたり。
何だか沖縄本島にも飲み仲間やら音楽仲間が増えたとつくづく感じます。
普通にうちなーんちゅと思われているみたいだし。
顔も変わってきたのかな。
以前はそうは言われなかったから。
日曜日はおなじみ、南城市玉城の「玉々庵」でのライブですが、今回は、今年5月に座間味へ行ったメンバー+per.によるジャズライブ。
小生は別としてかなり豪華メンバーです。
ボーカルナンバーはわりと入念なリハをします。
インストは全くぶっつけ。
座間味でも感じたのですが、このメンバーでのジャズは何て楽しいんだろう。
お客さんと一緒に楽しもうという姿勢が徹底していることもあるし、自分としてはベースの西川勲さんという強力な重石があるので自由になれるという意識もあります。
お互いの音も良く分かるし、本当に楽しいバンドです。
レギュラーで沖縄で出来たらすごいね。
それは無理としてもこれからも機会を作ってやっていきたいです。
アフターアワーのセッションは、民謡中心。
ボーカリストの雅さんの踊り、さすがうちなーんちゅですね、良かった。
「玉々庵」的にはメンバーも多いし冒険をしたとは思いますが、とても良いライブでした。
実は「玉々庵」って、本当はお家なんです。
でも、こういう形でのライブは極めてうちなー的であります。
主催のOさん、Cさん本当にありがとうございました。
月曜日は、休み。
南城市玉城でゆっくりと過ごします。
しかしほんとに天気いいなあ。
火曜日はいつもとは逆ルートの那覇は桜坂「サクレ」でソロ。
ソロとはいっても今回は、「サクレ」ママの美可さんのジャズボーカルとたっぷりジョイントしたかったので、当日リハもしてしまいました。
正解でした。
数えればもう数年一緒に演奏している女性ボーカルで、小生にとっての日本人ベストワンジャズボーカリストである美可さん(沖縄から外に出そうにありませんね。)とのコラボ。
リハをしたことによってかなり理解し合えたような気がします。
例えば、彼女の好きなボサノバの曲はオリジナルの歌詞の意味をアドバイスしたり、サンバ風の伴奏に馴染んでもらったり、4beatナンバーは、お互いにこんな風にしたりするといいかねなどと色々と試したり。
狭いお店ですので、結構混みあったりしましたが、お客様は楽しんでいただけたと思います。
個人的には、DUOとして固めていけるという強い印象を持った楽しいライブでした。
アフターアワー、ムードありますね。
10日間という短期間でしたが、八重山・沖縄、楽しくて、勉強させていただいて、感動させてもらって、自分の音楽生活の原点のような旅でした。
ふこーらさー
にーふぇゆー
にーふぇーでーびる
ではでは