« 2013年03月 | メイン | 2013年05月 »

2013年04月 アーカイブ

2013年04月17日

ブラジル旅行記1(準備・成田発Rio de janeiro行・3月19日(Rio de janeiro))

皆様、こんにちは

ようやく時差ボケも解消しつつあるようです。
3月18日から4月12日までブラジルを旅行してきました。
ブラジル音楽をやっていながら恥ずかしながら初めてのブラジル旅行です。
これは、長年の夢でした。広い国なのでやはり一ヶ月は滞在しないとわけがわからないと思っていたので、サラリーマンをやっていないこと、子供がある程度一人で生活出来る年齢になること、家族の了承があることが自分の中での条件でした。
これらをクリアしてようやく今回行ってくることができました。
この一ヶ月弱の旅行記をこれから記していこうと思うのですが、書く事もいろいろあるし写真も相当な量になっているのでじっくりと連載形式で書いていこうと思います。
今月末には春の沖縄・八重山ツアーも控えていますし、記憶を掘り起こしながらある程度時間をかけることになりそうです。

・準備段階
自分の旅のスタイルとして団体行動が嫌い、したがってツアーなどはもってのほかということになる。
飛行機、宿泊は全て自分でやろうと考えていたが、ブラジル国内の移動を時間の関係で飛行機でやるとなるとここは手配を旅行会社で行ったほうが無難である。幸いミュージッシャン仲間の千田氏がブラジル旅行を専門に扱っているI社にいるので早速相談に乗ってもらう。
国内移動のTAM航空とブラジルまでの往復をエミレーツ航空(ドゥバイ経由)で手配してもらう。結果的にはこれが大正解。
旅程も相談に乗ってもらい、初めてのブラジル、Rio以外にも色々と見て回りたかったのでRio→ Ouro preto→ Salbador→ Olindaと北へ進んでRioに戻ってくる旅程を作成、TAM航空の手配をお願いした。
ホテルはwebでいろいろ探し回って納得のできるところを自分で手配。
VISAの手続きも順調に終わって、やはり一番の問題は言葉。
先生についてポルトガル語を学んだ経験がないので非常に不安ではあるが1月頃からテキストなどを色々と買い込んで勉強に着手。果たしてこれが役に立ったのか立たなかったのか。
個人旅行で、一人旅の時間が長いので何もやらないよりはマシなはず。
あとは現地での支払いにどのような手段を使うかだが、安全を考えて多額の現金は持たず極力カードを利用することにして、現金は必要な額をATMで引き出すことにした。ただ、当初の現金としてドルを準備してガレオン空港で必要最低限の額を両替することにした。空港での両替はレートが良くないとのことなので。
さて、これで準備は終了。衣類も楽器も向こうで買うことにしたので荷物を作ってみるとえらく少ない。沖縄に行く時より少ないかもしれない。

・成田発Rio de janeiro行き
成田空港22時発のエミレーツ航空、ドゥバイ行き、A380型は総2階建ての巨大航空機。
1stクラスとビジネスが入る2階とエコノミーの1階は完全に分離されている。噂では2階のウェルカムドリンクはドンペリだとか???
約12時間かけてドゥバイ空港着。韓国・中国・インド・パキスタン・イランと飛行してきたはずだが5時着で暗いまま、さっぱり分からず。
ドゥバイ空港は巨大空港と聞いていたが想像を超える巨大さ、シンガポール空港も巨大だったが、あそこはコの字型、ここは真っ直ぐのかまぼこ型。その建物の中をターミナル連絡用の無人電車が走り、未来都市のような印象。乗り継ぎのため入国しないスペースも巨大で、ショッピングセンターの遥か彼方は霞んでいて見えない。夜中だろうが早朝だろうが世界中の各方面に飛行機が発着し多種多様な人種が行きかい、金ピカの壺やらなんせ車まで売っているのだ。全体的には金ピカでお客様大歓迎の印象。これからハブ空港として更に発展しそうだなあ。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011635.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011636.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011637.jpg

3時間待ってエミレーツ航空のB777型Rio de janeiro経由Buenos行きに乗り換え。
すぐ出るのかなと思ったらタキシングのまま1時間待ち。
このフライトはアラビア半島、紅海、アフリカ大陸、大西洋を横断していくかなり長い旅で、約15時間。
ドゥバイを8時15分頃発ってガレオン空港到着は16時。
ずっと明るいところを飛んでいるはずだが、機内は暗くなっていて朝だか夜だか分からない。
食事の時だけ明るくなるのはブロイラーのようだ。
航空機搭載カメラで下界を見ることができる。
アフリカ大陸に入ったときは茶色がずーっと続く。赤道ギニア辺りから大西洋に抜けていく手前は緑がずーっと続く。そして大西洋。南米大陸が待ち遠しい。500年前この海をアフリカ人達が何ヶ月もかけてブラジルへ連れられていったわけだ。
機内は暇なので寝るか映画を観るか。
偶然ブラジルチャンネルを見つけて、トム・ジョビンのコンサートと故ルーラ大統領の伝記映画「Filho do Brasil」を見る。
特に後者には興味を惹かれた。
エミレーツ航空はサービスも良くてとても良い印象を持った。
もっともアラビア語は分からないが。ブラジルチャンネルがあるのも気が利いている。ドゥバイ空港も併せて国を挙げてサービスに気合を入れているのだろう。「お客様は神様です。」的な姿勢は徹底しているようだ。
C.A.の女性の制服もとてもかっこよいのだ。
さて、長いフライトを経てようやく南米大陸が見えてくる。殆ど眠れなかったが期待と不安に胸が膨らむ。

・3月19日(Rio de janeiro)
ドゥバイ空港から来たせいか、ガレオン空港がやけに地味に感じられる。

ガレオン空港
%E7%94%BB%E5%83%8F%2011639.jpg

今日はここで午前中にローマから到着しているはずのピアニストの鈴木厚志氏と待ち合わせているが、エミレーツは約1時間遅れ。ま、エミレーツはこの1便だけだから大丈夫でしょうと入国手続き、当面必要な最少額を両替。ゲートで厚志氏と合流。
彼とは本日から小生が北へ旅立つ24日まで同行することになっている。
それからどこに泊まるかは彼も決めていないという。

今日から5日間はメトローのGloria駅近くのMonte Castelというホテル。
とは言っても着いたばかりで何もわからない。
ここは事前にグーグルで確認できず場所に不安があった。
荷物もあるし複数だしということで、TAXI。
跳ばす跳ばす。これがRioの標準なのだろうか。
近くに到着したのは良いのだが案の定ホテルが見つからない。これはどこかで聞いたほうがいいだろうということで一番近くにあったレストランへ。
親切にも若い店員さんが付き添って行ってくれた。実は目と鼻の先。
以後、こういう親切は各地で何度となく受けた。

場所がわかったので安心してセルベージャ(ショッピではなくセルベージャが一般的だった。)を飲む。
喉が渇いていたせいもあるかもしれないが、これが飲み助の二人共、目が点になるほどの激美味。

激美味のセルベージャ(瓶ビール)・・・アマゾニア地方の地ビールだとのこと
%E7%94%BB%E5%83%8F%2011647.jpg

チェックインして、近所を散策。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201637.jpg

ホテルのあるrua(通りという意味)を海方向へ下りていくと賑やかな大通りがあってその向かい側は公園。
商店や銀行、露天、Barも立ち並ぶちょっと下街っぽい雰囲気。その大通りにメトローのGloria駅がある。以後毎日ここを利用することになる。
ホテルのあるRua Candid Mendesは静かな通りだが、ホテルの隣のBarは大賑わい。
夕食は、先ほどお世話になったレストランへお礼がてら伺う。
実はイタリア料理屋で、,落ち着ける雰囲気。店員さんも感じがよく、二人共気に入った。
またまたセルベージャに料理を頼むが、美味しさと量で大満足。
このセルベージャが美味しかったのは単に喉が渇いていただけではないことを再確認した。
以後何度となく通うようになる。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201636.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011641.jpg

やはり本場のカイピリーニャは美味い、そして安い。
%E7%94%BB%E5%83%8F%2011640.jpg

仕上げはホテルの隣の大賑わいのBarで軽く飲む。
帰ると、時差のせいもあっていきなり意識喪失、爆睡。
ともあれ、無事に到着できた。
明日からは、いろいろと歩き回りたい。

2013年04月19日

ブラジル旅行記2(3月20日(Rio de Janeiro))

・3月20日(Rio de Janeiro)
以前、日本で何回か演奏したことのある小沢沙織さんがここRioで唄や言葉を勉強しているというので、本日会うことになる。
着いたらすぐに楽器を買おうと考えていたので、ついでに楽器屋さんが多いセントロの付近まで歩いて行くことに。
Gloriaという場所はとても便利な場所で、商店が多くてラッパやセントロにも近いけれど、大きな公園もあるし、ちょっと入ると静かな通りも多い。
Gloria駅で合流して、ラッパ通りをセントロ方面へメトローのCarioca駅周辺まで歩く。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011642.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011643.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011644.jpg

Rioのガジュマル
%E7%94%BB%E5%83%8F%2011645.jpg

Rioの中心街だけあって人、人、人・・・・・。大都会。歩行者の交通マナーははっきり言って悪い。
しかし、車は信号を守るが、歩行者は車が来なければほぼ90%の人が信号を無視して渡っているわけで、ベトナムのように車やバイクが途切れることのない状況で間を縫って横断するという状況よりははるかにマシ。しかし、車は歩行者が横断しているからといって止まってはくれない。
つくづく日本の交通マナーの良さは一級品です。

お昼になったのでポルキロのレストランで昼食。
ポルキロとは好きなものを選んで計りに乗せるという、食べきれないほど量が多いブラジルの外食屋では極めて合理的なシステム。
偶然入ったポルキロ屋はビジネスマンで混雑していて、やはりそれなりに美味しかった。
こういう昼食なんかの支払いも殆どカードで済ませるのがRioのような都会のスタイルらしい。
やはり現金はあまり持ち歩かないのだろう。
通りでは物売りやら、実演販売やら、パフォーマンスやらの商売が忙しそうだ。

昼食後は小沢さんと別れて、楽器探しへ。

何件か見て回ってviolaoの在庫が多そうな楽器屋で何台か試奏。やはり安いものはそれなりで、とにかく弾きやすいものを手に入れようと考えていたからその一点で探す。
Di Giorgioのクラシックギターが弾き易くて音もいいのでこれに決めて値段交渉。
飛行機に預けるケースで重くないもの、できればセミハードと考えていたがセミハードソフトとでも言おうか、全ての面に硬い枠が付いているソフトケースがありこれなら大丈夫だろうということで購入。全部で877RSのところを現金なら800RSまでdescontoすると言う。しかしそんな現金の持ち合わせは無いので、近所の銀行にATM探しへ。
しかしこれがなかなか難しい。以後いろいろと悩むタネになるのだが、VISAが使えないATMと使えるものがあって、また使えるものも全てがうまくいくわけではない。結局、かなり遠くまで行かないと現金を調達できないことが判明。ここは仕方がないだろうとカードで購入。
ま、それでも新品がケースを付けて5万円を切っているのだから良しとするべきでしょう。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201639.jpg

帰りはCarioca駅からメトロー。メトローのプリカを購入。
メトローはどこまで乗っても均一料金でとても便利でお得な足。以後Rio市内ではメトローを頻繁に利用することになる。

夕食は、Candido Mendes通りを下って大通りとの交差点あたりにある結構賑わっているレストラン「Vila Rica」。
歩道にも椅子やテーブルを並べるのがブラジルでは常識のようで屋外席はかなりの賑わい、室内は比較的落ち着いた雰囲気。値段から見て1プレートの量がかなり多そうな予感。牛肉の煮込み料理を1人前注文。出てきた料理は関節ごと煮込んだような料理で予想通りすごい量。1人前を2人で食べるのがちょうど良い。それにしてもこの煮込み料理は柔らかくて味付けもよく相当に美味。要するに牛すじ煮込みが関節ごと出てきたようなもの。
つくづく肉食の期間が日本と比べて長い文化、肉食文化の豊かさを感じた。

さて、水曜日はCopacabanaにあるBip BipというBarでボサノバセッションが行われているという話。21時頃かららしいがどうせブラジル時間だから22時頃だろうと、そのあたりの時間を目指して出かける心積り。
ブラジルの治安については日本では注意を促す情報が出ていて、夜の地下鉄なんかも要注意みたいな情報もある。来伯して日にちが経っていたら別だが、着いて2日目で夜の外出というのは一人だったら幾分躊躇したかもしれないが、この時はまだ二人。こういう時は心強い。
調べてみると、地下鉄1号線の終点Cantagaro駅から歩いてすぐのようだ。終点なので安心して乗っていると、一駅前のSiquiera Campos駅で引き返してしまった。何故か最後の一駅だけ乗り換えなければいけない仕組みになっている。メトローの駅は岩を削った洞窟みたいな作りで面白い。
Ipanema駅までは未開通だが穴は掘れているみたいだ。Rioの地形はところどころ岩山がむき出しになっていて多分地層も岩盤だと思うので、この地下鉄工事は大変だと思う。
さて、改めてCantagaro駅に降り立ってしばらく近所を探すと歩道にはみ出して飲んでいる一角がありました。そこがBip Bip。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011649.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011648.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011650.jpg

小さいお店で店内のテーブルを囲んでパゴージをするような仕切りになっていて、店内に入れるのは15,6人、あとは歩道の椅子で鑑賞する。飲み物は各自店内の冷蔵庫から取り出してご主人に申告する仕組みだ。このご主人というのがまた曲者っぽくて、丁度静かになった時にたまたま誰かの笑い声が目立ってしまった。これを一喝。大演説が始まってしまった。意味はよくわからなかったが、音楽を尊重しろ的なことを言っていたようだ。
今日買った楽器を持っていったのでそれを見つけたパゴージメンバーが入れと誘ってくる。敢えてボサノバの日と決めているだけあって、演奏されるナンバーは日本でもお馴染みの曲が多い。ギターと鍵ハモで参入。皆とても気持ちよく受け入れてくれてセッションの夜は更けていった。途中、ギタリストの年配のおじさんが参加。この人のギターは味があってとても良かった。若い人から年配の人まで楽しんでいてとても良い雰囲気だった。気が付くと午前2時。そろそろお客さんも引き上げる雰囲気が出てきたので仲良くなったRonaldo do Pandeiro氏とCentro方面に帰るTaxiに同乗させてもらう。これまた快調に跳ばす跳ばす。夜中のある時間を過ぎると赤信号は無視していいらしい。つまり日本だったら青信号以外は点滅の黄色信号になっているということか。
今日はサンダルに履き替えて街歩きも始めたし、楽器も購入、夜の地下鉄、セッション等、旅の基本を着実に積み重ね始めた一日で充実していた。

2013年04月22日

ブラジル旅行記3(3月21日~23日(Rio de Janeiro))

・3月21日(Rio de Janeiro)
曇りがちの天気

昨日というか本日午前様で帰ってきたせいもあり、昼前まで宿でまったりしている。
このMonte Castelというホテルは入口は狭いが奥行はかなり広い。
ブラジルのホテルはほとんど例外なくCafé da amanha (朝食)付き。
どこにも例外なく付いていたのが、パン、ハム、チーズ。そして全く甘くない絞っただけのフルーツジュース数種類。で、フルーツはマンゴー、パパイア、スイカ等々。当然CaféとLeite.。
これを基本にして各地それぞれ色々なバリエーションがあった。
マンゴーは好物だが日本ではあまり食べられない高価な果物だからとても嬉しい。
このホテルは都会なので食堂から見えるのはビル、ビル、ビル・・・・・、上空を白鷺のような鳥が群れで飛んでいる。

昼過ぎからATUXIが知っているというメトローのCardeal Arcoverde駅最寄りの大きいショッピングセンターに行ってみる。途中長いトンネルを歩く。
バスがものすごいスピードで走っていく。
ブラジルの一般乗合バスは速くて運転が乱暴だ。タクシーも速いがすべてがそうなのか。
ショッピングセンターは大きいけれど専門店の集まりでちょっと買いにくい。
Gloria駅周辺のスーパーの方が買いやすそうだ。
しかしGloria駅のATMは小生のカードを受け付けてくれないので段々現金が減ってくる。このままずっとカードが使えないとまずいことになるとちょっと心配になる。

それにしても、街中の警官、それも武装した警官の多さにはびっくりさせられる。装甲車もいるし。各住戸や学校や公共施設も鉄の門をぴったり閉ざし、必ずガードマンが出入りをチェックしている。そうしなければならない状況と、後に控えているW杯とオリンピックに対する国の意気込みを感じさせる。
夕食は件のイタメシ屋へ行って、さすがに疲れもあっておとなしく寝ることにする。

・3月22日(Rio de Janeiro)
Rioに来てから初めての良い天気。
24日にここをチェックアウトしてからの宿を探しているATUXIが、前々から興味を抱いていたMorroで日本人がやっているドミトリーというものがある。そこの奥さんと連絡が取れたので天気もいいし、下見がてら行ってみようということになる。

昨日行ったメトローのCardeal Arcoverde駅からしばらく歩くとMorroへ登っていく急坂があり、バイクタクシーがたむろしている。
周りはいわゆるモーホらしい貧しい感じの景色になってくるが商店や銀行ATMなんかもきちんとしている。やがて舗装道路の途切れるあたりから階段、遊んでいる子供たちに日本人の宿を知らないかと聞くと道案内をしてくれる。
カメラマンのご主人は偶々不在ということで、奥さんと赤ちゃんの二人。お名前は古尾谷さん。
宿は日本人らしく小奇麗にしており一部屋にベッド4台ではあるが楽しく過ごせそうだ。
早速ATUXIは24日から一ヶ月の滞在を決める。

ここはバビロニアというMorroで、映画「黒いオルフェ」のロケが行われた場所。
漠然と抱いていたモーホは危険地帯というイメージとはちょっと異なっている。
それは瀟洒な住宅とは言えないけれども住宅はそれなりに整然と建ち並び、上下水も整っているし盗電ではなく電気もしっかり引かれて。Wifiも使えるし。

ところで、この無料wifiが使えるかどうかというのは無駄な出費をしないため携帯の電源を切っている我々にとっては非常に重要な通信手段だということが旅を続けていくにつれて痛感された。

さて、バビロニアはかようにインフラがしっかりしており警官も常駐しているという。ただ、少し前にずっと上の方にギャングがいたそうで撃ち合いもあったそうだ。現在は撃ち合いこそないもののその後ギャングがどうなったかは不明。
モーホだけに景色は抜群。宿の屋根は物干場になっており、ここでBBQなど楽しそうだ。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201641.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011652.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011653.jpg

ここに滞在を決めたATUXIがちょっと羨ましくなった。
お昼は奥さんお薦めの階段下のDavidの店へ。ここの主人のDavidは、神戸の震災時に自ら率いるエスコーラ・ヂ・サンバと共に日本へ慰問に行ったことがあるとかで、親日家で日本語も少しできるとのこと。
行ってみるとオープンなBarで料理も美味しそう。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201642.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011656.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011657.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011654.jpg

モーホの店としては有名で観光客がタクシーでここまでやってくる。実際美味しいし雰囲気もいいし、あの宿にいたらここは通うことになるだろうなと思った。

Morro da Babiloniaは、予想していたモーホのイメージと異なっていた。インフラもしっかりしており住民たちの表情は明るく治安も良くて今も建設工事が進んでいる。何だか政府がこの有名なMorroを模範的な集落として広報の対象にしようとしているのではないかのような印象も受けた。

帰り際、Lemeのビーチへ出てみる。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011658.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011659.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011660.jpg

Davidの店でたらふく食べても夕食はしっかりいただきます。
GloriaのVila Ricaにてステーキ1人前を二人で。
例によってすごい量で少々しょっぱいがビールのお供に最高。

・3月23日(Rio de Janeiro)
Gloria駅のATMでまたもや現金が引き出せず、今日明日は土日のためドル両替も休み。仕方なくATUXIから100RS借りておく。

今日は、旧知のフルート奏者でここRioでショーロ学校の講師をしている熊本尚美さんの誕生日記念Roda de choro e feijoadaが彼女の知人宅で行われるということで行くことに。
午前中ショーロ学校へ行ったATUXIとは別に一人でメトローのFlamengo駅へ。
試しにこの駅のATMを使ってみると何と現金が引き出せる。
Gloria駅の機械がおかしいのだきっと。

会場となっているマンション付近をウロウロしているとギターを持った青年が合図を送ってきた。セキュリティが厳重でとても一人では入れないのでこれ幸いと同行させてもらう。ギターを持った東洋人は熊本さんの関係だろうと予測したらしい。これはラッキー。
高級マンションでのRoda de choro e feijoadaはとても贅沢な時間だった。
熊本さんと会うのも、彼女がブラジルへ移住する前以来だから約10年振りかもっと前かもしれない。変わらない印象。
とてもフレンドリーな雰囲気の中で十分に料理と酒を楽しんでからRoda de choroが始まった。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011663.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201650.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011666.jpg

さすがショーロ学校の講師の人達の演奏だけあって美しくて複雑。知っている曲はほとんど無し。
譜面もないのでこれは加わるのは無理だなあと思って遠慮しておいた。
日本人の方たちとも何人かお会いした。
高層階のベランダから向かい側にモーホの住宅が見える。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011661.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011662.jpg

向こう側の住民がこちら側にやってくることはない。
今見えるモーホではないが昨日はあちら側にいたのだなと思うと複雑な気分になる。
やはりこの地では貧富の差が本当にはっきりしている。
街には乞食や物乞いホームレス等の失うものがない人たちが多いし、昔は日本にもこのような光景がどこにでもあったが、全てに平均化された今の日本とは相当に違う社会との印象を受けた。

美味しい料理と酒と音楽という贅沢な時間を過ごし、あまり遅くならないうちに退散。
その後Rodaもほどなく終わったらしく、もう一食食べてくると言っていたATUXIも食べ損ねてご帰還。

明日からはGloriaを離れそれぞれ単独行動、最初にお世話になったイタメシ屋で夕食。
最初にここでセルベージャを飲めてとてもラッキーだった。
また、CERPAを飲む。
それにしても美味い。

2013年04月25日

ブラジル旅行記4(3月24日~3月25日(Ouro Preto、ミナスジェライス州))

・3月24日(Ouro Preto、ミナスジェライス州)

さて、いよいよ今日から単独行動。地方への旅が始まる。
大リュックは移動には大きすぎるので小沢さんに預かってもらうことにする。
午前中にBotafogoのアパートへ。
これで荷物は小リュック、violao、ショルダーのみとなる。かなりの軽装。

13:01発、今回は国内線の空港Santos DumontからConfin空港まで約1時間のフライト。
TAM航空には初めて乗る。この時点では普通の印象。
内陸へ向かう地上には赤い河と黒い河が見える。赤い河は蛇行している。草原に見える部分は日本だったらゴルフ場だけどこちらは多分牧場なんだろう。
南米大陸を強く意識させる景色だ。

ほどなくミナスジェライス州のConfin空港着。
この日の目的地はOuro Preto。州都のベロリゾンチから約100km離れている。移動がハードだと思っていた。
Ouro Pretoまではバスに乗りたいので、TaxiでRodoviaria(長距離バスセンター)まで。約40分でRodoviaria着。R$95。結構遠い。
Webで調べたとおり15時頃発車するバスに乗れた。ラッキー。R$25.7。

ベロリゾンチは高層ビルが立ち並ぶ大都会。
バスは都市部から山間部へ入って行く。
途中の景色、削られて露出している土がレンガのように赤っぽい色をしている。
所要時間約2時間でOuro Preto着。

案の定、バス停から迷う。歩いているうちにチラデンチス広場に出る。丁度観光案内所があったのでそこでホテルの場所を聞く。ちょっと距離があるので初めての旅行者が荷物を持って歩くのは厳しいとの係りの人の判断でTaxiを拾ってもらった。
なにせ坂ばかりなのだ。

Ouro Pretoの道はかなり難しい。広い道が急に細くなり行き止まりかと思ったら人の家の敷地みたいなところからさらに先に続いていたり、道に法則というものがない。また全て坂道で半端でない急坂も相当ある。キャスター付きトランクはここではきついだろう。

Taxi15R$で着いたホテルHotel Solar de Mariaはとても綺麗で従業員もフレンドリーなホテル。建物も歴史がありそうだ。
一発で気に入った。部屋も綺麗。ここもwifiは無料で一安心。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201653.jpg

到着した時間が18時近く、ほどなく夕暮れ。
夕食を食べに従業員さんお薦めの店を聞く。歩いて15分ほどのO Passoというレストランがいいよ、ということですっかり暗くなった街へ。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201655.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201654.jpg

街並みのすべてが歴史を感じさせるもので、教会、住宅、商店、石畳の歩道、車道等々、ほどよく街灯やライトアップに照らし出される光景は幻想的なもので別世界に来たよう。
街も静かで綺麗、観光客が多いようだ。
その分観光警察というのだろう、かなりの警官が警備にあたっている。
そういえば、道の所々に張られている規制線のようなものは何なのだろう。

歩いているだけで幻想的な気分に浸ってレストランに到着。二階で食前のビールなど飲んでいると、なにやら外で静かなざわめきが聞こえる。テラス直近の席だったので上から見ていると、行進のようなものが始まっている。
天使がいる。
そのうち段々人が増えてきて十字架を担ぐキリスト像が神輿のようなものに乗せられてやってきて、ブラスバンド隊まで登場。
物悲しげなマイナーの曲を奏でている。行進曲ではない。
その頃になるとレストラン従業員もテラスまでやってきて見物に加わる。
お祭りなのかと聞いたのだが、そこはポル語が未熟ゆえそうだということは分かるのだが詳細がわからない。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201656.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201657.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201658.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201659.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201660.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201661.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201662.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201663.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201664.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201665.jpg

行進が通りすぎると街は静謐を取り戻した。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201667.jpg

ここのパスタも美味しかった。料理が出てくるまでにカイピリーニャまで楽しんでしまう。ブラジルのカイピリーニャはさすがに安くて旨い。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011688.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201666.jpg

ゆっくりと帰るが、またどこかで道を間違えてしまう。ま、あまりに夜の風景が美しいので迷っていても楽しいのだが。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201668.jpg

警官の数が多く夜でも治安が良さそう。その代わり店はほとんど閉まってしまい、昨日までとは大違い。
ここだと思える道を帰ってみると行き止まりになっていたりして、最後は近所のおじさんに聞いたりしてやっと帰還。
山の中だからだろう、とても涼しい。これも昨日までとは大違い。布団をかけて寝る。

ここの街の美しさは特筆もので夜の風景はとても幻想的だった。日本には絶対にありえない風景である。ブラジル国内からの観光客も多いようだ。明日の街歩きが楽しみになった。

・3月25日(Ouro Pretoミナスジェライス州)

昨日の行進をFBに投稿したら、ReginaさんからSemana Santa(聖週間)だという返答があった。
早速調べてみると、キリストの最後の晩餐から復活祭の1日前までの受難の1週間の行事だということ。

後でパンフレットを入手して分かったことだが、Ouro PretoのSemana Santaはかなり大掛かりな行事で、1年の中でもかなり重要な行事となっている。
3月22日から3月31日まで(長い。)毎日、違う教会から教会へ違う通りを通って時間も変わって行進が行われるとのこと。もちろんミサから始まるのだが。これ目当ての観光客も結構いるようだ。昨日たまたまその時間帯に行進が通る通りに面した2階の、それもテラス直近の席にいたというわけで、すごくラッキーだったのかもしれない。そういえばあの規制線と警備は行進のためのものだったのかと納得がいく。

さて、ホテルの朝食は庭に面した広い食堂でとる。ミナスジェライスはミルクの産地ということで、ミルク、チーズ、バターが美味しい。とても感じのいい朝食だったのだが、明日は早朝6時のバスに乗らねばならず朝食を取れないことが残念。

今日は街を歩いてみる。

まずは気になるRodoviaria(長距離バスセンター)への行き方。
昨日降り立ったはずなのだがホテルから歩いて行く道を探しに。
地図ではすぐなのだが、歩いてみるとものすごい急坂。しかも道がなくなりそう。何とか出てみるがこれで明日の朝行けるのか・・・・?????

Rodoviaria(長距離バスセンター)
%E7%94%BB%E5%83%8F%2011673.jpg

殆どが急坂で石畳、古い建物ばかりで地平線はゆったりしたミナスジェライスの山々、どこをとっても絵になる場所だけれどこの坂はきつい。何百年も前からこうなっているのだけれど、足腰の弱った年寄りなんかはどうしているのだろうか。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011674.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011675.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011676.jpg

鉱物学博物館
%E7%94%BB%E5%83%8F%2011677.jpg

チラデンチス広場
%E7%94%BB%E5%83%8F%2011678.jpg

コインブラ広場の陶器市
%E7%94%BB%E5%83%8F%201673.jpg

中でも最も見晴らしが良いと言われるSanta Feijenia教会への坂が最もきつかった。
朝出たときは曇りがちだったのがお昼頃は晴れて温度も上がってきている。
この上りで大汗。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011681.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011682.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011679.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%201674.jpg

Santa Feijenia教会
%E7%94%BB%E5%83%8F%201676.jpg

そうこうしているうちに昼時となる。チラデンチス広場付近のビュッフェスタイルのレストランへ行く。

ブラジルの観光地ではどこでもそうだったのだが、歩いているとGuia(ガイド)が至るところで声をかけてくる。土地によっては厳しい資格制限があるのできちんとしたガイドが大半なんだろうが、中には????な輩もいる。こっちは一人で歩いているわけで放っておいて欲しいのだが向こうも生活がかかっているので食い下がってくるのも少なくない。Rioのような都会には全く見受けられないけれど、きっぱり断るのは基本なのだけれど、これも、以後どうバランスを取れば良いのか考えることになる。いずれにしても、詳細な地図もあるしここでガイドの必要性は全くない。

ミナス料理のビュッフェは種類が多くて目移りがしてしまう。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011683.jpg

食べ放題なんだけれどカシャーサ飲み放題でもあって、味みがてらちょっと飲んだけれど強いのでこれは危険。
もうチラデンチス広場からTaxiを使う必要もなく、昼間だから道も迷わずにホテルに帰ってきたら雨が降りだした。その後本降りになってちょっと外出は無理みたい。

%E7%94%BB%E5%83%8F%201678.jpg

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011684.jpg

雨が止んだ夕食は昨日のO Passoへ。
広くて静かで落ち着きのあるレストランでとてもリラックスできる店だ。
Rioのイタメシ屋でもそうだったがShitakeと書いてあるメニューは日本の椎茸と同じもの。
Shitakeのパスタは椎茸スパゲティのみかなと思って頼んだら、椎茸スパゲティのプレートに厚いステーキが2枚も付いている。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011689.jpg

またカイピリーニャを頼んでしまう。何しろ料理が出てくるまで酒を楽しむ時間はたっぷりあるのだ。

%E7%94%BB%E5%83%8F%2011686.jpg

帰り道、もう間違えない。ポイントはRosario教会という大きい教会。ここの脇を通れば間違いない。

Ouro Pretoは18世紀頃、金の採取が盛んで州都だったこともある。
今は観光と文教の静かな街だ。
州都ベロリゾンチから100kmも離れていてスケジュール的には結構きつかったのだけれど、たぶんこういう景色はブラジル国内でも希少な方ではないかとも思うし、ましてや日本では全く有り得ない風景の連続。
スケジュール的には詰まっていたけれど来て良かったとつくづく感じた。

また雨が降りだしたようだ。

明日は朝一番の6:00発のバスでベロリゾンチへ向かわなければならない。

だからここのおいしい朝食は食べられない。
残念

About 2013年04月

2013年04月にブログ「ブログ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2013年03月です。

次のアーカイブは2013年05月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35