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2016年04月 アーカイブ

2016年04月05日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第4章 2/25ハシラビト →砂漠

第4章 2/25 ハシラビト→砂漠

モロッコは朝晩と昼間の温度差がかなりある。
夜は毛布を何枚も重ねて寝ないと寒いが、日中はTシャツ1枚の陽気になる。
昨日は夜着だったので食事をしてすぐ寝てしまった。

昨晩は暗くてわからなかった風景を見る。

ホテルの建物は土とわらが混ざったような外観。

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土の煉瓦でできているのだろうか。雨が降ったら溶けてしまいそうだ。もっとも雨は降らないが。

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内部はとても広い。中庭を挟んで客室がある。
キッチンも自由に使える。

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宿の屋上へ登る。土でできているのだろう、足元がふかふかとする。
赤い砂丘が見える。
何だか絵に描いたようだ。
自分の中の現実のイメージとしてまだ把握できないのだ。
想像できない風景が広がっている街だ。

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今日は、モロッコの旅で一番楽しみに思っていた砂漠への旅だ。
砂漠の寒暖差はさらに極端と聞いているので、服装を考える。
着脱が楽な重ね着が良いと判断した。

スタートは16時ということで、まずは洗濯。
さすがに砂漠の街だ。
洗濯物はあっという間に乾く。
今朝早くバスで到着した卒業旅行二人組の日本人女子とも挨拶を交わす。
今日の砂漠ツアーに参加するという。

洗濯機は最新型

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出発まで街を散策、といっても狭い街だし、高い建物はモスクしかなさそうで見通しが良いので迷うことはない。
ハシラビト村の街並みは、アフリカの田舎の風景。
土でできた家々、モスク、彼方に広がる地平線。
幹線道路からの一本道で村の入り口、中心部にあたる場所に入ってくる。
素朴な商店が何軒かあり、ホテルやロッジもわりとある。
各々砂漠ツアーをやっているようだ。
観光業で成り立っている街のようだ。

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こちらは普通の煉瓦だ。

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お昼に食べたサンドイッチはいつものモロッコパンに具を詰め込んだものだからすごいボリューム。
これで15DH(約180円)は安い。

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Wilderness Lodgeのオーナー、オマルさんは日本語ができるので、日本人旅行者が多いようだ。
そういえば、世界中にいると言われる中国人旅行者を全く見かけない。
日本人は結構いるようだ。
日本語が少しわかるモロッコ人もいる。

そうこうしているうちに出発時間の16時。
車か何かで駐ラクダ場へ行くのかと思ったら、宿のすぐ裏手にラクダが待機していた。

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ガイドでラクダ使いのユセフさん。
実は、ユセフ・カレーライス・カルロスという。
つまり、日本人、スペイン人に好まれる名前も付いているということらしい。
「ラクダは楽だ」などと変な日本語をしゃべるベルベル人。
ツアーの客は同じ宿の日本人、同室したT君と卒業旅行二人組女子。

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ラクダはよく言われるような乗り心地の悪いものではなかった。
ただ、T君はまいっていたようだからこれは小生だけの印象か。
女子たちは大騒ぎで自撮りなどしている。
先導するユセフも若い女の子たちがはしゃいでくれて楽しそうだ。

村をスタートするとすぐに砂漠に入る。

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まったく初めて見る景色に現実感がわかない。
遠くの砂山は映画でしか見たことのないもの。
日の当たり方によって砂山の色が変わる。
白い雪山に見えたり、真っ赤になったりする。

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実際の砂は赤っぽい茶色でものすごく細かい。まるで黄な粉のようだ。
尾根の部分が鋭角になっていて、まるで魚の背びれのように見えたりする。

フンコロガシがいっぱいいる。

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ラクダの乾燥した丸い糞を本当に転がしている。
初めて見る風景が続く。
砂山をどんどん乗り越えて進んでいくので、登りの時は体の重心を前に、下りの時は後ろに置くようにユセフから指示があった。
下りの方がきつい感がある。
ラクダの背は地上から2mくらいの位置にあるので、変な落ち方をしたらただでは済まないような気がする。

どこをどう歩いてきたのか皆目わからないが、一時間半ほどでキャンプ地到着。

駐ラクダ場にラクダを停止させる。

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周りにも何棟かキャンプがある。
オアシスでも何でもない砂漠の真ん中だ。
鉄パイプで基礎を組んで厚い布で周囲を囲った四角いテント。テントのイメージではないが。

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内部は結構広くてベッドが2台は入る。

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テントで四角く囲んで出来た中庭は集会スペースのようだ。

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別棟で食堂棟、調理棟、トイレがある。

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右側にポツンとあるのがトイレ。

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定員は結構多そうだ。
電源はミニソーラー発電機。なるほど。
客は我々4名と他ツアーの若者男性2名にカナダ人夫婦。
水は貯めたものしかないので飲料以外は無いようだ。
手洗い、歯磨き、シャワー等一切なし。
アルコール除菌ティッシュと芯抜きトイレットペーパーを準備してあったのでこれが重宝しそうだ。

到着して食堂棟でお茶。

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酒を飲まないので、この甘みを加えたお茶を頻繁に飲むのだが日が経つにつれて美味しさが増してくるように感じられる。
そしてここではオレンジジュースではなくて、日本サイズのみかん。
日本の物より皮は固いがとても甘い。
これをぜいたくに使ってあの美味しいオレンジジュースを絞っているわけだ。
ユセフともう一人のガイドのハッサン。
二人はとても気さくなベルベル人だ。
ユセフは陽気で気さくな中に少しの寡黙さがある。鳩間人を思い出す。

今日の砂漠は風一つ、雲一つない。
18時半頃から日が暮れ始める。
砂漠が赤く染まる絶景。

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それに連れて温度がどんどん下がり始める。
もはや半袖は不可能。砂が冷たくなってくるのでサンダルも寒い。
日中の暑い空気をテント内にため込んでおくことの訳が分かる。
星が徐々に出始めてきた。

夕食はタジン鍋。

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大きなタジン鍋は山状に盛り上がっている。
中心部は鶏肉、ポテト、周りはキュウリ、ナス、トマト、ピーマンで覆われていて沢山のスパイスが効いている。
それにパンとスープとみかん。
結構な量だ。
野菜が沢山なところがうれしい。

美味しくいただいた後、外へ出ると星がすごいことになっていた。
今晩は、満月に近いので月が上がってくるまでの星の鑑賞。
プラネタリウムでしか見たことのないような星、いや、鳩間島の良く見える時期の星が近いかも。
星に詳しくないのでよく分らないが、詳しい人だったら大喜びだろう。
そうこうしているうちに食堂棟の前でたき火を囲んで打楽器セッション開始。
ユセフとハッサンが中心となって他のキャンプからもベルベル人がやってきた。

早速混ぜてもらった。
構成は、二連の太鼓と金属製カスタネットのような楽器と、拍子木のようなものとジェンベ。
小生は二連の太鼓を担当した。
2拍と3拍が交錯するポリリズム的なものが多いようで、時折日本の民謡で聴くようなフレーズも出てくる。

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セッションは、ユセフがきっかけのフレーズを出して全体の流れをコントロールしていく形で進む。
ユセフの手元を見て音を聴きながら合わせていく。
細部を聴くと複雑なことをやっているように聴こえるが、大きく間をとって聴くとリズムが見えてくる。
突出したことはやらずに皆に合わせる感じで叩いていると次第にノリが出てきた。
後はいつものセッションの感覚だ。
いつも思うのだが、音楽の素晴らしさは人種や国境を越えて親しくなれる共通語だということだ。
ベルベル人も相当な音楽好き。すぐにうちとけた。
いつものセッションと同じように、うまくいけばたたえ合う。

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夜は更けていく。
今日も酒抜き。
それでもこんなに楽しい。
慣れてきたのかもしれない。
セッションは22時過ぎまで続いた。
小生だけが2泊3日。
明日もまだいるのだから明日もやろうぜということになった。

2016年04月13日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第5章 2/26 砂漠

第5章 2/26 砂漠

朝8時のバスでマラケシュへ移動するということで、卒業旅行女子2名は早朝に出発したようだ。
夜明け前に起きて砂漠の朝日を見る。
砂漠というのはとても静かなもので、静けさに圧迫感がある。
朝日が昇る前、白く見えた砂漠が赤くなっていく光景は見事だった。

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7時過ぎにはガイド達が皆を起こしてまわり、もう一泊する小生とラクダを残してみな出発した。

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ラクダとここで待っていてくれと言われて居残り。
残されたラクダは昨日乗ってきたラクダと違う奴で、格好もなかなか良いしおとなしくてよさげに見える。

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砂漠に来てからデジカメの眼が半開きになったりしている。
あまりに細かい砂のせいだ。
良いカメラを持っている人はビニールで覆っている。

飲料以外に水を使えないので顔はウェットティッシュでふいて、歯磨きはなし。
明日戻ってから洗濯をすればよいわけだから服は着続ける。
ただ、早朝までは日本の真冬の寒さだが、日が上がってくると、どんどん気温が上昇して真夏の暑さになるので着脱が楽な服装にする。
靴はウォーキングシューズ、サンダルでは砂に沈んでしまう。
パンとジャムとお茶で簡単な朝食。
このオレンジジャムがまた美味しいのだ。

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もう誰もいなくなったキャンプの戸締りをして、小生、ユセフ、ラクダで出発。奥地に向かう。

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時々現れるキャンプを横目に見ながらどんどん進む。
しかし、慣れているとはいえ、この何の目印もない砂漠をユセフはどのようにして道を把握しているのだろう。
ラクダの足跡やサンドバギー車の跡が沢山付いているところはルートだと分るが、ちょっと風が吹けば消えてしまうのだ。
彼曰く、頭がGPSだそうだ。

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ラクダの乗り方にも慣れてきて快適になってきている。
狐の足跡が目立つ。
時々群れで現れるヤギは野生だろうか、飼われているというには牧童の姿が見えない。

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周囲は絶景としか言いようがない。
まず日本ではあり得ない風景だ。

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進むこと約2時間強、ポツンと黒い物体、オアシスの村が見えてきた。

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その裏手には高い砂の山がそびえている。
あれを登れと言う。もちろん徒歩で。大パノラマだと言う。
マジですか。

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オアシスというのは、イメージしていた通りのもので、砂漠の真ん中にいきなり広葉樹が茂っている場所だ。
砂漠でも良く分からないような草が少し茂ったりしている場所はあるが、オアシスは緑があるから良く目立つ。

泉があるわけではなく、井戸がある。飲めると聞いた。

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今は世界中から観光客が来るから、調理場兼事務所のようなパオと暮らせるキャンプが密集している。
パオでは食事を提供したり、サンドモービル観光とか色々とやっているようだ。
人里から一泊で来られるアルジェリア国境に近いこの辺りは、観光でサハラ砂漠を訪れることが比較的容易にできるところだ。

パオの内部
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元々、このオアシスで暮らす人々はノマドと言われ、このオアシスでは二家族いるようだ。
その家は、色々なものを寄せ集めた、言い方はあまりよくないが、日本でいえばホームレスの家のような住宅だ。
ロバで水を運搬したり、残飯を処理したり、ヤギを飼育したりして生計を立てているようだ。

ノマドの家
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我々がパオに到着すると、ノマドの子供たちだろう、小中学生くらいの年齢の女の子が2名、段々と近づいてきて、リュックから手作り小物を広げて店を出し始めた。
可愛らしい民芸品らしいので買おうかなと思って、値段交渉。
20dhでまとまって、財布を見たら小銭が12dhしかない。あとは400dh。
残念だけど小銭がなかったと言うとそそくさと店をたたんで引きあげる準備をしている。
待って、12dhで売っていいと思う物をおくれと言うと、女の子はちょっと迷って初めに20で買おうと思ったラクダの人形をくれた。
ああ、もっと小銭があればよかったのに。
お礼に日本から持ってきていた3色ボールペンをあげた。

12時に昼食にするのでそれまで自由だから大砂丘を登って来いとユセフ。
下から見上げると遠近感が曖昧になって高さが良く分からない。
200mくらいあるのだろうか。
見た目よりは厳しくない登りだが、若干足が砂に沈み込むのが難点ではある。
頂上と思われるところへ到達すると、さらにその先がある。
鋭角になっている尾根をどんどん進むと下に見えていたオアシスがやがて見えなくなった。
40分くらいかかって頂上に到達。

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もう目につくところに人工の物は見えない。
その絶景は筆舌に尽くしがたい。

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遠くに見えるアルジェリアの台地
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確かにユセフが言っていた通りの360度の大パノラマ。
モロッコの台地から地平線、そして南側にはアルジェリアの台地まで見渡せる。
周囲に人の気配はなく、音は風の音だけ。
こんな景色を見たことは今までになかったし、この先あるのだろうか。言葉を失うしかない。
座って30分ほどボーっとしていた。

後ろ髪を引かれる思いで11時30分頃下山開始。
一気に斜面を下まで駆け下りるという荒業もありそうだったが、危険そうだ。
来た道を引き返す。

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それでも20分ほどで下りてくることができた。
これは本当に見ることができてよかった。
二泊三日にして良かったとつくづく思った。

昼食はモロカンサラダ缶詰イワシ乗せとパン、結構いける。

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昼食後の散歩をしていると、ノマドの家のお母さんが子供たちに早く行けとせかしている。
先程の女の子とさらに小さな子が二人、我々のパオに向かっている。
白人の4人家族の観光客がサンドバギー遊びをしていて、パオでお茶をするようなので、例の土産物を売りに行くのだ。
白人家族はフランス人かと思ったらラバトから来たと言う。
同国人でもこれだけ違うものなのかと素朴な感情を抱いてしまう。
ノマドに生まれた子は同じような生活を送るのだろうか。
もう小銭はない。
もう一本ペンがあったので、小さい子にプレゼントした。
白人家族には見向きもされなかったけれど、二人ともなんだか楽しげな様子で笑顔を返してくれたので良かった。

休憩していると、いきなり風が出てきた。段々強くなる。
屋外で敷いていた敷物が飛んでしまう。
横殴りの砂。
パオに避難。
天気が悪くなりそうなので、予定を30分早めてキャンプへの帰路につく。

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天候が悪くなっても雨は降らない。その代りに横殴りの雨ではなく砂。
周りが見えなくなったり、砂が細かいので鼻や耳に入り込んでくる。
ひどい時は立ち往生。息ができない。
それでも何とかしのいで進む。
何だか地形も変わっているようだ。
ユセフは急いでいるのだろう。行きよりも厳しいルートをとっている。

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急な下り坂に来ると、ラクダが一瞬「え、本当にここを行くの!!」という感じで立ち止まる。
すぐに行くのだが、この一瞬の躊躇とも思える間が面白い。

このラクダというものは不思議な生き物だ。
目が良いらしく遠くからでもこちらの気配を感じ取り見つめてくる。
長い睫毛が砂の侵入を防いでいる。
性格は温厚でー中にはそうでないものもいるらしいがー、文句も言わず荷物や人を運んでくれる姿はとてもけなげに映る。
牛のようにしょっちゅう反芻していて、時々ヴォー!!などと言う。
脂肪をため込むことができるのと血液中に水分を取り込むことで何日も飲み食いせずに動けるので、砂漠に適した生物の筆頭だ。
その代り水を飲むときは一気に80リットルくらい飲むらしい。
砂漠を走れる車が登場する前は砂漠の主な運搬機関だった。
湿気があるところに来るにつれて、これがロバに変わってくる。
群れで行動するらしく、今朝も1頭だけ残されるときは不安な様子でついて行こうとしていた。
主人の姿を見て安心したようだった。
こんなラクダとユセフを頼りに、砂嵐もどきの横殴りの砂に往生しながらようやくキャンプにたどり着いた。
今日はこれからあと8人到着するとのこと。

キャンプもひどい風でジュータンは直しても直しても飛ばされてしまうし、あまり外にも居れない。
ユセフと片づけをする。
どこかの民宿みたいだ。
そのうちにご一行到着。
ポーランド人6名、日本人2名でいずれもカップル。皆若い。
昨日のガイドのハッサンも同行している。

夕食は昨夜と同じタジン。
二人分くらいありそうだ。

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今夜はまだ風が強くて外では遊べそうにない。
食堂でタイコで遊んでいた連中が飽きて星を見に行ったあと、ユセフ、ハッサン、小生でセッションを始めた。
段々盛り上がってきたら外に出ていった人達も入室してきた。
皆に楽器を渡して楽しむ。

楽器
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ユセフはフィニッシュに近づくにつれてテンポが速くなってきて、最後はついて行くのがやっと。
このリズムはサンバに通じるところもあるようで何だかとても馴染める。
合わせると言っても同じフレーズでついて行くというところまでだ。
ただ、あまり余計なフレーズを差し込んだりはしない方が良いような気もするし。
何だかもっとセッションを続けたいし、きちんと勉強してみたい気もする。
でも音楽の楽しさ、コミュニケーション力は世界共通。
今夜も楽しんだ。

今日は広いテントに小生一人。
風は強いが快適に眠ることができそうだ。
禁酒もちっとも気にならなくなってきた。

2016年04月21日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅  第6章 2/27 砂漠からフェズへ移動の筈が・・・・・・・・・

第6章 2/27 砂漠からフェズへ移動の筈が・・・・・・・・・

今日は、砂漠からハシラビト村に帰還して夜行バスでフェズに向い、明日早朝に到着という予定だ。

キャンプへ来て、ベルベル人達からよく聞く言葉で「インシャラー」というのがある。
セッションでうまくいった時とか、物事を肯定的にとらえるときに使っているようなのだが、調べてみると、日本語訳は「全ては神の思し召しのままに」ということみたいだ。
沖縄のなんくるないさー的意味もありそうだが、イスラム的には実は深い言葉であるかもしれない。
しかし、気楽に使っている。

昨日あれほどひどかった風はすっかり収まっていた。
無音の夜明け。

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駐ラクダ場
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しばらくして小生一人を残してツアーの人達は出発していった。
一頭だけ残されたラクダはちょっと不安そうな感じでついて行こうとするが、足を縛られているので動けない。
小生の姿を見て少し安心したようでおとなしくなった。

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このラクダは若いのかもしれないが容姿がとても良い。大人しくて、いうことをよく聞くとても良いラクダだ。
飼うんだったらこういうラクダがいいな。
ただし、この辺りではラクダは車より高いそうだ。

ユセフが料理テントに呼んでくれて、パン、ジャム、、ヨーグルト、お茶の朝食。

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この甘いお茶はモロッコに入国してからずっと飲み続けているが、日を追うごとに美味しく感じられてくる。病みつきになりそうだ。
これがあるからアルコールがなくても大丈夫ということもあるのだろうか。
砂漠の飲料は基本的にはこれのみだ。
キャンプの戸締りをして出発。

とても充実したツアーだった。
一番の要因はユセフというガイドに当たったことだろう。
外見は陽気、少し寡黙、音楽好き、気遣いが日本的・・・・・・鳩間人に似ている部分があるのかもしれない。
朝食のテントでは、自分の家族とか友達、生活の写真を沢山見せてくれた。
イスラムではあまり好まれない個人写真も撮らせてくれた。

ユセフ・カレーライス・カルロス
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帰路はもう完全にうちとけて、二人とラクダで歌を唄いながらの道。
もう三日目なので、ラクダの乗り方も随分慣れた。
大砂丘からの景観は一生ものだった。
ハシラビト、メルズーガで砂漠ツアーは沢山あるが、このツアーは二泊三日で650dhと安いし、内容はとても充実していて本当に良かった。
砂漠のキャンプだから不自由は当たり前で、それを楽しめるか否かが重要だ。
無理な人はそれなりのコースもある。

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ハシラビト村が見えてきた。

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とても有意義だった砂漠のキャンプから帰ってウィルダネスロッジに戻る。
本来は今日の夕方発だから、もう部屋はない筈なのだが、チェックアウトした部屋はそのままになっていて出発まで自由に使ってくれとのこと。
こういうところも秀逸だ。
早速、歯磨き、洗濯、シャワー。
砂漠にいたときはあまり意識しなかったが唇がカサカサにひび割れている。

午後になって洗濯物も乾き始めるころ、いきなり風が強くなってきた。
外が茶色に染まってくる。
総じて建物の窓が小さい理由はこういうところにあるのだろう。
細かい砂が吹き込んできて砂だらけになってしまうのだ。
昨日からの悪天候はまだ収まっていないのだ。
そして、今日乗る筈だったSupra toursのフェズ行きが、アトラス山脈が雪のために出ないとの知らせ。
欠航だ。ここは鳩間島か !!!

オマルさんが代替手段を探してくれる。
隣町のリッサニまでタクシーで行き、そこからCTM(モロッコ国鉄)バスのフェズ行きに乗るというのだ。
上原航路が欠航で郵便船とバスで西表島・大原まで行って大原航路で石垣へ渡るというのと似ている。
これはラッキーということで出発の時間まで腹ごしらえをする。

宿のすぐ裏手の食堂兼土産物屋でタジン
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思ったよりバタバタと事は進んで、タクシーでリッサニに移動。
リッサニという町は暗くなってから着いたので全体像はよく分からないが、天気が悪く風が吹き荒れていたこともあって、埃とゴミが舞う古い街という印象だ。

夜の7時頃出発のリッサニ発のCTMバスに乗り込んで一安心。
バスは何ヶ所かでお客さんを拾いながら順調に運航しているかに思えた。
しかし、2時間くらい走ったある街のCTM事務所前で停車。
何やら車内が揉めだした。

CTM関係者と客が揉めているのだ。
フランス語とアラビア語が入り混じった結構激しいやり取りで、何が起こっているのか皆目見当がつかない。
バスは動きそうもない。
1時間くらいこんな状態が続いて、乗客が降りだした。
これはさすがにマズいぞと思って、一緒に降りて様子を探る。
英語が分かるCTM関係者がいて、アトラス山脈が雪でこの先へ進めないのだと説明してくれる。
そして、リッサニまで引き返すとのこと。
ここには明日の朝、10時に来る。リッサニは朝8時発ということだ。
しかし、もう夜の10時。リッサニまで引き返すと夜中の12時になってしまう。
果たして、知らない街で真夜中にホテルを探せるのか。
それともこの街にとどまってホテルを探すか。
思案のしどころだ。

係員に聞くと、リッサニまで戻ったら何とかなるだろうということだ。
埃っぽい街で真夜中に路頭に迷っている姿が一瞬頭をよぎったが、もう腹をくくるしかない。
不安がっても仕方がない。

リッサニに到着したのは予想通り、夜中の12時過ぎ。
もうバスには小生を含めて数人しか残っていなかった。
薄暗い街には人っ子一人おらず、埃とゴミが風に舞っている。
ものすごく荒廃した雰囲気だ。

係員はパノラマへ行けと言う。
どうもホテルパノラマということらしい。
そんな看板は全く見当たらないのだが。
同じ所へ向かう男性が一人と女性が二人いた。
どちらもモロッコ人だ。
一緒に行こうと頼んでホテルへ。

ホテルパノラマはCTM事務所から直線で200mほど離れた全く目立たない超C級っぽいレストランホテル。
これは自分一人では探せなかった。
一人しかいない係員らしい兄ちゃんは、運命だよと言う。
これはまさしくインシャラーということだ。
同行した男性はメクネス在住で砂漠ツアーをしてきたという。
お茶をごちそうになってレストランのソファに寝る。
毛布もあるし、トイレもある。
ひとまずは良かった。

早めの夕食だったがハシラビト村でとっておいてよかった。
そうでなければ空腹で眠れないところだった。
当たり前に続く禁酒。

2016年04月24日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅  第7章 2/28 リッサニからシェフシャウエン 

第7章 2/28 リッサニからシェフシャウエン

夜明け前に目が覚める。
まだ暗いが、同行してくれた青年が布を敷いてお祈りを始めた。
朝一番のアラーに対するお祈りの時間なのだ。
後で聞いたら、一日に5回だと言う。

ホテルパノラマから見た朝のリッサニの街
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今日は良い天気だ。
モロッコの朝食によく出てくるパンケーキとお茶の朝食を済ませて、ホテル代70dh(約840円)を支払ってバス停へ。
乗客は昨日の騒ぎで顔見知りになっていたので笑顔で挨拶。
そしてバスは何事もなかったかのように8時に出発した。

昨日停まってしまった街は、エルラシディアという街だった。
エルフード、エルラシディアで昨日と同じメンツが揃う。
しかし、8時出発で8時間はかかる筈だから、フェズ発16時台のシェフシャウエン行きのバスに間に合うか不安だ。

だが、アトラス山脈に近づくにつれて大絶景が広がってきて、そんなことは忘れてしまった。
本来は夜行バスだから見れなかった景色である。
土漠の風景から雪が残る山道へ入って行く。
車が立ち往生したりしている。
なるほど、この状態では夜の走行は危険と判断したCTM(モロッコ国鉄バス)の判断は正しかったと納得。
無理だよ。この曲がりくねった山道に雪。命にかかわる。

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バスは、Supra toursと比べるとおとなしい運転だ。
車窓の変化は今まで見たことのない景色が続く。
雪山とテーブルマウンテン、時々現れる河、ものすごい風、雪景色、そして砂嵐。
言葉も出ないような景色の連続。
思えば、これらが見れたのだから昨日欠航でも良かったのかなと。
インシャラーだ。

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しかし、行けども行けどもフェズに近づかない。
8時に出発して12時頃に10分のトイレ休憩をとったきりで走り続けている。
休憩のドライブインは冷たい強風が吹きすさんでいた。

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そして、砂嵐が近づいてくる。
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この辺りバスの前方は砂で視界が悪い。
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右手に見えてくる山はロールケーキに似ている。
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アトラス山脈を越えて高速道路に乗った。

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もう夕方、今朝7時頃食べたきりの細々とした朝食で、お腹がすいてきた。
しかし、砂漠の頃から食事の間隔が長いということにだんだん慣れてきているのかもしれない。
10時間くらい食べなくても我慢できるようだ。
ただ、トイレは絶対ダメ。

もうこの時点で16時を過ぎている。
シェフシャウエン行きのバスはあきらめざるを得なくなった。

17時頃、高速を降りるのかなと思ったらドライブインに入って、これは昼食なのか夕食なのか、とにかく大休止。
皆、食事を始めた。

今までの経験から、食べれるとき食べておかないと次はどうなるか分らないので、とにかくよく分らない物を注文するが、これが待てど暮らせど来ない。
運転手たちは早々と食事を済ませて談笑している。
数分で食事を済ませるが会計が混沌。
一人の係員に客が群がっている。
支払おうとするだけマシかと思うが、はやバスが出るぞーとのクラクションを鳴らし始めた。
出発したのは18時頃。

シェフシャウエン行きのバスには間に合わなくても、まだ明るいうちに着けばグランタクシー等の手段を探せるんじゃあないかなと思っていたらどんどん暗くなってくる。
行けども行けどもフェズに着かない。アフリカは広いな。

おそらく、荒天の影響で通常とは別のルートを走っているのだろう。
時間がかかっている。
こうなったら焦っても無駄だ。
要するにインシャラーということなんだ。

高速の周囲の景色も、普通であれば人造と思えてしまうのが、自然の造形であるところがすごい。
結局、フェズ到着は20時頃。
実に12時間かかった。もう真っ暗。
バスはもう望むべくもないので、グランタクシーに乗るために、まずはATM。
あちこちにあるのだが、これがまた出ないのだ。
やっと500dhをゲットしてグランタクシーと交渉。
もうこの時間だとシェフシャウエンへのグランタクシーはない。
タクシーだと1000かかるということだ。
800までまけろと交渉するが、時間もかかるし900までとのこと。

23時頃出るバスで行くという手もあるが、朝の3時に着いたところでホテルには入れないだろう。
知らない街で路頭に迷うことになる。
二日連続で路頭に迷う不安はちょっときつい。
フェズにとどまってホテルを探して明日のバスを待つという次の手は、ホテルを探さなければいけないということと、明後日の移動が多分ハードなのでシェフシャウエンを充分楽しむことができないというデメリットがある。
結局10000円近くかかってしまうが、タクシーで移動した方が良いと判断した。
ただ、900を払ってしまうと手持ち現金が0に近くなってしまうのでシェフシャウエンに着いてからがマズい。

で、タクシーに乗り込んでからは、まず出るATM探し。
これが苦労した。
無愛想なドライバーだが協力してくれてようやく問題解決。
このまま向かうのかと思ったら、GSへ。
ガソリン代を出してくれと言う。
そんなことは聞いてないが、ガソリン代をマイナスした料金しか請求しないからということで納得。
どのくらい時間がかかるのかと聞くと、4時間と言う。
そうすると到着時間は夜中の0時をまわってしまう。
ホテルに連絡しておかないとマズいとドライバーに相談し、電話番号を告げた。
電話をかけてくれたのはいいが、何やら厳しいやり取りをしている。
ここまで英語は通じない。超カタコトのフランス語でのやり取り。

次に停車したのが今度はどうやらポリスステーションらしきところ。
パスポートを出せと言う。
何なんだ。
不安いっぱいのこちらに、ポリスは英語可なのでニコニコしながら「Do you like Morocco ?」などと聞いてくる。
何やら書類を作っているが何なんだろう。
書類ができたら解放してくれたので、おそらくバス移動の時にも何回かあった検問を通る書類ではないかと推測した。
難民問題も関係あるのだろうか。

ようやくシェフシャウエンに向かって走り出した。
どんどん山道に入って行く。確かに遠い。
眠くなる。ドライバーも大あくびの連発。
「Ca va?」 と聞いてやる。
雨が降り出してきた。
ライトの加減で雪融け道を走っているような錯覚を覚える、そして対向車が真直ぐこちらに突っ込んでくるような錯覚も。
スリップしそうなのに厳しいカーブに猛スピードで突っ込んでいく感じがして、手に汗を握ってしまうのだ。
4時間近くかかって、ようやくシェフシャウエン到着。

しかし、ここからが分らない。
グーグルで見ると宿から遠ざかっていくような気もするし、外は冷たい雨のようだし。
また何やら携帯でやりとりして、ようやく到着した広場にはホテルオーナーのエリアス氏が傘をさして待っていた。
ドライバーがエリアス氏と連絡を取ってくれて呼んでくれていたのだ。
しかも、ホテルの前まで行けなかったからと言って100戻してくれたので、当初のこちらの希望金額になった。

翌日になって分ったのだが、ホテルの前は車は通行不可能なところ、行けないというのは当たり前だったから100返してくれる必要はなかった筈なのだ。
4時間近くも夜の山道を運転してもらったうえに、こんなふうに気を使ってもらって、何だか少しでも疑ったりして申し訳なく思った。

暗くて良く分からないが確かに青い街だ。そのうえ迷路。雨も降っている。
オーナーと連絡を取ってくれなかったら到底ホテルには行き着くことができなかっただろうし、行き着いたとしても中に入れなかっただろう。
冷たい雨の中、見当もつかない街の屋外で夜を明かすのは危険すぎる。

モロッコの人々の親切に感謝。
結果としてはこの選択肢で良かったのだ。

部屋はわりと広くて何となく青い。快適そうな部屋だ。
ホットシャワーもある。

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17時頃ドライブインで食事をとったきりなので空腹ではあるが、街は寝静まり、飲食店はもう閉まっている。
空いていた近くの商店でビスケットのようなお菓子と水を調達して飢えをしのぐ。
肌寒いが、安心感が心を満たす。

もはや、酒のことは忘れてしまった。

明日はゆっくり街を見てみよう。

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