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サンバ アーカイブ

2007年08月22日

REBENTO

皆様、こんばんは

夕陽のコントラストが凄かったので
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梅雨明けが遅れて当初の猛暑予想が撤回されたと思ったら、連日続く35度以上の猛暑日に参っている方も多いでしょう。
ご自愛ください。
最近演奏している曲で歌詞が気になっているナンバーが、ジルベルト・ジルの「REBENTO」という曲です。
弾きながら歌っているのですが、意味を聞かれることもままあり、小生の少ないポルトガル語の知識でも、何となく、男と女とか恋とか愛とかの内容ではない気がして(通常歌詞によく使われる単語があまり出てこない)、全体から受ける印象と70年代後半のジルベルト・ジルの作品ということから、トロピカリズモを背景とした政治的な歌詞を含んでいるのでは、みたいなことでお茶を濁していたのですが、最近やっと訳が手に入りました。
当たらずとも遠からずというところでしょうか。いや、遠いか。
今回は、この歌詞を引用しながら進めてみます(ジルベルト・ジル作、国安真奈訳)。
まず、テーマであるREBENTO(ヘベント)ですが、英訳ではSHOOTとなっていますが、日本語訳では
「REBENTO(芽)
 それは抽象名詞
 ある行ない 創造 そしてその時
 神だけが知っている 大空に輝く新しい星」
と来ます。
「抽象名詞」の文法的意味はよく分からないのですが、文字通りアンチ具体性とした方が面白そうなので、REBENTOは具体的なものではないと解釈しました(間違っていたら指摘してください。)。
そして、
「生まれくるものはすべて REBENTO(芽)だ
 生まれ 育ち 成長するものはすべて 芽 だ
 大地に咲く花のように明るい芽  風にたなびく麦のように豊かな芽」 と成長的、肯定的な印象で進みます。そして、
「しかし時にREBENTO(破裂する)は単なる直接法現在形(indicativo)」と怪しくなってきて 
その後は
「歯をむき出し唸る犬を繋ぐ鎖のように   働く農夫の両手のように 
 時に原子炉の事故のように危険な   時に私はいらいらしてREBENTO(爆発する) 
 時に私はたんに生命力に溢れているので爆発する」と来ます。
確かに芽だからゆくゆくは実をつけて最後には破裂するという意味づけも可能かなという気もしますし、あるいは新星も最終的には爆発して消滅するんですよね。
しかし「直接法現在形(indicativo)」の意味は何なんでしょう。
別に意味付けする必要もないかもしれませんね。
現代国語の時間じゃないんだから。
最後のサビ的な部分は
「REBENTO それは落胆を前にした 条件反射
 REBENTO それは苦しみの一撃に 攻撃を叫ぶ心
 REBENTO 森にこだまするこの雷鳴 そして 今この瞬間の 音の無限さ」
ということで結んでいます。
はじめに抽象名詞と言っているので、REBENTOの具体的意味づけを放棄して、心象スケッチを進めるための道具や触媒と見ていいのだとすると、例えばREBENTOが「ん」でもいいのかもしれません。
ジルベルト・ジルの前向きではあるが穏やかならぬ当時の心象風景を描いたとでも言うことができるのでしょうか。
もうちょっと考えてみたいですね。
こういう硬派な詩は好きです。
日本語訳を読んだときは、西脇順三郎の「あむばりわりあ」やT.S.エリオットの「荒地」を思い出してしまいました。
こういう作品に曲がついても面白いでしょうね。
その昔、70年代に活躍した日本人のフリージャズピアニスト、原遼さんはその後ハードボイルド作家になって、「そして夜は甦る」とか「天使たちの探偵」など、チャンドラーに対するリスペクト溢れるハードボイルド小説を発表しました。
日本の探偵小説の中では第一級品の硬質な文章で、ピアノスタイルと通じるところがあると思いました。
大好きな作家です。
何故かこんなところに想いが飛んでしまいました。
ではでは

2007年09月07日

秋の気配

皆様、こんばんは
浅草サンバカーニバルに参加された方、お疲れ様でした。

晴れ姿
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毎年、これが過ぎると秋の気配がしてきます。
先日、幡ヶ谷の「sem nome」のライブでゲスト参加していただいた小林夫妻の夫君、小林正勝氏は、小生が約20年ほど前、saudeに初参加した頃のタンボリンの師匠であります。
細君の美子さんは、名スルド奏者であると共に、saude内のポルトガル語講師もやっておられました。
当時は大変厳しい師匠で、課題をこなせなければ即、ビーク(クビですね。)だったような記憶があります。
初めて見る目には、タンボリンのあの回し打ちが神業に思えました。
タンボリンは音が大きいので、家で練習するときもタオルを巻いて、なおかつ押入れの中で音を出していました。
お蔭様で、タンボリンだけは今でも真似事くらいはできるようです。
2年ほどタンボリンで参加していましたが、それ以降は実はギタリストであったことがばれて、ギターでの参加になっていきました。
でも実はタンボリンのフレーズというのは、サンバやボサノバのギターのバチーダ(右手の刻むリズムパターン)と通じていて、ギタリストとしては、タンボリンを勉強しておいてよかったなと思っています。
楽器に関しては当時から厳しい雰囲気はありましたが、浅草(ここではサンバカーニバルの事を指します。)に関してはずいぶんと緩かった気がします。
浅草当日、まだ元気だった乃津のマスター(浜幸と並ぶ野毛名物の焼き鳥屋のマスター。
数年前に彼が亡くなってから店は閉めてしまいました。)が、灯油で動いていると噂された、三菱のジープ(乗る度にどこかに機械油が付いちゃうんですよ)に業務用ビールサーバーやらBBQセットやら食材やら満載して、一方、浜幸のマスター(野毛名物、馬鹿鍋屋「浜幸」のマスター、彼も乃津マスと同じ年に他界されましたがお店は健在です。)は秘蔵の日本酒やら、ここぞとばかりの大盤振る舞い。
アレゴリアの製作とかその他色々進む中で、境内でsaude用青空フリー(振る舞い)居酒屋を開店していました。
この充実振りは他のエスコーラを寄せ付けないダントツ1位でした(断言できる。)。
他のエスコーラの連中も飲みに来ていたし。
確かな記憶ではないのですが、ジープのボンネットの上で肉を焼いたこともあったような気がしますね。
確かな記憶としては、ボンネットの上で直接目玉焼きを焼いたことはあるようです。
今となっては考えられない大らかさでした。
その後O-157が問題になってから、こういったことは自粛するようになっていきました。
また、浅草の運営自体もこういうこととは相容れないスタイルになっていきました。
時代の流れでしょう。
浜幸のマスターや乃津マスもいなくなっちゃったし。
ただ、私的には、野毛の場末的(失礼!)猥雑さと大らかさとだらしなさと優しさは浅草という下町の雰囲気に合っていたような気がします。
たぶん今でもそうだと思うのですが、正月の真昼間の浅草六区は、一度訪れていただきたい猥雑さで、観音様のご利益と同じくらい幸せになれそうなありがたさです。
ではでは

2008年09月01日

雨柱のヂスフィーレ

皆様、こんばんは

8月最後の土曜日は、恒例の浅草サンバカーニバルでした。
小生は、もう10年ほど前からここでは楽器を演奏するのをやめて、裏方のお手伝いをしています。
今年は、天候が不安定で、突然襲ってくるゲリラ豪雨が全国的に話題になっていました。

小生は、エスコーラ(横浜のSAUDEです。)活動から遠ざかっていますが、今や、エスコーラ・ヂ・サンバも第二世代の台頭が顕著になってきました。
うちの子供、中三女子は学校が受験に配慮して部活が暇になったのをよいことに、今年はアーラで出場するんだということで熱心に準備を進めてきました。

当日、予報は一日雨ということでしたが、朝はまずまずの天気。
浅草で雨に降られたというのは、もう何年前でしょう。20年近く前かもしれません。一回ありました。
ただ、このときは出走直前にスコールが来て、衣装も、P.A.もぼろぼろになってしまいましたが、出走時には止んでいました。
それでもとりわけ想い出に残っています。

今年は強烈に残るでしょうね。
スタートからゴールまでSAUDEだけ計ったような豪雨の中のヂスフィーレ!!!
小生は、アーラの整理役なので、全体を把握することが出来ました。
演技者、演奏者は自分の周りしか見ることができません。

出走15時25分までは、まずまずの天気でした。
ただ、それまで時々南東方向から雷雲が湧いてきては時々雨を降らせていました。

出走直前、豪雨に見舞われる前の姿です。
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出走スタンバイ完了で、前唄を始めたそのときにヂスフィーレのルートである馬道通りの北の方が雨柱で煙っています。
これは沖縄でよくある天気で、雨が固まりになって移動するのが良く見えるのです。
しかも段々通りをこちらの方へ近づいて来る。
あ、これは来るなと思った瞬間からもう豪雨。
以降ゴール地点前まで思いっきりの豪雨。
羽はペショーンとなってしまうし、衣装は剥がれ始めるし、楽器は水浸し、とにかく全身水浸し、そのうちP.A.も駄目になって。
こうなったら開き直るしかないですね。
シャワーの中のヂスフィーレを如何に楽しむかということに尽きますね。

P.A.が駄目になった時点で、エンヘードは聴こえなくなり、隊列の前後は、遠くのバテリアの音を頼りにするしかなくなったのですが、もしもこのとき、全員の生声によるエンヘードが大音量で聴こえていたら、順位はともかく、最高に気持ちよかったでしょうね。
それはなかなか難しいことですが。

技術的にということではなく、全員で唄うということが日本人にはなかなか難しいという意味です。
多少音は外れていても、問題はないのですが。
何百人の中に混じってしまえば却っていいハーモニーに聞こえますよ。
その点だけは残念でしたね。自分を含めて。

ともあれ、45分間、豪雨の中で集中力を途切れさせることなく、ゴールしたSAUDEの皆さん、素晴らしかったです。

豪雨の中のゴール
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元々自分的には採点に興味はないのですが、やはり気にする人も多いと思います。
昔から、公正な採点はどのようにすればできるのか、実行委員会の中でああだこうだ、ずーっと議論してきていますね。
そのような曖昧な採点をどう評価するかは人それぞれでしょう。

そんなことより、小生は、きちっと準備して、それだけに、今までの準備が不意になってしまいそうな豪雨で気持ちが落ち込みそうな中、それでもへたることなく最後まで皆が出来る限りの演技、演奏をして立派にゴールしたということが最高だと思います。

最良の環境の中で気持ちよく演技、演奏できましたというのだけが最高ではないでしょう。

ということで、今年は、SAUDEの皆さんにとっては特に心に残るカーニバルだったと思います。
最良の環境というのはすぐ忘れてしまいますから。

SAUDEは横浜を拠点とする、エスコーラ・ヂ・サンバ(サンバ学校の意味)。
入るも出るも自由ですから、サンバの原点であるCARNAVALのサンバについて知りたい、そして楽しみたい方は、是非どうぞ。
小生に連絡していただいてもOKですよ。
ではでは

2009年09月02日

2009年浅草のサウーヂ

皆様、こんばんは

今年も恒例、浅草サンバカーニバルです。
我がサウーヂ(小生が所属しているチームです。阿波踊りの連と同じと考えればよいでしょう。)は昨年、スタートと同時に豪雨に見舞われ、始まってから10秒でずぶ濡れ、衣装は崩壊するわP.A.は飛ぶわ等々の散々な目にあいましたが、今年は好天。
夏の蒸し暑さもカーニバル気分を盛り上げてくれました。
涼しいこともあるのですが、いまいち気分が盛り上りません。
やはり暑くないとね。

今年のサウーヂのテーマ(エンヘードと言います。)は「横浜開港150周年を讃える」です。
サウーヂは横浜のチーム(エスコーラと言います。直訳すると「学校」という意味です。)ですから、今年はこのテーマになりました。
このテーマに即して曲が創られ、大道具、小道具、そして演者達(パート別に「アーラ」と称されます。)の衣装が決められ、お客様が定点から見、聴きしていてテーマを感じることが出来るような構成にしています。
つまり、動くミュージカルのようなものなのですね。

浅草サンバカーニバルは、規模、参加人数、スタイル等ブラジルのそれのコンセプトに最も近く、日本では最も本格的なものと言えるでしょう。

結構、「サンバカーニバル」と言うと勘違い的なイベントが全国に多々あるもので・・・・・・・。

ブラジルのそれは、リオのものが有名ですが、サンパウロとかサルバドールとか色々な街にそれぞれのカーニバルがあるのは、世界中の祭と同じです。

しかし、その準備に1年間をかけ、かつ生活の大半をカーニバルに供してしまうその情熱と熱気は尋常ではありません。

浅草に参加するチームも、特にサウーヂを含め大規模チームは、チーム体制の決定、テーマの決定から表現コンセプトの確立、全体像の創造、作詞、作曲、パレード細部の決定、制作、練習日程の作成、演出、人集めそして練習等々、ブラジルと同じくほぼ1年かけて行ないます。
目標が浅草だとしたら、ここにつぎ込む費用を捻出すべく営業活動も行ないます。
普通の社会人が行なっていくわけですから並大抵のことではありません。
本番直前になると目が血走ってくるものです。

そんな努力が結集されたものが浅草に集約されていると感じながら各チームのパフォーマンスを見ると、より総合芸術として感動できることと思います。
我がチームは昨年が天候に当たられて不運だったのに比べ、今年はトラブルもなく順調に演技することが出来ました。
小生は、楽器は担当せず「アルモニア」(ハーモニー、調和ですね。)と呼ばれる隊列の調整役でここ数年間は参加しています。
充実感のある、とてもよい約300名のパフォーマンスでした。

コンペにはなっているのですが、小生は順位にあまり興味がなく、悔いの残らない演技が出来たかどうかが、私的には毎年の指標になっています。

ま、写真をご覧あれ。
演技が始まってしまうと写真を撮る暇はありませんから、スタート前に限られています。

皆さん、ご苦労様。
本当にお疲れ様でした。

プシャドーリス。唄と弦楽器隊
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アレゴリア。いわゆる山車です。黒船のイメージです。
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アレゴリアを押す人々。縁の下の力持ちー別名:奴隷
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開港のコミッサゥン・ヂ・フレンチ。パレードの先頭を飾るアーラです。
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西洋文明発祥のアーラ
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ガス燈です。これは大変な被り物です。暑い。苦労が偲ばれます。
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馬車のアーラ。馬車道にちなんだのかな。
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写真機のアーラ。西洋文明でしょう。これも大変です。
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バイアーナ。中華風ですね。細かい細工を見てください。
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飲茶のアーラ。本当に中華になってきました。
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中華学院校友会。本格的な旧正月の演技。龍の舞。素晴らしかった。
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獅子(演技前なので上半身と下半身に別れていますが)の演技もとてもよかった。
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バテリア(打楽器)隊の勇姿
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ポルタバンデイラ(チームの象徴である旗を持つお姫様)とメストリサラ(相手役のナイト)
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2010年08月31日

第30回浅草サンバカーニバル・・・おめでとうエスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ

皆様 こんばんわ。

夏の終わり、とは言えまだまだ猛暑は続いています。
8月の最終土曜日は、浅草サンバカーニバル。
このブログでも毎年紹介していると思います。

今年は、何故か写真がありません。ご容赦を。

小生が所属しているエスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ。
結論から先に言えば、初優勝でした。
おめでとうございます。
小生も裏方として参加させていただきました。

小生は、1988年から参加しています。
優勝に近い時期もあったのですが、ほんの手前で逃げて行き、悔しい思いをしたこともありました。

ただ、今は現役を退き、裏方としてお手伝いしているだけですので、逆に冷静な感覚で眺めることが出来ます。

控え室で第一報を聞いた印象は、「信じられない。一位の上に最優秀賞でもあるんじゃあないの。」という感じ。
古くからいる人は多かれ少なかれこんな思いが頭をかすめたのではないでしょうか。

Carnavalのヂスフィーレ(パレード)というのは、音楽だけでは成り立ちません。
一般的にはきらびやかな衣装と賑やかで楽しげな雰囲気が注目されますが、実は、定点を動かないお客さんに対して、演者が動いて一つのテーマを見せて聴かせるという、いわばミュージカルのようなものです。
それは、小道具、大道具、演者の色々な役割、表現する衣装、踊り、音楽等々が一つのテーマを表現するために準備されます。
しかし更に大事なことは、それらがミュージカルやオペラではなく、元々、貧しい人達が1年に1回だけ与えられたハレの姿を演じることを許されるCarnavalの伝統、心に基づいているということではないかと個人的には思います。

単に、賑やかで派手で楽しいということだけではありません。
造り上げ、演じ、終われば戻ってこない・・・・saudadeの想い

これを造り上げるのはとても大変なことです。

まず、テーマを決めて、曲を作る。
それにしたがって、表現の方法、手段等を決めていき、道具、踊り、演奏その他諸々を具体化し、組織作り、ハードの制作、練習、現場の段取り、撤収まで、ハードからソフトまでイベントの全てを造り上げなければなりません。

当然、組織でなければできません。

小生が参加した頃のエスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ(以下サウーヂと記載。)はまだ中規模のチーム、浅草当日、人数を掻き集めても100名はいってなかったと思います。

小生がサウーヂに参加したのは、ブラジル音楽に対する理解を深めたいという気持からでした。

その頃は、サウーヂという組織自体で何かするというのではなく、サウーヂ自体、ブラジル音楽と酒をこよなく愛する者たちの集まりだったので、お互いの知識を集め合ってそれを酒で盛り上げて音楽を楽しんでいくという中で、ブラジル音楽の楽しさやその深みを醸造していきました。
そこからパゴーヂが始まりバンドが生まれ段々と規模が大きくなっていきました。

結成当初から浅草にはエントリーしているとは思いますが、コンペに出るならば勝ちたいと思うのは人間の常。浅草の優勝を狙っていくようになります。

浅草サンバカーニバルというのは、全て持ち出しですが、やはり日本で一番大規模で本格的なものという権威もあったのでしょう。

この頂点を目指してから色々な葛藤が生まれるようになります。

簡単に優勝することは出来ないので、ああでもないこうでもない、規模が大きくなって組織立ってくると、いわゆる会社のようなしがらみも出てくるし、人間関係も・・・。
そんなこんなを嫌って去って行った人達も多数いました。

とても幸せな時間を過ごさせてくれた仲間達との永遠の別れもありました。

低迷した時期は(この時期が半端ではないのです。)、もう浅草の優勝を目指すのはやめよう、のみならずエントリーすることすら止めようというような議論もしたことがありました。
サウーヂらしさを失ってまで浅草で勝ちたくないとか・・・・・・・。
個人的には、これは今でも正しいと思っていますが。

でも、何とか乗り越えて、世代も変わって今年、25年目にして優勝。
感無量とでも言いましょうか。

昔のように馬鹿騒ぎして喜ぶ気分でもないので、こんな風に昔からのことを思い出しながら感慨に浸っています。

小生としては、サウーヂの伝統というべきもの、ブラジル音楽と酒をこよなく愛する者たちの集まりということかな、これからも大事にしていってほしいと思います。

サウーヂはもはや、組織としてでなければ動けないところまできましたが、本質はあくまでもブラジル音楽と酒をこよなく愛する者たちの緩い集まりでいてほしい(もちろん下戸でも大いに楽しめますが。)。
去る者は追わず来る者は拒まず。

昔、行き詰っていた頃こんな議論をしたこともありました。

「色々と問題は山積しているけれど、とにかく一度浅草で優勝するところまで行ってみよう。それからまた考えようじゃあないか。」

あれから十数年、ようやくここまで来ましたね。

目標を成し遂げたサウーヂの面々は本当に立派でした。
ご苦労様でした。

ではでは

2010年12月22日

アウボラーダの忘年会

皆様、こんばんは

つい先日、いつもライブでお世話になっている吉祥寺のブラジリアンライブハウス「アウボラーダ」の従業員+ミュージッシャン向け忘年会がありました。

たまたま当日リハーサルがあってメンバーも揃っていることもあって、皆でお邪魔しました。
当然のことながら通常はブラジル料理を出すのですが、本日は中華風。
お酒も、ビール、焼酎、日本酒、カイピリーニャ等、どかっと置いて飲み放題食べ放題。

ここ、「アウボラーダ」の料理はいつもすごく美味しいのですが、この日の料理も美味しかった。

常々思ってはいるのですが、外食するより家で自分で作って食べたほうが美味しい。
勿論、家庭ではなかなか出せない味や出来ない料理法もあります。

でもそんな偉そうな料理は食べたくはない。

素材も地元の野菜とか自分の健康状態とか考えて自分で選んで調理した方が外でお金を払って食べるよりよっぽど信用できるような気がします。

なぜこんな家庭料理の話かというと「アウボラーダ」の料理というのは、プロの料理ながら、一般的な飲食店の出来合いの料理というのではなく、むしろ前述した、店主の家庭料理がそのまま出てくるという雰囲気なのです。
これは結構珍しい。

普段のブラジル料理はマニュアルとかうんちくとかそういうものではなく、自分の経験、舌、自分を取り巻いている生活、音楽等々に育まれた家庭料理をそのまま出している感じなのです。

そして、この日の営業外の宴会料理はまさしく自宅宴会の世界。
家飲みですね。
音楽もあるし、店でありながら家飲みノリ、素晴らしかったです。

殆ど外飲みはしないのですが、こんなに美味しくて楽しい外飲みだったら大歓迎です。

マスター・クロさん、ご馳走様でした。

ではでは

こんな感じの料理が並びました。マスター、クロさんの料理に対する愛情ある目線がいいですね。
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2011年11月27日

酔っぱらいと綱渡り芸人について考えてみたくなった

皆様、今晩は。

O bebado e equilibrista(酔っぱらいと綱渡り芸人)、ジョアン・ボスコの名曲ですね。
演奏する機会も多いです。

ところで作曲者ジョアン・ボスコのライブ盤なんかでは、よくこの曲のインタールードとしてチャップリン作曲でジャズスタンダードとしても親しまれている「Smile」が演奏されています。
歌詞のはじめの部分で・・・・lembrou Carlitos(訳:チャップリンを思い出した)とあるのでこの曲を演奏するのかなと思っていました。

しかし、最近になってこれをエリス・レジーナが唄ったバージョンの伴奏で演奏してみると(コードの解釈は何通りもあって、ジョアン・ボスコ自身はこの進行では演奏していないようです。)、「Smile」ととてもよく似たコード進行の部分があって、まるまる1曲分入っていると解釈できる部分もあり、単に歌詞にチャップリンが出てくるだけではないような気がします。

特に、歌詞を8節に分けるとして第三節、E nubenns la no mataborrao do ceu・・・・から第四節、Louco o bebado com chapeu-coco・・・にかけてと第七節、Mas sei que uma dor assim pungente・・・から最後まで。

もちろん小節数やコードの間尺その他細かいところは異なりますが、全体として似た響きです。

「Smile」に発想を得て作曲したと解釈する人もきっといるんでしょうね。

ジョアン・ボスコ自身、「Smile」をインタールードとして使っていることは、「Smile」に対するリスペクトの表れとも解釈できそうです。

よく聞くのは、「O bebado e equilibrista」はブラジル軍制下で書かれたプロテストソングで、検閲をクリアするために暗喩が多用されていると。

この曲が出来たのが、1979年。
ブラジルは1964年にクーデターが起きて85年の民政移管まで軍事政権が続きます。その
間、経済的発展は遂げますが表現の自由は抑圧されて、多くのアーティストは苦労にさらされます。

かたやチャールズ・チャップリン(本名はチャールズらしいです。)ですが、彼は36年の映画「モダンタイムス」の主題曲として「Smile」を作曲しました。
40年の「独裁者」とともにこの頃の映画の作風は反ファシズム、ヒューマニズムの感が強く、太平洋戦争集結後は反戦の作風も強くなり、冷戦が強まる中、アメリカ社会に蔓延した、いわゆる赤狩りによって親共産主義者と決めつけられアメリカを追放されてしまいます。52年のことです。

62年にキューバ危機があり、65年から75年までアメリカはベトナム戦争の泥沼にはまっていきます。
チャップリンは72年にアカデミー賞特別賞を授与されることで再びアメリカの地を踏むことになるわけですが、結局はその生涯をヨーロッパで閉じています。

「Smile」は、チャップリンの反ファシズム、反ミリタリズム、ヒューマニズム讃歌とジョアン・ボスコは捉えたのかもしれません。
また、軍事政権は親米政権でしたからチャップリンの政治姿勢に対する共感もあったのかもしれません。

ちなみに「Smile」に歌詞が付いたのは54年で、ナット・キング・コールが唄ってヒットしました。
後年、マイケルジャクソンもカバーしていますね。

こう考えてくると、偶然「O bebado e equilibrista」の歌詞にチャップリンが出てきたのではなく、まさしくチャップリンをモチーフとしてこの曲が書かれたのではないかと思えるのです。

ただ、歌詞を見ると、おそらくチャップリンを象徴しているであろう Louco o bebado com chapeu-coco(山高帽をかぶった狂った酔っぱらい)を、ブラジルに悪さをはたらく軍事政権(おそらくは)と位置付けると、善悪の役割が逆になってしまうのではないかと思われるので、この点、何か逆説的な表現方法でもあるのかなとも思うのですが、ちょっと思いつきません。

曲が書かれた79年当時はまだ軍事政権化であったことを考えると善悪を逆に表現するということもありだったのかも。

このように考えてくると、インタールードとして「Smile」を演奏するというのは、チャールズ・チャップリンに対するリスペクト、そして山高帽をかぶった酔っぱらいを悪役に置いてしまった申し訳とも思えるのですが、どうですかね。
こんな考えがとっくにどこかに発表されているのであればすみません。

ではでは

2012年09月03日

夏の終わり

皆様、こんにちは

拙宅から見た雨柱。沖縄ではよく見るのですが、最近は家からもよく見ることができます。
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8月の最終土曜日、第31回浅草サンバカーニバルでした。
昨年は震災の影響で中止になってしまったので二年ぶりの開催です。
ということは小生の所属チームであるサウーヂが初優勝したのはもう二年前か。
このブログにもおめでとうと書いたことがありますが、あれからもう二年。

横浜のサンバチーム、サウーヂはもう25年程活動している老舗といってよいチームです。
二年前の第30回浅草サンバカーニバルで念願の初優勝を遂げました。

小生が本格的に活動していたのはもう10年ほど前になるのですが、当時は優勝を目指すという次元とは異なるスタンスを取っていたようにも思えます。
すなわち、サンバを酒を楽しむということ。
もちろん浅草で上位にいるということも大きな目標ではありましたが、楽しむということを投げ出してまでということは有り得ないことでした。
だから、浅草に上位には入れなくても、俺たちはサンバや酒を楽しんでいるんだ、だからブラジル的なんだと少々ひねた視点と少しのプライドを持っていたようです。

しかし、二年前の優勝は、楽しむということと全体的な技術向上とがうまく融合した結果のように思います。
楽しんで優勝したと。

古いサウーヂ人は、ここで次も優勝して二連覇などとはまず考えないものです。
この一回の優勝をアテにして十年は飲めるんじゃあないかと考えてしまいます。
なにせ優勝したことがないから喜び方がわからない。
しかし、今のサウーヂ人はしっかりと考えていたようです。
なんと、今年も優勝。二連覇。
古いサウーヂ人はおそらく想像もしていなかったのではないでしょうか。
小生も予想していませんでした。

サウーヂとしてのアイデンティティ、サンバや酒、音楽を人生の糧として楽しむということは、パレード自体や前後を通じて、とても楽しそうにやっているメンバーを見て、しっかりと貫かれているんだなと思いました。
個人的に、浅草で優勝するためにサンバをやるのではないという姿勢に共感を持っていたので、今までのやり方を大事にして欲しいし、そうすれば結果は着いてくるというのはあまりにも月並みで、むしろ、着いて来た結果を可愛がってあげればいいんじゃあないかなと思いますね。

なにはともあれ、おめでとうございました。

アレゴリア
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アブリアーラ
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出走前
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出走直前
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それにしても、裏方としてお手伝いさせていただいた前回優勝チームの指定席である「最後の出走」というのはなんと気持ちの良いものか。
17時30分出発なので、東武浅草松屋前を右折するまでは猛暑の中の日陰、雷門方向へ曲がってからは、もう勢いが弱くなった西日、そしてこれが大きいと思うのですが、後ろから後続チームの音が聞こえてこない。
初めて経験してみると、これってプラスのハンディではないかと感じてしまいました。

月曜日からは、TURISTASで静岡、茅ヶ崎へミニ・ツアー。
静岡は初めての場所ながら、お客さん、スタッフ参加型イベントで大変盛り上がりました。

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スタッフバンド
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集合写真
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清水漁港付近でいただいたしらす丼、これにマグロフライを付けて800円。
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清水からの富士山
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茅ヶ崎へ移動がてら、箱根方面を回ってみたりしました。

箱根神社
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浅草が終わって夏が終わる・・・・・・・去年はこれがなかったんだよね。

ではでは

2014年08月26日

第33回浅草サンバカーニバル

今年の浅草サンバカーニバルは例年開催する8月最後の土曜日とは異なって、23日に開催されました。

控室もいつもの産業会館ではなく、リバーサイドスポーツセンターというスタート地点からかなり離れたところ。歩いて12~3分はかかりそう。
おそらくゴールから控室まではパレードしている距離より長いはずです。
ここ数日の暑さからするとこれは大変そうだと思いました。

まあ、小生の役割は昨年と同じくヴェーリャ・グァルダという「エスコーラに貢献した年寄り」という役ですから、衣装は白のフォーマルスーツという日常的ないでたちなので、他の非日常的な衣装の人達から比べたら楽です。
とは言え、上から下まで白フォーマル、光物のシャツで家から会場まで行こうという勇気はありません。

昔、SAUDEメンバーで当たり前のようにこの衣装で(おそらくもっと派手だったし山高帽なんかもあったと思うのだが。)茅ヶ崎から浅草まで電車で来たというツワモノもいました。

小生の属するSAUDEは昨年2位なので最後から2番目のスタート。
暑い日だとしても16時53分スタートですから日中よりは大分涼しくなっている筈。

地図でリバーサイドスポーツセンターを確認してみると浅草駅よりどうも押上駅の方が近そう。
浅草近辺の混雑を避けて今回は押上駅から歩いてみました。
スカイツリーを背にして1回左に曲がるのみ、後は直線移動で意外なほど早く目的地に到着。

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押上から隅田川間というのは目立った店もなく静かでついでに人通りもほとんどなく、初めて歩いてみましたが住宅街というのでもないし、普段はどういう町なんだろうと思いました。

桜橋を渡って到着。

スポーツセンターなので、控室は体育館仕様。
観客席も使えるし天井も高い、産業会館よりスペースも広くて幾分風通しが良く涼しい気もして、なかなか快適です。
アレゴリア作成現場やバテリア音出し現場、繁華からもかなり離れているので他に行くところもなく場内の雰囲気はいつもより落ち着いていると感じました。

例によって1年に1回、この日にしか会えない人達と会えるのも大きな楽しみではあります。

細かい約束事が決められていて撮影禁止というのもあって、いつもはオフィシャルな写真以外はあまり公表できないのですが、今回はスタート地点までチームごとにまとまって移動するので、野外での待機時間が長く、この時間に皆記念写真を撮ったりしたようです。

以下、今年のサウーヂのエンヘード(テーマ)は「あの世」。

嘘つきの舌を抜くベロマン
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嘘つきの舌を切ってしまうハサミ
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針山地獄のアーラ
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観音菩薩のアーラ
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子供マラバリスタ。皆達者です。
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血の池地獄のバイアーナ
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ポルタバンデイラ&メストリサラ
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バテリア
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アレゴリア
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フラワーパラダイスのアーラ
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運よく曇りがちな天気で直射日光がなく、暑さもあまり気になりませんでした。
でもやっぱりのどが渇く。
終わったら餃子にビールだよななどと思っているうちに移動開始。

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今年のヴェーリャ・グァルダにはいつもはマラバリスタ(男性ダンサー)のJ氏がいて、彼の華麗なステップに触発されて我々も年寄りらしからぬステップを踏む者続出。ただ歩いているだけよりは楽しいよね。

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ブラジルの高齢ミュージッシャンのように決して華麗ではなくても粋なステップをわざとらしくなく踏めるようになればヴェーリャ・グァルダも粋になると思いました。

スタートしてしまえばゴールはあっという間。
個人的には25回だか26回目だかの浅草出場を終えました。

帰りは行きより、本番より長い。
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横浜での打ち上げには参加せず、昔から帰りに寄っていたラーメン屋で念願の餃子にビール、ラーメン。

路地から見るライトアップされた五重塔
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家に帰ってきて2位の結果を聞きました。
1位はウニアゥン・ドス・アマドーレス。

昨年と同じ順位ですが、昔は5位とか6位は当たり前。それが数年前に連続優勝してからは2位でもちょっとがっかりするという何とも贅沢な立場。
カルナバレスコが変わってこの成績はとても良かったのではないでしょうか。
SAUDEらしく楽しくやれていたようだし。
古株としては、SAUDEは浅草優勝のためなら何でもするというチームではないと思っているので。

ということで、お疲れさまでした。

2014年12月29日

2014年聖夜のライブ

早、もう今年も終わろうとしています。

去る12月24日には恒例になっているIT e Kazu Xi のクリスマスライブが行われました。

今回、per.の渡辺亮さんが京都へ転居したため、参加の都合がつかず、メンバー3名でのライブとなりました。

クーリーズクリークという会場はこのライブでしか使っていないし、このライブでしか演奏しない曲も結構あったり、クリスマスイブという特別な日であったり、色々な意味で一年に一回のスペシャルライブです。
我々ミュージッシャンも気合が入るし、お客さんもそれなりに特別な夜を楽しむぞという気持ちが入っているようです。
そういう状況でのライブは楽しくないわけがない。

楽しい時間は過ぎ去っていくのが早い。

Tristeza nao tem fin, felicidade sim はちょっと大げさかもしれないけれど、時間はどんどん過ぎ去って、決して取り戻すことはできない。

楽しかったこともそうでなかったことも、若かったことや晴れがましかったことや屈辱だったことや恥ずかしいこと等々、色々なことはどんどん過去に過ぎ去っていく。

来年は小生も年男。暦は廻っていくわけで、最近は時間の経つのがとても速く感じられます。
過去は過去として、今の時間、これからの時間を楽しんでいこうと思いますね。

今年もありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。

写真は畏友、写真家上野敦氏によるものです。
素晴らしい写真をありがとうございました。

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この人にはお世話になりました。宮川ケンさん。

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初めは弾いていても

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段々手が浮いてきて

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このような状態に。

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