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2007年11月10日

白百合

皆様、今晩は。
小生、泡盛―シマを愛飲して十数年経つのですが、泡盛も特徴が色々とありまして、やはり八重山の酒、八重泉、請福辺りが好きなのですが、この9月に八重山に行ってから、あらためて「白百合」の味の面白さに惹かれています。

白百合(なんだか変な写真ですね。中味は空なのですが)
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随分前に飲んだことはあるのですが、そのときの印象は「かびくさい!」でした。
でも、何年か色々な泡盛を飲みつけてきて、最近はこの癖のある味がとても気になってきています。
「かびくさい」というのは、初めて接した驚きに伴う感想でもありますが、色々な銘柄を飲みつけてきた今でも、数年間天日に干しておらず押入れにしまいっ放しになっていた布団の匂いに近いと感じることも正直あります。
でも、そういう感じ方ではなく、「土いじりをした後の手の匂い」のような良い土の香りもするし、「生きの良いほうれん草の茎の赤いところの味」の感じもします。
つまり土の匂いがするわけです。
石垣島のお酒ですから、ご当地で飲むことが多いわけですが、那覇の「泡盛バー」(ライブのコーディネイトを手伝って下さる安里にある大城さんのお店)で、白百合の普通の3合びんが単に3年以上寝かせてあった(飲まずに忘れられていたという方が正確なのでしょう。)もの、つまり古酒を飲ませていただいたときは「目からうろこ」でしたね。
癖の原因である鼻にくる「自然の匂い」が柔らかくなっていて、飲んだときに喉の奥からほんのり自然の香り、土のいい香りが鼻に漂ってくるのです。味はまろやかで、自然を飲んでいるような気がしてきてとても清々しい気分になりました。
この辺から入ると逆に新酒にフィードバックしても美味しく飲めるような気がします。
ただ、泡盛をはじめて飲む人がこれを飲んだらびっくりするでしょうね。
今度、白百合を飲む会でもやりたいですね。手に入れるのが大変ですが。
さて、このブログでも紹介したことがあるオリジナルサンバ歌謡3曲、夏から録音に入っていましたが、やっとデモCDRに編集しました。
「悲しい種馬」、「柳の下でデュワデュワ」、「タンガにかけた青春」の3曲です。
演奏は、ITRASHIKIタケシとイルミネーション紫(仮名)。
メンバーはKAZU(vo)、千草(vo)、ATUXI(p,vo)とITARASHIKI(g,vo)であります。
曲調はマイナー中心の昭和ラテン歌謡風で、哀愁を帯びた曲想で創ったつもりではありますが、聴いていると何故か笑いと元気が出てくるようです。
そのうち何らかの形で皆さんにご紹介できることでしょう。
ではでは

2007年11月21日

お題拝借

皆様、今晩は。

とても気に入っている風景ーまるで白昼夢のような(沖縄県金武町社交街)
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奇数月の第二土曜日を基本として、吉祥寺「ALBORADA」でサンバセッションを行なっています。
これは、もう今は無い高田馬場「CORCOVADO」のサンバセッションを引き継いで行なっているもので、「CORCOVADO」から数えるともう7~8年続いています。
第一部はバンドによる演奏、第二部はお客様の唄―演奏(セッション)になり、毎回、セッションの盛り上がりは我々バンドの側としてもとても楽しませてもらっています。
先日、何の拍子か、第二部の演者それぞれに、演奏前に「お題拝借」をしようということになったんですね(昔TBSラジオの深夜放送で那智・チャコ(野沢那智・白石冬美ですよね)のパック・イン・ミュージックという番組の中でこういうコーナーがあったことを覚えている方はいますか。)。
で、お題は「自分が泣いたとき」。
これを語ってから各人、唄や演奏に入っていくんです。
こういう企画も面白いですね。人となりが見えるようで。
色々と出てきました。
やはり、映画とかドラマ、音楽などがきっかけになっている方が多かったように思います。
例えば、私は最終回に弱いとか、子ども、動物系に弱いとか、あの曲を聴くと涙が出てしまうとか。
皆、結構あるんですね。
で、小生はというと、はたと考えてしまいました。
そういう経験が殆ど無いのです。
感動することは多々あるし、悲しい思いをすることもありますが、不思議と涙というものは出ません。
もっともこの時期になると空気の冷たさで目から水分が出ることはしょっちゅうですが。
もう数十年感動の涙というのは殆ど無いですね。
ただ、殆どというのは、何年か前、たった1回だけありました。
沖縄へ通い始めていた頃、「ナビィの恋」という映画を新宿のロードショー館で見ていて、この映画の最後の婚礼の場面に登川誠仁(誠グヮーですね。)が「十九の春」の最後の歌詞「奥山生まれのうぐいすは・・・・・・」を六線(三線の復弦楽器)で唄ったとき、とても愉快なおめでたい場面ですよ、もうわけも無く涙が出てきてとても自分でびっくりしてしまいました。
すぐにエンドロール、場内が明るくなるので取り繕うのに苦労しました。周りに泣いている人なんかいないし。
帰りの山手線でも思い出すたびになんだか涙がこみあげてきてこれは一体何なのだろうととても不思議な気持ちになりました。
後にも先にもこれだけです。
この後ずぶずぶと沖縄・八重山の奥の方へ入り込んで行きました。
最近の映画、洋画、邦画を問わず(TVは見ないので)、涙が出てくるものは一つもありません。
泣けると話題になった「三○目の○陽」にしても、原作の素晴らしさと比較すると、CGばかり駆使して内容はなんじゃこれはという思いしかしませんし(感動した方すみません。でも昭和30年生まれの小生から見てこうなってしまいます。脚本、役者ともあれあれという感じですね。)、最近の本も感動できるものはとても少ないです(もちろん少ないですがあることはあります。)。
決して醒めているわけではないのですが
そんな中で1987年のデンマーク映画「バベットの晩餐会」をつい最近見直したのですが(DVD等は廃盤になっています。)、これには深く静かな感動を改めて味わされました。邦画でいうと、小津安二郎風な感じですかね。
ま、たまにあるというのもよしとするか。
ではでは

2007年11月29日

フリージャズ・ギター

皆様、今晩は。
便利な世の中になったものです。
昭和30年生まれにとっては、21世紀というものは、車は空を飛び、ロボットが人間並みになり宇宙旅行は当たり前、タイムマシーンで時間航行もという世界が漫画や小説のそれでしたが、高度情報化という形になるということはあまり想像されていなかったように思えます。
その結果、以前では考えられない映像がすぐに見られるということ、つまりU-TUBEを始め、さまざまな映像メディアの発達は有効に活用すればまさにタイムマシーンを手に入れたと同様ですね。
U-TUBEを使って最近最もうれしかったのは、Derek Bailey氏の映像を見られたことです。
Derek Bailey氏は1932年生、イギリス人ギタリスト、2005年に亡くなっています。
いわゆるフリージャズのギタリストそれも唯一無二の存在でした。
小生は70年代初めに来日した際、田中眠氏(舞踏家)との競演を見たことがあります。
レコードも持っていますが(デイブ・ホランド(b)とのデュオ)、30年程経った今もあの姿が忘れられませんでした。
それがこんなに簡単に見られるなんて・・・・・・・!
晩年のこの映像に記録されたソロギターは今まで聞いたソロギターの中で最も素晴らしいかもと思えました。

→http://www.youtube.com/watch?v=4P5raW49kQM&feature=related

田中眠氏とのコラボレーション
→http://www.youtube.com/watch?v=A5dz_1meBjY&feature=related

で、手に入れたのが高柳昌行氏のリメイクCDです。
何故こうなるかというと、高柳昌行氏は日本モダンジャズ界の黎明期(戦後まもなくの頃でしょう)のギタリスト第一人者で、渡辺香津美氏の師匠にもあたります。他にも氏の教えを請うたギタリストは数知れず。
モダンジャズから次第にジャズジャズしいジャズを捨てて70年代からは日本で最も先鋭的なフリージャズを創造していきました。
その氏が評価する数少ないギタリストの一人がDerek Bailey氏だったのです(Jim Hallもそうでしたが、Wes Montgomeryはぼろくそだったと思います。)。
小生はお金の無い高校生時代、往復葉書さえ出せば無料で聴きに行ける高柳昌行氏のライブを毎月青山タワーホールへ聴きに行っていました。71、2年の頃でしょうね。
New Direction For The Artというユニットでした。
高柳昌行(g)、森剣次(as,ts,ss etc)、山崎弘(ds)、ジョー水木(ds)という構成だったと思います。
内容は大フリージャズ。
1曲が大体1時間近かったと記憶しています。
曲名は、集団投射とか漸次投射とかフリーフォーム組曲とか。
高柳氏は客席に終始背を向けたまま、ギターのフィードバック奏法を駆使している。しかも弓やバターナイフを使って。
森剣次はスタンドに立てた10本ほどの管楽器をあちらこちらに移動しながら吹きまくり。
dsの二人も叩きまくり。
嵐のような2時間ほどだったと記憶しています。
自分がトランス状態になったこともあったし、聞いた帰りに吐き気を催したこともありました(実際に吐いたこともありました。)。
当時のフリージャズは吐き気を催すほどに真剣に自己対峙する姿勢を要求していたように思います。
レコードも持っていた記憶があるのですが、いつの間にかどこかへ行ってしまったようで。
フリージャズも時々聴きたい気分の今になって、Derek Bailey氏の演奏をきっかけに当時の状況、自分的にはフリージャズをきっかけに現代詩や現代文学等を好きになっていった感覚が思い出されてきて。
状況的には、ベトナム戦争や学生運動、三里塚闘争の時代です。
ジャズも状況的な意味付けを余儀なくされていた部分もあったと思います。
で件のCDです。
1枚は、1971年、三里塚闘争の一環として現地で行なわれた「幻野祭」におけるNew Direction For The Artのライブ録音。
収録は1曲、42分。曲名は「La Grima」(スペイン語で「涙」ですね。)。

ジャケットです。
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中開きです。当時の三里塚の様子が分かります。
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当時の運動家の感覚から言えば、フリージャズなどというものは、インテリの、すなわちブルジョアジーの音楽と把えられていたのでしょうか。
MCで「「La Grima」「涙」を演奏します。1時間くらいの演奏になると思います」と高柳氏のアナウンス後、「えーーっ」「涙だってよー」「ギャハハ」「がんばれよーー」等々嘲笑の風が吹いていきます。それらを無視して演奏が始まります。「☆☆☆☆・・・・!!!・・・★★★★☆☆☆☆・・・・!!!・・・★★★★・・・・」全員ノックダウン。
41分。
演奏後はまばらな拍手と「やったー」との声の後に「帰れ、帰れ、帰れ」の大シュプレヒコールです。
今聴くと音楽の力に感無量です。
そんな高柳氏も91年享年58歳で亡くなりました。
82年の新宿「ピット・イン」でのソロライブ録音「Lonely Woman」(フリージャズの巨匠、オーネット・コールマンの名曲です。)も手に入れました。
これもLPの時代から欲しかったんです。
晩年は、タンゴに凝りまくっていて、新宿「ピット・イン」で弟子20名位でギターのみのタンゴコンサートを開催したこともありました(全員で一斉に弾きます。)。
今回は、ジャズ・ギターに関するこだわりのお話でした。
退屈だったらすみません。
ではでは

2007年12月20日

買い物

皆様、今晩は。

筆者近影
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早いもので、もう年末ですね。
年末というと買い物でありますが、3年前くらいだったでしょうか。近所のリサイクルショップ(古道具屋ですな。)へ何の気になしに買い物に行きました。
皿か何か買いに行こうとしたと思います。
で、偶々置いてあった生ギター何本か。
家人が色々物色していてこちとら暇なものですから、端から弾いてみたのですが、皆、埃まみれですから弾いただけで手が黒ずんじゃう。
チューニングもめちゃくちゃだったのですが、それでも1本だけ黒ずんだ6弦が妙に音が大きいなと印象を受けた楽器があって興味をひきました。
こういう場合、まず見るのはネックの「そり」がないかどうか。
以下、小生なりのギターの選び方です。
大まかにチューニングをして、1~5フレット辺りと10~12フレット辺りを弾いてみて音にビビリがあると「そり」があるわけで(ビビリがあるということは極端な「そり」です。)、まずその時点でNGです。
中古ギターはまずこの手のものが非常に多いです。
次にギターを横にしてお尻のほうから目視して、ネックが曲がっていたらそれも駄目。
最後に12フレットで開放弦のハーモニックスを弾いてみて同じ弦の開放弦と合わせてみて音程がほぼ合っていればネックに関してはOKですね。
そしてボディの傷、これは極端な割れとかなければ大丈夫です。
糸巻き(先端です。)が割れていないかとか、これも割れている場合は部品だけ交換ができますね(規格品で廉価です。)。
その辺りをチェックして、最後に正確なチューニングをして弾き具合を確かめるわけです。
弾いてみて弦高が自分に合っているか、ネックの幅は自分になじむか(規格があるのでこれはあまり気にしなくてよいでしょう。多少きつめでもなじむことはできます。)、音色を好きになれるか(これは高価な楽器を購入する決意がある場合に大事ですね。廉価なものは妥協です。)。
この辺りをチェックするのがコツです。
で、大体クリアできたわけでして、サウンドホール(真ん中の穴です。)を覗いてみると1974年作「R.Matsuoka」の表示が。
その頃練習用の生ギターが欲しくて、この松岡良治のギターはスタンダードな楽器として候補の一つに挙がっていたので、これはラッキーと値段を聞いたらなんと2000円!!
これは店の人が価値を気が付かないうちに早いところ買った方がいいと思い、あまり嬉しくなさそうにして買いました。
スーパーのポリ袋に入れて持って帰って来ました。
家に持って帰って黒ずんだ弦を全部外して、振ってみると中でなんだかゴミの音がするし(ゴキブリが死んでいるということもあります。)、中も埃だらけなので、サウンドホールから掃除機を突っ込んでお掃除。
ボディも汚れまくりなので、ギターポリッシュ(ギター磨き専用ワックスです。松脂のような匂いがします。)で全身を磨き上げて弦を取り替えて。
大体半日かかりましたが、立派な楽器に甦りました。

練習用松岡良治ギター
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本番用のホセ・ラミレス
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この楽器の特徴は始めの印象と違わず、低音の音量が豊かなことです。
本番で使っているホセ・ラミレスは中低音域が非常に豊かな音色なのですが低音の音量が若干弱いような気がします。
Matsuokaはラミレスと比べるのはあまりに酷ですが、5、6弦の音量は勝っています。
ネックがフル・クラッシクサイズでラミレスより若干太い(幅がある。)ので練習用に向いています(厳しい条件で練習をしておいて、弾きやすい楽器で本番に臨むわけです。)。
ここ数年中最もお得な買い物でした。
その後、このリサイクルショップに時々寄るようにしているのですが、置いてあるギターは殆ど粗大ごみかおもちゃのようなものばかり。
そんなこともあるので古道具屋(楽器屋にも専門の店がありますよね。)のチェックは大好きです。
今回はギター選びのお話でした。
ではでは

実は大勢いる筆者
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2007年12月31日

大晦日

皆様こんにちは。

ある忘年会の風景
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早いもので、今日はもう大晦日。
今年は、CDを作成、販売したり、このH.P.を立ち上げたり、いつもとはちょっと違う年でした。
お試しCDRの録音から販売用CDの企画・録音・編集・制作と結構苦労しましたけれど、色々な方々のお世話になって形にすることができました。
関係した方々には本当に感謝です。
特に、ジャケットデザインの全てを引き受けてくれたスチールヘッドの皆さん、制作の全般を管理してくださったMさん、ライナーノートを執筆してくれたYさん、ジャケット写真の撮影をしてくださったUさん、Mさん、快く写真の提供をしてくださったNさん等々、皆さん手弁当で引き受けてくださって本当にありがたく思っています。
打ち合わせや、ロケの後の飲み会、楽しかったですね。
と言うよりは、皆さんそれぞれ担当する分野のプロなのですが、仕事自体を楽しんでやっていただけたことが小生としては嬉しかったです。
だから打ち上げだけが楽しかったというのはちょっと違いますね。
また、このH.P.の企画・制作・管理全般をしてくれているC.S.さんにも大感謝です。
一から全部教えていただきましたね。
来年もよろしくお願いします。
CD次回作はソロではなく、バンド編成(といっても2、3名ですが)でやりたいと思っています。
また、旅先でも色々な人達のお世話になりましたし、ライブに来てくれたお客様、このブログを読んでくれている皆様、CDを購入していただいた皆様等々、お世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
あわてず、ぼちぼちやっていこうと思います。
皆様よいお年をお迎えください。
ではでは

2008年01月31日

サボテン

皆様、今晩は。
うちのこのサボテンは、年に二回ほど花が咲くのですが、丁度今時分咲き始めています。

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うちへ来てから10年ほど経っているのですが、段々大きくなってきて鉢をその都度大きいものに変えていって、今でも鉢にくっつきそうに大きくなっているのですが、これ以上大きな鉢に変えると持てなくなりそうで怖い。
そもそもこやつは、サボテンでありながら棘というものはなく、白い毛のような柔らかいものに包まれているお饅頭―大福かーがいくつも重なっている代物で、なんていう種類なんだろ。
たしか、月がどうたらと言っていたかしら。
「月・・・なんとか」。
元々近所のサボテン栽培農家の方が、スポーツクラブの宴会の何かの商品に出していて、それが当たって家に来たんですが、まだ花が咲いていると言うとびっくりされます。
素人は根腐れさせるか枯らしてしまうことが多いので、こんなに長持ちするのは珍しいと誉められます。
先日、バイオリンの里子さんが同居人と一緒に家にリハーサルに来た際、こやつを見て珍しかったらしくて二人でひそひそと会話しています。
「これってサボテン・・・・・・・」「棘がない・・・・・」「かわいいかも・・・・・・・」「でも丸いから・・・・・」
「丸いのってちょっとね・・・・・・・」「そうだね・・・・・・・」
気になるなあ。
丸いのは問題あるのかなあ。
他に、家人が通販でやはり10年ほど前に買ったガジュマルというものもありまして、これもはじめは、直径10cm程のなんだか怪しげな鉢(香炉を大きくしたようなもの)に入っておりまして、これも今では直径40cm程の鉢に成長してしまいました。

三線を抱えたキジムナーをトッピング
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これも、更に大きい鉢にすると持ち上がらなくなる恐怖が・・・・・・・
ガジュマルの盆栽になっています。
そうだ。
ある車に捨てられていたアロエというものもあって、これも今や巨大化しています。
何故か、うちは植物がよく育つんですね。
テラスの野菜も然りで。
さて、そろそろ憂鬱な季節がやってまいりました。
確定申告!!
小生のような低所得者は許して欲しいと言いたいのですが、そうもいかないでしょうね。
エクセルで去年の分を整理してみて、今年は初めからエクセルで整理しておこうと反省しました。
サラリーマン時代は、全部会社がやってくれたから、今から思うとこれほど楽なことはないですね。
でも、保険やらなにやらとことん経費を下げるのも自営業者の生きる道ですから、面倒くさがらずに頑張らないとね。
ではでは

2008年02月09日

竹田の子守唄からクラシックギターへ

皆様、今晩は。
先日、唄の練習会がありました。

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その後は例によって宴会。お泊りしたら翌日は一面の雪景色。
家へ帰ったら、テラスに雪だるまが。しかしのっぺらぼうだ。

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最近You Tubeをよく見ているのですが、嬉しいことに、小生の大好きな曲である「竹田の子守唄」が、20世紀終わり頃の映像で、これもまた大好きな歌手である山本潤子さんの歌唱で掲載されていました。
この曲は、小学校6年くらいの頃に聴いた覚えがあるのですが、当時は赤い鳥、やはり山本潤子さんです。
はじめてギターを弾いた頃でしたね。
当時、小平市に住んでいて、フォークギターを持っている友達がいて、彼の家へ行ってはちょこちょこと教えてもらっていたものです。
そいつは既にSPシングル(45回転のやつ)を沢山持っていて、主にグループサウンズ(ブルコメとかタイガースとかワイルドワンズとかジャガーズとかね。)が多かったと思うのですが、その中で赤い鳥の竹田の子守唄がすごく印象に残った記憶があります。渡辺貞夫さんと共演していたバージョンもあったような気がする。
そして、どうしてもギターが欲しくなって、親にねだって買ってもらったギターは、今では娘が弾いています。
花小金井の商店街の楽器屋さんで買ってもらいました。
もう40年も経ちますね。

築40年。シールを貼られてしまった。ただしゴルペ板は小生が昔貼ったもの
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その後、中1の時大田区久が原に引っ越して、件の友人とは離れてしまったので、教えてもらう人もいないので、始めたのがギターの通信教育。しかもバリバリのクラシックギター。
毎月テキストと模範演奏が入ったEPシングル(45回転のやつ)が送られてきて、三ヶ月目くらいで「禁じられた遊び」のマイナー部分をアル・アイレで弾くことができるようになりました。
ただし、この曲は、本当はメロディだけアポ・ヤンドで弾くのが正しいのです。アルペジオで1弦だけアポ・ヤンド、2,3弦はアル・アイレです。
これはもうちょっと上達しないといけません。しかも本当に難しいのは、メジャーに転換した部分なのです。
最後まで続けたらもらえるLP(33回転の30cmのやつ)欲しさに1年間続けたら、アルハンブラとかアメリア姫とか何とかこなせるようになっていました。
何年か前にギター・マニアの方が経営している新宿のライブハウスで演奏したとき、この通信教育のテキストをマスターが持っていてこれを見せてもらったことがあります。
無茶苦茶、懐かしかったな。
今は家のどこかにあるのだろうか。
実家を発掘しないといけないだろうな。
そして、ギターを弾けるやつがいるとの噂が広まったのでしょうか、音楽好きの友達ともバンドなんかも組んで遊ぶようになりました(今でも付き合いのある整形外科医のS田君とか)。
小平ではカレッジ・フォークやグループサウンズだったのですが、久が原では、ベンチャーズ、シャドウズに何故かバート・バカラック。そしてボサノバ。
この頃始めて「イパネマの娘」を演奏しました。
69年頃でしょうか。
友達のエレキ・ギターを借りてきて、カルロス・サンタナの真似なんかしてましたね。
この話になると長くなるので、次は次回にしましょう。
ところで、山本潤子さんは、大学生の頃、ハイファイ・セット(彼女がリード・ボーカルのコーラスグループでしたね。荒井由美の楽曲を多くやっていました。)が好きでさんざん聴いていて(この頃、かつてギターを教わった件の小平の友人と再び遊ぶようになっていて、彼から教えられたのです。)、今でも最も好きな歌い手の一人で大ファンです。
ではでは

2008年06月18日

2008年豚丸の旅

皆様、今晩は。

沖縄紀行文を書いているうちに、時間はどんどん経ってゆきます。
5月24日~25日は、恒例、「豚の丸焼きとサンバの宴」(通称「豚丸」)が開催されました。
昨年の模様は、このブログにも記録してあります。
もともとは、編集者、デザイナー、カメラマン等のクリエーター集団が群馬県の温泉へ行って、豚の丸焼きを色々な角度から食すという趣旨のものが、友人、家族、我々のようなミュージシャンとか色々な人達を巻き込んで拡大していったイベントです。
昨年からは、大型観光バスをチャーターして、幹事は前日に前乗りして準備するという大規模なものになってきました。

大型観光バスですね
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今年の参加総数は約70名ほど。
そして、単に豚の丸焼きを色々な角度から堪能するということだけではなく、音楽を楽しみながら、温泉、昼寝、散歩、そして飲みと、何でもありの大人の遊園地的な空間にしようというコンセプトです。
今年は、午後から雨の予報でしたが、何とか我々のライブの夕方までは持ちました。
石垣島のときと同様で、こんなことを考えている連中というのは、雨対策などお手の物です。
やはり、イベント用テントを駆使して、野外イベント用の屋根を設営しておりました。

野外会場全景
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さて、昼頃到着して、お昼は手打ちのうどんに地卵とだし汁でぶっ掛けうどんですが、現在焼いている豚からたらーりと落ちる(がまの油みたい。)背油を加えると別世界の味わいです。
しかし、燃え盛る炎の上でこの背油を採取するのが至難の業。
材木を使って、炉辺焼きの要領で試みました。
失敗すると、うどんが落下してしまいます。

二枚におろしている感じですね。
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そうこうしているうちに、民宿の自家製かまどでピザが焼きあがったりしているわけです。

自家製かまど
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雨が来ないうちに演奏しよう
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そうしましょう
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ライブを堪能した後は、いよいよ豚の丸焼きです。
今年の豚は特に美味しかったような気がしました。
色々な部位を堪能します。
もう一週間くらいは豚肉を見たくないくらい。

豚の切り分け配給
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この頃から雨が本降りになってきて、以降は雨中のライブです。
でも、関係なく盛り上がりました。
色々なミュージシャンが参加してボサノバ、サンバ、歌謡曲からなんでもあり。
そして、オリジナルサンバ歌謡も。
雨が激しくなる中、感電しそうな気がしましたが無事でした。
日も落ちてくると、おでん屋台が開店します。
これが楽しいんです。

おでん屋台
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同じく
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ビニールハウスの中なので、雨の心配はありません。
提灯も用意し、ねたも仕込んで女将もいて、熱燗です。
BGMは当然演歌でしょう。
会計は最初に込みで飲み食い放題ですから、勘定を気にせずに屋台でおでんをつつきながら、熱燗をやって、渡る世間の愚痴の一つでも垂れたいという感じです。
大人のテーマパークみたいですね。
もしも、この状況で、疲れたサラリーマンとか、粋なお姉さんとか、ちょっとやばい筋の人とか、流しの演歌師とか渡世人とか貧乏な恋人達とか世捨て人とかを出現させちゃったら、もちろん芝居ですよ、面白い屋台になるでしょうね。
皆に役割を振って衣装も決めてね。
来年は、ハプニング・アドリブ芝居屋台というのも面白いかも。
そんなこんなで、疲れたら温泉に入ったり、寝てしまったり、囲炉裏を囲んだり、飲み続けたり、何をしてもいいのです。
まさにワンダーランド。
翌朝は、それぞれの民宿の心づくしの朝食をいただき、昼は前日の残りの豚をスイトン入りトン汁でいただきます。
無駄なものは出さず、全て堪能します。
このイベントは、スタッフが好き者であるからこそできるもの。
そのサービス精神と、全体を貫くセンスのよさには、脱帽です。
準備から後片付けから本当にご苦労様でした。
今年の豚丸も楽しかった。
自分的には、前述したおでん屋台を舞台にして、昭和の裏街を演出するようなパフォーマンスが出来ると面白いだろうなと思う次第です。
別に誰に見せるわけでもなく、自分達だけが参加して楽しむ舞台。
誠に勝手な思い付きではありますが。
そこで飲んでいる人達がタイムスリップしてしまうようなね。
ということで、今年も豚丸、楽しませていただきました。
スタッフの皆さん、ありがとうございました。
来年もやりましょうね。

2008年07月23日

夏の菜園

皆様、こんばんは。

最近、小生の周りの一部ミュージッシャンの間で盛り上がる話題が、食べられる植物を育てることに関して。
要は、家庭菜園やプランターに野菜やハーブを育てて如何に美味しく食するかということですね。
少なくとも、小生の周りのミュージッシャンは、美味い物好き(嫌いな人はいないでしょうが、こだわりが強い。)つまり食いしん坊、酒好き、つまりのんべえが多く、賄い付きの仕事や旅に関しては、食・酒が一大関心事になります。
そうなると、自然と自分で調理する方に興味が行き、最終的には食材も自分で作りたいと思うようになりますね。
ちょっとしたスペースに野菜を植えて成長を見るのは楽しいものがあります。
やはり、狭いスペースには、雑草系のハーブが適しているようで。
繁殖力が強いので手間があまりかからないんですね。
ただ、放っておくと他を席巻してしまいます。

このブログにも書いたことがありますが、うちもルーフバルコニー菜園をもう十数年やっておりまして、何の知識も無いのですが、毎年の試行錯誤と、偶然にも日当たりと風通しがよいことで、特にトマトが良く育ちます。
いつもはミニトマトなんですが、今年は、難しいといわれる普通サイズのトマトが良く育ちました。
経験しているうちに、素人ならではの、全く系統立たないばらばらの経験的知識は身に付くようで。

ミント、ナス、オクラからトマトへ
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宙を這っているのはへちま(ナーベラー)
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ミントや苺は何の世話もしなくても時期になると勝手に生えてきます。
勝手に生えてくる名前が分からなくなってしまったハーブとか。
野菜は一斉にできるので食べきれなくなるんですね。
あと、難しいのはどの辺りで食べるかの見極め。
もっと大きく育つかなあと思っていると、硬くなってしまったり、味が落ちてしまったりします。

見極めが難しいへちま(ナーベラー)
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近所の知り合いの農家の方から、10坪程の家庭菜園をやらないかと言われていますが、午前中は在宅していることが多いので、手入れもできるかなと興味をそそられますね。
地面だったら根菜も出来るし、冬野菜なんかも出来そうだし。
自家製野菜だけで食べる鍋なんてえのはいいでしょうね。
ただ、一番大変なのが雑草除去で、作業の大半はこれに費やされます。
旅なんかに出てしまうと、手入れができなくなるからこれをどうするか。
ちなみに、その農家の方は、あまりに草取りが出来ていないと、イエローカード。
それでも駄目な場合はレッドカードを出しているとのこと。

ま、借りたら借りたで、肥料や支柱等の仕掛けに費用がかかるし、除草剤や農薬を使わないので手間も相当かかることでしょう。
でも、無農薬野菜の自給自足ってのは憧れの食生活ですね。
ちなみに、賃料は一年で10,000円位らしいです。

さて、この25日から8月1日までDUAS INTENCOES宮崎・熊本・屋久島ツアーに行って来ます。
夏真っ盛り、暑いでしょうね。
でも、真夏の屋久島もとっても楽しみです。
また、帰って来ましたらご報告したいと思います。
ではでは

2008年08月27日

受験なのに

皆様、こんばんは。

ここのところ、暑さも一段落して秋の気配が忍び寄って来ているような感じですね。

うちの子供(中三女子)は、高校受験が間近で、それなりに忙しくしているのですが、クラブ活動が受験に配慮してか休止しているので、これまで部活に当ててきた時間があいてしまったため、ギターばっかり弾いています。
勉強しろという学校の配慮なのにね。

確かに、自分も試験が近くなると本を読みたくなったり、楽器を弾きたくなったり、何か勉強以外のことをしたくなったような経験もあるし、そのときの方が集中できたような記憶もあります。

前々からちょこっとは教えたりしていたのですが、ここ一年ぐらいは、自分でお気に入りのバンドのギターのパート譜(タブ譜)をネットでみつけてきて練習している様子。
小生が始めて手にした築40年のクラシックギターを相変わらず使って、最近はピック弾きをしているようです。

お気に入りのバンドというのが、小生などからすると皆目見当が付かないビジュアル系ロックバンドで、サウンドは何ていうんだろ、最近のは分からないな、おじさんの表現で言えば、メタル系かしら、エフェクトかけまくり早弾き系かね、とにかく結構テクニカルな感じですね。
これを馬鹿の何とかで延々とやっている。
段々様になってきているような感じですから不思議なものです。

タブ譜は見て弾くものではなく覚える手段ですから、実際に弾くときは覚えてしまっているわけで、何も見なくて弾けるのはよいことですが、応用が利くかどうかが問題ですね。
ただ、聴いていると、時々おっと思うような複雑なテンションコードを弾いていて、そのコードの意味が分かるのかと聞くと、案の定「?」。
でも、本来音から入っていけばいいのだから、これでいいと思います。
指弾きの基本的なことも、教わった順番どおりにやっているしつこさには感心します。

しかし、馬鹿の何とかというのは確実にうまくなるようで、音が滑らかになってきているし、最近は、教えていても理解がどんどん早くなってきているような気がします。
うまくなってくると、楽器の構え方も様になってきて、そうなると指使いも楽になって音もどんどんよくなるわけです。
教える方としては、模範演奏をすれば、生徒がじーっと凝視しているだけなので、楽は楽ですね。
しかし、よく見ているだけで演奏できるね。これは感心。

小生が彼女の年齢の頃は、友達とバンドをやって、合奏の楽しみにはまっていったことからすれば、一緒に出来る同年代の仲間がいればとは思います。
ただ、ギターを教えてくれる人はいなかったから、彼女は小生の頃よりコードなんかは複雑なものを知っているといっていいでしょうね。

彼女もバンドは組んでは見たものの、バンド名だけ決定して、練習に集まってはみたものの、女の子同士おしゃべりして、おやつを食べて終わってしまうというパターンのようでした。
小生の経験からしても、高校へ行けば仲間が広がるのでバンド活動がしやすくなります。

ということは、やっぱり受験勉強だろ!!

メタル系をクラシックギターで練習するのは、エフェクターのごまかしが効かないので、却ってよいと思いますが、高校へ入ったらエレキギター(こういう表現って今するのかな。)を買ってあげると約束しているので、この先どうなるんだろ。

ま、好きなことには協力しますよ。
ではでは

2008年10月31日

恒例、秋の房総キャンプ2008

皆様、こんばんは

先週の土・日曜(10月25日~26日)に、恒例、房総キャンプが開催されました。
メンバーはシマ部、サウーヂ有志等々で約20名の大所帯。
毎年この時期に何かテーマを見つけて、と言うより強引にテーマをこじつけて行きます。

何年か前は海蛍鑑賞(道路ではなく本物の。)、去年は時期外れの台風が直撃したところで強引にバーベキューを強行したので、後から「嵐の中のバーベキュー」。
今年は、春に行なわれる「豚まる」に対抗したのか、「鴨まる」。
つまり、鴨に米やらハーブやら詰め込んでバーベキューで調理して食そうということがテーマになりました。

集合は、この方面に行くときはいつも、保田漁港の食堂「番屋」です。
相変わらず賑わっています。

人数が多いので、このときとばかりに普段は食することが出来ないような贅沢な食事をいただきます。
それでもここは単価が激安なのでいくらにもなりません。
それにしてもここの料理は出てくるのが何て早いんでしょ。しかも美味い。
全て魚料理ですが、こんなにお客さんがいるのに(ン百名規模です。)、面倒くさそうなものもすぐに出てくる。
都会の居酒屋だったら大混乱の感じなのに。
どうなってるんだろ。

給仕をしてくれるのは、おばちゃんやバイトのねーねーやにーにーから、どう見ても漁師としか思えない真っ黒に日焼けした長靴のおじいとかまちまちで。
さすが漁協直営ですね。
ここはいつ来ても素晴らしい。

さて、秋の日はつるべ落としと申しまして、ぼやぼやしているとすぐに日が暮れてしまいます。
夕食の準備とか細かい作業は日があるうちに済ませたほうが得策です。
適当に切り上げて目的地の「清和県民の森」キャンプ場へ。
小生は、番屋に来るときはいつも運転なので、一回もここで飲んだことがありません。
飲むのに最高な料理が山ほどあるのに・・・・・・(涙)。

「清和県民の森」は房総半島の南の真ん中辺りの山の中。
千葉県立の公園なので、設備がしっかりしていて利用料金は格安、反面、消灯時間等、規律は健全です。
このメンバーで大丈夫だろうか。

早速、テント設営では予め準備されているテントサイトのすのこを住みやすいように移動してしまいます。
テントの性能が良くなり設営が簡単になったとは言え、シマ部の皆さんのセッティングの素早さにはいつも脱帽です。

テント設営のミーティングか
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食材買出し組と料理及び住環境調整組に分かれて動きます。
小生は買出し組。
たっぷりの食材、酒等を抱えて帰ってきたら、もぬけのから。
う-----------ん。
しばらくして散策に行っていたということで集団で戻ってきました。

食材の一部
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さて、これだけ大人数ですと、全員が夕食の仕事に携わると却って邪魔になったりしますので、例えば、野菜を洗っている人達の傍に行って、力の抜けるようなウクレレを奏でてあげるとか、一生懸命火を熾している人たちの脇で小噺を一席とか、皆さんの替わりにお酒の味見をしてあげましょうとか、今宵のキャンプファイアーのステージを造ってあげたりとか、何の関係もなくコップ一杯のお湯を沸かすための極小個人用コンロに寄ってたかって改良していたり、それなりに盛り上げます。

調理しています
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食事かな
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明るい頃から現れていた猫がいます。
妙に人懐っこい、お客さんから餌をいつももらっているんでしょうね。
栄養がよいらしく、毛もつやつや。
子供達や猫好きの良き遊び相手になってくれていたようでした。
冷えた夜はテントまで入ってきたようでした。
ただ、どうも集会の時間が決まっているらしく、仲間の軍曹の招集で中座していました。

キャンプ場猫
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さて、鴨まる、出来上がりはこのようです。
美味い。

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殺到する
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このキャンプは、焚き火マスターのMさんがいるので、おおぶねです。
なんせ去年の嵐の中でも焚き火を熾した名人です。
彼の焚き火はまとまっていて美しい。
しかも確実に火力がある。
目的別に火が熾せる。
こういうことは、サバイバルに重要ですね。
充分に、特技といえるでしょう。
特技:焚き火
評価されるべきでしょうね。

火熾しの風景
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さて、食事の後は、キャンプファイヤー。
野外ライブです。

ライブ準備
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今回は、うちの子供(中三女子)も参戦。
普段の練習の成果を披露してもらいました。
行く前はやだと言っていたのですが、親が親だから・・・・・。

ライブパフォーマンス
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こういう規律の正しい場所というものは、過去の経験からいって、一回目、二回目の注意は軽く受け流し、最終的には警察が来たら終わりというのが普通です。
さすがに、良識のある人達ですから警察まではいきませんが、ま、適当なところでゆるい飲みに移行します。
天気は、晴れの予報でしたが、時々雨がぱらついても、ま、概ね良好です。

翌朝、早起きする人は早起き。
遅い人はそれなりに。
残りの食材で、朝食を作るのですが(なぜか小生が担当。)、焼きそば、野菜炒め、おかゆ、おかゆ、おかゆ・・・・・。
作っても作っても、この人数ですからあっという間に無くなります。
そういえば、昨晩も一口二口で無くなったなあ。

テントサイトは、テント持込で一泊一人あたま100円。
チェックアウトが早いので延長(つまりもう一泊分ですね。)しても一人あたま200円。
昼過ぎまでゆっくりしましょう。

帰路は、近所の道の駅、あれはどこなんだろう。鴨川市なのかな。
で、昼食やら、直売野菜の買い物や無料足湯など楽しんで、最後は再び番屋併設の温泉「番屋の湯」で一風呂浴びて解散です。

すっかり恒例になった秋の房総キャンプ・ライブ付き。
シマ部ベテランのおかげでどういう状況にも対応できることを学ばせてもらっています。
もしもの大地震が起きたときの避難生活とか、ホームレスになったときの路上生活とか、無人島でのサバイバル生活とか、応用が利きますね。
そうか。
こういうテーマでやってもいいんですね。
ではでは

2008年11月28日

最近はまっていること

皆様 こんばんわ。
すっかり寒くなってきて、寒さが苦手な小生にはつらい季節です。

久し振りの筆者近影
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さて、最近ちょっとはまっているのが、パラグァイの作曲家、バリオス・マンゴレ(AGUSTIN BARRIOS MANGORE)(1885~1944)の作品です。

スペイン人とインディオの混血として生まれ、天才ギタリスト・楽聖と呼ばれたこの大ギター奏者、作曲家の作品は単なるクラシックギターの作品としてのもの以上の、南米、インディオ、ヨーロッパ、新ロマン主義が渾然とした美しさと格調の高さを有しているような気がします。

ギターテクニック的にはかなり難しい部類に入ると思います。
セゴビアやビラ・ロボスにも影響を与えたそうで。

きっかけは、ハファエル・ハベイロの映像の中に、素晴らしい速度で美しいクラシックの作品を弾くものがあって、どこかで聴いたメロディだなとそのときは思ったのですが、ある日、一度はチャレンジしてみようと思っていた曲だと思い出したのです。
それが、バリオス・マンゴレのLa Catedral(大聖堂)という曲で、チャレンジしてみようと思ったということは、家に楽譜がある筈で、案の定ありました。
かなり前に手に入れたものですが、難しくてなかなか手が出せなかった。

このようなものです。
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最初の曲からなかなかに難しいのですが、このLa Catedralという曲は一番最後に掲載されている曲で、三つの楽章からなっていてA4版6ページになります
一楽章からそれぞれ、Lento、 Andante、 Allegroとなっていて、ハファエルは第三楽章Allegroを快調に弾いていたのですね。

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普段使っているようなハーモニーも出てきますが、まず使ったことの無いバロック調のコードや高速アルペジオ、12フレットより上のポジションが頻出、右手も左手も大変です。
特に大変だなあと思ったのが、
1. ハイポジションで開放弦を利用するため、弦の高低が調弦どおりでなくなることが多発するので、アルペジオに気を使うこと。例えば4弦から1弦の順に低い→高い、ということではなくなるわけです。
2. 6本の弦のうちまとまった4音のコードではなく、例えば6弦4弦2弦1弦と正確にコード弾きをしなければいけないこと。通常は、5・4・3・2弦と隣接した弦でコード弾きをしますからね。
3. 譜面を読む暇が無いので、暗譜しなければいけないこと。これは暗譜というよりは指が覚えてしまうことです。
4. ものすごくきつい握り方が偶に出てくること
5. 右手の動きが極めて複雑なこと

こんなところでしょうか。

あと、曲によっては6弦をD、5弦をGにチューニングしたりします。
6弦Dというのは普段でもやることはありますが、5弦Gも同時にというのはあまりやりません。
指がなじむまで大変です。
クラシックギタリストの方々は日常なんでしょうが。
ハイポジションと左手のきつい握り方は、クラシックギタリストが何故あのような大股開きスタイルで演奏しなければならないか、よく分からせてくれます。
こちとら、如何にすれば楽に弾けるか常日頃考えている身なので、こういうものは勉強になります。
ただ、編者のヘスス・ベニーテス氏の譜面には運指が細かく記載されているので、自分的になりそうなところをその運指にしたがって弾くと、かなり合理的な運指になっていて、目=鱗ということが頻繁です。
ハイポジションというのは、普段使っているカッタウェイ(ネックの高音部の下半分がえぐれていて、高いポジションが押さえ易くなっている楽器です。)だと当然のことながら楽なのですが、ここは敢えて通常の12フレットまでのクラシックギターにこだわるのが筋ではないかと思い練習しているのですが、結構きついです。

そうこうしているうちに、段々慣れてくるもので、ある日譜面とギターがなじみ始めていることに気付きました。
曲がいいから、何回練習しても飽きないのでしつこく練習しているうちに指がなじんでくるのでしょう。
ま、いつかは暗譜で弾けるようになることを目標にしつこく練習するまでです。

この作品集は、23曲入っていて、第一集。
第四集まで出版されているようなので、探してみよう。

しかし、マンゴレ氏は、ギターの音をより甘く豊かにするために、通常より半音低くチューニングしていたというエピソードにはびっくり。
Cの曲を弾くと出てくる音はBなんですね。
合奏するためには、トランペットやサックスのようなキー変換が必要ですね。
でもそれだとせっかくチューニングを下げた意味がなくなってしまうから、ギターを何本も用意しないといけないなどと考えていると興味が尽きません。
ではでは

2008年12月22日

続・最近はまっていること&鳩間島文化遺産保護チャリティーイベント

皆様 こんばんわ。

先月の終わり頃からはまっているバリオス・マンゴレの「大聖堂(La Catedoral)」。
何かにつけて、毎日練習していますが、ようやく第一楽章と第二楽章を覚えた感触で、ここまで約半月かかっています。

色々と新しい発見なんかもあったのですが、第一楽章、第二楽章はやはりクライマックスの第三楽章に比べると短いし、テンポもゆったりしているので、それなりに難しくはあるのですが、第三楽章に比べるとはるかに弾きやすいという印象です。
でも、ここまで来るのでも苦労したし、この先どのくらい時間がかかるのでしょう。
覚えることも苦労するのですが、一つの和音を出すのに苦労しました。

6弦5弦を7フレットで3弦2弦を12フレットで4音同時にハーモニクスで弾くという音。
何回弾いてもうまく音が出ません。
3弦2弦だけだったらきれいな音が出るのに、どうして6弦5弦と同時に鳴らすときれいに出ないんだろうか。
これを克服するのに約20日かかりました。

分かってみると、なんてことはないのですね。
6弦5弦を7フレットでハーモニクスしている人差し指が3弦2弦の7フレットに触れていた。
これだと3弦2弦を12フレットでいくらハーモニクスしていてもきれいに出ないわけです。
3弦2弦の12フレットハーモニクスと弾いている右手の間に障害が無いのだからきれいに出るだろうという思い込みですね。
だから小指を放すタイミングが悪いのかとか、強く当てすぎているのではないかとかそんなことばかり考えていました。

普通はそうですね。
音がうまく出ないのは、押さえ方が悪い、だから弾いている右手との間に障害ができてしまう。
しかしハーモニクスは指を放した後に弦の長さがどのくらい残っているかが音の決め手なのだから、左手と右手との間ではなく、左手と残った左側の弦が確実に一定の長さを持っていなければならないわけで。
それを人差し指がブロックしていたわけだ。
こんな単純なことを気づくのに何日もかかってしまいます。
でもきれいに出せると実に美しい音色です。
ま、こんな発見をしながらクライマックスにチャレンジしていくのも楽しいですね。

さて、秋の八重山・沖縄のブログでちょっと予告しておいた鳩間島文化遺産保護チャリティーイベントの実施がやっと本決まりとの連絡がありました。

9月に鳩間に滞在していた頃、島の環境保全のための資金を調達する手段を何かしら考えなければいけないということで、伝統芸能のイベントを大阪、東京でやろうということが決まりつつあると島の重鎮達が語っていました。
小生と議論した主な問題点は、
1. ん千人規模のホールが今から取れるのか。
  その規模の民間のホールの使用料は高いし、リーズナブルな公共施設は約1年前から予約しないと難しい。
2. 環境保全のための資金調達が目的だから、ペイしないと意味が無い。コストを如何に下げて、集客効果を高めるのにはどうすればよいか。
3. ペイしたとしても、税金で持っていかれては意味が無い。それを避けるためには主催者が公益的な者である必要がある。
4. 最も大事なことは、経費としての前払い金が相当に必要なのだから、島の意思統一が図れるのか等々。

人口は少ないにかかわらず、ただでさえ意見を集約して意思統一を図るのが難しい島なのに、大人数が参加するリスクもあることに対して意思統一が図れるのか、正直言って半信半疑でした。
しばらく連絡も無かったので、ああやっぱり駄目だったのかなあなどと思っておりましたが、具体的に会場、日程も決まって動いているとのことで、一安心。
でもこれからが大変ですね。
小生も及ばずながら、お手伝いいたします。
公演日程は以下のとおりです。

2009/02/14(土)
大阪公演
守口文化センター

2009/02/16(月)
東京公演
練馬文化センター

詳細はこちら
http://hatoma.jp/
(ここでチケットも購入できます。)

今後このブログでも進行状況等について報告していきたいと思います。
美しい鳩間島の環境を保全するために、是非皆様、公演にお越しになっていただきたいと思います。
ではでは

2009年01月28日

2009 1月 昨今

皆様 今晩は。
最近更新をサボっていました。
申し訳ありません。
更新できないほど忙しいわけではないのですが。

1月11日に、先にお伝えした鳩間島伝統芸能東京公演の打合せを兼ねた鳩間島東京郷友会の新年会が新宿でありました。
打合せはそこそこに、とても楽しい会でした。
「かりゆし」(沖縄居酒屋)という会場は、小生が若い頃盛んに飲んでいた要通り(末広亭裏ですね。)にありました。ステージも広くて石垣の民謡酒場と雰囲気が似ています。
我々の一団の唄と踊りで勝手に盛り上がってしまいました。

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要通り、懐かしいなあ。

あの頃は木造二階建てのギシギシと音を立てる階段を上って、「イプセン」(人形の家の作者かな。)という名前の小さなBARに通ってました。
あの頃で60歳を越えていただろうマスターが一人でやっていた小さなBARでした。
外の喧騒は嘘のように、小さな音量でシャンソンがいつもかかっていて、そして時々JAZZ。
飲み物は角の水割りかハイボール。
若いのに生意気だったね。
場所柄、面白いお客さんもいましたね。
クリスマスになると何かしらプレゼントを持ってやって来る外人の船員さん。
大学教授風の紳士と美少年の連れとか。
劇作家。美学者。劇団員。フリージャズ演奏家・・・・・・・等々。
かかわりで、芝居、それも前衛のを随分見に行きました。
うるさい酔っ払いに居座られるのは嫌いとかで、ボトルは置いてなかった。
いつも静かで。
ここで一人で飲むのが好きでした。
その後は、バブルの時期になって、地上げで要通り、末広通り、ゴールデン街と様変わりしていきました。
あの頃(もう35年位前)から続いていて知っている飲食店は、「桂花ラーメン」くらいかな。
「どん底」、「山小屋」、「海賊」はまだあるのかなあ。

それにしても、二次会もそうだったんですけれど、新宿には沖縄系居酒屋って結構あるんですね。
内容はともかくとして。
件の東京公演はチケットの売れ行きがまだまだということで、今後一層頑張ろうということになりました。
一行は、2月15日に東京に到着するので、未確認情報ですが公演前日のその日もライブをやろうと計画しているようです。しかも二手に分かれて・・・・・・。

1月24日は久し振りにギターの阿部浩二さんとデュオライブ。
この日の演目は、ブラジル音楽は3割ほど。
後の7割はオリジナル、沖縄民謡、ジャズナンバー。
この日は相棒のピアニストATUXIもお客さんで来てくれました。
曰く「「えんどうの花」って客で聴いていると実にいいねえ。」
いや、やっててもいい筈だよ。
あの情景が、鳩間、竹富、石垣でしょうか、浮かんできたとのことでした・
PAの塩梅もよくて、ギター2本のサウンドが程よく交じり合ってとても心地よい演奏が出来たと思っているのは小生だけかしら。
次回、ここSem Nomeは4月11日です。

さて、いつもライブをさせていただいている、新小金井「NASH」で、ピアニストATUXIが中心となって開催しているブラジル音楽ワークショップを次回から拡大させようということで、小生も参加して、今は基本的なリズムをパーカッション中心にやっていますが、今後は唄、ギターも含めてブラジル音楽にはまりまくろうという企画になって行くと思います。
ドラマーの参加もありますよ。
次回は、3月7日(土)13:30~16:30頃まで。
会場は「NASH」
新小金井 NASH (東京都小金井市東町4-20-18)
場所URL: http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14187848&comm_id=1734243
です。
会費は、3,000円です。
楽器をやろうという方も唄おうという方も是非是非ご参加ください。
一緒にブラジル音楽を楽しみましょう。

さて、1月も終盤。
そろそろ今年の八重山・沖縄ツアーに向けての調整を進めなければなりません。
ではでは

2009年04月10日

春、いろいろ

皆様 今晩は。

ようやく春本番。
家の北側のルーフバルコニーに、終日日光が当たるようになって布団が干せるようになったし、大きな蜘蛛も姿を見せ始めています(変な季節感ですな。)。

寒いのが苦手な小生としては、生き返ったような気になります。

先週、井の頭公園で某音楽関係者の花見会がありました。
何年ぶりかで行ったのですが、人の多さにびっくりと共にうんざり。
公園に入るのに人で渋滞しているし、入ったら入ったで、桜が咲き乱れる東側はそれこそ足の踏み場もないくらいで、歩くのも難儀します。
元々、人ごみと喧騒と行列が嫌いな小生にとっては足を踏み入れる場所ではなかったようです。
そんな中、そのような状況が苦手な集団は、桜を遠めに見る西側の桜ではない木の下で、静かに過ごしていたので一安心。

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午後5時には、いせや公園口店に移動。

ここも来るときは列を作っておりとても入れる状況ではないように思えたのですが、そこは、ボスが吉祥寺の顔役ですから、最上級の個室が用意されていました。
見晴らしが良いのでここからの桜見物の方がよかったです。

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ここは三次会ですな
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そして、春といえば入学式。
先日、家の娘(高1女子・・・・中3女子はめでたく卒業しました。)の入学式に行ってきました。
当初は、わざわざ親がという感じだったのですが、保護者会があるというので。
ま、式典自体はブラスバンドの演奏もあったりして楽しめたのですが、その後の保護者会というものが長かったですね。
教師の話というものは、いつも長く感じます。
たぶん話している本人は短く感じているんじゃないかなと思います。
色々な感じ方をする人達に正確に伝えなければいけないからでしょう、一番伝えたい事にいたるまでの複線が長く感じてしまうのです。
様々な人達がいるのだから我慢しなければいけないと思うのですが。

つまらないことを考えてしまいますね。
式典が始まる前にあったブラスバンドの演奏は、何故後ろを振りかえなければ見られない場所で演奏しているのだ。
あれでは様子を見られないし、曲が終わっても誰も拍手をしないではないか。
例えば、あれがサンバのバツカーダだったらさぞや面白いだろうな。
ダンサーも出てきて行進したりしたら盛り上るだろうに。
だとすれば、ブラバンも元々行進モードなんだから行進して新入生、保護者席にどんどん入って行けば盛り上るだろうに・・・・・・。
盛り上ればいいってものじゃあないか。

暖かかったので、ついつい舟を漕いでしまいました。

この高校には、園芸科というものがあって、実習に使うとても広い畑や花壇があるのがとても良かったです。
実習で収穫した野菜は直売として売り出すそうで、それは是非買って食してみたいです。

で、直売といえば、我が家御用達の地元農家野菜直売所は、このところ春の青物オンパレード。
菜花などは三日を開けず大量に食してます。
この時期、畑は豊かなんですよね。

で、畑といえば、家の空中農園も今月末沖縄・八重山ツアーに旅立つ前に、準備を完了させなければいけません。
これが結構大変。
まずは、手摺りの目隠しを交換、これに半日。
プランターの土から雑草や根っこを取り去って、空気を交ぜて柔らかくして石灰や再生土等を混ぜて養生させる。
丸一日。
養生に一週間。
野菜の苗を調達してきて植える、これに一日。
ざっと二週間はかかります。
始めてしまうと結構集中できて楽しいのですが、思い切るのと、天候(晴れていて風のあまりない日)のバランスを合わすのがなかなか難しいのですね。

これを始めて十数年。
当時チビだった子供も高校生になってしまったのですから、さすがに慣れてはきました。
初めは子供の情操教育とか理屈をつけていたのが、いつの間にか食べられる野菜が殆どになり、プランターの数も相当に増えて、野菜作りの楽しみを味わえるようになるとは始めた当時は思ってもいなかったです。

出発する前にいつものように仕上げましょうね。

ではでは

2009年04月20日

今年も家庭菜園

皆様、今晩は。
今週末から恒例、春の八重山・沖縄ツアーに出かけますが、その前にやっておかなければいけない重要な仕事―自宅・家庭菜園の整備を終えました。

これは土作りが一番大変かつ重要な仕事です。
雑草の除去―根っこの除去―土と空気を混ぜて膨らませてー石灰等を混ぜて土を中和させー再生土等を混ぜて養生。
養生に約一週間。
結構いい感じの土になりました。

今年は例年に比べて土が比較的乾燥していて作業が楽でしたが、それでも一日がかりです。
プランターもこれだけ増えてしまうと大変です。
屋久島で農業をやっている友人によれば、雑草を除去しない農法があるとのことで、その方法は知っていましたが、除去する雑草と除去しないそれを種類を見極めなければいけないとのことで、おそらく良い方法とは思いますが本職でないと難しいですね。

そして、肥料と新しい土を混ぜ込みながら、苗を植えていきます。

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今年も例年通り、トマト、ゴーヤ、胡瓜、茄子、ピーマン、オクラ、ハーブ類、去年うまくいったから今年も冗談で植えてみるとうもろこし。
この冗談で植える何かというものが結構面白い。
プランターでおよそイメージできないものを植えてしまうのです。
今までは、かぼちゃ、さつまいもとかやりましたが、それなりに出来てしまうのが面白い。
まだ若干スペースがあるから、スイカとかキャベツなんか面白いかも。
やはり、趣味には遊びがないと。

収穫はもちろん楽しめますが、それまで成長していく姿を見て手入れをしてやるのも慣れれば楽しいものです。

自宅の菜園は北向きですが、3月から10月くらいまでは日が一日中当たり、南に自宅があるため海側からの強い南風が遮られ、ちょうど塩梅のいい西よりの風が巻いてくるので生育状況はとてもよいのです。

近所の農家の知り合いから、畑を貸すから菜園をやれと再三お誘いを受けています。
10坪、年間賃料10000円とのこと。

魅力はあります。
10坪あれば相当植えられるし、地面ですから根菜もできるし、冬野菜も出来るし・・・・。ただ、旅がちな商売ですから、その間手入れができないとの危惧があります。
手間の殆どは草取りですから。
まめにやらないと駄目ですよね。
でも始めると殆ど野菜は買わなくて済みそうな気もするし。
むしろ、一斉に出来るから、配らないと消費できませんよね。

というわけで、今年も心置きなく八重山・沖縄ツアーに行ってきます。

今年の鳩間小中校の生徒は、5名卒業したために4名とのこと。
昨年ギターを教えたY君は、めでたく第一志望の沖縄のK高校に進学し、サッカーとギターを頑張るとのこと。
よかったなあ。

ではでは

2009年07月09日

お別れ二題

皆様、今晩は。

今週は、お別れ二題。
と言ってもそれ程シリアスなものではないのですけれど。
また会うことができるという意味では・・・・・。

まず一つは、横浜は野毛の「浜幸」の現在の建物。
老朽化により今月から改装に入りました。

「浜幸」とは、野毛の居酒屋でエスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂの拠点。
CDのジャケットの表の写真にも使わさせていただきました。
小生も20年ほど前からここでサンバのイロハを教わってきました。
元々は、数年前に他界されたご主人がジャズ・サンバ好きで自然とエスコーラのメンバーになり、それからはここを拠点にサウーヂの活動が活発になっていくのです。

建物はまさしく、昭和の居酒屋そのもので、はやりものとチェーン店嫌いの小生にとっては理想に近い場所でした。
もっとも野毛地区自体、昭和の香りがぷんぷんとしていて大好きな場所。
なにかあったらここで飲んでパゴーヂをして、二階に泊ったりして。
皆と飲んでそのまま泊った翌朝、扉を開けたら昨夜までの長――い梅雨が明けていたなんてこともありました。
昔々はここでライブをやったこともあったんじゃあないかな。
楽しかったことが殆どでしたが、苦かったこともありました。
その際たるものがご主人の他界でした。

その後、親族の方がお店を継続してきましたが、現建物とはお別れです。
7月3日に催されたサウーヂのお別れ会では、もう誰かのお葬式でしか会えないような懐かしい顔ぶれがいっぱいでした。
お互いの年輪が刻まれたことにも気付かされました。
願わくば、今の雰囲気が残るような改築にして欲しいですね。
自分の人生が変わっていった想い出がたっぷり詰まった建物ともお別れです。

二階でのお別れ会
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ここの二階、本当にお世話になりました。
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こんなことが続いた頃もあったなあ。
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一階は昭和の匂いが充満
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これは是非残して欲しい、とても愉快なたぬきの看板です。
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ありがとうございました。

そして二つ目は、屋久島のyakutomさんと奥様との日本からのお別れ。

yakutomさんが東京から屋久島へ引っ越して、彼の地に沢山の音楽好きの友達を作って、そのことで我々はあの美しい島でライブを重ねることが出来ました。

そしてyakutomさんは、しばしの休息にピリオドを打ち、来月からスイスでの仕事に入るとのこと。
どんな人ともすぐ友達になれて、活動的で人懐こくって音楽が大好きで、そしてとても知的な人です。
屋久島に2年しかいないというのが信じられないくらい島では彼のことは有名です。
ライブをやるとなるとその度にフライヤーを島中にまいてくれたり、買い物に行ったスーパーにも貼ってありました。

屋久島の夏、永田川で。変な写真でごめんなさい。
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ギターも上手かった。
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彼を介して屋久島の素敵な友人たちとも知り合いになれました。
彼が離れても島の人達とは関係を続けたいものです。

彼はたぶんスイスで重要な仕事に就くのでしょうけれど、島にいたときは色んな話をしましたね。
音楽だけじゃあなくて、政治、歴史、文化、民族、そして彼の専門である外交、法律の話も。
今にして思えば、プロフェッショナルである彼に相当大胆な議論を吹っかけたこともあったし、逆にオフレコの話しもしたし・・・・・。

奥様もとっても気さくで愉快な方で、東京では知り合い、屋久島で友達になれたと思っています。

そろそろヨーロッパはyakutomさんの登場を期待しているということでしょう。

物的な面でも精神的な面でも影響を与えてくれてありがとうございました。

また会いましょうね。

2009年08月05日

2009,夏、雑感

皆様、今晩は。
梅雨が明けたような明けないような何となくすっきりしない天気が続いています。
しかしながら、夏の行事はそんなことには関係なくとりおこなわれます。

先日は、隅田川の花火大会の鑑賞会。
もっとも高校時代の同級生の自宅・浅草橋隅田川沿いマンションの屋上での高校同窓宴会を兼ねた花火見物です。

今年は野球部が東東京大会のベスト8まで勝ち進んでいて、当日神宮でベスト4をかけた試合があったので、応援帰りも集まって賑やかに開催。
試合は惜敗したものの、練習環境が苛酷な都立高校にしてはたいしたもんだ。

さて、花火ですが、南風がとても強かったけれど、日が落ちる前から隅田川近辺は大変な混雑。
川面にはみずすましの如く屋形船やら観光船がひしめき合い、護岸の桟敷席らしいところには何だか人々がお行儀よく座っている傍ら、川は剃刀堤防のため本来の護岸は無く、しかも交通規制がしかれ、生活者を除いて護岸には近寄れません。
空にはマスコミやらのヘリが薮蚊のごとくぶんぶんうなり、いわゆる江戸情緒とはおよそかけ離れた雰囲気です。

偶然、友人宅が川沿いにあり、集まりを兼ねた花火見物だったから初めて鑑賞することが出来ましたが、人ごみ、混雑、行列が嫌いな小生には苦手な雰囲気で、こんなことが無ければ行かないでしょうね。

花火自体は、打ち上げエリアがそもそも狭いのと密集していることから、こじんまりとしたもので、その分、彩り、形、企画性等で、高い技術力を見せてくれました。
しかし、都会では大型の花火はそもそも無理なんです。

昔々、勤め人をやっていた頃、花火の打ち上げなどという事にも関係したことがあって、打ち上げ現場は職人さん達の戦場ですし、一発ごとの花火について行政の許可を取る必要があって、見た目の華やかさとは裏腹に、実施するのは大変なのです。

マスコミの煽りと商魂ばかりが印象に残ってしまいました。

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そして、恒例ボサギ道場納涼会。
毎年この頃に小生宅でとりおこなう事が恒例になっています。

こちらは、拙宅空中農園の野菜もぎ取りということが付加価値としてくっついているのですが、最近は、ピークが7月中に終わってしまうんです。
特にトマトやゴーヤ、胡瓜なんかが。

今年も関東梅雨明けした模様とは聞きましたが、その後天候不順で、むしろ梅雨明け前が暑かったため、やはりピークは7月中でした。

今でも、これから育つぞという感じで生ってはいるんですが、大きくなる前に割れたり、熟してしまったり、硬くなってしまったりするんですね。
ま、それはそれ、生っているもので楽しんで、ついでに音楽も楽しんで。

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今年は、あんまり夏が来たという実感がわきません。
例年に比べて東よりの涼しい風が多く吹いているようだし。
その分沖縄地方は天気が良すぎるほど良いですね。
7月中には台風も来てないし。
水不足が心配されます。
特に慶良間は大変な筈です。
ここに来てそろそろ台風接近という感じですが。

というわけで、本土もがーーーっと暑くなってほしいな。

ではでは

2010年01月08日

GRETSCH

皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

世の中、不況ということで、ここのところライブのお客様の入りもあまりよくはありませんが、地道にやっていくしかないでしょうね。
今年は少しは上向くといいですね。

さて、我が娘、昨年高校に進学し、お祝いに廉価版エレキギター7点セットを買ってあげたのですが、軽音楽同好会に入ってバンド活動を始めました。
今風のロックだと思いますが(的確な言葉が見当たらない。)、まあ熱心に練習しており、それにつれて廉価版エレキギターでは満足できなくなってきたようで、確かに廉価版は形こそストラトタイプですが、作りやピッチそして何よりも音がそれなりで入門者モデルとうなずけるものです。
これで飽きてやめてしまうかもしれないので、初めはこの程度のものでよいとしても、真面目に練習していくとなると、どうしてもきちんとした楽器を持ちたくなるのは道理です。
新しい楽器が欲しい、しかも自分のお小遣いを貯めてという話なので、それは自分のお金をどう使おうと基本的には自由なのですが、一本目のエレキギターを買ってからまだ1年未満というところが親として気にはなります。

自分のことを考えると、高校時代にエレキギターというものを手に入れたのは、確か高2の頃に友達から買った国産のどこのメーカーか分からない大中古フルアコ。
無骨な作りで弦を張り替えるたびに切れる恐怖心と戦っていたような気がします。
そんなものは、本番(文化祭とかですね。)で使えるわけもなく、友達のエレキギターを借りて弾いていました。
まともなものを手に入れたのは、大学に入ってから。
ひょんなことから、ギブソンのフルアコ175(70年代の作)を手に入れることが出来たのでした。それまでは、初代のクラシックギターのみ。
そんなことを考えると、贅沢かなあとは思ったのですが、我々の頃とは時代が違います。
憧れだったフェンダーやギブソンも比較的廉価で手に入る時代です。
メーカーのブランドそのままに廉価版を制作しているためですね。
これらはフェイクではありません。
真面目に練習している姿やその上達の具合を見ると、きちんとしたものを買うことに同意してもいいかなと思ったのでした。
で、指南役として楽器選びに一緒に出かけました。

場所は、いつもの中古屋。

ここは最近エレキギター部門も充実しているようで、なかなかにいいものがあります。
予算を聞いていたので、その範囲で選ぶわけですが、聞くとアームがついたものが欲しいと。
ギブソンの中古SGなんかでアームが付いたものもありますが、彼女がいっぺんで気に入った楽器がGRETSCHのレスポール型。
ただし廉価版のERECTROMATICというもの。
まあこれもれっきとしたGRETSCHではあります。
GRETSCHといえばギブソン、フェンダーとならぶ名門ブランド。
カントリーミュージックのイメージ、特にチェット・アトキンス、がありますが、フルアコやセミアコの名品を有する老舗メーカーです。
ギター選びの場合、絞って絞って大体最終的にお目当ての2本から選ぶことになるわけですが、今回のもう1本はギブソンのレスポール型中古リペアモデル。
決め手は、二点でした。
一つはアーム付きが欲しいという希望。
そして最終的には生音の良さと生音の大きさ。
GRETSCHのアームは独特のデザインがあってとても粋なのです。
通常、レスポール型というのはソリッドギター(ボディが箱ではなく中味が詰まっている形)ですから、電気を通さない生音というのは小さいはずなのですが、このギターは生音が良く響きます。
こういうものはアンプを通しても音が良いわけで、ここが決めてでした。
いつの間にか小生がギター選びに熱中してました。
で、GRETSCH購入。
とても重い楽器だから肩が凝りそうですが、ミュージッシャンは体力だから体を鍛えましょう。

購入後は隣のタイ料理店でお昼を食べて帰宅。
練習を耳にしていると、やはり音がいいですね。
そしてピッチがあまり狂わなくなった。
当分はこの楽器を愛器として精進してください。

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ではでは

2010年02月18日

最近は・・・・・

皆様、今晩は。

前回のブログからすっかりご無沙汰してしまいました。
忙しいわけではないんですがね。

最近は、昨年からはまり始めたブラジリアン・クラシック・ソロギターとでも言うのでしょうか、このスタイルの練習に浸っています。

昨年来、ガロートの作品を練習しているのですが、以前にも書いたようにこの作家の作品は、モダンショーロとでも言える不思議な香りを漂わせています。
1955年没ということですから、ボサノバ誕生の頃には他界しているのですが、その誕生に影響を与えたと言われることもうなずけます。
ギターテクニック的にはかなり難しい部類に属するものと思います。

で、この流れから、最近はHeitor Villa Lobosの作品に興味が出てきて、譜面や音源の収集、練習に時間を割いています。
Heitor Villa Lobosは、ブラジルのバッハとも言われる大作曲家。
1959年没ですから現代作曲家と言えるかと思います。

クラシックギターの要素が強いので指使いとか姿勢とかが正しくないと弾きこなせない部分が多くあり、またこれが一番重要だと思ったのは、曲を全て覚えないと弾き切れないのではないかということです。

テンポが遅い曲であれば譜面を見る余裕はあるのですが、ミディアムテンポ以上の曲になると譜面を見る暇がない。
ただ、練習に時間がかかるので1曲仕上がるまでには大体全部覚えてしまうようではありますが。

テクニックとか色々と難しい要素はあるのですが、一番難しいと思ったのは最後まで集中力を途切れさせないというメンタルなことですね。

ソロでやっていると補完し合うという事ができないので、最後まで楽曲を完成させるという集中力をいかに保つかということが難しい。
ミスをしないということでは必ずしもないと思うのですが、この辺りもどうなんでしょ。

バンドでやっていてアドリブの多いスタイルであれば、ミスはミスでなくすることもできます。(明らかなものでない限り。)。
ソロ演奏でも、即興スタイルであれば同様です。
また、意外なところから新しい展開がでてくるのは即興の面白さであるし醍醐味であるともいえます。

即興演奏が、ミスをせず譜面を忠実になぞっていくクラシック音楽のアンチテーゼとして位置づけられているのも、クラシック音楽の息苦しさ、ストレス等々からの脱却だったと考えられてもいますね。
更に、フリージャズでは、テーマ、コード進行からも脱却しようとしました。

こんなことを考えると、何で今更緊張を強いる音楽スタイルをやるのかとも思うのですが、ギター的にものすごく美しい音楽だからということは言えると思います。

バンドやソロで即興的なスタイルで演奏しているときは、スポーツでチームプレイを楽しんでいる、会話を楽しんでいる、あるいは自己表現を楽しんでいると言った心持ち。

緊張や集中を継続させるクラシック的な演奏をしているときは作品を完成させるための持続感の維持。
クラシック音楽の会場では客席が静まり返っている、固唾を呑んで見守っているというのは演奏者の集中力を妨げないためということもよく分かります。

しかし、即興の場合はお客様の反応はすごく大事ですから、反応があったほうが嬉しいわけですし、良い演奏も出来ます。

なかなか言葉で表現するのは難しいのですが、今後はライブでもこういうスタイルの演奏を取り入れて行きたいと思います。

ま、多少のミスは大目に見てやってください。

ではでは

2010年04月10日

新しい楽器

皆様、今晩は。

先週新しい楽器を手に入れました。

ちょっと前から目をつけていた楽器、スペイン製のマリアーノ・テサーノス2世とテオドロ・ペレスという職人さんが製作した純粋クラシックギターです。1998年の作。
いつも利用している中古楽器屋さんで見つけたものです。

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ここ1年くらいブラジリアンクラシックギターを好んで練習してきて、本格的なクラシックギターが欲しいと思っていました。
10年ほど使ってきているラミレスのエレアコも大変気に入っており、エレアコながら生音がとても良いので、状況が許すならば、なるべくラインを繋がずにマイクだけで弾くようにしています。
ただ、エレアコは構造上クラシックギターと異なっていて、その差は如何ともしがたいものがあるように思えます。

今回手に入れたギターは、中古品でボディに僅かな傷があることとリペアを施していることから価格が安くなっていました。
定価ならとても手が出ない代物です。

1時間ほど試奏してその鳴りの良さに驚きました。
低音が深く響いて響きが長い。中音の音量がとても豊か。高音の抜けがとても良い。これらが絶妙なバランスを保っています。
そしてとても音が大きく響きます。
今まで弾いた楽器の中で最も豊かな音の楽器のような印象です。
しかも製作者がラミレス工房出身者のためか、長年ラミレスに親しんだ体にとてもしっくりくるのです。
中古とは言え、高価な買い物です。

迷いました。

ラミレスを購入したときも、探し歩いて見つけて試奏して結局その場では買わずに引き上げて、家に帰った後に購入することを電話で告げたことを記憶しています。
このときはそれで手に入れることが出来たわけですが、今回、決断できずに帰宅して思い悩んで買おうと決めたときはもう他へ回ってしまって後悔する可能性は十分にあります。

高価な楽器、価格的に手が届かない楽器は、試奏して感心して「こんな楽器もあるんだ」と納得して終わりですが、今回は頑張れば手が届く範囲。
もうここで決断しなかったらこんな楽器が自分のところにまわってくる可能性はこの先ないんじゃないかと思ったことが決め手になりました。
楽器は相性が大事で、一目惚れは重要な要素だと思います。
縁とでも言うのでしょうか。

早速帰宅して、その日から弾きこんでいますが、鳴りのすごさには驚くばかり。
クラシックギターとはこういうものだったのかと目から鱗です。
ギター以外のところから音が出てくるような気もするし、弾き方によってはエコーがかかったような音までする。低音の響きは凄みすら感じさせます。
静から動まで色々な表現が出来るような気がします。

ただ、デリケートなものなので野外や直射日光は厳禁だし、生かマイクどりかどちらかなので、大音量楽器との共演はできません。
演奏する場所やシテュエーションが限られてきます。
野外、潮風、直射日光、大音量とマイナス条件が揃いまくる鳩間島音楽祭には残念ながら出せません。
ライブの場では今までどおりラミレスのエレアコが活躍することが多いでしょうが、状況が合う場合にはできるだけこの楽器を演奏していきたいと思っています。

近くは4月16日の野毛「ザ・タイム」でこの楽器を演奏できる予定です。

興味のある方、是非このマリアーノ・テサーノス・ペレスの音をお聴きになってみてください。

ではでは

2010年04月22日

2010年の菜園準備

皆様、こんばんは

今年は天候が不順で、4月も後半になろうというのに真冬の寒さが来たり、そうかと思えば突然、夏日。
寒さが苦手な小生にはきついです。
冬場の空気の中では我が家から毎日のように見える富士山が、4月になってもまだ見える。
しかも真っ白け。

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あまりないことです。

そうはしているものの、恒例春の沖縄・八重山ツアーの前にやっておかなければならないこと、野菜を植えることです。

これは経験上順序が決まっていて、塀の取替え(バルコニーの目隠しの簾の張替えです。)→根っこの除去→土と空気をよく混ぜる→石灰等を混ぜて養生→苗の植え込み、という手順なのですが、事前の準備が大変。
特に、根っこの除去は一日仕事、スコップを持つ手にまめができます。
しかも、北東の風が吹かず、かつ比較的天候の良い日に行なわなければいけないという条件が付いて、更に価格の安い時期に苗を調達し、沖縄へ発つ前に完成させなければいけないというケツも付いて大変なのです。
天候不順な今年は時期を見るのに苦労しましたが、何とか完成。

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これをやらないと菜園ができないので、大変でも実行しなければ自家製野菜は食べられないのです。
順調に行けば6月後半から7月、8月前半ぐらいまでは収穫することが出来ます。

ではでは

2010年05月30日

2010サンバとブタ丸

皆様こんにちは。

この時期になると恒例、「ブタの丸焼きとサンバの宴」が、群馬県片品村で開催されます。
別に観光会社が企画するものではなく、我々の仲間―有志が企画しているものですが、土曜日の朝、新宿を観光バスで出発して(幹事さんによる美人バスガイド付き)、会費以外はお土産を除いて出費なしで日曜の夕方まで、丸二日、ブタの丸焼きを中心として、音楽、酒、温泉を楽しむという
音楽、酒、肉食、温泉、宴会好きによる音楽、酒、肉食、温泉、宴会好きのためのまったく天晴れな企画であります。今年の参加者は、総勢82名。
音楽、酒、肉食、温泉、宴会好きにはかゆいところに手が届く大人の遠足です。もちろん子供の参加もOKですが。
今年は、メインとなる土曜日が好天に恵まれ素晴らしい環境で過ごすことができました。
マイ食器持参というエコな企画であり、食されるブタの冥福を祈り、何も残さず食べきるという、まことに大人な企画です。
写真を中心として記録しておきましょう。

ブタです。このような状態で焼かれます。
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会場全景。宿泊は近所の民宿4件を貸切。イベントはこの広場で行なわれます。
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今年初登場の紙芝居、「うろこばばあとうろこいぬ」。絵がとても素敵ですね。我々も音楽で参加します。
曲は、ちょんちょんキジムナー。
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これは続編を十分に予想させるものなので、つづきが楽しみです。

ライブの第一弾、タッタルーガの演奏
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差し入れの10年物甕入り紹興酒。この状態から飲むのは初めてでした。
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アタマをかち割って栓が登場します。大変美味です。
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今年初登場、地元の方々による手造りアルプホルンの演奏。
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伐り出した木材で作成したアルプホルンの演奏です。地元の名物にしたいということです。素晴らしい試みだと思います。地元の人達と交流できて楽しかった。

みんなも演奏を体験してみます。
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吹くだけなので、唇で音程を、息で音量を調整します。トロンボーンの要領ですね。ボントロ吹きはうまいでしょうね。

ITA e KAZU-XIの演奏(イタイカズシー、八重山ではこれが人の名前と思われているらしい。漢字だと痛井和志ですかね。)
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サンバで踊る。
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ライブも一段落した夕刻、昨日から一日かけて焼き上げたブタが食べ頃に。
入刀式です。
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切り分けです。これでもかという量。小生はこのため一週間ブタ絶ちしていました。
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そして、夜のライブ。
メンバーが一人となってはしまいましたが、相変わらずのイケメンズの熱演。
音を聴くと大興奮!!!
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どこでやっても大受けするイタイカズシーと千草によるオリジナル・サンバ歌謡
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昼間こうだったのが
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夜になるとこうなるわけで。とてもいいムードでしょう。
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ここでの音楽は演歌、昭和歌謡が中心となりますね。夜更けまで飲んだり唄ったり。
熱燗を飲みながら愚痴ったりするのがいい感じなのかもしれませんが、皆さんあまり愚痴のネタがないようですな。

翌朝早起きして雨が降り出す前に近所に散歩。八重桜ですかね。
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近くには清流が。
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午後、スタッフと現地とお別れ。
さーよなーら、さーよなーら、手ーを振ーればーっと。
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ちなみに帰りのバスの中では、BARが開店。到着するまで演歌から昭和歌謡から民謡、果ては校歌まで、アカペラで唄いっぱなしでした。

日曜日はあいにく雨が降り出してしまいましたが、まったりする時間を過ごしているのでそれもまた良しです。

八重山ー沖縄の旅は地元の人達との交流を中心として自分達で創り上げて行く旅なのに対して、こちらは、スタッフ、それも気心の知れた仲間達が造ってくれた仕掛けに乗るだけなので、何も考えずに楽しめます。

ただ、これを造り上げるスタッフの皆さんにはいつも脱帽。

前夜から15名が現地へ乗り込んで、会場設営からブタの準備から何から何まで、そしてバスが出た後の後片付けまで。
こういうこと全体を楽しめれば楽しさは倍増でしょうね。

何はともあれ、ご苦労様でした。
また来年も楽しみましょう。
ではでは


2010年10月13日

空気の澄んだ朝

皆様、こんにちは。

この時期には珍しく空気の澄んだ朝、自宅からのショット。
建設中のスカイツリーが見えます。
これは今後富士山と並んで空気の澄み具合の目安になりそうです。
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雲のかかっているところが富士山
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沖縄から帰ってきて約二週間くらい経ちますが、鳩間島で煙草を切らし(あそこは煙草は売っていない)かつライターも壊れてしまったことだし、値上げにもなるし、何時かは止めなければいけないなと思っていた喫煙をここで一気に止めてしまいました。
最後に吸ったのはパパビゴーヂのライブ終了後、もらい煙草を一本。
あまり美味しく感じませんでした。

深酒した翌朝、煙草がすごく不味く感じられ、なおかつ胸がむかつくような感じもすることがあることを知っていらっしゃる方もいると思いますが、あの感じを頭の中にイメージとして固定化してしまったわけです。

それ以前から少しづつ本数は減らしてきたものの、お酒を飲んだりライブの後なんかは相変わらず吸っていましたが、不味さとむかつく感じがイメージできるようになってからは、吸おうと思わなくなりました。
吸いたいのを我慢しているわけではないのですね。
煙草の味が、もはや「不味さとむかつき感」しか喚起させない。
ある日を境に突然一本も吸わなくなるわけですから、かなり乱暴かつ強引な手段ではあります。

このご時世、煙草をやめるのも色々と方法があるようで、それを商売にしている方々もいるようですが、こういう方法はなんと言うのでしょうか、自己暗示?

喫煙は単なる習慣ですから、やはり代替策というものは必要で、これもガムをかんだり、間食をしたりと人それぞれのようですが、小生は間食をしないので、冷やしたお茶を飲むようになりました。
これも色々と種類を変えてみると面白そう、かつ体調の維持にも良さそうで。

30年近く喫煙してきて、止めてまだ20日くらいですからこの先どうなるかは分かりませんが、お酒を飲んで自制心が弱くなっても吸おうという気は起きていないので、自己暗示も結構強力だなと思っています。

こういうことは公表してしまった方がいいようですね。

で、これは玉城の陶芸家の友人作、結構大きい器。
中央は、ヤモリのつがい。縁起が良いそうです。
こんなものを背負って帰ってくるから荷物が重くなる。
でも卒煙記念には良いかも。
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ではでは

2010年10月31日

2010 秋の房総キャンプ

皆様、こんばんは

今年も恒例、シマ部の秋の房総キャンプです。
場所は去年に引き続き千葉県の大房岬。
房総半島の南、館山の少し北に突き出した岬が大房岬。
岬というよりは半島の半島といった感じで結構面積があり、その部分だけ房総半島から分かれているような印象を受けます。
岬全体が自然公園になっているようで起伏もあり、散策の穴場かもしれません。

千葉県立の自然公園なので、キャンプ設備もしっかりしていて、施設の使い勝手、清潔さ(元々キャンプなので細かいことは問いませんが、トイレの状況、普段から清掃がなされているか等が留意点です。)、駐車場、器具のレンタル、料金、景色の良さ、広さ等のロケーション、などなど総合的に見て文句なく★★★★★だと思います。

キャンプサイト
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この日は、見事な晴天で絶好の行楽日和。
さすがに若干混んでいました。
一週間後の今だったら台風で大変でした。
もっとも、過去に台風でも強行した経験はありますが(たしかこのブログに掲載してあります。)。

例によって、保田漁港の「番屋」に集合。
人数は幼児も含め20人弱。
毎度のことながら、ここは大人数で行くほど得。
なぜなら、色々の種類の魚料理が楽しめるからです。
一品の量が多いので、少人数だと多くの種類は食べきれないのですが、大人数だと人数分の種類を一品づつ頼めば、全部を楽しめるわけです。
もっとも、一個10円のプラケースで好きなだけお持ち帰りが出来ます。
今回はこれを利用して、刺身で出てきた残りの、いつももったいないと思っていた、飾りとして付いている頭から尾までと骨、その周りの肉をお持ち帰りにしてキャンプ鍋の出汁にしてしまいました。

正解でした。
良い出汁が出ました。

東京FMのインタビューが偶然入ったのですが、「どういうご関係の集まりですか?」という質問には答えに窮してしまいます。
組織も職業も年齢も趣味も居住地も関係ないし、一言で説明するのはとても難しい。

さて、今回は調理道具等をほとんど準備してこなかったので、料理は簡単に作れるものでいこうということになりました。

料理用かまど
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そこで、夏に写真家で野外料理研究家のOさん宅を訪問したときに教わった、野菜を一切皮を剥かず、切らずにアルミホイールでくるんで炭火に投入する方法を試してみました。
例えば、玉葱は皮を剥かずにそのままアルミホイールでくるむ、あとは、人参、茄子、じゃがいも、サツマイモ、今になって気付いたけど、この季節、カブもやればよかったなあ。
これがものすごく美味しい。
子供から大人まで大好評でした。
野外料理研究家の行き着いた究極の料理法というのはシンプルでいて奥が深い。

一見、簡単そうには見えますが、炭火でじっくりというところがみそで、これが家庭の厨房ではなかなか難しい。
たぶん家庭でもやる方法はあるのでしょうが、色々と難しい技術が必要なのではないかと思ったりします。
その点、野外料理の場合は、炭火さえ良い状態になれば、あまり失敗はありません。

存在を忘れて、取り出したら表面が炭状に硬くなってしまった茄子や真っ黒けになってしまった人参でもナイフでちょっと表面を削ると中はホクホクの旨さ。
炭火で長時間ゆっくりと加熱されること、しかも皮を剥かないことで旨味が中味に凝縮されるようです。
この「炭火で長時間加熱」という点が現代生活では贅沢といえば贅沢かも。

あともとにかくシンプルに、大鍋に豚汁番屋出汁仕立てとか簡単焼肉とか、これで酒があれば何の文句もないのです。

一段落したところで、キャンプといえばキャンプファイアー。
このキャンプ場は、テントサイトから離れたところにキャンプファイアー施設があって、常識的な時間の範囲で常識的に音を出すのであれば周りに迷惑がかからないので、非常に便利であります。
酒を飲んで唄って発散させて疲れてよく眠るというのが翌朝の快適な目覚めにつながります。

翌朝は、炭を前夜全部使ってしまったので、まずは枯れ枝を集めて火を熾すというところから初めて、前夜の残り物で朝食。
焼きそば、残った肉と野菜を焼いて卵でとじて鍋で炊いたご飯にかけるとか豚汁の残りを増量、ビールの缶で飯を炊くなんてこともやりましたね。
それぞれ美味しいものです。
金をかけたグルメ何とかとは対極の世界。

帰りは銭湯に入ったり、お土産を買いながらなどしてゆっくり帰りますが、渋滞にかからないように昼過ぎには出発するのが正解みたいです。

今回はあまり入念な準備とかはしなかったようですが、その分無駄もなくてシンプルでとても良いキャンプでした。

幹事の方、ご苦労様でした。

2011年02月09日

久し振りの音

皆様、こんばんは

つい先日、あるイベントの仕事があってサンバを演奏してきたのですが、イベント自体がある人を中心とした、キューバ系のごった煮的イベント。
それはそれで歌あり踊りありで楽しいのものですが、途中を埋めるDJですか、その音の無神経さと選曲のひどさに辟易とさせられました。
一応ブラジル的にと考えているんでしょうかね。
とにかくうるさいの一言。

お役御免と共に早々に引き上げて、久しぶりに自宅近くのジャズバーに寄ってみようと思いました。

ここは、30年ほど前からお世話になっているジャズライブハウス。
過去、自分がジャズをやっていた頃はずいぶん出演もさせていただきました。
数年前までは毎週末には顔を出していたのですが、生活のサイクルが変わってからはそうも行かなくなり、今年になってからは今日が初見参か。

元々オーディオセットがものすごいお店で、レコードを鳴らすときはウエストレイクの箪笥ほどもある大きさのスピーカーから真空管アンプを通した素晴らしい音が出ていたものでした。

当然ライブハウスですから、グランドピアノがあり、ライブ用モニターはJBLの大型スピーカー。ライブ゙の音も素晴らしいものがあります。

ただ、お店はご夫婦二人だけでやっており、高齢化でなかなか大変な状況です。
LPからCD、最近は有線JAZZへと音源がシフトしていきました。

年をとって頻繁にディスクを交換するのはきついですよね。
それ以前に店に出ること自体がきつくなりますよ。

そんなことでここ数年はウエストレイク・スピーカーの本気の音を聴くことができませんでした。
以前は自分のLPを持って行ってかけてもらい、家では聴こえない音を発見したりしたものでした。

駅を降りて、遠くに店の明かりがほんのりとついていることを確認。

店に入ると、音が・・・・・、懐かしいあの音が、LPレコードの音が大音量で鳴っているではありませんか。
ウエストレイク・スピーカーの本気の音、久しぶりに聴く音。

これに比べるとさっきまで聴かされていたいわゆるDJの単にうるさいだけの音はゴミですな。

大音量なのにうるさくなく、すべての音が立っている。
特にベースの音の立ち上がり、ピアノの粒立ちのよさ、ドラムの繊細な響き、完璧な音です。
また、かかっているレコードがいい。
キース・ジャレットのスタンダーズの第一作目ですな。
1985年の作と推察いたします。
このシステムにピアノトリオは抜群に合うのです。

こういう音をお金を出して聴きに行っていたんだよね。
そういうジャズ喫茶も本当に少なくなってしまいました。
店主の高齢化と共に消え行く運命なのでしょうか。

いっぱい飲みながらこの音を聴いているうちにぐっときてしまいました。
小生ぐっとくることはほとんどない人なんですが。

小生も自宅ではいまだにLPを聴くのが好きです。

最近は音源のデジタル化で音源が簡単に採取、再生できますが、アナログ音源はまったく音が違います。
デジタル音源はお手軽ですが、生音を知っている人にとっては決定的に欠陥音源といえるでしょう。
戦前のレコードの方が最近のデジタル音源よりはるかに説得力があります。

本当にいいものは簡単には得られない。

殊に音楽が生活になっている人は、色々な意味で、お手軽が行き着く先は堕落しかないと思います。

そういえば地デジ対策まだぜんぜんしてないな。

ちなみに件のジャズバーは、京成大久保駅下車の「Black Saint」であります。

ではでは

2011年03月16日

3月11日

皆様、こんにちは

3月12日と3月13日のライブは中止になりました。
申し訳ありませんが、11日の大震災の影響です。
止むを得ません。

11日の金曜日の午後、ここを境に我々を取り巻く状況は変わってしまいました。

その日は、ライブの狭間で自宅(千葉県内)にいたのですが、揺れが来た瞬間は偶然にも自室で休憩中、軽い読書をしておりました。
徐々に横揺れが強くなり、建物(RC造)の揺れる音が強くなり、棚やら何やら上に積み上がっている物が倒れてくる、あるいは倒れない物は載っている物が放り出されてくる、まったく無秩序に部屋の中がかき回されているような状態でした。
そのときは倒れそうなものを押さえていたわけですが、今考えると怖いですね。
ついに来たかという印象がありました。
音と揺れで冷静に対処することはなかなかできないですね。
主に、書籍、CD、いまやほとんど使わなくなったカセットやMDやVHSテープやらで部屋の中は埋まってしまいました。
また、台所では備えが甘かった食器棚から食器が飛び出して割れるもの多数、ガラスの破片が飛散してとても危険な状態に。
たまたまその日は、子供が定期試験中ということで早くに帰宅していたので、揺れが収まったところで無事なことを確認、幸いにして火は使っていません。
まずは足元を確保するためにスリッパを履いて避難路を確認。ドアが開くことを確認。
そこへまた第二波のかなり強い揺れ、以後しばらくは強い余震が続きました。

TVでかなりの地震であることを知ります。

そのときになって、眼鏡をかけていないことに気づきました。
落下物の山の中のどこかに埋もれてしまったのか。
果たしてケースに入っていたのかどうか、無事なのか気になりました。
仕方なく既に使わなくなり、しまってあった眼鏡を使って片付け始めたら、運よく一つはゴミ箱の中から無傷で、もう一つは落下物の山の中から見つかったのですが、これは以前に誤って7階から下に落としたことがあって、それでも無事だったこともあるもので、さすがに無事。一安心。
眼鏡は必ずケースに入れて手元に置かないといけないなあとあらためて思いました。

また、続いている余震に際しても携帯電話の緊急地震速報は役に立っています。
少なくとも、精神的、物理的に備える若干の時間があります。

電気はつくし、水も出る、トイレは若干の水漏れはあるが損傷は無く、安全に留意して片付ければ何とかすみそうなので、子供と二人でとにかく端から片付けにかかりました。

しばらくしてTV画面を見て戦慄が走りました。
あのような光景を見たことは無かったので。
石垣島に、明和の大津波で陸地に打ち上げられた大岩というものがあったように記憶しているのですが、どうしてそのようなことになったか初めて分かりました。

どうやら遠くから火の手が上がり、煙も出ているようですが直接には影響はなさそうです。
しかし相変わらず余震は続いています。
片付けていて思ったのは、まずは親子とも無事だったことが良かったということと、楽器が偶然にもケースに入っていたことが幸いしたということです。もし何台も出しっ放しだったら無傷では済みませんね。
このときは練習用の楽器が一本出ていたのですが、いつもはもう一本くらいは出ています。
とっさの対処は難しい。

奥さんは、都内の会社で無事を確認、交通機関が全て止まっているので無理に帰るのはやめたほうがいいという判断になりました。
帰宅時間帯の出来事であったらこうはいかなかったし、全体的にはもっと混乱していたことでしょう。
ともあれ、夕食を作れるところまで片付けて、冷蔵庫の中で割れてしまった卵で卵料理を作りました。

その後、報道で全体の被害が明らかになってくるにつれ、慄然とするし、尋常でないことが起こりつつあるんだということを認識しました。
宮城県特に仙台方面には友人が多数いますので心配しましたが、これを書いている時点で無事とのことでとりあえずはほっとしました。ただ、犠牲になった方々のことを考えると素直には喜べない気分です。

影響で今週のライブは殆ど中止です。
お客様の安全確保を考えると止むを得ないでしょう。
いまだに余震が続いているし。

計画停電も始まり節電も呼びかけられています。
物資の買いだめに走ったりする傾向からしても、昭和40年代のオイルショックの時代を思い出します。
もっと冷静になって今までの生活を見直す必要があると思います。色々な意味で。


千葉県は死者も出ているという報道で心配してくれたのでしょう、鳩間島から何回か大丈夫かの電話がありました。
八重山・沖縄は津波警報は出ていたものの、殆ど影響は無かったとのことでした。

あの人達は電気やものに頼らない生活は強いだろうな。
来月は何とか元気で彼らの元に行きたいです。

あの日からライブやリハも中止になって、仲間と顔を合わせていません。
早く普通に演奏したいです。

ではでは

2011年07月07日

2011年のブタ丸

皆様、今晩は。

去る6月18日と19日、今年も恒例の「サンバと豚の丸焼きの宴」略して「ブタ丸」が開催されました。

しかし今年は3・11の震災があったためにここまでこぎつけるのが大変だったとのことでした。

一つには、この時期にこういうお祭り騒ぎをやっていいのかという点。

しかしこれに関しては、節電等、理由のある自粛ならいざ知らず、理由のない過剰自粛は人々から覇気を奪い、生活意欲を減退させる等の世論が大半を占めてきたこと、またブタ丸開催地の群馬県片品村からも、震災以後観光客が殆ど来なくなってしまったので、是非開催してほしいとの強い希望があったことから、この点に関しては積極的な姿勢になりました。

むしろ、片品村は震災後早い時期から福島県からの避難者が相当人数避難しており、会場近辺の民宿にも分宿していることから、この辺をどう配慮すべきかという点が問題になったらしいです。

でも、避難している方もご招待すればいいではないかというスタンスでこの点も積極的な姿勢になりました。

ただ、こう言葉で表現するのはたやすいのですが、実際は開催の決定をするまでは色々と大変なご苦労があったようです。

前日入りして準備したり、当日の進行、皆が引き上げた後の後片付け等、例年の仕事はそれらを楽しむことができるから慣れてしまえば楽しいものですが、今回のような開催自体に関する特殊事情との調整というのは、疲れるだけでとても楽しむことはできなかったと思います。

ご苦労様でした。

さて、6月18日、前日名古屋からバスで帰ってきた小生は、同じ場所に早朝集合することになりました。

参加者は89名

新宿発のバスに乗り込むのはそのうち30名ほどです。
このバスの前面に貼り出されたタイトル「サンバと豚の丸焼きの宴」は、道すがら世間の注目を浴びることもあります。

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天気は何時振り出してもおかしくない曇天。
梅雨ですからね。
そこは、雨天の経験も何度もありますので備えも万全でした。

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お昼ごろの豚の状態
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主さんの星野さんと豚
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一番手のイタ・イ・カズ・ゴリの演奏
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踊り出したい
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地元名物となったアルプホルンの演奏
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アルプホルンの演奏体験
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そして、この頃の豚の焼け具合
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本格手作りピザ釜、これで焼くピザは絶品
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演奏のほかにも、今年はKAZU氏自作自演の紙芝居があって、これはなかなかのものでした。絵にも味があります。
登場キャラクターのモデルの予想が付くので尚更面白かった。

紙芝居「おスルドさまとカモメ」の上演風景
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紙芝居の絵だけざっと見てみましょう(これが全部ではありません。)。
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雨は降ったり止んだり、時折強く降ったりしますがスタッフ達の万全の備えで殆ど影響なく過ごせます。

近田ゆうきさんのライブ
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食す直前の豚の焼け具合
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しかし、さすがに高原、日が落ちると気温がぐっと下がってきてかなり寒くなってきました。

幹事バンド、タッタルーガの演奏
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今やこのイベントには欠かせない、ムトー・スーパースターの演奏
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今回初登場の二胡の演奏
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しかし寒くなると、夜の大釜で炊く酸辣湯やおでん酒場が、誠にかゆいところに手が届く企画であることが良く分かります。
これもスタッフの長年の経験の賜物ですね。
おでん酒場や会場での宴は深夜まで続きます。

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翌日はうって変わった晴天。温度もどんどん上がってきます。
川沿いのトレッキングに行きたい気持ちもやまやまなのですが、めったに無い朝酒の誘惑に負けてしまいます。

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さ、それからはどんどん進みます。

各民宿で朝食を済ませた後、昼食である筈の残りのブタを全て投入した最高のトン汁しかもすいとん入りまで、皆、三々五々過ごします。

トン汁しかもすいとん入
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配給の後、福島県から避難してきている方々の片品村に対するお礼の一品、箸袋しかも押し花入りをいただきました。
昨日は楽しんでくれたでしょうか。

箸袋の配布
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ま、何はともあれ今年も例年のとおりやれたということは、実はとても喜ばしいことだったんだと再認識したのでした。

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日常というものはとても大事なものだなあと。

スタッフの皆さんの周到な準備、運営と、今年は特に頭を痛めたであろう調整、結果として優しさと暖かさにあふれたとても良いイベントに育っていることに対して感謝と拍手を送りたいと思います。

ではでは

2011年08月15日

ある時代との別れ

皆様、こんばんは

8月12日は、もう30年来お世話になっていた方の告別式でした。

近所のジャズライブハウス「Black Saint」のマスターです。

ここのところ、お店へはご無沙汰していたので最後に元気な姿でお会いしたのは今年の春頃だったのかもしれません。

今住んでいるこの土地へ移り住んだ理由のひとつに、この店の存在がありました。
ジャズをやっていた20代から30代にかけては毎月のようにライブ出演をさせていただいて
競演してきたミュージッシャンも多数にわたりますし、ここで出会ったミュージッシャンも様々。
また、お客さんたちとの出会いもとても面白いものがありました。
始めてこの街へ引っ越してきた当初は、こういう地元の店、そこに出入りする地元の人たちが頼りでした。

マスター、ご自身は以前は建築関係をやっていて自宅の一階にライブハウスを建築するに当たっては、知り合いのミュージッシャン、特にジョージ大塚さんとご相談して自ら設計に当たったとのことでした。
ご自身もテナーサックスを演奏し、船橋市のアマチュアビッグバンドで活躍されていました。

ライブ全盛だった頃は、毎週水曜日と日曜日にライブがあって、海外のそうそうたるジャズメンも演奏しています。
印象に残っているのは、ベニー・ゴルソンとミロスラフ・ヴィトウスかな。

ライブの常連はジョージ大塚さんでした。
色々なミュージッシャンを連れてきて演奏を聴かせてくれました。
小生がマスターと組んでジョージ大塚さんをメインに置いて、某野外ジャズコンサートを催したこともありました。

小生がブラジル音楽へシフトしてからは、ジャズライブハウスとしてのお店でバンドのライブをすることはありませんでしたが、セッションなど、時々は遊ばせていただきました。
マスター自身は、今は無き、新宿の「木馬」や「ポニー」のマスターと親しかったらしく、そんな話もよくしたっけ。
両店とも好きなお店でした。
古きよきジャズ喫茶の時代です。

「Black Saint」のオーディオ装置は大変なもので、小生はそちらの専門家ではないので詳しくは分かりませんが、ステージの背面をほぼ埋めてしまう巨大なウエストレイク製のスピーカー、アンプはマスター自慢のスレッショルフ(?)等々。

以前は当然、LPをかけていました。レコードの片面が終わるたびにカウンターとオペレーションの間の移動が大変でした。
よく自分のレコードを持って行ってかけてもらっていました。
自宅では聴こえない音がするのです。

それからCDに変わっていき、最近は移動がしんどくてジャズ有線を流すようになっていました。
それでも時々は昔のシステムでレコードを鳴らすことがあって、その音は今やここ以外のどこでも味わえないすばらしい音でした。

ちょっと前に小生が書いた雑文で引用させてもらいます。

「引用」
ここは、30年ほど前からお世話になっているジャズライブハウス。
元々オーディオセットがものすごいお店で、レコードを鳴らすときはウエストレイクの箪笥ほどもある大きさのスピーカーから真空管アンプを通した素晴らしい音が出ていたものでした。
当然ライブハウスですから、グランドピアノがあり、ライブ用モニターはJBLの大型スピーカー。ライブ゙の音も素晴らしいものがあります。
ただ、お店はご夫婦二人だけでやっており、高齢化でなかなか大変な状況です。
LPからCD、最近は有線JAZZへと音源がシフトしていきました。
年をとって頻繁にディスクを交換するのはきついですよね。
それ以前に店に出ること自体がきつくなりますよ。
そんなことでここ数年はウエストレイク・スピーカーの本気の音を聴くことができませんでした。
以前は自分のLPを持って行ってかけてもらい、家では聴こえない音を発見したりしたものでした。
駅を降りて、遠くに店の明かりがほんのりとついていることを確認。
店に入ると、音が・・・・・、懐かしいあの音が、LPレコードの音が大音量で鳴っているではありませんか。
ウエストレイク・スピーカーの本気の音、久しぶりに聴く音。
さっきまで聴かされていたいわゆるDJの単にうるさいだけの音(仕事でしょうがなかったのですが。)はゴミですな。
大音量なのにうるさくなく、すべての音が立っている。
特にベースの音の立ち上がり、ピアノの粒立ちのよさ、ドラムの繊細な響き、完璧な音です。
また、かかっているレコードがいい。
キース・ジャレットのスタンダーズの第一作目ですな。
1985年の作と推察いたします。
このシステムにピアノトリオは抜群に合うのです。
こういう音をお金を出して聴きに行っていたんだよね。
そういうジャズ喫茶も本当に少なくなってしまいました。
店主の高齢化と共に消え行く運命なのでしょうか。
いっぱい飲みながらこの音を聴いているうちにぐっときてしまいました。
ちなみに件のジャズバーは、京成大久保駅下車の「Black Saint」であります。
「引用終わり」

最近は、マスターは体調が悪くてお店にもあまり降りて来ず、ママさんが一人で切り盛りしていることが多く、結構広いお店なので大変だったと思います。

ここは、近所の飲食店、特に飲み屋さん、小料理屋さんが閉店してから店関係者が来ることも多く、飲食店のオアシスだったような気もします。
お客さんの難しい注文に答えて面倒な料理や凝ったお酒を提供している面々が、終了後は軽いおつまみで酎ハイを飲むのが楽しみなんですね。
また、近所の東邦大や日大のジャズ研も良く使っていたようです。
単に日本に残っている本格的ジャズライブハウスというだけでなく、地域の拠点という意味もありました。

色々な思い出を記していたらきりがないのですが。

ママさんがご健在ですから、お店の今後というのはまだ分かりませんが、今までのような形でというのは難しいでしょうね。

小生的には、自分の中で音楽を育んでくれた昭和の正統派ジャズ喫茶の系譜が確実に終わったんだという気がします。
それと、この店との出会いがなければ、小生は今ここにこうしては絶対にいなかった。

横浜の浜幸のマスターや乃津のマスターとの別れもつらかった。
順番とはいえ、こういう別れは本当につらい。

でもお別れを言わなくてはいけません。

マスター、色々とありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
さようなら。

ではでは

2011年09月21日

中秋の名月

皆様、こんにちは

今年の旧暦八月十三夜は9月10日、十五夜は9月12日でした。
この時期、十三夜のとばらーま大会を観に、いつもは八重山へ行っているのですが、今年は仕事との兼ね合いもあって八重山・沖縄行きを遅らせることにしました。
旧暦の新暦上の日にちは毎年動くので、ある程度はしょうがない。

でも、今年は中秋の名月前後の天気は関東付近もとても良くて、月もくっきりと見ることができました。
今頃鳩間島では月祭りをやっているんだろうなあとか思いながら眺めていました。

自宅からはこんな感じ
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ある夜に自宅玄関付近に姿を見せたオオミズアオというきれいな蛾、翅の開帳約10cmくらいありました。ヨナグニサンのことを詳しく知ってから蛾に対する拒否感はありません。
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連日続いていた30度超えの日々もようやく収まってきたようですが、台風が頻繁に訪れてきているようです。

先月マスターが他界したジャズライブハウス、ブラックセイントが9月1日から再開しました。
ママさん一人ですから、大変だと思います。

何といっても、機材を使いこなすことがまず難しい。
機材と一言で言っても半端なものではなく、今ではあまり見ることのできなくなったウエストレイクの巨大スピーカーやJBLのライブ用大モニタースピーカーを始めとするプロ用機材群、オペレーションルームとステージは当然離れていて、配線も埋め込みでこれらを自在に使いこなすのは大変なことです。
マスターがわりと突然っぽく逝ってしまったのでノウハウが伝授されていないのだそうです。
だから、ライブをやることはまだ無理でしょうね。
やるにしても、ママさん一人では対応出来るはずもないし、その前にシステムの扱い方を解明してマニュアル化するとか、ある程度人がいれば稼動できるようにしなければいけません。
お客さんとの人脈はママさんがいるので変わることはないのですが、このハード部分については当面の問題です。
小生も協力できるところは協力したいのですが、プロ用PA機材はちと難しいですね。
たとえはあまりよくないかもしれませんが、公共施設で異常に立派なPA機材を備えているところがあって、それは詳しい担当者がいたときに予算化して獲得したものの、担当者が異動してしまったら宝の持ち腐れになってしまっているという例も知っています。
貴重な機材だけにそういうことにはなってほしくない。
そうとはいえ、年も年だし簡単には答えは出ないでしょうね。

あの機材でLPレコードを聴ける日がまたやってくるといいな。

ではでは

2011年10月13日

保育所的ギターレッスン

筆者近影
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皆様、今晩は。

ギターレッスンをしていると、驚かされることがあります。
若いお母さん、MさんとIさんは、子育てをしながらレッスンをしています。
3歳男女と1歳女子を見ながら二人でレッスン。
Iさんは、レッスンを始めてから次女を出産していますが、産休の後も継続しています。

レッスン中は、ミニ保育所状態。

DVDとかおもちゃとかおやつとかで仲良く遊んでいるうちは良いのですが、子供どうしのトラブルが発生したり、お母さんに甘えてきたりすると中断。
レッスンをしていなければ、つまり、お母さんが自分たちに注目していてくれればトラブルは発生しないそうなのですが、お母さんたちがレッスンに集中してしまうと不安になるのでしょうか。
それでも、二人で演奏していれば無事な方がカバーできます。
通常は、2時間のレッスンなのですが、初めから子供たちの許容限度を考えて、1時間にしています。

始めてから約1年半、まずギターを手に入れるところから始めて、今年の年末のクリスマス会に二人で演奏するということを目指しています。

曲は、2曲。FericidadeとSo danco samba。

目的がはっきりしているのでレッスンはやりやすいのですが、楽器を手にした当初は,
当然始めてギターを触るわけですから、ある段階を通り過ぎるまでは継続するのは大変だったと思います。

で、冒頭の驚かされることという話題ですが、最近、二人ともとみにギターの音が大きくはっきりしてきたことです。
ある時期から急に変わってきたようで、一つステップを上がったのかなという印象を受けました。
癖がついていないので、初めから右手、左手の使い方を、サンバを基本として習得できます。
選曲したFericidadeもサンバですから、まずサンバを体験してからボサノバへというのが分かり易い方法で、この選曲も良かったと思います。
比較的長い曲で歌詞も長いので覚えるのも大変だったと思うのですが、ギターも歌詞も全部覚えて楽しめるようになってきました。
2曲だけにしぼって一年半というのはすごいです。
何よりも彼女たちの熱心さと根気が一番なんでしょう。
この辺まで来ると、ギターを弾くことが面白くなってきます。

家事と子育てで煮詰まってしまいがちな日常で、仲間とギターの引き語りを楽しむというのはとても良い気分転換かもしれません。

そろそろ次のステップに行きましょう。

この調子で行けば、クリスマス会の演奏も楽しんでできると思いますよ。
ではでは

2011年11月22日

vsopの会

皆様、こんばんは

今年から始めた40年ぶりのバンド再結成、vsopの会(very special one time performance)と呼んでおりますが、2回めの練習を行い、今年の練習を打ち上げました。

レパートリーは、今のところ、ジョージ・ハリソン、バート・バカラック、フランシス・レイの楽曲とジャズスタンダード、ジョビンの楽曲となっていて、見たところとりとめのない感じではありますが、あの頃の楽曲を今どう感じ取れるかということを基本にやっています。
結構面倒なところもある曲を、当時中学生の坊主たちは何を感じながらやっていたんでしょう。

とにかく楽しくやることが基本ですから、メンバーのできる範囲で小難しいことは言わずに何回も練習を重ねて仕上げていく、そして終了後の飲み会は欠かさない。このへんが大事でしょうね。

今回メンバーのH君が持ってきてくれたのが、1970年の音楽雑誌「ヤングギター」。
練習は、当時小生も住んでいた大田区の久が原のS君宅で行われていますが(皆、久が原に住んでいた。)これは、H君の久が原の実家から持ってきてくれたもの。
内容は、吉田拓郎の特集とかフェンダーアンプのチューニングの方法とか、ジャズギタリスト沢田駿吾さんのインタビュー、彼のアドリブコピー譜等々。
何か見覚えがあるな。
今読むと実にたわいのない内容なんですが、当時は夢中で読んでいたんでしょう。

ただ、小生は中学3年生くらいから、上記のような傾向からロックに傾倒していきました。
元々、クリームとかアドリブ重視系のロックは好きだったんですが、ウッドストックフェスティバルの情報が日本に入ってきて、その影響が大きかったんだと思います。
中学から高校へ進学ということもあって、もっともこの4名は同じ群の都立高校へ進んで、3名は同じ高校でした。当時の都立高校は学校群制だったもんで。
皆それぞれ自分たちの興味を持つ方向へ進んでいきました。

それでも、40年の時を経て、皆楽器をいじれるというのはなかなかすごいことだと思います。

皆の話を聞いていると、久が原在住のS君は別として、Y君、H君の実家も彼らの住居とは別に、小生が中学高校大学生だった当時と同じように、まだ久が原にあるそうです。
しかし、ご両親が他界したり、また住むことができなくなったりして当時と同じ状態で家だけ残っている。
では、子供たちが住むかというと、既に現在の居住地で生活圏を確立しているし、建替の問題とか色々とあって住めない。
どうもそういう家が多いらしく、我々が住んでいた頃は子供たちが沢山いたのに、今は本当に少なくなっているらしいです。
また、空家も増えているとのこと。
どうも、高齢化による空洞化が進んでいるような気がします。

H君の実家というのも、あの頃の時間が止まったままで彼の部屋なんかもあるらしい。
だから当時の雑誌なんかも持って来ることができるのですね。
高校受験、大学受験の参考書などもどうもそのままに佇んでいるらしい。
これは行って一晩飲み明かすしかないなと思いました。

音楽の不思議なところは、あの頃の楽曲を演奏しているうちに、全く忘却の彼方だった記憶が思い出されてくるところです。
良い思い出ばかりだったら良いのですが、ついでに苦い思い出も浮上してきたりして。

そんなこんなを楽しみながら、来年はこのバンドでライブができるでしょうか。

ではでは

2011年12月30日

2011年末、雑感

皆様、こんばんは。

今年も、まもなく終わろうとしています。

3月11日から本当に思いもかけぬ日が続きました。

小生が住む習志野市でも、海側はまだ震災の爪痕が深く残っています。

幸いにして、うち(兼リハーサルスタジオ)は無事で、ミュージッシャンの皆さんと有意義な時間を過ごすことができました。

空気が澄んでくる冬場は毎朝このような風景
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そして、夕陽も強烈です。
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皆既月食を捉えてみようとしましたが素人には難しい。
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さて、そんな中で、最近の私的トピック、二つ。
一つは、レコード針を買い換えたこと。

以来、針をレコードに置くわくわく感があって、LPレコードを聴くことがとても楽しい。
なにせ音が良いし。

わくわく感とは、目的のLPレコードを選びにくいレコード棚の並びからやっと選んで、盤面をクリーナーで丁寧に拭いて、静かにプレーヤーに置く。
そして、ここまで粗相がないかチェックして、ようやくレコード針を慎重に降ろすことを許されるという達成感でもあります。
指先一つなどというのは、もう次元が異なるのです。

今でもとてもわくわくするレコード、「Dancing mist」by菊池雅章6 in1970
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そしてもう一つ。

うちの近所にも名店があったのですね。

リハーサル終了後の飲み会、たまたまカツカレーの話になって、ここにも美味しいお店があるよと言ったところが、横浜のKAZUも知っていた、習志野市は大久保商店街中の「ナポリ」。
小生、カツカレーが大好物なのですが、色々と事情があって年に1~2食しか食しません。
最近は、鳩間島から石垣島へ渡って来たときに食べたくなる1食。

うちでは揚げ物は一切やりませんので外で食するしかないのですが。

「ナポリ」は、ここ習志野市大久保に越してきた約30年くらい前からたまに行っていたような気がします。
カウンター席のみの洋食屋
どうもカツカレーで有名になっているらしいのですが。

好物だし、久しぶりに食べてみたいなあと、しかもランチに。

店内はカウンターのみで、内装も相変わらず、昭和そのまま。
たぶん小生が行っていた30年前と変わってないような気がします。

そして、カツカレーの味は、気取ることなく、世評、評論云々全く関係なく、当たり前の昔からのカツカレーそのものでした。

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約30分、タイムトリップを味わってしまいました。

あの人も生きていたし、あんなこともこんなこともあったなあ・・・・・・。

普通に生活して時を過ごしていけるということが、とても大事に思えた年でした。

よし、今年はサボったけど、新年はご近所に初詣に行こう。

それでは、良いお年を。

2012年02月20日

ガットギターの弦の交換方法

皆様、こんにちは。

今回はご要望の多い、ガットギターの弦の交換の仕方を説明します。
見にくい写真は、済みませんが想像力を働かせてください。

原則として全部の弦をいっぺんに交換します。

まず、当然のことながら弦を緩めます。

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このような道具を使うと早いのですが、別に手で緩めれば良いだけのことです。

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まずは、6、5、4弦を緩めて外します。
何故かというと、ガット弦は新しい物は音程が合いにくく(どんどん緩んでいくから)、交換中もチューニングしてあげた方が良いので、緩みにくい6弦を早めに張って、チューニングの合っている1弦Eと作業中もチューニングを合わせながら進めると、完成時にチューニングが合いやすくなるからです。

6弦をブリッヂの穴に通して(製品によっては弦のどちらが前後か決まっているものもあるようです。)、弦に向かって右側の下をくぐらせてこのように固定します。

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このとき、穴をくぐらせる長さはある程度長めにしておきましょう。
このくらいです。

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先端を糸巻きの穴にくぐらせて一巻きして、このように上からクロスさせて滑らないようにします。

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巻いていって、こうなります。

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きつく巻く前に、ブリッヂ側はこのようにきちんと固定されているかチェックしましょう。

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修正して、もしくはOKならば糸巻きの外側に来るように巻いていきます。

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まだ張ってある1弦Eと合わせながら作業を行いましょう。
5弦、4弦も同じ要領で行います。

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作業中も6弦に合わせてチューニングをするようにします。
これで、6、5、4弦は完成です。

次に3、2、1弦を外して、

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ブリッヂの穴に通して弦に向かって右側の下をくぐらせて固定させる要領は6、5、4弦と同じですが、巻弦ではないナイロン弦は6、5、4弦と比較して滑りやすいので、もう一回下を通してこのように固定します。

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1回

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2回

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更に1弦だけは念を入れてもう一回下を通して固定します。

1回

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2回

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3回

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下を通す分6、5、4弦よりも少し穴をくぐらせる長さをとってあげましょう。

糸巻き側は、先端を通して滑らないように結んでしまいます。
ここが肝心ですね。

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このようになります。

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後は同じ要領で糸巻きの外側に巻いていきます。

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これで完成。

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チューニングをしますが、ガット弦は張った端から(特に3、2、1弦)は緩んでいきますから、半日位は安定しません。
人前で弾くときは予め安定にかかる時間を考慮する必要があります。
放置しておくとなおさらで、頻繁に弾くかチューニングを合わせないと安定に時間が掛かります。

ブリッヂ側は安定するまで、余裕をもってこのように弦を余らせてありますが、このまま弾くとビビる原因になるので、安定したらハサミ等でカットしてください。
この時慎重にやらないとハサミ等でボディに傷がつく可能性がありますので注意してください。

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ついでですから、交換時にはボディを拭いたりすると出来上がりがスッキリします。
交換のタイミングは、6、5、4弦が赤く錆びてきたとか、音程がなんとなく合わなくなってきたとか、音に張りがなくなってきたというあたりでしょうか。
錆が目に見えるので一番はっきりします。
赤を通り越すと黒くなるようです。
外に出しっぱなしの方が弦の劣化は早いようです。
弾く頻度にもよりますが、毎日1時間程度練習して2~3ヶ月に一回という所でしょうか。
また、突然1本だけ切れてしまったという場合を除いて、交換するときは1~6弦をいっぺんに交換するのが原則です。

ということでいかがでしたでしょうか。
ご質問等お受けしますよ。

ではでは

2012年08月03日

道具、あまり人前で使いたくない

皆様、こんにちは。
暑い日が続いております。

ところで、この道具は何かということです。

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間違えました。こっちです。これ
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最近手に入れたのですが、クラシックギターの支持具です。
どう使うかというと、これを左の太腿に乗せて上についている四つの爪のようなものにギターの前下部を噛ませてネジで固定すると、スタンドの上にギターが固定されたような形になって丁度ネックが上に傾いた、演奏するフォームに固定されるという代物です。
これで、足を組んだり脚台を使って左足だけを上げるということなしに演奏できるというわけです。

足を組んでの演奏フォームだと、押さえきれない左手の動きがあって、最近はライブでももっぱら脚台を使ってクラシックのフォームで演奏しています。
ただ、どうも長時間脚台を使って練習していると腰が疲れて仕様がない気がして、ならば時々見かける脚台を使わない道具はどうだろうということで探した結果がこれになりました。

もっと大げさな道具で、スタンドを左足に置く必要すらない、つまりギターそのものを演奏スタンドに固定して、演奏者はその前に座って高さだけ調整すればよいというものもあるらしいのですが、さすがにそこまでは。
ちなみに、立って演奏するためのスタンドもあるみたいですね。そうすると何本も種類の違うギターを固定しておいて取っ替え引っ替え演奏するということが可能になりますね。

よく、この演奏する姿勢についても質問を受けますが、クラシックギターのスタイルは前出の左足を脚台に乗せて(右利きの場合)左太腿にギターを乗せて演奏するというのが一般的なスタイルです。これはそうしないと左手が押さえきれない運指が頻発するからです。
クラシック以外ではこのスタイルは殆ど使いません。
あとはそれぞれ弾き易いように構えていますね。

立って弾く場合はそれこそ千差万別です。
もっともギター自体もカッタウェイであったり、フレットが長かったりで、押さえきれない運指はあまりなくなるから、つまりギター自体が演奏しやすく改良されてきているから、決まった姿勢を取らなくてはいけないということもないんでしょう。

ブラジリアンスタイルの場合もサンバ、ボサノバは困難な運指はあまり出てこない、というよりは困難な運指は避けるので、特にこれと決める必要はないと思います。
ただ、ブラジルのクラシックギターをやろうと思うと、やはりクラシックギターの姿勢を取らないときついものがあります。
もっともブラジル人ギタリスト、例えばハファエル、ヤマンドゥあたりをはじめとして、難しいことをやっていても姿勢は適当な人が多いですね。
あまりこだわらないんでしょうね。
で、この演奏用スタンドは長時間演奏していても疲れないかというと、それはやはり疲れる。
疲れる箇所は違ってきているように思うのですが、ま、あまり人前では使いたくない道具の一つではあります(そういう物ってあるでしょ。)。
ではでは

2012年08月22日

オオクワガタ

皆様、こんにちは。

夏の空とヘチマの花、コントラストが良かったので
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以前にも書いたことがあるのですが、40数年ぶりのバンド再結成ということで、中学校時代のバンド仲間が時々集まっては練習兼宴会を楽しんでいます。
宴会の比重が非常に大きいのは当然なのですが、今年に入ってから二回ほどはメンバーの一人が当時住んでいた家で開催しています。現在は常にそこに住んでいるわけではないのですが、内装とか家具とか当時のまま。
昭和30年代から40年代の雰囲気がそのまま切り取られた空間です。
当然、小生も中学、高校時代は彼の家で遊んでいたわけで、そこに当時の仲間が集まって再び遊んでいるわけですから、いいオヤジ達も中学生時代に逆戻りして、軽いタイムスリップ感覚を楽しんでいます。

今年の初めにここで開催したときは、駅を降りてから果たして行き着けるのか若干の不安はありましたが、都営浅草線の西馬込駅を降りて、馬込から仲池上方向へ坂を下って出身中学校の辺りまで来ると、周りの建物とか風景はすっかり変わってはいるけれども全体の雰囲気が当時の記憶を喚起させてくれます。雰囲気を楽しみながら歩いているうちになんとなく到着できました。
その時はまだ冬。女性陣も参加して鍋を囲んで盛り上がりましたが、今回は真夏でメンバーのみ。
練習は早々に切り上げ宴会に。なにせ暑いので。

それにしても40数年前から設置してあるクーラーは未だ健在で、この時代のクーラーは文字通り冷房、エアコンではありません。なりも大きく音も結構大きくそれにも増して電気代も相当かかる代物で、しかし考えてみると当時冷房が効いているところは例外でした。当時乗っていた池上線や目蒲線にはほとんどなかったし、まして家庭に冷房があるというのはかなり珍しかったような気がします。
テレビも映らない(地デジ対応していないので。)という大変に良い環境で、LPレコードなどを聴きながら宴たけなわ。

当家当主が、実は趣味でクワガタを飼っていてこの家にいるというのです。
それは面白いというので皆で見てみると立派な飼育箱が数箱、なんとオオクワガタのつがいに、しかも幼虫までいる。それが何匹も。
中でももう3年生きているという堂々としたものもいます。つまり冬眠するわけですね。
幼虫は、それこそイモムシ状のものからクワガタの形になりかけて角らしきものが生えかかっているもの(この状態はまず自然界では目にすることはできません。)まで、それはそれは面白い。

オオクワガタ
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そもそもオオクワガタというものは絶滅危惧類で、一時期は高値で取引されていた(今でもそうなんでしょうか。)そうで、ノコギリクワガタやコクワガタ等に比べて野生で採集することは非常に難しいもので、それが何故こんなに沢山いるかというと、どうも繁殖させたらしく、その苦労と楽しさを語ってくれました。
幼虫の状態で2年くらいは過ごすはずだから根気がいりますね。
ところが事情があってこの数箱を来年にはここから移動させなくてはならず、全部を自宅に置くのは無理なので一部の引き取り手を探しているとの話が出ました。
実は小生、小学生時分はクワガタ、カブトムシの採集・飼育が趣味で、当時小平市という場所に住んでいて、今の新青梅街道がある辺りは道路ができる以前は雑木林ばかりだったので、そこらへ通ってはクワガタ、カブトムシ採りをしていました。
冬眠させることに成功したこともあります。

そういう人は、クワガタを見て「可愛い」と思ってしまうのです。
立派な角のオスのみならず、カナブンみたいなメスも。幼虫も。
ただ、オオクワガタを飼うとなると、専用の土、クヌギ等の切り株、専用の餌を用意しなければならず、飼育法は確立してはいるものの結構研究が必要なようです。
昔はスイカの切れっ端とか梨とか砂糖水とかをやって育てていましたが、そうもいかないのかな。
夜行性なので昼間は木の洞とか木と土の隙間あたりに隠れていて、夜になるとゴソゴソやりだすそうで、鳴きもしないし手入れをきちんとしていれば飼育はそう難しくはないとのこと。
ただ、この「手入れをきちんと」というのが大変かも。
当家当主によれば、一度間違えてハエを大発生させてしまったことがあるとかで、これはあくまでも何かの間違いということで反省するしかありません。

今のところ、1箱を幼虫込で引き受けようかなと思っていますがどうなるでしょう。

ではでは

クワガタのような形の雲、右の方が角で・・・苦しいかな。
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2012年12月21日

カツカレー無情

皆様、今晩は。

好物とは人それぞれです。
ただ、好きな時に食すことができるもの・・・好きな食べ物の話です・・・・で好物と、事情があって時々あるいは希に、もしくは一年に数回しか食することができないものは、対する想いが格別です。

この想いというものは、ここに居てほしいけれど居ない、会いたいけれど会えない、求めたいけれど求められない、即ちサウダーヂと極めて似通ったものではないでしょうか。
その好物の一つに「カツカレー」というものがあります。

以前、このブログで小生の地元の名店「ナポリ」のカツカレーを紹介したことがあると思いますが、「ナポリ」のファンでもある、バンドのボーカリスト、カズー曰く「もしも世界が明日消滅するとするならば、最後に食べておきたいものの一つであるカツカレー」ということで、ご当地横浜でのリハーサル前に横浜山下町は「とん八」で昼食です。

この年齢になると色々と生活習慣病とか出てくるのはやむを得ないところです。
小生もご多聞に漏れず、そのあたりの理由でカツや天ぷら等揚げ物関係に関しては家では一切口にしていません。
でも、本当は大好きなとんかつ、カツ丼、天ぷら、等々、外食するとついつい食べてしまうのですが、その中でも特に好きなのが「カツカレー」。
多分、生活習慣病的には余りよくないだろうと思われるので、我慢して外食で食べないようにしています。

しかしながら、どうしてもここぞという時には年に何回か食べることを許しています。
最近は、鳩間島から石垣島に戻って来たとき。
肉欠乏ということではないのですが、何故かどうしても食べたくなる。
石垣島の某店で浸ります。
で、地元の名店「ナポリ」。
年間の枠としてはあと一回というところなのです。
今年食べたのは半年以上前になるでしょう。
万を持して今回の「とん八」。

勤め人の方々が多い横浜のオフィス街なので混むであろう昼ちょっと前に着きます。
地下の食堂街はその店だけが昼前なのに活気がある。
サンプルを見たときにちょっとびっくりしたので、カツカレーS、M、LのうちSにしようかなと思ったのですが、メンバーのカズー、アツーシ(このメンバーでジンギスカン食べ放、飲み放も行ったことがある。)が小生の事情を知っていて、せっかく残された今年の一枠をSに使うとは何事だということでMに。
彼らはSなんだけれど。
で、提供されたのがこれ。

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こっちがS、カツの大きさは同じ。お盆との対比でMの大きさのとの違いがわかりますね。

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SもMもカツの大きさは同じなんですけど、ご飯とカレーの量が倍もしくは2.5倍くらいありそう。ご飯茶碗4配分くらいあるんじゃないかな。
カレーとカツの味のバランスも良いしそもそも美味しいし頑張ったのですが、ご飯が少々残ってしまいました。
完食できず、一敗地にまみれたというところでしょうか。
値段もリーズナブルなので、昼の時間帯になると、近所のでしょうか、勤め人の皆さんが列を作り始めています。
中にはLを注文する人もいるようですが、想像するだに恐ろしい。
スーツを着てあのカツカレーはきついんじゃあないでしょうかね。
窮屈になりそうだし、眠くなるんじゃないかな。
午後から仕事になるのかしら。
などと思いつつ、好物で満腹、苦しい至福に感謝しました。
昼に食べたのに夜中になってもまだ効いているような感じです。
しかし、リベンジしてみたいとは思います。

ではでは

2013年01月01日

あけましておめでとうございます

皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

とても平穏な年末、そして年始です。
年末年始を通してちょっとまとまった時間が取れると、あれをやってやろうとかこれを完成させようとか思うのは、学生時代の夏休みあたりと同じ心持ちなのですが、今まで達成できたことはありませんね。
お正月となれば尚更と緩めに見てしまうのは毎度のこと。
というわけで、今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

大晦日の日没
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日没後、なんだか富士山が燃えているような不気味な景色です。

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それでも、元日はここ数年お約束の晴天で富士山もくっきり。
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簡素な拙宅のおせち
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2013年08月08日

オオクワガタ

ブラジル旅行記12回分の掲載を約三か月かけて終えてからしばらくお休みしていました。
そうこうしているうちに、以前掲載したこともあるオオクワガタが家にやってくることになりました。

里子ではなく分家です。
オスが一匹と雌が二匹。

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もう半世紀ほど前にクワガタとカブトムシを飼っていたことはありますが、それは小学生の男の子が虫の世話をしてみたいという通過儀礼のようなもので、当時虫を捕獲できる環境がある子供はみんなやっていたように思います。
それでもちゃんと世話をして冬眠をさせた記憶があるので、虫の世話に不向きではないような気もします。
おおよその種類と形は今でも分ります。

当時一般的だったのはノコギリクワガタとコクワガタ。あと時々ミヤマクワガタとヒラタクワガタ。
早朝か夕方がゲットのねらい目だったのですが、本来は夜行性の生き物なので食事時の深夜が一番なのでしょうが、子供には夜中は無理。
一応、土を敷いて木などを入れた虫箱を作って、エサは夏場だからスイカとかとにかく甘い果物、あるいは脱脂綿に砂糖水を染み込ませたもの、あとよく分らないのがきゅうりもやっていたような
気がします。

今回は事情がかなり異なります。
オオクワガタはレアな種類でそこらで捕まえられる代物ではありません。
なのでオオクワガタは巣箱で卵から産まれて蛹を経て羽化したもの。人工飼育されたものです。
今はクワガタ飼育という分野が特化されていて、虫箱に敷くものはその辺の土ではなく、専用のマットーしかし土としか思えないんだがー木も専用の朽木が市販されていて、クワガタがくり抜きやすいようになっています。エサはこんにゃくゼリーみたいな体裁をした専用のエサ。栄養満点、滋養強壮みたいなうたい文句が袋に書いてあります。どうもスイカだの脱脂綿砂糖水などはいけないらしい。

前オーナーから色々と注意点を聞いて、まあボチボチやっていけばいいかということになりましたが、エサを忘れると共食いをしてしまうというところが怖い。
前オーナーは以前間違えてそれをやってしまったことがあるとのことですが、雌がオスを食べてしまったとのことで、立派なつのの頭部だけ残った残骸を見せてくれました。
産卵する雌の方が生き残る意味があるんでしょうね。
また、注意しないとコバエが大量発生する恐れもあるということでした。

他に太めの瓶の中で盛んにうごめく羽化する前の状態のものなんてのも勧められたのですが、
これがつのが生えてきてクワガタの形はできつつあるも、まだ白い芋虫状のものというとても魅力的な形態なのですが、もうちょっと飼育に慣れてからにしようということになりました。
夜行性なので明るいときは出て来なく、暗くなってから何やらがさごそしだすというところがなんだか癒しになるんだよなとは前オーナーの弁ですが、そんなものでしょうか。

順調にいけば11月頃に産卵して孵化するのに1年更に羽化するのに1年とのことです。
成体もうまく世話をすれば冬眠して越冬するとのことで、もう4年も生きている個体もいるよとのことでした。
ま、何にしても気に掛ける対象が一つ増えるということは面白いものです。
ではでは。

2013年09月13日

2013夏の終わり

とても暑かった今年の夏もそろそろ終わりですね。

今年の浅草サンバカーニバル、我々SAUDEは二位、準優勝。
おめでとうございます。

前回、前々回が優勝だったので、残念に思った人がいるかもしれませんが、我々が現役でやっていた頃は二位といえば大変なこと。
SAUDEらしく皆のびのびと楽しそうにやっていたし、パレードも大変良い出来だったと思います。

最近のSAUDEのパレードは演奏も素晴らしいのですが、先頭から最後尾までテーマをお客さんに見て、感じてもらう、しかもユーモアと意外性と皮肉たっぷりの表現でというのが徹底しているようでとても楽しいパレードだと思います。
表現方法が成熟してきた印象を受けます。
この調子で行ければいいでしょうね。

さて、この風景は秋風が吹き始めた拙宅からの風景。

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空の上に光る島が浮かんでいるようにも見えます。
リハーサル後のちょい飲み会時でした。
話すのも忘れて皆見とれてしまいました。

今週末は、第二回VAMOS BRAじる!? → http://music.main.jp/brazil/
色々な人たちに会うことができそうで楽しみです。

そして来週からは一週間八重山・沖縄に行ってきます。

ではでは

2014年08月20日

8月ももう後半

今年の夏も暑いですね。

8月も半ばを過ぎてもうそろそろ家庭菜園のトマトも終わり。

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スーパームーンの一日後の月。不気味な色
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天候は不安定で時々予期しない大雨が降っていたりします。
小生宅からは南西方向の見晴らしが良くて雲の動きが良く見えるので、雨雲や雷雲の動きを観察することができます。
とは言っても天気がどうなるかな程度の観察です。

小生が住んでいる千葉県習志野市から見ていると、南西方向から黒い雲がじわじわと迫ってきて、多分その頃は東京多摩西部、神奈川県あたりで大雨警報が出て、さらに時間が経つと東京23区千葉県西部あたりでも大雨警報の区域が移ってきて、これはもう少しで来るかなと思っていると、何故か黒い雲は北の方へ進路を向け、北の方で雷鳴が聞こえ埼玉から群馬、栃木で大雨警報が出るということがよくあります。
で、この辺りは降ってもパラパラ程度かさーっとひと雨かまったく降らないか。
時々はまとまって降ってほしいと思う時で期待できる雲が出てきてもほとんど降らない。
他では降っているのに。
何故だかよく分かりません。
古くからこの辺りに住んでいる人達によると、どうも昔からその傾向はあるようです。
風向きとか地形とかが関係しているのでしょうかね。

ところで、去年から飼っていた♂一匹、♀二匹のオオクワガタは現在♀一匹になってしまいました。
冬は越したのですが♂は春先に弱って死亡。♀の小さい方の一匹は大きい♀に二つに分解されて!!死亡。
エサがなかったわけじゃあないんですけどね。

実は♂が死んだときに新しい♂をあてがおうかと思って駅前にある「習志野クワガタセンター」なる場所に行ってみました

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これがとてもマニアックな場所で、どうも全国的に有名らしい。
珍しいクワガタやカブトムシから変哲もないそれらまで、また飼育用品やらコバエが発生して嫌われる場合の代理飼育までやっている、かなりレアなお店です。

店主に話を聞いてみると、オオクワガタの♂で繁殖可能なものは今季は完売!!
今いるのはついこの間羽化したもので(でも十分に大きい。)繁殖可能になるまでまだ時間がかかる。
繁殖できない♂を♀は敵とみなすので同一のケースで飼育するのは好ましくないということです。
来年の3月頃になればOKらしい。
ということで、行きがかり上もう一種類去年から家にいるコクワガタの♂にあてがう♀を買いました。
そもそも変哲もないコクワの♀などを売っているのはかなり珍しいそうで、確かに言われてみればそうだ。
大阪産にしますか千葉産にしますかなどと聞かれてどちらでもいいですと返答するしかありません。

その後、店主の話の通りに♀同士でも敵とみなしたのでしょうか、オオクワの♀がもう一匹を二つにしてしまいました。
というわけで、現在はオオクワ♀一匹とコクワの♂♀一匹づつ所在。

ただ、新たな発見は「習志野クワガタセンター」という店の存在。

店主のいかにもマニアという話っぷりは色々な世界のマニアに共通する雰囲気がありました。
例えば、楽器、オーディオ、日本酒、ワイン等々
どの世界でもマニアの雰囲気というものは似てくるものなのでしょうか。

この時期になると食べたくなるカレー。ダムカレーではありません。
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2016年10月18日

2016・秋のブタ丸

恒例、豚の丸焼きとサンバの宴は、今年は10月8、9日の開催となりました。
毎年、5月から6月にかけての開催ですが、今年は諸般の事情で初めての秋開催です。

天気予報は怒涛の雨予報。
土曜日の朝、貸し切りバスに乗るため集合した新宿駅も微妙な天気。
ところが、高速に乗って北へ行くにつれて晴れ間も出てきて、結局、片品村は晴れていました。
しかも無風に近く暖かい。
この季節だから相当に冷え込むだろうとの予想は良い方へ覆されました。

春開催と違うところは、村周辺の景色が若干異なっていることです。
リンゴ畑がたくさんあって、柿や栗といった秋の果物もあちこちで見受けられて、空気の清涼感も感じられ、秋の開催もまた格別です。

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会場
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うどん
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もうこの催しも20回近くになるとのことで、その歴史がバスの中で語られましたが年々進化しているようで、特に豚を美味しく焼く工夫というのには感心させられました。

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火に直接当てると、油が落ちて火が強くなって焦げてしまう。
火から離して遠赤外線で調理するようなイメージで焼くと美味く焼きあがるという話には感心させられます。
そこに至るまでにかなりの試行錯誤があったということです。
単にワイルドに焼けばいいというものではなくて、繊細な加減が必要だということですね。
付け合わせや味のつけ方も何種類も準備されているのも進化なんでしょう。
サイドメニュー、いや最早サイドメニューとは言えないかもしれない、おでん屋、酸辣湯そして翌日昼のトン汁すいとんについては、成り立ちを聞く機会はなかったけれど、きっと色々な経緯があるのでしょう。

焼きあがるまで一日かかるので、その時間をどうするかで、音楽を楽しもうということになったということも初めて聞きました。
小生は音楽を聴かせる側としての参加からだったのですが、多分10年くらいは参加していると思います。

パゴーヂを楽しむ。
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ピザ窯
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ダンス講習
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バンド
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秋の開催は、日が落ちるのが速い。
我々のライブが始まったときはまだ日があったのに、秋の日はつるべ落とし。
ライブ終了後間もなく始まる豚のサーブの時間は既に薄暗くなってきて、まさに夕食になりました。

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今年の焼き加減や味もとても素晴らしいものでした。
もう本当に満腹になるまで堪能するのですが、さらにこの後お楽しみの時間が長いわけですから、酒は最後まで楽しめるようなペースでいただきます。

ゲストの臼田道成さん
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8時になると名物のおでん屋が開店して、これも大きな楽しみの一つです。
日本酒、燗酒、演歌・・・・・・日本人ならではのお楽しみ。

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怪しげなメニュー
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カウンターの中に入る人は、何となく適当に決まってくるのですが、今年のママさんのAさんは秀逸でした。
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客あしらいが半端ではないうまさ。
客が入ってくるとぱっと目が輝く。

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客をうまくあしらって、ついでに自分もごちそうになってしまうという名人芸です。
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小生はおでんの火を見ているうちに何となくカウンターに入ってしまい、マスター役を演じることに。
マスターといっても名前だけで、そこは立派なママさんがいるので、マスターは酒を注ぐだけ、しかも何となく居ついてしまった流れ者なので、客に酒を勧めながら隙を見ては自分も飲んだりします。

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いつの間にか、なかなか行きたくないぼったくりおでん屋という設定になってしまいました。
がんもが5000円、バクダン8000円、箸が3000円・・・・・・!!!
払えない場合は会社まで取り立てに行くという恐ろしさ。
酸辣湯のサービスは隣のライバル店に見立ててしまいました。

これは実際にあったらいやだけれど、架空の世界で味わってみたいという好奇心をくすぐるようで、大いに受けました。
この設定を基にして広がる展開も大爆笑もので、今年のおでん屋は大人気。
日本酒が売り切れてしまいました。
居候のマスターも隙を見て飲んでいたので、0時過ぎには酔っ払ってしまいました。
お客さんも酒が進んで、めでたく蛍の光を歌って閉店となりました。

それにしても暖かい夜です。

翌日は午前中は雨がちでしたが、昼から天気が良くなってきました。
どうやら、我々が寝ている時だけ雨だったようです。
強運です。
ただ、前日とは異なって風ががあって寒い。
まあ、これが本来の秋の片品村の気候なのでしょう。

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例によって昼のトン汁すいとんを無事にこなして、全員による後片付け。
これも、もし雨が降っていたらとても難儀だった筈で、つくづく晴れ男女に感謝です。

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というわけで、今年も大人の遠足は無事に開催出来ました。

毎度のことながらスタッフの皆さんに大いなる感謝の気持ちと敬意を表したいと思います。

ありがとうございました。

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