皆様、こんばんは
今年も鳩間島音楽祭の時期がやってきました。
今年は震災のため、気分がマイナスになりがちですが、根拠の無い自粛ムードは何のためにもならないと思って、例年と変わらずつとめあげることにしました。
今年は、4月22日出発、5月9日帰着と例年に比べて若干長いかもしれません。
今回は、前半に与那国島を訪れることがいつもと異なります。
小生を鳩間島音楽祭に出演させるきっかけを作ってくれて、その後も八重山との音楽交流の橋渡しをしてくれているT校長先生の赴任先が与那国小学校で、一度遊びにおいでと以前から言われていました。
与那国島は、石垣島から127km、日本最西端の島でそんなに簡単に行けるところではないのですが、T校長は確か来年定年退職の筈だからその前に一度行っておこうと、今回思い切って行ってみました。
さて、旅の始まりはいつものように沖縄(沖縄本島のことを指します。)からです。
まずは、那覇市桜坂の「SACRE」にてソロライブ。
ソロとはいっても、美可さんのボーカルがたっぷり入るのであまりソロっぽくはありません。
最近は、演奏する前に二人でリハーサルもしているのでだいぶ息が合ってきているようです。
素敵なジャズボーカルをたっぷりと唄ってもらいました。
年に二回は共演しているから、呼吸も合いますね。
とても気持ちのいいライブです
翌23日は空きスケジュール、昼間は与儀公園の方まで散歩したりして、夜は浦添の友人Y子さんと食事と飲みは栄町市場。
絵に描いたような古い古い飲み屋横丁で、なんだか郷愁をそそります。
そういえば、22日に羽田から沖縄までのANA機長は偶然、高校の同級生。
わりと最近ライブに来てくれていたので印象があって、普段聞き流してしまう「機長は某です。」というアナウンスが耳に入って、CAさんを通して到着後連絡してもらいました。
こんな偶然はかなり珍しい。
24日は玉城「玉々庵」で千葉(ts.ss)ー西川(b)―雅(vo)―小生のジャズライブ、その前に玉々庵主人、大池功さんも出演するパレット久茂地前で開催された震災復興応援ライブエイドへ。
大池さんは知念良吉さんのバンドに出演。飄々としたサウンドがとても素敵でした。
その後合流して玉城「玉々庵」へ向かいます。
このクァルテットは今回で3回目の演奏。
沖縄ジャズ界の重鎮、西川勲さんを強力な重石に置いてスイングします。
彼らとジャズを演奏すると本当に楽しい。
東京でジャズを演奏するのと違うのは何故か。前回から相当に感じていて自分なりの理由もなんとなく出せそうなのですが、もう今は理屈で考えるのはやめようと思いました。
小生は評論家ではないので。
今回はこのメンツと終盤、座間味島でもう一回、しかもブラジル音楽を含めて演奏できるのがとても楽しみです。
千葉ー西川ー板垣トリオ もうトリオ名をつけてもいいかも。
ミヤビさんのソウルフルなボーカル
楽しいアフターアワー。玉々庵はこれがいいのです。
翌25日、一旦石垣島へ行って26日の朝、飛行機で与那国島へ向かいます。
26日の石垣島は相当な雨。
でも、127km離れた与那国は曇り空ながら雨は降ってはいません。
研修で石垣に出かけるT校長と入れ替わり。明後日には戻ってくるそうで。
本日から二日間はあやみはびる館(あやみはびるとは与那国蚕(よなぐにさん)のことです。)という博物館と同じ敷地内にある児童交流施設に滞在します。
以前に石垣の少年自然の家にも泊まったことがありますが、それと同じような施設で、ロケーションも市街地からかなり離れた山の上にあります(車でないと行けません。)が、ここは5km四方に人家は無いんじゃあないかな。案内してくれた教育委員会のMさんによれば、夜は街灯も無いので真っ暗になる。明かりはここだけだから決して窓は開けないでくれと。山中の有象無象が集まって来てしまう。
広大な施設に一人、というのはちょっと怖いかもしれませんが、小生はこういうの好きです。
交流センター
アヤミハビル館から交流センター全景を臨む。
アヤミハビル館とヤギ
交流センターから祖内方向の眺め
こういう施設に泊まっていて教育委員会のお世話にもなるわけですから、当然学校に対しての特別授業という仕事はしなければなりません。それは後のお楽しみ。
校長が出張してしまったので、教育委員会のMさんに色々と案内してもらいました。実はこのMさん、唄者でありまして、後日、交流音楽祭においてその強烈な存在感をアピールしてもらうことになります。そのことが分かったのが、一緒に比川集落に住む陶芸家のYさんをお尋ねしたときでした。
T校長が28日にゆんたく会があるからねと言っていたのが、どうやら島の音楽愛好者との交流コンサートという形になっているらしく、Yさん宅訪問は小生の顔見せを兼ねてケーナやギター、唄をたしなむYさんのコンサート出演をプッシュするためらしい。
仕事場でもあるYさん宅で楽器を取り出してわいわいやっているうちに、件のMさんも昔のバンド経験からオリジナルの曲を一曲披露してくれました。これが実にすばらしい唄で、是非出演してもらわなければということで盛り上がってきました。
陶芸家Yさん宅にて
校長のセッティングの巧妙さは鳩間、石垣の頃から十分に知っているので、これは気合を入れなければと思ったりします。
この日は、車で大まかに島を回ってみます。
与那国島は周囲約23km、石垣島までは127km、台湾までは111kmです。
島内は、「自衛隊誘致は私たちの悲願です」と「自衛隊誘致絶対反対」の横断幕が隣り合っており、これが最近の情勢です。
断崖絶壁の島という感じで浜は数えるほどしかありません。
道路は良いのですが、起伏に富んでおり、この島でのマラソン大会はきつそうですね。
校長が車と共に貸してくれたダンボールの中身は、炊飯器と米、鍋とインスタントコーンスープ、お茶漬け海苔とふりかけ。彼の言わんとしていることが良く分かります。
でも車があれば便利です。
ここに住んでます。
夜になって、Mさんが一人の青年を連れてやって来ました。
沖縄でジャズをやっていた仲間から聞いた話では、一緒にプロでやっていたベーシストが教員になって与那国にいる。機会があったら一緒にやってみな・・・・・と。
そのMさん(以後TMさんです。)が、与那国小学校の教員をしているのでした。
これも偶然ですね。
プロでやっていた当時を振り返って色々なお話をお聞きしました。
コンサートでは一緒にやりましょうと。
沖縄の千葉さんや西川さん、美加さんのお墨付きのベーシストだからきっと楽しいことになりそうだ。
この施設、本当に夜は真っ暗。
人によってはこんなに広いところに一人だけというのは気味が悪いかもしれませんが、小生は結構好き。
敷地内にヤギが六匹、周囲に馬と牛がいますが、よく分からない鳴き声や叫び声みたいのも聞こえるし、でも熟睡。
翌日は、いい天気。
まずは、同じ敷地にある「あやみはびる館」を見学。見学者は小生一人ですからゆっくり見学できます。どうせ暇だからじっくり見てやろう。
あやみはびる(綾の模様のある蝶という意味で、与那国蚕(よなぐにさん)のことです。)という世界最大級の蛾は、羽化して雄で4、5日、雌で5~9日で死んでしまうそうで、ただ子孫を残すためだけに羽化する、蜜を採ることもないということで、見てくれとは逆にはかない生き物です。
この他、この島には珍しい蝶とかクワガタとかマニア垂涎の生き物が一杯いるようで、日本最小の蝉というものを係の人(実は昆虫学者ということです。)が裏から捕ってきて見せてくれました。ハエのようにしか見えないがよく見ると蝉だ。どうするのかと聞くと、木登りとかげの餌にするとかで、かごに入れると、とかげがパクッ。
しかし、学名ヤエヤマオオゴキブリとはあまり会いたくない。
ヨナグニサン
これも珍しいクワガタの種類
この島は八重山、沖縄、日本へ至る黒潮の源流に位置するそうで、地理的には台湾、東南アジア、大陸からの流れの始まりですから、日本本土とは色々な面で異なっているようです。
それにしても蝶は海を渡るというけれど、確かに大海をひらひらと飛んでいる蝶を見かけることはありますが、どこで休むんでしょう。余計な心配ですが。
「あやみはびる館」は、生き物のみならず、与那国島の歴史を知る上でもとても有意義な施設でした。博物館を独占して堪能するという機会はあまりありませんが、じっくり見ると博物館というものは実に楽しいものです。
天気が良いので、車で島を一周。
立神岩
東崎(あがりざき)灯台を臨む。
宮良長包の曲で有名な、なんた浜
島南部の比川浜
東(あがり)崎方向を臨む。
人頭税対策のため妊婦にここを飛ばせて死に至らしめたという非道な史跡、クブラバリ。
与那国馬の群れが海の方からやってきて、道路へ去って行ったりします。
やって来て
去って行く
校長が夕方の便で戻ってくるので空港へお迎え、すぐにPTA総会だということで、大変お忙しそうです。
それでも夜は教頭先生も交えてのんびりゆんたくする時間も取れました。
さて、翌28日はちと忙しい。
二日間お世話になった交流センターを出て校長宅へ。午後の五時限目に五六年生を対象とした特別授業を行います。
その後TM先生の生ベースとリハーサルを行って、夕方から交流コンサートの準備と本番、後片付け、打ち上げと。
特別授業は、約40分、ブラジル音楽について語りと演奏ですが、何時もよりは子供たちに鳴り物を持たせて一緒に体験してもらう時間を増やしました。楽しんでもらえたかな。
子供たちは皆とても元気そうです。
与那国小学校
池には与那国島の形をした石の造形
特別授業
学校の庭にオオゴマダラ(モンシロチョウを巨大にしたような蝶)のさなぎというものがあるのを教えてもらいましたが、これが黄金色、黄色ではなくて。珍しいなあ。
交流コンサートは、与那国小学校体育館にて19時~21時。
演奏者は、フォークデュオ、オペラ歌手ピアノの伴奏付、Yさんのケーナとギターと唄でボリビア、ペルー方面の曲小生も加わる、ハワイアンスタイルの演奏、飛び入りのギター弾き語り、Mさんによるオリジナル曲の弾き語り、そして小生とベーシストTM先生によるデュオ演奏と結構盛りだくさん。
で、これが皆さん相当達者ですし、実に楽しそうに演奏します。
唄は皆、けれんみが無くストレートな表現で感心しました。
特にMさんのオリジナル曲の弾き語りは、何年ぶりでやったというわりには強烈な表現力で圧倒されました。ギターコードなんか2つしか弾いてないです。歌の強力な表現力があるのでギターの細かいことなどどうでもよくなっちゃう。石垣島は白百合のK.I.さんと通じるものがあると思っていたら、昔一緒にバンドをやっていたとのこと。
納得。
こういう音楽祭的なものは以前、比川集落でやっていたものの、それがお祭りに変化していって最近はやっていなかったということで、これだけ腕達者がいるとこれからもやっていきたいねとの意見もありました。
きっかけがあって、音楽を通した島人たちの新しい交流が生まれてとても良かったと思います。
若手教員によるデュオ。声の伸びが良くてハーモニーもきれいでとても良かった。
オペラ歌手の熱唱
T校長の司会
陶芸家Yさんのケーナ(暗くてすみません。)
Mさんの極めて強力なオリジナルソング
TM先生(b)と小生。楽しかった。(写真が暗くてすみません。)
それにしても、石垣島の伊原間のコンサートもこんなふうにして始めて今年で5回目ですっかり恒例化しているし、その他にも明石、大浜なんかでも段取りを組んでくれたし、色々な意見の人がいるからこういう催しを行うのは大変だと思うのですが、校長のいつもながらのみごとな根回し、調整、段取り、しかも本人は前日まで出張している、どういうふうに行うのか、まったく頭が下がります。
後は校長宅で打ち上げです。
翌日は休日ですが、午後からは学校で育てているサトウキビの世話をしなければいけないということで、午前中校長自ら島を案内してくださるとのことになりました。
自分一人で車で一周したとはいっても、やはり地元にいる人と一緒に回ると視点が違います。
日本最西端にて
与那国島は、一島一町で、石垣島からも離れているし、インフラ、ライフライン、行政等一つの島で完結しているようです。
与那国の人達は沖縄、八重山の人達に比べて大柄だそうです。
たても横も。
なまじダイエットなど眼中に無いそうで、それは美的感覚が違うのかもしれないねとは言っていましたが、水に石灰分が多いことの影響は眉唾物としても、更に南国の方とのつながりが深かったのかもしれません。海賊が来襲することが多かったこの島を守った伝説の女傑サンアイイソバも見上げるような大女だったとの伝説があります。
日本馬の原種といわれて大切に育成されている与那国馬。大人でも我々の胸くらいの身の丈、穏やかな気質でとても可愛いのです。この島では犬のような感じで居るのです。町立の与那国馬とのふれあい施設、「ゆうゆう広場」へ行きました。
実に可愛い。後ろからつんつんされて、なでなでしてあげて、すっかりファンになりました。
そういえば、「与那国の猫小(まやぐぁー)」という民謡があって、その内容は、首里のお城の鼠を退治した与那国の猫が王様に珍重されて、結果、猫が与那国島を救ったということらしいのですが、その伝説が生きているようで、猫は大事にされているそうです。
市街地の中に堂々とそびえたっているティンダハナタという岸壁があります。中腹の遊歩道は観光用ですので行ったのですが、今日はそのてっぺんの平原、草原になっているのですが、そこまで案内してくれました。祖内集落が一望できます。高さ約70m、柵も何もありません。
しかし落ちても途中や下が鬱蒼とした森なので死には至らないことが多いそうで。
昔ここは、毛遊びの場所だったそうですが、下からは70m上のこの場所の会話が良く聞こえたそうです。そう言われてみると下の物音が聞こえますね。
ティンダハナタのてっぺんから祖内集落を臨む。
そして、人口より多いといわれるお墓集落へ。
びっくりしたのですが、この島ではまだ土葬だそうで、座った状態でご遺体を運んで、伸ばして棺に入れて立派な亀甲墓に安置します。13年目に取り出して洗骨してお墓の近くで燃やすそうです。のぼりのようなものが多数はためいている景観やこのような習慣、日本の景色とはちょっと違いますね。
破天荒に立派なお墓もありました。
これは一体何か・・・・・・・・お墓の門です。
で、これがお墓本体。これは例外的に超ゴージャスなものです。
最高峰の(231m)宇良部岳まで登ると島の全体が見渡せそうでした。
島に三つある酒造のうち、舞富名を作っている入波平酒蔵に寄ってみました。
ここでは、校長と知己の副社長さんから泡盛についてお話を聞けました。
今更恥ずかしいのですが、泡盛の原料がタイ米であることについて、お酒は土地の材料で作られるのが通常だから、何故タイ米なんだろうと疑問を持っておりました。
米が東南アジアから黒潮に乗って伝わって来たので、当初からいわゆるタイ米が伝わってきて、本土へ伝わってからはジャポニカ米になっていったということらしいのですが、そうすると、いわゆるタイ米というのは沖縄全体を見ると地場の米なんだなと、それで酒つくり、暑いから醸造は向かないから蒸留、麹は黒麹、結果、泡盛が出来ていったということのようです。
勉強になったし、おまけに60度の花酒の試飲なんかもできるし、製造現場も見学できて貴重な体験をしました。
検定用の甕に溜め置く。
まさに醗酵中、とても良い香りがします。
ほんの三時間くらい校長と車で楽しいお話をしながら回っただけなのに、なんだかすごく知識を仕入れた気分になっているのです。
そうか、この人はベテランの教育者だったと改めて見直してしまいました。
この日の夕方のRACで石垣島に戻ります。
RAC
これから先は仲間と楽旅になります。
今回、思い切って与那国島まで行って本当に良かったと思います。
音楽の持つ力、音楽がとりもってくれる人とのつながり、音楽を媒体にして人と人とがつながれること、そして勇気付けられること、勇気を与えること・・・・・。
音楽をやっている意味を更に確認できたような気がします。こんな時期だからかもしれませんが。
与那国島の皆さんに深い深い感謝の気持ちと想い出を胸に与那国空港を飛び立ちました。
ではでは