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沖縄 アーカイブ

2007年06月09日

八重山・沖縄第1回

皆様、こんばんは
今日は、どうして小生が沖縄・八重山にしょっちゅう行き来しているか、お話しすることにしましょう。現在の状態に至るためには話が長くなるので、今回は第1回です。
ちなみに古い写真がデジタルで無いので、今回の写真はご愛嬌ということで。

筆者近影
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そもそものきっかけは、サラリーマン時代の那覇市で開かれた全国会議がきっかけでした。
もう10年以上前になるかもしれません。
その頃、既にITAeKAZUで演奏しており、相棒のKAZUは旅ライターの仕事もしていて、沖縄旅行に関してはベテランでした。沖縄民謡にも詳しくて、音楽家のはしくれである小生もそれならばと、沖縄に行くなら民謡酒場だとKAZUから文献やら音源やら借りて色々と予習をして出かけたのでした。
もともと日本の民謡や演歌は苦手なその頃の小生でした。
さて、深夜、宿を抜け出して初めて足を踏み入れた民謡酒場は、那覇市の「民謡スナック三原」。
赤いソファとステージ後方の浜辺の画き割り、オリオンビールの提灯と安っぽいドア、それでいながらアット・ホームなウェルカムの雰囲気、4人編成のハウスバンド(って言っていいんでしょうかね。)、とてもよい雰囲気でした。
ここで、日本民謡と波長が合わなかった自分が沖縄のそれと妙に波長が合うことを発見しました。
当時方言を知らなかった自分が「かいしゃ、かいしゃ」と歌っている部分が変に気になったことを覚えています。
その中でも、女性連れで作業服で現れた中年の男性二人組み。ただの酔っ払いかなと初めは思いました。そのうち、その二人組みが飛び入りをするということで、舞台の袖に引っ込みました。そして、膝までしかない浴衣のような着物と妙なお面をかぶって裸足、一名は三線を携えて現れ、とても不思議な音楽と踊りを披露したのでした。三線はロックミュージシャンのように横に構えています。
後で聞くとアンガマ(石垣島のお盆行事)に使われるウシャマイとンミーの衣装で八重山民謡を唄い、舞っていたのです。
それは衝撃でした。
それまで演奏されていた沖縄民謡も十分に楽しめたのですが、八重山のそれは、この不思議で魅力的な演奏・舞は一体どのようなところで演じられているのだろうと、どうしても確かめてみたいという欲求に駆りたてるものであり、八重山を訪ねたくて仕方なくなりました。
同時に、ただの酔っ払いに見えるような人達が当たり前に素晴らしい芸能を披露する沖縄という土地や、うちなんちゅーの芸能の奥の深さに感銘を受けました。もっとも件の二人組みは舞台を降りるとただの酔っ払いに戻ってしまいました。
ここから、毎年十五夜を中心とした(連休でサラリーマンにとっては休みが取りやすかったからですね。)八重山行きが始まりました。

夏の雲ですね
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初めは何もわかりませんから、ガイドブック片手に色々な島を回りました。民宿で主さんが三味線を弾いて民謡を唄ってくれるのが、ただそれだけで嬉しかったし、この唄を八重山で聴いているんだなあと思うだけで妙に感激していました。
しかし、ガイドブック片手の観光旅行は八重山の宿がある島々(鳩間と新城を除く)を何回か回った時点で飽きてしまいます。
いきおい石垣島の民謡酒場に通いつめることになります。

筆者は食われてしまうのか!
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こんなことがありました。
美崎町の某民謡酒場がお気に入りだった頃、飲んでいて、もう十二時を回った頃、とても元気なおばあ連がいました。
その方達から一緒に飲もうと誘われて、当時は地元の人達と飲めるだけで嬉しいわけですからがんがん飲みました。
その中の一人から明日家に遊びに来いと言われました。本当は社交辞令あるいは酔いが言わせたその場の一言なんでしょう。でも嬉しい小生は、翌日風邪気味のところを押して訪問しました。
市役所から近いそのお宅は、なんだか電気が止められていて、日が暮れるにつれて段々暗くなり、暑い中、扇風機も動かず、踊り用の金銀の扇子でおばあが小生を扇いでくれます。
お気に入りのかまぼこ屋が休みだということで、甘いファンタだけで話を聴きました。
八重山では子供ができない夫婦は別に女性と関係を結んでよいというような風習が昔はあった。自分はまさにその別の女性という対象だった。戦後、パイナップルの缶詰工場で苦労したこととか、でも子供達は立派になって本土で元気にやっているとか、古いアルバムを引っ張り出してきて涙ぐみながら見せてくれました。
最後に、自分は今晩もあの民謡酒場へ行って飲みたいし、あなたにもご馳走してあげたい、しかし自分が特にあなただけにご馳走したら他の仲間が変に思うだろうしあなたにも迷惑がかかる、だから今これを渡すから、どうか今晩も一緒に飲みましょうと言って、懐からくしゃくしゃになった千円札を渡すのです。
これには恐縮して固辞しましたけれど、結局、固辞しきれずありがたくいただきました。
もちろんその晩も飲みに行きました。
この頃から、自分は八重山や沖縄の何が好きなのか真剣に考えるようになりました。
音楽をやっていることをいいことに、島の人達が大事にしている音楽の表面しか聴いていない自分を恥ずかしく思いました。
観光はもういいと思い始めたのもこの頃からです。
鳩間島との出会い、そこから始まる八重山や沖縄の人達との音楽を契機にした出会いがなければ、八重山・沖縄との現在のつきあいは無かったかもしれません。

どこへ行くのだろう
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月祭りのゆんたく
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長くなりました。
この続きは第2回にしましょう。
ではでは

2007年07月07日

第一回伊原間音楽祭

皆様、こんばんは。

筆者近影
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今回は、今年の4月~5月にかけて行われた恒例の八重山・沖縄ツアー(石垣島、鳩間島、沖縄本島の演奏旅行のことです。)の中で、今年初めて開催した、石垣市伊原間地区でのコンサートについて触れてみたいと思います。
このツアー(旅行会社のそれとは全く無関係です。)は、元々、鳩間島音楽祭出演が中心となるもので、その前後に色々と仕事をくっつけようと、ここ数年、演奏の範囲が広がってきています。
石垣市伊原間地区というのは、石垣島北部、島が一番くびれた辺りの場所で、自然豊かな大らかな環境で、石垣港周辺の市街地とは趣を異にしています。
何故ここで我々(板垣武志(g)、石山和男(vo)、鈴木厚志(p))がコンサートを行うことになったかということですが、以前から知り合いであった伊原間中学校のT先生に、今年1月に小生と鈴木厚志の学校公演を企画していただき、その際に寄ったT先生のなじみのそば屋「たいらファミリー」で意気投合し、うち(「たいらファミリー」)を中心としてコンサートを企画しようと盛り上がったことがきっかけです。
沖縄のみならず、コンサートのきっかけというものは、おおよそ、この盛り上がりが大事ですね。
T先生の明石の宿舎(伊原間地区の隣の地区です。)で、地区の音楽好きの方達と飲み、演奏し、唄い、開催に向けて盛り上がったのでした。

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さて、開催5月6日当日、午前中は雨天でしたが、午後になって天気はどんどん回復していきました。
そば屋「たいらファミリー」の広い中庭には、屋根付き常設ステージがしつらえてあり、お客様の聴くスペースや踊るスペースも十分にあります。

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午前中に石垣市街地から到着してのんびりとお昼を食べている小生達一行を尻目に、どんどん準備が進んでいきます。その手際のよいことといったらありません。
聞けば、スタッフの主要メンバーは八重山高校でBEGINのメンバーや大島安克さん、新良幸人さん達と同級で、現在は石垣島の大きなコンサートの企画、運営を手がけているとのこと。
まあ彼らプロのスタッフの手際のよさは当たり前と言えば当たり前なのですが、それにも増して手際のよいのが、「たいらファミリー」のスタッフ(何と親子四代でやっています。)と公民館を中心とした地区の方々です。
あっという間に場外席まで設営してしまいます。
合宿していた野球少年団のための演奏をイントロにしてコンサートは開催されたのでした。
暮れなずんでいく空の色がとても美しかった。

石田うーさん撮影
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このコンサートを開催するにあたって、小生の希望は地元の方々の演奏とコラボレートするということでした。
T先生や、やはり以前からの知り合いで、鳩間・石垣の唄者M.H.さん(この人とのつながりも実に面白いのですが、そのうちぼちぼちと)と相談していました。
M.H.さんのソロになるのかなと思っていましたが、図らずも美崎町の老舗民謡酒場「浜辺」の主要メンバーに加え、前日鳩間島で一緒だった、やはり鳩間・石垣の唄者、Y.U.さんも加わわりました。
このメンバーは、かつて「浜辺」で歌っていたことがあるOB達で、今ではなかなか聴くことのできない豪華メンバーでした。
彼らの演奏、その佇まい、とても感動しました。

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中締めの後は、我々も胸襟を開いて、ジャズナンバーやオリジナルサンバ歌謡(これも後々説明いたしましょう。)や童謡やらどんどん佳境に突入していきました。
最後はやはりカチャーシーで閉めます。
今回、石垣市北部で演奏できたことは実に画期的なことでした。全てT先生や「たいらファミリー」、地元スタッフの皆さんのおかげです。
小生は、八重山・沖縄で地元の皆さんの音楽と共演できることを無上の幸せと感じているので、本当に楽しかった。
音楽をやってきて良かったと思えるのはいつもこの瞬間です。
手作りフェスティバルの原点を見た思いでした。
そして、来年も第二回伊原間音楽祭を実現させようと皆で誓い合ったのでした。
翌日、「たいらファミリー」のご主人の案内で、日本とは思えない牧場の風景を堪能させていただきました。ありがとうございました。
皆さんも機会がありましたら、石垣市伊原間の「たいらファミリー」をご訪問されたらいかがでしょう。
県道沿い、面白く目立つのでいやでも分かります。
ではでは

2007年07月12日

八重山・沖縄編第2回

皆様、こんばんは
八重山・沖縄編第2回です。

筆者近影
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第一回の後日談がありました。
石垣の民謡酒場で一緒に飲んでお宅も訪問したおばあから、年末の12月29日に電話がありまして、明日子供達を訪ねるため東京へ行く、そのときに小生にどうしても渡したいものがあるから羽田にご家族で来てくださいと。
何だろうと思いましたが、遠くから来てくださるのですから、これはもう三顧の礼をもって迎えなければと思い、家族で行きました。
石垣からの直行便は、年末にもかかわらず、初夏のスタイルで降りてくる人が多いのですが、一番最後に、きちんと正装の着物で降りてきた方が件のおばあでした。
で、渡してくれた物は、あの時休みだったかまぼこ屋のかまぼこでした。
気が抜けると同時にとてもうれしかったですね。

さて、八重山の島々に旅慣れた皆さんには周知のことでしょうが、八重山の島々はそれぞれ違う表情を持っています。
たとえば、与那国島は断崖絶壁の島、波照間島は風が強くて海の色がとてもきれいな島、黒島は平らで動きやすい島、小浜島はアップダウンが激しくて体力を使うけど島内の風景がとても美しい島等々。
八重山はとても好きな小生ですが、観光はもういいと思い始めた時点で次はどうしようと考えてしまったのでした。
そして、当時、最も行きにくい島、鳩間島を訪ねてみようと思い立ったのでした。
当時は、火、木、土曜日に貨客船がそれぞれ石垣から1便あるだけでした。

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初めて鳩間島に行った頃は、島に一軒しかない商店の営業時間が午後6時~7時までの1時間だけでした。その1時間が島内のイベントのような時間だったのが印象的でした。
例によって何も分からずに、他の島々の時と同じように、飲んだり、島人の唄を聴いたり、ゆんたくしたりしてゆっくりした時間を過ごしていました。
そしてこの年はこれで終わってしまいました。
ただ、竹富島などと比べると、観光客のための配慮は一切ないなあと思いました。その分、八重山の原風景が残っていて、八重山の生活の匂いの中に身を置けるのかなあとは感じました。
翌年は念入りに鳩間島を探求しようかと興味がわいてきました。

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翌年、ガイドブックでも知られているMという民宿に泊まっていました。
当時改修中で、屋根から電気工事屋さんらしいサングラスの強面のおじさんにジロリと睨まれたりします。
ここは、食事をする場所が寝る場所と異なり、海辺にあります。
そこは、宿泊客のみならず、島人達のゆんたくの場所としても使われています。

nino氏撮影
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ある日、夕食が終わった後、居合わせた島人達の酒盛りに偶然加えていただきました。
改修工事の棟梁であるM.H.さん(伊原間編に登場してきますね。)や当時、鳩間小中校の校長先生だったT先生(やはり伊原間編に登場してきますね。)、現在、公民館副館長のK.T.さんも同席していました。
音楽の話になったんでしょうね。ギターの話題になって、酔ったはずみでしょう、僕もギターをライブで弾いていますと言ってしまいました。
それまでわいわいやっていた全員が、一瞬沈黙してこちらを注視しています。まずかったかなぁと思ったのが後の祭り。
一斉に是非聴きたいと皆が言い出しました。
でも楽器は持っていないしなぁ。
その時T先生が手を叩いて、「確か学校にギターがあったはずだ。今から持って来るからちょっと待っていてくれ。」と言って、真っ暗な中を自転車で駆け出して行きました。
しばらくして、T先生が持って来てくれたのは、確かにナイロン弦が張ってあるクラシックギターでした。ただ、ネックの先頭の弦を支える部分は、割り箸を削ったもの、弦は茶色くなっているし、しかもギターケースには「廃棄」というラベルまで貼ってあります。
ままよ。ギターはギターだから何とかなるだろうと強引にサンバやボサノバを弾きまくったのでした。
それまで、うちなんちゅーの前で自分の音楽を表現することは敷居が高いとおそれていたにも拘わらず、酔いもあったんでしょう、そんなことも忘れてがんがん行ってしまいました。
一瞬の沈黙のうちに、大うけ!!
もっとやれ、もっとやれになってしまいました。
そしてこの席で、T先生が、「この音楽を学校の子供達にも聴かしてやりたいねえ。明日、特別授業の枠を設けるからやってくれないか。」と。
さすが校長。
とても美しい月の、旧暦八月十三夜の夜でした。
翌日、正午前、音楽の先生とも相談した結果、室内より半野外のパーゴラがいいだろうということで、生徒さんや先生達を前にしてミニ・ギターコンサートを開催しましたと思ったら、島の音楽好きの人達や観光客の人達(普段は観光客の人達は学校に入れないんです。)も観客に加わって、どうしよう。しかもギターは「廃棄」ギターだし。
結局、開き直ってギターの話やブラジル音楽の話を交えながら約30分のコンサートを終えたのでした。
民宿の屋根から小生を睨みつけていた強面のサングラス男もいました。島の唄者で有名なI.K..さんもいましたかね。

nino氏撮影
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何とか演奏を終え、学校でお茶をいただいて宿へ帰る途中、島でただ一つの商店から、大音量でジョアン・ジルベルトの音楽が、桟橋まで届く勢いで聴こえてきます。いいのかなあ。
そして商店の庭に置いてあるステレオの横では、小生を睨みつけていた強面のサングラス男が笑っています。
実は、彼は商店の主人で海人、今ではとても親しい友人になったK.U.さんでした。
その夜は彼の商店の庭で、「廃棄」ギターと唄やクラリネットやキーボードや三線のセッションで遅くまで盛り上がりました。

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そして、来年の鳩間島音楽祭に参加しろと言われたのが、始まりです。
このことをきっかけとして、自分の音楽をそのまま表現することによって島人達との理解の端緒が開けるのではないかと思い始めました。
そうすると、今までの沖縄・八重山に対する感情とは全く異なる地平が開けてきます。

nino氏撮影
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島人達との付き合いが始まりました。
第3回につづくということで。
ではでは

2007年09月21日

十三夜・十五夜

皆様、こんばんは
9月とはいえまだ残暑が厳しいですね。

月祭りの夜
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月に向かって
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今日21日から約10日間、八重山・沖縄の旅に出ます。
この時期の八重山・沖縄行きはもう十数年続いています。
台風シーズンでもあるので、そこは博打ではありますが、過去に一度石垣島で足止めを食らったことがあるくらいでわりと幸運に恵まれています。
石垣島や沖縄本島でライブをやりながらの旅ですが、旧暦8月の十三夜に開催される石垣島の「とばらーま大会」を見ることが大きな楽しみの一つです。
今年は、9月23日の日曜日です。
何事もなければ、市役所近くの新栄公園の野外ステージで開催されますが、雨天等の場合は市民会館で開催されます。
シテュエーションとしては、十三夜の月の下、野外でというのが最高ですが、今年はつい先日通り過ぎていった台風12号の影響がどう出るか、ちと心配ではあります。
野外の準備ができない場合も市民会館開催になりますから。
とばらーまというのは、ご存知かもしれませんが、八重山民謡のなかで最も美しく、なおかつ最も難しいとされる曲です。
この1曲を予選会を勝ち抜いた20数名の唄者が唄い順位を競うわけです。
とばらーまはもちろん正調がありますが、地区や唄者によって微妙にメロディが異なり、また歌詞は創作もOKなので、自分の想いで唄うことができます。
いうなればブルースのようなものと、小生は勝手に理解しています。
ただ、曲を貫くテーマがあって、それは、届かない想い、あって欲しいのに無いことへのはかなさ、ブラジル音楽でよく出てくるサウダーヂに極めて近いものと思われます。
創作の歌詞もこれにそって創られるようです。
歌詞の部も順位を競います。
島分け等を経てきた八重山の歴史が底流にあるのでしょう。
1曲だけを唄者が違うとはいえ2時間近くも聴くのは大変かなあと思われるかもしれませんが、何故か引き込まれてしまうのです。
最近は、本土からの参加者も多く、去年はゲスト参加者がチュニジアの方で、民族衣装を着て唄い、これがまた感動的だったし、結構、広域化しています。
聞き手は出演者の親戚縁者、友人や、また何よりとばらーまの難しさや意味を十分理解している島の人達が多いので、その反応自体に唸らされる部分もあります。
十五夜ではなく、十三夜に開催されるというのは、「月ぬ美しゃ」の歌詞にあるように、月が美しいのはまん丸の十五夜ではなく、それに至るほんのちょっと前の十三夜という、月を暦の中心として考えてきた、―それは、海が島人にとって道であるゆえに月の満ち欠けと潮の関係を重視していたのでしょう―八重山独特の美学があるのでしょうか。
この歌詞の続きは、女性が美しいのは・・・・・・・・と続いていくのですが、女性陣に怒られそうな歌詞でもあります。
できれば、一杯飲みながら野外で鑑賞したいものです。
十五夜は鳩間島のU家で恒例の月祭りということになると思います。
これは家庭行事で、天気がよければ銀色に輝いているような月明かりの下で月を話題に質素な宴席を囲むものであります。
鳩間島の月は特に美しく、洋上に月の道が見えます。
沖縄本島でのライブも今回は「あさと御殿」というそば屋での初のライブもあって楽しみです。
沖縄では変哲のない食堂やそば屋や居酒屋で当たり前のようにライブが行なわれていて、結構うらやましかったりするのです。
帰ってきましたらまたご報告したいと思います。
ではでは


2007年10月05日

秋の八重山・沖縄ツアー

皆様、こんにちは。
先日、秋の八重山・沖縄ツアーから戻ってまいりました。
今回も色々とありましたけれど、三題噺的に言うと「台風12号」、「十五夜」、「9.29県民大会」ということになります。
9月18日に八重山、特に竹富町を直撃した猛烈な台風12号は石垣・鳩間・西表・与那国コースを行ったため、21日に石垣入りした時点では、台風一過の好天の始まりでしたが、その爪跡は各所に見られました。
石垣は去年の13号ほどの被害はなかったようですが、それでも屋根をはじめ色々なものがが飛ばされたり、電柱倒壊による停電やらと大変なようでした。
21日に石垣に着いてその足で、鳩間島音楽祭にも出演している大工で唄者の比○○男さんのお家へ行きました。

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野底という石垣島の中間部、野底岳の麓にある自作でいい感じのお家です。特に食事の場所が外にあり、これが鳩間を彷彿とさせます。もっとも鳩間のお家も随分と作っているので納得がいきます。広大な農地の中に建つ作業場という感じで、真正面に野底マーペーがそびえています。

野底マーペー
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野底マーペーは、マーペーという女性が、島分けで黒島へ行ってしまった恋人を慕って黒島を見ようと毎日野底岳へ登っていたのですが於茂登岳が邪魔して見えないので(於茂登岳の方が高い)恋しさの一念で岩になってしまったという伝説がある山で、「つんだら節」という民謡に唄われています。10月に野底地区でつんだら節大会もやるようです。
マーペーはまん前にあるのでいやでも目に入るのですが、じっと見ていると北斜め上方をかっと見ているゴリラの顔に見えてきてなりませんでした。
夜はお世話になっているT校長先生もやってきて飲み会です。

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「僕のそばを食べんといかんね。」と常日頃言っていた比○○男さんのそばは絶品であり、この旅を通して間違いなく一番のそばでした。おかわりもしたし、朝もリクエストしました。特に汁が最高!!
パパイヤの切り方が酒のあてとごはんのおかずで異なるということも教わりました。
やはり台風12号の被害があり、パパイヤの木が結構折れていたし、ゴーヤやナーベラーも駄目、葉物野菜も駄目になっていました。トタン屋根がその形のまま飛ばされて電線にのっかたり、牛も相当数飛ばされて死んだようでした。

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比○○男さんはこの後始末でも忙しいようでした。
この時点で鳩間島に電話したら、停電が続いており明日復旧の見込みだが、郵便船が沈んでしまったため小生の荷物(食料)が届いていないとのこと。一抹の不安。
さて、翌日は大川(市街地)のお馴染み「パパビゴーヂ」でのライブです。
おかげさまでほぼ満席の状態でした。ここからリベルダージの元バテリア隊長、金沢元さんと合流します。

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この日のお客さんは外人率が何故か高かったです。このお店はゆったりしていていつも本当に気持ちよくライブができます。オーナーの村上さんをはじめスタッフ一同に感謝です。
23日は十三夜、とぅばらーま大会です。

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今年から、例年の新栄公園から真栄里公園に場所が変わりました。
例年より若干距離がありますが、常設の野外ステージがあり広大な芝生が客席になっており素晴らしいロケーションです。近くにコンビニもあるし。トイレもきれいだし。
やはり天気のよい十三夜の月の下で聴くとぅばらーまは素晴らしい。シマ、水、アイスの三点セット持参で堪能しました。最優秀賞は市内大浜の東金嶺さんでした。
知り合いの市内大川のH.H.さんも出場しましたが残念ながら賞は逃しました。
とぅばらーまは2時間近く聴いていても飽きが来ない不思議な曲です。
テーマは、届かない想い。
サウダーヂとほぼ同じではないでしょうか。前出の「つんだら節」のテーマも似ています。
おそらく島分けの歴史がこのようなテーマを生むのでしょう。
唄と月を堪能して帰路に着きました。
翌24日からは鳩間島です。

鳩間の北の海
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民宿瑠璃にお世話になりましたが、母屋は畳が海水をかぶってしまい畳を干し続けている状態でした。
大きいフクギも倒れていますが、電気、電話とも復旧していたし、水道はやられなかったので(ここが大きい)、もう既に落ち着いている状態でした。今回は台風の目にも入り、その後の南東の吹き返しが凄かったとのことでした。体育館の窓ガラスは全部割れたそうです。
そんな中、早稲田大学の某サークルが7名、ボランティアで後片付けに大きな役割を果たし、島人から大変感謝されていました。明後日帰るという事で、明日は感謝の会をやろうということです。
今日は十四夜です。
相変わらず天気は良く、月も恐ろしいほど明るくなってきています。民宿瑠璃では毎晩おじいと飲むわけですが、今日はその後あまりに月がきれいなので学校前の歩道へ、シマ、水の二点セットを持って親父二人で月明かりの下で酒盛りをしてしまいました。心配していた食料も郵便船船長が公休日にも拘わらず運んできてくれました。
郵便船は係留中に沈んでしまい、現在引き上げて修理中で、人や物に被害はなかったということで一安心でした。
鳩間島では現在レンタサイクルばやりです。殆どの民宿がやっており、1日500円で何かと便利なので使わせてもらいました。
たまたま来島していた森口豁さん(光の島、瑠璃の島の原作とされる「子乞い」の著者、ルポライター)とお会いしました。
来年の4月に「子乞い」が舞台化されるということで、劇団スタッフ3名と一緒に現地を案内しています。東京では俳優座劇場(六本木)での公演(劇団文化座)です。是非行きたいものです。
鳩間島北の海は相変わらず素晴らしかった。水槽の中を泳いでいるようです。珊瑚も生きているし。この枝珊瑚が曲者で、不用意にしていると怪我をしてしまいます。もちろん裸足は論外です。
ただ、よく見ていると珊瑚の間に白い道があって、そこを縫って行けば二三箇所がんばってよいポイントに着くことができます。
今年は浦島太郎が乗るような海がめの遊泳を目撃しました。
さて、翌日は十五夜です。
本日から同宿の若者2名も加わって夕食を済ませたところ、おじいから月祭りのお誘いが。
母屋前の庭に行くと、それは食べきれないほどのご馳走が用意されています。知っていたら夕食は作らなかったのに。でも堪能しました。

月祭りのご馳走
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9時頃から公民館前で早稲田の学生の感謝の会を兼ねた観月会があるということで、おじいと一緒に皆で行きました。
ささやかにという筈でしたが、公民館前の音楽祭をやる広場に机、椅子、PAセットが大々的に置かれ既に数十名の人達がターキーのピアノで盛り上がっていました。

ダンスに興じる
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金沢さんいわく、「ゴッドファーザーに出てくるシチリア島のパーティのようだ。」。第二次秋の音楽祭のようなことになっていました。小生達も演奏で参戦です。
早稲田の学生に対する島人たちの感謝の想いが強かったことを感じました。関係ないけれどOBとして誇らしく思いました(金沢さん、劇団スタッフ1名もOBであります。)。
このような突発的イベントというものが鳩間島ではよくあります。
翌日十六夜は十五夜よりも月が丸くなりこうもりが飛び交っています(瑠璃の庭のガジュマルの木はこうもりのヤー(家)になっているようでぶら下がっている奴とよく目が会います。毛づくろいなんかしているようです)。

ぶらさがるこうもり
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夕食の用意をしていると、おじいが一緒に飲みたそうにうろうろし始めます。
今晩はターキーも交えてセッションです。

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28日に名残惜しい鳩間島を発って石垣島に戻ります。

勝おじいと一緒に
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T校長先生の車をお借りして、5月にライブをやった伊原間のたいらファミリーにお世話になりました。
この時点で、新聞は9.29県民集会の話題一色です。
鳩間島にいたときも公民館の放送で、郡民大会は石垣で行なわれ、そのための船便は片道タダ、桟橋から無料送迎バスもあるということでした。
小生は、行く前からライブでお世話になる玉城の大池さんの話も聴いておりことの概略は把握していましたが、本土では全くと言っていいほど注目されていませんでした。特にテレビはひどい。
沖縄戦における住民の集団自決を日本軍が強制した事実を記載した歴史の教科書に対して、文科省の教科書検定における検定意見が事実であるか疑わしいとのことで記述の削除を求めたことに端を発しています。
またかという感じではありますが、事実(当事者が現に多数いる。)を曲げる国の姿勢に沖縄県民全体が怒り心頭に発しています。
この日は、ファミリーのおじい、おばあと酒を酌み交わしながら、石垣島での戦争の話をお聞きしました。同時に来年5月のライブに向けて頑張ろうねという約束もいたしました。
翌29日は那覇へ移動してあさと御殿でのライブです。
帰り際、T校長先生は「僕らは命をかけてこの運動をやっている。」と語っておられました。一緒に行ったそばや(登野城にある「ルービー」というそばや。居酒屋でもあるらしい。石垣へ行く人、絶対お勧めです。)のおじいは「手榴弾は当時天皇の所有物とされていたから、これで自決したということは軍が強制した以外にありえない。」と語りました。沖縄県全体が熱く燃えているようでした。
問題が本質的なだけに、本土との温度差が恥ずかしいと感じました。
さて、那覇のあさと御殿は素晴らしい居酒屋です。

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元は首里のそばや「御殿山」の姉妹店なのですが、そば部門がそば博物館(三越裏)に移転して、現在は18時開店の居酒屋として営業しています。
特に「夕暮れセット」がいい。大生+カラカラ+充実料理三品でなんと1300円であります。
これを4名で頼むと料理が12皿並ぶことになり、これで十分になってしまいます。殆どの人がこれを頼んでいましたね。観光客は殆どいません。地元御用達です。
場所は国際通り安里三叉路のとがったところにあって分かりやすく間違えようがありません。これから来沖される方、那覇の夕食+飲みはここがお勧めです。料理も美味しいし、女将や板前さんも面白い。

女将さん
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ライブ前からおじさん連が飲んでおり、やはり話題は県民大会です。宜野湾のコンベンションセンターの広場に11万人が集結しました。小生は、ライブの準備もあり宿で実況中継を見たのですが、暑いのにも拘わらずものすごい人でした。
読谷高校の生徒の主張が心に残りました。
「記述に根拠がないと言った人達は、僕達のおじい、おばあが嘘を言っているというんでしょうか。」という言葉は重いです。
大会は戦争体験者から若い世代まで幅広い参加がありました。小生もできれば行きたかった。
文科省もこのままでは済まないと思います。
この重要な問題に対して本土のマスコミの対応の仕方は、マスコミ全体の体質も含めて問題だと思います。
大会の後、58号は大渋滞で、大会帰りのお客さんもいらっしゃいました。
友人達も来てくれて、サンバ中心の楽しいライブができました。

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もし、ここに来られた際は、ここから国際通りを渡った真向かいの「泡盛バー」に行きましょう。
店主の大城さんは、我々のライブのコーディネーターであり、シマの飲み方の案内役でもあります。
この日で金沢さんは本土へ帰る日程でした。ご苦労様でした。
翌日は、玉城(南城市)玉々庵でのライブです。
玉々庵は元々ATUXIの友人であった大池さんの自宅でもあります。県民大会の疲れも見せず勢力的に動いておられます。
ここでお会いしたのが、牛島満中将のお孫さんで、現在は東京で教師をしておられるU氏です。
牛島中将とは沖縄戦における第32軍司令官、つまりいわゆる沖縄守備軍司令官で、1945年6月23日に自決しています。その評価は分かれるところですが、U氏は沖縄戦に関しての調査を勢力的に行なっており、今回は県民大会参加も兼ねて来沖したとのことでした。牛島中将の孫という立場ならばということで語ってくれる方もいらっしゃるようです。今回も朝から晩まで勢力的に動いておられました。
「僕と祖父が似ているところは、酒を飲むとすぐひっくり返ってしまうところだけなんですよ。」と語る笑顔がとても素敵な方です。
やはりここでも県民大会の評価について議論になったのですが、ここまで行政も含めて全県的に抗議しているのだから、このままでは文科省も済まないだろう。しかし、ありがちな「県民感情に配慮して」という理由付けは事実を認めることに関して判断を回避しているのだから、そのような理由は注意しなくてはという意見には大いに賛同できます。
さて、ライブはあまりブラジル物にはこだわらず、ジャズスタンダード、邦楽、オリジナルと取り混ぜてのソロ演奏でした。
いつも楽しみなその後のセッションはベース、三味線、ギターの大池さんをはじめ、陶芸家でサックス奏者の哲雄氏、パーカッションとボーカルのJ氏等と完全即興で疲れ果てるまで行なわれました。

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陶芸家哲雄氏の工房
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というわけで、今回も得るものが多い旅だったと思います。
天気にも恵まれたのが幸いでしたし、県民大会に対する沖縄県民の感情の噴出には深い共感を覚えました。
今回の旅でお世話になった方々に深く感謝いたします。
こんなことを書いているうちに早くも台風15号が八重山に接近しているとのこと。
大変だとは思いますが乗り切ってまたお会いしましょう。
ではでは

東村の夕陽
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2008年02月15日

比嘉盛男Live at 野方

皆様、今晩は。
先日、突如として石垣島野底在住の比嘉盛男氏から電話があって、東京は寒いよ、石垣はどう。石垣はずっと雨だよなんて話していたのですが、実は今東京にいて、今日、明日ライブやるよと。
もっと早く知らせろと言ったのですが、まあ彼の性格からしてこんなものかなと苦笑してしまいました。
彼は、小生が鳩間島に行き始めた頃に知り合った十年来の友人で、鳩間島出身、本職は石垣島の大工、かつ三線の名手かつ楽しく迷惑(?)な飲み仲間でもあります。最近は随分、紳士的ですが。
昨年聴きに行ったことのある、中野は野方の「石垣島」でのライブ。

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19時半頃開始予定なので、19時頃行ったら、ステージ前のテーブルでは、年配の紳士淑女の方々が、完璧に出来上がっています。
隣の一番いい席に通されて、彼らと話していたら石垣市立伊原間中学校の同窓生だとのこと。
13時頃から飲み続けており、盛男氏もその頃から唄っていると。
そりゃ出来上がりますよね。
伊原間中学校は、小生の友人であるT先生が、現在校長先生をやっている学校で、授業で演奏をしたこともあり、よく知っている学校です。
そんなことも話していたらすっかり同窓生と思われて、帰り際に、盛男氏と一緒に八重泉一本いただいてしまいました。
しかし、どんなに出来上がっていようとも、八重山人は一旦演奏が始まれば、音楽に入り込みとことん盛り上げようとします。

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八重山人といわず、うちなんちゅはそういう方多いですね。
そういう方大好きです。
いつもの盛り上げ役の鳩間Sさんが風邪で欠席の中、花売り娘の代役を立派に勤め上げました。

この花売り娘はお客さん(特に男性)にキスのサービスをして回っていました。
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翌日、六期生だったようですよとT先生と電話で話していたら、盛んに懐かしがっておられました。
この夜は盛男氏も興に乗っていたのか、八重山民謡を多く唄い、なかでも、つんだら節やトバラーマは印象に残りました。
彼は昨年鳩間には余り顔を出さなかったようでしたが、今は現場が鳩間だとのことで、鳩間島の近況も話題になりました。
民宿Mの食堂を改築中とのことで、春には違う様子になるそうで、また待望の桟橋の待合室が3月には竣工予定とのことで、懸案だったトイレと日陰の問題はひとまず落ち着きそうです。
この「石垣島」は移転する予定で、今月中に閉店するとのことですが、4月には中野辺りに新店舗を構えて営業を再開するとのことです。
その際は、開店記念で盛男氏のライブが再びということになりそうです。
料理はきちんと八重山の家庭料理を踏襲していて、味も量もとても満足いくお店です。
東京の居酒屋のいんちき沖縄料理には閉口しているのでこういうお店はうれしい。
シマもちゃんと適当な値段で3合瓶を出してくれるし、これからも行きたいです。
さて、そんな中、春の八重山・沖縄ツアーの5月6日の休日、連休の最終日ですね。野底の盛男氏宅のオープンスペースで地元も巻き込んでライブやろうぜということに話が行き着きました。
ここは昨年行ったことがあるのですが、野底マーペーを正面に臨んで、とても気持ちのよい場所で、ここで野外ライブをやったらとても気持ちがいいと思っていました(昨年9月の訪問をこのブログでも取り上げています。)。
友人達とはいつもやっているので、PA機材は任せろと豪語しております。
ともあれ、友遠方より来たりてまた楽しからずやということです。
ではでは

2008年05月15日

2008八重山・沖縄ツアー・前編その1・第一回明石音楽祭

皆様、今晩は。
約2週間の八重山・沖縄ツアーから帰ってまいりました。
今回も色々なことが満載で、忘れないうちに書いておかねばと思います。
長くなりそうなので、到着から石垣を前編その1、その2、鳩間を中篇、石垣後半と沖縄を後編とします。
今回は、前編その1であります。

4月25日に石垣島到着。
ピアニストATUXIと合流。
貧乏なのできよふく泊で家飲みです。
彼は21日に石垣入り、キーボード持参なので、竹富、石垣辺りでぶいぶいいわせていたらしいです。
新たな知り合いも増えたとのこと。

さて、翌25日は晴天、前半ずっとお世話になるT校長の車を借りて、本日のイベント会場、明石公民館前広場へ。
石垣北部です。市街地から1時間ほどかかります。
途中、5月5日にお世話になる伊原間たいらファミリーで昼食。
島魚もりそば。
笑っちゃいました。

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会場となる公民館前は美しい芝生で広々としていて景色もよく素晴らしいロケーションです。
実は車を借りにT校長宅へ行ったとき、近所の鳩間S吉さん宅に浦崎Y先生もいて、今日はターキーも鳩間から来るよ、教頭も来るし、鳩間S吉さんも行くからねとのこと。
何だか大事になっているような予感が。
夕刻から、1時間で木組みの堅固で上等なステージができました。
ものすごい手際のよさ。
聞けば、エイサーをやっているし、他の地区にも貸し出しているとのこと。
入場料500円で飲み放題、明石公民館主催の音楽祭の始まりです。
夕陽が沈むのがとてもきれいだった。
最初は、明石の名物おじいのハーモニカ演奏。素朴で説得力がある演奏。

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そして、伊野田在住のフルーティストと急遽ATUXIとのデュオ。
野底在住の一人ベンチャーズ。
目を閉じて聴いているといいんだけど、見てしまうと、ちと寂しい。
そして我々。

ぶれててすみません
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気持ちよく演奏させてもらいました。
聴いている地区の方々もとても気持ちよさそう。
なんだか上品な野外コンサートのようですが、あまかった。
鳩間島組がごっそりやって来て、比嘉M、浦崎Y①、浦崎Y②、ターキー、田代Hその他からなるクバヌファーズがとりに控えます。
ステージから見ると、芝生の上のお客さんの背景は山、両側は海という絶好のシテュエーション。
客席から見ると、上等なステージの後ろは倉庫、しかも煌々と照らす蛍光灯の下でのクバヌファーズの連中の酒盛り丸見え状態。
このバランスの悪さがいいんだよな。
このクバヌファーズの演奏がすごかった。

ぶれてます
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浦崎Y①の正当派三味線と唄・笛に、比嘉Mの微妙にチューニングのおかしいギターが絡み、更に微妙にチューニングのおかしい田代Hの一期一会が絡み、浦崎Y②のバイオリンが不思議な旋律を奏で、ターキーを中心としてご機嫌にグルーブしていく。
たとえようの無い混沌不思議サウンドでした。

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途中から加治工勇さんも加わり、振り付けの先生も加わって鳩間の港です。

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初日からこんな盛り上がりになっちゃった。
終演後は公民館で打ち上げ。

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公民館の畳が余りに心地よいのでそのまま雑魚寝。
あるいはT校長のバイーア風住宅へ。
とても気持ちのよい音楽祭でした。
観光客率ゼロ%。
地区住民率80%.
是非第二回もやって欲しいです。

翌27日晴れ。
朝から鳩間から持って来たというやぎ汁です。
午前中ゆっくり休んで、午後からT校長の恩師の市内大浜の加川音楽スタジオ(アミスタと言います。)へ。
この日の昼に食べた、伊原間の新垣食堂の牛そばは大当たりでした。
きれいになった明石食堂に行列するのが全く理解できません。
そもそも行列が嫌いなので、行列を見ただけでパスです。
昨日の夕方行ったけれど、何でこれを行列して食べるの?
加川音楽スタジオは元教育関係者のご夫妻が作った手作り音楽スタジオ。
とてもきれいで、グランドピアノもあるし冷房もよく効いている。
昨日とまるっきり雰囲気が変わって、サロンコンサートの趣き、ご夫人のお客様が多い中で、とてもリッチな気分で演奏できました。

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昨日の伊野田在住のフルーティストの演奏もあって、小生も共演しました。
グランドピアノだったこともあって、アフターアワーズではATUXIの裏芸も炸裂。
とてもいい雰囲気でした。
ここでいただいた歌声喫茶ともしび(新宿ですよ。)監修の「うたの世界」という本が後々役に立つことになります。
第二回も是非やりたいとのことでした。
その夜の宿舎は、県立少年自然の家。
広大な施設に我々のみ。
余った食材を持ち込んで、やはりミュージシャンは家飲みです。
おやすみなさい。

2008年05月20日

八重山・沖縄ツアー中篇・鳩間島編その1・鳩間島音楽祭前夜祭

皆様、今日は。
今回は、中篇・鳩間島編その1です。

4月30日
今日は、鳩間島へ渡ります。
小生だけ、皆より一足早く午前中の船で渡ります。
しかし、昔に比べて一日に何便も高速船が出るなんて、なんて便利になったんでしょ。
鳩間島桟橋には、出来立ての立派な待合室、トイレ付きがありました。これで日陰、雨よけ、トイレの心配はなくなりました。来年には浮き桟橋も新設されます。
今年も、米盛さんの民宿にお世話になります。自炊ですが、なんやかんや差し入れてくれるし、これがまた美味しいものばかりでてんぷらとか刺身とか、食材は調達してあるのですが、あまり困ることはありません。それに今回はありがたいことに、うちの畑を使ってくださいと言われたので、ほうれん草とか葱、レタス等、野菜に困らないことが大きかったなあ。
この宿の食事場所兼飲み場所は、昼間は島で一番涼しいガジュマルの真下にあって(勿論外ですよ。)西表を臨む海を一望、夜、裸電球をつけているといい感じの飲み屋さんみたいになります。桟橋から一番初めの人家ですから、こちらから見ていると、誰が島に入ったか必ずチェックできます。
今宵は、夕食後、母屋で洋上のピアニスト、鳩間在住のターキーも交えて歓迎会。

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楽器を持ち出してきて、予想どおりの童謡・唱歌の大合唱です。このときは、鹿川音楽教室でもらった「うたの世界」が大いに役に立ちました。歌詞が分かるってありがたいね。
主さん、勝おじいの塩辛い声は健在で、鳩間の島人たちの特徴として、声が高いのと、こぶしが一瞬とても力強い裏声にひっくり返るのです。これで、「かーさん、おかたをたたきましょ」と唄ったときは面白かった。「たんとんたんとんたんとんとん」の「たん」がものすごい力強さでひっくり返る。「おじい、それじゃかーさん壊れちゃうよ。」。大爆笑。
穏やかな曲では、おじいの歌声にR子ちゃん涙ぐむ場面も。
いつも感じるのですが、米盛家の母屋での宴会はほのぼのとして、何だかとても懐かしい想いにかられるのです。自分達が小学生くらいの子供に戻った気分とでもいうのでしょうか。とても安心できて気持ちが安らかになるのです。
小生と同道する皆さんにはこれは本当にお勧めです。
ただし、いつもあるわけではありません。
楽しく静かな夜は更けていきました。

5月1日
雨がちの天気です。
止むのを待って、ATUXIはR子さんの手によって、出家僧のアタマとなりました。TV番組当時の川嶋美容室(単なるガジュマルの下ですが。本当はもう1本右のガジュマルだったらしいね)で。

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以降、芸術家から生臭坊主、あるいは悪徳和尚のようなキャラクターに微妙に変化していったと思うのは小生だけでしょうか。
さて、この日は、ユニ(バラス島のことを島ではこう呼びます。)でライブをやるという計画が持ち上がっていました。構想6年、天候の都合で今まで一度も実現していません。
そもそも、ユニは、珊瑚の残骸で出来上がった島で幅約10m長さ約200mくらいしかなく、当然木も1本もなく日陰、逃げ場一切無しの島というよりは突起物のような場所です。

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ここに渡って、ライブをやろうというのが、通事剛さん、加治工勇さんを中心に計画されていて、出演者は、加治工勇バンドと板&カズ、あつしなのであります。

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雨がちだから、中止かなと思っていたら、4時頃、桟橋にグラスボート(屋根がある。)が桟橋に付けてあり、お客さんも乗り、雨が止んだ隙を見て出港するとの声が。急いで支度をして飛び乗ります。装備は、撤収しやすいギターアンプ3台にマイク、キーボード、発電機。
珊瑚の残骸にドカンと船を付けて、雨が落ちてこないうちに始めましょう。
剛さんの挨拶の後、我々の演奏。ATUXI唄のLugar Comum、海の歌、気持ちいいな。ギターアンプにマイク差し込んでもこんなにいい音がするんだ。反響するものは何にも無いからね。

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ビールが配られ、何故か一人二人消えていきます。ただし、物陰というものは存在せず、あえて探せば、盛り上がった丘の向こう側しかないわけで。海の中で済ますのもありですが、今日はちと寒い。
加治工さんとターキーの演奏。

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彼の曲「イダ舟」。
昔はイダ舟に乗ってこのユニの脇を走って西表へ通い農に行ったという事実がモチーフになっている。ここでこの曲を聴いて、初めて曲の意味がわかったとともに、何故ユニでライブをやりたかったのかという鳩間人の執念が少しは理解できたような気がしました。
帰りは、北風で波かぶりです。
その夜、鳩間校の教頭が、音楽祭でやる学校生徒教職員の演奏を明日指導して欲しいということで、打合せに来ました。
K教頭は、明石の音楽祭にも来ていて、小生とは以前からの知り合い。だからそんな話は聞いていましたが、その後、音楽の先生登場。
過去の経験からいって、若い女の先生を期待していたら、若い男の体育会系の先生。
タクシー・シュウテンという名前ですね。
何だかあんまり打合せをしないで飲む、飲む。

5月2日
いい天気。今日は前夜祭です。
午前中は、昨日の約束どおり学校での演奏の指導へ。
音楽室舞台へ全員が上がって、ATUXIと小生は下の審査員席。
演奏後、講評。
演奏している人の楽しさがお客さんに伝われば、上手い下手は関係ないと思うので、元気付けるような講評をしました。でも今年の生徒達は元気があるような気がします。殆どが里子で、不登校の子が多いと聞きましたがとてもそんな感じは受けなかった。鳩間に来て元気になったんでしょう。講評後は審査員の演奏。
教頭先生から、特に一人、ギターに興味を持っている中3男子がいるから見てやってくれないかとのことで、放課後、クラブ活動が終わってから個人レッスンをすることに。
Y君は、明日弾く校歌のコードがどうもあっていない箇所がある気がするとのことで、質問してきました。正解!直して弾きましょう。そうこう教えているうちに、右手の使い方に興味がある様子なので、それも教え始めるとどうしても時間が足りません。もっと教えて欲しいと目が訴えているので、島にいるうちならいつでもいいよ。でも、彼は明日の音楽祭が終わった後の夕方の船で石垣へ渡り、那覇の親のところへ帰るとのこと。それならば、明日、学校の演奏が終わった後、我々の出番前にもう1回やろう。一人で練習できる資料も作って来るから。ということで、どうしてこんなに物事に真剣になれる子が不登校になるのかなあと思いつつ帰りました。
この日から、入島する仲間が増え始めます。
今宵は、前夜祭です。
前夜祭は音楽祭と同じ場所で行なわれエントリーすれば、誰でも参加できます。涼しくて一杯やりながら見るのは最高の雰囲気。
我々関係からは、イタイター、しろももキンチャンズの豪華即席バンドがエントリー。
ボントロ・タークンは、アドリブを吹きながら舞台を降りて客席の中に入って行ってしまうという前衛芝居的荒業を披露。大受け。本人曰く、何となくそんな気になってしまった。恐るべし前夜祭。
しろももキンチャンズは、パパ・ビゴーヂでの熱唱で男を上げたユーイチが、あの興奮を再びと熱唱。
明日の天気は良いそうで。
音楽祭がとても楽しみです。

八重山・沖縄ツアー・鳩間編その1写真・鳩間島音楽祭前夜祭

遅ればせながら、nino氏のご協力により写真がアップできるようになりましたので、5月2日分を作ってみました。

nino氏撮影

暮れ行く鳩間の港
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前夜祭にて

ユーイチの熱唱
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ボントロ・タークン
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タークン、客席乱入
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鳩間オールスターズによる鳩間の港
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踊る、踊る
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この夜、クバヌファーズのメンバーであり、三味線・笛の名人であるY.U氏の自宅で夜会が催されました。

これに先立ち、ヤシガニを見せてもらいます。
撮影後は森へ逃がしてやりました。
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Y.U氏とM.H氏によるコラボレーション
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M.H氏による早弾きの妙技
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唄いましょうね
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笛も吹いてみなさい
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おいおい、そこはちょっと違うんだよ
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舞う、舞う
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楽しそうな二人
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踊る、踊る
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夜会終了
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2008年05月26日

八重山・沖縄ツアー・鳩間島編その2・鳩間島音楽祭

皆様、今晩は。
中篇・鳩間島編その2です。

写真は1枚を除きnino氏撮影
5月3日
晴れ。
これぞ、晴れという良い天気。

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音楽祭当日です。
今年の我々のステージは、前から4番目ということがわりと早くから決まっていました。
これは、きっと早くからお客さんを乗せて盛り上げろという実行委員会の意思だと勝手に解釈して、サンバでガッツリ乗せようと考えました。
今年は初めから米盛さんの当主、勝おじいをステージへ上げて太鼓を叩いてもらおうと計画していました。
昨年、勝おじいは我々のステージの最後の曲に太鼓で飛び入りして、とても楽しかった思い出がありました。
元々太鼓の名手ではあるのですが、その暴れ太鼓のような打ち方と飛び入りするタイミングの悪さから、しばしば実行委員会から敬遠されがちだったのです。
彼も、昨年は飛び入りはしてみたものの「おじいが入ってよかったのかねー。」と後々まで悩んでおり、よかったよと随分元気付けたものでした。
それならば、今年はいっそのこと始めからメンバーとしてステージに上がってもらえれば問題ないし、ステージも絵的に美しいのではないかと。
島に着いた当日から、ことあるごとに、今年はこれで行きましょう、衣装も決めましょうね、かりゆしがいいですよなどと吹き込んでおりました。
ところが、本番の朝になって、緊張したのか、海を見ながら悩んでいるとのこと。
「島にはいろんなグループがあるからねえ、俺が上がってもいいのかね。」
気持ちは分かります。そこで、主だった島人達に相談すると皆、何の問題もないとのこと。
そこで説得に当たります。
しばらく経って、決意したのか、海を見るその足元はいつもの長靴ではなく、白い靴下を履いているぞとの報告が。
早速、我が女性陣が衣装を見立てに行きます。
これで行けるぞ。
午前10時。
昨日、指導した鳩間校の演奏(風の道「平田大一、アルベルト城間 作」、鳩間校校歌)がオープニングです。

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初めはちょっと緊張した様子でしたが、前を向いて大きな声で元気に唄えました。
昨日のこともあったので、聴いていて胸にぐっと来るものがありました。久し振りに。
願わくば、来年はアトラクションではなく、ここから音楽祭が始まるという位置づけにして欲しいです。実行委員会にお願いしたい。お願いしましょう。

オープニングの鳩間オールスターズ
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学校の演奏が終わってから、昼前、昨日約束していたY君の個人レッスンを学校で行ないます。
まずは、学校の演奏はよかった。お世辞じゃあなくて。ありがちな、学校の活動だから仕方なくやっているという印象は全くなかったよ。楽しそうだった。君達の気持ちは伝わったと思うよと感想を。
今日は、天気がいいから、音楽室より外のパーゴラの下の方が気持ちいいね。
今朝作成したアルペジオのパターンと基本的なコードの資料を基に、約1時間のレッスン。
一生懸命の演奏。
今度は何時来られますか。
近くにいてあげることができればもっと教えてあげることができるのにね。
近いうちにまた会えるだろうから、練習しておいてね。
興味のあることを伸ばしてあげるということは重要だと思います。
さて、昼になって、石垣からの高速船も続々と入港して、島は大変な賑わいです。

パトゥマムゥトゥ口説
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鳩間千鳥節
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何故か太陽の周りに丸い虹が。不吉なことの前兆と言われているらしいですが、この日ミャンマーでサイクロンの被害が、そしてその後四川省の大地震が。
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我々のパパ・ビゴーヂを中心とする石垣からの応援部隊も到着して、準備万端。
それにしても暑い。
過去の経験からいって、ここはプログラム外の出来事が何が起こるかわからないので、早めに準備をしておくことが肝心です。
今年は順調です。
バンド名は「イタイカズシと愉快な仲間」・・・・・・
イタイカズシという固有名詞になってしまいました。夜になると不愉快な仲間になるらしい。
いびきのことかしら。
しょっぱなの曲から会場を盛り上げようと考えていたので、Samba De Esperancaのラヤラコーラスで乗せます。

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勝おじいは、女性陣の衣装合わせの結果、KAZUの派手シャツで登場です。
直前に演じられた、鳩間の年長者によるパトゥマムゥトゥ口説を終えて舞台袖で着替えて、太鼓スタンバイ。
ラヤラコーラスは手も左右に振り、唄ってくれています。

勝おじい
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そして、テンポ早めのサンバエンヘードへ。
客席部隊の盛り上げもあって、早くもお客さんの大半が立ち上がって踊っています。
勝おじいは、ここぞとばかり八重山太鼓を打ち鳴らします。
驚いたことに、サンバの曲は知っているはずもないのに、グルーブが合っているし、きれいにブレイクも決まります。
さすが、芸能の島の古老ですね。

唄う
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打つ
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客席も進むにつれてどんどんヒートアップしていきます。
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盛り上げてステージを終えました。汗だく。
気持ちよかった--------------。

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以降、会場の盛り上がりはそのままで更にヒートアップし、終演まで突っ走りました。
たぶん実行委員会はこういう流れに持って行きたかったんでしょうね。
プログラムの組み方は正解でした。
会場と一体となって音楽を演奏できることは本当に気持ちがよいですね。
細かいことは一切抜きでいいでしょう。これがライブの醍醐味です。
勝おじいも満足した様子、と言うか燃焼しきった様子で、いつもの乱入の気配はありません。
演奏していて、八重山太鼓と何の違和感もなくコラボできた感がありました。
正直言って、合わなくてもバテリアの音に隠れてしまえばと思っていましたが、今にして思えば失礼な話。
補佐役としておじいの隣の立ち位置で頑張ってくれたR子ちゃんの力も大きかった。
念願の八重山太鼓との共演も適い、音楽的にも本当にいい演奏でした。
早く演奏を終えたので、早くから飲みに入れます。
地元の知り合いとじっくり飲みました。真夏のような太陽の下でシマを。
今年、特に印象に残ったのは、鳩間在住の仲宗根豊さんの唄が聴けたこと。

仲宗根豊さん
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宮古出身の彼は、しばらく音楽祭からは遠ざかっていたのですが、今回、満を持して登場しました。
さすがに素晴らしい演奏。
なりやまあやぐをはじめとした、宮古の唄を八重山で聴くことは特に趣がありますし、子供たちの踊りも素晴らしいものがありました。
そして、西表在住の池田卓さんの民謡とオリジナル。

池田卓さん
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島唄をエネルギッシュに、それでいてじっくり聴かせるところは聴かせる、そして声がいい。
ステージングも好感が持てるものでとてもさわやかな印象を受けました。
八重山はこういう若手がいるから、島唄がすたれないんだろうな。
そして、トリはやはり我が兄弟小(ちょーでーぐゎー)バンド、クバヌファーズ。
明石で共演以来勝手にこう呼ばせてもらっています。プラス加治工勇、鳩間可奈子で会場総立ち。

クバヌファーズ
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我々のステージも含めて、皆、今年は今まで一番楽しかったと言う声が殆どでした。
プログラムの組み方がよかったのと、早くから組んであった(年によっては当日ということもありました。)という点が大きかったと思います。
午後5時になると、帰りの高速船が続々とやって来ます。
出演者、お客さんは全員桟橋へ移動して音楽で見送りです。

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今年も来れてよかったなあ。
島に残った人達は、後夜祭です。
無礼講です。
どんどん演奏します。

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そして、その後は、おうちで続き。
お祭の夜は、ある程度騒いでも(良識ある範囲で)許容範囲です。
Y.U.局長とM.H.氏来訪。
小生もアダナシへも急襲したような記憶が・・・・・・
この辺りになるとあまり記憶がない・・・・・・・・
ということで、充実したよい一日でした。
続く

2008年06月01日

八重山・沖縄ツアー・中篇、鳩間島・伊原間編その3・第二回伊原間音楽祭

皆様、今晩は。
中篇、鳩間島・伊原間編その3です。

写真は殆どnino氏撮影

5月4日
今日もよく晴れています。
昨日は遅くまで騒いでいたので、寝坊する雰囲気でしたが、朝6時30分、音楽祭実行委員長K.T.氏が「後片付けをしますよー。」と家々を回って来ます。「板垣さんもお願いしますねー。」と名指しされては行かないわけにはいきません。たたき起こされた状態で、テントやステージの片付けのために会場へ。朝食も摂らずに朝から力仕事です。
おかげで、涼しいうちに8時までには終了し、その後はぶがりなおし。要は打ち上げです。朝から飲みます。ま、適当に。
この日は、夜まで特に予定もなく、天気も良かったので、西のビーチへ行ったり、北のリーフへ行ったり、散歩したり、昼寝したり、皆思い思いにのんびり過ごします。
この静かなのんびりした鳩間島はとてもお勧めです。
今夜は、毎年Sさん宅の庭でミニコンサートをやることになっていて、午前0時を回った時点で、5月5日が誕生日である島在住のピアニスト、ターキーの誕生祝をとりおこなう事が恒例になっています。
ケーキを作りたいところですが、島には材料がないので、毎年女性陣が苦労して何とかそれらしきものを作って、昨年はろうそくがなかったので、U家のトートーメー(本土の仏壇ですな。)のろうそくを拝借しておりましたが、今年は気合が入っており、上等なものができる様子。
ところが、肝心の本人がU家もろとも石垣へ出かけてしまったとのことで、不在。
これには「えーーーーー。」
ただ、明日の伊原間のコンサートに出演するとのことなので、ちゃんと誕生日にはお祝いできるわけで、とりあえずほっとします。
午後からは、今日の午後便で戻るにんにく大王の見送りパゴーヂを瑠璃のお庭の食卓で開催。
この瑠璃の建物は、TVドラマ「瑠璃の島」の撮影の際に、スタッフの宿泊用に建てられたと記憶しているのですが、桟橋から上がって一番初めの人家ですから、見晴らしが抜群で、特にこの庭の食卓は毎食利用するわけですが、巨大なガジュマルの下はとても涼しく、よい風が吹くのです。日なたとは温度が5度くらい違うんじゃないかな。
そして、この食卓を囲んでの大王見送りテーブルパゴーヂ、最上の音がしました。

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弦楽器の音がとてもクリアでよく響く。
やっぱり生音はいい。
最高にゴージャスな時間を過ごします。
金のかかった豪華リゾートホテルなんかとは次元が違う(もっとも行ったことがないのでよく分かりませんが。)贅沢さ。

大王の見送り
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船出
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そして、夜は恒例S家でのミニコンサート。
この夜は、連日の出来事で皆の疲れがピークに達していたのか、演奏中に眠気が襲ってきます。
演奏している場所が暗いせいもあって、段々意識が朦朧としてきて、これはいかんと声を大きくして唄うのですが、後で聞いたら何故か演奏者が全員同じ瞬間に意識朦朧となった瞬間があったとのこと。でも手は動いている。
小生はこのとき、視界の片隅を何か白いものが横切ったような感覚を覚えました。
何か来たんでしょうか。
ま、写真を見てやってください。

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終了後、また庭の食卓で飲み直してこの日は熟睡。

5月5日
この日から天気が崩れるとの予想でした。
案の定、雨雲がやってきて、やがて大雨。
よくバケツをひっくり返したとの形容をしますが、まさにこのことでしょう。
桟橋への道が川になっているし、外に出ればそのままシャワーを浴びることができます。
でも、鳩間はこの雨がたまるところはないのです。それで昔は苦労していました。
今日は石垣は伊原間のコンサート。
大丈夫なのかな。
午前中の便で石垣へ渡ります。
今年の音楽祭は皆本当に楽しんだようでした。
今までで一番楽しかったとの声が殆どの人から聞こえてきました。
音楽祭もさることながら、島人たちとの交流も皆で出来てとてもよかったと思います。
放っておけば住民がいなくなってしまうような過疎の状況の中、島人達が強い意志を持って守っている伝統芸能の宝庫の島です。
ここでブラジル音楽をやるということに対して、沖縄の音楽が好きなだけに、始めはとても躊躇しましたが、気持ちよく受け止めてくれた島人たちのおかげでこうして今まで楽しく交流できています(きっかけはこのブログの沖縄編にありますが。)。
島人は、伝統芸能に対してはとても厳しいのですが、音楽が大好きです。音楽を大切にしています。
スタイルの違いはあっても、音楽に対する尊敬の念は変わらないのです。だから、この島で演奏することは自分達の音楽に対する尊敬の念を試されているような気がします。
そして、音楽で交流できた時点から深い深い付き合いが始まるのです。
楽器が出来ないとか、ミュージシャンではないからとかそんなことではありません。
一緒に大声で童謡・唱歌を唄えればいいのです。
正式なイベントとしては、音楽祭だけでしたが、やはり鳩間島で過ごす日々が最も印象に残りますね。
雨の桟橋を後にします。
さよなら、みーなーとー。

今日は、石垣北部、伊原間はたいらファミリーでのコンサートです。
大揺れの高速船で石垣港へ着く頃には雨も小降りになっています。
久し振りのT校長の車。またお世話になります。
こんな雨でもやるかね。去年は、あっという間に道にまで客席をこしらえてしまった地区のことだから、たぶん雨除けの大仕掛けを考えているだろうな、屋根でも作っちゃうんじゃあないのなどと話しながら市街地から車で50分ほど。たいらファミリーへ。
案の定、会場の庭に公民館のテントがびっしり設営され、足りない部分はブルーシートで屋根が出来ています。芯棒の木がゆらゆら揺れていますが、こういう方が風には強いとのこと。なるほど。
ここは、昨年に続いて2度目のコンサートです(昨年の様子はこのブログの沖縄編にあります。)。
昨年で様子が分かったようで今年は更に気合が入っているようです。
翌日が休日ということもあって、お客さんも地区の皆さんを中心としてぞくぞくと集まって来ています。
我々は、関係者も含めて総勢20名ほど。
宿も食事もお世話になります。
ここは石垣の屈指のP.A.業者が入り、音響もいいし、何より公民館を中心とした地区の方々の手際がものすごくよいのです。
どんな状況でもなんとかしてしまうイベント慣れ民族です。頼りになります。
昨年と同じように、演奏が始まる夕方頃には天気が回復してきました。
行くぞー。

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今年は、ブラジル音楽に加えてオリジナルサンバ歌謡(KAZU作詞、小生作曲)もがっつり演奏しました。

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特に、パパビゴーヂで初演した「オッブリガードな世界」は、フレーボのリズムで分かりやすく踊りやすく、しかもカチャーシー(早節)とテンポがほぼ同じということもあって、全員総立ちで踊りまくり。大受け。

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対バンは、昨年は美崎町の民謡スナック浜辺のバンドでしたが、今年は昨日石垣へ一足早く渡ってしまったターキーを始めとする、鳩間M.比嘉バンド!!
島唄を中心として素晴らしい演奏です。

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たいらファミリーバンド
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そして、今年はとても素敵な芸能を見させていただきました。
宮城さんの「職業口説」。
ま、写真を見てください。

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唄と踊りですが、普段は真面目そうで静かなおじさんが、ステージに上がると一変。
八重山・沖縄はこれがあるから面白い。
交通安全ネタで有名、啓蒙活動で表彰も受けているとのこと。
普段は、美崎町の民謡スナック「島育ち」に出演しているようで。
今宵は、観光客相手ではないので、思い切り長くやったようでした。
本当に笑い死ぬかと思いました。
大変によいものを見させていただきました。
とてもよい雰囲気で、そして、お客さんも皆はじけて楽しみました。
パパビゴーヂで友人となった白百合醸造元の池原さんや鳩間でご一緒したミュージッシャン、パパビゴーヂのお客さんたちも急遽駆けつけてくれました。
そして、鳩間の島人たち。ありがとうございました。
晴れて、ターキーの誕生日祝いが出来ました。

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今年は、この伊原間、明石と石垣北部で演奏できたことが貴重な体験でした。
来年も、更に深く交流したいですね。
ではでは

2008年06月07日

八重山・沖縄ツアー後編・パパ・沖縄本島編

皆様、今晩は。
いよいよ旅も終盤です。

5月6日 
予定では、野底のM.H.氏宅で、コンサートをやろうかという企画でしたが、予定が合わず、急遽、パパ・ビゴーヂで2回目のライブ、ただ、4月29日と同じことをやっても芸が無いので、テーブル・パゴーヂをやろうと、生音で。それも、地元のミュージッシャンにも参加してもらって飛び入り有りで盛り上がろうという企画になりました。
この旅で、生音の気持ちよさ、飛び入りの面白さ、ジャンルのチャンプルーの楽しさをさんざん味わってきた集大成です。
急な申し入れに快諾していただいた、パパ・Mさん、ありがとうございました。

さて、ブラジル街角音楽団一行は、楽しかった伊原間を後にして、軽のライトバン・校長車でせっかく北にいるのだから、石垣の北端、平久保灯台、平野集落へ行って、西回りで市街地に向かおうと、ついでに野底のM.H.氏宅にも寄ってみようと、のんびり出発しました。
石垣島の北部は、殆ど走っている車も無く、信号も無く、快適なドライブです。

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サンバ歌謡新曲「オッブリガードな世界」は、どこでやっても大受けだったのですが、その歌詞で「たけしもあつしも空元気」というくだりがあって、あるとき、なぜかATUXIが「・・・空元気・・・」と唄ったあとに「わーーーーーーーーー」と大声で発声したのがはまっていて、以降我々の間で突然「わーーーーーーーーーー」と大声で叫ぶのが面白くなっていました。
いいおっさんがね。
平久保灯台で、あまりの見晴らしのよさに気持ちがよすぎたのか、KAZUが、「わーーーーーーー」っと。
近くにいたご夫婦がびっくりして「何かあったんですか!!!」。
そりゃそうですよね。
ごめんなさい。

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野底のM.H.氏宅からは、野底マーペーが真正面に見えます。

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十五夜の頃は、マーペーから月が上がってきて、それを眺めながら、飲み、唄うとのこと。
最高でしょうね。
この季節、石垣の西ではもずく採りが最盛期です。
この日の宿は、鳩間島へ渡る前に飛び込みで急遽決めた場所。
ここは絶対にお勧めの場所です。
安くて、広くて、きれい。パパ・ビゴーヂまで徒歩1分。
官公労共済会八重山会館(沖縄県官公労共済会福利厚生施設)です。
大当たりでした。
この夜は、池原コーイチさん、レンさんをはじめ飛び入りの方々も多く、また、鳩間島でご一緒した方や、伊原間でご一緒した方や、お店のお客さんもなごみまくって、曲の説明もしないでどんどんサンバを唄っていきました。

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4月末から石垣・鳩間でサンバをやってきて、ここでサンバをやるのが、パゴーヂをやるのがものすごく自然なことのように思えて、何の気負いもなく、力も抜けて皆さんと楽しい時間を過ごすことができました。
テーブル・パゴーヂ、投げ銭方式はお店としては初めてということでしたが、とても楽しかった。
この方式もまたやりたいですね。
パパ・Mさんはもちろんのこと、島の皆さんに本当に感謝します。

5月7日
今日で、KAZUとR子ちゃんとはお別れ。
小生とATUXIは沖縄本島へ渡り、那覇でライブです。
お疲れ様でした。
桟橋通りを、鳩間島のU兄弟が港へ下って行ったのを見たよ、一昨日とおんなじ服装だったよとの報告が。
終わったんですね。

さて、心機一転。
ついでに、小生デジカメがバッテリー切れのため、写真がありません。
何卒ご容赦を。
とともに、素晴らしい写真を提供してくださったnino氏、ありがとうございました。

今日は、那覇は東町「サクレ」でのDUAS INTENCOESのライブです。
ここはグランドピアノがあって、普段はママさんがJAZZの弾き語りをしているお店です。
昨年に続いて二回目のライブ。
おかげさまで満席です。
ママさんの唄が、すごくよいのです。去年も感じましたが。
声が魅力的で、まだ若いのに自分のスタイルを持っているし、プレイヤーとのインタープレイも緊密で。
東京にもこんな人はあまりいませんよ。
当然、ゲストボーカリストとして数曲唄ってもらいました。
Black Nile(ウェイン・ショーターの曲です。)のボーカル版は始めて聴きました。
今度は、ママさんをメイン・ボーカリストとしてステージを組んでみたいですね。
ただ、この場合は、臨時ママさんとして浦添在住のN子さんの協力が不可欠ですが。
そして、この夜から翌朝にかけて、ちょっとしたアクシデントがあり、N子さんに助けを求めることになります。
お世話になりました。
本当に助かりました。

5月8日
長かったようであっという間に過ぎてしまった感もある八重山・沖縄ツアーも今日が最終日。
南城市は玉城「たまたま庵」でのライブです。
移動途中の昼ごはん。
豊見城の「最強食堂」、確かに最強ですな。
お勧めです。
「たまたま庵」、ここは我々の友人、O氏の自宅でもあり、お客様は地元の方100%です。
いつもライブ後は、地元ミュージッシャンの方々とジャムセッションになだれ込みます。
この展開が、いつも凄い。
誰かがきっかけを出して、お互いの音を聴きながら、フリージャズ状態へ。
コルトレーンからマッコイ・タイナー、登川誠仁からデレク・ベイリー、モードジャズから童謡、
クラシックからハイサイおじさん、70年代フォークから島唄、反戦歌からスゥィング・ジャズへと、力尽きるまでフリーセッションデスマッチ!!
小生も疲れから朦朧としながらも手だけは動く。
そういえばこんなことあったな。
燃え尽きました。

5月9日
帰京の日です。
この日の昼ごはん。
豊見城の「海洋食堂」
ここも素晴らしい。
隣で食事をしていたおじさんの、スパゲッティナポリタンのようなものが実に美味しそうで、食べたいなーと思ったのですが、お品書きのどこを探してもそれらしいものはありません。
あとで、N子ちゃんに聞いたら、それは焼きそばだろうとのこと。
沖縄の焼きそばは、沖縄そばを炒めますが、南部ではケチャップで味付けをすることがあるとのこと。
そういえば、確かに箸で食べていたな。
具は何が入っているんだろ。
気になる。
閑話休題。

思えば、沖縄の音楽、八重山の音楽が好きになって、十数年。
そして、この地で自分の音楽を表現できるようになって、多くの人達と知り合って、色々な状況があること、地域の事情、地域の人達のつながり方、やまとに対する「うむい」、芸能への接し方、芸能の愛し方、そして何よりも、生まれ育った沖縄・八重山を慕い尊敬する心を、訪れるたびに吸収させてもらっています。
自分が音楽家であるゆえに、こういう接し方しか出来なかったとは思いますが、暖かく受け止めてくれて、時には戒め、時には教えてくれて、そして殆どの時には一緒に音楽することや、生きていくことの喜びを共有してくれた沖縄・八重山の方達。
あなた達が大好きです。
ありがとうございました。
また、一緒にやりましょう。
近いうちにね。
ではでは

2008年07月09日

うちなージャズマン

皆様、今晩は。

毎年、もう恒例となった感がある、旧暦八月十三夜から十五夜を中心とする八重山ツアーの企画を立てています。

旧暦8月13日(新暦9月12日)は石垣島で、とばらーま大会が開催されます。
これを楽しむことと、鳩間島で十五夜を過ごすことが毎年の大きな楽しみなのです。
もちろん、前後に演奏の仕事もしなければいけません。

で、今回初めてライブでお世話になりそうなお店がありまして(まだ、決定ではないので残念ながら名前はふせます。)、ここは、今年の春の八重山・沖縄ツアーのつながりから話が出てきたものです。
石垣島にあるこの店のオーナーでマスターのバンドリーダーのUさんは、始めに名前を聞いたときから何か引っ掛かりがあるなと思っていました。

電話で話しました。
「Uさんて、昔、芭蕉布にいませんでした。」「いたこともありますよ。」「笛も吹きますよね。」「はい、キーボードとかフルートも。」「手品、得意でしょ。」「うん、それは僕の常套句だよ。」
まだ、子供(中三女子)が小学校に上がる前に、何回か連れて行った民謡酒場「芭蕉布」で演奏していた方でした。
子供に手品を見せて、彼女が喜んでいたことが思い出されます。
その何年か前にも、閉店後に一緒に美崎町に飲みに行った記憶もあります。
このブログにも書いてありますがで、おばあと一緒に芭蕉布で飲んでいた頃じゃあないかな。
その後、芭蕉布にも行きましたが、彼は既に辞めていて、民宿を開くとの噂を聞いたものでした。
もう十年くらい前のことです。
盛んに懐かしがって、「会いたいねー。」
小生も同様。
その後、鳩間島に入っていったわけですから。

ベース(米軍基地ですね。)上がりの生粋の、うちなージャズマンです。
うちなーのジャズというのは、本土から輸入されたものではなく、占領された後に生活と密着して育ってきたもので、とても興味があります。
当然、ちゃんぷるーが根底にあるわけで。

うちなーんちゅはとてもジャズが好き。
ジャズナンバーのリクエストをいただくこともよくあります。
小生も、昔はジャズをやっていたこともある身。
今は、自分なりにジャズナンバーをとらえて演奏したいと思っていますし、ATUXIという強力な仲間もいるし、こんな形で交流できてもいいかなあと思います。
飲み屋さんと併設で民宿もやってるよと言ってました。

そういえば、屋久島で今月末に演奏するお店のマスター、Fさんとの出会いも似ているな。
彼の場合は35年位前ですけれど。
続けていると面白いことってありますね。

ではでは

2008年10月03日

2008.台風13号の八重山・沖縄

皆様、今晩は。

9月22日に秋の沖縄・八重山ツアー約二週間の旅から帰ってきました。
今回は、出発する前の懸念的中。台風13号によってかき回されました。

那覇、「サクレ」は美可さんのボーカルを大きくフューチアして、とてもジャジーな演奏が出来ました。
彼女のボーカルは声、雰囲気、ノリとても素晴らしい。
三回目の共演になりますが、より息が合ってきて、近いところにいればレギュラーでやりたい感じです。
そして、翌11日は、おなじみの南城市は玉城、「玉々庵」へ。

この頃から台風を感じさせるおかしな風が吹き始めます。
ライブは、こじんまりした中にも新しいお客様もいらっしゃって、地元ミュージッシャン代表、T.I.さんがセッションで大活躍。
主さんのOさんもベースや三味線で参戦します。

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さて、翌日からが問題。
12日、13日が八重山を台風13号が直撃ということで、しかもジョギング並みのスピード。
石垣行きの便は全便欠航です。
沖縄は、時々風雨があるものの静かな天気です。
こうなったらどうしようもないので、翌日もライブ。
連日来てくださった方、ありがとうございました。
結局、飛行機が飛ぶ14日までOさん方にお世話になりました。
Oさん、Cさん、Nさん本当にありがとうございました。
おかげで、ゆっくり読書したり(玉々庵には沖縄関連の図書が豊富にあるのです。)、玉城近辺を散策したりすることが出来ました。

城(ぐしく)跡
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結局、13日に予定していた、石垣「パパビゴーヂ」のライブは中止です。
もっともこの日、石垣は出歩ける状況ではなくお店も休業したということでした。
残念。

ようやく14日は飛べるということで、那覇空港へ行ったら出発ロビーは大混雑。
台風のせいかなと思ったら、ANAのコンピューターシステムがダウンして、手書きで手続をしているため入場制限をしているとのことで、ダイヤはめちゃくちゃ。
乗るまでに数時間も待たされます。
ところが乗った飛行機はがらがら。
石垣空港は、強風のためにいつもとは逆の方向から着陸します。

着いたところで、何時もお世話になっているT校長先生から夕方、大川のS.H.さんのところへ来なさいと電話。
お馴染みの野底の唄者M.H.さんもよい加減でご機嫌で。
どうも歓迎会だったようです。
S.H.さんお得意の烏賊料理を堪能しました。
明日は船は走らんだろうねとの予測。
とばらーま大会が台風のために明日15日に延期されたので、それだけでも見ようかという気になっていました。

翌朝は、強風ですが南風。
朝、鳩間のK.U.さん(安栄の代理店もやっています。)から、1便が走るとの電話が。
迷いましたが、ATUXIは初めてのことでもあるし、とばらーま大会(結局市民会館開催でした。)を見たいということで、小生一人で先に鳩間へ渡ります。
買い物をしている時間はあまりないので、とりあえず米、キャベツ、ナーベラーだけを背負っていきます。

渡った日は、南風の強風で海沿いの家は窓を開けることも出来ませんでした。
翌日からは天気が回復してようやく鳩間島らしい天気になってきました。
朝、米盛さんと民宿Mのおやじさん、K.T.さんが何故か北海道から直送されてきた秋刀魚の刺身を肴に飲んでいます。
小生にも声がかかり、昨日は敬老会をやってその後音楽会をやったのだが、あんたは来なかった。
せっかく島に来ているんだから音楽会をやろうではないか、ちょうど島の片付けの手伝いに学生も来ていることだから、今晩公民館でやろう、俺が段取りをつけるからと音楽会開催即決です。
実に鳩間らしい決まり方。

1便でATUXIが石垣から渡ってきました。
天候はよいのですがひどく船が揺れたということでかなりへばっています。
今宵の音楽会は、公民館主催の交流会という名目でお客さんも数十名とかなりの賑わい。
我々の演奏と、ちょうど島に来ていたオーストラリアの原住民、アボリジンの民族楽器、ディジュリル(長い筒を地面に据えて長い音を息継ぎせずに噴出す楽器です。)との即興演奏、三味線の達者な観光客
の方の演奏、そしておなじみ加治工バンドの演奏と、楽しいコンサートになりました。

ディジュリル
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交流会の加治工バンド
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聴衆の皆さん
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やっぱり最後は鳩間の港
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今回は、滞在期間も短いので食料を予め送るということはしないで、石垣で調達したものと浦崎商店にあるものでしのごうと思っていました。
例えば着いた日の昼食はキャベツと魚肉ソーセージの炒め物にキャベツの味噌汁。夜は魚肉ソーセージと玉葱を使った焼き飯とキャベツの味噌汁。
翌朝は魚肉ソーセージと玉葱を具材にしたソーミンチャンプルーとナーベラーの味噌汁とか、似たようなものですがなかなか美味しく食べれます。
玉葱とじゃがいもは売っているし、たんぱく質系は魚肉ソーセージとポークを売っているし、スパゲッティやら何やらあるし、台風で畑の野菜は使えませんでしたが、あまり不自由に感じませんでした。
そして何よりも、米盛さんをはじめ色々と差し入れがあり、これがご馳走。
刺身、てんぷら、豆腐、焼き魚等々
昨年のように十五夜の月を拝むことは出来ませんでしたが、やっぱり鳩間は楽しいです。

北の海は荒れていてもぐることは出来ませんでしたが、野生の山羊の群れと遭遇。
ボスは大層立派な角を持っているオスで、さすがに迫力がありました。

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翌日は朝から晴れて暑くなりました。
午後から学校の特別授業をやることになっています。

校庭
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昨晩、教頭先生を初め音楽の先生らと、どのような授業を行なうかを議論して、ブラジル音楽、民族楽器ディジュリルとの即興演奏、そして身近にあるものを楽器にしてみようという体験型授業を企画しました。

講師
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ディジュリルは吹く楽器なので、塩ビパイプのような筒型のものなら同じような吹き方で音が出せます。
打楽器としては、筒、例えばトイレットペーパーの芯やラップの芯を使ったガンザとか、叩きものは、ゴミ箱、やかん、じょうろ、洗面器等々。
演奏しながら、世界地図を使って音楽の出所の説明をしながら楽器体験に進みます。
始めは恥ずかしがっていた子供達も、段々乗ってきて興味津々、最後は奪い合うように楽器に触り始めました。
そして、今授業でやっている「島人の宝」を皆で合唱します。

何だか5月のときよりも子供達はいっそう元気に、人懐っこくなっているように感じました。
我々のことを覚えていてくれて積極的に話しかけてきてくれます。

夕方からは、5月にも教えたY.H.君のギターの個人レッスン。
レッスン前に、島に来ている学生達のコーチによる陸上のクラブ活動(生徒全員参加です。)を見ていたのですが、みんな頑張る、頑張る。1000m走を何本もやったり、短距離走も全力で。
見学している小生の後ろで低学年のちびちゃんたちと女の先生がきゃっきゃやっていたりしますが、全ての子供達に皆の暖かい視線が向けられているのがよく分かります。
Y.H.君は長距離走の後、着替える時間も惜しんでそのまま音楽室でレッスンです。
5月に教えて以来、毎日熱心にギターを弾いているそうで、今回のレッスンもとても楽しみにしていてくれたそうで、日が落ちるまで1時間強、アルペジオを中心として、昼間皆で演奏した「島人の宝」を素材にレッスンを進めました。

鳩間小中校は現在、生徒数9名。そのうちY.H.君を含む4名は中三なので来年卒業して島を出て行きます。また中学に進学する1名も沖縄の学校に進学するということで来年度は生徒数が4名になってしまいます。
入学したいとの引き合いは結構あるらしいのですが、里親のなり手があまりなくなってきているとの問題があります。
里親を始めた人達が高齢になってきて、受け入れが難しいという問題があります。
山村留学センターのような機関があればなぁとは思います。
Y.H.君も来年は沖縄の高校に進学したいということで、将来はサッカーかギターをやりたいとのこと。
頑張れよ。ちばりよー(沖縄の方言で)。

夜は、教頭先生をはじめ先生方と打ち上げの酒をいただきました。
米盛家差し入れのご馳走が大変ありがたい。

北の海が荒れているので、対照的に全く静かな学校の外側の遊歩道の端から南の海へ入ってみましたが、以外に面白いことを発見しました。
北のように緊張することや痛い思いをすることは全く無く、300mほども泳げば、珊瑚もきれいで、魚も、北ほどではないにせよ色々と現れます。
この日は好天でしたが、北西の風が強く、上原航路は欠航でした。

翌日は、鳩間から石垣に渡ります。
鳩間は特に予定はないのですが、突然のイベントが入ったり、飲み会があったり何時も何だか忙しいのです。

時間があるから練習しようぜと、渡る前はATUXIと言っているのですが、行ってしまうと練習するような景色じゃなくなるんですね。
子供達が元気なこともよかったし、やっぱりここはいい。
一切の無駄を削ぎ落とした生活がおくれることと、情報ではなく、人と向き合った生活ができるということが魅力なのかな。

ここで、一つ報告を。
来年2月を目標に、鳩間島としての芸能公演を東京、大阪で開催することを企画中とのこと。
1000人規模のホールで、収益は島興しのための基金にしたいということで、着々と準備を進めています。
具体的な話になりましたら、皆様ご協力よろしくお願いいいたします。
とりあえず、第一話はここまでで。
ではでは

2008年10月18日

台風13号の八重山から戻って、その2

皆様、今晩は。

午前中の船で鳩間島を出発し、その日は石垣は美崎町の「S」というスナックで演奏するため、ミュージッシャンでもあるれんさん、ミヤコさんご夫婦が営む民宿「楽天屋」に投宿します。
石垣中心街にあるとてもスローな宿で、ミュージッシャン割引料金があるのがとても嬉しいのですが、それにも増してこの後、お二人には大変大変お世話になり感謝の言葉も無いくらいなのです。

まずは、美崎町の「S」。

5月に演奏して、良くも悪しくも想い出に残った場所なのですが、連絡の取れなかった店とやっと連絡が取れたと思ったら、なんとママさんが今北海道にいるとのこと。
なんでかねー。
お店は開けているものの現存するスタッフでは頼りなくて出来ないと。
それはないでしょとは思うのは当然ですが、だからと言ってどうなるものでもなく、急遽中止。
どうしましょ。今日はパパ・ビゴーヂも定休日だし。

そこで、れんさんに相談したところ、ライブが出来そうな場所に心当たりがあるとのお言葉。
登野城の「ステラ」を紹介してもらいました。
ここは、かのにんにく大王様もお気に入りの店。
マスター、ママも快く承諾していただいて今夜の投げ銭ライブが急遽決まりました。
さて、そこから予告も何もしていないので、関係者電話かけまくり。
おかげで盛況のうちにライブを終えることができました。
こじんまりとしたアット・ホームなお店で、音楽的な雰囲気がとてもあります。
お客様にもお店のスタッフにも大変喜んでいただけて、美崎町ではなく、却ってこっちの方でやれることになって良かったと思いました。
皆様に感謝です。
特に段取りをつけていただいて、またミキサーも務めていただいたれんさん、本当にありがとうございます。
来年春のツアーはここ「ステラ」でも必ずやりましょうと約束したのでした。

ステラ
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翌日はここ何日か続いているとても良い天気で暑い。しかもオフのよき日です。
二人とも自由行動。
ATUXIは、かねてから興味を抱いていたカヤックを経験しに、宮良川へ行く手配を早々に済ませています。
小生は、T先生の車を借りて5月にライブをやった伊原間のたいらファミリーを訪れてみることにしました。
5月のたいらファミリーのライブで見ることが出来た、石垣名物、交通安全おじさんの宮城さんが先月(8月)に亡くなられたとのことを鳩間で聞いてものすごくびっくりして、あのときのパフォーマンスが長いものとしては最後だったんだなぁと想ったこともあったのかもしれません。

在りし日の宮城さん
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たいらファミリーはいつものとおりのんびりした雰囲気です。
近くの浜へ潜りに行こうかなと思っていたところ、そこ(太平洋側―南側です。)は台風にやられて何も無いとの奥様の助言。
偶々お客さんがいて、主さんの正吉さんが船を出すとのことでそちらに便乗させていただくことが出来ました。

伊原間は、石垣島が南北で最も細くなっているところ。
ファミリーの近くの浜は太平洋側で、船が繋留してある港は北側の東シナ海側ですが、車で5分もかからないのです。
漁船に乗って約3時間。
リーフ内の静かな海で素潜り。
らくだ貝(くも貝とも言うらしい。)やら何やら収穫が結構ありました。
船の上では海人(うみんちゅ)の正吉さんが本当に頼りになります。
陸に上がったときとは比較しないでおきましょう。
よろしければ、たいらファミリーのボートエントリーもお勧めです。
安心して楽しめます。
本日の収穫をご馳走になって楽天屋に戻ります。

本日の収穫等々
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ここは外見も中味も田舎の家に帰ってきたような心持になれてとてもよい。
カヤックを楽しんできたATUXIも快く疲労したようで、二人とも今晩はどこへも行かずにバタンキューでした。

翌日は、近所のジャズのお店、「すけあくろ」でのライブ。
このツアーを始めてやっと二人でリハをしました。
今まで時間はたっぷりあったのに。
鳩間にいると、時間はあるのですがリハをしようという気持ちがどこかへ行ってしまいます。
言い訳ですが。

「すけあくろ」はジャズのお店ですから、多少その辺を意識した選曲になりました。
音響は5月にもお世話になったSさんで、とても気持ちよく演奏できました。

すけあくろ
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終了後、と言うよりはアフターアワーも第3部ということにして参加型セッションにしようかなと思っていたところ、酒と料理が到着。
お客様も一緒に打ち上げになだれ込んで行きました。
そしてこの場で、最終日の明日、台風で中止になったパパ・ビゴーヂのライブを投げ銭方式テーブルパゴーヂでリベンジしようぜとまたまた急遽決定しました。
我々の勝手なお願いに対して快諾していただいた、パパ・村上さん、ありがとうございました。

ところで、楽天屋は、家屋と一緒なので、ご家族の日々の暮らしとも一緒なのですが、昨日から、キーボードやらギターやら練習しているブルースの心地よい音色が聞こえてきます。
聴いている音源もとても渋いブルースやジャズブルースなど、れんさんがやっているのと聞いたら高校生の息子だとのこと。
ちょっとびっくり。
好みが渋すぎ。でも練習している音を聴くとうまいねーーー。
コンペでも相当なセンにいっているとのこと。
将来が楽しみですね。
さすが音楽家夫婦の子供。

一夜明けた今日は急遽決めてもらったパパ・ビゴーヂの投げ銭パゴーヂ。
宣伝も出来なかったのでお客様がどれくらい来てくださるのか、心配でしたが、結果的には、よいタイミングで混んで、よいタイミングで空いてもらえたというところでしょう。
空けばパパ・村上さんがパゴーヂに参加できますから。
パパ・村上さんありがとうございました。
そして、本日所要で来れなかった、白百合―池原酒造―コーイチーミュージッシャン、ありがとうございました。
いただいた白百合古酒、絶品の美味しさです。

白百合古酒
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来年5月のツアーでは、パパ・ビゴーヂライブと投げ銭パゴーヂ、両方やりましょうと話は早くも決まりました。

パパ・ビゴーヂ、なんだかリラックスしてます。
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石垣でも沢山の方々のお世話になり、何とかライブの本数も台風の影響で少し減らしただけで、終えることが出来ました。
石垣に戻ってきてからは、れんさん、ミヤコさんの全面的なバック・アップに甘えさせていただきました。
感謝の言葉に堪えません。
そして、パパ・村上さん、有り難うございました。
今回の旅は、人に支えられて台風もまた、よし・・・・というところでしょうか。
ではでは

2008年11月09日

八重山・鳩間島との出会い・第三回

皆様、今晩は。

思い出してみると、今まで小生と、沖縄、八重山、鳩間島との関わり合い始めについて二回書いていました。
その後、リアルタイムでツアーのことなどを書いていたので関わり合いの第三回というのはもう一年以上も失念していました。
何だか物忘れも頻繁なので今一度確認の意味で思い出しておこうかなという気持ちです。

読み返してみると、第二回は、来年の鳩間島音楽祭(当時は春だけでした。)には来いよと鳩間人(はとまんちゅなどと言っていたりします。)に言われて島を離れたところまででした。

来いと言われて行くのはやぶさかではないのですが、果たして伝統芸能の島の音楽祭にブラジル音楽を演奏しに行っていいものかどうか悩みましたね。
勢いで演奏したのはプライベートな場ですが、音楽祭となると公的なもの。
親しい友人となった鳩間の商店の店主、K.U.さんにそのような悩みを相談しました。

彼は、音楽祭の内容を仕切るプロデューサーのような立場の人ですし、音楽的な視野も広い。
この音楽祭を民謡オンリーの八重山離島のありがちなそれではなく、色々なジャンルの音楽が楽しめる音楽祭にしたい、それを島の音楽祭の個性にしたいと主張します。
だから、何の問題もないと。好きなように演奏して欲しいと。
ま、そう言ってくれるのであればと、翌年はいつも一緒に演奏している、ITAeKAZUのボーカル、KAZUとデュオで参加することになりました。
もう7年くらい前でしょうか。

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その頃には、島の人達とある程度人間関係が出来つつあり、島外からのお客さん達よりはむしろ島の人達が我々の演奏を楽しんでくれたような印象があります。
島外の観光客は伝統芸能の音楽祭を期待しているんでしょうね。
島人(しまんちゅ)は音楽好きで、普段聴いている民謡とは別のジャンルの音楽をとても楽しんでくれている印象でした。

そしてこの年、決定的な出会いがあるのです。
K.U.さんの本家の長男Y.U.さん、そして四男のピアニスト,ターキーとの出会いです。
U家は元々鳩間島の古い家系ですが、事情があって島を離れていたところ、この一、二年で長男を始めとして島に戻って来ました。

Y.U.さんとはそれから親戚のような付き合いになり、彼の表現によれば、家人数(やーにんじゅ)、つまりお前は家族だと。
何故、やーにんじゅなのに家に来ないで民宿に泊るか、とありがたいお言葉をいただき、以後数年間、Y.U.さんのお宅に寄宿生活をすることになります。

四男のピアニスト,ターキーは、当時は那覇の松山(結構お金のかかる飲み屋街です。)のクラブの専属ピアニストで、偶々音楽祭で来島しておりました。
会った瞬間から、こ奴は仲間だ、とお互いに思ったんでしょうね、子供の頃からの友達のような感覚になりました。

長男Y.U.さんは、末の弟、ターキーより約20歳年上です。
ターキーは生まれてまもなく両親を亡くしていますので、Y.U.さんは兄弟とはいえ、殆ど父親のような存在です。

Y.U.さんは島始まって以来の秀才で、琉大を出て島に戻ってくるまで教員生活をしていました。
書家としても有名で、教養も高く、島きってのインテリとして島人から尊敬されている存在です。当時は彼が、公民館長でかつ音楽祭実行委員長でした。
何となく小生とはうまが合うようでした。
一緒にいて何も喋らなくても気を使わずに暮らせるといったところかな。
二人で海を見ながら何時間でも無言でいられることの居心地の良さというのでしょうか。
そしてターキーは、幼少の頃から何かと不便な中、ピアノを覚え、・・・・ピアノがあったのかな・・・プロのピアニストとして活動しています。

KAZUは、某雑誌でターキーを「洋上のピアニスト」と名付けました。
実はターキーは小生より二歳年上なのですが(そのくらいの開きしかないのですが)、長年のクラブ勤めのお蔭なのでしょうか、古い昭和歌謡が即座に弾けるのです。しかも、any key OK。
戦前のものもです。
このピアノスタイルが、往年のキャバレースタイルというのでしょうか、ものすごく郷愁をかきたてるスタイルで、今はこんなスタイルで弾く人は少ないんじゃあないかな。
古いという意味ではなく、日本人の心を直接にくすぐるスタイルなのです。
この長兄Y.U.さん、三男K.U.さん、四男ターキー、そしてハワイから戻ってきた長女のK..さん達とは今でも親戚付き合いをさせていただいています。
ターキーのピアノに合わせて皆で合唱するのですが、即興でハーモニーが付いてしまう音楽性の高さには驚かされました。

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島、というよりは、沖縄では唄うことが当たり前です。
三線だけを弾いていてはいけません。
唄と一体になっていなくてはなりません。
そして、踊りもね。

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この頃から、唄うことの大事さを徐々に感じていきました。
島には飲み屋さんはありませんので、毎晩酒を持って誰かの家を訪問。
当たり前に三線の伴奏で唄が始まります。

この唄の世界から、石垣島に戻って民謡酒場に行ったら、あまりの音の違いに愕然。
あれほど好きだった民謡酒場なのに。
営業の音しか聞こえてきませんでした。
以後、民謡酒場からは足が遠のくようになりました。

島の連中は、民謡もさることながら、童謡・唱歌が大好き。
これを大声で唄うことは本当に気持ちよい。
何故か三線は童謡・唱歌の伴奏に合うのです。

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それにしても、島人達は皆唄が上手い。
声(キー)も高いような気がします。
海人の声なのでしょうか。

以後、Y.U.さんのお宅での自炊寄宿生活が始まります。

如何に少ない食材で料理を作るか、とは言え、これは本土的に考えて、お金で買えるものが少ないということで、畑に行けばある程度の青物はあるし、パパイヤとか長命草とかふーちばーとかなーべらーとかゴーヤーとか、島の食材はあるわけですから、地の物で料理を作っていくことを見よう見まねで覚えます。

そして、何と言っても、海という食材の宝庫があるわけです。
魚類は、ゆいまーるの精神で、収穫して物を皆で分け合います。
先ほどまで泳いでいた、かつおやらまぐろやらのこぎり鯛やシチュー(てんじくいさきの方言です。)や蛸やくぶしみ(巨大な烏賊)、みーばい等々。
本土(沖縄でもですね。)で買おうものなら大変な値段の魚たちを収穫して皆で分け合います。
不味い筈がありません。
これを如何に無駄なく食するか、徹底しています。
まずは、新しいところを刺身。
絶品!!!
刺身にならないような小物は、マース煮(マースは塩、塩の煮付けです。)。
そして、刺身で残った部分は魚汁として炊いてしまいます。
これで殆ど跡形も残らない。
食べ切れなかった頭の部分等は、やしがにの餌として使ったりします。

食は生きていくことの基本ですから、如何に無駄を出さないか徹底的に学びました。
少ない食材でも美味しく食べれるということを達成したときの幸福感かな。

小生、自宅でも、野菜はスーパー等では買わずに地元の農家の直売で仕入れています。
住んでいる土地によって色々な状況があることは分かりますが、日本の食糧事情を考えると、足りる範囲での自給は大事なことではないかと思います。

そんなこんなで、島の生活を勉強させていただき、お蔭である程度の島の自炊寄宿生活が出来るようになりました。
そして、音楽祭出演も回を重ねるうちに色々な人達との素晴らしい出会いが始まりました。
ということで、第四回に続くということにいたしましょう。
ではでは

2009年01月09日

鳩間島からの頼り

皆様、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

鳩間小中学校から寄せ書きが届きました。
昨年9月に同校でピアノの鈴木厚志氏と行なった演奏会に対する子供達、教職員達の感想が寄せられています。

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ピアノとのハーモニーが眠くなるくらい気持ちがよかったとか、生演奏を聴いていてまるでカフェにでもいる気分になったとか、ギターの出すリズムがとても楽しかったとか、子供達の感想はとても率直で参考になります。
何回も聴きたい、来年(今年)も聴かせてくださいとのことですが、勿論今年もやりますよ。
でも中学三年生は卒業して島を出て行かなければならないので今年は会えないかもしれません。そこがちょっと残念、とともに同じ年代の子供を持つ身だけに卒業生の進路が気にはなります。
でも、とても元気な中三の子供達でしたから、島を出てもきっと頑張ってやっていけるだろうと期待しています。

ピアノとギターの生演奏に対する反応がすごくよかったのは演奏していて分かったのですが、島には唄者が大勢いますし、生演奏に触れる機会もとても多いと思うのです。
ただ、やはり島唄が中心になるので、我々の演奏しているタイプの生演奏に触れる機会は少ないのかもしれません。その辺が刺激になるのでしょうか。
色々な音楽、それも良質なものを聴かせてあげたい。

このように感想をまとめてくださった教職員の方々の教育的配慮にも脱帽です。
本当にありがとうございました。
個人的には音楽をやっていく勇気をもらいました。
音楽をやっていてつくづくよかったなと感じることは多々あるのですが、こういう時は特に強く感じます。

年が明けて、今年も初夏(やまと的には春ですが。)の八重山・沖縄ツアーの計画を立てる時期に入ります。
地元との調整に入らなければなりません。
今年はその前に、鳩間島の大阪・東京チャリティ公演があるので、そちらの応援もしつつということになります。
今年も地元の皆さんと楽しく触れ合える機会を多く創って行きたいと思います。
今年もよろしくお願いします。

2009年05月12日

2009年春の八重山・沖縄ツアー・その1

皆様こんばんは。

筆者近影
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今年も恒例、春の八重山・沖縄ツアーを終えて無事に戻ってまいりました。

今年の沖縄はこの時期にしてはとても涼しかった、というより朝、夕は肌寒かったです。
布団もかけて寝たし、シャワーもお湯を使ったし。風も北東の風。
ただ、湿度が低く、いつものこの時期のようにじとっとしてはいなくて過ごしやすかったです。

長くなると思いますので、日記風に書いていこうかなと思います。

4月25日(土)
那覇着
既に約一週間前から奄美の仕事を経て沖縄入りしているATUXIと合流。
今夜は、桜坂のJazz Bar、R-Greenで演奏です。

こんなお店です。
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ここは北海道出身のテナーサックス奏者、千葉さんのお店です。
入り口が多少分かりにくいですが(桜坂劇場から公設市場寄りに坂を下りた途中の左手の階段を登ります。)、誰でも入りやすいとてもいい店です。
後半は千葉さんもt.s.で参加。
ボーカルのMさんも参加してとても楽しいセッションになりました。
場所も便利ですし、那覇の拠点になりそう。
ここで、偶然、以前座間味島で演奏したときお世話になったMさんと再会、次回は八重山に渡る前に是非、座間味でも演奏しましょうねーと。
終了後は、アフターセッションのお誘いがあったので、開南のJazz Bar 、Bun Note http://bunnote.ti-da.net/ へ。
ここのご主人もt.s.奏者、もう一人いたやはりt.s.奏者とセッションです。
いいですねー。とてもスイングしました。
沖縄のジャズマンは、民謡的なことまで出来るのが普通ですが、今夜は正統派モダンジャズスタイルでのセッションになりました。この狭い範囲に本格的なジャズ・スポットが二軒もあるというのは、やはり沖縄ではジャズが盛んなのでしょうね。
というわけで、明日は石垣です。

4月26日(日)
石垣着
やはり涼しい風が吹いています。
例年と違うなあ。
バスの終点がいつものターミナルでないのは、今日は石垣トライアスロンレースの日だからです。
屋久島の友人Yakutomさんも今頃頑張っているかな。
この後合流することになります。
宿は、いつもの楽天屋。
築100年以上の古民家。
ご主人夫妻もミュージッシャンで友達なので、気心が知れていてとても寛げます。
ここの息子さんは、高校生ながら凄みを感じさせるブルースミュージッシャンです。
練習している音が何時も聞こえているんですが、高校生にして渋い選曲とテクニックにはびっくりさせられます。
いつかセッションしたいですね。
琉球古民家というのは、風が入りやすい構造になっていて、とても涼しく夜は肌寒いくらい。
今夜は、登野城のSTELLAでライブです。

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トライアスロンを終えた方々も来てくれました。
お店のご家族もサンバチームの一員として鳩間島に渡ります。
前哨戦みたいに盛り上りました。
先は長い。
ここでバカスカ飲んで盛り上っていては体が持たないというのは、過去の痛い経験から学んでいるので打ち上げも常識の範囲内で。

4月27日(月)
散歩したり、練習したりでのんびり過ごします。
ここ楽天屋はNet環境が良く、PC.つなぎ放題なので、夜は酒を飲みながら昭和歌謡の映像を楽しみました。
特に、クレイジーキャッツとザ・ピーナッツ。
なまのビッグバンドの音が懐かしいと共に合成音では決して出せないゴージャスさとスイング感に宿の奥様と一緒に深夜まで盛り上ってしまいました。
このあたりは見ていると、結構、曲のアレンジとかアイディアが触発されたりするんです。

4月28日(火)
この日は、少々環境を変えるべく、T先生から車を借りて、県立少年自然の家へ宿泊場所を変えます。
去年も泊りましたけれど、前勢岳の麓にある広大な研修施設です。散歩でもジョギングでも山登りでもし放題。
例によって、宿泊団体は我々だけ。広大な施設に我々二人。一人当たり畳12畳の割り当て。これからのことを考えると贅沢すぎ。
ただこの状況って結構怖いかも。
怪談話もあるそうで。
こういうシテュエーションのホラー映画ってよくありますね。
小生は大好きですが。
しかし、我々は正義の「ボランティア楽団」(ここではそういう通り名になっています。)、怪談話などなんのその。
市街地からはかなり距離があるので、食事は弁当やらつまみやらを買い込んでおとなしく済ませました。

4月29日(水)
ああ、それなのにそれなのに、何故か今日は朝から絶不調。今日はパパ・ビゴーヂでのライブの日なのに。
昨夜は、二人で3合瓶1本しか空けていないのだから二日酔いになるわけないし、夕方まで食欲無しで、ライブ前にようやくサンドウィッチを少々食べることが出来ました。
ライブは、今日から合流した肝今日調とKinちゃんのパーカッションも入って楽しく演奏できました。

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打ち上げのスケア・クロでは深夜のBarでオレンジジュースとアイスティーを飲むという、酒飲みには許しがたい醜態をさらしてしまい、リベンジの念に燃えたのでした。
密室状態で同じものを飲み食いして、かたやATUXIはぴんぴんしている、この違いは一体何なんだと推理した結果、違ったものは弁当の種類だけだから、小生の弁当に入っていた揚げ物がいけなかったのではないかと推理。
楽天屋の夫妻に話したら、あんたが買った弁当は、台にただおいてあるだけだから、普通は午後1時までに買って食すことが寛容なのだ。コンビニのように冷蔵庫に陳列してあるものは心配ないんだけれどねとのこと。
確かに、5時頃買って7時頃食べた気もするな。
ま、必ずしも悪くなっているというわけではないのですが、食べ合わせが悪いとか、その日の体調とかで運悪くということなんでしょう。
でも、平置きの弁当は安くて旨そうで実にそそられます。
これからはお昼までに買いましょう。
全く懲りていない。
さて、翌日は鳩間島に渡ります。

2009年05月16日

第12回鳩間島音楽祭・春の八重山・沖縄ツアーその2

皆様こんばんは。

その2、第12回鳩間島音楽祭を中心とした鳩間島の日々です。

4月30日(木)
昨日は酒を一滴も飲まなくて正解でした。
すこぶる体調が良い。
STELLAで教えてもらった朝粥定食を食べて、鳩間島へ渡ります。

今年高速船用の浮桟橋が竣工して、今までとは違って船の横から降りられるようになりました。
鳩間港も随分立派になったものです。

立派な浮桟橋と待合室
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いつもの横断幕
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民宿のご主人、米盛さんをはじめ、島の皆さんと再会を喜びあいます。
今日は、小生とATUXIの二人だけ。
明日からは人数が増えて賑やかになってくるので、つかの間の静寂。

鳩間も例年と比べて涼しくて過ごしやすい感じです。
今日からの鳩間島の生活は自炊生活です。
米、味噌、メン、調味料の類は予め送ってあり、生鮮食料品は石垣で買ってくるのですが、この時期は人数も多いし、その都度差し入れやら買い足しもきくので楽ではあります。
それにも増して嬉しいのは、米盛さんからの新鮮で美味しい料理の差し入れや島の友人達からの誠に新鮮な魚の差し入れとか、とにかく色々とあって、市街地にいるより食は豊かで新鮮です。
ここにいると、一軒だけの商店から必要最小限のものしか買わず、労働力や作りすぎた食材やらと交換したりするので、金銭を使うということから段々離れていくのです。
石垣に戻ると、お金を出して刺身やてんぷらを食べる気がしなくなってる。

さて、米盛さん方は喪中ということもあって、母屋で放歌高吟は出来ません。昨年大受けだったおじいとの共演も今年は自粛ということで、今年は勝手が違うのかなあと思っていたら、民宿の前の庭(食卓です。)では構わないからどんどん音を出しなさい、と。おじいご本人も毎晩お付き合いいただきました。ありがたいことです。
今夜は、明日の小中校の授業の打合せと称する飲み会が、校長を始め教職員殆どが来訪して行われました。

今年5名がめでたく卒業し、現在は小学校2名、中学校2名の生徒計4名、教職員8名の全部で12名の学校です。
毎年音楽祭には、全員で演奏するので、この時期は演奏の指導と我々の演奏の披露を兼ねて一時限を受け持ちます。
今年は、校歌と島人ぬ宝(これは去年もやって慣れています。)と新たな試みとして、リコーダー合奏があるということで、中学、高校とリコーダーを専門的にやっていたATUXIの目が輝きます。
明日の授業が楽しみです。
奥様から差し入れてもらったパパイアと貝の酢の物、お刺身、うまかったなあ。

5月1日(金)
ずーっと天気は良いですね。
今日も晴れ。
今日から、友人達が徐々に増えてきます。
昨日、同宿で一緒に飲んだ広島のKさんは、宿が取れないので、一旦西表へ渡り、音楽祭当日はまた来るとのこと。
船から降りてくる人も増えてきます。
なにしろ、ここ「瑠璃」は、入島する人は全員この前を通る場所。
出入りが全部チェックできます。
明かりが灯ってからのここの庭は外からはオープンな飲み屋さんに見えるんじゃないかな。

さて、今日は午後一で学校の特別授業。

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子供達も我々のことを良く覚えていてくれて、再会を喜び合います。
校歌や島人ぬ宝は元気があってよいとして、特に去年一年生だったSちゃんはより声も大きくでるようになり、楽器もトライアングルから鉄琴に進歩して(音数が多いですから。)みんなを引っ張っていきます。
問題のリコーダーについては、ATUXIが普段の練習方法を含めて、細かい指導をしていきます。
曲は「Country Road」なのですが、譜面をもらったときから?????満載。

ピアノアレンジに原曲のノリはないし、無意味な代理コード満載で、最後の講評でのやりとりから、アレンジを変えてしまおうということになり、リズム重視の原曲を尊重したアレンジに変えてしまいました。結果的にはこれが良かったと思います。本番でお客さんの手拍子ももらえたし。
一般に、学校教材には、現場からすれば?????満載のアレンジが結構あるようで、あれじゃあ演奏していて楽しくないだろうなと二人で首をひねることしきりでした。
結局、次の時限の本番リハーサルまで連続して授業を行ないました。
内容も結構濃かったし、子供達もとても元気。教職員達との関係もとてもよさそうでした。
校長先生は、昨年秋にお会いしたときは色白で真面目そうな方という印象でしたが、今では真っ黒に日焼けしてよく笑う、すっかり島人になっていました。お酒も随分と飲めるようになったらしいです。

今夜も飲み会です。
「あんた、お名前は?」「ゆーいちです」「そーか、飲め」「で、あんたお名前は?」「ゆーいちです」「そーか、飲め」「で、・・」・・・・・・と去年もあった永遠に続くループのようなやりとりは、ひょっとしたらおじいが楽しんでいるんじゃないかしら。
Yakutomさんはとーまさんでイタリア人になりました。当間さんって沖縄にある名前じゃないかな。

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おなじみ童謡、唱歌を中心に静かな夜です。
こういうのも実にいいもんで。

5月2日(土)
今日も晴れ。
今日は、石垣からサンバチーム20数名やってきて瑠璃と隣のくしけー家に分宿することになっており、瑠璃も15名ほど収容し、家族連れは母屋にも宿泊と大変な混雑が予想されます。
しかし、そこはさすが地元、子供達が帰省していた米盛家孫と同級生だったりして田舎に帰省してきた様な雰囲気に。子供らはすぐ仲良くなって釣りだとか何だか遊びまわっています。

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食材もおにぎりを二升、おかず山ほど、ワイン6リッターにおつまみセットに何やかやで足りそうだし、後は寝るところですね。
六畳二間と台所(荷物置き場になっている)に15名ほど寝るというのは、はじめは立って寝るのかと言われました。ま、何とかなるものです。

賑やかな食卓
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寛ぐ
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この日は前夜祭ですが、やらなければならない重要なことは、本番のリハーサル、この日以外合わせられないのです。
午後、炎天下の西の浜へ全員集合してリハーサル。
石垣チームのこの日まで毎週練習してきた頑張りとヂレトールのKanさん(ゆーいち)の適切な棒振りもあって、スムーズに進みました。

西浜での練習ー暑い
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夕食まで、皆三々五々好きなことをやって過ごします。
ここで、STELLAの母娘のハワイアンデュオ、エプロンシスターズのハーモニーの美しさにうっとりし、すかさず前夜祭のエントリーを決めました。
我が方からはTERUちゃんのベリーダンスとエプロンシスターズの二組のエントリーです。
小生は今日は演奏しないので飲み、OK。

エプロンシスターズ
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ベリーダンス
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前夜祭での二組ともとても良かったです。
特にベリーダンスは夜のライトに映えますね。
妖艶な動きは男共の視線釘付け。
エプロンシスターズも来年は衣装を持参しようねとのこと。
もっとも、エプロンだけらしいのですが。
一つだけ残念だったのは、洋上のピアニスト、ターキーが事情があって不在なこと。
前夜祭、音楽祭、後夜祭を通してあのピアノが聴けないのはちと寂しい。
もっとも、5月5日は伊原間で待ってるよーと言い残して石垣へ渡っていったので、あちらでの再会を期待しましょう。
誰も外にあぶれることなく無事に寝床に着けたようでした。

5月3日(日)
今日は特に良い天気。
今までの北東の風が南風に変わっています。
こりゃ今日は暑くなるな。
朝から続々到着する船で、沢山のお客さんがやってきています。
米盛家でも、親戚の家族が庭でアーサーのてんぷらやハンバーグ丼やら何やかやを売り始めました。
子供の営業力がすごいのだ。

さて、音楽祭に先立って、宮良長包「鳩間節」歌碑の除幕式が行なわれました。

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これは、2月に行なった大阪、東京公演の成果の一部に基づくもので、西表を背景に立派な碑が出来ました。
そして、いよいよ学校の演奏です。
生徒は全然緊張していないようで、先生方の方が緊張しているようでした。
特に最年少、Sちゃんの声が大きくてとても良かった。
昨日アレンジしなおした「Country Road」も直して正解。
お客様の手拍子も入りやすかった。
学校の仲良くやっている雰囲気がお客様に伝わる心暖まる演奏でした。
上手い下手は関係なし、気持ちが十分に伝われば。

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リコーダー合奏
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島人ぬ宝
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さて、古謡に続いて開催宣言、実行委員長挨拶の後は一番手、いきなり我々の出番です。
今年は、「イタ・スズ・サンバチーム」と紹介されます。
今回、常連のボーカル、KAZUが出演できないとのことで、内容について色々と考えたのですが、石垣サンバチーム(RIO GRANDEと命名。パパビゴーヂの所在が字大川だから。)の出演とスルドが初上陸ということで、踊らせるサンバに絞って組み立ててみました。
ボーカルはとても花がある千草ちゃん。
そして腕に覚えがあるゆーいちとATUXIです。
バテリアの人数がいるので、エンヘードっぽくまとめてみました。
とにかくお客様を乗せる、盛り上げる、後に続く演奏でも立ちやすくするというつもりでやりました。

初めは小生とATUXI二人から始まって、徐々にバテリアが入ってくるという形、ギターのP.A.に少少難があったものの、そんなことはよくあることですからどんどん行きます。

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乗せどころからのお客様の反応は早かったですね。まるで待っていたかのように前の方からどんどん立ち上がって踊ってくれました。
こちらは汗だくの演奏でしたが、お客様が楽しんでいただいているという気持ちが伝わってくるようなステージでとても楽しかった。
どうもお客さまも待っていたようですね。
今までで一番お客様の反応が良かったんじゃないかな。
石垣チームも楽しんでくれたようでした。
このパフォーマンスは彼ら抜きには考えられないもので、感謝です。
この楽しさに味を占めてどんどん活動を活発にしていって欲しいです。
鳩間島音楽祭のサンバを近隣地元石垣島のサンバチームが中心となって出来るようになっていって欲しいと思うのです。
また、即席合同バテリアを上手くまとめ上げたゆーいちの手腕も特筆すべきものでしょう。
炎天下の全力疾走で皆完全燃焼。

お疲れ様でした。
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後は港での見送りまでそれぞれの楽しみ方で音楽祭を堪能しました。

おなじみ、わったー(我が)ちょーでーぐゎーバンド、久葉ぬ子ーズ
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ターキーはいないけれど、数年前に病に倒れ、病床にあった「鳩間の豊年祭」(今では鳩間の港と並んで島の定番ナンバーになっています。)の作者、タカ坊が復帰して久葉ぬ子ーズのステージに立て、再会できたということも嬉しかった。

今年は、出演者のキャンセルもあったりして、比較的出演者が少なかったように思えます。したがって、持ち時間が長かった。
帰りの船も4時には港に着いていて、いつもは5時なんですが、早い方の船は見送りの「鳩間の港」が間に合わなかったりして、桟橋が新しくなって出入りがスムーズになった影響なのでしょうか。見送りはちょっと物足りなかったですね。

見送り
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石垣チームの何名かは余韻を味わいたく、予定を変更してもう一泊。
この余韻が実にいいんですよ。
見送りが終わると急に風が北東に変わって肌寒くなってきました。
私的には、もっとジャンルが増えればいいなと思います。
例えば、最初に本格的なジャズバンドを持ってくるとか。
全体的には好天に恵まれて良い音楽祭だったと思います。
お客様も楽しそうでした。

後夜祭まで、のんびり過ごします。
米盛家、庭では売れ残ったアーサーてんぷら(それでも相当売れた。)をあてに打ち上げやらが始まって。
後夜祭は、雨が降ってきたので公民館で開催。
我が方からは、TERUちゃんのベリーダンス、Hさんのとても渋い選曲の歌唱、Aさんのジャズボーカルと多芸なところを見せます。

Hさんのボーカル
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Aさんのボーカル
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今日は、夜遅くまで騒いでいてもいい雰囲気ですから、あっち行ったりこっち行ったりして交流しながら力尽きるまで飲みました。

5月4日(月)
昨日の夜はちょっと雨が降りましたが、今日はまたまた良い天気。
朝8時から音楽祭会場の後片付け。
小生は一応サンバ一門の代表として参加。
筋トレを継続しているせいか、材木運びが楽に感じられます。
ただ、ステージ前のサバニの人手による運搬は結構きつかった。
あれって結構重いんです。
昔は、あれを担いで石垣の伊原間(陸地が一番狭くなっているところ)を東の海から西の海に抜けたんでしょうか。
昔の人の苦労が偲ばれる。
公民館倉庫も掃除して終了。

終了後は公民館前でぶがりなおし(打ち上げ)。
あては、大量の焼きそば(沖縄では、焼きそばと言えば沖縄そばを使ったもので、これが実に美味いし、出汁がなくてもすぐに調理できる優れものです。)と本日獲れた大量のかつおの刺身。
傍から見ると朝から飲んでいるように見えますが、このようにちゃんと理由があって飲んでいるのであって、何て酒ばかり飲んでいるやつらだと思われると心外なのであります・・・・・・・そうでもないか。
ま、色々と飲まねばならない機会はあるわけで、島の人達にとっては、こんなにみんなが来て下さる機会に、一緒に飲まないのはとてももったいない、きれいな海は年中あるけれどみんな集まる機会はそうそうない、飲みましょうねとなるんでしょう。
全部付き合っていたら、ひっくり返ってしまうので、そこはうまくやります。
このあたりの加減を習得するまでに随分時間がかかりましたね。

昼間、米盛さんと建次さんと付き合ってから、北の海へ散歩。
時間はゆったりと流れています。
今夜は最後の夜だから、前でどんどん鳴らしなさいとのおじいのありがたいお言葉。
でも10時までにしましょうね。
5月6日のパパビゴーヂのテーブルパゴーヂを意識しつつ、恒例となった瑠璃の食卓パゴーヂ。
この空間で音を出すのは何時も思うのですが、本当に最高。
雰囲気もあるけれど、自然で優しい音がするのです。風も心地よい。
千草ちゃんの芭蕉布に何を思うか、勝おじいの目に涙。
今夜も静かになった優しい鳩間の夜は更けていきました。

夕暮
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今年も色々な方々にお世話になりました。
特に、いつも素泊まりとは思えないほど色々なお料理を差し入れてくださる奥様静江さん、何時も感謝しております。
そして飲んだり唄ったり議論したり、何時も刺激を与えてくださる島人の皆さんありがとうございます。
そして、石垣サンバチーム、Rio Grande!!
今年のパフォーマンスが出来たのはあなた達のおかげです。
来年もさらにグレードアップして楽しみましょう。

明日は石垣へ移動です。

のんびり
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2009年05月28日

2009、春の八重山・沖縄ツアーその3

皆様こんばんは。

その3 沖縄・八重山編最終回です

5月5日(火)

鳩間島を出発して石垣へ。
天気は良いのですが北東の風が吹いていて、高速船はかなり揺れます。
鳩間島を囲むリーフを出て上原海峡を抜けるまでがポイントです。
時間にして約20分。
久し振りに揺れる安栄に乗りました。
初めての人はかなりびっくりするようです。
揺れの少ない外部後部座席で油の匂いを我慢するか、匂いは無いけれど揺れの激しい前部座席か。お好み次第。

石垣離島ターミナルでは「鳩間島音楽祭展」という展示をしていて、1年か2年前の我々のステージがビデオで上映されていました。
サンバもこの時期の鳩間島名物になりつつありますね

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さて、今日はすっかり5月5日の恒例になった感のある石垣市伊原間のたいらファミリーでのコンサートです。地元のバンドも色々出演するので、これが大きな楽しみです。
再びT先生の車を借りて、忘れ物を返しがてら昼食をSTELLAでとって、伊原間へ。

伊原間は、石垣島で東西の幅が一番狭くなる辺りで、高いところからは太平洋と東シナ海が一望に見渡せます。

伊原間太平洋側の海岸
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たいらファミリーの入り口の発泡スチロールで作った面白いオブジェが何だか増えているような気がします。
おじい、おばあ、ご主人、奥様、息子さん、お嫁さん、そしてひ孫のMちゃん、みんな変わりなく元気でした。

ファミリーの隣の草地には何故か馬が二頭。去年まではいなかったな。
隣のおうちが飼っているとのことで、与那国馬だそうです。
親子だそうですが、これ以上大きくならないのと前足が太いのが特徴です。
とてもおとなしい。
犬を飼うのは普通ですが、馬を飼っているというのは面白い。

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昨年のような雨の心配も無く、夕暮れ時6時頃から三々五々お客様が集まり始めます。
ここの夕暮れの空は実にきれいで、夕暮れ時から夜にかけての野外コンサートというのはとても素敵な時間です。

最初は、DUAS INTENCOESと途中からパーカッションのkan・kinが加わって、今までここで演奏する機会のなかったようなインストのナンバーも演奏します。

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何時も担当してくださるP.A.の宮良さんはとても腕のいい人.で、何時も安心して演奏することが出来ます。
ちょっと本音を言うと、鳩間もこの人がP.A.を担当してくれたらなあ。

さて、次はご当地名物のたいらファミリーバンド。

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Mちゃんの踊りもおなじみ、オリオンビール。
小学生になってちょっと恥じらいが出てきた様が伺えました。

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そして、竹富から来たKさんと民謡酒場「浜辺」のHさん。
Kさんはとばらーま大会で最優秀賞を取ったことがある方で、素晴らしい唄声でした。
奥様のリクエスト、とても月がきれいだからと唄った「月ぬかいしゃ」が印象に残りました。

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たいらファミリー奥様飛び入り
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今年の沖縄はやはり涼しい。
夜になると半袖では寒いくらいです。
で、お待ちかね、ターキーが入ったこのバンドの名前は何だろ、浦崎一門バンド。
鳩間でもおなじみ、局長と比嘉盛雄さんをメインボーカルに、鳩間から来ていた鉦雄さんも加わって快調な音を聴かせてくれます。

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お待ちかね、ターキー
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そして、この夜一番受けたと思われるteruちゃんのベリーダンス。
ステージから客席へと縦横無尽に動き、お客様の視線を釘付け。

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最後は、六調節でもーやーにしようと決めていたので、我々のサンバ、浦崎一門バンドの順番で午後10時終了。

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お約束のターキーのHappy Birthdayもケーキは無いけれど、5月5日の日付が変わらないうちに出来ました。
いつもは鳩間でターキーと楽しい時間をずっと過ごすのに、今回は残念ながらだったのがここへ来て一緒になれてよかったよかった。
さすがに連日の疲れが出たのか、早めに就寝です。

5月6日(水)

来年も必ずと約束して伊原間を発って、今日は大川「パパ・ビゴーヂ」のツアー2回目のライブ。
去年、ひょんなことからやってみてとても面白かったテーブルパゴーヂ形式投銭ライブです。
時間があるので、平久保灯台なんか行ってみたりして東回りで市街地を目指します。

途中、野底の比嘉盛雄さんの友人で、東京・鳩間でもご一緒した新潟から野底に移住したTさんご夫妻のお宅に呼ばれました。
移住して半年、小生とは鳩間東京公演のときに知り合ったのですが、野底まーぺーが正面に見えるとても素敵なおうちに住んでいらっしゃいます。
庭も広いしパパヤーや芭蕉も植わってるし、その庭を突き抜けていくと東シナ海に出てしまうのです。釣り船も出せる。なんとも羨ましい。
屋上テラスからは東シナ海が臨めます。
特筆すべきは、盛雄氏作成の東屋。
鳩間の雰囲気がぷんぷんして、心地よいことこの上なし。
ここで飲みながらゆんたくしたり、演奏したりは気持ちよいでしょう。
Tさんは移住半年にして、地元の良い仲間と知り合いになれてとてもラッキーですね。これからも楽しく暮らしていけるでしょう。

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そんなこんなでのんびりと約一週間ぶりに楽天屋に帰って来ました。
今日は、東京から来た仲間達も石垣に滞在しているし、このツアー、八重山最後のライブだからおもいっきり楽しみましょう。
テーブルパゴーヂ形式ですから、テーブルを囲んで、出演者皆で歌い継いでいきます。

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最後はやっぱり踊れるサンバ。
鳩間島で友人になった方達も来てくれました。
ありがとうございました。
みなさんお疲れ様でした。
明日は沖縄だ。

5月7日(木)

長らくお世話になった楽天屋さんを発って沖縄へ。
その前に、今回はまだ行っていなかった小生お気に入りのGへ朝食を食べに。
ここが好きというと、皆、えーーーという反応を示すのですが、なんでかね。
小生にとっては居心地がいいのです。
観光客受けするおしゃれな店とは対極にあるお店。
秘密の花園なのでお教えすることは出来ません。悪しからず。
楽天屋さんは、いつもまるで我が家のように使わせていただいて、本当に感謝です。
これからもお世話になりますよーーー。
よろしくお願いします。

ツアー最終日は恒例、現南城市、玉城「たまたま庵」にてライブ。
持ち込み大歓迎の超寛ぎライブ。

今回は、お客様が随分多くて盛り上りました。
ゲストの方もとても良かった。

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ここは、聴く気満々のお客様です。
盛り上がり方も若干異なります。
何というか、踊って盛り上がるというよりは、ジャズコンサートのような盛り上がり方というのでしょうか、プレイの内容に共感を得ていくという感じ。

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ちょっと残念だったのは、いつもセッションが楽しみなサックスプレイヤーで陶芸家のTさんが旅行中で来れなかった事。
でも、彼の店には何時も顔を出します。
うちは彼の作品がどんどん増殖中です。
そして、今回は、近所のフォーク居酒屋!!!のご夫婦が来ており、アフターアワーズはそのお店に皆で繰り出します。
カラオケではなく、生伴奏でべたな唄をとことんやりました。
そして、裏芸が無かった小生も、ここでついに裏芸を一つ見つけました。
これを唄うと後が無い。最終歌謡でしょうか。
ATUXIが前奏から伴奏から間奏まで覚えてしまったので、彼の前奏が始まると自動的にモードが変わる。
これ以上は言えません。
あまりに・・・・・・・・・・で。
明日の朝は午前中の便で帰京。
楽しかった時間は早く過ぎ去ってしまいます。

5月8日(金)

長いようで短かった約2週間。
今回も色々な想いでと感動とやるせなさやら抱いて、サウダーヂを感じながら沖縄を後にします。
最近は、いつまでこれを続けていけるのか、ふと不安になることもあります。
しかし、沖縄や八重山に対する気持ちが変わらない限り、おそらく変わることはありません、どんな形であれ続けていこうと思います。
もっと色々なミュージッシャンにも来て欲しいし、ジャンルも広げたいし、グレードも上げたい。
島に住む人達、沖縄に住む人達と同じ思いを抱いて、これからも活動していきましょうね。
お世話になった方々、どうもありがとうございました。
ではでは

2009年10月09日

2009年、恒例秋の沖縄・八重山の旅

皆様、こんばんは

久々の筆者近影
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ここのところ偶然に旅づいていて、豊橋から帰ってきてすぐに沖縄・八重山行きです。
もっとも、この時期の沖縄・八重山行きはもう十数年続いていて小生の中では外せないもので、沖縄・八重山との出会いの原点みたいなものです。

今回は、ソロギターでの演奏旅行にとばらーま大会と鳩間島行きがテーマ。
とばらーま大会は旧暦八月の十三夜と決まっているため、台風シーズンのこの時期に行くことになります。

始まりは那覇は桜坂の「サクレ」でライブ。
昨年までは東町にあった、グランドピアノが入ったクラブでしたが、今年から桜坂に移転。規模をうんと小さくしてBARになりました。野毛の「タイム」に似たとてもよい雰囲気です。
普段はジャズがかかっています。
P.A.なしの生ギター一本で演奏するのには演奏者にとってもお客様にとっても丁度よい環境です。
ママの美可さんはとっても狭いからと心配してくれていましたが、「タイム」で慣れているので、とても気持ちよく演奏できました。

この距離感
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美可さんの唄も相変わらず雰囲気があって素敵です。

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何時も思うのですが、経験的にも東京にこんな魅力的なボーカリストはあまりいないと感じています。
多くの人に聴いてもらう機会があればいいなあ。
ソロ演奏は、ごまかしが効かない反面、ごまかしが効く部分もあるわけで、つまり創造的な展開に持っていってしまえば、ミスっても共演者がいないので上手く展開できる可能性もあるのですが、ある部分が抜け落ちたりすると怖い。よく、真っ白になるなんて言いますけど、一人の場合はそれが怖い。
もっともそういうことを恐れていては、難しい曲は何時までたっても人前で演奏することは出来ないので、どんどん行くしかないわけです。
今回は、バーデン・パウエルの作品、ガロートの作品、ショーロの有名曲、ボサノバの有名曲、皆で乗れるサンバの曲とある程度絞り込んで演奏してみました。
約2時間ほどの演奏でした。

翌日は、おなじみの玉城は玉々庵。
お客さんには民泊中の修学旅行生も。
春にお会いできなかった陶芸家でサックス奏者のテツオ氏も参上。
アフターアワーセッションもいつもどおり楽しかった。

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ユラリンという不思議な楽器、余韻が響く。
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テツオ氏の作品も小生宅に着実に増殖しています。
とても家族に受けがよいのであります。
特にシーサーのマスコット的な作品の顔が本人を彷彿とさせてとてもよい。

そして翌日は石垣島へ。
このあたりから、台風17号、18号がはるか彼方に発生します。
ステラにて再会を祝して飲みます。
翌29日に鳩間島へ。

鳩間の朝日
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まずは、皆さん元気にやっていることを確認。
ただ、小学生1名、中学生1名でやっていた鳩間校の中学生1名が小生の乗ってきた船で帰ってしまうということで、この先の鳩間校がとても心配されます。
そして、明るいニュースは「特定非営利活動法人 南の島々・守り隊」というNPOを立ち上げて、ゴミ処理施設を中森のちょっと先に建設し、ゴミの分別回収、発泡スチロール等の再資源化に取り組んでいることです。

処理施設
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焼却炉
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発泡スチロール等の分別
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随分前から、ゴミは穴を掘って捨てるということを繰り返していては将来ゴミの島になってしまうと議論していたので、とても素晴らしいことだと思います。
きれいな道路や立派な体育館よりこういう施設の方がよほど望まれる施設だと思います。
ゴミは以前のように学校による回収ではなく、NPOによる分別回収に切り替えられました。
今後軌道に乗せていって欲しいものです。

そういえば、あのバラス島が今は見えません。なくなっちゃった。

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何処にいったんでしょ。
そのうち出てくるだろうとのことですが、去年初バラス島ライブをやった者としてはちと寂しいし、あそこを中心としてダイビング案内をしている人達は困るでしょうね。
しょうがないですがね。

島の浮き桟橋の周りは、今、ミジュン(カタクチイワシ)の群れで黒くなっています。
群れが移動するところを追いかけて釣る(餌はいりません。)のに島人は夢中。
10cmほどの体長ですがとてもよく釣れる。
へたくそな小生でも釣れるくらい。
刺身、てんぷら、酢の物とこれがとても美味しいのです。
暇があれば、釣竿にバケツです。
なにせ「気持ち悪くなるくらいいる」(K.U.氏の表現)んだから、ぼーっとしているよりはおかず獲りに精を出します。
夜は相変わらず、母屋で飲み会+童謡・唱歌大会。
おじいの伴奏をつとめますが、歌集を忘れてしまったので歌詞が続きませんね。
友人のM.H.棟梁も仕事で在島しているので一緒に飲みましょね。

二日間は晴れたり降ったりでこの季節にしては涼しい感じがします。
二つの台風の影響が徐々に出てきているようです。

春は十分にコラボできなかったピアニスト、ターキーも元気で、主人一時不在のソバ屋の切り盛りと付属の「ターキーズ・バー」なるスペースを営んでいます。
夕方になると下に行ってピアノを弾きます。
何かそんな動物いたような気がする。

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10月1日のとばらーま大会は見たいので、1日の夕方の船で石垣に渡って2日のライブを終えてからまた戻ってきて、3日の十五夜を鳩間で過ごしたいし、4日の結願祭も体験したいなと思っていましたが、台風17号の影響が出てきて、明日からしばらく欠航になるだろうとの予想。
島人のこういう予想はまず間違いなく当たるので、一旦は荷物を石垣に引き上げます。
船も上げ始めて、台風の準備も徐々に進んでいます。
M.H.棟梁も仕事を中途で片付けて石垣へ引き上げです。

10月1日のとばらーま大会は、晴天。
十三夜の月の下、真栄里公園の野外ステージで行なわれました。
ここは二年前から始まった場所で、広くてとても気持ちがよいのです。
出場者23名。
知り合いのH.H.氏は優秀賞でした。

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10月2日のパパビゴーヂのソロライブはお客様の都合もあって、三部構成。
一部はバーデン・パウエルの作品、ガロートの作品、二部はショーロの有名曲、ボサノバの有名曲を中心に、そして三部は石垣のサンバチームの仲間をバテリアに加えて皆で乗れるサンバの曲と。
お客様も満員で、最後はノリノリのステージになりました。

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ソロも続けてやってくると慣れてくるもので、また逆にここがまずい、ここが練習不足だという部分もはっきりと見えてきます。
必ずしも、事前に予測していたことと違うものが見えてくるのが面白いですね。
そして翌日は、案の定欠航。しばらくは欠航だろうということで鳩間へ戻ることは残念ながら断念しました。

いい天気なので伊原間のたいらファミリーや野底に移住したTさん宅を訪れたりします。
偶然同じ宿に泊っていたのが、古くからの音楽仲間である鈴木亜紀さん。
十年ぶりくらいの再会でしょうか。
彼女は、4日にスケアクロでライブがあるのです。
今晩、十五夜の夜は台風の影響で天気が悪く、月は出ませんが、それでも各家庭や地区で月祭り・観月会が催されます。
定番行事ですから。
いつもお世話になる、T校長先生のお誘いで白保の棒術を亜紀さんと見学に白保地区へ。
これは神様に奉納する神事で無形文化財になっており、2名1組で10組登場しました。
棒だけでなく鎌なんかも使いますが、型とはいえ二者がかなり接近して演じられているので間違えば当たってしまうし怪我もするでしょうからとても真剣です。
一から四の演技まであり、三、四は集団で演じられるもので、見ていて飽きない流れが感じられました。
個々の出し物から段々激しくなっていき最後はクライマックスから収束に至る、変な例えかもしれませんが、花火大会を思い出してしまいました。

入場
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さて、神事の後はぶがりなおしですが、これが公民館に付属している豪華野外ステージでの十五夜のど自慢大会。

上等なステージ
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飲みながらの流れですから、無礼講。
亜紀さんと小生も参加、仲良く鐘二つの賞品はボックスティッシュ3箱、台所洗剤、大根でありました。
演目は二人とも当然演歌ですよ。
ぱらぱらときますが追い風方向の大きいフクギを背にしているのでたいしたことはないし、地元の人に言わせると「タコの小便」というすぐ止む雨です。
同じグループで飲んでいたTさんが最優秀賞に輝き、更にお祝いするために皆でTさん宅へ。

最優秀
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おうちでも各自唄を披露します。

T校長の鳩間中森
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亜紀さんもアカペラでオリジナルを披露。皆を魅了しました。

ピンボケでごめんね。
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夜半、帰り道は大雨。これはもろに台風の影響でしょうね。
明け方雷注意報が出て、翌日曜日に予定されていた運動会は中止になったところが多かったようです。

その日曜日、昼間はいい天気。
午後からばんな公園で行なわれた石垣サンバチームの練習へ。
とても広い空間なので思い切り叩けます。
着実にメンバーの質・料とも高めていきましょう
そして鳩間でブレイクしましょうね。
次はあそこの芝生を行進してみたいですね。

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こやつらもすぐに活躍出来ると思います。
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夜は、亜紀さんのライブを聴きにスケアクロへ。
昔はブラジルものもやっていた時期があって、その頃からオリジナル指向だったと思いますが、今はオリジナル一本、立派なものです。
唄もメロもとても面白いもので、特に歌詞が大人の女の心情を語っていていいですね。
内向きな陰々としたものでないところがいい。
小生は自虐的で自己愛的な歌詞はきらいなので、好感が持てました。

翌朝亜紀さんと小生だけがお気に入りのGにて朝食。
彼女は翌日から那覇・鹿児島・宮崎の旅を続けていくとのこと。
よい旅を続けてください。
また会いましょね。

さて、八重山にもそろそろ台風の影響が出てきて微妙な感じです。
17号は相変わらず台湾の南に停滞し、波の高さに影響を及ぼしています。上原・鳩間は今日も欠航。
小生の戻りのチケットは6日の火曜日ですが、18号の影響がそろそろ心配になってきます。
まだ動きは遅いようで、7日あたりから空の影響が出そう。
ということで、5日の夜はお世話になったパパビゴーヂで最後の乾杯を。
来年の春の鳩間島音楽祭に向けて石垣チームも頑張ろうということになりました。
6日の航空機は問題なく運行しました。

その後、これを書いている時点では18号は大変な台風になりましたね。
でも実は明日から18号が上陸したルートに近い豊橋・中部天竜第二段なのです。

今年も、無事に秋の八重山・沖縄行きを楽しむことが出来ました。
お世話になった皆様、ありがとうございました。
特に、一週間もお世話になった楽天屋の皆さん、本当にありがとうございました。
お庭のパパヤー、とても美味しくいただきました。

2010年05月20日

第13回鳩間島音楽祭&第4回たいらファミリー音楽祭

皆様こんばんは。

4月30日のパパビゴーヂでのライブを終え、今日5月1日は鳩間島へ移動です。
小生は、皆より一足早く9時の一便で入ります。
港で鳩間出身のTさんと一緒になり10時前には到着。便利になったものです。
天気は曇り、例年より涼しい。
去年の秋以来の鳩間島。
米盛ご夫妻も元気そうです。
今日は一軒に5名宿泊と余裕です。明日から人数が増えて賑やかになります。
食材は事前に石垣で買って送ったものを中心に、庭のパパヤー、ナーベラー、胡瓜、トマトなど心配なさそう。明日になれば、石垣チームが大量の弁当、食材と共に乗り込んでくるはずなので、今年、生ものは何にも買っていません。
夕飯は、ナーベラー炒めに差し入れのパパヤーとシャコ貝の酢の物に刺身等がついて、たぶん民宿の食事には負けていませんね。
明日から忙しくなるのでほどほどに飲んでゆっくり寝ます。

再建なった武士ん家の土台
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5月2日の鳩間島。
相変わらず天気は良くありません。
時折スコールのような大雨が降っています。
この夜から前夜祭が始まるので、今日から沢山のお客さんが来島し始めます。
そして、石垣サンバチームが大量の弁当、食材と共に到着。
早速昼ごはん。

弁当!!!!!
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単身とカップルは前に、家族連れは母屋へと振り分けます。
本日は約20名の宿泊です。
一気に賑やかになりました。

たーくんとうたや1号のボントロ練習風景
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皆がほぼ揃ったところで、去年は家庭の事情で一緒にステージに参加することが出来なかった米盛のおじいの参加表明がありました。
曰く「おじいは、今年はサンバを打とうと思う。」
大喝采!!!
以後は、バテリアの割り振りやアレンジの確認の議論は当然ですが、おじいをどう目立たせるか、更に言うならばおじいを使ってステージ、客席を盛り上げるためにはどうすればよいか、この点の議論にかなりの時間が割かれました。
結果、出てきたのが「おじい残し」。
ラヤラコーラス中16小節、おじいの太鼓だけで全員がコーラスをするというもの。
決まれば絶対に美しいはずです。
さて、全体像が決まったところで雨がちの中、練習やら散歩やらで前夜祭までの時間を過ごします。
相変わらず降ったり止んだりの天気は続きます。噂によれば、明日は波が4m、観光フェリーは早々と欠航を決めたとか云々かんぬん。
天気はあれこれ考えてもしょうがありません。
本降りのときは体育館かなあ。それも初めてだから面白いかもなどと楽天的に考えます。
夕食後は、公民館にて前夜祭。
この夜のスターはなんと言っても「エプロンシスターズ」でしょう。
メグ、サクラ、ナオのウクレレ・コーラス三人娘に加えて、今年からはうたやの息子二名がトロンボーンとコーラス、踊り(?)で加わり、ゲストにたーくんのトロンボーンというパワーアップ。
美しいハーモニーと爆笑のパフォーマンスというバランスのとり方が絶妙で会場を沸かせました。

エプロンシスターズの演奏
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明日の好天を祈りつつ、雨が上がった夜空を見上げて宴会です。

音楽祭当日5月3日
晴れ、しかもべた凪。
何で毎年こうもうまく行くのでしょう。
しかし、島人K氏の言によれば「風が巻いている。一日中こうはいかないと思うよ。」とのこと。
残りのメンバーも朝から鳩間入りし、本番に備えます。
しかし、プログラムを見ると我々は最初の方だったはずが、後の方に。しかも、我々と最後のオールスターズの間に二組入っている。
後の方はしょうがないとしても、我々で客席を立たせておいて、そのままオールスターズに持っていったほうが盛り上がりを持続できるはずで、そのようにプログラム変更をしてしまいました。後になってこれをちと後悔する場面も。

今年生徒数が減ってしまって存続が危ぶまれた鳩間校も小学生2名、中学生2名で教職員と共に元気に演奏します。

恒例鳩間校の演奏
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N校長は在任しており、2年前に小生がギターを教えたY君は上達し、那覇で頑張っているとの話を聞き嬉しく思いました。
第8回の音楽祭で共演した島出身大阪在住の大城孝夫さんが今年は出場。旧交を温め、今年も一曲だけ共演しました。

大城さんと共演
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4月25日に石垣で共演した千里さんのジャズ、ボサノバでも伴奏。
結構忙しい。
早めに終わってしまえば、今頃は飲みながら盛り上っていられたのに。

暗雲が立ち込めている
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我々はトリのオールスターズの前の出番。
1曲目、カズーが歌い上げる「Luz do sol」のまさしくその題名の如くかんかん照り、
P.A.の調子もまずまずでこれはいいぞと思って進むうち、3曲目からポツリときてその後はスコール!!!

この頃暗雲が・・・・
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でもまだ晴れ
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空は晴れていてもスコール!!!!
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雨中の演奏
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屋根がないから楽器が濡れてしまいますが、演奏が始まっている以上止めることはできません。そんなことをしたら格好悪い。しかし3曲メドレーだから長いんだよね。もう腹をくくって、電気系統に直接雨が来ないようにタオルを乗っけて演奏。
幸いにして音は最後まで途切れませんでした。
でもこんなに濡らしたのは初めてです。
3曲目からステージに上がったおじいの演奏も白熱して、キメもばっちり。いい演奏でした。
雨の中を盛り上げてくれてよく頑張ったとのありがたい評価をいただきました。
しかし順番を変えてなければ雨に遭わなかったかも、してみれば小生のせいか。すみません。
でも、入れ替えたセットでも伴奏していたはずだから、小生は同じ目にはあったことでしょう。

顔で笑って心で泣いて
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オールスターズは急遽テントの中での演奏。でも客席の盛り上がりは持続していました。
よかった。

その後は例によって、桟橋での見送りです。

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雨が降ってきたことで風が変わって涼しくなってきています。
午前中の島人K氏の予想はまさしく的中。
しかし、全体的に見れば今回の音楽祭も好天に恵まれましたということになるのでしょう。
夕食後は、公民館で後夜祭。
この夜もエプロンシスターズの演奏は盛り上げてくれました。
そして、Tさんのベリーダンスは去年に続いて大受け。
皆の視線を釘付け。
後夜祭後はそれぞれ打ち上げ。
この夜は痛飲してもいいのだ。

翌5月4日は晴れて暑さが戻ってきました。
この日に石垣に戻る人が多く、島が段々静かになっていきます。
残っているメンバーも今日は海へ行ったり、散歩したり、昼寝したり、酒を飲んだり、夕方から夜にかけてのお別れパゴーヂまでのんびりと過ごします。
午後からは北海岸で巣潜りも楽しみました。

いつもどおりの北海岸
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お別れパゴーヂ
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新しい相棒、盲導犬のジムとやってきたM君ですが、島に着いたらジムがペット犬になってしまったと苦笑。
ちょっとしたどじも踏みつつ島を楽しんでいるようでした。

5月5日は雨がち
毎年この頃から入梅するので慣れてはいるのですが、今年はその前の暑さがなかったのでちょっと違和感があります。
この日は毎年恒例になった、石垣市伊原間たいらファミリーでのコンサート。今年で第四回。
午前中の船で石垣へ移動です。
宿泊者はすっかりこの生活に慣れて、何も言わなくてもきっちり朝早く起きて、掃除をし、食事を作り後片付けをして、ゴミの処理、トイレ掃除までして、悔いなく出発します。
島人たちと来年の再会を誓い合って出港。

噂によると、たいらファミリーは例年の庭の常設ステージの他に、北側の駐車場に野外ステージをこしらえて、今年はそこでのステージになるとのこと。興味津々、不安半分。
確かに2000名収容(主催者談)の野外ステージですが、黒雲たちこめる中、雨よけの準備がない。
逃げ場がある従来の庭でやったらどうかとの意見もある中、「天気を気にしていたら何も出来ん。」とのご主人の一言で野外ステージ開催決行。
ステージに雨よけのビニールシートを設置したりしていたのが、開演予定時の午後5時頃。これからP.A.チェックという時間の流れの緩さです。
お客さんも慣れているのか、逃げ込み場所の車を用意して(元々駐車場ですから。)、雨がひどくなったら野外映画館のように車の中から見るという態勢。
しかし、ぱらぱらときてはいるのですが、あまり濡れることのない雨(白保ではこのような雨を「蛸の小便」と言っておりました。)で最後まで行けました。

野外ステージ
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予定時刻一時間半ほど遅れて6時30分頃開演。
ショーの内容は、ITA e KAZUの演奏、子供エイサー、たいらファミリーバンドと娘さんたちによる民謡と踊り、千里さんと旦那さんと小生、たーくんによるジャズ、ボサノバ、Tさんのベリーダンスは待ってましたとばかりに会場中大受け、そして何年か前から我々とチョーデーグヮー・バンドとなった、鳩間オールスターズwithターキー、花城ファミリー、平良八重子さんの踊り付きに、司会は浦崎鉦雄from鳩間島という鳩間島音楽祭の向こうを張った豪華バージョン。

たいらファミリーバンド&オリオンビール踊り
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ITA e KAZU & Friend
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待ってましたのベリーダンス
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鳩間オールスターズwith花城ファミリー 
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入場無料、持ち込み自由で、お客さんはおもいおもいにお膳やらシートやら広げ夜のピクニック状態で、子供らは駆けずり回り、踊れや踊れのシマの宴会状態です。
琉球空手の師範でもある平良八重子さんの踊りは、鳩間でも演じられた空手の形が入った演舞、しかも槍、ヌンチャクやらも使い、気合が凄い。見直してしまいました。

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ご主人の正吉さんとのユーモラスな踊りもとても愉快でした。
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恒例のターキーのバースデイも、今年はオールスターズの伴奏でケーキ贈呈。

ここでしか見られない浦崎兄弟デュオ
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ファミリーは、屋台状態で飲み物、食べ物を販売していたようですが、来年はもっと大掛かりで来るでしょうね。

ここでしか味わえない楽しさがあるので、毎年ここでやるのはすごく楽しみです。
伊原間独特の時間の流れの緩さの中で、通常のイベントの常識から外れた考え方で運営されていくこのショーは、たぶん来年以降ももっと大掛かりになって、ゆくゆくは伊原間音楽祭となって石垣北部を巻き込んで名物化していけばいいですね。
たっぷり楽しんだ翌朝5月6日は本降りの雨。
起きたとたんに後夜祭。
何年ぶりかで聞くM男氏の朝ですよー・コール。
小生もあの頃からは飲み方も勉強しましたんで対応OK.。
石垣牛の刺身にバーベキュー。
とても美味しいのですが、朝からはちと重い。
歓迎の気持ちですからありがたくいただきます。
まだ旅は続きます。
ではでは

2010年05月28日

2010春・南城市から座間味

皆様こんばんは。

雨がちの5月6日、石垣島。
さすがに肝臓が疲れを感じています。
今日一日はOFFなのでのんびりできます。
来年の音楽祭の開催を誓い合い、伊原間を後にして、途中、野底のTさんが今月開店するというカフェに寄ります。
「カフェ」・・・・・しばらくご無沙汰だったような気がする。
場所は県道沿い、お店の名前は「TROPICAL NOSOKO」。
お庭もある感じのいい場所です。ここでもライブをやろうねとのことで、この場所だったら、地元と混然となったライブがまたまたできそうですね。伊原間とは別の意味で。
今晩は、さすがに疲れて早めに就寝。

5月7日は、今回、石垣での最後のライブ。
パパ・ビゴーヂでのテーブル・パゴーヂです。
これも何年か前にひょんなことから実現したもので、テーブルを囲んで皆でどんどん唄い演奏していくというスタイルです。
地元人気ミュージッシャン、I原K一さんも参加して、楽しい夜になりました。
KAZU曰く「コーちゃんの唄の後は、ぺんぺん草も生えない。」。
要は、お客さんの気持ちを全部かっさらっていっちゃうんですね。
彼流の昭和歌謡、確かにそんな印象でした。

記念写真
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5月8日は沖縄に向けて出発です。
今回はギターを2台持っているので移動が大変。
もっとも常に2台持って歩くわけではなく、空港間の移動が殆どです。
ギターケースというものは結構隙間が空いていて、この空間に乾いた衣類等を詰め込むと荷物の分散にもなるしクッションにもなってとても便利だということにこの旅で気付きました。
ただ、空港での荷物のチェックがきつくなっていて、預ける物は20kgまでは無料で、なおかつ手荷物に金属が入っていると面倒なことになるので、20kg以内になるように金属を含め楽器類等を上手く分散させます。

さて、本日は沖縄南城市玉城「玉々庵」でのソロ・ライブ。
先月沖縄に入った当初がソロだったので、戻ってきた感じですね。
ソロの場合はクラシック寄りの曲も演奏するのですが、このときのこころもちが難しい。

ミスったらどうするかという不安ですね。

アドリブが効くジャンルはミスったとしてもつなぐことができますが、クラシックのソロのように完成された作品だとそうはいかない。ミスったときにつなぐことが難しい。
そのために緊張して、演奏を楽しめないのではお客様に奏者の気持ちは伝わらないのではと思ってしまいます。
暗譜は無論のこと、自分で余裕を持って楽しむためには反復練習しかないんでしょうね。

コンサートのアフターアワーズは、お楽しみセッションタイム。
ジャンル不問のこの時間は、何も考えずに楽しむことが出来ます。これって大事な時間だなあ。
やっぱり「玉々庵」での演奏は楽しい。

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月がばっちり出てますね。
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翌5月9日は座間味行き。
午前9時半頃までに泊港に着く必要があります。
ゆえに早起き。
朝から雨です。しかも結構大雨。
沖縄は既に入梅したとのこと。
何だか暑さを味わう前に入梅しちゃってちょっと寂しい気持ちです。

泊港からフェリーで約2時間。
座間味島に到着です。

久し振りの座間味島
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天候は雨がちですが回復の兆しも見せています。
何で天候を気にするかというと、本日のライブ会場は晴天であればペンションの庭ということだったからです。
結局、入梅もしたので、演奏スペースはカフェの室内。客席は庭、雨よけのブルーシートによる屋根付きということになりました。

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夕方から雨も上がり、バーベキューの用意も整って、夕方から地元の皆さんを中心としてお客様が集まり始めます。
この日のメンバーは、来沖してからすぐに一緒に演奏した千葉俊行さん(ts.)、沖縄のジャズミュージッシャン、ジャズファンなら知らない人はいないというベテランベーシスト、西川勲さん、そして若手のとてもソウルフルで、クロっぽいボーカリスト、吉田雅さんと小生という4名。
西川さんは噂には散々聞いていて、今回始めてお会いしたのですが、ショーン・コネリーに似ている恰幅のいいおじさんです。
プレイはさすがに素晴らしい。磐石の土台という感じで安定しています。
生ベースのサウンドもとても気持ちいい。
吉田さんのボーカルは、とてもお客様にアピールするボーカル。小生好みのクロっぽいジャズ。
ハスキーな声がとてもいい感じでした。
千葉さんとは、昨年、今回とやっていますのでだいぶ気心が知れてきています。

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この夜のジャズ演奏も、4月24日の演奏と同じで、ものすごく楽しかった。
お客様も老若男女、本当にジャズを楽しんでくれているようでした。
沖縄のジャズは何でこんなに演奏する方も聴く側も楽しげなんだろうと考えてしまいましたね。
思うに、我々のブラジル音楽を受け入れてくれた島の人達は、広いラテンというくくりの中ではありながらブラジル音楽を楽しんでくれている。我々が思っているブラジル音楽というよりは広い受け止め方なんじゃあないでしょうか。
ジャズも然り。
西洋音楽として広く受け止めて楽しんでくれているんじゃあないでしょうか。
その広い音楽の受け止め方の土壌には、島唄が生活の中に溶け込んでいて生活と音楽が一体としてあるという伝統が存在するからのように思えます。
シチ面倒くさいことを考えないでジャズを音楽として楽しんでいる。
あるいは、ラテン音楽と言うと我々的にはそこにブラジル音楽を入れてしまう違和感など全く関係なく広く受け止めて楽しむ。
頭ではなく体で音楽を受け止めて楽しんでいるようですね。
こういう土壌ではジャズミュージッシャンが民謡をやっても当たり前のことと思えます。
本土のジャズが、どんどん観念的になっていって、ついにはクラシック音楽になっていった時期を知る小生としては、まことに沖縄は音楽先進国だなあと思ってしまいます。
若気の至りとは言え、あんなジャズの聴き方や演奏をしていた自分があほらしく思えてなりませんでした。が、ま、今ではそれも然り。
というわけで、ジャズの楽しさを改めて教わった沖縄ツアーでした。
今宵は、沖縄最後の夜、とことん飲みますよ。

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今回も想い出に残る良い旅でした。

自分としては、うちなー・ジャズの楽しさが特に印象に残った旅でした。

お世話になった皆々様、本当にありがとうございました。

近いうちにまたお会いしましょう。

ではでは

2010年10月01日

2010年秋の八重山→沖縄

皆様、こんばんは

この時期は大体八重山・沖縄行きです。
もう何年になるでしょう。
沖縄に行き始めた原点がこの時期の沖縄行きだったし、台風と重なる時期ではありますが、天気が良いときは月がきれいで、とても静かな時期です。

とばらーま大会に合わせるというのが恒例となっています。

今年は、9月20日、去年より十日ほど早い。
旧暦八月の十三夜と決まっているので、毎年新暦上は日が動きます。
例年とは異なって八重山―沖縄コースを辿ります。

さて石垣島、台風11号は去りましたが、残念ながら野外ではなく市民会館での開催。
雰囲気は真栄里公園の方が何倍も良いのですが仕方ないですね。

歌詞特別賞を取った大浜中学校の生徒さんたちによる演奏が特に耳に残りました。

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十三夜の月はきれいに輝いていました。

お馴染み登野城ステラの新装屋台
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翌日からは鳩間島。

三泊しか滞在しないので、持参の食料は米3合のみ。
米盛さんの「瑠璃」は、奥様が那覇の子供のところへ行っており、勝おじい一人で色々とやっています。
でも奥様がいないと予約の電話は皆断ってますね。ここは最近大層人気があります。

着いたその日の朝、敬老会に引き続いて秋の音楽祭をやろうということに決定。

一昨年でしたか、やはりこの時期に来ていた早稲田大学の離島交流プロジェクト(サークルです。)が来ていて、週末に帰る彼らと一緒にということでしょう。

一昨年もそうでしたが、彼らは島の掃除やら学校の手伝いやら、この時期の貴重な若い労働力になっています。特に台風シーズンは尚更。今回も11号の後片付けに奮闘したようです。

公民館前広場で敬老会―音楽祭。

長老の挨拶
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小中校生徒による演技
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小生も演奏。
で、早稲田大学の校歌をステージ上でやるということで、小生もOBなので参加。
まさか鳩間で都の西北とか紺碧の空をやるとは思いませんでしたね。
しかもターキーが早稲田大学校歌の伴奏をできるようになってるし。
さすが。

看板は5月の音楽祭のものです。
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フィナーレ
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この晩、更に月が明るく輝いています。
明日は、やはりここで観月会をやりましょうとのことです。

ここのところ毎日良い天気。
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この前方の切り株が山羊に見えてしょうがない。
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日中の温度も32度位はありそうですが、さすがに秋の風、北東の風が吹いてきています(たぶんミーニシ(新北風)でしょう。)。日陰は涼しく感じられます。

今夜は十五夜。
米盛家でも月祭の準備です。

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二年前にご一緒したことがあり、その前は浦崎家での月祭に参加させていただいておりました。

奥様は不在ですが、勝おじいが刺身を作ったり、石垣からオードブルを取り寄せたりと色々と準備は進んで、東の空から月が出始める午後七時に宴開催。
月とご先祖様に向かってお供えは、ススキの葉っぱに砂を持った茶碗、八重山のこの時期にしか食べない小豆を全体にぺたぺたと貼り付けた餅と本日のご馳走、砂に挿す線香の本数も決まっているとのことです。
月に向かって各自お祈りをしてから宴を始めます。
日本の家庭で失われつつある古い習慣がここでは現実のものとして生きています。
メインは、勝おじいによる鳩間中森、鳩間口説、千鳥節の鳩間島伝統の三曲。
相変わらず、いい声が出ています。
三味線も味があります。

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午後八時からは公民館前広場でいわば公的観月会。
本日はP.A.無で出し物が進みます。

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何か月に関係する曲をやれということで、何年か前にやはり秋の音楽祭でやったことのある「りんご追分」を演奏。この曲、今回の旅では随分演奏しましたね。

更に今夜は、U崎Y弘氏も来ているので、例によってU崎氏宅で何でもありの宴。
三味線、キーボード、ギター、笛に唄と踊りであります。
U崎氏の三味線はオールジャンルで来ます。今夜はベンチャーズから安来節まで。
相変わらずここの宴は音楽中心で楽しいですね。
ここで出し惜しみしていては楽しさ半減。
興味がありそうな観光客の皆さんも加わって真昼間(まぴろーま)のような十五夜の月の下、宴は続きました。

安来節の舞
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毎度御馴染み
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鳩間は船便が便利になったせいもあって観光客が増えているようでした。
島内の民宿も満杯。
ただ、いまだに島内を上半身裸の水着で歩くような不調法な観光客もいるようですね。

木曜日は、勝おじいとしばしの別れの宴。その歌声に、同席した民謡を勉強しているNさん(相当にやっている。)の目が点になってしまったのが面白かった。
かなりの衝撃を受けたようでした。
小生も覚えあります。

民謡についてゆんたくもしました。

民謡についての一説

土地で生まれた民謡はその土地で歌い継がれていくのが本来の形ではあるが、広められるためには紙に書いて教育していく形が必要になる。おじいが若かりし頃は九九四は無くて、対面で覚えた。紙に書いて教育すれば伝わり易い形になって広まるだろうが、紙に書けない野性味や本来の面白さは薄れていく。お行儀が良くなってしまう。
ただ、広まっている何とか流が違うという話ではなく、その土地の唄い方だとこういう唄い方もあるのだということを知ってほしい。

そういえば、ヨーロッパのクラシック音楽も本来は即興やら何やら色々ありで面白いものだったそうで、教科書で教わるものはお行儀良くて退屈でつまらないし、ジャズの分厚い理論の本を読破してもアドリブはたぶん一小節も出来ないと思うし、サンバは学校で教わるものではないという歌詞もあるし・・・・・・てなゆんたくだったかな。
印象に残った内容です。

ただ、彼らがいつも言っている「音楽は人を造る」という言葉の意味をはっきりと理解するまでにはもう少し時間がかかりそうです。

こんな話をある朝の恒例になっている勝おじいとK次さんのゆんたくに小生が加わって。

普通は朝の茶飲み話ですが、彼らの場合は朝の酒飲み話。

年配者はこうやって情報を交換し健康を確認しあうことが大事だということで、奥さんが不在だからそろそろ飯が尽きるのではないかと長老から案ずる電話がかかってきたりと、本土の都会で問題になっている高齢化の諸問題はここでは昔から直面してきたので普通の生活の中に消化しているようです。

何かと人気の出てきている鳩間島、来年の音楽祭前後の宿はもうほぼ一杯みたいです。

特にイベントとか意識しないで来てもやっぱり鳩間島は面白い。
音楽好きには退屈することがありません。

金曜日は石垣・大川のおなじみパパ・ビゴーヂでソロライブ。

新作楽器
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本当に毎日良い天気が続いて、毎晩月がきれい。

土曜日は那覇に移動。
この日は、予定していたライブがキャンセルになって暇。
明日からのライブ関係者達と飲んだりゆんたくしたり。

何だか沖縄本島にも飲み仲間やら音楽仲間が増えたとつくづく感じます。
普通にうちなーんちゅと思われているみたいだし。
顔も変わってきたのかな。
以前はそうは言われなかったから。

日曜日はおなじみ、南城市玉城の「玉々庵」でのライブですが、今回は、今年5月に座間味へ行ったメンバー+per.によるジャズライブ。
小生は別としてかなり豪華メンバーです。
ボーカルナンバーはわりと入念なリハをします。
インストは全くぶっつけ。

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座間味でも感じたのですが、このメンバーでのジャズは何て楽しいんだろう。
お客さんと一緒に楽しもうという姿勢が徹底していることもあるし、自分としてはベースの西川勲さんという強力な重石があるので自由になれるという意識もあります。

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お互いの音も良く分かるし、本当に楽しいバンドです。
レギュラーで沖縄で出来たらすごいね。
それは無理としてもこれからも機会を作ってやっていきたいです。

アフターアワーのセッションは、民謡中心。
ボーカリストの雅さんの踊り、さすがうちなーんちゅですね、良かった。

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「玉々庵」的にはメンバーも多いし冒険をしたとは思いますが、とても良いライブでした。
実は「玉々庵」って、本当はお家なんです。
でも、こういう形でのライブは極めてうちなー的であります。
主催のOさん、Cさん本当にありがとうございました。

月曜日は、休み。
南城市玉城でゆっくりと過ごします。
しかしほんとに天気いいなあ。

火曜日はいつもとは逆ルートの那覇は桜坂「サクレ」でソロ。
ソロとはいっても今回は、「サクレ」ママの美可さんのジャズボーカルとたっぷりジョイントしたかったので、当日リハもしてしまいました。

正解でした。

数えればもう数年一緒に演奏している女性ボーカルで、小生にとっての日本人ベストワンジャズボーカリストである美可さん(沖縄から外に出そうにありませんね。)とのコラボ。
リハをしたことによってかなり理解し合えたような気がします。

例えば、彼女の好きなボサノバの曲はオリジナルの歌詞の意味をアドバイスしたり、サンバ風の伴奏に馴染んでもらったり、4beatナンバーは、お互いにこんな風にしたりするといいかねなどと色々と試したり。

狭いお店ですので、結構混みあったりしましたが、お客様は楽しんでいただけたと思います。
個人的には、DUOとして固めていけるという強い印象を持った楽しいライブでした。

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アフターアワー、ムードありますね。
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10日間という短期間でしたが、八重山・沖縄、楽しくて、勉強させていただいて、感動させてもらって、自分の音楽生活の原点のような旅でした。

ふこーらさー
にーふぇゆー
にーふぇーでーびる

ではでは

2011年02月04日

2011年のボサギ合宿

皆様こんばんは。

ちょっとP.C.がトラぶっていたこともあって間が開いてしまいました。
申し訳ありません。

そんなことをしているうちに年は開け、日本海側は記録的大雪、また、演奏でもお世話になったこともある宮崎県では口蹄疫に続いて鳥インフル、そして霧島山系の噴火、かたや太平洋側、特に関東では去年の暮れから雨が降っていませんよ、からからの乾燥天気で、沖縄は例年より寒くて天気も悪く、トンと太陽を見ていないと。
人間は自然に生かされているわけですが、なにかバランスが悪くなっているような気がします。

さて、年が明けて始めの行事的なものは、毎年ボサギ合宿ということになっているようです。

今年も、1月29日と30日に開催されました。

行き先も決まっていて南房総の岩井海岸、小池荘。

小池荘ギター
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もう合宿はここしか考えられなくなってしまっています。
条件がはまりすぎる。

1.集合場所が保田漁港の食堂「番屋」であり、新鮮な魚介類が安くたっぷりと楽しめ  る。
2.小池荘のスタジオ付の1棟貸し、誰にも気を使わなくてすむ。
3.やたらに広い1棟貸しだから寝るところに困らない。
4.夜、朝、昼と3食付いていて、ボリュームがあっておいしい。なおかつ安い。
5.夜の宴会も持ち込み自由、宿との関係が非常に緩い。

夕食
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夕食後、定番の卓球
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今年あたりからは常連ということで、更に宿との関係が緩くなったように思えました。

今回は、一緒のユニットで活動しているボーカルの斎藤みゆきさんの参加があったので更に充実したものとなりました。
彼女は茅ヶ崎在住なので都内を発車する車に便乗する予定でしたが、トラブルがあって、急遽、久里浜・浜金谷間のフェリーで来るころになりました。
これが正解、安くて早かった。保田にも近いのでピックアップも簡単でした。

ATUXIによる発声法等の総合的なレッスンとみゆきさんによるサンバ・ボサノバ・ボーカルというボーカルの本格的なレッスンが出来上がるので、今回、ギターはボーカルと分けて別室にてとり行うということにしました。
また、体で感じるリズムトレーニングというものもやりました。
生徒さんが一人づつ講師のところを回っていくのでなんだかやたら忙しかったような気がします。
健康診断みたいだ。
今年の合宿の特色の一つはこれですね。
すなわちレッスンの充実。

で、これも毎年のものですが、夕食後のセッション&裏芸タイム。
今年は結構テンションが高かったように思います。
で、女子高生ロックギタリスト参入。
ATUXI、ドラムのT代さんを従え堂々の演奏。
聴衆一同、目が点になっておりました。

ロック・トリオ
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そしてATUXIの裏芸。

残念ながら文字で記すことはできませんが、苦しくなるくらい笑えます。
これを表芸にすることは、この印象が強すぎるので避けなければいけないそうです。
ですからこの裏芸を堪能できる人達はこういう場にいることができる人達に限られているわけで、考えてみれば贅沢ですね。

裏芸の片鱗
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そして、今日はサッカー・アジアカップ決勝戦、日本対オーストラリアが深夜0時頃からキックオフ。
セッション&裏芸タイムの後、宴会部屋で皆で飲みつつTV観戦。
ハーフタイムは時間いっぱいの裏芸。
そして再びTV観戦。
いやー、勝ってよかったですね。

その後また盛り上がったことは言うまでもありません。

翌日は、レッスン補習と成果発表。

朝の岩井海岸
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今年は息をつく暇もなかったような合宿でした。
もちろん一日目夕食後寝るまでは別として。

なにか新しい展開に持って行けそうな予感をさせるような合宿でした。

恒例集合(合宿)
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そしてこれと連動するボサギ発表会&お楽しみ大セッション大会は3月27日(日)13時から、大塚エスペートブラジル  http://aka.gmobb.jp/espetobr/index.html  で開催されます。
入場料500円・飲食代実費。
ミュージッシャンの参加もあり、日曜の午後ゆっくり安く楽しめます。
もちろん誰でも参加できますし、普通の参加型ライブとして見てもかなり面白いと思います

ご興味がありましたら是非お越しください。

ではでは

2011年05月20日

2011年春・沖縄から与那国島へ

皆様、こんばんは
今年も鳩間島音楽祭の時期がやってきました。
今年は震災のため、気分がマイナスになりがちですが、根拠の無い自粛ムードは何のためにもならないと思って、例年と変わらずつとめあげることにしました。

今年は、4月22日出発、5月9日帰着と例年に比べて若干長いかもしれません。
今回は、前半に与那国島を訪れることがいつもと異なります。

小生を鳩間島音楽祭に出演させるきっかけを作ってくれて、その後も八重山との音楽交流の橋渡しをしてくれているT校長先生の赴任先が与那国小学校で、一度遊びにおいでと以前から言われていました。

与那国島は、石垣島から127km、日本最西端の島でそんなに簡単に行けるところではないのですが、T校長は確か来年定年退職の筈だからその前に一度行っておこうと、今回思い切って行ってみました。

さて、旅の始まりはいつものように沖縄(沖縄本島のことを指します。)からです。
まずは、那覇市桜坂の「SACRE」にてソロライブ。
ソロとはいっても、美可さんのボーカルがたっぷり入るのであまりソロっぽくはありません。
最近は、演奏する前に二人でリハーサルもしているのでだいぶ息が合ってきているようです。
素敵なジャズボーカルをたっぷりと唄ってもらいました。
年に二回は共演しているから、呼吸も合いますね。
とても気持ちのいいライブです

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翌23日は空きスケジュール、昼間は与儀公園の方まで散歩したりして、夜は浦添の友人Y子さんと食事と飲みは栄町市場。
絵に描いたような古い古い飲み屋横丁で、なんだか郷愁をそそります。

そういえば、22日に羽田から沖縄までのANA機長は偶然、高校の同級生。
わりと最近ライブに来てくれていたので印象があって、普段聞き流してしまう「機長は某です。」というアナウンスが耳に入って、CAさんを通して到着後連絡してもらいました。
こんな偶然はかなり珍しい。

24日は玉城「玉々庵」で千葉(ts.ss)ー西川(b)―雅(vo)―小生のジャズライブ、その前に玉々庵主人、大池功さんも出演するパレット久茂地前で開催された震災復興応援ライブエイドへ。
大池さんは知念良吉さんのバンドに出演。飄々としたサウンドがとても素敵でした。

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その後合流して玉城「玉々庵」へ向かいます。
このクァルテットは今回で3回目の演奏。
沖縄ジャズ界の重鎮、西川勲さんを強力な重石に置いてスイングします。
彼らとジャズを演奏すると本当に楽しい。
東京でジャズを演奏するのと違うのは何故か。前回から相当に感じていて自分なりの理由もなんとなく出せそうなのですが、もう今は理屈で考えるのはやめようと思いました。
小生は評論家ではないので。
今回はこのメンツと終盤、座間味島でもう一回、しかもブラジル音楽を含めて演奏できるのがとても楽しみです。

千葉ー西川ー板垣トリオ   もうトリオ名をつけてもいいかも。
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ミヤビさんのソウルフルなボーカル
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楽しいアフターアワー。玉々庵はこれがいいのです。
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翌25日、一旦石垣島へ行って26日の朝、飛行機で与那国島へ向かいます。
26日の石垣島は相当な雨。
でも、127km離れた与那国は曇り空ながら雨は降ってはいません。
研修で石垣に出かけるT校長と入れ替わり。明後日には戻ってくるそうで。

本日から二日間はあやみはびる館(あやみはびるとは与那国蚕(よなぐにさん)のことです。)という博物館と同じ敷地内にある児童交流施設に滞在します。

以前に石垣の少年自然の家にも泊まったことがありますが、それと同じような施設で、ロケーションも市街地からかなり離れた山の上にあります(車でないと行けません。)が、ここは5km四方に人家は無いんじゃあないかな。案内してくれた教育委員会のMさんによれば、夜は街灯も無いので真っ暗になる。明かりはここだけだから決して窓は開けないでくれと。山中の有象無象が集まって来てしまう。
広大な施設に一人、というのはちょっと怖いかもしれませんが、小生はこういうの好きです。

交流センター
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アヤミハビル館から交流センター全景を臨む。
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アヤミハビル館とヤギ
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交流センターから祖内方向の眺め
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こういう施設に泊まっていて教育委員会のお世話にもなるわけですから、当然学校に対しての特別授業という仕事はしなければなりません。それは後のお楽しみ。

校長が出張してしまったので、教育委員会のMさんに色々と案内してもらいました。実はこのMさん、唄者でありまして、後日、交流音楽祭においてその強烈な存在感をアピールしてもらうことになります。そのことが分かったのが、一緒に比川集落に住む陶芸家のYさんをお尋ねしたときでした。

T校長が28日にゆんたく会があるからねと言っていたのが、どうやら島の音楽愛好者との交流コンサートという形になっているらしく、Yさん宅訪問は小生の顔見せを兼ねてケーナやギター、唄をたしなむYさんのコンサート出演をプッシュするためらしい。
仕事場でもあるYさん宅で楽器を取り出してわいわいやっているうちに、件のMさんも昔のバンド経験からオリジナルの曲を一曲披露してくれました。これが実にすばらしい唄で、是非出演してもらわなければということで盛り上がってきました。

陶芸家Yさん宅にて
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校長のセッティングの巧妙さは鳩間、石垣の頃から十分に知っているので、これは気合を入れなければと思ったりします。

この日は、車で大まかに島を回ってみます。
与那国島は周囲約23km、石垣島までは127km、台湾までは111kmです。
島内は、「自衛隊誘致は私たちの悲願です」と「自衛隊誘致絶対反対」の横断幕が隣り合っており、これが最近の情勢です。

断崖絶壁の島という感じで浜は数えるほどしかありません。
道路は良いのですが、起伏に富んでおり、この島でのマラソン大会はきつそうですね。

校長が車と共に貸してくれたダンボールの中身は、炊飯器と米、鍋とインスタントコーンスープ、お茶漬け海苔とふりかけ。彼の言わんとしていることが良く分かります。
でも車があれば便利です。

ここに住んでます。
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夜になって、Mさんが一人の青年を連れてやって来ました。
沖縄でジャズをやっていた仲間から聞いた話では、一緒にプロでやっていたベーシストが教員になって与那国にいる。機会があったら一緒にやってみな・・・・・と。
そのMさん(以後TMさんです。)が、与那国小学校の教員をしているのでした。
これも偶然ですね。

プロでやっていた当時を振り返って色々なお話をお聞きしました。
コンサートでは一緒にやりましょうと。
沖縄の千葉さんや西川さん、美加さんのお墨付きのベーシストだからきっと楽しいことになりそうだ。

この施設、本当に夜は真っ暗。
人によってはこんなに広いところに一人だけというのは気味が悪いかもしれませんが、小生は結構好き。
敷地内にヤギが六匹、周囲に馬と牛がいますが、よく分からない鳴き声や叫び声みたいのも聞こえるし、でも熟睡。

翌日は、いい天気。
まずは、同じ敷地にある「あやみはびる館」を見学。見学者は小生一人ですからゆっくり見学できます。どうせ暇だからじっくり見てやろう。

あやみはびる(綾の模様のある蝶という意味で、与那国蚕(よなぐにさん)のことです。)という世界最大級の蛾は、羽化して雄で4、5日、雌で5~9日で死んでしまうそうで、ただ子孫を残すためだけに羽化する、蜜を採ることもないということで、見てくれとは逆にはかない生き物です。
この他、この島には珍しい蝶とかクワガタとかマニア垂涎の生き物が一杯いるようで、日本最小の蝉というものを係の人(実は昆虫学者ということです。)が裏から捕ってきて見せてくれました。ハエのようにしか見えないがよく見ると蝉だ。どうするのかと聞くと、木登りとかげの餌にするとかで、かごに入れると、とかげがパクッ。

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しかし、学名ヤエヤマオオゴキブリとはあまり会いたくない。

ヨナグニサン
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これも珍しいクワガタの種類
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この島は八重山、沖縄、日本へ至る黒潮の源流に位置するそうで、地理的には台湾、東南アジア、大陸からの流れの始まりですから、日本本土とは色々な面で異なっているようです。
それにしても蝶は海を渡るというけれど、確かに大海をひらひらと飛んでいる蝶を見かけることはありますが、どこで休むんでしょう。余計な心配ですが。

「あやみはびる館」は、生き物のみならず、与那国島の歴史を知る上でもとても有意義な施設でした。博物館を独占して堪能するという機会はあまりありませんが、じっくり見ると博物館というものは実に楽しいものです。

天気が良いので、車で島を一周。

立神岩
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東崎(あがりざき)灯台を臨む。
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宮良長包の曲で有名な、なんた浜
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島南部の比川浜
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東(あがり)崎方向を臨む。
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人頭税対策のため妊婦にここを飛ばせて死に至らしめたという非道な史跡、クブラバリ。
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与那国馬の群れが海の方からやってきて、道路へ去って行ったりします。

やって来て
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去って行く
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校長が夕方の便で戻ってくるので空港へお迎え、すぐにPTA総会だということで、大変お忙しそうです。
それでも夜は教頭先生も交えてのんびりゆんたくする時間も取れました。

さて、翌28日はちと忙しい。
二日間お世話になった交流センターを出て校長宅へ。午後の五時限目に五六年生を対象とした特別授業を行います。
その後TM先生の生ベースとリハーサルを行って、夕方から交流コンサートの準備と本番、後片付け、打ち上げと。

特別授業は、約40分、ブラジル音楽について語りと演奏ですが、何時もよりは子供たちに鳴り物を持たせて一緒に体験してもらう時間を増やしました。楽しんでもらえたかな。
子供たちは皆とても元気そうです。

与那国小学校
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池には与那国島の形をした石の造形
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特別授業
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学校の庭にオオゴマダラ(モンシロチョウを巨大にしたような蝶)のさなぎというものがあるのを教えてもらいましたが、これが黄金色、黄色ではなくて。珍しいなあ。

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交流コンサートは、与那国小学校体育館にて19時~21時。
演奏者は、フォークデュオ、オペラ歌手ピアノの伴奏付、Yさんのケーナとギターと唄でボリビア、ペルー方面の曲小生も加わる、ハワイアンスタイルの演奏、飛び入りのギター弾き語り、Mさんによるオリジナル曲の弾き語り、そして小生とベーシストTM先生によるデュオ演奏と結構盛りだくさん。

で、これが皆さん相当達者ですし、実に楽しそうに演奏します。
唄は皆、けれんみが無くストレートな表現で感心しました。
特にMさんのオリジナル曲の弾き語りは、何年ぶりでやったというわりには強烈な表現力で圧倒されました。ギターコードなんか2つしか弾いてないです。歌の強力な表現力があるのでギターの細かいことなどどうでもよくなっちゃう。石垣島は白百合のK.I.さんと通じるものがあると思っていたら、昔一緒にバンドをやっていたとのこと。
納得。

こういう音楽祭的なものは以前、比川集落でやっていたものの、それがお祭りに変化していって最近はやっていなかったということで、これだけ腕達者がいるとこれからもやっていきたいねとの意見もありました。
きっかけがあって、音楽を通した島人たちの新しい交流が生まれてとても良かったと思います。

若手教員によるデュオ。声の伸びが良くてハーモニーもきれいでとても良かった。
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オペラ歌手の熱唱
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T校長の司会
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陶芸家Yさんのケーナ(暗くてすみません。)
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Mさんの極めて強力なオリジナルソング
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TM先生(b)と小生。楽しかった。(写真が暗くてすみません。)
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それにしても、石垣島の伊原間のコンサートもこんなふうにして始めて今年で5回目ですっかり恒例化しているし、その他にも明石、大浜なんかでも段取りを組んでくれたし、色々な意見の人がいるからこういう催しを行うのは大変だと思うのですが、校長のいつもながらのみごとな根回し、調整、段取り、しかも本人は前日まで出張している、どういうふうに行うのか、まったく頭が下がります。
後は校長宅で打ち上げです。

翌日は休日ですが、午後からは学校で育てているサトウキビの世話をしなければいけないということで、午前中校長自ら島を案内してくださるとのことになりました。

自分一人で車で一周したとはいっても、やはり地元にいる人と一緒に回ると視点が違います。

日本最西端にて
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与那国島は、一島一町で、石垣島からも離れているし、インフラ、ライフライン、行政等一つの島で完結しているようです。
与那国の人達は沖縄、八重山の人達に比べて大柄だそうです。
たても横も。
なまじダイエットなど眼中に無いそうで、それは美的感覚が違うのかもしれないねとは言っていましたが、水に石灰分が多いことの影響は眉唾物としても、更に南国の方とのつながりが深かったのかもしれません。海賊が来襲することが多かったこの島を守った伝説の女傑サンアイイソバも見上げるような大女だったとの伝説があります。

日本馬の原種といわれて大切に育成されている与那国馬。大人でも我々の胸くらいの身の丈、穏やかな気質でとても可愛いのです。この島では犬のような感じで居るのです。町立の与那国馬とのふれあい施設、「ゆうゆう広場」へ行きました。
実に可愛い。後ろからつんつんされて、なでなでしてあげて、すっかりファンになりました。

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そういえば、「与那国の猫小(まやぐぁー)」という民謡があって、その内容は、首里のお城の鼠を退治した与那国の猫が王様に珍重されて、結果、猫が与那国島を救ったということらしいのですが、その伝説が生きているようで、猫は大事にされているそうです。

市街地の中に堂々とそびえたっているティンダハナタという岸壁があります。中腹の遊歩道は観光用ですので行ったのですが、今日はそのてっぺんの平原、草原になっているのですが、そこまで案内してくれました。祖内集落が一望できます。高さ約70m、柵も何もありません。
しかし落ちても途中や下が鬱蒼とした森なので死には至らないことが多いそうで。
昔ここは、毛遊びの場所だったそうですが、下からは70m上のこの場所の会話が良く聞こえたそうです。そう言われてみると下の物音が聞こえますね。

ティンダハナタのてっぺんから祖内集落を臨む。
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そして、人口より多いといわれるお墓集落へ。
びっくりしたのですが、この島ではまだ土葬だそうで、座った状態でご遺体を運んで、伸ばして棺に入れて立派な亀甲墓に安置します。13年目に取り出して洗骨してお墓の近くで燃やすそうです。のぼりのようなものが多数はためいている景観やこのような習慣、日本の景色とはちょっと違いますね。
破天荒に立派なお墓もありました。

これは一体何か・・・・・・・・お墓の門です。
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で、これがお墓本体。これは例外的に超ゴージャスなものです。
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最高峰の(231m)宇良部岳まで登ると島の全体が見渡せそうでした。

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島に三つある酒造のうち、舞富名を作っている入波平酒蔵に寄ってみました。
ここでは、校長と知己の副社長さんから泡盛についてお話を聞けました。
今更恥ずかしいのですが、泡盛の原料がタイ米であることについて、お酒は土地の材料で作られるのが通常だから、何故タイ米なんだろうと疑問を持っておりました。
米が東南アジアから黒潮に乗って伝わって来たので、当初からいわゆるタイ米が伝わってきて、本土へ伝わってからはジャポニカ米になっていったということらしいのですが、そうすると、いわゆるタイ米というのは沖縄全体を見ると地場の米なんだなと、それで酒つくり、暑いから醸造は向かないから蒸留、麹は黒麹、結果、泡盛が出来ていったということのようです。
勉強になったし、おまけに60度の花酒の試飲なんかもできるし、製造現場も見学できて貴重な体験をしました。

検定用の甕に溜め置く。
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まさに醗酵中、とても良い香りがします。
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ほんの三時間くらい校長と車で楽しいお話をしながら回っただけなのに、なんだかすごく知識を仕入れた気分になっているのです。
そうか、この人はベテランの教育者だったと改めて見直してしまいました。

この日の夕方のRACで石垣島に戻ります。

RAC
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これから先は仲間と楽旅になります。

今回、思い切って与那国島まで行って本当に良かったと思います。
音楽の持つ力、音楽がとりもってくれる人とのつながり、音楽を媒体にして人と人とがつながれること、そして勇気付けられること、勇気を与えること・・・・・。
音楽をやっている意味を更に確認できたような気がします。こんな時期だからかもしれませんが。
与那国島の皆さんに深い深い感謝の気持ちと想い出を胸に与那国空港を飛び立ちました。

ではでは

2011年05月26日

第14回鳩間島音楽祭、9回目の出演

皆様、こんばんは

今回は2011年春・八重山・沖縄旅 第二編 「第14回鳩間島音楽祭」 です。

与那国島から戻ってきて、今回メインボーカルを務めていただく斎藤みゆきさんと合流します。

ところで、与那国空港の方が石垣空港より滑走路が長いんですね。どおりで離着陸が石垣より緩いと思った。
それでもさすがにRACのプロペラ機は着陸がスムーズですね。

みゆきさんは沖縄は何回か来ていますが、八重山は初めてとのことです。

4月30日は、おなじみのパパビゴーヂでデュオライブ、こういう場合は完全アコースティック・ライブになります。

去年からは、そのためにギターを2台持っていくので、荷物の割り振り(機内に持ち込むものと預けるもの)を工夫しています。
楽器は預けるとして、金属製の物は預けて重量が20kgを超えないようにする、かつ重くなる紙類はなるべく機内持ち込みにする、また、衣類の一部はギターケースにクッション代わりに詰め込んでしまう。こうするとわりとうまくいきます。
預けは大体いつも19kg。

さて、ライブは、客席も八割方埋まってくれて気持ちよくできました。

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翌5月1日は鳩間島へ渡ります。

以前は米、味噌、調味料的な食料は自宅から送っていたのですが、最近は送料もかかるし面倒なので、ここ石垣で調達して船に積み込むようにしています。
生鮮食品も調達するのでその方が便利です。

今年は、いつもの関東メンバーが殆ど来られないので、石垣島のサンバチームにかかる比重が大きくなります。
そこに思いがけず強い味方が。
大阪の旧知の間柄、パンデイロ奏者のP子さんが新婚旅行で石垣に来ているということで、実は先日のライブにも遊びに来てくれて客演もしてくれました。
鳩間の音楽祭にも行くというので、まさしくこれ幸い。

航路も静かで、今までと変わらない島。ほっとしますね。
例年より涼しい感じ。動いてもあまり汗もかかないし。
いつも渡った日はのんびりすることにしています。
どうせ本日夜から石垣に戻る日まで色々ある筈ですから。

鳩間は始めてのみゆきさんを案内して島を一周。
途中立ち寄った深若の浜では、島人のNさんを中心としたヤギの解体の作業中。

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夜は例によって、勝おじいや島の皆さんと飲んで唄って演奏して楽しく過ごします。

だいたい2日から皆さんやって来ます。
3日に来る石垣メンバーを除いて主要メンバーが揃いました。
日本酒上手のNさんが持ち込んだ大変に美味しい日本酒でまったりとした午後を過ごします。

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しかしこれが誤算でした。
今夜は前夜祭、無礼講にも拘らずいつも出場者が少ないので、盛り上げ役をしないといけないかなあと思っていた筈が、大変に美味しい日本酒というのは鬼門ですね。何時の間にか熟睡してしまいました。気が付いたら夜の9時半。10時には終わる筈だから・・・・・・・。あーーーあ。過ぎたことはしょうがないですね
ま、これは出番の約束も無く適当だから、いいかななどと勝手な自己弁護。
すみませんでした!!!!

熟睡したおかげで翌日、本番の日は気分爽快。
天気もまずまず。
実は沖縄は、例年より1週間も早く、4月の末に入梅しているので、天気は危ぶまれます。
今年は、打楽器の殆どを占める石垣島のメンバーが、当日入りするので、リハの時間が取れるかどうか、例によって出演時間もまだ明かされていません。みんなには何があるか分からないからなるべく早い船で来てくれと言ってあります。

この「何があるか分からない」というのは鳩間島に滞在するときの基本的なスタンスです。
いろんな意味で、常に不測の事態に備える心構えが必要です。

で、プログラムを取りに行ったら、10時開始で挨拶とか民俗古典芸能とか学校とか比較的短めの出し物の後、我々は実質的にはトップバッターになっています。
この調子だと11時過ぎには出番がやってくるのではないか。
リハーサルの時間は当然取れないし、そもそもやつらは間に合うのか。

でも何とか皆1便で到着。今日は臨時便がたくさん出ているので大丈夫でしたね。
一休みする間もなく、本番の打ち合わせです。
こんな場合は、ややこしい仕掛けは使わないのが安全で、「GO、STOP」で対応できるような構成にします。
あとはみんなのサンバぢからを信じるだけ。
今年も、瑠璃の当主、勝おじいもジョイントします。
もう3回目か。名物になってきています。
ジョイントのきっかけになった乱入を含めると4回目かな。かなり慣れてきています。
元々太鼓の名手(三味線、唄ももちろんですが。)なので、打ち始めてしまえば任せて良いわけで、GO、STOPだけをすぐ横でささやく人が必要なのです。
これは以前から若い女性の役目と決まっていて、今回は・・・・・・・・・・と考えたのですが、前出のP子ちゃんがいるではありませんか。
とても重要な役割だからと言い含めてパンデイロ演奏と共に重責を担ってもらいます。
早い時間の出演は、終わってしまえば後はゆっくり飲めたりするので望むところではあります。
時間が押す心配も無いからたっぷりとできる筈というよりプログラムを見ると出演組がなんだか少ない気もしますね。
これはじっくりやれそうだ。
午前中は天気も安定していそうだし、去年のようにステージの最中から雨が降り出すということはなさそうです。
心配されたお客さんも早い時間からほぼ一杯になって、日差しも強くとてもいい感じです。

古典「ユーアギジラマ」
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鳩間小中学校
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この頃の客席
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今年は、サンバチーム9回目の出演。

始めはKAZUと二人で参加して、段々人数が増えていき、石垣島にもサンバ愛好者が増えて、今は石垣チームを中心とした形にシフトしていってます。いい形だと思います。
メンバーも変わっていっていますが、そもそも人は集まり散じるもの。
集まり散じて人は変われど、仰ぐはおなじきサンバのちから。
どこかの校歌みたいですね。
来年は10回目の出演になります。
10年。早いですね。

ステージは音響も良く、みんなの音が良く聞こえて(これは毎年とても大事な要素です。)、とても楽しめました。
みゆきさんのボーカルはさすがの貫禄。後半は千草ちゃんとの女性ツインボーカルで盛り上がりました。
華やかでよかったなあ。
勝おじいも、もうすっかりなじんで演奏してくれました。

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鳩間島音楽祭も今年で14回、国の地域再生大賞優秀賞をもらったりして、だんだん知名度が高くなりつつあります。
でもこの音楽祭がとても素晴らしいのは、島関係者だけで運営していること、ひも付きではないこと、伝統芸能や民謡だけを重んじるのではなく、ジャンルを広げていることだと思います。
出演者全員手弁当、前日までの準備、当日の運営も翌朝の後片付けも島関係者、島に偶々いる観光客の人たちの手で行われ、誰も金銭的な利益を受けることはありません。
もっともここで何日か生活していると、お金だけじゃないということは分かりますが。
ジャンルに関しては与那国島もそうでしたが、皆、普通に音楽が好きなのでどんなジャンルでも楽しんでくれます。音楽家が音楽することの喜びを聴き手と共有できるような演奏であればどんなジャンルでも良いと思います。
もっとも小生が感じているのは、沖縄は「普通に音楽が好き」というよりは、民謡を中心とした音楽が生活の中に当たり前に存在するので、うちなんちゅは歴史的に音楽に対して鋭敏な感覚を持っていて、どんなジャンルでも良いものは受け入れてくれるような気がします。
いわば「音楽上手」な島なのです。

「鳩間中森」の舞
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踊りの先生、値千金の笑み
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オリジナルソング、70年代ポップスの香り
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この頃の客席、温度が上がってます。
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島袋マサル
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同時アート
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下地勇
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同時アートの完成
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鳩間島オールスターズ
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何はともあれ、知名度が高くなっても、音楽をする喜びを共有し合うという純粋な目標は崩してほしくないですね。

さて、我々の仲間で、今年最もうけた出演者は、下地勇でもなければ、ビギンの島袋マサルでもありません。

竹富町議会議長の西大枡高旬氏でした。

小生は見ていないのですが、竹富町の他の離島を旅している連中は、選挙ポスターが目について、それは「コ十ン」と書かれていたようです(おそらく縦書きでしょうね。)。
一体どう読めばよいのか、彼らは非常に迷ったらしい。
結果、コナンだと。
それはないでしょ。
正解は「コウジュン」だったのですが、それが彼らのトラウマになっていて、一体どういう人物なのだろうと。
それが今回の音楽祭で竹富町議会議長として挨拶してくれる。
彼らにとっては長年のトラウマが解消される機会です。しかも、一曲唄ってくれたし。

ついに登場、竹富町のゆるキャラ「ぴかりゃー」
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入梅したけどとても良い天気
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というわけで、雨に降られることも無く、無事に音楽祭を終えて、いつもの桟橋の見送りです。

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見送りを終えたとたんに、急に風が北風に変わって温度が下がって天気が悪くなっていきます。ギリギリのタイミングでしたね。
後夜祭の時間は、幸いにして雨は降っていません。
公民館と野外ですぐに雨から逃げられるように半野外ライブになりました。
昨日前夜祭をすっぽかしてしまったことは、あまり関係なく、我々の関係者もどんどん行きます。

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特に、このところ話題の、女性ウクレレデュオ、「エプロンシスターズ」は大うけ。
実力も伴っています。

シスターズのリハーサル
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それから千草ちゃんの昭和歌謡も然り。

その後は毎年のことながら、今晩は訪問されたり訪問したりで余韻を楽しみます。

ゆるゆるのパゴーヂ
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しかし、前述もしましたが翌朝は7時半から会場の後片付けです。
これは結構重労働です。
一番きついのは、ステージ前のサバニを倉庫へ戻すこと。
これが重いんだ。
大の男十数人で対応します。
でも、これだけ人数がいるとあっという間に片付きます。
9時前には終了。
公民館前広場にて大きく車座になってぶがりなおし(打ち上げ)です。
当然この時間から飲むことになるわけです。
酒は回しませんけれど、観光客の方も多いので、おとーりのような自己紹介と挨拶をしていきます。
小生はやまとんちゅスタッフ側の最古参から二番目になってしまいました。
何時の間にかね。
久しぶりに顔を合わせた島人達と朝から杯を酌み交わして、お祭りの余韻に浸りました。
今日は予定を入れていないので、その後も勝おじいや島人達と乾杯して、船の見送りをして、音楽祭の後の5月4日というのは本当にのんびり過ごせる至高の時間です。

夜はさすがに肝臓の疲れを感じて、早めに就寝。

鳩間島のお酒の付き合いは、このようにほどほどにしておくのが肝心です。
ノリに任せたら、駄目駄目になってしまいます。
無理せず、きつくなってきたら、場をしらけさせないように、誰にも知られずに引くことがベスト。
わざわざ注目を引くように挨拶する必要なんかありません。
もっとも、習得するまでは時間を要するかもしれません。

翌5月5日は、恒例になった石垣市伊原間たいらファミリーの音楽祭です。
1便で石垣へ渡ります。

事前に色々と心配はあったけれども、本当に今年も楽しくて充実した鳩間島音楽祭でした。
すべての人たちにありがとうと言いたい。
来年は10回目なんだ。
ではでは

2011年05月31日

2011年春・第五回伊原間音楽祭

皆様、こんばんは

今回は2011年春・八重山・沖縄旅 第三編 「伊原間音楽祭」をお届けします。

第14回鳩間島音楽祭も例年のような盛り上がりで終了し、また静かな島が戻ってきました。

いつも5月4日は、朝の会場後片付けーぶがりなおしの後は何の予定も入れず、島の静かな日を楽しむことにしています。
まだ、この日は島内の宿泊施設が満杯になるお程度の客さんがいて、気が向いたら見送りなどもして、全体的にお祭りの余韻を楽しんでいる感じです。

翌5日は午前中の船で石垣へ移動して、島北部の伊原間、たいらファミリーで開催されるコンサートに臨みます。

これもすっかり恒例化して、今年で5回目。

始めはこんなに続くとは思っていなかったのですが、島人たちとジョイントできるようになって、ミニ音楽祭の様相を呈してきたことが継続の大きな要因だと思います。
また、北部ではあまりこのような音楽イベントがないので、そのこともあるかもしれません。
最近は鳩間から「浦崎一門」バンドがそっくりそのままやってくるのが恒例です。
時々は石垣の民謡酒場「浜辺」メンバーとジョイントしたりする豪華バージョンもあります。
で、今年はこのようにベリーダンスに注目がいっているようです。

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昨日あたりから天気はあまりよくなくて、ま、入梅後ですからしょうがないのですが、かといって激しく降るでもなく、なんとなく持っています。
しかし、ステージには去年付けたシートの屋根がありません。
今夜はあぶないんじゃあないかな。

リハーサル中、雲行きが怪しい。
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さて、例によって17時始まりの筈が、始まったのは19時。
お客さんもその辺は心得ていて、いい感じで集まり始めます。
今年は例年の緩さに輪をかけて、出演者もよく分からないし、もちろん順番も持ち時間も。
司会もいない。
どうするんだ。
急遽みんなで適当に打ち合わせて、進行役は小生がやって、出演者に早々にマイクを渡してしまう方式に。
要は、イベントを開催するという仕掛け、宣伝したり会場設営したり飲食を用意したり出演者を集めたりするということまではできるのですが、その先、本番の運営は考えてないんですね。
ま、その緩さがイベントのカラーになっていたりして独特の味を出しているともいえます。
彼らに運営までお任せしてしまうと、疲れてしまって気の毒ですから、我々も来年からはこのことを頭において準備しましょう。

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恒例、5月5日は鳩間島のピアニスト、ターキーの誕生日祝い。
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たいらファミリーバンド
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緩さといえば、たいらファミリーという民間のそばやと地区、公民館との仕切りがあいまいなのも独特です。
一人が率先して旗を振って目立ってしまうと反発を食らうこともこういうイベントごとには付き物なんですが、ただ、ここは地区全体で楽しんでいるように思えます。
色々あるんでしょうが、与那国でもそうでしたが、気を使うところは使っているんでしょう。
地元のことは地元に任せる、我々は演奏を楽しんでもらうことに務める。
経験上、このあたりが肝心なように思えます。

つつがなく演奏、演技が進んできましたが、やはり雨が降り始めました。

雨が結構来ました。
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三味線のソロ演奏のあたりからですが、お客さんもテントや車に引いていき、演奏者が気の毒だなあと思っていると、男たちが数名ステージの上の梁によじ登り雨除けのシートを張り始めました。演奏途中に。
梁が折れそうな体重だ。
だから、こんなことなら始めから雨除けシートを張っておくべきなのであります。
以後はシートのおかげもあって、また雨も本降りにはならず最後までいけました。
ただ、雨でお客さんが早めに帰ってしまったのはちょっと残念でしたね。

毎年オリオンビール踊りを披露してくれるMちゃん、今年はそれに加えて、おばあちゃん譲りの空手の演技を見せてくれました。
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大受けだったエプロンシスターズ、ハーモニーも美しく、それでいて関西ノリの楽しさ。アンコールの嵐でした。
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おなじみ「浦崎一門」。独特のサウンドと、もはや貫禄が。
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ベリーダンスはやはり人気で、アンコールでは婦人会の皆さんが一緒に踊り出すというノリのよさ。島唄で踊るのは当たり前ですが、ベリーダンスで踊るというのはなかなかのものです。
このあたりも来年の参考にさせていただきましょう。

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婦人会の面々
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終了後は、打ち上げ、三々五々引き上げて就寝。

翌朝、さわやかな鳥の声で目覚めるのではなく、M男氏のさわやかな朝ですよコールで目覚め、朝から昨日の打ち上げの続きということもすっかり毎年のことに。

八重山の地方紙は一面トップが鳩間島音楽祭、政治のニュースはその脇に。
見開き写真ページも音楽祭特集。
さすが、かじまやーの祝やとばらーま大会が一面トップにくる土地柄ですね。

今夜は、パパ・ビゴーヂにて投げ銭参加型パゴーヂ。

客演したターキーと千草ちゃんの唄で
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今年は、楽器を演奏する人が少ないので、いつもと比べるとちょっと寂しいのですが、地元のシンガーソングライター池原宏一さんの参加はいつも盛り上げてくれます。

さすがに少々疲れてきたようです。
打ち上げをしようという気力はさすがに失せて、明日早いこともあっておとなしく引き上げました。

八重山は今日まで。
明日からは沖縄に移動、気分を変えてまたライブになります。

ではでは

2011年06月05日

2011年春・玉城から座間味へ

皆様、こんばんは

早いもので、八重山・沖縄でのライブも残すところ5月7日と8日の2日となりました。
本日、5月7日は来沖してすぐ、4月24日にライブを行った南城市の玉々庵です。
4月はバンドでのジャズ・ライブに対して、今回は斎藤みゆきさんが同道して100%ブラジリアンスタイル・アコースティックライブ。
前回とはまったくスタイルが違ったので、両方聴いてもとても楽しめたと思います。

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帰郷するのがまもなくなので、荷物が多少重くなってもいいもの、すなわち玉城焼きを購入します。
ここに来るたびに買っているので、家ではサックス奏者稲福哲夫氏作の玉城焼きが相当増えてきましたが、先の地震で食器が結構落ちてやられてしまったので補充の意味もあります。
でも毎回、新しい作品が見られるので、そのことも楽しみ。
朴訥でダイナミック、ユーモアがあって時間が閉じ込められているような感じを受けます。

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アフターアワーの哲夫氏
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そういえば、今回の旅では与那国島のYさんも陶芸家でミュージッシャンでしたね。

ここ玉々庵のお客さんは、ご主人が移住者ということかもしれませんが、沖縄へ移住してきた人と地元の方がチャンプルーになっていて、いつも和やかな感じです。
民謡は当然のことながら、民謡以外も含めて音楽をたしなむ人も多く、音楽を聴く姿勢(姿かたちではなく)がとてもいい感じです。
ご主人の大池さんとパートナーのCさんは、自然と社会、人間、環境、沖縄の問題等を幅広く捉えて実践に生かしている人なので、そのような活動に共振する人たちが自然と集まってくるのかもしれません。
とてもユニークな人たちがたくさんいらっしゃいます。とはいえ、皆が皆そうなのではなく、音楽が好きという広い幅で共振しているようです。
政治や宗教とは異なります。

翌8日は久しぶりに朝からすっきりと晴れてよい天気。

この旅の最後の目的地、座間味島へ向かいます。
昨年も開催した、Cha Villaでのコンサートです。

泊港朝10時、ベースの西川さん、ボーカルの雅さんと合流。
フェリー座間味で2時間。
天気が良いので島々の眺めは良好です。

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しかし、この同じ風景を昭和20年3月、アメリカ軍の艦艇が埋め尽くした写真を見たことがあります。
あれから60数年の時を経て美しい風景は回復していますが、沖縄自体は回復されたとはいえないでしょう。

途中、阿嘉島を経由します。ここでも10年ほど前に演奏してことがあります。

阿嘉島
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今日は、晴天で日差しも強く温度も高く、こちらへ来て今迄で一番いい天気じゃあないかな。

座間味港
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Cha Villaへ到着、昼食後、こんないい天気だから皆で浜へ行こうと、島の反対側、古座間味ビーチへ。
大変きれいなビーチですが、業者が有料パラソルやら置いているし、遊泳ラインも決まっているみたいで、さすがに観光地だなと感じました。鳩間島の感覚だと、浜はあるがままが当たり前、お金を使うところはないという感覚ですからギャップを感じますね。

古座間味ビーチ
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千葉、西川、沖縄を代表するジャズミュージッシャンのツー・ショット
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さて、コンサート会場は昨年と同じくペンションCha Villaの中庭。
昨年は、同じ日だったのですが、雨がちで、雨除けにビニールシートを張って、演奏は半屋内からという状況でしたが、今日は晴天、まず雨の心配はなさそう。
中庭をフルに使って準備が進みます。

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今年は震災でここに非難されている家族もいるということで、チャリティボックスを設置してのコンサートになりました。
鳩間島も伊原間もそうでしたが、あらゆるところでそういう配慮はなされているようです。

夕方から三々五々お客さんが集まり始めて、コンサートは開催されました。
今年は、みゆきさんもメンバーなので、ジャズとブラジルのジョイント。
ジャズナンバーのインスト、雅さんを加えてジャズナンバー、みゆきさんを加えてブラジリアンナンバーと、内容も濃くてお客さんは相当楽しめたと思います。

主催者挨拶
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最後は、サンバを全員で踊る。
サックスの千葉さんは、身軽なのをいいことに、楽器を吹きながら踊りの輪に加わってしまうし、身軽ではない筈のベースの西川さんは、ベースを弾いている場合じゃあないとばかりに、職場放棄。
一緒に踊り出してしまいました。
サンバを始めるとピアノを弾いている場合じゃあないと打楽器や踊りに走るピアニストも知っていますが、彼らはおなじノリですね。
ここで小生も職場放棄すると、楽器がいなくなるのでじっと我慢。
このジャズマンたちとはジャズをやっても東京でやるのと違って、とても楽しく演奏できるのですが、案の定、サンバをやっても東京のジャズミュージッシャンのそれとは違うノリで、サンビスタの我々としても気持ちよく演奏できました。
腕が違うのか、土地からくる気質が違うのか、この旅の始めにそういうことを理屈で考えるのは評論家ではないのだからやめようと思ったので、あまり考えずに身を任せることにしました。
言えることは、このメンツでサンバをやってもすごくはまるということです。

去年は雨の中、延々と飲んでいたけれど、今年は、明日早いということもあって、ほどほどに終了。
翌日は、帰京の日です。
ところが、この日から高速船がドック入りで欠航のため、海上バスともいうようなチャーター船で一旦渡嘉敷島に渡り、渡嘉敷島から泊港へ高速船というルートを主催者が用意してくれました。

立派な渡船
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台風1号がフィリピン近海で発生、北上しているということで、南向きの航海はそこそこに揺れます。
渡嘉敷島は船を乗り継ぐだけの上陸でしたが、初めての上陸。
慶良間諸島では一番大きい島らしい。
座間味、阿嘉、渡嘉敷等の慶良間諸島は、アメリカ軍が沖縄本島上陸前に上陸した場所として、悲しい歴史を持っていて、未だ拭い切れない問題もあるようです。

渡嘉敷島
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渡嘉敷島のちょっと変わった風景
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渡嘉敷港
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那覇空港からは午後の早い便です。

いつも思うのですが、長いようで思い返すとすぐに時が流れたような気がします。
今回は、思い切って与那国島まで行って本当に良かったと思いました。
短期間ではありますが色々と勉強させてもらえたし、鳩間島音楽祭も伊原間も石垣、沖縄、座間味も、こんな時期だからこそ変わらずに音楽を楽しんでもらえたことは大変幸せでした。

鳩間島音楽祭の翌朝、会場後片付けの後、片付け参加者全員で車座になって飲みながらの自己紹介と挨拶をします。
小生、図らずも、最古参から二番目なので古参の挨拶をしろと言われて、大体こんなふうに。

八重山・沖縄へ来ると、いつも音楽の原点を伺えるような気がします。音楽をすることの意味を確認できるといっても良いかもしれません。音楽をする喜びを通して友達になることの喜び、生きていることの喜びや悲しみを共有する。今年は特にこんな時期だから、ともすれば音楽をすることの意味を見失いそうですが、ここへ来てまた確認できました。
ま、大体こんな感じですが、正直なところですね。

関係して下さった皆様に感謝いたします。

ではでは

2011年11月02日

毎度おなじみ、秋の沖縄・八重山2011

皆様、こんにちは

毎年行っている秋の沖縄・八重山、今年は例年より一箇月遅れて行ってきました。
例年だと、旧暦八月十三夜のとばらーま大会に合わせていくのですが、今年は都合が付かずこの時期。でも、もう台風の心配はないのでその点は安心ですが、鳩間行きの船が欠航しがちなシーズンなのでそれはそれで若干気にはなります。

今回も、まずは那覇でジャズのライブ。

R-Greenにて
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唯一の沖縄県産日本酒「黎明」、美味しかったです。

那覇「サクレ」の看板猫「ウズラ」
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サクレにて
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合間に、奧武山公園で開催されていた産業まつりに行ってみました。
日曜日、天気も良くて日差しは夏です。
相当に広い公園に相当な数のブース、イベントで盛大さが伺えます。

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興味を引いたのは、お墓の展示販売。あの立派なお墓はこのぐらいの値段なんだということが分かりました。
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やちむん(焼物)のブース
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月曜からは八重山です。
石垣島は天気も上々。
この季節の沖縄は、朝晩は涼しく、日中もさして暑くも無く寒くもなく、半袖で過ごしてちょうどいい気候です。
以前、ライブ・レストラン「ステラ」を営んでいたメグさんが新規に初めたお惣菜屋さん「八重山たい夢」にてゆんたくと休息。
ここは化学調味料を使わないお惣菜屋さんで、店内で食事もできます。子供連れのお客さん
が多いようですね。清潔でいい感じです。

「八重山たい夢」にて
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最近開発した、「月桃蒸し豚」を鳩間島で販売できないかと相談を受けて、販売は分からないけれども、宣伝パンフを置くくらいならどうかなということで、とりあえず現物を持って島に行ってみることにします。
試食してみると、サンニン(月桃)の香りが三枚肉に染み込んでとてもいい味です。ご飯のオカズにも酒のあてにもなりそうだし、サンニンの殺菌作用で多少日持ちもしそう。これはいけるなあと。

翌火曜日から土曜の朝までは鳩間島です。
火曜日の朝は波も高くなりがちで午後からは欠航の予想。
案の定、2便から水曜日いっぱい上原航路は欠航です。
火曜日の1便で渡ります。
米盛さんご夫妻もお元気です。

米盛タマ
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夜は毎日、こんなふうに軽く飲みます。

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ある夜のあて、イカスミの汁と長命草の胡麻和え
今回のように、一人、短期の場合は米少々しか持っていきません。
炊飯器はあるので米があれば何とかなりますし、食堂もあるので心配はありません。
もっとも小生は自炊。
調達できる材料で食事を摂るというのも面白さの一つではあるのです。

朝は、ご飯、漬物少々、ゆでたまご、お茶。
昼は、ご飯、ポーク卵、お茶とか、ご飯、何かの缶詰、お茶。
夜は、飲み会。
間に水やお茶を飲んだりします。
これで十分です。

まるだいのご主人の百箇日法要で、関係筋も来島してはいますが、この時期から来年3月頃までの鳩間島は本当に静か。
車は見なくても音で誰が乗っているのか大体分かるし。
船が欠航になると来島者もほとんどいなくなるので尚更。
食事は庭の食卓で摂るので、雨が降っていると部屋の中ということになるのですが、中で摂ったことはなかったので、一日中天気が悪いということはなかったようです。
木曜日午後あたりからだんだん良くなってきて、金曜日は夏のような晴れ。
シュノーケルの準備は持ってきていませんが、干潮の時間に北のリーフを散歩します。

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誰にも会いません。
潜ろうと思えば潜れます。
ゆったりと流れる時間を楽しみます。

この時期の夕陽
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そういえば、「月桃蒸し豚」は評判が良かったので何とかなるかもしれません。
金曜の午後に、石垣在住鳩間島関係者二名の相次いでの不幸の連絡で、明日の船で何名か石垣へ渡るそうです。
土曜日は、天気はまずまずですが波は高く、午前中の船は相当くるものがありました。
久しぶりに味わう船酔い、前夜の酒が効いているのかもしれません。
隣に座る浦崎商店は何食わぬ顔でケータイを見ています。

この夜は、パパビゴージでライブ。
めぐ・さくらのエプロンシスターズもゲスト参加。
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日曜日に帰るというのももったいないので、もう一日めぐ家にお世話になって天気の良い日曜日は、バンナ公園あたりを散策。

バンナ公園付近
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バンナ公園にて
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夜は、こてこての大阪お好み焼きパーティであります。

ということで、月曜日に寒い東京に帰るのですが、どうもあまり寒くないようで、とはいっても朝夕は冷えますな。
静かな静かな時間を楽しんだ、秋の沖縄・八重山でした。

お世話になった皆様、ありがとうございました。
次は来年の春でしょうか。

ではでは

2012年05月18日

2012、恒例春の沖繩・八重山ツアー/沖繩本島編

皆様、こんばんは

恒例、春の沖繩・八重山ツアーの報告をいたしましょう。

まずは、沖繩本島編です。

那覇到着は4月26日、曇、とても涼しい。
浦添在住の旧知のNさんと栄町市場で飲みます。
最近、那覇で飲むのはもっぱらこの辺。
静かで落ち着くのです。
仕上げはNさんの同級生が働いている鳥屋さん「あまみ」。
ここの焼き鳥は串に刺さっているのではなく丸ごと出てくるスタイル。
石焼窯でじっくり焼くので、外はパリパリ中はジューシーとはとても月並みな表現なのですが、家庭ではまず出せない味ですね。
だからこそ行く価値がある。

翌27日はとても良い天気で温度も上がってきました。
夜まで暇なので散歩にでも行ってみようかなと思い立って、偶々部屋に置いてあった旧海軍司令部壕の中国語の割引チケットを見つけ、行ってみることにしました。

ターミナルからバスで約15分、豊見城市ですが小禄にも近いところ。
450mにわたる地下壕のうち300mが公開されていますが、これを手で掘ってもっこで担いでという作業を繰り返して造営し、4000人の兵士が収容されていたということです。
地下深いのでひんやりします。
今でこそ観光施設として整備されていますが、当時の状況を想像しつつ見学すると、その恐ろしさにもひんやりとすると同時に敬虔な気分にもなりました。
あまり知られていないスポットですが考えてみたい方にはお薦めです。

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夜は、桜坂のサクレでライブの予定でしたが、ママさんの体調不良で急遽中止になってしまいました。
そこで、翌日一緒にライブを予定しているベースの水見氏と打ち合わせがてら飲むことに。
彼は、昨年の春に与那国島で共演しているベーシストで、今年3月まで与那国島の教員をしていましたが、この春に転勤して那覇に戻ってきたところでした。
開南の「鈴蘭」、良いお店でした。

ということで、翌29日は水見氏と南城市「玉々庵」にてライブ。
これがジャズ8割ボザノバ2割で、久しぶりにジャズのテーマを弾くので選曲に気を遣いました(テーマをギターで表現できる曲という意味で)。やっぱりリード楽器がいると圧倒的に楽です。
それでも楽しかった。
お客さんも楽しんでくれたようで、水見氏とは今後も楽しみです。

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この日はほとんど雨の天気で、どうやら沖縄は梅雨入りしたらしいとのこと、今後の予定が危ぶまれます。

30日は元々予定を入れていない日でした。
小生はコザ近くのプラザハウスでやっている沖縄の戦後から復帰までの写真展を見たいなという気がありましたが、偶々、知り合いのミュージッシャンであるH.K.さんが、娘さんが結婚して暮らしている塀の向こう側(米軍基地内のことです。)に面会に行くということなので、玉々庵のOさんCさんと小生も同行させていただくことになりました。めったにない機会なので。
目的地のキャンプフォスターは、キャンプ瑞慶覧とも言って宜野湾市にあります。
ベース内の人間一人につき三名までが入る許可をもらえるので夫婦二名(赤ちゃん一名)で我々4名だからOK。

入口で顔写真付きの証明書(免許証とかパスポートですね。)の提示を求められ、出身地から身長、体重まで個人情報を厳しくチェックされ記録されて最後には指紋まで取られてようやく許可証が交付されます。行列ができようが混雑しようがお構いなし。たっぷり時間がかかります。これから午前0時にこの許可証を返納するまで出入りは自由なのですが、全員での行動が義務付けられます。

ベース内は交通法規厳守。きっちりと一旦停止しなければいけません。

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フードコートは円が使えるので、ここでハンバーガーやらホットドッグやらいろいろ買ってベース内のご夫婦の御宅でランチ。ビッグサイズに圧倒されます。
PX等の購買施設はIDがないと入れません。

フードコート
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ジャンボサイズ
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ベース内は道路も広く、綺麗に刈り込まれた芝生、広い住宅、手入れされた緑等々塀の外側とは別世界。塀の外側の車の列を見ていると、鉄条網一枚で違う世界が構築されていることが再認識されます。

団地のように同じ家並みが続く。
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いくら広くて綺麗でも兵隊は息が詰まるでしょうね。
戦争と直面していた60年代から70年代にかけては特にそうだったでしょう。
あすの命も知れぬ訳だから。

それにしても出入口とか店とか働いているのは日本人。基地依存の実態が垣間見えます。
しかし、ここはあくまで瑞慶覧という字の沖縄の土地であって、先祖代々の墓や自分たちの土地があるところ。
日本国なのに鉄条網一枚で行き来できないのは根本的に理不尽だと思います。

貴重な体験の後は沖縄の戦後から復帰までの写真展を見にプラザハウスへ。
アメリカ世時代はアメリカ専用のショッピングセンターだったここで、この時代の資料をじっくり見てみたかったので、とても興味深かった。
うちなんちゅーのパワーとアメリカーのぶつかり合いの混沌が衝撃的。
とても良い展示だと思いました。

この夜は、平和ガイドでもある玉々庵のOさんと飲みながら、本日のフィールドワークの総括としてRBC(琉球放送)作の、沖縄戦・占領・復帰までの検証番組のビデオ(硬派で、内容的に本土民放は足元にも及ばない。)を鑑賞。
玉々庵所蔵のうちなーに関する貴重な写真集、資料集も拝見させていただきました。
思えば、今年は復帰40年。
偶然見つけた旧海軍司令部壕チケットから始まって、米軍基地、写真展、資料探索と、世変わりを勉強させてもらったとても有意義な沖縄本島でした。

ところで、玉々庵のOさんと小生は学生時代、同じバイト先でアルバイトをしていたことが判明。
学年・部門が若干は違いますが、同時期にいたことは間違いなさそう。
こんな話題でも盛り上がります。

梅雨入りはしたけれど午後からはとても良い天気になってきて、明日は八重山入りです。

(つづく)

2012年05月23日

2012春の沖繩・八重山ツアー/鳩間島編

久々の筆者
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皆様、こんばんは

4月30日は八重山入りです。
新石垣空港は来年3月竣工予定ですから、来年の音楽祭は新空港に降り立つことになるんでしょう。
つい先日梅雨入りということでしたが、まずまずの天気。
気温湿度とも低く涼しい感じだった沖繩から来ると汗が吹き出してきます。

さて、本日は例年のとおり、鳩間島へ行く前にパパビゴーヂでライブです。
ITA e KAZUのパパさんでのライブは二年ぶりです。
今年は、本土からのサンバ系参加者が多く、今日あたりから石垣島に集結し始めています。
今回パパビゴーヂ初参加は、パーカッションのGさんと、フルート、ダンサのHさんです。
とても楽しんでいるようです。
すっかりおなじみになった島のお客さまも多く、リラックスした雰囲気で進みました。

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明日は鳩間入りです。

5月1日も良い天気
しかも北風中心で、日差しは強いけれど乾いた爽やかな風が吹いている感じでこの時期にしてはとても過ごしやすい気候です。
今日から5日午前中まで鳩間島で自炊集団生活です。
ここに来るとやはり雰囲気は一変します。
出会う人々は挨拶を交わすし、少ない車も全て誰のものかわかる。
全て人が歩く範囲内に生活があります。
物は少ないけれどそれなりに美味しく食べることや、楽しみを見つけることや、生活の中でいろいろと工夫することを考えるわけです。

ちなみにらっきょうの皮むき、これは手間が掛かります。
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都会生活で身についた生活の贅肉を削ぎ落とす感じ。
ただし、今回は人数が多いので事前の食料調達の準備はまずまず。
欠航のため波照間島観光から帰ってこられない2名を除いて本日の「瑠璃」宿泊者は5名です。

ある日の夕食。今年は自炊の食事の記録を残してみたくなりました。
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夕食後は例によって勝おじいを囲んで飲み会です。
勝おじいもおばぁもお変わりなく元気でなによりです。
年が年ですからおじいはちょっと足に不自由がくるのはやむを得ませんが、相変わらずの威勢の良さと見事な歌。
いつも圧倒されます。

三色パスタの朝食
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鳩間島で変わったところがあるとすれば舗装道路が増えたことでしょうか。
今までは舗装道路が4本ほどしかなかったところが、新たに東西の道路で舗装路が増えました。
観光の人は情緒がないと言うかもしれませんが、放っておけばすぐに雑草に覆い尽くされて掃除をするのが大変な道ですから、ある程度は舗装したほうがよいとは思います。側溝も綺麗に整備されるし。
ただ、透水性舗装とか簡易舗装とか、周りと調和する整備の仕方の方が良かったとは思います。

ある日の昼食
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今年の北海岸、この日は晴れているのに海上に霧がかかっています。
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いつも笛の練習をしている青鳩
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普段の夜は、我々もおじいも最近は飲んでもあまり過ぎることはないようで、適当に切り上げます。

5月2日も良い天気。
午前中から島にいる人みんなで会場の準備をします。純手作りなもんで。
この日には明日の日帰りの人を除いてメンバーがほとんど揃いました。
今年は音楽祭に出演するようになってから10年目、ということだからではないと思いますが、始めて参加するベテランのサンビスタ達もいてステージは結構賑やかになることでしょう。

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群れからはぐれてしまった子ヤギを保護。翌日のヤギ汁にはならなかった。
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ある日の昼食
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今夜は前夜祭。
昨年の美味しい酒を飲みすぎてしまい前夜祭を寝てしまったという苦い経験を反省して、ほどほどにして前夜祭も楽しく過ごすことができました。
今年は天気が良いので前夜祭も音楽祭会場で行いました。
やはり外は気持ちが良い。

5月3日音楽祭当日も晴れ。
梅雨入りはどうなったんでしょう。
日帰りのメンバーも早い便で到着して入念な打ち合わせ。

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もちろん恒例でなおかつ一番盛り上がる勝おじいの太鼓も参加することになっています。
今年のお客さんは約1000名というところでしょうか。
午前中で会場の広場はいっぱいになっています。
いつもどおり日差しは強いのですが、北東の涼しくて乾いた風が吹いていてとても過ごしやすい気候です。

鳩間小中校のステージ
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当日になって決まる我々の出番は10番目。お昼過ぎの良い時間帯です。
ただしここでは出番が早まったりすることは当たり前のようにあるので、早めのスタンバイが肝心です。
始まってしまえばあっという間。
天気も良いしメンバーも充実していてP.A.等のステージ環境もよくとても気持ちの良い演奏でした。

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タカボーのステージ。彼の作詞作曲による「鳩間の豊年祭」はとても好き。昨年までは体を壊していたけれど、ここまでステージをこなせるようになって良かった。
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これも恒例。鳩間オールスターズ
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まもなくフィナーレ
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桟橋の見送りバンド
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午後4時の桟橋でのお見送りまでいつも本当にあっという間です。
送り出してお客さんもいなくなった桟橋にわざわざ一艘来てくれた高速船に、昨日到着した友人Yさんの奥さんと幼子2人だけ乗って来島できたのは船会社あっぱれというべきでしょう。

その夜は後夜祭。
島に残っている人たちだけの無礼講の音楽祭です。
エントリーは誰でも出来ます。
今晩も天気が良いので野外ステージです。
見送りが終わった頃から、何だかんだ打ち上げ的に飲み始めて、後夜祭後半頃から記憶が怪しくなっています。
後夜祭が終わってからも、各家々で宴は続きます。
何軒か訪問した記憶はありますが、何をしゃべったかとか細かいところは曖昧。
ここのところ毎年5月3日の夜はしょうがないのでしょうか。
粗相はなかったようで一安心。
今年は天候に恵まれました。

5月4日は曇りがちで時折雨もぱらついて肌寒いくらい。
朝起きたら、洗面もそこそこに会場の後片付け。
力仕事です。終わればぶがりなおし(打ち上げ)。

昼食はぶがりなおしで大量に残った焼きそばを赤すばにしてしまいました。
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とても甘い西表島産のパイン
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時々桟橋へ見送りに行ったり、あとは何をしたか覚えていないくらいのんびりと過ごします。
この1日がとても良いのです。
夕方からは、ピアニスト、ターキーも加えてパゴーヂというか食卓音楽会。

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今夜は浦崎家所蔵の電話帳ほど厚い歌本(歌謡スナック御用達)があるので日本の古い歌やおなじみの童謡もどんどん出てきます。
いつもながらの楽しい一夜。

5月5日は例年梅雨入りだったりしてあまり天気は良くないのですが、今年は朝から雲ひとつない青空。暑くなりそうです。

5月5日の朝食
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お別れの唄
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今日の伊原間音楽祭は久しぶりに良い天気が期待できそう。
そして、今度は我々が送られる側になります。
桟橋のお別れというのはいつもながら独特の感慨があります。
勝おじいが握っている白いタオルがいつまでも振られていました。
(つづく)

2012年05月29日

2012春の沖繩・八重山ツアー/伊原間・石垣編

皆様、こんばんは

例年5月5日は沖縄地方梅雨入りの時期で、天気はあまりよくなくて、恒例の伊原間音楽祭もどこかの時間帯に雨が降ったりしているのですが、今年は素晴らしく良い天気。
初めて雨の心配はいらない感じです。

伊原間音楽祭も今年で5年目。
私設イベントなのか地域イベントなのかよくわからないまま渾然一体としてここまで来ました。

伊原間のたいらファミリー野外ステージは去年の教訓もあって(本番中雨が降り出してから急遽屋根シートを貼った。)、シート屋根付きのステージとその前に晴れ用のステージが出来上がっています。
これは今年は気合を入れたなあと。

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天気が良いのでステージ上からの太平洋側の見晴らしは素晴らしいものがあります。
お客さんも寛いでいます。

子供たちの空手の演武
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いつもはオリオンビールを踊るMちゃんも今年からは空手
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師範による八重山拳法演武。必ず演奏付きだそうです。
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演目も18時半頃からぼちぼち始まって、最初の我々の出番は19時頃。

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この頃はたと気が付いたのが、ひょっとしたら明かりが無いのではないか。
どこを見ても照明の準備がないし、照明車も見当たりません。
これを当主に聞いたら、例年とP.A.の人が違うので準備するのを忘れたと。
19時頃はまだ明るいので全然問題はないのですが、もう1時間もしたら真っ暗になるはずで、周りに何もないぶん本当に真っ暗。
満月の綺麗な月明かりだけでは足りないでしょう。
急遽、市内から照明を呼ぶとのことですが20時半過ぎになるとのこと。
それまではどこからか、ライトを持ち出してきてステージ袖に設置。何とか急場をしのぎます。

民謡ショー、確かに明かり不足
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21時頃照明設備が到着で事なきを得ました。

エイサー、明かりがついて良かった。
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舞踊。もしも明かりがついてなかったらどうなったのか、ちょっと興味はあります。
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石垣島ではすっかりおなじみになったサンバ歌謡のステージ
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立派なステージをこしらえたのに一点抜けていました。
でも、結構なトラブルなのに出演者もお客さんもあんまり心配していないのがいいですね。

天気は良いのですが、風は北東の涼しい風で夜は肌寒いくらいです。
銀色に光る月がとても美しい夜でした。

月が美しい夜なのでトバラーマを唄う。
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たいらファミリー当主挨拶
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5月6日は市内のパパ・ビゴーヂでこれも恒例投げ銭パゴーヂ。
今年はテーブルパゴーヂではなくて、サンバセッションの形式でやってみました。
飛び入り中心のステージです。
踊ってくださるお客さんもいて盛り上がりました。

エプロンシスターズ、更にパワーアップしたようです。
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エプロンシスターズで心を洗わせておいてから混沌へ誘い込む池原コーイチの音楽&パパさんのs.s.
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フルート奏者でもあるHさんを中心としたショーロの演奏
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サンバ歌謡
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集合写真
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今夜でこのツアーのステージは終了です。
おつかれさまでした。
小生はあと1日石垣に滞在して帰ることにします。

今年は、早くに梅雨入りしてしまってどうなることかと思ったのですが、天気には恵まれました。
今までで一番良かったんじゃあないでしょうか。
おまけに風が涼しげで過ごしやすかった。

お世話になった皆様、ありがとうございました。
来年も力の続く限りやりましょう。
ではでは。

2012年10月14日

2012年秋の八重山・沖縄

皆様、こんにちは

今年の秋の八重山・沖縄の旅は初めから台風19号により予定崩壊。
9月28日金曜日の出発予定でしたが、そのあたり八重山は台風真っ盛り。
土曜日にかけて沖縄本島から日曜日には本土に上陸、羽田空港も欠航になりました。
土曜日に予定していた石垣「パパ・ビゴーヂ」でのライブは延期。
予定を大幅に変更して月曜日に出発しました。

石垣島は農作物の被害が相当なようで島の経済に影響がありそうです。
到着日は台風一過、好天で風が涼しくなっています。
この石垣空港を利用するのも今回が最後になるでしょう。
来年3月には新空港開業です。
市街地まで車で30分位はかかるのでアクセスをどうするのか気にかかります。

これが見納めの石垣空港
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さて、中止になった土曜日のライブをどうするかパパ村上氏、池原氏と相談した上で、急遽水曜日に開催することになりました。
であれば、船も動いているので四日間ほどいる予定だった鳩間島に明日火曜日一日でも行こうかなという気になって、火曜日は早速一便に乗って鳩間行き。
久しぶりの浦崎家泊です。

米盛勝おじいやおばあとも再開を喜びます。
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このあたりは台風が初めにやってくる場所ですから勢力も強く、かつ速度も遅いということでものすごい状況だったと思うのですが、目立った被害は無いようでした。
ただ、その前の台風と言っていましたけれど、瑠璃の前のガジュマルの木が折れてしまいました。
いつもあるべき場所にあったものがないというのは結構衝撃です。
あの木がある故に涼しかった瑠璃の庭ですが、来年は暑いかもしれませんね。

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ターキーズバー
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ターキーズバーにて昼
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好天の海
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釣り師と化した校長先生の船
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観月会もできなかったのですが、今宵は隣のクシケー屋さんで楽器を持ち出して飲み会。
久しぶりにピアニストのターキーと何曲も演奏できて楽しかった。
色々あってこんなに長時間二人で演奏できたのは何年ぶりだったか。
朝夕はとても涼しくなってきています。

クシケー屋にて
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ターキーの不思議なギター奏法
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浦崎家にて久しぶりの生ピアノ
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朝食はありあわせゆしドーフ
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さて、翌水曜日は石垣に戻って池原宏一さんとライブ。
急なのでお知らせもできなかったのですが、まずまずのお客様の入りで良かった。
ゲストも参加しての楽しい一夜でした。

ゲストのメグさんと
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木曜日は一日のんびりして、金曜日に那覇です。

沖縄本島も今回の台風は強烈で、街路樹が軒並み枯れ木になっていました。
普通沖縄ではありえない。

枯れ木(浜辺の茶屋特設ステージを臨みながら)
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今回のお昼ご飯、浮島通りを東に行ってちょっと左に入った中華食堂「金壺」の500円中華バイキングはよかったね。
那覇にいるときは、朝は市場の弁当、ガッツリ食べたい時は花笠食堂、お昼はお粥屋さんもしくは「金壺」、夜は栄町か開南の居酒屋「鈴蘭」というのが最近のお気に入りパターン。

翌土曜日に訪問するはずだったサックスの千葉利幸さんの本部の自宅が台風の被害に遭ってしまったので一日早く次のライブ会場兼宿泊所である南城市の大池邸へ。
夜は主さん不在のため、一人でそばを作って食べたりします。

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ここは道路をはさんで「花野果村」というとてもいい感じの野菜その他の直売センターがあって、食堂も併設されていてとても重宝していたのですが、残念ながら、今年1kmほど先に移転してしまいました。
そこで、今度は歩いて二三分のところにあるJAのスーパーを利用するようになりました。

ここは朝から夜遅くまで空いているし、何でも売っているし、更に特筆すべきは昼時だけ開店するオープンテラスの食堂です。

ほとんどのメニューが500円という分かりやすさ、丼ものはほとんどがラーメン丼で出て来る(例えばカツ丼なんかも)、ご飯はすべて大盛りという大雑把さはとても嬉しいのです。

牛汁定食500円也
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また、この見晴らしの良いオープンテラスは誰が使っても良いらしく(食堂は閉まっていても)、弁当を使ったり昼寝をしていたり携帯を充電する人(いいのだろうか。)もいて、とても使い勝手が良さそうでした。

ライブは日曜日。
千葉利幸(ts)、西川勲(b)、小生のトリオです。
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このメンバーでやるのは一昨年以来。
年齢相応のミディアムからスローテンポの曲が多くて、無理をせず協調してプレイすることを心がけました。
今さら、更にこのメンバーで無理をしてもしょうがない。
相変わらずこのメンバーでの演奏は楽しくて、時間が経つのがあっという間。
もうちょっとやりたいなくらいの余韻を残しつつ終了というのもおじさんらしい。
終了後は、お楽しみセッションタイム。
楽しい夜は更けていきました。

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翌日は、偶然にも千葉さんと陶芸家兼サックス奏者の稲福さんと3名でお茶を飲みながらの音楽談義。
この二人は昨夜も延々とサックス談義をしていましたね。
ビッグバンド時代の裏話も出たりして、久しぶりの濃いジャズ話。
テナーサックスの本質は低い音にあるという千葉さんの主張はモダンジャズ全盛から何十年も経った現在、とても興味深いものがありました。
台風後はとても穏やかだった沖縄の天気ですが秋が早まってやって来たかのような印象を受けました。
いつもながらお世話になった八重山・沖縄の皆さん、ありがとうございました。
ではでは

2013年05月17日

2013春の沖縄・八重山・沖縄編

皆様、こんにちは

今年の春の沖縄は4月26日に那覇入りしました。

最近はLCCという安い路線があるので助かります。
今回初めて、行きはエア・アジア、帰りはジェット・スターを利用してみました。
成田空港発なので国際線利用の時も感じるのですが、いまだにやっている改札を出てからのパスポートチェックは一体どういう意味があるのでしょう。
国内線利用だと言えばパスポート提示もなくフリーパスですからほとんど無意味だと思います。

結構びっくりしたのは那覇空港のエア・アジアのターミナル。
空港の北のはずれの方にあって貨物エリアのあたり。ターミナルはほとんど倉庫。
荷物受け取り回転台もなく那覇空港到着ターミナルまでシャトルバス以外の交通手段はありません。
この日、夜の那覇は北風。寒くてなかなか面白かった。
極限まで経費を切り込んで、利用者もそれを了解して契約するのですからそれはそれでいいのですが、GW近くになると料金が上がってGW期間中はキャリアと料金がほとんど変わらなくなってしまうのでこの点は考えものです。

何はともあれ、いつもの宿に着いたのは夜の8時半頃。
浦添在住の友人Nさんと最近よく行く開南の鈴蘭へ飲みに。
それにしても涼しい。
去年も涼しかったような気がするからこの時期の沖縄の気候認識を改めるべきなのか。

翌27日はまずまずの天気。
今日はうちの奥方(イタオクと言われている。)が8年ぶりに沖縄にやってくるというので夕方には空港に迎えに行くことになっています。
それまで別に予定もないので、朝ごはんは公設市場のおにぎり、昼ごはんは金壺食堂の500円バイキングで優雅に過ごします。
しかし、天気も良いのでひとつモノレールに乗って首里へでも行ってみるかという気になりました。モノレールだと時間が読めるし空港へもまっすぐ行けます。
首里城へは行かずに鳥堀あたりの景色の良いところをぶらぶら散歩しているうちにお迎えの時間帯。
そのままモノレールで那覇空港へ。便利です。
イタオクと合流して、市場通りとか壺屋通りとか散策しているうちに暮れていきました。

28日は晴れ。暑くなりそうな予感。
この日は南城市の浜辺の茶屋でライブですが、その前にいつもライブをプロデュースしてくれる大池氏夫妻と4.28政府式典に抗議する「屈辱の日」沖縄大会へ行くことになってます。
細かいことは書きませんが、我々もこの集会へ参加できる機会を与えられて同じ想いを共有する者としてとても幸運だった思っています。

会場のある公園。とても良い天気
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会場は宜野湾市の野外音楽堂。開演30分前に行ったのですが既に超満員。
もう前座のコンサートが始まっていました。
いつもギターアンプをお借りするKさんも参加しています。立錐の余地もないというところです。天気もよく、会場の熱気でかなりヒートアップしています。それでもまだまだあとから参加者が詰めかけています。

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主催者発表10000人というのも当たり、いやひょっとしたらもっと多いかもしれません。
大会は野外ということもあって、そこは暑い環境に慣れている沖縄、手早く進んでいきます。
講演者の持ち時間1人3分。この短さ、緊張感があって良かったです。最後に「沖縄を返せ」をみんなで唄い、「がってぃんならん」三唱で閉会です。
周りの参加者の気持ちが伝わってくる感じ、沖縄県民の抗議の一体感が強く感じられました。
市町村もバスをチャーターしているようで老若男女の区別なく参加しているところはさすがです。
小生たちの周りでは「屈辱の日」というネーミングはあまりよくないという意見が多かった。
理由の一つとして対外的に、特に国際的に意味が伝わらないのではないかという意見、また屈辱というのは被保護者が保護者から裏切られたという印象であって、沖縄はヤマトに対して被保護者ではないから屈辱という表現はおかしいという意見等々。
もし来年もこの日に大会を行うとするならば、多分こういう議論は公になってくるでしょうね。
ともあれとても有意義な午前中でした。

さて、その後、今回の旅のボーカル斎藤みゆきさんを那覇空港でピックアップして、南城市へ向かいます。
今夜は南城市の浜辺の茶屋でベースの西川勲さん、サックスの千葉トシユキさん(アクシデントがあり不参加)、ボーカルの斎藤みゆきさんとジャズを中心としたライブです。

途中、奥武島でのんびり食事。島の裏手の天ぷら屋は初めて行きましたが味、量、値段とも抜群でした。
とにかく今日は天気が良い。揚げたての天ぷらを外で食べるには持ってこいの日。

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浜辺の茶屋のライブというのは、店に面した海上ステージで行われることが多いのですが、この時期は潮の関係で屋内ということになりました。まあこの方が天気もなにも気にせず出来るので楽ではありますが。

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サックスが不在なので、急遽予定曲というかライブのコンセプトを入れ替え、ブラジル色を強くしました。

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静かにしていると波の音しか聞こえないというのは最高のロケーションで、これはボサノバと抜群に相性が良さそう。
都会では考えられない環境で室内楽を楽しんだという感じでした。

終了後は大池氏宅で恒例の打ち上げ。
今回はここがライブの起点です。
逆のパターンもありますが、その場合はあとは帰るだけだから稲福氏制作の焼き物を多少多く買えるというメリットがあるのです。

さて明日から八重山です。

2013年06月03日

2013春の沖縄・八重山・八重山編

皆様、こんにちは

4月29日に新装の新石垣空港着。
以前とは違いボーディングブリッジでターミナル入りです。

新石垣空港
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広くて綺麗。前空港とは相当に趣が違います。
滑走路が伸びたことによって以前より大型の飛行機が着陸できるようになり、コンテナ輸送が可能になって生鮮食品がより早く大量に消費地に届けられるということや、国際空港機能を備えていることから物や人の流れが変わっていくだろうという地元の期待感は強いです。
問題の市街地へのアクセスは、バスが約15分おきに出ていて料金は500円くらいなので、そう不便は感じませんでした。
タクシーだと約3000円。
複数人だとリーゾナブルです。
ただこれは全て市街地方面、西行きの話でして、東行きは相変わらず一日に3本くらいというのは変わりません。

今日はとても良い天気。
今晩のライブはパパビゴーヂで斎藤みゆきさんとのデュオです。

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翌日はとても良い天気になりました。
今まで涼しかったけれど今日は暑い。
こうこないと調子が出ない。
今日は、何年ぶりかで石垣の北部、明石公民館で交流音楽会。
久しぶりの明石地区だし、色々な出演者がいるのでそちらも楽しみ。

校長を引退して第二のお仕事を楽しんでいるT先生―今回の明石コンサートの発起人ですーから毎度のことながら車をお借りして、明石までゆっくりあちこち寄りながら移動します。
とても良い天気なので石垣島をほぼ一周。

お馴染みの川平湾
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伊原間付近
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平野方向
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平久保灯台
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久しぶりの明石公民館。

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昨日、集落の長老の方にご不幸があったとのことで最後のカチャーシーは控えようねとの打ち合わせが出来ています。
司会のお姉さんからグループ名はどうしましょうと聞かれて、毎度のごとくどうしようなどと言っていると、サンバをやるんですかと聞かれて、はいそうです、じゃサンバーズはどうですか。

短くてわかりやすい。

皆すっかり気に入ってこのツアーはこれで通すことにしました。
こういう発想は今まで出来なかったなあと感心してしまいました。

今年は昭和歌謡もあるので年配者にはうけるでしょうねというより年配者がどんどん増えているので、このジャンルはどこへ行ってもうけます。

準備も済んで8時頃から開演。

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J-popの弾き語り
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吹奏楽団
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プログラムもどんどん進んで備え付けのお酒も入っていい感じになってきて、やはり最後はカチャーシー自粛と言っても血がそうさせない。
公民館長も先人の弔いになるだろうとのことでした。

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音響もよく、プログラムも地元、若手、ベテラン、ポップスとバランスが良くとても良い会でした。案の定打ち上げではまた来年もという声。
こういうことは地元にお任せするのが一番、我々は協力を惜しみません。
宴会の最中、明日は天気が良くない、欠航の可能性もあるという声もどこからか聞こえてきます。

公民館で打ち上げ
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公民館で過ごした一夜が明けると、外は雨。風もあり気温が低い。
もしやと船会社のH.P.を見ると上原、鳩間航路は全便欠航とのこと。
あらら。
とりあえず、少年自然の家へ移動して地元組とどうしようか相談することに。
昼頃になると雨も止んで温度も上がってきたようです。
夕方の大原周りで何名か鳩間に渡るらしいとの情報も入ってきますが、鳩間との往復のチャーターが間にあわなかったり、波っかぶりになる可能性があるので、ここは今日もう一日石垣にいて明日の朝便で渡ろうという結論になりました。

地元民、お馴染みのM.H.氏の友人が泊めてくれるというので、名蔵のお宅へ移動。
これまた、お馴染みの手作り住宅でどのコンセントが何につながっているのか、トイレの使い方にもひと工夫必要な等々、とても楽しいおうちです。

今日はここテンキューさんのおうちでバーベキューをやろうということになって、本日の材料と翌日からの鳩間島での食料の買い出しに向かいました。
彼の誕生日ということもあって、友人たちも交えてBBQ。
欠航は欠航で楽しみにつながるものでした。

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さて、翌日はまずまずの天気。
明け方からこのおうちの周りではアカショウビンの鳴き声が聞こえてきます。
船は全便通常運行とのこと。
最も早く出航して料金も安いドリーム観光のフェリーで行ってみようということになり、いつもの高速船ターミナルではなくフェリーターミナルに行き、ここでT先生に車を返却。
フェリーだけれど高速船なので約50分で鳩間島到着。

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いつもだとここに到着する日は5月1日なので一日はのんびりできるのですが、今日は2日。
既に会場設営等の準備が始まっています。

この音楽祭は100%手作りですから、準備、運営、後片付けまで全部自分たちでやらなければなりません。
元々人口が少ないので島民の働き手が少ないのは尚更。
とにかく人手が多い時に何事も済ますというスタンスで、人出というのは出演者やら観光客、音楽祭のお客さん等々、総出で準備を行います。何しろヤギの捕獲なんていう準備項目もあるのです。

今夜は前夜祭ですからそれまでに準備を終わらせるべく、我々もいろいろな準備項目に参入します。

貴重ないつもの風景
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前夜祭は民宿の夕食が終って一休み、大体7時半頃からぼつぼつ始まります。
これは出演者は決まっていないし誰が出ても良いのである意味楽しいものです。
今宵は昭和歌謡で参入。

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明日盛り上がる予行演習?
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前夜祭の打ち上げ
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5月3日、音楽祭当日。
まずまずの天気。
臨時の船が続々入ってきます。
今年は去年より船も多く、入場者も多いように感じます。
我々の仲間たちも到着。
着いた途端に早速本番の打ち合わせ。

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我々の出番は、比較的早め。
終わってのんびりできるからこれは嬉しいのです。
学校の演奏が終わって挨拶が2名くらいあってその後。大体の時間を読みます。

鳩間小中学校の演奏
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舞監とかディレクターとかそういう気の効いたものは一切ないので進行、時間は自分たちで判断する必要があります。
つまり読み間違えて出番にいなかったらボツ。
まあ慣れてはいますが、ちょっと冷や汗もかきました。

嬉しかったのは、今年は舞台に上がれないだろうと自分で言っていた勝おじいが、今年もやるぞと宣言してサンバと八重山太鼓のコラボが今年も実現できたこと。
足が衰えてきて桟橋にもなかなか行けない状態だった勝おじいが刺激があったせいでしょうか、だんだん元気になって歩ける状態になって行ったのはとても嬉しいことでした。

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今年は女性のツインボーカルです。
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勝おじいの勇姿
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紹介するのは
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パシスタ登場
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集合
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希望の早めの出番もかなって後はゆっくり飲めるわけです。

小雨がぱらついてきたけれど古い仲間のタカボーの熱唱
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鳩間オールスターズ
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佳境に入ってきた。
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鳩間の港
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いつもの通り港での見送り、後夜祭、家飲み、交流で夜は更けていきます。

見送りオールスターズ
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大受けだった後夜祭のエプロンシスターズ
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カビラガーデンズの二人
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「私がつぶしました。ハハハ。」
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元気そうな船上のピアニスト
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それにしても夜になると痛感するのですが、今年は涼しい。

翌日は帰る人たちをお見送りしたり、自分たちの好きな時間を過ごすことになるとても素敵な日です。
小生は本日は肝臓に疲れを感じアルコールは極力控えます。
ここで頑張るとろくなことがない。

きちんとした朝食
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質素になった見送りバンド
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きちんとした夕食
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しばしお別れの宴会
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5月5日は鳩間島を離れ、石垣・伊原間で恒例の音楽祭です。

タマもまた会う日まで元気でね。
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最も質素になった見送りバンド
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例年5月5日は梅雨入り時期であまり天気は良くないのですが、今年はいい天気。
伊原間への移動の途中、昼食に立ち寄ったのが噂に聞いた沖縄・南米料理のもろみ屋。
県道沿いで車以外では行けないところです。
奥さんがボリビア、ブラジルに長かったということで、本格的なブラジル料理を味わえました。
量もブラジル的だし味もブラジルで食べたものと変わらない。
フェジョン美味しかった。

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さて、たいらファミリーは去年までの大野外ステージは止めて開始当初のお庭のステージに戻りました。
こっちの方が親密感があって小生は好きですね。

こどもの日だけあって、ステージの準備段階ではこどもの天下。
伊原間はいつも子供が元気でわんぱくです。
今年のユニークな出し物はアフリカンパーカッションとアフリカンダンス。
石垣に移住してきた方たちのサークルですが指導者がしっかりした方で、パフォーマンスもとても楽しめました。
来年も是非お願いします。
とても親密なコンサート、交流会でした。
運営もすっかり慣れてきましたね。

伊原間海岸
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手作りゆし豆腐
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アフリカンダンスとパーカッション
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子供たちのダンス
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毎度お馴染みM.H.氏の島唄
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たいらファミリーピックアップバンド
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飛び入り歓迎
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翌5月6日はこのツアー最後のライブ、パパビゴーヂでの投げ銭ライブです。
本日は飛び入り歓迎でとても素敵な歌が聴けました。

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エプロンシスターズのさくらちゃん
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ライブ終了後、友人のMさんがママをやっている美崎町の串カツ屋「れんがや」へ。
日曜の深夜にもかかわらず大盛況。串カツもうまいしシマも一杯100円と安い。
これからも繁盛してください。

今回の沖縄はいつになく涼しかったし、むしろ寒いと言った方がよいような日もありました。
この季節はうりずんー若夏―でカーッと暑いほうが気分が盛り上がりますが。
ともあれ、久しぶりに明石でも公演できたし地元の皆さんとの交流も含めてとても濃密で楽しい時間を過ごせました。
関係者の皆様、お世話になった皆様、ありがとうございました。

最近は通常感じられる旅―非日常の感覚が沖縄・八重山―日常という感じになっていて、例えばことさら沖縄料理を食べようという感じにはならず、食べているものが普通に沖縄料理だったりするという日常感覚になってきています。

これは特に感想を抱くことなく普通に受け入れましょう。

ところで、帰りの那覇空港から成田空港行きのJet Starは普通の国内線ターミナルを使っていても他社のようにPAを使ったアナウンスがないんですね。
係員の生声で搭乗案内をするんで、ボーッとしていたら気が付きませんね。
ちょっとびっくり。

ではでは

手乗りヤールー
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2013年10月01日

2013年とばらーま大会とライブ

毎年恒例になっている秋の八重山・沖縄行き少々ライブ付きに今年も行ってきました。

基本は、とばらーま大会を見て、十五夜を鳩間島で過ごし、石垣、本島でライブを行うという予定です。

この時期、八重山・沖縄は台風があたりまえ。島に渡れるか否かは賭けなのです。
本土に大きな被害をもたらした台風18号は過ぎ去ってまあ大丈夫かなというつもりでしたが、次の台風19号がフィリピンの東から北西に進んでいます。
18号の影響で予定が変更になった人が多いのでしょう、乗り換えの那覇空港は大混雑。

石垣島は天気はまずまずなのですが風が強く、海上は時化。
火曜日に石垣に着いたのですが、既にその二三日前から上原航路は欠航しています。

とりあえず、とばらーま大会を見て明日考えればいいだろうと、7時過ぎに会場の新栄公園へ。
ここ二三年は、野外常設ステージのある真栄里公園が会場でしたが今年は新栄公園。
こちらの方が市の中心から若干近い。それと月がステージのちょうど真上あたりに出る。これって結構重要。

ステージの両袖にはオーロラビジョンが設置され演奏者のアップが月と共に映し出されたりしています。月は7割方出ています。
旧暦8月13夜に行われるこの大会は、十三夜の月あかりで唄うということがポイントです。やはり野外で聞くとばらーまは趣がある。
23名の演奏者全員を聞くとそれぞれの違いが分かって面白い。
最初の音の高低が大きくしかも一息で唄いきるとても難しいくだりは、とてもうまい人に対しては数千人の聴衆から静かなどよめきがおこります。
テンポがとてもゆっくりなので息をつなげていくのも大変な唄です。一番で張り切りすぎて二番で息切れをしてしまう人も結構いました。
我慢大会みたいな唄です。

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十三夜の月と
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出演者集合
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ちょっと涼しい風と十三夜の月でとばらーまを堪能しました。
そして新栄公園からはとても近い美崎町のメグさんの串揚げ屋さんへ。
安くておいしい串揚げとシマで締めます。

さて、翌日は上原航路は欠航。
鳩間の友人に相談して、行って行けないことはないけれど週末にかけて状況はどんどん悪くなるらしいので無理はしない方がいいだろう、ちょっと様子を見ようということになりました。
で、本日の渡航はなし。暇になってしまいました。

延泊の手続きをして、幸い知人の車を借りることができたので、多分欠航ゆえに休みになっているであろう大工のM氏の野底の家でも行ってみようかと軽いドライブ。

今日は於茂登トンネルで行こうと白保の先を左折。於茂登トンネルの手前で右側の切り株に何やら大きな鳥が飛来。何か咥えている。体が大きいことと表情がとてもしまっていることにただならぬ気配を感じて停車。
車内から写真を一枚撮影。もうちょっと接近してみようと思って車から出たところにめったに来ない後続車が来て追い抜き。その気配に鳥は隣接する電柱の上に位置替え。もうちょっと近くで見たかったのに残念。

カンムリワシ。日本には石垣島と西表島で百数十羽しか生息が確認されていないとのこと。
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あえて停まってみたのは直前に渡った橋の欄干に鷲らしきもののモニュメントがあって、これはきっと何かあると思ったからです。
後で鳥に詳しい人に見てもらったら特別天然記念物のカンムリワシに間違いない、しかもオスで咥えているのはカエルの足だということまで判明しました。
確かに調べてみると絶滅危惧種で石垣と西表にしか生息していないということで、偶然野生の成鳥を見れたというのはとてもラッキーでした。

そうこうしているうちに、いつもお世話になっているT先生から少年自然の家での観月会のお誘いがありました。国立天文台と八重山星の会との合同開催で観月会の前に1時間ほどの講義を聞いてもらうとのこと。ギターを持って来いというリクエストが付いています。暇な身には渡りに船。夜の予定ができました。

さて、案の定M氏は休み。昼寝しているところをたたき起こしてゆんたく。ここは市街地から遠く離れているので、宴会でもしたら泊りは必至です。
今夜は予定ができたのでおとなしく引きあげます。

さて、観月会前の講義は30分はNPO八重山星の会の活動状況、後半30分は天文台の研究者による学会発表そのままのダイジェスト版。当然難しいことは了解済み。彗星の尾の形はなぜ開いたり閉じたりしているのかという研究で、東北大学の学会で発表した内容そのままだそうです。我々生徒は神妙に聞いていました。

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その後は楽しい観月会。

わりときちんと企画されていて、挨拶、少年自然の家の唄なんて出し物もあります。
ギター演奏に続いて、三味線演奏は昨日とばらーま大会に出場していた若手の唄者T君(実は今年の4月の明石公民館のイベントで一緒だったことも判明)によるとばらーま、そのまま何故か炭坑節振付の指導付、先の学会発表者が炭坑節は自分の地元の唄だということで飛び入りの唄、天文台職員によるクイズ、T先生による古賀メロディのギターの弾き語り(このギター、唄う曲ごとにチューニングを大幅に変えるという三味線のちんだみ方式)等々本格的な出し物が相次ぎます。

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月明かりでとばらーま
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天文台職員によるクイズ
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風が涼しくて月はとてもきれいに輝いていました。
いつもそうですが、欠航もそれなりに楽しいことがあるというわけです。

で、翌日も欠航
結局ライブのあった土曜日までずっと欠航でした。
特に土曜日は海上8~9mの大時化で大原廻りも欠航。
仮に大原廻りで渡っていたとしたらライブ当日に帰ってこれないということになっていたわけです。

その間何をやっていたかというと、わざわざバスに乗って宮良の南米・沖縄料理のもろみやへ行ってみたり、夜は結構退屈しない。パパビゴーヂのマスターとジャズバーへ行ってビッグバンドのレコードを聴いて盛り上がってみたり、メグさんのおうちで夕食会をしたり、時々練習したり、鳩間島へ行けたとしても多分あまり変わらなかったと思いますね。

もろみやのパステウ、食べかけ御免
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新空港開業と航空運賃が安くなったことで観光客が増えているということで、宿はほぼ満杯状態。
レンタカーも沢山走っていて、タクシーは今まで6000円稼ぐのが結構大変だったのが、今や空港一往復で稼げてしまうので楽になったとか、新空港開業の影響はかなり出ているようです。

そんなこんなで、土曜日は石垣島のフォークシンガー、池原コーイチさんとのジョイントライブ。
コーイチさんとは今年の5月に予定していたのが諸事情によりできなかったので楽しみでした。

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それぞれのソロとジョイント。
いい感じで融合できたと思います。
小生としては、ブラジル、ジャズを演奏するよりもっと以前にやっていた感じで演奏できたのが楽しかった。
若い頃染みついたものは何十年たっても取れないものです。

さて、日曜日も曇りがちですが船は走り始めました。

しかし本日は沖縄へ移動。
沖縄本島は良い天気。
南城市のおなじみのたまたま庵でジャズライブ。

サックスの千葉トシユキさんは今年の5月に予定していたのが諸事情によりできなかった(こんなのが多いです。)ので今回は気合が入っています。?
千葉トシユキ(ts)、西川勲(b)に小生のトリオ編成でスタンダードジャズを演奏。

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踊りだしてしまう。
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踊りの先生による鳩間早節
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集合写真
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このトリオも数えてみるともう3年くらいやっているわけでだいぶ気心が知れてきているようです。
音楽とは関係ないですが千葉さんのつっこみと西川さんのボケの会話が傍で聞いていて面白い。
今のところ年に2回位しかできませんが本土ツアーなんかしたらきっと面白いでしょうね。
小生としては楽しくジャズを演奏できる稀な機会なのです。
ただし、突然打ち合わせにないことをやり出したりするから気は抜けませんが。
今夜もお客様も一緒になって楽しい時間を過ごしました。

翌日は良い天気。暑い。

男たち、哲男工房前で桑の実を食う図。
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今回は欠航で予定がすっかり狂ってしまいましたが、確か5月も1日欠航になって過ごしたことがありました。
離島でなおかつ荒れやすい航路にあるのでしょうがないと言うしかありません。
ま、自然が相手ですから恨みっこなし、欠航は欠航なりに楽しく過ごす方法もあるということでした。

2014年05月15日

2014鳩間島音楽祭

今年も鳩間島音楽祭の時期がやってきました。
今年で出演は12年目を迎えます。
今回のメインボーカルは昨年に引き続き、斎藤みゆきさんにお願いしています。
今年は、八重山入りに先立って首里で1回、南城市玉城で1回のライブを経て、石垣島パパビゴーヂで2回、音楽祭という予定です。

以下、旅行記です。

沖縄入りは4月25日夜。とても涼しい。
いつもの浮島通り沿いHに宿泊。

翌26日は朝から良い天気、日差しも強く温度も上がってきた。
午前中は散歩をする。
午後4時に首里の会場入りだからそんなに遠くへは行けない。
とにかく晴れてるからどこかへ行こうと58号を渡って海の方向へ。
58号を渡るとガラッと街の空気が変わるのが面白い。
夜の街の雰囲気になるのだ。
海岸に突き当たって西へ少し行くと波の上ビーチがある。

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金曜日でそれほど人は多くはないが、日光浴をする人も結構いて、ここでビールを飲みながら日差しを浴びる。
とても気持ちが良い。
昼過ぎまで過ごして遅い昼食を採って首里へ。

風が強くなってきた。
温度も下がってきた。
ライブ会場はアルテ崎山Aホール。
沖縄在住の藤沢薫さん(fl)とHIIROさん(p)とのジョイントコンサート。
広めの会場には彼らのお弟子さんを中心に沢山のお客さんが来てくれた。
中には旧知の人も。鳩間にも日帰りだけど行くと言っていた。
我々2人の演奏、藤沢さんたちの演奏、4人で合同演奏と続いた。

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さて翌日は恒例の南城市玉城、玉々庵でのジャズを中心とした演奏。
千葉トシユキさん(ts.ss.)、西川勲さん(b)と我々だ。
この二人と演奏できるというのも毎回大きな楽しみだ。
今回の進行役は千葉さん、と言うのは唄以外はインターバルを取ることなく曲を続けていくので次に何が来るのかわからない、曲の選択はリード楽器である千葉さんが何を吹き始めるのかに任されているという意味での進行役である。
これがなかなかスリルがあってよかった。
お客さんは玉々庵ライブ始まって以来の大入り。子供の割合が高かった。
終演後は飲みながらのセッション。
これも毎回楽しい。

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いつもの玉城焼の陶器を手にした後、旧知のカリンバ奏者でタンザニア帰りのHSさんのお宅にも寄らせてもらった。
最近手造り新築したログハウス。
高台から太平洋が見渡せる気持ち良さ。
景観を楽しみながらのゆんたくとアフリカ土産のキリマンジェロコーヒーはとてもおいしかった。
いつも感じることだが、南城市近辺の人達は人とのつながりを含めて生活をとても楽しんでいるようだ。それともそういう人達ばかり見ているからだろうか。

翌日は石垣島へ移動。
本日から何泊かする予定だったPホテルがボイラーの故障でお湯が出ないとかで修理にも相当時間がかかりそうだということで、代わりのホテルへ回される。
支配人に連れて行かれたホテルKは美崎町のどまんなか、7階建てビルの最上階で部屋は広くて天井が高い、オーシャンビューのテラスが付いていて清潔、アメニティも無料で充実していていたく気に入ってしまった。
このテラスでビールを飲むと気持ちが良いに違いない。
ただし、2階から6階まではいわゆる社交ビル。夜はカラオケがうるさそうだ。エレベーター内に「連れこみ厳禁」の張り紙があるのもうなずける。監視カメラもちゃんと作動している。
小生はそのようなことは全く気にならず、むしろ好きなので問題はない。
偶然石垣に来ていた鳩間の友人、ターキーと合流して夕方から乾杯。この日は気持ち良く酔った。

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そして翌29日はパパビゴーヂのライブ。
ゲストに石垣を代表するハワイアンデュオ、エプロンシスターズ。
ますますハーモニーに磨きがかかっているようだ。

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30日は特に予定はなく、食料品を準備して鳩間島へ送ったりする。これは特別な送り方がある。
天気が良いのでホテルのテラスで日光浴と読書。
気が付いてみるとほとんど外食をしていない。
このテラスで弁当とか天ぷらとか刺身、ビールなどで過ごしている。
それほどに気持ちが良い場所なのだ。

そうこうしているうちに5月1日、鳩間島へ移動の日がやってきた。
ちょっと雨がちだが傘をさすほどではない。
まだ静かな鳩間島、それでも徐々にお客さんが増えてきている。
昨年の秋は欠航で渡れなかったので1年ぶりということになる。

この日はメンバーの到着はなく、瑠璃には小生一人。
例によって夕刻から米盛家で歓迎の小宴会。
母屋に宿泊している加治工グループのper. Marioさん達も加わって賑やかだ。

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勝おじいは去年より調子がよさそうだ。
今年は初めから舞台に上る気満々。
毎年30分づつ早まるおじいの撤収時間(今年は7時30分)後はターキー宅で旧知の島人達と乾杯。

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毎回これをやれることは本当に幸せだ。
静かに夜は更けていき広いスペースでぐっすりと眠る。

2日は会場設営。
板切れを運んでステージを作りベニヤをバックに打ち付ける。
ステージ前のサバニを倉庫から運ぶ。舞台の飾りつけをする。
だが、話によるとこの仮設ステージは今季限りで来年からは常設ステージが建設されるというのだ。
よく予算が付くものだと感心したが、一体どのようなものができるのか若干不安はあるし、税金の使い道として妥当なのか、はたまた竹富町の教科書問題は人質に取られないのかなどとあれこれ頭をよぎる。
最後になるであろうステージの設営、テントの設営を終えて今晩の前夜祭を待つ。

メンバーの斎藤みゆきさん、前夜祭、後夜祭にエントリー予定の石垣在住のZakiさんが到着した。
マイトウゼ宿泊組も到着。賑やかになってくる。
このじわじわと盛り上がってくる感じがとても楽しい。

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夕刻、おじいとの宴の後8時頃から前夜祭。
天気も良いのでサウンドチェックがてらステージを使う。
小生も1曲Zakiさんとジョイントした。
結構お客さんも入っているようだ。
多分泊り組は殆ど入っているのだろう。

3日はまずまずの天気、気温も上がってきた。

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朝食、たいていの民宿より勝っていると思う。
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臨時の船も続々とやってくる。
早い時間の船で石垣組、那覇組も到着。
早速打ち合わせを始める。
曲の進行、バテリアの出番、ダンサーの出番、そして勝おじいのコントロール等々。
段々高揚していく雰囲気がとても楽しい。
その間にも出番の確認に走る。
今回もプログラムというものは限られた部数しかない。しかも当日発表。
これを見ると7番目になっている。ただし、初めの5組はセレモニー的なもの。
11時開始だから12時過ぎには出番が来るのではないかと踏んだ。

この音楽祭では出演の時間は予測するしかない。なおかつ、それは前にも後ろにも行きかねない流動的なものなので早めに準備することが必要というのが過去の経験から学んだことだ。

会場はほぼ満杯。
天気は良く、日差しもあるが時々雲が遮ってくれるので過ごしやすい。
好天の音楽祭のいつもの雰囲気だ。

鳩間古謡。本当の年寄りは少なくなった。
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鳩間小中校
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大城孝雄さん
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案の定、出番の変更があって少し時間に余裕が出た。
舞台では町長が常設ステージの建設をぶち上げている。
そして、我々の出番。
徐々に盛り上げて行くいつもの構成で、後半からは八重山太鼓担当の勝おじいにもスイッチが入った。
15分といわれていたステージ、多分延ばせるんじゃあないかと予想して1曲用意しておいたが、予想通り20分での途中指示。
ダンサーも登場してジャストで切り上げた。
集中していて良い演奏だったと思う。

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勝おじいのスイッチが入った。
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ダンサ登場
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集合
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出番の後は皆三々五々瑠璃で飲んだり、音楽祭を楽しんだり。
3日はいつでも食事がとれるようにカレーをこしらえてある。
それにメンバーからの差し入れの料理や酒で賑やかに過ごせるのだ。

終了後のけだるい雰囲気
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子供に人気のピカリャー
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いつもの鳩間オールスターズの真似のできない独特の演奏で締めくくり、恒例の見送り。
石垣組、那覇組は日帰りなので見送られる。

鳩間オールスターズ
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雨の夜
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逆にこのとき入ってくる友人もいる。
このあたりから天気が怪しくなってきた。
夜からは雨になった。
後夜祭は公民館で。
エプロンシスターズが大受け。
小生はいつの間にかPA担当になっていた。
慣れている人が何かを担当しなければこういうイベントは成り立たない。
後夜祭終了後は部屋の中に移って打ち上げを楽しんだ。
3日の夜は夜中まで騒いでもある程度は大目に見ることになっている。

4日はとても良い天気。
午前中は公民館の後片付け

残り物で作る中華スタミナ定食
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昼からは日差しも強くなって、これは海へ行くチャンスと久しぶりに北海岸へ散歩した。
ただ水温は低い気がする。

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何年か前はこの時期ガッツリ海に入れたものだが、今日は日差しがあるけれどちょっと寒い。
ヤギの群れにも遭遇。相変わらず減ってはいないようだ。

今日も続く見送り。
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風が出てきたようだ。
明日は天気が悪そうだ。多分欠航だよと島人の言葉。こういう予想はほぼ100%あたる。
夕方から残った者でのんびりとおじいを交え童謡唱歌の会とパゴーヂ。

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一度は作るナーベラー。
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立つんだ、ジョー!!
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夜から雨足が強くなる。風も強くなってきた。

そして、昨日の予想通り5日は悪天候。
上原往復の1便だけ出てあとは欠航。
小生は今日はターキーのところへ泊まる予定なので、今日石垣へ戻る人達の船の調達を色々と画策する。
グラスボートは出せないと確認して、上原在住の人の船を紹介してもらったが電話はつながらない。
各民宿でも今日石垣へ戻る人は多く、こういう場合は呉越同舟。
とりあえず桟橋で待機して乗れる船に乗るのが得策。
ちゃんと仕切ってくれる人がいて、民宿が違うからと断るような不人情なことはしない。
上原へは追い風だから大した揺れはないはず。ただ屋根がない船だから雨対策が必要なのだ。
ま、久しぶりの大原廻りも楽しむ方が良い。
というわけで、小生1名を残しメンバーは無事石垣へ戻った。

ターキーは疲れ切った様子で寝っ転がってテレビを見ている。

角をためた大きいヤギが集落を徘徊している。

だらだらとテレビを見ていて唯一印象に残ったのは公共広告機構の沖縄版。
草野球、4球で進塁だが、打者は打席にお迎えに来たタクシーで一塁へ行く。
で、「少しは歩け。うちなーんちゅ」だと。
これには二人で笑ったね。

食料もあらかた消費して、残ったのはインスタントラーメン、ゴーヤ半分、ソーセージ、豆腐、卵ということになっている。
これで考えられるメニューはゴーヤチャンプルーラーメン。
なかなか美味しかった。

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残ったゴーヤチャンプルーは朝のおかずにもなる。
以前ここに居候をしていた経験からちょこっと掃除をしたりして夜の酒を飲む環境を作る。
さすがにお互い疲れが出て少し飲んで寝てしまった。
明日も天気は悪いだろうとのこと。


6日はパパビゴーヂでライブがあるので昼頃には戻りたい。
天気は相変わらず悪く、沖縄地方は昨日から梅雨入りしたとのこと。
本日も欠航なので船の算段を鉦雄氏に任せて、昨日も出航した船に乗せてもらう。
こういう場合、人数が少なくて負担が大きいから人数が集まるまで待っているというのは賛成できない考えで、状況が良いうちに出る船にとにかく乗ってしまうのが肝心。時間が経つとどうなるかわからないのだ。
というわけで久しぶりの大原廻りで鳩間を離れた。

しばしの別れ
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海上はこんな感じ
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今年も音楽祭を無事終えることができた。
病気療養で1軒しかなかった商店を閉めざるを得なかったKさんにも偶然会えた。
頑張ってと励ますしかないのがもどかしかった。

当たり前のことだけど、島人も小生も皆年をとった。
変わらずにいるのは難しいけれど、いつも暖かく迎えてくれることは本当にありがたい。

そしてまた美崎町のホテルKへ。
ここもすっかり気に入った。
定宿にしよう。
今日は参加型セッションライブ。お客さんも沢山入ってくれて盛り上がった。
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石垣在住、Zakiさんとのセッション
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おなじみのコーイチさんとのセッション
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翌日はパパビゴーヂの村上さん達といつもの美好で昼食、午後の飛行機で帰宅。
今年の春の沖縄・八重山ツアーも無事終わった。終わった

2014年10月22日

2014秋、八重山・沖縄と台風19号

今年の秋の沖縄行きは、例年、とばらーま大会の頃行くのだが少し遅らせた。

今年の旧暦の8月13日は9月の初旬で、時期が少し早く都合が合わなかった。
で10月7日石垣行きとなった。

台風18号が6日の午前中に関東上陸。
飛行機が軒並み欠航となるが、翌7日は台風一過の良い天気。しかし、フィリピン東海上には19号が日本を狙っていた。

台風18号の雲が去っていく。これは自宅にて。
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まずまずの天気の石垣島。旧知のT先生が空港まで迎えに来てくれた。
最近お気に入りの美崎町の海邦ホテルに収まって一息。

18号の影響と既に19号の影響が出始めているのか上原、鳩間航路はここしばらく欠航の模様。
明日のライブの後明後日には鳩間島へ渡る予定なので、鳩間島とも連絡を取りながら様子を見てみようと思う。
ただ海邦ホテルは明後日には空きはないとのこと。
ま、何とかなると思うのでこの状況を楽しむことにする。
とりあえず、今日は移動のみ。夜は好きに過ごせる。

何となく不穏な雰囲気
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翌8日は曇りがちの天気。
今夜は皆既月食が見られるということだがどうだろう。
T先生の所属する少年自然の家では観測会を開催するとのことだ。
こちらは、パパビゴーヂでのライブの日。久しぶりに石垣のシンガー、池原コーイチさんとの共演だ。

風はあまりないようだが相変わらず上原航路は欠航している。
台風19号の接近で明日からも天気が好転することはないように思えるので、明日もおそらく欠航だろう。
もしそれでも明日鳩間に渡ろうとすると、大原回りで上原までバス移動して郵便船に乗るということになる。
行けないことはないが、相当朝早い便に乗らなければならないのと、行ったら那覇への移動の12日に戻ってこれるのかという問題がある。
特に台風予報によれば11、12日は台風が最接近するとの予想だし、この19号は今年最強、いや戦後有数の強力さ900hps風速75mなんて言っている。
今日一日様子を見ることにした。

ライブは、お互いのソロ演奏を少しづつと共演をたっぷりとという構成になった。
コーイチさんは初めて会った頃は無頼漢という印象もあったが、最近は何度もお会いしているせいか共演もしやすい。
お客さんからもコーちゃんの唄は大人になったなどと言われていたな。
彼の唄は最近の若い男の子の軟弱な唄とは一線を画す男っぽく力強いもの。
そこが好きなところだ。
楽しく共演できた。

コーちゃん
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曇りがちではあったが皆既月食の赤い月を見ることもできた。
終了後はおでん屋の一力で軽く打ち上げ。
この店も強力だ。地元率100%。

明けて9日はやはり欠航。風も強まってきた。
鳩間島とも相談して止むを得ず鳩間行は断念。
ということは本日の宿を探さないと。
知り合いのお家に厄介になるというのも気を使うし、ここは探してみようと。
しかし当日予約というのは結構高いし、なかなか空きがない。
結局海邦ホテルの紹介で先島ビジネスホテルに1部屋空きがあった。

サザンゲートブリッジのたもとで中心街から若干の距離はあるけれど、部屋も広くてwifiもつながるし、なかなか良いところだ。

サザンゲートブリッジのたもと
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台風予報は11、12日に沖縄本島に最接近としている。
上原航路欠航どころではなく沖縄行きの飛行機が飛ばない可能性が大になってきた。
12日はおそらく沖縄から離れていくだろうからライブは大丈夫だろう。しかし12日の昼頃の飛行機は飛ばない可能性大と予想を立てて、明日那覇まで移動しようと決めて飛行機を探したら空きがあったのでそれに決定。
予定が決まって一安心。

そういえば国立天文台の4D映像が面白いよとの噂を聞いていたので行ってみることにした。
自然の家の北の山の上にある。
日本でも三鷹の天文台と並ぶ代表的な天文台だ。
ここのスタッフの人達とは去年観月会をやったことがある。

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3D眼鏡をかけて係員の説明付きだ。
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アンタレスだったか、赤いのでびーちゃーぶしと呼ばれていて、その星座はびーちゃーが釣竿を垂れているように見えるという説明が印象に残った。
立体映像は迫力がある。
無料で楽しめるのでお勧めです。

石垣のコンビニは今まで「coco」というチェーンしかなかったのが10月10日に初めてファミリーマートが開店するというので話題になっていた。

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車があるついでにミュージッシャンの友達であるZAKI氏の家を訪問。
お経とのコラボなどを聞いて完熟バンシルー(グアバ)などを貰い受け、無農薬青レモンを送ってもらう手はずを整えた。
この無農薬青レモンは昨年初めて味わって丸かじりの味に感動したもので、今年も出来たら買いたいと思っていた。
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夜、パパビゴーヂ開店当初の料理人だった、しんちゃんがやっている店がサザンゲートブリッジ近くにあるという。
ホテルの近所だ。
行ってみた。
海岸通り沿い。「パラダイスキッチン」通称「パラキチ」。こじんまりとした良い店だ。メニュー、味、量もとても好ましいもので、また一つ贔屓店が増えた。

パラキチの料理
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ん・・・・・・???
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パラキチ
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翌10日昼過ぎの便で那覇に移動。台風は刻々と沖縄本島に近づいていて、935hps位でどうも沖縄本島を横断するらしい。
ここ石垣島はコースからそれているのであまり台風の影響が感じられないが、予想通り明日の那覇発着便は全便欠航、12日も相当影響が残るとのこと。那覇空港でみた大量の修学旅行生の群れは困るだろうな。

ところで、石垣の地元ではスカイマーク乗ろう運動をやっているようだ。
というのは、スカイマークが沖縄・石垣間を安く運航しているからANA、JALも追随して安くなっていると。
もしスカイマークがこの路線から撤退したら元通りに高くなるだろう、事実、宮古がそうだったと。
うなずけるというより適正な運賃が今の値段だと思う。今だに国内線の運賃は高すぎる。

さて、さすがに暴風圏内に入っている着陸前の横揺れはかなりのものだ。
無事に到着してその足で10.10那覇空襲70年忌という集会へ。
そこで急遽、絵本読みのバックの演奏とギターソロをすることになったのだ。

某食堂のゆし豆腐チキンカツ付き、「付き」と言うには量が半端でない。
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雨は降っていないが風がすごい。体を持っていかれそうな風だ。
首里石嶺の福祉センターは巨大な建物でビル風もあってか風がさらに激しく感じられる。

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憲法9条解釈のうちなーぐちバージョンに興味を惹かれた。
例えば9条2項後段。「国の交戦権を認めない」は、「国ぬ、「いくさすんどー」んでぃいゆる権利んでぃ言しん、いかなしんみとぅみやびらん。」。
これを紙芝居師の佐渡山さんが朗読すると何ともしみじみと伝わってくるのだ。

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10.10空襲は局地的ではあったが沖縄戦の端緒として捉えられている。

空襲体験の語り部
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佐渡山さんの紙芝居の中で、八重山では酔っぱらいの方言として知られる「びーちゃー」が沖縄では、じゃこうねずみのことだと知った。

紙芝居装置
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絵本読み
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即興で音楽を付ける。
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ソロ演奏
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既に台風本体の雨風が激しくなってきて、それでもやるのかという問い合わせも多々ある中、来てくださったお客さんには感謝です。
明日はおそらく一日中外へ出れないし、停電も予想されるので風雨が強まってきた帰宅途中に食料などを買いこむ。

そして、11日は朝から風雨が強まり、那覇空港は閉鎖、モノレール、バスも止まり車もめったに見かけないしもちろん出歩く人はいない。丁度この南城市あたりを西に横断していくコースのようだ。
視界がどんどん悪くなる。
もう今日は一日閉じこもっているしかない。
特に昼過ぎから夕方にかけて風がすごいことになってきた。

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ねこ目線で
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それはわたし、まるちゃんです。
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更に激しさを増す。
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風上にあたる北側の部屋にいた。
強風が30秒ほど継続してこれでもかというほど吹く。
気のせいなんだろうけど風圧で窓がたわむように感じられる。
鉄筋コンクリートの強固な建物なのに揺れるような気がする。
風に煽られたドアで子供が指を切断されたというニュースもあったし、とにかくおとなしくこもっているしかない。

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散々荒れ狂った風雨が夜8時頃になってパタリと静かになった。
どうも台風の目に入ったらしい。
目に入ると星が見えたりするという話もあるが、今夜はそうでもない。
ただ目に入っている時間がやたら長い。
深夜0時を過ぎてもまだ目の中らしい。

そんな中で、当主、大池氏は本来今夜やる筈であった月祭りを開催した。
本来なら集まってやる筈だったけれど、集まれなくても皆それぞれいる場所でやっている筈だと言う。

ありあわせでもごちそうになる。
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明日のライブは台風が過ぎているだろうから多分大丈夫だろうということにして寝てしまう。
今日は一日引きこもって寝ていたのに、まだ寝れるもんだねえ。

翌12日もまだ風雨は強い。夕方まで飛行機は欠航らしい。早めに移動して正解だった。
ただ、徐々に明るくなってきているようでもあり、台風は去りつつあるという印象だ。
やはり本土、千葉県にいて来襲する台風とはわけが違う。
若くて生きの良い台風の凄まじさというものを今回はたっぷりと体験させていただいた。
これが古い木造住宅だったら生きた心地はしないだろうな。
大池氏宅に避難している黒猫まるちゃんがまとわりつく。

午後からはうっすらと日もさして来てライブには差し支えない。
ただ、今度は台風の後片付けで都合がつかないお客さんもいる。
しょうがないのだ。
b.の西川さん、ts.の千葉さんも無事到着した。

今夜はJazz Nightである。
こんなに自由にジャズができるのはこのメンバーだけ。
とても楽しみなのだ。
今夜、面白かったというよりは新鮮だったのは、My favorite things、Take five、てぃんさぐぬ花~Imagine。
もっとも、このバンドはts.の心もちで予想しない曲に飛んだりするので、細かいことは気にしない方が良い。
即興演奏の醍醐味だ。
お客さんも楽しんでくれるし、やっぱり格好つけないジャズは楽しい。
というわけで悪天候の中を来ていただいたお客さんに感謝、感謝。

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翌13日、天気は良くなりつつあるが風はまだある。
台風が大きかったことと速度が遅かったことで丸三日、強風が吹き荒れたことになる。
鳩間島には行けなかったが早めに沖縄に渡ったのは良い判断だった。

台風一過
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よく見ると人の顔だ。台風のせいだろうか足が一本取れている。
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今日は、糸満に移動して、春に共演したフルートの藤沢さんとピアノの火いろさんとの共演だ。
彼らも本土からの移住組だがまだそんなに日は経っていないとのこと。
今日は糸満に引っ越して来てから当地での初めてのライブというこで、早速リハーサル。
お店は海沿いの新興住宅地のような場所にある。毎日の釣りポイントの近くらしい。

糸満の海
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本日の現場
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ここで火いろさんは、鍵盤ハーモニカを共鳴箱に組み込んだヒロニカなる自作の楽器を演奏した。
更に音が大きくなるのと演奏上の安定感が増す、箱を叩けばパーカッションにもなるという優れものだ。
音響機器はないので全て生音で演奏した。

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ギターはちょっと大変だけど、思い切って弾けるので音量や音質に気を使うことがなく却って楽なのだ。
最後はお客さんも巻き込んでのダンスタイム。
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打ち上げはお家で。

14日はさすがに台風の影響もなくなって良い天気。
ちなみに安栄観光のサイトをチェックしてみると上原・鳩間航路はまだ欠航している。もう二週間くらいになるのではないだろうか。

今日は首里のアルテAホールで昨日の3名にパーカッションの翁長巳酉さんを加えての演奏。
火いろさんたちはいつもカニを採りに行くらしく今朝も出かけていった。
はさみまで広げると30cmくらいの大物も珍しくないとのことで、これが実に美味しいらしい。

火いろさんは以前、所謂テレビ、ラジオ等の芸能界の仕事をしていたらしくその手の写真が結構あった。
年は小生よりちょっと上だが世代的には同じなので、時代的に懐かしい写真が多々あった。
そういえば大池邸での打ち上げも古いテレビ番組の話題で盛り上がったな。
30代以降はテレビを殆ど見なくなってしまったので古い話しかできないのだ。
それで十分だけど。

台風の影響だろうか釣果はなく、軽くリハーサルをしてから会場入り。
合間に本日が誕生日の小生のためにハッピーバースデーの演奏があって、ありがたい。
さらに感心したのは、ほんの5分の時間で火いろさんが3名分の弁当を作ってしまったこと。
確かに時間と金の節約になる。大事なことだ。

さて、演奏は翁長さんも加わったことでサンバ色が強まった。

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サンバを演奏したいのだができる人が少ないということだ。
所謂ボサノバナンバーはできるわけで、これはジャズ系の演奏者からは入りやすい。
前々から感じていることだが、ボサノバはある時代にはやったブラジル音楽だから、サンバ奏者は演奏できるのは当たり前、しかしボサノバしかしらない人がサンバを演奏するのは難しい。
ジャズ奏者がサンバを演奏するのが難しいのと似ている。

コンサートはフラメンコダンサーの飛び入りもあって盛り上がった。

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今日も打ち上げはお家で。
ここでまたまた感心したのは帰ってシュウマイを作ってそれをアテにして飲もうとの提案。
普通、えー、これから作るのとなりそうだが、帰りがけにシュウマイの皮を買って、帰ってすぐにシュウマイ作り。
実はこれに採れたカニを入れると最高に美味いのだそうだ。だが本日は運悪くボーズ。
そういうことだったのか。
でも3名で具を詰め込んでふかしあがったシュウマイはとても美味しかった。
ごちそうさまでした。

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15日は予定通りの帰還日。
またの共演を約して空港へ。
お土産は荷物もあったし時間も中途半端だったのでモノレール駅から近いスーパーの食品売り場で今晩のおかず的な買い物。
それでもなんとなくそれらしくはなるのだ。

今回は台風18号が去った後に沖縄入りし最強台風19号の直撃を経験して、鳩間島には渡れなかったものの、良い経験をしたと思う。
ああいう状況でほぼ予定をこなせたのはラッキーだった。
いつもながらお世話になった方々には感謝に堪えません。

2015年08月03日

2015年鳩間島豊年祭

もう十数年鳩間島を訪れて、音楽祭にも13回出場しているのに、この島の最大のお祭りである豊年祭にはまだ一回も行ったことがありません。
以前から一回は見てみたいと思っていました。

音楽祭は島内外関係なく楽しめるもの、これに対して豊年祭は島人のためのもので、島外の者が行って果たして楽しめるのかというところが躊躇していた一因です。

島人に相談したら大丈夫だということで、今回行くことにしました。

豊年祭見学限定なので鳩間一泊、石垣二泊の三泊四日の短い日程。

この時期お約束の台風が接近しているが、12号は沖縄本島から奄美、九州へ進むという予想で、石垣入りした7月24日は八重山地方はとても良い天気。
沖縄本島地方は明日から大荒れで飛行機も欠航になるだろうということだ。

最近の夏は沖縄が暑いというよりは、本土の方が暑い。
なんせ37度だ、38度だなどと言っているわけで、確かに八重山の日差しは本土より強いけれど、日陰は本土より涼しいような気がする。
とは言え八重山の真夏の日差しはさすがに強い。

まずはこれ
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今年の鳩間島豊年祭の日程は、25日ゆーどぅし、26日とーぴん、27日綱引きとなっていて、25日に渡って26日のメインの行事を見て石垣に戻るという予定。
短期滞在なので預け荷物なしの身軽さ。

25日の海はとても静か。
鳩間島U家のターキーは5月にちょっとした怪我をして足をちょっと引きずってはいるが大事には至らないで良かった。

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今晩のゆーどぅしとは、夜8時頃から友利御嶽に集合して神様をお迎えするお祈りを夜通し行うというもの。
島外の者も見学可能ということでターキーに同行するつもりだったが、彼は一杯飲んで寝てしまい、代わりに行ってくれとのこと。
仕方なくターキーの分、小生の分の奉納のお酒を持って御嶽へ。

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真っ暗な中の友利御嶽はぽつりぽつりと明かりをつけて幻想的な雰囲気。
奥のお宮に祭壇があって供物が祭られている。
この座敷に入るのは島の重鎮たち。
お祈りをしながら神様と酒を飲み料理を食べ唄を唄い踊りを舞うという趣向らしい。
それ以外の席はお宮の外側に設けられている。

午後9時過ぎから三々五々人が集まり始めてお祈りが始まる。
中心になるのは公民館長。
全てを仕切るのは彼だ。

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三味線、笛、太鼓もついでに酒も程よく入って徐々に座は盛り上がってきているようだが、外野席から見ていると単なる宴会が舞台上で行われていて、それを見ているだけという雰囲気で、これは朝までいるというのはとても無理だなと思って12時過ぎくらい、適当なところで引きあげた。
来ている人もまちまちで、お宮の中と外野席のメンバーも、必ずしも重鎮かどうかというところもあいまいなようだった。

翌26日は豊年祭のメイン行事、とーぴんが行われる。
昨日のゆーどぅしでこの日のスケジュールを決定、東西の旗頭がメイン会場であるサンシキ(桟敷)広場に下りてくるのが11時頃、順番に催し物が行われ、3時頃にはハーリー、4時半の船に間に合わせるということだ。

大体の行事は帰りの船の時間に間に合わせるということがお約束。
この日の朝の船で石垣在の人達が入ってきて参加者が揃うということらしい。

東西の旗頭が広場へ登場。かなりの高さがあり、電線に触れそうではらはらする。
サポートはあるものの直接の持ち手は一人だから大変そう。

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以降、お宮から氏子達の行進、みるく様の行進、棒術、踊り、歌の奉納からハーリーへと続く。

氏子達
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みるく様の登場
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100%島人向けの祭りだから公民館長の挨拶も音楽祭とは違って鳩間口。殆ど何を言っているか分らない。
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中でも子供たちが登場して子孫繁栄の神様と踊る、「かむらーま」という踊りはユーモラスで印象に残った。

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棒術
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踊りの奉納
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八重山の四季という歌での踊りは洋装の女性たちで、これは初めて見るものだった。
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そしてメイン行事の最後はハーリーの東西対決。
とても天気が良いので海がまぶしかった。
太鼓による声援はさることながら、これに鉦が加わると何だか異国情緒を感じてしまう。

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東西の旗頭が入場
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スタート
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東が先にゴール
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西のゴール
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勝負の結果が出るとそろそろ帰りの船の時間がやってくる。
祭り自体は明日27日の綱引きまで続くのだが、今日は日曜日。やはり今日帰る人が多く船は満員。
それでも、1艘ですみそうだ。

豊年祭は音楽祭と異なって島人の島人による島人のための祭りだ。
ただ、秘祭ではなく外部の人にもオープンになっているということなのだ。
だから、外部の人に対する配慮はほとんどないと言ってよい。

内容も多彩でこれだけの伝統を絶やさずに続けていくということは大変なことだと思う。
勿論、島在住の人達ではできるわけはないので各地、特に在石垣郷友会の人達によるところが大きいと思った。
島の関係者たちにとっては年に一度の同窓会の場でもあるだろう。

ただ、外部の目で見ると、伝統的な形というのは本当に現在行われているようなものだったのだろうかと思えてしまう。

つまり、伝統芸能が正しく承継されているのだろうかということだ。

殆どが島を離れている人達の手によるのでなければ成り立たないという事実が、奉納芸の曖昧さとして垣間見えてしまうのだ。

とりあえず形にはなっているが、何だか違和感の残る印象を抱いてしまったのは多分そのあたりにあるのではないかと思った。

単なる村祭りだったらどこにでも存在する。

鳩間島豊年祭には伝統芸の継承役を期待したいのだが。

とても静かな海を石垣へ帰着。

この日は友人のAさんの新築・改築のとても素敵なお家にお世話になりました。
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2015年11月05日

2015年秋の八重山・沖縄と、ある訃報

今年の秋の八重山・沖縄行きは、10月20日から26日までの短期間でした。
このニ、三年イベント等が重なって、旧暦八月の十五夜に鳩間島に行けてないのが残念なわけですが。
しかも、台風24、25号がダブルで発生している状況。
まぁこればかりはしょうがない。

短い期間の中で二泊三日で鳩間島へ行こうと予定はしていました。
ただ、沖縄へ行く一週間くらい前から上原航路は欠航。
24号の動きからすると、これからも多分欠航かなという感じはしています。

沖縄へは今回初めてバニラ航空を使ってみました。
ランクによって荷物とか変更とかが都合が良いので、那覇空港のLCCターミナルを除けばまあ良いかも。
那覇空港のLCCターミナル利用は、時間に余裕がないときつい。

石垣はいつもの海邦ホテルの快適な部屋。
ただ、雨が降ったり止んだりの天気なので、テラスでゆっくり過ごすわけにはいかない。

天気が悪いと食べることが楽しみ。
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翌日はパパビゴーヂでライブ。
後半は飛び入り歓迎で、店主も加わってセッションになりました。
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もし明日欠航で鳩間へ行けなかったら、金曜日にタニファでフリーライブをやろうという、昨日からつるんでいた石垣のミュージッシャン、ZAKI氏の嬉しい提案。
それはもう暇になってしまうので渡りに船。

翌木曜日は案の定、上原航路のみが欠航。
大原廻りという手もあるが、無理して渡っても帰ってこれない可能性もあるので鳩間行きは断念。

確か、昨年は台風直撃で渡るどころか、予定を早めて沖縄に戻ったのでそれよりはましかなと。
ただ、24号も勢力は弱まりつつも、まだふらふらしていて週末には八重山接近かというところが気になります。
勢力が弱いので多分大丈夫だろうとの噂です。

八重山に来ると台風と天気の話題は本土にいるときの数倍の頻度と密度と真剣さで話題に上ります。
生活に直結しているので当たり前とはいえるのですが、雑談中の台風予測の精度もなかなかのものなのです。

この日はほとんど雨で外出する気はしません。
幸いにして金曜日まで連泊可とのこと。
こんなとき、居心地の悪い宿だと何が何でも外出してしまって出費がかさむなんてことになりがちですが、このホテルは大変居心地が良いので無理に外出しようなんて気は起りません。

金曜日は、ホテル側の提案もあって和室に移動してみました。

ここの和室は初めてなのですが、南西むき角部屋南向きテラスのみならず西向きもとても眺望が良い。
しかも、通常は3~4名は泊まれるかなり大きい部屋で台所もついています。
かつての教職員組合の大部屋を思い出しましたが、こちらの方がずっと快適。
値段も変わらないので、複数で泊まるときはこの701号室がお薦めですね。

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テラスも部屋に合わせて広くなった。
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西側は市役所から新川方向を臨む。
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久しぶりの美しい夕焼け
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この日は久しぶりに晴れて温度も上がってきて夏が盛り返してきた感じになりました。
幸いにも24号は消滅して、低気圧になりました。

夜はタニファでフリーライブ。
何の予告もないので、お客さんは大丈夫かなと思いましたが、楽しんでくれたようでありがたかったです。

沖縄に戻る土曜日は夏のような天気。
空港へ行きがてら久しぶりにブラジル料理屋のもろみ屋へ行ってみました。
ここは、八重山、ブラジル両方の料理が味わえる珍しい食堂。
しかもとても美味しい。
場所は宮良なので徒歩ではちょっとという感じです。

パステウ
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魚料理
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肉料理
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沖縄もまあ良い天気。

今日は玉城に泊まる予定でしたが、若干の手違いがあって他の場所を探しました。

雨の木曜日にどこにしようかなと色々とネット上を探していて、こんなこともたまには楽しい。
久しぶりにコザに行ってみようかなどとも思いましたが、手ごろな宿が見当たらず、結局那覇のカプセルホテルに空きがあったので、そちらに落ち着きました。

沖縄では初めてのカプセルホテルですが、朝食もついてそんなに不自由はありません。
荷物も置けるようです。

安里近辺なので、夜は栄町市場へ。
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翌日も良い天気。

久々の快晴
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奥武島の海の色がきれい
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海の色をイメージした焼き物
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この日はお馴染みの玉城の玉々庵でライブ。
tsの千葉さん、bの西川さんが今回はいないので、何年か前に与那国島、また玉々庵でもご一緒したことがあるベーシスト、水見拓磨さんとのトリオでの演奏です。

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この日はアフターアワーに素晴らしい出し物がありました。

陶芸家でsax奏者の稲福哲雄氏はうちなーぐち(沖縄方言)を残す活動もしていて、戦前から戦後にかけて活躍した大衆演劇人、小那覇舞天のスーヤーぬパーパーという一人語り、漫談と言ってもいいか、を披露して、これにやまとぅ口の解説を付けた。

これが大受け。

さらには、セッションでブルースをバックにスーヤーぬパーパーを語り、語り終えてはテナーを吹くという荒業をやってのけた。
約15分もやっていただろうか。

ウチナー口がまるでラップのように聞こえて、まるでお約束していたかのようにジャズブルースとぴったりはまりました。

共演者や観客からは、これは一つの作品として完成させることができるのではないかという声が大きく上がりました。

確かにこれは、沖縄ではジャズを聴きに来る人も多いので、イベントや路上でやったらきっと大受けするんではないかと思われるし、若い人やナイチャー向けに、やまとぅ口の解説もどこかに突っ込むことができれば方言の保存にも役立つのではないかとも思われます。

小那覇舞天のオリジナルは、語りのバックに音楽はなくて合間に入っているので、ブルースをバックにラップ風というのは新しい。

是非、スーヤーぬパーパー・ブルースをプロデュースしようではないかと盛り上がりました。
こういう盛り上がりは楽しいですね。


さて、沖縄から帰って程なく、沖縄、鳩間島、サンバ、ジャズ、音楽や、そして人間を愛してくれた畏友、稲見洋さんの訃報が届きました。
小生はサウーヂに入ったころからの30年来の付き合いで、毎年、鳩間島音楽祭にも参加してくれて楽しい思い出がたくさんあります。
武庫之荘にあったご自宅を訪問した時、日当たりの良い部屋でワインを飲みながらジャズやサンバのレコードを二人で聴いて語り合ったことが忘れられません。
最近は体調を崩されていたとのことで、ちょっと心配はしていましたが、残念でなりません。
順番とはいえ、七十前はまだ早いよ。

ご冥福をお祈りいたします。

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2016年05月17日

2016春・八重山・沖縄ツアー報告

今年も春の八重山・沖縄ツアーの報告をします。

今年は、鳩間島音楽祭にも毎年来てくれて、鳩間島をとても愛してくれていた畏友Iさんが逝去されたということで、その追悼もしたいという人も結構いて、本土から久しぶりの参加者もいました。

小生は、航空運賃が高くなる前の4月27日には沖縄入り、翌28日に石垣島入りしました。

那覇はちょっと蒸す感じがしますが、暑いというほどではありません。

久しぶりに金武まで足をのばしてみました。

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昼間はシャッターばかり目立ちます。
一回は夜に来たいものです。
元祖タコライスで有名だったパーラー千里がなくなっていたのはちょっと残念。

面白いオブジェ
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いつもの波の上ビーチ
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28日に石垣入り。
天気はあまり良くありません。
ただ蒸し暑い。
今日、明日は特にやることもなく、読書したり、夜は島の友人と飲んだり、のんびり過ごします。

曇っていてもこれをやらないことには。
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29日は良い天気。
久しぶりの八重山の強い日差し。
こういう日は海邦のテラスはとても気持ちが良いのです。

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30日はパパビゴーヂでライブ。
その前に鳩間へ行くための食材を準備します。

去年から割り勘精算払いも、一人で食材を調達するのも面倒になり、瑠璃宿泊者はなるべくだぶらないように持ち寄り制にすることにしました。

小生は米、調味料、ナーベラー、にんにく等。
米はいつもどのくらい買うのか迷うのですが、JAで西表産の3kgという都合の良いものを見つけました。

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宿泊者は適当な食材を買ってきて、あるもので食べることにするわけです。

パパビゴーヂのライブは、音楽祭参加者もほぼ集まって、とても良い雰囲気で終えることができました。
石垣在住のブラジル人ミュージッシャンの参加も楽しかった。

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さて、翌5月1日は鳩間島に渡る日。
とても良い天気で暑い。
ここニ三年は秋に欠航が多くて渡れていないので、1年ぶりになります。
ああ、去年は豊年祭に行ったから1年ではないな。
食材はリュックに詰め込んで、スルドも同じ便で運びます。
鳩間島行きの船に乗るときはいつもワクワク感があります。

ちょっと気になるのは音楽祭当日の5月3日の予報が60%で雨マークが出ていることです。
去年からは屋根付きなので出演者は濡れないことになっています。

船も殆ど揺れずに鳩間島到着。
懐かしい島人の面々と再会を祝します。
米盛夫妻も健在なご様子でかりゆし、かりゆし。

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瑠璃は今日から5名+1/2と賑やかです。
今日は何もないので飲みモード。
勝おじいも今日は6時からとおじい飲みの開催を告げました。

天気が良くて暑いので昼間のビールが美味い。
会場を見てみると、黒い巨大な天幕が張られています。
聞けば、南ぬ島祭りに使用したものを貰い受けたとかで、雨をしのぐことはできませんが日影が作れそうです。

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プログラムやフライヤー、ポスター等はすでに出来上がっていて、出演者は我々を含めて8組。
有名どころでは大工哲弘さん、夏川りみさんがいます。
フライヤーにはプロフィールまで記載してあって、タイムスケジュールも細かく決まっている。
入場料1000円。

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つい数年前までは、前夜祭がオーディションも兼ねていて、そこから何組か出演が決まり、当日になってやっと出演の順番が決まっていたことを思うと隔世の感があります。
やり易くなった反面、手作り感が薄らいだと感じます。

今回我々は、「コモエスタ・イタとサンバカーニバル」というユニット名で参加。
14回目の出演です。
14年か。
何だか早い。
当時は高速船は通っていなくて、週3便のかりゆしで来ていました。
ステージも仮設で、お客さんもパラパラだった記憶があります。
それが今では立派な本設ステージと千数百名のお客さん、こんなことになろうとは予測していませんでした。
来年は音楽祭も20回、どのようなことになるのでしょう。

しかし、おじい飲みは何年経っても健在な限り続けられます。
毎年おじいの引きあげる時間が30分づつ早くなるということはありますが、その分早く始めてしまえばよいのです。

本日は6時から。
刺身やてんぷらなども付いてきます。
これは金では買えない美味さ。
もちろんマイトウゼ組も一緒です。
そして、Iさんの遺影も。

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明日は瑠璃も8名+1/2と人口が増します。
夜が更けてからはマイトウゼの宴会にも参加しました。

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5月2日
今日も良い天気。

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この天気が明日までもってくれたらなあと祈ります。
今夜は前夜祭。
久しぶりにベリーダンスの用意があるTさんを出演させる予定です。
前夜祭は、原則として出演者は決まっていません。
現場で手を上げる方式です、
終了時間も決まっているので早めに手を上げるのが肝心。

宿泊者と食材、酒も続々到着。
これはもう食材の心配はない。
あとは残さずにどううまく使うかです。
S夫婦が昨日の釣り船の釣果を引っ提げてきて、これはマース煮と一夜干し。
釣った魚は何でも美味しい。

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三食、誰が作るか誰が洗うか、特に何の決め事もないのですが、そこは慣れ。
思い立った人が作り、作らなかった人は洗うという大まかな感じ。
5日の朝までにすべて食べきるというのが目標で、限られた食材で何を作っていくのかというのもセンスを問われるところで、これがなかなか面白いのです。
素麺が多めにあるので素麺カルボナーラも登場。
他人の料理を勉強できるという利点もあります。

昔のように舞台を作るといった作業はありませんが、テントの設営とかその他細かい準備は人海戦術。

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P.A.も到着して、夕方には準備が大体終わり。
天気の心配があるので歓迎の横断幕は明日にしました。

当日着の石垣組を除いて明日の出演者が揃っているので、午後から演目の打ち合わせ。
今回はダンサーがいるので、その登場のタイミングが大事です。
今日のおじい飲みは5時半からとのお告げが。
人数が増えて一段と賑やかになりました。

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夜になって風が強くなってきました。
明日の天気はどうなることやら。

前夜祭のベリーダンス
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浦崎ブラザーズの演奏
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5月3日
予報とは異なってとても良い天気、海も穏やか。暑い。
しかし、午後から雨との予報も。

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朝早くから臨時の高速船が続々とやってきてお客さんがどんどん来島してきます。
いつもながらワクワクする光景です。

朝一で横断幕を設置してほぼ準備完了。

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我々の出番は12時30分頃と早いので、石垣組が到着した11時頃からすぐに最終の打ち合わせ、12時には舞台脇でスタンバイとかなりの忙しさ。
その分、終わってからのんびりできるのでこっちの方が都合がよい。

我々の前に演奏者は一組、その前は学校とか挨拶だから、進行表からみて早まる可能性もあると思ったが、案の定、11時45分にはスタンバイしてもらうことになりました。
晴天、暑い。
暑い音楽祭は久しぶりのような気がします。

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舞台に上がってから20分のパフォーマンスはあっという間。
2名のサンバダンサーにベリーダンスのTさんにも加わってもらって一層華やかになりました。
tb.のT君は客席からtb.で乱入するという演出も。
多分時間ぴったりで終了。

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あとはまったりと飲んだり、音楽祭を楽しんだりと自由な時間を過ごします。
この時間がとても心地良い。

夏川りみさんの演奏。三線の構え方が八重山的。
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大工哲弘さんの演奏
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オールスターズの演奏
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予報は見事に外れて一日中良い天気でした。
帰りの桟橋は大行列、しかし、船会社の名誉にかけて積み残しは出しません。
酔っ払って帰れなくなったという人を除いては。

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今夜の瑠璃は6名。
飲み会に突入していて、後夜祭モードには入れず。
後夜祭自体も早くに終わったみたいでした。

翌日は自由行動の日で、天気も良かったので海に行ったり散歩したり、そしてマイトウゼ組が島を離れる前にIさん追悼パゴーヂも開催されました。

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武士ぬ家跡
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それにしても良い天気。
沖縄でこれだけ晴れたのは久しぶりかもしれません。
夜はおじい飲み、そしてターキーも交えて唄声酒場。

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5月5日は島を離れて石垣タニファでのライブです。
この日の朝食にほぼすべての食材を見事に使い切りました。
おかずはほとんど野菜。
醤油等の調味料は前任者からの物もあり多少は残ります。

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今日も晴れて暑い。
タニファはパパビゴーヂの村上さんをサックスに加えた昭和歌謡ライブ。
エロサックスと評判のサックスがさく裂。

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翌6日には、皆石垣を離れますが、小生はこの日は石垣在住のZAKI氏とジョイントライブ。

初めての「タカシの店」はホテルから徒歩15分位。
小さいながらも、ライブはしょっちゅうやっているらしく、音響設備も整っています。

マスターのタカシさんは真面目そうな人。
ここの料理はとても美味しいと評判の店です。

ZAKI氏の演奏
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気持ち良くライブを終えたら打ち上げ会が待っていました。

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この料理がかなりの物でユニークで美味しい、かつ量もある。
客でも一回は飲みに来てみたい店です。
不定期に開催されるセッションは3曲演奏すれば1000円で飲み放題とのことです。
また良い店を知りました。

今年の八重山は天気に恵まれました。
やっぱりがっつり暑い八重山が好きです。

石垣空港展望台。ここは涼しくて見晴らしが良い。意外と穴場。
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7日に沖縄へ渡って8日に南城市の玉々庵で、いつもの千葉、西川、小生のトリオでライブ。

その前に普天間基地を見通せる嘉数の展望台にも足を伸ばしてみました。

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報道写真でよく見る普天間飛行場の姿がそこでは見渡せます。
実際に見てみると本当に街の真ん中に存在しているという実感がわきます。

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この夜の演奏は2ステージ。
以前に千葉さんからギターのアンプを通した音色について注文があったので、トレブルをかなり絞った音作りにしたらこれが結構いい感じ。

1ステージは40分ほどすべてメドレー。
これは打ち合わせにはなかったことだし、大体の曲は決めていましたが、どういう順番で出てくるか分らない、しかも打ち合わせになかった曲も出てくるという演奏者にとってはなかなか緊張感のあるステージでした。

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これが、集中力のあるとても良い演奏だったらしくて、お客さんからとても喜ばれたのは嬉しかった。
実際この3名で演奏るととても自由になれる気がします。
楽しくて勉強になったライブでした。

アフタアワーではお馴染みの稲福氏の三線がさく裂。
職業口説というレパートリーを聴きました。
相変わらず面白いのとウチナー愛にあふれています。
この日は大池氏が持ち出した高粱原料の中国酒が皆にとても効いたようで、みなさんとてもおバカになって楽しんでいました。

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今回の旅はとても天気に恵まれていました。
新しい店も知ることができたし、相変わらず楽しい思い出を残してくれました。
Iさんの遺影をつれて来るというのはとても良いアイディアでした。
お別れパゴーヂでは、生前彼が好んでいた曲ばかりを唄ったし。

来年音楽祭に出演することができれば、15回目、音楽祭自体も20回。
一つの節目であることは確かです。

鳩間島音楽祭もこれからどう変わっていくのでしょうか。
我々は島外から見守ることしかできません。
まさしく頑固でありつつ柔軟な鳩間人のような音楽祭であり続けてください。

関係した方々、お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。

2016年09月27日

2016、秋の八重山・沖縄

毎年、この頃になると八重山・沖縄へ行きます。

ずっと以前に、沖縄民謡が好きになって八重山通いをし始めたのがこの季節で、その後鳩間島音楽祭を中心として4~5月にかけて演奏をしながらのツアーが恒例になりましたが、やはり、この季節、トゥバラーマ大会を聴いて鳩間島へ渡って十五夜の祭りを味わうというのが、八重山行きの原点と思えるからです。

しかし、この季節は台風の発生時期であり、台風がいなくても北風が吹き始めて船の欠航が多くなる時期です。

ここ二、三年はトゥバラーマ大会の時期に都合が合わずに10月頃行くことがしばしばで、その度に上原航路は欠航で鳩間島へは渡れませんでした。

今年は時期的には良いのですが、まず猛烈な台風14号が八重山をかすめて行った影響とその後にまもなく16号がやってくるということで、この季節ならではのダメもとという感じです。

今年は、旧暦の8月13日は月遅れの9月13日、去っていった14号の影響でトゥバラーマ大会は屋内、石垣市民会館での開催になりました。
天気が良ければ新栄公園の野外ステージなのですが、これは仕方がない。
以前に真栄里公園の新設された野外ステージで開催されたことがあって、丁度東の方向から月が上がってくるのがきれいに見えて、トゥバラーマは月の唄だから、その様子がとても趣があったことが印象に残っています。
ともあれ、屋内は屋内でじっくりと聴くことができてそれはそれで良かった。

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前よりは全体のレベルが上がったように感じました。
女性も若い人も増えたようです。
この唄は結構体力を使う唄のようで、初めからとばすと二番で息切れしてしまう場合が時々あるようです。

審査基準も、極端な採点は採用しない等、以前よりは公平性を前面に出してきたように思いました。
十分に堪能したので、最終発表は新聞で見ればいいやと出口が混雑する前に失礼して、パパビゴーヂでお約束の一杯。
これと煉瓦屋はお約束の楽しみ。あと、ホテルのテラスでの一杯も。

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14日は、南風でまだ16号の影響はなく、上原航路は走っている、ただ大原航路は欠航。
珍しい。
いつも上原航路が欠航で大原航路はOKという滑り止めみたいな印象があったから。
安栄代理店のUさんと相談して、明日水曜日は多分大丈夫だろうけれど木曜日以降は何とも言えない、特に金曜日以降はまず駄目だろうということで、まあその時はその時考えればで、とりあえず渡ってみようということになりました。
春には毎年行っているのだけれど、久しぶりに秋に渡ることができてとても嬉しい気分です。

短い滞在の時は、米を2合にインスタントみそ汁と缶詰少々を持参します。
後は何とかなる状態。
揺れるかなと思っていた船はそれほど揺れません。

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鳩間島はすっかり台風臨戦態勢で、民宿瑠璃の野外食卓も片付けられていて部屋も一部屋は雨戸が閉められています。
観光客も殆ど見当たらず静かな佇まい。
時折、バケツをひっくり返したというよりは弾丸のような雨が降ったりします。
明日は十五夜で天気が良ければ庭で月祭りなのですが、この天気では無理。
むしろ、いつ石垣へ帰るかという点が重要になります。
タイミングを逃すといつ戻れるか分らないし、そうなると飛行機にも間に合わなくなります。
まあ、それでも日本国内だからそれ程大ごとではないんですが。
安栄代理店のUさんや島人達と相談して、明日木曜は船は走るだろう、金曜以降はまず無理だということで、残念ですが明日石垣へ帰ることに決定。

今宵は母屋でささやかな宴、終了後は安栄代理店のUさんと二人で飲み会。

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十数年前、鳩間へ来始めた頃、見る景色がすべて新鮮だった頃の静かな島を思い出します。
ほろ酔い気分で真っ暗な道を歩いて帰るのも趣があります。

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翌木曜日は風が徐々に強くなってきて波も高くなってきたようです。
それでも南風なので上原航路は走っています。

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充実した?朝食
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ゆっくり午後便で帰っても良いのですが、午後は分からないよー、とのアドバイスもあり、二便で戻ることにしました。
たった一泊しかできなかったけれど、この時期に渡れたということで満足するべきでしょう。
十五夜のお供えのふちゃぎを奥さんが作ってくれました。

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さて、これから日曜日の那覇行きの飛行機まで石垣で過ごすわけですが、幸いにして定宿の海邦ホテルに台風キャンセルが出たということで3日間過ごすことになりました。

パパビゴーヂは旅行中で休みだし、そもそも台風が直撃しそうなので出歩くこと自体、叶わないかも。
本日は、二日続いたがっつりの飲みで肝臓が疲れた感があって、お休みすることにしました。
最近はこのパターンです。無理はしない方が良い。
金曜は、煉瓦屋も台風準備で休み。

イカスミそーめんちゃんぷるー、これは美味い。
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おそらく土曜日に直撃、今夜あたりから暴風警報が出るとのことで、ホテルも準備しています。
とりあえずは、固くて高い建物なのであまり心配はないのですが、停電に備えて懐中電灯、雨の吹込みに備えて窓のサッシの目張り、おそらく明日は外へ出れないだろうから食料、水、そして酒を準備して、本とか楽器もあるし、まあこれで一日こもっていても退屈はしないだろうと楽観的に構えています。
暴風警報が出ても下のスナックはカラオケ、ガンガンで盛り上がっているようです。
夜になって、時折低音が鳴り響くのは下のカラオケかと思ったら、風の音でした。
だんだん時折ではなく、間をおかずに響くようになってきました。

翌土曜日は、バスも飛行機もすべて欠航。
外を見ても車も人も見当たりません。
雨はそれほどではないのですが、風の強い状態が続いていて、午後にかけて更に強まるとのこと。
買い置きの食料で朝、昼をしのぎます。

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練習したり読書したりしているうちに夕方になり風が収まってきて、人も出歩くようになり、結局それほどのことはなかったようでした。
煉瓦屋も夜は開店。

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ということで、日曜日は突然来襲するスコールをうまく避けて通常運航の飛行機に乗れました。
土曜日の飛行機だったら完全にアウトでしたが、運が良かったというべきか。
土曜日全便欠航の影響で込み合うと思われた空港も大した混雑はありませんでした。

今日は、南城市のイベントに臨時で参加します。
南城市青少年の家での夕涼みコンサート。
老若男女の出演者が何組もいて、結構大がかりなイベントです。

玉城
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玉城からの眺望
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決して触ってはいけない(寄生虫がいる。)外来危険生物、アフリカマイマイがいた。
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中でもエイサーで演じられた高校野球のテーマー栄冠は君に輝くだったかーは新鮮でした。
全員ボランティア出演ですが、衣装や内容に皆、気合が入っている。
芸事に手抜きがないのは実に沖縄らしい。

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ここでも聴けたトゥバラーマ
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我々はトリで出演。
7人編成のバンドに小生がゲストで8人編成。
こんな大所帯は久しぶりです。
MCはウチナーぐちの伝道もしている陶芸家のT氏による全編ウチナーぐち。
曲の題名までウチナーぐち。
往年のムードミュージック(かつて、こういう言い方もあった。)からジャズナンバーまでを繊細かつ大胆に演奏してかなり受けたようでした。

打ち上げは例によって玉々庵で。
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玉々庵の前にローソンが出現。少し情緒が失われた気分。
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過去、青少年の家とか公民館関係は色々な場所で演奏したことがありましたが、ここは大きい会場でした。
地域のみなさんの芸能もよく見ることができて楽しかった。
皆さんとても真剣に取り組んでいるということが伝わってくる良いイベントでした。

今年、例年に比べて沖縄(沖縄本島)にはあまり台風が来ないという印象で、来るはずのない東北や北海道に台風被害が大きいという皮肉な結果になっています。
沖縄は台風が年中行事だから備えも万全で、俺たちが引き受けてやるから基地を何とかしてくれなどという、あまり笑えない冗談も出てました。

この時期の台風は織り込み済みですが、皆が元気でいるうちに鳩間島で十五夜の月祭りをやってみたいものです。

 

2016年12月04日

旅立った友人へ

ターキ

君は今はどうしているだろうか。
後世で旧知の音楽仲間たちとセッションをしているんだろうか。
凄腕のピアニストがやってきたと、皆喜んでいるのかな。

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11/25の金曜日に僕は君に会いに行った。
昔の想い出や忙しかった那覇・松山のクラブ時代の頃を語り合ったね。
あまり喋りすぎると酸素吸入器の世話になった。
君が目を閉じたので疲れたのだろう、眠ったのかな、そろそろ失礼しようとすると、君は目を開けて引き留めるように話し出した。
もう夕食の時間だから失礼しよう、君は「板さん、明日も来れるかい。無理だろうな。」と寂しそうな顔をした。
僕は「明日は無理だけれど、また必ず来るから。」と言って辞した。

元気そうだったから少し安心したのだけれど、翌週水曜日11/30の朝に旅立ったとの知らせが。

あまりに早い旅立ちだった。

君と初めて会ったのはもう何年前だろう。

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僕たちが鳩間島音楽祭に出始めた14年前に遡ってそれから間もなくだろう。

当時君の長兄は鳩間島の重鎮で、すぐ上の兄は沖縄から鳩間島に戻ってきて商店を始めた頃だった。


鳩間島の家庭にただ1台だけあったアップライトピアノから粋なメロディが奏でられていた。

演奏者が君だった。

当時、君は那覇の松山のクラブでピアニストをしていて、行事の時に鳩間に帰って来ていたんだ。
音楽祭の頃だと思う。

人なつっこい君と初対面で意気投合。

ギターとピアノでセッションを重ねたり、音楽談義をしたり、楽しい時間は尽きることがなかった。
そしてよく飲んだね。

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君は筋金入りのクラブピアニスト、軍歌から歌謡曲、ジャズ、ラテン、民謡まで何でも弾けた。
しかもエニーキー・OK。
そして独特の節回しは昭和を象徴するようなピアノだった。
あんなピアノを弾く人はもうどこを探してもいないだろう。
当時のクラブの話題も楽しかったね。
凄腕のピアニストは女の子にもおおもてだったんだ。

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そうだ。
君は唄もうまかったね。

浦崎家の兄弟は皆うまかった。
君たち兄弟が、約束事もなく自然にハモっているのには僕はあっけにとられるばかりだった。

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君がピアノを弾いていた那覇の松山のクラブにも遊びに行ったことがあったね。
君は夕方から翌朝まで何軒か店を掛け持ちしながらピアノを弾き、歌唱指導をし、大層忙しそうだった。
それでも快く案内してくれた。
でも、忙しさと不規則な生活からだろう、顔色も悪く痩せていた。

それから何年かして那覇の生活を整理して鳩間島に戻ってきたんだ。

それからは僕が鳩間に行くたびに会えるようになった。

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生まり島の生活に戻ってからは、君は顔色も良くなって健康になったようだった。

色々と面倒なこともありそうな島の人間関係があっても、誰にでも愛される性格の君は島のみんなから愛され、慕われていた。

僕の仲間たちが音楽祭に参加するようになって君と知り合って、皆、君のことが大好きだった。

僕たちは音楽祭が終わって戻る前、5月5日の君の誕生日祝いをすることがとても楽しみだったんだ。
「みんな、こんなに嬉しいバースデーはなかったよ。」と喜んでくれたね。
君の笑顔が素敵だった。
そんな笑顔が見たくて毎年やったんだ。

昔話も随分したね。
兄弟で末っ子の君は、朝起きたら井戸へ水を汲みに行くのが日課だったと言っていたね。
電気も自家発電。
電話もない。

でもその頃から、君はピアノを弾き始めたんだ。
長兄も音楽家だったし、すぐ上の兄貴も音楽は達者だし、君たち兄弟は戦後昭和の沖縄の音楽世界を駆け抜けたんだ。

セッションをしていない時は君と音楽のこと、殊に沖縄の民謡、八重山の民謡、鳩間の民謡について、そしてジャズやたまには女の子のことも語り合ったね。

とても優しい性格の君は、ともすれば激しい性格の島人達の板挟みになったこともあったようだけれど、皆の君への親しみは変わることはなかった。

音楽祭に来島し、あの独特の君のピアノが公民館の方から聴こえてくると、ああ今年も帰ってこれたと思ったんだ。
もうこれからは聴けないんだね。

ああ、どうしてこんなに早く旅立ったんだい。

今年、すぐ上の兄貴から旅立ちが近いと聞かされて冗談だとばかり思っていたよ。
余計な気を回してほしくなかったから仲間には伝えなかった。
左手が多少不自由になっていたピアノを弾きながら、歌い手にダメを出す姿に音楽家の厳しさを見たのは、まだ数か月前だった。

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琉大病院に入院して、八重山病院に転院したと聞いて、島人はお見舞いには行きやすくなったのかなとは思ったけれど、油断はできないと思った。

そして、すぐ上の兄貴からの連絡。

君が旅立ってからでは遅いと思って、とにかくすぐに会いに行ったんだ。

髪の毛は短くなって、少し痩せてしまってはいたけれど、しゃんとして話をしてくれたね。

昔、君と語り合った、いつか鳩間島の交響詩を創ろうという話題も弾んだね。
鳩間島を千鳥が俯瞰するんだ。
東西南北、それから春夏秋冬。
穏やかな春、暑い夏、そして台風、何かと不便な冬。
台風はこんな表現にするんだと君はベッドで唄い出した。
はらはらしたよ。
早くここから出て僕も協力するから創ろうという願いは実現できなかった。

友達になって「板さん、君は離しませんよ。」と言ってくれたターキ。
君が離しちゃってどうするんだよ。

ベッドでも、楽器は練習しないとすぐ下手になっちゃうからなあと言っていた君。
別れ際の君の顔が忘れられない。
僕は必ずまた来ると言ったんだ。

ターキ。

後世ではたっぷり弾けてるかい。
仲間も沢山いるだろうから、そしてもう他のことを何も心配する必要はないのだから音楽を楽しんでくれ。
あと何年かして、僕がそっちへ行くとき、また色々と教えてくれ。
そしてセッションをして楽しもう。
それまで待っててくれ。

ターキ。

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2018年05月18日

2018年、第21回鳩間島音楽祭

もう今年で16回目になりました。
鳩間島音楽祭への出演。

最近は、フロントのボーカルが交代しながら、鳩間島音楽祭へブラジル音楽を提供し続けています。
毎年、準備をするのはとても大変なのですが、あの音楽祭をやり終えた達成感はとても大きく、島の生活と相まってとても重要な時間を過ごしているように感じます。

今年のボーカルは、日本サンバ界の重鎮、ゲーリー杉田さんが手を挙げてくれました。
今年は、今まで毎年来てくれていた人達に来れない人が多く、いつものような、とにかく乗せて踊らせるという方向からじっくり聴いてもらうという方向へ内容を変えようと思いました。
音楽祭自体も21回目ということで、内容を見直そうという動きがあるようです。

お約束の一杯だがこれから運転する予定があった。
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今回の我々の最初のライブは4月29日、石垣市民会館近くのお店です。
八重山に来るたびにお世話になっているT元校長先生の紹介の仕事です。
地元率100%。
小生とゲーリー杉田さんのデュオに、小生の古くからの友人である唄者、比嘉盛男さんの唄三線とのジョイント・ライブです。

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ブラジル音楽に関してはあまり聴いたことのないお客様が多いようだったので、分かりやすい演奏を心掛けました。
楽しいライブでした。

翌日、4月30日、良く晴れています。
今日の夜はパパビゴーヂでのライブ。
昼間は明日の鳩間島行きに備えて、食料の買い出しです。

竹富島を臨む。
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今年は、5月1日~5日までの滞在が4名と少ないので食料も抑えて買いました。
基本、米と調味料があれば何とかなる。

お馴染みのパパビゴーヂでのライブもとても楽しくできました。
ゲーリー杉田さんともだいぶ息があってきたようです。

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アフターアワーでのゲーリーさんの昔沖縄に住んでいた頃の話も面白かった。
復帰直後の話なのでいかにもエネルギッシュな内容でした。

翌、5月1日も良く晴れています。今日は鳩間島へ渡ります。
小生とゲーリーさんとK君は二便、ちょっと遅れて来るYさんは三便で、この4名が5月5日までのメンバーです。

船は全く揺れることなく鳩間島着。
民宿瑠璃の勝おじいもおばあも元気です。
約半年ぶりか。
早速5時からの飲み会の約束、その後はU家での歓迎会もあります。

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去年の秋、建設中だったステージ脇の楽屋と公民館に隣接したトイレも立派なものができ上っていました。
ただ、今までずっと良かった天気が3日は崩れる予想。
そのためなのか会場はかなりの広さに渡ってテントが張り巡らされています。
今のステージは屋根付きなので出演者が濡れることはありません。
客席スペースのほんの一部にも屋根はありますが、これを補おうとしているのでしょう。

ゲーリーさんとYさんは、初めての鳩間島なので島一週へ。
実は小生も島一週は久しぶり。
北の浜にも久しぶりに行きました。
今回は海へ入る準備―と言ってもシュノーケルだけなのですが―もしてきたので久しぶりに海に入ってみよう。

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外若(フカバカと読む。)の浜
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夜は飲み会なので夕飯は作りません。自炊は明日から。
U家の飲み会でUさんが明日の前夜祭は僕が司会をやるから出てくれとのことで、今年も例年通り前夜祭が開催されます。

勝おじいと夕方の宴
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U家での宴
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5月2日もとても良い天気。暑い。
明日が荒れた天気になるなんてとても信じられません。

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朝食は名物、ナーベラーチャンプルー。
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昼食はソーメン
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午前中に西表から着いたAさんをお迎えして、干潮時刻の昼過ぎに北の浜へ向かいます。
久しぶりなので外若(フカバカと読む。)の浜へ行ってみます。
ここは、かつてSおじいが追い込み漁をした浜。
当時、我々のメンバーが漁を手伝って海の中を走らされた良い思い出があります。

外若の浜、漂着ゴミだろう、都合の良いテーブルがある。
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今日は風もあまりなく、歩いて相当先まで行けます。
枝サンゴ群をやり過ごすとプール状の切れ目があることが分かっています。
その辺りから潜ると天然水族館。
切れ目に沿って潜っていくとリーフの端に出ることができます。その先は大海原。
通常は、この切れ目付近とリーフエッジ付近で遊びます。
ついつい楽しくなってリーフエッジから離れてしまうととても危険です。
こんなに天気が良くて穏やかな外若の浜は久しぶりでした。

屋良浜
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5/2の宴
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今夜は前夜祭があります。
現メンバー5名で対応すべく、ゲーリーさんの打楽器特訓が始まっています。
ステージ脇の楽屋は、エアコン完備で快適。

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P.A.もスタンバイしているので、天候も良く、適度な数のお客さんと、とても親密な前夜祭ができました。
時間もたっぷりあったので、ゲーリーさんのサンバ講座的進行に任せて曲を進めました。
これが分かりやすいということで、とても評判が良くて明日もこのセンで行こうかという気になっています。
今回は直前まで内容も決めていません。

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客席
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比嘉盛男さんの唄三線
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その後は、マイトウゼ客のお招きもあって交流会。
賑やかな夜になりました。
この時点で、風はまだ穏やかな南風。
明日の荒天が信じられませんが、早くも安栄・八重観は欠航を決めたとの話が。
まあ、なるようにしかなりません。

マイトウゼグループと。
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月の道
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さて、5月3日。
やはり予報は正しかった。
雨はそれほどでもありませんが、北風で温度が下がっています。
半袖で過ごすのは難儀なほどです。
やはり、安栄・八重観は欠航で我々のメンバーの石垣組が乗ってくる予定であった最後の頼みの綱だったプレミアムドリームも欠航。
全便欠航。
過去20回の音楽祭の歴史にも例がない筈です。
昔は高速船が来てなかったから様子は少し違いますが。

朝食は野菜ラーメン。
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もう準備は昨日で出来上がっているので、音楽祭は予定通り開催されます。
昨日の時点で出演者と出演準は分かっていましたが、船が走らないので変更必至。
石垣からの最少の人数は大原廻りで来ましたが、数十名の筈です。
ということは昨晩の前夜祭とほぼ同じ規模だということです。

何か昔の素朴だった鳩間島音楽祭を彷彿とさせるようでした。
当時は、ステージも仮設で、前日からみんなで作って、お客さんもまばらでした。
今は、立派な本建築のステージしかも楽屋付きですが、出演者も島関係者で、本土からの出演は我々だけでした。
悪天候が偶然に昔の素朴だった頃の鳩間島音楽祭を出現させたようでした。
もし天気が良かったらどうなったのかなとは思います。
昨年までの大物スターの出演はなく、ポスターに出演者の表示もないのでお客さんはどう受け止めたのかなとか。

小生としては、素朴な雰囲気に戻った音楽祭は好きです。
いつもは売り切れてしまって買えないTシャツも買えました。
船が走らないので、町のお偉いさん、その他の方々が来ることができず、したがって挨拶はなしで、我々の出番も予想通りどんどん早まって来て、演奏時間も長めで良いよということで、前夜祭の流れの延長でサンバの歴史をなぞった演奏をたっぷりと聴かせました。
石垣のメンバーが来れないので前夜祭のメンバーだけ。
前夜祭やっといて良かった。

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急ごしらえのバテリアも頑張った。
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各出演者もとても良いパフォーマンスで、いつもより落ち着いて楽しめた気がしました。

宮古民謡協会
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鳩間民俗芸能保存会
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鳩間小中学校
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西原君兄・妹
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西原君&比嘉君、ハーモニーが綺麗だったのが印象的でした。
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花城さん率いる浜辺民謡ショー
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那覇・民謡酒場「鳩間島」吉川さん
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久しぶりにクバヌファーズが登場して、盛男さんの変態的ギタープレーが聴けたのも嬉しかった。
前はこれにターキーのキーボードが絡んで余人には真似のできないサウンドを生み出していたものでした。

クバヌファーズ
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クバヌファーズ&タカ坊でおなじみの曲「鳩間の豊年祭」
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そんな中、今日中に戻る人は手を挙げなさいとのコール。
これは真剣です。
西表・上原からのバスに間に合わせるため、終演前に傭船を出さなければならないからです。
例年のような見送りパフォーマンスはありません。

明日の船が分からないのでAさんは石垣に戻ります。バイバイ。
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雨は気になるほど降りませんでした。傘もささなかったし。
ある意味、原点に戻ったような音楽祭で楽しかった。

ただ、石垣のメンバーが来れなかったことによって、おかずや酒が来なかったというのは想定外でした。
いつもは来ることを予想して食料の買い出しをするので、これは5日の朝食まで食料を使い切りそう。
ただ、米と調味料はあるので何とかなります。
石垣のメンバーは、渡れなかったおかずと酒を持ち寄ってパパビゴーヂで残念会をしたそうです。
それはそれで楽しそうだな。
来年に期待しましょう。

3日の夕食は定番のかれーらいすだ。
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で、翌5月4日はからっと晴れ上がりました。
船も通常運航。
ただ、一昨日よりは少し北風があって温度は真夏ではないような気もしますが、その分過ごしやすい。
今日は一日のんびりと島を楽しむ日ということになっています。

4日の海
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4日の朝食
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寛ぐ。
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実行委員長が来訪してねぎらいの乾杯
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4日の昼食
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また、干潮時刻あたりで北に出かけました。
今日は、Aさん(昨日戻ってしまいました。)が昨年感動したという立原の浜へ。
ここは、小生が20年くらい前に初めてこの島を訪れたときに来た浜だと思います。
ここもプール状の切れ目があるので、その辺りで遊ぶことはできます。

立原の浜
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屋良浜
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昔、島人に教えてもらったのは海に道があるということ。
よく島人は干潮時に釣竿を持ってリーフエッジ付近まで歩いて行って釣りをしていました。
リーフエッジ付近までサンゴをやり過ごす道があるというのです。
波の動き、海面の色をよく見ていると白っぽい道に見える部分があって、うまく辿っていくと、わりと楽に行き着くことができるようです。

ところで、今回目新しかったのが「鳩間島留学支援多目的施設 つばさ寮」ができたことです。
里親の高齢化等で従来の里親制度がうまくいかなくなっていて、補助金を受けずに単に子供を預かって学校へ行かせるような形態をもとらざるを得ない状況では、行政がこのような施設を作って子供たちの就学を支援するのはとても良いことだと思います。

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久高島にも山村留学センターというものがあったと思いますが同じような趣旨の施設だと思います。
ただ、関係者にもお話を聞いたのですが、施設を作るのは良いが運用は大変だと。
普通に登校できる子供たちばかりではないので、対応できる職員がいる必要があると。
確かに、この島に来れば普通に学校に通えるというのは必ずしもそうではないでしょう。
これは前々から議論されてきた問題ですが、少しかもしれませんが、こういう受け皿ができたということは良いことだと思います。

5時からは、おじいとのお別れ会です。
明日の朝もやろうかねととても名残惜しそう。
おじいの前では、みんなで童謡・唱歌を唄うのが一番です。
今はネットという便利なものがあって歌詞を見ることができるので、ここに泊まる人はレパートリーを増やしていきましょう。

今回最後の宴。どことなく寂しさが漂う。
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アオバト
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翌日も晴れ。通常運航。
あの5月3日の天気は何だったのでしょう。

残されたわずかな材料を駆使した5日の朝食。
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さよなら鳩間。
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今晩は、タニファでライブ。

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池原コーイチさんとジョイント。
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翌日は沖縄に移動して、ゲーリーさんは名古屋のラテンフェスティバル、小生は南城市の玉々庵で交流ソロライブです。
このライブも今回はソロでしたが、とてもいい雰囲気になりました。

お気に入りの具志頭ドライブイン食堂のカツカレー、500円なり。
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玉々庵での交流会ライブ。ボーカルもやりました。雰囲気がそうさせました。
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今回も最後はここで。玉城焼工房。
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今回も色々な人達のお世話になり感謝の念に堪えません。
ありがとうございました。
この音楽祭が今後どうなっていくのか、我々がどうなっていくのか分かりませんが、できる限り関わり続けていきたいと思っています。

2019年02月04日

鳩間島のY.U.さんのこと

鳩間島のY.U.さんのこと

また、つらい訃報を聞かなければなりませんでした。
小生が鳩間島へ通うきっかけを作ってくれたY.U.さんの訃報です。

ここ十数年は、奥様が難病を患って那覇に入院してから、看病のため島を出て付き添って、その甲斐なく奥様が亡くなってからも、島に戻ることなく沖縄本島で生活されていました。
高齢なうえに病を患っているとのうわさも聞き、どうされているか気にはなっていました。

2019年1月1日の午前8時に逝去されました。
85歳でした。

鳩間島の親しい友人であり、人生の先輩であったY.U.さんのことを振り返ってみたいと思います。

小生がT先生をはじめ島人達の前で演奏を披露することになった経緯は、以前ここに書いたことがあります。
そこで、鳩間島では毎年5月3日に音楽祭をやっている、これに出ないかという話をいただいたのがY.U.さんでした。
もう17、8年前のことだと思います。

その当時、彼は沖縄県の教員を退職して、島に戻って来て音楽祭実行委員長をやっていました。
確か、島では初めて琉球大学へ進学した人で、鳩間島きってのインテリでした。
島人達の間では人望も厚く、何かと頼りにされている方でした。

音楽祭に出ないかと誘われたは良いが、伝統芸能が盛んで島唄の宝庫のような鳩間島で、ブラジル音楽をやっていいものかどうか迷いましたが、島人達の助言もあって、翌年初めて音楽祭に出演させていただきました。
以来17年。

Y.U.さんとは音楽祭に出演した年から徐々に付き合いを深めていきました。
来島時は毎晩のようにお宅を訪れて杯を酌み交わしました。

彼は書道の師範の資格を持っていて、見事な書体を描き、島の公の場の文字は殆ど彼の手になるものでしたし、小生が何通かいただいた手紙は、あまりの達筆さに額に入れて展示しておきたいようなものでした。

島の風習や八重山のことも色々なことを教えていただきました。
教師は時間に正確でなければいかんという持論で、いわゆる島時間とは無縁の人でした。
約束の時間を守らないと叱られました。

2、3年経ってからでしょうか、お前は家人中(やーにんじゅう)―「家族」の方言―だと言ってくれて、家人中は島に来て民宿に泊まることはなかろう、家に泊まれと言われました。
ついついこの言葉に甘えて、以後島に行くたびに彼のお家に居候することになりました。
一時など、彼が不在であるにも拘らず、うちの家族3人で滞在していたこともありました。

春の音楽祭の時期のみならず、小生の島旅の原点ともいえる秋にも毎年おじゃまして、庭で十五夜の祭りをやったなあ。
島の古老たちも集まって島の伝統芸能に触れることもできたのはとても貴重な体験でした。
春の音楽祭を中心として小生の友人達も彼のお宅に泊まるようになってしまって、一時期は十五六名泊まっていた時期もありました。
さすがにその後は自粛しました。

彼のお宅の隣の土地に、妹さんのお家兼ソバ屋も作りました。

Y.U.さんはとてもおしゃれな人で、音楽祭に出演する際は白のスーツ姿が多かった。
普段でも、島的なラフな格好はせず、スラックスにYシャツ姿が多かったように思います。
島の北側へ釣りをしに行くとき、リーフの上を腰まで海に使っていくのですが、黒いスラックスに白いYシャツ姿で、まるで街へ仕事をしに行くような格好で出かけていたのを覚えています。

教師としてもとても慕われていて、与那国島へ赴任した時―与那国の方言というのは八重山の人達でも使うことが難しいといわれていますが―最初に与那国の方言で挨拶したので与那国の人達がとても驚いたという話を聞きました。

人口が少ないのでとても親密な人間関係を作っている鳩間島で、その血縁関係についても事あるごとに教わりました。

小生が彼と知り合った当時、奥様が難病に罹っていて、既に島外で療養生活を送っていて、独り暮らしをされていたので寂しかったということもあるのでしょう、小生が島にいるときは毎日、二人で飲んでいました。

しばらくして末の弟のターキが那覇から島に戻って来て一緒に住むことになるのですが、約20歳年の離れた兄弟は子供の頃から親子のような関係で、健康を害して戻ってきたターキがY.U.さんの指導の下、健康が回復していきました。
何度も、ターキのピアノに乗せて、島に住んでいるU家兄弟妹たちの唄を聴かせてもらいましたが、譜面もないのに見事にハーモニーが付いていることにとてもびっくりさせられました。
それに、皆、声質が似ているので合唱の一体感はとても見事なものでした。

島一番のインテリは島の人達からも信頼されていて、色々な行事でも重責を担っていたようでした。
そんなY.U.さんが、奥様の看病のために沖縄へ行ってしまうことになって、ぽっかりと穴の開いたような、島の重しが一つ無くなってしまったような空しい気持ちになりました。

沖縄へ行かれる前に、奥様を思っていたのでしょうか、小生と酒を飲みながら「もうお前と酒を飲むことはないのかねえ。」と虚空を見ながら語りかけるようにつぶやいていたことが印象に残っています。

その後何年かたって、奥様の訃報を聞き、落ち着いたら鳩間へ帰ってくるのかなあと思っていましたが、短期の滞在を除いて、とうとう最後まで鳩間へ戻ってくることはありませんでした。

彼が島を出て行ってから、住んでいた住宅には同居していた末の弟のターキが一人で住むようになりました。
ただ、父親とも言えそうなY.U.さんの存在がないと、重しが取れてしまうのでしょうか、生活が徐々に荒れて行ったように思います。
徐々に体調も悪くなり、とうとう2年前に亡くなりました。

住人がいなくなった町営住宅、我々がとてもお世話になったお家は町へ戻され、新しい住人が入りました。

そして遂にY.U.さんの訃報を聞くことになりました。

島へ帰られて、もう一度酒を酌み交わしたかったし、まだまだ教わりたいことも沢山ありました。
本当に残念でなりません。
でも、これで後生で奥様と酒を飲めますね。

ゆっくり休んでください。
心からご冥福をお祈りいたします。

2019年05月27日

2019春・石垣・鳩間・沖縄

今年も鳩間島音楽祭の時期がやってきました。

今年は、例年と異なって5月3日と4日の二日間にわたって開催されました。
3日は入場無料、4日は入場料1000円です。
どういう経緯でこうなったか分かりませんが、我々はいつも通り5月3日開催で準備を進めていました。

今年は、4月の終わりからの10連休ということもあって、沖縄行き、特に石垣行きの便はなかなかチケット入手も大変だったのですが、何とか無事に取ることができて、連休の始まる前日、4/26金曜日の夜に那覇に到着しました。

家を出た時分はとても寒かったのでしたが、さすがに那覇は暖かい。
翌27日、石垣行きは夕方の便なので、昼間はどこかに行ってみようと思い、車がなくてもミニ観光できる場所で行ったことがないところを探したのですが、これがなかなか難しい。
考えた挙句、識名園に行ってみることにしました。

バスの便がとても良いし、なにしろ世界遺産です。
首里城なんかと違ってとても地味な印象ですが、これがとても良かった。

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元々は琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国の施設の接待等に使われたとあります。
かなりの広さの庭園で、伝統的な建物と中国風の建物が落ち着いた庭園に配置されてとても良い雰囲気でした。

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うるさい観光客もおらず、リラックスした時間を過ごすことができました。

帰りに新装なった「のうれんプラザ」に寄ってみました。
農連市場があった場所に去年オープンした近代的で立派な施設です。

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朝の3時頃からやっていた農連市場はこの施設の中に移って早朝営業をしているようです。
ただ、早朝の混沌としたアジア的風景がもう見られないと思うと一抹の寂しさはあります。

18時半頃には石垣空港着。
天気はイマイチで那覇より涼しい気がします。
宿の部屋はエアコンが故障していて連休中は修理ができないとお詫びされちゃいましたが、これはエアコンはいらないレベルです。

いつもの風景
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夜は、いつものコース。

翌28日は雨がちでとても涼しい。
どこへ行く予定もないので、一日練習をして過ごしました。

29日はパパビゴーヂでライブです。
盛り上がりました。

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そして、30日は翌日の鳩間島行き前の恒例の仕事、食料の買い出しです。
今年は1日から瑠璃滞在者が複数いるので、分担できてわりと楽。
最近は、何となく買っても滞在最終日にはつじつまが合うところまで慣れてきています。
最初の頃は色々と大変でした。

そして、夕方からは野底で野底在住でジャズギターを演奏する山本さんとライブを行いました。
野外の演奏です。

野底マーペー。前からゴリラが左上を見ているように見えてしようがない。
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アップ
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ライブ会場
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時々雨がぱらついたりしますが天気はまずまず。
鳩間島で出会って以来の友人である三線の名手M.H.さんも演奏を披露。

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打ち上げは、M.H.さん邸でお家カラオケでした。
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翌5月1日は鳩間島行きです。
天気がイマイチで、昨日から、明日は欠航じゃないかと噂が流れていましたが、9時半発の1便は出るということで、皆この便に乗りこみました。
案の定、2便からは欠航になりました。

とりあえず渡ることができて、おじいとも再会、乾杯できて良かった。

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改築なった鳩間校
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名物「アオバト」
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この日は夕方から、Y.U.さんとT.M.さんを偲ぶ会が催されました。
野外での予定でしたが雨がちの天気だったので、屋根付き半野外の場所に変更の上、開催です。
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盛り上がった唄遊び
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翌2日も天気はイマイチで船も欠航。

朝食
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昨日島に着いてから肌寒く感じられて、長袖、長ズボン着用、海に入るなんて考えられません。
明日の演奏の内容を打ち合わせたり、夜はマイトウゼの宴会に加わったりして、それなりに充実した時間を過ごしています。

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雨がちなので夕食は室内で。
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マイトウゼ宴会
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皆さん楽しそうです。
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楽しいことを準備したりする時間というのは楽しく感じられるものです。
食材も順調に消費してますが、昨日の2便以降欠航になっているので石垣でせっかく注文した酒類が届かないという予想外の事態に。
ビールは買えますが、主要な物が届かないので気をもんでおりました。

3日は曇りで、1便から通常運航。

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朝食
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石垣からの仲間と酒類もようやく届きました。
ここからは、毎年恒例、交流会を兼ねた本番打ち合わせ。
こういう時酒類がないと困りますよね。
この本番打ち合わせから本番、演奏終了後船が出るまでの打ち上げがとても楽しい時間なのです。

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今年は島で高齢NO.2とNO.3のおじい、おばあも演奏を聴きに来てくれました。

3日は入場無料の前日祭、4日が有料の音楽祭という位置づけになっているので臨時便は4日に運航するらしいのですが、この日も定期便以外の運航があったみたい。
それでもお客さんは200名位はいたような気がします。

演奏者はいつもの顔ぶれで、演奏時間もたっぷりあってとても楽しめました。

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終了して寛いでいる楽しい時間。
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久しぶりに鳩間在住のM.O.さん宅を訪問、今では島最高齢となった旧知の御母堂さんとゆんたくしました。
お元気そうで何よりでした。
趣味人のM.O.さんは、常に自宅を凝った造りに改造しています。
あまりの面白さに観光客がお店と間違えて入ってきたりすることもあるそうです。

足湯
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テラスから臨む西表島
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心配された雨も降ることなく前日祭を終えました。

いつもの見送り風景
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おじい飲み
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翌4日、本祭当日は久しぶりの晴天で音楽祭日和になりました。

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朝食
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昼食
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臨時便も出て沢山の来島者がありました。

防波堤内に4艘の高速船という珍しい風景。
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ただ、僕は本当に久しぶりの良い天気だったし、特に出番もないので、例年のようにのんびりを決め込んで、北海岸へ行ってしまいました。

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この夜は、先日の偲ぶ会の残りの肉もあったので、K.U.さんの提案で、瑠璃にてBBQをとり行いました。
シャンパンというものもありました。

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ただ、今夜は連日の飲みに疲れが来る日で、早々とダウンしてしまいました。
こういう日が必ずあります。

5月5日は石垣へ渡る日です。
とても良い天気。

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この日の朝食で、運んで来た食材をほぼ使い切るという、これはこれで熟練の技だと思います。

朝食
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石垣へ戻っていつものやつ
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今夜は大川のタニファで、ブラジル、昭和歌謡、フォーク、ジャズスタンダードというバラエティーに富んだライブ。
お客さんも沢山入っていただいて、盛り上がった楽しい夜でした。

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最近気に入っている朝食、ジューシー粥。
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6日は沖縄へ戻って、玉々庵にお世話になります。
今回は、ライブということではなく、楽器を持ってきて何となく音楽で遊ぼうということになっています。

随分家にも在庫が増えた玉城焼きを買いに行くのはすっかり恒例です。
最近はウチナーの海の色をイメージさせてくれるような青色の作品が増えてきた稲福氏の工房です。

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夜は酒、語り、音楽 = 4:4:2くらいの夕べでした。
玉々庵は古本屋1軒くらいの蔵書があって、それもとても面白いものが揃っています。
今回もとても楽しみ、且つ勉強させていただきました。

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さて、こんな風に過ごした毎年恒例の春の八重山・沖縄。
音楽祭は今年で17回目の出場。
人や施設も随分変わりました。
変わらないというのが無理なわけで。

ただ、鳩間島自体は大きな観光施設ができるわけでもなく、人が住む島としてはかろうじて八重山の原風景を残しています。
この点は変わってほしくはありません。

来年、音楽祭がどういう形になって行くのか分かりません。
我々もどういうふうに関わっていけるのか分かりませんが、島の在り様はいつも見守っていきたいと思います。

今回もお世話になりました皆様方、大変ありがとうございました。

2019年09月27日

2019年秋・とぅばらーま大会と鳩間島の十五夜

いつも夏が終わりになってくると気になるのが、とぅばらーま大会のことです。

毎年、旧暦8月の十三夜に開催されるということは分かっているので、日にちも特定できるのですが、今年は行けるだろうか、台風はどうだろうかとか気になるのです。
小生の八重山行きの原点ともいえる催しなのでできれば行きたい。

今年は、幸いなことに日程が仕事とぶつからないのでの行くことができました。
そして、これも恒例なのですが、十五夜は鳩間島で過ごすというのも自分の中ではずっと以前からの行事です。
この時期は台風シーズンですし、台風が来ていなくても上原航路は欠航が多くて、ここ数年は十五夜の月祭りをしていません。

今年も11日水曜日に発つ予定のところ、9日未明から台風15号が上陸しました。
未明に自宅を台風の目が通って行きました。
でも、十三夜の石垣はとても良い天気です。

いつもの。
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今夜の月はきれいだろうなと思っていたら案の定、最高の環境でとぅばらーま大会を楽しむことができました。

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ずっと前に島人達と議論した、とぅばらーまの冒頭部分を一息で唄いきるか、息継ぎもありとするかが、一息で唄いきるという方向へ向かっているのが小生には好ましかった。
やはりとぅばらーまは、野外で十三夜の月を見ながら聞くのが良い。
同じ曲を(歌詞は皆違うし、節回しも微妙に異なっている。)二十数回も聞いて飽きないのはとても魅力的な曲だからでしょう。

歌詞の部の入賞作品は、介護のことを唄った作品が目立っていて世相を映し出しているなと思わされました。

久しぶりに野外のとぅばらーま大会を堪能しました。

翌日もとても良い天気で暑い。
石垣島の北に位置する吉原地区に今年再開した友達の店、ステラを訪ねてみました。
ターミナルからバスで約45分、海を臨む静かな環境にある手作りの店舗兼住宅で、これまでの彼らの暮らしぶりを知っている身としては、いつも変わらないコンセプトを維持してくれていてとても嬉しくなります。

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のんびりとバスに揺られて行くのもとても良いものです

夕方からは、島の知り合いたちの大人の学芸会を楽しませていただいたりして、この日久しぶりに八重山を訪れた奥方とも合流しました。

花城さんの「浜辺」にも行ってみました。
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13日(旧暦8月15日)に予定通り鳩間島に渡ることができました。
こうすんなり行くことも珍しく、明日からは船は危ないだろうということです。
幸いに天気も良くて、何年かぶりに米盛家のお庭で十五夜の月見をすることができました。
音楽はいつもの童謡・唱歌縛り。

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来島中だった早稲田大学離島プロジェクトの学生も挨拶に。
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これが出てくる前におじいは寝てしまいました。
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いつまでも続けられるわけではないので、できるときにできることをやっておきたいというのが最近の自分の気持ちです。

14日も天気は良かったのですが、予想通りこの日から上原航路は欠航になりました。
以降10日くらい欠航が続いたと思います。

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天気が良いので北海岸にも行ってみました。
島中道から行って外周道路へ出たらびっくり。
東へ周る外周道路がない。
と思ったら草に覆われて見えなくなっているような状況でした。

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石が敷いてある立原の浜まで辺りは良いのですが、その先は結構荒れている状態です。
それでも一頃目立っていた漂着ゴミも掃除されていて、島人のご苦労がしのばれます。

北は波が高い。
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西海岸は静か。
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ただ、我々がかつてとてもお世話になった町営住宅は今は住む人がなくとても荒れていて、玄関前の庭は特に草が伸び放題、ブーゲンビリアが大きくなりすぎて奥の住宅へは入って行けないような状態で、これは寂しい。
町営で町の管理物件だから町が掃除しなければいけないでしょうね。

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今回はおじいの足の調子もあって、毎夕の乾杯は前の庭のテーブルではなく母屋でということになりました。
いつもながらのおばあの料理も堪能しました。

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朝食は質素
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お昼
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15日は公民館で島の敬老会、引き続いて秋の音楽祭という楽しい一日。
我々夫婦も敬老会におじゃますることを許されました。
最長老のY子姐さん、御年90歳も久しぶりに出席されています。
旧知の仲なのでとても嬉しい。
島の敬老は73歳以上。
今年は7名いらっしゃいます。

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小生も演奏を披露しろといわれています。
初めは格式にのっとって粛々と進められていく行事も、酒が進み唄が入るころからはいつもの鳩間島の宴会モードに突入。

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教員の親子共演、とても息があっていた。
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圧巻は、最近はあまり人前で民謡を唄わなくなった米盛のおじいが、鳩間の数え唄を14番までよどみなく唄ったことでしょう。
杖も使わずしっかりと舞台に立って身振りを交えて唄うユーモラスに唄う姿は感動的でした。

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敬老の方々も唄っているうちにどんどん元気になってくるようで、長い民謡もあふれ出てくるようでした。
音楽が脳や体を活性化させるのでしょうか。
まだまだ後輩をご指導してください。

宴たけなわ
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ちょっと変わった風情の生け花
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天候も少し怪しくなってきているので、敬老会に引き続いて公民館でこのまま秋の音楽祭に突入します。

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早稲田の学生は今年は校歌ではなく紺碧の空。
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剛さんと一緒に演奏。
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これはさすがに食べていない。
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小生も何曲か演奏させていただきました。
島人では最若手といえるY.H.君が久しぶりに正式に参加したことも良かった。
皆さんとても楽しかったようで、音楽が脳を活性化させるということを目の当たりにしたようでした。

翌日は、石垣へ渡る日ですが、案の定欠航。
K.U.さんの船で上原港へ向かいました。
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追い風と上手な操船のおかげで、殆ど濡れることなく到着。
バスで大原港、高速船で石垣と無事に渡ることができました。

今回は、野外でのトゥバラーマ大会を堪能することができたし、久しぶりに鳩間島での十五夜、敬老会、秋の音楽祭にも参加することができて、とても幸運でした。

これからも、皆さんとできる限りいつまでも元気にお会いして楽しみたいと思っています。

皆様お元気でいてください。


2020年07月19日

さようなら、勝おじい

何時か必ず来るものとは分かってはいても、突然訪れる別れとは本当に悲しいものです。
もう十数年お世話になって来た鳩間島の勝おじいと、ついにお別れするときが来てしまいました。

毎年、鳩間島音楽祭の時、秋の十五夜の頃と、年に二度はお世話になっていた民宿「瑠璃」の御主人です、というよりは島の名物おじいでした。

小生が鳩間島音楽祭に出演するようになって、昨年で16年になると思います。

当初は、中森の方へ登って行ったU家に泊っていました。
一緒に出演するために来島するサンバ仲間が段々増えていき、U家には多い時で20名弱泊まっていたこともありました。

その頃から勝おじいの姿はしょっちゅう目にしていましたし、音楽祭の盛り上げ役として活躍されていました。
当時からとてもアクティブな方でした。

2003年頃だと思われる。
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春の音楽祭名物、鳩間古謡
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鳩間島を舞台としたTVドラマ「瑠璃の島」の撮影スタッフ用に、自宅の敷地内に離れを建てて、撮影が終了した後、民宿「瑠璃」として営業するようになりました。
当時、港に現在のような立派な桟橋や待合室はなく、日陰が殆どなかったので、瑠璃の縁側
で船が着くまで利用させていただくこともありました。

U家にあまりに人が来すぎるので、どこか民宿を探さなくてはということになり、勝おじいが快諾してくださって、それ以降昨年まで瑠璃にお世話になっていました。

今年は、コロナ禍で春の音楽祭が中止になってしまい、また、緊急事態宣言も発出されて行くことができませんでした。
昨年の秋、十五夜の時期に幸運にも天候に恵まれ、十数年ぶりに母屋の庭で月祭りができ、その後の敬老会にもお邪魔させていただいたのが最後になりました。

U家から瑠璃に島の拠点を移してからも、様々な我々の仲間が来島して、鳩間島の良さを満喫できたのも米盛さんご夫妻と瑠璃の存在のおかげだと思っています。

2007年頃、母屋でおじいの唄を楽しむ。

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民宿「瑠璃」の素晴らしさは大きく見て三点あると思います。

第一に「瑠璃」の立地。

桟橋から最も近い建物で、来島者は必ずこの前を通るので、間違えようがない。
海からの風が吹き抜けて行く、島で一番涼しいのではないかと思われる場所で、風が抜けていく離れの庭には手造りの素晴らしいテーブルがあり、そこで海を見ながら食事をとり、パゴーヂをし、宴会をし、夜が更けるまで楽しんだものでした。

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あんた、唄いなさい。
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第二におじいとおばあと家族的なもてなし。
「瑠璃」は基本、自炊なのですが、何かにつけておばあに面倒を見てもらい、おじいと飲む際にはおかずをいただいたり、また、島の話や色々なお話をさせていただいて、これが魅力で「瑠璃」に通っている人もいると聞いています。

そして第三におじいとの交流。
今から考えると、十数年前におじいと出会ってから、鳩間に来ておじいと一緒に飲まなかった日はおそらく一日もないだろうと思います。
そして様々な話をしました。
島の話、自分が若かった頃の話、音楽の話、人生の話、そして唄、三線を聴かせてくれて、必ず一緒に唄ったものでした。
音楽祭に仲間がたくさん来ているときは、毎日夕方からおじいを囲む飲み会が始まり、皆とても楽しみにしていました。

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小生自身、音楽をやっていることに何か煮詰まった想いを抱いてしまう時、ここへ来て唄を聴き、また自分の演奏を聴いてもらってまたやる気になったことが何度かありました。

おそらく、2008年頃からだと思いますが、春の音楽祭の我々のサンバのステージに、島太鼓の打ち手としておじいが一緒に参加してくれるようになりました。
我々も楽しかったし、お客さんも楽しんでくれました。

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足が悪くなってもうステージには上がれないと辞退された時は寂しかった。

その他、心に残っている想い出は数え上げるときりがありません。

秋に鳩間を訪問するのも習慣になっていましたが、石垣でとばらーま大会を見て、十五夜は鳩間で過ごすというのが理想でした。

何年前だったか忘れてしまいましたが、十五夜の天気と来島のタイミングが合って、母屋の中庭での月祭りをご一緒する機会に恵まれ、とても心に残って、それ以来タイミングが合えば毎年の十五夜をこんな風に過ごせればいいなあと思っていました。

しかし、台風シーズンや悪天候とかで船便の都合もまちまちで、ようやく昨年中庭での月祭り参加を実現できました。

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その後の敬老会では、偶然にもおじいの飛び入りで鳩間の数え唄を十五番まで聴くことができました。

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杖を突いて、歩くことは難儀そうでしたが、唄はけれんみがなくとても楽しいものでした。
思えば、あれがおじいの唄を聴いた最後でした。

もう年だし、民宿をやっていくのもきつくなってきたとの話はされていましたが、今年の音楽祭にはまた会えることをお互いに楽しみにしていました。

しかし、コロナ禍で音楽祭は中止、どころか自由な行き来もできないような雰囲気になってしまい、再会を果たすことはできなくなってしまいました。

誰からも愛されて慕われた島の名物おじい、後世では飲み仲間に事欠かないことでしょう。
先に行っていた島人達と飲んで思いっきり唄ってくださいね。

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ご冥福をお祈りいたします。

さようなら、勝おじい。

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