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2007年06月05日

遠刈田大道芸フェスティバル

皆様、こんばんわ。
6月2日、3日と遠刈田の大道芸フェスティバルに行って来ました。
ここは、今年で11年目なのですが、6月アタマという梅雨の時期にしては、毎年必ず好天に恵まれるという伝説がありまして、今年もそれは崩れることはありませんでした。
サウーヂはここ数年、バスをチャーターして来訪しています。
今年も土曜夜と日曜フィナーレと1回づつのパフォーマンスでした。
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小生は、サウーヂとは別に、毎年木村商店(フェスティバルの中心となっている酒店、お菓子もより取り見取りだ)に家族旅行に行くというスタイルがここ十年ほどの恒例になっています。
元はといえば、木村商店の若旦那とカフェ・ミルトン(白石のライブレストラン)でのITAeKAZUのライブで知り合ったというのが始まりでして、いやそれよりも、サウーヂと仙台サンバクラブのつながりが始まりといえば始まりかもしれません。サウーヂができた頃ですね。実際、仙台サンバクラブはサウーヂより前からサンバを始めています。ま、その辺の話も色々と面白い話はあるんですが。またそのうちに。
遠刈田の大道芸フェスティバルは、町おこしのために遠刈田の若手商店主達が野毛大道芸を手本としつつ始めたものです。
以前は、運営や段取りにも色々と問題はありましたが、今では運営、段取り、大道芸の質、どれをとっても、他のフェスティバルの見本となるような素晴らしいものとなってきています。
何と言っても、一番素晴らしいのは、地元の手作りであるという事。関係者の賄いは商店のおかみさん連でやっており、男衆だけに任せておけないというところからきており、露店や警備やその他もろもろ、商店街が自主的に協力し合って全てやっているというところが大きな特徴です。
普通、そうなると意見の違いやら、運営の仕方やら、利害得失やら色々問題が出てきてうまくいかないことも多いのですが、ここは見事にまとまっています。
出演者も大変気持ちよく演技をしており、それは出演希望者の多さと、中打ち上げの楽しさ(というかハチャメチャさか)に象徴されるかもしれません。
たぶん、実行委員会を始めとして商店街のみんなが遊びの気持ちでやっているのがいいのかもしれません。それは自分達も楽しむということですね。
前実行委員長の小室氏(白塗りバカ殿パフォーマンスで有名です。)は、運営する側が楽しくなくなった時はこのフェスティバルは終わる時だと強調しています。
動機は始めはどこも皆そうだと思うんだけれども、段々マンネリ化していったり、逆に大掛かりになって業者任せになって、内容も、テレビで見ているものと変わらないような画一的なものになっていったり、要するににつまらなくなってしまうものがあまりに多い中で、ここは特筆に価すると思います。
大道芸はそもそも、あやしさがなければつまらないと思いますね。日常の空間の中での非日常性の面白さ、そういう意味では、テレビとは全く違ったものですね。
ちなみに小生はテレビ番組がきらいです。
ここの大道芸は、あやしさを保っていますし、今後もその方向に邁進する筈です。
大体、丸太を何時間もかけてチェーンソーだけで彫刻作品に仕上げるなんてえのは、やる方もやる方ですが、見ている方も見ている方ですよね。これが芸と言えるかといえば、見ている客がいるからそう言えるのです。
そういう意味では、観客も試されているわけですね。その辺の緊張感がいい雰囲気を生むということでしょうね。
さて、そんな中で小生は何をやったかというと、相変わらずのギターソロ。
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うーん、地味ですね。
でも、仲間がいるのでこういうこともできました。
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そんな中で、面白かったのは、秋田のカポエイラのグループとコラボしたことですね。
メンバーが3人しかおらず、そのうち2名がビリンバウを弾くので、演舞をやる際にビリンバウがなくなってしまうということで、土曜の深夜に相談して、小生のビリンバウ的ギター奏法でビリンバウの代用をしてしまおうと、しかもそのままビリンバウの曲(バーデン・パウエルの)に入ってしまおうというものです。
ビリンバウ的ギター奏法はCDでもやっているものですが、これが実際にカポエイラと合わせられるかということは、前の週の豚丸ツアー(なんだか分からないでしょうから、後日説明しましょう。)で試していますので、やろうやろうと小生から提案しました。
これが意外と面白かったですね。こんな感じです。
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カポエイラグループも喜んでいました。
ビリンバウ的ギター奏法も後に説明しましょうね。
色々とフェスティバルには出演していますが、遠刈田は理想形になる可能性はあります。
日曜日の朝飯のおかみさん連各家庭持ち寄りおかずバイキングは、どんな豪華ホテルも負けます。
というわけで、来年も同じ時期(6月の第1土日)にありますので、興味のある方は是非行ってみて下さい。
温泉も熱いです(熱すぎて入れない輩もいる。)。
ではでは

2007年06月08日

豚丸の思い出

皆様、こんばんは
6日は、大塚エスペートブラジルのライブでした。
ご来店の皆様ありがとうございました。
こんな感じでした。
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今日は、遠刈田に先立つこと1週間前の土日に行われた「豚丸」についてご報告いたしましょう。
そもそも「豚丸」とは「豚の丸焼きとサンバとショーロを楽しむ温泉バス旅行」の略であります。主催者は、小生のCDのデザインを手がけてくれたスチールヘッド(会社の名前)、そして写真家上野氏と神成氏ご夫妻、そして関係諸氏。総勢70名ほどの観光バスツアーでありました。
冗談の好きな大人のバスツアーは楽しいですね。引率の先生役の仕切りもよく、決して会社の旅行ではなく、中学生の遠足のノリでした。
ちゃんと高速に入ってから、おやつならぬ酒が支給されました。
このバスの前面には「サンバとショーロと豚の丸焼きの宴」ときちんと掲げられています。
この写真からは見えにくいのですが。
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行き先は群馬県は片品村、尾瀬の入り口ですから、山から降ろしてくる風はときおり強く、特に夜は冷え込みます。
民宿4軒に分宿して幹事宿の広い庭で宴は行われました。
夜の豚の丸焼きに先立って、ITAeKAZUXIのライブです。
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天気は晴朗なれど、吹き降ろしてくる冷たい風が厳しいのです。
テントは人が支柱を持っていないと飛んでいってしまいます。
この冷たい風で、お客さんが部屋へ段々避難して、残った聴衆とバンドは風との我慢比べです。
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でも、おかげで演奏後の温泉は気持ちよかったですね。
その後は、いよいよ豚の丸焼きです。
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半身で40kg、つまり全部で80kgほどあるわけですから、子供も含む参加者は、実質一人1kg強の割り当てになります。
まるでシフォンケーキのような豚肉をやっつける幸せと申しましょうか。
その後、暗くなって風もやみ、パゴーヂタイムとなりました。
ここで特筆すべきは、おでんの屋台を出したことです。
風除けのためビニールハウスを使い、食い放題、飲み放題のおでん屋台です。
赤提灯にお品書き、当然酒は二級酒(とは言わないですね、今は)の燗酒。冷えてきているのでこれが効きます。となればバックの音楽は北島三郎のど演歌です。小生も流しをやってしまいましたね。よれた背広でも着て会社の愚痴のひとつでも言ってみたい気分になるような空間ですね。本当に愚痴を言っている方、申し訳ありません。
そこに、突如、サンバのパレードがやってくるというのは、実にシュールな瞬間でした。
江戸川乱歩の怪人二十面相を思い出してしまいました。
つまり、究極のおでん屋ごっこを演出したわけです。
さすが、クリエーターの集団はやることが違うととても感心したし、楽しかったです。
この星空の下でやった生演奏(おでん屋の対面の焚き火を囲んで)は、多少寒かったですけれど、とても気持ちのよいものでした。
こういう瞬間は演出では作りきれないものですね。
というわけで、翌日の昼食は残った豚を骨も何もかもとことん煮込んだスイトン。
濃厚な豚骨ラーメンスープの味でした。
来年も是非開催、参加しようとの決意のもと、一同大満足のうちに帰って来たのでした。
あれだけの大人数を楽しませてくれた幹事さん達の企画力・実行力には本当に感服しました。
ご苦労様でした。
皆様も来年はいかがですか。
2週連続して温泉ツアーはぜいたくだったなあ。

2007年08月11日

名古屋・大阪・飯田線

皆様、こんばんは。
梅雨が明けたと思ったら、暑い日が続いております。
先週末は名古屋、大阪で演奏してきました。
どちらも以前演奏したことがある場所です。
名古屋のサンバ・タウンは7月いっぱいで店舗としての営業を終了してしまう(これからは通販やライブ・プロデュースを主力にしていくということです。)ので、今回がお店でのラスト・ライブになりました。
店主、ぜじさんも加わっての演奏は楽しかったです。

ぜじさんも加わって
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翌日の大阪CHOVE CHUVAは、ライブ開催も多く、大阪のサンバの拠点という感じになっています。

私がマスター?
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付近は緑が多くてとても気持ちのよいお店です。
大阪へ行った際には是非お寄りになることをお勧めします。
お忙しい中、来ていただいたお客様、スタッフの皆さん、ありがとうございました。

今回は、プチ・てっちゃんを自認する二人(小生と鈴木厚志氏)なので、青春18切符で行ってみよう、しかも以前から興味はあったけれどまだ乗ったことのない飯田線に乗って帰ってこようという壮大?な構想になりました。
結果は、乗り継ぎを列挙すると、東京→熱海→島田→浜松→豊橋→名古屋→大垣→米原→大阪→米原→大垣→豊橋→天竜峡→飯田→上諏訪→小淵沢→高尾→新宿ということに相成りました。全て各駅停車(快速もありますが。)。
これだけ乗ると、各線の車両の特徴や車窓の移り変わりや車内風景も印象に残ります。
静岡県内東海道線はやたら混んでいるとか、居眠りしていて目が覚めたら、周りが皆関西弁になっていたとか(はっきりはしませんが、関が原(大垣・米原間)辺りに分水嶺があるような気もします。)。
久し振りにじっくりと鉄道の旅をしました。
特に、豊橋から辰野に至る飯田線は195.7kmに94駅が存在し、所要時間が6時間半程かかるつわもの路線で、秘境駅マニアには特に人気のある路線です。
小生のような車両系プチ・てっちゃんにとっては(ちなみに、鈴木厚志氏は乗換系てっちゃんです。)、戦前から電化していた区間ですので、電車車両が面白い路線という印象もあります。
ただ、現在は3タイプ位しかなくその点の面白みは失われました。

レールパークに昔の車両発見
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八割方無人駅です。歩道なのか駅なのか区別がつかないような駅や、駅に至る道路がない駅(階段しかない)等々。
山岳地帯を貫いて天竜川沿いに走る路線なので、気の向くままに降りて、来ない電車を待ちながら、ビールでも飲んでみたい景色の駅が多数あります。

天竜川沿い
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列車交換ののんびりした風景
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当然その日のうちに帰り着けないので、飯田市に泊まりました。
沿線では中心都市ですが、とても静かな町でした。
夕食時の7時頃でも人通りや車もあまりない。
何となくシーンとしています。ぽつんぽつんと飲食店の灯り。
こういうところは、冬場に来て赤提灯で一杯という演歌的イメージをかき立てます。
こういう旅は、快適さからの訣別というある程度の覚悟が必要ですが、逆に快適さやスピードを追い求めることからは見えてこないものが見えてきたりします。
昔の客車列車で冷房なし(天井に丸い灯りと扇風機が付いているやつ)でこういう旅をしてみたいものだとは思いますが、堪えられるかなあ。
ではでは

2007年10月31日

嵐の中のBBQ

皆様、こんにちは
毎年この時期になると、離島キャンプを愛する仲間達と近場へキャンプへ出かけるのですが、今年も行ってきました。
行き先は房総半島の先、千葉県館山市です。
ここは東京から近くて、伊豆半島よりも混まないし自然環境もよく魚も美味しい。
最近は自動車道が全通したこともあって手軽に行けるエリアです。
集合は千葉県鋸南町は保田漁港にある「番屋」。
漁協が経営しているとても広い食堂で、新鮮な魚料理が驚くほど安い値段で食べることができます。量もすごい。
お勧めスポットです。
その日は生憎の雨で、しかも台風20号が関東地方、特に伊豆半島から房総半島に接近しているという荒れた天気でした。
キャンプ場は水浸しになってしまったということで、さすがにキャンプは断念してキャンプ場と同じ敷地にある民宿に泊まることにしたのですが、相談した結果、さすが野外生活に慣れているつわもの達、野外BBQは強行しようということになりました。
BBQ場は小屋になっていて屋根、壁はありますが、浜から10メートルほどしか離れていないので風雨をもろに受けます。しかも、電灯が壊れていてつかない。さらに夕方からは台風がどんどん近づいてきて風雨がひどくなってきます。
常識人であればまずBBQなどあきらめる状況のなか、離島キャンプに慣れたつわもの達は一抹の不安を感じながらも、てきぱきと準備を始めます。

嵐の中をたどり着いたBBQ場
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毎年、このキャンプにはテーマというものがあり、例えば、海ほたる(アクアラインではなく本物の)を見に行くとか、房総の魚を食すとかで、今年は「魚料理と焚き火」ということになっていて、焚き火名人のMさんがいるものの、この状況では彼の腕は無駄になるのではないかと懸念されたのですが、炭火を起こして良い状態で維持するという点に彼の腕が大いに発揮されたのでした。
まさに焚き火ゴッドハンドです。
窓が割れそうな風雨と少しの雨漏りとたっぷりの隙間風(だから一酸化炭素中毒の心配はありません。)、電灯なしの状況でも、火がつくと人間何となく安心するものです。
BBQ場へ数十メートル移動するだけで上から下までびしょ濡れになって情けないことになっても、火がおきると何となく元気になってくるのは原始の遺伝子のせいなのでしょうか。
火がおこせれば、イタリアンの達人Kさんやその他大勢の酒飲みは俄然元気になってきます。
館山市内や番屋で調達してきた食材を存分に堪能したのでありました。

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そうなると風雨も慣れてしまってあまり気にならなくなりますし、周りがしょっちゅう停電して真っ暗になっているのに、こちらはランタンとかの灯りが確保できているので、却っていいぞとかどんどんノって行くのでありました。
お腹も朽ちた頃には、雨は殆どやんでいるのですが、風が海水を巻き上げて雨のような状況になっています。
片付けは明日ということにして、宿に引き上げました。
その後は、付近に宿泊客がいないということもあって、飲みながら深夜まで小生のライブや議論。もうそのまま雑魚寝してしまうという幸せな状況でした。
話は変わりますけど、この状況って昭和60年代後半の「フーテン」(永島慎二作の漫画の名作、当時の漫画雑誌「COM」(手塚治虫の「火の鳥」も連載されていた)に連載されていた。たしか単行本もあるはず)の場面に似ているなと思ったりします。形だけですけれどね(議論の内容が違っていますから)。
さて翌日は強力晴れ女Tさんの影響もあって台風一過。

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抜けるような青空と汗ばむ陽気。
前日とは打って変わって夏の天気になりました。
朝食、昼食とBBQ場を使って、地場の魚(館山の漁協直売所で購入。安すぎる!! 直売所マニアの小生としてはとても満足)をたっぷりと使ったイタリアンをいただきました。
まるで八重山のようなゆっくりとした時間の流れです。

天気が良いとこんなBBQ場です
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今年は「魚料理と焚き火」からというテーマを変更し、「嵐の中のBBQ」というテーマになったわけです。
房総の旅は、1月半ばに開催される「ボサギ道場」合宿に続きます。
これはボサギ発表コンサートを前にした24時間音楽レッスン漬けとライブ・宴会・雑魚寝の旅です。
ともあれ、嵐の状況を逆手に楽しんでしまう離島キャンプ愛好家の仲間達に感謝です。
ではでは

2007年12月09日

屋久島

皆様、今晩は。
12月1日から5日まで屋久島へ行ってソロライブを2回やってきました。
友人のT.N.さん夫妻が今年、東京から屋久島へ期間限定で移住したので、彼らを訪ねて仲間数人と行きました。
屋久島は今回初めてです。
しょっちゅう行っている沖縄の島々と異なり、2000m級の山がそびえ立ち、周囲も約130kmあり、スケールが大きい島だなあとの印象を受けました。

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T.N.さんが住んでいるのは、空港のほぼ真西にある永田というひなびた集落です。島の中央が山脈なので島の北と南では風向きや温度が違います。
永田は北西向きですから少し寒いようです。
T.N.さんはドイツ人で、とてもフレンドリーな人なので、越してから数ヶ月しかたっていないのに島内に多くの友人を作り、人気者になっています。
彼のお世話でライブも実現しました。
屋久島といえば屋久杉の印象が強くて、往復10時間はかかる縄文杉へ行くことはできませんでしたが、3~4時間のトレッキングでも十分に奥深い緑を堪能することができます。
まずは、3時間ほどのトレッキングを楽しみに白谷雲水峡へ。
ここは清流や滝が多くあり、コケが生えた巨大な木々との中でマイナスイオンをたっぷり浴びてきました。
どこか中国の水墨画を思わせるような風景もありました。

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虹が見えます。
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午後からは、「つわのや」という旅館のティーラウンジでライブです。
立派なステージがこしらえてあってびっくりしました。
お客様にも多数お出でいただき感謝です。

「つわのや」のステージ
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ソロの場合は、自由度は高いのですが、演奏を止めてしまうとそれで終わってしまうので、終始同じ程度のテンションを保たねばなりません。
そういう意味では、面白いけれど難しいです。
複数であればミスをお互いに補えますが、ソロの場合はそうはいきません。ただ、これを恐れていては演奏できなくなってしまいますし、少しは危ない橋を渡らないと即興演奏のカタルシスを得られないし。
大事なのは聴き手との距離感をどう保つかということでしょうか。
聴き手の呼吸を感じ取って演奏に反映できればベストなんでしょうね。
翌日は、T.N.さんに島の1周を案内してもらいました。
道路脇に野生の鹿や猿が出てきます。

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鹿も
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ヤクザルは餌を与えると味を覚え人里へ降りてきて農作物等を荒らすので、餌やりは厳禁です。
それでも近くまで寄っていっても逃げないどころか、道を進めると段々増えてきて、サファリパーク状態に!!

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ガジュマルの植生北限ということですが、素晴らしいガジュマルもあります。

ガジュマルのトンネル
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養蜂家のLさん(ドイツ人)と彼の親友
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友人達が一足早く帰京して、小生とT.N.さんは夜からの「散歩亭」というレストラン・バーのライブに備えて休養しに温泉へ。
「散歩亭」は川沿いにあるとても雰囲気のよいお店で、音楽的な店だなあとの印象を受けました。だからとてもリラックスして演奏することができました。
お客様も満員でとても盛り上がりました。

「散歩亭」
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屋久島在住の元ウニアゥン・ドス・アマドーレスのサンビスタ、Fさんにはパンディロで参加してもらったり
ギターも達者なT.N.さんともセッションしたり、地元の腕に覚えにある方々にも参加していただくことができました。
速い曲を演奏していて、ドドドという音と共に建物が揺れた気がしたので、「すわ、地震か」と思いつつ演奏は続けていたのですが皆ぜんぜん動揺していないので、皆さんいい度胸しているなあと思っていたら、二階のお客さまが踊り出した音だったようで、演奏が終わった後でびっくり。
この夜は聴き手との距離感が丁度良い感じで保てたような気がします。
気持ちに余裕ができたので難しい曲もこなすことができました。
ああ楽しかった。
翌日はOFFです。トレッキングを楽しみました。
自然休養林ヤクスギランドへ。
3時間ほどのコースです。
静かで風の音と時折聴こえる鳥や清流の音しかしません。

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巨大な杉の空洞になっている根元は楽に人が入れてしまうどころか、「ここはnature houseになるね。」とのT.N.さんの意見。
ここをキッチンにして、ここをベッドルームにして、ここはバスルームとか楽しい想像は膨らみます。なんせ周囲が10mもあるので。

幹の内部から
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清冽な空気と匂いと音で体中が満たされて帰ってきました。
例によって温泉へ。
屋久島は温泉が多く、銭湯感覚で行けるのです。
島ですから海のものも豊かです。
海亀の日本で最大の産卵地ということですが、この保護にNPOの方々を始めとして地元としてとても大切に考えておられます。
小生も9月に鳩間島で海亀の遊泳を目撃しているので共感を得ることができました。
T.N.さんのおかげで島の色々な方達と知り合うことができました。
鳩間島のこともお話しました。
ボリュームはぜんぜん違いますが、人間関係は似ているなあとの意見です。
ただ、屋久島は移住者にとっては入りやすく出やすいとのこと。
それぞれのこだわりを持って住んでいらっしゃる方も多いようです。
多少八重山の島事情を知っている小生としては、話していて共感を覚える部分も多かったです。
T.N.さんはドイツの外交、法律の専門家。
今回はそれらやドイツをはじめヨーロッパの文化に関する色々な話ができてとても勉強になりました。
帰る前夜からは、T.N.さんの友人のオランダ人G.B.さん(発音がとても難しいのです。日本語には無い発声法なので。)がやってきました。
身長193センチのスマートでハンサムな独身君です。

T.N.さん(左)とG.B.さん(右)
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来年1月から東京勤務になるそうで。
現在は休暇中で、ベトナム、沖縄を回って屋久島に来たとのこと。
3人共通のサッカーの話題では盛り上がりましたね。
江戸、明治時代、ドイツ・オランダは日本の先生でしたしね。そんな話もしたなあ。
ライブのプロデュースから何から何までT.N.さんにはお世話になって感謝の気持ちで一杯です。
また、何よりも、演奏を聴いてくださって盛り上げてくださった屋久島の方々、議論をしてくださった方々、あたたかく迎えていただいた屋久島の方々に対して感謝の念に堪えません。
音楽家としては続けてきてよかったと思うときですよね。
ありがとうございました。
また近々訪問できると思います。
ではでは

2008年03月14日

屋久島、宮崎その1

皆様、今晩は。
3月7日から12日まで屋久島・宮崎ツアーに行ってきました。

いつもながら島とは思えないような風景
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屋久島は昨年12月に続いて二度目です。
相棒のピアニスト、ATUXIは、前回のブログに掲載した発表会の打ち上げの後、ムーンライトながらで既に出発しており、大阪―尾道―博多―鹿児島と鈍行でやってきた彼と鹿児島港で合流後、屋久島のT.N.さんのところへ。
前回もそうでしたけれど、今回も天気に恵まれました。夜に激しく降っていた雨が朝になったらやんだりして。
その日の夕食は、永田でただ一件の食堂「じゃらい亭」へ。
素朴な料理がとても美味しかった。
翌日は、友人達、家族連れも加わって賑やかになり、島の南側、尾乃間の「豆風庵」で初めてのライブ。

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「豆風庵」は豆腐とうどんを基本にした、木で造りこんだ天井が高くてとてもきれいなお店です。
12月に来たとき、店主のTさんから次は是非うちでも演奏してと言われていて、お店の雰囲気が音楽に向いていて、いい音が出るんじゃないかなと思っていました。
ライブ前に、素朴でとても熱い尾乃間温泉を楽しみました。
開始は、日が暮れ始めた6時30分頃からサンセット・ライブの雰囲気になりました。
屋久島は何処を取っても絵になるので、外の風景が大きく見えるオープンなスペースはとても気持ちが良かった。
お客さんは家族連れも多く、アット・ホームな雰囲気でゆったりと演奏できました。
帰り道、トイレ休憩に立ち寄った公園。
真っ暗で、満天の星の美しさに息を呑みました。
ここのところ、レパートリーに入ってきているマヌーシュ・スウィングのマヌーシュの意味についてT.N.さんから色々と教えてもらいました。
学校の歴史では殆ど学べないことだったので、興味が湧いてきます。
このマヌーシュ・スウィングは、ショーロと雰囲気がちょっと似ていて、とても哀愁が感じられる音楽です。
昨年、屋久島に来たときにT.N.さんから教えてもらって、それ以来、自分なりにレパートリーに取り入れたくて練習してきました。今回のツアーでは、本格的にレパートリー化してみました。
今後もこのレパートリーを増やしていきたいです。
9日は12月にも演奏した安房の「散歩亭」でライブです。
ここは、安房川沿いのとても気持ちのよいスペースで、とても音楽的な場所です。

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ゲストで二曲唄ってもらったUさんの唄もとても良かった。
誰かの真似ではなく、自分のスタイルを感じさせてくれました。

Uさんの唄と
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演奏中の突然の春雷と豪雨も雰囲気を盛り上げてくれました。
そんなこともあって、彼女が唄った「Agua de marco」は屋久島にとても合う唄だなと思いました。
お客様も満員で、盛り上げていただいてとても充実した演奏ができました。
小生が若かりし頃(十代の頃です。)通っていたジャズ喫茶の当時の店主の方にも来ていただき、当時、店でジャズを聴いていた若者が後になって演奏しているのを聴くことができて「俺は感激しちゃったよ。」との感想をいただきました。
小生も感無量でした。
お話していて、当時のジャズに対する思い入れが甦ってきました。

さて、翌日は、5時起きで縄文杉へのトレッキング。
往復9時間と言われていますので、スタート地点の駐車場には遅くとも7時にはスタンバイが必要です。
このコースは、登山口まで、トロッコレール(現在も使われています。)の上を2時間半ほど歩きます。
これが、山の中をレールが走っていく、てっちゃんにはたまらないコース。
乗り換え系てつのATUXIは、雰囲気を味わおうと時々走ったりしていましたね。
プチてっちゃんの小生もレールのたたずまい、何処へ続いていくか不安にさせるような雰囲気、森の中の線路、岩をくりぬいたごつごつしたトンネル、苔むした切り通しを進む線路、突然現れる分岐点や待避線、川の上の陸橋しかも手摺りなし(その上を歩くのだから、外したらまっさかさまです。)などなど、興味深い風景が延々と続きます。

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登山口からは、ちょっと頑張る登りを約2時間、縄文杉に到着です。

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登山口からは人が多くなって、終点は結構混んでました。
縄文杉も良かったのですが、レールの上をあれだけ長く歩けた方がよかったなあ。
今日は、その1ということで、このあたりにしておきます。
その2に続くということで。
ではでは

2008年03月19日

屋久島・宮崎その2

皆様、今晩は。
屋久島・宮崎その2であります。

良い天気の永田集落
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友人達の中に家族連れが二組いたのですが、縄文杉へのトレッキングは、奥様方が行くことになって、お父さんは子守。
ここに至るまでかなりの攻防戦ないし駆け引きがあったらしいのですが、つまり前日、前々日のライブの現場は滞在している永田から40km~60kmくらい離れています。
屋久島は周囲が130kmもあるとても広い島ですから、車での移動しか考えられないわけで、当然、帰りに誰が運転するか、即ち、飲みたいお酒を飲めないかが問題になります。
話しがまとまったのでしょう。つまり、お父さん達は、縄文杉よりも酒を飲みながのライブを取ったわけですね。
さて、下山して空港から帰路に着く友人達を見送ってから、小生とT.N.さんとATUXIの3名はゆっくりと温泉を楽しんで、さすがにその夜は早々に寝てしまいました。
前回もそうでしたが、T.N.さんの島での人気は高く、また島中にライブのフライヤーが貼られているところなど、機動力もすごい。
あっぱれとしか言いようがありません。
彼がいなかったら屋久島のライブは実現していなかった筈です。
本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
さて、翌日は宮崎でライブのため、移動です。
鹿児島中央駅から各駅停車の旅です。
てっちゃんであるATUXIは、今回も運転席から進行中の様子を動画に収めたりしております。
宮崎のライブハウス、「LIFE TIME」は、34年続いているというジャズクラブです。

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アケタ系ミュージシャンの出演が多い、フリージャズっぽいお店です。
マスターのKさんも筋金入りのライブハウスのおやじという感じで、懐かしくなりました。
屋久島で会った元ジャズ喫茶のおやじのFさんもそうですし、近いところでは、横浜は日の出町のファーストのマスターなんかもこの感じはありますね。
店もジャズっぽくていい感じ。
硬派のイメージです。
ちょっと野毛のドルフィーに雰囲気が似ています。
宮崎は、かつて、ATUXIが、よく演奏していた土地で、友人達が駆けつけてくれました。
ここでブラジル音楽は異色なのでお客さんの入りが心配だったのですが、宮崎大学のジャズ研の学生達も中央に陣取っていて、ありがたいことに満席。

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そして、久し振りのグランドピアノに喜んだATUXIは、気合が入って、2ステージめの最初の曲で(ソロピアノが先行する「バイーア・チャンプルー~ビリンバウ」です。)ピアノの太い方の弦を切るという荒業を披露しました。

切れた弦が見えます。他の音に影響が出ないように外に引き出します
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バーンという何か倒れたような、あるいは爆発音のようなすごい音がするんですね。
現場を見たのは初めてです。
その後はこの音を避けつつ、何事も無かったようにプレイを進めました。
お客さんもマスターも平然としています。
よくあることなんでしょうか。
終了後は、学生達がメモを片手に曲のことを聞きに来たり、感想を言いに来てくれました。
そのうちの一人、男子学生君。
小生に「あのときの演奏は、この人になら抱かれてもいいと思いました。そっちの趣味は無いんですが。」。
小生、あはは・・・・・・・(汗)(汗)(汗)(汗)(汗)(汗)。
打ち上げは、宮崎風のおでんを囲みました。
春菊が入っていてこれが美味しかった。
というわけで、今回も充実した旅ができました。
関係してくださった方々に感謝、感謝です。
翌日、ATUXIは更に鈍行の旅を続けるべく八代へ向かって行きました。
彼は17日のエスペートブラジルのライブに帰って来たのですが、この旅は、2日のやはりエスペートブラジルでの発表会後の打ち上げからスタートしているわけですから、スタートもゴールも偶然に同じということでした。
ご苦労様でした。
ではでは

2008年04月11日

春の八重山・沖縄ツアーの道順

皆様、今晩は。
4月25日から始まる八重山・沖縄ツアーの全体がようやく固まりました。
以下のようになります。

4月26日 石垣市明石地区・明石公民館
4月27日 石垣市大浜のカガワ音楽教室
4月28日 昼間:石垣市立白保中学校 
夜:石垣市美崎町の「スリランカ」
4月29日 石垣市大川・「パパビゴーヂ」
5月3日  鳩間島音楽祭 (昼間の本祭)
5月4日  鳩間島S家にて恒例イベント
5月5日  石垣市伊原間地区・「たいらファミリー」
5月6日  石垣市野底地区のM.H.氏宅
5月7日  那覇市東町・「サクレ」
5月8日  南城市玉城・「たまたま庵」

石垣島に到着した翌日から連日の演奏になり、大変は大変かもしれませんが、全体的に見て、石垣島では市街地から北部まで、わりと広域ですし、学校あり公民館あり飲み屋街ありライブハウスあり食堂ありと、たぶん客層は全く違うのではないかと予想できるし、地元密着型なので、たぶん新しい出会いも期待できて楽しいものになると思います。
沖縄本島も全くタイプが違う場所での演奏です。
何とか公会堂とかが延々と続く人気ミュージシャンと比べるとラインナップがなんだかほほえましいです。
4月26日~28日までは、市内在住のT先生のプロデュースによるものです。
T先生といえば、小生と鳩間島の音楽的な出会いを作っていただいた恩人で、このブログにも何回か登場しておられます。
現在は、石垣市内で中学校の校長先生をしておられますが、とても音楽が好きな方で(ご自身のギターと唄もうまい。)文化活動にとても熱心な方です。
若い頃、赴任した鳩間島では生徒が1人になってしまって廃校の危機が目前だった頃の先生です。
ご存知の方はいらっしゃるかもしれませんが、森口豁さん原作の「子乞い」に出てくる若い先生です。つまり「光の島」、「瑠璃の島」(「瑠璃の島」では女性教師になっていましたが。)の若先生のモデルですね。
「光の島」のエピソードどおり、奥様は当時の鳩間島の同僚先生なのです。
鳩間校の校長先生だった時以来、お付き合いが続いていますが、何時もながら先生の精力的な動きには脱帽すると共に感謝です。
今回、白保中学校は授業の一環として演奏することになります。
以前、やはり市立伊原間中学校でも演奏したことがありますが、学校公演は意義があります。
今回は、ブラジルネイティブのようなKAZU氏がいるので、ブラジルの地理、歴史、文化と音楽を絡ませて、異文化に対する理解と興味を喚起させるような内容、それでいて授業というイメージではなく楽しい40分を演出したいと考えています。
5月になりましたら、このツアーの報告をできると思います。
ではでは

2008年08月07日

真夏の九州・屋久島ツアー

皆様、今晩は。
7月25日から8月1日まで、熊本、宮崎、屋久島へのDUAS INTENCOES(小生と鈴木厚志(pf)のデュオ)のツアーに行ってきました。

宮崎・熊本編

初日は、ブッキングの不手際があってオフになってしまいましたが、この日のホテルは宮崎、大淀川沿いのホテルで、温泉大浴場、サウナ、露天風呂付きですっかりのんびりしてしまいました。
しかも、夕方から併設のビヤガーデンで日向木挽き(宮崎の名物的芋焼酎)飲み放題、1000円という催しが開催されており、川沿いですから船に乗ったような心持になりながら、観光気分。

翌日は、熊本に移動して、「JAZZ INN おくら」でライブ。
ここは、友人の熊本大学JAZZ研OBのT.K.さんがプロデュースしてくれた場所。

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T.K.さんも楽器を持ってジャムセッションに参入します。
3月にライブをやった宮崎の「ライフ・タイム」と同じく、古きよき時代のジャズ・ライブハウスです。
昔は東京にもこんな店がいっぱいあったのですが、今はもう数えるくらいしかありません。
逆に、ファッションとしての体裁をとっているだけの店はありますが。
東京を離れれば、まだまだ筋金入りのジャズクラブがあるんですね。
マスターが個性的なのが共通点。
ここのマスターも、穏やかですが芯の通った面白い方でした。
後半は、T.K.さんを始め、熊本大学JAZZ研OBや現役の方達を交えてジャムセッションです。
終了後にいただいた馬刺しには感激いたしました。

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是非またやりたい場所です。

翌日は宮崎に移動して、「SOHO」でライブ。
この日は、メインストリートを通行止めにして、大きいお祭の夜でした。
この店は、地元ミュージッシャンが練習に使ったり、ライブに使ったりと、普段からライブモードのお店です。
後半のジャムセッションでの、地元ミュージッシャンの方々のレベルが高いことにびっくりしました。
ギタリストの方や、ブルースハープの方や。
テキーラなんて、知ってはいますが始めて演奏しました。
ギターを教えている方がアドバイスしてくれたので楽に出来ました。

ここもまた演奏、ジャムセッションしたい場所です。

屋久島編

翌日は、宮崎から鹿児島へバスで移動して、屋久島へ渡ります。
途中、鹿児島県へ入ってから、一部の地域だけ、晴れているのに灰が立ち込めて屋根や車に降り積もっているのにびっくりしました。
桜島の降灰なんですね。
風向きによって灰の流れがはっきり見えます。
暑いのに窓も開けられないし、洗濯物も干せないだろうな。
以前地元の人に聞いた「桜島は無くても困るけど、あっても困る。」という言葉が実感として分かるような気がしました。

屋久島宮之浦港へ到着して、滞在中何から何までお世話になるT.N.さんと、明日のライブ会場の「café Jane」へ挨拶。

cafe Jane
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cafeの庭の屋久鹿(別に飼っているわけではありません)。親子のようです。
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マスターのFさんは、前回訪問した際、小生が高校生の頃からJAZZつながりがあった方ということが判明し、三十数年の時を経て彼の店でライブが出来るということは感無量なのです。
今は、環境文化村センター内のカフェのマスターですが、お話しすると、まちがいなく筋金入りのジャズ喫茶の親父です。
今夜は、島在住の方達と交流会。
観光シーズンのこの時期は、少しでも観光に関わりのある方々は大変忙しく、シーズン中は一日の休みも無いとのこと。冬場は暇になるのでこの時期に集中的に仕事をすることになるそうです。
例えば、カヤックやダイビングのインストラクターやガイド(登山関係は冬場も忙しいでしょうね。)、旅館、民宿等々。
ただ、農作業や塩作り等、冬場でも仕事はありますが。
皆、誇りを持って仕事をしていることが伺えて、つい小生も嬉しくなって杯を重ねてしまうのでした。

翌日は「café Jane」でのライブ。
ゲストボーカルは島在住のUさんです。
彼女は、Fさんが色々とアドバイスをしているようで、JAZZYなボーカル。
自由な発想で唄っているなあとの印象は、前回のときからありました。
今回はたっぷりと唄ってもらいます。

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「café Jane」は、暮れ行く宮之浦港をバックにして、とてもよい雰囲気。
マスターの提案は、音が回ってしまう構造だからP.A.は入れない方が音が良く届くはずだと。
さすが、もとジャズ喫茶の親父。鋭い提案です。
案の定、結構広めなのに生ギター、生声で、奥までバランスよく聴こえていたとのことでした。
この日は島在住の顔見知りの方がお客さんに多くいらっしゃって、とてもリラックスした雰囲気で演奏できました。

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ボーカルのUさんはちょっと緊張していたようでしたが、程よい緊張は必要です。
明日も共演するので、もっと慣れていくでしょう。

翌日は、今回で三回目、安房の「散歩亭」です。
この日は、お昼から、近所の永田川の天然プールに泳ぎに行きました。
川で泳ぐというのは大きな楽しみだったんです。
なんせ暑いし。
昨日は、一昨日浮かれすぎて飲みすぎて、駄目になってしまったので今日こそはと。
うちから車で5分、徒歩5分。清流が溜まっている素晴らしい天然プール。

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水はちょっと冷たいけれど、きれいで、天然ウォーター・スライダーもあるし。

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川底や岩には、これはかじかじゃないかな、今ではあまり見られなくなってしまった魚がいっぱいいます。
昔々、新潟の三面川にいっぱいいました。
暑い夏には最高です。
体も気持ちもすっきりして、「散歩亭」のライブ。

散歩亭の夜
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今夜は、観光客の方とか若いお客さんが多かったように思います。
島在住のFさん(昨日のマスターのFさんとは異なります。)は東京から移住したパンデイロ奏者、彼も含めて打楽器をやるお客さんも何人か来ていたので、後半は皆が参加できるサンバを中心に演奏しました。
ここは何時も盛り上がります。

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ボーカルのUさんも昨日に増してリラックスできたようでいい感じです。

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島在住の楽器奏者の方々も交流していたようです。
今宵の特筆すべきプレイヤーは、我々のコーディネイターであるT.N.さんでした。
彼のバイオリンのプレイは素晴らしかった。
ブラジル物、ジャズ・スタンダード、マヌーシュ・ジャズとプレイしましたが、音色がきれいで、繊細で、自分を強烈にアピールするのではなく、自然に寄り添うように入ってきます。
ソロプレイはとても繊細で人々の気持ちをリラックスさせる音でした。
こんなに良かったんだったら、もっと早くから一緒にたっぷりとプレイするんだったと後悔しましたね。
この店も川沿いで夜景がとてもきれいです。

次の日はオフです。
川へ泳ぎに行った帰り、初日に一緒に飲んだ、塩作りをしているWさんの仕事場を見学しました。
海水を汲んできて、レンガ造りのかまどで炊き上げ、1000ℓの海水から約25~30kgの塩ができるとのこと。
これを畑と一緒に一人でやっています。

海水を汲み上げて溜めておく。
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海水を炊く釜
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夏は、釜を炊いているので当然暑いです。
大汗をかいて仕事をしていました。
すごいなあ。
でも、自分で作り上げた物が形として現れるというのは喜びですね。
あまりに貧弱な例ですが、家庭菜園も同じです。

この後、前々から行きたいと思っていた、海岸から遠くはなれて山奥にあるひっそりとした集落、白川集落の知りあいのお家を訪問しました。
この集落は、海や農業や観光という資源で成り立っている海沿いの集落とは異なる山奥にあります。
自然と人間の係わり合いを哲学的な作品に深めた、世界的な詩人、故山尾三省氏(興味のある方、是非検索をお奨めいたします。)が没するまで暮らし、創作していた場所です。
戸数は三十戸くらいでしょうか。
川沿いのとても静かな集落で、川の音と風の音、鳥の声しか聞こえてきません。
知人のIさんは、一奏の集落から最近こちらに引っ越してきました。
ライブにもよく来ていただいています。
テラスもあるログハウス
海沿いより涼しくて、とても静かな暮らし。
素敵な暮らしですが、大変さもよく分かります。
いけないとは分かっていつつ、ついつい鳩間島と比較してしまうんですね。
しかし、皆さん大変なことは分かっていても、屋久島が本当に好きで生活しているということがよく分かります。
自分の生活に誇りを持っているように思えます。
Iさんのお家でお茶だけいただくつもりが、ついついゆんたくが長くなってしまい、軽い夕食までいただいてしまいました。夕暮れ時は西へ向かって帰ると、夕陽が美しい。

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1週間の旅でしたが、それぞれの土地と個性的な人達、プレイヤー達と交流できてとても豊かになった様な気がします。
演奏することも喜びですが、土地の人達との交流が旅の圧巻なんです。
お世話になった、熊本大OBのT.K.さん、屋久島のT.N.さんをはじめ、皆さんありがとうございました。
ではでは

2008年09月10日

台風13号

皆様、こんばんは
今年は台風が来ないなあと思っていたら、今日発生しましたね。
台風13号。
フィリピン海域を北西に進んでいるとのこと。
明日から22日まで沖縄・八重山ツアーなのですが、直撃か、あるいは微妙にずれるかといった感じです。
野外での演奏は無いので、その点はよいのですが、とばらーま大会とか、船便がどうなるか、最も基本的には、石垣行きの飛行機が欠航しないかどうかというあたりが気になります。
ま、この時期の沖縄行きは、常に台風の心配があるわけですから、折込済みではあるのですが、気にはなります。
といっても、自然界との付き合いですからどうにもなりませんね。
過去にも、石垣で足止めをくらった、鳩間島から早めに引き上げたとかの経験はありますが、足止め状態は暇です。
なんとか暇な状況を前向きに使えるようなことを考えはしますが。
ま、無駄な抵抗はやめて状況に任せて行くことにしましょう。
帰ってきましたらまた報告いたします。
ではでは

2009年03月18日

春の鹿児島・屋久島

皆様、こんばんは。

3月13日から16日までの鹿児島・屋久島ツアーから戻ってまいりました。

13日は荒天でした。
鹿児島行きの航空機が宮崎で降りてしまうかもという条件付での運行。
幸いにして鹿児島に着いたものの雨・雨・雨・・・・です。

今回の鹿児島は初めてのお店「RECIFE」でのライブ。
イギリス人のRさんがやっている、こじんまりとしたとてもよい感じのお店です。
彼はブラジルに住んでいたこともあって、店の名前どおりとてもブラジル音楽に合う雰囲気のお店です。
奥様Nさんは日本人。
お家に泊めてくれたり、打合せも含めて大変お世話になりました。

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客席の様子
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木の造りなので音は良かった。
お客様は外人率70%、欧米人が多いようですが、ブラジル人もいました。
世が更けるにつれお客様が増えていきます。
カホーンで参加する方もいて盛り上りました。
鹿児島の拠点になりそうなお店です。
また、やりましょうねと約束して、今夜はRさん、Nさんのおうちにお泊り。

翌14日も荒天です。
しかも寒い。
前日と10度くらい差がある感じです。
屋久島行きの高速船は欠航。
でも、大型のフェリー、屋久島2は出るとのこと、
ホテルのようなフェリーです。サウナもありました。
しかし、鹿児島湾を抜け外洋に出てからは約2時間、屋久島へ着くまで、遊園地の魔法のじゅうたん状態。
寝ているしかありません。

屋久島・宮之浦港は、息も吸えないほどの強風。
島での我々のマネージャー、Tさんと奥様Dさんとの再会を喜び合います。
今夜は、このツアーの一番の楽しみでもある、島唯一の内陸集落、白川山公民館「やまびこかん」での演奏があります。
昨年訪れたときは、その静寂さと清冽さと山の深さに圧倒された場所です。
詩人、山尾三省氏ゆかりの場所ですね。

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準備
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開演の挨拶
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前日から島の人達によって入念な準備がなされたそうです。ありがたいことです。
飲食持込大歓迎の村イベント。
これって、石垣、鳩間の公民館イベントにそっくりではありませんか。
実際、雰囲気も似ていました。
我々を前から聴いている島の聴き手はこの雰囲気をちょっと心配したようでしたが、我々は八重山ですっかりなじんでいる雰囲気で、とてもリラックスして演奏できました。
皆さんの料理も素晴らしく美味しかった。
もちろん酒も。
老若男女、色々な方に楽しんでいただけたようでした。

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セッション
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さて、翌日は昼下がり午後1時からのコンサート。
すっかりおなじみになった安房の散歩亭です。
何時も夜にやっているので、午後のコンサートで大丈夫だろうかとお店も気をもんだようでしたが、天気も良かったこともあって、音楽の雰囲気が安房川沿いのお店の雰囲気にあって、とてもリラックスした良いコンサートになりました。
お店のスタッフもびっくり。
新しい発見でした。
次回は日曜の日没に丁度かかるように、sun setコンサートにしたいとまではまったようでした。
日曜日、宵の口に終わるというには、飲みすぎない、したがって時間もあるから明日に向かって休養できる、一日を有効に使えると、とても良いことと思います。

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セッションもあります。
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安房川を臨む店内
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我々も演奏を終えてから時間に余裕があるので、温泉へ。

尾乃間の海中温泉に向かいます。

海と殆ど同化していて、それでも結構熱い。
混浴露天しかも脱衣所なし。
でも、男女みな、堂々と入っておりますな。

男性は前を隠しても可。ただし湯船にはタオルを入れない。
女性はバスタオル湯船の中も可。
厳密なルールがあります。
そうは言っても、脱衣所はオープンエアだから。
思い切ってしまえばどうということはありませんね。

ここで、我々の聴き手である島のT病院の内科医であるI先生と遭遇。
雑談。
島での一番の疾患って何ですかね。
肉体労働が多いから怪我は多いですけれど、ダントツは便秘ですよ。
何故か。
屋久島は超軟水の島だからそうです。
軟水は肌を滑らかにさせたりしますが、極端なのも良し悪しだそうで。
便秘は放っておくと腸炎を引き起こしたり、大変なことになるそうです。

さて、今晩はツアーの最後の開放感もあって、永田集落の唯一の食堂(これが美味しい。)で夕食へ。

Tさん、Dさん、島の友人達も交えて食事から酒盛りへ。
隣の席で漁協の連中がカラオケを始めたのをよいことに我々もカラオケへ突入。
Dさんのnative中国語によるテレサ・テンとかATUXIの荒井由美(松任谷ではありませんね。)とかTさんのカーペンターズとか等々。
最近のカラオケって何でも出るんですね。
殆どやったことがないので結構びっくり。
試しに、探してみたらありました。
小生の必殺技、一節太郎の「浪曲子守唄」。
唸らせていただきました。
セリフもあるから嬉しいね。
その後は、中国・日本・沖縄と乱れていきます。
沖縄ものが随分唄えるようになっているのですね。
おうちへ帰ってからは、サルサのステップ講習。
楽しい一夜は更けて行きます。

翌日も好天です。
さすがにちょっと疲れました。
鹿児島行きの高速船はぐっすり。

今回は、鹿児島市内でライブが出来たことと、白川山集落でのとても暖かい雰囲気のイベントが出来たこと、散歩亭の昼のコンサートの雰囲気がとても良かったこと、そして何よりも、屋久島のTさんDさんご夫妻、屋久島の友達、鹿児島のRさんNさんご夫妻、皆さんと濃密な時間が過ごせたことがとても楽しくかつ収穫になりました。
皆に支えられてこそ旅のよさが成り立ちます。
ありがとうございました。

Tさん、お返しと言っては何ですが、来月は小生の地元(?)、石垣・鳩間でお世話してあげますからお楽しみに。
ではでは

2009年06月14日

毎年恒例の 豚丸→遠刈田大道芸フェスティバル

皆様こんにちは。

1. 豚丸

ここ何年か私的には、八重山・沖縄→豚丸→遠刈田大道芸という流れがすっかり定着してきたようです。

このブログを以前からご覧になっている皆さんは、「豚丸」というのは何のことかお分かりかと思います。
「サンバと豚の丸焼きの宴」というのが正式名称で、群馬県片品村で温泉民宿を何軒か借り切って行なわれるそのイベントは、文字通りの内容で、毎年毎年参加者が増えています。
今年も新宿発の貸切観光バスで、要は大人の遠足なのです。

豚の丸焼きなどというものは、普通は1年に1回、このイベントでしか食べることが出来ないので、いかに美味しくかつ無駄なく楽しく食するか、かゆいところに手の届く準備の周到さには頭が下がります。
もちろんライブがあるので、音楽を楽しみながら、食べ、飲み、温泉入り放題と、楽しいこと以外はこの場には無い贅沢さ。

豚を焼いています。
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(昼)手打ちうどん+釜焼きピザ、(夕刻)豚の丸焼き+付け合せの野菜、(夜食)スーラータンスープ、(深夜)おでん屋台開店、(翌朝)各人宿泊先の民宿の朝食、(昼)残りの豚を使ったトン汁スイトン入り、この間飲み放題。

会場のレイアウト、ちょっとした飾りつけや進行のスムーズさは幹事さんたちのセンスの良さが存分に発揮されていて、参加者はとことん楽しむことが出来ます。

会場の様子
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夜になるとおでん屋になります。
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釜揚げうどん
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ピザ釜
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ライブです。
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ただ、この季節、少々天候に不安があり、昨年に続き今年も多少雨にたたられはしましたが、そこはこれだけの企画をするスタッフ達ですから雨対策も周到で、あまり影響も無く楽しむことが出来ました。
また、今年は、ゴミを減らそうとのかけ声の下、マイ食器を持参するという新しい試みも行なわれ、皆どのような食器が軽くて効率的か頭を働かせたようです。
小生は、弁当箱。
これは結構便利でした。
確実にゴミは減ったとのことでした。

焼きあがった豚を切り分けます。
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夜のライブ、雨が降っています。
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このイベントで特徴的なのは、幹事さんたちの場の作り方の巧みさです。
例えば、深夜になると、おでん屋台が開店します。
こうなると、BGMは演歌。カウンターでは日頃の愚痴を垂れ合うおじさんやおねえさんで賑わって、ママやマスターが客相手に説教の一つでも垂れようかという場面が予想できます。
酒は当然熱燗で。

開店したおでん屋の前に佇む。
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繁盛しているおでん屋
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この理想的ともいうべき昭和30年代風おでん屋台の発想はとても素敵です。
おでん屋の小道具にもこだわって味を出しています。
こういう場を発想して作ってしまうことは巧みさを象徴しています。
小生的には、このおでん屋がとても楽しみなのです。
こういう場にあってもよいのは「流し」です。
去年はサンバの流しが来ましたが、今年は二人組みの演歌の流しが来てお客さんの涙と笑いを誘ったようでした。
お客さんも、例えば、上司と部下とか不倫カップルとか失業中とか浪人生とか誇大妄想気味の大学教授とか売れない作家とか閉店後のバーのママさんとか等々、役を割り振って皆で演じてしまうなんてのも面白いだろうな。

この広い会場を提供してくださる民宿のご主人Hさんもとても楽しまれているようで、ありがたいことです。
毎年のことながら、前日から入って準備をしてくださる幹事さん、スタッフの方々、ご苦労様でした。
来年も同時期に開催予定です。
が、今年秋にも縮小版を開催しようかという噂もあります。

ご主人Hさんによる閉会の挨拶
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集合写真
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2. 遠刈田大道芸フェスティバル

さて、翌週6日、7日はこれも毎年恒例の宮城県は蔵王町の「遠刈田大道芸フェスティバル」。
遠刈田温泉商店街の青年会を中心とした実行委員会主催で、毎年6月の第一土、日に開催されます。
今年で13回。
業者は一切入れず、町の人達だけで運営されている完全手作りイベントです。

小生は、ほぼ最初から参加していますが、初めは芸人さんたちをどう呼ぶかとか、運営をどうするかとか初歩的なことから苦労されていました。
実行委員会の面々は野毛大道芸を勉強しにも来ていました。
それが、町の人達の熱意と実行委員会の努力で、今では日本で有数の大道芸フェスティバルに成長しました。
大道芸人の質も高いし、運営もとてもスムーズです。

梅雨時で雨の確率は低くは無いのですが、今まで雨に当たったことはありませんでした。
が、今年は予報もかなり雨の確率が高い。

土曜日、栃木県辺りは晴れ間ものぞくこともありましたが、福島県辺りから雨がち、宮城県はどしゃ降り。
ついに始めて、土曜日の宵祭は中止になってしまいました。

本来なら、夕方から夜にかけて車通行止めにして、サウーヂのサンバショーとか、ジャグリングとか、夜に映える演目を行なうのですが、残念。
小生も、Teruyoさんとのベリーダンスのコラボがあったのですが、残念でした。
あれは夜のライティングにとても映えるんです。
その代わり、室内で軽くデモ演技を行ないました。

宵祭は中止になってしまいましたが、毎年恒例の土曜日の打ち上げ(芸人、スタッフ等一堂に会して)が近所の公民館で時間を繰り上げて行なわれました。
日曜日は終了後、帰り時間が早いので、土曜日にやってしまうのが恒例になっています。
例年ですと、宵祭が終わってからですから、22時半頃スタートで、翌日も早いので24時半頃には終了するものの、大道芸人の裏芸満載の中味がものすごく濃いものになります。
これが今年は、19時スタートのロングバージョン豪華版。
時間がたっぷりあるので、飲んだ量もたっぷりで、裏芸も超満載の豪華絢爛、抱腹絶倒、驚天動地。
芸人さんたちも今夜できなかったので、力が余っていたのでしょう。

終了後、小生は恒例の喫茶「キャロル」でのゆんたくパゴーヂで過ごします。
秋田のSさんも加わってゆったりとした演奏で過ごしました。

翌日は、晴れはしなかったものの何とか最後まで出来そうな天気。

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小生もベリーダンスのコラボとパゴーヂと2回、野外での演奏。

Teruyoさんのベリーダンスとのコラボは、鳩間島で一回あるのですが、ギターソロによるものは今回初めてでした。
アラブ風の曲はレパートリーに無いので既成の曲を2曲、オリジナルを2曲用意してみました。
彼女にとっては大変だったと思います。
スローな三拍子、ミディアムのジャズワルツ、8分の6拍子のミディアムファスト、あとはチック・コリアのスペインをモチーフとしたもの。
リハーサルする時間も無かったし、打合せ程度で始めてしまう即興のダンスだったし、曲も出かける前に聴いてはもらったけれど、知らない曲だったと思うので、いつもとは相当に勝手が違ったと思います。
それにも拘らず、充実した踊りを披露してくれました。
弾き手としての課題はまだ一杯あるなあと感じましたが、とてもいい瞬間もあったし、こういう試みも面白いと思いました。
機会があればまたやりたいです。
やはり、昨日は中止になってしまったけれど、夜のライティングでやってみたかったですね。
あと、贅沢かもしれませんが、周りが静かな環境でやってみたいですね。

大道芸フェスティバルの最後は、恒例、サウーヂによるサンバのジスフィーレ。
これを楽しみに来て下さるお客様も沢山いらっしゃいます。
サウーヂの面々も昨日出来なかった想いをぶつけるとてもよい演技でした。

バテリア
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ポル・メス
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ダンサー
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遠刈田名物、佐藤商会
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遠刈田名物? ピエロ
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いつもながらの町の皆さんの手作りのおもてなしを受けて、本当に楽しませていただきました。
土曜日が雨で中止になったのは残念でしたけれど、野外イベントというのはそういうリスクも織り込み済み。
今年はその分打ち上げも長かったし、みんなとゆっくり話も出来たし、また来年頑張りましょうということです。
お疲れ様でした。
ではでは

2009年06月29日

大多喜町・ハーブガーデン

皆様、今晩は。
6月23日、24日の両日、千葉県は大多喜町、「風薫る丘ハーブガーデン」で演奏してきました。
相方は、今回始めての顔合わせ、三四郎さん(as.ss.fl.vo.)です。
三四郎さんは、バークレー出身の東京ではストリートミュージッシャンの草分けのような方です。
東京都のヘブンアーティストでもあります。

小生も千葉県に住んでいるのですが、大多喜町というのは房総半島の中心部よりやや東南の方向にある場所。
列車で行こうとするとかなり不便なところなのです。
小生の住んでいる習志野市は、東京のベッドタウンと言ってもいい場所。
房総半島には位置していないので、大多喜町まではかなりの距離があります。
千葉県はかなり広い。
東方向と南方向に広がっているので、同じ県内でも移動は大変です。
同じような印象は、静岡県でも感じたことがあります。

鉄道で行くと不便なところですし、現場も駅から遠いので車を利用したのですが、この列車というのが、小湊鉄道というローカル線好きにはたまらない路線です。
まだ気動車です。しかも日中は1両編成。
キハ200系という1970年代から製作されている趣のある気動車が走っています。
東京近郊では、赤と黄土色のツートンカラーの気動車が走っている場所は殆ど無いんじゃないでしょうか。
八高線も変わってしまいましたし。

佇んでみたい無人駅多数。
小湊鉄道は、終点でいすみ鉄道に乗り換えなければ大多喜には辿り着けませんが、車で行くと、良い雰囲気の小湊鉄道の線路や駅と並行して走る区間が多いのです。
周りは田んぼと低い丘の田園地帯。
この時期、青々とした田んぼの中を行くレールを見ていると、なんだか想像力をかきたてられます。

市原インターから約40分程で目的地の「風薫る丘ハーブガーデン」に到着。
自然の丘を利用した広大な施設で、様々なハーブが育成され、広い庭園を構成し、この時期は花も溢れています。

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近隣は里山が広がっています。
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あまり日本的ではない風景
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園内には、レストランやフランスから移築したという、趣のあるホテル、ショップやチャペル、ペットホテルまであります。

園内のホテル
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ペットホテル、なんとペットの運動場もあります。
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チャペル
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イベントは、招待客で構成されるオープニングセレモニーのようなものでした。
一日目は、良い天気になったので野外での演奏。
ただの野外ではなく、ハーブの香りに包まれた大きな木の下での演奏はとても気持ちのよいものです。

野外の演奏場所
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お客様の感じを見ながら、普段あまり演奏をしたことがない映画音楽なども演奏していきますが、大体ボサノバ中心。
一日目は3回の演奏でした。
この日は、30分ほどかけて茂原まで移動して宿泊。
翌日は、予報が的中して朝から雨。
レストランでの室内演奏になりました。
このレストランも都会では考えられない広いスペースで、野外レストランやハーブの温室とつながっていて、吹き抜けの二階には、おそらくチェーンソーで製作したと思われる彫刻などがあり、散策するだけでも面白い。

レストラン
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レストラン内部、今日はビュッフェ形式です。
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チェーンソー彫刻(と思われる。)の熊さん
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ハーブの温室に入ると、一気に温度が上がり、むせ返るようなハーブの香りで一杯です。
昼頃からは雨も上がって来ましたが、この日は残念ながら野外での演奏はありませんでした。

二日間、平日にも拘らず、イベントということでご招待のお客様で一杯だったようですが、決して交通の便がよいとはいえない場所ですから、普段はどうなんだろうと気になってしまいます。
アクアラインを使えば東京からあまり遠くないし、行き帰りの車もそんなに混まない場所ですから、自然に溢れた環境を余り時間をかけずに味わえるのは良いのかもしれません。
ただ、いくら施設が広いとは言え、よほどハーブに興味がある人ならいざ知らず、2時間もあれば食事も混みで楽しめてしまうので、例えば付近の里山の風景とか、小湊鉄道、いすみ鉄道の沿線風景とか、近場の外房勝浦漁港とか抱き合わせて一日楽しめる非日常の観光スポットを構成できれば楽しいかもしれません。
個人的には、キャンプ場なんか併設されていればいいなあと思いました。
数百メートルの近さにベジタブルガーデンなんてのもあったので(定休日でした。)、そちらにも興味を惹かれます。
普段あまり行ったことのない場所でしたので、興味深い二日間でした。
こういう印象を抱くこと自体、その場所や地域があまり知られていないということなんでしょう。
手軽に里の自然を感じられる穴場といえますね。
興味のある方はいかがですか。
施設の詳細はwww.herbisland.jpです。
ではでは

2009年08月25日

飯田線での演奏

皆様、こんばんは

何だか秋めいた涼しい風が吹いてきたこの頃です。

さて、ライブスケジュールにも記載してありますが、9月19日~23日と10月10日~12日の秋の連休にJR飯田線の車内と同線の中部天竜駅構内の佐久間レールパークで演奏します。
2011年に名古屋市にオープンする予定のJR東海博物館(仮称)にレールパークの一部を集約するための佐久間レールパーク閉園に伴うイベントということです。
詳しくはこちらです。
http://jr-centra.co.jp/

そもそもこの飯田線という路線は豊橋と辰野を結ぶ約200kmの区間に94駅というローカル線にしてはかなりの数の駅が存在し(これは時刻表を見てみるとかなり壮観です。)、また、戦前から電化されていた珍しい路線です。

これには、昔からかなり興味があって、何年か前に名古屋、大阪と旅した帰りに、わざわざ豊橋から飯田線に乗って飯田で一泊して中央本線経由で東京に帰ってきたことがあります。

豊橋を発車して1時間ほどで天竜川沿いを走る山岳路線になり、単線ですから列車交換のための停車時間も長く、駅も無人駅が多く、しかも駅だか道路だか分からないような駅があったりしてのんびりした路線だなあという印象があります。
そういえばこのブログにも書きました。

この手の路線は好きで、過去には只見線によく乗りに行きましたね。
この路線も合津若松から小出に至るローカル線で、福島県側は各駅前に公営無人温泉があったりして、一日に数本しか通らない列車を待ちながら温泉につかって駅でビールを飲んだりしていたものです。
とてものんびりとした路線です。

わりと最近では身延線というのも景色がよい路線でした。

いずれも只見川、富士川と川沿いを走る路線です。

そんなわけで、飯田線に乗れて(しかも通算8日間も)演奏できるというのはとてもラッキーです。

また、佐久間レールパークというものがとても興味深い場所で、大正から昭和、平成までの興味深い車輛が実車で保存してあるというマニア垂涎の場所です。

子供の頃から鉄道というものは好きでしたね。
引越しを多く経験して、その度に生活の中の鉄道が変わっていくという環境があったんでしょう。
昭和30年代から数えて、目蒲線、小田急線、名古屋市営地下鉄、西武新宿線、池上線、都営浅草線そして京成線と生活中心路線は変わっていきました。

高校生の頃は、親戚のいる羽越本線にSLの写真を撮りに行ったり、ついでに米坂線のキューロク(この意味が分かる人は偉い。)の写真も撮りに行ったりしたものです。

てなわけで、この佐久間レールパークの展示車輛というものもとても興味深いものがあります。
特に、電車ではない客車(天井に丸い照明が付いているやつ)とか、吊り掛けモーター式の古い電車にはとても郷愁を惹かれます。
客車列車に乗って、青森まで行ったことも何回かありました。
八甲田○号とか、十和田○号とかね。
音楽と同じで、そのときの自分の生活と鉄道が重なっていて、あの頃の列車を見ると自分が何をしていたか何を感じていたかが思い起こされるのです。

さて、演奏は、イベント用の臨時列車の車内と、佐久間レールパーク内特設ステージということになっていますが、車内はトンネル内とかは大変でしょうね。
生音だし。
山岳部に入ってからはとてもトンネルが多かった記憶があります。
揺れもあるので、今のところは列車交換のための停車時間に車内でという予定でいますが、せっかくだから平野部の動いている車内でも演奏してみたいですね。
めったに出来るものじゃあないので。

というわけで、こういう企画を立ててくれたJR東海さんには感謝です。
帰ってきたら詳しいレポートを書きましょう。
ではでは

2009年09月26日

さよなら佐久間レールパーク第一弾

皆様、こんにちは。

9月19日から23日までのJR飯田線・佐久間レールパーク閉園記念イベントの演奏第一弾に行ってきました。
まずは率直な感想を述べると、自分が抱いていた、東海道新幹線に代表される正確無比なJR東海という大企業のイメージとはかなりかけ離れた、手造りでゆるくほのぼのとしたイベントでした。
遠刈田大道芸フェスティバルや鳩間島音楽祭の手造り感にとても似ているような気がします。
JR東海の職員の方々や地元の皆さんの熱意が伝わってくるイベントです。
すなわち、小生的にはとても好ましいイベントで、楽しませていただきました。

豊橋発8時28分、臨時列車の佐久間レールパーク1号に今回の相方、ts. ss.奏者の浅川宏樹さん、JR東海のスタッフと乗り込みます。
この佐久間レールパーク1号という車輛が117系という、普段飯田線を走っていない車両で、しかも中央のラインがデビュー色の茶色に塗られているという珍しいもので、写真を撮る人達でいっぱいです。

佐久間レールパーク1号
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この列車内で豊橋・本長篠間の停車区間4箇所で演奏します。
1回につき2~3曲、列車交換のためドアが開かない場所が二箇所、停車駅でドアが開く箇所が二箇所です。
ドアが開かない場所というのは、お客様(満席です。)もちょっと退屈してしまうので演奏は喜ばれました。
子供達の反応がいいですね。
撮影者多数。

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約2時間かけて終着の中部天竜駅に着くのですが、演奏している間はあっという間。
演奏が終わると、列車は湯谷温泉駅からの山岳ルートに入っていきます。
鄙びたいい雰囲気の温泉街、天竜川支流のきれいなこと、見所がいっぱいあって、仕事でなければ、途中下車してのんびり過ごしてみたい駅多数。

長篠城跡
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車窓から天竜川の支流
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そうこうしているうちに終着の中部天竜駅に到着します。

中部天竜駅
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中部天竜駅とレールパーク号
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佐久間レールパーク
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10時30分頃、レールパークはお客様で賑わっています。
この列車に乗り込むこと、そしてレールパークにいることは、テッチャン全開でOKなのです。
誰にも遠慮することなく写真撮りまくり。
プチテッチャンを自認する小生(車輛系です。)には佐久間レールパークは本当に楽しめました。
実車が展示してある、しかも一部の車輛には入れるし、オハ35形という客車は、ピアノ演奏を楽しめる食堂になっていたりします。
小生は特にクモハ12形が大好きで、昔の省線電車と言われた車輛ですね。

クモハ12形
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無骨な茶色の姿はとても美しい。
この型は昔山手線を走っていました。
それから東京から離れていったのですね。
中に入ることが出来ました。

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基本的に内装は木で出来ているんです。
丸い照明、扇風機、油が塗られた床等が郷愁を誘います。
もちろん冷房はありませんね。
座席に座ってうつらうつらしていると、目を開けたら昭和30年代に戻っているんじゃないかとの幻想を抱かせてくれます。ありがちな設定ですが。
オハ35形の客車は、若かりし頃、上野駅から東北方面へ長距離で乗っていったタイプです。
座席の片方の下に缶を差し込んで寝やすいようにしたり。

オハ35形の客車内では新幹線の現役運転士によるピアノ演奏があって、お弁当を購入して聴くことができたり、夕方からはビールおつまみセットと混みで聴くことができます。
CDも出していたりするかなり上手い方です。

オハ35形の車内
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そういえば、あの頃の電気機関車の懐かしい警笛の音を117系(佐久間レールパーク1号です。)は出してくれるんです。懐かしかったなあ。
中部天竜駅での発射の合図音は、なんとSLの汽笛です。

他にも興味深い車輛が沢山あります。

ラッセル車が何故か展示してありますが、飯田線には使うことはなく、高山線と東海道線関が原近辺でしか使わないものを、わざわざこのイベントのために持ってきたそうで、これもファンの人気は高い。

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モハ52形
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キハ48000形
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119系デビュー色
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Nゲージ
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プラレール
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プチテッチャンの小生はとても楽しんでいますが、演奏をしなければいけませんね。
野外ステージで11時と13時30分の二回です。
P.A.はありませんが、十分に聴こえる環境です。
アンプでギターだけ若干増幅しました。
お昼を食べながら聴いているお客さんが殆どですが、真剣に聴いてくれるお客さんもいます。

3日目と4日目はJR東海のブラスバンドが対バンでした。
都市対抗野球の応援なんかに駆り出されるそうでチューバやバリトンサックスも入った本格的なものです。

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地元の方達による手造り料理も販売されていて、これが安くてとても美味しかった。
こんなところは遠刈田大道芸と似た雰囲気です。
全体的に好天に恵まれて、汗ばむ陽気でしたが、特に二日目の日曜日は朝から晩まで雲ひとつない快晴。
この日は、JR東海職員の計らいでレールパークに程近い佐久間ダムを見学させていただきました。
昭和30年代前半に出来た巨大ダムです。
この付近は岩盤がとても固く工事も難航したそうで、当時の苦労が偲ばれます。
ユンボやパワーシャベルも国産はなくて、輸入したそうだというので驚き。
絶景であります。

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ダムの上から
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ダム湖
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5日間、中部天竜と豊橋を往復し、すっかり駅の名前もなじんでしまい、車窓からの美しい眺め、平野部では刈り取り前の稲の美しさ、山間部ではダイナミックな川の景色等々堪能しました。
しかしこの区間の飯田線はほんの一部で、全線198km、駅数は94駅あるそうで、駅の表示にも全駅書ききれないようです。
中部天竜駅という昔ながらの駅の雰囲気を堪能して、JR東海職員の皆さんの熱意を強く感じた6日間でした。
JR東海職員の皆さん、ありがとうございました。
初めは、飽きるかなとも思っていたのですが、とても楽しくあっという間に過ぎた6日間でした。
最後に、豊橋名物という餃子を食べてから帰路に着きました。

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来月10日から12日までの3日間もやりますよ。
ではでは

2009年10月16日

JR飯田線と佐久間レールパーク・完結編

皆様、こんばんは

10月10日~12日のJR飯田線・佐久間レールパークツアーを終えました。
これで9月からやってきた全日程を終了です。

この三連休は行楽日和の好天に恵まれました。
お客様も相当に来場されました。
11月1日が閉園なので、徐々にお客様も増えているようです。

石垣にいたとき、台風17号、18号が日本に近づきつつあり、18号の影響が本土に及ぶ前に帰ってきたのですが、その1日後、18号は愛知県に上陸、丁度飯田線沿いを北上し、飯田を通って本土縦断ルートをたどりました。

大丈夫だったのかな。土砂崩れや架線切断で不通になっていたりしないのかなと思っていましたが、その旨の連絡もないので無事だったんだなと。
そういえば、佐久間ダムに行ったとき、この辺りは地盤が固いので工事に大変苦労したことを聞かされていましたので、地盤の固さもあるのかななどと推測したり。

さて、三連休は、絵に描いたような秋晴れ。
温度も上がって日中は暑かった。
9月に5日間やっているので、要領は得ています。
駅名も結構覚えたし、景色のイメージもわきます。

ピアノの形をした店舗、楽器屋さんでしょうね。車窓から。
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10日と12日の相方はfl.の石井幸枝さん、11日はtb.の堂阪智之さん。
お二人ともイベントの趣旨をよく理解してくださって、お互い楽しく演奏できたと思います。

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台風の影響と言えば、レールパークのステージの屋根が飛んでしまってなくなっちゃったことと、ついでにステージにしている平台も飛んでいってガラスを割ったとか。
どこのガラスだったのかな。
列車かしら。
屋根は、あまり日除けの効果はないのかなと思っていましたが、あるのとないのではかなり違いました。
炎天下、真夏のような暑さでした。
聞けば、この中部天竜という土地は、暑さ、寒さが極端なのだそうで、それもうなずけます。
特に11日の日曜日は暑かった。
この日だけで来場したお客様も4800名と賑わいました。

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この連休は、レールパーク1号2号の他に更に臨時列車のレールパーク91号92号も出ています。
自由席は立ってるし。
お子様連れの方、家族連れの方も多いのですが、いかにもマニアという感じの方も多々いらっしゃいます。
3日間いらっしゃるので顔を覚えちゃいますよ。
9月にもいたような気もするし・・・・・・・。

しかし、マニアの方というのは奥が深いですね。
車輛の写真を撮るのはよく分かるのですが、車輛のビスの写真ばかりを撮っている方もいらっしゃいます。
これはどういうコレクションあるいはこだわりなんでしょうか。

10月になると乗れる公開展示車両(車内に入れるということです。)が変わり、実はこれも楽しみだったのですが、モハ52形という戦前、京都・大阪間を36分で走ったという当時の代表的高速電車です。
フロントがとても優美な曲線を描いていて、モダンなデザインですね。

モハ52形
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車内も落ち着いた感じ。

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モハ52形の運転室。ここには入れません。
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お昼休み等の空き時間は涼しく寛げる空間を求めて、付近を散歩したりしていましたが、結局この車両の中が風が通ってとても気持ちが良くて、座席に座ってついうとうととしたりしていました。
年配の方が座席でにんまり。なんだかとても良い表情をしていたのが印象的でした。

涼しい空間、近所の吊橋。通学路になっています。
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吊橋から川を臨む。
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鮎目当ての釣り人もいっぱいいます。
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吊橋の上からでも見える魚。この大きさは鯉ですかね。
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相変わらず、JR東海の職員の方は大車輪の活躍で、本当にお疲れ様です。
11月1日の閉園までは土日祝日は泊り込みで仕事だそうですから頭が下がります。
応対や案内も丁寧で、なんだかJRの職員を見直したなあ。失礼・・・・・

鉄道に特に興味のなかった石井幸枝さんの感想が印象に残りました。
「今まで全然意識していなかった駅員さんとか鉄道の人達の一人ひとりの顔に注目するようになっちゃった。」

わかります。
どんどん合理化、機械化され、コンピューターによる制御がますます進んでいく鉄道にあっても、これを動かしているのは伝統を受け継いでいる鉄道マン、人間なんですよね。

そんな鉄道マン根性を体感できた貴重な体験でもありました。
参加いただいたミュージッシャンの方々、そしてJR東海の方々、ありがとうございました。

豊橋のホテルからの夕焼け。あまりにきれいだったので。
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2009年12月10日

冬の遠刈田ライブと常磐ルート

皆様 こんにちわ。

先週の土曜日は、宮城県遠刈田温泉の喫茶店「キャロル」で単独ライブを行なってきました。

遠刈田温泉といえば、毎年6月の第一土曜・日曜に行なわれる大道芸フェスティバルに参加させていただいていますが、今回は単独。
一つには、大道芸でも演奏する喫茶店「キャロル」は、広くて演奏しやすく、なおかつとても音楽的な空間で、この場所で落ち着いた雰囲気の中で演奏してみたいとかねてから思っていたこと。
また、寒い季節の遠刈田温泉の佇まいにも興味があったこと。
これも大きい要素ですが、土・日高速1000円てやつですね。
あと、大道芸の際はとても忙しくて演奏をじっくり聴く機会がない遠刈田温泉の皆さんに楽しんでもらいたいという気持ちが以前からあって、これらと時期的なタイミングがあったということでしょう。

今年は、まだ本来の冬らしい寒さが来ていないこともあって、道路の心配もさほどなく順調に到着。
これも、大道芸の際には混んでいてゆっくりと楽しむ余裕が無い鴨そばをじっくりと堪能。
夜はあいにくの雨となりましたが、野外イベントではないので心配はありません。
お客様は、地元の方々、旅館に宿泊している観光客の方々、仙台からも仲間が駆けつけてくれて、楽しい一夜になりました。

沖縄でもソロ・ギターでツアーをしてきて、最近はこのスタイルも気に入っているのですが、ごまかしが効かないまたは延々とごまかせるというところが難しい。
クラシックギター的には前者、その他的には後者で、この両者のバランスも考えなければいけません。
前者ばかり気にしているとブラジルスタイルのノリが失われてしまうし、そうかといって後者ばかりというのもだれてしまうし。
正味2時間。
最近良くやる作曲家別特集みたいなプログラムです。
そしてアフターアワーは、酒解禁のセッションタイム。
これが楽しみでもあります。

アフターアワー・セッション
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思っていたとおり、喫茶店「キャロル」という環境での夜のライブがとてもいい雰囲気を創ってくれました。
準備をしてくれた遠刈田の皆さんに感謝します。

翌日は、とても良い天気。
今回は別ルートで帰ってみようと考えていまして、つまり常磐ルートです。
東北道だと、宮城・福島・栃木・群馬・埼玉・東京・千葉と帰ってくるのですが、今回のルートは、宮城・福島・茨城・千葉と簡略化されます。
で、日曜日1000円のうちに水戸まで移動してあとは一般道で行こうと。
月曜日に戻ればいいので、途中、水戸で一泊することにしました。

14時頃出発して水戸着は17時頃。
その日は疲れもあって早々に就寝、翌朝は6時起きで、30分ほどで行ける那珂湊漁港へ。
ここは茨城県でも有数の魚市場で、水揚げ直後の新鮮な魚が安く手に入ります。
早朝の市場の活気も楽しく、なんだかわくわくします。

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これで1200円
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朝食と買い物を楽しんで、8時半頃出発。
前夜休息を十分にとったので今朝は快調です。
国道51号はあまり信号もなく、大洗・鉾田・鹿島を通って利根川を渡り千葉県へ。
途中、原子力開発機構と鹿島サッカースタジアム近辺は特に道路が良くなってました。

鹿島スタジアムの偉容
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利根川沿いのバイパスを走って印西市から南下して帰宅。
のんびりと走っても昼前には到着できました。
天気が良かったので、鹿島灘の海が太陽に輝いていて、海から離れてもぽかぽか陽気で気持ちのよい帰路でした。
このルートは初めてでしたが結構いいですね。
というわけで、今年は二回目の遠刈田温泉。
来年もこんな展開を更に発展させると面白いだろうな。
ではでは

2010年05月13日

2010年春の沖縄・八重山ツアー・序盤

皆様、こんばんは
恒例、春の沖縄・八重山演奏旅行から戻ってきました。
数えてみると、今年で8年め。
短いようで結構長く続いているものです。

今年は4月23日から5月10日までの18日間。
那覇→石垣→黒島→鳩間→石垣伊原間→石垣大川→南城市→座間味島→帰京
という行程です。
演奏形態は三種類。
ソロ・ギター、ジャズバンド、サンバ。
ソロ・ギターが結構多いこともあって、ギターは二台持っていくことになりました。
両手が完全にふさがるので雨が降ったらお手上げ。

23日は東京がとても寒かったので沖縄の暑さに期待して行ったら、涼しい。結局八重山までは長袖でした。
当日の桜坂「SACRE」はソロギター。
やっぱり二台持ってきてよかったなあと実感しました。
お店の基本はジャズですが、ライブとなるとお客様の楽しむ音楽のスタイルはあまり関係ないようです。
美可さんの素敵なボーカルも聴けて、ここでの演奏もとても楽しい。


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美可さん(vo.)
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翌24日
同じく桜坂の「R-Green」は新装オープン記念ライブ。
店が広くなり、演奏するスペースがとても贅沢に取られています。
メンバーは千葉俊行(ts.ss.)、リンタロウ(as.)、蔵方正仁(b.)、小生(g.)。

ところで、この日お昼に入った台湾系お粥屋さん(浮島通りが平和通と交差する手前左、客席数6)はとてもよかった。何がよかったかというと、美味しいことと値段が安いこと。高くて美味いのは当たり前。ここは大250円小150円程度でおかずも300円くらいまで。500円もあれば満腹。味は全てのバランスが取れているという感じ。屋台に毛の生えたくらいの作りも味がありました。

ベースの蔵方さん(那覇市在住)と話していると、なんと高校が同窓であるということでびっくり。
同業者で高校の同窓生とは今まで会ったことがないのに、よりによって那覇で会うとはね。

さて、演奏は室内に満員のお客様とバーベキューの煙が充満する中、始められました。

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千葉さんの選曲でオリジナル曲も含めてゴリゴリのジャズ。でもなんだろう。とても演奏していて楽しい。何故か開放的な気分になれる。ブラジル音楽を演奏しているときの感覚にとてもよく似ています。
かつて、ジャズを演奏していたときはこうはいかなかった。
お客様もとても楽しんでくれているようで、演奏者の楽しさがお客様に伝わっているという意味で、サンバの演奏と似た感覚を実感できたのかと思います。

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しかし、いつもの年に比べてとても涼しいというよりは、夜になると肌寒い。
沖縄をあまり実感できない天候です。

25日は石垣入りです。

石垣も涼しい。どうしちゃったんでしょうね。
今日は、トライアスロンで市内への車の通行が制限されており、タクシー運転手が大渋滞だとぼやいておりますが、4~5分の停滞ならどうってことないでしょ。

本日は、登野城の「STERRA」にてソロ・ギターのライブ

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ゲストに野底在住のジャズボーカリストの千里さんが加わります。

千里さん(vo.)
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彼女とはベーシストのだんなさんも一緒に八重山での最後の日まで絡むことになります。

29日のリハーサル30日のライブまで暇です。

あまり天気も良くないし、市街地をぶらぶらしてもしょうがない(今年はいつも車を借りるT先生が転勤したので車がありません。)ので、練習したり知り合いと飲みに行ったりでゆっくり過ごします。

小生は、話題のお店の何やらを食べたいとかいうことに関しては全く興味がないので、地元の普通の食堂や普通の弁当や普通の酒で十分満足。
鳩間島の友人が石垣に出てきてフサキリゾートでご馳走になったのが唯一の贅沢かな。

27日は浦崎一門のTさんが教頭を務めている黒島へ。
雨でとても涼しく寒いくらい。

天気が良ければ海へ行ってみたりするのですが、車で島内散策。
牛が多い平べったい島です。お盆を裏返しにしたような感じ。

悪天候に付きこんな愛想のない写真です。
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みゃーみゃー鳴き声がするので子猫でもいるのかなと探してみても姿は見えず、これの正体は孔雀。
小浜島のリゾート施設から逃げ出して小浜で野生化したのが黒島まで飛んできて繁殖しているとのこと。畑を荒らすので歓迎されざる存在ですが、ハブは食べるとのこと。あの羽はサンバダンサーには垂涎の品でしょ。害鳥だから文句を言われないかもね(この点は分かりません。)。
夕食後T教頭と彼のオリジナル曲の音合わせをして、ライブに呼ばれている民宿「南来」(なんくる)へ。

ここのご主人Fさんの三味線がとってもファンキーでした。
前ノリのリズムでぐいぐい行く感じ。
Tさんと黒島のメンバーと共に鳩間の音楽祭にも出演するということで楽しみ。

黒島から戻って、鳩間島へ食料を送ったりなんだかんだ。しかしこの時期に鳩間行が欠航になったのは珍しい。やっぱり天候が変。今年は例年のようにピーカンの音楽祭とはいかないかもと一抹の不安。

30日はパパビゴーヂでITA e KAZUのライブ。
この頃になると、我々の仲間達、サンバ関係者も石垣入りし始めています。
久々のデュオライブはしっとり系から踊れるサンバまで幅広く演奏。
ラインなしのクラシックギターで演奏。
十分な音量が得られてやりやすかった。
お客様も十分に楽しんでいただけたようでいつもながらの楽しい一夜でした。

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翌5月1日は鳩間入り、1便で行くつもりなのであまり遅くならずに帰りましょう。

(鳩間島編に続く)

2010年07月25日

福井・大阪・尾道・高松

皆様、こんにちは。
大変ご無沙汰いたしました。

さて、今回は7月17日~22日までの福井・大阪・尾道・高松の旅の模様を記してみます。

この週の前半は不安定な天候が続いていて涼しかったりした日もあったんですが、出かける前日あたりからは突然暑くなってきて、福井へ着いたら関西、北陸、関東甲信越まで梅雨明け。日中は36度の猛暑です。

福井は結婚式の仕事二題。

本日の会場、ポルトガル料理のお店「バスコ・ダ・ガマ」
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珍しいポルトガルのグリーンワイン、スパークリングですがシャンパンより美味しいかも
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最近、ボサギ道場で取り上げる曲も結婚式ではNGか否か考えてしまいます。
これが結構面白い。
ボサノバは軟派な歌詞が多いですね。
あまり気にしなくて大丈夫。
サンバは大変。
惚れた分かれた生きるの死ぬの・・・・生の感情が吐露された歌詞が多い。
ただ、メロディの雰囲気と歌詞の内容はかなり異なっていて、歌詞さえ(当然題名もですが)知らなければ非常に美しい曲がいっぱいあります。
ギターでメロディだけ奏でるのであれば曲調でOK。
例えば、Triste(悲しみ)、曲調は始めから最後まで明るい。
Tristeza(悲しみ)、これも曲調は始めから最後まで明るい。
Felicidade(幸せ)、題名に反して、悲しみは終わらないが幸福感はすぐに終わってしまうという歌詞が冒頭にきます。曲調は7-3で明るい。
一例ですけれど、こんな見方も結構面白い。

18日の披露宴は人前婚から続くフォーマルな披露宴。
それなりに選曲します。

本日の会場
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最後、新郎新婦がご両親に花束を渡してお礼の言葉を述べてから、打ち揃ってお客様に挨拶しお客様御退出の場面の演奏は選曲とも任されていたのですが、最後に演奏せずに残っていた、ブラジリアンクラシックギターの名曲、Joao PernambucoのSons de Carrilhoesを演奏しました。
演奏していた本人がびっくり。
場の雰囲気が一変して、まさしく「お開き」という雰囲気になってきます。
こんなに「お開き」にぴったりの曲だったんだ。
Sons de Carrilhoes の意味も鐘の音という、まさしく教会の鐘の音をイメージするメロディで場にもぴったり。
場に合わせて、はしょったりして終われてしまう、しかも荘厳な感じで、というところが演奏者からしてはおいしいですね。

というわけで、福井の仕事二題も無事完了。

小松までは飛行機での移動でしたが、次の大阪、尾道、高松はプチ・てっちゃんとしては当然各駅停車の旅です。

19日、本日の大阪・肥後橋駅着が15時頃指定。福井発は10時過ぎ。各駅にしても多少調整は必要です。
敦賀で途中下車、お昼にカツ丼、当たり前のソースカツ丼を食べます。美味しい。

敦賀駅
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10分弱も走行している北陸トンネルもよかったね。

敦賀からは、速いですね。姫路行きの新快速湖西線経由で大阪まで真っ直ぐ。
猛暑日なので琵琶湖が湖水浴場になっていてすごい人出。
しかし、流れ込む川が結構濁ったりしているのは大丈夫なんですかね。

琵琶湖
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大阪、久し振りのChove Chuva。

本日は、毎週月曜恒例のRoda de Choro に合わせてのソロライブ。

ソロ・ギター
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大阪の濃い聴き手を意識しながらマニアックな曲を選曲します。
演奏者としては、テクニック的には難しいのですが、実はこれが一番やりたかったプログラム。緊張します。
でもこの緊張をほぐしてくれるのはやはりお客様なんですね。
聴き手の気持ちが直に伝わってくるような感じがすると後押しされます。
一人で聴き手と対峙するというのは、真剣勝負という面もありますが、小生にとっては聴き手と一緒に音楽空間を創り上げていくという感が強いです。
今晩もお客様に随分助けられて充実した演奏をすることが出来ました。
楽しかった。

後半はセッションも
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Roda de Choroの様子 
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翌20日は、尾道へ移動なので、古くからのサンバの先輩、鳩間ライフの後輩Iさんと昼から梅田で串揚げ&ビールなど。

本日、20日もピーカンの猛暑。
今日は尾道へ移動です。
今日の移動はちと長いけれど、17時頃に会おうと指定されているので余裕はあります。
大阪から相生、相生から岡山、岡山から尾道と乗り換えて尾道着。
本日の目的地は、とても楽しみにしていた尾道は妙宣寺。
山陽本線は尾道付近になると景色が変わってきます。
右手が山肌、左手が瀬戸内の海というよりは造船所の景色。

尾道駅前
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本日は、今後のライブ会場になろうかという妙宣寺の下見も兼ねています。
などと言うとおこがましいのですが、知人に紹介していただいた音楽好きの住職のいる古刹
です。
尾道は初めてなのでとても楽しみにしていました。
前評判どおり坂と階段が多く、古くからの町並みが残されている美しい街でした。

尾道の町並み
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時計屋さんの看板が面白かったので
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でも一番印象に残ったのは、妙宣寺の住職(正式には副住職ということですが住職の方が分かり易いのでこの呼称にしましょう。)のKさんでした。
八重山や沖縄に行ってもこのパターンは多いですね。
まずは、K住職お勧めの尾道ラーメン。

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休日には行列を作って食べているとのことですが、そんなもんじゃあないだろとおっしゃっておりましたが、行列嫌いの小生としては全く同感。
そしてやはりK住職お勧めの銭湯。
この銭湯は昭和30年頃の小生が生まれた頃の雰囲気全てが(つまり良くも悪しくも)そのまま普通に残っていて、感涙ものでした。

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そして妙宣寺。

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小生が泊ったのはここ。お賽銭を投げられて仏様になってしまいました。

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で、本堂はグランドピアノが常設しており、そこでのコンサートが可能です。

本堂
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たまたま本日はK住職が主催する篠笛の会が本堂隣の大広間で開催されておりました。
本日は20名くらいの参加ということで、会の後、妙齢の女性2名と小生、住職とで合コンと相成りました。
住職が明日の朝が5時30分から用事があるということで、それでも24時過ぎまで飲んで、一旦大広間へ引き上げてセッション開催。
というのは、住職はミュージッシャンでもありまして、篠笛もその一環で、お寺は文化の発信地たるべしという考え方の持ち主。
本堂でも時々コンサートをやっているとのことです。
で、本人は、ロックギターなんだよねということで、小生のギターに絡んで楽しいセッションでした。
そういえばこの大広間を見てみると、生ビールサーバーが置いてあるし、焼酎やら何やら寝袋だとかすぐに合宿できる状態です。
で、住職は、本日―もう昨日か―出会ってから今までずっとお坊さんの衣装のまま(もちろん居酒屋でも)というのもとても良かった。
特にお坊さんの衣装でロックギターを弾く(相当うまいと思う。)なんてえのは粋ですね。
本堂は、エアコンがないので、閉めきって丁度良い状態の秋が良いかなあということで、是非コンサートをやりましょうということになりました。
さすがに本堂では飲めないけれど、生ビールサーバーが置いてある大広間は戸を開ければ隣ですから、芝居の幕間の感じで飲み食いできますね。
これは相当に面白いと思います。

さて、翌21日は高松へ移動です。
尾道は駅周辺はアーケードが長くて、早朝からの過酷な陽射を随分と和らげてくれました。
それにしても、駅方向からの通勤・通学の自転車の群れは凄かった。
しかし高松の自転車の群れはもっと凄かった。
ということで、本日は高松へ移動、市内でライブです。

お勧めの宇高連絡フェリーに乗るために、岡山から直通で1時間弱で高松に着くところを宇野経由で3時間かけるスローな旅です。
宇野線は超ローカル線という雰囲気がとてもよかった。
宇野駅は線路止めがある文字通り終着駅。
ここから猛暑の中、国道フェリーの乗り場まで徒歩10分。あつーーーーい!!!!!!
フェリーの所要時間は1時間。
景色もよく、空いているのでのんびりと楽しむことが出来ます。
料金も390円と安い。

宇高国道フェリーから
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高松の町が見えます
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高松港では今回のライブをプロデュースしてくれたOさんがレンタサイクルを用意して待っていてくれました。

有名人Oさん
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高松では自転車が重要な交通手段だとかで、確かに走ってみると自転車がやたら多い。
しかも流れがスムーズ。車が遠慮している感じ。これはいいですね。
高松は、おわんを逆にかぶせたような山々が周りを取り囲んでいる、日本昔話のような景色ののんびりした街でした。

高松のライブ会場はカレー屋・六ろく

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もう20年近く前にサウーヂで一緒だったブラジル人のRさんが在高松ということで駆けつけてくれたり、おなじみ在高松のユーイチ君も加わって、前半はリラックス系のソロギター、後半はサンバセッションを楽しみました。

旧友Rさん
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ソロ・ギター
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最後は皆で楽しみます。
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さすがに高松、到着してからうどんしか口にしていません。
夜食もうどん、しかもカレーうどん。そして翌日も。
しかし噂に聞くうどんの国、高松のうどんは美味しいですね。
「腰のある麺」と表現される麺がうどん・そばとも単に固いだけでちっとも美味しくないとの印象しか今までなかったので、「腰のある麺」という陳腐な表現を使ってほしくないです。
もっちりとしていて麺にほのかな味があるとでも言うのでしょうか。
確かにこれなら毎食いける。しかも安い。

帰りは、高松空港から羽田まで1時間でした。
短い旅でしたが、夏らしい天気と面白い人々との出会いも会って楽しい時間を過ごせました。
またこのルートで演奏旅行をしたいものです。

ではでは

2010年08月20日

小湊鉄道小旅行と夏休みBBQ

皆様、こんばんは。

猛暑日が続いております。
ここのところ少しは暑さも和らいできたような気がしますが、まだまだ残暑は厳しそうです。
ご自愛ください。

さて、そんなお盆の真っ最中、かねてから機会があれば実行したいと考えていた房総半島の内側から中の方ヘ走っていく小湊鉄道の小旅行を挙行しました。

千葉県市原市の五井という駅から終点上総中野(大多喜町)という駅に至る約39kmの鉄道です。

なぜ、気になっていたかというと、昨年、大多喜町のハーブガーデンという場所で仕事をした際、現地までは車で行ったのですが、道すがら田んぼの真ん中を走っているとても素敵な線路の情景がしばらく道路沿いに続きました。
非電化なので線路が唐突に現れる感じで、雑草なんかも生えていてとてもいい感じ。

走っている列車もおそらく国鉄(JRではないと思うのですが)払い下げ車輛と思われる古色蒼然とした気動車。

非電化路線というのは関東のJRにもわりとあって、例えば、八高線の一部、小海線(今は路線名が違うらしい。)とか・・・、ただ走っている気動車は殆ど新しくきれいな車輛です。全国的にもそのようですね。もちろん利用者にとってはその方がよいのですが、プチテツ車輛系の小生は往年のベージュと赤のツートンカラーの気動車にこだわりがあります。

在りし日の米坂線、只見線、小海線、羽越本線、磐越西線、八高線、花輪線等々。

で、小湊鉄道は私鉄ですが、いまだにキハ200系という件の車輛を大事に走らせているのです。
しかもあの線路の佇まいの中を。
これは乗らずにはいられない。

たまたま、知り合いの写真家・野外料理研究家のOさんがその沿線に移り住んできたということで、小湊鉄道乗車、Oさん御宅訪問小旅行と相成りました。

この猛烈な暑さの中、家人と娘は、小湊鉄道の終点まで乗ってまた引き返してくるという愚行はパス。Oさん宅最寄り駅の上総牛久という駅で待ち合わせることに。
更に、谷中紙芝居演者のB女史、Tちゃんも参加。
となると、家族が同一目的地なのに鉄道をフルに使うというのは経済的ではないので、小生のみ上総牛久駅付近の光風台という駅まで車で行き、駅に車を置いて(1日置いても200円です。)小湊鉄道に終点まで乗って引き返す目的を果たした後に、車で拾うという方法を取りました。

光風台駅までは家から一時間半ほどで到着、弁当を買って駅でお昼。
列車を待っているのは鉄道ファン風の人、一人。

往復でも料金はそのまま払うことになるので、1日フリー乗車券1700円を購入。
一日に4本しかない終点まで行く列車に乗り込みます。

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光風台駅から南側を臨む。ここは有人駅です。
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光風台駅に入線するキハ207
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上総牛久駅までは、一時間に1本ほどで運行しています。
当然単線。

キハ207
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行先表示、これは一日4本です。
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キハ200系の車内はロングシートで、冷房はあるのですが、ドアの上、側面に取り付けられている旧型のもので(当然ですね。)あまり利きがよくはありませんが、扇風機が回っています。
ただ、効き過ぎて痛いような今の電車の冷房に比べるとずっと優しい印象を受けます。
昔は、冷房車なんかなかったんですから、このくらいの利きでもとても涼しいと感じられたのでしょうね。

キハ207の車内後方、ゆらゆら揺れる吊革が懐かしい。
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キハ207の車内前方
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駅は始発駅の五井駅を含めて18駅、そのうち有人駅は4駅。要はほとんどが無人駅です。
この佇まいがまたなんともいえなくよい。

どこかの無人駅
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上総牛久駅を過ぎると、段々と街並みが遠くなり、人家もまばら。
低い山と田んぼの、緑のとても濃い景色が続きます。
時々無人駅に、変わった姿の案山子が林立しているのも面白い。
左右に生い茂った草を掻き分けるようにして進んで行きます。
実際、線路上の雑草も結構茂っていて揺れもかなりのもの。
庭だか、駅だか、道路だか分からないような駅もあります。
この感じは昨年仕事で通ったJR飯田線と似ているものがあります。
が、こちらの列車の速度はJRよりかなり遅い。

終点の一つ手前、養老渓谷駅から次の終着駅、上総中野駅までは一日4本しか列車がありません。
さすがにそれだけしか列車が走っていないせいか分かりませんが、養老渓谷駅から先は森林鉄道のような趣を呈してきます。揺れも横揺れだけでなく、車に乗っているような前後への揺れも感じられます。
この区間の景色はとても素晴らしい。
で、終点上総中野駅着。

上総中野駅
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乗客はお盆期間中ということもあってでしょうか、意外に多いというよりは、写真を取っている人達が大変多い。
途中の駅や沿線にもそのようなマニアっぽい方々が多数いらっしゃいます。
首都圏でこのようなロケーションはここしかない路線なので、テレビや映画のロケに多く使われている人気路線ならではの光景です。
しかしこの路線は観光路線ではなくあくまでも生活路線です。

上総中野駅の写真など撮っているうちに、着いた列車は4分後に折り返します。
誰かの「発車するぞー。」という声にあわてて戻ります(鉄道関係者ではなかったな。)。
これを逃したら次は一体何時間後に出るか分かりません。

貴重な路線、小湊鉄道の小旅行を満喫いたしました。

光風台駅から去り行くキハ207
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上総牛久駅でOさんやうちの家族、B女史、Tちゃんと合流。
次の目的、Oさん宅でのBBQの準備をします。

野外料理研究家のOさんの指示に従って、野菜を含め食材は一切切らないで炭にくべていきます。

Oさんの指示
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自宅内のBBQ場
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BBQ前の談笑
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Oさんの愛犬 こなつ
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野菜は丸ごとアルミホイールにくるんで、肉、魚類は網や鉄板上です。

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これが驚くほどに美味しい。
別に特別な材料を使っているわけではないのですが、素材の味が生きています。
もともと高級食材やらブランド野菜やらグルメなんたらかんたらのマスコミ的拝金主義的いんちき料理が大嫌いな小生としては、我が意を得たりの料理法。
炭の力が大きいのでしょうね。
そもそも野菜を食するのには、旬の物に調味料を何も加えないのが一番美味しい筈です。
このことは、小生も千葉県に移ってきてから学んだことですが、さすが野外料理研究家!!!!!
おそれ入りました。
最高に美味なBBQを堪能しました。

翌日は、相変わらずの猛暑日。
娘の希望は、滝で泳ぎたい。
調べてみると、養老渓谷の粟又の滝というのが有名。
そう言えば、昨日養老渓谷駅で「粟又の滝」行きのバス案内を見かけたような気もします。
小湊鉄道というのは、千葉県内ではバス路線を相当に多く持っています。
たぶん観光スポットで、日曜日だし混んでいるのではないかなと思いましたが、ここまで来たのだからと、昨日は小湊鉄道で行った上総中野方向へ車で向かいました。
何年か前にシマ部の連中と行ったこじんまりした滝は覚えているのですが場所が分からない。
あそこは素朴で水もきれいで良かったな。

案の定「粟又の滝」は観光スポット。
滝に浸かることもできるし、やろうと思えば泳ぐことも出来るのですが、人は多いし、水は冷たくて気持ちは良いのですが、多少濁っていて金魚鉢の匂いがするし、ま、適当に涼んでというところ。

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滝、川、泳ぐといえば、屋久島の永田は最高でした。
贅沢な想い出ですけれど。
そうはしつつも、非日常的な気分を楽しんで、帰路へ。
途中、昨日BBQの材料を買った市原市内の激安スーパーへ寄って来週の我が家の食材を買い込むことも忘れませんでした。

久し振りの夏休み家族小旅行、とても楽しかった。

お世話になったOさん、ありがとうございました。
そして、小湊鉄道 http://www.kominato.co.jp/ は是非あの佇まいを末永く保存していただきたいものです。
本当に貴重なものです。
興味のある方は一度経験してみるといかがでしょう。

ではでは

2010年09月16日

仙台・定禅寺ジャズフェスティバルとNASHでの再会

皆様、こんばんは。

9月11日、12日と仙台定禅寺ジャズフェスティバルに行ってきました。
ジャズフェスティバルとは銘打っていますが、基本的にはジャンル問わずのお祭です。
ただ、規模が大きい。

仙台市の中心街、青葉区、宮城野区で46ステージ、参加バンドは約750。
野外を中心にホール、室内まで二日間でこれだけやるのはすごいですね。

仙台というよりは、仙台のサンバ愛好者達とは古くから縁がありまして、元々はサウーヂに参加した頃から、サウーヂ自体が仙台サンバクラブと深い交流を持っていて、一時期は仙台サンバクラブが浅草にもバスをチャーターして参加した時期もありました。
もう20年近く前ですけれど。

当時、仙台のサンバ事情は東京より進んでいたように思われました。

その当時聴いたことがなかったようなサンバを意欲的にどんどん取り入れて演奏していました。
我々も随分刺激を受けて、サウーヂとして定禅寺ジャズフェスティバルに仙台サンバクラブと合同で参加したこともあったし、バンド単位でもITA e KAZUで仙台、白石へ演奏に行ったり、その度に、仙台の仲間達と親しく交流させていただきました。

その流れは、今でも遠刈田大道芸フェスティバルに脈々と受け継がれているわけです。

小生は、今年久し振りに仙台の仲間達とバンドで参加。
天候はいまいちでしたけれど、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。

9月11日は、古い仲間達を中心とした「ベーリャ・仙台」のステージを楽しみました。
もう10年ぶりくらいに見る顔が元気にサンバを奏でています。
もちろんよく見る遠刈田の顔と一緒に。

以前、と言っては失礼ですね、今でも仙台の朝の顔である元東北放送の森さんのモリトーラが、美声でカルトーラを唄えば、古くからの仙台の名バテリア、フルチーニョが絶妙に絡んで、弦、コーラスも暖かく包んでいくという印象かな。
年輪を経たサンバはいいなあとしみじみ思いました。
音楽は、年輪を経たものもそれなりの味わいが出るというところがいいですね。

モリトーラの軽やかなボーカル
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トークも絶妙
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各メンバーも唄います
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渾身のショーロ
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エンディングは踊れるサンバで
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ダンサーも登場
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若い頃は、色々とやろうしたしやってみたけれど、色々とあって、年輪を経た今は出来ることと出来ないことはわかっているし、無理することが音楽ではないし、自分達が楽しんでいる音をお客さんに伝えてお客さんと一緒に楽しみたい、そんな無理のない姿勢が伝わってくるとても良いステージだったと思います。

その夜は、以前仙台に遊びに来ていた頃お世話になっていたZUTTOというお店で打ち上げライブ。

実はこのZUTTOは、以前一旦閉店して、マスターのOさんが世界放浪の旅に出て、最近また開店したというお店です。
規模はうんと小さくなったけれど、音楽的な匂いがするとても良いお店です。

ここで、小生のCD、「旅の終わり」特にタイトル曲の「旅の終わり」が受けているということを聞いてちょっとびっくり。特に50代の男性に受けているようです。

前半はソロで、後半はやっぱりパゴーヂで楽しみます。

再開なったZUTTOにて
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翌12日は雨がちで一気に気温が下がりました。

思えば、7月末に福井、大阪、尾道、高松と旅した(このブログにもあります。)頃、福井で35度だったのを皮切りに、今までずーーーっとこんな調子の温度。
一気に20度というのはちょときつい。

バンドは、福田さんのバンドリン、ギター、齋藤よしえさんのボーカルに小生のギターで雨がちの中、楽しく終えました。
この顔ぶれも久し振り。
皆、音楽の楽しみ方を知っている楽しい仲間なので今後も何らかの形で続けて行きたいねということになりました。

雨がちでお客さんも大変です
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仙台の仲間達、ありがとう。
これからも一緒に音楽をやっていきましょう。

長く音楽をやっていると出会い・別れ・再会と色々なことが音楽と共にやってきます。

仙台から帰ってきて翌13日。
新小金井NASHにて、小生、鈴木厚志(p)、石井幸枝(fl)のライブ。
後半はセッション型なのですが、ジャズギタリストの宮の上貴明さんが参加。
日本ではWes Montgomeryスタイルの第一人者です。

宮の上さんは、小生が25年位前、まだジャズをやっていた小僧っ子の時代に交流があった人。
当時から、彼は名手で憧れだった人です。

約25年ぶりくらいの再会。

一曲演奏してもらいました。
相変わらずの素晴らしいテクニックは圧倒されます。
今でも日本のジャズギター界を代表するプレイヤーであることは疑いありません。
当時から、一流なのに偉ぶらず、一緒に飲んだりしていましたが、今でもその気さくさは変わらず。
小生と二歳しか違わないのに、もう二人お孫さんがいるということで、本日もお孫さんとの遊園地の帰りだということでした。
思いがけず旧交を温められて本当に良かった。
こんなふうに、NASHもとても面白いですよ。

音楽も長くやっているといろんな出会いや別れがありますが、旧交を温められる、それも単に出会うだけでなく音を通して色々なことが甦ってくるというのは、音楽をやっていて良かったなあという瞬間の大きな一つです。

ではでは

2010年12月18日

2010年冬の北陸・大阪・四国の旅

皆様、こんばんは

12月6日から13日まで北陸、大阪、四国と回ってきました。
この旅は、今年の夏に行った福井・大阪・高松が基本になりますが、今回はメンバーが3人、おなじみピアノの鈴木厚志さんと新メンバー、フルートの石井幸枝さんです。
石井さんは昨年、JR飯田線とレールパークでの演奏でご一緒しており、最近はちょくちょく演奏の機会があります。

福井での演奏日12月8日に福井駅集合とだけ決めてあるので、1日早く出発して能登空港から輪島へ行ってみました。

12月7日、今日の能登は天気もぐずついていて、とにかく寒い。
輪島は、20年近く前に一度行ったことがあります。
当時は鉄道路線があったのですが、今は能登半島の鉄道路線はほとんど廃止されて能登鉄道として唯一、穴水・和倉温泉間だけ残っています。

能登空港からは乗り合いタクシーで約20分、既に民家には雪除けの備えがしてあって、内陸部の激しい降雪を予想させます。

こうしてじっくり見てみると輪島はとてもきれいな町でした。

町並み保存地区は電柱が埋設されていて空間がすっきりしています。
江戸時代の古い街並みがそのまま残っているような佇まいです。

宿は川沿いの和紙を多用している造りの古い木造の和風旅館。
建物の中も特徴がありちょっと迷路っぽくなっています。
10部屋ほどあるのですが、本日の宿泊者は小生1名。
贅沢ですね。

川沿い
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宿のロビー、和紙のオブジェが面白い。
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6時過ぎに食事に出たのですが真っ暗で人通りが殆ど無く、既に真夜中の雰囲気。
朝市通りから重蔵神社方向の道は街灯が腰の高さにあってとても幻想的な雰囲気、商店の造りも時間が止まったような造りで、誰もいない空間を一人で歩いていると、今が21世紀だということを忘れそうになります。
古びたつくりの居酒屋で食事。
この雰囲気は筒井康隆の「エロチック街道」のようでとても好きです。

これで午後6時頃
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エロチック街道に出てきそうな居酒屋
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早々に就寝。

翌朝は当然輪島の「朝市」。
宿から近いので早速出かけます。
20年近く前の記憶が甦ってきました。

朝市
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昨日の夜歩いた通り
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お目当ては「いしる」、地物の魚醤で、いかといわしの2種類あります。
この辺りでは珍しいものではないのですが、全国的には秋田のしょっつるが有名であと何種類かだと思います。
少量使用するとコクが出て味が良くなるのです。
美味しそうな魚とかいっぱいあるのですが、旅は始まったばかりなので買うわけには行きません。
あまりに天気が良いのでちょっと海岸へ出てみます。
さすがに冬の能登半島は寒い。

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さて、今日は福井駅に5時の集合。
昼前に出発したので、各駅停車でゆっくり行けばそのくらいの時間に着ける筈。
輪島から穴水駅まではバス。
輪島駅の建物はそのままバスターミナルとして残されていました。

旧輪島駅
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穴水からは能登鉄道で七尾まで。ここからJR七尾線で金沢まで。金沢から北陸本線で福井というルートです。

能登鉄道、穴水駅
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この時期の北陸には珍しい良い天気で快適な旅です。

七尾線車窓から白山を臨む。
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福井駅でメンバーと合流後、本日の演奏場所であるポルトガル料理店「バスコ・ダ・ガマ」へ。
前回来て演奏したときは、その日あたりから猛暑日の始まりでした。
その後、アップライトピアノが入って店の音楽的な雰囲気は高まっているようです。
本日はお店の開店一周年記念イベントということで満席のお客さま。
ポピュラーなものから少々マニアックなものまで取り混ぜて演奏、ゲストのピアニストの演奏もあったりして雰囲気も盛り上って最後は踊ってもいただきました。

バスコ・ダ・ガマにて
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オーナーのYさん宅に泊めていただいて、その夜は軽く打ち上げ。
外は雷。

ちょっと打ち上げ的な・・・・
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少し雪も降ったようで、翌朝うっすらと雪が残っていました。
朝は雨、今日は大阪での演奏です。

北陸本線で狭軌陸上トンネルとしては国内最長の北陸トンネルを抜けると天気は変わっていました。
琵琶湖を臨む辺りから晴れ間が出てきて、大阪は晴れ。日本海側と太平洋側の冬の天気はほんとに違います。

本日は大阪のグローバルという旅行会社のイベントでの演奏。
多少早いのですがクリスマスコンサートという触れ込みなのでそちらのナンバーも演奏しました。
演奏後の打ち上げは北新地でしたが、何だか体調が悪くなって小生一人だけ先に引き上げさせていただきました。
外に出たらぶるっと寒気がしたので風邪のひきはじめかな。
こういう日は暖かくして睡眠を充分にとることに限ります。

それにしても、大阪の地下鉄の駅というのは難しい。
宿泊場所の最寄り駅は「本町」だったのですが、この駅の出方が難しい。
出口表示を見ながら出口を探していくとすごく時間がかかってしまうのですが、入り口からあるルートを辿ると実にあっけなく目的改札に着いてしまう。
しかし逆には辿れない。
何故だ。
結局、最後までその出口への最短ルートを見つけることは出来ませんでした。
鈴木、石井の両氏は午前2時頃まで楽しく飲んでいたそうです。無念!!!

翌日は体調も回復し、CHOVE CHUVAの入り時間まで暇、ということで通天閣付近へお昼がてら観光ということになりました。

じゃん横
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言わずと知れた
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地下鉄動物園前駅からじゃんじゃん横丁辺りを散策して天王寺動物園前の橋から動物園を見渡してフラミンゴの赤さが妙に印象に残りました。

じゃんじゃん横丁は金色のビリケンが特大から極小まで至るところにあり、ど派手ファッション店の例えば鯉の滝登りの刺繍のあるジャンパーとか昇り竜のGパンとか幸枝嬢に大受け。
昼間から当たり前に飲めるじゃんじゃん横丁で我慢してお昼を食べて、大通りを渡って更に散策を続けます。

動物園前一番街から動物園前商店街へアーケードを入って行くとじゃんじゃん横丁のど派手な色合いから一転、色彩がモノトーンに変わります。ここは知る人ぞ知るディープスポット。
沖縄のコザ辺りのいわゆるシャッター商店街と雰囲気が良く似ています。
昼間から普通に飲んでいますが、この辺りの飲み屋は早い時間に閉店する筈です。
仕事のため朝が早いんですね。
女性の一人歩きがためらわれるような雰囲気の中、幸枝嬢はとても楽しんでいたようでした。

本日の演奏は、Chove Chuva、ちょっとマニアックな内容にしてみました。
最近やっているGarotoの作品のトリオ版、3人のオリジナルを並べて演奏する等です。
Garotoの曲はもともとソロギターでできているので、トリオに分解することによって、一人々の演奏がより自由になります。そして我々のオリジナルを並べて演奏するのはそれぞれの作風が対比できてとても面白かった。
こういうことは今後もやりたいですね。

翌日は曇りがちで時々雨もぱらつきますが傘をさすほどではない。
本日は高松で演奏です。

大阪駅で朝食を摂って、相生、岡山、高松と約4時間ほどの旅。
瀬戸内海を渡る橋は空中散歩みたいでなかなか面白い、もっと天気が良ければきっと海の色がきれいなんでしょうね。
そういえば、鳩間島のターキーが、関西空港から大阪へ行く南海電車の景色に鳩間から臨む西表の風景にとてもよく似たところがあると言っていたっけ。

琴電高松築港駅
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高松は夏にも演奏したカレー屋六ろくでのライブ。琴電瓦町の駅からすぐの場所。
ライブに先立って当然うどんで腹ごしらえ。
小生が愛用した店はボリュームのある小盛りに揚げ玉、ねぎ、しょうがをたっぷりトッピングして190円也で、これが何回食べても飽きがこない。しかも朝の6時からやっている。
さすがにうどんの国です。

本日のライブは夏と同じく、サンバの伝道師、高松在住のO氏のプロデュースで行なわれるもので、後半は吉祥寺のアウボラーダでやっているようなサンバセッションの形に持って行きたいなと思っていました。

前半は、昨日演奏したようなマニアック路線で行きます。

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後半の参加者も結構いるではないですか。
サンバ人口だいぶ増えてきているのですね、これもOさんやHさんのおかげでしょう。
旅の最後の演奏にふさわしく、アフターアワーのセッションまで日付を超えて盛り上ります。

セッションーホーダ・ヂ・サンバ
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リクエストで幸枝嬢の唄まで披露。

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ここで、徳島から来られたブラジル音楽夫婦デュオ、Oさんご夫妻と知り合いになりました。
実は明日小生は徳島へ行く予定になっているということで、徳島で再会することに。

翌日は晴天です。
やはりこちらは随分暖かいように感じます。
お昼はメンバー3名でうどんではなく、そばを食べて軽く打ち上げ。
うどんだと、ものの5分で食べ終わってしまうからです。
小生、本日は徳島を観光して、翌日徳島空港から帰京の予定なのです。

高松から徳島まで約2時間、各駅停車しかも1両編成の旅です。
時々海が見え隠れしておわんをふせたような山々と陽射しと暖かい車内、とてものんびりした気分。

徳島駅でOさんご夫妻と再会。
このOさんご夫妻はギターとボーカルで徳島県内のみならず各地でブラジル音楽の演奏活動を行なっているとても魅力的な方々です。
そのOさんご夫妻の計らいでミニ徳島観光を味わうことになりました。感謝、感謝。
まずは、鳴門の渦潮。

渦潮観光船内にて
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安栄(このブログではおなじみの八重山の高速船です。)をちょっと小さくしたような船で見に行くのですが、現場に近づくにつれ潮の流れがものすごく速くなってくる。
まるで川の流れを逆送している感じですね。そうこうしている内に今度は逆からの流れが対面してぶつかり合って渦潮を形成します。
実に不思議な景色。
地元の人でもこんなにきれいに渦潮が出るのはなかなか珍しいということです。
夕方16時の最終便でしたがこの時間帯も良かったらしいです。

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段になっている向こう側は瀬戸内海、こちら側は太平洋というまさしく分水嶺。
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そして、次は徳島の味ということで夕食は割烹へ。

移動中に話していたのですが、ギターのOさん夫は、小生と年齢も近くほぼ同じようなギター愛好暦を経験していらっしゃるようでそんな話で盛り上りました。
すなわち、ベンチャーズ系→グループサウンズ系→ロック→ジャズ→ブラジル系。
この話は近年一緒に語れる人が少なくなってきたので久し振りに「そう、そう、そう」というノリで語れて嬉しかったです。
ちなみに「そう、そう、そう」というような言い方は関西人の返答3回繰り返し、例えば「見た見た見た」という感じであるそうな。

Oさん達、時間を気にしだしたので何かなと思ったら、次の観光コース、阿波踊り会館のショータイム、午後8時が近くなっているのです。

「阿波踊り会館」のステージは小劇場のような感じでとても立派なものでした。
ここで一日に何回か各連による阿波踊りのショーが催されます。
小生が抱いていた阿波踊りというのは単に賑やかな印象でしたが、大きな誤りでした。
一般的にサンバに抱く印象と同じ誤りです。

哀愁がある。

今回特に、女性の阿波踊りの衣装と踊りに見入ってしまいました。
富山県の「風の盆」のような衣装ですね。
傘を深くかぶってしゅっとした(この表現も関西特有です。)スマートな着物の着こなし。
群舞からソロ、デュエットとパターンも色々とあってとても美しかった。
日本女性は着物だなあとつくづく思いました。
男性はコミカルな動きで女性を立てる。サンバと実に似ています。

連という地域を中心としたエスコーラ、ダンサー、地方(じかた、移動しないで演奏する楽隊)、アレゴリア等の仕掛け、カルナバルの時期等々、サンバと阿波踊りとエイサー(このブログではおなじみの沖縄のお盆の時期のカルナバルです。)は仕組みから表現形態まで本当に似ています。
サンバをやっている人間が阿波踊りを見たから深い共感を覚えたのかもしれません。
楽曲も沖縄のリズムとちょっと似たところがあって、裏のリズムの刻みが強い。
これも共感を構成する大きな要因です。
これは、是非お盆の時期の本番を見たいと思いました。
阿波踊りの面白さを初めて認識させていただきました。
ちなみに体験コーナーもあって、これもよかったです。

女性陣
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男性陣
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地方(じかた)
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子供達
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群舞
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体験コーナー
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記念撮影
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最後は、落ち着いたショットバーで締めの一杯。

ちょっと徳島へ行ってみようかなと思って行ったのですが、Oさんご夫妻の計らいでものすごく充実した徳島行きでした。
ちなみにOさん夫は兵庫県出身、奥様は阿波女ということです。
次回は、徳島でジョイントライブをしようねと約束しました。
ありがとうございました。

今回の旅は、石井幸枝さんを交えたトリオでの始めての旅で、音楽的にも3名での個性を出せそうなアイディアを感じさせる旅でした。

いつもながらではありますが、お世話になった皆様、ありがとうございました。

皆様との出会いが旅の一番の醍醐味なのです。

ではでは

2011年06月28日

2011四国、関西、北陸、東海ツアー

皆様、こんばんは

沖縄の旅から帰ってきて間もないのですが、6月は四国・関西・北陸・名古屋という旅の予定がありました。

メンバーは、小生、鈴木厚志(p)、石井幸枝(fl)、(このメンツは最近、「シラフサウダージ」という変なバンド名が付いています。)に今回初参加tbの堂坂知之さんです。
6月11日、高松を皮切りに徳島、三宮、福井、名古屋と演奏して回ります。

初日の高松は、現地集合、宿は各自調達。
最近の我々の演奏旅行スタイルの基本です。
同じ電車に乗っても各自適当に着席。一緒に並ぶなどといううっとうしいことはしません。のみならず、今回は例えば三宮から福井への移動は、福井駅の集合時間を決めて各自適当に集合というスタイルまで発展させてみました。
こういう方が疲れないのです。
で、小生は高松空港から。
偶然にも石井幸枝さんと同便。

高松はおなじみの「カレー屋六ろく」での演奏。
偶々来ていた、パーカッションの福和誠二さんと合流。
5名での演奏です。
やはりパーカッションが入ると演奏の色がちょっと変わってきます。

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相変わらず迷プロデューサーのOさんの仕切りで後半のパゴーヂ天国へ突入。
高松のお客さんは来るたびにブラジル度が濃くなっています。

おなじみのアフターアワー・パゴーヂ
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フィクサーのO氏(カウンターの中の謎の人物)
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翌12日は、前回の四国の旅からお世話になりっぱなしの徳島在住のOさんのセッティングで徳島市の「ゴトーズ・バー」での演奏のため移動です。

13日には三宮にいたいので、四国の鉄道事情、料金、時間、人数等を検討した結果、高松でレンタカーを借りて、翌日、高松まで戻って返し、鉄道で三宮まで行く(福井まで発券する。)のが最も安くて楽だということが分かり、車を借ります。荷物も多いのでこういう場合は重宝しますね。

徳島で迎えてくれたOさん宅の家庭料理をご馳走になり、とても幸せな気分になります。
ただ、小生はこの前の沖縄の旅とか最近の健康状態から推察して、過度の飲酒は確実に体に影響が出てしまうことが分かっているので、お酒は控えめにしています。この時期、しつこい風邪も抜けていなかったので尚更。
どうも、ビール(500cc位までならなんとか)、日本酒、ワイン、ウイスキーなどはかなり体に影響が出るような気がします。
元々、ビールは500cc位まで、ウイスキーはまったく飲まないので、日本酒、ワインをどうするかということになるのでしょうが、体がしんどくなってもいいことを覚悟するほど酒好きでもないので、これらに関しては殆ど飲まなくても大丈夫。残りは蒸留酒ですが、飲むものを泡盛、焼酎に限って、量さえ間違えなければ、まあ楽しく過ごせましょう。
要は、付き合いで度を過ごすような飲み方をしなければいいのです。
実はあまり酒好きではないのだということがこの年齢になってやっと分かってきました。

何はともあれ、Oさんご夫妻のおかげで美味しい料理やお酒、安眠にもありつけた次第です。
徳島のライブは、Oさんのご紹介による「ゴトーズバー」。ジャズのライブハウスです。

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道行、集中豪雨。
東京あたりの集中豪雨とは勢いが全然違う。
天気のせいもあったのか、日曜日だということもあったのか、商店街にあまり人通りはないし車の行き来も少ない。
地元人曰く、道の向こうとこっちでキャッチボールができる。
そんなことをしてはいけません。

「ゴトーズバー」は、地元の皆さんのご協力のおかげでほぼ満席で演奏できました。
演奏家でもあるOさんご夫妻もセッションに加わります。
Oさんご夫妻には何から何までお世話になってしまいました。感謝です。
お宅でご馳走になった料理はとても美味しかった。

ここのところ旅へ行って思うのは、自分は行列のできる地元の名店とやらには決して行かない傾向にあると。
どこへ行ってもそう。
ささやかに済ませてしまう。
元々、外食よりも自炊を好む性質で、旅先でも地元の人が普通に食べているものを食べたい。観光客向けは最も好まざるところだし、そのようなものは高くて不味い印象しかありません。
この傾向が最もはっきり出るのが沖縄なんですが、今回も家庭の味は美味しかった。

翌朝は好天です。
月曜日なのでOさんご夫妻は出勤。Oさん宅泊の我々もしばしの別れと感謝の意を告げて早々に、高松に戻ります。
契約時間前に車を返却、差額を稼いで別れのうどんを食して、列車で三宮へ向かいます。
今日は、移動だけ。

小生は、今月末に東京でジョイントする大阪在住のボーカルのMIYAKOさんからのお誘いで彼女が出演するライブハウス「Lazy Angel」http://www.lazyangelosaka.com/ へ客演に。
場所は、大阪市西成区萩之茶屋。
昨年末、小生、ATUXI、幸枝の3名で散歩した付近。超ディープスポット。

この「ディープ」という表現ははっきりしなくてあまり好きではないのです。例えばディープな沖縄ってなんだろう。
土地の人々が生活している空間をそのまま感じたいという小生の傾向から言えば、観光的でない空間が「ディープ」なのかもしれません。つまり土地の日常生活。
外国では安全に配慮しなければなりませんが、日本国内では余程のところでなければ大丈夫ですが、ここはその余程のところなのであります。
でも、女性の一人歩きとかむやみやたらの撮影(これなどは本当はどこでも配慮が必要と思いますが。)とか、常識×2ぐらいの配慮があれば大丈夫とは思います。
小生は以前からこの界隈が好きで、昨年暮れの散歩に引き続きゆっくり探索したいとは思っていましたが、図らずもライブハウスに客演できるとはなんてラッキーなんでしょ。

お店は、狭くもなく広くもなく、お品書きもとてもリーズナブル、ミュージックチャージもテーブルチャージもなし、投げ銭のみという極めてシンプルな方式。投げ銭慣れしている小生にとっては自然です。

MIYAKOさんとピアニスト元岡衛さん
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集合写真
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MIYAKOさんの人柄もあるのでしょうが、お客さんもフランクな中年男女(小生と同年代の方が多かったです。)が中心で、賄いのご飯も美味しいし(普通の大阪の家庭のおかずだ。)、すごく楽しくなってしまいました。この雰囲気は、沖縄のライブハウス(と言っていいかどうかという場所も含めて。)とよく似ています。また、沖縄の飲み屋街の雰囲気ともよく似ていますね。
帰りは霧雨の降る深夜の愛隣地区を新今宮駅まで歩いて、JRで三宮まで。
楽しかったなあ。

翌14日は晴天、夏日になりました。
今日は、ここ三宮でライブ。
午後6時の現地集合時間までは自由行動です。自由行動がやたら多い。

ホテルの隣が立派な神戸市立三宮図書館なので、そこにそそられつつ、まずは散歩です。
ぶらぶら歩いて元町から南京町、人が多いのに辟易してメリケンパークへ。

南京町
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メリケンパーク前の巨大オブジェ
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コロンブスが航海したサンタマリア号の復元
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横浜港みたいなのですが、のんびり港を見たりしているうちに浜が見たくなって、そういえば神戸の西寄りに須磨海浜公園だか須磨だか、やたらと海が近い駅があったなあと思い出し、そこへ行ってみました。
駅舎から海まで徒歩30秒。
今は人も少なく、海の家建築の真っ盛りでしたが、夏場は賑わうんでしょうね。

須磨海岸
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そうこうしているうちに午後も良い時間になって、三宮へ。
ホテルの隣の図書館で梁石日さんの未読の本を見つけ、小一時間読書。
読了できなかったのが気になりつつも、今日の現場へ。

ここも実は、徳島のOさんのご紹介。
グランドピアノ完備、神戸の山の手のわりと上品な感じのライブハウスです。
tb.の堂坂さんのご当地、今夜は彼がM.C.です。

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でも、西成の印象が強すぎたなあ。

翌15日は福井へ移動、当地でライブです。
距離はありそうなのですが、この移動はJR線が便利で楽なのです。
敦賀で一回乗り換えれば福井着。
なので、本日は三宮現地解散、17時福井駅集合。
他三名は琵琶湖のほとりで昼食をしたいと、早々に出発。
小生は昨日の読みかけの梁石日さんの本が気になって隣の図書館で昼まで読書。

今夜は思い起こすともう三回目、福井の「バスコ・ダ・ガマ」での演奏です。
ここはいつもお客さんのノリがすごい。
1stステージから、こんなに早くていいのという感じの盛り上がり方。
ただ、箸が転んでも盛り上がるということもありますから、その質をじっくり検証してみたい気もあります。

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今回もオーナー宅にお世話になります。
ここの家庭料理というものも特徴があってよかったなあ。
製作者が心配することはまったくないですよ。朝食、とても美味しかったです。

今日は名古屋までの移動です。これが結構大変。福井をじっくりと楽しむ時間はありませんし、当地解散・現地集合の選択肢はありません。
列車の本数が限られているからです。
即ち、福井から敦賀乗換、敦賀から近江塩津乗換、近江塩津から米原乗換、米原から大垣乗換、大垣から名古屋と、テクニックが必要です。
それでも、15時頃には名古屋到着。休憩する時間はあります。
今日は結構降ってます。梅雨時ですから。

今夜のライブは、名古屋のサンバの拠点、「ウルバナ」です。
「ウルバナ」といえば、尾張のサンバ大名、ゲーリー杉田氏の本拠地です。
実は、ゲーリーさんとはサウーヂを介して古い付き合いがあって、かつてサウーヂにいたメンバーがゲーリーさんのエスコーラ・ヂ・サンバにお世話になったり、石垣島のパパ村上さんはウルバナ出身だったり、毎年浅草にも参戦するエスコーラのプレヂデンチで、サウーヂにも過去に客演してもらったり等々浅からぬつながりがあります。

お店が移転したということで、移転前は小生が泊まっているホテルの地下二階だったのに、移転先はテレビ塔の東か。残念。

サンバ通が集う店ですから、コアにいきます。後半はゲーリーさんも加わって、ホーダ・ヂ・サンバ。
ボサノバチックなわりと軟派な曲も結構あったのは以外といえば以外。

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尾張のサンバ大名、ゲーリー杉田氏
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パゴーヂタイム
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翌朝は、頑張って名古屋・東京間2500円の昼間激安バスに乗るため早起き。名古屋名物、楽しい朝食を摂った後、窮屈な座席で我慢すること約4時間、新宿駅西口に着きました。

明日、この同じ場所から豚丸が出発するんです。

こんなに各自自由なツアーも楽しいと思うのですが。どうでしょう。

とにもかくにも、行く先々でお世話になった方々には本当に感謝感謝です。
今回も楽しい旅ができたのは皆様のおかげです。
ありがとうございました。

ではでは

2012年03月31日

2012.3. 福井→大阪→尾道→高松→豊橋の旅

皆様、こんばんは

今回の旅は、一昨年辺りから始めた北陸・関西・四国のツアーを基本に、やはり一昨年から話を始めていて今回ようやく実現する尾道の妙宣寺でのコンサートと最後に豊橋でのライブを加えた企画です。

メンバーは、鈴木厚志(p)、石井幸枝(fl)に加えて名古屋のサンバ界の重鎮、ゲーリー杉田(vo.per)です。

ゲーリーさんとの共演は昨年以来二回目。
とても大きい人で甘い声との印象があります。

福井→大阪→尾道→高松→豊橋と移動していきます。
福井までは飛行機、後は全て普通列車の旅となりました。

今年はまだ東京も寒いので北陸はなおさらかと思っていましたが、小松空港に降りた印象はそうでもなかったようで、寒さも峠を超えていたようです

1日目の福井は、昨年暮れに場所を変えて新装オープンしたポルトガル料理の「バスコ・ダ・ガマ」。
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今までのお店より若干面積は狭くなったものの、変則的な形ではなく普通の四角い形状のお店になったので、ライブは却ってやりやすくなった感があります。
ここはいつも女性のお客様が大変に元気。
シャンソンの飛び入りもあったりして楽しい一夜を過ごしました。

トリオの演奏
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ゲーリーさんを加えて
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客席
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翌日は、大阪へ移動して「ショビ・シュバ」にてライブです。
ゲーリーさんはここで一旦名古屋へ引き上げて再び尾道で合流することになっています。

福井→大阪への移動もすっかり慣れた感じです。
ここは敦賀で一回乗り換えるだけ、しかも敦賀から新快速という快適ルート。
北陸トンネルに入るまではまだ雪が残ったりしていますが、北陸トンネルを出るともう雪は見当たりません。しかし風は冷たい。

いつも思うのですが、湖西線「マキノ」駅はなぜカタカナなのか。
ご丁寧に「まきの」とフリガナまでふってあるし。
などと思いつつ琵琶湖を車窓の左に見て昼過ぎに大阪着。

本日の「ショビ・シュバ」のお客さんは、ベテランのブラジル音楽愛好者が多いので、こちらのプログラムもオリジナル曲を中心に据えて、ショーロやガロート作品等マニアックな編成で臨みます。
程よい緊張感があってとてもやりがいがあります。

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3名のオリジナルを交互に演奏するという手法は最近よくやっていて、それぞれの違いが分かってとても面白いのです。
演奏を重ねていくうちに自然にアレンジが出来上がっていったり変化したりで、この辺りはインタープレイの醍醐味です。
というわけで今夜はとても充実した演奏ができたと思います。
打ち上げは、知り合いの手引きで和食へ。

翌日は、ちょっと長めの移動です。
姫路、相生、岡山で乗り換えて尾道まで行きます。
尾道の一つ手前の東尾道を過ぎると左手にとても美しい瀬戸内の景色が広がります。

本日は、尾道の妙宣寺にて手作り門前市とお寺本堂でのライブのコラボ。

妙宣寺山門

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本堂外観
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今日は雨がちでしかもとても寒い。
雨なので、門前市は本堂隣の大広間でということになりましたが、この寒さでは正解です。

門前市の準備
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室内門前市
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出店作品
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妙宣寺の副住職Kさんが友人B子さんの古い友人で、音楽、イベント好きのとても面白い人。
2年ほど前に訪問したことがあって、彼が多忙でなかなかコンサートができなかったのですが、準備期間をたっぷりとってこの度実現しました。
しかもB子さんの活躍で、門前市と共に三日間のイベントになりました。
参加者は全員お寺に泊り込み。しかも夜の宴会付き。

本日は金曜日、翌土曜日からお彼岸ということでお寺も大変忙しいのですが、そこはさすがにお寺。
大人数のまかないとかイベント会場のセッティングとか手際が良いことこのうえない。
副住職によれば、昔からお寺というのは、集会所であったり教育の場であったり病院であったり相談所であったり音楽ホールであったり、要は公共の役割を果たしていたとのことで、こういうことは想定内。

本日は、本堂でのライブ。
副住職は、篠笛の師匠でもあり、そのコーナーもあります。
副住職と師範代の篠笛のデュエットは、お教もコラボして、厳かな雰囲気を醸し出しました。
本堂は冷暖房設備はありませんから、ヒーターを何台も持ち込んでの演奏でした。
お寺の本堂というものはコンサートホールとしては最高と認識しました。

本堂ライブ
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地元パーカッショニスト河野さんを加えて
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副住職の篠笛とデュエット

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終了後は、大広間での宴会です。
とても楽しいことは間違いないのですが、なんだか寒気がして胃の具合もおかしいので失礼して早めに休ませてもらいました。

これが効いて翌土曜日は体調回復。
天気も、雨の降り出しが早かったので午前中から回復してきて晴れ間が出てきました。温度も上昇しているようで穏やかな気候になってきました。

本日はゲーリーさんと再度合流して、大広間にて南米音楽と昭和歌謡ショーというコンサート。
門前市は天気が良くなったので本来あるべき姿の参道での開催です。

門前市の案内
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門前市
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これも売り物らしい。
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昼間は暇なので周辺を散策。こののんびりさ加減がいいのです。

瀬戸内の穏やかな景色
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今夜は、お彼岸で本堂が使えないので大広間のお座敷ステージ。
風呂屋の二階みたいな寛いだいい感じです。

南米音楽と
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昭和歌謡ショーは、時々昭和歌謡ライブをやっている千草ちゃんのステージです。

昭和歌謡ショー
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終演後は会場がそのまま打ち上げ会場に代わり、やはりそのまま宿泊所にもなります。
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翌朝は、前夜の宴会鍋の出汁で雑炊と至れり尽くせりであります。
一回やってしまうと勝手がつかめるもので、第二回もありそうな予感が。
副住職のKさんには、P.A.、演奏、料理、その他諸々大変お世話になりました。
ありがとうございました。

集合
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今日、日曜日は天気も良く、移動も岡山で一回乗り換えて高松までと比較的楽なので、お昼は尾道在住のパーカッション奏者、河野さんの案内で、ラーメンと並ぶ尾道名物のお好み焼き屋へ。
広島風お好み焼きを堪能しました。
天気が良いので瀬戸大橋から見る瀬戸内海がとても綺麗でした。

今夜は、高松市内のSO NICEというライブハウスでの演奏です。
バーカウンターを担当するYさんは、東京キューバンボーイズ最後のメンバー(per)ということで話もはずみました。

当然Yさんもコンガで客演。
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初めてのお店なのでどうなのかなと様子を見ていたのですが、お客さんは高松のベテランのサンバ愛好者のみならず大阪、徳島からもいらっしゃっていて、これはもう、どサンバで行こうというこということです。
盛り上がりました。

バンド
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よく鳴るグランドピアノで
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ごきげん
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翌日は、このツアーで最も大変な移動です。
高松→豊橋。
新幹線を使えば別にどうということもないのですが、そこはこだわり。
7時45分高松発岡山行きに乗る予定で、そのためには、是非行っておきたい「うどんバカ一代」。
朝6時開店に間に合わせます。
開店と同時にお客さんがどんどん来るのにはびっくり。
朝一番にホテルの自転車を飛ばして行くかいがあるのです、このうどん屋は。
満足して駅へ。

本日の移動は、高松→岡山→相生→網干→米原→大垣→豊橋と、距離も乗り換え回数も大変なものです。
しかも乗換時間が、食事をするには短すぎる中途半端なものばかりで、ここは我慢するしかありません。
7時45分発で15時30分頃着。

豊橋は、三年前でしたか、JR東海のイベント列車内での演奏という面白い仕事があって、滞在したことがありました。
ここで石井幸枝(fl)さんとも初めて仕事をしたんですね。

このツアー最終日は、豊橋駅から東へ一駅行ったライブハウスでの演奏。
名古屋が地元のゲーリーさんの仕切りです。

幸枝さんとゲーリー
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アツーシ
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小生
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バンド
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アンコールの「見上げてごらん夜の星を」は良かったなあ。
無事終了。
豊橋駅前で反省会の後にここで解散。
おつかれさまでした。

小生、翌日の帰りは急ぐ必要もないので、豊橋→浜松→興津→熱海→東京と普通電車の旅。
相変わらず静岡県内のJR東海は混んでますね。しかも車両が少ないし。生活路線の故、何とかならないのかといつも思います。

というわけで、福井を起点とした、北陸・関西・中国・四国・中部のツアーも終了しました。
ツアーのコツって、演奏はきちっとやるのはもちろんですが、メンバー同士余り干渉し合わないことが肝心だと思いました。

ということでまとめさせていただきます。

関係者の皆様、大変ご苦労様でした。
また、お世話になった皆々様、ありがとうございました。

ではでは

2012年06月08日

二年ぶり、宮城県遠刈田大道芸

皆様、今晩は。

昨年は震災の影響で、できなかった宮城県遠刈田温泉の遠刈田大道芸フェスティバル。
今年は関係者皆さんの努力によって第16回目を開催することができました。
いつもの通りやろうという言葉がキーワードだったようです。

小生は、開始した当時から縁あって家族で参加しています。

今年は2年振り。

それにしても、もう16回を数えるということで、最近、沖縄を含めて、もう開催してから何回を数えますというイベントに参加することが多いような気がします。
継続は力なりというのは本当ですね。

野外の出し物なので天候に左右されますが、6月2日は梅雨入り前の好天気。
確か、過去に降られたことは土曜日に一度だけあったと記憶していますが、6月にもかかわらずほとんど降られたことはありません。

開催を知らせるチンドン
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いつもどおり木村酒店に拠点を置いて、土曜日は喫茶キャロルでの室内演奏です。
やはり開始当初から参加しているエスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂのメンバーに打楽器を手伝ってもらっての演奏。
ソロギター+パーカッションという組み合わせも結構面白い。

土曜日は前夜祭という感じで、夕方から通行止めにして、野外のパフォーマンスが始まります。
最後は、恒例、エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂによるサンバショー。
これを楽しみにしているお客さんはすごく多いのです。
温泉旅館の浴衣姿のお客さんも沢山いらっしゃいます。

サンバショー
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そして今宵は、出演者、スタッフだけの特権、中打ち上げが大きなおたのしみ。
翌日曜日は皆帰途に着くため長々と打ち上げができないので、いつの頃からか、全員が宿泊している土曜日の夜に打ち上げをやるという習慣になっています。
題して中打ち上げ。

送迎バスで5分位の公民館で行うのですが、ここ数年は芸人、スタッフが本気で芸を披露する、しかも酔っ払ってですから、笑えるのはもちろん、びっくりさせられるような技術も登場し、これが周りに何もない山の中の大部屋のお座敷宴会・狂騒状態の中で行われるという、他では決して味わうことができない状況になっているのです。

何年か前は、あまり芸も出ず、仲間が固まってそこここで飲んでいるみたいな好ましくない状況だったこともあったと記憶していますが、今は大違い。
初めから終わりまで大道芸のオンパレード、それも内輪でしか見られないリラックスムード。

実行委員長挨拶
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交流も盛んで、仲間が固まってということはあまりなくなって、すぐにみんな打ち解けて、グループがなくなっているという楽しい状態です。

フォルクローレの合同演奏
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久米島メンバーによるエイサー
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ベリーダンサー
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和太鼓パフォーマンス
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ジャグバンド
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ジャグリング
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サンバをバックにこうなってしまった。
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中打ち上げで、最も人気を博しているのは、実は大道芸人ではなく、運営スタッフによる遠刈田大道芸フェスティバル宣伝パフォーマンスなのです。
今年は二年ぶりということもあって特に盛り上がったようです。

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この振りが受ける。
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あいさつ
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青年団
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盛り上がる客席
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翌日曜日もまずまずの天気。今日は本祭りで、午前中から夕方まで車をシャットアウトして大道芸が繰り広げられます。

日曜日のオープニングパレード。なんだか緩い。
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観客参加
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フィナーレのパレード
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終了を告げるチンドン
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昼ごろから肌寒くはなってきましたが、さいわい雨も振らずお客さんも盛況で良いお祭りでした。

いつも思うのですが、これは商店街振興組合による純手造りのフェスティバル。
大道芸というレアな分野にもかかわらず、業者の手は全く入っていません。
そのことがフェスティバルを素晴らしくしている大きな要因と感じますが、去年の震災のように社会事象、自然事象による影響をもろに受けます。
今年は涙を飲んだ昨年の中止をバネに、何とか東北を元気づけようという気合が感じられました。

いつもどおり生活するということがいかに大事か、我々も震災を経験して認識しましたが、いつもどおりの大道芸、それも毎年グレードアップしたものを今年も変わらずやってるぞ、が復興に対する東北の気概を発信していると思いました。

いつもながらスタッフ、関係者の皆様、ありがとうございました。

2012年07月06日

小旅行二題

皆様 こんにちは。

今回は、5月から6月にかけて小旅行二題。
二題とも音楽とは関係なく家庭の事情による小旅行です。

一つ目は新潟県村上市。

小生は東京生まれで田舎らしい田舎、つまり帰省先とか両親の故郷という意味で、というものが無かったので、父方の実家がある新潟県村上市は子供の時分から夏休みやら何やらで田舎として過ごさせていただいていました。
海と山と川が揃っている申し分のない土地で、おまけに昔は蒸気機関車まで走っていました。

村上駅。昔とあまり変わらない。
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今回は法事で十数年ぶりの訪問。
昔は大変な時間をかけて行っていたわけですが、今は新幹線と在来線特急で朝6時に東京駅を発って9時半頃には着いてしまいます。
あいにく雨が降ったり止んだりの天気でしたが、催事は室内なのでさして影響はなく、終了後雨も止んできたので、帰りの時間までゆっくりと散歩を楽しむことができました。

駅の近辺は昔とあまり変わっていないようで、高い建物がない。江戸時代の町家のようなつくりの建物も散見されます。
昔はこんな景色はどうとも思わなかったのですが、旅が多い今は、なんだか懐かしさがあって風情を楽しむことができます。

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町家
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大きな産業はないのでそのぶん町が落ち着いていて川もきれいです。
現在は観光にも力を入れていて、市内を貫く三面川でとれる鮭が産業として、また観光資源として大きな位置を占めているようです。

この土地独特の鮭の保存方法
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イヨボヤ会館。鮭博物館ですね。
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鮭の稚魚
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展示されている郷土料理のサンプル4点。サンプルとはいえ、どれも美味しそう
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この川では子供の頃よく遊びました。
川に入ってカジカ(ごりとも言う)や鮎を捕ったりしました。
河川敷がだいぶきれいに整備されて公園として散策しやすくなっていますが、露骨な護岸工事がされていないので自然な護岸の景色が残っています。

三面川の河川敷公園
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三面川
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三面川から羽越本線橋梁を臨む。昭和40年代までSLが走っていた。
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こちらは鮭の稚魚を育てている小川。一部がイヨボヤ会館から水中を望める構造になっている。
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地元ではお城山と呼ばれる村上城址がある山。正式にはなんていうのだろう。
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雨上がりの風景は特に風情があります。
駅前で夕食をいただいて日帰りの旅でした。

こちらはサンプルではなく本物。
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二つ目は千葉県勝浦市。
外房の漁港ということは知っていましたが初めて訪れる場所です。

勝浦海岸
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勝浦漁港
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身内のお祝い事だったので散策する時間等はあまりなかったのですが、一泊した翌早朝、散歩に出かけ遭遇したのが朝市。
なんでも日本三大朝市のひとつと紹介されています。
ということはあの輪島の朝市と肩を並べる・・・・というほどのものではないのですが、程よく地元密着型で、商いの種類も、魚、野菜、お惣菜、乾物、工芸品少々と素朴です。
輪島の朝市は、全国版観光型で、観光バスで乗りつけるほど規模も大きいし、商いの種類も多様で、比較するのは無理がある感じです。
でもこの素朴な朝市もいいですね。
値段もかなり安そう。
海のものや畑のものや山のものを持ち寄ってきて交換したあたりから始まったであろう成り立ちが想像できるような雰囲気で、直売所マニアの小生としては偶然に見つけた楽しいスポットでした。

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帰りは行きの房総半島を南東に縦断するルートではなく、外房有料道路から東金有料道路経由にしてみました。
九十九里海岸はサーフスポットということで、海岸に沿った家々にそれ風の造りがとても多いことには少々驚かされました。
たまには仕事と関係のない旅も良いものです。

ではでは

2012年11月06日

2012年秋の大阪・尾道・高松・京都・名古屋

皆様、こんにちは

10月26日から10月31日まで関西、中国、四国、中部地方の旅でした。
大阪・尾道・高松・京都・名古屋と続きます。
今回は、五日間移動しながら毎日演奏するパターンです。
こういう時一番肝心なのが体調管理。
具体的に言うと、飲みすぎ厳禁ということです。
ついつい打ち上げ等で調子に乗って度を過ごして痛い目にあったことがあるので、これは注意しています。
毎日、ライブが続くというのでは尚更です。

まずは、大阪の「ショビ・シュバ」で石井幸枝さんとデュオ。

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ここは随分前からライブをやらせていただいているところですが、筋金入りのブラジル音楽ファンの集う処として有名。
選曲も玄人向けの渋い選曲になります。
テンションが高まってとてもやりがいのある場所です。
二人とか三人とかの編成が最近は多くて、そういえばベースが入った編成はしばらくやっていないような気がします。
少人数だとギターの役割は非常に大きくなります。

さて、翌日は広島県尾道市に移動。
お馴染みになったような気がする妙宣寺本堂でのコンサート、ブラジルものと昭和歌謡の二本立て。
大阪から尾道までの各駅停車の旅というのも最近は慣れてきましたが、乗り換えが多い。
列車も速くて長いものから、遅くて短いものに徐々に移行していきます。
この変化が楽しい。
特に好きなのが東尾道駅を過ぎてから尾道駅到着前の瀬戸内の景色です。
対岸の島や造船所や古い町並みと瀬戸内海の風景が一体となっていきなり広がってくるという印象でとても好きです。

妙宣寺は、この土曜日はコンサート、翌日曜日は門前市と賑やかです。

門前市のポスター
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本堂でのコンサート会場はこのような状態でとても厳かな感じなのですが、その音の良さにはびっくりしました。

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このご本尊様の左側にグランドピアノが置いてあって、以前はそちら側で演奏したのですが、今回はピアニストが不在のため、ご本尊様を背後にしています。
どうもこの向きの方が音が良いようで。
P.A.を通しても実に自然な響きが得られて、もちろん環境を熟知する加藤副住職がP.A.を担当しているからということもあるのですが、それにしても、お寺というのは究極のコンサートホールだと感じます。
もっとも加藤副住職によれば、昔からお寺というのは、コンサートホールであり集会所であり学校であったり病院であったりと、いわば地域のコアなので、コンサートをやったり門前市をやったりというのも当然のことかもしれません。

後半は千草さんの昭和歌謡。

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これは小生がギターアレンジを施しているのですが、日本人ですから歌詞に感じ入るものがあるし、曲想にあったアレンジを考え演奏するというのはとても楽しいことです。
もっともブラジルものも同じスタンスでないとね。

本堂コンサートの後、大広間にて打ち上げ。

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このお寺の賄いというのが、大雑把ではありますが絶品です。
この日は鰤、鳥、を中心とした料理。
大人数の賄いに慣れているので手際はいいし、料理の種類、味、栄養にとても優れていて、それにとてもリーズナブル。
賄いにこの点は重要だと思いますよ。
で、このまま大広間で寝てしまうという極楽往生。

ゆるキャラ
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翌日曜日は、天気もなんとか回復して門前市です。

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お世話になった加藤副住職に福山のバス停まで送ってもらって、高速バスで高松まで移動。これがなかなか快適。

バスから瀬戸内海を見る。
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今夜は「カレー屋ろく六」。
カレー屋ではありますが、高松のブラジル音楽の拠点になりつつある場所です。
店の醸し出す雰囲気がブラジル音楽に合っているような気がします。
演奏者とお客さんが一体となって音楽を楽しむ雰囲気ができているんですね。
だから、ここで演奏するときはいつも熱くなります。
ここからゲーリー杉田さんが加わってサンバ度が濃密になったこともあって、盛り上がりました。果てることなく続く狂騒もいいのですが、やはり飲みすぎ厳禁。
適当に引き上げます。

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翌日も良い天気。
土曜日の夜から日曜の朝にかけてちょっと雨が降ったくらいで概ね好天が続いています。
今日は、京都へ移動。
これも恒例なのですが6時前には起きてうどん屋へ。
京都までちょっと距離があるので早目に出発したはいいけれど琴電瓦町駅で乗り場をミスって20分も待つ羽目に。
この琴電瓦町駅というのはなかなか分かりにくい駅で、何本か枝状に路線が発着しているので踏切の位置とか乗り場とか混乱することも時々あります。
余裕で乗れる筈だったJRは滑り込みセーフ。
乗ってしまえば、どこでお昼を食べようかななどとのんびりしています。

京都の宿は市役所の近辺。
ライブ会場も歩いて約10分の距離。
京都は北の方から二、三、四・・・条と道が分かりやすくて、いつもながらの落ち着いた街並み。歴史があって戦争で焼けていない(応仁の乱とは違います。)というところは尾道と似ていますが、雰囲気は全然違います。
京都の街並みは隙がないという印象ですね。
尾道は隙だらけという感じ。

本日のライブは3名にゲストに地元のボーカリスト、林寛子さんを加えて昨日とは打って変わって落ち着いた雰囲気で進んで行きました。
これはこれで悪くない。

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翌日は、名古屋へ移動。
今日の移動は2時間もあれば着いてしまうので、天気も良かったので荷物を預けて昼過ぎまで散策。

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40年ほど前に行ったことのあるジャズ喫茶「YAMATOYA」の看板(というより行き先表示みたいな)を熊野神社交差点あたりに見つけて、まだあるのかとびっくりして探したら、どうやら看板だけみたいでちょいとがっかり。

京都からは米原・大垣・名古屋と乗り継ぎます。
この米原・大垣間というのも好きな景色の一つです。
関ヶ原があるところ。
昔から変わらないような鄙びた景色が続くのです。
ここが、関西と中部の文化的分水嶺のような気がしますね。

さて、今日の名古屋は名古屋駅から二駅の金山。
ここは大ターミナル駅で普通の都会です。
老舗のジャズ・ライブハウスが本日の会場です。
ピアニスト鈴木厚志氏も加わって4名の演奏。
途中ブラジル人達の演奏もあったりして、充実した一夜でした。

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ゲストのブラジル人達
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打ち上げ会場の怪しい雰囲気
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翌日は、帰るだけ。
豊橋・浜松・静岡・熱海・新橋と乗り換えの各駅停車の旅。
毎度のことですが、お世話になった皆様、ありがとうございました。
ではでは

2012年11月30日

兵庫県加西市から鳥取、各駅停車の旅

皆様、こんにちは

今回の旅は、最近多い関西方面です。
演奏場所は、兵庫県加西市。
地図で見ると、瀬戸内海側と日本海側の中間くらいに位置する山あいの町という感じ。
列車で行くとなると、加古川線から第三セクターの北条線に乗り換えなければならず、結構大変かなあと思っていたところが、主催者側で姫路に宿を用意してくれていて、姫路まで迎えに来てくれて送ってくれるというありがたいパターンなのです。

最近関西が多いといっても瀬戸内側ばかりで北側にはほとんど行ったことがないので、ついでにちょっと回ってこようかと、せっかく姫路にいるのだから山陰方面、鳥取まで足を伸ばして一泊、翌日は山陰本線各駅停車の旅で京都まで来て、夜行バスで帰ってくるという計画です。

加西市は、地図で見ると距離がありそうなのですが、車で行くと、高速が便利なので小一時間で到着しました。

本日の会場はレストラン「West」。
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鄙びた山間地にあるお店ですが、過去には、ローランド・ハナ、渡辺香津美等そうそうたるミュージッシャンが演奏に訪れている場所だということです。
店のご主人がミュージッシャンを招致するのにとても熱心だということです。

本日のメンバーは秋山ゆりみ(vo)、ゲーリー杉田(per,vo)、角田浩(p)、小生(g)。

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対バンがあって、梅永恭さん(vo)と神戸、姫路サンバチーム選抜しかもダンサー付きです。
満員のお客様は殆ど地元のお客様でしょう。
ピアノの角田さんは、ジャズピアニストで全くの初対面でしたが、ブラジル音楽好きなんでしょう、うまくコラボできました。
慣れていないとこれが結構難しいのです。

最後のステージはパシスタを加えてのサンバショー。
ガラス張りなので外からよく見えそう。
周りが真っ暗で野中の一軒家に見えるレストランでの華やかなサンバの宴。
道路沿いなので通りの車からはどう見えたかちょっと興味深い。

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ダンサー登場
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チビッコダンサー。メンバーのお子さんたちでしょうか。動きがすごくよかった。
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集合写真
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サンバショーも含めて3ステージ、時間も内容もたっぷりのショーでした。

日曜日の夜でしたし、姫路へ帰るともう遅い時間です。軽く部屋で飲んで寝てしまいました。

翌日、少々雨がちですが大したことはない。
早起きできたので、姫路から特急の鳥取行きではなく各駅停車の旅を迷わず選択。
特急で行けば直通で1時間30分で着くところを4時間かけて行く各駅停車の旅です。

姫路から新快速で相生まで、相生乗り換えで上郡まで行きます。
最近は関西の新快速の安い速いにもすっかり慣れて乗り換えもスムーズに行くし、簡易自動ドアにも戸惑うことはなくなりました。

上郡から第三セクターの智頭急行という路線で終点の智頭というところまで行きます。
これが一両編成、単線、非電化という実に良い佇まいで、発車した際は乗客5、6名、一時間半ほどの旅程なのですが途中乗ってきた人は2名、終着駅に近くなる頃は小生の貸切という贅沢な列車でした。

上郡駅のホームの先にぽつんとある智頭急行の乗り場
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一両編成の車両
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雨がちの景色も風情があります。山に霧がかかるというのではなく、雲が地面すれすれまで落ちてきている佇まいです。

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ゆっくり走っていて、列車交換の時間もたっぷりとありローカル線を堪能することができます。一両編成ですから前面展望もとても良い。
特急にしなくて大正解でした。

こんな駅もあります。
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終点の智頭で昼食。
ここも山間のまちで静かな佇まいです。

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この終点駅というのはなんだか興味が湧きますね。
先の関西の新快速で言えば、とても長い距離を走っていて京都、大阪、神戸と大都会を経由して行くのですが、終点は変哲もない駅(大都会と比べれば)であることが多いようです。
例えば、播州赤穂行き、西明石行き、網干行き、野洲行き、長浜行き。
大都市行きは当たり前という感じですが、長い距離を走って着く変哲もない駅というのは興味を起こさせます。
秘境駅マニアがいるのだから、変哲もない終着駅マニアというのがいても良いのではないかと。

智頭からはJR因美線で鳥取へ。
これもまた一両編成、単線、非電化で、景色抜群、乗客わずか。
智頭急行もJRからの直通特急は編成も長く乗客も多そうですが、各駅停車は時間がかかるので観光客は敬遠するのでしょう。四国のJRも確かそんな感じでしたね。

鳥取は雨、風が少し強くなってきています。こちらは関東と違って西の方から天気が変わっていくという感じではないみたいです。
鳥取に来たからには砂丘を見なくてはと思って、雨風が強くなる中出かけてみました。
砂丘センターで長靴を貸してくれるのですが、砂丘まで行くと風で傘は役に立たず、上下のレインコートがなければずっと先の方に行くのはこの天候では無理。

砂丘
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ま、見たからいいやと夕食を食べに市街地へ。
散策してから夕食兼軽く飲み。
これが意外と美味しかった。

鳥取市内
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こんな居酒屋ですが。
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この時期旬のカニ
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仕上げはごはんセット、350円也。
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翌日も雨がちですが、冬場の山陰の天気はこんな感じらしいです。
今日は、山陰本線を京都まで各駅停車の旅。

まずは、浜坂行きで浜坂乗り換えで豊岡行き。
単線、非電化は変わらず、二両編成に格上げ。
この区間は日本海沿いを走って行きます。
陸側はほとんど山で、山沿いを走っていくため地面との標高差が相当ありそう。
日本で最も標高差がある余部鉄橋もこの区間です。
日本海は荒れていて寒そう。

余部鉄橋上から日本海
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やはりこの鳥取・豊岡間の単線、非電化区間の景色がよろしいようで。
豊岡からは電化されていて、関西快速電車の車両です。
スピードが違う。
福知山行きで福知山から園部行き、段々と車両数も増え乗客も多くなっていく、こういう変化も面白い。
園部からは快速京都行き、ここはもう大都市近郊列車になります。
京都着はもう夕方だったので、どこへも行きませんが、この時期京都は観光シーズン。
嵯峨嵐山駅は観光客が多いようでした。
23時40分発の夜行バスで翌朝6時30分には東京駅着。

関西横断と山陰は初めてだったので良い旅でした。
やはり各駅停車を選択したのが良かったということです。
18切符シーズンだともっと安くあげられますね。

ではでは

2013年02月11日

ベトナム観光 その1

皆様、こんにちは

2月3日から8日までベトナムに行ってきました。
特に目的はありません。
ハノイに滞在して歩き回ってきました。

日本との距離はそれほど遠いわけではないのですが、シンガポール経由でしたので成田を夜発って、シンガポール・チャンギ空港で5時間ほどの乗り継ぎ待ち、翌日正午頃の到着です。
チャンギ空港は、世界でも有数の巨大ハブ空港。
三つのターミナルはあまりに広いので、無人トレイルが結んでいます。

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気温は27℃くらいあって段々と暑くなってきました。
時間があるので無人トレイルに乗って各ターミナルを散策、一番快適そうだったT3の奥、映画が見れるゆったりとしたソファに座って時を過ごします。

2月4日(月)
正午頃、ハノイ・ノイバイ空港着。
軍服のような制服を着た係官による入国審査。
成田空港やチャンギ空港に比べると古びて照明も暗い印象です。

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まずは、2000円をVND(ドン)に両替。444,500VNDになります。
大体1VND=0.0045円,1,000VND=4.5円の計算です。
以後、この貨幣価値が頭を混乱させることになります。

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タクシー等の客引きが強引と聞いていたので用心しましたがそれほどでもなく、ハノイ市中心のベトナム航空事務所行きのオンボロワゴン車に乗り込みます。定員いっぱいの15人を詰め込むまで発車しません。
所要時間約1時間、料金は終点まで40,000VND、180円。
後になって考えると、これは相当安かったと思います。

さて、ワゴン車はクラクションが盛んに鳴らされる空港を出発してハイウェイのような道路を進んで行きます。「のような」というのは、人や自転車がいたりするのではっきりしなかったのですが、後になってくると事情が飲み込めてきます。
まず、交通事情の片鱗が見えてきます。
日本ではまず聞かれないクラクションの鳴らし方。
それものべつまくなし。懐かしい暴走族のようなホーンも当たり前。
強引な追い越し、割り込み、無謀極まる進路変更etc・・・・・
しかし、この段階で驚くべきではなかったのです。
あれはまだ空港周辺の郊外の景色であって、本格的な混沌はハノイ市中心部に入ってからでした。

びっしり渦巻くバイク、バイク、バイク、バイク、車、車、バイク、バイク、バイク、バイク、車、バイク、バイク、車、バイク、バイク、自転車、バイク、バイク、バイク、バイク、シクロ、歩行者・・・・・・・・・。
これが、クラクション鳴らしまくりで譲り合うということを全く知らずに濁流の如く流れていくのです。
バイクは殆どが、50ccくらいの小ぶりなものか、125ccくらいのスクーターが多い感じで、山のような荷物を満載しているものもあるし、それが後ろだけでなく前後左右なんてのもありました。また、よく見ると、3人乗りをしているものや、中には4人乗りなんてのもあります。
別に不良ではなく普通の人達です。

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とにかく、この混沌渦巻く全く知らない街に降り立った途端、今度は強引な客引きの嵐。

ホテルだのバイクタクシーだのシクロだの。以後、街中ではあらゆるところでこの手の連中に声をかけられることになりますが、一切無視。目を合わさない。一旦話に応じたら、とにかく面倒くさいことになりそうで。

で、地図を片手にホテル目指して歩き始めました。

客引きを振り切りながら、あとこれも以後、重要な要素になってくるのですが、どうやって通りを渡るのかこの時点で理解できていない。
初めてハノイの中心部に置かれたので無理もないと後々思ったのですが、一応信号があるようだが、何故か流れが途切れない。それでもこの付近は大きい通りが多いので辛抱強く待って一瞬の途切れを見つけて渡る、また渡れそうなところまで移動して渡る。そんなことを繰り返しているうちに、似たような通りが多いこともあって、ここはどこ、の状態に。

またまたこれも以後重要な要素になってくるのですが、どうもこの街の人たちは地図が読めないのではないかという疑問が生じてきます。分かりやすいと思われる地図を見せて聞いても?????

ま、最終的になんとかたどり着いたのですが、暑さもあって汗だく状態に。
そして今度はホテルで予約が通っていない。でひとモメ。
ホテルは英語が通じるので、カタコトでも何とかなるわけで、ドミトリーに通されそうになるところを断固拒否。一部屋確保しました
とても広い天井の高い部屋で、ベッドはW、冷蔵庫、バスタブもトイレもあるし清潔なので申し分ないのですが、ひとつ難点が。
窓がない。
Uuuuuuuum・・・となったのですが、どうせ寝るだけだからいいやとOK。
これは後々良い選択だったと思いました。

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後になって考えてみると、初めてハノイ中心部に放り出されて無理もないと人ごとのように苦笑していまいます。

さて、シャワーも浴びて一心地付いたら、着替えの買い物がてら付近の散策です。
とりあえず、1.5km程先の憩いの場であるらしいホァン・キェム湖を目指します。

ホテル前の通りはハン・ボン通り、まっすぐ行けば自然とホァン・キェム湖に突き当たる筈です。ハン・ボン通りは片側一車線の交通量の多い生活通り。ここを渡るのが慣れるまで大変。

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途切れることのないバイク、バイク、バイク、バイク、車、車、バイク、バイク・・・を強引にかき分けて渡るしかない。遠慮もしくは躊躇していたら夜中になるまで渡れません。信号もあるにはあるけれど、あまり関係ないようだし、一番よさそうなのは、地元のベトナム人に付いて渡ることです。
で、渡れたからといって安心してはいられません。歩道はきちんとあるけれども、バイクや車が駐車、占拠しているところも多く、食堂や屋台、物売り、ぼんやり佇む人、客引きやバイクタクシーなど、とてもまっすぐは歩けません。果てはバイクが走ってきたりするわけで、油断も隙もない。

それでも、行きはまだ道も分かりやすく街の様子も魅力的で、取り分け1週間後にやってくる旧正月(テト)の準備もあるのでしょう、活気にあふれた人々の様子は見ていて少しも飽きることはありません。

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ホァン・キェム湖周辺も同じような交通事情ですが、道も広いので幾分横断が楽。

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色々と店を見ながらTシャツを買うことにしてリュックから財布を出そうとしたら・・・・・・無い!!!!
リュックのそこだけチャックが開いてるし。
やられた!!!!
安全そうなのでリュックを背負うという油断をしてしまった隙にスられたらしい。
全然気が付かなかった。
被害は財布のみで、現金が7,000円くらいしか入っていなかったのが不幸中の幸いでした。
カードやパスポートや貴重品はバラして持ち歩いています。
この混沌の中戻ってくるはずがない。
被害額も小さいし財布も安物。授業料だと思ってくれてやるわい。旨い酒でも飲んでくれと開き直り。

ここで一文無しですから、ATMが頼り。

街中にはいたるところにATMがありますが、使える機械とそうでないものがあったりで、結構苦労したりします。
気を取り直してVNDでTシャツが買えました。

ホァン・キェム湖畔のカフェでビア・ハノイ。

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ホァン・キェム湖の夜景
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土産物屋にあったお面。なんとなく石垣島のアンガマーのお面に似ている。
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路上食堂で晩御飯。
これで140,000VND(630円)
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これとこれとこれというように、おかずを指させばご飯と一緒に出してくれるのですが、初めてのベトナム路上ご飯は大変美味しかった。日本人の口にとても合うようです。インディカ米も白米で丼で出てくるのですが、とても美味しい。
以後、帰るまで路上ご飯がやみつきに。

満腹になってビールも飲んでスリからも立ち直ってそろそろホテルに帰ろうかと歩き出したはいいのですが、同じような街並みでいくら歩いてもホテルがない。
あるはずのない鉄道線路があったりして、またまた、ここはどこ、の世界。
でも、歩いているうちに正月市場、ナイトマーケットに出たりして結構楽しい。
人通りも多く、不安はあまり感じません。

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こういうときは出発したところに一旦戻るとリセットできるので、ホァン・キェム湖に戻ります。

以後、迷わずにホテルに帰れたのは最後の方だけ。
おかげでたっぷり街歩きが楽しめました。

夜になって街は昼間と様相を変えています。
通りによっては、車は走らずに屋台、物売り、食堂がはみ出してきている。歩行者天国という決まったものではなさそうなのですが、ナイトマーケットになっていたりします。
皆さん、お風呂の椅子の小さくなったようなそれに座って、食事をしたり、飲んだり、語らったり、トランプ博打をしていたりするようです。

やっとホテル到着。
機内でもあまり寝てないし今日はよく寝れそうです。
窓がないので通りの喧騒が聞こえないのも却ってありがたい。

ではでは

ベトナム観光 その2

皆様、こんにちは

2月5日(火)

当初は、水曜日にしようかなと思っていたハロン湾のツアーを今日にしてみました。
天気予報も良さそうだし。
バスで片道4時間ほどかかります。
8時に出発して20時頃帰着のバスツアーです。

我々の英語ガイドと日本語ガイドが付いた日本人グループもいました。
久々に日本語が聞こえます。
我が方は、スイス、イギリス、中国、ポルトガル、ロシアというところ。
冷房が効くマイクロバスはハノイ市内から郊外へ向かっていきます。

しかし、このバイク、車の濁流は皆が大きいマスクをかけていて、過激なホーンの鳴らし方からして街中で暴走している感じがします。歩道も平気で走ってくるし。3人乗りは当たり前。
でもみんな普通の人達なんですね。不良ではありません。
日本の暴走族どもを一回ここで走らせてみたいものです。おばちゃんのバイクに蹴散らかされるんじゃあないかな。
この状況にも昨日よりは幾分慣れてきました。

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バスはどんどん郊外へ向かいます。
田舎の水田風景、時々工業団地、市街地などと続いて、車窓に眼は奪われっぱなし。
快調に一方通行のハイウェイを跳ばしていると思ったら対向車が来るんですね。実は片側一車線の一般道路でした。
要はセンターライン無視、左車線が空いていたらとにかく追い越し、追い越し、クラクション(暴走族的なホーンと言った方が適切か。)で、交通ルールがどうなっているかは謎です。

途中、トイレ休憩のお土産センターへ寄ります。

お土産の織物を生産している。
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陶磁器も地場産業
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だんだん海が見えてきてそれらしい雰囲気に。

その頃から左側を鉄道線路が走り始めました。一体どんな列車が走っているのだろうと興味を惹かれますが、
列車を見ることはありませんでした。走って(歩いて)いたのは、犬、子供、天秤棒を担いだおばさん、おじいさん、バイク・・・・・・・。

で、ハロン湾到着。
観光船に乗り込んで観光開始。

以後は写真中心でいきましょう。

港の風景
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ツアーに船上昼食が付いている。
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犬の形をした岩
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今度は猫が見下ろしている
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水上村
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水上村の住人
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ここでカヤックに。ロシア人と言ってました。
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水上村にて
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水墨画のような景色
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漁師のお寺
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にわとり岩、つがいで向き合っているとのこと。
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ゴリラ岩
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鍾乳洞入り口
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鍾乳洞内部
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鍾乳洞出口から臨む。与那国島にこんな景色があった。
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なんとなく瀬戸内海の景色にも似ている。
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のどかな水田風景
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楽しかったハロン湾観光を終えてホテルには20時頃到着。
お腹がすいたので、ここへ来る前からお目当てにしていた食堂街へ。
その前に昨晩のTシャツ屋でもう1枚。
1枚150,000VND(680円)、安いのです。

今日は絶対迷うまいと決めていたのにお目当ての食堂街付近でまたしても迷う。
さ迷っているうちに紛れ込んだ路上が件の食堂街でした。
ベトナム語のメニューが読めないので、おかずが盛り付けてある店へ行ってこれとこれと指さし指定。
またもや大変美味しい。

これで55,000VND(250円)とは。
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で、帰ろうと思って店のおばちゃんに今どこにいるのかと地図を見せても??????
店にいる複数のおばちゃんたちも全員????
この人たちは実は地図の読み方を知らないのではないかと再び昨日の疑問が頭をよぎる。
ここが食堂街だとすれば、近いはずだからなんとかなるでしょと左、左と行くとすぐにホテルの前に出る。
なんだ、こんなに近かったんですね。

明日こそは、迷うまいと決意を新たにします。

街中はベトナム国旗と並んで旧ソビエト連邦の旗も多く翻っています。

そうでした。ここは社会主義国でした。
あまりの混沌と活気ですっかり忘れてしまっていました。

明日は、それを認識するような歩き方をしてみましょう。

ではでは

2013年04月17日

ブラジル旅行記1(準備・成田発Rio de janeiro行・3月19日(Rio de janeiro))

皆様、こんにちは

ようやく時差ボケも解消しつつあるようです。
3月18日から4月12日までブラジルを旅行してきました。
ブラジル音楽をやっていながら恥ずかしながら初めてのブラジル旅行です。
これは、長年の夢でした。広い国なのでやはり一ヶ月は滞在しないとわけがわからないと思っていたので、サラリーマンをやっていないこと、子供がある程度一人で生活出来る年齢になること、家族の了承があることが自分の中での条件でした。
これらをクリアしてようやく今回行ってくることができました。
この一ヶ月弱の旅行記をこれから記していこうと思うのですが、書く事もいろいろあるし写真も相当な量になっているのでじっくりと連載形式で書いていこうと思います。
今月末には春の沖縄・八重山ツアーも控えていますし、記憶を掘り起こしながらある程度時間をかけることになりそうです。

・準備段階
自分の旅のスタイルとして団体行動が嫌い、したがってツアーなどはもってのほかということになる。
飛行機、宿泊は全て自分でやろうと考えていたが、ブラジル国内の移動を時間の関係で飛行機でやるとなるとここは手配を旅行会社で行ったほうが無難である。幸いミュージッシャン仲間の千田氏がブラジル旅行を専門に扱っているI社にいるので早速相談に乗ってもらう。
国内移動のTAM航空とブラジルまでの往復をエミレーツ航空(ドゥバイ経由)で手配してもらう。結果的にはこれが大正解。
旅程も相談に乗ってもらい、初めてのブラジル、Rio以外にも色々と見て回りたかったのでRio→ Ouro preto→ Salbador→ Olindaと北へ進んでRioに戻ってくる旅程を作成、TAM航空の手配をお願いした。
ホテルはwebでいろいろ探し回って納得のできるところを自分で手配。
VISAの手続きも順調に終わって、やはり一番の問題は言葉。
先生についてポルトガル語を学んだ経験がないので非常に不安ではあるが1月頃からテキストなどを色々と買い込んで勉強に着手。果たしてこれが役に立ったのか立たなかったのか。
個人旅行で、一人旅の時間が長いので何もやらないよりはマシなはず。
あとは現地での支払いにどのような手段を使うかだが、安全を考えて多額の現金は持たず極力カードを利用することにして、現金は必要な額をATMで引き出すことにした。ただ、当初の現金としてドルを準備してガレオン空港で必要最低限の額を両替することにした。空港での両替はレートが良くないとのことなので。
さて、これで準備は終了。衣類も楽器も向こうで買うことにしたので荷物を作ってみるとえらく少ない。沖縄に行く時より少ないかもしれない。

・成田発Rio de janeiro行き
成田空港22時発のエミレーツ航空、ドゥバイ行き、A380型は総2階建ての巨大航空機。
1stクラスとビジネスが入る2階とエコノミーの1階は完全に分離されている。噂では2階のウェルカムドリンクはドンペリだとか???
約12時間かけてドゥバイ空港着。韓国・中国・インド・パキスタン・イランと飛行してきたはずだが5時着で暗いまま、さっぱり分からず。
ドゥバイ空港は巨大空港と聞いていたが想像を超える巨大さ、シンガポール空港も巨大だったが、あそこはコの字型、ここは真っ直ぐのかまぼこ型。その建物の中をターミナル連絡用の無人電車が走り、未来都市のような印象。乗り継ぎのため入国しないスペースも巨大で、ショッピングセンターの遥か彼方は霞んでいて見えない。夜中だろうが早朝だろうが世界中の各方面に飛行機が発着し多種多様な人種が行きかい、金ピカの壺やらなんせ車まで売っているのだ。全体的には金ピカでお客様大歓迎の印象。これからハブ空港として更に発展しそうだなあ。

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3時間待ってエミレーツ航空のB777型Rio de janeiro経由Buenos行きに乗り換え。
すぐ出るのかなと思ったらタキシングのまま1時間待ち。
このフライトはアラビア半島、紅海、アフリカ大陸、大西洋を横断していくかなり長い旅で、約15時間。
ドゥバイを8時15分頃発ってガレオン空港到着は16時。
ずっと明るいところを飛んでいるはずだが、機内は暗くなっていて朝だか夜だか分からない。
食事の時だけ明るくなるのはブロイラーのようだ。
航空機搭載カメラで下界を見ることができる。
アフリカ大陸に入ったときは茶色がずーっと続く。赤道ギニア辺りから大西洋に抜けていく手前は緑がずーっと続く。そして大西洋。南米大陸が待ち遠しい。500年前この海をアフリカ人達が何ヶ月もかけてブラジルへ連れられていったわけだ。
機内は暇なので寝るか映画を観るか。
偶然ブラジルチャンネルを見つけて、トム・ジョビンのコンサートと故ルーラ大統領の伝記映画「Filho do Brasil」を見る。
特に後者には興味を惹かれた。
エミレーツ航空はサービスも良くてとても良い印象を持った。
もっともアラビア語は分からないが。ブラジルチャンネルがあるのも気が利いている。ドゥバイ空港も併せて国を挙げてサービスに気合を入れているのだろう。「お客様は神様です。」的な姿勢は徹底しているようだ。
C.A.の女性の制服もとてもかっこよいのだ。
さて、長いフライトを経てようやく南米大陸が見えてくる。殆ど眠れなかったが期待と不安に胸が膨らむ。

・3月19日(Rio de janeiro)
ドゥバイ空港から来たせいか、ガレオン空港がやけに地味に感じられる。

ガレオン空港
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今日はここで午前中にローマから到着しているはずのピアニストの鈴木厚志氏と待ち合わせているが、エミレーツは約1時間遅れ。ま、エミレーツはこの1便だけだから大丈夫でしょうと入国手続き、当面必要な最少額を両替。ゲートで厚志氏と合流。
彼とは本日から小生が北へ旅立つ24日まで同行することになっている。
それからどこに泊まるかは彼も決めていないという。

今日から5日間はメトローのGloria駅近くのMonte Castelというホテル。
とは言っても着いたばかりで何もわからない。
ここは事前にグーグルで確認できず場所に不安があった。
荷物もあるし複数だしということで、TAXI。
跳ばす跳ばす。これがRioの標準なのだろうか。
近くに到着したのは良いのだが案の定ホテルが見つからない。これはどこかで聞いたほうがいいだろうということで一番近くにあったレストランへ。
親切にも若い店員さんが付き添って行ってくれた。実は目と鼻の先。
以後、こういう親切は各地で何度となく受けた。

場所がわかったので安心してセルベージャ(ショッピではなくセルベージャが一般的だった。)を飲む。
喉が渇いていたせいもあるかもしれないが、これが飲み助の二人共、目が点になるほどの激美味。

激美味のセルベージャ(瓶ビール)・・・アマゾニア地方の地ビールだとのこと
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チェックインして、近所を散策。

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ホテルのあるrua(通りという意味)を海方向へ下りていくと賑やかな大通りがあってその向かい側は公園。
商店や銀行、露天、Barも立ち並ぶちょっと下街っぽい雰囲気。その大通りにメトローのGloria駅がある。以後毎日ここを利用することになる。
ホテルのあるRua Candid Mendesは静かな通りだが、ホテルの隣のBarは大賑わい。
夕食は、先ほどお世話になったレストランへお礼がてら伺う。
実はイタリア料理屋で、,落ち着ける雰囲気。店員さんも感じがよく、二人共気に入った。
またまたセルベージャに料理を頼むが、美味しさと量で大満足。
このセルベージャが美味しかったのは単に喉が渇いていただけではないことを再確認した。
以後何度となく通うようになる。

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やはり本場のカイピリーニャは美味い、そして安い。
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仕上げはホテルの隣の大賑わいのBarで軽く飲む。
帰ると、時差のせいもあっていきなり意識喪失、爆睡。
ともあれ、無事に到着できた。
明日からは、いろいろと歩き回りたい。

2013年05月14日

ブラジル旅行記5(3月26日~3月27日(Salvador、バイーア州))

・3月26日
今日はSalvadorへ移動の日。
6時のベロ行きのバスに乗りたいので5時起き。外は真っ暗。
昨日試したrodoviariaへのよくわからない急坂道を行けるのか、宿のお姉さんに相談すると「無理、無理、ぜーったい無理。タクシーを呼んであげるから。」ということでタクシー。またミナスのゆったりした山の景色を2時間バスに揺られてベロ・オリゾンチ着。このバスは通勤バスにもなっているようだ。連絡よくバスが出て10時前にコンフィン空港着。
TAM航空のチェックインが機械式になっていてブラジル人たちが結構困っている。こっちにとってはむしろ楽。

Salvadorまで約2時間のフライト
とても美しい海岸線が見えてきた。

涼しいオーロプレットからやって来るとかなり暑く感じる。
ここサルバドール空港もセントロからは結構離れている。
初めての訪問地は安全を買う気持ちで空港タクシーを利用する。

それにしてもホテルの近くまでR$107は高い。
どこでもそうだったがカウンターでお金を払ってしまうのでボラれることがない、目的地まで確実に行ってくれる等の安全確実性の担保なんだと思った。リスクがなくはない面を棚上げすれば流しの方が安い。

さて、相変わらずぶっ跳ばすタクシーが到着したのは賑やかな広場の一角。ここから車は入れないから歩いて行ってくれと。
降りたとたんに群がる物売りやガイドやら振り切って多分そうだろうと思われる方向へ石畳の坂を降りていくと左手に質素な入口のHotel Pelourinhoがあった。

入口は質素だが中はやたらに広い。1階はエントランスと商店が何軒かある。外から見ただけでは全体像がつかめないホテルだ。
部屋は2階。広くて天井が高い。3人はいけると思われるキングサイズのベッドに天井扇、ないと思われたエアコンらしきものもある。
そして何よりも素晴らしいのは部屋からの見晴らし。
トドス・オス・サントス湾が正面に見える。

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ただしこの窓を持ち上げるのは大変。多分20kgくらいはある。これを毎朝毎晩開け閉めするわけだ。
暑くて乾いていて風通しもいいから、これは洗濯物がよく乾きそうだと、さっそく紐で即席物干しを作ってしまう。

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冷蔵庫もあるし、クローゼット、シャワー、トイレもOK.、ここでこれから一週間過ごすのでこれは楽しそうだという気になる。
問題があるとすれば、wifiが使えないこと、電話が外線に通じないことの二点。
wifiに関しては今までその便利さを享受しているので何とかしなければという気になる。ブラジル国内外の通信手段はi-padを使っているのでwifiが使えないと問題だ。
電話はSalvador在住の日本人に連絡が取れればいいなくらいのものだから、まあぼちぼちという気分。
Rioでもそうだったが、公衆電話は9割がた故障しているのだ。

そして、バンド仲間のカズーの旧知の友人であるイザイアスさんを探す。
多分このホテルの1階に土産物屋さんを出している人だという探すとも言えないハードルの低さ。案の定さっきBoa tarde!!と挨拶を交わした人でした。

イザイアスさん
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早速Amigoになった。

色々な思い出の写真を見せてくれる。人の良さそうなおじさん。ペロリーニョでは有名人らしい。

夕方まで坂の多い石畳の街を歩いてみる。

マップがなかったのでホテルに貼ってあるものを参考に
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今までとは雰囲気がずいぶん違う。

ホテルの前の石畳の坂道
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タクシーを降りたジェズス広場
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カポエイラの準備中。観光向けだから撮影有料。
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ペロウリーニョ広場
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ペロウリーニョ広場からカルモ教会方向
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最初のブラジルの首都、最初に黒人が入ってきた土地。
歴史的建造物が多いし、黒人率が非常に高い気がする。それもアフリカ系の。
そしてカポエイラをやっている連中(観光客向けだが)、水売り、ビール売り、コーヒー売りその他諸々の物売りに物乞い、何もやらずに佇む人々、寝ている人、観光客を値踏みするギーア(ガイド)、絵描き、痩せてひねた感じの犬、ずーっと窓から外見ている人、ぶつぶつつぶやく裸足の人、大声で何事かを罵る黒人女性、そしてここにも多いPolicia(警官)、どこからか聞こえてくる音楽、重低音・・・・・。何だか混沌としている。
そういえば今日は火曜日だからオロドゥンの路上エンサイオがあるのかなあなどと歩いているうちに5時頃に。
とはいえまだ日は高い。

ホテルの部屋からの眺めがあまりに良すぎて、近所の安Barから買ってきたビールをガンガン飲んでしまう。ホント、この部屋で飲むビールは最高にうまい。

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夕食は近くのポルキロ屋へ。ここはひたすら安いが落ち着いて食べるところではない。ま、牛丼屋と思えば良いではないか。

夜のジェズス広場
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セー広場
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夜、オロドゥンの路上エンサイオはどうもなかったようだが、火曜日の夜というのは路上ライブが行われる日らしくてホテルの前の路上では大音量でヘギではなくてレゲエ。

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柔道着の下を履いたようなボーカルが「Jesus!!」「テンキュー!!」などとやっている。
これは面白かった。
交代して出てきたデュオがつまらなかったので、部屋へ帰って就寝前のビール。

天井扇を回さなければやはり暑い。エアコンらしきものは音だけうるさくて普通の風が出てくるような気がするからあまり当てにはならない。
目の上で回っているあの巨大な天井扇が間違って落ちてきたらどうなるんだろう、まさかそんなことはないだろう、でもブラジルだしなどとぼんやりしているうちに寝てしまった。

・3月27日
快適な部屋なんだけれど、蚊だかダニだか明け方にかけて痒い。キンカンを片手に半覚醒。
Café d’amanhaは3階の食堂。
ここがまた見晴らし抜群。トドス・オス・サントス湾と教会群、ペロリーニョ広場が同時に見渡せる。

今までの基本通りパン、ハム、チーズ、フルーツ(マンゴー、パパイヤ、スイカ)飲み物に加えて、芋関係が多い。
さつまいもとジャガイモの中間のようなものとか、大体ふかしてある。ついでにバナナもふかしてある。あとココナツ。アフリカ色が強いからだろうか。フルーツジュースも数種類あって、絞っただけ。甘いのが大好きなブラジル人でもフルーツジュースは絞ったものだけなんだね。毎日とてもヘルシーな朝食で大満足。

今日も晴天、暑い。

サルバドールはとても広くて複雑。今日はガイドを利用してみようと思う。個人だと高くついてしまうが、概要が分かればあとは一人で行動できるはず。ここも安全を買う。
Praca da seで知り合ったJordeにガイドをお願いする。
身元もしっかりしているし、イザイアスともアミーゴだと言う。しっかりしたガイドをしてくれる生粋のバイアーノだがギャラは若干高めかな。

Jorde氏
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まずは、本日からの拠点になるであろうPonto de onibus(バス乗り場)、Elebvador(上町―ペロリーニョのある保存地区の方だ。―と下町を結ぶエレベーター)、Mercado modelo(市場)を経由して下町へ。

上町から下町を見る
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ラセルダエレベーターの手前から
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ラセルダエレベーター
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ラセルダエレベーター前から下町
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桟橋方面
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下町とホテルのある保存地区とは随分と景色が違う。下町は商業地区のようでビルの間をバスが疾走していく様はRioの街とよく似ている。
かと思えば最高級ホテルのコンベント・ド・カルモが同居するカルモ教会のように16世紀の建築物があったりで興味が尽きない。
曲の題名になっているBaixo do sapateiro通りー庶民的な商店街だ。

Baixo do sapateiro
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建設中のサッカースタジアムを通ってTororo湖へ。ここでしばし休憩。

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トロロー湖。昼の時間帯は作業員の休憩場所になっている。
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日本語案内もある飲料屋台
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Morro入り口から旧市街地へ戻ってきた。
ざっと4時間程の歩き。
これで付近の地理は大体把握できた。
それにしてもいい天気だし暑い。明日も天気は大丈夫かねと聞くと、バイーアは雨が降ってもすぐに止むのだとのこと。
ここでガイドは終了にして一旦ホテルへ戻る。

まだ2時ころなのでシャワー、洗濯の後再び外出。
日本のように洗濯機がホテルにあるわけではないので、シャワーと一緒に足踏み洗濯をしているわけで乾燥時間等の若干の計算が必要なのだが、ここは洗濯物の乾きが抜群に良いので汗だくのものは片っ端から洗濯。

ここで一句・・・・ペロウリーニョ、洗濯物がよく乾く・・・・・・・。

昨日の早い・安い・まあまあうまいのポルキロ屋で昼を済ませて上町のインターネットが使えそうなところを探しながらと使えそうな公衆電話を探しながら散策。

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Internet Caféは何軒かあるのだがwifiは使えないとのこと。いろいろ探していずれもNG。
これはあきらめるしかないかと思ったが、昨日から気になっていた一軒があった。

ホテルからほんの二三軒隣のTattoo Zeus(すごい名前だ)という刺青屋さんの看板に小さくInternetとあるのだ。狭い階段を上って二階に行くのだが、階段の入口にはあまりガラの良くなさそうなのがいつも二三人たむろしている。その不機嫌そうな顔に向けて、ブラジルに来てから一日に何回もやる親指立てポーズで思いっきりニコッとしてやったら向こうもにっこりで交渉成立。
お二階へご案内。

パソコンが4台並んでいて子供がゲームで遊んでいる。窓際の床屋みたいなスペースが刺青屋だ。不機嫌そうな顔のお姉さんにi-padを使いたいのだがと説明すると、いいわよと。
ここはしっかりwifiが使えた。
1時間3R$で水も飲み放題なのだ。トイレもある。
不機嫌そうな顔のお姉さんも別に不機嫌なわけではなさそうで、帰り際には毎日笑顔で接してくれるし、そういえばこんなこともあった。
お姉さんは別室で休憩中、5分延びたので代わりの店番の兄ちゃんに3R$でいいのかと聞いてみたら、5と言う。このやりとりが聞こえたのだろう、隣室からお姉さんの声が一喝「3だからね!!!」。
いい人なのだ。
日本と同じで小学生くらいの子供たちがパソコンゲームをやっている隣でi-pad。
パソコンは買えないけれど、ここへ来る小遣いはある子供達なんだ。
いつものサインでニカッとすると子供もニカッ。

以後この刺青屋さんへは毎日通うようになる。何だか僕が愛用している石垣島のGという店に状況が似ているな。エアコンはないけど。
ともあれこれで懸案の一つは解決。

夕食は、かねてから気になっていた料理学校がやっているレストラン「エスコーラ・セナツキ」へ行ってみたが現在夜の営業はやってないらしい。
戻りがてら覗いてみた教会からサンバっぽい合唱が聞こえてくる。
思わず入って聞き入って、更に見入ってしまう。

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バンドは打楽器だけ。ボーカルは時々変わる。ゴスペルっぽい曲想のサンバなのだろう。
これはミサをやっているという事なのだきっと。
観光客もウェルカムのようなので見学させていただく。
とても素晴らしいライブになっていた。
最後は司祭様の水と煙をかけていただき揚げパンのようなお土産までもらった。

ここはペロリーニョのIgreja do Rosario dos pretos(ホザーリオ・ドス・プレートス教会)。
黒人が黒人のために建てたブラジル初の教会。
装飾もアフリカ色を感じさせる。というより非ヨーロッパ色か。

大満足で夕食はジェズス広場に面した時々ライブをやっているレストランでポルキロ。
サルバドールへ来てからムケッカを食べまくろうとしているのだが、まだこれというものにめぐり合っていない。
本日もまあまあ。Mais un menos。
ビールは相変わらずうまい。

昨日からgeneiro(現金)オンリーが増えてきたような気がする。Rioではほとんどカードだったけれどこちらは違うみたい。
ちょっと注意せねば。
おかげでお釣りの小銭が重たくなってきている。

明日はイタパリカ島へ行ってみよう。

夜になるといっぱいいる。
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2013年05月22日

ブラジル旅行記6(3月28日~3月29日(Salvador、バイーア州))

・3月28日
朝から晴天、暑くなりそうだ。
今日はトドス・オス・サントス湾に見えるイタパリカ島へ行ってみようと思う。
午前9時頃には遊覧船が出るはずなので、朝食を済ませ早々にホテルを出発。
ラセルダ・エレベーターで下町へ降りて桟橋へ向かう。既に観光客が集まり始めているので一緒にチケットを買う。

桟橋
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フラジス島という小さな島を経由してイタパリカ島で昼食、午後5時頃に戻ってくるというクルーズだ。
船は木造の素朴な観光船、白人の観光客が多い。
後でネタにもなるのだがアルゼンチンの観光客が多いみたい。
これまた船内では飲み物(もちろんアルコールバリバリ)から写真から色々な有料サービスがある。
客も楽しんでやるぞという意気満々でとても賑やかな船内。

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そこで始まったのがサンババンド。

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船出、サルバドールの街を後にする。
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バンジョーカバッコ、パンデイロ、タンタン、タンボリンという3人編成で生音で演奏。当然お客さん参加型。
リーダーが、お客さんはどこから来ていますかーみたいな質問で東洋人は小生一人。初めからJapones?と聞いてきたから目をつけていたのかな。
そういえば、この旅でJapones?と聞かれたことはあっても中国人とか韓国人とかと聞かれたことは一度もなかった。
まあそれはいいとして日本人は一人だけだからまずあなたに踊ってもらいましょうと、バンドの前に招かれてサンバを踊れと。しかもシャツも脱いで裸足で。
ここはブラジル音楽をやっている日本男児としては受けて立たぬわけにはいかぬのだ。
ということでもっと普段から踊っておけばよかったなあと思いつつ踊る。
でも客は素人だから大ウケ。
多分このウケは東洋人がサンバを踊ったというウケで上手い下手のウケではないはず。
以後これが国ごとにずっと続くわけで特にアルゼンチンおばさん軍団のパワーはすごかった。沖縄のおばあたちを思い出してしまった。

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バンドは観光客向けだから、演奏する曲もAquarela do Brasil 、Tristeza、 E Hoje、 Mas que nadaとかの有名曲の他に花祭り、ボラーレ等の国籍の違う曲もあって賑やか。ただ演奏の節々にさりげないテクニックが感じられ、多分この人たちは普段きちっと音楽活動をしている人たちなんだなと感じさせた。

イベントもあり元々陽気な客たちで船内は打ちとけたとても楽しい雰囲気になっている。この辺は日本とずいぶん違う。

船内で偶然ペロウリーニョホテルの従業員のRoberto(ホベルト)君に会う。人懐っこい受付の青年だ。今日は休暇だと言う。それじゃ一緒にビールでも飲もうぜと。

初めに着いたフラジス島はとても小さな島。
リゾート用のちょっとしたBarとかレストラン、トイレはあるけれど人が住んでいるような雰囲気はあまりない。

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海は綺麗なのでここでは海へ入ってみた。
大西洋で泳いでいるんだなあと感慨ひとしお。
Roberto君達とセルベージャ。日本の海で飲むビールもうまいのだが、ブラジルでは特に美味しく感じられる。

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ジャンガーダ(帆掛け舟)
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1時間ほど滞在して、メインの目的地イタパリカ島へ。
船内更にリラックスした雰囲気が漂い、アルコール類もよく売れているようだ。船上のサンバもひたすら続いている。
30分ほどでイタパリカ島着。

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ここはかなり大きい島で、集落も複数有り、バスやタクシーも走っている。大きい宿泊施設がありサルバドールのリゾート地のようだ。桟橋を出たすぐのレストランでランチ。ビュッフェ方式。

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ここはたっぷり時間がとってあるので、ビーチでセルベージャ&日光浴。

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ブラジル人はビールが好きだ。ガンガン飲む。
海にもちょっと入ってみたが水は暖かい。透明度は八重山の方が数倍上。
積極的に水に入りたいという気分にはならない。
もっとも大都会サルバドールからゆっくりした船で1時間30分だからそれはしょうがないか。
ブラジル人と同じくビーチでセルベージャ&日光浴が正解のようだ。
3時半ころまで滞在を楽しんで帰りの船。相変わらず船上サンバも続いている。

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それにしてもこの船のパイロット兼船長はこんなところで操縦していて果たして前が見えるのか。
それともこの舵はサービス用のダミーで本物の操縦室はどこか他にあるのか。確認することはできなかった。

この子供はパイロットではない。当たり前。後ろの舵を持っている人ですね。
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行きに下手くそなサンバを踊ってしまったが、帰りはどうにもたまらなくなりタンボリンを奪って参加。観光客にも結構受けたようだ。

船上からの夕陽
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楽しいツアーからサルバドールの桟橋に帰ってきたのは5時頃。

部屋でギターの練習とセルベージャ。
どこかの教会から合唱が聞こえてくる。
ゆったりした単純な旋律でとても心地よい。
G/G/Am7/Am7/D7/D7/G/G/G7/G7/C/C/G/D7/G/G(/は小節線)という感じのシンプルなコード進行で思わず部屋でギターを合わせて弾いてしまった。

夜、ビールを買いにホテルからすぐのBarへ。ここはいつも立ち飲みで繁盛している。

Japones!と声をかけられる。
俺もガイドなんだがお前は昨日ジョルジと一緒だったろと。
イザイアスとも友達なんだろと僕に関する情報をある程度持っている。
ガイドの情報網は強そうだ。また、東洋人は結構珍しいから見られているんだなと感じる。
オロドゥンのプロフェッソールと称する人物?????を交えてしばしセルベージャ。
ここはカード不可。

夕食の食堂もカード不可。
ムケッカを食べたが酸味が効きすぎ。
多分ブラジル人も美味しいとは思えないが。

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サルバドールに来てからカード不可が目立ってきた。

・3月29日
今日も晴天
今日はサルバドールもSemana Santaで店は軒並み休み。イザイアスも休み。Roberto君はいる。
いつもは賑やかなSe広場も閑散としている。

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黄金教会で有名なサンフランシスコ教会を見学しようと思ったら50R$の釣りがないとのこと。
どこかでくずそうかなと思ったら店は皆休み。
明日明後日は土日なのでこれはまずいと思って、やっている店を探しにエレバドールへ下町に。年中無休のはずのメルカードも本日休業。
かなり徹底している。
銀行も休業なので仕方なく再び上町へ。使えるATMを探す。
Rioで使えるものと使えないものを経験しているから真剣だ。
結果、Banco do BrasilのATMが使えると分かり一安心。ただしこれもどこにでもあるわけではないのだ。
部屋へ戻ると豪華客船がやってきたのが見えた。

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午後からはボン・フィン教会へ行ってみる。

エレバドール前の下町のバス停でバスに乗りたいのだが、行き先表示もなにもないのでどのバスに乗っていいのかわからない。
隣にいた青年に聞いたらさらにその隣にいたおばあ(この表現がぴったりくるのだ。)が「私もそこへ行くから一緒に行きましょう。」
以後拙い僕のポルトガル語とのやりとりはおそらくこんな感じだったと思われる。

「料金はいくらくらいなんですか。」
「いいの、いいの、私に着いといで。」
「あれに乗るわよ。」
前から乗って料金は払わない。確か後ろ乗りの前払いだと思ったが・・・・・・・
「ここ(おばあの隣)に座って。魚工場の匂い臭いわねえ。」
しばらく経って「運転手さんこれはボン・フィン教会へ行くの?」
「行かないです。これこれのバスに乗り換えてください。」
舗装はされているがかなりのガタガタ道をものすごい勢いでバスは跳ばしていく。当然すごい揺れ。カーブの曲がり方もエキサイティングだ。
それにしてもブラジルの車、特にバス、タクシーの跳ばすこと、日本ではまず考えられない。
乗客に対する気遣いというサービスはあまりない。
次のバス停で降りる。料金を払った様子はない。
小生に「sol?」と聞こえたので「太陽?」と問い返したら「違うの。あんた1人(sozinho)なの?」「はい、そうです。」こんな間違いはしょっちゅうで「来たわよ。」でまたまた前乗りで料金払わず。
でボン・フィン教会着。
「料金はどうなったんですか。」「いいのよ。私は年寄りだからいらないの。あんたは私の付き添いだからあんたもいらないの。この坂を登っていけば教会だから楽しんでいらっしゃい。」・・・・・・・と。
ご親切に感謝感激でした。

ボン・フィン教会は観光名所だけあって観光客も多く物売りも多い。
教会内部もさることながらここから見るサルバドールの街の眺めも素晴らしかった。

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日本であるところの身代わり地蔵のようなもの
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帰りのバスもバス待ちの人に親切に教えてもらってエレバドール前で下車。
これはちゃんと後ろ乗り、料金2.8R$払って前降り。

ブラジル人は人懐っこくて面倒見が良くて親切だが、反面、交通機関、エレベーターも含めて日本のように乗客に優しくスムーズに発車停車するとか歩行者に対する気遣いとか、利用者あるいは周囲にたいする気遣い、やさしさというサービスは交通機関には欠けていると思えた。

街中にいる白人の集団、プラカードで案内されている集団は、多分午前中にやってきた豪華客船の客なんだろう。エアコン付き大型バスが何台もお迎えに来ている。ガイドや物売りは忙しいはずだ。

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午前中は休みだった商店も空いてきている店も多い。午前中休みだった例の刺青屋もやっている。

なんてビールが似合う部屋なんだろう。
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夕暮れ
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Semana Santaの行列を見る。オーロプレットとはだいぶ異なっている。こちらはcarnavalに使うトリオエレトリコを出している。ま、それほど大音量ではないが。

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夕食は久しぶりにちょっと高級そうなレストランで魚(tropical fishとなっている。)のソテー。

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この店
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これが絶妙の美味しさ。
白ワインともよく合う。ここはカードが使えた

今日はおばあの親切が印象的な一日だった。

2013年05月27日

ブラジル旅行記7(3月30日~3月31日(Salvador、バイーア州))

・3月30日
サルバドール二来てから初めて朝から雨。本降りだ。

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ホテルの中庭は画家の仕事場だ。有名な人らしい。
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午前中の外出はせずに、部屋で練習などをして過ごす。
昼頃にかけて止んだ。さすが、地元の人の話通り、雨はすぐ止むのだ。
昼食はかねてから気になっていたエスコーラ・セナツキへ行ってみる。
昼時しか営業していないし、明日日曜は休みなので今日は是非行ってみよう。
ペロウリーニョ広場に面した緑色の建物の二階で分かりやすい。

料理学校がやっているレストランということで、従業員のサービスも本格的。
高級そうな雰囲気だが値段はそこそこ。
昼ちょっと前だったので客は僕一人。
ビュッフェ形式で食べ放題なのだが、料理の種類が多くてまた面白そうな食べ物も多くて取りきれない。

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ガルソンがところどころに立っていてサービスをしてくれるのだが、客一人状態ではなにか見つめられているような感じがして少々落ち着かない。
味はとても良い。
ただ、ビュッフェ形式、ポルキロもそうなのだがついあれこれ取りすぎて一品の印象が薄れてしまいがちだ。
ま、これはひとえに自分が悪いのだが。
人間は欲深い。

昼からは晴れてきたので、バスでBarra方面へ行ってみることにする。
トメ・ヂ・ソウザ広場付近にあるセー広場バス停から多分このバスだろうと検討をつけて乗る。
2.8R$で乗り放題。

相変わらず警官は多い。バスにまで乗ってくる。これは警備なのか、はたまた移動なのか。移動を兼ねて治安に不安のあるバスにも乗ってくるのだぞという示威行動だとすれば、犯罪予防にはなる。
確かに安心感はある。

さて、相変わらずバスはぶっ跳ばしていく。

Barra要塞で降りようと思って気持ち良い速度で過ぎていく海岸線を見ている。
それにしてもセー広場バス停から約20分と書いてあったような気がするが、もう4、50分は乗っているような気がするなあと思っているうちにバスは海岸線を離れて行く。
また海岸に出るだろうと思っていたら何か雰囲気が違ってくる。
これは乗り過ごしたと思って対向車線にバス停があることを確認して適当なところで降りる。反対方向のバス停でセー広場方面行きを待つ。

騎馬警官がやって来る。道に迷うのもまた楽しというところか。

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それにしても暑い。
帰りのバスでお客さんに聞いたらBarraからはかなり離れ空港に向かう方向だったことが判明。帰りはBarra要塞を確認しようと注意していたが分からず。ルートが違っていたようだ。

イザイアスの店で日本語ガイドのLivia Pereiraさんと日本人夫婦と遭遇。久しぶりに日本語を話す。気になっていた日本人と電話連絡してもらってこれで問題は全て解決。

夕陽がきれいな部屋だ。
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夕食。
FB上で友人の中原仁さんから薦められていたカエターノ・ベローゾの故郷サンタ・アマロの料理が味わえるというレストランへ。
お店の名前はPonto Vital。

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Salvadorのヤールー(やもり)。右45度を狙っている。
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ホテルからはすぐ。ジェズス広場から入った通りの奥にあって目立たない。綺麗な作りで店内も清潔だ。
仁さんお薦めのムケッカ・Maturi。
大体ポルキロ、ビュッフェを除くブラジルのレストランは料理が出てくるまでにたっぷり30分はかかるのでそれまでにビールだのワインだの結構飲んでしまうのだ。
客は僕一人。くつろげる雰囲気だ。
ゆっくり出てきたのはカシューナッツのムケッカ。

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これが大変美味しくてようやく念願のムケッカにであったという心持ち。
量的には二人で食べてちょっと足りないかなくらいの感じ。
一時間半くらいゆっくり食べて飲んで64.9R$は妥当なところだろう。
ここはサルバドールを離れるまでに是非もう一度来て違うメニューを味わいたい。

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お店の外の夜、いい雰囲気だ。

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・3月31日
今日は日曜日、ほとんどの店が休み。

日曜日朝のミサ
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エレバドールでメルカードモデーロへ下る。
さすがに観光客が多く営業中。

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ここは那覇の公設市場なんかとは異なり純粋に観光客仕様のマーケットだ。

市場前広場の露天商
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ブラジルの有名観光地は観光が一大産業になっている。様々な形で観光マネーを獲得しようとする。
ピンからキリまでのガイドもその一つで、とにかく声かけまくり。
ただ、断られるのは彼らも想定内だから必要ない場合ははっきり断ればいいのであって何の遠慮もいらない。
一旦受け入れてしまって料金を曖昧にしておくのが一番良くないみたいでトラブルのもとだ。

彼らの横のネットワークや情報網は強力みたいなのであまりトラブルは起こしたくないものだ。
物売りや物乞いも多いが、断ることに何の遠慮もいらないはずだ。
土産物はイザイアスのところで買えばいいので、再びエレバドールで上町へ。

相変わらずの晴天。
昨日失敗したBarra海岸へ行ってみよう。
今日はエアコン付きミニバスが「Barra方面」と言ってやってきた。3R$でこれは快適。
日曜だからだろうBarra海岸沿いの道路は歩行者天国になっている。今度は間違えずに適当なところで降ろしてもらう。

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Barra要塞。博物館と現役の灯台。眺めがすごく良い。

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日曜だけあって海水浴やらビーチ遊びやら人出がすごい。
1km程先に見えるキリスト像まで歩く。

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キリスト像と白鳩
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喉が渇いた。
Agua de cocoの屋台で2R$。僅かな甘味で喉が渇いているのでとても美味しく感じられる。

海岸はリゾート地。

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海側に林立する高級マンション、高級ホテル、高級レストラン、陸側にうずくまるファベイラ、乞食、物乞いの子供たち等々、貧富の差が本当に極端だ。

海岸に張り出しているレストランで昼食。

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ピッツァ!! 旨いのだが量が凄い。

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とても食べきれないが、ブラジルは持ち帰りOKがほとんどなので無駄にはならない。
1/3くらいお持ち帰り。
運が良いことにセー広場行きのエアコン付きミニバスがまたやって来た。
空港もこれで良ければいいのになあ。

まだ4、5日しかいないのにペロウリーニョ付近に戻ってくると帰ってきたなあという雰囲気になる。石畳の歩き方にも慣れ、シマサバ(ビーチサンダル、ハワイアーナス)の食い込みも気にならなくなってきた。

持ち帰りピッツァをイザイアスにおすそ分け。
部屋からギターを持ってきて店で弾いたりして楽しんだ後に僕のCDをプレゼント。

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改めて夕食に行こうとしたら、店から大音量でCDが流れていた。
少々気恥ずかしい。
ありがたいことに何人か欲しいというお客さんがいたそうで。何枚か置いておく。
どこかの島でこんな情景があったことを思い出した。

昨日のPonto Vitalへ行ってみたが日曜日で休み。主だった店は休んでいるが、ジェズス広場に近い安ポルキロは営業中。安くて味もまあまあだけど騒がしくて落ち着かない。長居をする雰囲気ではない。まあ当然だろうけれど。

日曜日の夕暮れ時、静かなペロウリーニョ広場
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明後日、火曜日の深夜にチェックインする予定のRecifeのホテルから心配ないから気をつけて来いとのメールが来ていて一安心。
明後日の移動は深夜になるので注意が必要なのだ。
部屋では真夜中から痒みの来襲。
蚊の羽音も聞くので多分そうだとは思うがダニもありかも。
キンカンの出番が多い。

2013年06月07日

ブラジル旅行記8(4月1日~4月2日(Salvador、バイーア州))

・4月1日
月曜日、サルバドール滞在も早いもので、残すところ今日明日の二日。
今日は遠出をせずに歩いて行ける範囲で教会や街を探索することにする。

ペロウリーニョ広場を下って坂を登ったところにあるカルモ教会。
朝食の時、尖塔が見える教会だ。

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カルモ通り坂下からペロウリーニョ広場を臨む。
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そして黄金の教会とも呼ばれるサンフランシスコ教会。
教会の内外、目に映るものすべてが美術品に見えてとても新鮮だ。

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昼はセー広場に面したColiseuへ。
ここは落ち着けて美味しい。

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昨日あたりから自分の体臭が変わってきたように感じる。
ココナッツ臭というか表現するのは難しいが、色彩で言うと黄色っぽいオレンジ色みたいな、ブラジルの街中に降り立って初めて嗅いだあの匂いとでも言おうか。
やはり食べ物の影響だろう。

午後からも街を歩いて、夕食は一昨日のムケッカが美味しかったPonto Vitalへ。休み。残念。
もう一回行きたかったのに。
二三日前に行った魚が美味しかったレストランへ。
またもや同じものを頼んでしまう。

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気になる明日の予定を考えてみる。
正午にホテルをチェックアウトしてRecife行きのフライトは午後10時過ぎ。
約1時間で到着してからホテルへ移動という、初めての土地に降り立つ者にとっては深夜の若干リスキーなスケジュール。
ホテルは確認が取れているので締め出されて宿無しということはないだろうから、いや、ここはブラジルだから油断はできないぞ。
ま、明日はまだ暗くならないうちに空港行きのバスに乗ることにしようなどとあれこれ考える。
気が付くとサンバの音が聞こえてくる。
向かいのミゲル・サンタナ劇場でショーが始まったらしい。

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明日でこの街を離れるとなると何だか寂しい気分になる。
ペロウリーニョ近辺の地理は歩き回って大体つかんだし、バスの乗り方も分かったし、近所のおいしい店も大体理解したし、イザイアスやホベルト達の友達も出来たし、多分これから腰を据えてじっくりサルバドールを堪能できるとっかかりの時期なんだろう。
やはりそこまでたっぷり1週間はかかるのだ。
そこで移動なんだから心残りはある。

サルバドールの街並みはここへ来る前にオーロプレットという極端な異国情緒を味わったのでそれ程びっくりはしなかったが、人が違う。
黒人のエネルギーが渦巻いている感じで、なんというか街全体が踊っているような感じがする。
どこかから聞こえてくる重低音、打楽器の音、歌声、呼び声、物売りの声、叫び声、酔っぱらいの嬌声、街の匂い、突き抜けるような青空と強烈な太陽、引き込まれそうな海・・・・・・・・すべてが混沌として渦巻いているようで街並みと一緒になって虜にしようとするのだ。

Terra felicidade,Que beleza!!

また必ず戻ってきたい。

・4月2日
思い出深いサルバドール出発の日。
今日も晴天。暑くなりそうだ。
ゆっくり朝食をとる。このホテルの朝食も充実していた。
パン、フルーツ、いも、ドリンクが基本で時々謎の食材があったりした。
ホテルペロウリーニョは古いホテルだが、部屋は広くて眺めがよくてとても満足した。
従業員も親切だったし便利な場所にあったし、毎日イザイアスと顔を合わせることもできた。
幸運な選択だったと思う。
ホベルトは午前中の勤務だからここでお別れ。
イザイアスのところでお土産を物色したりして午前中はのんびり過ごす。

荷物をホテルに預けて、昼はPonto Vitalに行ってみる。
ラッキーなことに営業中。
例によって客は僕一人。
カニのムケッカをビール、ワインなどとゆーっくりと楽しむ。
カニの身の量が半端ではない。濃厚な味でワインが進んでしまう。

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カニのムケッカ
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可愛いモレーナ達
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後ろの肖像画はカエターノ・ヴェローゾのお母さんではないか。
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すっかりお気に入りの場所になったセー広場の見晴らしがいい場所でしばしの休憩。

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時々現れるサル。人っぽい顔つきをしている。なんというサルなんだろう。
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刺青兼インターネット屋へ。
ここも世話になった。
ここがあったおかげで本当に助かった。
不機嫌顔のお姉さんに丁寧にお礼を言う。
ここのところは不機嫌顔ではなく笑顔を見せてくれる。

イザイアスにお礼を言う。

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「イザイアスさんは日本に来ることはないの。」
「いや、俺なんかもっともっと働かないと。お前だって働いて働いてブラジルへ来たんだろ。俺なんかまだまだだ。」
大半を占めるブラジルの庶民にとっての現実は確かにそうかもしれないな。
いろいろとお土産も頂いた。
セー広場からバスに乗るため5時半頃出発。
さらばペロウリーニョ。

さて、空港行きのバスはラッシュ。エアコンなし。
しかも海岸通り大渋滞。
Ondinaを過ぎてもまだ詰まっている。
かれこれ1時間。
暑い。子供が泣き出す。
こういう状況は久しぶりだ。じっと乗っているブラジル人は案外我慢強いと思った。
あたりはすっかり暗くなって時間はどんどん過ぎていく。
早めに出たのが正解だった。渋滞でも余裕があるのだ。
海岸線を離れてからは車が流れ出す。
終点の空港へ着く前にほとんどの人は降りてしまう。結局空港までの所要時間は2時間。
2.8R$でこれだけ乗れたんだから良しとしよう。

サルバドール国際空港は深夜でもかなりの人出。
昼間のムケッカが効いているせいか、腹はあまり減っていない。ただ喉が無性に渇いている。
セルベージャが美味い。
飛行機が若干遅れてRecifeグアララペス国際空港へは午前0時頃到着。
ここからホテルのチェックインまでが肝心なところなのだ。
しかし国際空港だけあって空港タクシーもまだ営業中で、ホテルまで31R$で行ける。
これはラッキーだ。

Inter Hotelは日本で言うならば空港から近い産業道路沿いのビジネスホテル。
もしもチェックインできなかったらという不安があるのでタクシーに待ってもらってホテルへと思ったら運ちゃんも着いて来た。
俺は確かにこのお客さんを届けたからよろしく頼むぜと確認してくれる。
ありがとう。

このホテルはホテル探索サイト上で評判が悪く最悪みたいな意見が出ていた。
部屋が狭くて窓が小さい、薄暗い、冷蔵庫はないしシャワールームはぶっきらぼう。近所には何もない。
多分このあたりが不評の理由なんだろう。
しかしフロントは親切だし、部屋によく効くエアコンがある、シャワールームだって部屋にあるのだから上等、wifiもあるし、ベッドは広い、飲み物はフロントに言えば制服を着た黒人少年が部屋まで持ってきてくれるのだ。
空港から近い産業道路沿いのビジネスホテルに贅沢を言えばきりがないのだ。
ホテル探索サイト上の意見は勘違い旅行者の間違った評価だと思う。
ホテルにとってはいい迷惑だろう。

あまり治安も良さそうでない深夜の街で近場には見当たらない食堂を探しに行く気にはなれず、セルベージャを3本程飲んだところで寝てしまうことにした。

2013年06月18日

ブラジル旅行記9(4月3日~4月4日(Recife、Olinda、ペルナンブーコ州))

4月3日
今朝はのんびり。午後にオリンダに到着すればよい。
昨日は結局夕食抜きだった。
勘違い旅行者にはきっと悪評だろう朝食。
とんでもございません。
パン、ハム、チーズ、フルーツ、ドリンク、質素だけれどとても充実している。

地図によればこのホテルの近くにメトローの駅があるはず。
終着がRecifeだからそれに乗ってみようと、まずは散歩がてら駅までの道順を確かめに行く。

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朝からものすごい暑さ、日差しが痛いように感じる。さすがに赤道に近いだけのことはある。
通勤時間帯なのだろう、ホテルの前の産業道路(Av.Mascarenhas de Moraisという大通り)を満員のバスが物凄いスピードでRecife方向へ跳ばしていく。
幸いにして信号がある。
渡ってしばらく行くと駅らしい建物がある。
Shoppingという駅だ。
メトローとはいうものの地上を走っているらしい。どうもRecifeまで地上路線みたいだ。
しばらく見ていると4両編成の電車がやってきた。

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小奇麗な車両だ。
どこか東急の古い車両にも似ているような気がする。全線1.8R$。安い。

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すっかり気に入って乗る気満々でホテルへ戻る。しかしそれにしても付近にはお店などは何もない。海側へ行くと巨大ショッピングセンターがあるらしい。駅名もそれを示している。

午前中にShopping駅から乗車。結構混んでいる。だがエアコンが効いているので快適。混雑の中、物売りが乗って来る。
15分ほどで終着のRecife駅に到着。
2本の路線が入ってくる線路止のある終着駅Recife駅は何だか東急の蒲田駅に雰囲気がよく似ている。
外はすごい暑さ。
Olindaへ行くバス停はここからしばらく歩くみたいだ。荷物もあるしここはTaxiを利用する。

陽気な黒人のモトリスタ(運転手)。始めから終わりまでしゃべりっぱなし。初めは40R$で行くと言っていたのが何とか50R$につり上げようとしてくる。観光案内もしてくれているようだしチップ替わりで承諾する。
とにかく皆現金を得ようと必死なのだ。
承諾するとモトリスタはボルテージが上がったのか、更にしゃべりまくり。

オリンダは地図で見るより意外に近い。
とにかくホテルへ到着。

ホテルの入口
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明後日の帰りはこのモトリスタに来てもらってRecife駅まで行きメトローで空港駅まで行こうかと思ったが、ホテルのフロントが当のモトリスタと、ここまで迎えに来て空港まで60R$で行けと話をまとめている。10時台のフライトだからそのほうが安全だということでOKする。

ここ、Pousada dos quarto cantos は値段の割にはグレードが高い。
敷地全体が木の生い茂った邸宅という感じで庭も広いし部屋は清潔でwifi、エアコン完備。フロントのサービスも良い。日本のホテルサービスのようだ。
フロントにはオリンダのカーニバルで中心的な役割を果たす巨大人形、Boneco(ボネコ)がいる。

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これは街のいたるところにいるのであって、1年に一回の出番を待っているのだろうか。
荷物を降ろして、早速街歩きを開始する。

ボネコのいる風景
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まずは昼食。ホテルの前の坂をずっと下ったところにある公園に面したMouriscoというポルキロ屋。
ほぼオープンエアという環境。種類も多いし安くて美味しかった。

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プリンセス・イザベル像
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カルモ教会
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再び坂を上って旧市街地へ。
オーロプレット、サルバドールと同じように石畳の坂が多い保存地区の街並みだが、建物がものすごくカラフルで、それも原色のカラフルさ。サルバドールもカラフルだったけれどここまでではないように思う。

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日本的に言えば悪趣味な色使いで落ち着きがないということになるのだろうけれど、この赤道に近い日差しと暑さには原色の街並みがとても良く似合う。日本にはありえない景色だ。
街のいろいろなところでボネコが顔を覗かせている。
歩いているうちに暑さのせいもあるのか、おとぎの国に来たような気分になってきた。
坂の上の方からは高層ビルの立ち並ぶ大都会Recifeの街並みが見える。

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それにしてもサルバドールからやってきたからかもしれないが、人が少ない。警官はそれなりにはいるが、今までと比べると少ない。2月のカーニバル時には人が道を埋め尽くすそうだからカーニバルが終わったあとのこの時期はよけいに静かなのだろう。

旧市街地から坂を下って海岸に出てみる。

生活に溶け込んでいる馬車
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海岸からRecifeを臨む
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ドリバル・カイミの歌詞にあったジャンガーダが置いてある。
遠めに見ると白い蝶に見える。

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さすがに保存地区を出るとサルバドールの下町やRioのような普通の市街地になる。
夕方近くになったがまだ日差しは強い。

この日差しが強いうちに気になることをやっておきたかった。
ホテルには小さいながらなんとプールがあるのだ。
ホテルのプールで寛いでみたい。
ということでホテルに戻ってプールへ。

プールと言うよりはぬるい露天風呂みたいだ
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プール近くのオブジェ。いろいろなところにこういうものが点在するアートな雰囲気
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ブレスト二かきぐらいで終わってしまう代物だが、プールサイドにはデッキチェアもあるし人もいないしとても快適。
日が陰るまで楽しんだ。

夕暮れ時のホテル
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昼のポルキロが効いているので割と遅めの8時頃夕食に出た。
暗くなって人通りもほとんどなくなっているので近場ですまそうと散策していると、ホテルの通りにちょっとアートなレストランを見つけた。入ってみることにする。

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ここが当たり。
店内は絵画や色々なオブジェが展示されていて目を引く。

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人懐っこい店主兼料理人がどうも一人でやっているらしい。他に客はいない。
本当はbacalhau(タラ)料理が食べたかったのだが、今日はないという。
勧められたのが卵料理。
オムレツらしいことまでは分かるが詳細は分からない。
ビールは既に飲んでいるのでカイピリーニャを飲んでやろうと思い注文。かなりの量。

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美味い!!やはりブラジルのカイピリーニャはうまい。
青レモンのせいだろうか。原料が安いので値段も当然安い。これだけの大盛りで約250円なのだ。そうこうしているうちに出てきたのが、スペイン風オムレツ。

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とても優しい味で、はっきりした味の多いブラジルでは異色に感じたが、曖昧な味も好きな日本人の僕としてはとても気に入った。量もちょうど良い。
カイピリーニャをもう一杯いただいてちょうど良い量だった。
気さくな店主兼料理人といい加減なポル語であれこれ雑談。
飾ってある絵(実は売りものなのだ。)やオブジェ(店主が作っているとのこと)、音楽の話とか日本の話とか。
絵は奥の間で画家が制作しているとのことで、画家のおじさんとも会うことができた。
明日はbacalhau(タラ)を用意しておくよとのことですっかりいい気持ちになって店を出る。
こういう素敵なお店と偶然出会える楽しみは一人旅では格別なのだ。

4月4日
本日も晴天。暑い。
今日は街を歩こうと決めている。

オリンダも世界遺産、観光地だけあってサルバドール同様ガイドの売り込みがしつこい。
ホテルでもらった地図があるので、さほど広くないこの街を歩くのにガイドはいらない。

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観光流しのおじさんたち。素朴な地元のフォークソングを奏でていた。
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ボネコのいる風景
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このくらいの大きさ
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これはひょっとしたらエスコーラ・ヂ・サンバの練習場だろうか。
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展望塔から見た360度パノラマ
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野外授業か
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ボネコのいる風景
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旧市街地、昼過ぎまで散策すると大汗。
シャワーと洗濯をして昼食。

ここで気付いたのが、dinheiro(現金)が不足していること。
地方はcartaoが効かないところが多いのはサルバドールで学んだことだが、うっかりしていた。
ホテルでVISA対応のATM、すなわちBanco do Brasilの在り処を聞くと、海岸通りを北へ行くとあるよ、でも歩くとかなりあるからタクシーがいいんじゃあないかと。
実は近辺にVISA対応のATMがどこにもないこともdinheiro(現金)不足の一因だった。
ATMへ行くのにタクシーはないだろうと、時間もあるし散策がてら歩くことにする。

容赦なく照りつける赤道近くの太陽の下、傍らをバスがぶっ跳ばしていく海岸通り沿いを30分ほど歩いたら銀行ではないが大型スーパーがある。経験上こういうところにはたいていATMがある。入ってみると当たり。ついでにトイレも借りれた。

帰りはまた海岸通り沿いをのんびり歩く。
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途中、海浜で日光浴などして帰ったが、今から考えると人目につきにくい場所は危なかったかもしれない。金はなさそうな格好はしていたけれど、やはり日本人は用心する必要があったと後になって反省。
いい加減時間も経っていたので二度目の洗濯とホテルのプール。
そんなこんなで夜になってしまう。

夕食は昨日約束したbacalhau(タラ)を食べに行くのだけれど、その前にどうにも気になってしょうがないホテルの向かいのCaféへ行く。
Estacao Caféという店だ。

Estacao Café、ここにもボネコが。
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入口から続くフロアが土産物屋、奥へ進むとオープンエアのCaféになる。

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ここでいただいたカイピリーニャ+エスプレッソカフェという初体験の飲み物が大変美味しかった。
値段も7R$(350円)と安いのだ。

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BGMはカエターノでした。

さて、お約束のbacalhau(タラ)料理。
昨日と同じで落ち着いた雰囲気、店主との楽しい会話にカイピリーニャ。
料理はbacalhau(タラ)と野菜の炒め煮をご飯にかけたもの。
優しい味で大変に美味しかった。量もちょうどいい。

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店主兼料理人
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店主作のオブジェ
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それにしても、サルバドールでも感じたことだが、美味しくて落ち着ける店というのは客があまりいない。だから落ち着けるというところもあるのだが大丈夫なのだろうか。
料理や絵画やオブジェ、会話、カイピリーニャを楽しんでとても良い気分になってしまった。
夜も更けてちょっと酔っ払ったかな。ま、ホテルも近いし大丈夫だろう。
店主「Cuidado!!」。さすがわかっていらっしゃる。
Obrigado、ありがとう。
本当に良い店だった。

明日は、9時にお迎えが来てRioに出発だ。

2013年06月25日

ブラジル旅行記10(4月5日~4月6日(Rio de Janeiro))

4月5日
ここのホテルの朝食も実に興味深い。
ココナッツを使った料理が多いようだ。
ココナッツは好きなのでどんな料理でも歓迎。
更にサルバドールもそうだったが、日本ではありえないマンゴー食べ放題にマンゴー好きな僕はとても嬉しい。
いも料理、甘味のないフレッシュジュースといいブラジルのホテルの朝食はとてもヘルシーだ。もちろんCaféはどこでも美味しい。

今日はオリンダを出発してRio de Janeiroに戻る。

オリンダは色彩豊かで、とてもアーティスティックな街だった。
静かな時期に来て、落ち着いて散策できたのも良かったけれど、カーニバルの時期にも来てみたい。
フォホーやフレーボもたっぷりと聞いてみたいし、Bonecoのパレードも見たい。
今回は初めてということもあったが、サルバドールを含めてノルデスチをじっくり旅したい気持ちに駆られた。

約束の9時前には一昨日の調子のいいモトリスタが迎えに来ている。
一昨日別れたばかりなのに何だか懐かしい気分になる。

空港まで60R$の約束は覚えているのか。こっちはメモを持っている。
大都会Recife市街地は通勤時間帯と重なったのだろう、結構渋滞している。
都会だけあって運河が臭う。
以前の東京の川のようだ。
渋滞専門の物売りなどというものもいて、サイドミラーに何かを引っ掛けていったり新聞を売ったりと忙しい。
もちろん売れない場合は回収する。

またまたモトリスタしゃべりまくり。サッカースタジアムの自慢やら贔屓のチームのことやらあれこれ。
見るとメーターが上がっている。しかも2で(2は深夜料金なのだ。)。
これはなんだと聞くと笑ってごまかす。
空港到着時には90超になっている。60の約束だろと言って、100を渡してお釣りをもらうまで断固として車を降りる気配を見せずにいると、申し訳なさそうな表情でこれでどうだと30釣りを渡してきた。
迎えに来てくれたのだし、荷物を運んでくれたり楽しい気分にさせてくれていたので、元々チップを10加えるつもりでいた。
だから何も言わなければ70でOKなんだよ。
あえてメーターを上げる必要もないのにと思いつつ、OKと言うと、恐縮した表情からどっと破顔、Amigo!!Amigo!!と握手を求めてきた。
いい人なんだよね。
とにかく皆現金を稼ぐのに大変なのだ。

乗り継いできたTAM航空も今回は今日のフライトで最後。
Rioまで約3時間。ほぼ満席。東洋人は見当たらない。
3箇所あるトイレの2箇所が故障中、長い列ができる。ブラジル人は我慢強い。
CAは後方でお喋りに熱心。操縦席との扉が時々開放になり前方が見えたりする。
日本ではありえない風景だ。

Rioは雨。涼しい。やはり北とは大違いの気候なのだ。
今日からの宿はCopacabanaに程近いB&B。
ガレオン空港からはエアコンバス。エアコン効きすぎ。寒い。
目的地の地図を見ていると隣のビジネスマンが、うちの近くだと降車場所などを教えてくれる。
今まで何回もこんなことはあって、ブラジル人はとても親切だとつくづく感じる。

本降りだった雨も小止みになって目的地のRua Constante Ramosで降りたは良いものの、ホテルらしき建物はどこを探しても見つからない。
ブラジルの住居表示は通り沿いに番号順になっているのでとても分かりやすいのだが、ホテルは見当たらない。
そこにまた親切なおばさんが登場して、見つかるまで一緒に歩いてくれる。
ホント助かる。
見つからないはずで、普通の高層アパート。そこの一室が目的地でした。

Senhora Dulce Maria França Giannini のおうちです。

そういえばDulce Mariaさんからはたびたびメールが来ていて、ホテルではなくB&Bですよとか、通常は男性一人は泊めない、女性一人かカップルのみ、あるいはカード決済の機械を持っていないとか、????????の部分が多かったのだが行ってみて全て納得がいった。

高層アパートの6階(日本だと7階)のDulceおばさんのおうちにはバス、トイレ付きの部屋がひと部屋あって、更におばさんの部屋とシングルルームがもうひと部屋あとは普通の家庭、リビング、ダイニング、バス、トイレ。
だからカップル+女性1名なのだ。どういうわけで男性の僕がOKになったのかわからないけれど、要するにDulceおばさんの家に泊めてもらっているということなのだ。
僕のいる部屋には家族のアルバムや写真があったり、鍵(これが曲者だ。)は持たせてくれるし、Dulceおばさんは普通に外出するし、もし僕が悪人だったりしたら怖いだろうなと思ってしまう。
他に客はブラジル人カップル1組だけだ。

リビングで寛ぐSenhora Dulce
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新宿通りみたいなNossa Senhola 大通りを渡れば有名な海岸通り、Atrantica大通りに出るという好環境のこの近所は、高層アパートが立ち並ぶ高級住宅街。
全ての建物の1stフロアは頑丈な門でガードされ、かつ警備員がいる。夜中の警備員不在時間の帰り方をよく聞いておかなければ。
そして難しい部屋の鍵。
二段階でロックがかかるようになっていてその通りに回しても簡単には開いてくれない。初めは警備員を呼びに行こうかと思ったけれど、そのうち慣れた。

例によって付近を散策。
うちの隣は昼からセルベージャ客で賑わっているBar。

Atrantica大通りと平行に走るNossa Senhola 大通りとBarata Ribeiro大通りは、新宿通りに似ている都会のショッピング街。もう一本山寄りの通りを左に行くと地下鉄の終着駅Cantagalo駅がある。そして海へ向かって3分程歩けばコパカバーナ海岸に出られるというロケーションだ。
とても便利な場所だし、宿舎も快適なので旅の最後の日々を楽しく過ごせそうな予感がする。

夜はDulceおばさんお薦めの近所のポルキロ屋へ。
寿司コーナーがあって、兄ちゃんが一生懸命ガリを削っていた。
面白そうだから食べてみたが外側がべちょべちょでしかも芯があるご飯で大概のものはいける僕でもちょっとキツイ。
もちろん普通のブラジル料理はとても美味しいし料理の種類も多いので店は気に入ったわけだが。

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ATUXI氏とBIPへ行くという選択肢もあったけれど、移動に疲れてしまった感じでおとなしく寝てしまった。

4月6日
今日はいい天気だ。
朝食は、ダイニングでパン、フルーツ、チーズ、ドリンク。とても簡素だが本当は量的にこれくらいが適当なんだろう。今まではずっとビュッフェ方式だからつい食べ過ぎてしまっていた。

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部屋から山側を見る。
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部屋から海側を見る。
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13時過ぎにATUXIと小沢沙織さん(Rioに着いた頃のブログに登場している。)とLargo do Machado 駅で待ち合わせてリハをやるということになっているので、午前中はコパカバーナ海岸へ出てみたり、付近を散策したりする。

とても良い天気の土曜日なのですごい人出。
ウォーキング、ランニング、ビーチバレー、ビーチサッカー、バトポン?、日光浴、筋トレ、自転車、物売り等々、ビーチには露店も花ざかり。皆それぞれのスタイルで楽しんでいる。

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これはなんだろう。ダンスの練習か。
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海岸通りの何箇所にも設置されているアスレチック器具。人気があって皆これで筋トレをしている。日本にもあるといいな。
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このように使用方法も図解されている。
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砂の造形をしている連中も多く、砂とは信じられないような作品もある。しかし、これを写真に撮ると有料のはずだ。

これらはまだシンプルな方。カラーの作品まであったがこんなふうにただで写真はなかなか撮れない。
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相変わらず警官も多く、安全そうな雰囲気。
これだけ警備が厳重なところでは強盗は手を出せないだろう。ただ、波打ち際は道路から見えなくなっている箇所が多く、このあたりはスポットかもしれないけれど、わざわざ波打ち際に金を持っていくのかね。

アトランティカ大通りに面したところは高級リゾートホテルが立ち並んでいる。
ここから山側へ入っていくとアトランティカ大通りに並行した大通りが走り、庶民的なショッピング街が形成されている。そして3本目の通りの下をメトローが走っている。
こんなふうに街並みを把握する。多分都市計画で作られているだろう碁盤の目の街並みは分かりやすい。
世界遺産の旧市街地とは大違い。
ただ、分かりやすいことと美しいこととはこれまた大違い。
というわけで、近所の地理はだいたい頭に入った。

やはり特徴的なのは、市街地の真ん中に突然そびえ立つモーホ。
この場合のモーホとは単なる丘を指す。
岩山がそそり立っているので当然トンネルを掘らなければならない。
日本のように山を削り取るというのはとても無理そうだ。
地中まで岩盤のはずだから、地下鉄の建設は大変なのではないだろうか。

Cantagalo駅
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アパートの近くのメトローCantagalo駅から乗車、Largo do Machado駅で久しぶりに二人に会う。
久しぶりの日本語だ。

昼食の後、熊本尚美さんの自宅で本人不在のうえでリハ。
ここの鍵も超難物だった。
あまり開かないのでもう諦めかけたところで何故か開いた。

二人は、最来週のショーログループ、エポカ・ヂ・オウロのラジオ番組に出演するということで、かなり綿密なリハをする。
残念ながらその頃僕はもうブラジルにはいない。
途中で熊本さん帰宅。土曜日のショーロ学校の講師はかなり疲れるようだ。

終了後、久しぶりにATUXIと駅近くのBarで軽く一杯。
こんなところでも俺にもなにか食わせてくれという物乞いがやって来る。
あまりお腹もすいていないので、帰りがけにパンと白ワインを買って帰る。
パンが中身たっぷりの重たいパンなのでこれで十分だ。

居間でDulceおばさんにギターを聴かせる。とても気持ちよさそうに聴いていた。

Rioに戻ってくると、やはりここは大都会だと認識させられる。
コパカバーナ周辺は高級住宅街のせいか白人の姿が多い。
黒人が圧倒的に多い北の方から来たから尚更そう感じたのかもしれない。
地域性もあるが、差別のない国とはいえ経済的格差は厳然としてある。
少しは周りを冷静に見る余裕ができてきたのかもしれない。

それにしても、ブラジルの鍵は難しい。

2013年07月06日

ブラジル旅行記11(4月7日~4月8日(Rio de Janeiro))

4月7日

今日も良い天気だ。
今日は、ATUXIが泊まっているMorro da Babiloniaの宿でバーベキューをやりながら小澤さんと3名のミニライブをやろうということになっている。
今日が日曜日で水曜日の深夜というか木曜日の午前2時頃の飛行機に乗ることになっているから、実質的には今日を含めてあと4日ほどでブラジル滞在も終わってしまう、と考えるととても時間が貴重に思えてくる。

昼前にアトランティカ大通りが行き止まりになる手前、交通の殆どが大きく左に曲がっていくプリンセス・イザベル像前で待ち合わせ。
午前中にカンタガーロ駅付近まで散歩していると、何故か駅が使えなくなっている。
警官も出ているし、なぜだと聞くとどうもあまりはっきりしない。ただ、当分使えないだろうということなので、歩いて行くことにする。
この選択が正解。
天気が良い日曜日のコパカバーナ海岸をたっぷり楽しむことができた。
人出が多い。思い思いの楽しみ方をしている。

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のんびり歩いて約40分。
プリンセス・イザベル像に到着。
パーカッショニストの金子大介君、宿の主人、大介氏も買い出しがてら登場。
Morroへ。
今日で二回目だが、ある程度の期間を経ているせいか、街並みを把握することができる。
階段下の商店でcerbejaを購入、1リットル瓶を何本か麻袋に詰めてATUXIがしょって階段を行く。
これをしょっちゅうやっていて、かなりの運動になるそうだ。
さて、BBQ兼ライブ会場は宿の屋根の上。
Leme海岸が臨め、風通し日当たりとも良すぎる素晴らしいロケーション。

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洗濯物なんかも干してあるし。ただし、柵もなにもないので酔っ払って落ちたらただでは済まない。
宿泊客は全員日本人。ミュージッシャン、画家、世界旅行者等々多士済々。

宿入口に描かれた鯉のぼり、作者の画家と家主家族と。
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真夏を思わせる陽光の下でのライブ&BBQはとても気持ちが良かった。

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生音なのでボーカル、ギター、鍵盤ハーモニカという編成。
野外で生という環境なのにとても音がよく聞こえるような気がする。

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楽しい時間だった。
ひたすらセルベージャと肉。
良い加減に食べ飲み疲れて5時頃おひらき。

モーホの風景
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モーホの野生鶏、ひよこもいる。これを食べたわけではない。念のため。
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階段滑りに熱中する子供ら。自分たちも昔こんなことやっていたな。
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階段下の店。明日ライブがあるようだ。
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アトランティカ大通りが歩行者天国になっているので当然歩いて帰る。
徐々に暮れていくコパカバーナ海岸。
様々に楽しむ人たち。
こんな雰囲気の中でかつてボサノバが流行っていったのだろうか。
日曜日、歩行者天国のアトランティカ大通りはお薦めスポットだ。
6時10分頃に歩行者天国は終了。

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石膏像が突然動き出すパフォーマンス。子供はびっくり。
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Sra.Dulceとどこへ行ってきたか話題になったのでMorroと言うと驚いた様子で、「危ないところよ。」とくるので心配をかけてもいけないと思い、「いや、MorroのBaixo」ですと言っておいた。
やはりこの辺りの日本で言えば山の手(Rioでは山の下)に住む人たちにとって、モーホはとても危ないところなのだ。
夜になってもBBQが効いているので、今晩は白ワインを少々飲んで寝てしまう。

4月8日

今日は午前中に、先月Rioを出発する際に小澤さんに預けてあった大型リュックを取りに行き、夜はエポカ・ヂ・オウロのラジオ生放送ライブ、熊本さんらと食事という予定になっている。
小澤さんのBotafogoのアパートまではメトローですぐ。
目の前にボタフォゴ湾が広がりパン・ヂ・アスーカがよく見える。
とても景色のよい場所だ。

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大型リュックを受け取るともうすぐブラジルを離れるんだなあという気になってくる。

滞在中に一度はRioの名所旧跡であるCorcovadoのキリスト像かPao de acucarに行ってみたい。
幸いにして今日もとても良い天気。キリスト像は午前中が良いと言われているが、午後の早い時間帯だったら天気も大丈夫そうだと予想して出かけることにした。
丁度良いことに夕方の待ち合わせ時間もCinelandia駅に16:30。それまでに行って帰ってくれば良いのだ。

Nossa Senhora通りから583番のバスでCosme Velho下車。
例によって案内も何もないわけだがキリスト像へ行く人が降りるのでわかる。
ここから登山電車でキリスト像の足元まで行けるはずだ。
ところが登山電車は14時に出た直後、この後16時までない。

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それではとても間に合わないのでどうするか迷っていると、どうもマイクロバスで送迎している業者がいるようだ。
聞いてみると15R$で上の駐車場まで行くとのことで渡りに船。
終点からはオフィシャルの入場料込みの専用バス(19.8R$)でキリスト像下まで着いた。
30分ほどで着いてしまう。
駐車場までは歩いて登っている人もちらほらと見かけた。
駐車場から先は何人も入場料込みの専用バスに乗らなければいけない仕組みらしい。
最後は階段とエスカレーター。

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観光客は多いが月曜日なのでまだ空いている方だろう。
キリスト像の格好をしながら写真を撮る輩多数。どこの国でも同じだ。
像の足元から頭までは寝転ばなければ写真に収まりきらないらしく、寝転び撮影の輩も。
キリスト像のポーズはどうしても「ようこそいらっしゃいませ。Seja bem vindo!!」とやっているように見える。

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午後からは曇ることが多いこととキリスト像が逆光になることから午前中が狙い目と言われているらしいのだが、今日の午後は視界がとても良い。

レブロン方向
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ロドリゴ・ヂ・フレイタス湖とイパネマ海岸
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アパートの窓から見えるMorro dos Cabritosを上から臨む。
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有名なPao de acucar
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言ってみれば東京タワー(今はスカイツリーか。)のようなものだ。
おそらくカリオカは来ないんじゃあないかな。
ま、一度は行ってみたいスポットだ。一度行けばいいとは思うけれど。
適当な時間に降りる。
それにしても、平地にこのような岩山が突如として何箇所もそびえ立っている-しかも大都会の中に-Rioの地形というのはとても面白い。

Sra.Dulceからとても分かりやすい市内の地図をもらったので、これを見ているとバスも楽勝なのだ。
ラルゴ・マッシャード駅までバス。待ち合わせ場所のCinelandia駅までメトロー。

メトローはプリペイドカードを買ってしまえばすぐに乗れるし本数も多い。エアコンもよく効いていて快適な交通機関だ。
時々楽器を持っている若者たちが乗ってくると車内生演奏が始まってしまう。
客はさして関心がある風ではないが一曲終わると結構な拍手。
しっかり投げ銭集めもある。

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その快適なはずのメトローがCinelandia駅に着いた途端ドアが開かない。
何やらホームが騒がしくなってきた。
駅員や警官が走っている。反対方向の電車は着いた途端に乗客が全員降ろされて駅から退避させられている。
こちらの電車のドアは開かない。
そのうち車内灯も消えてしまった。
辛抱強いブラジル人も不安になってくる。
どうしたんだと電車内も不安げな雰囲気に包まれる。
そうこうしているうちに数箇所だけドアが開いてそこから全員退避。駅の外へ。
何があったのか分からず。ただ、運転席のガラスに大きなひび割れが走っている。
電車の下を覗き込んだり、しかめっ面をしている人もいたので飛び込みかと思ったがどうもそのような雰囲気ではない。
何かが投げ込まれたのだろうか。
後で聞いたのだがブラジル人は決して飛び込みなどしないらしい。
とにかく騒然とした雰囲気の中、全員地上へ出され、駅はシャッターが閉められた。

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地上は公園の中。警察車両も来ているので事件であることは明らかだ。
それはそれで何が起こったのか興味もあるのだが、そもそも駅で待ち合わせをしていたわけで、駅も閉鎖された今、待ち合わせは不可能になってしまった。
何せ目的地の名称も場所もわからないのだ。
携帯もないしメールも繋がらないからどうしようかなと思案にくれていると、偶然に東洋人、いや日本人か、金子大介君登場。
なぜにこのような素晴らしいタイミング。Nossa Senhora!!

というわけで、とにかく目的地へ行こうとラジオナショナル局へ。
エポカ・ヂ・オウロの生放送ライブは2時間ほど。
ジョルジーニョと司会者の懇談をはさんでエポカの素晴らしい演奏をたっぷりと聴くことができた。
司会者は、これが商売だから仕方がないのだろうけれどちょっとしゃべりすぎだ。
音楽を聴きに来た者としては早く進めろと言いたくなる。
ラジオ番組だからしょうがないのだけれど。
この番組に来週ATUXIと小澤さんが出演する。
今日の番組の中でも大々的に宣伝していた。
楽しんでほしい。

それにしてもこの会場は冷房効き過ぎで寒い。
お客さんは年配の人が多くてトイレの回数も増えているのだ。
終了後、例のメトロー事故で電車が駅間に止まってしまいコンサートには間に合わなかったATUXIも駆けつけてミュージッシャンとしばし交流。

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夜のCentro付近は歴史的な建物がライトアップされていて幻想的な雰囲気を出している。

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このあと、熊本さんからお誘いのあったバンドリン奏者、ペドロ・アモリン氏のライブへ。

場所はUruguaiana駅の海寄り、Saude地区だろう。
タクシーで向かったSaude地区は海と倉庫、なんとなく本牧辺りと雰囲気が似ている。
倉庫を改造したらしい天井が高くて広いライブハウスだ。店の奥の方は大きく開口していて開放的な雰囲気の店。
Samba de Fatoというバンドはバンドリン、7弦ギター、パーカッション2名の編成で主にサンバを演奏する。
ところどころコーラスが決まっていたりして洗練されたサンバとの印象を受けた。
スルド、タンタンを使う低音部の打楽器が心地良い。
ボリュームもちょうど良く、とても楽しめた。
これでチャージが約1000円だから安い。
ミュージッシャンにはちゃんと入っているのだろうかと我が身のように余計な心配をしてしまう。

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タクシーにて帰還。
1時頃到着。
これで鍵が開かなかったりしたらシャレにならないなと思いつつ、無事に門扉も部屋も開いて帰宅できた。

今日は朝から夜中までいろいろあった。大都会のRioならではの刺激がいっぱいあったように思う。
これが都会の面白さなんだな。
ブラジル滞在もあと2日か。

2013年07月19日

ブラジル旅行記最終回(4月9日~4月10日(Rio de Janeiro))

4月9日
ブラジル滞在も残すところ今日と明日の二日間。
本当は午前中のチェックアウトなのだろうけれど、フライトが11日の午前2時なのでSra.Dulceに相談したら、好きな時間に出ていいからと快く応じてくれた。ありがたい。

今日は、Morro宿に滞在している連中と昼をMorroのDavidの店で食べようということになっている。あとは特に予定はない。
床屋に行きたくなりSra.Dulceに紹介してもらったが、午後しかできないということでこれはあきらめる。

午前中はNossa Senhora通りやBarata Ribeiro通り辺りを散歩。
ブラジルの都会の通りはほとんどが一方通行になっていてNossa SenhoraはCentro方向、Barata RibeiroはLebron方向への交通だ。
信号はあるにはあるが車が来ない歩行者赤信号を守っている人はほとんどいない。
確かに一方通行だから左右のチェックではなく、車が来る方向さえチェックしていればいいのかもしれないが、この習慣が当たり前になると日本に帰ってからが怖い。

海岸に向かって走る通りは比較的狭い静かな通りで商店も小規模なものが多い。
対して海岸線に並行して走るのは大通り。
交通量も多いし商店も大規模なものが立ち並ぶ。
Rioの市街地はおそらく都市計画が施された街並みだから分かりやすく、慣れてしまえば迷うことはまずない。
しかし今まで歩いてきた旧市街地はホントに謎だった。
絶対に迷わないつもりでチェックしながら歩いていても迷ってしまう。
歩く方向で景色が違うし、日が暮れてしまうと尚更だ。

昼頃にプリンセス・イザベル像前だから天気も良いのでアトランチカ大通りをまた歩いていく。

コパカバーナ海岸
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大通りはこの先で行き止まりになるのでセントロ方面はここで大きく左にカーブしてモーホのトンネルをくぐって北方向へ向かうことになる。
このモーホがバビロニア。
昨日も来た道なのでモーホの階段下、Davidの店も大体見当はつく。
帰る前にもう一度来たかった。
相変わらず賑わっている。
肉料理の定食はかなりの量。

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ブラジルへ来てから日本によくあるようなシュハスコ屋さんへは一度も入っていない。種類も量も自由に選べるポルキロ屋を選択することが多かった。選択自由とはいえ、旨そうなものや珍しそうなもので皿が山盛りになってしまうこともしばしば。
そしてビール。
これは帰ったら体重が結構増えているのではないかとの考えが一瞬頭をよぎるがまだブラジルだ。
日本的な心配をし始めたのは帰国が近づいたからだろうか。
Morro宿仲間達とゆっくり食事を楽しんだ後はまた海岸沿いを歩いて帰る。

モーホの階段下の雰囲気
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夜になって、近所のスーパーへお土産やワインを買いに行く。
店内に煙が立ち込めているが、火事!ではなかった。肉を焼く匂いだ。
どうも排煙がうまくいかないらしい。
日本だったら大騒ぎになりそうなのだが、こちらは平然としている。
お客さんも苦笑いくらいで済ましている。

スーパーの魚売り場。沖縄のそれと若干似ていなくもない。
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明日はアトランチカ大通りからガレオン空港行きのFrescao(冷房バス)に乗る予定なので、バス停を下見に行く。
大体30分おきくらいで一応どこでも止まってくれるとのことなのだが、見ると片側3車線の歩道から一番遠い車線を猛スピードで跳ばしていく。乗る側も運転する側もお互いに分かりにくいであろう夜間、果たして止まってくれるのか若干の不安を覚えるが、フライトが深夜の2時、時間はたっぷりあるから、なんくるないさと思ってしまう。

平日の夜、9時頃にもかかわらずコパカバーナ海岸はかなりの人出。
ランニング、ウォーキングの人が多い。
一見しただけでは皆安全に楽しんでいるように見えるがここで油断をしてはいけないのだろう。
しかし過剰に臆病になることも人生をつまらなくさせそうだ。
次にブラジルに来る時はもっと大胆になれるだろうか。

夜のビーチサッカー
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4月10日
朝、エミレーツ航空から搭乗案内のメールが届いている。
ついに帰国の日か。日本という日常からブラジルという非日常の空間・時間へ運んでくれたものが非日常から日常へ戻すという通告だ。
お迎えが来たんだという懐かしいのと寂しいのと複雑な気分。
今日はFrescao(冷房バス)の代金R$12程度を残せばいいので手持ちのR$を処理するため、3時にATUXIと例によってプリンセス・イザベル像前で待ち合わせ。
夜8時半頃にアパートを出発すればいいはずだ。

ブラジル滞在最後の日、昼前から海岸沿いをいつものLeme方向ではなく、Ipanema方向へ出来る限り歩いて、歩いて歩いてプリンセス・イザベル像前へ行ってみようと思い立ち出発。

夏の盛は過ぎたのだろうが、まだ十分に夏の気配。
ビーチを楽しむ人たちで賑わってはいるが、Carnabalも終わったこの時期、落ち着きもある。

コパカバーナ海岸
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ドリバル・カイミ像
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Ipanema海岸は小さい岬を通り越して左手に広がる海岸。
コパカバーナより海岸沿いの建物の高さが低くなったような気がする。

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イパネマの先のレブロン海岸の方まで歩いていく。

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イパネマ海岸から陸地側へまっすぐ入っていくと、唐突にロドリゴ・ヂ・フレイタス湖が現れる。
面白い地形だ。
周回道路のすぐ脇に湖に浮かぶ島があるが、ここはクラブ制の高級リゾート施設らしい。
このあたりは高級住宅街。モーホと対局をなすところだ。

高級リゾート施設
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湖のほとりからは北方向にコルコバードの丘と僅かにキリスト像が見える。

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ジョビンのCorcovadoの歌詞に、窓からコルコバード、キリスト像が見えるという一節があったが、このあたりから見たのだろうか。
それとも現在のイパネマ海岸からはビルが立ち並んで見ることはできないが60年代は見えたのだろうか。
ボサノバがこのあたりの雰囲気、富裕層、経済的に余裕があって欧米の新しい文化を享受出来る層から生まれていったということがイメージとして理解できる。

ボサノバは例えば日本で言えば古い言葉だがニューミュージックのようなものだろうか。
一時期に流行った音楽スタイルを適当に名付けただけで実体はないと思う。
イパネマの娘とかコルコバードだとかのその時流行った名曲はいくらでもあるけれど、それはボサノバなのかと聞かれると、ブラジル産の名曲としか答えられない。
確かにいわゆるボサノバ時代の歌詞はロマンチックなものが多く、夢見がちで軟派なものが多い。サンバのように、俺には金はない、サンバしかない的な歌詞はほとんどないし、ドロドロの愛憎なんてものもおそらくない。
曲も漂うような曲調が多く、サンバのように黒白決着をつけよう的な明確さは感じられない。
それが時代の空気だったのだろう。
ブラジルではボサノバという用語はほとんど死語だが、日本や欧米ではボサノバという音楽スタイルがあるかのように思われている。
ブラジルでも「Bossa Nova」と掲げているのを見ることもあるが、それは観光客のためのものだ。

サンバとボサノバの違いは何かとよく聞かれるが、今思うのはボサノバという言葉が流行った時代に生まれた数々の名曲はあるけれど、ボサノバという音楽スタイルは実体としては無いと。
ニューミュージックのようにマスメディアや音楽出版業界が適当に名前を付けただけではないかと。
だから、ジョアン・ジルベルトはボサノバ歌手かなどというのは無意味な問いかけだと思うし、例えば、今日はボサノバを中心に演奏しますという表現も無意味だ。
とかく日本人はジャンル分けが好きだ。例えばジャズでもそうだった。

とにかく、このあたりはそのようなロマンチックな富裕層の雰囲気が漂っている。

そろそろレーミへ向けて歩こうかと陸側から近いルートを行こうかと思ったが、モーホを貫くトンネルを歩かなくてはいけないことを思い出し、再び海岸に戻ることにした。

もう出発してから2時間ほど経っている。
朝を食べてから飲まず食わず。さすがに喉が渇いた。
こういう時にはAgua de cocoだ。
バイーアと比べて若干高いが喉が渇いた時には美味い。ほとんど甘味がないのでさっぱりしてあとの心地も良い。

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出発してから約3時間かけてプリンセス・イザベル像着。
ATUXI氏と所要を済ませ遅い昼ごはんは、中国系がやっている焼きそば屋。
チャーハンを試してみたがインディカ米だからとても美味しい。パステウも良かった。
多分焼きそばも美味しいだろう。

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あとは帰って荷造りしてシャワーを浴びて休んで出発を待つだけだ。
帰りは、海岸通りではなく新宿通りに似たNossa Senhora通りを歩いて帰る。

さて、午後8時。出発の時間だ。
Sra.Dulceには家族のように接してもらって感謝の念に耐えない。
近づきすぎず遠すぎず、ちょうど良い位置で接してもらえたからこの数日間本当に快適だった。
僕のCDをプレゼント、代わりに彼女のお気に入りのCDをもらったり、帰ったら無事に帰ったと必ずメールしなさいとか、やっぱり親戚の家にいる気分だ。
月並みな感想だけれどまた来てみたいアパートだった。

うちのパソコンが壊れたのでインターネットカフェに行くのというSra.Dulceと一緒にアパートを出る。
さあ、あそこからバスに乗るのよ、気を付けてね、と最後まで面倒を見てくれる。
ありがとう。さようなら。また来るから。

で、問題はバスをどう止めるかだ。
暗いので近づいてくるまではFrescaoか普通のOnibusか分からない。そして何者か分かるほどに近づいてきた時にはもう遅い。歩道から一番遠い車線をぶっ跳ばして行ってしまうのだ。
Onibusやマイクロバスは乗せる気満々で向こうの方から乗らないかと誘ってくるが、Frescaoはそもそも乗せる気がないのではないか。
タクシーを使おうとしても空港はUS$が使えるだろうと思って、手持ちのR$はFrescaoの運賃RS12を考えて20くらいしか持っていない。

1時間くらい止めようとしたりしていたが何だかあほらしくなった。
時間はあるのだから多少荷物は多いがメトローでどこかガレオン空港に近い駅まで行ってそこからタクシーにしよう、金はメトロー駅のATMでおろせばいいだろうと予定変更。
このあたりは短い期間だがブラジルに滞在していた経験が生きる。入国したてだったら絶対こうはいかない。この近辺も歩き回っていたから地理も分かる。

Siqueira Campos駅まで歩く。幸いにして駅のATMが使えた。
まだ時間はたっぷりあるところが強みだ。
駅の案内表示を見るとCentral駅がガレオン空港に近そうに思える。
Central駅はメトローから一旦地上電車のCentral駅を通って外に出る。

あの映画、セントラルステーションの舞台となったCentral駅だ。
天井がやたらに高く薄暗くなんとなく不気味な雰囲気。大時計がやたらと目に付く。
バカでかいアナウンス、異様な匂い、浮浪者、乞食、ホームレス、そしてうずくまる古ぼけた電車。
大層な荷物を持った旅行者丸出しの外国人が長居をする雰囲気ではない。
通りへ出て流しのタクシーを捕まえた。
しかし一回は乗ってみたい電車だしCentral駅に対する興味もむくむくと湧いてきて、これはやり残したなという気になった。

ガレオン空港まで30分程、R$40の料金は入国した時の空港タクシーに比べてかなり安い。まともな流しのタクシーは結構リーズナブルだ。
来た当初は期待と不安を持って見ていた古ぼけた倉庫群。これでお別れだと思うと懐かしく感じてしまう。
Boa Viagemと送ってくれたモトリスタはなかなか親切だった。

夜の11時過ぎのガレオン空港はあらかた店も閉まっていて閑散とした雰囲気。

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そんな中、エミレーツ航空はやたらと目立つ看板を何箇所も設置してこちらは乗せる気満々。

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行きも感じたことだがこの航空会社のサービス精神は半端ではない。
ほぼ定刻に出発。
機内はほぼ満席。
ドバイ空港まで約14時間。長い。
行きで見た映画「Filho do Brasil」をまた見てしまう。
ブラジル旅行前と後ではやはり印象が違う。
前に見たときもおおよその意味はつかめたのだが、今は空気感のようなものが伝わってくる。
退屈な番組に飽きたらしい隣席のブラジル人が私もそれを見たいのだがどうすればよいのかと聞いてきた。
長い時間の混み合ったフライトは空気を弛緩させるのか何だか機内はだらしない雰囲気が漂っている。

ドバイ空港は23時頃ほぼ定刻に到着。夜から夜への移動だ。ここで約4時間待ち。
今日の駐機位置はターミナルからかなり遠いところ。奇妙な形のバスに20分強も乗せられた。

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しかしドバイ空港は客を飽きさせない巨大空港だ。
深夜にもかかわらず人出も多く店も全開で賑わっている。
無料で使えるリクライニングチェアもあったりしてお金を使わないでもくつろげるところが嬉しい。
エミレーツ航空といいこの空港といい、アラブ首長国連邦おそるべし。
次回はドバイにも一泊したくなってきた。

午前3時頃発の成田行きは日本語のアナウンスがある。
だんだん日常に近づいてきたわけだ。
久しぶりに聞く日本語のアナウンスはポルトガル語に比べて抑揚に乏しい分、優しく丁寧に聞こえる。
総二階建ての巨大航空機A380は比較的空いていて12時間のフライトもあまり苦にならなかった。

午後5時頃成田空港着。
寒い。
行列を作る外国人出口を尻目に日本人出口から退出、秩序正しく清潔な空港からなめらかに優しく運行する電車に乗って車窓を眺めると、車がゆっくり走っている。
成田駅を過ぎると田園風景が見えてきた。
日本へ帰ってきたんだなという実感が湧いてきた。

初めてのブラジル旅行。
日本から最も遠い国。
期待とそれと同じくらいの一人旅への不安もあった。
しかし、ブラジル人は人懐っこくて親切な人が多かった。
道を探しているとまず間違いなく声をかけられる。
不安のあった治安もワールドカップ、オリンピック前のせいもあるかもしれないが相当に強化されていた。
反面、貧富の差は歴然としている。

富裕層はヒステリックなほどセキュリティを強化した住宅に住み、貧困層はファベイラに住む。
日本ではあまり見られなくなったいわゆる乞食や物乞いーそれも身障者のーも頻繁に目に付く。
道端に座り込んであてもなく視線を走らせる人たちやとにかく何が何でも現金を獲得しようとする人たち。
多分土地から一生出ることができないような若者たち。
現在ブラジルで起こっている国費の使い方に反対する集団示威行動は、あのような状況を見ていると起こるべくして起こったと思わざるを得ない。
歴史的建造物や交通機関などに放火されている報道を見ると胸が痛む。
政府もファベイラの環境改善などに取り組んでいる面はあるが、いかんせん国が広すぎる。

人種差別もほとんど感じることがなく開けっぴろげで自由な国。
この自由を担保するために貧富の差を提供しているとは思いたくない。
ブラジル国旗にOrdem e Progresso(秩序と進歩)と示されている意味が初めは分からなかったし、ブラジルの雰囲気には合わないのではないかと思っていた。
しかし、今はあのスローガンー秩序と進歩と言うよりは秩序ある進歩と言った方が適切のような気がするーはブラジルにとって絶対に必要なものだと思うようになった。

今回の旅でブラジルとりわけブラジル人がとても好きになった今はそう思う。

Tchau Brasil!!

2013年08月27日

郡上八幡の夏

8月半ば、郡上踊りを見学すべく、郡上八幡へ行ってきました。

時候も良いので何回か使ったことのある青春十八切符を使ってみることに。
往復で2回使うとして、せっかく行くのだから郡上八幡二泊にもう一泊どこかへ行くと考えて、まずは3回分の十八切符を安く手に入れます。オークションが安いようで。
そしてなるべくJR区間を多くして目的地にちょうど良い時間に着くこと。
東海道線を乗り継いで岐阜まで行って高山線で美濃太田、ここからは三セクの長良川鉄道しかありません。

家を出たのは朝の6時前。
熱海までは快適ですが、熱海から豊橋までの区間が何回か乗り換えねばならず、しかも列車は3両編成で混んでいるのが常なので工夫が必要です。

例えば、島田行の列車は終点まで乗らず途中の興津で降りる。
島田で乗ることになる浜松行は興津始発なので座ることができるのです。
次も浜松までは乗らずに掛川で降りて掛川発豊橋行を待つという塩梅です。

豊橋からは編成も長く乗り心地もよい新快速が走っているので快適だし、岐阜からは空いています。
時間はかかっているのですが乗り継ぎ時間はあまりない。5分くらいがほとんど。特に昼時は忙しくて昼食をとっている時間はありませんでした。
15時40分頃に到着するまで昼食抜き。

長良川鉄道
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郡上八幡駅、いい味が出ている。
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今日から二日間は郡上八幡自然園のロッジにて外ごはん雑魚寝。

ここ郡上八幡自然園は、郡上八幡駅から一駅先(この一駅というのがなかなか大変。あまり便がない。)にある大規模な野外学習施設。
すぐ横を長良川の清流が流れています。
ロッジも100棟ほどありプール、大浴場や学習棟もある。
少年自然の家のように公立なのかなと思いましたがそうではないらしい。
家族連れやボーイスカウトやらでかなり賑わっています。

外ごはんですから、明るいうちに済ませるべく、そのままバーベキュー&飲み会に突入。

ロッジ
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釣った鮎ではないけれど美味しそう。
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定番
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主催しているシマ部の面々はもう何十年も郡上踊りを体験しているベテランです。
小生は今回初めて。

話によると今夜は郡上八幡とは反対方向に長良川鉄道に乗って約30分の美濃白鳥という場所で徹夜踊りがあるそうで、そこへ行くとのこと。
この三日間程は徹夜踊りのため長良川鉄道も深夜の臨時便を出しているとのことなので徹夜しなくても戻ってこれそうです。

最寄駅の自然園前という駅はホームが一つあるだけで屋根も壁もない当然の無人駅。
付近も真っ暗。
月明かりがほんのりあたりを照らす中、一両編成のディーゼルカーがカーブを曲がってやってくる姿は中々に趣があります。

深夜の長良川鉄道自然園前駅
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美濃白鳥は有人駅だが夜も更けているので駅前は踊りに行く人がぽつぽつといるだけでとても静か。

美濃白鳥駅前
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踊りの会場は駅からしばらく歩いたところ。
山車に地方(じかた)が乗って演奏し踊り手が道に広がって踊ります。
道路封鎖スタイル。
曲は結構テンポが速いものもあって動きは激しそう。若者向きかもしれません
キメの箇所では下駄の音を合わせます。
ゆったりしたテンポから始まっても段々曲のテンポが上がっていってトランス状態になっていくような感じ。
これで徹夜は結構大変じゃあないかな。

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適当なところで引き揚げました。
また一両編成の列車で戻ります。
誰かが猫バスみたいと言っておりました。

美濃白鳥駅ホーム上で戯れる猫
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翌日のお楽しみは何といっても長良川での川遊び。
ロッジから水着のまま歩いて行けてしまうという好環境。
相変わらず天気が良くて暑いので川の水が冷たくて気持ち良い。
川で泳ぐということ自体が珍しい。屋久島以来ではないかな。
潜るとアユが結構います。こんなにいるのに中々釣れないんだよね。

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少年カヌー教室をしていた。
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お昼ごろまで川を堪能して、午後は好きな時間を過ごします。
小生は、プールへ行ったり昼寝をしたり。
夜は郡上踊りを堪能するため郡上八幡へ繰り出します。

お出かけ前におめかし。
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ここは戦災にあってないんでしょうね、古い街並みがそのまま残っていて山間の古い宿場町の趣があります。
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昨日と同じで踊りの会場は駅からしばらく歩いた路上。
有名なイベントだけにかなりの人出。
スタイルも昨日と同じく、山車地方(じかた)道路封鎖下駄鳴らし型。
ただ昨日と大きく違ったのは曲がゆったりとしていて歌詞も聞き取りやすくてとても味があるという点でした。
地方の上手さというのも相当あると思いますがベテラン唄者の表現はさすがだと思いました。

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地方(じかた)
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これなら徹夜もできそう。
ただし小生は徹夜はパス。
徹夜踊りのシマ部の面々とは別れて猫バスで帰りました。

帰路
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列車が行ってしまった深夜の自然園前駅、真っ暗だ。
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翌朝は徹夜の疲れもあってゆっくりと出発。

小生は、美濃太田から多治見を経由して中央西線で松本へ行って一泊して、翌日は大糸線から日本海側を通って長岡から上越線で帰ろうと計画していました。

松本までは4時間余り。中央西線は木曽川沿いを走ります。
松本もやはり暑い。

ホテルは変哲もないビジネスホテルですが、漫画も置いてあったりして(特に小生の大好きなゴルゴ13がかなりあるではありませんか。)かなり居心地が良い。

夕食を外に食べに行くのはいつも大きな楽しみですが、一回りした結果このホテルの食堂が旨そうで値段も安いことを発見。特に小鉢一皿100円は良かった。

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ブラジル旅行の時もそうでしたが、一人で偶然良い店に出会えるというのは旅のだいご味の一つです。
で大満足。
ゴルゴ13でちょっと夜更かししてしまって、翌朝日本海周りルートの列車に乗るのが億劫になってしまいました。
確かに、このルートだと朝9時頃出て家に到着するのは夜10時頃だしとか軟弱な理由をくっつけてお手軽に中央本線で帰ることにしました。
これだといくらでも電車はある。

というわけで、たまには楽器を持たない旅、仕事と何の関係もない旅というのも良いものです。

ではでは

2013年10月29日

房総キャンプ

筆者近影
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毎年、この時期になると房総半島方面キャンプというものをやるのですが、今年も計画しまして、ところが今年は10月になっても大型の台風が来襲して各地に被害をもたらしています。

今回はキャンプを予定していた土曜日に27号28号がダブルで接近、特に土曜日は最接近かという状況に見舞われました。

さすがにキャンプは中止、でもせっかく日程は抑えてあるので急遽民宿泊まり宴会に変更。
行き先は毎年ボサギ合宿でお世話になっている岩井海岸の小池荘。
直前にもかかわらずいつもの一棟借りOK。
夕食はBBQにしてくれて、雨でも食堂でできるという便利さ。
勝手知ったる人の家という感じですから気を使うこともないのでとてもくつろげました。

目的地が小池荘になったということは、いつもの保田の番屋集合が可能になります。
この一週間ばかり続いている時化しかも台風当日で地元の魚はないのではないかと思いましたが、どうせ通り道だからということで番屋集合。

さすがに台風最接近だけあって、土曜日にもかかわらず空いている。
いつもは昼時はすごい混雑なのにこんなに空いている番屋は初めてでした。
ネタもそこそこにあったようで、結果、民宿宴会食い倒れ一泊旅行になってしまいました。

幸いなことに土曜日午前中の雨も大したことはなく道路事情も平穏で、土曜日午後からは天気も回復に向かい、翌日曜日は台風一過の久々の晴天。

食い倒れで秋に肥える一泊旅行でした。

名物、番屋のかき揚げ天丼
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小池荘のBBQは船盛付
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食堂玄関にBBQを設置
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船盛中のこれも焼いてしまう無駄のなさ
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食堂の様子
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様になりすぎる焼きそばやさん
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小池荘名物、卓球
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台風一過の岩井海岸
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集合写真
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帰路で食した住吉飯店のもやしラーメンも強力
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2013年11月22日

2013.秋の関西

すっかり寒くなってまいりました。
クワガタも深く潜って冬眠状態。

今月は初めの方に静岡、半ばに関西と演奏してきました。

静岡は、以前にやったことがある駅近くのレストラン青木。
ここは初めから盛り上がるつもりで来ているお客さんばかりなのですぐに大盛り上がり。

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天気も良かったので翌日は各駅停車で帰りました。

関西はいつもやっているキタのChove Chuvaと一日休みを入れて兵庫県加東市のPink Houseというレストランでの演奏です。

大阪行きは最近よく利用している成田空港からのLCC。新幹線よりはるかに安いし、短期間の旅だと荷物も軽量なのでその点の費用もあまりかからないのです。

以前鳩間島のピアニスト、ターキーが、関空から大阪までの車窓で鳩間から上原海峡を挟んで見た西表島にそっくりの景色があると言っていたので、ちょっと注意してみました。
関空島から紀伊半島を見る景色がまさしくそれでした。橋の上を走行中の電車からもまさしくそのように見えます。違うところは陸地側にすべて街があること。当たり前ですがそれは西表と違います。

今回の演奏は、vo.の斎藤みゆきさんとのデュオ。
ギターソロも挟んで踊れるような曲まで多彩なプログラムにしてみました。
そして後半は打楽器登場で早めのサンバ。
暖かかったこともあって結構汗ばむほど。
聴き手と一緒に楽しめるサンバは楽しい。

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ダンサー登場
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打楽器隊も加わって
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あつらえたようにおさまりのいいエビス。じつはこれ三線のケース。
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翌日は土曜日でライブ日和なのですが、なかなか都合が合わずに休みにしました。この後演奏が続くのでそのくらいがいいでしょというわけで。

小生は古くからの友人で何事に対しても好事家のI氏のお宅を訪問。
阪急の武庫之荘という駅は初めて降りましたが静かで良さげなところです。
ぽかぽか陽気の午後、南側の窓を開け放して一杯やりながらLPレコードを聞く。最高でっせ。

I氏は小生より若干上の世代、所謂団塊の世代。古くからのジャズの聴き手なので面白いものが色々と出てきます。
中でも面白かったのが1965年のスイングジャーナル。

小生も1971年頃から毎月買っていた時期があって、それよりも古いので内容もとても興味深い。
マイルス、コルトレーンがバリバリの時期、フリージャズが台頭し新しいスタイルがどんどん出てきた時代です。今はもう亡くなった方が多いのですがその当時生きの良かったジャズ評論家連中が勝手なことを言いまくっていて、それがまた読んでいて面白い。
ジャズ喫茶の広告、ライブハウスのライブ情報、オーディオ機器の広告、評論等々。ミニタイムスリップを味あわせていただきました。
楽しい時間は早く過ぎていきます。窓を開け放していたほどの陽気も季節に合わせて日が落ちると寒くなってきます。

夜は今夜お世話になるお家の方々と小宴会の予定。
場所は環状線または阪神の野田駅近辺です。
目指すはたこ焼き屋ですがこの辺りは戦災を免れたところが多く、古い町並みが残っています。
古い長屋が続く街並みは尾道を思い出しました。
昼間は子供らが買いに来るたこ焼き屋ですが、今晩は我々のために貸切になっていました。

こちらへ来てから小春日和の晴天が続いていますが翌朝も良い天気。
今日は兵庫県加東市へ移動してライブ。
大阪駅始発のハイウェイバスに乗って北条というところでコーディネーターのYさんと待ち合わせ。
このYさんという方は昨年11月の加西市のツアーでもお世話になった方ですが音楽に関しては大変なこだわりの人。
特にジャズに関してのこだわりはすごい。
今回初めて自宅を訪問させていただいたのですが、自身のオーディオルームは全盛期のジャズ喫茶でもありえないほどの装備。
巨大な3つのスピーカーやツイーターやらを真空管アンプで鳴らすわけで、しかもスピーカーごとにアンプが独立しているから、真空管が温まるのを待って鳴らしきるまで一時間はかかるそうでこれまたびっくり。

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メンテナンスも大変でしょうね。
音をぜひ聞いてみたかったのですが会場へ入る時間もあるので次回のお楽しみ。
で、またすごいのがLPレコードの保有量と質。
サイン入りも結構あったけれどぜひ聞いてみたい懐かしい盤が沢山あってこれはあきない。
万に近い数千枚はあるんじゃあないかしら。
ギターコレクションもすごかったのですが切りがないので会場へ。
まあ、次回のお楽しみが増えてよかったというところです。

会場のピンクハウスは郊外のレストランだけあって広いつくり。地元の対バンの方々とも交流します。

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PAの専門家が入っているのでとても演奏しやすい環境でした。これだけ広い会場だとやはりPA専従者が必要です。思い切って演奏することができました。

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集合写真
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デュオの場合は曲想によってはソロ部分をフリーにしてよい場合があるので(他に演奏している人がいないので)、時々そういう展開をしても面白いことがあります。
終了後はYさんに本日の宿泊先の関空まで送ってもらいました。

深夜の関空
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何から何までお世話になって、いつも思うのですが良い演奏で答えるしかないわけで、旅は楽しいけれど責任もあるなあと。
というわけで今回も楽しい旅を演出してくださった方々、一緒に楽しんでくれたお客さん、ありがとうございました。

ではではは

2014年02月19日

ハノイからルアンパバーンへ・2014.2

旅の記録(日本→ベトナム→ラオス→日本)2014.2.

1.日本からハノイへ

今回の旅は、今の時期乾期でおそらくあまり雨が降らないであろうラオスを訪れるというものだ。
ラオスを選択したのは、何となく国のイメージがわかないから行ってみたいということと、昨年訪れたベトナムと同じように表向きは社会主義体制をとっている国だからというのが主な理由だ。

ラオスへの日本からの直行便はないので、昨年訪れたことのあるハノイを経由することにした。
あの殺風景なノイバイ空港で何時間も待つのは嫌なので、一旦ベトナムへ入国して翌日ラオスへ向かうことにした。

行きも帰りもベトナム航空。
ハノイ行きは空いている。一人で二席取れるから快適だ。しかし機体は古そうだ。サービスも食事もまあまあ。前面のプロジェクターは壊れている。ま、映画は見なければいいだけの話だ。

午前10時に成田を出て約6時間でハノイ、ノイバイ空港着。

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昨年来ているせいかターミナルビルの屋根の形が懐かしく感じられる。
機内はサービスが行き届いているが、機を出た途端にいきなり無愛想な空間に放り出された印象を受ける。このギャップがすごい。
明日出国してしまうわけだからあまり多くない1000000vndをATMで引き出す(約5000jpy)。

さて、ここからハノイ中心部へどうやって行くかがまず問題。結構距離があるのだ。
選択肢は三つ。
①はタクシー、②は空港専用バス、③は路線バス。
通常だと安い②を使うわけで昨年もそうしたのだが、これがぎゅう詰めのミニバンで、終点のベトナム航空オフィスで降ろされてから群がるバイクタクシー運ちゃんを振り切ってホテルにたどり着くまでえらく苦労した。
③は在住者でない限り無理。
ボラれないようにすれば①が最も楽。要は金額をはじめに決めてしまえばいいのだ。35で交渉。35とは350000vdnのこと。この国では0を三つとらないと買い物できない。約1500jpy。これでとてもごちゃついたホテルの前まで行ってもらえたから正解。

日本が寒かったからもあるのかもしれないが、暑い。
今日は日曜のせいだろうか昨年来た時より車が少なく感じられるし、クラクションの音も少ない。シャッターが閉まった店舗も多いようだ。見覚えのある花市場は今日は休みのようだ。
ホテルはホアン・キェム湖のすぐ近く。繁華街の入り組んだ路地にある。部屋は広くWifiはフリー、
窓もあるし上等々。

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暑いのでエアコンをつけるが何故か机の上に電熱器が。
もうすでに午後4時頃。だが外の日差しは強い。日本との時差が2時間あるので食事の時間が空いてしまって腹が減っている。
とりあえず何か食べようと外へ。

日曜のホアン・キェム湖周辺はすごい人出だ。

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北側の大きな交差点前のバインミーの屋台で購入。30000vnd。
湖のほとりで遅いランチ。うまい。

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湖周辺は散策する人たちですごい賑わい。天気も良く温度も高くてとても良い休日なのだろう。
今回はバイク・車の流れを楽に横断できる。スリ対策もできているし。
去年は道には迷うし、道路の横断も命がけ、この辺でスリに財布をすられるし、頭からは流血するし大変だったなあなどと余裕を感じてはいるが、油断は禁物なのだ。

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湖周辺を散策して、ビアハノイ2本、30000vndを買ってホテルへ。
ハノイは乗り換えだけで観光する気はない。
ホテルでビールを飲みながらテレビなどを見てみる。
間もなく訪れる旧正月の特集番組だろうか、なかなか良さげな番組をやっている。日本の民放なんかよりずーっと良い。普通にCMもやっているし、いつも思うのだが社会主義国の顔は表にはなかなか出てこない。

日が落ちてくると何だか涼しくなってくる。
机の上の電熱器をつけてみる。快適だ。こういうことなんだ。
暗くなってから夕食をとりに外出。

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選択肢はものすごくあるが、やっぱり大衆食堂が好き。オープンエアの食堂で鶏肉のフォーとビールで65000vnd。

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いつも感じることだがベトナムの食事は美味しい。味付けが日本人に合うのだろうか。
気になっていたホテルの横の屋台で豚まんと黒糖まんを買って帰った。

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部屋は結構冷えている。冷房なんてとんでもない。
明日は10時頃にはタクシーが迎えに来るはずだ。
繁華街なので外は賑やかそうだが寝てしまう。

2.ハノイからルアンパバーン(ラオス)へ

ホテルの朝食はメニューから選ぶ方式。
またフォーをいただく。これもおいしい。
タクシーでノイバイ空港へ。
ホテル契約タクシーでホテルへ料金を払ってしまうと23で行ってしまった。えらく安い。
午後1時の出発時間までちょっとある。タクシーが安くてvndがあまりそうなので空港4階で生春巻きを食べてみる。さすがに上品な味だしなかないい値段だ。

メニューには「Spring Roll」と書いてある。
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ノイバイ空港の4階というのが空いていてWifiもつながるし結構穴場だということを発見。帰りはここで夜4時間ほど待たなければいけないので4階を使うかなどと考える。
ノイバイ空港は巨大空港ターミナルを建設中。アジアのハブ空港化したいのだろう。
ベトナムの経済発展の勢いが見て取れる。
ただ、巨大空港にふさわしいサービスを充実させるには時間がかかりそうだ。

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さて、時間になりバスで沖停めのベトナム航空・ルアンパバーン行きへ向かう。
100人乗り位のプロペラ機。

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客は小生以外は全員白人。それも中高年。
機体を見て「Oh,my God!」なんて声も聞こえるのだ。
しかしこれがなかなか乗り心地がいい。
陸地の上だけを約1時間飛んでルアンパバーン着。
この機内で初めて入国カードを書いた。

ルアンパバーン国際空港は山に囲まれた新しげで空いていてきれいで小さい空港だ。
歩いてターミナルビルへ向かう。機を出ると強い日差しとすごい暑さ。温度差がすごいとは聞いていたがこれほど暑いとは。

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空港内はがらんとしていてのんびりしたムードが漂っている。
日本人の入国審査は早い。
空港内のATMを探しているうちに白人たちはどこかに行ってしまった。
とりあえず500000kipを引き出す(約5000jpy)。0を二つとると円に近くなるのだ。
人が少ない。群がってくる運ちゃんもいない。強烈な真夏の日差し。どこか懐かしいような風景。
とりあえず空港タクシーでホテル近くまで50000kipで。

ホテルはほぼ中心街に位置している。
部屋は狭いのだがベッドがやたら広くてテレビとティッシュがある。ティッシュなんてのはきっと珍しいよ。

メイン通り
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お経がPAを通して流れている。
荷物を降ろして真夏バージョンに着替えて散策へ出かける。
ルアンパバーン中心街はメコン川とナムカーン川に挟まれている。
メインの大通りがあってそこを中心に考えると分かりやすい地理だ。
人、バイク、車が少ない。通りを渡るのも楽勝。
タクシーに代わってトゥクトゥクという一体何人乗せるのかわからない三輪車が近場の公共交通として一般的なようだ。
この国には鉄道というものは存在しない。

トゥクトゥク
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午後3時頃、日は高いが既にメイン通りではナイトマーケットの準備が始まっているようだ。

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とにかく腹が減った。のどが渇いた。メコン川沿いのレストランでとりあえずビール。ビアラオだ。
大瓶で10000kip(約100円)という安さ。
これが旨い。
どこで飲んでも土地のビールはうまい。

メコン川
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茶色いメコン川を見ながらのビールですっかりリラックスしてしまった。
ベトナムのようにうるさく声をかけられることもないし、目線を感じることもない。のんびりした雰囲気だ。
ここでは食事はせず、メイン通り沿いの公園にある屋台村のようなところにあるバインミー屋台でバインミーと生ジュース。
これは種類が豊富で味付けも程よくボリュームたっぷりで安くてうまくて全く言うことなし。
ベトナムのそれより美味しいと見た。

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カップの中に入っている果物がそのままジュースになるという分りやすさ。
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ナイトフードマーケットの準備も始まっていて、狭い路地ににおいや煙や活気があふれ始めている。
夕食はここにしようかなと思ったりする。

直売所マニアの血を騒がせる食材の屋台
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金色を中心とした派手な装飾の寺院が至る所にあり、白人や中国人の観光客が多い観光の街だ。

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24時間営業のATMも何か所もある。
これから奥地の方へ向かうわけでこれからはそうはいかないだろう。
ホテルの隣にツーリストがあるので明日の目的地、ノーンキヤウへのバスの様子を聞いてみる。
ホテルへの迎え込みで75000(約750円)だという。
予想より高かったし、この先ルアンパバーンに戻ってくるまでATMはなさそうなので200000kipを余計引き出す。とは言っても数千円の世界の話で感覚が狂ってくるのだ。

ホテルはまあまあだが、中国人の声がやたらうるさい。いつも集団で行動しているからか中国語のせいなのか、大声でけんか腰に聞こえるのだ。ベトナム語もラオス語も中国語系列なのにこうならないのは何故だろう。

午後6時を過ぎて暗くなってきた。と同時に肌寒くなってくる。昼間の真夏の太陽がうそのようだ。フリースを羽織る。一日の温度差20°というのはこういうことなんだ。
そして外出するとナイトマーケットが始まっている。
メイン通りを歩行者天国にして大がかりなマーケットだ。毎日やっているのだろうか。
衣類、工芸品、乾き物食品あたりが中心となっている。
しつこい売り方はしていない。なんだかすごく気持ちの良い売り方だ。
先があるので、今晩はTシャツを買うにとどめる。

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そして、食品はナイトフードマーケット!!
これが実にすごい。
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10000kip(約100jpy)バイキング
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沖縄と似ているようだがもっと混沌としている。
10000kipバイキングなんておいしそうなんだが混みまくり。
テーブルを用意してあるところは混んでいて、座れたとしても寛いで食べれる雰囲気ではない。
ならば、気になっていた揚げ春巻き屋台で揚げ春巻きとフォーのつけ麺バージョンをお持ち帰りで買う。これとビアラオを買ってホテルの外テーブルで食べようという魂胆だ。
ただ、お持ち帰りが縁日の金魚みたいなビニール袋なのでこれは持って帰っても食べれないなあということでプラケースもお願いしてしまった。
これが正解。

ホテルは中国人団体客は外出中らしくて静かだ。
部屋の外テーブルでゆっくり食事。

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これがとてもおいしい。
猫どもが遊びまくっている。

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犬もそうだが逃げないのだ。
激安夕食に大満足。
これでゆっくり寝れるかなと思ってベッドに入ったら、外からクラブ的な大音量。
寝れないことはないけれど、あれはいったい何なんだ。
明日は8時30分に迎えが来ることになっているので早く寝てしまおう。

2014年02月21日

ルアンパバーンからノーンキヤウへ・2014.2

3.ルアンパバーンからノーンキヤウへ

2月4日、まだ暗いうちに起きる。
早朝行われる托鉢を見に行くつもりだ。
それにしても寒い。日中の暑さがうそのよう。日中は短パン、Tシャツでちょうどよかったのだ。おそらく今の気温が12度くらいじゃあないだろうか。
ベトナムではこれほどの寒さは感じなかったが、標高が高いせいもあるのだろう。

寒い中をオレンジ色の薄い僧衣をまとったお坊さんたちが一列になって歩いてくる。裸足だ。
年配の人から小学生くらいの子供まで年齢は多彩。
市民は座って待っていて、お坊さんの持っている壺にそれぞれのざるのような入れ物からもち米やら何やらを入れていく。
撮影する観光客多数。
夜がすっかり明けきるまで托鉢は続いた。

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朝食は付いていないので何か温かいものが食べたいと思っていたら屋台のおかゆ屋さんが目についた。
ゆで卵なんかが入っていてすごく美味しかった。約100円。

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朝市
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これで8時半に迎えが来て9時のバスに乗れると順調なわけだが、そううまくはいかない。

約束の時間前からホテルの前で待っているが待てど暮せも迎えなど来ない。
昨日チケットを買ったツーリストの兄ちゃんがいたので、どうなっているんだと聞いたらここで待っていてくれと言ったままどこかへ行ってしまう。もう9時になりそう。
このあたり、ベトナムは妙に時間に正確だった。
まあ今日中に着けばいいわけだしと腹を決めて待っていると、客満載のトゥクトゥクがやってきてあんたかと聞く。体を押し込んでこれでいっぱいだろうと思ったら途中で更に白人を二人乗せた。いったい何人乗れるのだろう。
約10分ほどでバスターミナルに着いて昨日買ったチケットを見せてノーンキヤウ行きのミニバスに乗り込む。
12名乗りの乗用車、定員いっぱいになるまで発車しない。

バスターミナルの様子
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要は時間は適当なのだ。
客がいなければ時間が来ても出ないし、いれば時間前でも出てしまう。
でもひょっとしたらツーリストの兄ちゃんが連絡を取っておいてくれたのかもしれないし、この辺りは結果良しとしよう。

ミニバスは決して乗り心地が良いとは言えないし、道も凸凹、所要時間は約3時間半と長い。小生の他は全員白人の客は我慢。
途中トイレ休憩1回。変哲もない道端に停まって用を足す。女性もそうだから一応隠れやすいポイントを選んで停まっているようだ。しかし体調が悪かったらたまらないだろうなと想像してしまう。幸いにしてそういう客はいないようだ。

トイレ休憩
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山間の、舗装はされているが所々凸凹道を進み、町やら集落やらを通り過ぎ、唐突に終点のノーンキヤウに着いた。
目の前は岩の壁。

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ダイナミックな景色の中、一本道がある。そこを行くまでもなく道を渡ったすぐの場所に本日のホテルはあった。バスターミナルとは目と鼻の先だがあとは何もない。おそらく町の中心部は一本道を進んだ先にあるのだろう。

ホテルは独立したコテージ風で一棟に二部屋しかない。
広くて清潔、コーヒーセットもあるしwifiも問題ない。

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食堂がナムウー川に面していて絶景である。
マイトウゼの川版高級バージョンといったところか。
この食堂でビールは絶対に気持ち良いはずだ。

食堂からの景色
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案の定、朝からはイメージできないほどの暑さ。
お昼も過ぎているので早速真夏バージョンに着替えて散策&昼食に出かける。
真夏の一本道を東へ向かって歩く。

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学校
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車はほとんどいない。時々バイクと自転車。それにもまして道にいるのは、犬、ニワトリ、時々アヒル。人が近づいても逃げない。
民家、商店、建築中の家、学校佇む人々等々。ものすごくのんびりした雰囲気。
昭和30年代の日本の地方都市から電車で1時間くらい行った田舎の風景とでもいおうか。

ゆっくり15分ほど歩くとナムウー川にかかる橋に行きついた。

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ここは絶景スポットで、この町はこの橋を中心に考えればまず迷うことはない。この近辺に橋はここしかないのだ。
橋の前後は賑やかで、川沿いにゲストハウス多数、食堂や商店もある。ATMは1個あったが使えないやつだ。

川沿いのゲストハウス
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橋上からの景色は趣がある。
高さはこちらの方がずっとあるけれど、何だか郡上八幡の長良川にかかる橋からの景色を思い起こさせる。
水遊びをしている子供たちがいる。船が行きかっている。
ナムウー川はメコン川と違って普通の緑色の川だ。

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船着き場方向を臨む。
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昼時も過ぎているので腹が減った。
わりと選択肢はあるが、DEENSというカレー屋さんがあったので入ってみる。インド人がやっているらしい。

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メニューは豊富で安い。
オーソドックスにチキンカレーとナンを頼む。
チキンはいつも家で鍋に入れている骨付きのもので柔らかく煮込んである。関節まで食べられるやつである。
日本で食べるインド人のカレー屋さんより日本的な味がする。
美味しい。
ここまで食事に全くはずれがないのがうれしい。
いつものように関節までみな食べてしまったら日本人はカレーの食べ方が旨いと感心される。

帰りがけに船着き場の様子を見に行く。
チケット売り場と土産物屋、案内小屋みたいな建物が並んでいる。

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ノーンキヤウは今日、明日と二泊の予定なのでゆっくり過ごすことができる。

ホテルの庭
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ホテルに戻って洗濯などしているうちに夕方になって涼しくなってくる。
日が落ちると冷え込んできて冬バージョンに着替え。
ここはルアンパバーンより標高が高いので更に温度差が激しいようだ。
8時近くなって夕食時、外は真っ暗。これから橋あたりの食堂へ行くのも面倒だなとは思いつつ東へ歩いていくと、何やら足元に灯りがついている。導かれて行くと唐突にこじゃれたレストラン出現。白人男女がワインなんかを飲んでいる。ここじゃあないなと思い、後にする。
ホテルのすぐ隣に商店のような食堂のようなものがあったなと思い出し、試しに行ってみる。

打ちっ放しの土間には家族、親戚、友人、近所の人らしき人々が集まっておしゃべりしたりテレビを見たりしている。

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食堂の雰囲気はあるので何かできますかと聞いたら、スープならできると言っている。フォーかと聞いたらそうだというのでここに決めた。
で出てきたのがこれ。

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麺はきしめん状に平たい。フーという。
野菜は、レタスに似た野菜とミント、パクチー、青レモン、唐辛子など。
これを混ぜ合わせて食べる。
美味い。
とても気に入った。ビールも飲んで300円弱。
ベトナムのフォーとほぼ同じだが麺が平たいので食感がこちらのほうがもちもちしている感じだ。
とても優しい味付けで飽きが来ない感じ。
やっぱり大衆食堂が性に合う。
隣がホテルだし、明日の夜もここだな。

2014年02月23日

ノーンキヤウ・2014.2

4. ノーンキヤウ

2月5日、まだ暗いうちに起きる。
ニワトリの鳴き声が朝まだ暗いうちから数か所で響き渡る。
日本の伝統的な「コケコッコー」という表現はうなずけるが、聞いているうちに「ホットコーヒー!!」と聞こえ出す。
一旦聞こえ出してしまうとこれほどはまる表現はないのではないかと思う。
甲高い子供のような声で「ホットコーヒー!!!」と叫んでいる奴までいる。
早朝は真冬の寒さ、あたり一面霧が立ち込め、ウー川にも霧がかかっている。
これでほんとに昼間は真夏のようになるのだろうかと心配させる気温と天気。

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朝食は川沿いの食堂でパン、卵、フルーツとコーヒーの質素なもの。

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ちょっと肌寒いがGパンに半袖で朝の散歩に出てみる。日が昇って霧が晴れてくると温度が上昇してくる。

ホテル前の寒そうな風景
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日が昇ってくると春めいてくる。
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橋からの朝の景色がなかなか良い。
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この橋から約2.5km程のところにあるタム・パトゥーク洞窟へ行ってみようと思う。
段々暖かくなってきた。
もっと暑くなってから行こうと一旦ホテルへ戻る。

案の定10時半を過ぎたあたりから夏っぽくなってきた。もう短パンTシャツでOKなのだ。
レンタサイクルもあったけれど、たぶん歩いて1時間かからないはずだし時間もあるわけだからと徒歩。

学校の隣の商店、子供たち御用達のようだ。
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船着き場方向から橋を見る。
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色々なところで見られる干し草
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橋を渡って一本道を歩く。既に天気は真夏。

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橋の周りの集落を離れると時々民家、製材所、商店のようなものが点在する。
学校帰りの子供たちが自転車で追い越していく。時々自転車の白人観光客とすれ違う。歩いている人はいないなあ。

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段々景色がダイナミックになってくる。ほぼ垂直のような岩山が周りにそびえ立ちはじめる。
クライミング好きの人達はこういう岩壁を見たら上りたくなるのだろうか。
でも30階建てのビルくらいの高さがあるように思うんだけれど。

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その岩山で一際目立っている山の麓にタム・パトゥーク洞窟の入り口があった。

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小川に木が渡してあってー橋だなー橋の入り口で少年たちがカードをしている。
入場料5000kip(約50円)、彼らはコブラドール(料金集金人)なのだ。

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橋を渡って洞窟へ。
目の前にそびえ立つ岩山を見上げる。

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ほぼ垂直、てっぺんの方はこちらに反り返っている。
これでも上りたくなる人はいるのだろうか。
見上げていると首が痛くなる。

かなり急な階段を上って洞窟へ入る。

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ひんやりしている。
灯りも何もないので真っ暗だ。
目が慣れてくると少しは分かるが、奥の方は灯りがないと無理そうだし普通の穴だ。

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洞窟を後にして来た道をゆっくり戻る。

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まだ真夏の暑さ。
昼を過ぎていたので橋のたもとにあるレストランで昼食。
ラープとビール。
ラープはひき肉ともやしとかパクチーとかその他の野菜を香辛料と一緒に炒めたものでラオスの名物料理。

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これが出てくるとどうしてもご飯に乗せて食べたくなる。
相性はばっちり。

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ラープ40000、ビール10000、ご飯5000kipでしめて約550円。

帰りがけに船着き場へ寄って明日のムアンゴイ行きの船の時間と料金をチェックする。
11時発25000kipとのこと。
ここで手持ちの現金が気になってくる。船賃とバス代は確保して、そうすると残りはいくらでムアンゴイではいくらに抑えなければという考えが頭をよぎるが、まだドルも持っているし、こんなことを考えるのはあほらしいと開き直る。

午後も4時くらいになると徐々に涼しくなってくる。
初秋のような風の吹くまことに気持ちの良い時間帯だ。
ビールを飲みながらテラスで読書なんてぇのが似合う時間だ。

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庭で子供らが遊んでいる。子守をしながらというのがいい。
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乾期で乾いているので昼の真夏の気候でも木陰に入ると涼しい。
だから日が傾いてくると尚更さわやかな気候になる。
で、夜になると冬。

夕食は迷わず隣の食堂へ。
相変わらず、家族、親せき、ご近所ゆんたく状態。

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できるものは一種類しかないので話は早い。
ビールを頼んだらおやじさんがバイクに乗って買いに行った。
昨夜と同じ鶏肉入りフーは、ほんのりスーラータンスープのような酸味も感じられてすごく美味しい。
野菜(レタス、パクチー、ミント、青レモン等)の生きが良いというのもあるかもしれないが昨夜よりもさらに美味しく感じられた。

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お店の外観はこんな感じ。
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ビールもいれて約300円。
大満足。

明日は早めに船着き場に着くことにしよう。


2014年02月26日

ノーンキヤウからムアンゴイへ

5. ノーンキヤウからムアンゴイへ

2月6日、今朝も「ホットコーヒー!!!」の絶叫、連呼で目が覚める。
何だか昨日より暖かく感じられが霧が濃い。

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今日は最終目的地のムアンゴイ村へ船で向かうことになっている。
昨日チェックしておいた11時発の1時間前に着いておくことが安全策だ。
人数が集まったら時間前でも出てしまうらしいから。
昨夜は節約しようかとも思ったがドルを行った先のホテルで両替すればなんてことはないと。
こんな時はホテルの決済を予め日本でカード決済しておくことのありがたみがわかる。

思ったより早く船着き場に着いた。

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この船で行く。
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船着き場から橋を見る。
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船賃は25000kip、徐々に人が集まり始めた。
11時近くなると既に真夏の日差しになっている。
しかし遮るもののない船の上なのでTシャツの上にウインドブレーカーを羽織る準備をしておく。
出発前にラオス式トイレ、2000kipなり。
最初にルアンパバーン行きの船が出て次にムアンゴイ行きの船が出る。
2艘づつで行くようだ。沈没した時の対策か。
ここも注意していないと乗りそびれてしまう。

11時過ぎに出た船はウー川をさかのぼる。
客は地元の人が2~3人にあとは白人観光客。バックパッカーと中高年夫婦。やっぱりフランス人が多いようだ。
真夏の日差しだが川の上。ウインドブレーカーは正解だった。
西表島の浦内川クルーズのような感じ。
でも船は西表のそれよりぼろい。
野生の水牛があちらこちらにいる。東南アジアの景色なんだな。

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ウー川は全体的に穏やかな流れだが所々急流ポイントがある。
慣れた船頭は難なく急流をさかのぼる。素人だったらたちまち座礁、転覆だろう。
スリルを楽しむフランス人から喝さいが飛ぶ。

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川の景色は楽しい。
舟で仕事をする地元の人とか、おそらく川海苔を採っている人とか水遊びをする子供とか、時々集落が現れる。

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ムアンゴイ村はこの船でしか行けないということだ。
ムアンゴイ村の手前で地元の青年が一人飛び降りていったから他にもそのような集落があるということなのだろう。
出航して1時間10分位か。
ムアンゴイ村に到着する。

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ムアンゴイ村は川沿いにゲストハウスが並んでいるので分りやすい。
桟橋というものはない。
階段に濡れないようにうまく飛び移る。

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暑い。
階段を上がっていくと川に沿った一本道があってこれがメイン通りのようだ。

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未舗装の通りは約400mくらいだろうか、車はいない。
人、人、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、人、犬、犬、犬、アヒル、人、ニワトリ、ニワトリ、アヒル、アヒル、人、犬、犬といった感じだ。

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通りの両側に商店、食堂、ゲストハウスが並んでいる。
この雰囲気、鳩間島によく似ている。
しかし鳩間と違って現金を使うところが多そうだ。
ここは島サバで歩くのが正解。

本日の宿、LERTOKEO SUNSET GUESTHOUSEは独立した5棟5部屋しか部屋はなく、しかも村で唯一のRC造りのゲストハウスなのだ。
メイン通りのほぼ南端に位置している
ただ、船から降りた段階でホテルへ勧誘する人がいたから予約なしでも空いていればどこかへもぐりこめそうだ。
ホテルは1棟ごとに独立していて24時間電気も使えるし温水シャワーもある。ウー川に面してテラスが付いていてこれは相当に快適そうだ。
おかみさんだろうか、英語もしゃべれるし面倒見もよさそうだ。ドルの両替もできるとのこと。当面は安心。

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テラス
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荷物を置いて真夏バージョンに着替えて散策に行く、とは言ってもメイン通りは約400m位ですぐ終わってしまう。西側が川だから、東に向かっていく道が何本かある。
ホテルに近い東側は学校があった。校庭と民地との境はなさそうだ。

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もう昼過ぎ。早朝にパンを食べたきりで腹が減っている。食堂の選択肢は意外に多い。観光客が多いのだろう。英語のメニュー表示もある。ま、村の人は外食はしないだろうな。

川沿いの食堂に入ってみる。何でもある感じだ。値段も安い。
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野菜カレーにスチームライス
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野菜カレー10000kip、ご飯5000kip、ビール10000kipで約250jpyは安い。
味はそこそこで不満はない。
景色が良いし気が置けない雰囲気でここを利用するかな。

村の中の地理はすぐに把握できてしまったので、ビールを買ってホテルのテラスで読書。
とにかく暑い。日差しは八重山のそれだ。上半身裸になって日光浴。
目の前にそびえる山の向こうに日が落ちるまでは暑いはずだ。
その後は秋から冬になる。

5時前に日が隠れると涼しくなってきた。
ホテルの中庭に畑というか家庭菜園がある。
見ると見覚えのある葉の形状、実の付き方をしている。
ミント、パクチー、キューリ、菜花、ねぎ、ミニトマト、なす、レタス・・・・・・・。

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テラスから見える、パパイヤと島バナナの木
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手入れをしていたおばあが大きくなりすぎたきゅうりを食べろと皮をむいてくれた。
ラオス語しか喋れないので何を言っているかわからないが何となく意思疎通はできる。
美味しくいただきました。

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涼しくなった村を散策。
メイン通りを北に向かって5分も歩くと道は終わってしまいその突き当りにお寺がある。
これは大変立派なお寺で、こんな田舎にそぐわないと言ったら怒られてしまうか、とにかく立派なものだ。住職のような年配のお坊さんが一人いて、あとは青年から少年まで、お坊さんの人数もそれなりにいる。
中を見学させてもらった。

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夕方のメイン通り。
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網干し。鳩間の追い込み漁の投げ網に似ている。
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機織り
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露店肉屋。歩き回っているニワトリもこのような姿に。
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夕方の民家
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夕方、放牧していた水牛の帰還だろうか。
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夜になって冬になる。
昼間と同じ食堂へ。
フランス人が何やら読み上げている。
ラープ、春巻き等で夕食を済ませ、帰って洗濯をしてそのまま寝ようかと思ったが何だか物足りない。
ちょっと飲みにでも行くかと外へ出てみる。
あまり人はいない。
開いている店もあるが音楽がうるさかったり趣味に合わなかったりする。
結局ビールを買って部屋のテラスで飲む。

月明かりだけの静寂を楽しむ。
これが大正解。
両隣の客人も物静かな白人なので良い環境だ。

明日は東側にのびる道を洞窟まで行ってみるか。

2014年02月28日

ムアンゴイ・2014.2

6. ムアンゴイ

2月7日、今朝も「ホットコーヒー!!!」の連呼だ。
土地が変わっても聞こえ方は同じ。日本へ帰って聞いたらどうなるのか。
やはり朝は寒くて霧がかかっている。

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パンとコーヒーのみの質素な朝食を済ませて庭へ出ると、ホテルのおじさんだろうか、たき火をしている。

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朝は寒いのでたき火に当たる。
そのうちに川で獲れた魚だろうか結構大きいのを焼きだした。

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木に挟んで器用に焼いている。面白そうなので見ているとおじさんはどこかへ行ってしまった。
しょうがないので火の番などをしているうちにまた戻ってきて魚醤を塗りだした。

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魚醤は壺から出す。
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何だか二人で魚を焼いているような雰囲気になっているうちにテーブルを出して来て、いい感じに魚が焼けてきたあたりで村のお歴々が登場。
魚をあてに一杯やろうということらしい。
お前も入れということでご相伴にあずかることにした。

まだちょっと緊張気味。
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昨晩食堂で少し飲んだラオラオという米焼酎を飲む。
まだ朝の10時頃だ。
各自小さいグラスを渡されて年長者だろうか、注ぐ人は決まっていてみなに注いで乾杯した後は飲み干さなければいけないルールらしい。
これを間段なく繰り返していたら15分でぶっ倒れてしまいそうだが、そこは水やお茶を飲んだり食べたりおしゃべりをしたりで、注ぐ間隔は結構あくわけで何とかなる。

今までに覚えたラオス語は2つ。「サバイディー」(こんにちは)、「コプチャウ」(ありがとう)だが今朝「トプチョウ」(乾杯)が加わった。
こちらも「かんぱい」などと教えたりする。
そのうちメンバーが増え6名ほどになる。

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英語のできる人が少しいて意思疎通はできる。
例えば、「ビアラオを飲むと↓だけどラオラオを飲むと↑だ。おかげで俺は子供が7人いる。お前も飲め飲め。」などのばか話。

今度は魚の頭だけを焼きだした。
魚醤とにんにくを入念にすりこんでいる。

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菜園の野菜を摘んできて生で食べる。
レタスのような大きい葉物にねぎだのにらだのパクチーだの包み込んで魚醤あるいは味噌のようなものに浸けて食べる。
魚も包んで見たりする。
何故か日本製の「わさび」のチューブを出して来てびゅーっとものすごい量を魚醤に入れたりしている。
どうもみんな練りワサビが好きらしい。辛くないのかよと思ったら案の定辛い。

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アルファルファのような小さな葉物を食べろというから食べた。

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すーっぱい、という顔をしたらみな面白がっている。
これは外人に梅干を食わせる逆バージョンだな。
しかしこれを他の野菜と魚を包んで食べると美味いのだ。
骨なんかの食べかすはその辺を歩いている犬のエサだ。犬も心得ているらしくて待っている。こういうリサイクルもあるわけだ。そういえば鳩間島ではカニのエサになっていたな。

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ラオラオは大きな瓶から三合瓶のような瓶に小分けして注ぎやすくする。シマ酒と同じ流儀だ。
段々盛り上がってきて気温も真夏になってきた。

どこかの子供
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家の中からパワードスピーカーを出して来てラオスの歌謡曲を大音量で流し始めた。
途中、ノーンキヤウまで帰る人がいた。船はあるのかと聞いたら、どうもプライベートなバスがあるらしい。陸路もあるらしいのだ。

昼を過ぎていい加減みな出来上がってきてそろそろお開きかな、昼寝できるなと思っていたら、昼寝なんか駄目だよ、これから皆でどこかへ行くからお前も来いということになってしまった。

とりあえず集合写真
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メイン通りを流す酔っぱらいのおじさんたち。

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途中、子供に絡まれたりー村の子供は人懐っこいー何故か子供の勉強を見たりしながら船着場方向へのんびり歩く。

勉強を見ている。
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右に曲がったら大きな家がありここでは更に大規模な宴会の最中。

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庭の手前に大きいテーブルがセットされ飲み食いしている。

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奥の方は女性陣が固まって肉をさばいたりしている。

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肉をさばく。
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ここは店なのか民家なのか。
店で宴会をしているということらしい。
6~70人はいそうだ。

ここへ参入。新たなメンバーも加わってまたまた始まるラオラオによる「トプチョウ」(乾杯)。

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乾杯の準備
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しかしこんなに朝から飲んでいていいのかと余計な心配もしてしまう。
ここで出てくるあては、庭の野菜ではなく菜花のスープとか川海苔そしてもち米。

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川海苔
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またまたパワードスピーカーを出して来て大音量でラオスの歌謡曲。
こういうのが好きなんだ。

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人々
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途中中国人の女性観光客(単独は珍しい。)なんかも加わる。

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奥の方の女性陣は鼻歌なんかを唄いながら実に楽しそうに作業をしている。

覗かせてもらった。
肉をつぶしてひき肉を作っているらしい。

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一段落。
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厨房の中は広い。

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煮炊きは薪を使ったかまどでしている。

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見ているうちにやることになった。
たらい一杯のひき肉をすりこぎで更に細かくつぶす作業。
コツをつかめば割と簡単

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酔った勢いで掃除までしてしまった。
男性はあまり厨房には入らないようだ。

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ビールやるかい?
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ラオス式トイレ
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人々
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なんやかんやで気が付いたらもう5時頃だ。

お開き
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メンバーも三々五々引きあげたようだし、最後の方はあまり記憶がない。
船でしか行けない小さい集落、メイン通り一本、朝からの地元飲み会、ラオス語の分らなさは鳩間語と同じだから鳩間島と同じ状況なのだ。

夕方のメイン通り
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今日は洞窟へ行ってみようとかテラスで読書とか考えていたが、宴会で一日が終わった。

夜になってから性懲りもなく、また昨日の食堂へ行ってビールと春巻き。

どこかで転んだのかお尻に擦り傷。
もう夜の記憶は飛び飛び。

思うに、この閉鎖的な環境でよそ者、しかも外国人でラオス語は喋れない人間を簡単に受け入れて、他の宴会まで連れて行ってしまうというおおらかさはすごい。

おかげで楽しい一日だった。

2014年03月09日

ルアンパバーンからハノイ経由日本へ・2014.2

8. ルアンパバーンからハノイ経由日本へ

2月9日
今日は帰国の日。
ルアンパバーン発が19時25分と遅いので、チェックアウト後も荷物をおいたまま17時半ごろまでゆっくり散策するつもりだ。
例によって朝は寒い。
でも早起きなのでまた托鉢を見ようと思って、まだ暗いうちから外出。

早朝の寺院
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このホテルの前が托鉢のコースになっている。
前回の時より撮影する観光客が少なく感じられる。
この寒い時間帯にこの衣装は修業とはいえ大変だろう。
日中はちょうど良いかも。

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朝食は前に行ってとてもおいしかったおかゆの屋台へ行く。
やっていた。よかった。
今朝は揚げパン(1個約10jpy)も食べてみる。
相変わらずおいしい。

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シャワーを浴びてから散策に出かける。
まずは朝市を見て、真夏の暑さになる前に街の全部が見渡せる寺院に登ることにする。

朝の市場はとてもたくさんの店が出ていて活気があって楽しい。
沖縄の農連市場の雰囲気に似ている。
野菜、肉、魚、もち米、雑貨等々何でもありそう。
直売所マニアの小生には全く退屈しない場所だ。

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これは仏様へのお供え物
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中にはなんでこんなものを売っているのかわからない店も。
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メイン通り屋台村から階段を上がって更に登って行く丘、Phousi Hillへ登ってみる。
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頂上にはお寺があり、ここからルアンパバーンの全景が見渡せる。遠くに山々も臨める。

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なかなかの絶景ポイントだ。
メコン川、カーン川に挟まれた街だということが良く分かる。

メコン川
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カーン川
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下に降りると真夏の太陽。
上から見たメコン川、カーン川との合流地点、即ち旧市街地の一番外れに行ってみる。

合流地点
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茶色いメコン川と緑色のカーン川が合流している辺り、カーン川にとても粗末な木の橋がかかっている。

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有料らしいが増水したら一発で流されてしまいそうな代物だ。
地図を見ると乾期オンリー、つまり今の時期だけということらしい。
ということは雨期になって増水したら流されてしまってまた毎年作るのか??
この川を渡らないと空港へ行けないのでちゃんとした橋はちょっと上流にある。
メコン川にかかる橋はなく、対岸へは渡し船だ。
木造船だが、車を乗せられるフェリー的なものもある。

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寺院
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ブラジル的ー西洋風ーな街並み
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これはたぶん洗濯した僧衣を干しているのだろう。
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リバービューの高級そうなレストランの芝の庭でお掃除ロボットならぬ芝刈りロボットが動いていた。

午後ホテルへ戻ってコーヒーなど飲んでいるうちに、5時に頼んだお迎えのトゥクトゥクが随分前にやってくる。
この国に来て時間前に来る交通機関は初めてだ。
空港まで50000kip。行きのタクシーと同じ料金だった。

日が傾いてきて秋の気候になってくる。重ね着を準備する。
今日の空港は客が多いような気がする。
だからかもしれないが、行きと違って今日はジェット機。
「I love Laos!!」と言って空港職員と抱き合っている白人がいたりする。
気持ちはわかる。
きっと楽しい経験をしたのだろう。
ここまで日本人と会うこともなく、日本語を聞いたこともなかった。

夕暮れのルアンパバーン国際空港
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ジェット機
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1時間ほどでハノイ・ノイバイ空港着。
機から降りると・・・・・・・寒い!!!
トランジットの客はほとんどいない。
今日のハノイの係官の女性は美人で感じが良い。
0時半頃の成田行きだから、ここで4時間ほど過ごさねばならない。

退屈な時間。

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4階でネットや読書をしたりして過ごす。
ここは空いていていいのだが寒い。
適当な時間に搭乗口のある3階へ降りていくと嘘のようにごった返している。
搭乗が立て込んでいるらしい。
日本人団体観光客の日本語がわーっと聞こえてくると何だかがっかりしてしまう。
この空港の搭乗案内の訳の分らなさも相変わらずで、気をつけていないと逃しそうだ。
今夜は中部空港行きと成田空港行きがほぼ同じ時間帯にあるらしく、しかも遅れているらしくややこしい。
遅れているとのアナウンスなどはない。

ベトナム航空、約5時間半のフライトで成田空港着は2月10日朝。
これが1日早かったら大雪で道路も閉鎖、電車もストップで成田空港で足止めだったということだ。
運が良かった。

ラオスという国は行くまでは全く印象がわかない国だった。
実際に行ってみて特に産業といった産業はない農業国で、観光が重要な産業である印象を受けた。
経済的には貧しい印象だが、人々はのんびりしていて人なつっこくて優しかった。
隣国ベトナムの経済的活況、それを下支えする人々の経済的積極性とは対極にあるように思えた。
社会主義体制だがそれが表立って出てくることはないし、体制にかかわらず仏教に対して信仰の厚い国でもある。

今回、ルアンパバーンからノーンキヤウ、最終目的地のムアンゴイまで行って帰ってきたわけだが、一番印象に残っていることと言えば、何といってもムアンゴイ村での宴会の一日だ。

よそ者しかも外国人を暖かく迎え入れてくれた村人達の度量の広さには恐れ入るし、優しさには感謝だ。

あの一日を境にラオスという国に対する印象が大きく変わった。

それは民族とか体制とか経済とか宗教とかではなく人間に対する印象だ。
もしも民族とか体制とか経済とか宗教の違いで国がぶつかり合うことがあるとすれば、直接にぶつかり合わなければならないのはこういう人達とだ。
それはいやだ。
難しい形而上的な対立も最終的にはこういう生の感情に直面して簡単な答えが出る。
しかしこの答えは重要だと思う。
民族、体制、歴史、経済とか宗教は事前に勉強できても、実際に行ってみて分ったことは人だった。

何だかムアンゴイ村での宴会を最終目的として行ったみたいになってしまった。
してみると、日本→ルアンパバーン→ノーンキヤウ→ムアンゴイの道程は東京→那覇→石垣→鳩間とよく似ている。
しかも最後は船でしか行けない。
というわけで、思わぬところに思わぬ出会いがあった今回の旅だった。
ラオスがとても好きになった。

2014年03月18日

松田の桜

先週、静岡へ演奏へ行ってきました。

翌日は、夜茅ヶ崎で演奏なので、夕方の入りの時間まで暇な時間ができました。
小生以外のメンバーは沼津あたりでお昼を食べるという予定にしたらしいのですが、小生は沼津から御殿場線を経由して行ってみることにしました。

御殿場線というとこの季節、梅というイメージがあってどこかで見れればいいなという感じで。

御殿場駅はJR東海とJR東日本の境界の駅で、またがってsuicaを使うと精算が面倒くさそうなので昼食がてら一旦降りてみます。
楽器も持っているし徒歩なのでそう遠出はできず、眼前にそびえる富士山を楽しむくらいでした。

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で、ここから松田駅まで行けば確か小田急に乗り換えられるはずで、厚木か海老名まで行って相模線で茅ヶ崎へ行こうという気になりました。

時間があるときの適当な旅感覚はとても楽しい。
日本の交通網は発達しているし正確だし、海外だったらとてもこうはいかない。
あまり考えず気の向くままにぶらぶらできます。
とても天気が良くて暖かい。

再び御殿場線に乗って松田駅に降りると正面に見える山がピンク色に染まっている。
梅かなと思ったら「松田さくら祭り」と看板が出ていて結構人も出ている。

少々早いけれど桜なんですね。

幸いにして駅前からシャトルバスが出ていたので山の上まではこれを利用。
山頂付近からは富士山やら相模湾等が一望できます。

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うっすらと見えるのは伊豆大島だろう。
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結構起伏の多い園内でこれが大人の交通手段としても機能しているらしい。大人の方がいっぱい乗っている。
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去っていく姿にも趣がある。
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桜のピンクと菜の花の黄色と青空のコントラストがとてもきれいでした。

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帰りは下り坂なので徒歩で小田急の新松田駅まで。
途中猿回しなんかも出ていたりしてなかなか楽しい。

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竹馬ごとジャンプしているのだが足しか撮れなかった。
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得意になっている。
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厚木からは一時間に3本程の相模線でちょうど良い時間に茅ヶ崎着。
楽しい小旅行でした。

余談

春の選抜甲子園に小生の卒業した都立小山台高校が出場することになりました。
21世紀枠で。
もちろん初出場。
都立は選抜で初めてらしいですね。
1日目の第三試合、すなわち今週の金曜日。
楽しみです。

2014年04月24日

出発前

明日は毎年恒例になっている沖縄への演奏に出発します。
ということは、ブラジル旅行へ行ってからもう一年たつわけです。
何だか早い。

鳩間島音楽祭出演も今年で12回目。
出演するメンバーも移り変わりはあるけれども、基本的な部分は一緒です。
本土から行くメンバーも、昔はまとまって行ったりして、それはそれで楽しいこともあったけれど、回数を重ねるうちに慣れてばらけるようになりました。
ま、それが自然な姿なんでしょう。

鳩間島は昨年の9月に欠航で渡ることができなかったので去年の音楽祭から1年ぶりです。
島の友人たちも自分も年齢を重ね、まだ付き合いが続いていることはとても楽しいことです。
島には現在、商店がないので自炊材料をどうするかなんてのも考えなければいけないのですがー実際に以前は食材を予め送っていましたー今は石垣で適当に買って持ち込むだけです。
何だか段々力が抜けて、適当さが増してきているような感じです。
今年も石垣へ行ってから考えよう。

この力の抜け具合と裏腹に、毎年沖縄へ行く前に完成させるルーフバルコニーの家庭菜園は手抜きできないので大変です。
天候や風が塩梅の良い状況でないとできないし、1日に終える手順が自然と決まってくるので完成まで3、4日はかかります。
しかしうまくできたもので作業を終えた頃は、そろそろ半袖もありかという気候になっていて沖縄の気候にも順応できます。

今年はチューリップが咲いていた施工前の状態
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施工後
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今年も出発前日に9割方の作業終了。
出かけることにしましょう。

2014年05月21日

2014ぶた丸

今年も「豚の丸焼きとサンバの宴」が開催されました。
通称「ぶた丸」。

このイベントも相当に開催数を重ねています。
小生達がバンドで参加することになってから十数年は経っていると思われますが、正確なところは忘れてしまいました。

いつものように新宿駅前に午前8時集合。
バスで群馬県片品村へ。

バスの御一行表示はどこのP.A.でも注目される。
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今年は開催が例年に比べて約一か月早いのが特別。
梅雨入りしていないので天気は比較的良く、この週末二日間は好天との予報が出ていました。
この時期にしては珍しく、朝自宅から富士山も見えました。
これはラッキーと思ったのは甘かった。

現地先乗り部隊からは、こちらはとても寒くてストーブを焚いてこたつも出しているとのこと。
この季節になってしまうとあまりイメージできないのですが、一応の防寒の用意はしておきました。

確かに到着してみると、寒い。
天気は曇りがちではあるものの雨は降ってはいません。
しかし温度が真冬並みに低く、たぶん7~8°くらいじゃないでしょうか、北風が強いので体感温度はさらに下がります。
セーターにダウンでちょうど良いくらい。
今まで雨に降られたことは何回もあったけれどここまで寒いというのはあまりなかった。
というよりは東京が暑いので温度差が激しすぎてイメージできないという感じ。
温度差といえばラオスの一日の寒暖差が約20度というのもありました。
これをイメージすればよかったのかな。

まあ雨が降っていないだけ良しとしましょう。
今回のように防寒具を色々持って来られる点では車組が有利だったかも。
何はともあれ開催宣言から、うどん→バンド→ピザ→バンド→豚→サンラータン→おでん→時々温泉→一泊→時々温泉→民宿→朝食→トン汁と、さすがに年季の入った運営、つつがなく進んでいきます。

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民宿近辺
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この時期八重桜満開
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まずうどん
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開会
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タルタルーガの演奏
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次はピザ。これはピザ窯
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何かいい感じだ。
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今回は、Ita e Kazu
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ぶたの配給が始まった。
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この間に参加者各人自慢の一品などというものも多数披露され、楽しくも勉強になります。
ただあまりに寒くて夜になったらさらに冷えるだろうと予想されたため、スケジュールは前倒しに進んでいきました。

明るい時間帯にサンラータンスープを食べたのは初めてでしたし、ビニールハウスが北風を防いでくれるおでん屋はいつにも増して早い時間から満員。

白日の下のサンラータン
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おでん屋
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夜の飛び入り演芸大会はあまりの寒さに希望者現れず。
温泉で体を温めてその勢いで飲むといった感じでしょうか。
早い時間帯から盛り上がっていたので、その分終わりも早めで良く寝れるというのは翌日に影響を残さない良い傾向です。
夜になって更に厳寒かと思われましたが、どうも風向きが変わってきたようで昼間ほど寒くはない。
風も弱くなってきたような気がします。

翌日は良い天気。
風もそう強くはない。

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昼前にかけて雲も取れて暖かくなってきました。
Tシャツで過ごせる気温になってきたようです。
これが昨日だったらなあというのは野外イベントにはよくあることですね。
今回は子供の参加も多く、ぶた丸の高齢化対策には良い傾向でしょうか。

昼のトン汁
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炊き出し行列
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天気が良いのでまったりと寛ぐ。
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共同開催者、神明の湯の星野さんあいさつ。
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集合
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民宿の朝食だけを除いて、全部自分たちで運営・自炊する大人の遠足。
できる限り続いてほしいものです。

スタッフの皆様、大変ご苦労様でした。

2014年06月20日

一人旅の反省点

2014サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会が始まりました。
日本の初戦はRecifeでしたね。
昨年ブラジル旅行をした際、旅の後半で行ったところです。

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人が見当たらない街
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メトロー
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外務省の渡航情報を見るとブラジルでも一二を争う治安の悪さだそうで警戒を呼び掛けています。
巷で喧伝されているブラジルでの避けたい行為というのも、振り返ってみると結構自分に当てはまる部分もありました。

深夜0時頃のGuararapes空港着だったので、かなり空港に近いホテルを予約しました。
これは○。
それでも深夜にタクシーは拾えるのかとかレイトチェックインはちゃんとできるのか、締め出されることはないのかとか気にはなりました。
幸い国際空港だけあって深夜でもすぐに空港タクシーを捕まえることができたしタクシーの運ちゃんも親切な人でホテルのフロントまで付いてきてくれました。
空港タクシーは前払いで若干値段は高いのですが信頼性は高いのでやはり○。

渡航情報によると単独行動は控える、夜間外出も避けるとありますが、一人旅だから単独行動はしょうがない。

真夜中で周りに何もないところで食事には行けそうもないのでホテルのビールで我慢して無用な外出は避けました。これも○。

日中になれば周囲に気を配れるので、ここは一体どういう場所なのか把握するために歩き回るのは必要なことで、近くに地下鉄のshoppingという駅がある場所だと把握できました。
終点のCentral駅まで5駅。

こんなふうに自分の行動を振り返って○×評価をしてみるのも面白いかも。

・オリンダ旧市街地での食事のための夜間外出、人はほとんどいない。怪しそうな通りには入らなかったので△。
・昼間オリンダの海岸で日光浴。人目に触れる場所ではなかった。これは今考えると相当にやばい。金を持っていそうな格好ではなかったとしても×。
・オーロプレットの夜、食事の後、道に迷う。街自体が静かなので人気もあまりなくなってしまう。所々に警官がいて危なそうな雰囲気ではなかったとしても、今考えると△。
昼間もっと街を把握しておくべきかその時間が無かったらホテルの近場で済ませた方が良かったかも。
・サルバドールの初日の独り歩きは避けて街を把握するための1日はガイドを雇ったこと。
広い街でこれは正解だったと思う。事前にギャラ、身元をチエックできたので○。
・Rioのモーホ、バビローニア訪問の時は複数人数、かつ現地在住の日本人がいること、警官が常駐していて比較的安全な場所であることが分かっていたことで○。
・Rio、ライブからの帰り、夜中のアパートの門の鍵の開け方。事前に予行演習していてうまく開いたので結果的には○。
ただ、ブラジルの鍵は難しいものがあって、もし開かなかったらどうなったのかという危険性はあった。
・夜、アトランチカ大通りで空港行きの高級バスを停めようとしたことは×。
どこでも停まるという触れ込みだが歩道から遠い車線を猛スピード走っていくし、夜はどれが目的のバスなのか判別が難しい。
しかも荷物は多くて現金はバス代くらいしか持っていない。
今考えると、初めからCentral辺りまで地下鉄で行ってそこからタクシーを使うべきだった。
・結果的にはミニバスで地下鉄駅近くまで行って駅のATMでタクシー代を用立てることになった。
これも夜間荷物を持ってATMを使うのは危ないので×。
・Central駅から空港まで流しのタクシー。普通は×だろうな。
荷物があってタクシー乗り場も分らず危ない場所に出そうだったのでタクシー会社の表示のあるタクシーをつかまえた。
親切な運ちゃんで値段も安かったことは幸運だった。

バスで空港まで移動するというプランが崩れたところから予定外の行動をとらざるを得なくなったわけで、事前の詰めがちょっと甘かったか。

他にも色々とあるんでしょうが、全体としては幸運に恵まれていたと言っていいと思います。
ブラジルへ応援に渡航した皆さんも無事に帰国できるといいですね。

2015年02月21日

2015ネパール旅行記 1 (東京→カトマンドゥ)

旅の記録(2015.2.ネパール)

ネパール、中央ネパールを旅してみました。
何回かに分けて旅行記を記すことにします。

1.東京→カトマンドゥ

値段の安さもさることながら、乗ってみたかったカタール航空で行くことにした。
わざわざ目的地ネパールを通り越して、カタール・ドーハまで行ってトランジット、東に戻ってカトマンドゥに着くという迂遠なルートだが楽しそうじゃあないか。

羽田・ドーハはB787。
空いていたので3席独占。
11時間半のフライトでこれはラッキー。

食事は2回。
質・量ともに自分的には満足のいくものだった。

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定刻より早く出発して、定刻より早くドーハ・ハマド空港着。
昨年オープンしたばかりのハマド国際空港は、お隣のドゥバイ国際空港に追い着け追い越せ感満々の立派な空港。
港内にBMWだとかベンツも売っているし。
ドゥバイのように港内電車は走っていないが、動く歩道が沢山あってしかも速いので不自由は感じない。

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今日は乗換時間が2時間とそんなに余裕はないので、たっぷり時間がある帰りに探索してみようか。
沖留めの航空機に乗る待合室が昔っぽいのは、ちょっとほっとする。
カトマンドゥまではよく乗るエアバス。
フライト3時間30分はすぐだ。
それでも機内食は出る。

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さて、カトマンドゥ・ドリブバン空港着。
旧石垣空港のような狭さ。

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色々な手続きは大体いい加減。
で、待てども待てども荷物は出てこない。
表示がいい加減だったり。
まず、日本の空港ではありえない。
本当に出てくるんだろうか。
待つこと1時間、やっと出てきた。

日本のパスポートはあっという間の審査完了。

ゲートを出ると、例によって鈴なりの客引き、お迎え等々。

返答はなかったもののホテルの迎えを希望してあったので一応探してみる。
それらしいものはない。色々声はかかるが無視。
そんな中でとても流暢な日本語が聞こえた。

ここは慎重になるべきところなので、一応話を聞いてみた。
とりあえず、ホテルまで500RS(ネパール・ルピー、1JPY=1.2RS)(通常は650RS)で行くとのことで、彼とは別ドライバーのタクシーに乗ってみた。
ハノイと似た乱暴な運転とクラクション、埃っぽい街。

日本語で声をかけてきた彼、Rimal氏は、6年間日本にいたことがあって、大塚で働いていたり、ネパール大使館で働いていたこともあるそうで、どうりで日本語がうまい。
カトマンドゥの旅行会社の人なのだ。
この手のお誘いは海外ではよくあることなので慎重に行くべきだ。

カトマンドゥのホテルは日本で予約してあるのでどういう話になるのかというと、明後日からのチトワン国立公園のツアーを現地で探さないといけないのでその辺の話も匂わせてみるが、今日はホテルまで送るから、明日改めて相談しようと余裕のある返答。
ここはペンディングが肝要で調べる余裕ができるのだ。

狭い道に車、バイク、リキシャ、歩行者、動物等混在の混沌空間のタメル地区。

本日のホテルはGaju Suiteホテル。
とてもきれいで広い部屋、礼儀正しいホテルマン。これだったら言うことないなと思っていた。
シャワーのお湯が出ない。
試しているうちにノブが外れてしまう。
で、すったもんだ。

部屋を替えてくれるというが、そちらの部屋のシャワーもホットではない。
面倒くさいので元の部屋でいいと。

Hotをずーっ流していると5分後くらいにちょっと来たかなという感じはあったが、やっぱり水だ。
5時辺りを過ぎてくると日中の暖かさ(20度くらい)と裏腹に5~10度くらいに冷えてくる。
よって、夕刻の水シャワーは気合。

現地ホテル到着後の儀式、地ビールを味わう。
EVEREST ビール。
いける。

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そうこうしているうちにすっかり夜だ。

夕食だな。

明るい時間に周囲を散策している余裕がなかったのでお目当ての店を予め決めていく。
周囲は迷路っぽい雰囲気で、似ている通りが多いので目印を見つけておこう。
狭い通りに相変らずバイク、車、クラクション。

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で、今夜はやはりネパール定番定食のダルバート。
タカリ・バンチャという地元食堂だ。

ダルバートは初めての経験だがとても美味しかった。
肉以外はどんどんお替わりが来る。
野菜は大根の葉っぱの炒め物をはじめとして、にんじん、キュウリ、大根、カブ等日本と食材は似ている。

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満腹で大満足。
安かったな。

近くにスーパーマーケットらしきものがあったので部屋で飲む酒を買いに寄った。
Apple Vodkaなるものが地元で作られているとのこと、180ccボトルで売っているのでこの安酒を購入。

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部屋のエアコンを暖房で強めにする。表示が分りにくいのだ。

時差の関係もあって急激に眠くなってくる。

布団を頭からかぶって寝てしまう。


2015年03月04日

2015ネパール旅行記 2 (カトマンドゥ)

旅の記録(2015.2.ネパール)

2. カトマンドゥ

地元では「カトマンドゥ」と発音するネパールの首都。
2008年に王制が廃止され、現在は連邦民主制国家だ。
既に標高1300mほどにある盆地。

飛行機ではほとんど寝れなかったのでよく寝た。
5階のレストランで朝食、遠方に雪山の頭がちらっと見える。まだ寒い。

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昨日会った旅行会社のRimal氏と9時にロビーで待ち合わせて彼の会社に行くことになっている。

どのみちチトワン国立公園を経由してポカラまで行くツアーをこちらで探そうと思っていたので、妥当なものであれば契約するつもりでいる。

既に来ていたRimal氏は昨日とちょっと異なって、カジュアルながらも清潔な服装。
事務所はタメル地区にある。
こじんまりとしたところだ。
何度も飲むことになるウェルカムのミルクティーが美味しい。
かの三浦雄一郎氏を案内したこともあるらしい。
チトワンの入り口の村、ソウラハで2泊してポカラへ向かうプランを価格別に提案してきた。

バス、3食付きのホテルと色々なactivityが付いている。昨晩一応検討した範囲内の値段で、いろいろ話を聞いた。
押しつけがましくない態度等、信用できると判断して契約することにした。
カトマンドゥに帰ってきたら感想を聞きたいのでホテルまで行くと言う。
結構きめ細かいサービスだ。
ただ、会社名が「Googlle Treks Nepal Pvt.Ltd.」というのはある種の誤解を生まないだろうか。
まあ余計な心配か。

明日のバスは7時発で6時半集合とのこと。
まだ来たばかりで地理があまりわからないのでRimal氏がバス停まで案内してくれた。
タメルチョークからまっすぐ東へ向かい信号のある交差点を南に向かった大通り。この一角にツーリストバスが集結するとのことだ。

さて、段取りも整ったところで、午前中はダルバール広場を中心としてタメル地区を歩き回ってみる。

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旧市街地は建築物等とても古いたたずまいだが、人が多い。
狭い道に車、バイク、リキシャがひしめき合う。
しょっちゅう鳴るクラクション。
露天商も多いし、怪しげな路地の雰囲気など、歩き回って飽きることがない。
「歩き方」の地図はほぼ正確だが、道幅に関しては日本的な感覚でいると間違える。
狭い道が多いので車、バイクもとばしてはいないのでハノイのように横断に気を使うことはない。
まあ大体こんな方角だろうという感じで歩いて行くとダルバール広場に到着する。

日本で言えば浅草寺のような場所だ。
何となく佇んでいるホームレス風の人多数。
外国人は、750RSを払って施設の見学をする。
博物館や旧王宮など見どころは多数ある。
旧王宮を上まで上ると10階
結構高い。街が見下ろせる。

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ゆっくり散策したり、寺院の縁側に座って行き交う人々なんかを見る。
車も自転車もバイクも滅茶苦茶に入ってくるようで、ぶつかりはしない。
クラクションは鳴るけれど、いちいちそれにイラついたりはしない。
日本とは異なる秩序がある。

さて、そろそろ昼どき。
昼食はタメル地区へ戻ってチベット料理の「ギリンチェ」でトゥクパを食べてみる。
日本のラーメンに似ている。ラーメンよりは丼が小ぶりで具も多い。
味はあっさりしていて美味しい。

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暑くなってきた。

一旦ホテルへ戻って昼バージョンに着替えて、午後は丘の上に立つスワヤンブナートという寺院に行ってみようと思う。
「歩き方」によれば徒歩30分ほどと書いてあるが、ホテルの人に聞くとそれはやめた方がいい、タクシーで行った方がいいという。
地元の人のアドバイスは聞くべきなので、流しのタクシーで行く。RS300。

距離は大したことはないが、タメル地区を出ると舗装が所々壊れていたりして車やバイクの巻き上げる砂塵がすごい。
しかもゆっくり歩けるスペースが道路にない。
これは帰りも車だなと判断して、運転手に言うと、待っているのでRS1000でどうだと言う。
まあいいかと。

スワヤンブナートは丘の上に立つ寺院。
駐車場から少し登ると、有名なブッダアイが記されたストゥーパがある。
さまざまな建築物があり、ここからはカトマンドゥの街が一望できる。
ルアンパバーンにもこんな寺院があった。
中国人観光客がやたら多い。

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何をするでもない地元の人も佇む。やはり貧富の差が激しいと感じる。
そして猿だらけ。
何かを狙っているようだと思ったら、お客さんがエサのようなもの(売っている。)を撒くのを待っているようだ。

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1時間ほど散策して再び件のタクシーへ。
帰りの道が渋滞している。
どうも先の方で穴を掘ったり埋めたりしているらしい。
トラックが道を占拠しているのだが、誘導員も何もいない。
両側から渋滞しているところに車線を無視してみんな突っ込んで行く。
そして強引に突破。
それにしては怒号も何もない。
しかしこの砂塵、これは歩きたくない。
帰りも車にして正解だった。

夕方になると空気が冷たくなってくる。
初めはとても複雑だと思っていたタメル地区も大体地理が把握できてきた。
把握できた頃に出発というのはいつもの例だ。
明日早朝のバス停へも行けるだろう。

砂塵のせいだろうか。
指の爪の間に埃がたまってくる。
親指爪側面は埃が付着して血が出てくる。しかも痛い。日本だったらあり得ない。

ホテルへ戻ってアンチ・ホットシャワーに備えてエアコンをチェックしてみる。
なんとか暖かめの温度に設定してシャワーは気合。
何故か快適になってくる。

夕食をどうしようかと歩いているうちに昨日のタカリ・バンチャの前に来てしまう。
で、リピート。
今晩は、ダルバートとモモ、そしてEverest Beerも頼む。

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とても美味しい。
すっかり良い気持ちになって帰った。

明日は6:30集合、7:00発だから5時起きだな。
今夜は早く寝よう。

2015年03月11日

ネパール旅行記 3

旅の記録(2015.2.ネパール)

3. ソウラハ・その1

6時30分の集合に間に合わせるために5時起き。
早めに起きて腹筋運動をしたり、水を飲んだりしてお腹の調子を整えておくことを習慣にした。
道中、どのようなトイレ事情か分らないからだ。
荷造りをしようと思ったらいきなり停電。
鼻をつままれても分らない真っ暗闇とはこの状態だ。
昨日、一昨日もあったけれど今朝のは結構長い。
手探りでヘッドライトを探し当てて一安心というところで自家発電開始で明かりがついた。
以後、ヘッドライトは常に枕元に置いておくことにした。

出発の6時15分頃、外は真っ暗。
フロントにはいつもの係員がいる。
頼まなかったのに、朝食を提供できないからと弁当を用意してくれている。
これには恐れ入った。
シャワーがどうとかカランが壊れた、エアコンがどう、停電がとか、一切を逆転して好印象。
ただ、日本から持ってきた関節の痛みが抜けていない。
ま、何とかなるだろう。

昨日確認した大通りの左車線にツーリストバスがずらりと並んでいる。
乗客目当ての露天商やら朝食屋台やらいっぱいいる。
なるほどこういうことだったのだ。

バスを見つけて乗り込む。

カトマンドゥ市内は渋滞や客待ちでちんたら走る。
が、その後山岳ハイウェイに入ってから本領を発揮し始めた。

ハイウェイといっても日本でいえば片側一車線の普通の地方の国道。
路肩を普通に人が歩いている。もちろん有料なんかではない。
道路幅は大型がすれ違うのがぎりぎり。
一応舗装はされているが、穴だらけ。
路肩は崩れていて土が剥き出し、ガードレールもないし片方は崖。
時々大型トラックが落ちているのが見えたりする。
ここを猛スピードで跳ばすのだ。
前方に車がいても隙あらばとにかく追い越す。
見通しが悪いカーブや登り坂であろうがお構いなし。
追い越し禁止というルールは存在しないんだろうな。
日本では全く考えられない運転だ。

山道、カーブ、凸凹、スピード出しまくり。これは苦手な人には致命的だ。
前の席で窓際を占拠して外の景色を撮るんだと騒いでいた中国人は、早、後部座席に退散。
途中の休憩はタイミングよくあるし、ドライブイン的なところなのでトイレ事情はラオスよりは良い。

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目的地近くらしい街に到着するが、ここがどこかよく分からない。
賑やかな市街地を抜けてどんどん田舎に入って行く。

野原の中のバスステイションに到着。

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ホテルのお迎えの車やら客引きやら多数。
Herimitage Hotelの車はすぐにみつかった。

敷地がやたらに広い
門番までいる。
結構グレードが高そうなホテルだ。

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とてもきれいな部屋だ。
しかし、電気がつかない。
停電時間ももちろんあり自家発電中だがメインの明かりが点かない。
係員が来て色々といじった挙句、どうも無理らしい。

そうこうしているうちに、専従ガイドさんが来た。
名前は、Santa、サンタさんだ。
分りやすい。
小柄で日本人とよく似た顔だ。
何となく鳩間人と似ているような気がする。
2日間お世話になります。

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食堂から対岸を臨む。向こう岸にワニがいる。

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単語程度の日本語は理解できるようだ。
僕のことは「トモダチ」と呼ぶことになったようだ。
ランチ後、部落を案内してもらい自然公園に入る。
街歩きはもちろん一人で歩くのが常だが、自然公園は公認ガイドが必要らしい。
ソウラハ村は田舎だ。

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路傍にひっそりと咲く大麻草

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チトワン国立公園はインド国境方面に広がる広大な自然公園だ。
野生動物、植生等手厚く保護されている。
ソウラハの街は公園の北側に位置する。
まずは、象の飼育施設に行ってみる。

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川岸に人が集まっている。
何ごとかと思って行ったら、向こう岸にインドサイの親子がいた。
絶滅危惧種でめったに見れないという。
しかも親子連れ。
これはラッキーだった。

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ホテルに戻って夕陽を見ながらCafeを楽しむ。

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ところが、17時まで予定の停電が終わっても相変わらず部屋のメインの明かりは点かない。
ホテル側は部屋を替ることを打診してきた。
喜んでお受けした。

夜のイベント、地元の人達によるダンスショー見学に出かける時間が近づいてきた。
この手のショーはあまり見に行かないのが常で、外してもいいな程度の気持ちだった。
部落の中の公共施設でやるということで、歩いて約10分。
他のツアーのお客さんたちもいるのでほぼ満席。

感想を一言で言えば、来てよかった。
地元の青年たちによる民族芸能。
パーカッションが3名。
タンタンあるいはアタバキのような縦長楽器で横抱きだ。
これでリズムを刻んで男女の踊りが繰り広げられる。

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リズムは2ビートでサンバと通じるものがある。
踊り手も手持ち打楽器でパーカッションに絡んだり、沖縄の棒術的なものや大道芸のような火の棒のパフォーマンスもある。

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最後は、皆さん踊りましょうで、とても楽しめた。
若者達がとてもきれいだった。

戻って夕食前に部屋をチェンジ。
新しい部屋はベッドが3つもある4人用の贅沢な部屋を用意してくれた。
ありがたい。

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夕食時に頼んだビールはTuborg、何故かデンマークビールだ。

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他に酒を頼もうかと思ってメニューを見たらえらく高い。
さっき帰り際にあった酒屋らしき店が安そうだと思ったので夜の外出。
門番は快く開けてくれる。

部屋の明かりはパーフェクトだが、2時間くらい半分が点かなかったりまた全部点いたり。
これがこの国の事情なのだと納得。
こういうものなのだと思うとあまり気にならなくなる。
ホットシャワー出てくれるのがうれしい。

明日は朝から晩まで自然公園めぐり。
楽しみだ。


2015年03月19日

ネパール旅行記 4.ソウラハ(象の存在感)

旅の記録(2015.2.ネパール)

4. ソウラハ(象の存在感)

今日は1日自然公園めぐりというプログラムになっている。
7:30朝食、8:00出発というのは結構あわただしい。

朝は寒い。ラオスの時と同じように霧が立ち込める。

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午前はカヌーライドとジャングルツアーにバードウオッチングということになっているが、この名称は実際に行ってみるとかなり大げさだった。

担当ガイドは昨日のSanta氏。大声で「ともだち!!!」と呼びに来る。
同行する他のお客さんはオーストラリア人女性2名に中国人女性2名。女性が多いのだ。

早朝の川はもやがかかっている。
カヌーというから自分で漕ぐやつかなと思ったら、船頭さんが漕ぐサバニ。
天竜川とか長瀞ライン下りと同じようないわゆる川下り。
まあそれでもいいんだけれど、景色はなかなかのものだ。

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川は浅くてゆったりと流れている。
水草が流れていくのが風流だ。
対岸にワニがいたり、きれいな色をしたカワセミがいたり、エレファントライディングと遭遇したりする。

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真っ青なのがカワセミだ。

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川の景色を楽しんだ後はジャングルツアー。

これもジャングルではなく、森の中をハイキングするという感じ。タイトルが大げさすぎる。
亜熱帯ではないので日本の森と似ている。深くもなく浅くもなく。
ここを1時間くらいハイキングする。

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シカがいたり、クジャクがないていたりするがあまり珍しくは感じない。
ベンガルトラの足跡というのはちょっと驚き。
その他はどうということはない。
日本の樹海の方がはるかに深い。

ハイキングの終点は象のブリーディングセンター。
観光用の象を育てている

象のエサ作り

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親子の象が何頭かいて、特に子象に人気が集まっている。
柵の中から出てきたり、触ることもできる。
犬や猫のように地面をごろごろしたりもしてとても可愛い。
こんなに身近に象と触れ合う機会というのは日本ではできない。
子象の肌はざらついてはいるが意外に柔らかかった。

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午前中はこれで終わり。

川沿いをゆっくり歩いて帰る。
エレファントライディングから帰ってきた白人女性で涙ぐんでいる人がいたが何故だろう。
Santa氏と?????

午前の部は象との触れ合いが一番楽しかった。
午後からはこの象に乗るエレファントライディングなのだ。

ガイドは皆英語が達者。
どこでも感じることだが、英語ができればある程度の職に付けるようだ。

ランチの30分前にホテルに着いたし、暑かったのでビールを買いに酒屋へ。
買い物を済ませて店を出たら、象が鼻で荷物を持ってやってきた。
誰も驚きはしない。
車と同じで左側通行だ。
タクシーの代わりに走っているのはロバタクシー
犬は寝そべり、道端には牛、アヒル、カモやニワトリ等が佇んでいたりして、全く逃げやしないというのはラオスの田舎でも見た光景だが、象が普通に道を歩いているというのは驚きだ。
もちろん象使いは乗っている。
午後からは象に乗る予定だから何だか楽しい気分になってきた。

15時集合で車で出発。
八重山のようにトラックの荷台に乗るスタイルだ。
ネパーリー(ネパール人)の真っ赤な衣装を着た中国人女性2名を含めて女性7名、男性は小生1名。珍しい環境だ。
この中国人女性達は道々注目の的になっていた。

さて、後になって思え返してみてもソウラハの圧巻はこの象乗りだった。

象の背中に相撲の桟敷席のようなアタッチメントを乗せ、四隅の棒を股で挟み込んで一人づつ座る。首の上に象使いが乗るので5人乗り。
乗り心地は悪くないが、生き物だから揺れ方は不規則。道はあろうがなかろうが関係ないわけで張り出した枝は乗客自身でよける。
目線は3.5mくらいはあるだろうか。
揺れ方が不規則だから車に弱い人は酔うんじゃないか。
象酔い。

森の中をどんどん進んでいく。

重機が無い時代は象が運搬手段として使われていたんだろうな。そう推測させる動きだ。
現在は観光資源として重宝がられているのだろう。
象使いは、象が言うことを聞かなかったりしたときに竹の棒で象の頭をかなりの激しさでパシッと叩く。
象もそれにこたえて時々パォーなどと鳴く。
お客さんの中には眉をしかめたりする人もいる。

一見すると虐待に見えないこともないが、馬の鞭と同じで、「パシッ」の何十倍もの愛情を注いでいるのが午前中のブリーディングセンターで垣間見ることができた。
それに象の頭や皮膚は固い。
強く叩かないと何にも感じないのではないか。

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数頭の象で森を移動する。
行く手に大型のインドサイが登場した。とても珍しいことだ。
インドサイは絶滅危惧種でとても貴重な生き物だ。

象はパォーなどと吠えながら行く手のインドサイを追い立てる。
興奮したのか走り出す象とか木を倒す象も出たりして、ここは機械と違うところだ。
勿論、人が乗っている状態で。

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象軍はサイを川の方へ追い立ててサイは退散した。

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そして草原をゆっくり進み、川を渡ったりで出発地点に戻る。

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結局一時間半くらい乗っていた。

下象?後も、鼻で愛想をふりまいたり、おとなしく被写体になったり、なんだかんだで大サービス。
これだけ象と身近に触れ合えた経験は今までにない。
こんなに利口でかわいい動物だったのかと初めて認識した。

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お客さんは飛び込み台のような乗り場で象に乗り降りするが、象使いを降ろす時はひざまずいて降ろしていた。

乗り場

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しかも象使いが乗るときはひざまずいて伸ばした鼻から乗っていたのにはちょっとびっくりした。
とてもけなげな様子だ。

夕陽に向かって象使いと一緒に帰っていく象たちの姿は何だか哀愁があってロマンティックだった。

ネパールに来る前にタイの自然公園で象が暴れて車をクラッシュしたというニュースをみたが、それも象なのだ。
本来このように激しくて強力な動物なのだ。
しかし放っておけばどんどん減少してしまう。

ここでは観光資源としてではあるがとても手厚く扱われていた。

帰り道、また公道を通行中の象と会う。

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ここでは馬、牛、やぎ、犬、猫、ニワトリ、アヒル等と同様に人間と一緒に生活している愛すべき存在なんだと感じる。

何といってもこんなに象を身近に感じたことはなかったので、今日の経験は強く印象に残った。

ホテル帰着、カフェ、シャワー、夕食、停電・・・・・停電も自然な流れに感じられる。

夕食ビュッフェ

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これがこの国の事情なのだ。
ホットシャワー、しかも熱いのが使えることはとても幸福なことだ。
何だか、今までネパールに来て、灯りがちゃんとつかないじゃないか、電気が来ていない、シャワーがホットじゃないとか不満を抱いたのが恥ずかしく感じられた。

これがこの国の日常で、しかも優遇されている外国人観光客に対してのせい一杯のもてなしなのだ。
地元の暮らしはもっと大変だと思う。

感謝したいのと幸福な気分になってゆっくり眠りにつく。

明日はポカラ行きだ。

2015年03月25日

ネパール旅行記 5. ポカラ その1

旅の記録(2015.2.ネパール)

5. ポカラ

8:45集合でひたすらポカラへバス移動。
丁度従業員たちが集まって談笑していたので、楽しかった二泊三日のお礼を言う。
皆日本人は好きだよーと言っていた。
ガイドのSanta氏は良かった。
適度な関わり方で。本当に鳩間人に似ている感じだった。

埃っぽいバスパークからツーリストバスは客を満員にして走る。

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ソウラハからタディ・バザールへ。
初めはここがソウラハかと思ったが、雰囲気はまるで違う。
街だ。

バスはバスパークに寄りながらナラヤンガートへ。
ここは大きい街だ。ネパール中央の交通の要衝でインドへのルート上にもある。
街はどこでも埃っぽい感じだ。
ここから山道へ入って例によってでこぼこ道を荒い運転。
ただトイレ休憩がわりと多いのが助かる。
途中昼過ぎにランチ休憩。
ビュッフェ形式でRS440。

9時半頃出発してポカラ到着は14時半頃。
ヒマラヤの展望で知られる街だが、今日は曇っているようで見えない。
バスパークのある場所は普通の市街地。
ここからフェワ湖のレイクサイドへ行くと一気に観光地の雰囲気になる。
メコン川沿いのルアンパバーンにちょっと似た雰囲気だ。

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三日間お世話になるNew Pokhara Rodgeはきれいな雰囲気のホテル。
部屋は3人部屋でとても広い。
快適そうである。

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「歩き方」にも載っていたマネージャーのフムラジさんに会う。
日本語が少しできるようだ。
会話はなかなか難しいので英語でということになる。
今日はあまりお客さんがいなさそうで色々と相談に乗ってくれる。

まず明日からの予定を検討する。
日帰りのトレッキングをしたいというこちらのリクエストには、所要時間6時間くらいのフェディからダンプス、オーストラリアンキャンプへのコースがいいとのこと。
トレッキングはガイドなしでは危ないとのことなのでフムラジさんお薦めのガイドさんが同行することになった。
フェディまではタクシーで行く。で帰りもフェディからはタクシー。
タクシー、ガイド込でUS50$。
値段は適正なものだろう。
長らく使わなかった50$札をようやく使うことになるわけだ。
これは明後日の予定。

ガイドとタクシー運転手を紹介された。
ガイドのクリシュナ君は若い。26歳とのことだ。
日本語がかなり話せる。
タクシー運転手のRudra氏は気の良いおじさんという雰囲気。
6時45分出発。

そして明日はサランコットの丘へ朝日とヒマラヤを見に行くといいと勧められる。
駐車場までのタクシー往復RS1200。
5時15分発。早い!!!
カトマンドゥ行きの帰りのバスの手配もしてくれる。
何だかスムーズすぎる気もするが慣れているからだろう。
ここは地元の信用できそうな人に任せるべきだろう。
洗濯物がたまっていたがランドリーサービスを使ってくれとのこと。
朝食はオーダーしていなかったが、何せ朝が早いので任せることにする。RS230。

カトマンドゥも含めてだが、ここまで何かと出てくるお茶。日本的に言えば甘いミルクティーはとても美味しいのだ。癖になりそう。
1日のうち、11時間停電しているとのことで、停電中はジェネとかソーラーでしのいでいるという。
シャワーはホットというには程遠いが、入り方のコツをつかめば慣れることができる。
停電は「今週の停電時間」みたいなスケジュール表がある。
今日はもう何かをするには時間がない。

夕方屋上へ登ったら雲が取れてマチャプチャレが顔を覗かせた。

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初めて見るヒマラヤ。
隣のアンナプルナの方が高いのだが、位置の関係でマチャプチャレの方が高く見える。日本を象徴する富士山のようにネパールを象徴する美しい山だ。
明日以降に期待しよう。

屋上から下を見ると。
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フムラジさんがひょっとしたら明後日よりも明日の方が天気が良さそうだからトレッキングを明日に変更するかいと聞いてきた。
色々変更するのは面倒なので予定通りに行かせてもらう。

夕食はちょっと歩いてダルバートを食べに行く。
とても美味しいし、例によってどんどんおかわりが来るので満腹。

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ライスビールと称してはいるが、これはおそらく米焼酎だろう。見てくれはどぶろく。
白色で若干の酸味がある。
酒屋では見かけなかった。

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夜のレイクサイド
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いつものapple vodkaを寝酒にして、明日は4時半起きだから早々に寝ることにする。
手の届く範囲にヘッドライト。

4時半起き。
まだ真っ暗。
水を飲んで腹筋運動をして体を温めるのとトイレに行きやすくする。
出発時間の5時15分もまだ真っ暗。
ドライバーのRudraさんは既に到着。
真っ暗な中をサランコットの丘へ出発。

跳ばす、跳ばす。
街灯もないので真っ暗。
時々通行人が現れるのだがどんどん跳ばす。
ネパール人は跳ばすのが好きらしい。
Rudraさんの運転は温厚そうな外見とは反対のものだった。

20分程で駐車場らしき場所に到着。
ここからbest view pointまで30分位登るのだ。
まだ暗い。ヘッドライトがなくては足元が見えない。
Rudraさんも一緒に行くということだ。ありがたい。
階段を30分位登り続ける。
これが結構な運動。
気温はおそらく5度くらいしかないと思われるが、展望台に到着したら汗だく。
ダウンにセーターまで着てきたのだからTシャツ1枚になる。
でもすぐに冷えてくる。

ご来光目当ての観光客が多数。やはり中国人が多い。
騒がしいからすぐわかるのだ。
やけに簡単な服装で来ていると思ったら、すぐ下に駐車場があったのだ。
まあ朝から良い運動をしたと思えばいいだろう。

東の方向から徐々に明るくなってきた。
マチャプチャレやアンナプルナが輝き始める。
初めはピンク色、それからオレンジ色と時間が経つにつれて色彩が変化する。
美しいとしか言いようがない。
これは一度は見ておきたい光景だ。

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展望台からサランコット村を見る。

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7時頃になってすっかり明るくなった。
景色を堪能して駐車場へ戻る。
行きは真っ暗で分からなかったが、登ってきた階段はサランコット村の主要道のようだ。
車道沿いには立派なホテルが建設中だったが、階段沿いには村の暮らしがある。
リオのモーホを彷彿とさせる。
それぞれの民家が観光客相手に小さな商いをしている。
これと農業で暮らしを立てているのだろう。
こんな生活もある。

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タクシーも含めて「SUZUKI」の車が多い。
よく見ると、「MALTI SUZUKI」となっている。
日本企業の鈴木だが、MALTI SUZUKIはインドで生産されているとのこと。
右ハンドル、左側通行だから日本製の車は多く見かける。
日本製はとても評判が良いようだ。

早朝出発だったから8時前には帰ってこれて朝食も採れた。

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これから、World Peace Pagoda-日本山妙法寺-に登ってみる。

湖の対岸の山の上にあるので、湖をボートで渡って登るルートと、山側から登って湖へ下ってボートで帰ってくるルートがある。
山側から登ってみよう。

9時30分にRudraさんに来てもらって登山口までRS250。
早朝と違って今回は話が弾む。
団体さんが登っていったので、近くのデヴィズ・ホールという景勝地を眺めてから登ることにする。
彼もうるさいのは嫌いということで同意。ただし彼は今回は同行しない。

デヴィズ・ホールとは日本のどこにでもありそうな滝だが、乾期のこの時期は水は流れていない。雨期だとかなり盛大らしい。

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街中を歩くのは楽しい。
牛が普通に寝そべったり通行していたりするが、さすがに象はいない。

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かなり暑くなってきた。
登り始めて15分位でTシャツに。
高校生たちも登ってきている。
遠足?かと思ったら、彼らのうち一人が英語で話しかけてきて、この上に家があるとのこと。
うまい英語だ。学校でちゃんと勉強しているとのことだ。

ここは生活空間で確かに登山道沿いに家々がある。
と思って登っているとぽっかりと車道に出てしまうというのは、日本の低山歩きにもよくある光景だ。
広がる段々畑と植わっている菜の花と素朴な村、ゆっくりと幸せな時間を歩く。

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小一時間でWorld Peace Pagoda-日本山妙法寺-(ストゥーパとも言う。)着。

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真っ白い円形の建物だ。

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やはり近くまで車で来れるようだ。
軽装の観光客が多い。
アンナプルナ、マチャプチャレ、フェワ湖、ポカラの街並みが一望できる。

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観光用のミニプレーンやセスナが飛んでいる。
しかし、広場にあった「Do Not Jump !」の看板はどういう意味だ。

帰りは湖に降りる下り。
約30分。
距離は短いが登りだとかなりきつそう。
登ってくる人たちはきつそうだった。

ボートは自分で漕ぐという雰囲気ではなく、漕ぎ手がいるのだ。
オールは一個しかないので日本のボートのイメージとは違う。
漕ぎ手は少年。途中から小生も手伝って漕ぐ。

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40分程でレイクサイド到着。20分ほどぶらぶら歩いてホテルへ戻る。
Gパンは汗だくだがどうせ明日もトレッキング。
遅い昼食は昨日行ったタカリキッチンでダルバート。

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夕方までは読書などしながらのんびり過ごす。
中庭で読書しているとお茶をサービスしてくれる。
基本的にトレッキングはまだ明けやらぬ早朝から昼過ぎまでがメインの時間なのだ。
明日はフムラジさんも一緒に行くということで、ちょっと時間も早まって5時集合。ということは4時起きだ。

夕食はすぐ近くの気になっていた日本食レストラン「たべものや」に行ってみる。
停電中で真っ暗。客は全くいない。が、営業中。
一人の客のためにジェネで電気を起こしてくれた。
メニューを見ると、そば、うどんから寿司、てんぷら、サバの塩焼き等々何でもあるみたいだ。
そば、うどんは注文の後に麺を作るから時間がかかるとあるのは、注文後に打つということか。
すごく本格的ではないか。

かつ丼とみそ汁を頼んでみた。
酒はネパールの地酒、ロキシー。
おちょこに入って出てきた。

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無色透明で、香りがかの泡盛の逸品「白百合」そっくりだ。
泡盛の味はしない。
白百合の香りはそのままに、限りなく薄めた感じ。
これはこれでいける。
味噌汁はわかめの具でまとも。付け合わせの漬物もスパイスが効いていてうまい。
そしてかつ丼は何とジャポニカ米を使っている。

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異論はあるだろうが、とても美味しくいただけた。
野菜等の素材はポカラ近郊の村の専用有機農場で作られているとのこと。
ジャポニカ米もそこで作っているのだろう。
サービスも日本流でしっかりしているし、これは他のメニューも試してみたい。

明日も来てみよう。

明日は4時起きだ。
早く寝よう。

2015年04月03日

ネパール旅行記 6. ポカラ その2

旅の記録(2015.2.ネパール)

6. ポカラ(その2)

今日は日帰りトレッキングの日。

フムラジさんも同行することになったので早朝5時集合だ。
真っ暗でよく分からないが、天気は今一つのようだ。

フムラジさんとガイドのクリシュナ君とRudraさんのタクシーに乗り込んで、例によって真っ暗な道を跳ばし、追い越してダンプスへの登り口、フェディへ。フロントガラスに雨が当たるので、もし雨だったら引き返そうということになっていたが、大丈夫なようだ。
登り口横の商店でチャーイとパン。起きてから水しか飲んでいないからこれは美味しかった。

手前から、ガイドのクリシュナ君、ドライバーのRudraさん、フムラジさん

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まだ真っ暗な中を歩きだす。
クリシュナ君はスマホのライトで歩いている。
二人とも手には水を持っているだけ。後は何もなしの殆ど手ぶら状態。
こちらは雨具が入った小リュックを背負っている。
どうせすぐ暑くなってダウンは脱がなければいけないからその収納もあるのだ。

多分フェディ村の人にとっては生活路であるだろう石段を登り始めて約30分、案の定暑くなってきたのでダウンを脱いでTシャツにタオルの夏仕様。
ネパーリーは息も切れないのかなと思ったら、やはりハァハァしているのでちょっと安心。

暑くなってきた。

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ダンプス村まで高度差は約500m。

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普通に家があって畑があって暮らしがある。
トレッキング客用のロッジや食堂もかなりあって旅行者にとっては便利が良い。
更なる高地にも普通の暮らしがあるわけでこの山道を日常に上り下りしているわけだ。
時々大きい道路にも遭遇するから、そういうところまでは、例えば建築資材なんかは搬入出来るだろうが、こういうダンプス村のような道が殆ど石段のような場所はどうするのだろうか。
昨日もストゥーパの補修工事だろうか、20kgのセメント袋を頭、つまり額にひもをかけて袋を背中に背負う状態で登ってくる人達を見たが、そんなこともするのだろうか。
ロバなんかも使うみたいだ。

シェルパとして生計を立てている人も大勢いる。
クリシュナ君のようにガイドで生計を立てている人も然り。

彼はまだ26歳。
日本語がうまい。
学校で勉強したそうだ。
兄2名は日本で働いているとのこと。
日本に対する憧れが強くて、是非日本に行きたいという。

日本のビザは取るのが大変らしく、年齢、収入、推薦、スポンサー(金主の意味ではないらしい)等色々条件が整わないと難しいらしい。
27歳からと言っていたからあと1年ということだ。

農業をやりたいと言う。
聞けば18歳で結婚して子供も既に2名いるとのこと。
出会って5分で結婚したと言っていたが習慣なのだろうか。

日本での給料とか平均所得のことなどを聞いてくる。
26歳普通のサラリーマンだと、年収は300万くらいだっけ。
日本では給料から税金、社会保険、健康保険等の天引きがあって手取り額はもっと少ないんだというとちょっと意外そう。

そんなこんな話しながら登ってオーストラリアンキャンプ到着。
ダンプスから高度差約500m。
昔、オーストラリア人がキャンプをした場所なのでこういう地名になっているとか。
立派なロッジや、建設中のものもあり、その名の通りキャンプ場もありキャンパーもいる。

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雲が取れてアンナプルナやマチャプチャレがはっきりと見えてきた。
昨日よりはかなり大きく見える。
ここはこのトレッキングルートのいわば宿場なのだ。
ルート上にはこんな宿場村が何か所かあって宿や食事を提供しているのだろう。
結構立派なロッジが建設中だ。

ここで大休止、お茶とビスケットで糖分補給。
写真などを撮っているうちにマチャプチャレ側から曇ってきた。

筆者とフムラジさん

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ここから登ってきたフェディ村までずっと下り。
あまり天気が良くないので短めのルートを選んで下ることになった。
下りはあまり暑くならないのでダウンを再び着込んでひたすら下る。
途中何か所か分岐点もあり、やはりガイドなしだとそれなりに準備する必要があるだろう。
特に早朝スタートだと真っ暗なので尚更だ。
それにガイドと話しながら歩くのはなかなか楽しいものだ。

途中山岳の小さな集落やダンプス村を回りながら下っていく。

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ネパールの国花だというシャクナゲが二人のお気に入りだ。
そういえばホテルの中庭にもあった。

シャクナゲの花を採ろうと木に登るクリシュナ君、木登りも得意技だ。

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LALIGURANSというのがシャクナゲのことだ。ダンプス村

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バスパークのような場所でRudraさんが待っていた。
土曜日は休日ということで、近所では子供たちがピクニック。
やはり大音量のポップスなんかを流している。
ラオスを思い出した。

帰り道、何か所か見所に寄ってくれた。

河川敷でたき火をしているのではなく、火葬をしているとのことだ。

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チベット難民キャンプ。
キャンプというイメージではなくて集落という感じだ。
ダライラマよ、永遠に! なんて落書きがあったりする。

チベタリアンキャンプ

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オールドバザール。
築300年などという建物があちこちにあり、他の場所とは雰囲気が異なる。
超旧市街とでもいうものか。

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クリシュナ君、フムラジさんともFB友達になった。
最近はどうもこれが名刺交換みたいになっているらしい。

正午頃ホテル着。
中庭でお茶を飲んでいると、近所にアパートを借りて一年の半分くらいをここで暮らしているというアメリカ人夫婦が遊びに来た。
ネパール人の英語は今一つ聞き取りにくいところもあったが、アメリカ人の英語はよく聞き取れる。
話も弾んだ。

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本日の停電タイムは12~18時までで18時から翌朝4時まではONということになっている。
ラッキーと思っていても突然消えることがあるので油断は禁物だ。
朝も殆ど食べていないのにハングリー感があまりないので、ぶらぶらとレイクサイド北へ歩きながら食堂を物色する。

チベット料理のトゥクパとモモを食べる。
日本人にとっては、トゥクパは具沢山塩ラーメンの中盛りのような感じでなじみがある外見と味、モモはこれまた外見が餃子そっくりなので、ラーメンと餃子を食べている形になるが、当たり前だが中身は違う。

トゥクパ

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モモ

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ここのモモは皮がしっかりしていて具がジューシー、特に美味しかった。

レイクサイドを散歩しながらゆっくり帰って、午後の時間は読書したりネットをやったり。
フムラジさんがお茶をサービスしてくれる。
これがまたおいしいのだ。
日当たりの良い中庭でゆっくりと過ごしていたが、4時頃になると風が冷たくなってきた。
外から野外イベントのような音楽が結構な大音量で聞こえてくる。
音楽というよりは単なる騒音にしか聞こえない。
近所でイベントでもあるのか。堪んないな。

夕食は昨夜行った「たべものや」へ行こうと決めてある。

今日は天ぷら定食を頼んでみる。
ごはん、味噌汁、香の物、小鉢付きだ。
小鉢は茄子の煮びたし。美味しい。
昨夜の白百合の香りのRoxiを今夜は二杯いただく。
丁寧に仕上がって出てきたアツアツの天ぷらは野菜中心でパリッと揚がっていてとても美味しい。
素材は自店の農場で作っているということだが、高地で日本とできるものが似ているのではないだろうか。
普段、直売野菜を食べているので何となくこの店の素材の良さも分る。
鍋焼きうどんとかサバの塩焼きとか幕の内弁当とか他にも試してみたいメニューがいっぱいあった。

どんなものが出てくるか期待させる。

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静かできちんとしたサービス、ここはお薦めです。
そして更に更にお薦めは、3日間お世話になったニュー・ポカラ・ロッジ。

マネージャーのフムラジさんのサービスは、対価のあるサービスの範囲をはるかに超えていた。
親戚の家に来ているような気分にさせてくれた。
3人で行った今日のミニトレッキングも本当に良い思い出になったし、お茶のサービスもありがたかった。
あまり干渉しない、それでいてどんな相談にもちゃんと乗ってくれるちょうど良い関係性も。
そういえばソウラハのサンタさんの立ち位置もそんな感じだった。
空気を読めるのはネパーリーの特徴かな。物静かな人も多いし。

ホテル自体も普段から掃除をきちんとやっていて清潔。
停電やホットシャワーはこの国の事情。
慣れてしまえばどうということはないのだ。
フムラジさんが言うには、次回からは旅行エージェントを通さずにfbで直接言ってくれとのこと。
とてもありがたい。

騒音は隣のホテルの野外レストランに入っているバンドの音だった。
表通り側には全然聞こえずこちらのホテル側にだけ響くのだ。
みんな我慢しているんだろうな。

明日は7:00朝食、7:30出発だ。

※ これを書いている4月アタマ、ネパール南部でサイが街中を暴走。1人死亡8人けがというニュースがあった。
案の定チトワン国立公園から侵入したインドサイ。どこの街か示されてはいなかったが、映像を見ているとソウラハへの入り口に当たるタティバザールではないかと思った。
別に柵もあるわけじゃあないし。
サイは見かけはごついけれど、草食でおとなしくて人を襲ったりなどはしない動物なのに。
最後は象4頭で追い立てて帰ってもらったとあった。
あのエレファントライディングのとき遭遇した光景と同じだ。
とても手厚く保護されているのでこんな状況でも処分しないのだ。
それにしても象というのは最強の生き物だ。

2015年04月13日

ネパール旅行記 7. カトマンドゥ・帰国

旅の記録(2015.2.ネパール)

7. カトマンドゥ・帰国

今日はカトマンドゥへ移動、一泊して明日は帰国だ。

7時頃、質素な朝食を採って8時出発のバスに乗るため7時半に出発。

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バスパークはすぐ近く、歩いて3分程度だがフムラジさんも一緒に来てくれる。
今日はポーランドから11名、ライトプレーンを楽しみに来るお客さんが来るということだ。
昨日までは他にお客さんは見なかったからハードになるな。

ポカラでは完全にホテルの供給過剰。
ピンからキリまで選び放題という感じだが、フムラジさんのところのような当たりを見つけるのは、旅行者との相性というものがあるから結構難しいと思う。

3日間とても楽しかった。
ポカラに来ることがあったらまた利用したい。
フムラジさんと再会を約してお別れ。

チケットは予め買ってあったので座席の指定だけを受ける。
グリーンラインバスはツーリストバスより少しグレードが高いとのことだが、乗り心地は同じようなものだ。
ただランチが無料で付いているところだけが違う。

8時半頃出発。
カトマンドゥは東へ約400km、約8時間のバス旅。

バスパークにも所謂物乞いが何人かいて、顔を合わせるとお願いをしにくる。
どこでも見られる光景だ。
観光地のホテルやゲストハウスは立派だが、バスが観光地を出て車窓から見える普通の暮らしは、掘立小屋に波板トタンあるいはスレートを乗っけて、その上に石を重しとして置いてある程度の住宅がひしめき合っている。
共同飲料水汲み場があって、水はそこから汲んでいるようだが飲めるのかどうかは不明。
下水を含めインフラはどうなっているんだろう。

あの掘立小屋群におそらくはネパール人の多くの暮らしがあるのだろう。
10年程前に王制から連邦民主制に変わったが、貧富の差が激しいようだ。
観光を仕事としていておそらくはきちんとした収入のある人達としか知り合えなかったので、本当はこういう暮らしを知りたいというのも本音ではある。

相変わらず中国人観光客は多いのだが、隣に座った体格の良い中国人が英語で話しかけてきた。
一人旅とのことで、中国人でこれはなかなか珍しい。
聞けばインドで仕事をしてからネパールを観光して中国へ帰るのだという。
仕事はMOLDを作る仕事だとのこと。
MOLD ????
簡単に言えばプラスチック等の成型をする金型というよりは技術だという。
金型なんていうのはちょっと古いけれど、今は様々な技術があるらしい。
H.P.(www.cd-lianyu.com.)を見てくれとのことだった。
名前はJames。
中国名じゃないねと言うと、インド・アメリカ相手の仕事だと中国名は分りにくいのだとのこと。
そこで、例えばジャッキー・チェンとかブルース・リーのような英語の通称名を使っているらしい。
中国人旅行者も1人だと物静かだ。
話題はもっぱらどこの国のホテルはどうだったとかの旅行情報交換。
お土産までもらってしまった。

ネパールのツーリストバスは日本の観光バスのゴージャスさに比べると劣るけれど、例えばラオスなんかに比べるとはるかに立派なものだ。
無料Wifiも使えるのが売り。
しかし一般のバスは中型でボロボロ、ドアもないのが殆どで、屋根まで荷物や人が満載。
落差が激しい。

主要道路と言われるポカラ・カトマンドゥ間のハイウェイといっても、日本の普通の県道並みの広さで、路面状態はデコボコ度Cランク。すぐに補修が必要なランクだ。

山岳道路だから路肩は崖。
ガードレールなどという気の利いたものはない。
時々大型トラックなんかが落ちたままになっているのも見受けられる。
ここをかなりのスピードで突っ走るのだが、荷物満載の大型トラックが先頭にいると渋滞。
それでも、全員が隙あらば追い越しをかける。
カーブや登り坂で見通しが悪いことなど関係なしだから、なかなかスリルがある。
二車線のはずなのに三車線になっていたりする。
これは落ちる筈だ。
日本では考えられない運転だ。
上手いというのか何というか。

ランチ休憩のドライブイン

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ランチ休憩があって、午後もしばらく経った頃、バスはカトマンドゥ盆地に向かって下り始めた。
車、バイク、自転車、人の混沌が激しくなる。
ごみが散乱する道路。
道路から巻き上げられる埃も半端ではない。
道路わきにずらりと並んでいる粗末な商店は何を売っているのだろうか。
渋滞しているのだが、構わずに追い越して突っ込んでいく車やバイク多数。
渋滞の原因は変なところに駐車していたりとかのどうということもないことが原因で、これが日本だったらマナー違反として大変な非難を浴びるところだが、こちらでは皆無言だ。

15時半頃にバスはグリーンラインバスのオフィス前ではなくどこかの駐車場に到着。
初めての土地だったら途方にくれそうなところだが、二回目というのは強い。
初めにバスに乗った大通りを更に北に行ったあたりだと見当がつく。
案の定見覚えのある大きな交差点が見えてきた。

今日のホテルはタメル地区の西のはずれにあるNew Hotel Panda というおかしな名前のホテルだ。
よく酒を買いに行っていたスーパーの近くだ。
初めての土地は、初めのうちはどこをどう行くと何があるか、どこへ出るか狭い範囲でしか理解できないから、何かをランドマークにしておかないと位置関係が分らなくなってしまう。
だが、把握できる範囲が広がると東西南北でおおよその見当が付いてきて、この店はこういう位置にあったんだというような再認識ができる。
頭の中で地図の範囲が広がっていく感じだ

New Hotel Pandaもタメル地区のはずれとあるが、良く歩き回った範囲と非常に近い。
値段が随分安い割にはなかなか良さげなホテルだ。
部屋は広くて2ベッド、エレベーター付き、停電タイムも自家発電でしのげるとのこと、エアコンはないが電熱ストーブが置いてある。
久々の完璧なホットシャワーだ。

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ポカラから帰ってきたら、チトワン行きのお世話をしてくれたRimal氏と会うことになっている。
約束の時間より早くやってきた。
天気も今一つだし観光はもういいからと言おうと思っていたら、向こうも誘ってこなかった。
チトワンの感想などを聞かれてtrip advisorで当社のことを誉めてくれなどの要請。
世話にもなったし、その位のことはお安い御用だ。

かなり熱めのホットシャワーで埃を落として、荷物を整理したりしているうちに夜になってしまった。

夕食は、ムスタン・タカリ・チューロというタカリ族の店へ行く。

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ここのRoxiは強い。泡盛の生のような味わいがある。

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そしてダルバートの中央には何か茶色いものが。
蕎麦かきなのだ。

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ネパールの高地はソバの栽培をしているとのことで、タカリ族というのはチベット系の山岳民族らしい。
結構いける。
相変わらずのおかわり責めでご飯まで出てくる。

水を持ってきてくれたのはご主人のミラン・ラズ・スベディ氏。
この人はとても流暢な日本語を話す。
日本滞在歴が長いのだろう。
この国では日本人だからだろうか、美味しいかどうかよく聞きにくる。
美味しいというととても喜んでくれるのだ。
勘定もとても安かった。

スベディ氏はついでに安くて偽物を売らない店を紹介してくれて、ついでに同行までしてくれた。
明日帰国だから、そろそろ土産を買おうと思っていたので渡りに船だった。
いつものスーパーでアップルフレイバーのウオッカはちょっと飽きたので、saufフレイバーなるものを買ってみた。
これが当たり。
かなり強いハーブの香り。
料理によく使っているものらしいが名前が浮かばない。

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2月16日、帰国の日だ。

新パンダホテルの朝食

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随分慣れてきたタメル街

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またドーハ経由で帰るわけだが、出発が20時50分と遅い。
12時にチェックアウトして18時頃までぶらぶらしていなければならない。
チェックアウトしてからどこかへ観光しようという考えはない。
土産は昨日買ってあったが、昨日目を付けてあったニットを何でも揃っている土産物屋で、香辛料をいつものスーパーで買う。
安い。

昼はすっかりお気に入りになったトゥクパ

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チェックアウト後は荷物をホテルに置いてお昼を食べたり、地理も大体把握できたタメル地区を散歩。
天気が良く暖かいので適当な時間にホテルの屋上で読書。
これがなかなか気持ち良い。

新パンダホテルの屋上からの眺め

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16時頃になって風が出てきて冷えてきたのでロビーへ移動。
空港への車は18時に来るので、軽く食事をとりに行く。
前にも行ったチベット料理のギリンチェで、スープモモを食べてみる。
見てくれは水餃子だがこれが大変おいしかった。

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18時にホテルを出発。
New Hotel Pandaはおかしな名前で値段も安いのだが、地理的にも便利でとても快適なホテルだった。
初めからここでも良かったな。

旧市街のタメル地区を出ると車線が広くなり、仕事帰りの車や人で賑わっている。
大きなショッピングセンターがあり、商店も賑やかでこれが首都カトマンドゥの雰囲気なのだろう。
段々車が増えてきてついには全く動かなくなる。
この渋滞の加減は事故か何かだろうか。
空港まであと5分のところだ。
ドライバーも良く分からないらしい。
トイレに行きたい感もあるし、いっそのこと歩いてしまおうかと思ったが、じりじりと動き出してきたので我慢。
原因は先にある公園で明日からパシュパティナート(ヒンズー教の神様)のお祭りがあり、どうも前夜祭のようなことをやっていて、そこに車が集中するのに、例によって交通整理の悪いことが原因らしい。

お祭り会場のイルミネーション

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ここを通り過ぎると5分で到着。
15分で着くところを結局1時間かかった。
空港への時間は余裕を持って出かけるのが正解だ。
そういえばこんな経験は、サルバドールやリオデジャネイロでも味わったな。

空港は混雑している。
しかも信じられないことだが突然停電して真っ暗になったりする。
数秒で回復するが。
搭乗口も突然変更になったりするので気が抜けない。
ドーハ行きは定刻の20時50分発。

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ドーハ・ハマド空港着は23時50分だが、実際は5時間くらいのフライト。
ここで朝まで約7時間半過ごすわけだ。

行きは、帰りに時間があるからこの新空港をじっくり見てやろうと思っていたが、やっぱり横になりたい。

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ただで休めるスペースは沢山あって、目的別に選択できる。
例えばP.C.をやりながらとかひたすら寝たいとか。
照明を落としたリクライニングスペースはとても快適だが結構寒い。

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お祈り専用部屋もある。

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横になる前にビールでもと思って、レストランで頼んだらハイネケンの350が9us$。
機内で飲めばただなのに。さすがに金持ち国の空港だ。
空港としてはただで休めるスペースがたっぷり用意されていて、係員も親切でとても利用しやすい空港と感じた。

7時20分発のカタール航空810便羽田行(現在は812便)は昼間のフライトで殆ど大陸の上を飛んでいるから窓側が面白い。
カタール→パキスタン→インド→ミャンマー→中国→日本というルートのようだ。
わりと空いていて3席を占有できたので快適だった。
ドーハはよくテレビに出てくる砂漠の都市だ。
出発してあっという間に陽は真上に。
下界はまるで海の上を飛んでいるかと錯覚させるような一面の緑。
川があったり、道路、都市、集落が見えるので陸の上だと分かる。
明るいうちは面白いので動画を撮ったりする。
しかしB787のこの席はフライトデータも読書灯も不具合で、今どこ辺りを飛んでいるのかわからないのだ。
ま、3席もあるから文句も言えないが。

そうこうしているうちに夜になる。
羽田空港には予定より40分位早い22時10分頃到着。
約9時間半のフライト。
荷物を待っていたり入国、税関の手続きに思いのほか時間がかかった。
東京は冷たい雨が降っていた。
持って行った傘を初めて使った。

ネパールがどういうところか皆目分らずに行ってみたが、思ったより混沌としていた。
都市、交通、インフラ等の近代国家としての整備のされ方は日本とは及ぶべくもないが、これは日本と比べるからだ。
日本は都市、インフラ整備が行き届いていて、交通機関の正確さ、街や水の清潔さは殆ど世界に類を見ないのではないだろうか。
しかし、貧富の差はあるけれど人々には活気があって、古い街並みはしっかりと保存され、広大な自然公園に動物は手厚く保護され、動物と人間が共存する暮らしもある。
親日的な人が多く、日本語を勉強している、日本に行ってみたい、日本で働きたいという人達とも出会った。
物静かで控えめなところは日本人と似ているし、仏教やヒンズー教、チベット仏教等他宗教の国でもあるところ、海はないけれど収穫できる作物も日本と似ている。
そういえばクリシュナ君は海を見たことがないと言っていたな。

確かに清潔さ、正確さ、便利さ等はあればそれに越したことはないが、それだけではないだろう。
モノやシステムに細部まで支えられた社会は人間を脆弱にする。
停電も何とかして半端なインフラもそれなりにこなし、山の上の高地を耕し、象と共に生活する村があったり。
物静かで逞しい人々にとても親しみを覚えた楽しい旅だった。

2015年07月02日

2015・6 札幌

6月21日~25日にかけて北海道ツアーへ行ってきました。
仕事は札幌オンリー。
毎日、夕方には現地入りなので、広い北海道、あまり遠くへは行けません。
それでも時間をみつけては動ける範囲を散策してきました。

一日目は着いてすぐに本日の現場、アートホテルズ札幌入りでサウンドチェック、リハ、本番となり後は軽く打ち上げをして知人のK氏宅へお世話になります。

ライブ会場
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実は北海道はもう数十年前に行ったきり縁がなく、久しぶりなのです。
その時はまだ学生時代で、東京で学生アルバイトの同僚の実家が北海道の人が結構多くて、更に中学校の同級生が北大生だったりで、夏休みの彼らの帰省先の実家へお邪魔したり、道内の色々なところを回った記憶があります。
あの頃は上野発の青森行き夜行列車の固い座席に10時間くらい揺られて、青函連絡船で函館に渡るというルートでした。
その時もすすき野でジンギスカンをご馳走になった記憶はありますが、街の様子は記憶の彼方。
北大構内で待ち合わせをして案内をしてもらった記憶はあります。

二日目の午前中は市街地を散歩してみました。

北海道には梅雨がないと言われていますが、気圧の谷に入っていて曇りがちで時々細かい雨が降ります。
少々肌寒い感じで、ちょっと歩いたり、日が差したりするとと長袖は暑いかなという印象ですが、ずっと半袖ではきついかも。
街は完全に碁盤目状に整理されているので慣れてしまえば非常に分かりやすい。
ブラジルのオーロプレットだったか、毎回、一回では帰りつけない街とは大違い。
ただし大都会でビルの様相、辻の様相が似ているので少々の配慮は必要です。

K氏宅から札幌駅の南側をぐるっと歩いてみました。
北大植物園も興味があったけれど、月曜日は休園日で残念。

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噂に聞いていた通り、中国人観光客がやたらに多くてドラッグストアでは爆買いをしています。
世界中に多いですね、中国人観光客。
お昼はメンバーと近所の狸小路で炭焼きミニジンギスカン定食。

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街中であるにも拘らず公園の規模がやたら大きいことを除けば東京とあまり変わらない大都会という印象。

K氏宅を出て本日から3日間はホテル暮らし。
中島公園という、東京だと日比谷公園規模の結構大きい公園の入り口近くにあるビジネスホテル。
札幌駅からはひたすら南へまっすぐ行く道の突き当りが中島公園で、その途中に大通りやすすき野があるので分りやすいと言えば分かりやすい。

本日のライブ会場はK氏の弟さんが経営するこじんまりとしたイタリアンレストランです。
店の雰囲気、客層、料理等を見て演奏曲目や演奏内容を決めていきます。
料理や会話も楽しめるような演奏がレストランでは基本。

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ライブ終了後はイタリアンもご馳走になりました。

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ホテルは値段の安さにもかかわらず、部屋もまずまずで朝食も充実しているのですが、機械音でしょうか重低音が聞こえているのが少々気にはなります。
繁華街から聞こえてくる音は全く気にならないのですが、重低音は気になってしまう質なのです。
耳栓でも手配しようかと思いましたが、酒を飲んで寝てしまえばさほど気にならなくなりました。

翌日は、午前中から電車で約30分で行ける小樽に行ってみることにしました。
銭函駅を過ぎると進行方向右側、線路敷地のすぐ下まで海が迫ってきます。
これだけ海が近い路線も珍しいのではないでしょうか。

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小樽駅は改築されてレトロな駅舎が再建されたらしく味わいのある造りです。

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まず港の方へまっすぐ行ってみます。

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手宮線廃線跡

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途中有名な運河があったりしますが、港は変哲もない場所でした。

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漁港ではないので魚臭さはありません。
駅方向へ少々戻って東西に走る通りが堺町通りで、観光通りのようです。

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観光客用店舗多数で寺社の表参道のような印象です。
観光客奪取の気合が入っています。
ここでも相変わらず中国人観光客多数。

古い洋風建築物とか倉庫とか硝子小売とか色々と見どころはあるのですが、この表参道的人ごみはちょっと苦手なもので、南小樽駅方向へ歩いて行きます。
そんな中で興味を引いたのが小樽オルゴール堂。
パイプオルガンから自動ピアノ、手造りボルトオルゴールまで大小様々なもの、人形が動いたり色々な仕掛けがあったりでとても楽しめました。
店員さんの説明も丁寧でした。

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ねじーボルトを使ったオルゴール、ボルタ。色々なポーズがあってよくできていて可愛い。

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表参道を離れてしまえば閑散としています。
南小樽駅前でお昼はラーメン。
中々のものです。
ここも一泊すれば表参道だけではなく、色々な場所を回れたなという印象がありました。

15時前にホテル着で仕度をして本日の会場へ。
ちょっと慌ただしい。
今日は前日と同じ経営者のゆったりしたレストランでディナーショー。
オーナーシェフはイタリアへ出張中ということで不在でしたが、スタッフの頑張りが印象に残った一夜でした。

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さて、翌朝。

これだけ近いのに、まだ中島公園を散策していないので朝の散歩。
カラスが多く感じられます。
巣の下でしょうか、歩いていると頭を掠めるように飛んできます。
多分威嚇じゃないかな。
広くて緑が豊かでジョギングするのに気持ちよさそうな公園でした。

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散歩の後は一度は行ってみたかった円山動物園へ。

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ここはとても広い森林公園の一部にある場所なので、とても自然環境が豊かに感じられます。
内容はとても充実していて、門を入ってとにかく目立つのがキリン。

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後は写真でご覧ください。

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これは一体何なのか良く分からないが

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横から見るとこうなっているのが分かる。

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中でも興味を惹かれたのは、オオカミ、爬虫類・両生類館。
毛の抜け替わる時期らしく、オオカミ、トラ、豹などはちょっとオンボロ感がある。

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彼は穴を掘り続けていた。

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実物はとても小さいのだが、色といい形といいポーズといい「かえる!!」と言い切るのにふさわしい。
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象はいなかったけれど、これはネパールで散々触れ合ってきたのでよしとして、昼食も忘れて3時間ほど楽しみました。

動物園というのは不思議なもので、子供の頃から何度となく行っているのですが、その年代によって心に残る動物や全体的な印象が変わります。
普通は家族連れや子供連れでしか行かないのかもしれませんが、旅行と同様に一人で気儘に行くのも楽しいものです。
今回も久しぶりでしたが、色々な旅先で動物園を探して行ってみたくなりました。

本日の会場は、札幌駅から北へ行った郊外のライブハウス。
レストランと違ってある程度マニアックな選曲をしていましたが、お客さんの様子を見て分かりやすい選曲に変えました。

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打ち上げは色々迷った挙句、やはり定番、すすき野のジンギスカンで締めました。

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翌日、東京行きの便は17時頃で時間がかなりあるのですが、小雨もぱらついていて、どこかへ出かける気分でもありません。
のんびり新千歳空港まで行って噂の新千歳温泉に入ってみるかと、各駅停車に乗り込みます。
各駅停車は快速と違って、駅名を見ることができるのが楽しい。
「平和」なんて駅があって、車内表示に「ただいま平和です。」なんてあると嬉しくなってしまいます。

新千歳温泉は空港ビル内に在って、露天風呂からサウナ、岩盤浴、とても広くて快適な休憩室、安眠室、食堂と申し分のない快適な施設でした。
殆ど24時間近く営業していて、ここなら何時間でも過ごせそうです。
成田空港にもこんな施設があったらLCCの時間も気にする必要はないのにと思いました。
ここで4時間近く過ごして成田空港行きに搭乗しました。

というわけで、札幌の中心部はあまり特徴のない大都会の印象でした。
ただ、雪の季節になると印象は変わる筈です。
その頃に来てみたい。
この季節、北海道は都心ではなくて地方へ行く方が楽しいと思いました。
仕事と関係なく時間を充分に取って回ってみたいものです。

ではでは


2015年07月20日

JR久留里線の旅

先日、とても天気が良かったので、かねてから乗りたいと思っていたJR久留里線に乗ってきました。

首都圏近郊では殆ど見られなくなったJRの非電化路線です。

まあ何時でも行けるわけですが、こういう記事をネット上に発見。

「君津市高水のJR久留里線上総亀山―上総松丘駅間で7月11日午後7時25分ごろ、上総亀山発木更津行き上り列車(2両編成)が、線路を横切った鹿1頭をはね、停車した。乗客はおらず、けが人はいなかった。
 JR千葉支社によると、鹿は即死。乗務員が死骸を撤去し、車両を点検したが異常がなかったため、約18分後に運転を再開した。上下2本が運休、乗客2人に影響した。
2015年07月13日(千葉日報)」

鹿をはねて停車、乗客はなし。上下2本が運休、乗客2人に影響とは、首都圏近郊にありながら秘境路線のような趣ではありませんか。

この記事を見て、行ってみたくなったわけです。

久留里線の始発駅は木更津駅。
途中の久留里駅までは1時間に1本程度あるのですが、終着の上総亀山駅までは1日に6本。
久留里駅でゆっくり昼食をとって上総亀山駅に向い、約15分後に折り返す同じ列車に乗って帰ってくるというプランです。
上総亀山駅近辺には温泉もあるということで、それも惹かれはしますが、この折り返し列車に乗らないと次は3時間後になってしまうので、車で来た時に訪れる方が良いでしょう。

木更津駅
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気動車は冷房完備のきれいなワンマン車両。
近所の小湊鉄道の旧国鉄色キハとは大分違います。

木更津駅を出て程なく田園地帯。
緑色の稲が風に揺られる様子は、まるで緑色の海に波が立っているようで幻想的な光景でした。

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久留里駅
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久留里駅は名水百選に選ばれた里ということで、街のあちこちに水汲み場があって、飲用のそこにはタンク持参で水を汲みに来る人も結構いるようでした。

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この水を利用した古くからの酒蔵も駅近くに2軒あって、それぞれで購入してみました。

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暑い昼下がり、出歩いている人もあまり見かけません。

とても良い雰囲気だが、丁度昼時で混んでいた。
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結局蕎麦屋さんで昼食。
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上総亀山駅までは3駅、民家もあまり見えなくなって森の中を進んでいく感じです。

終着の上総亀山駅で線路は途切れています。
もう十数キロで外房に出るところです。

上総亀山駅
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駅の付近には民家が数棟。店らしきものは見当たりません。
もちろん無人駅。

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この辺りはダムや温泉もあるということですが、車で来るところなんでしょうね。
しかし非電化路線には趣と地元の足としての役割があります。

約15分で折り返し列車は出発してしまうので、駅近辺をぶらっとするしかありません。
帰りの列車、ちょっとうつらうつらして気がついたら普通の市街地の風景。

こういうのんびりさはローカル列車ならではのもの。
車だとどこにでも行ける気軽さはありますが、列車だと連れられて行く意外性があります。
特に各駅停車の旅は駅名や景色をのんびり楽しめるということも格別。
ビールも飲めるし。

こんなに近場の小さな旅も、少し日常から離れられて良いものですね。


2015年10月02日

大日影隧道

中秋の暑くもなく寒くもなく良い季節。

とても天気が良くて空気も乾燥してさわやかだったので、かねてから興味のあった大日影隧道へ行ってみることにしました。

ここは、廃線になった1.4kmの鉄道トンネルを、線路や標識等の当時の施設はそのままにして遊歩道となっているという珍しい施設です。
つまり、鉄道トンネルを1.4km、通年歩くことができ、しかも入場無料という、プチ鉄にとってはとても楽しい場所なのです。

線路上を歩くというのは何故かとてもわくわくするものがあり、最近では屋久島縄文杉への道程とか、古くはSLの写真を撮りに米坂線の線路を歩いた(本当はいけないのだろうが)ことを思い出します。
場所は、中央本線勝沼ぶどう郷駅徒歩すぐ。

1903年(明治36年)に開通し、1997年(平成9年)に新トンネルが開通したために廃線になり、その後旧勝沼町(現在は甲州市)に譲渡され、2007年(平成19年)に遊歩道として整備されたと案内板にあります。

自宅を10時頃出発して、京成線、都営新宿線、京王線、中央本線と乗り換える激安ルートで13時過ぎには勝沼ぶどう郷駅着。

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勝沼はブドウ作りで有名な扇状地で、駅は扇状地の上部の方にあって(つまり市街地にはない。)、見晴らしはとても良いのだけれど駅前は住宅と葡萄畑で商店はほとんどありません。

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1軒だけあった食堂で遅い昼食。

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駅から東へ歩いて行くと公園があって、懐かしやEF64がとてもきれいな状態で展示保存されています。

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旧ホーム跡
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しばし見とれて、左手階段を昇ると大日影隧道入り口です。

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中秋とは言え、日差しが強いので温度が上がってきていますが、トンネルに入るとひんやりしてきます。
一枚羽織らないと寒い。

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この辺りから線路中央に開渠水路が設置されている。とても珍しいらしい。
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トンネルは煉瓦作りで、蒸気機関車や気動車が走行した期間が長かった名残りのすすやばい煙がこびりついて良い感じです。
そのような様子は照明があるので分るのですが、これが実に絶妙な感じのライティングで、この世のものとは思えない幻想的な空間を生み出しています。
所々にある待避所に置かれているオブジェもそんな雰囲気を後押ししているように思えます。

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オブジェと休憩所
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歴史説明のパネル
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標識
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保線用の車両
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施設自体きれいに保存されていて掃除等も行き渡っているようで、とても快適。
直線なので1.4km先の出口がポツンと小さく見えていて、進むにつれてそれがだんだん大きくなってきます。
東京駅からのキロポストがそのまま保存されています。
片道のんびりと30分ほどかけながら見学。

これは直線だから往復2.8kmで何往復かジョギングしたら、夏でも涼しいからいいだろうなとは一瞬思ったけれど、全く日の当たらないところを走るというのもちょっと悲しいかなと。

出口に至ると、更に先に深沢トンネルというものがあります。

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こちらは入り口をふさいであって、隣接する休憩所兼管理事務所に申し出ると中を見せてくれます。
中は、低温を利用したワインカーブになっていて、個人所有のワインも多数保存されていました。

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帰りも再び隧道を戻ります。

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16時閉門。
今回は隧道が目的だったので、ワイナリー見学はしないで帰ります。

例えば、昼過ぎまでに隧道見学を終えて、後は夜までワイナリー見学と試飲をくり返し、そのまま市内で飲みに入ってしまうというのも素敵なコースかもしれないなあと思いました。

帰りは、大月駅から中央特快東京行。

都内で夜遅く大月行の中央特快を見かけることはあるけれど、この区間で乗るのは初めて。
とりわけ、高尾以西の中央本線ローカル車両では通常の、乗客が自身でボタンでドアを開閉する方式をあの中央特快車両で経験するのは初めてでした。
普通、都内で中央線に乗っていてもあのボタンを利用することはないわけで、通常はトマソン的(赤瀬川源平氏の表現ですが)オブジェとしか意識していないボタンが、ある瞬間から意味のある道具として利用されるというのは新鮮な驚きです。

というわけで、夕食時間帯までには帰宅できる非日常空間を味わった小旅行でした。

2015年10月19日

秋の超小旅行

この10月中旬というのは天気も比較的よくて、空気もさわやかで、朝から晴れていると、ふらっとどこかへ出かけてみたい気持ちになります。
一日空いていればある程度足を延ばすことができますが、夕方から予定がある日は近場で気になっているところへ行ってみます。
成田空港へ行く途中、京成線の京成佐倉駅の一つ成田寄りに大佐倉という駅があり、以前からここで乗降客はおろか、人がいたのを見たことがありません。
何かで東京近郊秘境駅と紹介されていたのを見たことがあり、一回散策してみたいと思っていました。
で、とてもさわやかに晴れ上がった10月中旬のある日、出かけてみました。
自宅最寄駅から約30分ほど電車に乗って、大佐倉駅着。
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小生の他に誰も乗降客はいません。
これは深夜降り立つと怖いだろうな。
終電で酔っ払って乗り過ごしたくはないでしょうね。
バスはおろか、タクシーもいる気配はない。
今日は工事関係者の人が若干名見受けられました。
京成佐倉駅へ向かってゆるりと歩いて行きますが、住宅も見受けられます。

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京成佐倉駅から次の京成臼井駅までは距離もあり、結構見どころもあります。
印旛沼棲水路の周りに広がる田園風景を見ながら誰もいない道を歩いて行きます。
とても気持ちが良い。

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これはなかなか共感を覚えるというか、努力したなとか・・・・・・
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で、行きついたところが風車を中心とした公園。
ここは春先に電車から見るとかなり広大なチューリップ畑になっていたところですが、この季節はコスモス畑。

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風車はオランダから運んできた本格的なものでした。

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風車の内部
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大佐倉駅~京成臼井駅約10km、徒歩約2時間の小旅行ですが十分に楽しめました。
費用は、往復電車賃と水、100円のみ。
次も気になるところへ行ってみたいと思います。

2016年03月14日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅  第1章 2/21~2/22 出国・マラケッシュ

久しぶりのブログ更新です。
実に、2016年初めて。
さて、今回からは毎年この時期になると行きたくなってくる、海外の旅、紀行文を掲載します。
今回は、2月21日~3月9日までモロッコ・スペイン・ポルトガルを旅してきました。
回数を分けて掲載していきます。
お楽しみ、あるいは参考にしていただければ幸いです。

第1章 2/21~2/22 出国・マラケッシュ

3年前のブラジル行きの際に搭乗したエミレーツ航空EK319、あの時は総二階建てで世界最大の旅客機A380だったが、今回はごく普通のB777。
成田空港22時発で5時ドゥバイ空港着なので真っ暗なフライトのはずだ。
比較的空いている。
カウンターで通路側の席に変更してもらう。
一つ空いた窓側の席にはブラジリアの大学に留学するという京都の大学生K君。
夜便なので節度ある交流をする。
聞けば、半年の留学で海外も初めてだという。
お父さんが趣味でビリンバウをやっていたとのこと。
親戚に女性ピアニストがいるという。
わりと珍しい苗字なので、確かそのような苗字のジャズピアニストがいたような気がする。

日本海を抜けて中国大陸に入るまでかなりの揺れ。
これでは食事はとても無理だ。
静かになってから夕食。この便は夕食、朝食と二食。
エミレーツは食事もエンターテインメントも充実していて好きな航空会社だ。
隣が空いているので足は伸ばせたりするが、やはり1時間位しか寝れない。
大陸に入ってからはずっと静止しているかのような静かさだった。

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ドゥバイ空港へは30分程早く到着。
相変わらずの賑わい。
次の便のエリアは10分位の徒歩移動で済む。
しかも待ち時間は約2時間ととても楽。横になって休息。
カサブランカ行きもそんなに混んではいない。
今度は昼間のフライトなので、成田で窓際にしてもらった。
日本ではこういう細かいサービスを受けることもできる。
正解だった。
アラビア半島→シナイ半島→アフリカ大陸→地中海→北アフリカと眼下の様相がどんどん変化する。
アフリカに入ってからは、茶色の山と大地、緑のオアシスが点在という感じになる。

マヨルカ島
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そして、12時30分頃モロッコ王国カサブランカ・ムハンマド5世空港着。

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きれいで近代的な空港だ。入国審査は並んでいるので時間はかかるが手続き自体はスムーズで荷物受け取りも然り。列車の案内板通りに進み、マラケッシュまでの切符を買った。
事前の調べでは、カーザ・ボワイヤージュという駅で乗り換える必要があるということだったが、実際は次の駅、カーザ・オアシスという駅で乗り換えということだ。
空港の地下から発車する14時発の鉄道に乗れた。

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今回の旅、モロッコはアラビア語とフランス語、あとはスペイン語とポルトガル語。
ポル語はブラジルへ行ったとき少しは勉強したけれどフランス語は40年前の大学の第二外国語以来、スペイン語はほとんど分らない。フラ語は昨年11月頃から教本を買って多少勉強し、ポル語も一応復習してはみたものの、スペイン語は時間切れだし全体的に全く自信はない。
フランス語圏は英語はあまりポピュラーではないと聞いているが、切符売り場では向こうから積極的に英語で聞いてきた。こちらはあやふやなフラ語で応酬。
とにかく乗車はできたのだ。

マラケッシュまでは約3時間、東京・名古屋くらいのイメージか。
初めてなので一等車の座席を買う。
二等は混んでいるが一等は空いている。
ここで同席したユセフ氏と少し話す。
乗換駅の確認をさせてもらう。
車内で買ったクロワッサンを分けてくれたりする。
フラ語も少しは通じたようだ。
初めて接したモロッコの民間人は、とても紳士的で親切な人だった。

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列車は3両編成の客車列車。快速列車らしく次の駅までかなり走るようだ。
スピードも結構ある。

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Casa Oasis駅で近くの席のアルゼンチン人らとこっちだこっちだと乗換ホームへ。
ここで突然の夕立。

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駅は日本の田舎の駅のたたずまい。
写真を撮っていたら、駅員が、それは駄目だ。撮ったものを削除しろと言ってくる。
うわさには聞いていたが何故か鉄道、鉄道施設の写真撮影はご法度らしい。
携帯の写真は消えてしまったが、それまでに撮っていたデジカメの写真はかろうじて残った。
しかし、何本も列車をやり過ごしてもなかなかマラケッシュ行きの列車はやってこないのだ。
本当に来るのか不安になり始めた約1時間後に長い編成の列車がやってきて、これがマラケッシュ行きらしい。
ここでようやく切符に記されていた車両No.と座席番号の意味が分った。
この辺はわりと正確なのだ。
空港と同じ方向へ走り出す。

一等車は6席のコンパートメント。
空港からの列車は3両編成でコンパートメントもなかったので、京急の空港線のようなものだったのだろうか。
同席する客は4名。
皆ビジネスマンのようだ。
携帯は使い放題。
シートはゆったりしていて、時差と睡眠不足で眠気が襲ってくる。
列車はかなりのスピードを出している。関西の新快速ぐらい速い。

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市街地を離れると車窓が段々面白くなってくる。
砂漠ではなく土漠という感じの丘がどこまでも連なっている。
緑は殆どサボテンだ。サボテン畑もある。
短い緑は牧草か。
牛もいるがヤギが多いようだ。茶色いヤギ。
両側に果てしなく続く地平線。
人家など何もないところを走行している。
時々ヤギを追う遊牧民が行き来する。
日本ではありえない風景だ。
土漠の上だからなのだろうか、雪の上を走行しているような静けさで、眠気もあって気が遠くなっていくような気がする。
20分おきくらいにどこかの駅に停車する。
車内アナウンスのマラケッシュの順序が何だか変なような気もするし、本当に終着駅なのだろうか。
日も暮れかかった18時半頃、彼方に蜃気楼のように大きな街が見えてきた。
どうやらあれがマラケッシュの街らしい。

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とても美しいマラケッシュ駅。
もうすっかり日は暮れた。
ホテルの場所は地図上では把握していたが、荷物があることと初めての街は安全を金で買うという意味でタクシーを使う。
100dhという、後で考えると随分と吹っ掛けられたものだが初めは仕方がない。約1200円だ。
さすがにホテルの前まで行ってくれる。
町の印象は暗くてはっきりとしたことは言えないが、多分大都会だ。
メディナの中、旧市街の佇まいは、趣があると共に夜は不気味さが漂う。
あちらこちらに人が佇んでいる。
ホテル・ル・ガリアにチェックイン。
変なフラ語と英語のちゃんぽんで十分行けるようだ。
部屋は小さめだが清潔そう。ベッドはダブルの大きさ。
吹き抜けの中庭が美しい。
人なつっこい猫が何匹もいて、すり寄ってくる。

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機内食しか食べていないので腹ペコだ。
いつもの常で到着後のビールを飲みたいので聞いてみる。
ビールやワインはタクシーで行かなければならないところにしか無くてしかも高いという。
さすがにイスラムの国だ。原則、飲酒は禁止なのだ。
外国人は例外だがとても面倒くさそうだ。
今回はあきらめるか。

で、噂に聞くジャマ・エル・フナ広場の屋台に行ってみることにした。
かなり近いようだ。

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フナ広場からクトゥビア・モスクを臨む。
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広場の光景を初めて見て相当にびっくりした。
噂には聞いていたがなんだこれは!!!
広大な広場に光の渦!!と見えるのは無数の屋台の織り成す光、そして音、太鼓や重低音、人声、
笛・・・・・・諸々。
広場一杯の大道芸と屋台、繰り出す人々。
平日の夜なのだ。
どうもこれが毎日続くらしい。
まあ、日本とは異なる国だとは言ってもこれほどすごいとは。
音楽が多いのが楽しい。
ただ、写真でも撮るとチップを要求される。
これは、大道芸に対する投げ銭として当たり前のことだが、慣れていない人には不当な要求と思われるかもしれない。
この辺りがガイドブック等にあまりよく書かれないところの所以となっているのだろう。
皆、酒が入っていない筈なのにのにこのテンションの高さ。もし酒が入ったらどうなってしまうかと考えるとイスラムの教えは正解なのかもしれない。

投げ銭をするとこういうサービスも。
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屋台からはとにかく声をかけられる。
日本語の掛け声も多数。

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今晩は何でも良いのだが、とりあえずモロカンサラダとチキンのクスクスにしてみる。
サラダはトマトの細切れにパクチーのビネガー味。クスクスには鶏もも焼きが乗っている。
甘いミントティー。
パンもあるので量が多い。
味はまあまあというところか。

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これがエスカルゴなのか・
カタツムリ煮。オレンジジュースは噂通りの激美味。
大道芸もそこそこに楽しんだ。

今日は、時差ボケと寝不足で疲れている。
酒も買えないので、水を買って、帰ってシャワーを浴びてたまらず寝てしまった。
明日は歩き回ろう。

2016年03月20日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第2章 2/23 マラケッシュ

第2章 2/23 マラケッシュ

昨日は旅の疲れもあって、しかも酒も飲まずに早く寝てしまった。おかげで4時に目が覚める。
まだ外は真っ暗。
今日の予定を立てたり、日誌を書いたりしておそらく街が目覚めるであろう時間まで過ごす。
まず初めにやることは朝食。これは、フナ広場へ行けば何かあるに違いない。
そして必ずやらなければいけないのが、明日のメルズーガ行きのバスチケットをゲットすること。
売り切れてしまう可能性もあるのだ。

明るくなった7時半頃から行動開始。
朝は日本並みの冷え込み。防寒がしっかりしていないとダメ。
セーターとダウンで正解だ。

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フナ広場は昨夜の喧騒が幻だったかのように静かなただの広場になっている。
掃除人が沢山いて、目立つごみも落ちていない。きれいだ。
周りのカフェとオレンジジュースの屋台は開店し始めている。
カフェでパンケーキとコーヒーにオレンジジュースの朝食。
ボリュームたっぷりで美味しくて20DH(約240円)は安かった。

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明日乗る筈のバス、Supra toursの事務所は、昨日降り立ったマラケッシュ駅のすぐ近くにあるとのことなので、フナ広場脇のバス停が集中しているところでマラケッシュ駅を通るバスを探して待つ。

クトゥビアモスクは目印にとても便利だ。
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バス停④-No.5のバスを見つけて(係のおじさんがいるので便利だ)、マラケッシュ駅まで何と4dh。
昨日のタクシー料金は25倍だった。

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マラケッシュ鉄道駅
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二日目の街歩きで地理を大体把握することで当地での無駄な金はなるべく出ていかないようにする。
駅近くのONCF(国鉄)事務所でバスチケットをゲット出来て一安心。
まだ、時間は午前9時を回ったばかり、今日はフリーなので新市街地から旧市街へ歩いて帰ろう。
駅のトイレはタダだし、わりと清潔なので利用しやすいのだ。
wifi無でも使えるGoogleマップを見ながらATMを使ったりしながらのんびり歩く。

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ただ、そうのんびりんもしていられなくなってきた。
陽が高くなるにつれてアフリカの強い日差しが照りつけてくる。温度がどんどん上がってくるのだ。
寒い時間に出てきた格好ではきつい。
一旦戻って着替える必要がある。

今日は雲一つない快晴だ。
南側に見える雪を抱いたアトラス山脈の白い山並みが美しい。

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確か4000m級の山もある筈だ。
日本アルプスのふもとの街のようだ。
まだ午前中だから、迷路と言われるスーク(市場通りと言っていいのだろうか。)を歩いてみて昼食をどこかで取ろうと計画する。
明るくなって分かるのだが、泊まっているホテル・ガリアとフナ広場はすごく近い。

フナ広場とお茶
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昨夜、幻想的に見えていたクトゥビアモスクの見え方で、迷ってもフナ広場との大体の位置関係はつかめるのだ。

スークの道は狭く、人、自転車、バイク、自動車、馬車、ロバ車等がひしめき合っている。

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那覇のマチャグァーと少し雰囲気が似ているが、こちらは迷路だ。
しかも、さすがに腕は引っ張られないものの、呼び込みは強烈で落ち着いて商品を見る気にはなれない。
そして、呼び込み、物乞い、乞食等々。
値札は殆ど付いていない。
どうも値段もあってないようなものらしい。

温度はどんどん上がって暑さが激しくなってくる。
なんだかくらくらしてくる。
歩き回って昼も過ぎてしまった。
フナ広場の周りには広場を見下ろすことができるテラスがあるレストランが囲んでいる。
その一つに入ってみる。

空いているし、アトラス山脈もくっきりと見える。
とても落ち着く。

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コーランの放送が広場に響き渡る。
何だか学生時代の革マル派のアジ演説に似ている。
これから何回も食べるであろうタジン鍋を頼んでみた。
牛と鶏卵だ。
オリーブの実の漬物が出てきて、ビールがあったらさぞ美味しく飲めるだろうと思うのだが、イスラム圏だからご法度。

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出てきたタジンは絶品だった。

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タジンてこんなに美味しいものなのか。
ビールがあったらいくらでも飲めそうだ。
しかし、そこはお茶でいただく。
パンを使ってもすごく合うソースだ。
これは一体どうなっているのか。
さらにポテトも付いたりするので、パンと一緒にお持ち帰り。
屋台のオレンジジュースと一緒にホテルへ持って行けば、ティータイムが過ごせるのだ。
普段のこういう状況だとビールを飲んでしまうのだが、早くもティータイムなどと考えている日和見主義者だ。

ホテルの中庭。リヤド(邸宅)の中庭
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明日のバスは、調べたところによれば、まずドライバーに終着のメルズーガのほんの少し手前のハシ・ラビト村へも寄ってくれと注文を付けて、そこで降りて、かつ到着が21時頃なので、宿の迎えの人と会えないと砂漠の街で路頭に迷うという可能性があるので、行動計画を考える。
まあなんとかなるだろう。
ちっとも考えていないのに、考えたつもりになって安心してうとうとしてしまった。
歳のせいなのか、ちょっとうとうとすると行動が億劫になる。

しかし、まだ15時頃で陽は高い。
明日は移動だから、決めていた史跡地区へ行くことにして、起き上がって行動再開。
結構頼りにしているGoogleマップは突如道案内が始まったりするのだが、正確だ。
おかげで、アル・マンスールモスクへもすんなり行ける。

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木彫りやタイルの美しさが印象的だ。
日本人団体観光客を見かける。
日本人はわりといるみたいだ。
その代り、あれほどどこでも沢山いた中国人観光客は全くと言っていいほど見かけない。
フナ広場へ戻って少し買い物をする。

値札はない。
250と言ってきたので高すぎるから120にしろと言うと、200だと言う。
ならば150と言うと握手を求めてきて商談成立。
品物は悪くないのに、何故こんな面倒な商いの方法なのだろう。

17時頃、まだ日は高いが、フナ広場ではそろそろ大道芸が始まっている。

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投げ銭をすると、このようなサービスも。
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この時間帯は、音楽よりもビジュアル的な猿回しとか、身体雑技とかの大道芸が多いようだ。
漫画のような笛でコブラを操る蛇つかいというものを初めて見た。
ホテルへ戻って夕食時まで休憩。
この頃になるとフナ広場から宿までの最短の怪しげな道を覚えた。
二日目からのいつものパターンだ。

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20時過ぎ、再びフナ広場へ。

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昨夜と変わらない熱気、人出。
大道芸の種類も増えた気がするし、人出もかなりのものだ。
昼間のビジュアル的なものから、夜は音楽が中心になってくる。
エレベそっくりな音でフレーズを延々と繰り返すのは電気ゲンブリ、これに打楽器、バイオリン、唄、踊り等が絡んでモロッコ風ソウルミュージックとでもいうのだろうか、グナワミュージックを奏でている。
円陣を組んで色々な楽器が絡んできて大規模パゴージ的になっているものもあれば、少人数でアコースティックなものもある。
やはり大音量の方が人だかりは多いようだ。
ずっと聞いているとトランスミュージックのように幻惑的な気分になってくる。

今晩はケバブを食べたくなって、誘われて屋台の一つに座る。

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ここはハズレ。
大して美味くもなく量だけは多いが、注文したかどうか怪しいようなものも出てきて値段も高い。
昼間はきちんとしたレストランだったから注文と計算もはっきりしていたし味も確かだった。
やはり、空いている屋台というのはそれなりの理由があるわけだ。
ま、雰囲気も楽しんだし法外と言えるものではないので、オレンジジュースで口直しをして帰路につく。
相変わらず、ハシシ、大麻だかの売人がすり寄ってきたり、キメまくったような女性が道端に座り込んで何やら叫んでいたり、物乞い、乞食、客引き等々、混沌の世界だ。
鉄道駅でも見かけたが、むき身の銃を持ったポリスが3人組でそこここにいる。
時世柄、分かる。
毎晩いったいどのくらいの人がフナ広場にいるのだろうか。
車やバイク、馬車やトゥクトゥク等も侵入可能なのだ。
もしここが標的になったらなどと考えるとぞっとする。

混沌を現実化したようなジャマエルフナ広場、どのようにしてお開きになるのか見てみたい気もして去り難くもあったが、明日は12時間のバス旅、体調を整えておくことが肝心。
怪しげな細い道を宿に引き上げた。

深夜のホテル猫
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2016年03月27日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第3章 2/24 マラケッシュ→ハシラビト

第3章 2/24 マラケッシュ→ハシラビト

今日はいよいよ砂漠行き。
8:30発のsupra toursのメルズーガへ行くバスに乗る予定だ。
昨日チェックしたマラケッシュ鉄道駅の隣、CTMターミナルから出る。
余裕を見て、早朝6時半頃に朝食を探しにフナ広場方向へ。

まだ真っ暗。
しかし、しっかり食べておかないと、この先約12時間のバス旅の体調を整えることはできない。
どこもやってはいないようだが、それでもパン屋というかブラッセリーか、ただ一軒開いている。
店内でクロワッサンとコーヒー。
これは当たり。
以前はフランスの支配化にあった国、クロワッサンが美味しい。

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7時半頃にはバスステーションに到着。
チケットは昨日買ってあるので、荷物タグを5dhで購入。
バスに乗り込んでハシラビト村へ寄ってくれとドライバーへ言う。
通常のルートらしく、問題はないとのこと。
ここで日本人旅行者のT君と出会う。
同じハシラビト村のWilderness Lodgeへ行くという。
同行者もいるので少し安心した。
これから12時間の長旅だ。

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バスは9時頃出発。
到着は21時頃だ。
市街地は渋滞したりしている。
何だか同じところを回っているような気がしているが、市内各処でお客さんを乗せて、車内はほぼ満席だ。
クッションが良くて乗り心地はとても良い。
バスの長旅、さぞや退屈だろうと思っていたが、とんでもない。
オートアトラス山脈に向かってどんどん登って行く。

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雪山だ。
アフリカの雪山!!!

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しかし土は赤い。
家々が赤土からそのまま生えているように見える。
山肌がそのまま家になっているように見える。
小生の席は前から2列目。前方がよく見える。

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山岳道路を登ってきて、11時半頃一回目の小休止。
バスの長旅はトイレが一番の問題点。
禁酒状態だし、水分も控えているので体調は十分。

小休止
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さて、今までおとなしくしていたバスがこのあたりから本領を発揮し始める。
道路は山岳道路に入っている。険しいカーブの連続。おそらく6m道路。
猛スピードだ。
乗用車、トラックだろうが何だろうが全ての車を追い越し始める。
前方がよく見えるのでスリル満点。
山道でバスチェイスを始める。
正気の沙汰とは思えないが、結局抜き去ってしまった。
荒いというか見事というか、ネパールに行った時も感じたが、地元のバスは強い。

景色はここがアフリカだと思えないような雪景色に変化していく。
退屈する暇はない。
山の土は赤い。
家も同じ赤土でできているようだ。
赤土レンガとか土をこねて作っているのであれば材料は無限にありそうだ。

オートアトラスは、4000m級の山を擁する山脈だが、今一体どのくらいの標高を走っているのだろうか。
現れてくる雪山の景色に乗客が息を飲む気配が伝わってくるようだ。

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やがて途中の村々を経て徐々に景色が変わってくる。
雪が消えてきた。山脈を越えつつあるのだ。
そしてカサブランカからの車窓に見られたような土漠地帯となってくる。
緑は例のサボテン。
そして、それも無くなってくる。
時々広葉樹が生えているところはオアシスなのだろうか。村がある。

テーブルマウンテン
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バスは相変わらずぶっ飛ばす。
前を行く車をことごとく挑発し抜き去ってしまう様は、猛獣が草食獣を襲うような印象を与えるのだ。
肉食獣バス!!!
車内に流れるアラビアンミュージックでうとうとしているうちに、徐々に砂漠地帯に入りつつあるようだ。

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大きい街では乗客の乗り降りがあるが、指定席なので混乱はない。
が、地元の人、特に女性はこういう荒っぽいバスには弱いようだ。
次第にゲロゲロの声が聞こえはじめる。
ただ、予め分かっているらしく準備に怠りもないらしい。

ワルザザートの街は映画の砂漠ロケ地として有名。

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ロケで使われているアトラスコーポレーションスタジオは誰でも見学可能。

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16時頃、街外れのドライブインで大休止。
ここがどうやら昼食のようで、皆食事を始める。
出発してから8時間もたって食事休憩というのは日本の感覚からすれば随分時間が開くとも思うが、こちらにはラマダンという制度もあるので、このくらい間隔があってもどうということはないのか。

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すっかり荒野の一本道と化した道路をバスは再び猛スピードで走り始める。
変化のない景色と地平線に向かう何10kmも真直ぐな道路。
距離感とスピード感が分らなくなってくる。
更に日が落ちて真っ暗になると尚更で、遥か彼方に見える対向車の灯りが幻のようだ。
近づいて来ると真直ぐにぶつかってくるような錯覚すら覚えてしまう。
そんな中を相変わらずの猛スピード。
慣れていなければ絶対できない運転だ。
列車に乗っていた時も感じたが、何だか段々と気が遠くなっていくような感覚。

そうこうしているうちに、エルフード到着。そしてリッサニ着。
もうすぐの筈だ。
地元客もほぼ降りてしまう。
21時40分頃ハシラビト村着。
暗くて周囲の様子が良く分からない。
が、事前の連絡通りオーナーが迎えに来てくれたのでありがたい。
T君と宿に入って夕食のタジンをごちそうになる。美味しい。

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素朴なゲストハウスだが、とても広い。
今日は我々2名しか客はいないようだ。
13時間強のバス旅。
とにかく疲れた。
今日も酒抜き。
これはモロッコを出るまで本当に禁酒かも。

2016年04月05日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第4章 2/25ハシラビト →砂漠

第4章 2/25 ハシラビト→砂漠

モロッコは朝晩と昼間の温度差がかなりある。
夜は毛布を何枚も重ねて寝ないと寒いが、日中はTシャツ1枚の陽気になる。
昨日は夜着だったので食事をしてすぐ寝てしまった。

昨晩は暗くてわからなかった風景を見る。

ホテルの建物は土とわらが混ざったような外観。

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土の煉瓦でできているのだろうか。雨が降ったら溶けてしまいそうだ。もっとも雨は降らないが。

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内部はとても広い。中庭を挟んで客室がある。
キッチンも自由に使える。

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宿の屋上へ登る。土でできているのだろう、足元がふかふかとする。
赤い砂丘が見える。
何だか絵に描いたようだ。
自分の中の現実のイメージとしてまだ把握できないのだ。
想像できない風景が広がっている街だ。

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今日は、モロッコの旅で一番楽しみに思っていた砂漠への旅だ。
砂漠の寒暖差はさらに極端と聞いているので、服装を考える。
着脱が楽な重ね着が良いと判断した。

スタートは16時ということで、まずは洗濯。
さすがに砂漠の街だ。
洗濯物はあっという間に乾く。
今朝早くバスで到着した卒業旅行二人組の日本人女子とも挨拶を交わす。
今日の砂漠ツアーに参加するという。

洗濯機は最新型

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出発まで街を散策、といっても狭い街だし、高い建物はモスクしかなさそうで見通しが良いので迷うことはない。
ハシラビト村の街並みは、アフリカの田舎の風景。
土でできた家々、モスク、彼方に広がる地平線。
幹線道路からの一本道で村の入り口、中心部にあたる場所に入ってくる。
素朴な商店が何軒かあり、ホテルやロッジもわりとある。
各々砂漠ツアーをやっているようだ。
観光業で成り立っている街のようだ。

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こちらは普通の煉瓦だ。

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お昼に食べたサンドイッチはいつものモロッコパンに具を詰め込んだものだからすごいボリューム。
これで15DH(約180円)は安い。

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Wilderness Lodgeのオーナー、オマルさんは日本語ができるので、日本人旅行者が多いようだ。
そういえば、世界中にいると言われる中国人旅行者を全く見かけない。
日本人は結構いるようだ。
日本語が少しわかるモロッコ人もいる。

そうこうしているうちに出発時間の16時。
車か何かで駐ラクダ場へ行くのかと思ったら、宿のすぐ裏手にラクダが待機していた。

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ガイドでラクダ使いのユセフさん。
実は、ユセフ・カレーライス・カルロスという。
つまり、日本人、スペイン人に好まれる名前も付いているということらしい。
「ラクダは楽だ」などと変な日本語をしゃべるベルベル人。
ツアーの客は同じ宿の日本人、同室したT君と卒業旅行二人組女子。

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ラクダはよく言われるような乗り心地の悪いものではなかった。
ただ、T君はまいっていたようだからこれは小生だけの印象か。
女子たちは大騒ぎで自撮りなどしている。
先導するユセフも若い女の子たちがはしゃいでくれて楽しそうだ。

村をスタートするとすぐに砂漠に入る。

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まったく初めて見る景色に現実感がわかない。
遠くの砂山は映画でしか見たことのないもの。
日の当たり方によって砂山の色が変わる。
白い雪山に見えたり、真っ赤になったりする。

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実際の砂は赤っぽい茶色でものすごく細かい。まるで黄な粉のようだ。
尾根の部分が鋭角になっていて、まるで魚の背びれのように見えたりする。

フンコロガシがいっぱいいる。

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ラクダの乾燥した丸い糞を本当に転がしている。
初めて見る風景が続く。
砂山をどんどん乗り越えて進んでいくので、登りの時は体の重心を前に、下りの時は後ろに置くようにユセフから指示があった。
下りの方がきつい感がある。
ラクダの背は地上から2mくらいの位置にあるので、変な落ち方をしたらただでは済まないような気がする。

どこをどう歩いてきたのか皆目わからないが、一時間半ほどでキャンプ地到着。

駐ラクダ場にラクダを停止させる。

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周りにも何棟かキャンプがある。
オアシスでも何でもない砂漠の真ん中だ。
鉄パイプで基礎を組んで厚い布で周囲を囲った四角いテント。テントのイメージではないが。

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内部は結構広くてベッドが2台は入る。

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テントで四角く囲んで出来た中庭は集会スペースのようだ。

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別棟で食堂棟、調理棟、トイレがある。

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右側にポツンとあるのがトイレ。

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定員は結構多そうだ。
電源はミニソーラー発電機。なるほど。
客は我々4名と他ツアーの若者男性2名にカナダ人夫婦。
水は貯めたものしかないので飲料以外は無いようだ。
手洗い、歯磨き、シャワー等一切なし。
アルコール除菌ティッシュと芯抜きトイレットペーパーを準備してあったのでこれが重宝しそうだ。

到着して食堂棟でお茶。

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酒を飲まないので、この甘みを加えたお茶を頻繁に飲むのだが日が経つにつれて美味しさが増してくるように感じられる。
そしてここではオレンジジュースではなくて、日本サイズのみかん。
日本の物より皮は固いがとても甘い。
これをぜいたくに使ってあの美味しいオレンジジュースを絞っているわけだ。
ユセフともう一人のガイドのハッサン。
二人はとても気さくなベルベル人だ。
ユセフは陽気で気さくな中に少しの寡黙さがある。鳩間人を思い出す。

今日の砂漠は風一つ、雲一つない。
18時半頃から日が暮れ始める。
砂漠が赤く染まる絶景。

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それに連れて温度がどんどん下がり始める。
もはや半袖は不可能。砂が冷たくなってくるのでサンダルも寒い。
日中の暑い空気をテント内にため込んでおくことの訳が分かる。
星が徐々に出始めてきた。

夕食はタジン鍋。

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大きなタジン鍋は山状に盛り上がっている。
中心部は鶏肉、ポテト、周りはキュウリ、ナス、トマト、ピーマンで覆われていて沢山のスパイスが効いている。
それにパンとスープとみかん。
結構な量だ。
野菜が沢山なところがうれしい。

美味しくいただいた後、外へ出ると星がすごいことになっていた。
今晩は、満月に近いので月が上がってくるまでの星の鑑賞。
プラネタリウムでしか見たことのないような星、いや、鳩間島の良く見える時期の星が近いかも。
星に詳しくないのでよく分らないが、詳しい人だったら大喜びだろう。
そうこうしているうちに食堂棟の前でたき火を囲んで打楽器セッション開始。
ユセフとハッサンが中心となって他のキャンプからもベルベル人がやってきた。

早速混ぜてもらった。
構成は、二連の太鼓と金属製カスタネットのような楽器と、拍子木のようなものとジェンベ。
小生は二連の太鼓を担当した。
2拍と3拍が交錯するポリリズム的なものが多いようで、時折日本の民謡で聴くようなフレーズも出てくる。

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セッションは、ユセフがきっかけのフレーズを出して全体の流れをコントロールしていく形で進む。
ユセフの手元を見て音を聴きながら合わせていく。
細部を聴くと複雑なことをやっているように聴こえるが、大きく間をとって聴くとリズムが見えてくる。
突出したことはやらずに皆に合わせる感じで叩いていると次第にノリが出てきた。
後はいつものセッションの感覚だ。
いつも思うのだが、音楽の素晴らしさは人種や国境を越えて親しくなれる共通語だということだ。
ベルベル人も相当な音楽好き。すぐにうちとけた。
いつものセッションと同じように、うまくいけばたたえ合う。

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夜は更けていく。
今日も酒抜き。
それでもこんなに楽しい。
慣れてきたのかもしれない。
セッションは22時過ぎまで続いた。
小生だけが2泊3日。
明日もまだいるのだから明日もやろうぜということになった。

2016年04月13日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第5章 2/26 砂漠

第5章 2/26 砂漠

朝8時のバスでマラケシュへ移動するということで、卒業旅行女子2名は早朝に出発したようだ。
夜明け前に起きて砂漠の朝日を見る。
砂漠というのはとても静かなもので、静けさに圧迫感がある。
朝日が昇る前、白く見えた砂漠が赤くなっていく光景は見事だった。

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7時過ぎにはガイド達が皆を起こしてまわり、もう一泊する小生とラクダを残してみな出発した。

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ラクダとここで待っていてくれと言われて居残り。
残されたラクダは昨日乗ってきたラクダと違う奴で、格好もなかなか良いしおとなしくてよさげに見える。

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砂漠に来てからデジカメの眼が半開きになったりしている。
あまりに細かい砂のせいだ。
良いカメラを持っている人はビニールで覆っている。

飲料以外に水を使えないので顔はウェットティッシュでふいて、歯磨きはなし。
明日戻ってから洗濯をすればよいわけだから服は着続ける。
ただ、早朝までは日本の真冬の寒さだが、日が上がってくると、どんどん気温が上昇して真夏の暑さになるので着脱が楽な服装にする。
靴はウォーキングシューズ、サンダルでは砂に沈んでしまう。
パンとジャムとお茶で簡単な朝食。
このオレンジジャムがまた美味しいのだ。

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もう誰もいなくなったキャンプの戸締りをして、小生、ユセフ、ラクダで出発。奥地に向かう。

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時々現れるキャンプを横目に見ながらどんどん進む。
しかし、慣れているとはいえ、この何の目印もない砂漠をユセフはどのようにして道を把握しているのだろう。
ラクダの足跡やサンドバギー車の跡が沢山付いているところはルートだと分るが、ちょっと風が吹けば消えてしまうのだ。
彼曰く、頭がGPSだそうだ。

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ラクダの乗り方にも慣れてきて快適になってきている。
狐の足跡が目立つ。
時々群れで現れるヤギは野生だろうか、飼われているというには牧童の姿が見えない。

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周囲は絶景としか言いようがない。
まず日本ではあり得ない風景だ。

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進むこと約2時間強、ポツンと黒い物体、オアシスの村が見えてきた。

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その裏手には高い砂の山がそびえている。
あれを登れと言う。もちろん徒歩で。大パノラマだと言う。
マジですか。

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オアシスというのは、イメージしていた通りのもので、砂漠の真ん中にいきなり広葉樹が茂っている場所だ。
砂漠でも良く分からないような草が少し茂ったりしている場所はあるが、オアシスは緑があるから良く目立つ。

泉があるわけではなく、井戸がある。飲めると聞いた。

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今は世界中から観光客が来るから、調理場兼事務所のようなパオと暮らせるキャンプが密集している。
パオでは食事を提供したり、サンドモービル観光とか色々とやっているようだ。
人里から一泊で来られるアルジェリア国境に近いこの辺りは、観光でサハラ砂漠を訪れることが比較的容易にできるところだ。

パオの内部
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元々、このオアシスで暮らす人々はノマドと言われ、このオアシスでは二家族いるようだ。
その家は、色々なものを寄せ集めた、言い方はあまりよくないが、日本でいえばホームレスの家のような住宅だ。
ロバで水を運搬したり、残飯を処理したり、ヤギを飼育したりして生計を立てているようだ。

ノマドの家
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我々がパオに到着すると、ノマドの子供たちだろう、小中学生くらいの年齢の女の子が2名、段々と近づいてきて、リュックから手作り小物を広げて店を出し始めた。
可愛らしい民芸品らしいので買おうかなと思って、値段交渉。
20dhでまとまって、財布を見たら小銭が12dhしかない。あとは400dh。
残念だけど小銭がなかったと言うとそそくさと店をたたんで引きあげる準備をしている。
待って、12dhで売っていいと思う物をおくれと言うと、女の子はちょっと迷って初めに20で買おうと思ったラクダの人形をくれた。
ああ、もっと小銭があればよかったのに。
お礼に日本から持ってきていた3色ボールペンをあげた。

12時に昼食にするのでそれまで自由だから大砂丘を登って来いとユセフ。
下から見上げると遠近感が曖昧になって高さが良く分からない。
200mくらいあるのだろうか。
見た目よりは厳しくない登りだが、若干足が砂に沈み込むのが難点ではある。
頂上と思われるところへ到達すると、さらにその先がある。
鋭角になっている尾根をどんどん進むと下に見えていたオアシスがやがて見えなくなった。
40分くらいかかって頂上に到達。

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もう目につくところに人工の物は見えない。
その絶景は筆舌に尽くしがたい。

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遠くに見えるアルジェリアの台地
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確かにユセフが言っていた通りの360度の大パノラマ。
モロッコの台地から地平線、そして南側にはアルジェリアの台地まで見渡せる。
周囲に人の気配はなく、音は風の音だけ。
こんな景色を見たことは今までになかったし、この先あるのだろうか。言葉を失うしかない。
座って30分ほどボーっとしていた。

後ろ髪を引かれる思いで11時30分頃下山開始。
一気に斜面を下まで駆け下りるという荒業もありそうだったが、危険そうだ。
来た道を引き返す。

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それでも20分ほどで下りてくることができた。
これは本当に見ることができてよかった。
二泊三日にして良かったとつくづく思った。

昼食はモロカンサラダ缶詰イワシ乗せとパン、結構いける。

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昼食後の散歩をしていると、ノマドの家のお母さんが子供たちに早く行けとせかしている。
先程の女の子とさらに小さな子が二人、我々のパオに向かっている。
白人の4人家族の観光客がサンドバギー遊びをしていて、パオでお茶をするようなので、例の土産物を売りに行くのだ。
白人家族はフランス人かと思ったらラバトから来たと言う。
同国人でもこれだけ違うものなのかと素朴な感情を抱いてしまう。
ノマドに生まれた子は同じような生活を送るのだろうか。
もう小銭はない。
もう一本ペンがあったので、小さい子にプレゼントした。
白人家族には見向きもされなかったけれど、二人ともなんだか楽しげな様子で笑顔を返してくれたので良かった。

休憩していると、いきなり風が出てきた。段々強くなる。
屋外で敷いていた敷物が飛んでしまう。
横殴りの砂。
パオに避難。
天気が悪くなりそうなので、予定を30分早めてキャンプへの帰路につく。

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天候が悪くなっても雨は降らない。その代りに横殴りの雨ではなく砂。
周りが見えなくなったり、砂が細かいので鼻や耳に入り込んでくる。
ひどい時は立ち往生。息ができない。
それでも何とかしのいで進む。
何だか地形も変わっているようだ。
ユセフは急いでいるのだろう。行きよりも厳しいルートをとっている。

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急な下り坂に来ると、ラクダが一瞬「え、本当にここを行くの!!」という感じで立ち止まる。
すぐに行くのだが、この一瞬の躊躇とも思える間が面白い。

このラクダというものは不思議な生き物だ。
目が良いらしく遠くからでもこちらの気配を感じ取り見つめてくる。
長い睫毛が砂の侵入を防いでいる。
性格は温厚でー中にはそうでないものもいるらしいがー、文句も言わず荷物や人を運んでくれる姿はとてもけなげに映る。
牛のようにしょっちゅう反芻していて、時々ヴォー!!などと言う。
脂肪をため込むことができるのと血液中に水分を取り込むことで何日も飲み食いせずに動けるので、砂漠に適した生物の筆頭だ。
その代り水を飲むときは一気に80リットルくらい飲むらしい。
砂漠を走れる車が登場する前は砂漠の主な運搬機関だった。
湿気があるところに来るにつれて、これがロバに変わってくる。
群れで行動するらしく、今朝も1頭だけ残されるときは不安な様子でついて行こうとしていた。
主人の姿を見て安心したようだった。
こんなラクダとユセフを頼りに、砂嵐もどきの横殴りの砂に往生しながらようやくキャンプにたどり着いた。
今日はこれからあと8人到着するとのこと。

キャンプもひどい風でジュータンは直しても直しても飛ばされてしまうし、あまり外にも居れない。
ユセフと片づけをする。
どこかの民宿みたいだ。
そのうちにご一行到着。
ポーランド人6名、日本人2名でいずれもカップル。皆若い。
昨日のガイドのハッサンも同行している。

夕食は昨夜と同じタジン。
二人分くらいありそうだ。

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今夜はまだ風が強くて外では遊べそうにない。
食堂でタイコで遊んでいた連中が飽きて星を見に行ったあと、ユセフ、ハッサン、小生でセッションを始めた。
段々盛り上がってきたら外に出ていった人達も入室してきた。
皆に楽器を渡して楽しむ。

楽器
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ユセフはフィニッシュに近づくにつれてテンポが速くなってきて、最後はついて行くのがやっと。
このリズムはサンバに通じるところもあるようで何だかとても馴染める。
合わせると言っても同じフレーズでついて行くというところまでだ。
ただ、あまり余計なフレーズを差し込んだりはしない方が良いような気もするし。
何だかもっとセッションを続けたいし、きちんと勉強してみたい気もする。
でも音楽の楽しさ、コミュニケーション力は世界共通。
今夜も楽しんだ。

今日は広いテントに小生一人。
風は強いが快適に眠ることができそうだ。
禁酒もちっとも気にならなくなってきた。

2016年04月21日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅  第6章 2/27 砂漠からフェズへ移動の筈が・・・・・・・・・

第6章 2/27 砂漠からフェズへ移動の筈が・・・・・・・・・

今日は、砂漠からハシラビト村に帰還して夜行バスでフェズに向い、明日早朝に到着という予定だ。

キャンプへ来て、ベルベル人達からよく聞く言葉で「インシャラー」というのがある。
セッションでうまくいった時とか、物事を肯定的にとらえるときに使っているようなのだが、調べてみると、日本語訳は「全ては神の思し召しのままに」ということみたいだ。
沖縄のなんくるないさー的意味もありそうだが、イスラム的には実は深い言葉であるかもしれない。
しかし、気楽に使っている。

昨日あれほどひどかった風はすっかり収まっていた。
無音の夜明け。

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駐ラクダ場
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しばらくして小生一人を残してツアーの人達は出発していった。
一頭だけ残されたラクダはちょっと不安そうな感じでついて行こうとするが、足を縛られているので動けない。
小生の姿を見て少し安心したようでおとなしくなった。

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このラクダは若いのかもしれないが容姿がとても良い。大人しくて、いうことをよく聞くとても良いラクダだ。
飼うんだったらこういうラクダがいいな。
ただし、この辺りではラクダは車より高いそうだ。

ユセフが料理テントに呼んでくれて、パン、ジャム、、ヨーグルト、お茶の朝食。

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この甘いお茶はモロッコに入国してからずっと飲み続けているが、日を追うごとに美味しく感じられてくる。病みつきになりそうだ。
これがあるからアルコールがなくても大丈夫ということもあるのだろうか。
砂漠の飲料は基本的にはこれのみだ。
キャンプの戸締りをして出発。

とても充実したツアーだった。
一番の要因はユセフというガイドに当たったことだろう。
外見は陽気、少し寡黙、音楽好き、気遣いが日本的・・・・・・鳩間人に似ている部分があるのかもしれない。
朝食のテントでは、自分の家族とか友達、生活の写真を沢山見せてくれた。
イスラムではあまり好まれない個人写真も撮らせてくれた。

ユセフ・カレーライス・カルロス
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帰路はもう完全にうちとけて、二人とラクダで歌を唄いながらの道。
もう三日目なので、ラクダの乗り方も随分慣れた。
大砂丘からの景観は一生ものだった。
ハシラビト、メルズーガで砂漠ツアーは沢山あるが、このツアーは二泊三日で650dhと安いし、内容はとても充実していて本当に良かった。
砂漠のキャンプだから不自由は当たり前で、それを楽しめるか否かが重要だ。
無理な人はそれなりのコースもある。

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ハシラビト村が見えてきた。

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とても有意義だった砂漠のキャンプから帰ってウィルダネスロッジに戻る。
本来は今日の夕方発だから、もう部屋はない筈なのだが、チェックアウトした部屋はそのままになっていて出発まで自由に使ってくれとのこと。
こういうところも秀逸だ。
早速、歯磨き、洗濯、シャワー。
砂漠にいたときはあまり意識しなかったが唇がカサカサにひび割れている。

午後になって洗濯物も乾き始めるころ、いきなり風が強くなってきた。
外が茶色に染まってくる。
総じて建物の窓が小さい理由はこういうところにあるのだろう。
細かい砂が吹き込んできて砂だらけになってしまうのだ。
昨日からの悪天候はまだ収まっていないのだ。
そして、今日乗る筈だったSupra toursのフェズ行きが、アトラス山脈が雪のために出ないとの知らせ。
欠航だ。ここは鳩間島か !!!

オマルさんが代替手段を探してくれる。
隣町のリッサニまでタクシーで行き、そこからCTM(モロッコ国鉄)バスのフェズ行きに乗るというのだ。
上原航路が欠航で郵便船とバスで西表島・大原まで行って大原航路で石垣へ渡るというのと似ている。
これはラッキーということで出発の時間まで腹ごしらえをする。

宿のすぐ裏手の食堂兼土産物屋でタジン
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思ったよりバタバタと事は進んで、タクシーでリッサニに移動。
リッサニという町は暗くなってから着いたので全体像はよく分からないが、天気が悪く風が吹き荒れていたこともあって、埃とゴミが舞う古い街という印象だ。

夜の7時頃出発のリッサニ発のCTMバスに乗り込んで一安心。
バスは何ヶ所かでお客さんを拾いながら順調に運航しているかに思えた。
しかし、2時間くらい走ったある街のCTM事務所前で停車。
何やら車内が揉めだした。

CTM関係者と客が揉めているのだ。
フランス語とアラビア語が入り混じった結構激しいやり取りで、何が起こっているのか皆目見当がつかない。
バスは動きそうもない。
1時間くらいこんな状態が続いて、乗客が降りだした。
これはさすがにマズいぞと思って、一緒に降りて様子を探る。
英語が分かるCTM関係者がいて、アトラス山脈が雪でこの先へ進めないのだと説明してくれる。
そして、リッサニまで引き返すとのこと。
ここには明日の朝、10時に来る。リッサニは朝8時発ということだ。
しかし、もう夜の10時。リッサニまで引き返すと夜中の12時になってしまう。
果たして、知らない街で真夜中にホテルを探せるのか。
それともこの街にとどまってホテルを探すか。
思案のしどころだ。

係員に聞くと、リッサニまで戻ったら何とかなるだろうということだ。
埃っぽい街で真夜中に路頭に迷っている姿が一瞬頭をよぎったが、もう腹をくくるしかない。
不安がっても仕方がない。

リッサニに到着したのは予想通り、夜中の12時過ぎ。
もうバスには小生を含めて数人しか残っていなかった。
薄暗い街には人っ子一人おらず、埃とゴミが風に舞っている。
ものすごく荒廃した雰囲気だ。

係員はパノラマへ行けと言う。
どうもホテルパノラマということらしい。
そんな看板は全く見当たらないのだが。
同じ所へ向かう男性が一人と女性が二人いた。
どちらもモロッコ人だ。
一緒に行こうと頼んでホテルへ。

ホテルパノラマはCTM事務所から直線で200mほど離れた全く目立たない超C級っぽいレストランホテル。
これは自分一人では探せなかった。
一人しかいない係員らしい兄ちゃんは、運命だよと言う。
これはまさしくインシャラーということだ。
同行した男性はメクネス在住で砂漠ツアーをしてきたという。
お茶をごちそうになってレストランのソファに寝る。
毛布もあるし、トイレもある。
ひとまずは良かった。

早めの夕食だったがハシラビト村でとっておいてよかった。
そうでなければ空腹で眠れないところだった。
当たり前に続く禁酒。

2016年05月20日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第9章 3/1 シェフシャウエンからセビージャ・・・・さらばモロッコ

第9章 3/1 シェフシャウエンからセビージャ・・・・さらばモロッコ

6:45のバスに乗るべく早朝に起床。
昨夜買っておいたパンで朝食。
ハエがたかっていたけれど、別に気にならない。
とても美味しい。

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今日の移動は、アフリカ大陸のスペイン領、セウタで国境越え、地中海を渡ってスペイン入国後、バスでセビージャまで行くというかなり長い移動で、しかもかなり評判の悪いモロッコ出国とあてにならないと言われるフェリーの時刻等、関門の多そうな移動だ。
計画の段階では、セビージャ到着が真夜中になる可能性もあった。
とにかく、なるべく早く国境に着くことが肝心だ。

まだ明けやらないシェフシャウエンの街を広場に向かって歩く。
プチタクシーを見つけてバスステーションまで20dh。約5分。
まだ余裕だ。

ここで偶然、ハシラビト村で一緒だった卒業旅行のT君と遭遇。
CTMでカサブランカまで行くとのこと。
かなり時間がかかる筈だ。

僕の乗るバスは民間バス。
ティトゥアンまで乗せたり降ろしたりしながら、山間の道を約一時間半。
ティトゥアン到着。結構大きいバスターミナルだ。

バスはまだ先へ行くようだが、ここでひともめ。
払った運賃が安すぎると思ってはいたのだが、どうも係員が間違えていたらしい。
もう面倒くさいと思ったようだ。そのまま。
ここからは、グランタクシーでセウタ国境まで行けとのことだった。

グランタクシー乗り場はすぐみつかったのだが、乗り合いのメンツが集まらない。
通常の料金は20dhということだが、一人でもいいよということでボロボロのベンツのタクシーへ。
とばしにとばして、しかも高速に乗ったりして約1時間。
これはなんだろう。右側の車線が大渋滞。何時間もかかりそうだ。
これを尻目にタクシーはすいすいと国境に到着。

1時間も乗って、しかも高速料金も払っているし、これで20dhはマズいだろうと思って50を出すと、違うと言う。100だと言ってくる。
この仕事に対しそれはそうだろうと納得。
それにしても、タクシー乗り場のやりとりは何だったのか。
やはりある程度現金を残しておいて正解だった。

国境付近は色々な人がたむろしていて異様な雰囲気だ。
まず出国カード売りと代書屋の押し売りが多いと聞いている。

実は、モロッコに向かうエミレーツでモロッコ入国カードを何枚かもらっていた。
書き間違えたと言えば何枚もくれる。
で、よく見ると入国カード兼出国カードなのだ。
だから、予め出国カード作成しておいた。
これが大正解。
国境付近ではどこでカードの交付を受けるのか分らないし、記入するスペースもないし、この辺がトラブルの始まりになるらしい。

予め書いておいたカードで出国審査を通るか若干の不安を抱きつつ審査へ。
すんなり通った。
モロッコ入国・出国カードは機内で複数枚もらっておくことを是非お勧めします。

このあと3重くらいのチェックを受ける。
帰されるモロッコ人多数。
そして、一向に進まない車の大渋滞は、車で国境を超えようとする人達の大行列だったのだ。
一体あの渋滞はいつ終わるのだろうか。
歩いて国境を超える。

さらば、モロッコ。

懸念していた国境越えはすんなりといった。
そして、国境付近には闇カンビオ(両替屋)が多数いて、dhをユーロに替えてくれる。
dhはモロッコ国外では一切使えないので、ここでユーロに交換する。
電卓を持っていて意外と細かく計算している。
まあ無理に使い切ることはないということだ。

無事に国境を超えたのは良いが、ここからセウタ港フェリー乗り場まで結構な距離がある筈だ。
バスが停まっているので、港に行くか聞いてみる。
英語が通じない!!
ここはスペインだった。
スペイン語で「港」ってなんだったか。
とにかく、セントロを通るというバスに乗ってセントロまで行ってみる。

セウタはアフリカなのに飛び地のスペイン領。
確実に空気や街並みが変わる。
はっきり分かるのが交通マナー。
車の運転が穏やか。
歩行者を認めると車は必ず停まってくれるし、交差点では停止線の前できちんと停車する。
本国でもそうなのだろうか。

セウタの街
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セントロのバス停からフェリー乗り場まではなかなか分りにくい。
キオスクで聞いても分らないし、というか英語が通じないのだ。
モロッコではこういうことはなかった。
まあ海がすぐそこなのでそれらしき方向を目指していく。
時間もまだ早いし、晴天で暑くなってきた。
まだ余裕はある。
これも国境越えがすんなりいったおかげだ。

そうこうしているうちにフェリーのチケット売り場を発見。
そこからは案内人もいてすんなりといく。
この時点で10時。
出航は12時だからまだ時間はあるなと思っていたら、早くも乗船の列。
出航まで1時間以上もあるのに、既にエンジンはスタンバイしている。
もしやと思ったら、案の定、ここは地続きなのにマドリッド時間。1時間の時差があるのだ。
何だか変な話だが早めの対応をしておいて良かった。
マドリッド時間の12時に出航。

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船内
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さらば、アフリカ大陸。
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大きくて豪華な高速フェリーで約1時間。もうアルヘシラス港に着いてしまった。
きちんと整備された街並み、石畳、古い建物、まぶしい陽光、ヨーロッパだ。
港から出た景色がどこかの港に似ている。
鹿児島港だ。

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港から長距離バスターミナルはとても簡単に行けた。直進しただけ。
鉄道駅も近い。
昨日の予想では、ここに夕方着いてセビージャ着は深夜になると踏んでいたけれど、まだ13時。
セビージャ行きのバスは14:30発なのでまだ明るいうちに着けそうだ。

バスターミナル併設のBarで昼食。
セルベッサをぐいっといきたいところだが、セビージャまでバス3時間。
今までの経験上からここは我慢。

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バスターミナル
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ゆったりしたバスはアンダルシアの農村、畑、地平線、風力発電、高圧線鉄塔等の長閑な風景の中を時折現れる街に停車しながら走っていく。
快適な運転だ。
眠くなってくる。

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高速道路もタダらしい。
17:30頃セビージャ到着。
まだ真昼間。

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街のすべてが歴史的建造物のような初めての風景に何だか気分が高揚してくる。
セビージャ大学前の歩道はBarと化していて、まだ日は高いのにみなワインやビールをガンガンやっている。

とにかく荷物をホテルへ置いてからだ。
天気も良いし景色も良い。
オフラインでも役に立つグーグルマップを見ながらゆっくりとホテルを目指す。

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闘牛場
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大きい通りは路面電車が通ったりしていて比較的真直ぐなので分りやすいのだが、大通りから中に入ると迷路状態。
まあこういうことにも慣れた。
街の西側に流れる大きな川、カテドラル、サルバドール教会を目印にするとすんなり着けそうだ。
ホテルはとても良さげな路地を入ったところにあった。
グーグルマップのおかげですんなり到着。

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入り口こそ狭いけれど、中はとても広い。
部屋もツインで、広く天井が高くゆったりしていてエアコン完備、たっぷりのホットシャワーでとても快適だ。
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ひと汗流してから、まだまだ明るいので近所の街歩きへ。

朝食場所も兼ねている向かいのBarで久しぶりのセルベッサ
うまい!!!
久しぶりのアルコールは、酔いを早くするような気がする。

外国人が京都の町を歩くとこんな感じなのだろう、全ての街並みが絵になるような気がする。
気軽に酒を買えるような店がなかなか見当たらない。
ホテル近くに中国系のミニスーパーがあったので、そこでようやく買えた。
赤ワインが500円しない。
とても安い。

夕食は、まずはBarへ行ってタパス料理とセルベッサを楽しむ。
これで結構お腹ができてくる。

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仕上げはホテル向かいのBarで。

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ホテルへ戻ってワインを楽しむ。
赤は冷やさなくても良いし、開栓しても却って味がまろやかで旨くなるような気がして気楽で良い。

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今日は、予定では一番過酷な移動になる筈だったのだが、関門をすんなりクリアできたおかげで、明るいうちにセビージャに着けて本当にラッキーだった。
ただ、朝は5時起きで、何キロくらい移動したのだろうか。
さすがに疲れた。
明日は、このために一泊するフラメンコを見聞しに行く。

明日がとても楽しみになってきた。

2016年05月27日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第10章 3/2 セビージャ

第10章 3/2 セビージャ

朝食はホテルと契約している向かいのBarで摂る。
パンとトマトとジュースの極めて軽い朝食。
今までずっと朝食は軽かった。

まずは明日の早朝行かねばならない長距離バス乗り場の確認へ。
アルマスの乗り場はホテルからすぐ近くの西にあると思われるのだが、西に流れる川の風景がとてもきれいだったので、橋を渡ることにした。

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旧市街とは異なって生活感のある下町だ。
大きめのメルカードがあったので入ってみた。
普通の光景なのだが、これも面白い。

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川にかかる橋自体も美しい。
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街全体の建築物が様式美で満たされていて、どこを取っても絵になる。
ゴミもほとんど落ちていなくて清潔な感じがする。

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バス乗り場は川の手前の大通りを右折すればすぐに分かった。

さて、次は今夜はフラメンコのショーを見聞したいので、昨日ホテルマンに勧められたMuseu del Baile Flamenco(フラメンコ博物館、MBFと略す。)に行ってみる。

この街も地図で見ると迷路のようになっていて、わりと難しそうだ。
ただ、どこを迷っても絵になる風景ばかりで、ため息が出てしまう。
外国人から見た日本の旧市街地の印象と同じようなものなのだろうか。
迷い歩くこと自体はとても楽しいのだが、ホテルから目的地に時間通りに到達できなくては意味がないから、ある程度ランドマークを決めながら歩く。

一番分りやすいのが、川、市電。
ホテルから近所で目に付きやすいのが、サルバドール教会。

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サルバドール教会。
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この辺りをうろうろしているうちに壮大な建物の広場に出た。
カテドラル、大聖堂だ。息を飲むような光景。
馬車が沢山停まっていて、騎馬警官もあちらこちらにいる。

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何だか美しいギターの音色が聴こえてきた。
BGMでも流しているのかと思ったら路上のソロギター演奏。
基本はフラメンコだが、モダンな響きに聴き惚れてしまった。

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変則チューニングも多用して、モダンフラメンコとでも言えば良いのだろうか、テクニックも素晴らしかった。
CDも売っていたので購入した。
カテドラルの雰囲気と素晴らしく溶け込んでいた演奏だった。
この街から産まれた音楽だから。
ラップミュージックは絶対に合わない。

楽しく街を歩いていてもまだMBFは見つからない。
結構分りにくいのだ。
グーグルを頼りに何回かチャレンジしてようやく発見。

博物館というよりは、ミニ劇場に資料館部分が付属しているといったところ。
資料館部分は大したことはないのだが、ミニコンサートの会場としては良さげだ。
本日のショーは3回。
内容1時間くらいの入れ替え制だが、中でも19時からのショーが面白そうだったので予約した。
料金は20€。

ステージ、何やら期待させるオブジェだ。
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展示品
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気が付いたらもう13時半頃。
お腹がすいた。
MBF近くのBarでタコのタパスとセルベッサ。
本当にこのBarというものは便利なものだ。
食べる量が調整できるし、ビールも美味しい。

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闘牛の国ということか。
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さて、これから歴史地区を歩いてみて買い物でもしながら17時頃に一旦ホテルへ戻って出直して来よう。
トイレは、店にもあるが、昨日着いたサン・セバスチアンのバス乗り場に立派なものがあった筈だ。
丁度そっちの方は見どころも多そうだ。
路面電車が良い目印になる。

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ほどなく、Plaza de Espanaに出る。
全体が公園になっているようで、散歩やジョギングをする人達も多い。
とにかく広い。

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背後の宮殿だろうか、見ごたえがある。
いたるところにあるタイルの装飾が特徴的だ。

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この辺りはモロッコで見てきたモスクの建築様式と似ている気がする。
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日が昇ってくると暑くなる。
空気が乾いているので、日陰に入ると涼しくなる。
Tシャツ1枚でOK。
そういえば、日向と日陰は温度だけでなく明暗の差も相当あるようで、日陰に来ると点灯する車を相当見かけた。
すごいマナーだ。

あまりに気持ち良くなって広大な広場の噴水のあたりで横になって、しばし日向ぼっこ。

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セビージャという街は完璧なほど歴史的建造物保全がなされていて隙が無い。
国内からの観光客も多いようだ。

Plaza de Espanaですっかり寛いでしまってこのままショーに行こうかなとも思ったが、やはり一旦戻ることにする。
歩き回ったおかげでMBFとホテルは結構近いことが分かった。

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不思議な大道芸。
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クラシックカーのタクシー。稼働しているのだろう。
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いつも一日歩き回るとその街の全体像が見えてくる。
たっぷり一日はかかるのだ。
ただし、砂漠では見えなかったが。
見えてきたあたりで次に移動しなければならないのがちょっと残念ではある。

MBFも結構人気らしいので開演30分前には行っておいた方が良さそうだ。
併設Barも18時にはオープンしているらしいし。

今度は迷わずにすんなりと行けたMBF、案の定7割り方席は埋まっている。
運良く最前列の席を確保できた。

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開演時には満員。定刻にショーは始まった。

司会者が登場し、ユーモアたっぷりに何か国語かで「こんばんは」とやって、スペイン語と英語で解説を始める。
メンバーは、ギタリストが1名、カンテ(歌い手)が1名、バイレ(踊り手)が男女1名づつの計4名。

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ソロギター
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ギターは、カテドラル前で聴いたように変則チューニングありモダンなコード満載のモダンフラメンコで、とても新鮮な響きがする。

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踊りも予想していたものより激しいもので、舞台上の埃がこちらに飛んでくる。
男女ペア、男女各々のソロ、ギターソロ、カンテとギターのデュオとバラエティーにとんでいて飽きさせない。
特に音楽性が素晴らしい。
これはかなりグレードの高いショーとみた。
1時間たっぷり見、聴かせてくれて、とても満足した。

フラメンコも奥が深い。
現代性が反映されていてモダンフラメンコと呼ぶべきだと思った。

帰り路、カテドラルがライトアップされていたので寄ってみた。
この辺り19時頃はまだ明るくて、20時過ぎないと暗くならない。
昼が遅いということもあるのだろう、人々が繰り出してくる時間が遅いのだ。
21時~22時頃はまだ宴たけなわ。
店は当然のように歩道を席として占拠する。

ライトアップされたカテドラルは息を飲むような美しさだった。

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セビージャは本当に美しい街だ。
計画では、モロッコからポルトガルへの旅程の途中で、フラメンコショーを見たいという思いで二泊することにしたのだが、来て良かった。
今回、スペインは二泊だけだったが、次に来るときはゆっくりと滞在したいものだ。

スペイン最後の夕食はやはりパエリアだろう。
ホテル近くのBarで、イベリコブタ、イカ、エビのミックス。
米は歯ごたえがあるが芯はない。
味付けがとても良くて美味しかった。

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オリーブの漬物はモロッコで散々食べて、これでビールを飲みたいと思っていたのだが、ようやく実現した。
やはりとても合う。

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明日は、7:30発のバスでポルトガルのファロまで移動して、ファロから列車でLisboaに移動する。
これも結構な距離の陸路移動だ。
明日は5:30起き。

朝食のパンと飲み物を買って帰る。

2016年06月02日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第11章 3/3 セビージャからリスボン

第11章 3/3 セビージャからリスボン

今日は、セビージャを出発してバスでポルトガルのファーロまで行き、更に列車でリスボンまで移動するという行程だ。
昨日調べてあったArmasの長距離バス乗り場から7時半のバスに乗る予定。

5時半には起きて昨夜買ってあったパンで朝食を済ませる。
6時半頃ホテルを出発。まだ真っ暗。
6時45分頃には長距離バス乗り場に到着。とても立派な建物だ。
バス会社DAMASの窓口はまだ閉まっている。

7時に窓口が空いてチケットを購入。
モロッコ入国以来ここまでかなりの距離をバスで旅してきたが、今日でバスの旅も終了する。
ポルトガルに入ってからは列車で移動する予定だ。

さて、定刻に出発したバスは、アンダルシアの長閑な風景の中を快調に走って、ポルトガル国境付近のアヤモンテに到着して小休止。
ここでほとんどの乗客は降りてしまう。

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国境ではポルトガル警察が乗り込んでくるがパスポートをチェックするだけの簡略さ。
さすがシェンゲン協定加盟国だ。
テロリストが入国するのは防げないだろうな。

ポルトガル国境
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無事ポルトガルに入国して、10時半頃にはファーロに到着した。
とても良い天気で暑くなりそうだ。

早速鉄道駅へ列車の時間を確認しに行く。
すぐ近くに鉄道駅はあった。
とても立派なバスターミナルに比べると、あっけないくらいの田舎の駅。

ファーロ鉄道駅
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リスボン行きは13時55分。
3時間以上あるので、ファーロの街を散策することにする。
しかし、荷物があっては動けないのだが、運よく隣接する観光案内所で荷物を預かってくれるサービスをしていた。

ファーロは海辺のリゾート地。
ヨットハーバーには多数のヨットが係留し、海辺にはリゾートホテルもある。
葉山とか逗子あたりの印象だ。
ポルトガル国内からの観光客も多そうだ。

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ハーバーを歩いていたら、遊園地の列車型市内周り観光バスがまさに発車しようとしている。
時間も限られているし、これは渡りに船と乗車させてもらった。
3両編成でおばさんが運転してゴトゴトと道を走ってスポットに来ると停車する。
観光案内のアナウンスが流れて、のんびりと過ごすことができて、これはなかなか良いアイディアだと感心した。

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歴史的建造物は地味だなと感じるが、セビージャからやってきた直後だから当然そうなる。
旧市街に通じる門から入って、新市街地へ周って行く。

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ファーロはとてもこじんまりした街だが、新市街地は近代的な建物も多くビジネス街という印象も受ける。
ひなびた旧市街地と近代的な新市街、立派な長距離バス乗り場と田舎駅という面白いバランスを保っている。

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小一時間の観光を楽しんで、お昼はハーバーの周りのレストランでいただく。
陽光がとてもまぶしい。
海辺のリゾート地だ。

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海岸線沿いを列車が走っている。

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そうこうしているうちに13時をまわったのでそろそろ駅へ行ってみる。
既にリスボン・オリエンテ行きは入線している。
インテル・シダーデ(I.C.)という立派な名前の急行列車だが、3両編成の地味な車両だ。
電気機関車が牽引する。

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海側に停まっている列車は落書きだらけ。

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定刻に発車。
約4時間の列車の旅だ。
スピードは相当出ていて、早い時は時速150~180km位は出ているのかなと思う。
ただ、牽引されての高速運転なのでかなり揺れる。
特に減速する際のガクガクとくる揺れはあまり心地よいものではない。

リスボンに近づくにつれて、建物、列車、壁等いたるところ、また橋の側面とかありえないところに意味不明の落書きが目立つようになる。日本でも時折見かけるやつだ。
駅近くは落書きオンパレード。
落書きの街だ。

18時頃リスボン・オリエンテ着。

オリエンテ駅
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ここからメトロのブルーライン(地下鉄は赤、青、黄、緑の4つの路線なので分かりやすい。)に乗り換えてアベニーダ駅まで行くという簡単な行程なのだが、切符の買い方が良く分からない。
紙のカードを買うのだが、何種類かあって迷う。
居合わせた青年に聞いて買うことができた。

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さて、アベニーダ駅で降りて、リベルダーデ大通りから二本目の裏道をちょっと登った方向にホテルはある筈で簡単に行くことができそうなのだが、グーグルがまさにここだよと示している処には、ホテルらしきものは一切見当たらない。

リベルダーデ大通り
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何回かチャレンジしてみたがホテルのホの字もない。
生憎、ホテルの住所は通りの名前だけで番地が入っていなかった。
これは本当に行きつけるのだろうかと不安が頭をよぎる。
幸いにしてまだ明るいので気分的に余裕はある。

通行人に聞いても分らない。
そうこうしているうちに、たまたま顔を覗かせた民家のおじさんに聞いてみる。
分からないと言う。
近所のカレー屋や定食屋の親父さんたちも出てきて頭をひねる。
こういう時は電話を切っているのがマイナスになる。
ホテルの電話番号を示すと、親切にも親父さんの一人が電話をかけてくれた。
ようやく宿のオーナー、フェリペさんとつながって一件落着。
皆さんの親切に本当に感謝した。

で、ホテルの場所はまさにグーグルが示していた場所。
普通のアパートだ。これじゃあ分からないよ。
入り口を入って急な階段を昇って2階の部屋。

この22番。これではまず見つからない。
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普通に日常生活ができるアパートで、それもかなりグレードが高い。
台所に調理道具は完璧に揃っているし、洗濯機もあるし二部屋ある。
これは素晴らしい。
探し迷った疲れがいっぺんに飛んだ。探したかいがあったというところだろう。
フェリペはまだ青年と言って良いだろう。
感じの良い好青年だ。
細かな説明をしてくれて、ご丁寧にもブレーカーが落ちたときの対処方法も教えてくれた。
過去にあったんだろう。これが後に役に立った。
要は、自分が所有しているアパートを旅行者に提供しているということなのだ。
最近、日本でも何かと話題になっているスタイルだろう。

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早速洗濯をして窓から外に干してみる。
石畳の上、二階の窓から洗濯物を干すなんてのは、ちょっと粋だ。
周りを歩いてみると、メトロが通っているリベルダーデ大通りから二本裏手の通りで、まず間違えようはない。

夕食は先程色々と助けてくれたインド人のカレー屋へ。
そこそこに美味しいが、日本にあるインド人もしくはネパール人のカレー屋さんの方が美味いと感じた。
ただ、ライスはインディカ米で、日本でもインディカ米で食べれたらなあとは思うのだ。

切れているナンというのは初めて見た。食感はイマイチ。それにしても、かなりの量。
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セビージャとは異なって、あちこちにある食料品店でワインを買って帰る。
こちらではセビージャよりさらに安く、1.2€位で買える。
水並みの安さだ。
それでもそこそこに美味い。
これを買って家飲みが一番お得感があるし、寛げる。

早起きと移動の疲れもあって、ワインを飲んだら眠くなってきた。
明日はゆっくりとリスボンを散策しよう。

2016年06月09日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第12章 3/4 リスボン

第12章 3/4 リスボン

朝食は、近所のパン屋で買ってくる。

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この辺りは下町っぽい感じがして商店も色々と揃っているし、メトロの駅も近い。

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リベルダーデ大通りは海へ向けて真直ぐに下っている。
海辺の手前の繁華街の中心、バイシャ・シアード駅までは2駅しかないので海辺まで散策がてら歩いて行くことにする。

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やはり歴史的建造物多数で見どころは多い。
道はセビージャより分かりやすい気がする。
途中、エレベーター付き展望台があったので昇ってみる。もちろん有料だ。

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東に見える小高い丘に城塞のようなものがある。

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何だかとても見晴らしが良さそうだし面白そうな建物だ。
地図でチェックすると、サンジョルジュ城ということだ。
あそこへ行ってみたい。
このエレベーターは昇っていった先の丘の上とつながっていて、丘側から入ればただということが分かりちょっと拍子抜け。

とてもレトロな市電の線路を横切って海辺のコメルシオ広場へ。
市電の集積地区らしくて、何台かの車輌が待機しているが、新しい2両編成の車輌もあれば、とてもレトロな車両もあって車輌好きには嬉しい光景だ。

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今晩ファドを聴きに行こうと見当をつけてあったアルファマ地区まで歩いてみる。
海辺の道を東へ歩いて行けば北にある筈なので分かりやすい。
ファド博物館なる施設もある。ここでもショーがあるようだ。

真直ぐに行くとサンタアポローニャ駅に着く。
ここで線路が終わっている終着駅のようだ。
明日はここから列車乗ってポルトに向かう予定だ。
ポルト行きの列車の時刻をチェックする。

アルファマ地区は細い路地が行きかう、いかにも下町といった風情の街だ。
ファドハウスがあちらこちらにある。
ファドハウスが集まっている地区のようだ。
この地区は坂と石畳の細道と迷路。
シェフシャウエンの街を思い出した。
好きな雰囲気だ。

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目当ての店、パレイリーニャ・ド・アルファマの位置を確認する。
20時開店で、ショーは21時からとなっている。
店も確認できたので一旦戻って昼食にしようと、また歩き始める。
先程見たサンジョルジュ城はこの地区の坂の上にある筈なので、そっちも確認しようと坂を上っててみたがうまく行き着けなかった。
リスボンは、ポルトから戻ってもう一泊する予定なので、その時の楽しみに残しておくことにした。

散策しながらゆっくりと歩いて戻ると昼時だ。
昨日宿を探す時にお世話になった親父さんのいる定食屋へ行ってみる。
頑固親父を絵に書いたような怖い顔をしたおじさんだ。
Plato do diaの魚料理があったのでそれを頼んで見た。
これはアジの塩焼きだな。ご飯が食べたくなる。
日本人の常として頭と骨だけを残してきれいに食べたら感心された。

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ホテルへ戻って小休止、次の行き先を決める。
コメルシオ広場から海沿いを西へ行ったところにあるベレン地区にあるジェロニモ修道院へ行ってみよう。
その後は、一度は乗ってみたい28番の市電に乗ってどこか適当なところまで行く。
後は時間と場所によってその時考えるという感じだ。
天気が微妙だ。

洗濯物は取り込んで、傘を持って出かける。
先程地下鉄、市電、バス24時間乗り放題というお得なチケットを買ったので面倒がない。
コメルシオ広場から15番の2両編成の新型の市電で約20分。
巨大な建築物のジェロニモ修道院に到着。

観光名所なのだろう、遠足と思われる多分中学生か、多数いて大騒ぎをしている。
どこも変わらないものだ。
ここは歴史的建造物と他に、発掘物等の博物館が建物内に在る。
遠足の連中があまりにうるさいので建築物の見学は外側だけにした。
それでもその壮大なスケールには圧倒された。

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15番の市電で一旦コメルシオ広場に戻り28番の市電に乗ってみる。
28番はアルファマ地区等の趣のある旧市街を縫うように走る路線として、観光客に人気の高い路線らしい。

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確かに15番とは異なって古い車輌。内壁も床も木造だ。
こんなところも走るのかと驚くような狭い路地を走る。
車輌1台走るのがギリギリの道幅だから、違法駐車はあり得ない筈だ。
古い車輌だけあって結構揺れる。
しかし、料金は共通カードでOKだし、ワンマン運転、乗降システムは現代的なものになっている。

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終点まで乗って一旦乗客は降りて折り返しの電車を待つ。
外は冷たい雨が降ってきた。風も吹いてくる。
停留所には雨よけなどはない。
待機している車両に早めに乗せてあげればいいのになどと思ったりする。
車内は結構込み合っている。
車輌の外の取っ手につかまって乗車というか移動している男がいるのだが、当然無賃乗車だ、運転手は見てみぬふり。こんなのもありなのか。
結構いい時間になってきたので、バイシャ・シアードのあたりで下車してメトロでアベニーダ駅まで戻ってくる。

バイシャ・シアード周辺
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バイシャ・シアードメトロ駅へ降りるとても長いエスカレーター
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宿へ帰る前に水とワインを買おうと思って財布を出そうとしたら、ショルダーバックのチャックが空いていて財布だけがなくなっていた。
やられた。

財布自体は現金しか入っておらず、しかも大した金額ではなかったので被害は少なかったのだが、バッグも目に付く位置に携帯しているにも拘らず全く覚えがないというところに驚いた。
プロフェッショナルの技だ。
以前ハノイでやられたことがあったが、あの時はリュックを背にしていてしかも鍵もかかっていないという油断した状況だった。
モロッコでかなり警戒していて、ヨーロッパに入って気が緩んだということもあるのだろう、ここは再度気を引き締めてかからなければいけない。
ショルダーバッグのチャックが体の後ろ側にあるのがいけないので、体の前の眼に着く位置に持って来れば良いわけだ。
更に一回チャックを開けただけでは取れない位置に貴重品を置くべきだろうと考えた。

気を取り直して、水と水のように安いワインを買ってアパートで休息。
今夜は、午前中に訪ねたアルファマ地区のパレイリーニャ・ド・アルファマで夕食をとりながらファドを楽しむという少しの贅沢をしようと思っている。
人気のファドハウスはすぐに満員になると聞いているし、予約はしていないので開店直後の20時過ぎには着くように出発した。
今回は歩かずにサンタアポローニャ駅までメトロで行ってすぐがアルファマ地区だ。

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アルファマ地区は、夜になって昼間とは異なるロマンチックな佇まいを見せている。
席は確保できたが、徐々に埋まってくる。
21時のショー開始前に食事を終えてしまった。
これがかなりの量でかつ美味しかった。

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バンドはギターとポルトガルギター、女性、男性歌手の編成。
客席が取り囲む同じフロアーで演奏する。
1回のステージは約20分と短いが15分位のインターバルを置いて何ステージもやるようだ。
ステージがはねるのは深夜の1時頃だと聞いている。

演奏が始まると明かりが消えて真っ暗。
これはよくある風景だが、演奏者にも光が当たらず真っ暗。
これでは演奏者が見えない。

本当に真っ暗。
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ファドでイメージしていたのは、ゆっくりしたテンポでマイナーで悲し気なメロディ。
しかしそうでもなかった。
とてものんびりした明るいメロディも沢山あり、フォークソングのようにも聴こえた。
セビージャで聴いたモダンなコードの響きというものはあまりなく、聴きとることができるくらいの素朴なコードの流れが多かったように思う。
これは伝統的なスタイルなのだろうか、パレイリーニャ・ド・アルファマという店がこのスタイルのファドハウスということなのかもしれない。
他の場所ではモダンなファドが聴けるのかもしれない。
ポルトガルギターはバンドリンと形も役割も似ている(おそらくこちらがルーツなのだろう。)。
ショーロのスタイルの原型はこの辺りにあるのだろうか。
全てが生音だがとても良く響く。
石造りの建物というのも音が良く響くものだ。
歌手の声量は相当なものだった。

セルベージャだけではもたないので、ワインのハーフボトルを頼む。

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段々眠気も襲ってくる。
地下鉄の終電は何時だったかと、日本と同じようなことを考えてしまう。
歌手が入れ替わって何ステージも進んでいる。
結局0時近くまでいてまだ十分にあるメトロで帰ることができた。
食事も付いたのでそれなりの値段はしたがとても楽しかった。
雰囲気もサービスもファドも満足のいくものだった。

財布は失敗だったが、これから気をつければよいことだ。
これもインシャラーと考えよう。

2016年06月17日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第13章 3/5 リスボンからポルト

第13章 3/5 リスボンからポルト

今日はポルトガルの北部の古い街、ポルトへ移動する予定だ。

昨日、何回か行ったアルファマ地区のサンタアポローニャ駅から11:30発のインテルシダーデに乗る予定で準備をする。
チェックアウトの連絡をすると部屋の主、フェリペが大きい登山用のリュックを担いでやってきた。

どこかへ旅行していたのかと聞くとシーツとか毛布とか掃除機とか、要は掃除道具を担いできて掃除をするとのことだった。
話してみると、彼はブラジル生まれで、母親が日本の神道に傾倒していて、なおかつ生け花をやっているという。
来年は日本に行くそうだ。
このアパートは初めこそ探すのを苦労したが、広くてきれいで外出にも便利、とても快適に過ごせた。
またリスボンに来る機会があれば利用したい。

サンタアポローニャ駅まではメトロ。
国鉄駅には改札がない。出入り自由だ。
ファロからリスボンまでもインテル・シダーデだった。
あの時は3両編成で客車も地味だったが、今日は8両編成で客車もきれいだ。

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特急アルファペンデューラも停まっている。
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定刻に出発。
電気機関車牽引の客車列車だが速い。
スピードが出る区間では180kmくらい出しているような気がする。
ただし減速するときのがくがく来る揺れは相変わらずで、乗り心地はそんなに良いとは言えない。
車窓は時々現れる石造りの農家の建物と田園風景。
コインブラB駅を経てポルトに近づくと大西洋の海岸線を走る。

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そして大きな川にかかる橋を渡ってポルト・カンパーニャ駅到着。

外は冷たい雨が降っている。
ここはポルトの中心街ではなく中心街の駅は一つ先のサンベント駅。
長距離列車は全てカンパーニャ駅が終点なので、国鉄でサンベント駅まで行くにはここで乗り換えなくてはいけない。
今回は、宿近くのトリンダーデ・メトロ駅まで行くのでメトロのカンパーニャ駅を探す。

国鉄の駅を出なくてはいけないようだが、よく見ると国鉄駅ホームから外へ出ずに行けたようだ。
改札が存在しないから却って分りにくい。
事前に調べた感じではチケットの買い方がちょっと旅行者には分りにくいようだ。

andanteというカードがチケットになっているのだが、ゾーン制でチャージ制だ。

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アンダンテを買ってゾーンごとに異なる現金を払わなくてはいけないような説明だったので、カードを買ってチャージしたのに、なぜこの上現金を払わなくてはいけないのか疑問だったが、実はそんな面倒なことはなく、カードをそこここに立っている、日本でいえば路上駐車チケット販売機のようなものにピッと触れればOKなのだ。
改札はないし、車内でのチェックもない。
券売機付近に係員がいたのでスムーズに買うことができた。

ポルトのメトロは5路線あってリスボンのように色分けされている。
緑、赤、オレンジ、紫、青だ。
メトロとは言うものの殆ど地上を走るライトレールのようだ。

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5つの路線がすべて通っているトリンダーデ駅で下車。
宿はここから近いはず。
グーグルは大通りからちょいと入った裏道を示している。
例によってホテルのホの字もないのだが、今回は住居番号が分かっている。
何やら工事の人達が大声でしゃべっているところに、おばさんがドアから顔を覗かせている。
まさにそこだった。

宿のある裏通り
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今度は普通の家のようだ。
部屋は広くて天井がやたらに高い。
奥はダイニングキッチンで二階にも部屋はあるようだが、家族が住んでいるようだ。
気に入った。

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いつも自分でやるウエルカムドリンク
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荷物を降ろして早速近所の散策へ。
大通りへ出てみると建築物が何というか荘厳な風景とでも言おうか、全体的に黒っぽい落ち着いた色彩が中心で、古そうで凝った建築物が並んでいる。
そこに青タイル、アズレージョの装飾が所々に施されている。
原色の色彩はあまり見られず青と黒、灰色、白が目に着く街だ。

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このオブジェは何だろう。
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アズレージョで有名な国鉄サンベント駅も近い。
駅構内に入ると噂通りの素晴らしいアズレージョに目を奪われる。

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暗くなってからのサンベント駅のライトアップした様子もとても美しい。

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この街もセビージャやリスボンにひけを取らない美しい街と見た。
どこをとっても絵になる。

裏通りにある宿は中心街にとても近いことが分かった。
ミニスーパーでワインを買って帰る。
1.5€。水並みに安い。でもそこそこに美味しい。
宿に置いてあったパンフに食事、ファドの演奏が付いて23€という近所のレストランが紹介されていたので、夕食はそこに行ってみた。
ところが今日はライブは休み。
仕方ないので食事のみ。

Francesinhaという不思議なメニューを頼む。
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出てきたものは四角くて白い箱のような物体の上に目玉焼きが乗っている。
食べてみるとハムとか肉とかジャガイモとかをサンドイッチにして焼いてその上からとろとろのチーズをコーティングして頂上に目玉焼きを乗せたものだった。
カロリーが高そうだ。
後で調べてみたらポルトで生まれて、はやっているB級グルメだとのこと。
これがなかなか美味しくて、とても印象に残った一品だった。

Francesinha(直訳:フランス娘)の説明
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帰ってワインを楽しんでから寝ようと思ったら、このコルク栓が開かない。
原始的な栓抜きしかないので、力任せにやっていると手が痛くなってくる。
こんなに開かないのは安いからかと思ってみたりしたが、そうなのか。
15分位格闘して、いっそ押し込むかと思ったあたりでようやく抜けた。
栓抜きで汗をかくなんてのは珍しい。

苦労した分美味しいかも。
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何はともあれ美味しく味わって就寝。

2016年06月25日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第14章 3/6 ポルト

第14章 3/6 ポルト

今日の大まかな予定は、午前中ドウロ川を渡ってワイン蔵群を訪ねて、見学が良さげなFERREIRAというワイン蔵を見学して、午後は歴史地区を娘の誕生日プレゼントの買い物がてら散策してみようと思う。

この宿、Almadaは安い割に広い。
天井も高くてとても快適だ。
おばさんはポル語オンリーだが、とても感じが良い。
何よりもロケーションが抜群だ。
サンベント駅やトリンダーデ・メトロ駅にも近く賑やかな地区にありながら、一本裏通りなので静かだし、食堂やスーパーも近くにあってとても便利。

概して今回の旅の宿は殆ど当たりだったように思う。

さて、ドウロ川はサンベント駅を通り越して真直ぐ行けばよいわけだから簡単だ。
川の手前の歴史的建築物等を訪問しつつ、歩いて行く。

こういう大道芸も色々なところでやっているが、これは本物のオブジェだからややこしい。
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ドウロ川に架かるドン・ルイス一世橋は二層に分かれていて、上はメトロと人、下は車だ。
この橋からの見晴らしは抜群で、川面からどのくらいの高さがあるのだろう、50m位はありそうだ。
それでも欄干は案外と低く、下を覗くと目がくらみそうな高さ。
高いところに弱い人は多分厳しいだろう。

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橋の中央部を走るメトロとの仕切りは、歩道と区別するポールがあるだけで柵等の安全対策はなされていない。
要は路面電車状態のところを立派な車両が走っている状態だ。

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これは酔っぱらいなんかは時々橋から落ちるんじゃなかろうか。
酔っ払ってふらふらと歩いていてやって来るメトロに気付いて避けて勢い余ってなんて、余計な心配をしてしまう。
この高さからだと、よほどうまい落ち方をしないと助からないんじゃないか。

川向うにはワイン蔵と思われる赤茶色の屋根が並んでいる。
川は濁った緑色で、かつてはワインの詰まった樽を運んで行き来したであろう帆船が係留されている。
現在の輸送手段は当然のことながら車だから、広告塔としての役割と、イベントに使われているということらしい。
ただ、素晴らしい趣はある。

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対岸は新市街地だ。
渡って左側にあるノッサ・セニョーラ・ピラール修道院へ。
ここからは橋を更に上から臨める。
今日は日曜で天気も良いということもあるのだろう、ジョガーが多数見受けられる。
ジョギング・ハイクみたいなグループもいる。

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ここら辺りでトイレの要求。
このトイレというのは一人旅にとってはかなりな問題で、今のように荷物が無ければ探すのも楽なのだが、大荷物を抱えて移動中の場合にはプランが必要だ。

荷物を席に置いて行くというのは、盗んでくださいと言っているようなものだし、荷物を全部持ってというのは、たとえ一部を背負っていたとしてもとても難儀なもの。
交通機関で移動中は、長距離バスを除いてとにかく使わないようにするしかない。
そのためには、水分の摂取を減らしておくとか、ビールとかの酒類を移動中には飲まないとか、チャンスがあれば必ず用を足すとか、体調を良くしておくとか色々と気を使う。
まあ、今は軽装なのでどこか探せそうだ。

橋を渡っていたら対岸にワインセラー地区へ降りていくロープウェイが見えた。
これが面白そうだし、ワインセラー地区は真直ぐ行けそうだ。
先程ワインセラー地区へ降りていこうとして住宅街をさまよってしまったのだ。
ロープウェイ駅は橋のたもとにあり、トイレはそこにあったので、そちらの問題も解決。

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ロープウェイという乗り物は久しぶりに乗ったのだが、街中のロープウェイというのもとても楽しいものだ。
到着駅はドウロ川のほとり。
バイクのイベントがあるらしくて大型バイクが多数駐車している。
珍しいものもありそうだ。
相変わらず天気は良くて、屋外のカフェも日曜日ということもあって繁盛している。

目指すは、FERREIRAというワインセラー。
これだけ沢山あるのだから探すのは大変かなと思っていたら、川沿いを歩いていたらすぐにみつかった。

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運良く開いている。
ガイド付きの蔵内ツアーは5分後に始まるという。これもラッキーだ。
2杯か3杯、試飲できるグラスの数でツアー料金が異なる。
迷わず3杯を選ぶ。

蔵の中へ進んで行くとどんどん温度が下がっていく。
ポルトワインの特徴、歴史、製造工程等分りやすい展示があって、何より現役の蔵を見学しているということが雰囲気を作っている。
この辺りは日本の酒造博物館や山梨県に多数あるワイン工場の見学と同じだ。
解説はポル語でなされるので殆ど分らないが、創業者のドナが偉かったということだけは強調されていたので分った。

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ポルトワインは発酵途中でブランデーを加えてアルコール度数を高めて保存期間を長くするということだが、その結果甘くなる。
日本の赤玉ポートワインというのはこれを真似たものだろう。
ヴィンテージ物のワインも保管してあって、19世紀から保管されているなんていうものもあった。

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ツアー最後のお楽しみはやっぱり試飲。
3杯は、ロゼ、白、ルビーと用意されていた。
やはり甘い。
50年くらい前の日本産のワインは甘かったような気がするが、現在飲んでいるものからすればかなり甘い。
その中でも、ルビーという種類がとても上品な甘さで気に入った。

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お土産用のポルトワインも丁寧に置かれているが、値段がかなり安い。
日本で丁寧に置かれているものと比べたら一桁違う感じだ。

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スペイン、ポルトガルはワインが安い。
特にポルトガルは水並みだ。
宿代とワインが安くて外食が高い。
交通機関が安くて入場料は高い。
外食が、普通の食堂でも一食軽く1000円を超えるというのは、高いと感じる。

さて、楽しい蔵内見学ツアーにとても満足して外へ出たら、雨が降ったようだ。
雨上がりのドウロ川河畔の散歩も悪くない。

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ちょっと河畔を散歩してから、再びロープウェイに乗ってドン・ルイス一世橋へ。

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昼食は、宿の近くにいくらでもある食堂でバカリャウ(タラ)を食べてみる。

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これはフリッターだな。
沖縄の天ぷらの方が美味しい。
魚料理は凝ってはいるけれど、日本の方が美味しいと感じた。
帰り際に今夜のワインも買っておく。
約250円。これでもそこそこ美味しいのだ。
モロッコを出てから毎晩1本づつ開けている。

宿へ戻って一休みしてから、娘の誕生日プレゼントやお土産の買い物を兼ねて、歴史地区を歩いてみる。

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サンタカタリーナ通りという、ポルトでは一番のショッピング街を目指す。
古い言い方だとポルト銀座だ。

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市場好きとしては、この近くにあるボリャオン市場にも行ってみたかったのだが、今日は日曜日で休みだった。残念。
さすがに一番のショッピング街、賑やかな通りだ。

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あちらこちらに大道芸人がいる。
乞食、物乞いも結構いる。
スペインではあまり見なかったのだが、ポルトガルに入ってからは目立つ。
メトロ内でも物乞いはいる。
車内でカーン、カーンと前から金属音が聞こえて来たと思ったら、盲目の物乞いが杖で車内のポールを叩いてアピールしながら歩いてくる音だったということもあった。

さて、このような買う物が決まっていない探しながらのショッピングというものは、自分にとっては行列と並んで最も苦手な分野の一つで、日本であれば難行苦行なのだが、外国で散策しながらというのは楽しいものだ。

ヴィア・カタリーナというデパートのような集合店舗を覗いてみる。
1、2階がファッション関係で3階は食堂関係のようだ。
ここで良さげな皮のバッグを見つけた。
これならば持って帰るのも楽そうだ。
他も一応当たってみたが、やはりこういうのは第一印象が当たりのことが多い。
ここで購入。

この近辺には見事なアズレージョの壁面を持つ建物があちらこちらに見られる。
リスボンよりアズレージョが所々にあるような気がする。
それと、落書きがそれほど多くない。
落ち着いた古い街なのだ。

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夕食は、昨日ライブが休みだったレストランに行くという手もあるが、昨日ライブが見れなかったということは、見なくていいという流れの中にあると考えて、もう一回行くというのは気が進まなくなっている。
この旅をしているうちに、流れに身を任せるという気分になってしまっているのだ。
ということで、近所の食堂で鳥料理。
野菜としてのインディカ米がつく。
味はまあまあ。

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デザートは美味しい。
ポルトガルのスイーツはとても美味しい。
日本ではまず食べないからそう感じるのだろうか。

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連日歩き回っている。
夜はワインで気持ち良く就寝。
明日はリスボンに戻って明後日のフライトに備えるだけだ。

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旅もそろそろ終わりを告げつつある。

2016年07月04日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 第15章 3/7 ポルトからリスボン

第15章 3/7 ポルトからリスボン
     
今日はリスボンに戻る。
そして明日は帰国の途に就く予定だ。

このAlmadaという宿もとても快適に過ごせた。
ちょっと沖縄のおばあ的なおばさんに挨拶して宿を後にする。
カード決済はできずに現金だけというのも何となくうなずける雰囲気だった。

とても美しいサンベント駅から国鉄に乗ってカンパーニャ駅へ行く手もあるが、メトロカード(アンダンテ)があるのでメトロ・トリンダーデ駅からカンパーニャ駅へ。
早く着いたが、予定より早いI.C.があった。
ポルト・リスボン間の列車は結構頻繁にある。
今日はオリエンテ駅では降りずに、終点のアルファマ地区にあるサンタアポローニャ駅まで行く。
何回か来ているので勝手は分かる。
朝食にパンを食べたきりで昼もとうに過ぎているので、駅構内の食堂で遅い昼食。
駅構内と言っても、そもそも改札がないので外からも出入りは自由だ。
さすがにここは安い。

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今日はメトロ・グリーンラインのIntendente駅からすぐのホテルに投宿。
ホテルに着くと15時頃になってしまうが、今日はまだこれから動くし、明日も空港まではメトロだから、24時間乗り放題のチャージをする。
これはバスや市電、ケーブルカー等何でも乗れるからとても得なのだ。

ホテルはメトロ駅から意外なほど近い。
この旅の中で最も分かりやすい宿だ。
大通りに面した変哲もないビジネスホテル。
今まで個性的な宿ばかりに泊まってきたので、日本の普通のビジネスホテルのような宿はちょっと拍子抜け。

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何だか、隣だか下だか若者たちが大騒ぎをしているようでうるさい。
これが夜まで続いたら大変だなあと少し気になるが、どうせこれから外出してしまうのだ。
今晩もう一回ファドハウスに行くか迷っているけれど、まず行きたいところがあるので、行ってから
決めることにする。

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前回行けなかったサンジョルジュ城に行ってみたい。
アルファマ地区から北西の方角へどんどん登って行けば着くはずなのだ。
再びアルファマ地区へ歩いて、ファドハウスなんかも物色しながら坂を登って行く。
そして突如目の前に現れたのが、カテドラル-大聖堂-。
歴史的大建築物だ。
中も見学できる。

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適当に歩いていると、思いもかけずにこんな素晴らしいものに遭遇できるというのもとても楽しい。
ここも見れて良かった。

城はとにかく坂の上の方にある筈だからどんどん登って行く。
人の流れも登って行くようだ。

28番の市電が現れた。
このあたりまで走っているのだ。
数日前は西の方へ乗っていったので、こちらの方角には乗ってこなかったが、ここいら辺を走る景色も相当に趣がある。

更に登って行くとようやく城の入り口に着いた。
ちょっと高めの入場料を払って入城する。

ここからのリスボンの街の眺めが素晴らしい。
陽が沈むころがさらに美しいということだ。
確かに西の方角に眺望が広がっているから夕陽は最高だろう。
どこかで見た景色だと思ったら、西に眺望が開けていて夕陽が美しい自宅と何となく景色が似ている。

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11世紀半ばに建築されたと案内には記されている。
とても広い城で相当に美しく保存されている。
城の主は時代によって変わっていったのだが、もう1000年近くこの場所からリスボンの街を見下ろしてきたわけだ。
敵が容易に登ってこれないように城までたどり着く坂道も細くなっていたり、銃眼や砲門等の軍事的な意味合いを持つ施設も多数ある。
現在は美しい施設として観光客や市民に親しまれる場所と愛されているようだ。
施設自体が素晴らしいところだが、公園やカフェレストラン、発掘物の展示等他にも見所は多数ある。
ここはゆっくりと時間をかけたい場所だ。

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みゃーみゃー鳴いていた孔雀
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夕陽の時間帯になってきたが、生憎西の空には雲が多く美しい夕陽は見れなかった。
でも、日が沈んでからのリスボンの街の夜景はとても美しかった。
城のライトアップもきれいだった。
夜景を楽しんでもらうためだろう、21時までオープンしている。

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テージョ川の向こう側にリオのそれを模したキリスト像(Cristo Rei)が見える。
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1時間くらいはこの景色を楽しんでいたような気がする。
旅の想い出が色々と頭をよぎって、旅の終わりにこの景色を見ることができて良かったとちょっとセンチな気分になる。
ここに来れて良かった。

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夜景を堪能して城を跡にする。
28番の市電がやって来る。
オレンジ色の街灯が照らす静かな古い街をゆっくり走っている様は本当に趣がある。
東京も昔はいたるところを都電が走っていた。
僕はその時代を知っているので懐かしい風景が思い出される。
旧市街地には市電が街にふさわしい乗り物として生き残って、新市街地にはメトロが整備されている。
とてもバランスが取れた考え方だと思う。
街並みにしても建築物にしても、歴史をとても大事に考えていると思えた。

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線路沿いに歩いていると、アルファマ地区への指示板があったのでそちらの方へ坂を下って行くと、驚くほど簡単にアルファマ地区へ出た。
ファドのショーが始まる時間にはちょっと早い。
長い移動と歩き回って少々疲れた感じもあったので今日は帰って一杯飲んで休むことにして、夜の市街地の様子を楽しみながらコメルシオ広場方向へ歩いた。

コメルシオ広場から北の方向は通りも広く店も多くて、人出も多い。
メトロのロッシオ駅があったのでそこからメトロで帰った。

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夕食は、ホテルの真向いのかなり大きなレストランに入ってみる。
店員さんが貫禄のある人達ばかりに拘わらず、動きがきびきびしている。
何だか人気のあるステーキハウスらしい、客がどんどん入ってくる。
タラの料理を注文した。
タラの切り身とポテトとかを卵でつないで円形に整えてある料理だ。
これは今までに見たことがないものだ。
味も良い。

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ホテルが近くてとても楽だ。
部屋に戻ると昼間の喧騒は消えていた。

明日はいよいよ帰国の途に就く。

2016年07月15日

2016モロッコ・スペイン・ポルトガルの旅 最終章 3/8~3/9 帰国

最終章 3/8~3/9 帰国
     
今日はいよいよ帰国の日だ。
長いようで短く感じるのはいつものこと。
13:35発のエミレーツなのでとても楽だ。
とは言っても、何だかんだあるだろうから11時頃には空港に着いていたい。

軽い朝食を済ませてから、ポルトガルでまだ買っていないシャツを探しに行く。

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出発時間も迫ってきているので、遠出はせずに近所を廻ってみる。
数軒回って適当なものが見つからずあきらめかけていたが、幸いにして最後の店で見つかった。
拍子抜けするような安売りっぽい店の奥に穴場はある。

リスボン空港は、メトロを一回乗り換えてレッドラインに空港駅がある。
30分ほどで到着する。

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大きい空港だが、内部が中々分りにくい。
出国審査までなかなかたどり着かない。
行き着くまでにこれでもかという感じでショップがある。
ヨーロッパに入ってから毎晩飲み続けた安赤ワインを購入。
空港の免税店は高めの印象があるが、それでも5€と安い。
やはりワインは安いのだ。

ドゥバイ行きのエミレーツはわりと空いていて、昼間のフライトなのでスペイン上空の景色を楽しむことができた。

ドゥバイ空港には午前1時過ぎ到着。

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ターミナルまでバス移動だが、これが長い長い。
30分近く乗っていたような気がする。
乗り継ぎ便は午前3時前に出発予定で、2時間ほどあるわけだがバス移動にこれだけかかると余裕はあまりない。

そもそもドゥバイ空港は、何か買おうと思ってもやたら値段が高い。
それに、ゲート付近に移動すると出発時間までまだ1時間くらいあるのに既に搭乗手続きが始まっている。
またバス移動に時間がかかるのだ。

成田行きは結構込み合っている。
これから10時間近くカーテンを閉め切ったまま昼だか夜だか分らない窮屈な空間で過ごさなければなない。

007の映画を観ていると、明らかにモロッコの風景と思われる場面が出てきた。
砂漠の真ん中を長い編成の客車列車が走っているのだ。

確かにモロッコでは映画でしか見ることのできない風景の連続だった。
ハプニングもあった。

もし、ハシラビト村で予定通りのバスに乗れたら、フェズの街で朝の5時から10時過ぎのシェフシャウエン行きのバスまで待たなければいけなかった筈だ。
実際、真っ暗になったフェズの街に降り立ってみて、ここで荷物を抱えて宿なしで5時間余り過ごすというのは、初めての街だけに無理があったかもしれない。
結局、乗ったバスがリッサニに戻ってきたおかげで、翌朝の代替バスからアトラス山脈の大パノラマを見ることができた。
予定通りだと夜行バスのためこの大パノラマは見ることができなかったのだ。

シェフシャウエン行きのバスは逃してしまい、タクシーに少々費用はかかったが、あの時ドライバーが宿に連絡を取ってくれなかったら、冷たい雨の中、真夜中の迷路の街で宿にたどり着くことは絶対に不可能だった。
明るくなるまで宿なしはあまりに危険だ。

機内で入出国カードを何枚かもらっておいたおかげで、モロッコ出国もすんなりといった。
リスボンではスリにあったものの、それ以降は再び注意を喚起することができた。
物事を肯定的にとらえてしまえばハプニングもそんなに悪くない。
これがインシャラーということか。
いや、結果としてうまくいったからそう言えるのだ。
一人の海外旅行は、やはり細心の注意と入念な準備をしておくことが肝心だ。

今回の旅で一番印象に残ったのは、やはりモロッコの風景と空気と人だった。
今までに見たことない自然のダイナミックな変化には目を見張るばかりだったし、イスラムの人達の生活も垣間見ることができた。
あの空気の中でのイスラムは何となく理解できる。
そして現在問題になっているI.S.はイスラムとは異なるものだということも分った。

かなり警戒して入ったモロッコの人達は親切で優しい人達が多かった。
旅の前と後でモロッコに対する印象は大きく変わった。
行ってみないと分らないものだ。
もっと知りたいことも多くなった。
ヨーロッパでは歴史的建築物に目を奪われ、そしてそれらを大切に保全し、現代と調和させようとしている姿勢に共感した。

当初は春の小旅行をイメージしていたが、陸路の移動距離がかなりあったので、結果的には小旅行ではなくなった感がある。

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成田空港には17時半頃到着。
日は暮れて冷たい雨が降っている。
帰宅してシャワーを浴びてリスボンで買ってきた安ワインを飲んで夜半過ぎには寝てしまう。
目が覚めて時計を見たら、5時過ぎ。
何だか早起きしてしまったなあと様子をよく見ると、翌日の夕方5時だった。
機内では殆ど眠れなかったとはいえ、17時間も寝てしまったのだ。
二日分の睡眠で帳尻は合う。
仕事を入れておかなくてよかった。

ということで、現実に戻ってきました。

2016年08月02日

小旅行ー銚子電鉄

梅雨が明けたとはいえ、まとまった雨も降らず渇水が心配な最近の関東地方です。

カラッと晴れあがった日、日帰りの小旅行へ行ってみたくなる時期です。
思い立った時に行くというのは意外に楽しくて、日帰りできる範囲なので、何の準備もいらないというメリットがあります。
車でしか行けない場所は仕方がないですが、やはり、昼ごはんにビールなんてのは旅先では格別ですから、列車の旅が一番です。
行こうと決めたら、なるべく朝は早く出かけるのが肝心ですが、今は便利ですね。ネットですぐに最短到達時間が調べられる。
無駄に早い出発をする必要がない。

というわけで、今回は房総半島の東端、千葉県銚子市に行ってきました。
もう何十年も前にニ三回行ったことがあるだけで、ほとんど記憶にありません。

やってみたいことは二点。
一つは、魚市場を覗いて魚を食べること、二つ目は銚子電鉄に乗ることです。

最安・最短ルートは、京成線で成田まで行きJR成田線で銚子駅まで行くという所要時間2時間の旅。
京成線も船橋市、習志野市あたりまでは市街地の景色ですが、佐倉市に入ったあたりからは緑色の田んぼが車窓に広がってきます。
この時期、田んぼは一面の緑色で見ていて目に優しい感じがします。

成田でJR成田線に乗り換えるともうずっと田んぼ。
佐原を過ぎると利根川の向こう岸に鹿島臨海工業地帯の煙突群が見えてきて異様な感じがします。
11時頃に銚子駅に到着しました。

銚子電鉄に乗り降りし放題の切符を買っても良いのですが、1時間に一本しかないので、なかなか乗り降りし放題というわけにもいきません。

まずは、魚市場へ行ってみようかということにしたのですが、本物は朝しかやらないわけなので、ウオッセ21という観光用の市場へ行ってみることにしました。
幸い、これも1時間に一本しかないバスがありました。
歩いて行くにはちょっと距離があるし、銚子電鉄の駅からも遠すぎる。

やはり、産地だけあって安い。
内房より安い感じがしました。
休日はきっと混むのでしょうが、平日は空いています。

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ここでお昼を済ませて、バスで再び銚子駅へ戻って、銚子電鉄に乗ることにします。

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乗り場はJR駅構内のホームの端にあるので、JR駅員にことわってからホームへ行くということになります。

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これは楽しそうなイベントではないですか。
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終点までの往復切符を買いますが、一つ手前の犬吠駅で降りて犬吠埼灯台へ行ってみることにします。

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全長6.4km、ランニングだと30分で着ける距離。保有車両は6両。
本日の車両は2000系、元々は京王電鉄の車両だったと思われます。
途中の車両基地では地下鉄丸ノ内線カラーに塗られた車両もあったりして楽しい。
ワンマンの表示はありますが、女性の車掌さんが乗っていて、切符を売ったり案内をしたりと奮闘していてます。

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いつも経営危機にさらされている鉄道で、駅名命名権の売却だとか、ぬれ煎餅だとか、イベント列車だとか、涙ぐましい努力をして現在運行していて、それはサービスに現れているし、地元に愛されている存在だということは何となく分ります。

それにしても今日は日差しが強烈で暑い。

犬吠駅
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犬吠駅下車徒歩およそ10分で犬吠埼灯台に着くことができます。

東映映画の冒頭の社名が出てくる、いわゆる荒磯に波という映像はこの辺りで撮影されたらしいですね。

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白い灯台と青い空のコントラストがきれいでした。
ちょっと、沖縄的でもあります。

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何故か白いポスト
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帰りも同様のルートを使って、17時半頃には帰宅。
何も決めず、何も準備しない小旅行も良いものです。

2017年03月30日

2017南インド・スリランカの旅 第1章 2/24(金)~2/25(土) 出国・ベンガルール

すっかり春めいてきました。
毎年この時期になると行きたくなってくる、海外の旅、紀行文を掲載します。
今回は、2月24日~3月9日まで南インド・スリランカを旅してきました。
回数を分けて掲載していきます。
お楽しみ、また参考にしていただければ幸いです。

第1章 2/24(金)~2/25(土) 出国・ベンガルール

まずは、21時40分成田空港発のマレーシア航空でマレーシア・クアラルンプール空港へ。ここで乗り換えてインド・ベンガルール空港へ向かう。
今回は、プライオリティパスというものを手に入れたので、空港ラウンジを何ヶ所か利用してみようと考えている。

インド入国にはビザが必要で、これの取得がなかなか大変だった。
とにかく記入事項が細かいのだ。
自分の両親の出身地など入国にどうかかわるのだろうか。
これに対してスリランカは楽だった。
これならビザなどいらないのではないかと思える簡略ぶり。

クアラルンプール行きはわりと空いていて隣の席が空いているので楽は楽。
しかし例によってあまり寝れない。
現地時間の5時頃に到着した。

最近何かと騒がしくなっているKLIA(クアラルンプール国際空港)、巨大空港だ。ターミナル間は無人電車が走っている。
ベンガルール行きは6時40分頃にはゲートが開くというので、ラウンジに行く時間はないし、場所も分らない。
外の温度は26~7度あるようだが、空港内は例によって冷房が効きすぎていて寒い。
ダウンジャケットが役に立つ。

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今回の旅は、夜間の移動とか待ち時間がとても長い等の特徴があって、そこをどう調整するのかが難しい。
帰ってからも予定が詰まっているので、最後のKLIAの乗り継ぎ17時間でマレーシアに入国するのか、あるいは帰国後に備えて空港内ホテルで休養するかなどもまだ決めていない。
まだ2週間近く先の事なので近くなったら考えよう。
とりあえず今日はベンガルールの交通の中心、マジェスティックまで移動、24時間制のホテルを探してチェックイン、ホスペット行きの夜行バスを見つけるということが課題だ。

KLIAは至る所に横になれる椅子があったりして過ごしやすい空港だ。空港野宿がし易いかもしれない。
ただし寒さに対する備えは必要だ。
KLIAからはいつもジェットスターで乗っているようなエアバスの座席が3-3の機体で、これで4時間のフライトは少々長い。

ベンガルール空港も広くて近代的な空港だ。

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客引きやら勧誘やらいろいろとしつこいとは聞いていたが、全くそれはない。
どうもチケットを持っている人しか空港内へ入れないようなのだ。
ATMが見当たらなかったので空港内で両替。
10,000Rsに手数料1,000Rsは高すぎると思うのだが、仕方がない。
1Rs(インドルピー)=1.8円の相場だ。

空港から外へ出るとやはり暑い。
しかし、半袖とかTシャツの人があまりいない。
マジェスティック行きのバスはすぐにみつかった。
上等なエアコン付きのバスで、運賃は234Rsとやたら安い。1時間半近くは乗るらしいのだ。
右ハンドル、左側通行は日本と同じ。
運転は乱暴だ。ベトナムよりやや良いくらいだろうか。

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マジェスティック・バスターミナルは思ったより混沌としている。
バスが渦巻いていることと一部工事中なのもそれに拍車をかけている。

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このバスの渦の外に出るのが大変だ。しかも暑い。
この近辺で夜まで過ごすホテルを見つけるのだ。
周囲にはホテルが星の数ほどあると聞いているが、なかなか適当なホテルを探すのは難しい。
あまりにぼろそうなホテルは嫌なので、路地の一角にある新しそうなホテルに入ってみる。
24時間1,000RsですぐにチェックインOK.。

英語の発音が良く分からないのは困る。慣れていかないと。
あと、インドでは肯定をするときに首を横に振るので、首を縦に振る日本人には否定のように見えてしまうのがややこしい。これにも慣れないと。
ホスペット行きのバスのことを相談すると、いくらかのやり取りがあった上で、結局ここでブッキングしてくれるとのことだ。
スリーパーバスで、シングル、500Rs。
安いのか高いのかわからないが、8時間近く乗ってしかも寝台バス。
空港からここまでが234だからかなり安いようだ。

話がまとまったので、荷物を降ろして付近を散策してみる。
この辺りは下町っぽい雰囲気で、とても賑やかだ。
交通はやはり混沌としているが、横断はそれほど難しくはない。
道はゴミだらけ、つばは吐き放題、埃っぽいのはネパールと似ている。
ただ、そんなに危険というか視線を感じることはない。
油断は禁物だが。

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マジェスティック周辺を散策しているうちに海外の感覚がだんだんよみがえってくる。
ちょっとサルバドール的な感覚もある。
ランチはホテルへ出前のチキンカレー。
タッパーみたいな容器に入ったライスにビニール袋に入ったカレー状ペーストとやはりビニール袋に入った白い液体と紫玉葱のかけら。
これらがお盆に乗っている。

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これは全部混ぜて手で食えということなんだろうな。
右手をうまくまとめないとライスがボロボロこぼれてしまうので、そこはおそらく慣れが必要だ。
ライスにはチキンが炒めてあって、カレーをかけなくてもとても美味しい。
カレーをかければ当然更にうまい。
白い液体はどうやらヨーグルトだろう。
紫玉葱とも全部かけて手で貪り食う。
チキンカレー弁当サラダ、ジュース付きというようなメニューだろう。

トイレにはよくある手動式ウォシュレット的ホースが付いているが紙はない。
この手動式ウォシュレットは使えるようにはなったのだが、紙がないということはどうやって乾かしているのか。
僕は芯抜きのトイレットペーパーを持っているので問題はないのだが。

バスが22時30分発で22時に送ってくれるとのことなので段取りが着いて一安心。
昨日のフライトは殆ど眠れなかったので休養することに努める。
しかし、初めての街で天気も良いのにホテルで寝ているというのは退屈なものだし、不本意だ。
午後4時頃になると暑さも少し収まってきたようなので、買い物とか夕食もあるし、街を散策することにした。

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ゴミと下水と小便と香辛料と排気ガスが入り混じったような匂い、喧噪、人いきれ。
まさしく混沌としているが、僕はこの雰囲気は嫌いではない。
ただ、道にたっぷり落ちているゴミに何が入っているか分からないのでサンダルで歩くのはためらわれる。
このあたりから少し東へ行ったMGロード周辺は欧米的に洗練されているらしいが、あまり興味はない。
ごちゃごちゃで楽しい街を歩いて白シャツ購入。150Rs。
どうも宗教施設を訪問する際は白系統が望ましいらしいのだ。

夕食はホテル近くのレストランでカレー。
バナナの葉が敷いてある地元的なスタイルで、手で食べようかと思ったら店員さんがスプーンを勧めてくれた。
これもライスがちゃんと炒めてあって、これだけでも美味い。
カレーとヨーグルトと生の紫玉ねぎ。
食べきれないほどあって、味も良くてしかもおかわりもある。
飲み物にビールはない。しかたなくこコーラ。

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そういえば、酒を売っている店というものは見当たらなかった。
だからホテルへ到着して冷えたビールをグッとやることはできなかった。
これだけ店があるのに見当たらないということは、ヒンドゥー教でも酒はご法度なのだろうか。
ま、そこは我慢することにして、戻って夜の出発に備える。
特にトイレに関しては注意が必要だ。
コンディションは上々。

22時になり、送ってくれるというのは、ボーイ君が荷物を担いで歩いて連れて行ってやるということだった。
バスは立派なもので上下二段の寝台が片側に5機並ぶもので、横になって完全に足を伸ばせる。
上下段それぞれに窓が付いているから寝ながら外の景色が見れるし、通路側はカーテンで完全に仕切られるのでプライバシーが保たれる。
これでトイレがあれば完璧なのだが。そういうものはない。

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22時30分頃バスは出発。市内各所で客を乗せながらホスペットへ向かう。
夜だが街中は景色が面白いので横になって外を見ていた。
寝っ転がって外の景色を見れるというのは、子供の頃、寝台列車に乗った記憶がよみがえってきて、とても楽しい気分になってきた。
トイレも済ませてきたし、途中で2回くらいは休憩するだろうと思っていた。

しかし幸福な状態はいつまでも続かないものだ。
いつまでたっても止まる気配がない。
平穏だった状態も徐々に状況に変化が現れる。
休憩所らしきところで止まりそうなこともあるが、無慈悲にも速度を上げて走り出す。

小は最悪持っている携帯トイレで済ませることができるが、それ以上だと悲惨なことになる。
ギブアップ寸前の3時半頃、ようやく止まった。
暗い場所にうずくまっている汚い小屋がトイレらしい。
駆け込んだ。
危機一髪で生還した。
5時間もノンストップだったのだ。
一体他の客はどうしているのだろうか。
こういうあたりがきちんとしていれば快適なのにと思ってしまうが、これは日本人の感覚なのだろう。
その後は平穏。

更にバスはとばす。
追い越してとばしていくのはモロッコのバスを思い出す。
周りの砂が白く雪のように見えるのはシェフシャウエンへの道を思い出す。
徐々に明るくなってきた。
到着したら、ホテルまで行って荷物を預けてハンピ村へ向かおうと思っている。
バスで行けるとのことだが、オートリキシャ(トゥクトゥクのことだ。こちらでもこう呼んでいる。)を雇った方が効率的かなと思い始めた。

バスは7時過ぎにホスペットに到着した。
随分時間がかかった。
8時間半だ。その間休憩1回。
到着と共にトゥクトゥクドライバーらしき人達が群がってきた。

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まずは知らんぷりをして歩き始める。
で、最後までしぶとくついてきたドライバーと交渉する。
どのみち、ホテルまで歩いて行くことはできないのだ。
とりあえず、ホテルまでの交渉はまとまった。
バスで熟睡できたわけではないが、眠気はあまり感じない。

2017年04月07日

2017南インド・スリランカの旅 第2章 2/26(日) ハンピ村、ホスペット

第2章 2/26(日) ハンピ村、ホスペット

トゥクトゥクドライバーは若いようだ。
これからハンピ遺跡へ行くということを話したら乗り気になってきた。
程なく本日のホテル、オーキッドに到着。
門から車寄せまで距離がある。
ホスペットでも一、二を争う高級ホテルらしい。
ロビーには大きな吹き抜けがあり、二基のエレベーターが上下している。
午前9時頃なので当然チェックインはできないが、荷物は快く預かってくれた。

待たせていたトゥクトゥクに乗り込んでハンピ村に向かう途中で交渉を開始する。

今日、明日の二日間、ガイドもするしバスチケットの紹介、明日のバス乗り場まで送るところまでやるということで話をまとめていく。
歩いて回れる範囲ではなさそうだし、その都度トゥクトゥクを頼んでいては効率的でないし、明日の深夜出発のバスまで過ごす手立ても必要だ。
相談に乗ってくれるということで全部で5,000Rsでまとまった。
安いか高いか分からないが、丸二日間これだけのサービスを提供してくれることに対して自分としては常識的な範囲と考えた値段だ。
ドライバーとしては上客をつかまえたというところかもしれない。何しろ苦労して客を探さなくても良いのだから。
ここは需要と供給のバランスが合ったというところだろう。

ドライバーの名前は、ゲグアー君、25歳、若い!!
ハンピ村へ行くために夜行バスの往復、ベンガルール空港一時閉鎖の影響もあるが、この次のケーララ州コーチンへの到着が深夜になるというハードなスケジュールになったが、その分ハンピ遺跡への期待が高い。

ハンピ村へ行く途中に踏切がある。
列車が通過するらしく遮断機が下りている。
しかしこれが一編成の列車を通すために5分位は開かない。
当然すべての車両やそれ以外が集まってくるわけで混沌としてくる。
通過していく列車は長い編成の客車列車で人々がぎっしり乗車しているようだ。
寝台もある。
さすがに屋根に人は乗っていないが通路までぎっしりといった感じに見える。
当初はベンガルールからこれで行こうかとも考えていたけれど、これはトイレどころじゃあないぞ、バスで正解だったと思った。

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遮断機が空いたとたんにすべての車両やそれ以外が殺到する。順番なんて関係ない。
牛やら何やらもいてそれはすごい騒ぎだ。

道は片側一車線の左側通行だが、例によって三車線あるいは一方通行状態になっている。
これで事故をあまり見かけないのがー実際にはあるのだろうけれどー不思議だ。

ホスペットの街もベンガルールのような都会から比べればかなり田舎だが、ハンピ村は観光と巡礼だけが産業というとても素朴な村らしい。
ゲグアー君によれば、今日は入場無料の遺跡を回って、明日は共通チケットで回れる遺跡に行くというプランだ。
地元民のプランにお任せした。ただ、今日の午後にはヘーマクータの丘に登りたいというリクエストはしておいた。

トゥクトゥクをとばして約20分、岩山群が見えてきた。
ハンピ遺跡だ。

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ハンピ村は14~16世紀にかけて南インドを治めた王朝の都。
現在は岩山に囲まれた自然が豊かな観光地であるとともに寺院が現役で機能している巡礼の地でもある。
そして、なんと言うかこれまでに経験したことのないような活気のある田舎町なのだ。

人間と動物、家畜が共生している。

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牛、ヤギ、ブタ、サル、リス等々。
犬や猫は当たり前として、彼らが普通にそのあたりに佇んでいる。
ヤギはヤギ使いがいて飼われていることがわかるが、その辺りに佇んでいる牛はどうなんだろう。
動力として車を引っぱっている牛もいるが、ただ佇んでいるだけというものもいる。
ヒンドゥーは牛は聖なる生き物だからということは分かるが、ではブタはどうなんだろう。
おそらく飼われているのだろうが、犬のようにそこらを歩き回っている。しかも子ブタ付きだ。
サルとリスもそこら中にいる。サルは大きい。
不思議と馬とロバがいない。

これは失礼しましたと言うか、シャッターを押した瞬間にこのようなことになってしまったもので、路上で行うというのがほほえましい。

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ハンピバザールという所がこの村の中心部で、土産物店、食堂、ゲストハウス等がひしめいている。

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独特の雰囲気がある。緩い雰囲気だ。
色々な人種の観光客、一日中そこに佇む老人、乞食、顔を極彩色に塗った行者らしき人々、どこにでもいる何をしているのかわからない人々・・・・・・・
古い言葉だが、ヒッピーがしっくりくる雰囲気、マリファナが似合いそうな雰囲気とでも言おうか。
ゲストハウスには何日も滞在している旅行者がいそうだし、ここでの長期滞在はおそらく楽しいだろうが、現実からかけ離れそうだ。社会復帰が難しいだろう。

まずは、朝食ということでゲグアー君のお馴染みらしい川沿いのレストラン、チルアウトへ。

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ここはとても気持ちの良い風が吹いてくる。
寝そべれる席もあって、またまた緩い雰囲気に満ちている。
ただし下水臭いのだが。
だが、これはどこでも同じだ。牛のふんとかゴミとか色々と道には満載でサンダルで歩く気にはなれない。
地元の人達は裸足でも平気なようだ。
トイレの床が常に濡れていることを考えれば面倒がなくて良いのだろうけれど、ちょっと無理だ。

さて、朝食を済ませてから遺跡巡りを始める。
今日は無料で行けるところばかりで、最後に特に行ってみたかったマータンガヒルへ登るというのは外せないのだ。
遺跡間は結構距離があるので徒歩で回るのは無理がある。トゥクトゥクか最低でもレンタサイクルは必要だろう。
しかし、一人だと道が分からない。ここはガイドがいた方が良い。

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石でできた巨大建築物が遺跡の殆どで、寺院と王宮が多くを占める。
色彩感には欠けるが細工が細かいのと、いったいどうやって作ったのかと思えるものが多くて面白い。
復元したものも多いのだが、現実に礼拝が行われているところもある。
不気味な格好をした行者のような人達もいるが、写真を撮らせたり寄付をねだったりの金目当ての輩もいるようだ。

途中、ハンピバザールが見渡せるヘーマクータの丘へ登ると、下の寺院の方から打楽器と笛による音楽が聞こえてきた。打楽器はタブラだろうか。
場の雰囲気に溶け込んでいてしばらく聞き入ってしまった。

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ガネーシャ神

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遅いランチは例のチルアウトへ。
今度はサンドイッチにしてみた。これがとても美味い。
キングフイッシャーがあるよという。つまりビールだ。メニューにはないのだが。
当然飲む。美味い。やっぱりこれだよな。
ヒンドゥーも飲酒の習慣はあまり好まないということで、大っぴらには飲酒しないらしい。

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このあと待望のマータンガヒルへ。
岩山を登ること40~50分。
地元らしき若者たちはサンダルで登ったりしているようだが、足を滑らせたら転落して死亡だ。何せ岩山なのだ。

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登るにつれてハンピ遺跡の全貌が見えてくる。
頂上には礼拝をするのだろうか、石の小屋がある。
そういえば去年の今頃はサハラ砂漠の砂山を登っていたな。
頂上に他に人はいない。
一人で30分位リラックスしていたのはサハラ砂漠の時と一緒だ。
この風景も日本で見ることはあり得ないだろう。
親子連れらしい人達が登ってきた。
下界でゲグアー君との待ち合わせの時間もある。
今日はここまでにしてホテルへ戻ってチェックインすることにしよう。

本日のホテル、「ロイヤル・オーキッド」はホスペットでも高級ホテルのようで楽しみの一つだ。
案の定、フロントの対応もしっかりしているし、吹き抜けにエレベーターだ。
案内された部屋は広くて、カーテンを開けたら地平線まで見えるほどの眺望の良さ。

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左手に川が見える。
ここでビールを飲みたい。
日本だったらホテル内でも気軽に買えるのだが、ここではそうでもないようだ。
荷物を置いて鉄道駅方向へ歩いてみる。

ベンガルールに比べれば、車も人も少ない。
ホテル前の鉄道駅への通りはメインストリートなのだろう、店も結構ある。
とりあえず駅でATMを見つけて現金を調達するが、大きい札しか出てこない。
これは結構困るのだ。
おつりがないという事態になってしまうのだ。
この先、うまく両替していかなければならない。

おじさんたちが隠れて飲んでいるような立ち飲み屋と言うよりは酒屋をようやくみつけて、やっとキングフィッシャーを購入した。
早速ホテルへ戻ってシャワーの後に飲む。
最高だ。
余裕が出てくると、もっと強い酒が欲しくなる。
先程の酒屋を再度訪問。ウイスキーを買ってきた。

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改めて見てみると、酒屋自体が目立たない雰囲気だし、ここで飲んでる連中もいるが、何となく恥ずかしそうにひっそりと飲んでいる。
背徳的なのだ。

夕日が沈むのを見ながらゆっくり飲むのは、サルバドールの時のようだなと思ったりする。

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夕方の川沿いを散歩している人達がいる。
列車の汽笛の音が聞こえてくる最高のロケーションですっかり気持ち良く飲んでしまった。

夕食は、当初は外で食べようと思っていたが、どうも近場には適当な食堂がなさそうなのでホテルのレストランで食べてみることにした。
豪華な雰囲気だ。
従業員の動きもきびきびしている。
量が多い。カレーがかなり辛い。
昨日までのカレーはもっと穏やかだったような気がする。
雰囲気は豪華だが味はイマイチというところか。
お客さんは欧米人観光客が多いようだ。

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部屋ではWifiが楽につながるので、何だかんだしていると眠くなってきた。
今日は昨日の夜行バスのようなトイレの心配がないのでゆっくりと飲める。
明日はゲグアー君と10時にホテル門前で待ち合わせ。
ホテルはチェックアウトして荷物は引きあげてしまう算段だ。
昨日からあまり寝ていない。
今日はゆっくりと休もう。

2017年04月19日

2017南インド・スリランカの旅 第3章 2/27(月) ハンピ村

第3章 2/27(月) ハンピ村

今日はゲグアー君と10時にホテル前で待ち合わせだ。
7時から朝食のブッフェが始まる。
こっちの方が昨晩のディナーより良いような気がする。

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昨日ハンピ村のツーリストオフィスで今夜のベンガルール行きの夜行バスのチケットを買った。
23時発でRs900。
行きはRs500だったのだが何故だろう。
そもそもRs500というのが安すぎたと思うのだが。

荷物をどうにかして、尚かつ日が暮れてから23時頃までどうするか、昨日ゲグアー君と相談した。
ホテルをチェックアウトして、荷物を昨日のベースになったチルアウトへ預けてしまう。
ハンピ遺跡を見て回ってランチ、ディナーをチルアウトで済ませて、そのまま22時頃まで寝っ転がったりして過ごして22時にホスペットのバス停まで移動するというプランだ。

夜になると少しは涼しくなるようだが日中は30度越え。暑い。
また今夜も夜行寝台バスだから体調にも気を配らねばならない。
さて、とても快適だったロイヤルオーキッドホテルを10時にチェックアウトしてハンピ村へ向かう。

またもや踏切渋滞に当たってしまい通過するのに大騒ぎ。
何故一編成をを通すのに5分も閉まっているのだろう。
ホスペットからハンピ村までの間にもいくつか村がある。
牛もヤギもブタも犬もいる。
観光とは関係のない生活がある。

村ではなくキャンプに暮らしている人達がいる。テント村だ。
ハンピ村のバス停付近には昨日も見かけたツーリストバスが何台も停車している。
インド各地から巡礼に来た人達だろうか。
サリーが干してあったり、バスの周りには敷物が敷かれてあったりで、そこで暮らしている感満載。
トイレはどうも日本なんかよりは超寛大らしく、男女問わず皆そこらへんで済ませているようだ。
これにも慣れるべきだろうか。
時々手にぶら下げている金物の円筒形の容器にはその際に使用する水が入っているようなのだが、確かめてみたわけではない。

本日は、有料のスポットを訪れる予定だ。
最初は出土品博物館へ。

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三か所共通チケットを買って、とにかく夜まで時間はたっぷりとあるのだからゆっくりと見て回ることにする。
客はほとんどいない。
ハンピ村をかたどった箱庭というにはあまりに大きいのだが模型が興味深かった。
整備された庭があり、そこにも出土品の神々が安置されており木陰でしばし寛ぐ。

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次はヴィッタラ寺院に向かう。
入り口から寺院まで約1km、電動カートで移動する。
15世紀建立の広い寺院で、境内にはさまざまな建築物が建っている。
昼前だが相当暑くなってきた。

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有料三か所目はロータスマハル、エレファンツステイプルという建造物を中心とした王宮地区。
ここは寺院ではなく王宮の暮らしの遺跡だ。

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王宮の象が繋がれていた。それらしき形がうかがえる。
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かなりゆっくりと見て回ったつもりだが、移動がトゥクトゥクで速いのだ。
しかし、自転車で回るには広すぎるし、道が分からない。

この後は遅い昼食をチルアウトで済ませて、夕方までハンピバザールを徒歩で回って、17時頃からサンセットを見るのに絶好なスポットへ行くという。
サンセットやサンライズはどこへ行っても見れるけれど、地元の人が勧めるスポットはそれなりの理由があるもので言われるままに行った方が良いのだ。

昼食はサンドウィッチとキングフィッシャーで済ませる。

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ここで飲むキングフィッシャーは実に美味い。
チルアウトは欧米人観光客が多いようだ。
Wifiがつながれば文句なしなのだが。

一休みしてからハンピバザール周辺を歩いて回る。
動物が行き交う素朴な村でも、子供たちはスマホでテレビを見ている。
さすが、IT大国だ。

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この辺りで一際目立つヴィルパークシャ寺院を訪ねる。
ハンピバザールから小さな橋を渡って行くのだが、昨日橋の上に佇んでいた牛はやはり佇んでいた。

ヴィルパークシャ寺院に入る塔門は細かく細工された建築物でとても不思議な雰囲気だ。
ここは遺跡ではなく現役の寺院、巡礼の人達も多い。
寺院に入るには履き物は脱がなくてはいけないし、被り物はご法度、肌の露出などもってのほかだ。
夕方も近くなっているが、まだ日差しはきつい。
沖縄のように日影が人気スポットになっている。

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ハンピバザールは、あまり広くはない。
30分もぶらぶらすれば大体地理は飲み込める。
牛が行き交っていて、その排泄物もあまたあるので若干の注意も必要だ。
土産物屋や食堂、ゲストハウスなど多数あって、ここに滞在するのも楽しそうだ。
1970年代のヒッピームーブメントのにおいがプンプンする。
一週間もいたらハマってしまいそうだ。

17時頃からサンセット見物へ出発した。
着いたところはやはり寺院だが結婚式場だともいう。
野外でとり行っていたのだろう、今まで式をやっていて、まさに撤収作業の真っ最中。
寺院ではパーカッションとお経のライブが続いている。
これもとても興味深く聴き入ってしまったがサンセット見物があるので帰りにまた覗いてみよう。
寺院を通り過ぎて行くと、そこは突然岩山の頂上付近だった。
そこがビュースポットだ。

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微妙にバランスを保ったまま倒れない岩、奇岩、そこからは360°の大パノラマ。
有名なサンセットビュースポットであることとデートスポットであるらしく、カップルの観光客多数。
高いところというのは下界の音がことのほか良く聞こえるのだ。
帰り道らしいヤギの群れが道を塞いでいるようで、車のクラクションの音が聞こえてくる。
日が暮れてきた。

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夕陽はもちろんきれいだが、沈んだ後の残照も美しいのだ。
昨年の今頃、サハラ砂漠で夕陽と朝日を見た。
あの美しさも壮絶だったけれど、今日のもなかなかのものだ。
だが陽が沈んでからの空の複雑な色彩の変化は我が家のものにかなわないんじゃあないかと大胆にも思ってしまう。
サンセットタイムが終わると皆引き上げる。
暗くなってこんなところにいたら命はない。
空気が涼しく感じられる。
我々もチルアウトに引き上げる。

ここで夕食をとってスタートの22時頃まで3時間近く時間をつぶすのだ。
基本的には横になっていればよいのだが、退屈なので本を読み始めた。
この店は暗くなると非常に怪しい雰囲気になる。
そもそも照明が読書できるような明るさではない。ヘッドライト使用だ。
また、怪しげな欧米人もやってくる。
近くの席の白人男性カップルから漂ってくる煙の臭い。
まあ、余計な詮索はしない方が良い。
トランスミュージックがずーっとかかりっぱなしだし、この照明の暗さも怪しい雰囲気に拍車をかけているようだ。
こういう場所では酒をガンガン飲むというのは似合わない。
沈思黙考が似合うのだ。

テラス席で談笑していた一段の中にターバンを巻いた男性がいた。
楽しく談笑していたように見えたのだが、何故か彼一人がこちら側の寝そべり席へやってきて読書中の僕に話しかけてきた。
こちらに来てから英語の発音が聞き取れず苦労しているが、彼の英語はよく分かる。

初めはどこから来たとか当たり障りのない話をしていたが、僕がギターの教師もしているという話題から音楽の話になると身を乗り出してきた。
日本の音楽を聴きたいという。
今の流行の曲は知らないというと伝統的な曲が聴きたいと言う。
ここはやるしかないだろう。
何にしようかと迷っている暇はない。
何故か「月の砂漠」を一席うなってしまった。
キーが低すぎたような気もするが歌詞もちゃんと出た。
気に入ったらしく、そこから音楽の話題になり、音階の話になったら、彼が色々な音階を唄って僕が後を追いかけたり・・・・・・何だか去年のサハラ砂漠で経験した状況と似ている。
彼が提示した5音階が沖縄の音階とそっくりだったり、ラーガの複雑さについて語ったり、とても楽しい時間が流れていった。
彼はインド人、パンジャブから来ていてインド人アーティストのために作詩をしていて、本職は医者だということだ。
互いの連絡先を交換し合った。
ギターがなくても何とかなるもんだ。
楽しい時間は過ぎるのが速い。
スタートの22時がやってきた。

寝そべって長時間寛いで荷物も置いてもらっても代金は飲食代のみという明朗さ。
このあたりのゲストハウスに逗留していたら毎日行きそうな場所だ。

ゲグアー君にホスペットのバス発着所ーバス会社の建物の前に人が集まっているだけなのだがーまで送ってもらって2日間付き合ってくれたお礼を言いギャラを支払う。
2日間で5000Rsは彼にとっては良い仕事だったと思うがこちらも相当助かった。
ホテルに入れない時間をどう過ごすかがここでの課題だったからうまくいったと思う。
大企業に支払うよりも仕事をしている地元の若者に支払う方がよほど有意義と思うのだ。

バスオフィスにトイレがあったので待ち時間に何回かトイレを済ませておく。
行きのこともあったが、こうなるともう気持ちの問題なのだ。
バスは予定の23時過ぎに到着し少し遅れて出発した。
900Rsと行きの倍近い値段だが違いはあまりない。
この辺はあまり気にしない方が良いのだ。
行きと違ってホスペットを出発したら他の客を拾うことがないので快調にとばし始めた。
明朝6時頃ベンガルールに到着するらしい。

2017年05月22日

2017南インド・スリランカの旅 第4章 2/28 (火) ホスペット→ ベンガルール→ コーチン

第4章 2/28 (火) ホスペット→ ベンガルール→ コーチン

今夜は、朝起きて行動して夜寝るという生活をしてきているので行きよりも体調は安定していると思う。
今回も23時半に出発して相当時間が経ってもきちんとした休憩は一度もない。
一回だけ3時頃か緊急事態のニ三人の用を足したくらいで、他にも希望者がいた感じだがバスは出発。
そもそも高速道路(と思われる。)上なのだ。
結局、トイレ休憩はその後4時頃、料金所を過ぎたと思われる広くなっている場所、そこに屋台が集まっているのだが、そこで野外用足し男女とも。
ごみは捨て放題だし、バス自体は快適なのに何故きちんとした対応ができないか謎だ。
お国柄だろうか。
人間だから時間が来たら必ず催すことになっているのだから、ここを気持ちよく過ごせないというのはやはり日本人としては理解できない。
彼らが日本へ来てこの辺りの事情に驚愕するのもうなずけるのだ。

ベンガルールに近づくにつれて冷えてくる。
バスはすっかり夜が明けた6:30頃マジェスティックの近くに到着した。
見覚えがある場所というのは安心感を生むものだ。

さて、今日は21:30発の飛行機でケーララ州コーチンへ向かうので、それまで休憩するホテルをまず探さねばならない。
まとわりついてくる客引きやリキシャドライバーを振り切って歩き出す。
見覚えのあるマジェスティックが見えてきた。
荷物もあるし、いつものように最後までついてきた客引きのおじさんの話に乗ってみた。
日中はエアコンなしではきついのでAC付きWifiあり、1500Rsで話をつけた。
静かでホットシャワーもある。

荷物を置いて朝食に出る。
一回来たことがるというのはどこへ行っても強みで、マジェスティック周辺は大体地理が飲み込めた。
地元の人たちで賑わっているカレースタンドへ入ってみる。
多分日本でいえば立ち食いソバだ。
これが安くて美味い。チャーイも美味しい。
また行きたくなった。

ホテルへ戻ってシャワーを浴びてとりあえず休む。
夜行バスは横になれるけれど、熟睡はできないし、汗でジトっとした状態になるのでここで休めるのはうれしい。
今日はコーチンのグランドホテルにレイトチェックインという予定だ。
夜中の12時頃になる筈だ。
もっと余裕がある筈の計画だったのだが、エアアジアの都合で便が変更になってしまったのだ。
調べてみると、どうもベンガルール空港が一定時間閉鎖になっているらしい。
ただこんなのはまだましな方で、スリランカ航空は航空会社の都合で一日早い便に変更させられてしまった。
仕事絡みだったら大変だ。

ゆっくりと休んでから昼食はマジェスティック近くのレストランで定食。
テーブルに飲料水と称した容器が置いてあったり、飲料用の蛇口があったりするがこれは避けた。
何故みなミネラルウォーターを飲んでいるかということだ。
ここまでインド旅行の洗礼と言われる腹を壊していないので、この後も調子良く行きたい。

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今回の旅の前にPRIORITY PASSというものを手に入れた。
空港の契約ラウンジを使えるというもので、海外では相当に使い勝手が良いらしい。
若い時は考えられない贅沢だが、まあもうシニアだしそろそろいいかなという感じだ。
今日はベンガルール空港のラウンジを使ってみたいので早めに空港に着きたい。
空港行きのバス停を探すということもあるので早めにチェックアウトする。

バス停の中心部から荷物を抱えて外へ出るのに苦労した行きだが、意外にもバス停中心部へ行く地下道があった。
露店がひしめいている。
本当にこの街は活気と喧騒とゴミにあふれた街だ。

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空港行きの乗り場だと聞いていたNO.9を探し当てたが、空港行きではない。
行きのことを思い出して逆にたどってみたら、何のことはない行きに着いた場所が出発する場所だった。
A/Cシャトルバスはエンジンを切っている待機時間の暑さがすさまじい。汗が噴き出してくる。
しかし、動き出してエアコンが入ると寒くなる。

空港へチェックイン後、国内線のプレミアムラウンジを使う。カードのみでOKだ。
ソファが多数あり食べ物もドリンクも豊富にある。これは快適だ。
ただしアルコール類は有料。これはちょっと残念。
キングフィッシャーが400Rsもする。これはあほらしい。
難点はフリーWifiがパスワードをSMSに送ってくるシステムなので、モバイルを切っている自分としてはパスワードが分らず使えない。
ショック。暇になってしまった。
今日はホテルに入るのがおそらく24時頃になるだろうから、夕食はここで済ませてしまう。
皆、荷物を席に置いてサーブやトイレに行っている。
泥棒をするような妙なやつは来ないだろうということなんだろうが、これは一人旅にとってはありがたい。
国内線でもこれだけ充実しているのだから、国際線ではさらに期待が持てそうだ。

機は定刻に出発、約1時間でコーチン空港に到着した。
列車だと12時間かかるのだ。
値段も激安だし、到着時間が変更になったと言って文句を言うのは罰が当たる。

機から降り立つと夜でも暑い。
ベンガルールは標高900m位あるので夜になると涼しかったのだ。
対してコーチンは更に南で海辺。暑いはずだ。エアコンなしでは無理そうだ。

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荷物が出てくるのが遅かったので、プリペイドタクシーは最後の方になってしまった。
空港は閑散としている。
ホテルまで1時間くらいかかるということで24時までに着けるかどうかは微妙なところだ。
レイトチェックインのリクエストは一応してあるので大丈夫だとは思うが一抹の不安あり。

大通りはメトロの工事中らしく、車は右へ行ったり左へ行ったり。
しかし、ベンガルールと随分様子が違う。
静かなのだ。
ベンガルールではあれほど鳴っていたクラクションがあまり聞こえない。
夜中だということもあるけれど、運転の仕方もどこかおとなし気に思えてくる。
エルナクラムという地区のMGロード(どこの都市にでもある通りの名前で、MGとはマハトマ・ガンジーのことだ。)に面したグランドホテルは創業50年の有名ホテルだ。
到着を待っていてくれたらしくとてもありがたい。
従業員の応対も丁寧で部屋も広くて言うことなし。

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これでビールが飲めたらと思うのだが、残念ながらそれはできない、我慢してくれとのことだ。
外へ買いに行くこともできないし、出れたとしてもどこに売っているかもわからないし、深夜の徘徊は危険すぎる。
やはりここでも気軽にビールが飲めるという環境はないらしい。
お腹は何とかなっているので水とコーラで我慢する。
明日は近場のフォートコーチンへ移動するだけだから、午前中ゆっくり街歩きをしてみよう。
明日は、久しぶりにランドリーサービスを使うという予定もある。
13時頃にはフォートコーチンへ着くようにしよう。

2017年05月25日

2017春・八重山・鳩間島音楽祭・沖縄

今年で第20回となる鳩間島音楽祭の季節がやってきました。
我々の出演も今回を数えて15回。

思えば、島人たちとのちょっとした飲み会から始まった音楽を通した付き合いとそれ以上の人との付き合い。
手造りの舞台とささやかな観客で始まった祭りが、立派な野外音楽堂に毎回千数百名の観客を集めての祭りになりました。
良い意味でも悪い意味でも大がかりになった祭りですが、我々は毎年楽しんできました。

初めはU家に居候生活、その後はずっと民宿「瑠璃」での自炊生活はその時期だけの非日常が自然に演出され、とても刺激的な日々を送ることができました。

今年は石垣に到着する前日、沖縄は雨がちでとても涼しかったのですが、石垣に到着してからは徐々に天気が回復し、久しぶりに暑い八重山の日々を送れそうな予感がします。

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金曜日午後に石垣着、日曜日のパパビゴーヂでのライブまではフリーです。
特にやることもないのですが、地元の知人に会ったりしているうちに時間は過ぎてゆきます。

今年は久しぶりにボーカルのKazuが参加してくれました。
初めに鳩間島音楽祭に出演した時は彼と一緒でした。
何年か一緒に参加し、ここ数年は来れなかったので久しぶりの参加です。
パパビゴーヂはボーカルの千草さんとツインボーカルの豪華版。
いつものカンキンのパーカッションも加わって楽しいライブでした。
そして何年ぶりかのオリジナルサンバ歌謡も演奏することができました。
ノリの良いお客様に感謝です。

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翌日は鳩間島へ渡る日です。
天気は良く、海も静か。

以前は自炊にかかる材料費を細かく計算して一人一日当たりいくらと負担額を計算していたし、石垣に入る前に米、調味料、乾麺等の乾き物を段ボール詰めして島へ送ったりしていましたが、滞在する人数が少なくなってからは面倒くさくなってやめてしまいました。
自分で必要と思われるものを持ち寄って、ビールは実費。
小生一人で滞在しているときは米とインスタントみそ汁と塩で暮らせるわけなので、贅沢を言うときりがない。
まあ、今回のように人数がいるときは皆さんの食や酒に対する趣味やこだわりがあるので色々なものが持ち込まれ、どんなものが出てくるのかも楽しいですね。

今日は夕刻から昨年11月に亡くなったターキこと宮良龍男さんを偲ぶ会を浦崎家開催でとり行うことになっていたので、我々の主要メンバーも5月1日にほぼ集まりました。
しかし、会の開催前に、まずは瑠璃の当主で長年の知り合いでもある米盛のおじいとの乾杯の儀式があります。

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毎年、おじい、おばあの元気な姿を見たくてここにやって来るということも大事なことなのです。
おじいは足が弱ってきているので毎年、母屋へ引き上げる時間が早くなってきていますが、今年は17時始まりの18時30分撤収。
今後はもうちょっと早く始めましょう。

19時からは「ターキを偲ぶ会」。
彼の若かりし頃の写真や生前の録音等が披露され、ハーモニカの演奏は録音されたターキのピアノに乗せて奏でられ、ターキがそこでピアノを弾いているような錯覚を覚えました。
浦崎家心づくしのご馳走もあり、出席者はそれぞれに唄や演奏を披露して、ターキとの思い出に浸りました。
とても良い夜でした。

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何故かヤシガニが参加
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明けて2日は前夜祭の夜ですが、日中は皆思い思いの時を過ごします。
昼間、雨が降ってきましたが夕方にはやんで、おじいとの乾杯もいつも通り。

雨なので室内で下ごしらえ
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こうなります。
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今日は、出番の確認と段取りの打ち合わせをしておく必要があります。
我々の出番は11時55分~12時5分となっていて、たった10分。
ただ、経験から言うとこの時間帯は結構時間に余裕があって多少延ばしても文句は言われんだろうと踏んでいます。
基本15分、さらに様子を見て延ばすこともありという中で段取りを組んでいきます。
ダンサーをどこで登場させるかというのも大きなポイントです。
石垣在住のメンバーは明日日帰りで来るため、来島してからちょっと打ち合わせしただけで本番なので、こちらで組み立てておかないといけないわけです。

雨もすっかりやんで、前夜祭は屋外で行われました。
イマイチ盛り上がりに欠けるようです。
出る人が少ないんじゃあないかな。
昔みたいに前夜祭出演者から1,2組は本祭に出れるよーとした方が盛り上がるかも。

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何となく打ち上げ
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さて、5日音楽祭当日。
天気予報はかなりの高確率で雨の予報でしたが、すっきりと晴れ渡って数日前の湿気が少ないからりとした暑さとは打って変わって蒸し暑い。
本来の八重山の気候です。

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我々の出番は11時55分。
これは経験上すぐに回ってくる感じです。
10時に始まってすぐにスタンバイの筈です。
石垣組が到着したのが10時頃。
再会を祝し合うのもそこそこにスタンバイ。

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会場の様子
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鳩間古謡
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ほぼ時間通りに進行しているようです。
本番は結局3曲、17分位。
このくらいの時間では去るのが惜しいステージでした。

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早い時間に終わるとこの後安心して飲めるので嬉しいのです。
天気も良いし最高。
いつも日帰り組が帰る船の時間まで、この後だらだらと飲んでいるのがとても幸せな時間です。

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フィナーレはいつもの鳩間オールスターズにゲストも加わって鳩間の港で大団円。

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そういえば、その前に我々もM澤氏のステージの5曲目ににぎやかしパーカッションとして参加しましたが、サンバではなくエイサー風の曲。
エイサーの演者たちもいたのに・・・・・・。
対してサンバ風の触れ込みでヒットした「風になりたい」はただのフォークソングでバテリアが入る雰囲気ではありませんでした。

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日帰りのお客さんが多いので桟橋は大行列。
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結局最後の一人を見送りを済ませるまでの約2時間、見送りバンドは演奏し続けたのでした。
お疲れさまでした。

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サービス精神旺盛な沖縄県警
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思えば、以前はもっと色々な人達が出演していた音楽祭でした。
勿論ジャンルは多様。
いつからテレビに出ているいわゆる有名人が出るようになったんだろうか。
それでお客さんが増えて更にエスカレートしていく。
でもそれは、例えばあるお店がテレビに紹介されてそれを見た人が一瞬殺到して、本当に好きなお客さんは敬遠してしまう。そして店の質は落ち、お客も減ってしまうという悪循環と似ている気がします。
もちろん、有名人であっても鳩間島音楽祭に出演したいという気持ちがあれば尊重すべきだと思います。
しかし、それは他の出演者と条件は同等であるべきだと思います。
大衆受けするような歌謡ショーはいらないというのが小生の意見です。
今年は第20回ということで、おそらく来年からはどこか変わっていくだろうと思います。

地味だけれど良い企画です。
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見送りを2時間もやってスタッフもすっかり疲れてしまい、後夜祭は各民宿でやればよいということになりました。
これはその方が良いですね。
祭りの後の静かな鳩間島を味わえるからです。
そして民宿を訪問し合うのも楽しいのです。

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翌4日は残っている面々は静かな鳩間島をじっくりと味わう貴重な日です。
出発する皆を見送りながら、明日は我が身が見送られ。

5日は石垣へ戻ってタニファでライブです。

朝食のパスタ
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米盛のおじいは、足が弱っていてもう桟橋まで見送りに行けないのですが、船から見える瑠璃の食卓でおばあと一緒に最後まで手を振ってくれます。
遠くからも見えるようにとの配慮でしょう、白いタオルをもって振っていてくれました。
また会えるんでしょうが、何回経験してもこの別れ方は胸に来ます。

石垣に帰ると、人間関係はサバサバとしたものに戻り、お金を使う世界に戻ってきたなあといつも実感します。
今夜のタニファは、サンバと昭和歌謡、オリジナルサンバ歌謡と濃厚な出し物になりました。
お客様も濃厚な人ばかり。

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今夜である程度のまとまった行動は終了です。
小生は明朝8時10分発の沖縄行きですし、皆それぞれの予定があるので、ここで解散です。
八重山ツアーお疲れさまでした。

さて、小生は翌日沖縄に飛んで友人と合流して、スウェーデンからの親子とノルウェーからの彼女たちの友人と合流し、南城市の大池氏宅まで行って交流ライブを行うという予定なのです。
6日も若干の雨がちでしたが、合流を予定する7日は午前から午後の早い時間帯にかけて所によって大雨。
でも彼ら外国人3名は、大池氏が機転を利かせてくれたおかげで無事ピックアップすることができました。

スウェーデンからの親子は、本来は鳩間島に来たかったのですが、沖縄・石垣間を欠落する予定を立ててしまい、今回は鳩間島は断念することになりました。
その代り、沖縄本島を約2週間たっぷりと楽しみたいらしいです。
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来日する前のメールのやり取りからして、日本語は全くダメかなと思っていたのですが、北海道の大学にも留学した経験もあるということで、簡単な日本語だったらOKみたいです。
彼女たちは、スウェーデン在住のトルコ人とノルウェー在住のエチオピア人。
豚肉がだめだというので、ひょっとしたらイスラムで酒も駄目かなと思ったら大違い。
かなりの酒好きと見ました。

今回の交流ライブはギターソロだったんですが、予想に反して多数のお客様に来ていただき(子供率高し。)、2部はセッションタイムにして盛り上がりました。
こういうライブも楽しいです。

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いつも色々な方々にお世話になってこそできるこのツアー、感謝です。
来年の音楽祭はどうなるか分かりませんが、何らかの形で関われたらと思っています。

2017年06月01日

2017南インド・スリランカの旅 第5章 3/1 (水)  コーチン・エルナクラムからフォートコーチン

第5章 3/1 (水)  コーチン・エルナクラムからフォートコーチン

7時過ぎから朝食だ。
ここ、グランドホテルのレストランは評判が高く、カレーは一般の人達もわざわざ食べに来るとのことだが、昨日は深夜着で味わうことができなかった。
確かにブッフェ形式の朝食はどれをとっても美味しかった。
インドでミルクというのはチャーイに混ぜるものとしての飲み物なのだろうか。それだけ飲むと脱脂粉乳のような味がする。

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朝食後は街歩きに出かける。
まずは、フォートコーチンへ渡る桟橋、メインジェッティーへ。
地図より距離があるようだ。
荷物を持っている移動の場合はリキシャを利用しよう。
歩いていると様々なところでリキシャに声をかけられるが、別に無視していればよい。
早くも暑い。朝が噴き出してくる。

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メインジェッティー
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桟橋からエルナクラムジャンクション駅へ。
これが結構遠い。
そして翌日使うであろう長距離バス乗り場を探すが、ここには行き着けなかった。
相当汗をかいた。

これは多分寺院だと思う。
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エルナクラム駅
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昨晩は静かだと思った車のクラクションも今は普通に鳴っている。
ただ、ベンガルールほどではない。
車輌が途切れることがあるので、全く途切れないハノイよりは横断しやすい。
しかし、いつも思うのだが交通ルールというものは存在するのだろうか。
車の右ハンドル、左側走行は日本と同じだが、左側通行以外のルールが見えない。
リキシャに乗っていても、よくこれで事故らないものだと感心してしまうのだ。

一般的な公共バスに窓はなく、ドアも開きっぱなし。
日中暑い乾期の今はまず風通しだろう。

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ホテルに戻って荷造りをしてチェックアウト。
グランドホテルは従業員の感じがとても良かった。
レイトチェックイン、翌日出発なのでホテルの魅力を充分は味わえなかったがお薦めできるホテルだ。

リキシャでメインジェッティへ。
フォートコーチンへの船は古びたものでゆっくりと進む。
運賃は4Rs、7円くらいだ。

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旅慣れていそうなイギリス人のおじさんと話す。
日本にも相当行っているらしい。
四国の巡礼もしたと話していた。
日本は全てにおいて旅行者にとっては楽だと。
交通機関は時間が正確だし安全だし治安は良いし。
それはどこへ行っても感じる。
こんな話を横で聞いていた地元の人らしきおじさんが声をかけてきた。
フォートコーチンへ行くなら家へホームステイしないかいと。
それってすごく面白そうな話だと思ったが、小生はホテルは予約済み。
イギリス人は話に乗ったようだった。
当たり外れはあると思うが面白そうだ。

約20分でフォートコーチンに到着。
この辺りはアラビア海に面した海岸地区で、半島や島が複雑に位置し橋で結ばれていたりするので、船ではなく橋を使って車でも行き来できる。

リキシャでホテルへ到着。
古い調度が有名なホテルだとのことだがマネージャーらしきおやじは愛想が悪い。
パスポートを預けろと言うがこんなのありかね。
ただし若い従業員は皆愛想が良い。
洗濯物がたまっているので今日はランドリーサービスを使ってみる。
日本だったら旅先でも自分でするのだが海外だとなかなかそうもいかない。

家具が古そうだ。
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バスタブが付いているとは珍しい。
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ホテルの中庭
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もう昼過ぎだ。お腹がすいた。
近所の食堂へ入る。
南インド名物のマサーラー・ドーサーがあるので迷わず注文。
ビールは・・・・・・・・無い。
見てくれは巨大春巻き、ずっしりと重く大したボリュームでとても美味しかった。
こちらの食事はどこでもボリュームがあるのだ。

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昼食後は街歩きを開始。
この辺りは16世紀以降ポルトガル、オランダ、イギリスに支配されるという時代を歩んできた。
だからフォートコーチンはポルトガル建築様式の建造物が多い。
教会が代表的だ。

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暑い。
歩いていると海岸線に出た。

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風があって木々が生い茂り日影があって多少涼しい。
海岸に面した遊歩道には屋台や土産物の露店が沢山出ていて賑わっている。
こういう雰囲気は大好きだ。
色々と見て回った。

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海岸にはチャイニーズフィッシングネットという巨大四手網のような漁具が備え付けられていて、それで獲ったのだろうか、屋台の魚屋がいる。
どこも買った魚を広場の店で調理して食べさせてくれるらしい。

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のどが渇いたのでココナッツジュースを飲む。
ついでに果肉も食べてみる。
特に味はないのだが乾いた喉にはうまく感じる。

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しかし、段々と小銭が減っている。
2000Rs札が2枚あるが、これがなかなか使えないのだ。
おつりがないということで断られることが多い。食堂でも断られた。
ATMも無さそうだし、2000Rs札だけ残ったら何も買えないということになってしまうのだ。
土産物屋台で100Rsの物を買ってダメもとで出してみたら、何と1900Rsおつりをくれた。
ありがたい。
こんなことでもありがたく思うのだ。

大汗をかいたので一旦ホテルへ戻って一休み。
海岸遊歩道の終点とホテルはすぐ近くにあることが判明した。
シャワーを浴びた後ビールを飲みたいのは当然の欲求なのだが、今までにビールを売っているところは一軒も見当たらない。
リキシャの運ちゃんをつかまえて、どこかビールを売っているところに連れて行けと頼むと、それはできないと言う。
今日はアルコールは口にできない日だと言う。禁酒日だ。
やはりヒンドゥー教もイスラムほどではないがアルコールに関しては肯定的ではないのだ。
売りもしないし、飲食店でも出さないらしい。
明日は大丈夫らしい。
それにしてはハンピのチルアウトはエニータイムOKだったような気がする。
やはりあそこは背徳的だったのだ。
昨日、今日と禁酒か・・・・・。
去年のモロッコは国内ずっと禁酒だったからそのくらいは我慢しないと。

18時頃のサンセットの時間は海岸が西側だからきっと美しいだろうと行ってみる。
案の定、夕陽見物人が沢山いる。
観光客だけではなく、地元の人達も多い。
インド人も夕陽を見るのは好きなのだ。

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日没後は人影もなくなった。
ホテルへ戻って愛想の良い従業員にランドリーはどうなったと聞くと、分からないと言う。
不安がむくむくとわいてくる。なにせここはインドなのだ。
首を横に振る動作が日本と反対で肯定のしぐさなのでややこしい。
まあ、無くなったとしても旅は続けられる。
それにしても、古いホテルの鍵というものはどこへ行ってもなかなかの難物だ。

夕食は、近所のレストランでバターチキンと野菜スープにした。
足首までのズボンを履いていなかったのがまずかった。
夕陽見物と公園の散歩、開放的なレストランで蚊に刺されまくったらしい。
ひざから下が痒い。
注文してから出てくるのは例によって遅いわけで、ビールやアルコール類があれば少しは気もまぎれようというのだが、水やコーラでは・・・・・・。

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出てきた食事はいずれもとても美味しかったのだが、ひざから下の痒みが激烈になってきてホテルへ早く戻って薬をつけたい一心でゆっくり食事どころではない。
こんな強烈な痒みは久しぶりだ。
そそくさと食事を済ませてホテルへ帰って薬を塗るとあれほどひどかった痒みは潮を引くように治まった。
あの美味しい食事をゆっくり味わえなかったことが少々心残りではある。
明日はアレッピーへ移動だ。

散歩中に見つけたオブジェ。説明書きも興味深い。
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2017年06月11日

2017南インド・スリランカの旅 第6章 3/2 (木)  フォートコーチン➡ アレッピー

第6章 3/2 (木)  フォートコーチン➡ アレッピー

朝っぱらから、今日はビールが飲めるぞという期待感が強い。
何とも安っぽい期待観だ。

8時の朝食前に散歩する。
何だか散歩をしている地元の人がとても多いような気がする。
海岸へ出ると、散歩をする人、ジョギングする人、体操する人、泳いでいる人達も結構いる。
とてもさわやかで朝にふさわしい印象だ。

材木とペットボトルでできたオブジェが海岸にある。
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朝食はパンと卵を中心とした一般的なもの。
これがなかなか新鮮に感じる。

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10時にはチェックアウトしようと思っているので愛想の良い若い従業員にランドリーのことを聞いた。
預けられたパスポートは、昨日のうちに若い従業員から回収しておいた。
案の定、愛想の悪いマネージャーはいないようで話が通じなかったら困るところだった。
パスポートをホテルに預けなければいけない意味は全くなく意味不明。
幸いランドリーは無事戻ってきた。
部屋も環境もとても良いホテルだが、マネージャーは問題ありだった。

フォートコーチンからバスを乗り継いでアレッピーへ行けるということも聞いたのだが、短距離のローカルバスの乗り継ぎは面倒くさそうだし、途中から乗ることになる長距離バスは座れるかどうかも分からないから、一旦船でエルナクラムまで戻ってバスステーションまで行って始発に乗ることにした。

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メインジェッティからバスステーションまでのリキシャは100Rsとボっているように思うのだが、それでも180円くらいだから感覚が違ってきている。
バスステーションに着くとアレッピーへ行くであろうA/Cバスが停まっている。
これはラッキーだ。
乗車してチケットを買うと120Rs、約200円。
これで3時間近く乗る。
今日のホテルはなんとかリゾートという名前で湖畔に面した良さげなところのようだ。
A/Cバスの乗り心地は快適で、これで窓無しバスと同じ値段の筈だ。
南部でのんびりしているとはいえ、市内交通はやはり乱暴だ。

結構な時間乗って、まだ着かないのかなと思っていたら13時過ぎにランチ休憩。
終点近くなって果たしてランチ休憩はあるのかとふと疑問が生じてくる。
しかし、こういうところでのんびりランチを食べるのは経験上好ましくない。
何の予告もなく突然バスは発車してしまうのだ。
案の定、乗客の確認など何もせず突然発車した。
そして程なく賑やかなバスステーションに到着した。

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ここはどこだろう。
アレッピーの表示を探すがどこにもない。
バスはバスステーションを出発しそうになっている。
周りの乗客に、ここはアレッピーかと聞くとそうだと言う。
慌てて降りる意思表示をすると共に周りの乗客も協力してくれてアレッピーで下車することができた。
確かに終点間際に休憩するなんておかしい筈だ、もっと遠くへ行くバスだったんだ。
現地語の表示は分からない。

さて、ここからなんとかリゾートとというところへ向かうのだが、リキシャドライバーに聞いても良く分からないみたいだ。
かなり離れているらしい。400Rsで話がまとまった。
さっきのバスの値段と比較してもいい値段だ。
行けども行けども着かない。
何回も停車して近所の人達に聞いてようやくたどり着いた。

たどり着いたところは、一番近い集落からもかなり離れたところにポツンとあるリゾートホテル。
敷地は広くて確かに湖に面していて、プールなんかもある。
いわゆるこじゃれた雰囲気だ。
静かに静養はできるが、街歩きなどは不可能だし、第一、集落へ歩いては行けない。
選択を誤ったかという気にはなったが、まあしょうがない。のんびり過ごすとしよう。
部屋は広くて快適そうだ。

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こんなところでどこへも食べに行くことはできないので、夕食も頼むことにする。
お昼も食べていないし、ビールも飲みたい。
売店らしきものは何もない。

やはり近くの集落まで行かないと何も買えないので、リキシャを呼んでもらって買い物に行く。
これからアレッピーの街まで行くのは遠すぎる。
簡単なファーストフードとビールが欲しい。
パン屋とかファーストフードを買えそうなところはいくらでもあるが、ビールは買えない。
やはりアルコール類は背徳的なものなのだ。

結局リキシャでかなり走って、鉄格子越しに酒を買うスタイルの酒屋に到着。
やはり背徳的な雰囲気が漂っている。
ようやく瓶ビールを2本手に入れた。
例によって新聞紙にくるんで目立たぬように包装してくれる。
ビールを手に入れるのにここまで苦労しなければならないとは。

簡単なパンを買ってホテルに戻って飲んで見るが、冷え方が足りなかったせいもあろうか、あまり美味くない。
もう1本は早速冷やす。
ハンピで飲んだキングフィッシャーは美味かったな。
考えてみるとハンピのような古都で巡礼地のようなところでビールを出す店などもってのほかの筈で、確かにあのビールの出し方も何かいけないことをしているような照れくささが向こうにあったように思う。
やはり背徳的な店だったのだ。

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立派な門と塀で外部からシャットアウトされたこの大きいホテルにはプールがあり、真ん前が湖だ。
遠めから見るときれいだが近くによるとやはりゴミが沢山浮いている。
湖の方向は東だから多分朝日はきれいなはずだ。

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調べてみると、アレッピーのジェッティー周辺からは水郷めぐりの様々なボートが出ていて、色々と対応できるらしい。
明日はトリバンドラム空港前のホテルに夜入って、午前3時には空港にいたい。
アレッピー出発は14時頃で良いのかなと考える。
朝食を済ませたらすぐにチェックアウトしてボートツアーをやってみようと計画する。

そうこうしているうちに夕食の時間になり、食堂でただ一人の夕食。

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二種類のカレーに生野菜サラダ。
ここにも必ず出てくる紫玉ねぎ。
去年のモロッカンサラダに続いて、南インド風サラダも家で簡単にできそうだ。
なんせ切って並べるだけだから。

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やはり量は結構なものだ。
日本だったら、ビールを飲むのだがここにはない。
かなり大きな施設なのだが、客は小生と家族連れが1組だけみたいだ。
夕食後は部屋でやっと冷えた残り1本のビールを飲みながら明日の予想を立てつつ眠ってしまった。

2017年06月20日

2017南インド・スリランカの旅 第7章 3/3 (金)  アレッピー ➡ トリバンドラム

第7章 3/3 (金)  アレッピー ➡ トリバンドラム

さて、今日は午前中ボートツアーをしてインドの南端近くのトリバンドラムへ移動しなくてはならない。

本当はアレッピー近辺の水郷地帯をもっとゆっくり楽しみたかったのだが、スリランカへ渡るスリランカ航空が搭乗便の変更を申し入れてきたのだ。
時間が少しずれることはよくあるは話だが、なんと搭乗便が一日早くなり本来予定していた日の便が無くなってしまったのだ。
こんなことは初めてで、予定を一日ずらす羽目になった。
おかげでスリランカ滞在日が一日増えたわけだ。
しかもこの便が朝5時発なのだ。
国際線だから約2時間前の午前3時には空港に着いておきたいから、今晩は寝られるかどうかは微妙なところだ。

予想通りきれいな朝焼け
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こちらではフルーツから先に出てくる。
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この素麺のようなものは初めてだった。
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朝食を済ませてさっさと用意をしてリキシャを呼んでもらう。
アレッピーのジェッティーまではやはり400Rs。

なんとかリゾートという名称の郊外型ホテルは、全てその施設で観光を完結させてしまう。
街歩きはできないし、街中の食堂も楽しめない。
設備という点ではゴージャスで申し分ないが、僕のような旅行者には不向きだ。
この年で安宿の不便な生活は疲れるので、中級以上のホテルで過ごしたいが、その選択はこの辺りを気をつけなければいけないと改めて思った。

ジェッティー付近に到着すると、たちまちボートの主さんたちが寄ってきて話を持ち掛けてくる。
今、朝の10時半。
午後にはバスで5~6時間かかるトリバンドラムに向かいたいので、3時間くらいで回れるかと聞くと問題ないという。
ATMまでバイクで送り迎えもしてくれて、至れり尽くせりなのだ。
これだけボートがいればものすごく融通が利きそうだ。
1300Rsで一艘貸切。
これで手を打つ。

船頭さんと貸し切りのボートに乗り込む。もちろんエンジン付きだ。
屋根付き、ボートの先頭はリクライニングのようになっていてとてもリラックスできる。
水面を渡ってくる風が実に気持ち良い。
当初はもう少し大きめの乗り合いボートでコーラムという街まで7~8時間かけて移動するつもりでいたのだが、これはこれで楽しい。

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出発
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水路から広い水面に出ていくと、巨大芋虫のように見えるボートハウスが何艘も行き来している。
二階建てA/C付きで、まるでボートホテルのようなものもある。
これを二名で貸し切りみたいなゴージャスな人もいるようだ。

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これは海なのか湖なのか良く分からないが、狭い水路へ入って行く。
水辺で暮らしている人達の生活が垣間見える。
皆この水面で叩き洗濯をしている。
ボートでしか行けないようなところもあるようだし、バスならぬ乗り合いボートも見かける。
まさしく水路は道であり生活の場だ。

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ボートバス
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昼頃、船頭さんの縄張りであろう食堂へ寄ってランチタイム。
荷物も船に置きっぱなしで良いので楽だ。
アレッピー名物のカレーにせっかくだから魚を付けてみる。
400Rs。魚が高いようだが名物だからね。
右手で食べるスタイルでとても美味しかった。
ただ、素手で魚を食べるときは指に骨が刺さったりすることに気が付いた。
フレンドリーで田舎ののんびりした雰囲気でとても寛げた。

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魚は揚げ物に。
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僕も。
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昼食後は帰路へ。

ジェッティーへ戻る。
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プリンスに似た船頭さん
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約3時間のクルーズだったがとても楽しかった。
船頭さんとの距離感もちょうど良かった。
これは大正解。

バス乗り場はジェッティーから橋を渡ってちょうど反対側。
トリバンドラム行きは既に入っていて、例の窓枠しかないローカルバスだ。
今度はトリバンドラムが終点であることを確かめた。
これで5~6時間かかるようだ。
そんなに混み合ってはいないが、やはりA/C無しは暑い。
右側に座ったら日が差し込んできて尚更暑い。

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時々隣のおじさんが話しかけてくる。
5~6時間のバスだからトイレ休憩は一回くらいはあるだろうとは思うが何せインドだから分からない。
隣のおじさんはだんだん元気がなくなってきているようだ。

3時間くらい走っただろうか、休憩があった。
休憩だよと言われることもないから雰囲気を察して用を足しておくのが肝心だ。
事務所兼売店兼食堂のような建物はあるもののトイレはどこだと聞くと、分からないと言う。
また例のアレか。
男はまだしも女性はどうするのだ。
例によって何の確認もなくバスは出発した。
隣のおじさんはどうも車酔いしてしまったらしく、席を空けて寝かせてあげたらとても感謝された。

しかし、このバスもとばすとばす、クレイジーバスだ。
強烈なあおりと恐怖の追い越し、2車線の筈が3車線になっている、公共バスは皆こうなのか。
とうとう、どこかの街でプロパンガス満載のトラックと接触してしまった。
スワと客も騒然。
バスの右腹にトラックの後部が引っかかったようなことになっているらしい。
交通量の多いところで交通を遮断してしまい、クラクションの嵐。
ここで停まってしまうのか、後が面倒だなと思っていると、どうも自力で動こうとしているようだ。
ギーコギーコとしているうちにギィーッと嫌な音を立てて接触部分が外れた。
そして、お互い何事もなかったように出発。
警官らしき人もいたような気もするが、日本ではあり得ないな。

接触後の車内。
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その後もクレイジーなあおり、追い越し運転を繰り返す。
逆に感心してしまう。
バスドライバーはレースドライバーなのか。
隣で横たわっていたおじさんも接触騒ぎで目が覚めたのか、僕にお礼を言いつつ降りていった。
やはり長い長い距離を走るローカルバスだ。
行けでも行けども到着しない。
この行けでも行けども感は、去年のモロッコのフェズ行きのバスのようだ。
あの時は終点から更に乗り換えなければならなかったのだが、今日はいくら遅くなっても大丈夫だ。

結局トリバンドラムのバスステーションに到着したのは19時頃。
14時頃バスに乗ったのだから5時間くらいかかっている。
値段は忘れたが激安だったことは間違いない。
これだけ安いと運転手たちの給料を心配してしまう。

トリバンドラムに到着。
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そろそろ暗くなりかかっている。
ここからトリバンドラム空港のドメスティックステーションの前にあるらしいB&Bにリキシャで移動。
本当に真ん前だ。ただし国際線は歩いては行けないところにある。
このB&BはA/C有りということだったが、どうもそれは天井扇のことらしい。
蚊や何かほかの虫もいるようだし、ボロイタオルが1枚だけあるがトイレットペーパーはない。
ベッドとトイレとシャワー以外何もない由緒正しき安B&Bだ。
空港に午前3時着ということで選んだB&Bだからしょうがない。
午前2時半にリキシャを呼んであるので寝れたとしてもほんの仮眠だけだ。

近所は閑散とした雰囲気だが、食堂があったのでバターチキン、チャパティ付けを食べてみた。
これが安くて美味しかった。

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インド最後のカレーだ。
主人も日本人が好きと見えて色々話しかけてくる。
満足してホテルへ戻る。
暑い、しかもかゆい。
Wifiもつながらないので本を読みながら休息していたが、結局眠ることはなかった。

スリランカ航空が日にちの変更を言ってこなければこういうふうにはならなかった筈だが、ローカルバス乗り継ぎ旅になった。
これはこれで面白い。

2017年06月29日

2017南インド・スリランカの旅 第8章 3/4 (土)  トリバンドラム ➡ コロンボ ➡ アヌラーダプラ

第8章 3/4 (土)  トリバンドラム ➡ コロンボ ➡ アヌラーダプラ
 

午前2時30分にリキシャがやってきた。
ここトリバンドラム空港の国際線ターミナルと国内線ターミナルは遠く離れていて徒歩で行くのは無理だ。
第一真っ暗だし。
このホテルは国内線ターミナルの真ん前にあり徒歩で行ける。
結局それだけが取り柄ということだ。
ここには泊まれない。
結局一睡もしなかった。

リキシャの運ちゃんもインド出国と知っているからだろう、何だかんだ吹っ掛けてくる。
子供がいっぱいいて生活が大変だとか、そんなこと僕には関係ない。
出国前は通貨をあまり残したくないので、その辺りもドライバーにはねらい目なのだろう。

午前3時頃なのに結構人がいる。
インドの空港は搭乗券を持っていないと空港ビルに入ることすらできない。
軍隊だろうか、一人一人の搭乗券をチェックしていてとても厳しい雰囲気だ。
そして空港の中は整然としていて、それまでのインドとは異なるものだ。
出国手続きは極めて簡単だった。
インドでは日本人にも中国人観光客にも出会わなかった。

スリランカ航空は定刻より早く出発。
コロンボまで40分位だ。
沖縄・石垣間位だな。
それでもサンドウィッチとジュースが出た。
空いている。さすがに眠い。

うとうととしているうちにスリランカ、バンダーラナーヤカ国際空港到着。
ここは賑わっている。
いかにもといった中国人の団体観光客が沢山いる。
入国手続きはとても簡単。そういえばビザの取得もインドに比べれば100倍簡単だったな。
両替をしてターミナルを出てもインドのようにリキシャ(こちらではトゥクトゥクという。)のお誘いがない。

バンダーラナーヤカ空港
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コロンボのバスステーション行きのバスが目立たないところにいるという情報をネット上で見つけたので、これをあてにして空港を出て左方向へ進んで突き当たった道を左に進むと、それらしきマイクロバスを前にドライバーらしき男が座っている。こちらに向かって手を上げた。
どうやらこれがそのバスらしい。
これは情報がないと絶対に分からない。

まだ客が1人もいないらしく、乗れと言う。
助手席に乗れと言う。
アヌラーダプラ行きのバスに乗りたいんだがというと連れて行ってやると言う。
客一人で出発、所々で客が乗り降りして結局満員になった。
入国してすぐにバスの助手席から見る眺め、スリランカの第一印象が良くなった。
インドと比べて道にゴミが落ちていない、道路の凸凹も少ない感じだし、クラクションも比較的少ない。
空港とバスステーションは結構離れていて40分位かかった。
それでも、助手席から見る初めての国の風景は飽きない。

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コロンボ(地元ではカランブーと発音していた。)のバスステーションはやはり混沌としている。
親切にもアヌラーダプラ行きのバス乗り場まで連れて行ってくれて、あれに乗れと指示までしてくれた。
とてもありがたい。
で、乗って聞いてみたら、これは違う、2台前の車だと指示される。

乗り込んだ大型バスは、運転席の後方に金ぴかの仏像のポスター、天井や壁は怪しげなイラストだらけ、香が焚いてあって薄暗い、しかも前面のモニターにはロック、多分メタルロックと言っていいのかな、ガンガンにかかっていて重低音は爆音状態。
何なのだこのバスは。
よく分からないが、とにかくアヌラーダプラまで行くという。
ドライバーはサンダルにTシャツの兄ちゃんで、車掌らしき若者が2名ほどいる。

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程なく出発して客を拾いながら走る。
チケットは車内で買う。
大荷物を隣の席に置いていたら2シート分の料金を取られた。
それでも約900Rs(1Rs=約\0.8)の安さ。これで5、6時間かかるらしい。
問題はこの爆音のロックだ。
うるさいことこの上ないが誰も文句を言わないし当然のことのように受けとめている。
赤い色のバスが国営バスで、これは民営のバスのようだからスタッフの趣味でやっているということなのだろう。
こちらではそれが当たり前なんだな。

A/C無しなので暑い。そして段々混んでくる。
インドより暑い。
スリランカのバスは皆混んでいるようだ。
ガイドブックによれば、このようなローカルバスの他にA/C付きのインターシティというミニバスがあるらしいのだが、それを探している余裕はなかった。

アヌラーダプラまで数100キロ。
高速道路というものはないようだ。
車窓は畑やら田んぼやらののどかな田舎の風景。
車内は満員で立っている人もいる。
こんな状況で、料金は払っているとはいえ荷物で席一つを占拠しているというのは気分が良いものではないが、膝の上には乗っからないからなるべく寄せるしかないのだ。
あるかないか分らないような休憩を1回はさんで走り続ける。
例によって、いつ発車するか分からないからトイレだけは済ませて食事などはご法度だ。
水があればなんとかなる。
運転はクレージーそのもので、あおり、追い抜きはインド並み、2車線が3車線になっている。
バス同士がレース状態になっている。
それでもインドよりはおとなしいかな。

車窓から
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そして8時に出発して約6時間かけてアヌラーダプラ着。
結構しんどいバス旅、特に爆音ロックを約6時間聴かされるのは拷問に近い。耳栓が必要だった。
トゥクトゥクで本日のホテルへ。
今日は市街地から近いようだ。

しかし着いたらすでに15時過ぎ。
汗だくなのでシャワーを浴びてから街歩きをしたいが、一つ問題が発生している。
足に痛みが来ているのだ。
時に今回は右足に来ている。
今日のところはまだ大丈夫そうだ。
ここ何年かは来ていなかったのに、よりによってこんなところでという感じだ。

本日の部屋
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自転車があるというのでこれ幸いと借りてみる。
もう時間が時間なので遺跡方面には行けない、更にあの交通マナー状態の中、果たして自転車でうまく対応できるのかという不安はあったが、何とかなりそうだ。

自分が今どこにいるのかを確認するために走る。
鉄道駅を探したが良く分からない。
そもそも線路の佇まいがみすぼらしいし、賑やかそうなところに駅があるという常識は違うようだ。

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近代的なスーパーマーケットがあったので入ってみる。
日本のスーパーと雰囲気は似ている。
紅茶を買ってみる。
そろそろ食品系のお土産を買っても良い時期になっているのだ。

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ホテルの近くに大きな市場があった。
ラオスのルアンパバーンにあったような雰囲気の野外市場で、野菜、魚、衣類、おもちゃなど色々なものを売っている。
活気があって市場好きには堪らないのである。

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お馴染みのゴーヤーが。
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やはりこちらも紫玉ねぎ
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これは干し魚だが、何とか節にも見えた。ということは出汁があるわけだ。
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気が付いたら空腹だ。
午前5時半頃機内食のサンドイッチ1切れしか食べていないから当たり前だ。
ここのところ、移動が昼食にまたがってしまうので昼食は適当になる。
夕方も近いので近くの屋台でパンを買う。
丸と三角のカレーパン。
二つで約50円。これがとても美味しかった。

更に散策を続ける。
先程の市場は明かりがなくて、暗くなったら終了のようだったが、近くに明かりをつけた市場がある。
こちらは魚屋さんが多く、マグロをぶつ切りにしたりしている。
さすが、島国だ。
こちらも楽しい。

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近所の湖畔
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そうこうしているうちに暗くなった。
酒屋を見つけたが、こちらも鉄格子越しに買う背徳的な酒屋だ。
スリランカは敬虔な仏教国だが、仏教も飲酒に関しては否定はしないが積極的に肯定的ではないのだ。
同じ仏教国でも日本は緩い。
鉄格子越しにスリランカ名物のライオンラガーを2本手に入れた。
アルコールと分らないように新聞紙で包んでくれる。

どこか食堂で夕食をとも思ったが、ポツリと雨粒を感じた。黒い雲も出ているようだ。
乾期でも夕立はあるだろうし、やっと手に入れたビールをゆっくり味わいたい気分なので、先程の屋台でまたパンを二つ。
真っ暗で金が分らない、が懐中電灯を照らしてくれたのは屋台のおばちゃんの息子だった。

ライオンラガーはやや軽めだが、すっきりしていて味が良いビールだ。
ビール2本とパン二つで夕食は終わり。

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これで明日出発してしまったら何をしに来たか分からない。
アヌラーダプラはスリランカの古都で、仏教施設等の見所は多数ある。
ただ、範囲も結構広そうで自転車ではちょっと無理そうだ。
足のコンディションもある。
ホテルでトゥクトゥクを頼んで回ったらどうかと提案されたのでそれに乗ることにした。

それは良いとして、足の状態が明日はどうなっているか分からない。
痛みが進行したままで靴を履いて今日のようなローカルバスで次の目的地シギリヤまで向かうのはきついかもしれない。
ま、その時はその時、タクシーで行く手もあるのだ。
ただ、明日シギリヤロックに登る予定なので、このままの足のコンディションでは難しいかもしれない。

心配してもしょうがない。
明日は明日の風が吹くということで、久しぶりのビールを味わって寝てしまった。

ポツリと感じた雨は夜になって本格的な雨になった。

2017年07月10日

2017南インド・スリランカの旅 第9章 3/5 (土)    アヌラーダプラ ➡ シギリヤ

第9章 3/5 (土)    アヌラーダプラ ➡ シギリヤ
 
昨夜の雨も止んで、またすっきりした青空。
朝食を済ませると、今日一緒に回ってくれるトゥクトゥクのドライバー、Nalin君がやってきた。
昨日このホテルで見かけたような気もするが、彫の深い顔をした細身の青年だ。
彼の英語の発音が分かりやすいので楽だ。

改めて地図を見てみると、遺跡や寺院は線路の向こうの地区に結構広範囲に散在していて自転車での移動はとても無理だ。
足の調子はまあまあ、今日は一日サンダルで過ごすことにした。
この痛みは持病ともいえるもので、時々訪れてくれる。
僕の場合はある病名と似てはいるが異なるものらしく、原因は分からない。
足は2年ぶりくらいだが、よりによってこんなところで訪問してくれるなよと思う。

Nalin君はとても気さくな人で、色々な話が弾んで楽しい。
若く見えるが35歳ということだ。
奥さんと子供2名で暮らしている。母親は近くに住んでいる。
トラックドライバーをしていたこともあったが、きつくて収入が少ない。
インド製の車だったし、ん?
車は日本車が一番だという。

スリランカで見かける車は、日本車7、インド車2、韓国車1くらいの割合だろうか。
やたらと日本車が多い。もっともマルチスズキはインド製だが。
「自動扉」とか「左折時に一旦停止します」などの日本語がそのまま残されたA/Cバスも多数見受けられる。

遺跡地区へ入って行く。
まだ午前9時頃なのにかなりの暑さだ。
今日のプランは遺跡地区を南から北へ進むスタイルだ。
遺跡だけではなく現役の仏教寺院も回るので、お参りにふさわしいとされる白いシャツを着ることにした。

ヴェッサギリヤ遺跡からスタート
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イスルムニヤ精舎は岩肌に作られたように見える寺院。
岩の上に登るとアヌラーダプラの街が見渡せる。

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涅槃像
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かつての王宮の庭園跡は、建物跡が点在する森の中を一人で散策した。
誰もいない。とても静かだ。

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そして、巡礼者たちで賑わうスリー・マハー菩提樹へ。
寺院に入る際は、建物ではなく敷地の入り口辺りから履き物を脱ぎ、被り物をとらなければならない。
相当な暑さになってきており、地面の熱さも半端ではない。
裸足になった足の裏が焼けそうだ。
地元の人たちも日陰を選んで歩いているようだ。

今日は日曜日。
巡礼の人達はバスを仕立てて来ているようだ。
殆どの人達が白い服を着ている。
あちらこちらの木陰に敷物を敷いて寺院に向かって手を合わせお経を唱えている。
それをリードするお坊さんがいる。
お経の調子といいお参りする人たちの雰囲気といい何となく日本と似ているような雰囲気がある。
ただ、一心にお祈りする人たちの姿を見ていると、日本より仏教に対して敬虔さが強いような気もする。

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寺院の入り口近くの足元に存在する宇宙の真理を表すというムーンストーンは、動物によって輪廻転生を表しているらしい。工芸品としてみても興味深かった。

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それにしても暑い。
時々巨大ダーガバに命綱一本で張り付いて修復している作業員を見かけるが、この暑さと高さ、考えただけでもめまいがする。

Nalin君は色々と気を使ってくれてガイドも兼ねてくれる雰囲気になっている。
スリランカ人は、顔は彫が深くてとっつきにくそうだが、のんびりしていてとても人懐っこい。
人の印象が良い。

昼は二人で商店でパンをぱくつく。ついでにココナッツジュースも。
今回の旅では随分飲んだな。

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あと何か所まわるのかと聞くと、まだ結構な数がある。
彼が言うには次にスリランカに来れるのはいつになるか分からないからできるだけ見てほしいと。

昼を過ぎて更に暑さが厳しくなる。
トゥクトゥクは風通しが良いから走っているときは気持ちが良い。
寺院には必ず存在する丸い巨大な仏塔は、ネパールではストゥーパと呼ばれていたが、こちらではダーガバと呼ばれている。

ルワンウェリ・サーヤ・ダーガバ
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お供え物
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時計回りにダーガバの周りを歩く。
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休憩
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Nalin君
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象の池。かつて象を洗っていたのだろう。
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アバヤギリ博物館。遺跡周遊チケットに含まれているのでここも訪問。ここのトイレはきれいだからお薦めだよとのアドバイスがある。
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王妃の建物跡
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最も美しいとされるムーンストーン
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アバヤギリダーガバの周りをあるいた時は、本当に足の裏をやけどするほど熱かった。
日陰を作るものなど何もないのだが、ベンチや塀などでできるほんの20cm位の日陰で足を休めるのだ。
スリランカの人たちは慣れているのだろうか。

アバヤギリ・ダーガバ
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ちょっと一息
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サマーディ仏像
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木浴場跡
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かつての僧侶たちの木浴場跡など、最後のポイントを通過してホテルへ戻る。

アヌラーダプラ駅
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半日付き合ってくれたトゥクトゥク料金が2500Rs。
こんなに安くて申し訳ない気がする。
時間が経つにつれてどんどん暑くなるし、遺跡や寺院は広範囲にわたっているので自転車でガイドなしで回るのには相当な時間がかかってしまう。
トゥクトゥクが正解だった。
Nalin君ともいろいろ話ができたし。

今日移動する先のシギリヤまでは、靴を履いて荷物をしょってバスでシギリヤまで移動するのは足の状態に無理があるので、タクシーを雇うことにする。
Nalin君が行ってくれるというので、これはラッキーとお願いした。
彼がドライバーだと飽きないし楽しい。
シギリヤまで約3時間、A/C付きの車で6000Rs。

しばらくホテルで待っていると、申し訳なさそうにA/Cが効かないよと言って現れた。
別に窓を開けていれば問題ない。
この時点で既に14時半頃。
今日のシギリヤロック登りは無理だ。
いや、それよりもこの足の状態で明日登れるのかが問題だ。

今日のホテルは、ちょっと高級っぽいリゾートホテルだ。
初めは建築家ジェフリー・バワ設計のヘリタンス・カンダラマという高級ホテルに泊まろうと思っていた。
このホテルは、時の流れとともに緑にうずもれていく設計という素敵なコンセプトなのだが、諸般の事情で都合が付かず、ならば少しは高級感をというつもりで今回の選択になった。

シギリヤまでの道中、右ハンドルで左側通行、車も少ない田舎道で植生が似ているからか石垣島あたりをドライブしているような錯覚を覚える。
結構ポリスがいて、捕まっているものもいる。
シートベルト装着には厳しいらしい。
僕の助手席のベルトは壊れているので見せかけベルトにする。

何、ポリスのいる場所は知っているからとNalin君。
スリランカは今は平和だけれど、以前はシンハラ人とタミール人間の民族紛争があった。
日本もかつては戦争当事国だった。
彼は広島、長崎のことも知っていた。
勉強しているようだ。
平和が一番だということで意見の一致。

彼はたばこは吸うが酒は飲まない。
お父さんは毎晩飲んでいたらしいが。
スリランカも酒は背徳的なものなのだ。
確かに仏教は五戒の五つ目で飲酒を禁じているから、原理主義的な極端さを嫌う現代でもあまり誉められた習慣ではないのだろう。
イスラムは絶対禁止だし、ヒンドゥーでも好ましいものではなかった。
キリスト教は、教会や修道院がビールやワインを作っていた歴史があるし、水代わりに飲まれていたということもあるのだから寛容なんだろう。

途中、商店へ立ち寄ってジュースを飲んだりする。
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こういうところで飲む飲み物は美味いのだ。
いろんな話をしながら行くと、シギリヤまでの3時間強もそう長くは感じられない。
シギリヤの街は街というほどの大きさはない。
森の中の道路沿いに集落があるという感じ。
スパイスガーデンの中にあるホテルなんか良さげだ。

ここからホテルへたどり着くのが大変だった。
どこで聞いてもホテルの場所がはっきりしない。
トゥクトゥクの運ちゃんやら住人にNalin君が聞きまわってくれて、まさかこのまま進んで果たしてホテルなどあるのだろうかというような田舎道を進んでようやく発見。
人里離れた場所に立地する広大な敷地を有するリゾートホテルだ。
以前、アレッピーでも人里離れたリゾートホテルに泊まったがここも似たようなもだ。
ここはもっと大がかりかもしれない。

広い手入れが行き届いた芝生の中にあるプールで白人たちが遊んでいる。
客は白人たちが殆どのようだ。
地元の人たちが殆どだったアヌラーダプラから来た身としては別世界に入り込んだように感じてしまう。

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街から遠く離れたリゾートホテルはそこだけで全てが揃う閉鎖空間で、設備は豪華だが、街歩きや食堂、飲み屋、市場等の地元の生活との触れ合いが好きな僕のような旅行者には不向きだ。
部屋はコテージタイプで広く豪華。
レストランにはどんな酒も揃っている。
こことアレッピーはホテルの選択を誤ったようだ。
今日一日付き合ってくれたNalin君とはここでお別れ。
今度来るときは家に泊まってくれとまで言ってくれた。
好青年だった。
ありがとう。

さて、シギリヤロックは朝7時30分に開門だから6時半スタートが良いだろうという段取りを付けた。
しかし、どうも足の状態が良くない方向へ向かっている。
右足の痛みが増してきているのだ。
シギリヤロックの登りは2時間かかるということだから、このまま足が回復しないと無理かもしれない。
靴で固めて登れたとしても降りるときの方がきついことを考えると危険だ。
そういえば炎症からくる発熱かもしれない、風邪のような寒気をほんの少し感じるのだ。
ここはとにかく休養をとって明日の朝判断することにする。

街には出れないのでホテル内のゴージャスなレストランでブッフェ形式の夕食を摂る。

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実に何でもあるし、ビールも飲める。
客はほとんどが白人観光客のようだ。きっとツアーで来ているのだろう。
豪華な食事ではあるが僕には向かない。
とにかく早めに休むことにする。
日本から持参した痛み止めの薬ももうすぐ底をつく。

2017年07月24日

2017南インド・スリランカの旅 第10章 3/6 (月)    シギリヤ ➡ キャンディ  

第10章 3/6 (月)    シギリヤ ➡ キャンディ
 
早朝に目が覚めた。
足の痛みは取れていない。
残念だがシギリヤロックに登るのは無理だと判断してあきらめる。
次回に託そう。
なので、早出はなくなって普通に朝食をとる。

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こうなると、いかにして足を回復させるかということが喫緊の課題なのだ。
ホテルのチェックアウトは12時。
ぎりぎりまで休養を取ることにする。
今日の目的地、キャンディまではバスで3、4時間。
だが、バス停までは相当遠いし、あの暑くて混んだバスにこの状態で3、4時間というのはかなりつらい。
フロントで確かめるとキャンディまでチャーター車で7000Rsとのことなのでそちらをお願いした。

今後の予定を検討してみると、明日はキャンディからコロンボまで移動、深夜0時10分の飛行機でマレーシアのクアラルンプールに移動、そこで17時間の待ち時間というものがある。
当初は、こんなに時間があるのだからマレーシアに一旦入国するつもりだったが、この足の状態で、多分暑いであろうクアラルンプールを観光するのは、さらに状態を悪化させそうだ。
ここは噂に聞くトランジットホテルを取って休養に努めた方が良さそうだと考えて探してみた。

最近は大概のところでWifiが使えるのでこういう時は本当に便利だ。
調べたところ、クアラルンプール空港にはKLIAとLCC専用のKLIA2の二つのターミナルがあって、KLIA2のサマサマホテルというのが評判が良いというので予約してみた。

だが、予約した後で国際線専用のKLIAとKLIA2の間で行き来ができるのか不安になってきた。
この間で一旦入国しないと行けないとなると、入国ー出国ー入国ー出国ということになり面倒なことになってしまうからだ。
調べてはみたがぴったりの答えは見つからなかった。
そうこうしているうちにチェックアウトの時間が来た。

あれだけ沢山いた白人たちは誰もいない。
ホテルの広い敷地は静まり返っている。
まるで白昼夢を見ているようだ。

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12時頃にキャンディまでのタクシーがやってきた。
今日の車は大きめのバンでA/C付きだ。
ドライバーは話し好きの陽気なおじさん。
まずはATMに寄るために近くのダンブッラという街へ寄ってもらう。
ドライバーはこの街の人だという。
小さな街だが何でもありそうで良さげなところだ。
シギリヤロックにリベンジの際はこの街に泊まるというのも一案だ。

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露出したような岩山を色々なところで見かける。
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ダンブッラ名物、巨大黄金大仏
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黄金のダーガバ
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こちらの大仏は日本に比べていかり肩だ。
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何となく日本に似た水田の風景
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キャンディまで約3時間、所々写真を撮りながら行く。
キャンディは山に囲まれたスリランカの古都で古い街並みが残っている。
人口も多い都会なのにキャンディに入って行く道路はとても狭い。
幹線道路が通っているわけではないらしい。

古い街並みだが人と車が渦巻いている。
久しぶりに都会にやってきたなという感があると共に、歩いていて面白そうなところだなと思う。
ただ、今回は足が不調だ。
それでも、昨日や今朝に比べたら少し良くなってきているような気がする。

今日のホテルは街のど真ん中、1階にカフェ併設のホテル。
部屋は清潔だが窓がない。料金は高め。

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街歩きをするにはとても便利な場所にある。
シャワーを浴びて一休み。
確かに足の状態はよくなってきているようだ。
貼り薬もなくなってしまうし、付近との位置関係を確かめることもあるし、買い物がてら歩いてみることにする。

キャンディ湖をランドマークにすると位置が分かりやすく歩きやすい。
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薬屋で湿布薬を買って何とか歩けそうなので、一旦ホテルへ戻って仕度をして、鉄道駅の確認とそろそろ買うべき土産物探索へ出かけてみることにした。

何だか久しぶりに人や車の多い都会を歩いている気分だ。
都会とは言っても近代的なビルが立ち並ぶそれではなく、古い建築物が多い街並みだ。
車は多いがわりと渡りやすい。
ただ、広い道路に面する歩道には高いガードレールが築いてあって、これは乗り越えられないのでどこか渡れる切れ目を探すのが大変だ。

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帰宅時間帯なのか人の流れる方向が駅ではないかと思いそちらへ向かって行くと、バスターミナルだった。
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ここもご多分に漏れず混沌としている。
インドもスリランカも大きいバスターミナルは皆、混沌としている。
人いきれと臭いとほこりと排気ガスとクラクションですごいことになっている。
この状態でバスを探して乗り込むのは旅行者にとっては大変そうだ。
メインの交通機関は鉄道ではなくてバスなので、皆バスターミナルへ向かっていたのだ。

改めて鉄道駅の場所を聞いてみるとすぐにみつかった。
立派な駅だが、バスターミナルに比べれば閑散としている。
列車の本数が少ないのだ。
試しに明日のコロンボ行きのチケットが買えるか聞いてみると、買えるという。
これはラッキーだ。
ただ、A/C無しの二等指定席になるとのこと。
昼過ぎのちょうど良い時間帯の列車はそれしかないので購入した。

キャンディ鉄道駅
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良い雰囲気
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帰りがてら土産を物色する。
スーパーマーケットやショッピングセンター、古びた土産物店集合ビルのようなものから小さな個人商店まで色々な店があって買い物もとてもしやすい街だ。

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夕暮れ時、ムクドリだろうか大量の鳥が集まって騒いでいる。
これは日本でも見られる風景だ。

ホテルから目と鼻の先にある仏歯寺にも行けたのだが、もうあまり時間がないので見送った。
足は回復してきているのだがまだ本調子とは言えず、見どころの多そうなキャンディの街ももう少し時間があればもっと楽しめたのに。

ちょっと大きめのレストランがあった。
観光客向けなのだろうか、酒が飲める。
テラス席もあるが外はまだ暑いし鳥の糞が落ちてきそうなので建物内へ。
ジャズのビデオがかかっている。

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足の調子も上向いてきたので調子に乗ってビールを飲む。
スリランカのライオンラガーは軽めだがとても美味い。
やはり客は外国人が殆どのようで、ときおり日本語も聞こえたりする。

カレーにも満足して、ホテルへ戻って気になっていた明後日のKLIA2のホテルについて調べてみる。
どうもKLIA2へ到着して出発する人専用のホテルらしい。
僕が到着するKLIAからKLIA2へ行くには一旦入国し、さらに出国しなければならないようだ。
ということは、成田空港行きの便が出発するのはKLIAだから、この逆をもう一回やらねばならないことになり、こんなことはおそらく認められない筈だ。
やはりKLIA内のホテルをとる必要があったのだ。

キャンセル無料期間が過ぎているから無駄な出費を覚悟でキャンセルしたら、キャンセルの理由をホテルに申告すれば無料キャンセルを認めてくれる場合もあるとの記載がある。
結構な出費なので、ものは試しにミスの理由を書いて送った。
審査に48時間もかかる場合があるという記載があったが、程なく無料キャンセルを認めるという返事が来た。
これは本当にラッキーだった。
多分こういうミスをする人が多いんだろう。
ダメもとでもやってみるものだ。

KLIA内のサマサマホテルを予約して一安心。
足の調子は回復に向かっているようだ。
その代りといっては何だが、今度は右手に小さな痛みがあるのが気になる。
とにかく休養だ。
早めに寝る。

2017年08月08日

2017南インド・スリランカの旅 最終章 3/7~3/9 キャンディ➡コロンボ➡クアラルンプール➡成田空港

最終章 3/7~3/9   キャンディ➡コロンボ➡クアラルンプール➡成田空港
 
さすがに乾期だ。
ここまでの行程で雨が降ったのはアヌラーダプラの夜のみ。
地元にはうれしい雨だったようだ。

足の様子は回復しつつある。
だが無理は禁物だ。
今日は鉄道でコロンボまで移動して明日の早朝というか、今日の深夜0:10発のクアラルンプール行きの飛行機に乗る。

もう無理せず昼まで休養してから、トゥクトゥクにて鉄道駅へ向かった。
このキャンディという街ももっとじっくり楽しみたかった。
スリランカはとても興味を惹かれる国だ。
やり残したこともあるし、もう一度来てみたい。

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キャンディ鉄道駅は本線から離れた列車止めのある駅で、ホームも複数ある大きな駅だ。
列車は12時50分発予定だが13時を過ぎても全く来る気配がないが、客は平然としている。

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13時20分頃やって来た。

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快速列車だから見栄えは他の列車よりも少し良い。
三等車自由席は席取り競争が過酷そうだが、僕は二等の指定席。
しかし席にはおばあちゃんが座っていた。
番号をチェックすると、どうも家族連れらしく、前の席の男性が自分の席と変えてくれという。

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結局そっちの席の方が景色が良く見えるので良かったというべきだろう。
ただ、入線した時とは逆の方向へ走り出したので後ろ向きになってしまった。
どうも大きい駅やジャンクションの駅はスイッチバックの駅が多いようだ。
進行方向左手の景色が良いという噂だったが、席は左側だが後ろ向きなので進行方向左側は僕の席の逆側。

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キャンディ鉄道駅を出てからしばらくは山岳地帯をのろのろと走る。
確かに進行方向左手は大パノラマが広がっている。
A/C無しだが窓全開であまり暑さも感じられないので、風を感じられる分A/C付きより楽しそうだ。
日本ではあまり味わえなくなった窓全開。

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はす向かいの客はカレー弁当を手で食べている。
食事後の手も水を使わず処理しているのかな。感心してしまう。
二等は指定なので混雑感もなく実に快適だ。
自由席はどうなっているのだろう。
デッキ付近に乗っている人達、多数。
行かなかったがトイレも使えそうだ。

山岳地帯を抜けてからは列車の速度が上がった。
車窓には農村風景、駅の周りの小さな街の風景が続く。
田んぼ、ヤシの木、通学の生徒たち、子供たち、住宅、普通の人達の生活が垣間見える。
人々は普通に線路の上を歩いている。
日本にも昔はこんな風景もあったような気がする

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ヒンドゥー教の寺院
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車窓も徐々に都会の様相を呈してきて終着のコロンボフォート駅到着。
約3時間、とても楽しい列車の旅だった。

コロンボフォート駅
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入国した時はバスターミナルに着いたので、コロンボフォート駅とバスターミナルとの距離が分からない。
入国時は、空港からバスターミナルまで小一時間かかったので、空港までは相当距離がある筈だ。
足の件もあるし、荷物を抱えて歩き回ってバスターミナルを探すのはやめにして、ここはトゥクトゥクを使って空港まで行くことにする。

値段交渉をすると、3000Rsだという。
それは高いだろうと、2800Rsにする。あまり変わらないが。
行きのバスは250だったから約10倍か。
Rsが残ってもしょうがないので、これで手を打った。
実はRsは残っても空港の両替屋でUS$に両替できたのだが。
ま、いいでしょ。
出国する直前の移動費は大体何時もこうどんぶり勘定になってしまう。
トゥクトゥクは、行きとは違う運河沿いの道を走る。

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どぶ臭いにおいが漂っている。
このドライバーのおじさんの運転がすごかった。
前に車両がいると何が何でも抜きたくなるという感じの運転だ。
追い越しや割込みも半端ではない。
こういう強引な運転をしていてもドライバー同士がトラブルにならないというところが不思議だ。
日本でこういう運転をしたら絶対にトラブルになる。異常だからだ。
それがトラブルにならないということは、こういう運転が日常的ということなんだろう。
到着して「俺の運転はどうだった。」と聞くので、とてもスリリングだったと言ってやった。
おつりはチップ。結局値切らないのと同じ値段だ。

残りのRsは1500だが、ぴったりの土産物があって、これを購入して残額ゼロ。
まだ18時頃。出発は0:10。
チェックインしてラウンジへ行きたいところだが、6時間も前に果たしてチェックインできるのか。
しばらく空港内ロビーで待っていると時折日本語も聞こえてくる。

結局19時頃にはチェックインできた。
荷物を預けるときは、日本まで直通だからということを重ねて職員に確認する。
NRT行きのタグが付けられていることも確認した。

荷物を預けて2階のラウンジへ。
足の調子はまずまずだ。
足の調子が回復してきたようなのでビールとワインをいただく。
そういえば昼食は移動で食べていなかった。
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今回の旅は昼時が移動中ということが多くて昼食をきちんととったのは数えるほどだった。
本当は一つの街に二泊するというのが理想なのだが、今回は航空便の変更や夜間の移動があってそうもいかず、わりと移動がきついものになった。
食事をしてソファでゆっくりと寛いでいるうちに23時のゲートオープンの時間になった。

スリランカを離れマレーシアへ。
クアラルンプール空港・KLIA着は6:30頃。
成田空港行きの出発時間は23:35なのだ。
これだけ時間があれば、当初はクアラルンプールの街に出てみようかと思っていた。
インド・スリランカの暑さを経験して、大汗をかいて戻ってきた後はラウンジのシャワーを使ってとかと考えていたが、足の痛みが来てからはもう入国は無理、トランジットホテルでゆっくりと休んで回復に努めようという気になった。

幸いKLIA2のミスはキャンセル料無しになったし、荷物は出さないので、そのままターミナル内のホテルへチェックインすればよいだけだ。
7時にはチェックインできた。
12時間制なので、19時にチェックアウトしてラウンジで夕食など摂っていればゲートオープンはすぐではないか。

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KLIA2のサマサマホテルは、休養することに特化したホテルで窓もない。
ここでひたすら休養したおかげで足はほとんど回復した。
ところが今度は右手首に痛みを感じる。
明日の朝、成田空港着、午後からレッスンが入っているので少し気になる。
19時まで休養してからラウンジで夕食、アルコールは控えた。
今日は食事に全くお金を使っていない。

クアラルンプール空港
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機は定刻に出発。
足を伸ばすことができる席だが異様に寒い。
ダウンを着こんで更に毛布を2枚掛ける。
これが影響したのかもしれないが右手の痛みが激しくなってきた。
痛みと寒さで一睡もできず、成田に到着した時は、右手は痛みでほとんど使えない状態になっていた。
税関の申告書が痛みで書けないのだ。
こんなことは始めて。
係の人に手伝ってもらってようやく作成した。
ただし、署名はそうはいかない。
左手で書こうとしてみたが無理。
ミミズが這ったような字になってしまった。
一過性で静かにしていればすぐに治るというのは感覚的に分かるのだが、当面はきつかった。
無事に帰宅でき、痛みも時間が経つにつれて治まったが、この状態では車の運転は難しいので午後のレッスンはキャンセルさせてもらった。

今回の旅は、航空会社の時間や日程の変更もあって、比較的移動が大変だった感がある。
一か所に二日間かけれなかったという反省もある。
ただ、その分移動がスリリングで刺激的だった。
ホテルに関しては、リゾートホテル的なホテルを選択した場合は街歩きができないので、この点は反省する必要がある。
自分の旅のスタイルとは違う。
比較的ゆったりとしていると言われる南インドは、確かにそのように感じとることができた。
あのハンピ村の、動物たちと共存して生活しているのんびり感は時間が止まっているようだった。
ケーララ州はもっとゆっくりしたかった。
そして、スリランカはすっかり気に入った。
初めの6時間のバス移動は大変だったけれど、アヌラーダプラは古都だけあってとても見ごたえがあった。
トゥクトゥクドライバーのNalin君と親しくなれたことも楽しかった。
ただ、ここで持病が出てしまったのはきつかった。
楽しみにしていたシギリヤロックに登れなかったし、キャンディももっと色々歩いてみたかった。
スリランカはやり残したことがある。
今度はもっと充分に時間をかけて回ってみたい。
インド、スリランカ両国とも宗教的にタブーでないにもかかわらず、気軽にビールを手に入れることができなかったのも印象に残る。

旅先で発見した食べ物で帰国してからも生活にとりいれたい食材がいつもある。
過去の例でいえば、パクチー、ハーブティー、タジン、オレンジジュース、赤ワイン等々。
今回は紫玉ねぎを生で食べること。
カレーの付け合わせに何時もあってヨーグルトの酸味と玉ねぎのさっぱりした辛みがとても良く効いていた。
帰国してからもこれは病みつき。
カレーでなくても付け合わせとしてとても美味しい。

旅先はとても暑かったが、3月上旬、暑さを忘れてしまった。
異文化に触れる旅はとても楽しくて刺激的だし、毎日が変化に富んでエキサイティングだった。
無事に帰ってこられたことに感謝しよう。

2018年03月15日

2018・スリランカの旅 第1章 2/23 (金)~2/24(土) 出国・ニゴンボ 

2018年春、海外の旅、紀行文を掲載します。
今回は、2月23日~3月7日までスリランカを旅してきました。
お楽しみ、あるいは参考にしていただければ幸いです。

第1章 2/23(金)~2/24(土) 出国・ニゴンボ

今年の冬は何だか寒い気がする。
曇り、若干の雨、温度は10度に届かないだろう。
これから、10:20発のマレーシア航空でマレーシア、クアラルンプールを経由してスリランカ、バンダーラナーヤカ国際空港までの旅だ。
多分到着予定の現地は30度くらいの気温の筈だ。
寒いところから暑い場所へ行くときは期待感が高まる。

今回の旅、去年知り合ったドライバーのN君にツーリストカーの運転をお願いしてキャンディ - シギリヤ - アヌラーダプラ - キャンディと行く予定だったが、直前になって彼から、南部に仕事があって同行できないとの連絡があった。
若干、困惑したが、彼がいなければ去年行ってきたアヌラーダプラは遠いし、わざわざ行く意味は薄れる。
そこでコンセプトを少し変えることにした。
シギリヤロックは、去年のリベンジもあるし絶対に行きたい場所だ。
アヌラーダプラ行きを止めて、ずっと気になっていたスリランカの生んだ天才建築家、ジェフリー・バワ設計のヘリタンス・カンダラマに行ってみることにした。
ここはアジアでも屈指の五つ星ホテルで、時と共に森に埋もれるという思想のもとに設計されているという。一回は行ってみたかったホテルだ。
海岸沿いにバワ建築のホテルは数件存在するが、内陸部はここだけということだ。
ネットで探すと適当な部屋があって予約できた。
シギリヤロックから比較的近い場所にある筈だから、ロックに登った後に行けるだろう。
交通手段は入国してから考えればよいだろう。

初日は夜中に到着するので、空港から比較的近いニゴンボに泊まることにした。
日本語が通じるゲストハウスがあるという。ラ・グランデ・リゾートというゲストハウスだ。
深夜でも17us$で空港まで迎えに来てくれるとのことで、おそらく到着は深夜0時頃になる筈だから、これはありがたい。
去年のような過酷な移動は、今回は慎みたい。
旅の最後に足や手を襲った関節痛もそんなことも原因の一つかもしれないのだ。もう若くはないのだから無理は禁物。
去年苦しんだから今年は薬もたっぷり持って行こう。
また、今回はおそらくあちらで国内通話をする必要があるので、国際SIMカードというものを手に入れた。
日本国内で実験してみたら繋がったのでこれは便利だと。

クアラルンプール行きは結構混んでいる。
約7~8時間のフライト、結構長い。

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17:05着でコロンボ行きが22:10発と間が空くのでラウンジを使うことにした。
どこにあるのかすっかり忘れている。
クアラルンプール空港は成田空港の10倍の面積を持っているということでとても広い。
ゾーンを間違えると大変なのだ。
幸い、到着したCゾーンの二階に見つけた。
ここで食事とビールで、余裕をもって次のコロンボ行きのゲート前で待っていたが、ゲートオープンの時間を過ぎても一向に表示が出てこない。
おかしいと思って、ずーっと戻って確かめてみると、搭乗口が変更になっていた。
二時間前に来たのでその時にはまだ表示板には出ていなかったのだ。
無事に搭乗。
クアラルンプール空港付近は雨、しかも落雷付き。
そんなことの影響もあったのだろうか、コロンボ行きは30分ほど遅れて出発。
機内はガラガラだ。
午後11時近くに出発したのに夕食が出る。
しかしマレーシア航空のフライドライスというものは実に美味いな。

バンダーラナーヤカ国際空港には23:40頃到着。

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イミグレーションは実に簡単。ビザの書類なんか見やしない。
バンダーラナーヤカ国際空港のバゲージクレームは結構広い。
いつも思うことだが、本当に預けた荷物は出てくるのだろうか。
ちょっとした目印を付けておいた荷物は無事に出てきた。やれやれ。
ゲートを出ると、お客の名前を書いた紙を持ったドライバーがザーッとひしめいている。
その中から自分の名前を探すのは…そんなに難しくはなかった。
空港の建物の外は蒸し暑い。
宿まで約30分。深夜なのでビールはなしだ。
深夜にもかかわらず出迎えてくれたオーナー夫妻は日本語が達者。
事前に連絡をくれていたスズキヒロシ君は埼玉県在住の息子さんで、おじいさんをつれて帰省中ということで、なんだか日本の民宿にいるような気分だ。
とにかく、夜中。今日はもう寝よう。

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エアコンはないけれど、天井扇があって夜は快適な温度になっている。
むしろ、裸だと冷えすぎる。
明日は、ニゴンボを歩いてみよう。

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朝、目覚めてすぐに海岸へ出てみた。
目の前の通りを渡って、細い道を海側へ行くと1分ほどで海岸に出た。
海の匂いと魚の匂い。
インド洋だ。

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魚を干しているのだ。周りにはカラスが集まっている。
露骨についばんではいないがかなりの数だ。

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太陽は上ってきているので、人々の姿も見える。
もう集まって仕事を始めている人達もいるようだ。漁の仕事だろうか。
エンジン付きのボートが猛スピードで浜の方へ突進してきた。
砂浜に着く前に絶妙のタイミングでエンジンを引き上げる。なるほど、砂に乗り上げて停止する。
何とも荒っぽい停止方法だが、何だか楽しそうだ。
干し魚、カラス、犬、人々、たき火の煙、日本とは臭いが違う。

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オーナー夫婦は本当に日本語が堪能で、息子さんのスズキヒロシ君や妹さんは、日本人そのもの。
おじいさんは日本人で、昭和7年生とかで少々耳が遠い。
奥さんが色々と相談に乗ってくれるというか、向こうから色々と話を持ちかけてくる。
ツーリストカーの件も出てきた。
N君が同行できないので、これは入国してから何とかしなければいけないと思っていた案件だ。
交通の最も不便な区間はツーリストカーを使う必要を感じていた。

この国は、細部にまでバスが走っていて、それも激安の、バスを使えばまず行けないところはないと思われる。
ただ、昨年の経験からすれば、常に混んでいて暑い、うるさい、荷物やトイレに気を使う等々で、かなり疲れてしまう。
若いバックパッカーならいざ知らず、無理は避けたいということで、その区間のツーリストカーをお願いすることにした。

料金は、1日60us$、ポッキリ。ただし、ドライバーの宿泊設備がホテルにない場合は、プラス1日当たり1000RSを払うということだ。
昨年、アヌラーダプラからシギリヤまで6000RS、シギリヤからキャンディまで7000RSでタクシーを利用したので、丸まる1日使えて60us$というのはかなりリーゾナブルと言える。
問題は、こちらはある特定の日・区間だけ使いたいのであって、連続してずっと使うというわけではないということだ。
おそらく、出国まで面倒見ますよという提案なのだろうが、そこまではいらない。
鉄道で移動することを楽しみにしている区間があり、部分的に使うことで合意した。
明日、南部のゴールへ鉄道で行き、明後日コロンボフォート駅に戻ってきてからの利用だ。
コロンボ→キャンディ→シギリヤ→カンダラマ→キャンディとお願いすることにした。
本当は4日で良かったのだが最低5日間からということだ。
期間中は色々と回ってくれるそうなので行動範囲は広がるし、荷物やトイレに気を使う必要もない。
ただ、最後までツーリストカーを使うと、ツアーと同じことになってしまうし、個人旅行の醍醐味である新しい出会いもない。
その辺りは自分の旅のスタイルと折り合わせる必要がある。
明日は、コロンボフォート駅まで車をチャーターすることにした。
バスという手もあるのだが、乗り換えもあって結構面倒くさいのだ。

話がまとまったところで経費を一括清算するために、ATMを求めて通りを南の方へ歩いて行く。

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ヒンドゥー教の寺院
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午前中だが、早くも暑くなってきている。日差しが強い。
時間が経つにつれて日本の真夏の暑さになってくる。

ゲストハウスはリゾート地区の一番北のはずれにあるので、賑やかなゾーンに出るまでは1kmほど歩かねばならない。
ATMまで約1km、既に汗だくだが、例によって出ないATMだ。
外国人観光客も苦労しているみたいだ
もうこの手のATMには全く驚かなくなったが、どうも紙幣の取り出し口が狭くできていて10000RSを超える金額は出ないのではないかと推測したが、そんな馬鹿なことがあるのか。
20000RS要求すると出ないのに10000RSだと出るのだ。
これで、6回に分けて60000RSを引き出す。
これでゲストハウスの宿泊費、5日分のツーリストカー代、明日のコロンボフォート駅までのタクシー代と全て済んでしまった。

ただ、問題が一つ。
日本から持って行った国際SIMカードが機能しない。
明後日のドライバーとの待ち合わせ場所の確認と明日のアパートメントの場所の確認(アパートメントは住宅街にあってホテルの様相を呈していないので見つけるのが非常に難しいのだ。)に通話ができることが必要なのだ。
一旦宿に戻ってスズキ君に相談すると、街のコミュニケーションショップで用途別のSIMカードを売っているからそれを買うといいよと教えてくれた。
街中のフィッシュマーケットへ行くついでにトゥクトゥクのドライバーにショップに寄ってもらった。
何かタバコ屋さんのような雑な雰囲気だ。
通話オンリーのカードをリクエストすると、通話できる時間で料金が決まるようだ。
要は、自分の携帯を使ったテレカと考えればよいわけで新しい電話番号ももらえる。
見ているとチャージな可能なものもあるらしく、チャージに来るお客さんが結構いる。
SIM本体と通話料10分、合わせて350RS.。
安いではないか。簡単だし。
日本で色々と画策する必要はなかったのだ。

トゥクトゥクのドライバーはフィッシュマーケットまで1000RSとそもそも観光客値段だったが、市内観光をしないかとか、色々と料金を増やすコースを持ちかけてくるが、一切拒否。

市場好きの身としては、フィッシュマーケットははとても楽しかった。
市場は地元の人々の活気と地元の食材や特産物を肌で感じることができるのでとても面白い。

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地べた一面に干した魚が並び、様々な生魚を売っている。
行きかう人々の熱気、喧噪、匂い。
外国人観光客が築地を観光したがるのも分る。
しかし、ここは日本とは異なりえらくワイルドだ。
日本の徹底的に衛生管理された設備とは大違い。
犬もカラスもうろつき回る。
昔の日本の市場もこんな時代があったのだろう。

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帰りは、とても暑いがのんびり歩いて帰ることにした。

カソリック教会
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途中、お昼のカリーと今回初めてのライオンラガー。
美味い。

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朝に行ったATMまで戻ってきた。
約2時間、汗だくだ。

親水公園
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この付近に例によって背徳的な雰囲気の酒屋を二軒見つけた。
ということは、冷たいビールを買いに行くために宿から1kmほど歩かなくてはいけないということだ。
宿はとても良いのだが部屋に冷蔵庫を求めるのは贅沢か。
ようやく宿へ到着。
少し休んでから、スズキ君、妹さんやおじいさんと雑談。

夕食は、また1kmほど歩いてなんだかよく分からないもの。
しかし、美味しいのだ。
おそらく、ココナッツ粉と小麦粉を練ったものをベースに野菜や魚介類を炒めたものだろう。

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とても美味しいのだが、昨年の南インドと同じような状態になってきた。
痒い。蚊だ。
しかし、短パンでなくては暑くていられないのでこれはしょうがない。我慢するしかないのだ。
かゆみ止めは持っているけれど防虫スプレーが必要だな。
そして、突然始まるバンド演奏。

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12弦ギター、アコーディオン、コンガでコードが6つくらいの素朴な演奏だ。
気が付くとあちこちのレストランでやっているようだ。
この辺りは観光客が多いので生演奏も多いのだろう。
なんだかとても懐かしい気分になった。
帰りがけ、ライオンではなくタイガーのビールを買うことができた。
明日は、南部の街ゴールへ移動する。

2018年03月29日

2018・スリランカの旅 第2章 2/25 (日) ゴール 

第2章 2/25(日) ゴール

今日は、南部の海辺の街、ゴールへ移動する。
明日はまた戻ってきて高地のキャンディへ移動するという少々強硬な日程なのだが、海辺の街ニゴンボと、やはり海辺だが歴史地区のあるゴールも見てみたい、そしてゴールまで海辺を走っていく鉄道に乗ってみたいというのがあった。

コロンボフォート駅まで、バスだとバス停までトゥクトゥクを使ったりとか色々と面倒なので、明日から同行する予定のツーリストカーのドライバー氏にタクシーとして来てもらうことにした。
明日の待ち合わせとかの打ち合わせもできるし。
旅の始まりでツーリストカーの手配という肝心なところを日本語で交渉で来たというのは、結構細かな交渉になっただけにとても楽だった。
このゲストハウスは、何だか日本の民宿にいるような気分で楽な滞在だった。
今日で日本語は終わり。

列車は10時30分発予定だが、チケットを買ったりするので少し早めの8時には出発。
これから数日間付き合ってもらうドライバー氏は、スッフン氏。
物静かで紳士的な人だ。
ホンダ製の車は、中国製だというハイウェイを快適に走って9時頃にはコロンボフォート駅に到着した。
バスもハイウェイを通るが、降りてから渋滞するらしい。
確かに道路は混んでいる。
バスやトラック等の大型車を除いて走っている車の9割以上は日本車だ。

明日も列車でコロンボフォート駅に戻ってくる予定なので、明日の駅での待ち合わせ場所を決めておく。
ゴールまでの2ndクラスのチケットを買って5番線で待つ。座席指定ではないから席取り合戦になる筈だ。
トイレを見つけて、とにかく済ませておく。
一人旅は移動中のトイレをどうするかということが大きい問題だから、できるときに済ませておくことが肝心だ。

コロンボフォート駅
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昔は日本でもみんなこういう切符だった。
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他の列車を見ているとわりと時間通りに来ているようではあるが、目的の列車は発車時刻になっても入線もしてこない。
例によってアナウンスもないし客も平然としている。
席を取るためには素早く乗ることが肝心だが、どこに2ndあるいは3rdシートが停まるか分からないので待つ場所はばくちなのだ。

10時40分頃やっと入線。運良く海側であろう進行方向右側に席が取れた。
しかし、動かない。電気も止まっているから扇風機も動かず、ひたすら暑い。

11時頃ようやく発車。
窓もドアも全開だ。ドアもだよ!!!
車内は混んでおり2ndクラスにも立つ客多数。3rdクラスは更に混んでいることだろう。
程なくして右手に海が見えてきた。

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このあたりから海辺側の民家と陸側の民家の軒をかすめるようにして走っていく。
民家はバハカゥンと言うにふさわしいみすぼらしい建物、半裸の人々、窓から手が届いてしまいそうな洗濯物、駅に同化してしまった家、牛、犬、ヤギ、ブタ等々。
線路は生活道路として使われているらしく、列車は人々の生活の真っただ中を走っていく。
そして時折砂浜まで数メートルしか離れていない場所を走る。
波に侵食されないのか心配してしまう。

この路線は噂にたがわず、素晴らしい景色と生活の景色の連続で、日本ではまずあり得ない場所を走っている。
民家の間を縫って走っていたと思ったら、リゾート地に景色は変わる。
ラグーンの真ん中を突っ切ったりと景色を見ていて飽きることはない。
出発時間は遅れたが、一応急行なので走り出すと駅をとばして早い。
速度もわりと出ているようだ。その上揺れまくり。
途中、激しいスコールに遭遇。さすがに全開の窓も閉じるが、この開閉は地元の慣れた人間でなければ難しい。
約2時間20分でゴール到着。
興味深い車窓の連続であっという間に時間が過ぎた。
乗ってよかった。

機関車
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ゴール駅
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ゴール駅到着後、今日宿泊するアパートメントのオーナー、Dam氏へ電話する。
つながるかどうか少し不安はあったが、ちゃんとつながり、車で迎えに来てくれた。
アパートメントは民家でホテルの観を呈していないので、トゥクトゥクや徒歩で見つけるのはとても難しい。
リスボンでとても苦労した思い出がある。

Dam氏は落ち着いた年配の男性で、どこかネパールのポカラのフムラジさんに雰囲気が似ている。
眼光鋭くも優しそうな雰囲気の紳士だ。
アパートメントはDam氏の自宅の敷地内の別棟だ。
ウェルカムドリンクはキングココナッツ、これはとてもユニークだ。

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リビングルーム、キッチン、ベッドルーム、シャワールーム、エアコン、冷蔵庫、洗濯機まである。

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広くてとても清潔で眺望の良い屋上もある。
アパートメントなので、完全に住める仕様なのだ。
どうも定員1組みたいだ。本日は僕のみ。
エアコンも良く効くし、Wifiは目の前にルーターが置いてあり強力。
これでこの値段なのか。安すぎないか。
Dam氏にビールが欲しいのだがと我儘を言うと、わざわざ車で買いに行ってくれた。
ライオンラガー缶3本だと思っていたら大瓶3本。
これからフォート地区に行きたいだろうから送ってあげる、明日も駅まで送ってくれると言う。
何と言うか、全てを含めて完璧なホスピタリティに感動すら覚える。
これは10点満点しかありえない。
何泊かしてみたい気になった。

早速洗濯。
ところが今日は天気がイマイチで、せっかく外にたっぷりと干せるスペースはあるのに部屋干しを工夫するしかない。
作業終了後、ライオンラガーを飲んで一休みしてフォート地区、旧市街地、城塞に囲まれた地区の観光に出かけてみる。
Dam氏がちょっと外出していて、戻るまで奥様と世間話をする。
庭の花が綺麗だ。
お馴染みのブーゲンビリアの花もあるし、何だか沖縄っぽい。

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敷地内のキングココナッツ、沖縄のパパヤー感覚だ。
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息子さんは23歳でエンジニアの勉強中、娘さんは27歳でローヤー、二人ともコロンボにいるとのことだった。
大した距離じゃないから時々帰ってくる。
うん、うちの娘と同じくらいの環境だ。
立派な母屋とアパートメントを所有しているということは相当な資産家だろう。
それにしては、従業員は見当たらずDam氏が一人で切り盛りしているみたいだし、腰は低いし、サービスは良くて、金持ちが道楽でやっているようには見えない。
いや、逆か。
接客が好きで、道楽でやっているからこの余裕なのかもしれないな。
車窓から見たバハカゥンの暮らしとは差がありすぎる。

この国は税金がとても高いということはニゴンボでも話題になった。
車の税金も相当なもので、車は全て輸入品だから輸入税ということか、200%の税金を取られると聞いた。
つまり、購入するには車体の3倍の値段がかかるということか。
走っている車の90%位は日本車だが、日本での値段の倍以上はすると聞いたからそうなんだろう。
この国の平均年収からすると、車を持っている人達は相当に高収入な人達ということになる。
だから、公共輸送機関であるバスも列車も常にすし詰め。
バスはボロボロ。
大型車は少しの例外を除いて殆どがインド製。
日本製は時々見かけるが高すぎるそうだ。
車は高価な財産なので一旦買ったら長く使い続けたいわけで、故障が少なく長持ちする日本車に人気が出るのは当然のことみたいだ。
昔のランサーとか、もう日本では見ることができないような古い車種を時々見かける。

しばらくしてDam氏が帰宅、フォート地区まで送ってくれた。

城壁で囲まれた小さな半島に旧市街地はある。

城壁の外側
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城塞の入り口を通ると。
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城塞の入り口を入って城壁の上が遊歩道になっている。
外側は海、ここを一周するような感じだ。

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子供たちが泳いでいる。学校の行事っぽい。
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これはびっくり。トラックの荷台の幌の内側は部屋だ。家族で来ているのだろうか。キャンピングトラックだ。
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灯台がある。まあ何と言うかこんなものかという感じではある。
城壁に囲まれた旧市街地は古い建物が保存されている。
観光客向けの保存地区だろうからそれなりにということだ。
時折ぱらぱらと雨が降ってくるが、スコールのような激しい雨ではないので折り畳み傘で十分だ。

旧市街地
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レストランの看板が日本語だ。
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夕食は、旧市街地の「ママズ・ルーフ・カフェ」というレストラン。
屋上に席があり眺望が良い。
フィッシュカリー、スリランカのカリーは中心にライスが置いてあり、その周りを何種類かのおかずが取り囲んでいる方式で日本のカレーとは全く異なるものだ。
おかずは店によって異なるので毎食食べてもあまり飽きがこない。
この店のおかずは7種類も付いていて、4種類は魚、いも、あとはよく分からないが野菜。
よく分からなくても、とても美味しい。
インディカ米はパラパラとしていてあまり腹にもたれないので結構食べれてしまう。

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満足して帰途に着くが、真っ暗になると昼間と様相が変わってしまってゲートがどこにあるのか分からない。
日本の夜と違って灯りが少ないので本当に暗いのだ。
この状況で強盗とかかっぱらいに会うと非常にヤバそうだが、この国ではそういうことはあまりないみたいだ。
なんとかゲートにたどり着いてゴール駅まで戻って来たが、ここからアパートメントへの帰り道がまるで分らない。
分からなくなったら駅から電話してくれとのことだったので、お言葉に甘えてDam氏に電話すると快く迎えに来てくれた。
本当に助かる。
通話できるようにしておいて良かった。
シャワーを浴びて、ライオンラガーを1本いただいたら眠くなってきた。
もう1本は飲めないなあ。

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2018年04月04日

2018・スリランカの旅 第3章 2/26 (月) ゴールからキャンディ 

第3章 2/26(月) ゴールからキャンディ

今朝は晴れている。
屋上に登ると眺めが良い。

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今日は10時55分発の列車に乗ってコロンボフォート駅まで戻り、ドライバーのSupun氏と落ち合ってキャンディまで行くというスケジュールだ。

朝食は、Dam氏が材料を持ってやって来てキッチンで作ってくれるという面白いスタイル。
さすが一棟貸しだ。
トーストとオムレツ、パイナップルとキングココナッツのジュースという充実した内容だ。
冷蔵庫に入っていたキングココナッツはこういう意味だったんだ。
念のため早めに9時半には出発することにした。

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Dam氏が送ってくれる。
途中、エアチェックスタンド(こういう商売があるんだ。)とG.S.に寄ってゴール駅まで。
ゴールで最も印象に残ったのはこのアパートメントだ。
部屋の広さ、清潔さ、接客等々ほぼ完ぺき。
精算も予定されていた金額のみで送り迎えの料金はなし。
10点満点以外あり得ないと思った。
何よりDam氏の暖かい人柄がにじみ出ていたアパートメントだった。
こんな宿があるんだと感動した宿泊だった。
また、来てみたい。そうしたらまた必ず泊まりたいと感謝の言葉を言って別れた。

昨日、とても興味深い景色の連続で楽しかった列車にまた乗れる。
自由席はとにかく早い者勝ち。
昨日の経験から、どこに二等車、三等車が停まるかは大体見当が付いた。
珍しく定刻前に列車が入線してきた。
整列乗車などないし、大体、列車が完全に停まる前に現地の元気な人々は乗ってしまうのだ。

幸いにして座ることができた。
二等車も通路までびっしり、しかしめげずに物売りはやって来る。生活がかかっているのだ。
二等車がここまでびっしりなのだから三等車はどうなっているのか興味のわくところだ。
トイレ(どこにあるのか分からないが、あるらしい。)なんか行ってた日には絶対席が埋まりそうだ。
まだ3時間くらいなら何とかなるが、旅の後半にある5時間の列車移動となるとどうなるか、まあその時考えればいいか。

二等車の車内
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急行列車は、所々多分観光地で停車していく。
途中から乗る人はまず座れない。
今日はとても良い天気で車内は暑い。

高校生くらいの頃、こんな客車列車に乗って東北へ旅行に行ったことがある。
あの頃を思い出した。
スリランカの鉄道は、おそらく50年くらい前の日本の鉄道に似ているのかもしれない。
いや、電化地区はまだないのでそれ以前かもしれない。
日本の客車列車も昔はドア全開で走っていたような記憶があるが、通勤電車でもドア全開というのは考えられない。
日本だったらドアが一か所走行中に開いただけで大事件だ。
まあ日本の常識は通用しない。
そうこう考えたりしているうちに、列車は多分定刻に近い時間にコロンボフォート駅に到着した。

コロンボフォート駅到着
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ドライバーのSupun氏とも無事に会うことができた。
これで、今日からキャンディ・シギリヤ・カンダラマ・ダンブッラ・キャンディとツーリストカーでの移動になる。
バスを探す必要もなければトイレの心配をする必要もないし、荷物も車に置いておける。
これは楽だ。楽すぎる。

今、13時30分頃、キャンディまで4~5時間かかるということだから、到着するのは17時~18時頃になる。どこかへ寄っている時間はない。

外は暑いが、ホンダの車はエアコンがギンギンに効いている。
コロンボ市内を抜けるまではかなりの渋滞。
右ハンドル・左側通行は日本と同じだが、片側2車線の筈なのに3車線化している。
トゥクトゥクが隙あらば入り込んでくるし、普通こちらの車線には入ってこないよなという車が必ず割り込んでくる。
特にバスだ。
真横に停車しているのに、こちらの進路をふさぐように発車してくる。
この国のバスは最も過激な乗り物だ。
その間を人や自転車が縫うようにして走る。
交通量の多い交差点に信号がない。
ポリスが一人で交通整理しているが焼け石に水だ。
まあそれでも、交差点の真ん中に牛がいないだけインドよりましかもしれない。

ドライバーのSupun氏は物静かな人だ。
僕もあまりうるさい人は好きでないので合いそうだが、ずーっと静かな時間が続くというのもなんだか気詰まりがするので、結局ラジオをつけてしまった。

途中見かけた蝙蝠の木。半端でない数の蝙蝠が群がっている。Supun氏が教えてくれた。
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ツーリストカーでの移動は確かに楽だ。
荷物を気にしなくても良いし、トイレだってリクエストすれば何とかしてくれるし、エアコンも効くし。
ただ、僕のような地元に身を置いてみたいという旅行者にはどうなのかということだ。
乗用車という閉鎖空間(パブリックな一般バスとは別だ。)は、外界とは隔絶された世界だ。
言ってみれば、日本国内を車で回っているのとどこが違うのか。
その辺りを心得てうまく使わないと、僕の嫌いなパック旅行と同じになってしまう。
これから五日間どうなるのかな。

しかし、昨年民間バスでコロンボからアヌラーダプラまで6時間かけて行ったときは、混雑と暑さとロックの爆音でかなりまいったので、そのあたりを天秤にかける必要がある。
若いバックパッカーとは違うのだ。
バスに乗っていたって、どうせ目的地まで降りることはできないのだから、混雑と暑さと喧騒を楽しめるのかということだろう。
そんな葛藤があったので、一番不便な区間を利用することにしたのだ。
ただし、5日間がミニマムなので最終日は贅沢に使わせてもらう。
車での移動だと通り過ぎる街の様子を色々と眺められるところが面白い。
バスだとこうはいかないのだ。
キャンディまでやはり約5時間かかった。
18時30分頃到着。

キャンディは昨年1日だけ滞在したので、何となく地理は分かる。
今日のホテルはキャンディレイクのずーっと上の方。
レイクを挟んで繁華街の対面に位置するので、鉄道+トゥクトゥクでは結構難易度が高そうだ。
ドライバーの宿も当然必要なわけで、四つ星以上の大きなホテルであれば用意がある事が多いのだが、用意がない場合は1000RSを渡すという約束になっている。
多分、殆どこのパターンだな。
明日は、シギリヤ行きだ。
Supun氏からシギリヤへ行くまでに何かプランはあるのかと聞かれたが、今晩考えることにしよう。
シギリヤまでも結構遠いので明日は9時出発ということになった。

周りは既に暗くなっている。
ホテルは丘の上にあるので夜景がとてもきれいだ。
向かいの山腹にあるダーガバがライトアップされている。明朝の眺めが楽しみだ。
それはそうとして、これから市街地へ食事だのATMだの用足しに行くわけだが、車で相当登ってきたような気がするが歩いて行けるのか。
スタッフに聞けと、ショートカットの階段があるというのだ。
そこを使えばキャンディレイクまで約15分で行けるらしい。

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早速出かける。
今まで滞在していた海辺と違って夜は涼しい。
急な階段と急な坂を約10分で降りるとキャンディレイクのほとりだ。
繁華街はちょうど対岸。
歩いて約30分。
クイーンズホテルが良い目印になる。
行きはよいよい帰りは何とかだな。
一杯入っていると尚更だろう。

ATMは程なく見つかり、というかいたる所にある。
ビールが飲みたいので、昨年行った「ザ・パブ」に行ってみる。
ここは外国人客が多く、店名から分かるように酒が飲めるのだ。
観光客向けだから、料理の値段は高い。
もっと地元的なところに行きたいのでライオンラガー一杯で退散。
欧米人はこんな客も多いみたいだし、大人数で来てメニューを見て、何も頼まず退散という連中もいるので、こんな客でも良い筈だ。

さっき通りかかったティー・テラスという店が気になった。
混んでいる。安い。当然アルコール類はなし。
ビリヤニ、400RS。割と甘口だがいける。量が多い。
これで良い。
また来たくなった。

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帰りはトゥクトゥクを拾おうかとも思ったが、ぶらぶら歩いているうちにキャンディレイクの周回コースに入ったのでこのまま歩いて帰ることにする。
周回コースの歩道は所々真っ暗。
こんなこともあろうかとヘッドランプを持ってきて正解だった。
物騒な感じはしない。
行きに坂を登って行く目印を記憶したつもりだったが、暗くなると様相が変わるのだ。
見落としたらしい。
行きの記憶にないようなところまで歩いてきてしまったので引き返す。
案の定、かなり行き過ぎたようで、損した気分。
そこから急な上り坂と急階段を登る。
多少涼しくてもやはり大汗をかいてしまった。
やはり移動の疲れがあったのか、シャワーを浴びたらすぐに眠たくなってきた。

2018年04月17日

2018・スリランカの旅 第4章 2/27(火) キャンディからシギリヤ

第4章 2/27(火) キャンディからシギリヤ

やはりこのホテルからの眺望は素晴らしい。
朝起きて眺めてみると良く分かる。

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キャンディレイクに面した丘の上のこの辺りには眺望を売りにするホテルが数多くあるようだ。
高級ホテルもかなりある。

この眺望を臨む食堂での朝食は気持ちが良い。
定番のトースト、卵、フルーツそしてやはり紅茶。
この国の紅茶は美味い。ミルクを入れても美味い。ただし、ティーバッグは別にどうということはない。

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今日は9時にSupun氏が迎えに来る。
昨晩考えたプランは、シギリヤに向かう途中のマータレーという街でスパイスガーデンに寄りたいというプランだ。

途中で見かけた面白い形の屋台
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天気は良い。
キャンディ市内はかなりの渋滞。抜けるまで時間がかかる。
ピンクの花をつけた大木が満開状態。
日本の桜と似ているが何だろう。
川沿いに咲いているところなどはまるで桜のようだ。

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車で走っていると街々の特徴が見えてくる。
ある街は車のパーツを売る店がやたら多い。

パーツ屋
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ここでSupun氏が何かを探し始めた。
何軒か店を廻っていたがなかったようだ。
ホーンを探しているというが、お目当ての物が見つからない。
どうもベンツ製が欲しいらしい。
こういう回り道は予想していなかったことと出会える可能性があって、とても惹かれるものがあるので大歓迎。

ドライバーだけあって、車の話になると盛り上がる。
初めは口数が少なかったけれど、段々お互いに慣れてきたようだ。
乗用車の90%が日本車というのは訂正。98%位日本車だ。
あとはインド製かな。
大型バスはほとんどがインド製。
日本製は高いらしい。
時々日本製のエアコン付き大型バスを見かける。
マイクロバスは結構日本製が多いみたいで、何々温泉とか何々幼稚園とかの表示がそのままになっているものがよく走っている。

スリランカで車は生産していないので100%輸入。
この輸入税が高いらしい。
車体の3倍の金を払わなければ買うことができないという。
車にかかる税金はこれ1回だけだが、べらぼうだ。
いきおい公共交通機関に人々が集中するので、バスも列車も常に混んでいる。

この国で最も危険な運転をするのは、間違いなく民間バスだ。
クレージーとしか言いようがないあおり、滅茶苦茶な追い越し、競争、もう倒れるんじゃあないかと思えるようなコーナーリング等々枚挙にいとまがない。
彼らはポリスに金を渡しているんだとの話も聞かれた。

そしておなじみのトゥクトゥク。
この運転もすごい。
実際しょっちゅう事故を起こすらしい。
車がかたまっているところに突っ込んでいったり、いきなり車線を変えたり、造りがちゃちなので事故を起こすと大変らしい。

制限速度というのも一応は存在し、乗用車は70km/h、バスは50km/hということらしいが、バスは90km/hだろうとSupun氏は笑っていた。
途中、中古車屋なんかにも寄ってみる。こういう寄り道は楽しい。
そんなこんなで段々と話も弾むようになってきて良い感じになってきた。
ただ、お互いに基本は静かなので、その辺りは大人の呼吸というものなのだ。

向かっているのはシギリヤ。
昨年、足の痛みでロックに登ることを断念したのだ。
今回は絶対行く決意で、これも今回の旅の目的の一つなのだ。
ところが、昨日あたりから何故か左足に痛みを感じ腫れ始めた。
何故なんだ。
日本にいるときは全く出ないのに。
ビール3本がいけなかったのかな。
今年は薬をたっぷりと持ってきたし、これでまた痛くて登れないんじゃ悲しすぎる。
ロックは明日の朝、暑くなる前に登るつもりでいる。
今日中には少しは良くしておかないと。

マータレーの街の郊外にはスパイスガーデンが多く存在する。
スパイスの産地なのだ。
Supun氏が連れて行ってくれたスパイスガーデンには、日本語が堪能なガイドがいた。
日本語ぺらぺら。
色々と説明をしてくれて、スパイスティーの試飲とスパイスオイルを使ったお試しのマッサージをしてくれる。
アールユーベーダというやつだ。
訳すと、Natural medicine treatment、自然な薬による治療ということになる。
ちなみに、アーユーボーワンは、こんにちは。

スパイスガーデン
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マッサージをしてくれた若者に500RSのチップを渡すが、目的は売店で商品を買ってもらうことだ。
そりゃ当然だ。
粉末状のスパイス、オイル、ティーが中心商品で、各国語による説明資料もある。
日本語のものもある。
お茶やスパイスはこの先まだ長いので、旅の終盤に買おうと思っているし、紅茶の一大産地ヌワラエリヤへも行く予定なので、ここではスパイスオイルに注目した。
さっき足のマッサージに使ったオイルは関節痛等に効くらしい。
そう言えば腫れ始めた左足も気持ちが良いし、指が良く曲がるようになっているような気もする。
少々高めではあるが試してみる気になって先程のオイルを買ってみた。

スパイスガーデンを出てSupun氏お奨めの街道沿いのレストランへ。
ブッフェ形式でカリー、ライス食べ放題。
これがとても美味い。

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店の人が日本人の客が来たと聞いたのだろう、坂本九の唄で「見上げてごらん夜の星を」とか「上を向いて歩こう」なんて曲が大音量でかかり始めた。
日本びいきの人がいるのだろう。
妙な気分だ。どこかの島でこんなことがあったな。

カリーはとても美味しい。
皆さんを見習って今日から手で食べることにした。
うまく混ぜ合わせて、右手をスプーン状にして親指で押し出すように食べるのだ。
いい塩梅で混ざるからだろうか、手で食べた方が美味い気がする。
Supun氏が、これからミンネリヤ自然公園というところに行ってジープサファリをしようと提案してきた。

天気は雨がちだ。
時折大雨になったりするが、小降りにもなる。

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ジープの中からなので問題ないということだ。
サファリには行ってみたいと思っていたので、同意。
料金はUS70$、所要時間は約4時間。

ハバラナという街のとあるホテルの前に停車。
ひげ面の若者が握手を求めてきた。ジープドライバーだ。
ホテルでトイレを済ませて料金を払ってジープに乗り込む。
ジープは三菱の古い車。
まずは普通の街道をとばす。

若者の名前はManoj=マノンジ君。日本人には分かりやすい名前だ。
日本語を勉強中で日本が大好きだという。
初めは、ひげボーボーの頼りなさそうな痩せた若者だと思っていたが、話しているとなかなか面白い人だ。
英語もちょっと変なのはお互い様だ。
お互いに多少変な英語OKという状況は話が弾むのだ。
雨は降ったり止んだり、時折強く降る。

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サファリへ入ってからは舗装道路はなくなって穴ぼこだらけ。
泥水のたまった穴だらけの草原をひっくり返りそうになりながらジープは走っていく。
三菱のジープのパワーはすごい。
これに似た状況はネパールでのエレファントライドとサハラ砂漠のラクダ。
前者は森の中へずんずん入って行った。多少の川も何のそのだった。
後者は砂漠専用の運搬、砂漠であればどんなところでも行ってしまう。
ジープは疲れることはないが、森の中へは入れない。

ドライバーのマノンジ君は、何か話しかけてくるとこれを日本語で言ってくれとさかんにリクエストする。
何やらスマホを操作しているが、日本語通訳ソフトなのだ。
ジープは人工物が何もない草原を走っていく。
深そうな水たまりも何のその。
ワニだのクジャクだの水牛だのキングフィッシャーだのいろいろ出てくるが、これらはお目当てではないらしい。

オオトカゲ
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巨大ハチの巣
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キングフィッシャー
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水牛
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ジープが終結した場所が見えてきた。
休憩でもしているのかと思ったが違った。
象の群れがいるのだ。

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5~60頭位だろうか。何ファミリーかがまとまっているのだ。
雨が好きなようだ。結構近くまでやって来る。

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小象が地面にじゃれつく動きがとても可愛い。
天気が良かったとしても、危険なのでジープから外に出ることはできないそうだ。
象が一番の人気のようで、どのジープもここを離れようとしない。
半分以上の時間をここで過ごした。
身近という点ではエレファントライド、野生を間近で見るという点からすればこちらだろうか。

5時近くになったのでそろそろ帰ろうかということになった。
帰りはマノンジ君の日本語の勉強にずっと付き合った。
素直な青年でまだ26歳だ。
5人家族で暮らしていて、彼女あり。
28歳くらいまでには結婚したいらしい。
今や世界中で名刺代わりになったf.b.の交換をする。
外見はヒッピー風、チェ・ゲバラの風貌に似ている好青年だった。
音楽も聴くというので、記念に僕のCDを進呈した。
天気はイマイチだったが、楽しいジープサファリの時間を過ごしてホテルへ向かった。

Supun氏によれば、周りには何もないはずだから夕食を買って行った方が良いということ。
とりあえず、よくあるおかずが入っているパンやらバナナ、飲み物を買いこんでホテルへ。
到着してみると、ホテルというよりは森の中にあるバンガローだった。
1棟に2部屋という造りだ。
暗いのでよくは分からなけれど、とても良さげなロケーションだがやはり周りには何もない。

バンガロー入口
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明日は、昨年足の痛みと腫れで断念したシギリヤロックに登る。
今日のような天気だと困るが、明日は天気は良いらしい。
暑くなる前の朝に登るのが良いとのことで、午前7時に迎えに来るとのこと。
朝食は帰ってきてから取ればよいとスタッフが勧めてくれた。

お試しマッサージ後、また若干晴れていた左足だが、今は腫れが引く傾向にある。感覚で分かる。
明日は、シギリヤロックから戻ってから、Supun氏お奨めのアールユーベーダを受けて、ヘリタンス・カンダラマにチェックインするという盛りだくさんの一日だ。
前半のハイライトともいえる。
足も大丈夫そうだし、明日は早い。
早々に寝ることにする。

初めてこの形で使った。ガンダム仕様。
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2018年05月25日

2018・スリランカの旅 第5章 2/28(水) シギリヤからカンダラマ

第5章 2/28(水) シギリヤからカンダラマ

天気は晴れ。
昨日のような天気だったら急階段を登って行くのは嫌だろうなと思っていたのでラッキーだ。
昨日は到着したのが暗くなってからだったのでよく分からなかったが、このホテルは森の中のバンガローといった趣だ。

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クジャクがいる。
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午前7時にSupun氏が迎えに来た。
さすがドライバーだけあって時間に正確だ。
シギリヤロックは昼からは暑いので、午前中に登るのがねらい目なのだ。
ロックまでは約20分位か、結構近い。

車を降りてロック入り口に向かう。
ちょうどロックの向こう側から日が昇ってくる。
入山料は30US$とかなり高い。
観光立国のスリランカだから仕方がないところだ。

見事なガジュマル。
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帰りの待ち合わせ場所を決めて登り始める。
下から見上げれば当然のことながら垂直の壁だ。
高さ約200mのこの上に宮殿があったわけだから、一体昔の人はどうやって建設したのだろうか。

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まずは石の階段を登って行く。
これは序盤だが、それでも結構汗をかく。
これは上まで行ったらびしょ濡れだな。
巨大なライオンの足の部分がある。

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蜂に注意!!
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ここから壁画のシギリヤレディ、ミラーウォールを経てらせん階段が始まる。

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らせん階段は登るのにそんなに苦労しない。
太った欧米人も結構登っているが、本当に大変そうだ。
上に行くにつれて絶景が広がっていく。

わりとあっけなく頂上に着いた。
ゆっくり歩いて所要時間約40分。
東京タワーの大展望台まで階段を登って行くというのがあるが、あそこより約50mほど高いところまで階段を登って行くと言えば分かりやすいか。
平らな部分も結構あるのでゆったりと歩くことはできるし、途中の見どころもある。

頂上には何層かに分かれて遺跡が残っている。
しかし、こんなところに階段や通路を設置するのは今でも大変だと思うが、5世紀に宮殿を建築したというのは一体どのように建築したのだろうか。
発見されたのがイギリス統治下の1900年代というのだから、想像もつかない。


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何故か犬がいる。
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ここにも。
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頂上の雨水プール。
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頂上は周囲を遮るものは何もないので360°のパノラマ。
2年越しでやっと来れたのだから、ゆっくり頂上を楽しんでから降りる。
しかし、この状況で天候が悪化したら非常に恐ろしいだろうな。
逃げ場がない。
下りは30分もあれば到着してしまう。
上でゆっくりする時間をいれて2時間もあれば十分だった。

下から見るとほぼ垂直の壁。
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大汗をかいた後はエアコンが効いた車でバンガローへ戻ってシャワーと朝食。

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このバンガローは森の中にあって、静かでとても良い環境だ。
昨晩は隣の部屋の中国人観光客がうるさかったが。
設備も整っていてスタッフも親切でお勧めできる。
ただ、周りに何もない。
食事をできる店は歩いて20分くらいはかかるだろうか。雨の中はしんどい。
シギリヤロックもそうだが、この辺りは徒歩だけでの移動は不可能だ。
バスもトゥクトゥクもあまり見かけない。
ツーリストカーが正解だと思う。
遅めの朝食もしっかりと用意してくれた。

チェックアウトして次はSupun氏お奨めのアールユーベーダへ。
ハンバントッタという街に入った。
まず観光客は来ないであろう店構え。
第一何の店か分からないし、店であることがそもそも分からない。

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全身のオイルマッサージと温浴だという。
まず、全身オイルマッサージを約50分、入念に行う。
何だか顔がほてって来て、酒を一滴も飲んでいないのに飲んで気持ちが良くなったような心持になってくる。
これで足も完治するかなぁ。
その後の温浴は何かと思ったら、木でできたカプセルの床に葉っぱが敷いてあり、これを温めてその上に横になり首だけ出して蓋をするというものだ。
普段サウナに入っている身としてはそんなに大したことではない。
水は浴びずオイルを拭いただけで終了。

終了後はティータイム。
Supun氏とパウリーニョ・ダ・ヴィオラに似た医者だという男が僕の脈をとった後何かを議論しているが、シンハラ語なので何を言っているのかさっぱり分からない。
要は僕は調子が良いということらしい。
これで料金は4500RS。RSだとしても安いと思った。

何気に象ガメがいた。飼っているものではない。

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これでヘリタンスカンダラマに向かうちょうど良い時間になった。
ヘリタンスカンダラマは、スリランカの生んだ天才建築家といわれるジェフリー・バワが設計したホテルで、唯一内陸に存在するホテル。
五つ星ホテルでそれ自体が観光資源のような建築物だ。
今回、ナリン君が同行できなくなったのでアヌラーダプラ行きは止めて、ここに宿泊することをテーマの一つとして考えたみた。
いつかは行きたいと思っていたところなのでとても楽しみだ。

ダンブッラから街道沿いを30分くらい走って山道に入って行く。

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ただの田舎道で周りは何もない。
この先にあの大建築物があるのかという感じだ。
普通、豪華ホテルというとアクセス道路から周りとかけ離れた立派なものにしがちだが、全く異なる。
却って舗装もなくなり悪路になった。

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そして突如として玄関が現れた。
だが、全長1000mに渡る大建築物は森と岩に隠れていて全貌を見ることはできない。
玄関だけがポッカリと現れたかのようだ。

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だが、さすがに五つ星ホテル、荷物は当然のごとく放ったらかしでウェルカムドリンクをサロンでということになる。
サロンの先にはカンダラマレイクがプールとの境界が分からないような位置で存在する。
これがインフィニティプール(無限のプール)と呼ばれる様式なのだ。
さすがに五つ星ホテルはドライバーの部屋も用意されていてる。

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そして、部屋に案内される。
209号室で低層階なのだが眺望がすばらしい。
湖と森しか見えないのだ。
バスルーム(嬉しいことにバスタブ付きだ。)、トイレもガラス張りなのだが外からは全く見えない。

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部屋に至る廊下も実に興味深いもので、岩が廊下に食い込んでいたり、自然岩をくり抜いたトンネルだったりする。

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これはオブジェなのか。
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建物の外部は緑に覆われ森と同化していき、建物の内部は山に取り込まれてしまうイメージなのだろうか。
これは探検のしがいがある。

ミニバーがあるが高いのでアンタッチャブル、ミネラルとこちらへ来てすっかり気に入ってしまっていつも持ち歩いているウッドアップルジュース(高カロリー、高たんぱく、抗酸化作用のある優れものだが味に癖がある。)を冷やしておく。
今日はどうしてもビールをいただきたい。
サロンへ戻ってライオンラガーをいただく。
値段はそれなりに高いのだが、五つ星に宿泊して、そのようなことを気にするのは不粋というものである。

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周りには森と湖しかないので食事は全て館内で済ませることになる。
建物は鳥が羽を広げたような形になっている。
山の中腹が玄関でここが5階。
建物自体は7階まであり、6階にはレストランとか会議室とかのパブリックスペース諸々、5、6階にはジムやサロン、ショップのような多目的施設が揃っているようだ。
プールは5階の他に7階にもある。
その他、館内の色々な場所にあるオブジェも楽しいし、リスがそこら中にいる。
サルも多数見かける。鳥の鳴き声もすごい。

リス
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建物の全体は森に溶け込むような緑色で、館内に空間がとても多い。
そこに岩が入り込んだりしていて草木が建物を覆っている。
外から全体像が把握できないのだ。

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階段にも工夫が凝らしてあって、踊場からみる景色は絵画を見るように自然を切り取ったように見える。

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カンダラマレイク。彼方にシギリヤロックが見える。
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また、階段の所々にあるオブジェも不思議感満載。

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エレベーターはとても目立たないところに配置されていて、そもそも階段の風景が楽しくてエレベーターで移動するのがもったいないのだ。
ホテルの内外を探索しているうちに時間はどんどん経って、ディナーの時間がやってきた。

6階のレストランにはスマートカジュアルというドレスコードがある。
ま、長ズボン、襟付きシャツであればOKでしょう。
夜だから何も見えないが、多分見晴らしの良いであろうレストランのディナーはブッフェ形式で相当な種類の料理が並んでいる。
これは色々食べたいから少量づつサーブするのに限る。
全てとても美味しい。

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食べたいものはまだまだあるのに満腹になってしまう悲しさだ。
日本人が結構いる。団体のツアー客が入っているようだ。

大満足して部屋に帰る。
まだまだ休むにはもったいないのだが、夜中に探検するわけにもいかないからゆるゆると寝る。
明日は11時と遅い出発時間にしてあるので、明日またゆっくり探索してみよう。
今日は念願の二か所に行けたことでとても印象に残る一日だった。

2018年06月04日

2018・スリランカの旅 第6章 3/1(木) カンダラマからダンブッラ、マータレー、キャンディ

第6章 3/1(木) カンダラマからダンブッラ、マータレー、キャンディへ

朝早くに目が覚める。
最近は常に朝が早い。
早速散歩を始める。
人はほとんどいない。
7階のどこかの庭で山の向こう側から朝陽が昇るのを眺める。
西側の山々が朱色に染まって鳥の声がやかましくなる。
湖の後方にシギリヤロックがはっきりと見える。素晴らしい景色だ。

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ジェフリー・バワという天才建築家は、単に建物を建てるというよりは、建物の細部から全体まで全て何らかの意味を持たせているようだ。
スタッフが入り、ゲストが入ることによって建物が呼吸し始め意味を成してくる。
なかなかうまく表現できないが、建物の景観、建物からの景観、自然との一体化、各所に配置されたオブジェ、ゲスト、スタッフ等がすべて意味を持つ存在として予定されているとでも言おうか。
それらが一体となってジェフリー・バワの思想を表していると感じた。
素晴らしい滞在だと感じること自体が彼の思想を体現するということではないかな。
このことはもう少しよく考えてみたい。

朝食のブッフェも素晴らしい。
料理の種類も多種多様、とても全部に手が及ぶものでは無い。
前夜は暗くて分からなかったが、レストランからはカンダラマレイクと遠くにシギリヤロックが見渡せる。障害物は何もない。

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じっくりと堪能して部屋に戻るが、出発の時間まではまだたっぷり時間がある。
2階の廊下を10m程進んだところに椅子とテーブルが置かれた空間がある。オブジェが可愛い。

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涼しげな気持ち良い風が吹くので、ここでネットと読書をしばらく楽しんでみる。

岩が迫っている廊下
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岩が食い込んでいるデザイン
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その後、建物の外側も探索してみる。
樹木に覆われた建物は廃墟と見えなくもない。
廃墟となった後は緑に覆われて森になってしまう。
そんなことを考えたのだろうか。

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部屋のテラスでネットをやっても気持ちよさそうだということで、テラスのデスクにIpadと眼鏡入りのケースを置いてちょっと部屋に入ったらサルが三匹やって来ているではないか。
そのうちの一匹が眼鏡ケースを盗んで行ってしまった。
中味入りだ。これはマズい。
これはもう戻ってこないのかなと一旦はあきらめかけたが、件のサルが5m程先でケースをかじり始めた。
テラスの外だから出れないし、もし出られたとしてもサルの方が素早いのは目に見えている。
しょうがないからサルをにらんでいると、咥えて解体しようとしているのか、いじったりかじったりしている。
そのうち、ケースが開いて中味が下に落ちた。
しめた。回収できそうだ。
更に、ケースが丈夫であきたのだろう、ケースも下に落としてしまった。
下が土であることは、散歩で分かっているから、早速回収に行くとあった。
この眼鏡は以前7階から下に落として無事だったことがあり、2階から土の地面に落ちたくらいでどうということはない。
無事回収できた。良かった。

盗賊の御一行
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もし部屋がもっと上の階だったら木に引っかかったりして回収できなかったかもしれない。
ラッキーだった。
確かにサルに注意という注意書きはあったのだが、まさか本当にこんなことがあるとは思わなかった。
人に物を盗まれないように注意して旅行しているのにサルに盗まれたとあっては何とも間抜けな話だ。
ま、これほど森と一体化しているのだと肯定的に受け止める。

さて、とても有意義だったヘリタンスカンダラマを11時にチェックアウトする。
多分全部込みで20000円弱くらいだ。
これを高いと感じるか安いと感じるかはあまり考えたくない。
長期滞在している人もいるらしいが、毎日あの食事だとどうなってしまうのだろうかと余計なことを考える。

これからダンブッラの石窟寺院に寄ってキャンディに向かう予定だ。
この辺りはバス停からもかなり離れている様子だし、ツーリストカーを使って正解だったと思う。
去年、シギリヤからキャンディまでタクシーを使ってRS7000だったから、一日付き合ってもらってRS6000という値段はかなりリーゾナブルだ。
もっとも、この国で値段を比較しては行けないというのは分かっているのだが。

ダンブッラは、昨年黄金大仏の写真を撮った。
あの時はとにかく足が痛かったし、薬もなくなりそうでなかなか厳しい状況ではあった。
今回は大丈夫。

ダンブッラの石窟寺院は、黄金大仏の側ではなくダンブッラロックにあった。
このような岩は色々なところにあり、登るための整備が去れているのはシギリヤとかダンブッラとかの名所に限られている。
整備されていないロックに誰か登る人はいるのかと聞いたら誰も登らないという。
ボルダリングというレベルではない。
とっかかりというものがまるでないのだ。

ボルダリングで思い出したが、日本を出てくるとき冬季オリンピックというものをやっていたが、ここでは全く別世界の出来事だ。
存在すら忘れていた。

ロックの麓の駐車場から石段を登って行く。
なんだか単調でシギリヤロックより疲れる。汗だくだ。

登りからの風景
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寺院はダンブッラロックの中腹あたりにある。
この辺りは時折涼しい風が吹いていてとても気持ちが良い。

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寺院の周りにはサルが多数。
寺院は文字通り洞窟の中にある。
涅槃像が有名だ。
壁から天井まで描かれた極彩色の壁画と無数の仏像は幻想的な雰囲気を醸し出している。

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天井
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涅槃像
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さっき登ってきた道を降りて、すぐ隣にある黄金大仏を見物する。

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日本の大仏と比べると、目がはっきりしていて肩がいかつい。
ここにもサルが多数。
子供が食べようとしていたアイスクリームを盗むサル、泣き出す子供。やはり油断も隙もない。

駐車場でSupun氏と合流してキャンディに向かう。
行きと同じルートだから見覚えのある場所も通る。

ランチは行きと同じ日本びいきのレストランへ。
朝の量が半端ではなかったので、控えめにする。
ここのご主人が日本語を少し話すのだ。
親しく話しかけてくれた。

途中、ハーブガーデンで寄ったマータレーの市街地で祭りに遭遇する。
結構大きい祭りだ。

日本語表示付きのトラック
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Supun氏の機転で急遽祭り見物をする。

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楽隊
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大通りを通行止めにしてすごい人出。
ヒンドゥー寺院を連想させる山車が何台も出て、楽隊もいる。
ヒンドゥーの祭りだと言うが、ヒンドゥー教は少数派。
宗教は違っても祭りは楽しいから人々は集うのだろうか。
確かに何だかワクワクしてくる。
マータレーはヒンドゥー教徒が多い町だということも聞いた。

ツーリストカーを利用すると、こんな風に偶然遭遇した祭りを見物することもできる。

しかし、思うにこの国の運転ルールは在って無きがごとく。
正面衝突すれすれの追い越しはざらだ。
まあ、他の国でもこんな状況ではあったけれど、この危険な運転の何%かは確実に事故になっている筈だ。

Supun氏はこの危険運転に関しては実に批判的だった。
彼はとても冷静な人なのだ。
ただ、ドライバーとしての気配りは忘れない。
例えば、色々なプランを彼の方から積極的に持ちかけてくるし、今日のお祭り見学のように機転をきかせてチャンスを広げてくれたりする。
このまま行けばキャンディ到着は午後5時頃だろう。丁度良い時間だ。

今日のホテル、Alex home stayは、以前行ったことがあるのか、彼は覚えていると言っていた。
場所は、キャンディの市街地に入る手前の急な坂の上。
これは周りに何もなさそうだし、坂を上って帰るのはきつそうだ。
ご主人のAlexが愛想よく迎えてくれた。気さくな人のようだ。
ホームステイというだけあって、自宅の3階をホテルにしているようだ。
3部屋しかない。

本日の部屋
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テラスからの景観
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部屋にはテラスが付いていてとても眺望が良い。
そして、テラスに出るガラスのドアに開けっ放しにしておくとサルが部屋に入ってくることがあるので注意との張り紙が。
今度は真剣に読んだ。
部屋は清潔で静か、奥様も気さくで美人、家族経営だからだろうか、とてもアットホームな雰囲気でとても気に入った。
これで値段がこんなに安いのは市街地から離れているからだろうか。

ATMと夕食の用を済ませたいのだがと言うと、Alexが車で市街地まで送ってくれるという。
歩いて行ける距離ではないのでとてもありがたい申し出だった。
ビールが欲しいのだがと聞くと、今日は月に一回ある満月の祭りの日、ポーヤデイという休日でアルコール摂取は厳禁なのだという。
ワインショップも全部閉まってしまうとのことだ。
明日だったら問題ない。

Alexが仕事のことを聞いてきた。
音楽関係で楽器を演奏したり教えたりしていると答えるとギターかと言う。
何で分かるんだろう。
そうだと言うと、息子が持っているのだと言う。
じゃあ、後で弾いてあげるよと言うと嬉しそうだ。
ということで、8時半からにしようということになった。
持ってきたCD3枚は既に配布済み。
もっと持って来れば良かった。

キャンディレイクに近いピザハット前で降ろしてもらってATMと夕食。
ビールも飲めないし、良さげなところを探しているうちに時間が経ってしまい、もう今日はパンを買って行って済ますことにする。
再びピザハット前でピックアップしてもらってパンで夕食を済ませたところに、Alexが呼びに来た。

夕食
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ギターはヤマハのフォークギターで息子さんは14歳。
奥様やAlexのご両親も来てミニコンサートになった。
鉄弦で多少は弾きにくいが約30分のソロギター演奏を楽しんでくれたようだった。
なんだかとても暖かい雰囲気になった。

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寝る前にそろそろ最終日のことを考え始めた。
ここはネット環境が良いので事務的なことをやるのに適している。

3/4に長い列車の移動があって、深夜の便で早朝クアラルンプール着。
まず寝れないだろう。
そのままマレーシアに入国してKLの観光に行けるのか。
足の調子は良いけれど、日本にいるときのように腫れが全くないというわけではない。
昨年のあの痛み、しかも最後は手まで痛くなって文字を書くこともできなかった、あれは疲労とストレスが重なったことが原因とも思える。
多分KLは暑いはずだし、着替え、その他色々と問題がある。
ここは慎重になった方が良いと思えてきた。

今回もマレーシア入国はやめてトランジットホテルを予約することにした。
このスケジュールでついでにマレーシアに入国するのは無理があるのだ。
入国するなら一泊するくらいのスケジュールを立てなければいけないだろう。
特に乗り継ぎの国に入国する必要がなければ、初めからスリランカ航空の直行便を使った方が却って安くて楽ということになりそうだ。
ネットで予約を済ませた。
昨年と同じパターンだ。
ただ、今年は元気だから空港内散歩でもしてみるかな。

アルコールはご法度なので、ここのところお気に入りになったウッドアップルジュースを飲んで寝る。

ウッドアップルジュース
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2018年06月18日

2018・スリランカの旅 第7章 3/2(金) キャンディ 

第7章 3/2(金) キャンディ

Alexの朝食
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階段を昇った上階が部屋
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今日でSupun氏とはお別れだ。
5日間一緒にいると、だいぶ打ち解けてきて話も弾むようになった。
彼がいなければ体験できなかったことも随分あった。

ツーリストカーは本当に楽だ。
荷物に気を使う必要が一切ないし、エアコンも効きすぎるくらい効いている。
トイレもリクエストすれば必ず何とかしてくれる。
ただ、外界と隔絶された空間にいるので、ともすれば日本をドライブしているような錯覚に陥ってしまう。
右ハンドル、左側通行で日本車なら尚更だ。
僕のような歩くことが好きな旅行者にとっては物足りないことになってしまう。

Supun氏もどうもその辺を察してくれたようで、車を置いて一人でぶらぶらする機会も随分多かったような気がする。
要は利用の仕方が肝心で、歩くことがしんどい人や複数人での利用はとても良い利用方法だと思う。
ただ、同国人の友達と利用するとドライバー氏との会話が少なくなりそうでそれはそれで物足りないだろうな。
今回は移動に不便な区間を限定して利用させてもらったが、良い利用方法だと思った。

更にドライバー氏との相性も大きい。
Supun氏は物静かな紳士で、それでいて気配りがよく効く人で、一緒にいて楽だった。
初めの方こそ、こんなに静かな人でこの先大丈夫なのかとも思ったが、車の話から徐々に話が弾みだして、家族の話や色々な話が出て、FBのやりとり、CDまでプレゼントして、しまいには自分の演奏を聴きながらドライブすることになった。

さて、Alexでの気持ちの良い滞在を終えて、今日はピンナワラの象の孤児園という施設へ行ってみる予定だ。
ジャングルで親からはぐれたり親を亡くしてしまった象を育てている施設で、動物園ではないということだ。
キャンディから約30km程離れている。

すっかり見慣れた鉄道線路わきの道路を走っていく。
鉄道だか住宅だか分からないような眺めだ。
線路は通路と化していて列車から洗濯物に手が届く。
列車に乗っていると、まあすごいところを走っているなと思うのだが、外から見ると更に迫力が増す眺めだ。

1時間半ほど走ってピンナワラに到着。
子供や家族連れで賑わっている。
ちょうど水浴びをしている時間帯で、15分後に水浴場から通りを行進して施設へ戻っていくということで、水浴場へ行ってみる。

土産物屋の並ぶ道を象が行く。
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30頭ほどの象が川で水浴をしている。
その周りはこれを見物できるテラスやらレストランやらホテルやら多数。
外国人観光客が多数見物している。

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こちらに興味津々の様子
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ネパールでも感じたことだが、象はとても利口な生き物で、一頭々違う個性を持っていて、それを感じ取ることができるので見ていて面白い。
やがて、水浴を終えて施設へ戻るため通りの方へ出て行く。
通りは土産物屋が並ぶ賑やかな通りで、ここの通行を規制して象が行進していく。
時々、周囲の観光客を象がかまったりしているのも愉快だ。
なりは大きいがまだ子供なのだ。

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親や群れから離れた像を施設を作って手厚く保護しているくらいだから、いかにこの国で象が大切にされているのか分かる。
ネパールでも象は人間ととても身近な存在で大切にされていた。
インドでは歴史的建築物にも象一頭々の部屋の跡があったりして、やはり身近な存在だということ
を印象付けた。
環境の変化や象牙を売買するための密漁等でどんどん数が減っているとも聞くが、この先も人間と良い関係を築いて行けるのだろうか。

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象の行進の見物が終わると、紙細工の店へ行く。
何故紙細工かというと、象のふんを乾燥させて紙を作っているのだ。
とても良いものに仕上がっている。メモ帳を購入した。

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売上金は象の保護へつながるという説明書き
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そしてランチタイム。
商店の店先で弁当を右手で食べる感じだ。
もう2時頃なのでゆっくり戻れば4時頃ホテルに着ける。丁度良い時間だ。
Supun氏が途中見たいスポットがあったら何でも言ってくれと言う。
まあ、もういいだろう。
仕事とはいえ、彼も5日間も家を空けていたので早終わりにして帰宅した方が良いだろう。
娘さんの誕生日もはさんでしまったみたいだし。

本日のホテルは、キャンディの中心部、鉄道駅から徒歩5分、多分にぎやかなところだと予測していたが、到着すると案の定、駐車場もなく入り口だけのシンプルな造り。
便利さ優先だ。

ここでSupun氏とはお別れ。
5日間本当にお疲れさまでした。
とても良い時間を過ごさせてもらった。
今度は家族と来れたらいいなと言うと、大歓迎だ、直接連絡してくれ、全て手配するからと言ってくれた。
FBやメアドの交換をして別れる。
5日間を通して、彼の気配りと安全優先のプロ意識には脱帽した。

本日のキャンディアン・スイートビラというホテルは、名前の印象とは異なる利便性優先のホテルだ。
明日鉄道で紅茶の名産地ヌワラエリヤへ行く予定なので、駅まで徒歩5分というロケーションを重視した。
中心街だから買い物や食事も便利な筈だ。
部屋にエアコンはなく扇風機だけだが、この季節はこれでも大丈夫。
キャンディのような高地は朝晩は涼しい。
部屋は眺望が良く、街の音が聞こえまくり。
車のクラクションとか放送とか、列車の汽笛は趣がある。
窓を閉めてしまえばどうということはない。
Booking comからキッチン改装中のため朝食ができなくなったという連絡があったが、そのようなことはなく、朝食もOK。
キャッシュ前払いという気楽な雰囲気だ。

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荷物を置いて、明日のチケットをゲットできるかどうかまずは鉄道駅へ。

キャンディ鉄道駅
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が、明日のチケットは明日発売ということだ。指定席もない。
駅周辺の地理と様子を確認して、一旦ホテルへ戻ってからキャンディの一大観光スポットである仏歯寺へ行ってみる。
昨年はここへも来れなかったのだ。
足が最悪に痛い状態で、シギリヤロックをあきらめてキャンディへ戻った。
とてもブルーな趣だった。
それでも徐々に回復して歩くことはできるようにはなっていた。
今年はキャンディも3日目、地理も店も大体分かっているのでわりと余裕だ。

仏歯寺は、仏陀の左の糸切り歯を祀る寺としてスリランカ仏教の中心とされる寺だ。

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観光客でいっぱい。
欧米人と中国人が目立つ。
日本語は殆ど聞こえない。
仏教国であり寺社仏閣が多数ある日本人にとってはあまり珍しいものとしては映らない。
多分欧米人にはとても興味深いものなんだろう。
仏陀の足跡の模型というものに触れるようにスタッフに誘導されて、その後寄付を勧められ、寄付箱には1000RS札しか入っていないので、1000RSを入れざるを得なかったというつまらないことしか印象に残らなかった。

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スーパーマーケットでお土産にする香辛料を色々と買いこむ。
今はどこでも手に入るものだが、昔はこれを奪取するために国を征服した。
名物の紅茶は、翌日から行くお茶の代表的な生産地であるヌワラエリヤで買うことにしよう。

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昨日はポーヤデイで我慢したビールを飲みたいので、また「ザ・パブ」へ行く。
今日は初めから飲み物だけだからと告げてテラス席へ。
何だか今宵は車の喧騒と鳥の喧騒が物凄いことになっているように感じられる。
ライオンラガーを2本飲んですっかりリラックスする。

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ホテルの周りもローカル色のある良さげな商店が並んでいたことを思い出し、その中に食堂もあった。
あの食堂は気になる。

開いていたら夕食はそこにしてみようと、ゆっくりと歩いて帰る。
油断は禁物だが、この国はおかしなところへ行かなければ安全な気がする。
ホテルのある通りの突き当りは市民病院のような大きな病院があり、通りに商店も多数ある。
気になっていた食堂はホテルの隣。
入ってみるとローカルな良い雰囲気。
お客は地元民のみだ。
フライドライス・チキンを頼む。
出てきたのはチキンチャーハンでたっぷりの量。
ご飯がパラパラしていて素晴らしく美味しい。
これとコーラを飲んで300RS、約240円。
やっぱり地元食堂は最高だ。

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ホテルに戻って明日のことをネットで調べてみる。
ヌワラエリヤの最寄り駅はナーヌオヤという駅で、そこからヌワラエリヤまでは約10km、何かしら交通機関を見つけて行かなければならない。
列車は1日に2本しか無くて、超人気路線で座ることは難しく乗れないこともあるとあった。
乗れなかった場合はバスということもありうる。
体調を崩さぬよう早めに寝る。

2018年07月06日

2018・スリランカの旅 第8章 3/3(土) キャンディからヌワラエリヤ

第8章 3/3(土) キャンディからヌワラエリヤ

午前3時頃から何やら大音量の放送が街中にとどろき渡って起きてしまう。
感じからするとムスリムだろうか。
いや、はっきりとは分からないが、何にしても、なぜこんなに街中にとどろき渡る大音量なのか。
それも熟睡中の時間だ。迷惑この上ない。
およそ2時間ほど続いていた。
結局起きてしまった。

8時頃朝食もできる。
ワデーがある。
列車内で「ワ―リ、ワリ、ワリ、ワリ」と必ず売りに来るやつだ。
豆とか野菜とかを揚げパンのように揚げたもので結構いけるのだ。
ローカルフードは何でも美味しい。

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ナーヌオヤを通る列車は11時10分発予定だから9時過ぎに駅にチケットを買いに行く。
徒歩5分で行ける。2回曲がるだけ。
すんなり買える。160RS。
ただし指定席はない。
これは気合を入れないと。

チェックアウトして10時過ぎに駅到着。
外国人観光客多数。これは混みそうだ。
2ndクラスがどこに停まるか分からないというのがミソで、おそらく車止めからずーっと先の方だろうと見当をつける。
キャンディ駅はスイッチバックの折り返し駅だから、先の方に待機していれば入線してきたとき3rdが先か2ndが先か分かるので早く対応できそうだ。

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列車は今日は時間通りにやってきた。
既に入り口、通路まで満員状態。さすがに屋根に乗ってはいないが。
座れるかどうか心配することなどなかったのだ。
乗るのがやっとで座ることなど不可能なのだ。
バックパッカーが沢山いて、何となくこんなものなのだとさして気にならない。
それでも荷物を棚の上に上げることができた。
目の前の席には地元の兄ちゃんたちが2人かけの席に3人座ってワイワイやっている。

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列車は珍しく時間通りに進み、徐々に山岳地帯に入って行く。
進行方向と椅子の向きが逆だが、スイッチバックが何か所もあるのでいちいち向きなど気にしてはいられないのだろう。
時折、ものすごい横揺れをする。
つかまっていても倒れそうな横揺れだ。
こんなに通路まで人や荷物満載でも「ワリ、ワリ」とワデー売りや「クラ、クラ」と水売り、その他パイナップル売りやオレンジ売りやら、かき分けかき分けやって来る。

昼過ぎ、前の席の兄ちゃんたちが何か弁当のようなお菓子のようなものを食べ始めた。
棒状のパンケーキだろうか。
僕にも1本おすそ分け。ありがとう。
そのうちに替ってやるから席に座ってくれと言ってくれる。
遠慮したのだがいいからいいからと。
じゃあ、30分位で交代しようと言うと、それもいいからという。
床に座っていた中国人らしき男性にも席を譲っていた。
良い奴らなのだ。
そのうちに立っている者と座っている者でまたワイワイとトランプを始めた。

混んだ列車は山岳地帯にどんどん入って行き、ハットンという駅でかなりの客が降りる。
ここは、スリランカの聖なる山、スリー・パーダ(アダムスピーク)の入り口となる駅なのだ。
兄ちゃんたちも降りていった。
小さな親切が国の印象を良くすると改めて思わせてくれた。

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ここからは余裕で座れる。快適な列車の旅だ。
車窓を楽しむ。
お茶の畑が増えてきた。

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窓から顔を出して眺める。
出入り口に座っている、あるいは立っている連中は中々に楽しそうだ。

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空気が、山の空気になってきた。温度が下がってきている。
列車は山岳鉄道の趣で、山の中を、お茶畑の間をゆっくりゆっくり登っている。
ジョギングなみの速度だ。
残っている連中は、ヌワラエリヤの最寄り駅、ナーヌオヤ駅で降りそうな外国人が殆どだから、大体の動きを見ていればよい。
アナウンスも何もないから、降りる駅には注意を払わなければならない。
大体予想した時間通りにナーヌオヤ駅に到着した。
乗り込む人も多数。さらに奥地へ行くのだな。

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ナーヌオヤ駅の周りには何もない。
目的地のヌワラエリヤの街までは約10kmある。
昨日ホテルへ電話したら送迎の話にはならず、トゥクトゥクで700RSだからということになった。

出口の方へ向かって歩いているとキャップを被った年齢不詳の小柄な男が近づいてきた。
「ホテルか?」と聞いてくる。
「?」と思ったがそうだと答える。
Chez Allenというホテルだと言うと、知っているから連れて行くという。
トゥクトゥクかと聞くと、車だと言う。
値段は700RSと聞いたとおりだったので話に乗ってみた。
車はトヨタの古いバンだが、バックミラービデオが着いている。
白人のカップルが一組先に乗っている。
僕が乗って出発した。

声をかけてきた男とドライバーは別で、声をかけてきた男はヨガという名前だ。
分かりやすい。
とても英語が堪能な人だ。

車は山岳地帯に入りヌワラエリヤの街に入った。
わりと大きい街だ。
空気が今までとは違う山の涼しい空気だ。
白人カップルの滞在するホテルを探すのに相当苦労したようだが、僕の滞在先のChez Allenは分かっている。
ホテルは市街地から坂道を相当登って行く。
これは街まで行くのに大変だと思ったら、大丈夫だ、ショートカットの道があるからと言う。

状況は落ち着いたので、ヨガ氏と明日のガイドの交渉に入る。
ティーファクトリー、農園見学、その他見所を廻ってもらうということで4~5時間で60US$の契約をした。
車がなければ広範囲を廻ることはできないので正解だろう。

Chez Allenは、ログハウスの趣がある山小屋風の建物で、木の香りがとても強い可愛らしい建物だ。
スタッフの感じも良い。
だいぶ登って来たけれど街へ歩いて行けるのかとスタッフに聞くと、ショートカットの道があるから10分で着くと言う。
夕食は頼めばホテルでも採れて、更にライオンラガーもあるという。しかも大瓶。
これは良い。ホテルで食べることにしよう。
部屋はこじんまりとした清潔な部屋で、エアコンもファンもないが、既に空気がひんやりしてきている。
これは必要なさそうだ。

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荷物を整理して一息ついて街へ降りようと詳しい道順を聞こうとしたら、スタッフの女性がちょうど帰るところだから一緒に行きなさいということになった。
これはラッキーだ。

ということで、なんやかんや話ながら街まで一緒に行く。
初めから、まず一人で歩いたら絶対に間違えるであろう細道を降りる。
ここをクリアすると後はわりと楽だ。
話の通り10分位で街に降りてきた。
ただし帰りはちょっときつそうだ。
旅の前半、キャンディで泊まったマクロードインも急階段を降りるのがショートカットの道だった。
あの時も帰りは汗だくになってしまった。
ショートカットの細道から車道へ抜けると、高級ホテルもある。

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ヌワラエリヤの街は、適度に活気があって良い感じがする。
車もそんなに多くないし、人の賑わいもあるが、キャンディのような喧騒はない。
商店も沢山あるし、市場もある。何でも揃いそうだ。
大きいスーパーも2軒ある。
酒屋も見つけた。
色々と覗いてみてお土産購入の計画を立てる。
買うのは明日だ。

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フードシティというキャンディにもあった大型スーパーに入ったら、奥の方に隠すようにして酒屋コーナーがあるではないか。
男たちが群がっている。
ここだけ別会計。
これは良いということでライオンラガー缶を購入。歩いて帰る。

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案の定、登りは結構きつい。
しかしそれよりも、ショートカットロードは明かりが全くない未舗装の細道で、暗くなったらこけそうな危険がある。
暗くなる前に帰ることが肝要だ。
何だかここのところ坂ばかり上っているような気がする。

ホテルのシャワーはかなり熱いのが出る。
暗くなって相当冷えてきているのでとてもありがたいが、それにしても熱すぎる。
熱いのと冷たいのが極端なのだ。
温度のメリハリが効いたシャワーは好きだけどちょっと極端ではある。
しかし、シャワーのあとのライオンラガーは格別だ。
旅行中このタイミングがなかなか無かっただけに嬉しい。

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夕食のメニューは、カリー&ライスは既に終わってしまって、チキンとヌードルならOKとのこと。
出てきたものは、照り焼きチキンのようなものと汁なしフォーのようなもので量は相当ある。
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水牛のヨーグルト、蜂蜜をかけて食べる。とても美味しい。
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ここでのライオンラガーは大瓶。
美味しい。ここのところ何でも美味しい。
夕食時には温度が下がって来て暖炉を燃やし始めた。

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食事を終って部屋に戻ったら、相当に冷えてきている。
エアコン、ファンなど想像できず、必要なものは暖かい布団。
すごい変わりようだ。
砂漠の温度変化みたいだ。
まだ9時頃なのに、移動の疲れと暖かい布団への欲求で寝てしまった。

2018年07月23日

2018・スリランカの旅 第9章 3/4(日) ヌワラエリヤ

第9章 3/4(日) ヌワラエリヤ

朝も冷え込んでいる。
エアコン、ファンなんて考えられない。
今日は、10時にヨガ氏が迎えに来てティーファクトリー、その他をガイドしてくれることになっている。

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朝食は、トースト、卵、ティー、ジュースと簡素なもの。
天気は良い。ここのところ天気は毎日良い。

約束の時間にヨガ氏とドライバーの若者、ルメシュ君が迎えに来た。
二人とも英語が堪能だ。

まず、ティーファクトリー見学だが、そこまで行くのに結構距離がある。
道すがら、見どころに車を停めて色々と説明してくれた。
茶畑は日本のそれと同じように段々畑だ。
会社でやっているのと個人でやっているのとがあって、個人でやっているものは会社が買い上げてくれる。
お茶以外は野菜を作っている。あとコーヒーも少々。
茶摘みの女性たちが多数、仕事をしていて、観光客と一緒に写真を撮ったりしている。
盛んににこちらに手招きなどしているが、あれは料金がかかりそうだ。
ヨガ氏は無視している。
このガイドは信頼できると見た。

ヨガ氏
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茶畑を歩いたりする。

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通り沿いには野菜の直売が多数。
大きいものから小さいものまで、キャベツ、白菜、人参、ネギ、ゴーヤー等々、日本とそんなに種類は変わらない。
店舗以外に子供が野菜を両手に持って立っていたりする。

あちらこちらに立ち寄って話を聞いたり、写真を撮ったりしながらティーファクトリーに到着した。
イギリス資本のDAMRO LABOOKELLIE社。

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白人の夫婦と僕の3名にガイドが1名付いて館内の案内をしてくれる。
最後は何種類かを試飲してショップへというお決まりのコースだ。
昨日街のスーパーで確かめておいたのだが、ブランド物でない紅茶は相当安く、昨年の経験からすればとても美味しいのだ。
沢山買う分は街のスーパーで買うことにして、ここでは付き合いで2000RSほど買うことにする。

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ティーファクトリー見学の次は滝を見に行くと言う。
滝の写真を下から撮るくらいならいいよと言うが、違う、山の上にある滝まで登って行くのだということだ。
そういうことか。

遠景
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また今日も坂を登る。
朝夕は涼しいが、日中はやはり暑い。
結構きつい登り、汗だくになる。
こういうのは予定してなかったから足下はサンダルなのだ。
ダンブッラロックもサンダルだったな。わりと行けるものだ。

30分程の登りで頂上の展望台到着。
滝つぼが見下ろせる。
滝つぼでは地元の兄ちゃんたちが気持ちよさそうに泳いでいる。
今日は日曜日なのだ。
涼しい風が吹いてきて汗だくの体に気持ち良い。
この気分は今回の旅で何回も味わった。

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次はあの滝つぼへ行くと言う。
下って5分で到着。
ここはさらに気持ちが良い場所だ。
ここでゆっくり時間を過ごすことにする。

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後から来た白人女性グループは予め泳ぐ準備をしてきたようで、着替えて泳ぎ始めた。

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そうと知っていれば泳ぐ準備をして来れば良かったかな。
ここでたっぷりと寛いで涼しい風を満喫して山を下って次の場所へ。

遠景
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そろそろ昼なので昼食の場所へ行く。
滝を見れるレストランなのだが、白人観光客ばかりいる少々贅沢そうなブッフェ形式のレストランだ。
しかし、こういうところは好みではないので、ここでの食事はパスだと告げて滝を見物するだけ。
ローカルな食堂が好みだとリクエストする。

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それにしても、道のいたる所に存在する野菜の直売所は分かるけれど、子供たちが両手に野菜を持って立っているのはあれで売れるのだろうか。
親が売って来いというのだろうか。
今日は日曜日だから働けるということなのだろうか。
いくらにもならない筈だ。
今までは街を歩いていても物乞いも見受けられた。
列車や車での移動中に見る、もう崩れそうな家々が住宅だったりする。
片や、ホテルを営んでいるような―今回随分と利用させてもらったホームステイ的なものだが―裕福な層もいて、格差がはっきりしている。
車を取得するにあたっての税金、輸入税が200%でも、車を所有してビジネスをしている人々も沢山いる一方、ボロボロのバスや列車は常に満員状態という相当の格差がある。
それにしては、物盗りやスリの危険性をいつも感じるわけではない。
満員列車の昨日の若者達や今まで接してきた人達から感じ取れることは優しいということだ。
ギスギスしていないのだ。
格差社会がけしからんという価値観を持っていないのかもしれない。

ふと感じることだが、鉄道は50年前の日本と似ているようだし、街の様子も50年前の日本はこんなようだった気がする。
物乞いもいたし、貧しい人も多かった。
50年前の日本にタイムスリップたように感じてしまう。

スリランカ人は親日家が多いようで、日本に対してあこがれを抱いているようだ。
走っている殆どの車がバスを除いて日本製というのもあるのかもしれないが、異口同音に言うのが、日本車はとても長持ちする、故障もしない、それに比べてインド車や中国車は劣ると。
それが日本そのものに対する評価として受け止めるのは性急すぎるが、日本に対する印象の一つの側面としては受け止められる。
また、日本人と聞くと皆とても良い対応をしてくれる。
一旅行者としては特別なことは何もできないけれど、せめて大企業ではなく民間で働いている人達に金を使いたいという思いはある。
特に若者たちだ。

いつも気になるのは、日本で働きたい、勉強したいという若者が多い(ネパールでもそうだった。)が、日本のそれらのビザの取得は非常に難しい、expensiveとまで言っていたが、高価とはどういうことだろう。
取得料が高いのか、勉強する費用がかかるのか、条件を整える費用が高いのか、とても敷居が高いようなのだ。
実際、入国できたとしても、望んでいた仕事や勉強はできているのだろうか。
何だか責任も感じてしまうのだ。

ま、そんな想いを抱きつつ、ローカルレストランで昼食。
やはり、カリー&ライスは、右手で食べた方が美味い気がする。
ここは3人分支払った。
細かい出費は気にならなくなった。

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もう一軒、ティーファクトリーに寄ったが、先程DAMROでたっぷりと工場見学していたのでここではお茶を飲むだけで済ませる。
実用的な紅茶は街のスーパーで買うのだ。
もう結構いい時間だ。
街へ買い物と食事に行ってショートカットの道を日没―18時半頃か―の前に戻ってくることを考えると、16時半頃にはホテルに戻っていたい。
そろそろ潮時だ。

ガイドのヨガ氏はプロフェッショナルなガイドで、ツボを全部押さえた解説はとても勉強になったし、ドライバーのRumesh君もとても気さくで親切な若者だった。
次の機会はまた違うコースに行こう、家にも来てくれ、俺は料理が得意だからご馳走するぜとのこと。
ヨガ氏は地元にとても顔が広いようだ。
こういう人物と仲良くなっておくのは後々良いことだ。
53歳と聞いたが、もっと老けて見えた。
この国の中年以降の人は何故か老けて見えるように感じる。
メールもfbもやっていない。
連絡は手紙とのことだ。
実は、僕はどこかで見たライオンラガーのTシャツを探していて、どの店を探してもないし、店員も知らないと言うとヨガ氏に言うと、調べておくと。
期待できるかな。

彼から明朝5時に迎えに来るから、ハットンでトレッキングをやらないかと提案がある。
ハットンということはアダムスピーク登頂か。
いや、そうであれば午前2時には登り始めなければならない筈だから違うだろう。
明日はコロンボフォート駅まで約7時間の列車移動があって、列車がどういう状況か分からないので体調を整えておく必要があることや、機内持ち込み荷物と預け荷物をどう分離するか考える必要があること等、とてもその提案には乗れない。
とても興味はあるが次回にしよう。
ということで、明日10時半に迎えに来てくれることになった。

ホテルへ戻って買い出しと最後の街歩き。
何だか感じの良い公園があって歩道もあるので散歩していたら、どうもこれはゴルフコースらしい。
普通に入って散歩できる。
こういう使い方をすればゴルフ場も利用価値はあるか。

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ヌワラエリヤの街は、夕方になると涼しいし、賑わい方も適度、しつこい勧誘などないし、車も少なめ、静かで、それでいて商業施設は色々と揃っていて散歩するのがとても楽しい街だ。
今までの街に普通にあったようなバラック住宅が見当たらないし、そういえば物乞いも見当たらない。
山の上の方は閑静な住宅地だし、経済状況が良いのだろうか。
それにしては街道沿いの野菜売りの子供たちが気になった。

セントラルバスステイション
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スーパーで実用的な紅茶を買いこみ、ライオンラガーも。500ml×2で300RS、安い。
冷えてはいないがあったまっているわけでもない。まあいいだろう。
この状態で飲みたいから、食べ物を買って部屋でライオンラガーと楽しむことにする。
前から気になっていたファーストフード、ロティをベジタブルとビーフで4個、160RS、安い。
日本のたこ焼き屋あるいはタイ焼き屋のような風情の店舗で買える。

買い物が結構な重さになったので、一生懸命ショートカットのロードを登って帰る。
ロティは、小麦粉とココナッツ粉を溶いて焼いて中味を入れたパンのようなもの。
中味はもちろんカリー味。
これがとても美味い。ボリュームもあって、4個でたっぷりだ。

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ロティとライオンラガー
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ライオンラガーをやりながらこれで夕食を済ませたら、酔いが急速に回ってきた。
何だか酔いが回るのが早い、高地だからだろうか。
夜になると急に寒くなってくる。
もうすぐに布団に入りたくなって、そのまま寝てしまった。

2018年08月07日

2018・スリランカの旅 最終章 3/5(月) ヌワラエリヤ 3/6(火) バンダーラナーヤカ ~ クアラルンプール 3/7(水) 成田空港

最終章 3/5(月) ヌワラエリヤ 3/6(火) バンダーラナーヤカ ~ クアラルンプール 3/7(水) 成田空港

このホテルは苦労して坂を登るだけあって眺望がすばらしい。
特に夜明けが美しい。
朝、夕、陽が昇っていない時間帯は寒いのだが、日が昇ると徐々に暑くなってくる。
食堂の外側のテラスの席がお気に入りだ。

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今回の旅の宿泊場所は坂の上というのが多かった。
宿泊場所以外でも、何だか毎日坂を上り下りしていたような気がする。
今日でスリランカ滞在も終わり。
今日は列車でコロンボフォート駅まで行って、空港へ向かい、翌日0時15分発のマレーシア航空に乗るという、わりとハードなスケジュールだ。

特にナーヌオヤ駅・コロンボフォート駅間、約7時間の列車移動が気になる。
往きのように混み合っている場合はかなり大変だ。
トイレの心配が第一。
後はコロンボフォート駅と空港間の移動だ。
昨年のようにRS3000のトゥクトゥクは使いたくない。
コロンボのバスターミナルの位置がイマイチ把握できていないので、お土産で量が増えた荷物を抱えてすんなり行けるのかというのが第二点だ。
空港へ行ってしまえばもう後は乗るだけ。

それから、出発の時点で機内持ち込み手荷物と預け荷物を分けておく必要がある。
クアラルンプールで空港内のサマサマホテルにチェックインして、成田に到着するまで預け荷物とはさよならなので荷物をうまく分ける必要がある。
去年の教訓から、長時間靴を履いているのは疲れるので、若干かさばるが手荷物にしてサンダルで行くことにした。
これで荷物はリュック、トランク、靴を入れた紙袋の三点になった。
トランクだけを預け荷物にすればよいわけだ。

このホテルの主人も日本が好きらしくて、日本のお銚子を一輪挿しに使っていたりする。

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清潔で感じの良いホテルだった。
今回の旅のホテルは全て当たりと言って良い。
接したホテルのスタッフ達も皆気さくで親切だった。
どこも清潔だったし、ホットシャワー完備、客を迎える姿勢が全てとても良かったように思える。
スリランカおそるべし。

10時30分に迎えが来た。
ドライバーのRumesh君だけだ。
ヨガ氏はナーヌオヤにいるとのことだ。
駅までの道すがら、何軒かのTシャツ屋に寄ってくれたがライオンラガーシャツは見つからなかった。
今回はあきらめよう。

ナーヌオヤ駅
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ナーヌオヤ駅でチケットを買うと1stクラスが空いていると言う。
念のため2ndのリザーブシートはと聞くと空いていた。
ラッキーだ。これでおそらくトイレの心配はなくなった。
窓全開で風を感じられる2ndの方が好きだ。

チケット
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Rumesh君とfbの交換をする。
最近、海外ではすべてこれだ。便利と言うか何と言うか。
ホームで列車を待っているとヨガ氏が現れた。
この近くに住んでいるそうだ。
Tシャツを見つけておくよと言ってくれる。
この人とは電気系ではなく昔ながらの住所の交換をした。

今日も時間通りに列車がやってきた。
2ndの指定は600RSと安いのにちゃんと席は確保されているし、立ち客もいない。
トイレも付いている。
水洗式で手洗い水も出る優れものだ。
これで一安心。

大家族なのか複数家族なのか、子供たち沢山と親らしき人達が十数名、近くの席にいる。
ジェンベのおもちゃを持っていてバンバン叩きまくる。
日本ではあり得ない光景だ。
トンネルに入ると子供たちは窓の外に向かって「わーっ」と大声で叫ぶ。
反響するのが楽しいのだろう。
とにかく上へ下への大騒ぎ。
大人はお任せ状態。
これがこの国の流儀なのだろう。

車内
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列車は山岳列車の模様を呈している。
素晴らしい景色の連続だ。
茶畑の間を縫って時速10km~20kmくらいでゆっくりゆっくり走っている。
窓は全開、扇風機がガーガーと回っている。ついでにドアも全開。
公共交通機関はバスも列車もエアコンが効いていないものは常に窓もドアも全開で走っているようだ。混んでいても。
この車両の一両前の車両は一等車で、エアコン付きで窓もドアも閉まっている。
しかし、窓全開で外の空気を取り入れながら走るのが気持ち良いのだ。
窓を閉め切ってしまうのはもったいない。

車窓から
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そのうち、山岳列車から森林列車になった。
山岳列車、森林列車の時はループ線がよく見られた。
これから通過する、あるいはさっき通ってきた線路が下に見える。
上越線の湯檜曽駅あたりを思い出す。

キャンディまでの区間はこの状態でゆっくりゆっくり走ってきた。
ぺリグリムジャンクション駅を過ぎて線路が生活道路と化しているあの風景を走る。
キャンディ駅は行き止まりの駅で、ここから進行方向が変わって再びぺリグリムジャンクション駅に停車。
つまりこの駅は文字通りジャンクションとしての役割をしている駅なのだ。
停車すると、子供らや大人が空のペットボトルを持って給水に駆け出していく。
あれを僕がやると必ず腹をこわすだろう。

キャンディ駅
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キャンディ駅を出てからしばらくは山岳列車だ。
平地へ出てきてからはスピードが上がってくる。
複線になって郊外電車が出ている辺りに来るとほとんどの駅を通過する。
更にスピードが上がり気違いじみた速度になる。
気違いじみた速度はバスと同じだ。
揺れが、特に横揺れが凄まじい。
おそらく日本の快速列車と同じくらいのスピードしか出ていないのだろうけれど、あのゆがんだ線路の上を走っているわけで、このスピードで大丈夫なのかと手に汗握ってしまう状態だ。
家族連れは大人も含めてこのスピードに大喜び。
特に駅の通過が楽しいらしい。
新幹線に乗ったらきっと喜ぶだろう。

そのうち夕暮れがやってきた。
景色のすべてが黄色っぽい朱色に染まっていく。
空だけでなく周り中すべて。
こういう夕焼けは遠い過去にどこかで見たことがあるような気がする。
子供の頃だろうか。
田園風景、列車、にぎやかな家族、子供たちの大騒ぎも50年前の日本にタイムスリップしたような妙な気分になった。

真っ暗になってコロンボフォート駅に到着。
何だか昔の上野駅に似ているような気がする。
いつも入線してくる場所ではなく違うホームに入線したことと、暗くなっていることで印象が異なって感じられる。
ここは本当にコロンボフォート駅なのか。もちろんそうなのだが。

ここからはトゥクトゥクに3000RSを使いたくない。
その金で空港で何か土産を買いたい。
ということで、大荷物を抱えてバスステーションを探して歩く。
暑い。汗が噴き出してくる。
やはり高地とは温度が全く違う。
幸い地元の人に聞いたおかげですぐにみつかった。
フォート駅を出て右に歩き、青果市場を左に見て歩いて行くとあった。
意外と近い。
空港行きの187番のバス停を探すのも一苦労だが、皆親切に教えてくれる。
この国の人達は皆親切に道を教えてくれるし、それがわりと正確だからありがたい。
一番奥の一番前に停まっているエアコン付きのマイクロバスが空港行きだ。

座席がすべて埋まるまで待って発車。
汗だくになっていたのでエアコンが気持ち良い。
最後に隣に座ってきた青年が話しかけてきた。
何かおやつみたいなスナック菓子も勧めてくる。
いただいてあれこれ話をした。
22歳の学生。家族と住んでいる。恋人あり。
今日は試験の帰りということだ。
この国の若者は本当に気さくだ。
やはり日本が好きだということで日本のことをあれこれ聞いてくる。
彼女と結婚するのと聞くと「う~ん」だと。
もし自分にお金があったら、ヌワラエリヤに住んでみたいという。
スリランカ人にとってもあの街は特別なのか。
やはりfbの交換をして降りていった。
おかげで楽しい時間を過ごせた。

殆どの乗客は途中で降りてしまって空港まで行ったのは4人だけだ。
このバスは空港の建物の前まで入ってくれるのでとても便利だ。
確かトゥクトゥクだと降りてから歩く必要があった筈だ。
これで450RSだから残りのRSで土産を買うことができる。

バンダーラナーヤカ国際空港
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チェックインしてからは2Fのロータスラウンジで夕食。
昼は車内販売のカリーパン1個だったので空腹。
ビールは飲み放題。
しかもラウンジはガラガラととても快適。
そうこうしているうちにゲートオープンの時間が訪れた。
さらばスリランカ。楽しかった。ありがとう。

今回はまた知り合いが増えた。
これは自分でツアーが組めそうだ。
50年前の日本へのタイムスリップが味わえる旅だ。
人が優しくて、穏やかで、あまり金にギスギスしていない。
料理もおいしいし、ビールを買うのはちょっと苦労するけれど、街歩きはワクワクして楽しい。
金持ちの観光客ではなく、地元目線での体験が一番楽しい。
それが問題点も色々見えてくるし、日本を違う目線で見ることにもなる。

クアラルンプールは昨年使ったトランジットホテルに早朝チェックイン、深夜の成田行きまで空港内で過ごす。

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ホテル
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部屋の外の景色
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クアラルンプールの街中に行くのは一泊しないときつい感じだ。
今回は足の腫れとか痛みとかはないが無理は禁物だ。
体調は良いので空港内を散策する。
空港内にあるガーデンに行ってみる。蒸し暑い。

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チェックアウトしてラウンジで夕食。
ホテルもラウンジもボーディングゲートもゾーンCにあるからとても楽だ。
何しろとても広い空港だ。

バンダーラナーヤカ ― クアラルンプール ― 成田 と比較的空いている。
二席使える。
ここまで足に負担をかけないようにサンダルを履いて、靴は手荷物にした。
これは正解。
それでも少し腫れているような気がする。
昨年は、足の腫れはひいたものの手に痛みが来て、成田ではペンで字を書くことすらできなかった。
今年はそのような心配はないだろう。
日本は寒いだろうな。

成田空港はほぼ予定通りの時間に到着。
いつも預け荷物が本当に出てくるか不安になるのだがここは日本だ。心配はない。
無事に出てきて帰ってきた。

日本に帰ってきたら、僕がバンダーラナーヤカを出発した6日の午後にキャンディに端を発したイスラム教徒と仏教徒の衝突が原因でスリランカ全土に非常事態宣言が出たのニュースが流れた。
キャンディや一部の都市に夜間外出禁止令も出たらしい。
一部の過激な人達が衝突したもので民族対立にはつながらないだろうと思われるが、先の内戦はタミール人とシンハラ人の民族対立だったので、そのような事態に発展しないよう念のため全土に非常事態宣言を出したとも考えられる。
旅行していて治安の悪さは全く感じられなかった。
早めに収束してほしい。
たぶん外国人旅行者への影響は最小限に抑えられただろうが、出国がもう少し遅かったらひょっとしてなどと感じた。

それはそれとして、自分としてはとても波長が合う国で、何か自分の心の中のとても懐かしい風景に出会いに行った旅だった。

2018年10月30日

2018 秋の八重山・沖縄

今年も秋の八重山、沖縄へ行ってきました。

例年、旧暦八月十三夜のとばらーま大会を見に行くことも兼ねて旅するのですが、今年はイベントがあったので一月遅れの十月になりました。

初日だけ那覇へ寄って一泊、翌日は石垣着後、その足で鳩間へ渡ろうという計画です。
那覇は曇りがち。
明日の上原航路は明日にならないと分からないらしい。
それはそれとして、馴染みの栄町で一杯やったりして、今夜のホテルは空港からモノレール一駅しかも駅から徒歩30秒という便の良さ。
沖縄で電車に乗って飲みに行き電車に乗って帰るというのは今までになかった経験です。

翌日は本降りの雨。
上原航路の午後便の運航は未定となっています。
那覇空港に着いた時点で欠航が決まってしまいました。
まあ、この時期当たり前のこととはいえ、今日はどうするか。
鳩間のU氏と連絡を取って、雇船で行ってみるという方向で動いてみることに決めました。
ということは、石垣港から大原廻りでバス接続で上原港まで行くということになるのですが、うまくバスと接続するかというところが問題で、暗くなる前に上原港に着かないと危ない。
船会社のバス接続はなかったのですが、少し待って路線バスに接続できるということが分かって、上原港で船で待っていてもらうことになりました。

大原港は良い天気
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上原港出発
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北風が強くなって時化て欠航ということになるので、北東にある鳩間島に向かう船は波を受けます。
船に屋根はあるものの壁はないので、波かぶり必至。
なんとなく予感がしたので、空港から持ってきた大ビニール袋がここで役に立ちました。

濡れ鼠で鳩間到着。
おじいが今や遅しと待ち構えていて、着替えもままならず乾杯へ突入です。

今回は三日間しか滞在できませんでした。

良い天気になった。
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天気は中一日だけとても良く、久しぶりに北海岸にも行ってみました。

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春と比べて北風が強くなったからでしょうか、漂着ゴミの量が増えている。
特にプラスチック等のペットボトル類。
大体が外国語表記の物なので海の彼方から流れ着くものなのでしょう。
これは今世界的にも問題となっています。
発泡スチロールは島に処理施設がありますが、これを処理できるように回収分別するのには相当な労力が必要なはずです。
人の少ない島で頭の痛い問題です。

特に何の行事もない鳩間を訪れて何をやっているかというと、天気の良い日は散歩したりするのですが、雨がちだと読書、楽器の練習の他に特にやることはありません。
それでも夕方は5時からおじいとの宴が始まり、6時半頃終了した後も次の飲み会があり、最終日など午後1時から始まって飲み会三つ等、それなりに忙しくなります。

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彼岸花
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カラオケ
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島唐辛子の巨大な木
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島は今週土日の結願祭の準備を静かに進めていますが、とても静かです。
自炊が基本なので食材持参ということになります。
春のように人数が多い時はきちんと料理できる材料を持って行きますが、三日間、しかも一人という場合は米とレトルトパック、カップ麺でしのいでしまいます。
どうせ夜は飲み会だし。
しかも、宿には前任者が置いて行った細かい食材がまだ残っていたりするのでこれも重宝します。

質素な昼食
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島に入った翌日だけは天気が良く、船も通常運航していましたがその翌日からはまた欠航が続いています。
島を出る木曜日は午前便は走るのではないかと予測を立てています。
干潮に近い午前の方が満潮の午後の時間帯より北からの波の影響を受けにくいらしくて、午前の便の方が比較的走るらしい。
しかし、予想に反して木曜日も終日欠航。
結局、今回は行きも帰りも欠航、大原廻りでした

雨がちの瑠璃
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石垣に戻ってからは、タニファで仲間達とライブを1回。
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それにしても、親しんできた串カツ屋さん「れんが屋」が今月いっぱいで閉店してしまうというのはとても寂しいことです。
建物の所有者が変わって商売が続けられなくなるらしいのですが、何かそんな話が石垣には多いような気もします。

れんが屋
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それから、あまり政治的な話はここではしたくないのですが、僕の石垣島の友人達は、市議会が辺野古移設に関する県民投票実施に対する反対の意見書を県に提出する決議を行ったことにとても怒っておりました。
ただこの手の話は石垣市の住民ではない小生は、古くから石垣市や竹富町に住んでいる地元の友人や諸先輩方にはあまり積極的にすることはできません。
地元の人間関係や沖縄本島と微妙に異なる事情がデリケートなので。

ライブ翌日はとても良い天気で暑くもなく寒くもなく、これぞ絶好の行楽日和。
T先生の車をお借りすることができたので、久しぶりに玉取埼方向へドライブ。

玉取埼展望台
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お昼は米原のとんかつ屋さんまで足を伸ばしてみました。

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夜はパパビゴーヂでのオープンマイクライブを楽しみました。
皆さん、とても楽しそうに演奏していました。
こういうのはいいね。

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沖縄へ出発する土曜日はT先生に空港へ送ってもらいがてら、やはり旧知のK先生のお宅に寄りました。
普段は西表島の白浜で民宿を営業していて、時々石垣の自宅へ戻られるとのこと。
来年は白浜の民宿にも行ってみたいな。
選挙好きのK先生とのことですがあまり生臭くならない範囲でゆんたくをして空港へ向かいます。

那覇軍港で見かけた見慣れぬ輸送船
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今日は、いつもお世話になる南城市のO氏宅(玉々庵)でライブ兼交流会です。
ゆんたくと音遊びという趣でゆったりと、かなり遅くまで時間を過ごしました。
翌日は、もし天気が良かったら最寄りの港から高速船で15分の神の島と呼ばれる久高島へ行ってみようと考えていました。
南城市へはもう十数年通っていますが、わりと近場のこの有名な島にはまだ行ったことがありません。

翌日曜日はとても良い天気、雲もなく暑くもなく寒くもなく湿度も低く最高のお出かけ日和。
船賃を出すよとO氏を誘ったら乗って来て、南城市のガイドでもある彼と一緒に行くことになりました。

港から高速船で15分、石垣・竹富くらいの距離です。

久高島桟橋
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下船してすぐに港のそばにある御嶽にお祈り。
久しぶりに自転車をレンタルして島を廻ってみました。
西の端にある港から東の先にあるカベールという場所まで島を東西に貫くと約3km。
このカベールという浜に琉球人の祖先であるアマミキヨがやって来たと伝えられています。
途中、フボー御嶽という、神人以外は全ての人の立ち入りを禁じている御嶽の入り口を見学したり、五穀の種が入ったツボが流れついたというイシキ浜、それを植えて農耕の始まったと伝えられるハタスという土地等々を見学、挙げればきりのなさそうな伝説があるようです。

フボー御嶽入り口。ここから先は神人以外は入れない。
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カベール
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ハタス。農耕の始まりの土地
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イシキ浜
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イラブー(ウミヘビ)の燻製小屋
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イラブー(ウミヘビ)
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歴代の琉球王朝の王様は必ず久高島を訪れお参りしたともされています。
島に神行事は多いのですが、有名なものにイザイホーという行事があります。
12年周期で行われる見学も撮影もできない秘祭とされていますが、祭りを構成する資格のある女性がいないということで1978年を最後に行なわれていないということです。
とても興味をそそる話です。

総合すると、この島に神がやって来てここから琉球が始まったということになるそうです。
島の土地は神の物であり、神の領域と人間の住む領域は決まっている。
帰り際に、Oさんのお知り合いで久高島在住のナビーさんから聞いた話です。

神の土地だから人間に所有権はなく、全ての土地、住んでいる土地も農耕する土地にも所有権はないとのこと。
その権利形態は「総有」という権利形態です。
入会権の権利形態を示す言葉です。
かなり珍しい権利形態です。
総有という言葉、法学部の学生時代以来40年ぶりくらいに聞きました。
言葉だけでなく、現実に目で見えるというのはかなりの驚きです。
普通は、集落の人達が山へ入って木を伐採する権利などが例に挙げられ、集落を離れたらその権利はなくなってしまうとされています。

この島では、住んでいる土地にも個人の権利はないそうで、明治時代に民放が施行されても、何故かこの島だけは古くからの慣習が残って、現在でもそのままの形で残っているとのことです。
当時は神行事が盛んにおこなわれ、神の島には近代的な法制度を及ぼすことができなかったのかもしれません。
日本では唯一ここだけに残っているらしい。

男性は海人、女性は神行事を行う人と大体の役割があって、神行事は殆ど女性中心にとり行われるようです。
島内の風景は昔ながらの佇まいがそのまま残っていて、大きい建物は公共施設以外には存在しないようでした。

集落
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祭祀を執り行う場所
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宿泊交流館
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島の南の浜。キャンプ場もある。
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明治維新以前は、沖縄は琉球王国であり、徳川幕府に統一された江戸時代・戦国時代・安土桃山時代、そしてそれ以前の歴史は学校で習った日本史とは異なる歴史を持つわけです。
その始まりがこの島にあると思うととても興味深い場所です。
歩いて散策しても、一日あれば回れそうな島なので、夕方の便で日帰りする観光客が殆どで、我々も夕方の便で帰りました。

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今回、久高島へ行けたことはとても良い経験になりました。
O氏のおかげで島人の話を聞けたこともとても良かった。

夜は、O氏が引っ張り出してきた沖縄独自の歴史の副読本とか復帰以前の沖縄のブルーガイド(興味深い話満載)やらを酒の肴にしてゆっくりと過ごします。

秋の島の旅は、天気や波で思うに任せないところもあるけれど、じっくりと味わい考えるにはとても良い旅です。

2019年04月04日

2019・トルコの旅 第1章 3/10 (日)~3/11(土) 出国・イスタンブール 

第1章 3/10(日)~3/11(月) 出国・イスタンブール

今年の冬も海外へ出かけてみたい。

海外へ出たときのあのわくわく感を味わいたいのは、もう病気みたいなものだ。
去年、一昨年と連続してスリランカを旅したので、今年はどこか違う国へ行ってみたいと考えて、トルコへ行ってみることにした。
初トルコである。

トルコといえば、シリアの隣国として、一時期はI.S.参加希望者のシリア入国の玄関口として話題になったり、イラン、イラクと国境を接していて紛争の影響を受けたり、国を持たない最大の民族、クルド人の問題を抱える一方、個性的で剛腕の印象のあるエルドアン大統領を抱え自国の政治体制は、安定しているものの隣国との影響で、時々テロが発生したりしている状況だ。
エルドアンはUSAとも様々な問題をめぐって仲違いしている関係上、現地通貨・トルコリラ(TL)が安くなっており経済的に若干不安のある状況だ。

だが、観光客的には、ボスポラス海峡を挟んで、文字通りアジアとヨーロッパの懸け橋となる国であり、歴史的な遺産も興味深いものを沢山有している。
一度は行ってみたい国だった。

仕事の都合で連続して不在にできるのが10日ほどであることと、国土がとても広いことを考えて、訪問先をある程度絞ることにした。
イスタンブール―カッパドキア―パムッカレという超メジャーなコースである。
移動時間節約のため、イスタンブール―カッパドキア、パムッカレ―イスタンブール間は国内航空線を使うことにした。
バスを使うと10時間ほどかかるところを1時間弱で、値段も数千円ととても安い。
しかし、それでもカッパドキア―パムッカレ間は10時間程かかる夜行バスを利用しなければならない。

イスタンブールという都市は、ヨーロッパとアジアにまたがっていて、文化的にもとても興味深い場所だ。ここに時間をたっぷりと取りたい。

昨年、一昨年と、トランジットに長い時間を要する安い航空券にしたのに、結局、体調を崩してトランジットホテルに泊まって、却って高くついたという苦い経験もあるので、今回は直行便を探してみた。
幸いにもホテル付きでトルコ航空の直行便を手ごろな値段で確保することができた。
出発は、本日21時25分、約13時間かけてイスタンブール着は午前4時10分。
13時間は長いと思うが、トルコ航空の評判は悪くないので楽しみなフライトではある。

出発が早まることもあると聞いていたので、時間に余裕をもって成田空港着。
今の出国審査は、機会による顔認証でスタンプを押さない。
スタンプマニアには気の毒だが―もちろん、頼めば押してくれるが―、実にあっけなく終わる。
イスタンブール行きは満席だが、直行便なので日本人客が多く静かだ。団体客も結構いる。
20分遅れくらいで出発した。13時間のフライトだ。

日本を出るまでが揺れた。
確か今晩から明日にかけて日本は天気が悪くなると言っていたな。
後はスムーズ。
食事は2回、評判のトルコ航空の機内食はとても美味しかった。
なにせ、シェフが乗っているらしいのだ。

夕食
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朝食
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映画を2本見て、ちょっとうつらうつらして、あまり寝ていないように思えるのはいつものことだ。
足をまっすぐ伸ばせるビジネスクラスだとぐっすり眠れるのだろうか。

明け方着なので、そのままチェックインできるようにホテルは前日の10日から予約してある。
空港へのピックアップサービスも予約した。
予定時刻より若干早くアタテュルク国際空港へ到着。
4月からは新装なった巨大なイスタンブール空港へ全面移転する予定らしい。
今はもう古くなってしまったアタテュルク国際空港。
しかし、やたら広い。歩く距離が長い。
入国審査官の態度がでかい。

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早めに手続きが終わり、荷物もすんなり出てきたのは良いのだが、約束したはずのピックアップサービスが来ていない。
何回探してもいない。
ホテルにはメールで何度か確認してあった筈だが、どうも反応の遅いのが気にはなっていたが案の定か。
24時間オープンのフロントなのでチェックインはOKだと確認を取ってはあったが、これではあてにならない。

選択肢は2つ。
地下鉄の動く時間まで待つか、タクシーを使うか。
朝の4時過ぎはまだ真っ暗。
制限エリア外で2,3時間待つのはつらい。
ここは止むを得ず安全を買うつもりでタクシーを雇うことにする。
この値段が60€。何というぼったくり値段。
ホテルのピックアップサービスが25€と聞いていたので2倍以上だ。
空港ロビーに事務所を構えるタクシー業者はまともなところが多かったのだが、これは空港内事務所だがぼったくりだろう。
無駄な出費に腹が立つ。
しかし止むを得ない。
安全を買ったと考えよう。

ホテルの事務所らしきところにはたどり着いたが、表玄関は閉まっていて誰もいない。
タクシードライバーが裏口に回ってドアを叩いてようやく係員が出てきた。
係員はいるにはいるが、フロントは24時間開いてなどいないのだ。
気温は日本とそう変わらない。つまり冬の寒さだ。
路頭に迷うことなく何とか部屋に入ることができた。
しかし、この係員はアルバイトで、ピックアップサービスが来なかった不手際は、明日11時頃マネジャーが来るからその人に言ってくれという。

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ホテルは事務所から徒歩で約2~3分のアパートメント。
まぁとにかく休みたいので部屋に入って、部屋の鍵の調子を試していたら、全く鍵が開かずに部屋に入れなくなってしまった。
外国のホテルでは難しい鍵はよくあるのだが、これは何回トライしても開かないのだ。
ついに再び事務所に行って係員を呼び出した。
馬鹿な呼び出しかと思ったかもしれないが、快く応じてくれた。
学生アルバイトだと言っていた。
彼の対応は好感が持てた。

アパートメントなので、部屋には冷蔵庫や食器等も揃っていて広さもそこそこだが、通りに面していて、人通りの多い通りではないのだが、カーテンを開けていると外から丸見えの感じで、これは眺望がどうのという問題外だ。
まあ、男性だからその辺りはあまり気にはしないのだが。
所詮、航空券に付いてくるホテルはこんなものなのか。

まずは、一休みして、明るくなった8時頃、朝食を兼ねて付近の散策に出た。
グーグルマップによると、イスタンブールの象徴ともいうべきスルタンアフメットジャーミーが近そうだ。

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今日はとても良い天気だ。
おそらくあれがそうであろうスルタンアフメットジャーミー(別名ブルーモスクともいうが)の巨大な青いモスクの丸屋根が見えてきた。

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何となくそこへ向かう表参道的な広い道路沿いの食堂でオムレツの朝食。
パンが美味しい。

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天気も良いし、既にモスクの青い屋根も近くに見えているので、このままスルタンアフメットジャーミーへ行ってみることにした。

坂を登って行くと広い公園に出た。
トラムヴァイ―路面電車―が走っている。

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スルタンアフメットジャーミー、通称ブルーモスクはその通称が示すように外観が薄い青色の印象の巨大建築物だ。
複数のドームと6本の尖塔を持つ巨大モスクで、イスタンブールを代表する建築物だ。
入場は無料、モスクなので肌を露出した服装はNG、靴を脱ぎ、脱帽、女性はスカーフで髪の毛を覆う、スカーフが無ければ貸してくれる仕組みだ。
朝早めだが、既に観光客が多数。

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内部はイスラム建築様式の特徴である細かいモザイクタイルによって美しい装飾が施されていて、壁から天井まで見飽きることがない。
ただ、所々足場を組んで作業員が出入りしていて改修工事中らしい。

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コーランを無料配布していて、各国語版があるのだが日本語版だけがない。
せっかくだからポルトガル語版をもらってきた。

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ここを見学後は近くにある地下宮殿へ。
ここは有料だ。
確かに地下にアーチ型の柱が林立し宮殿の様相を呈しているが、4世紀から6世紀にかけて作られた地下の貯水池らしい。
今でも水が貯まっている。
幻想的な景色が広がっているが、暗くて全貌が良く分からない。

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外へ出るとかなり温度が上がっている。
時折冷たい風が吹くが、むしろそれが心地よい。
焼きトウモロコシや焼き栗の屋台が出ていて、公園は花が咲き乱れ、のんびりした雰囲気に包まれて、とても良いウォーキングだ。

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日本語で話しかけてくる若者からおじさんまで結構いるが、話を続けているとどうも自分の商売方向へ持っていく感じだ。
このスルタンアフメットジャーミー付近で日本語で話しかけてくる人は、全員商売人だという話を聞いていたが多分そのようだ。
自分は日本語の勉強をしたいので無料でガイドをするからなどと言う若者もいる。
トルコは親日国家として有名だし、本当なら協力したいが、どこまで本当か分からない。
日本人のメンタリティーをくすぐる巧みな技術だ。
何か信用できる機関の証明でもあればよいのにとは思う。
そうそうしつこくはないのだが、声をかけられないということはまずなさそうだ。
適当に話を切り上げてつれなくさよならする。

もうダウンは暑くなってきた。
一旦ホテルへ引き上げて、昼前にマネージャーと会う。
今朝のピックアップサービスが来なかったことに文句を言うが、もうしょうがない。
13日の送迎サービスは朝4時半とのこと。
25€、これはチップを含めて既に30€支払ってある。
色々と市内のツアーやらカッパドキアのツアーやら持ちかけてくるが、お断りだ。
約束不履行に対して謝りの言葉もないうえ、さらに商売を助けてやる必要など全くない。
このS.A.S.A.というホテルは、アパートメントで部屋が使いやすいことと、スルタンアフメットジャーミーに近いこと以外、取柄はない。

気を取り直して、昼からは北方向にあるグランドバザールにへ出かけてみる。
おそらくそちらに色々ありそうだからそっちで昼ごはんにしてみよう。
多分暑くなりそうだから、Tシャツにダウンの軽装で行く。

グーグルを頼りにスルタンアフメットジャーミーとは反対方向へ歩いて行く。
渋滞がひどい。
大体、変な駐車方法とすれ違いに原因があるようだ。

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適当な辺りで北へ曲がって坂を登って行くとトラムヴァイの駅に出た。
向こう側へ渡ればグランドバザールがある筈だ。
どうせトラムヴァイやメトロを利用することになるのだから、イスタンブールカードというSUICAのようなカードを買ってみようかと思ったが、この時点では10TL札がないと買えないと思っていたので、後にした。しかし、後になって分かったのだが20TL札でも残額が自動的にチャージされるので、別に10TL札にこだわらなくてよかったのだ。
ただ、イスタンブールカードの自販機はトルコ語しか対応していないので、なかなか大変だが、一旦使い方を覚えてしまうととても便利で重宝した。

お昼時も過ぎて、朝も早かったので空腹になってきた。
結局、屋外席のケバブ屋さんでドネルケバブとコーラ。

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これが結構なボリュームで美味い。
日本に数多あるケバブ屋さんもこうなのだろうか。
一度試してみよう。

グランドバザールは、絶対に迷うと紹介されていたが、ゲート5から入って10分後にはどこにいるのか分からなくなった。

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那覇のマチャグヮーの超拡大版のようなもの、マラケシュやフェズの市場と規模は似ているが、さらに巨大なようだ。
あちらは空が見えていたが、ここは巨大な建物になっている。

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テロ警戒なんだろう、空港にあるような金属探査機を通り外側からだが、荷物のチェックがある。
入城したゲートは、ガラスや貴金属、灯り系の商品が多い辺りで、かなりのきらびやかさだ。
これだけ広いのにかなりの人口密度だ。
何でも揃うので買い物を楽しむのも良いが、数千件の店舗があるといわれるグランドバザールの存在自体が見所になっている。
このバザールの他に、エジプシャンバザールというのも有名だ。
やはり東西南北の交易の中心地ならではということだろう。

まだ、着いて初日、国内線の荷物の重量制限もあるし、先も長いので、土産は終盤のイスタンブール滞在時に買おうと決めていたから、今日は見るだけ。
それでも十分に楽しめた。
ここに来るツアーの観光客はガイドから絶対にはぐれてしまうと思うのだがどうなんだろうと、余計な心配をしてしまう。

一旦ホテルへ戻る。
実は、来るときに酒屋をみつけていたので、そこでエフェスとワインを購入。
緩いとはいえ、イスラム国家だから、酒は何となく控えめに恥ずかしそうに売っている。
観光用でない地元用食堂でも酒は供していないようだ。
だが、酒屋はあるし、鉄格子を介して売っているというわけではない。でも袋は必ず黒い。
帰ってみたらホテルから約30mのところにも酒屋があった。
戻ってエフェスを飲む。
やはり地元のビールは美味い。
500ml缶で約210円。ワインは大体400円くらいからと値段も安い。

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一休みして、午後はトラムヴァイに乗ってガラタ橋へ行ってみることにした。
トラムヴァイは4,5両編成の立派な路面電車で、専用軌道のみではなく自動車、歩行者とも道を共有しているが、とてもスムーズに走るエコな乗り物だ。乗り心地もとても良い。
ひっきりなしに走っているが、車や歩行者との関係は何となくいい加減だ。
モダンな車両なので外につかまって乗る輩はいないが、そのいい加減さは日本ではまず考えられない。

ガラタ橋は金角湾にかかる橋で観光名所でもある。
終点のエミノニュ駅で降りた途端、日本でもお馴染みの焼きサバの匂いが立ち込めている。
これが名物サバサンドの匂いか。

初めてだから、ガラタ橋をトラムヴァイで渡って1駅目、対岸のカラキョイ駅で降りてガラタ橋を歩いて戻ってみる。
大した長さではないが、両岸の景色がとても美しい。

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平日の昼間なのに、橋上には釣りをするおじさんであふれている。
みんな暇なのかな。
見ると、釣れている人は結構釣れている。

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天気が良く暖かい日差しに包まれてとてものんびりした雰囲気に包まれている。
こういう雰囲気はとてもリラックスする。

エミノニュ側に渡り終えてサバサンドの屋台を探したが見当たらない。
それにしてもすごく混雑している。
多分、アジア側のカドキョイ行きの船に乗り降りする乗客たちなのだろう。

ガラタ橋は二層構造になっていて、道路兼線路の下は全て食堂街になっている。
どうも匂いの原因はそこにあるらしいと見当をつけて行ってみると、案の定、レストランの店先、大きい鉄板で沢山のサバを焼いている。
早速食べてみた。
小ぶりの脂ののっていないサバを玉ねぎとかレタスとかの野菜とバケットに包んで食べる。
適宜、レモン汁とか塩とかで味を調整しつつ。
味は、ん――――― 微妙。
普段、脂ののったサバを食べている日本人なのでこういう印象になるが、日本で作ったらどうなるか興味はある。

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帰りもスルタンアフメットジャーミー前駅までトラムヴァイに乗って帰った。
スルタンアフメットジャーミーを中心として、大体の地理は分かってきた。
帰りもこの近辺では例の商売人的な人達から日本語で話しかけられること多数。
うっとうしいが、なるべく失礼にならないように、かつ日本人の印象を悪くしないようにお別れするのに骨が折れる。

公園に沢山出ている屋台で焼き栗を買って帰る。
部屋に戻って、焼き栗をアテにビールとワインを飲んでいたら満足してしまった。
夕方食べたサバサンドのボリュームも結構あったし。
昨日から今日の時差もあるし、おそらく殆ど寝てない筈なので猛烈に眠くなってくる。

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明日は朝から雨で温度も低い予報が出ている。
夜になって冷えてきた。
エアコンを入れる。
もう夕食には行かずに寝てしまおう。

2019年04月16日

2019・トルコの旅 第2章 3/12 (火)・イスタンブール 

第2章 3/12(火) イスタンブール

今日は朝から一日中雨の予報が出ていたが、朝はまだ降っていない。
曇り空で寒い。
時折吹く風が冷たい。

今日は、午前中にトプカプ宮殿に行く予定だ。
トプカプ宮殿は、オスマントルコの支配者が居城とした大建築物だ。
スルタンアフメットジャーミー、アヤソフィアの後ろに控えている。

朝食を食べに昨日のカフェへ。
一旦ホテルへ戻る。

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もっと早く気が付いても良かったのだが、ホテルのトイレにウォシュレットが付いていることを発見した。
至極原始的なものだ。
便座の奥に出べそのようなものがあり、脇の蛇口をひねると、そこから上向きに水が飛び出すという仕組みだ。
動かないから位置の調整はできない、温水などは望むべくもない。
しかし、あるとないとでは大違い。
この先ずっとこうだと有難いのだが。

風が冷たいので、今日は暖かい格好でトプカプ宮殿へ向かった。
まだ雨は降っていないが日差しがないので寒い。

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地理が分かってしまうと、このアパートメントはスルタンアフメットジャーミーから本当に近い。
その近辺にある見所もとても近いということになる。
ただし、メトロの駅からは離れているようだ。
トラムヴァイに乗ってどこかで乗り換えなくてはいけないようだ。
こういうことも今日は試してみたい。

迷わずにトプカプ宮殿へ行ったは良いが、休館日だった。

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桜のようなのだが。
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機関銃を持った警官が入り口を固めていた。
残念。
トプカプ宮殿見学は後半のイスタンブール滞在の時にしようと予定変更。
昨日、行ってなかったアヤソフィア見学にする。

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ここは、スルタンアフメットジャーミーとトプカプ宮殿に挟まれた位置に建つ巨大建築物で、元々は4世紀ビザンツ時代に建設されたギリシア正教の総本山だが、オスマン帝国の時代にイスラム教のモスクに変えられた建造物で、現在は建物全体が博物館として公開されている。
入場料は60TLと比較的高め。
モスクではないので、靴は履いたままで、女性のスカーフもなしでOK。

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ここも目を見張るような構造物が多数ある。
モスクなのだが、洗礼者ヨハネと聖母マリアに囲まれているイエスキリストの壁画とか、ギリシア正教時代の名残りも多数あって、イスラム教とキリスト教が同居している感もある。

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中国人観光客多数。
団体で、非常に図々しく写真を撮っているのと声が大きいのですぐわかる。
内部の改修工事もしていて、巨大な足場を組んで作業員が上り下りしている。
4世紀には一体どうやって建築したのだろうか。

外へ出るとまだ雨は降っていない。
また、おじさんや若者に日本語で話しかけられる。
このうち一体何人が本物なのだろうか。

そのうちの一人が勧めていたモザイク博物館へ行ってみた。
こちらは、スルタンアフメットジャーミーやアヤソフィアに比べて超地味。
この辺りで発掘されたモザイクを復元して展示している。

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観光客も殆どいなくて落ち着いて見学することができて良かった。

出口はアラスタバザールという、とてものんびりしたバザールに抜けられる。

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モザイク博物館見学の後には寄ってくれと勧められた絨毯屋には行かなかった。

一旦ホテルへ戻って近所で昼食。
ちょっと気になっていた店があったので行ってみた。
豆のスープと、ケバブ、パン―パンは日本の定食のご飯のように必ず付いてくる―で24TL。

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安くて美味くて近い。夕食もここにしよう
マネージャーに明日午前4時の送迎を確認してから、ホテルで一休み。

午後からはエジプシャンバザールへ行ってみることにした。
うまくいけばメトロにも乗ってみたい。

風が強まり温度もかなり低くなってきた。
スルタンアフメットジャーミー駅からバザールの近くであろうシルケジ駅までトラムヴァイに乗ろうかとも思ったが、シルケジ駅まではたった2駅、まだ雨も降っていない。
沿線は面白そうな店が満載だし下り坂、歩いて行くことにした。

スルタンアフメットジャーミー地区は、日本の浅草のようだ。
表参道があって、仲見世のようなバザールがあり、モスク―寺院―が多数ある。
浅草を観光している外国人は、今の僕と同じような気持ちで観光しているのかもしれない。

シルケジ国鉄駅
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シルケジ駅を右手に見て直進していくとエジプシャンバザールらしき建物があった。
この付近はビルが立ち並ぶ都会だ。

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エジプシャンバザールは十字型をしているので、グランドバザールよりは分かりやすい。
昔、エジプトからの貢物を集めて商いをしたところからこう名付けられているらしい。
香辛料や香料、お茶等を中心に興味深いものが多数ある。
市場マニアにとってバザールほど興味深いものはない。
色鮮やかな香辛料には目を奪われ、様々な匂いが、それも良い香りが嗅覚を刺激する。

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ついうまく乗せられてザクロ茶なるものを買ってしまった。
1kgというから、まだ旅の始まりなので500gにした。
結構よい値段だったし、ここでは買わないつもりだったので失敗だったかなと思ったが、日本へ帰ってから、家の奥さんにとても珍重された。

ザクロ茶
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色々と試飲させてくれた中で、喉に良いというミントやらショウガやらを調合したお茶も強烈だった。
喉へ氷塊が落っこちて行くような感覚だ。

そうこうしているうちに、ついに雨が降って来た。結構強い雨だ。
風も出てきた。
屋根があるバザールに避難してくる人多数で、バザール内は混雑してくる。
海が見える方の出口へ進んでみると、昨日行ってみたエミノニュの港はもう目と鼻の先。
こんなに近かったんだ。

小降りになったころを見計らってバザールを出る。
勿論、傘の用意はしてあるが、再び冷たい雨が強くなってきた。しかも横殴り。

ゴマパン売りの像
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2駅だけだがトラムヴァイを使う。
服も濡れてしまったのでホテルへ戻った方が良さそうだ。

いつものスルタンアフメットジャーミー前駅で降りたのだが、雨で景色が変わってしまったからだろうか、方向が分からない。
モスクが似て見えるので判断がつかなくなってしまうのか。
しばし呆然とするが、しょうがないのでグーグル先生の助けを借りることにする。

雨の中をしばらく歩くと、見覚えのある風景が見えてきた。
宿へ戻って濡れたものを乾かす。
もう4時半頃、雨も止みそうにないので外出はしないことにしてビールを飲んでしまう。
一休みしたらもう8時。

夕食は昼と同じ食堂へ。歩いて2分。

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かぼちゃのスープかと思ったら、レンズ豆のスープだった。味が似ている。
ラムのケバブ、バターライス、サラダにパンで21TLの安さ。
店内は満席で人気があるみたいだった。

宿へ戻ってワインを寝酒に早めに寝ることにする。
明日は午前3時起き、カッパドキアが楽しみだ。

2019年05月17日

2019・トルコの旅 第3章 3/13 (水)・カッパドキア 

第3章 3/13(水) カッパドキア

昨日からの冷たい雨が降り続いている。
午前4時30分にピックアップの手筈なのだが、行きのこともあったので少し心配感はある。
3時過ぎには起きて準備を始め、4時には準備完了。

手持無沙汰で何気なく見たテレビが面白い。
3組の夫婦が、それぞれ夫に料理を作らせて妻が色々と口を出す。
どうもその下手さ加減を笑っているのだろうが、言葉は分からなくても何となく面白さは伝わってくる。
あまりイスラム的ではないなあと思えた。
外では、きちんと1日5回コーランの放送がある。

4時半ジャストに迎えが来た。
7時15分発の国内線で、2時間前に空港着というのはいささか早い気もするが、国内線でも荷物のチェック等が厳しく時間がかかる場合があるらしい。
チェックインは全て機械で行い、紙はいらない。
預け荷物で意外にも折り畳み傘が引っかかったが、正体が判明して無事通過。

審査後、何も食べていないので朝食を摂れる場所を探していたら、CIPラウンジが国内線にもあった。

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ラウンジの朝食
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国際線にはあることは知っているが国内線にもあるんだ。これは便利。
搭乗までの時間をラウンジで過ごすことができる。
1時間にも満たないフライトだが、軽食のサービスがあった。
トルコ航空のサービスはなかなかすごい。

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ネヴシュヒル空港到着。

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機外へ出ると相当寒い。
イスタンブールと比べて標高があるからだろう。
市街地から離れているせいか、周りには何もない。

今日から3日間は、Stream Co Toursという現地ツアー会社にお世話になることにした。
カッパドキアは、広い範囲に見所が沢山あって、自力で回ることは難しい。
そのためか、現地にツアー会社は相当沢山あるが、Stream Co Toursは、ユニークなツアーを組んでいて、評判もとても良いので、ここにお願いすることにした。

日本でのやり取りも、対応がとてもしっかりしていたので心配はしていない。
定刻より早く着いたのでガイドの到着を10分ほど待つ。

迎えに来たのは、ガイド兼ドライバーのファティさん(初めはパーティーという分りやすい名前に聞こえた。)、40代くらいの男性。

初めは英語でやり取りしていたが、2010年から3年間日本の小学校で英語の教師をしていたということで、日本語も話せることが分かってからは日本語の会話になる。
話しているうちにだんだんと日本語に慣れてきた。
千葉県内の小学校に勤務していたということで、2011年の震災も経験したそうだ。
公園で炊き出しをしたということだ。
僕も千葉県在住ということで共通点がある。
今日は、ホテルへは寄らずにここからツアーをスタートさせることになっている。

まず、マゼウス村という村へ寄り――かなりの田舎だ――良く保存された地下都市を見学する。
客は我々2人だけ。
新石器時代、紀元前6000年頃の地下都市だ。
7層になっていてかなり深い。

入口
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大きなLEDランプを持つファティさんの先導で地下都市というか洞窟へ入って行く。
もうこのあたりから、新石器時代、ヒッタイト、キリスト教辺りの話が交錯し始める。
敵の侵入を免れるために、7層にもわたる地下都市を建設したとのことだ。
動物を飼う場所、台所、寝室等々の役割があって全ての場所に脱出ルートが確保されている。
巨大な丸い岩を転がすとルートが遮断される仕組みなのだ。
沖縄の旧海軍壕、ベトナム戦争時のベトコンの地下基地を思い出した。

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ルートはとても狭く、頭を上げるとごつんとぶつける。
何回もぶつけた。
施設自体に設けられた薄明かりはあるが、良く保存されている分、見学を補助するためのツールはあまり設けられていない。
一体自分がどこにいるのか見当もつかない。
これを新石器時代に作り上げたというのだから。
ここで、1人取り残されたらもうお手上げなのだ。

到着していきなりの保存状態の良く、あまり観光化されていない地下都市の見学で毒気を抜かれたというか、気分が高揚してきた。

地下都市探訪後、村の小さなカフェでチャイをごちそうになる。
ファティさんの友人の地元のトルコ人も一緒だ。

カフェ
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カフェのドアを開けた途端に眼鏡が曇る。
石炭ストーブで温められた部屋におじさんや老人たちが集まって、ゆんたく、カードゲームやら謎のゲームを楽しんだりしている。

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特産物のジャガイモの仕事がない時期は、ずっとこんなにして過ごしているらしい。
ここは男の村らしく、女性はあまり外に出てこないとのこと。
ここにも女性の姿はない。
みんなわりときちんとした身なりをしていて、ジャケットを着こんだりして洒落こんでいる。
人生を重ねてきた濃い顔の面々が集っている風景は、何だか映画の1シーンに紛れ込んだような錯覚を覚えるとともにすごく懐かしい気分になる。
昔の日本の田舎の集会所もこんな雰囲気だったような気がする。
村には1年前にやっとインターネットが入ったそうだが、それでも相変わらずだそうだ。

暖かい空気の中、紛れ込んだ異邦人である僕に向けられる視線は温かなものだった。
ファティさんが通訳をしてくれて―― ここではトルコ語しか通じない――トルコ人のおじさんと話をする。

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政治的な話にもなる。
U.S.A.が嫌いだそうだ。
太平洋戦争中の原子爆弾のことにも話が及んだ。
あれはまともな人間がすることではないという主張だ。
真っ当な歴史観を持つ人達だ。
このカフェで心身ともに暖かくなり車へ。

カッパドキアの街には、バラとか葡萄とか全て各々にシンボルがあり、そのモニュメントも建っている。
これから向かうのは玉ねぎの谷。

放牧羊、牧羊犬を使って牧童が羊を導くという童話のような風景があった。
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シルクロード上を走る舗装道路の前後には車がいない。
真直ぐな道路の先には地平線が見えて、どのくらいのスピードで走っているのか分からなくなる。
モロッコで体験した気の遠くなるようなドライブだ。

だいぶ日本語に慣れてきたファティさんと政治的な話にも及ぶ。
隣国であるシリア、イラン、イラク、そしてクルド問題。
時々シリアから逃れてきた人も見かける。
一時期は相当いたらしいが、最近はシリアに帰っている人が増えているらしい。

また、中国のコピー問題にも話が及んだ。
中国人が観光客として来て、特産品、例えば絨毯の製造過程を見学して、そのまま粗悪なコピー商品を製造販売することがあるらしいのだ。
日本にも同じような問題はある。
最近は中国人には製造工程は見せないそうだ。
また、最近トルコはU.S.A.との関係もあまり良くなく、アメリカ人観光客も自分はカナダ人だなどと称することもあるらしい。

彼は、気球観光を中心とするうわべだけを見るツアーには必ずしも好意的ではなく、もっと歴史を見てほしいと言う。
ヨーロッパ人や日本人は勉強してから来る人が多いと言う。
同感すると同時に自分ももっと歴史や宗教について勉強する必要があると思った。

玉ねぎの谷には岩をくり抜いた新石器時代の住居跡が多数ある。
洞窟に作られた教会の跡を見る。
壁や天井にキリストや聖母マリアのフレスコ画、かなり良い状態で保存されている。
この辺りは観光地からかなり離れているので殆ど観光客はいないそうだ。
観光施設として保存されているわけではないのでとても生々しい印象を受ける。

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岩肌に小さな穴が無数に開いているのは、鳩を飼っていた穴ということだ。
伝書バトとして使うほか、卵の白身を接着剤として使っていたらしい。

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人の住居跡と思われる洞窟は、よく観光案内に出てくるカッパドキアのケーブハウスの原型のようだ。

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立ち寄った村々は新石器時代の洞窟ではなく、近代文明を獲得した後のケーブハウスが多数あって、観光案内に出てくるカッパドキアらしくなってくるが、ファティさんによると、実はそのような伝統的なケーブハウスに暮らしている人達は少なくなっている。
それは政府の方針で、補償金を出して移転させているらしい。
ケーブハウスは住居としては機能せず、殆ど観光ホテルとしてしか機能せず、伝統的な暮らしは失われていくという悲しげな口調で語っていた。。

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そういえば、空港のあるネヴシュヒルの街は近代的なビルや住居が立ち並ぶ都会だった。

ネヴシュヒルの街
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ケーブハウスから住民を移転させて観光地として整備していくというのは、いわばカッパドキア・ディズニーランドだ。
日本にもそういう問題はある。
しかし地元は便利な暮らしを享受したいし、食べていかなければならないのだ。
色々と考えさせる観光だ。

過去に住居だった洞窟は、現在は特産品のジャガイモの貯蔵庫として使われているところが多く、出入り口は施錠され、空気抜きの穴がポコッと出ていたりする風景が眺められた。

石器時代、新石器時代、ヒッタイト、ペルシャ帝国、ローマ、アレクサンダー大王、ビザンツ帝国、セルジュクトルコ、モンゴル、オスマントルコと東西の交錯の歴史は流れ、それがこの村々に遺跡として所々に散在する。
今でも発掘途中というものは相当にあるらしい。
カッパドキア観光は実は奇岩鑑賞ではなく、歴史の再認識というところにあるのだと思った。
もっと勉強してくればよかったな。
明日までの少しの時間、ネットとかも使って少し勉強してみよう。

昼食は、殆ど人を見かけない玉ねぎの谷の森の中に1軒だけある食堂。

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がらんとした広い部屋に石炭ストーブが焚かれ、おじさん1人が接客している。

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ファティさんとは友達らしい。
客は我々2名の他は誰もいない。
サラダ、スープ、このかぼちゃの味のするスープは昨日も食べたけれど、レンズマメのスープなのだ。

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焼き立てのパンに、メインは牛肉と野菜を炒めて炊いた米を添えてある。

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伝統的な料理だと言うがとても美味しい。
チャイも何倍もお替わりしてのんびりした時間を過ごす。

静かで鳥の声しか聞こえない。
食堂のおじさんはトルコ語オンリーだが、トルコ語の挨拶「メルハバ」から入って、挨拶の言葉を教わっているうちに打ち解けてきた。
1時間半くらいいただろうか、相当のんびりして出発した。

徐々に、ガイドブックにあるカッパドキアの奇岩の景色になってくる。
三人姉妹の岩、エルギュップの町、ウチヒサルの町、オゥタヒサルの町からの絶景など、おなじみの観光スポットに立ち寄って行く。

奇岩
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午前中のテーマが重かっただけに観光スポット巡りは一応押さえておく位の軽さだった。
絶景もさることながら、僕にとっては、単なる観光地巡りではなくテーマを持った訪問がとても貴重な体験と感じた。

今日は気球が風の具合で中止ということで、それだけのためにわざわざ南米から来た観光客が怒り出したらしく、二人で苦笑。
ファティさんによれば、天気は良くても風の具合で中止になることはよくあることで、この季節は当分中止だろうということだった。
何やら冬場の鳩間便欠航によく似ている。
命が惜しかったら自然の都合に従うべきなのだ。

ウチヒサルの町、中央にそびえ立つのは一枚岩の城塞、現実感が薄れてくる景色だ。
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絶景ポイントからの眺め
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静かだったウチヒサルの撮影ポイントへ集団の中高年男女が到来、騒然とした雰囲気に。
気球目当ての観光客を気球キャンセルの替わりとしてツアーしているらしい。
彼は、雰囲気を壊すような雑な観光客には批判的だった。
僕も全く同感。
僕が日本人だからこうもあけすけに自分の意見を言ってくれるのだろうか、とてもありがたい。
今日一日一緒に過ごした彼の主張にはとても賛同できるところが多くあった。

絶景スポットを押さえて本日の宿泊地、ギヨレメの街に入った。
本日のホテル、ヴィレッジケーブハウスの前で今日のツアーは終了。
今日はとても勉強になったと共に、もっと勉強しなければと思わせてくれる有意義なツアーだった。
明日は9時半ツアー開始。
あと2日が楽しみだ。

ホテル
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時間は15時頃、まだ日は高い。
ホテルは本当に洞窟部屋だ。今までこんなところに泊った経験はない。とてもわくわくする。

テラス
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部屋の入り口
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岩山の上の方をくり抜いてあるようなので、部屋の前のテラスからはギヨレメの街が一望できる。
これはここでビールを飲んだら絶対に美味いに違いないということで、荷物を置いて酒屋探しと街の散策。
いつもこのパターンだ。

坂を下って行くとすぐにオトガル――長距離バスステーション――が見つかった。
ここが街の中心のようだ。
レストランや土産物屋多数、酒屋もすぐ見つかった。
高原の観光地という雰囲気だ。

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僕の好きな市場もある。

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車もそれほど多くなく静かな街だ。
ぶらぶらと街歩きをして、エフェス2本とワイン1本を購入、50TLはいかない。安い。

ホテルへ戻って、部屋の前の景観の良いテラスでビールを楽しむ。
美味い!!!

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部屋にエアコンは無いが、昼間の空気で暖まっている。
モロッコの砂漠に似ている。
昼間暖めた部屋で夜の寒さをしのげばよいのだ。

案の定、日が落ちると本格的に寒くなってきたが、部屋は暖かい。
デロンギ型でとても弱いヒーターも部屋にあり、少しは効き目があるようだ。

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とてもきれいな夜景だ。
ワインに移行すると、この景色に現実感がなくなってきた。

腹も減ったので夕食に出かける。
観光地だから全体的に値段は高めなのだが、ローカルフードで良さげなを見つけた。
美味いし、値段も安い。
明日もここだな。

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夜のミナーレ(尖塔)
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ホテルに戻って夜景を見ながらワインをやっているうちに猛烈な眠気が襲ってきた。
今朝は3時起きだった。
眠い筈だ。
すっと眠ってしまった。

2019年06月13日

2019・トルコの旅 第4章 3/14 (木)・カッパドキア・その2

第4章 3/14(木) カッパドキア・その2

今日はカッパドキアツアーの二日目、とても良い天気だ。

ホテルの朝食
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9時半に迎えの車がやって来た。

今日はファティさんとドライバー、ムラトゥさんの二人。
もう2名のお客さんがいるとのこと。
ラティーナだと言っていたが国はどこか良く分からない。
9時45分にホテル前での待ち合わせだが、時間通りに来ないのはさすがにラティーナだと。
日本人は10分前に来ているよと笑う。

ホテルから出てきたのは若者(と言っても30歳くらいかな。)と母親で、聞くとコスタリカ人だという。
なのでスペイン語。息子は英語もいける。
母親はスペイン語のみ。
ファティさんはスペイン語も勉強中で結構喋れるようだが、細かい部分は英語になる。
ドライバーのムラトゥさんはトルコ語のみ。
このような組み合わせで今日一日過ごすのだ。
楽しそうだ。

まず最初にギヨレメの最初の教会の跡へ。
岩をくり抜いた建築物だ。

馬の谷
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教会跡
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カッパドキア(馬の谷という意味)では、基本、昔の住居は全て岩をくり抜いたものだ。
現在の建築物や構造物が何もない2000~4000年前を想像すると何となくイメージがわくが、これらを建造するのに、また地下都市を構築するのに一体どれほどの労力が必要だったのか、これは想像がつかない。

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そして、ここからすぐ近くの「愛の谷」という奇岩だらけの場所へ向かう。

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何故「愛の谷」かというと、岩は基本キノコ岩なのだが、男性器に似ているというところに発するらしい。
ファティさんが言うのだから、変なことは教えないと思うので本当の話だろう。

ここの茶屋で飲んだザクロジュースは、ザクロのみを絞ったものでとても美味しかった。

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立派なニワトリ
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エジプシャンバザールで買ったのはザクロ茶だ。

ここは撮影ポイントとして有名なところなのだ。

コスタリカ人の親子、息子のエドワルド君は若者らしく活発だ。
どんどん岩の上へ登って行って被写体となっている。
お母さんは若く見える。
サングラスを外すと典型的なインディオ顔だ。
とても仲の良い親子で見ていて微笑ましい。

エドワルド君とは英語でやり取りしていたが、僕のインチキポルトガル語でも少しは通じる。
彼らは気球観光を希望していたが、欠航でこちらへ来たとのこと。
この季節は風の影響で当分は欠航らしい。
本当、鳩間航路に似ている。欠航という表現がぴったりだ。

この二か所はギヨレメの街からすぐの場所。
ここから昨日通って来た岩の城塞跡がある街、ウチヒサルの町へ絶景ポイントを責めながら移動して行く。

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今日はファティさんとドライバー、親子と人数が多いので、昨日のようなフリートークにはならない。
時折、道を間違えたりしながら、コンスタンチヌス帝が幼少時に学んだ住居跡などを見学。
これは、岩山に無数の穴が開いていて、人がだれも住んでいないところを遠くから眺めるというシチュエイションなので、想像力を働かせるしかない。
手前の道路とか、現代の住居とかを全部視界から消して、3世紀ころの世界を想像するのだ。
中々に難しい。

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そうこうしているうちに、もう13時頃。
そろそろお昼の時間だが、本日のランチは民家へ行って伝統的な料理をそこの家の家族と我々で作って食べるという趣向になっている。
実はこれを楽しみにしていたのだ。

カルダックという古い村のお家を訪れると、大家族で、老夫婦と子供が6名、孫も数名いて、とても賑やかだ。
ご主人は、日本円で1万円が工面できなかったために左目が見えなくなってしまったと聞いた。
色々とご苦労があったのだろう。
子供たちの家族も仕事がないため、ここに皆で住んで、このツアーの手伝い(こういう食事の提供)や、手芸品を売ったりして暮らしているとのことだ。
男たちは働きに出ているのだろう。
今、家にいるのは老夫婦と娘達、孫達だ。

料理を我々で作るというのは、小麦粉を練って棒で延ばして丸く薄くなった状態にして、その上にチーズとか野菜とかを乗せて半円状に包んで鉄板で焼くという料理の、焼きまでの部分をお手伝いするというものだ。

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まあ、素朴で簡単と言ってしまえばそれまでだが、多分これはイスタンブールの早朝のT.V.番組で夫の料理の下手さ加減を笑うという番組でやっていた料理のような気がして、侮れないという気がした。

鉄板で焼いて出来上がり。
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家は薪ストーブで暖まっていて、我々が仕込んでいる廻りで孫たちが大騒ぎという、とても賑やかな雰囲気になっている。
何だか田舎の親戚の家に来た気分になってとても和やかになる。

薪ストーブとイモ
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まあ何とか娘さんたちの助けもあって作り上げたものを、屋外の鉄板で焼いて、切り分けて皿に持って食事になる。

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サラダ、スープ、焼き芋、そしてさっき我々が作ったクレープ状の物(多分ギョズレメという料理だと思う。)、飲み物という素朴で伝統的なメニューで、これが結構な量だ。
自分で作ったものは、原則、自分の分で出てくるようなのだが、美味しいんだけれどとても食べきれない。
材料は全部自分の畑で作ったものでオーガニックなものと言っていた。
最後にチャーイを飲んだらとても寛いだ気分になった。
昼寝がしたくなった。

薪ストーブに乗っかっているやかんが面白い。二層になっている。

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下の部分がお湯、上の部分がチャーイなのだ。
チャーイを淹れてお湯で少し薄める。
これは良い道具だ。

孫たちが大騒ぎをして遊んでいる。お母さんがこれをたしなめる。
どこにでもある風景なのだが何だか懐かしい。

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家族はトルコ語しかできないので言葉による意思疎通はできないが、何となく身振り手振りで意味は通じる。

子供たちと遊ぶ。
写真を撮られることが大好きなんだよな、大体こいつらは。
で、撮った写真をすぐに見せると大喜びなのだ。

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家の中を見せてもらったり、子供たちと遊んだりして幸福な気分になる。

帰り際に手芸品も買う。
ああ、こういうことなんだと思ってはいけないだろう。
この人達が演技しているとは思えないし、仮に演技していたとしても良い。
幸福な時間を過ごさせてくれた地元の人達にお金を落とすべきなのだ。
生活に困っているこの人達を助けるために企画を立てたのは、Stream Co. Tours のノリ子さんということだが、こういう企画はどんどんやるべきだと思った。
ただ、バルーンだけが目当ての人とか団体客、贅沢なツアーを望んでいる観光客には向かないだろう。
しかし、僕にとっては今日のランチは間違いなく本日のハイライトだった。
記念写真を撮って親密な挨拶を交わして幸福な気分で家を後にする。

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次に訪れたのは、カッパドキアで最も美しい教会跡だとファティさんが強調する聖ジョンの修道院と呼ばれている教会跡。

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約1700年前の修道院跡にはフレスコ画が非常に良い状態で保存されていた。

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そして、ギヨレメの屋外博物館へ。
ここは、広大なスペースに住居跡や教会跡等がそのまま保存されている。
保存状態も良い。

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住居跡
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ヒッタイト時代に描かれたであろう牛の壁画なんていうのもあって、昔、世界史の教科書で見たことがあったような記憶がよみがえる。

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住居跡内部から
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住居跡
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マッシュルーム岩
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ここまで色々と見てきてカッパドキア観光は、奇岩見物よりもこちらのヒストリカルなものの方が面白いと感じた。

また、イスラム教は他の宗教にとても寛容だと感じた。
でなければ、キリスト教の遺跡がこんなに良い状態で保存されていないだろう。

今日は時間もたっぷりかけている。
ちょっと疲れた感じはあるけれど、最後に予定にはなかったカッパドキアで最も大きいキノコ岩を訪問して終了。

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明日はファティさんは来ないので、今日でお別れだ。

日本語が話せるということもあるが、1日目の中身の濃い観光と話、今日の訪問スポットの案内、旅の歴史的な意義を濃く感じさせてくれた今日の説明等々、本当に有意義な二日間だった。
やはり、良いガイドの存在は旅の意義を大きく左右する。
fbのやり取りをして分かれる。

オトガルの近くの酒屋で、例によってエフェスとワインを買ってホテルへ。
部屋の前のテラスで非現実的な風景を見ながらエフェスとワインを飲る。

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夕食は昨日の店へ。
美味しくて安い。
特にお米の処理の仕方がとても良いように感じた。

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ショートカットの道も見つけた。
気持ち良くなった勢いで床屋へ行く。
明日はハイキングツアー、人数も多いとのことだ。

夜になって冷えてきた。
いつも早めに寝れる。

2019年06月27日

2019・トルコの旅 第5章 3/15 (金)・カッパドキア~カムッパレ

第5章 3/15(金) カッパドキア~カムッパレ

今日も良い天気だ。
今日の迎えは9時45分。
イフララ渓谷のハイキングを中心としたグリーンツアーというものだ。

一旦ホテルをチェックアウトして荷物を置かせてもらう。
とても快適なホテルだった。
スタッフの対応も柔らかで感じが良かった。

今日のツアー車は15~16名は乗れる大きい車。
ドライバーとガイド、客は僕を含めて6名。
昨日までの二日間よりはずっとオフィシャルっぽい雰囲気だ。
ガイドのハッサン君の英語は早口でとても聞き取りにくい。
絶景ポイントに立ち寄りながらバスは進んでいく。

ただ、この二日間で堪能した後なので、あまり感動しないし、土産物屋スポットばかりなので、もうどうでも良い感じ。

鳩の谷
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このくらいの標高の土地だとロバが適しているのだろう。モフっとした感じ。
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しばらくして、カイマクルの地下都市に到着。
規模は大きく、地下5階まである。
観光的に相当整備された所で、内部の灯りや順路表示もきちんと整備されているが、頭をぶつける箇所もある。
しかし、一昨日のマゼウスで、より整備されていない地下都市を経験しているので、こちらの方は刺激が少ない。
これで、古代灯りの少ない状態― もちろんなにがしかの灯りがないと生きていけない筈だ ―を想像すると恐怖だ。
これに似た場所は、沖縄の旧海軍壕、ハノイの軍事博物館で見たことがある。
後ろから大騒ぎの中国人団体観光客がやって来た。
スポットでダブらないように進んで行く。

一昨日の経験で全て終わっている感じだった。
地下都市観光の次は、今日メインんのイフララ渓谷へ向かう。

結構遠いとは聞いていたが、相当遠い。
ツアー以外で行くのはとても難しいだろう。
ただ、途中の景色は絶景だ。
例によって、気の遠くなるような地平線と真直ぐの道。
パムッカレから出る道路で、220km真直ぐな道路もあると言っていたな。

イフララ渓谷に着いた頃は天気は下り坂。
河に向かって深く刻み込んでいく渓谷はとても見事なものだが、正直言って渓谷の美しい場所は日本にはものすごくある。

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だから、渓谷自体はどうということはないのだが、ケーブの住居跡がたくさんあって、それが珍しい。
雨もぽつぽつ降って来た。

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昼食は、渓谷観光用のレストランで。

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ハイキングというほどは歩かなかったし、渓谷の後訪れた教会跡も、二日間を経験した後にはあまり感動しない。

はっきり言って、3日目のツアーはいらなかった。
二日間で堪能しきった感じがするし、何よりファティさんとの内容の濃い会話や、昨日の家族訪問とか、二日間に素晴らしいものが詰め込まれていたような気がする。
これは贅沢に言いすぎかな。

ともあれ、素晴らしい経験をさせてくれたStream Co Tours社とガイドのファティさんに感謝したい。

17時頃にツアー終了、ホテルまで送ってもらう。
20時発のバスの時間まで一階のロビーで休憩させてもらう。

しかし、もうチェックアウトしたのにこの寛ぎ感は何だ。
wifiは使い放題だし、チャーイのサービスまである。
スタッフの穏やかな感じもとても良いし、このホテルはすごすぎる。

今晩の10時間のバス旅は、過去インドで中々に厳しい体験をしたので結構ストレスだ。
昼食が遅かったので夕食は取らず、水分も控える。
ビールなんてもってのほかだ。

19時頃にオトガルのメトロ社前に行く。
だいぶ冷え込んできている。
ほぼ定刻にバスがやって来た。
きれいなバスだ。

色々と行き先を言うので、僕の行き先であるデニズリが終点ではないようだ
行き先によって荷物の収納場所が違う。
席は1+2の横3席で、そんなに狭くは感じない。
靴を脱いでも良いようにホテルの使い捨てスリッパも持参している。
これでトイレさえうまくいけば良いのだ。
などと考えると、これがストレスになってしまうのだ。

出発して数十分でどこかのオトガルに停車した。
ここが、バスが百数十台停まっている巨大バスステーション。
暗くて照明も少ないのでどこだかまるで分らない。

夜の9時頃だが外が何だか騒がしい。
人々がたくさん集まっていて、太鼓が打ち鳴らされ、歌を集団で唄い騒然とした雰囲気だ。
何かの集団示威行動のようにも見える。
もう殆どトルコ語オンリーの世界なので何が起こっているのかまるで分らない。

バスに向かって何かを叫んでおり乗り込んできそうな勢いだ。
中には、バスに向かってフロントガラスに泡スプレーをかけている輩もいる。
何が起こっているのかまるで分らないのと、外の照明が暗くて、一体どのくらいの大人数が外にいるのか良く分からないというのも不安をあおる。
とても外に出て行ける雰囲気ではない。

政治運動なのかと少し緊張したが、どうもそうでもないらしい。
よく観察すると、どうも一人の若者を集団が讃えたり、激励したりしているようなのだ。
そんな集団が沢山あるのだ。

こちらのバスにも示威行動をしてくるようだ。
が、ドライバーやスタッフは平然としているし、乗客も静かに外の様子を見ている。
そのうち、このバスにも讃えられ激励された若者が一人乗って来た。
坊主頭の若者だ。
バスは別れを惜しむようになかなか発車しない。
20分位停車していただろうか、時間が経つのが長く感じられた。
ようやく発車したが、この騒ぎの中オトガルから出るのにも時間がかかる。
一体この騒ぎは何だったのか、知りたいので、デニズリへ着いたらファティさんにメールで聞いてみよう。

バスは走り出すと相当にスピードを上げた。
トルコはクラクションが少ない。日本並みだ。
席は快適だし、体調も悪くないのだが、トイレのストレスからか殆ど眠れない。
助かったのは、ほぼ2時間おきに休憩があることで、これでインドのようなことにはならずにすんだ。
念のために言っておくと、インドのようなこととは、危機一髪で危険を回避できたので最終的な事態には至っていないのだ。

トルコはバス大国で、夜行長距離バス網も張りめぐらされており、休憩施設もドライブインから深夜スーパーマーケットまで様々な施設が準備されていて、みな立派できれいな施設なのでその点は安心だ。

賑わう夜のドライブイン。バスばかりだ。
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オトガルを出発してからわりとすぐに30分ほどの夕食タイムがあった。
夕食は食べていなかったので助かる。
スーパーマーケット兼ドライブインのようなかなり大きい施設で、セルフの食堂が併設されている。

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ナス、その他の野菜と肉の炒め物とフライドライスだけの軽めの物にしたが、これが美味しかった。
こういうのは家でも作ってみたいなあ。

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シートは狭くはないといえ窮屈は窮屈だし、トイレのストレスもあってあまり眠れはしないが、20分位ずつ、断続的にうつらうつらしている。

2019年07月14日

2019・トルコの旅 第6章 3/16 (土)・カムッパレ~ デニズリ

第6章 3/16(土) カムッパレ ~ デニズリ

スタッフにしつこくデニズリまでだからと念を押していいたので、それらしき巨大オトガルの地下駐車場 ― オトガルのガルはフランス語のガルあるいはガーレ、つまり駅のことで、オトはオトビュス、つまりバスのことを指していると今更ながら気づく ― に着いたところで、デニズリだと告げられる。
何だかイメージしていたのと全然違う。
もっと田舎の何もないようなところだと思っていたのだが、辺りがまだ暗いのでよく分からないが、都会だ。

朝の6時半頃。
約10時間のバス旅。
休憩も多くて楽は楽だったが、殆ど眠れていない。
降りるのは5、6名だ。
辺りはまだ真っ暗で冷え込んでいる。
途中、小雨なども降っていたので雨だったら観光はきついかなとは思うのだが、地下なので天気は分からない。

前日までの調べで、ホテルまでは歩ける距離ではないのでタクシーを使うことになるが、荷物を置くためだけにタクシーで往復するのはいかにも効率が悪い。
荷物預り所― エマーネット― がどうも近くにあるらしいので、そこで荷物を預けるのが良いとの情報もあったので、探してみると幸いにもすぐにみつかった。
荷物を預けてパムッカレに向かうミニバスに乗り込む。

こちらは7時頃になってもまだ薄暗い。
その代り夜は8時頃にならないと暗くならない。
途中で客を乗せつつミニバスはパムッカレに向かって行く。
辺りが明るくなるにつれて、景色も都会から田舎へとどんどん変わっていく。
わりと長く感じられたのだが、乗っていたのは30分くらいだろうか。
終点ではないところでここはパムッカレだよと言われて降りた。
白い丘が見えているからそうなんだろう。
旅行社や食堂が並んでいて、いかにも観光地の入り口だ。

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7時過ぎ、まだ店は閉まっている。
かなりの寒さだが、天気は良さそうだ。
白い丘の方へ歩いて行くと景色が開けた。
池のある公園があり、鴨なんかがのんびり浮かんでいる。

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坂道の上に自然公園のチケット売り場がありそうなので行ってみると、8時からだという。
あと30分。
パンの屋台が出ていたので、池のほとりのベンチで朝食、トイレなんかを済ましていると30分位はすぐに過ぎる。

公園の全景
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入場すると、いきなり裸足になって水が流れる石灰棚を登ることになった。
靴袋とタオルは必需品という情報もあったので準備していて大正解。
雪山に見えるけれど、これは石灰なのだ。
流れる水は冷たく裸足の足も冷たい。
水が上から流れてきて、自然のプールを作ったりしていて今までに見たことのないすごい光景だ。

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石灰棚を更に登って行くと流れてくる水が少し暖かくなってきたように感じられる。
この流水は温泉なのだ。
上から湧いているので泉源に近くなるにつれて暖かくなるのだ。
もう足湯状態になってきて気持ち良い。
水温は30度くらいだろうか。
冬場だから無理だけど、夏場の観光シーズンには、所々にあるプールまたは風呂的な場所で泳いでいるらしい。
楽しそうだ。
ただ、ものすごく混むらしい。
オフシーズンのこの時期は静かだ。

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最近はこのように温泉水が枯渇してしまった石灰棚も多い。
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裸足で石灰棚を登ること小一時間。
丘の上で靴を履く。
おそらく南門から来た観光客がもう沢山いる。
団体客が多いようだ。
例によって大声で騒がしい。

ここからは、ヒエラポリス遺跡の見学だ。

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実際に入浴できる温泉の底に遺跡が無造作に沈んでいる。冬場の入浴は寒そうだ。
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紀元前2世紀頃から11世紀頃、ローマ、ビザンツ時代まで続いた都市の遺跡だ。

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円形競技場、教会跡、温泉浴場等々、周囲は全て遺跡。

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何の花だか分からないけれど可憐な様子。
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そこここに無造作ともいえるように転がっている物が全てこの頃の遺跡なのだ。
今でもまだ発掘が続けられているらしい。
この公園も相当に広くて歩きごたえがある。
うるさいのは苦手なので、観光客があまりいそうにないところから探索する。
カッパドキアと同じように、当時ここでどのような生活が営まれていたのか想像すると面白い。
3時間ほど時間をかけてできる限り回ってみた。

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これは人工の温泉
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パムッカレは、石灰棚や温泉といった珍しい風景が派手に宣伝されているが、それよりもヒエラポリスの遺跡をきちんと見ることの方が本質ではないかと思えた。
8時に入場して4時間位の散策だ。
最後の最後まで遺跡を巡りながら出口の門に到着した。

出口付近
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しかしここはどこの門なのだろう。
店とか、その他諸々何もない。
バス停も見当たらないし、おまけに人もいない。
新築したらしい建物が多いので新しいゲートなのか。
それにしては自分を除いて観光客が一人もいないということはどういうことなんだろう
しかし、順序通り歩いて行くとここにたどり着くのだ。

ゲートの前は大きい道路が走っている。
しばらくその辺りに佇んでいるとミニバスらしき車が走ってきたので、停めて聞いてみると反対方向へ行くとのこと。
帰りに乗せてやるから5分ここで待てと言う。
5分というのは大体15分と思っていればよいので、誰もいない見晴らしの良い丘の上で20分ほど待った。
天気が良いのでそれはそれで楽しい。
やがてさっきのミニバスがやって来て、今朝出発したデニズリのオトガルに到着。
多分、メインのゲートは他にあって、ミニバスはそこへ向かっていたのだろう。
僕が出たゲートは新造の物であまり知られていないゲートなんだろうということにした。

今朝到着した時はまだ真っ暗で良く分からなかったが、デニズリはとても大きい街で都会だ。
イメージしていた田舎とは全然異なる。
オトガルにいくつもある食堂で軽くランチ。
何だか面白いことの連続であまり空腹を覚えなかったのだ。

タクシーで本日のホテル、エシンホテルへ。
地図上は歩けるかなとも思っていたのだが、とても歩く距離ではなかった。
車窓から見る街は改めて都会だ。
15TLという良心的なタクシー代。
ホテルは賑やかな広場の真ん前で何をするにも分かりやすそうな好ロケーション。
もっとも、デニズリの街を観光する気はなく、明日の朝9時15分の国内線に乗るために泊るのだ。
このホテルの料金はとても安いのだが、部屋は良い。
ただ、明日の朝の空港行きの打ち合わせが面倒だった。

エシンホテル
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本日の部屋
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トルコ航空は国内線でも出発時間の2時間前に空港着を推奨している。
早すぎる感じもするが、アタテュルク空港での搭乗手続きの面倒くささから考えるとそれもうなずける。
ということは7時15分頃には着いていなければならないのだが、ここからチャルダック空港までは約60㎞。
ホテルの前から空港行きのシャトルバスが出ているのだが、始発は7時。
遅いんじゃあないかとホテルのフロントで議論になって、結局6時半にタクシーを呼んでもらうことになった。
タクシーは高いよと念を押されたが、確かにホテル代より高い。
しかし、これはやむを得ない出費だ。

ホテル代は現金、先払いのみの明朗会計。
部屋へ荷物を置いて、早速酒屋探しと第一次街歩き。
山に囲まれた街だが、とにかく賑やかだ。
ホテルの前の広場には、サッカーチームのユニフォームを模した旗がはためき、若者たちが集まって何だか盛り上がっている。
一方、のんびり座って日向ぼっこでもしているような老人たちも多数いる。

ホテル前の広場
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酒屋は難易度が高そうだが、これまでの経験からすると、まず表通りにはない。
一本入った裏路地あたりにあるのだ。
外観は普通の飲料屋と変わらないからややこしい。

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歩いていると、楽器屋が多いことに気がついた。
程なく酒屋が見つかり、エフェスとワインを購入。ワインはデニズリの特産品らしい。

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シャワーを浴びてのんびりしてから、夕食がてら第二次街歩き。
土曜日ということもあって、とても賑やかで老若男女楽しそうに歩いている。

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モスク
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楽器屋に結構ギターが置いてあり、そろそろ弾きたくなってきてもいるので試奏させてもらった。
生ギターなら何でもよいのだ。
何曲か弾いていたら、皆おとなしく聴いている。
買わされそうな雰囲気になったので、いや、試奏するだけだからと退出。
嫌な客だね。
ここは表通りの大きめの楽器屋。

裏路地に入ると、小さな楽器屋さんでおじさん二人が談笑している。
こっちと目が合って笑った。
試奏したいんだけどいいかと聞くと良いらしい。
ここまで、もう英語もあまり通じなくなっている。
また何曲か弾いていると、若者たちもやって来て、そのうち談笑していたおじさんの一人が民族楽器の弦楽器であるサズを取り出して弾き始めた。
何となくDを中心として一緒にやろうという合意はあって、セッションになった。
毎日聞こえているアザーン― コーランの放送― のような半音・半音で構成されるマイナー旋律をDmを中心に展開しているから、ギターをDチューニングにして、リズムをぶつけたり、色々と仕掛ける。
サズはそれに乗っかってフレーズを繰り出してくる。
とても楽しい。
いつの間にかギャラリーが増えていて、演奏後は拍手。
チャーイも出てきて、店のスタッフやお客さんとも交流ができた。
FB交換した若者が、動画を撮っていたらしく後日見ることができた。
お礼を言い、とても幸福な気分になって楽器屋さんを後にした。
こんなことが偶然に起こることはとても楽しいことだ。

演奏を終えて交流する。
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公園に戻ってくると、何やら行列ができていてその先には屋台。

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暇だし、試しに並んでみると丸くて甘いお菓子を供している。
いくらと聞くと無料だと言う。
どういうことか分からないけれど、皆並んでもらってその辺で食べている。
食べてみると、もっちりとしてとても美味しい。
小さいことだが、また幸福感が増した。

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とても単純な印象なのだが、デニズリはとても良い街だ。
賑やかだけどうるさすぎない、表通りと裏路地の佇まい、山に囲まれた景色と都会の調和、若者たちの活気と老人たちの存在感、楽器屋は多いしワインの産地でもある等々。
これらが自然にバランスがとれている街のような印象を受けた。
観光地ではないから、勧誘もないし、街も清潔だった。
寝るためだけに寄ったような街だけど、とても良い拾いものをしたような気がする。
もう一泊してこの街をじっくり楽しんでみたい気持ちになった。

まだ明るいので、一旦ホテルへ戻って一杯やる。
昨夜のオトガルでの若者たちの大騒ぎのことをカッパドキアのファティさんに聞いていた返事が来ていた。
軍隊に行く若者を応援して送り出しているんだということだった。
日本にも昔そういうことはあって、しかしそれはちょっと悲しいことだったと返事をすると、軍隊に行くのは良いことであって、男になるということなんだと返してきた。
なるほど、トルコは紀元前から東西からの侵略を受けて、戦争で歴史を作ってきたのだ。それで文化交流もしてきた。
今でも、隣国のシリア、イラン、イラクの紛争の影響をもろに受けている。
兵役に就くということは国を安定させるためで、日本とは価値観が違うのだ。
それにしても「男になること」というのは、最近は日本人でもなかなか使わないうまい表現だなあ。

山に囲まれた街
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うす暗くなってから夕食へ。
安くて美味しい夕食にもありつくことができた。
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昨日も殆ど寝ていないので、すぐに眠くなる。
明日は6時半出発だ。

2019年07月26日

2019・トルコの旅 第7章 3/17 (土)・再びイスタンブール 1

第7章 3/17(土) 再びイスタンブール 1

約束の6時半にタクシーが来た。
辺りはまだ真っ暗だ。
空港まで180TLで話は付いている。
とても良い印象だったデニズリの街を後にして60km離れたチャルダック空港へ。
街を出ると、道は殆どまっすぐで、前後に車はいない。
ドライバーはトルコ語オンリーなので無言。
周りは例に寄って気の遠くなりそうな草原の景色・
眠くなってくる。

1時間くらいはかかるのかなと思ったが、100kmくらいでとばして40分位で到着。
チャルダック空港の周りには何もない。
ネブシュヒル空港もそうだった。
空港施設に入る前に荷物のチェックがある。
バザールや駅でもチェックを受けなければならないところがある。
テロ対策だ。止むを得ないだろう。

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早朝なので空港ビル内はがらんとしている。
午前中の便は2便しかなく、この日は全部で8便しか飛ばない。

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搭乗手続きは簡単だった。
行きに引っかかった折り畳み傘も何故か引っかからなかった。
8時30分にはボーディング手続きが始まり、定刻より少し早い9時前には出発してしまった。
やはりバスでは危なかった。
余裕のある時間に着くようにバスの発車時刻を決めればよいと思うのだが、ここは日本ではない。
10時過ぎにはイスタンブール空港に着くのだが、こんなに短い時間でも軽食のサービスをするところがトルコ航空のすごさだ。
配ったと思ったらすぐに回収。

今日のイスタンブールは天気が良い。
ホテルは新市街のタクスィン広場の近くなので、メトロで行くことにする。
イスタンブールカードがあるから楽に行けるはずだし、帰りの空港へのルート探索にもなる。
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1回の乗り換えで行けたは良いのだが、タクスィン広場からホテルへのルートが分からない。
何故かグーグルマップが繋がらないのだ。
もっとも原始的な方法、午前中の太陽の位置で方角をある程度予測して、それらしき方向を目指し、何となくホテルがありそうな雰囲気の場所で付近の人に聞いてみる。

付近の様子に詳しそうなおじさんは、俺に任せろと、とても親切に電話してくれたり、周囲の人に聞いてくれたりで、日本人と聞くと更に親切になった。
まるでガイドのようだ。ありがたかった。
丁重にお礼を言って、教えてもらって向かった裏通りのホテルは一本筋違いだった。
でも、予測した方向とそう違わない場所にあった。
裏通り感満載。

入るには入れたが、13時30分まで部屋へは入れないとのことなので、荷物を置いてランチと街歩きをすることにした。
ホテルを出て裏路地から表通りへ出ると、高架の大通りがタクスィン広場の地下を通るトンネルに入って行く。
坂を登って2分位のタクスィン広場は、とても広くて人通りも多く屋台やら出店やらでとても賑わっている。

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天気が良く、日差しがあると暑い。
Tシャツにダウンといういでたちだが、ダウンを脱いでしまうこともある。

タクスィン広場からイスティクラール通りはすぐに分かった。
先日、女性の権利拡充を訴える大きいデモが行われた通りだ。
日曜日だからだろうか、すごい人通り。
銀座通りのような感じだ。

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歩行者天国のようで、道路の真ん中をイスタンブール名物のノスタルジックトラムという名前通りの雰囲気を持つ路面電車が時々のんびり走っている。

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車庫?
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表通りは大商店街で、裏路地はとても面白そうなのだ。

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ここを1時間半くらい散策して店の見当をつける。

この最後のイスタンブール滞在の3日間でお土産やその他の買い物を全て済ませるのだ。
国内線の無料預け荷物は15kgまでだから、今までは加減していた。
国際線のそれは25kg、多分今の荷物は10kgくらいしかないから二倍くらいになっても大丈夫なのだ。
そんなに買わないけれど。

昼食はイスティクラール通りのトルコ名物伸びるアイスクリームを売っている気楽な店でドネルケバブ。
普通に美味い。

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13時半になったのでホテルにチェックインする。
前払いキャッシュオンリーだと。
初めに言ってくれ。
ATMはそこいらじゅうにあるのだが、直射日光を受けて画面がほとんど見えないATMやトルコ語オンリーのATMは困る。
イスタンブールカードの機会もトルコ語オンリーだが、チャージするだけの簡単な操作だけだから何とかなるのだが、ATMはそうはいかない。

ホテル玄関を入って狭くて急な階段を4階分登る。
荷物を持つと結構大変。
部屋は広くてテラス付き。

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眺望が良いとあったのだが、確かに良いとはいえる。
ただ、この眺望は万人に良いと言えるのか。
下町好きの僕には楽しい眺望だが。

眺望
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スタッフは若者で、向かいの建物で親戚が洗濯屋をやっている。
ランドリーサービス有りというのはこういうことだったのか。
後で洗濯物を頼みに行ったら、カガワシンジやナガトモの話題で盛り上がる。
ランドリーの兄ちゃんたちはベシクタシュのサポーターなのだ。

部屋は気に入ったのだが、難しいのは例によって鍵だ。
前日のエシンホテルの鍵はあっけないほど簡単だった。
ここは扉も重いし、鍵も難しい。
開けられるまでスタッフから何度もレクチャーを受ける。
まあ、用心に越したことはないわけでそれだけセキュリティが図られているということなんだろう。
コツを覚えれば段々鍵も素直になってくれる。
ついでに、各ホテルのウオッシュレットもまちまちで、常設なのだがコツをつかむ必要がある。
すぐ近くに広場と銀座通りがありながらこの下町風情、とても良い。
しかも、10m以内に酒屋と24時間営業らしい激安スーパーがある。

さて、落ち着いたところで、今日は日曜なので、月、火休館の軍事博物館へ行ってメフテル軍楽隊のコンサートを聴きたいと思っていた。
15時からとなっていて、時間もあまりないので近くにいたタクシーのドライバーに聞くと本日は休演とのこと。
残念だ。

夕刻まであまり時間もないので遠出はやめてタクスィン広場やイスティクラール通り周辺を散策することにする。
イスティクラール通りはタクスィン広場から緩い下り坂になっていて、とてもエキゾチックで興味が尽きない通りだ。
大道芸や路上ミュージッシャンも多数。
歩行者天国で人出も多くにぎやかで、そんな中を時々ノスタルジックトラムがのんびりと行き来する。
とても楽しい通りだ。
この通りはこの三日間とてもお世話になりそうだ。

天気は良くて、Tシャツ1枚でも過ごせるが、日陰に入ると涼しいから上着は必要だ。
良い時間になったので、酒屋でエフェスとワインを仕入れて(安い!!)、部屋に戻って飲みながら明日の予定を考えてみる。

スルタンアフメットジャーミー地区最大の見どころであるトプカプ宮殿は、先週行ったときはやすみだったので、ここはぜひ行きたい。
多分混んでくると思うので、朝の早い時間に行くことにして、その後は明日考えることにする。
夕食は近所の裏通り。

何気に入った食堂はモロッコレストランだった。
羊の脳みそのタジンを食べる。
白子のような口当たりと濃厚な味、美味しかった。
モロッコ料理とも相性は良いのだ。

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そして、24時間営業らしい激安スーパー、ALKANマーケットでおつまみのナッツなんかを買う。
ここの品揃えはすごい。
食品から食器、洗剤、チャーイの器等々何でもあるのだ。しかも安い。
ここで土産物を大量に買うことにしよう。

ホテルの入り口はピンコードで開ける鍵が付いており、このピンコードは重要だ。
ピンコードと部屋の鍵のコツ、これさえ押さえておけば快適だ。
明日は一日たっぷりイスタンブールを堪能できる。
楽しみだ。

2019年08月13日

2019・トルコの旅 第8章 3/18 (日)・再びイスタンブール 2

第8章 3/18(日) ・再びイスタンブール 2

今日は午前中に前回定休日で行けなかったトプカプ宮殿を観光する。
午後からはボスポラス海峡クルーズが良いかなと考えている。
今日も天気は良い。暑くなりそうだ。

朝のタクスィン広場
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朝食は近所のパン屋。
美味いのだが、量が多い。
明日は持ち帰りにしてもらおう。
トルコ語しか通じないみたいだが。

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トプカプ宮殿の最寄り駅であるスルタンアフメットジャーミー駅は、トラムヴァイのT1。
T1に乗るためにはタクスィン広場からフニキュレル(F1と表記。)という1駅しかない地下ケーブルカーに乗って終点のカバタシュ駅で乗り換えるのだ。

F1の駅がメトロM2のタクスィン駅と同じところにあるのかちょっと不安だったが、行ってみるとF1の表示が出ていた。
同じ場所なのだ。
F1は一駅だけの地下ケーブルカーだ。

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ケーブルカーの動力
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駅も車輌も近代的な装いだが、経費がかかりそうだ。
確かにイスタンブールは海辺の坂の多い街だが、コストのかかりそうな乗り物を一駅だけ運行させるというのはどういう理由があるのだろうか。
カバタシュまでは約1分。すぐに着いてしまう。
カバタシュの駅を出ると目の前にT1が走っていて分かりやすい。
逆にF1の駅を見つけるのは少し難しいかなと感じた。

さすがに2回目の滞在だから交通にも慣れてくる。
イスタンブールは地下鉄、路面電車、バス、専用軌道バス、ケーブルカー等々様々な交通手段が網羅されていてとても便利な街だ。
元々、シルクロードの終点、オリエント急行の終点であり、アジアとヨーロッパの結節点という交通の要衝の街なのだ。

T1でスルタンアフメットジャーミー駅に到着、トプカプ宮殿はこのエリアにある。
多分混んでくるだろうから9時半くらいには着くように来た。
人も増え始めてきた。

それ自体が城のような門から入ると広い庭園があり色々な建物が配置されている。
有名なハレムもある。

最初の門・皇帝の門
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送迎の門
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桜が咲いていた。
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トプカプ宮殿は、15世紀から約400年オスマン朝の支配者の居城として政治、文化の中心だった場所で、広大な規模なのでぼやぼやしていると迷ってしまう。

イスラム建築の特徴である細かいタイルによる装飾はどこを見ても素晴らしい。

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支配者であるスルタンが住んでいたので、食事、勉強する場所、台所、風呂、トイレ等々の生活様式の展示や武器庫、ハレム等の権力の象徴の展示等、見どころは満載。
とりわけ、食事に対するこだわりは結構面白い。
豪華な食器や厨房、食堂、東西から様々なものが集まる交易の中心地だったから、色々な食材が集まったのだろう。

スルタン勉強中の様子
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食器
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皇帝の間
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アタテュルクが亡くなった時間で止まっている時計
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もちろん食材だけではなくお宝もその質、量ともに凄いものがある。
英語の説明があるので助かるが、とにかく広い。
見学するのに相当時間がかかる。
今日は時間に制約もないので3時間くらいかけてゆっくりと見学した。

宮殿から金角湾を臨む。
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金角湾とボスポラス海峡
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見学を済ませ外へ出るとやはり暑くなっていた。
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午後はボスポラス海峡へ行ってみることにした。

トプカプ宮殿まで来てると、エミノニュの港まではT1の駅へ戻るより歩いた方が早そうだ。
どうせ下り坂だし。
で、Tシャツ1枚姿で歩くことにした。

例によってこの辺りは日本語で話しかけてくるうるさい勧誘もいるが、スィルケジ周辺は色々な店があって歩くにはとても楽しい場所だ。
このあたりのホテルもなかなかに興味深い。
昼は船屋台のサバサンドにしてみようと思った。
船屋台は先日行ったエミノニュ側とは橋を挟んで反対側にいるのだ。

カバタ橋をくぐるトンネルを抜けるといたいた。
派手な装飾を施したデコ船が3隻。
固定されて動かないものと思われるが、それぞれ陸地に食堂を持っている。

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サバサンド
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何故か先日ガラタ橋下の食堂で食べたサバサンドより美味しい。
先日の物はサバのパサり具合が微妙だったし味もイマイチだった。
ここのは美味い。
サバと野菜のトッピングがとても良いのだ。
これならいける。日本に帰ったら作ってみようという気になる。

こちら側からは周遊船も出る。
所要時間1時間半くらいの周遊船に乗ってみる。
13時出発で12時40分位に乗船したら眺望の良い席はほぼ埋まっていた。
しかし、眺望の良い場所であるはずの場所に透明なビニールシートが貼ってあるのか謎だ。
そこには人がいないのだ。

クルーズは、ボスポラス大橋をくぐってもう一つ先のファーティフ・スルタン・メフメット大橋まで行って戻ってくるというものだ。
途中、アジア側のユスキュダルという街へ寄って乗降する客もいる。

ボスポラス大橋
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ヨーロッパとアジアの境目、アジア側からはここが終点、ヨーロッパ側からはここが出発点、そういう視点で見ると結構感動ものだ。

ヨーロッパ側
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ルメリ・ヒサル(要塞)
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ファーティフ・スルタン・メフメット大橋
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アジア側
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アジア側のユスキュダル港
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乙女の塔・レストランになっている。
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アジアとヨーロッパから色々なものが集まる交易と交通の中心地だからこそ全ての物が揃うのだ。
トプカプ宮殿のアニメ的モニター解説にもそのようなものがあったな。
布、米、スパイス、染料、武器、香料、オイル等々およそ中世に世界中にあるものがここに集まってきたのだ。
ボスポラス海峡はその結節点と考えるととても興味深い。

海上は多少冷えるが、降りるとまた暑い。
エミノニュ駅からT1に乗ってカバタシュ駅、F1でタクシン駅へ戻る。
行きと逆コース。
時々イスタンブールカードの残額をチェックして、チャージもしておく。
1回乗ると2.8TLくらい引かれるらしいのだがえらく安いのだ。

夕方のタクスィン広場
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夕方のイスティクラール通り
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夜のタクスィン広場
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夕食のケバブ
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さて、明日は最終日。
本来だったら10時にチエックアウトして翌日の午前2時という出発時間まで拠点なく観光をして過ごさなければいけないわけだが、それではきつい。
で、チェックアウトは明後日にしてある。
つまり、昼間一杯過ごして、戻ってきてシャワーでも済ませて、夜になってから空港に移動してフライトに備えれば良いわけで、とても余裕がある。
というわけで、今夜もゆっくりと飲める。

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