第3章 3/13(水) カッパドキア
昨日からの冷たい雨が降り続いている。
午前4時30分にピックアップの手筈なのだが、行きのこともあったので少し心配感はある。
3時過ぎには起きて準備を始め、4時には準備完了。
手持無沙汰で何気なく見たテレビが面白い。
3組の夫婦が、それぞれ夫に料理を作らせて妻が色々と口を出す。
どうもその下手さ加減を笑っているのだろうが、言葉は分からなくても何となく面白さは伝わってくる。
あまりイスラム的ではないなあと思えた。
外では、きちんと1日5回コーランの放送がある。
4時半ジャストに迎えが来た。
7時15分発の国内線で、2時間前に空港着というのはいささか早い気もするが、国内線でも荷物のチェック等が厳しく時間がかかる場合があるらしい。
チェックインは全て機械で行い、紙はいらない。
預け荷物で意外にも折り畳み傘が引っかかったが、正体が判明して無事通過。
審査後、何も食べていないので朝食を摂れる場所を探していたら、CIPラウンジが国内線にもあった。
ラウンジの朝食
国際線にはあることは知っているが国内線にもあるんだ。これは便利。
搭乗までの時間をラウンジで過ごすことができる。
1時間にも満たないフライトだが、軽食のサービスがあった。
トルコ航空のサービスはなかなかすごい。
ネヴシュヒル空港到着。
機外へ出ると相当寒い。
イスタンブールと比べて標高があるからだろう。
市街地から離れているせいか、周りには何もない。
今日から3日間は、Stream Co Toursという現地ツアー会社にお世話になることにした。
カッパドキアは、広い範囲に見所が沢山あって、自力で回ることは難しい。
そのためか、現地にツアー会社は相当沢山あるが、Stream Co Toursは、ユニークなツアーを組んでいて、評判もとても良いので、ここにお願いすることにした。
日本でのやり取りも、対応がとてもしっかりしていたので心配はしていない。
定刻より早く着いたのでガイドの到着を10分ほど待つ。
迎えに来たのは、ガイド兼ドライバーのファティさん(初めはパーティーという分りやすい名前に聞こえた。)、40代くらいの男性。
初めは英語でやり取りしていたが、2010年から3年間日本の小学校で英語の教師をしていたということで、日本語も話せることが分かってからは日本語の会話になる。
話しているうちにだんだんと日本語に慣れてきた。
千葉県内の小学校に勤務していたということで、2011年の震災も経験したそうだ。
公園で炊き出しをしたということだ。
僕も千葉県在住ということで共通点がある。
今日は、ホテルへは寄らずにここからツアーをスタートさせることになっている。
まず、マゼウス村という村へ寄り――かなりの田舎だ――良く保存された地下都市を見学する。
客は我々2人だけ。
新石器時代、紀元前6000年頃の地下都市だ。
7層になっていてかなり深い。
入口
大きなLEDランプを持つファティさんの先導で地下都市というか洞窟へ入って行く。
もうこのあたりから、新石器時代、ヒッタイト、キリスト教辺りの話が交錯し始める。
敵の侵入を免れるために、7層にもわたる地下都市を建設したとのことだ。
動物を飼う場所、台所、寝室等々の役割があって全ての場所に脱出ルートが確保されている。
巨大な丸い岩を転がすとルートが遮断される仕組みなのだ。
沖縄の旧海軍壕、ベトナム戦争時のベトコンの地下基地を思い出した。
ルートはとても狭く、頭を上げるとごつんとぶつける。
何回もぶつけた。
施設自体に設けられた薄明かりはあるが、良く保存されている分、見学を補助するためのツールはあまり設けられていない。
一体自分がどこにいるのか見当もつかない。
これを新石器時代に作り上げたというのだから。
ここで、1人取り残されたらもうお手上げなのだ。
到着していきなりの保存状態の良く、あまり観光化されていない地下都市の見学で毒気を抜かれたというか、気分が高揚してきた。
地下都市探訪後、村の小さなカフェでチャイをごちそうになる。
ファティさんの友人の地元のトルコ人も一緒だ。
カフェ
カフェのドアを開けた途端に眼鏡が曇る。
石炭ストーブで温められた部屋におじさんや老人たちが集まって、ゆんたく、カードゲームやら謎のゲームを楽しんだりしている。
特産物のジャガイモの仕事がない時期は、ずっとこんなにして過ごしているらしい。
ここは男の村らしく、女性はあまり外に出てこないとのこと。
ここにも女性の姿はない。
みんなわりときちんとした身なりをしていて、ジャケットを着こんだりして洒落こんでいる。
人生を重ねてきた濃い顔の面々が集っている風景は、何だか映画の1シーンに紛れ込んだような錯覚を覚えるとともにすごく懐かしい気分になる。
昔の日本の田舎の集会所もこんな雰囲気だったような気がする。
村には1年前にやっとインターネットが入ったそうだが、それでも相変わらずだそうだ。
暖かい空気の中、紛れ込んだ異邦人である僕に向けられる視線は温かなものだった。
ファティさんが通訳をしてくれて―― ここではトルコ語しか通じない――トルコ人のおじさんと話をする。
政治的な話にもなる。
U.S.A.が嫌いだそうだ。
太平洋戦争中の原子爆弾のことにも話が及んだ。
あれはまともな人間がすることではないという主張だ。
真っ当な歴史観を持つ人達だ。
このカフェで心身ともに暖かくなり車へ。
カッパドキアの街には、バラとか葡萄とか全て各々にシンボルがあり、そのモニュメントも建っている。
これから向かうのは玉ねぎの谷。
放牧羊、牧羊犬を使って牧童が羊を導くという童話のような風景があった。
シルクロード上を走る舗装道路の前後には車がいない。
真直ぐな道路の先には地平線が見えて、どのくらいのスピードで走っているのか分からなくなる。
モロッコで体験した気の遠くなるようなドライブだ。
だいぶ日本語に慣れてきたファティさんと政治的な話にも及ぶ。
隣国であるシリア、イラン、イラク、そしてクルド問題。
時々シリアから逃れてきた人も見かける。
一時期は相当いたらしいが、最近はシリアに帰っている人が増えているらしい。
また、中国のコピー問題にも話が及んだ。
中国人が観光客として来て、特産品、例えば絨毯の製造過程を見学して、そのまま粗悪なコピー商品を製造販売することがあるらしいのだ。
日本にも同じような問題はある。
最近は中国人には製造工程は見せないそうだ。
また、最近トルコはU.S.A.との関係もあまり良くなく、アメリカ人観光客も自分はカナダ人だなどと称することもあるらしい。
彼は、気球観光を中心とするうわべだけを見るツアーには必ずしも好意的ではなく、もっと歴史を見てほしいと言う。
ヨーロッパ人や日本人は勉強してから来る人が多いと言う。
同感すると同時に自分ももっと歴史や宗教について勉強する必要があると思った。
玉ねぎの谷には岩をくり抜いた新石器時代の住居跡が多数ある。
洞窟に作られた教会の跡を見る。
壁や天井にキリストや聖母マリアのフレスコ画、かなり良い状態で保存されている。
この辺りは観光地からかなり離れているので殆ど観光客はいないそうだ。
観光施設として保存されているわけではないのでとても生々しい印象を受ける。
岩肌に小さな穴が無数に開いているのは、鳩を飼っていた穴ということだ。
伝書バトとして使うほか、卵の白身を接着剤として使っていたらしい。
人の住居跡と思われる洞窟は、よく観光案内に出てくるカッパドキアのケーブハウスの原型のようだ。
立ち寄った村々は新石器時代の洞窟ではなく、近代文明を獲得した後のケーブハウスが多数あって、観光案内に出てくるカッパドキアらしくなってくるが、ファティさんによると、実はそのような伝統的なケーブハウスに暮らしている人達は少なくなっている。
それは政府の方針で、補償金を出して移転させているらしい。
ケーブハウスは住居としては機能せず、殆ど観光ホテルとしてしか機能せず、伝統的な暮らしは失われていくという悲しげな口調で語っていた。。
そういえば、空港のあるネヴシュヒルの街は近代的なビルや住居が立ち並ぶ都会だった。
ネヴシュヒルの街
ケーブハウスから住民を移転させて観光地として整備していくというのは、いわばカッパドキア・ディズニーランドだ。
日本にもそういう問題はある。
しかし地元は便利な暮らしを享受したいし、食べていかなければならないのだ。
色々と考えさせる観光だ。
過去に住居だった洞窟は、現在は特産品のジャガイモの貯蔵庫として使われているところが多く、出入り口は施錠され、空気抜きの穴がポコッと出ていたりする風景が眺められた。
石器時代、新石器時代、ヒッタイト、ペルシャ帝国、ローマ、アレクサンダー大王、ビザンツ帝国、セルジュクトルコ、モンゴル、オスマントルコと東西の交錯の歴史は流れ、それがこの村々に遺跡として所々に散在する。
今でも発掘途中というものは相当にあるらしい。
カッパドキア観光は実は奇岩鑑賞ではなく、歴史の再認識というところにあるのだと思った。
もっと勉強してくればよかったな。
明日までの少しの時間、ネットとかも使って少し勉強してみよう。
昼食は、殆ど人を見かけない玉ねぎの谷の森の中に1軒だけある食堂。
がらんとした広い部屋に石炭ストーブが焚かれ、おじさん1人が接客している。
ファティさんとは友達らしい。
客は我々2名の他は誰もいない。
サラダ、スープ、このかぼちゃの味のするスープは昨日も食べたけれど、レンズマメのスープなのだ。
焼き立てのパンに、メインは牛肉と野菜を炒めて炊いた米を添えてある。
伝統的な料理だと言うがとても美味しい。
チャイも何倍もお替わりしてのんびりした時間を過ごす。
静かで鳥の声しか聞こえない。
食堂のおじさんはトルコ語オンリーだが、トルコ語の挨拶「メルハバ」から入って、挨拶の言葉を教わっているうちに打ち解けてきた。
1時間半くらいいただろうか、相当のんびりして出発した。
徐々に、ガイドブックにあるカッパドキアの奇岩の景色になってくる。
三人姉妹の岩、エルギュップの町、ウチヒサルの町、オゥタヒサルの町からの絶景など、おなじみの観光スポットに立ち寄って行く。
奇岩
午前中のテーマが重かっただけに観光スポット巡りは一応押さえておく位の軽さだった。
絶景もさることながら、僕にとっては、単なる観光地巡りではなくテーマを持った訪問がとても貴重な体験と感じた。
今日は気球が風の具合で中止ということで、それだけのためにわざわざ南米から来た観光客が怒り出したらしく、二人で苦笑。
ファティさんによれば、天気は良くても風の具合で中止になることはよくあることで、この季節は当分中止だろうということだった。
何やら冬場の鳩間便欠航によく似ている。
命が惜しかったら自然の都合に従うべきなのだ。
ウチヒサルの町、中央にそびえ立つのは一枚岩の城塞、現実感が薄れてくる景色だ。
絶景ポイントからの眺め
静かだったウチヒサルの撮影ポイントへ集団の中高年男女が到来、騒然とした雰囲気に。
気球目当ての観光客を気球キャンセルの替わりとしてツアーしているらしい。
彼は、雰囲気を壊すような雑な観光客には批判的だった。
僕も全く同感。
僕が日本人だからこうもあけすけに自分の意見を言ってくれるのだろうか、とてもありがたい。
今日一日一緒に過ごした彼の主張にはとても賛同できるところが多くあった。
絶景スポットを押さえて本日の宿泊地、ギヨレメの街に入った。
本日のホテル、ヴィレッジケーブハウスの前で今日のツアーは終了。
今日はとても勉強になったと共に、もっと勉強しなければと思わせてくれる有意義なツアーだった。
明日は9時半ツアー開始。
あと2日が楽しみだ。
ホテル
時間は15時頃、まだ日は高い。
ホテルは本当に洞窟部屋だ。今までこんなところに泊った経験はない。とてもわくわくする。
テラス
部屋の入り口
岩山の上の方をくり抜いてあるようなので、部屋の前のテラスからはギヨレメの街が一望できる。
これはここでビールを飲んだら絶対に美味いに違いないということで、荷物を置いて酒屋探しと街の散策。
いつもこのパターンだ。
坂を下って行くとすぐにオトガル――長距離バスステーション――が見つかった。
ここが街の中心のようだ。
レストランや土産物屋多数、酒屋もすぐ見つかった。
高原の観光地という雰囲気だ。
僕の好きな市場もある。
車もそれほど多くなく静かな街だ。
ぶらぶらと街歩きをして、エフェス2本とワイン1本を購入、50TLはいかない。安い。
ホテルへ戻って、部屋の前の景観の良いテラスでビールを楽しむ。
美味い!!!
部屋にエアコンは無いが、昼間の空気で暖まっている。
モロッコの砂漠に似ている。
昼間暖めた部屋で夜の寒さをしのげばよいのだ。
案の定、日が落ちると本格的に寒くなってきたが、部屋は暖かい。
デロンギ型でとても弱いヒーターも部屋にあり、少しは効き目があるようだ。
とてもきれいな夜景だ。
ワインに移行すると、この景色に現実感がなくなってきた。
腹も減ったので夕食に出かける。
観光地だから全体的に値段は高めなのだが、ローカルフードで良さげなを見つけた。
美味いし、値段も安い。
明日もここだな。
夜のミナーレ(尖塔)
ホテルに戻って夜景を見ながらワインをやっているうちに猛烈な眠気が襲ってきた。
今朝は3時起きだった。
眠い筈だ。
すっと眠ってしまった。